たりたの日記
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大分の水族館「うみたまご」でイルカを見つめるレオ
3月25日より4月6日まで大分の実家で過ごす。母は入院中だったが、 放射能汚染を心配した長男が嫁と孫を実家に送り込み、思いがけず、三世代の共同生活となる。 義娘と孫といっしょに過ごした2週間は忘れ難いものになった。
3月11日の大震災の日は幸いなことに家の中だった。 この日はたまたま仕事が休みになっていたのだ。
その揺れの激しさに何かとんでもないことが起こる予感がした。 いつも通勤に使うバッグを掴んで外に出る。 地面がぐらぐら揺れている。関西大震災のことを思い出していた。
テレビを付けるとそこには信じられないような映像が映し出されていた。 流される家や車 あの中に人間はいないのだろうか、みな避難を終えているのだろうか・・・ 何も手につかず、ただ茫然と深夜過ぎまで画面を見つめていた。
<何もできない、祈りの他は。でも祈ることができる> そんなメールが友人から届く。
安否を尋ねる電話やメールが友人や家族から届く。 アメリカの友人たちからもメールが届く。 このニュースはリアルタイムで海外に届けられているのだ。
一番親しくしていたDからは毎日メールが届いた。 「住んでいるところは危険な場所からどのくらい離れているの?」 「そこを離れてアメリカにいらっしゃい」 「あなたはどんな危険な状況にあるか知らされている?」 そういえば、かつて彼女と3マイルやチェルノブイリの事故のこと 広島と長崎の原爆のことを話した事があった。 普段は新聞も読まず、テレビもつけないわたしだが、ここ1週間はニューヨークタイムスやCNNニュースなど、見たり聞いたりできる海外のニュースには可能な限りアクセスした。
地震と津波は2万人を超える死者と行方不明者を出した。 この数値は日々大きくなっていったのだった。ということはまだ増えるのだろう。 想像を絶するほどの人間の命が一瞬の間に奪われた。 無事避難した人には過酷な避難生活が待っており、追い打ちをかけるように 原発事故による放射線汚染の恐怖。その上、さらに、風評による痛手を受けていることを今日のニュースで知る。
こんな大きな出来事をここに記さないのは怠慢だと、それだから何か一言でも書こうとここを開いたが、たくさんの失われた命の前で、 大切な人を失い、今もまだ探し続けている人たちの前で、 放射能汚染の不安の中で原発の修復作業に尽力する人たちの前で、 言葉が失われる。
何かできることをわずかでもしていくこと。 溜まっていたマイレージのポイントを義援金に回した。 5月6日に予定されている原宿教会でのコンサートはチャリティーコンサートとして行われることになり、3年前のコンサートの時に作成したCDも売り上げをすべて寄付することにして売ろうという連絡を受けた。 この時期にコンサートの案内をしたりチケットを売ったりという気持ちになれなかったので良かった。 30日に予定してあった、青木裕子さんの朗読ワークショップの発表会も延期になったが、それもチャリティーのイベントになるといい。
明日は郵便局へ義援金の振り込みへ。 埼玉アリーナに避難している方々に物資を直接届けることは可能だろうか。
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