たりたの日記
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この夏、たりたガーデンの花々は散々だった。 猛暑のせいもあるが、九州に3週間いた間、水やりや手入れがままならなかった。 にもかかわらず、あの暑さを潜り抜け、今も美しく咲いている花たちがいる。ポーチュラカ。 夏のはじめ、生協で求めたポーチュラカの苗が4株、みごとに成長し、美しく咲いた。 もともと暑さや乾燥に強い花なのだが、これまで植えた中で、今年ほどポーチュラカが育ったことはなかった。 逆境がかえって彼女たちの成長を助けたのだろうか、逞しい花たち。
ここ数日の内に急に涼しくなり、季節は完全に秋へと入れ替わってしまった。 そうすると、この花の命はもう長くない。 iPhoneの壁紙をこの花達にした。
テゼ共同体のことは何度かここで書いた。 出逢いは20年近く前のことになる。
フランスのテゼ共同体で生活してきた、今は牧師になっている友人から教えられ、日本でも行われているテゼの歌と祈りの会へ参加したのだった。
この日、わたしの通っている教会の仲間と共に、このテゼの歌と祈りに触れることができた。 再会、というよりは、あの出逢いの時より、ずっと心の中に生き続けてきたものに実際に触れたことだった。
これも20年ほど抱き続けている想いだが、いつかテゼ共同体で生活をしたいということ。 世界中の若者が集まるその場所で、歌と祈りを共にしたいと願いつつ、すでに青年の時期を過ぎでしまった。 それでも一度訪れたいと思う。
歌うことは祈ること。 繰り返し、祈りのフレーズを歌いながら、しばらく忘れていた「歌」を思い出した。 歌い続けていこうと思う。
テゼの歌と祈りについてはこちらのサイトへ ↓ 祈りと黙想の会
朝の電車の中では、その日の気分で、様々なことをするが、今朝は、どういう風の吹き回しか、日記モード。 涼しい秋の風のせいかも知れない。
夕べは、久々に、バスタブにぬるめのお湯を張り、半身浴をした。 その前に、これも二ヶ月ぶりくらいに wii fitで30分運動をした後に。 運動と入浴の間には、夕食の仕度、冷しゃぶサラダ。 で、バスルームに、ビールと冷しゃぶサラダと、iPhoneと本を持ち込んでの半身浴。 食事をしながら、iPhoneで、ハーバード大学の 講義を聴く。お風呂に漬かり、しかもビールを片手に、何とも不謹慎な。 けれど、洞察力に優れ、真摯さと、学生への愛情と、真実を探求していこうとする教授と、彼からの発問に、堂々と、また正直に自分の意見を述べる若者達。この「授業」は、どんなドラマよりも面白く、心にいい。元気が出る。 ここまで書いたところで、あの授業の続きが見たくなった。 仕事に向かう気持ちも整えられるだろう。
この4月より、毎朝ヨガをするようになって5カ月が過ぎた。 いくらそれが身体に良いと分かっていても、朝何時に起きてもかまわない時にはやれた試しがなかった。
それなのに、朝5時に起きて、6時15分に家を出なくてはならない生活の中でだと、不思議と朝10分間のヨガができる。
わたしにとってヨガは単なる運動とは少し違う。 朝起き抜けの身体に空気を通す、身体のすみずみまで酸素を行き渡らせ、目覚めさせる、そんな感じ。
毎日やっていると、その10分間が他のものに代え難い、自分の身体と向かい合う、大切な時間になってくる。
それで、起きてきたら、まず家じゅうの窓を開け、はらりと紫色のヨガマットを広げる。
さて、今日電車の中で読んだ本は『身体知ー身体が教えてくれることー』 内田樹氏と三砂ちづる氏の対談だ。 二人の対談は興味深く、頷けるところが多々あり、わたしが漠然と感じながら言葉にしていなかったことが言葉にされていて、読んでいて充実感があった。
下に抜粋した内田氏の言葉の中に、わたしが朝をまずヨガから始めたい、その理由があるように思えた。この言葉のように意識することはなかったけれど、身体はその事をとうに知っていて、わたしを促しているのだと。
宇宙感覚というのは、自分が生まれる前も、自分が死んだ後も含むような、時空を貫く流れがあって、自分はその「広大なもの」の一つの構成要素であって、自分の前にも後にも「何か」があって、自分もそれにつながっているという感覚のことだと思う・・・・・・・・・・・・・
合掌するのは、宇宙を貫くその一筋の流れと自分の体軸を合わせる、ある種の「アラインメント」なんじゃないか・・・・・・・
宇宙的な無限の時間と、自分が生きているごく限定的な時間が「つながる」感じ、それがカチリと合ったときに、たぶん「絶対的な自己肯定」が到来すると思うんです。
第1章<女は出産、男は武道> p37より内田樹氏の発言抜粋
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