たりたの日記
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今日、8月17日、18日の日記をアップし、ようやく九州の旅の記録が終了。 明日から本格的に新学期。5時起きの日々だ。 定期も新しくし、通勤鞄を整え、今夜は11時には寝なくてはいけない。 幸い、9月にはまん中に連休も控えている。 とにかく、一日、一日の仕事に全力で取り組むべし。 ここの日記帳、しばらく空白になることと思います。
6日に家を出て、例年のように大分、宮崎の実家で過ごし、その後鹿児島は霧島へ。 娘の役割、嫁の役割を終え、一人山行き。 海、山、湖、川、自然のエナジーを体中に受けた。
昨夜遅く家に帰り、今日は旅の荷を解き、洗濯や掃除をしながら一日家で過ごす。 明後日からまたハードな仕事の日々なので、明日は調整のための一日。 さて、6日から振り返って記しておこう。
17日、韓国岳に登った後、午後4時半、霧島温泉にある霧島いわさきホテルに。 部屋の窓から見える木々、遠く桜島まで見える。超広々としたいくつもの露天風呂。渓流の中にしつらえた野趣に富む温泉。贅沢な空間だった。
夜は泊まり客のみ渓流温泉の利用ができる。大浴場で、渓流温泉へ行く申し込みをすると、湯浴み着に着替えるように言われ、身ひとつで一人送迎の車へ。夜8時。客はわたし一人。係りの人は一人きりで、彼は送迎車の運転もするものだから、川の音がゴーゴーと聞える薄暗い渓流に一人取り残されたかっこうになる。誰が来ないとも限らない。不気味と言えば不気味だが、冒険心に煽られ、川石を踏み、またよじ登り、あちらこちらにある四つの渓流温泉に一通り浸かってみる。そのうちお客が増え始め、ほっとしたり、がっかりしたり。
翌日、あのミステリアスな渓流がどんなものだったのか再び探検。5分ほど歩くと昨夜の渓流の場所に出る。またまた人っ子一人いない。昼間は水着着用の混浴なので、レンタル水着を借り、ひとり温泉を楽しむことにした。 やがて数名の客が加わったものの、自然の中にどっぷりと浸ることができた。夕方の飛行機の時間を待って、木々の元、川の音を聴きながら、温泉に浸かっては読書をする。 読んだ本は夏目漱石の「それから」。こんなに重いテーマの本を、このように水着で温泉に浸かりながら読んでも良いものであろうかと思いつつ・・・
霧島温泉、鹿児島空港からバスで40分。羽田から2時間あまりで、こんな大自然の懐に抱かれることができるなんて・・・ 仕事に疲れた週末にふらりと来ることができたらずいぶんリフレッシュするだろうなぁと、また来ることを考えていた。
2009年08月17日(月) |
霧の霧島岳(韓国岳) |
8月17日09:01
山の天気は変わりやすい。とりわけ、えびの高原は。 今朝はピーカンの青空で、日焼けを心配するほどだったのに、支度をして外に出ると小雨が降っていて、まあ、このくらいならと雨具を着けているうちに、あたりはすっかり霧に覆われ、風まで出てきた。 と、書いている間にも、霧がずんずん流れていき、濃くなったり、薄くなったりする。
あいにく、本日閉館のビジターセンターのベンチで、霧に煙る木々を眺めながら、天気の回復を待つとしよう。
おや、いきなり、流れた雲の向こうに青空。
車で待機していた登山者が歩き始めた。
10:45
霧や雨や風はあったものの、激しいものではなかったので、わたしの前に4人の家族連れが歩き出したのをきっかけに、9時半に登山口から歩き始めた。山頂は何も見えず、雨まで降ってきた。 大浪池まで回るのは止めにして下山。
12:28
今一合目まで下山し、昨日の硫黄山まで来ると、また、霧と雨。霧さえ晴れれば、目の前に美しい山が聳えるはす。で、雨具に傘さして、霧が晴れるのを待っているところ。
13:08
雨の中、登山口まで降りてきた。ここから、小地獄と大地獄からなる、硫黄山自然研究路が続いているのでついでに回ってみよう。
14:55
霧と雨の中をそれなりに楽しみつつほっつき歩き、2時前にビジターセンターに戻ってくれば、今朝目覚めた時のピーカンに戻っていた!
ひなたぼっこしながらお弁当食べているうちに、山を覆っていた霧がしだいに晴れていき、待っていた山姿を見ることができた。 ところが・・・これを書いてるうちに、また隠れてしまった。
何という激しい変化。 女心も顔負けよ! とりあえず、冷えた身体に陽の光が気持ちいい。
甲羅干しの亀状態で、山に向かって、岩の上に座ってる。
この日、その時々に写メールをミクシー日記に送り、メモ変わりにした。 それをそのままここに。
09:42
汽車は緑の中を走る
ガタン ゴト ガタン ゴト ガタン ゴト ガタン ゴト
子どもの頃の耳に焼き付いている懐かしいリズム
数秒おきにトンネルに入り車窓は黒く変わる 幼い頃この暗闇の中断が不快で不安だったっけ。
山を汽車が潜り抜けて進んでいることを 山にすっぽり包まれて 汽車の座席に座っていることを あの時には思ってみることもなかとたけれど。
やがて汽車は里へ。 まもなく都城
10:32
韓国岳の登山口、えびの高原までは、土日のみ運行のバスで一時間。 で、バスに乗り込んだのはあたしひとり。 全くの貸し切りバス! バス代、740円だかで、申し訳ない 雨の予想だったが、ゴージャスな山日和だ。
12:04
えびの高原に着くと雲行きが怪しいので、韓国岳は明日の朝にして、周辺のトレッキング。
静かな山の中。 人もいない。
12:55
お天気が持ちそうなので、白紫池を抱える白鳥山山頂へ。
(この後、白紫池〜六観音御池〜不動池と、池巡りをする)
14:42
只今、硫黄山頂。 大した高さではないけれど、ここからの韓国岳は凄みがある。
火山岩のごつごつした、この荒々しさは好み。 さて、雨降らないうちにビジターセンターへ。
18:54
登山口の側にあるえびの高原ホテルに落ち着き、温泉にゆっくり入った後、韓国岳を眺めながら一人夕食中。 コインランドリーや明日の山弁当や水筒のお茶のサービスなど、山登りの客に有難いホテル。
山の冷気が入ってくる部屋の感じは、安達太良山行の時の高原ホテルを思い出す。
8月16日 えびの高原の写真をここに
六観音御池より右手に韓国岳、左手に甑岳(こしきだけ)
六観音御池
硫黄山より韓国岳を臨む
不動池
えびの高原荘
<ミクシー日記より >
青島パームビーチホテルの9階の窓から海を眺めてる。
夕べは義母の80歳のささやかなお祝い。 ケーキにろうそく8本立てて。
昨日の夕方と今朝、服のまま、海の中に入った。
水着を持って来ていなかったからだけど、
陸の上の生活の気分のまま、足先から、少しずつ、海水に身を浸し、やがてすっかり身を沈める感覚が、黙想のようで気に入った。 ガンジス河での沐浴のよう・・・
早朝は人がいないので海はいっそう広くて静か。
昇ってゆく太陽の方を見ながらヨガをする。 こんなに気持ちのいいヨガは初めて。
部屋に戻ってくると、わたしの沐浴とヨガの様子が、カメラに収められていた。
この窓から海の中に見えた野生児、あるいは何かの教祖を写したと、カメラマンは言っていた。
*写真、はじめの2枚はわたしが撮ったもの。後の2枚は夫が9階の部屋の窓から望遠レンズで撮ったもの。
この日、わたしの実家の大分から夫の実家の宮崎へ。 そこで、ケアハウスにいる義母、小倉に住む義姉、この日埼玉からやってきた夫と合流。
翌日、14日、義母の80歳の誕生日のお祝いを青島パームビーチホテルにて。
あんまり海がきれいで気持ちよさそうだったので、服着たままざぶざぶ海の中に入ってしまった。 水着着なくちゃ海に入れないなんてことなかったんだわ・・・
母教会というのは、自分が洗礼を受け、キリスト者として育てられた教会のこと。
礼拝堂は数年前に新築されたものだが、元々の古い時代のデザインを可能な限り再現した礼拝堂なので、わたしにとっては相変わらず懐かしい場所。 礼拝堂の椅子は当時のまま。わたしの描いた落書きがどこかに残っているかもしれない。
牧師はその当時高校生だったTくんで、ますます牧師らしい、いい顔になっていた。 わたしがその教会の保育園児だった時お世話になったH先生とT先生も、わたしからすればあの当時のまま。
いつもいっしょに教会学校に通っていた近所のMちゃんや、他にも懐かしい方たち・・・ 折りしもこの日は召天者記念礼拝。すでに天国へ行かれた懐かしい方がたの写真が並べられていた。
この日の礼拝の最中に、長崎原爆の犠牲者に黙祷を捧げるための放送が市役所のスピーカーから流れ、1分間の黙祷を促すサイレンが鳴り、町中の人と祈りを共にする。
子供の時から、8月6日と9日の朝に被爆者追悼のためのサイレンが鳴れば、どんな事をしていても立ち止まって祈るよう、学校でも教えられてきた。また6日は登校日になっていて平和授業を受けたし、教員時代にはわたしも平和授業をした。埼玉県に越してきてからはこの一分間の黙祷のためのサイレンを聞いていない。他の市町村ではどうなのだろう。
家に帰って母に聴いてみると、大分県はどこも黙祷のためのサイレンが鳴るという。どこでもやっていると思っていたと母は言うが、そうではないのだ。いったいどの都道府県でそれが行われているのだろうか。
礼拝の後のお茶の時間に、長男の結婚式の写真と生まれたばかりの写真をみんなが喜んで見てくれる。なんだか親戚のようだと思った。 黙祷のサイレンも、親戚どうしのような人と人との近さも、すっかり忘れてしまっていたと思った。
この日は夕方、雨が上がるのを待って父のところへ。
「お母さん、掃除はどこからしてほしい?」
分っていても一応、お伺いをたてる。
「仏壇のある部屋からやって」
この時期、母にとってはお盆のお参りに来てくれるお坊さんを迎えることが何より大事なイベントなのだ。
和室、廊下、台所、茶の間の順に、溜め込まれた不用品を片っ端から片付け、部屋本来の空間を取り戻す。 自分の家だと、こうサクサクと物は捨てられない。 母は自分は捨てられないからわたしに捨ててもらうのを待っているという。
わたしに娘はいないから、わたしは誰かに片付けてもらうという訳にはいかない。今の内から不用物を捨てて身軽になっておかなければと帰省の度に思うのだが、我が家の押入れは以前として不用物が詰め込まれたままだ。
今回は、携帯電話からミクシーに写メールを送ってメモ代わりにした。 その「時」が残せるのはいい。
大分空港から実家に戻る前にいくつか寄り道。
まずは別府の温泉の中でも有名な竹瓦温泉。 お湯は熱くて、長くは入ってられないので、カラスの行水を繰り返して、涼んでるところ。
クーラーないんだけど、古い木造の広い空間は、風が通り抜けて、程よく涼しい。 土砂降りの中、濡れながらここに走りこんだが、雨はすっかり上がってしまった。 これから電車で大分駅へ。 <ミクシー日記より>
この後二つ目の寄り道、学生時代からの友人Yと会って話す。家族のことや仕事のこと、3年ぶりに会う友人と昨日会ったように話すものの、その間に起こったことの何と多かったこと、大きかったこと。
Yと会った場所は大分駅からそれほど遠くない「晴家」という居酒屋。 新卒で受け持ったクラスの教え子が自分の店を出したというので、ここで会うことにした。 料理に命をかけるSの気合の入った料理を味わうことができて良かった。 椎茸スパゲッティーは大分の名産の香りのよい椎茸をふんだんに使ったなんとも美味しいスパゲッティーだった。
2009年08月05日(水) |
長谷川勝彦の朗読講座、更新しました |
わたしが管理している長谷川勝彦の朗読講座、更新しました。朗読やナレーションに関心がある方、ぜひお訪ね下さい。 ↓ http://katuhiko.exblog.jp/
なお、今日のNHKスペシャルは長谷川勝彦さんがナレーションを担当します。
NHKスペシャル
核は大地に刻まれていた〜”死の灰” 消えぬ恐怖〜
2009年8月6日午後10時00分〜10時49分 総合テレビ
旧ソビエトの核実験場で行なわれた広島の科学者らによる調査で、”死の灰”による被爆の実態が初めて解明された。大地に刻まれると消えることのない核の脅威に迫る。
ナレーション 長谷川勝彦
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