たりたの日記
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2008年11月24日(月) 遠い森の中

この日、一人で練習するつもりでいたが、仲間と連絡がついたので、午後から教会で音合わせをする事ができた。

昨日の日記で紹介した、Down in yon forest は日本語の歌詞に訳したものでで歌ってみた。

Sがギターの伴奏を録音したものに合わせて、わたしがヴォーカルを取り、コーラスの部分にSが、主旋律よりも高い音でハーモニーを付ける。
Sはボンゴを叩き、わたしが前奏と間奏でヴァイオリンを入れる。

Sのエネルギッシュなギターとボンゴはどちらもこの曲を盛り上げてくれるが、一人で二つの楽器を弾くわけにはいかないから、録音しない限りは無理。

ずっと弾いていなかったヴァイオリンはすぐに弦が緩んでしまい、弓もひどい状態だが、この曲には合うかもしれない。
楽器との関係を取り戻すためにも、弾かなくては・・・

その前後にクリスマスキャロルを7曲と、「月の庭」( イギリスの民謡、サリー・ガーデンに日本語の歌詞がつけられたもの)を練習。
日曜日と月曜日の二日間で、ずいぶん形になった気がする。
何より、久し振りの仲間との音楽がとても楽しい。

「遠い森の中」の歌詞と原詩を載せておくとしよう。

どなたかの役に立つかもしれないから。


      ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪



遠い森に  ( Down in yon forest )  

                  たりたくみ・訳詩


1、遠い森に広間がある 
 
   (天国の鐘が聞える)

  紫の衣に覆われて

   ( 何よりも主イェスを愛す)

2、広間の中にベッドがある
 
   (天国の鐘が聞える)

  赤い赤い布に覆われて

   ( 何よりも主イェスを愛す)

3、ベッドの脇に石がある
     
   (天国の鐘が聞える)

  聖母マリアがそこに膝まずき
       
   ( 何よりも主イェスを愛す)

4、ベッドの下に流れがある
     
   (天国の鐘が聞える)

  半分は水で半分は血で

   ( 何よりも主イェスを愛す)

5、ベッドの元に茨が生え

    (天国の鐘が聞える)

  主が生まれて、花が咲いた
  
    ( 何よりも主イェスを愛す)

6、ベッドの上に月は照り

     (天国の鐘が聞える)

  救い主の誕生を告げる

     ( 何よりも主イェスを愛す) 




Down in yon forest


1. Down in yon forest there stands a hall:
The bells of Paradise I heard them ring:
It's covered all over with purple and pall
And I love my Lord Jesus above anything.

2 In that hall there stands a bed:
The bells of Paradise I heard them ring:
It's covered all over with scarlet so red:
And I love my Lord Jesus above anything.

3 At the bed-side there lies a stone:
The bells of Paradise I heard them ring:
Which the sweet Virgin Mary knelt upon:
And I love my Lord Jesus above anything.

4 Under that bed there runs a flood:
The bells of Paradise I heard them ring:
The one half runs water, the other runs blood:
And I love my Lord Jesus above anything.

5 At the bed's foot there grows a thorn:
The bells of Paradise I heard them ring:
Which ever blows blossom since he was born:
And I love my Lord Jesus above anything.

6 Over that bed the moon shines bright:
The bells of Paradise I heard them ring:
Denoting our Saviour was born this night:
And I love my Lord Jesus above anything.


楽譜

http://www.folkinfo.org/songs/displaysong.php?songid=336


2008年11月23日(日) Down in Yon Forest

おぉ、10日ぶりの日記だ。
明日の遊山倶楽部での高倉山行きが天候不順のため、中止になった。
そうでなければ、今夜は3時間前に寝床に入るところ夜更かししている。

ところで、早々とクリスマスキャロルの話。
11月も終わりに近づいてくると、きまって口をついて出てくる歌がある。
イギリスの古いクリスマスキャロル、Down in Yon Forest。

中学生の頃、ジョーン・バエズが歌うレコードで聞き、15年くらい前、波多野睦美&つのだたかしのCD「イギリスの古いキャロル」で聴いた。

そしてつい最近、YouTube でKemper Crabb: "Down in Yon Forest"

を聴いた。

こちらはギター、ヴァイオリン、パーカッション、リコーダーなどなど、様々な楽器でのセッション。
教会でのライブ演奏のようだが、とても好きなセッションだ。映像もあるせいか、触発される。
今年こそ、この曲を歌うなり演奏するなりしてみたいと。

この歌を日本語で歌えないものかと訳詩を試みた。
そして、今日の午後、礼拝堂で音楽仲間のギターやパーカッションと合わせてもらう。いい感じだ。

和訳の方は、側で聞きていたアメリカン人の英語教師が、英語よりも分かりやすくて好きだと言うのだからまず問題はないのだろう。

さて、この歌を素材にどんな音楽ができるのだろう。
すっかり忘れ去られていたヴァイオリンを1年ぶりに取り出した。ちょっとした脇役くらいなら入れるかもしれない。

ヴァイオリンのケースを開ける時は、いつもこの楽器がばらばらになっているのではないか(何しろ200年前の楽器なのだ)、あるいは、今までなんで触らなかったんだと怒りが向けられるのではないかとひやひやするのだが、大丈夫。ちゃんと音を出してくれた。
ごめんなさい、また仲良くしてと謝る。

さて、明日は山もないし、音楽の日にしよう。













2008年11月13日(木) 火と水と

今日は次男の誕生日だった。
朝おめでとうのメールを携帯に送る。お祝いは彼の都合で来週の日曜日という事に。

けれどわたしは今日一日、出産や育児の事を思い返したりはしなかった。すっかり母親のモードではなくなっているのだ。

朝、ジムでラテンを踊り、その後プールを歩いた。
火のようなラテンのリズムに身を任せて踊る時、頭の中から一切の思考が消える。それはひとつのエクスタシーかもしれない。滞っていたものが流されるという意味で。

そしてその後、ラテンの衣裳を水着に着替え、熱した身体を冷やすように、水に入る。水は冷たく、きらきらと美しい。長く伸びているレーンを、一人で黙々と歩く、あるいはジョギングする。

水の中で、さっきまで失われていた意識が戻ってくる。心は思いつくままに様々な映像を描き出す。感情は冷やされ、何かをしきりに分析しようとするのだが、思考は脈絡もなく様々に行き来する。

午後からクラス二つ。その後、ツタヤにDVDを返しに行き、半額だったので、新たに3本借りてくる。
イングリッシュ・ペイシェントの監督のアンソニー・ミンゲラの「こわれゆく世界の中で」。グレアム・グリーン原作の名作小説映画「ことの終わり」。イタリア映画「待つ女」。




2008年11月12日(水) 晩い秋残る木の葉を数えおり

冷たい雨の一日だった。
ハナミズキの色づいた葉が一枚、また一枚と落ちる。
数日の内にはすっかり落ちてしまうのだろう。

春、ピンク色の花が一斉に開いて窓から見える青空を埋め尽くして豪華絢爛の花盛りだった。
夏、花の後、葉がすぐに広がり、夏の間中、涼し気に揺れていた。
秋、葉は微妙な色彩に染まり、赤い実を鳥たちが食べにやってきた。
晩秋の今、その葉が落ちている。
間もなく冬、木は枝ばかりのシルエットになる。しかしそれぞれの枝の先にはすでに来る春の花芽を無数に付けているのだ。
春を待って寒い冬に耐える、小さく健気な花芽たち・・・


午前中は脳のMRIの検査へ。4月から、頭が時折り痺れる事があり、気になったいたのだ。結果は異常なし、ストレスから来るものという診断だった。
ストレス・・・
先日、初めてマッサージを受けたら、指が入らないほど凝っていると言われた。気がつかないうちにストレスを溜め込んできたのだと言われる。

午後クラス二つ。11月のテーマは収穫の秋にちなんで、野菜や果物などの食べ物。いつもより余裕のある授業ができた。

夕方から、「イングリッシュ・ペイシェント」のDVDを観る。
最も好きな映画の一つだ。

初めて観たのは11年前、41歳の時。その後、ビデオで2回借り、今回久々にDVDを借りて来た。金曜日に借りて、今日は三回目を観た。映像、ストーリー、言葉、役者、どれも好きだ。とても心惹かれる。アフリカの砂漠を旅し、洞窟の壁画を観たいと思う。

それにしても、映画は観る時によって、様々な部分や心情が新しく分かる。良い映画ほどそうなのだろう。
オランダーチェの原作「イギリス人の患者」も、そのうち再読したい。
きっと11年前とは違った印象を持つはずだ。

数日前、末締め切りの<2008お話Pod&ラジオデイズ朗読賞>に応募した三つの朗読の内の一つ福永武彦著「愛の試み」がきっかけで、また「愛の試み・愛の終わり」を読み始めた。この本も読む度に新しい発見や示唆がある。

時が過ぎる。
春から夏、夏から秋へ移行するように。
今という時がいったいどこへ向かっているのか知る由もないが、時は宇宙の理に忠実に誕生と死を、死と再生を繰り返しながら進んでゆくのだろう。
手にしたと思ったものも失われ、失ったと思ったものもまた戻ってくるのかもしれない。
そんな事を思った晩秋の一日だった。


* 2008お話Pod&ラジオデイズ朗読賞のすべての応募作品がここから聴くことができます。
わたしの応募した朗読は89、90、91の三作品です。
コメントお寄せ下さい。





2008年11月11日(火) 訳詩の朗読

昨日の日記の続きを。

カジミーロ・ド・ブリトー氏の詩を朗読するにあたって、休憩時間に、ブリトー氏に詩をどのような音声で朗読するのか始めの部分を朗読していただいた。ポルトガル語は全く分からないので、音と言葉との関係を想像する事ができないし、日本語にした時の語感と原詩のそれとはまた違うと思ったからだ。訳詩について分からない部分があったので、英語で、詩についていくつかのやりとりをし、詩の言葉のニュアンスや詩人のその詩に対するパッションをいくらか掴む事ができた。

舞台ではわたしがどう朗読するかという事の前に、まずブリトー氏のポルトガル語の朗読をまず聴き、その抑揚やニュアンス、またその音声から触発されるイメージを日本語の朗読に生かすことに努めた。
だから意識して創り上げた朗読ではなく、その場で偶然に生まれる即興のような朗読になった。
ブリトー氏の朗読がかなりドラマティックだったので、日本語の方も負けずにドラマティックな読みをしたように思う。

二つ目の詩も先に記した『転落の書』と同様、預言書的な隠喩に富んだ詩だ。その語るところは霧の向こうにあるように見えない部分もあるのだが、そこにある空気はとても心地良い。



   断片77『良き死の技法』

                カジミーロ・ド・ブリトー
                松岡秀明 訳



かつて愛しまだ愛する人は
人目を忍んだ歌を生涯聞くだろう
その歌を聞き
その歌を歌うだろう
世界の熱を放出させる
動物の呼吸と木々を
西洋からそして東洋から運んでくる風にむかって
かつて愛しまだ愛するひとは
大地と空をひとつにする女たちの巣を
一生の間歌うだろう
そして骨と石を浸す
乾ける水の力を目の当たりにするだろう
大地を骨に
骨を見捨てられた肉にかえることは
偉大な作業なのだ
かつて愛したひとは
何も知らない
そして生涯堕ちていく
知恵でないとしたら
その力はなんなのだろう
見えない口の知恵
肉の酒である水の謎の知恵
母の巣へと戻る鳥の知恵
かつて愛した人は
生涯愛するだろう


2008年11月10日(月) 東京ポエトリー・フェスティバル

11月1日、明治大学を会場に開かれた東京ポエトリー・フェスティバルに出かけた。
その日、夕方の朗読会で、ポルトガルの詩人、カジミーロ・ド・ブリトー氏の詩の和訳を二篇、朗読するという役目をいただいていた。

その詩は二篇とも愛をテーマにした詩だったが、預言書のように、何か暗示に満ちた、熱さと冷たさを合わせ持つその詩に心惹かれるものがあった。

預言の書、旧約聖書の預言書を読む時、まるで今のわたしに語りかけられているような出会いをする事がある―。
詩とは本来、そのようなものかも知れない。

デンマークの詩人、スサンナ・ヨーンは、詩を読むことで過酷な状況の中で、ある人が暗唱した詩を繰り返し唱える事で生き延びる事ができたというエピソードを語り、生きるための詩という提唱をしていたのが印象的だった。

生きるための詩・・・その言葉が身に沁みる。
あの時朗読したブリトー詩の詩を朗読してから10日あまりしか経っていないが、あの時には分からなかった詩の意味が見えてきたように思う。

生きるための詩、この詩もまた・・・

ここに記す事を許していただこう。


     断片59『転落の書』

            カジミーロ・ド・ブリトー
            松岡秀明 訳

�機�
絶壁のように愛は高い
そして愛はそれが生まれるとき燃える
高々としかし短く
海ほどの情熱を待ち望むとき
愛はさまざまな名を持つが、何も知らない
愛は愛させるものに姿を変えるのだ

��
愛するのにあるいは死ぬのに
もう遅いかまだ早いかは
神々の関心あることだろう
わたしはもう通行料を払った
途半ばだ
うつろう愛の蠅を注視する猫のように

��
幾分なりとも私に取り柄があるとすれば
私が生まれたのちいくらかの月を
(忍耐と不屈、そしていくらかの狂気)
持ちながらえていることだ
愛は短い
だが炎は消えない
冬眠するのだ

��
まだ終わりではない
長い水平な呼吸
だが、私は近くにきている
夜の入り口の湿気の
しずくで消えてしまう灯に
愛しい顔を近くで私は見る
まだ終わりではないが
私はとても近くまできている


2008年11月06日(木) 20日間のあれやこれや

気がつけば20日分の日記が空白だ。
毎年10月はハロウィン関係で忙しいのだが、今年は特別だった。

19日(日)午前中、保育園の運動会のアナウンス係り、
同日午後、英語学校のハロウィンパーティー
25日(土)友人の結婚式
26日(日)自治会のバス旅行の世話役
29日(水)保育園のハロウィン
31日(土)英語教室のハロウィンパーティー
1日(日) 東京ポエトリー・フェスティバル。ポルトガルからの詩人の日本語訳の詩の朗読を担当

そしてまた31日までに送ることになっている同人誌の原稿と、これもまた31日締め切りの朗読コンテストを抱えていた。

どちらも31日当日にぎりぎり間に合わせるという準備の悪さだったが、締め切り間際でないと作品を仕上げられなかったのだ。

明日が締め切りという日になってようやく録音したいテキストが閃いたのだからしかたない。賞は狙ってはいないが、参加することに意義があるとやっつけのCDを作って送った。


この20日のあれやこれやは、いつものパターンで過去日記に。


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