たりたの日記
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2008年02月29日(金) ライブハウスとファンタジー

美しいものを見た
明け方の甘い夢の味がし
夕焼け雲を背に聴こえる
遠い口笛にも似ていた

テレビやスクリーンの中ではなく
舞台の上での劇ではなく
それは日常の中に仕組まれたドラマで
登場人物はひとりの中年教師と若者達だった

若者達はやけに優しく、どこか大人だった
自分をふっと離れている点で
脱力の具合が堂に入っているという点で
そしてふしぎな軽やかさがあった

生身の人間の創るドラマのなんと豊かな事
小説や脚本が拾いようもないファンタジーが
小さなライブハウスと
夜のハンバーガーショップの中に満ちていた


2008年02月28日(木) すべての事には季節があり、すべてのわざには時がある


今日はこの言葉をここに書き写したい気分。
時のこと。
終わりと始まりを心に覚えつつ。



<ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉>

伝道者は言う、

空の空、空の空、いっさいは空である。

日の下で人が労するすべての労苦は、

その身に何の益があるか。

世は去り、世はきたる。

しかし地は永遠に変らない。

日はいで、日は没し、

その出たところに急ぎ行く。

風は南に吹き、また転じて、北に向かい、

めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
・
・
・
・
天が下のすべての事には季節があり、

すべてのわざには時がある。

生まるるに時があり、死ぬるに時があり、

植えるに時があり、植えたものを抜く時があり、

殺すに時があり、いやすに時があり、

こわすに時があり、たてるに時があり、

泣くに時があり、笑うに時があり、

悲しむに時があり、踊るに時があり、

石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、

抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、

捜すに時があり、捜すのをやめるに時があり、

保つに時があり、保つのをやめるに時があり、

裂くに時があり、縫うに時があり、

黙るに時があり、語るに時があり、

愛するに時があり、憎むに時があり、

戦うに時があり、和らぐに時がある。

働く者はその労することにより、なんの益を得るか。

わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。

神のさなれることは皆その時にかなって美しい。





2008年02月27日(水) 喪失

突然の喪失の
そのむさむさとした味わいを
忘れていた

今日の命は今日限り、明日の事は分からない
そんなあたりまえを
見失っていた


受け入れるべき孤独を
ふっと手離したすきの事だった
足元をすくわれ、ぐらり傾いだ


こんな場所で心を開くことが
今日は不気味に思える
ここが砦であるはずはないと


悪意の横行するネットの海で
むきだしの自分をさらす
その開き直りに挫ける


ええい!
開いた心など
閉じてしまえ!と乱暴にさえなって


それなら帰ろう
もともとのところへ
山の中のように静かな場所へ

誰もいなくても
あの方だけはいるという
変ることのない場所へ

閉ざすことなく
開いたままで
相変わらずの
むき出しのままで






2008年02月26日(火) 折口信夫 「死者の書」を読む ��

今日は正津勉文学ゼミで 折口信夫著「死者の書」を読んだ。
いつものようにSさんが丹念に歴史的な背景や人物について調べて書かれたレポートが配られ、15名ほどのメンバーが一人づつ感想を言う。

どの方も難しかったが、おもしろかったという印象を語られていた。興味深い意見が多く、また折口氏自身と作品と関連や、この作品を批評した文章など、調べてみたいテーマがいくつも見つかった。

このテキストは20章に分かれていて、今日は10章までだったから、次回までに、作者について調べたいと思う。

わたし自身の意見は、初めは英語よりも難しいと感じたが、6章に入り、姫が雨の降る夜、ひとつの焦燥にかられ失踪し、夜通し歩いた山を眺めながら心に湧き上がる静かな喜びを語るところで、その姫にすっかり感情移入する事ができ、話の中に入ってゆく事ができたというものだった。

またこの作品のテーマは、「魂を充たすものへの希求」と読んだ。
死ぬ間際に一目見た女に魂の深い結びつきを感じ、死んでもなお、心に刻印され消える事のないその女の魂を求め続けている死んでいる若者、その強い希求。
ある時、山の上に尊い姿の若者の俤を見、そこから呼ばれるように、雨の中を夜通し歩き、女が入る事は許されない山の上の寺へ踏み入る、その強い希求。
またその姫が自らの魂の渇きを癒すがごとく、写経に没頭し、身体をそこないつつも千部の経を写し終える、その強い希求。
この三つの事は、強く魂が求めるものに向かって、ひたすらに進んでゆくという点で共通していると感じた。

Kさんの意見から、そこにあるエロティシズムにも気づく。これは作者の深い部分から紡がれた物語なのだろう。


以下はこの作品の流れを掴む事と、わたしが好きな部分を取り出すために書いたメモだ。きちんと整理したものではないが、メモとして載せておく事にしよう。
 

<死者の書について>

「死者の書」とは、本来古代エジプトにおいて、死者を葬る際、冥福を祈って棺に一緒に収められた巻物のことである。釋迢空は、その事を十分踏まえ、日本における「死者の書」を小説というスタイルで書こうとした。それがこの「死者の書」である。奈良時代、藤原南家の姫が当麻寺に籠り写経したという中将姫伝説をヒント(中将姫伝説をもとに「神の嫁」を書く)に大津皇子の悲劇を背景として時空を超えた一大叙事詩を描こうとしたものであ
る。
       (青空文庫の解説より)


(一)

 < 彼の人の眠りは、叙(しずかに覚めていった。まつ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱んでいる中に、目のあいて来るのを、覚えたのである。>

彼の人は死んでいる。死の眠りから覚め、まず記憶に昇ってきたのが耳面刀自(みみものとじ)という名前だった。死ぬ直前にただ一目見て、一目惚れした女の名前。


< 今思ふと――待てよ。其は何だか一目惚れの女の哭(な)き声だつた氣がする。) ――をゝ、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉体と一つに、おれの心は、急に締めあげられるやうな刹那を、通つた気がした。俄(にわ)かに、楽な広々とした世間に、出たやうな感じが来た。さうして、ほんの暫らく、ふつとさう考へたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去つた――おれ自分すら、おれが何だか、ちつとも訣(わか)らぬ世界のものになつてしまつたのだ。>


人と人との出会いは神秘に満ちている。長い間知り合っていても、寄り添う
う事のない魂と魂もあれば、ただ一瞬の出会いにおいて、強く結びつく魂と魂もある。それは肉体のレベルとは別のところにある、より深い人との結びつき、ここに作者の恋愛観、あるいは願望のようなものがあるのだろうか。

其瞬間、肉体と一つに、おれの心は、急に締めあげられるやうな刹那を、通つた気がした。俄(にわ)かに、楽な広々とした世間に、出たやうな感じが来たという表現は興味深い。魂が出会う時、刹那を通りぬけ、時空を超える。魂は肉体を離れる。この世を生き終えた死んだ肉体は、死ぬ間際の魂の出会いの故に、時を越えて、その一人の女を求め続けているのだ。

(二)

<当麻路をこちらへ降って来るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一気に、この河内路へ馳(か)けおりて来る。九人と言うよりは、九柱の神であった。白い著物(きもの)・白い鬘(かずら)、手は、足は、すべて旅の装束(いでたち)である。頭より上に出た杖をついて――この坦(たいら)に来て、森の前に立った。>

森の前に立った白装束の神たちは、誰かを探しにやってきたらしい。


こう。こう。お出でなされ。藤原南家(なんけ)郎女(いらつめ)の御魂(みたま)。こんな奥山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう こう。お身さまの魂を、今、山たずね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。こう こう こう。


 修道者達は、こうこうこうと魂呼ひの行を初めたのだが、その時に奇妙な音を聞く。


< 其時、塚穴の深い奥から、冰(こお)りきった、而も今息を吹き返したばかりの声が、明らかに和したのである。 おおう……。>


その声と共に九人の心がちりじりに消えてしまう。その声は 先ほど墓の中で眠りから覚めた「彼の人」の声にちがいない。

(三)

場面は山の上にある寺の側にある庵室。やんごとなきどこかの姫が、いったいどこからやってきたのか伴もつけず、一人女人結界(にょにんけっかい)を犯して、境内深く入って来た。寺の僧侶達は、慌てる。奈良のやんごとなき郎女(いらつめ)をさてどうしよう。

まずは奈良の屋敷に使いを出し、郎女自身に、その罪を購はさねばならない、償いの期間が終わるまでは庵室から出すわけにはいかない。その庵室には一人の姥が遣わされた。姥は


<郎女は、御存じおざるまい。でも、聴いて見る気はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知った姥でおざるがや。>


と郎女に問いかけ、一旦、口がほぐれると、老女は止めどなく、喋り出し、郎女の先祖の話をするうちに神懸りに入った。

(四)

姥が神懸りに入って歌った歌は、墓で目覚めた「彼の人」の歌う歌であった。「彼 の人」が一目見て、此世に残る執心となった耳面刀自(みみものとじ)を偲ぶ歌。 死者の魂が、は耳面刀自の子孫である、その郎女を山まで呼び出したのだと言う。郎女は、失踪する前、輝く雲の上に、尊い仏のような姿の若者を見、その俤(おもかげ)に導かれた事を告げ、不審がる。

(五)

場面は再び、「彼の人」の墓の中。死者は、自分が無実の罪で処刑された
滋賀津彦である事を思い出し、自分が名も子孫も残さずこの世から消えていく事を 嘆き、耳面刀自に訴える。


< 耳面刀自(みみものとじ)。おれには、子がない。子がなくなった。おれは、その栄えている世の中には、跡を胎(のこ)して来なかった。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り伝える子どもを――。>


耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であったに違いはない。

自分すら忘れきった、彼の人の出来あがらぬ心に、骨に沁(し)み、干からびた髄の心までも、唯彫(え)りつけられたようになって、残っている。

のである。
いったい、人間の魂とは不思議だ。ただの一目見ただけの女の存在が自分の存在よりも深くその魂に刻印されているというのだから。

(六)

奈良の貴女、郎女が、お供もつけずに一人、旅の途中にある。どうやら昨夜、雨の降る中、屋敷から抜け出して、夜を徹して歩いてきたらしい。郎女は遠くに藤原、飛鳥の里々山を眺めながら思う。


<この国の女子に生れて、一足も女部屋を出ぬのを、美徳とする時代に居る身は、親の里も、祖先の土も、まだ踏みも知らぬ。あの陽炎(かげろう)の立っている平原を、此足で、隅から隅まで歩いて見たい。
ところが、この貴女は<やがて後をふり向き、山のなぞへついて次第に首をあげて行った。>


<二上山。ああこの山を仰ぐ、言い知らぬ胸騒ぎ。――藤原・飛鳥の里々山々を眺めて覚えた、今の先の心とは、すっかり違った胸の悸(ときめ)き。旅の郎女は、脇目も触らず、山に見入っている。そうして、静かな思いの充ちて来る満悦を、深く覚えた。昔びとは、確実な表現を知らぬ。だが謂(い)わば、――平野の里に感じた喜びは、過去生(かこしょう)に向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは、未来世(みらいせ)を思う心躍りだ、とも謂えよう。>


6章のこの部分は、最も好きな部分だ。
地上の事へ向ける時とはすっかり違った胸の悸き。静かな思いの充ちて来る満悦。一人で誰もいない山へ入り、その高みからさらにそこから連なる山々を眺める時に心身を満たす喜び、至福としかいい得ないような高揚と慰めに満ちた気分が訪れるのだがを、いったいどう言い表せば良いのだろうと思う。わたしはこの表現の中に、わたしが言い表したかった事が具体的に、その通りに語られている事に驚き、また喜んだ。
二上山を仰ぎ見ての驚きを、未来世(みらいせ)を思う心踊りだ、とも謂へよう― とあるが、この事は、意識が過去や現在の事を越えて、つまり有限の生や時間を超越する無限の永遠へ向けられた事を示しているのだ。そして

<しみじみと山に見入って居る。まるで瞳が、吸いこまれるように。山と自分とに繋(つなが)る深い交渉を、又くり返し思い初めていた。>

山と自分とに繋がる深い交渉―しみじみとよく分かる。
さて、話は郎女が失踪する前の事に遡る。郎女は膨大な。経の本を、一心不乱に書き写す。五百部を過ぎてからは目立ってやつれてゆき、九百部を過ぎてからは筆ははかどらなくなっていった。
去年の春分の日二上山の峰の間に、ありありと荘厳な人の俤を瞬間、目にする。そ の後、郎女の心は、ますます澄むものの、極めて寂しくなり勝っていくばかりだったが、その年の秋に、再びその俤を見てからというもの、郎女は歓喜に満たされる。そして次の春分の日、写経は千部を書き終えた。そしてその夜のこと。

< 経巻の最後の行、最後の字を書きあげて、ほっと息をついた。あたりは俄かに、薄暗くなって居る。目をあげて見る蔀窓(しとみど)の外には、しとしとと――音がしたたって居るではないか。姫は立って、手ずから簾(すだれ)をあげて見た 。雨。苑(その)の青菜が濡れ、土が黒ずみ、やがては瓦屋にも、音が立って来た 。姫は、立っても坐(い)ても居られぬ、焦躁(しょうそう)に悶(もだ)えた。 併し日は、益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が来た。茫然(ぼうぜん)として、姫はすわって居る。人声も、雨音も、荒れ模様に加って来た風の響きも、もう、姫は聞かなかった。>


(七)


<南家の郎女の神隠しに遭ったのは、其夜であった>
と始まり、郎女が夜の間、歩き続ける描写に続き、朝になって、二上山をうっとりと眺めている。

<ここからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女は、奈良の家を考え、浮べることも、しなかったであろう。まして、家人たちが、神隠しに遭(お)うた姫を、探しあぐんで居ようなどとは、思いもよらなかったのである。唯うっとりと、塔の下(もと)から近々と仰ぐ、二上山の山肌に、現(うつ)し世(よ)の目からは見えぬ姿を惟(おも)い観(み)ようとして居るのであろう。>
しかし、郎女は寺人から見つけられ、女人結界を犯して寺に入った事と、奈良の藤原家の娘だという事が分かり、大騒ぎになる。

(八)

ここでは奈良の都、また飛鳥の都の様子、またその時の政治の事などが語られ、大伴家持、兄弟、恵美押勝といった歴史上人物が登場するが、失踪した郎女は恵美押勝の姪という事が明らかにされる。

(九)

大伴家持が郎女の失踪を案じるところからこの章は始まるが、以下の家持の郎女への評価が興味深い。


<だが併し、あの郎女は、藤原四家の系統(すじ)で一番、神(かん)さびたたちを持って生れた、と謂(い)われる娘御である。中略……結局、誰も彼も、あきらめねばならぬ時が来るのだ。神の物は、神の物――。横佩家の娘御は、神の手に落ちつくのだろう。>


(十)

ここで興味深い箇所は郎女がどれほどか、その魂の糧を求めていて、それが得られた時の喜びが記されている後半の部分だった。姫の帳台の後から、父親が <其魂の書物を、姫の守りに留めて>大切に管理していた、二巻の女手(おんなで)の写経らしい物が出て来る。

<郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの見る目には、併し予期したような興奮は、認められなかった。唯一途(いちず)に素直に、心の底の美しさが匂い出たように、静かな、美しい眼で、人々の感激する様子を、驚いたように見まわして居た。其からは、此二つの女手の「本」を、一心に習いとおした>


また、それから一ヶ月も経たないうちに、飛鳥寺から巻数(かんず)が届けられ、それからと言うものは、来る日もくる日も、此元興寺の縁起文を手写した。

<指ら腕、腕から胸、胸から又心へ、沁(し)み沁(じ)みと深く、魂を育てる智慧の這入(はい)って行くのを、覚えたのである。>



青空文庫で読めます。
   ↓
折口信夫著・死者の書



2008年02月24日(日) 山に呼ばれて

ここ、三週間ばかり、折口信夫の「死者の書」を読んでいる。始めはこの難しさはなんだ!英語より難しい!と思ったものの、話が6章に進むや、この話がすっぽり自分の中におさまった。
わたし自身が体験していて、それを何とか文章にしたいと悪戦苦闘していたものが、そこにそのままあった!このことだった、わたしが書きたいと思ったのは。
今日は「死者の書」について書き始めようと思っていたが、その前に、わたしが悪戦苦闘したという文章をひとまず載せておくことにしよう。
定期購読している「山の本」という季刊誌で「ひとりの山」という特集の公募があったので原稿を出した。結果は没だったが、わたしにとっては、なぜ山へ出かけようとするのか、その事に心を留めてみる良い機会になった。そして、それが「死者の書」とシンクロしている事に驚く。
原稿を出す時には書かなかった最期の三行もここには加えておこう。



         山に呼ばれて
                      

わたしは、どういうわけでひとりで山へ行くのだろう。週末、仲間との山行きになかなか参加できないので、平日にひとりで山歩きをするようになったのだが、理由はそれだけ?良い機会だ、考えてみよう。

わたしは人が唖然とするほどに方向の感覚を持ち合わせていない。街の中ではいつも道をまちがい、こちらだと見当を付けて歩き出した道はきまったように真反対の方向だったりする。それだから見る夢の多くは道に迷う夢で、目覚めるまではいつまでも迷路の中から抜け出せない。
そんな中年女が地図とコンパスを握り締め、ひとりで山を歩くのだから、周りの人間がひやひやしたり、あきれたりするのは道理だ。自分でも信じられない事をしていると思う。「その歳では誰も襲ったりはしないから大丈夫。」と山の師匠は励まして(?)くれるが、人でなくとも熊だっている。そうだ、わたしは熊以前に犬が怖いのだった。いったい山道で野犬に合ったらどうするというのだろう。

けれども、山から呼ばれる。その声を聴いてしまえば、答えないわけにはいかない。気もそぞろに地図を広げ、計画作りに没頭する。まずは電車やバスをうまく乗り継ぎ、登山口まで辿り着くまでがけっこう難儀だ。何とか登山口へ辿り着き、そこに登山客の影などがあれば有り難いのだが、大方の場合は期待に反して誰もいない。家を出てからの、いえ、前の晩からの緊張もそのままに山の奥へと進んで行く。
山は入り口のところでは、決まって人間の侵入を拒むかのようなよそよそしさを漂わせている。「大丈夫です。怪しいものではありません。」そう、呟きながら神妙に歩き始める。けれどもしばらく奥へと入っていくうちに、はらりと様子が変る。あたりの空気がふうっと暖かくなり、まるでいきなり山が懐を開いてくれたような親しさを身に覚える。ひたすらに静かだ。その静けさの中に身を沈めると、言葉を超えた言葉のようなものが届き、音ではない音のようなものが聞えてくる。これが至福というものでなくて何だろう。
山が受け入れてくれたと思い込むのだが、実際はわたしの自身の変化なのだ。私の内部の深いところでひとつの扉が開くに違いない。それは深い瞑想や祈りの時に辛うじて開く扉なのかもしれない。日常の中では求めてもなかなか辿り着けない心の奥まったところにある扉・・・きっとそうなのだろう。

お誘いを受け初めて遊山倶楽部の山行きに参加した三年前の三月初め、奥多摩の大岳山から御岳山まで歩いた。学生の時分、今の連れ合いに引っ張られ、くじゅうや白馬岳を歩いた事があったが。それ以後は山に登る事もないまま日が過ぎていた。
山の奥深く、光が射さずにうっそうとした山道にはまだ雪が残っていて途中からアイゼンを付けて登った。数日前に買ったばかりの初めて付けるアイゼンだった。あの時の山行きは珍しくメンバーが少なく、わたしも含め4人だった。そしてその4人はお互いにずいぶん離れたところを各々で歩いていたので、奥深い雪の山道を、ひとりで歩いているような感覚があった。それが良かった。山の静けさに打たれた。いったい山とはこれほど静かなところだったのだろうかと、その静けさにときめいた。しかもその静けさの中には、なにかこちらへ向かってくる働きかけのようなものがあって、わたしはそれに答えるべく小さな声でそっと歌わずにはいられなかった。幸せだった。あの初めての山で、あの静けさに出会う事がなかったら、わたしはこれほど山に惹きつけられただろうか。

その年の夏、大分の実家に帰省した際、ひとりで阿蘇へ向かった。夏休みの阿蘇ならば登山客もたくさんいて心細い思いをする事もないだろうと考えた、初めてのひとり山行だった。ところが宮地駅に着いてみると、登山の恰好をした人は見当たらない。相乗りの当てがはずれ、ひとりタクシーで仙酔峡の登山口まで行った。登山口から向こうに目指す高岳が聳えている。しかし、登山口にも馬鹿尾根と呼ばれるその頂まで続く道にも人の姿はなかった。不安な気持ちを押して仙酔峠まで歩いたものの、もの凄い突風。むき出しの尾根を歩くのが怖くなって意気地なく麓まで引き返した。今度はロープウェイで山頂駅まで上がり、火口展望所まで歩いて行った。信じられないような景観が立ち上がった。いくつもの火口は荒々しく、白い煙を吐き散らしていた。きっぱりとした、人を寄せつけないような厳しい表情を露にしている。人気がない火口は怖ろしい。突風は火山灰を巻き上げ、まるでわたしを追い払うかのように、固い石の粒を吹きつけてくる。それなのに、その怖ろしさに惹かれ、そこを離れることができない。そればかりか、もっと怖ろしい目に会おうとでもするように、展望所の端からおそるおそる中岳へ向かって歩き始めた。風はいよいよ強く、帽子や眼鏡はおろか、重心を低くしなければ、わたしの身体ごと、火口の中に吹き飛ばされてしまいそうだった。中岳へ向かう事はあきらめ、仙酔峡まで歩いて降りることにした。
風の為、ロープウェイは運行中止になっていた。誰もいない山道だったが、そこは平和だった。すぐ脇には可笑しなくらいに大きく高岳が控えていて、まるでわたしを見守るような温かい印象だった。山とわたしと二人だけという何とも愉快な時。ひとりでに笑えた。
あの時、あれほど怖ろしい山の姿に出会っていなければ、そしてあの親密な山との時間がなかったならば、私はまたひとりで山へでかけようなどと思っただろうか。

去年五月、この時も実家へ戻った帰り、くじゅうに遊んだ。1日目はネット上で集めた山仲間や古い友人と連れ立って、赤川登山口から久住山へ登った。初めて出会う山仲間との山行きは楽しく、山頂ではビールや持ちよりの煮物で宴会をし、下山してからもバーベキューを楽しんだ。天気も良く、それは素敵な山行だった。その夜はわたしだけメンバーの一人が経営する貸しログハウスに泊まり、翌日ひとり牧ノ戸から星生山へ向かった。ところが前日とは打って変わっての悪天候。登山道は見通しが効かず、ただただ真っ白なガスが立ち込めている。前日、扇ヶ鼻分岐からすぐ側に見えた星生山は山影すら見つけられない。ようやく登り口を見つけて登り始めたものの、もの凄い風だ。ただただ身をかがめて歩く。気がつかないうちにザックカバーが飛ばされていた。頂上には着いたものの、カメラを取り出す余裕も無く、すぐに下山を始めた。ところが道に迷った。あきらかに来た道とは違う道を滑り下り、着いたところは覚えのない湿原だった。いくつもの池塘が霧の中に浮かび上がっていて、現実から夢の中に滑り出したような感じがした。この沼を下手に歩くとずぶずぶと底に沈んでしまうのではないかという恐怖に一瞬囚われる。しかし踏み後がある。地とうの脇の踏み後をぬかるみながらも歩いて行くと、霧の向こうに人影が見えた。どうやらそこに道があるようだ。方向を定め、丘陵を越え、ようやく人の歩いている登山道へ出た時にはほっとした。
同じ山が天候一つで平和な場所から不安な場所に変る事を身を持って知った。山でこれほど心細い思いをした事もなかったが、その只中で見た地とうはそれ故に幻想的で、深く心に焼きついた。極度の不安や緊張、またそれと引き換えのように目に映った美しい景色が、また次の山へと向かわせる。栂池湿地、秋田駒ケ岳、早池峰山、赤城山、四国の剣山、阿蘇の薬師岳、谷川岳・・・昨年はずいぶんひとりの山をした。

この年明け早々に歩いた霧島の山々も、週末だというのにひっそりとした静かな山だった。中岳に登る途中、そこに開けた景色に思わず声を上げた、幾層にも重なる青い山影の向こう、白い雲の中に桜島や大隈半島の山々が浮かび上がっていた。この世のものとは思われないほど荘厳な眺めだった。左手には前日に登った高千穂峰の美しくも荒々しい姿が迫っている。この雄大な神々しい景色の中に芥子粒ほどのわたしがひとりでいる。自然は大きくわたしは小さい。この小ささを味わう時の不思議な安らぎはどうだろう。
中岳の頂上から新燃岳へ向かう。新燃岳のカルデラは底にエメラルド色の水を湛えて美しく、大きくぱっくりと口を開けた火口を半周して獅子戸岳へと繋がる登山道は茫々とさびしかった。そのさびしさは懐かしさに満ちていて、聖書に出てくる荒野を思った。獅子戸岳への急坂はゴツゴツと険しく、イエスが祈るためにひとりよじ登ったオリーブ山を思った。そう、イエスはいつもひとりで山へ行き、そこで祈っていた。
獅子戸岳から向こうに韓国岳を仰ぎ、最終のバスに遅れないようにと、来た道を引き返す。高千穂峰は変りなくわたしの脇に聳えていた。昨日はその山の肩を踏みしめ、その懐に抱かれ、今日はずっとその山から見つめられて歩いた。高千穂峰に別れを告げ、中岳を下りようとした時、思いがけない痛みが胸に走った。身に覚えのある痛みだった。

「あなたがわたしを呼んだのでしょう」とわたしは山に尋ねた。
「ああ、わたしがおまえを呼んだ」と山からの答えが届いた。
十数万年前からそこに存在している山と繋がったと思うと、その果てしなさに涙が溢れた。


2008年02月23日(土) 心がたくさん動いた日

今日はずいぶん寒くて、強風のために電車も止まってしまうほどだったが、ずいぶんハートフルな一日だった。

午前中、つくしんぼ保育園の年長児と園長、そして保育士のR君といっしょにひかり幼稚園の公開保育へ。
埼玉のさまざまな保育所、幼稚園から150人の年長児が三日間の合宿をしているが、その最期の日の今日は参観日だった。

その幼稚園は20年前、うちの腕白坊主達が3年間(次男は1年間)過ごした、なつかしい場所だ。
広い檜作りのホール、
鳴り響くピアノ
裸足の、そして驚くほど目の輝いている子ども達、
歌声は伸びやかで張りがあり、力強く、それでいてやさしかった。
あの時40代だった熱血園長はもう60代後半のはずだが、昔のように子ども達の先頭を駆け、しなやかな動きを見せてくれた。
20年前にタイムスリップしたような不思議な感覚だった。ここではあの保育が20年間ずっと続いてきたのだと感動を覚える。

一人の子がコマがうまく回せないで、最期に一人残ってしまった。何度もやるがうまく回らない。けれど、保育者も園長も、けっしてせかせない、そしてあきらめない。様々に指導して、最期にコマは回った!S君のうれしそうな顔。この達成感を掴ませるために、他の150人の子どもを待たせても、時間が延びても、よしとする。あぁ、この幼稚園は変っていないなぁ、一人がどこまでも大切にされているなぁと胸が熱くなる。
我が家のHが卒園式の時、全く同じ状況だった。親としてはハラハラする。もう止めてもらってもいいなどと思う。でも最期まで挑戦は続いた。彼はその事を覚えているだろうか。

園長も園長夫人でハジメの担任だったI先生も、とりわけ腕白なハジメの事はよく覚えてくれていた。わたしの事も!


そしてもう一つの心が動いた事。
トラッシュ・ボックス・ジャムのライブ。路上での演奏は聞いたことがあるが、ライブには初めて参加した。ライブそのものが10年振りだろうか。仕事仲間のアンバーからお誘いを受けていたものの、これまでチャンスに恵まれなかった。ようやくチャンス到来!
途中電車が止まって会場に無事着けるかどうか心配だったけれど、開演前に会場に入る事ができた。リーダーのシングさんと昭和さんが、突然の闖入者に場所を空け、暖かく迎えてくれる。ファンの女の子たちもフレンドリーな笑顔を向けてくれる。
新しい場所、それも人がたくさんいる場所は気後れしてしまうのだが、今夜はずいぶん寛いでいる自分に驚く。音や言葉といっしょに、彼らの放つ良いエネルギーをシャワーのように浴びた。そう、彼らの音楽には何か浄化作用のようなものがある。愛に満ちていて健やかだ。4時間ほど、そのライブハウスにいて、電車の時間が気にかかるのでアンバー達よりも一足先に帰ったが、もっと聴いていたかった、もっと話していたかったと思った。
そう、心は生き生きと動いていた。
帰り道、風は冷たく吹きつけてくるものの、心はぽかぽかと暖かかった。


2008年02月22日(金) 13歳という時

困った。
しばらく鳴りを ひそめていた、13歳のわたしが昨日からわたしのまん中に居座っている。彼女はしゃべりたくてしかたないようだ。
理由は分っている。Kさんが「英語で読む百人一首」を中学一年生の国語の授業に用いて下さり、その実践記録と、生徒の感想を読んだからだった。

生徒のそれぞれの感想はわたしの予想をはるかに超えて、和歌へまた英詞や訳詩へ接近したものだった。
感想を通して、その生徒達の内面さえ見えた。
何とやわらかく、みずみずしい心の動きだろう。
わたしははじめ、それを教師の眼で見て、この感想を引き出した授業は素晴らしい。こんな感想が生まれてくるような仕事ができるのは何と心躍る事だろうと、とKさんの仕事をうらやんだのだが、いつの間にか、生徒の感想が、そこに顕れた13歳の心が、13歳のわたしの心に反応しはじめた。

わたしが13歳の時にも、ここにいる中学生のように、百人一首の愛の歌を驚きを持って受け止め、味わい、対話した。けれども、その時はそれを分かち合う友もなく、教師もなく、それゆえ、言葉にすら表す事なく、ひとりの胸のうちに閉じ込めていた。
13歳のわたしは、今、それを分かち合う友や教師を見つけたとばかり、自分の言葉を捜して、しきりにしゃべりたがっている。

そう、いつかわたしの13歳をきちんとストーリーの中で生かしてあげなければ、いつの頃からそんな事を思いつつ、まだ彼女との約束を果たしていない。もしかすると、これが良いきっかけになるかもしれない。
取りあえず、仕舞い込んであった、4年前に書いた文章を見つけ出してきた。

ここに、記念すべき、Kさんの授業記録「言霊流転」と、わたしが13歳のわたしについて書いた「ティーンエイジ」という文章を載せて置くことから始めよう。
大人になる事で手放していくものがある。そうしなければ大人には成れない。手放せないものをたくさん抱えているわたしは、だからどこかで大人になれないのかもしれないが。
手放していようが、頑なに持ち続けていようが、誰もが13歳という季節を通ってきた。そこにある「特別なもの」を見つめてみたい気がする。
 

< 言霊流転(ことだまるてん) >  2008年2月21日 Kさんの日記



たりたくみ とのコラボ、『海を越えた百人一首』の授業のまとめ。

 まじめで長い実践記録です。悪しからず。

和歌
筑波嶺の 峰より落つる男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
(通釈:筑波山の頂から流れ落ちるみなの川の、泥水が積もった深い淵のように、私の恋心も積もり積もって、淵のように深くなってしまった)

英詩(William N. Porter 訳)
The Mina stream comes tumbling down
From Mount Tukuba's height;
Strong as my love, It leaps into
A pool as black as night
With overwhelming might.

訳詩(たりたくみ 訳)
みなの流れは踊りながら落ちてゆく
筑波山の高みより
わたしの愛のように強く、それは積りゆく
夜のように黒い淵へと
このうえなく強い力で

★上記三種を比較した生徒の感想
●「和歌→英詩→訳詩と姿を変えることで、百人一首の深みが増すと思いました。『わたしの愛のように強く』や、『夜のように黒い淵へ』という部分は、和歌にはない良い例えで、より深い意味をとらえていると思いました」
●「和歌は、自分が想う恋の心が、どんどん大きくなっていく、みたいなのかと思いました。ストレートに言っている感じかなと思います。
 訳詩は、かっこいいです。和歌に全くない言葉がうまくはまっていていいな、と思います。
 英詩で好きな部分は、『A pool as black as night』です! 『With overwhelming might.』というのも迫力があっていいと思います」

★恋 と 愛
●「恋は、相手の人に恋をした とか一人だけで、愛は、相手と自分の間にできた心のつながりっていうかそんな気がしました」
●「恋は、やわらかい感じでさわやかだけど、愛になると、ドロドロした濃い感じになる」
●「和歌では強いイメージは感じられないが、英詩を読むと、恋の力は抑えきれないほどの力強さを感じます。どんなに逃げようとしても逃げ切れない強い力で、何も見えない真っ暗な恋の淵に落ちていく と、強く、深く感じられた」
●「英詩からは、すごく優しさを感じる。けれど、一人の人を愛する力は私が一番強い という感情や情熱も同時に感じられた」
●「和歌では、軽いイメージがあるけど、英詩は、とても強い恋心で、何が何でもその人を勝ち取り、ライバルが出たら素速く潰しにかかるようなイメージを感じました」
●「(英詩は)あの人のことが本当に頭から離れないくらい好きになってしまった。どうすればいいんだ と、あとから後悔したように聞こえます」

★なぜ、新たな言葉や意味が付け加わってくるのか という疑問と考察
●「いったいどこに『踊る』が隠れていたのかが気になった。まだ他にも隠れ言葉があるんだ と思った」
●「英訳すると、もともとない言葉が何故出てきてしまうのでしょうか。私はそれが気持ち悪いです。もともとの百人一首の方が、リズミカルだし、分かりやすい気がします」
●「和歌には書いていない言葉も、訳詩には書かれているので、より意味を分かりやすくするために書いたのかと思った」
●「これは、和歌を英語にした人が、和歌から感じ取ったことを英詩に付け足しているからだと思う」
●「英訳詩は、一種の解説になっている。英詩は、色々な言葉を付け加えて、想像しやすくしていると思った」
●「こもった感じの和歌とは反対に、英詩はもっと単刀直入というのか情熱的というのか、個人的には和歌の方が好きです。日本人は淡い桃色の桜を好みますが、アメリカ人は濃いピンクの桜が好きというように、文化や生活の違いで和歌と訳詩の様子が変化するのだと思います」

※大塚評:「筑波嶺」の和歌と英詩及び訳詩については、
和歌→川の淵のように 私の恋心も深まる……自然優位(東洋)
英詩→私の愛のように 強く積み重なり深まる淵…自己優位(西洋)
の対比が鮮烈だった。

 『海を越えた百人一首』の試み全体に関しては、「器としての言語」(意味や思いを水のように汲み取って国境を越えて運ぶ、容器としての言葉)という、国語の時間の中だけでは絶対に出会えなかったテーマを扱うことができたことに、特に意義を感じる。
 テキスト提供者、たりたくみ さんも「まるっきり異なる言語でありながら、その言語が汲む水は共通しているという事。どの国の人間も共通して持っているその『水』の存在に気づく時、大きな感動を覚えます」というコメントを寄せてくださっている。
 
 奈良時代の和歌。明治時代の英訳詩。そして平成の口語詩。

 時間と空間を越える試みは、まだ続く。

 

 
 
   <  ティーンエイジ   >


わたしは13歳になった時のこと、
ティーンエイジという輝かしくも、
青くて苦い果実のようなその時期に突入した時のことを
今でも鮮明に覚えている。


4月生まれで、おまけに早熟だったわたしは、
小学校の高学年ともなれば、同級生の男子などおよそ眼中になく、
毎朝、中学校へ続く坂道ですれ違う学生服の男の子達に胸をときめかせていた。
そして、休み時間には3階の教室から、
向こうの丘の上の中学校を眺めては溜め息をつくのだった。


時間はじれったいほどゆっくり進んだものの、
ようやく春は巡ってきて、わたしは13歳を迎えた。
セーラー服に身を包み、紺色の学生鞄を下げて、中学校への坂を登る日は、
あまりの歓喜に眩暈がするほどだった。


実際、中学校は何もかも大人びて見えたし、
少女漫画の世界よりもわくわくした。
極め付けは3年生の男子達。
放課後になるのを待って、仲間と先輩ウォッチングに繰り出した。


校庭では男子バレー部。
前列でかっこよくアタックを決めているのは、生徒会長のT先輩。
朝礼の時には、全校生徒800名に向かって、
表彰台からマイク片手に演説するT先輩は、校長先生より偉く見えた。


体育館では剣道部の威勢のいい気合が響いている。
剣道部キャプテンのH先輩は、
白いきりりとひきしまった顔に黒ブチの眼鏡をかけ、
剃刀の刃を連想させるような鋭さと危なさをはらんでいて、
廊下ですれ違う時など、思わず身が竦んだ。


T先輩やH先輩に加え、
しばしば女の子達のうわさに上るのは文学少年の誉れ高いS先輩だった。
職員室前の掲示板には貼り出されているいくつかの作品の中で
S先輩の詩は確かに次元が違っていた。


「 ああ、ウエルテル なぜ報われぬ恋を・・・」で始まるその詩は、
S先輩がウエルテルに捧げたものらしいが、
わたしはS先輩こそが恋に悩むウエルテルのように錯覚した。
13歳の少女はその少年の言葉に恋したのかもしれなかった。
突然のように言葉に目覚め、読書に情熱を燃やし、
また詩や文章を綴り始めたのはその時だったから。


少年とは廊下ですれ違いざまに目が合うことがあった。
いつだったか何かに引かれるような感じがして後ろを振り返ると、
まっすぐに射るような眼差しがそこにあって、はっとした。


T先輩もH先輩もS先輩も中学校を卒業すると、
市内の高校へ通うためにその町を離れていった。
再び巡ってきた中2の春、
きらびやかな先輩達がいなくなった学校は嘘のように精彩を欠き、
日常はまた退屈になっていった。


それからしばらくして夏が始まったばかりのある日、
一通の暑中見舞の葉書が届いた。
美しい文字で書かれたその葉書には水彩で書かれた風鈴の絵が添えられていた。
それは3月に卒業していったS先輩からの葉書で、
そこには下宿先の住所が書かれてあった。
葉書を手にした瞬間、きりきりと胸の辺りが刺しこむように痛んだ。
息をするのも苦しかったほど。


返事を出した。
葉書に、きっと水彩で絵も描いたのだろう。
少年からは手紙が届き、また返事を書いた。
手渡された手作りの詩集、詩はどれにもわたしがいた。
翼のある白い天使だったり、山道に咲いているスミレだったりして。


そういうつもりはなかったけれど、
わたしは次第に、少年の言葉に閉じ込められていったのだろう…


やりとりするのは手紙だけで、
たまに約束の場所で会ってみても、ぎこちなく、話しは少しも進まなかった。
それでも時は過ぎてゆく。
数学の問題を解き、新聞部と放送部の仕事をし、
ギターの弾き語りをする日常の一方で、手紙が来ないことを嘆き、
少年の変化に戸惑っていた。
それなのに、いえ、それだからこそ、
わたしは少年へと、さらに閉じ込められていった。
それは出口を求めていながらどうしても辿りつけない迷路のようで、
わたしは何を求め、どこがゴールなのかも分からなくなっていた。


17歳の秋、遠くの大学へ行った少年から別れの手紙が届いた。


「あなたは囚われている。もとの自由なあなたに戻るといい。」


その夏、5年たったら結婚しようと、少年はわたしに言い、
わたしはその言葉に頷いたのに――


しかし少年の言葉に頷きながら、
こういう別れがすぐそこに控えていることを、わたしの無意識は知っていた。
もしかすると、わたしが長い間待っていたのは、結婚などではなく、
別れの言葉だったのかもしれない。
その日、わたしは手紙の束に火をつけた。


手紙を燃やすわたしを裏の家のおじさんとおばさんが見ていて、
おじさんが「火事になるよ。」と言うと、
おばさんはひじでおじさんを突いた。
なんとも滑稽な図であることは自分でも分かっている。
でもこの際、手紙くらいは焼かせてほしい。
わたしは無礼にもおじさんたちを無視した。


さて、手紙がすっかり燃えてしまった時、
どうやら静かな炎が燃え始めたらしい。
それは闘いの色をしていた。
誰に対して闘いを挑んだのだろう。
少年に?
むしろ、わたし自身に。
さんざん閉じ込められ、囚われていたわたし自身に対して。
実際、わたしはひとしきり泣いた後、ものすごい勢いで食べた。
戦闘開始…


長い間、わたしは失ったことの痛みばかりを思ってきたが、
今になって、そうではないことに気づく。
むしろわたしは失っていたものを取り戻したのだ。
何よりわたしがそれを望み、そのことが叶ったのだった。
それがあまりの心の深いところでなされていたので、
分かるのにこんなに時間がかかってしまった。


闘いの色をした炎、
それは案外、わたしの足取りを強め、
わたしを前へと進ませてきたのかもしれない。


「大人になったら会いましょう」
少年の手紙はそう結ばれていた。


19歳の少年も、17歳の少女も、その約束を果たさないまま、
もうすっかりいい歳になってしまった。
今、ここに来て、ようやくその時の少年に会ってもいいような気になっている。
 

          2004年06月25日    たりたくみ

          初出「心太日記」     


 


2008年02月21日(木) 若い人達

 ミクシーのコミュニティーには54入っている。積極的に読んだり、書き込んだりしているかと言えば、そうでもない。その時時の興味と関心に基づいて、取りあえず、そのコミュ二ィティーに入るので、その時のマイブームが過ぎれば、そのコミュへの足も遠のく。このいい加減さ!

 二年ほど前、サリンジャーに夢中(良い歳をして)になった事があり、日記にもいろいろ書きまくったが、その時「J.D.サリンジャー」というコミュニティー(メンバー 4242名)に入った。この感動を誰かと共有したいという気持ちから。そこで<あなたは「ライ麦畑・・・のどこにキャッチされましたか?>というトピックを立て、わたしの感想文 を載せた。そのうち、そんなトピックを立てた事も忘れてしまっていたのに、今日、そのコミュでわたしの感想を読んだという若い方からメッセージが届いた。そのメッセージによれば、村上春樹訳で読んだものの、最後の一文以外、心に残るところがなかったが、わたしの感想を読んで、 もう一度読みたくなり、野崎訳を改めて読み初めた。 訳者が違うと新鮮だという事だった。

 そうだ、トピックの書き込みをチェックするのを忘れていたとばかりに、そのコミュへ。コメントは65件なっていた。読んでみると、文面から、今まさに、この主人公と同じ、青春真っ只中という人達の感想がほとんどだった。その人が覗いて見えるような、心を開いたままで書いてあるような感想を読んで、若い人達特有のやわらかな感性に触れるような思いだった。

 今日、「英語で読む百人一首」を授業で扱ってくださったKさんが、ブログに生徒の感想文をまとめて下さっていたが、そこにはもっと若い、13歳の人達の感想があり、その感性のしなやかさと鋭さにどきどきするものを憶えたのだった。
 サリンジャーの魅力とは、このやわらかく、ある意味、痛々しいまでに剥き出しな感性を持つ若い人達が描かれている事だった。もうわたしはその時を過ぎてしまったけれど、それでもわたしの中に今だに、13歳のわたしも17歳のわたしも共存していて、そこに若い人達の魂が反応する。


2008年02月20日(水) 英語で読む百人一首 �� < かささぎの渡せる橋におく霜の・・・>

英語で読む百人一首 第三回目

 暦の上ではもう春というものの、2月はまだ冬のうち。暖かくなる前に、この歌を取り上げたい。


かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける
 
 百人一首 、六番目の歌。新古今和歌集 巻第六 冬歌 に収められているこの歌。作者は中納言家持(ちゅうなごんやかもち)本名は大伴家持(おおとものやかもち)。奈良時代の公卿で歌人。三十六歌仙の一人で、『万葉集』の編纂にも大きな役割を果たしたと言われている。(718年〜785年67歳)
 父は大納言大伴旅人、母は大伴郎女。叔母は大伴坂上郎女で、その娘が家持の正妻であり従妹でもある大伴坂上大嬢。ちょうど、今文学ゼミで読んでいる、折口信夫の「死者の書」の登場人物達の名前と重なる。この歌人やその周辺の事を調べていくと興味は尽きないのだが、ここではこの歌の英訳詩が、メインテーマなので、家持の事はひとまず置いておこう。

 さて、まずこの和歌について見てゆく事にしよう。まず<かささぎの渡せる橋>だが、これは中国の伝説に基づく。誰もが知っている七夕の物語にかささぎが登場する。牽牛と織女の、年に一度の逢瀬を助けるために、かささぎが翼を広げ天の川に橋をかけるのだという。そして「宮中の階段」をかささぎの橋と呼ぶようになったらしい。

 この歌の作者は夜更けに宮中の階段に立っている。その階段はかささぎが翼を広げたように白い霜が降りている。その霜を見て、夜がすっかり更けたことを知る。というのがこの歌の意味のようだ。

さて、ではポーター氏はどう、この歌を料理しているのだろうか。

When on the Magpies’ Bridge I see
The Hoar-frost King has cast
His sparkling mantle, well I know
The night is nearly past,
Daylight approaches fast.
 
今回は先にこの英詩を翻訳してみよう。

かささぎの橋の上でわたしは見る
白霜の王が、きらめくマントを投げかけるのを。
ああ、そうだ、
夜はほぼ過ぎ去り、
日の光が早足に近づいてくる。
 

 英詩に忠実に訳せば、このようになるだろうか。
お気づきのように、ここには元歌にないイメージが加えられ、一見、様子の異なる詩になっている。
おもしろいのは、Magpies’ Bridge (かささぎの橋)とそのままに訳した上で、元歌にはない王を登場させている。これは、かささぎを白霜の王様(The Hoar-frost King)と擬人化しているのだろう。そのかささぎの王が投げかける(cast)キラキラ光るマント(sparkling mantle )と幻想的だ。
「雪の女王」というアンデルセンの童話があるが、「白霜の王」という言葉も寓話の響きを持つ。なるほど、この歌が中国の昔話に基づくことを意識してのThe Hoar-frost King なのだろう。そう考えれば、王が突然登場したかのように見えるが、訳者は、あくまでもこの歌の持つ世界に忠実だ。
そしてまた、かささぎが広げる白い翼と白霜の王が投げるマント、双方に、朝が訪れる寸前の、荘厳で先へと広がってゆくような、ひとつの空気を感じる。

 霜が降り立つその瞬間を、家持はかささぎが舞い降りる様子にだぶらせているが、ポーター氏はそのイメージがよりはっきりと伝わるように、王が投げるマントのイメージを持ってきている。
 ポーターはこの歌から<動き>を取り出し、それを英詩に仕立てた。言葉を右から左にに置き換えただけでは伝わらない元歌の持つ<動き>を再現した見事な翻訳だと思うがどうだろう。

そして和歌の<夜ぞふけにける>を
The night is nearly past,
Daylight approaches fast.

と二行にまとめ、英詩の持つリズムの美しさを発揮している。
 ちなみにこの詩で韻を踏んでいるのは  cast、past、fast。そして三つとも、投げる、過ぎる、速い、と動きを持つ言葉だ。

 ついでにこの詩で最も大切な動詞 cast について見ておこう。
やや古風な文語、castの元々の意味は<注意深くねらって投げる>というもので、それが転じて、投げる(throw)、人が視線や非難などを投げかけるという意味で用いられる。
 また魔法にかけるという意味もあり、・cast a spell upon a person とくれば、人に魔法をかける という意味になる。また芝居・映画の配役をするという意味も。すでに日本語になっているキャストやキャスティングはこれだ。役を投じる→配するという具合に繋がるのだろう。

・cast one's mind back to earlier days、

これは、過去に思いをめぐらすという意味。
奈良時代の歌と明治時代の英訳詩、古の詩人達に思いをめぐらすうちに夜もふけてきた。





2008年02月18日(月) 授業

 わたしがここで書いた「英語で読む百人一首」を題材に、昭和さんが中学校1年生のクラスで、国語、英語、書道の教科横断というユニークな授業に取り組んでおられる。
 BBSでお知らせ下さる授業報告の文面から生徒を深い思索へ持ってゆく、良い授業をされている事が伝わってくる。

 いかに効率よく教えるか、内容を定着させるか、果ては、点数が取れるようにしてあげるかと、そんな低いレベルのところで英語のクラスをやってきたわたしは、ガツンと殴られる思いで、その報告書を読む。そうして、わたし自身もまた変化しているのを感じる。

 昨日の教会学校の時間は、一つの聖書のテキストを物語にしたものをわたしが朗読し、その後、一人一人に、聴きながら頭に浮かんできた絵について話をさせた。それぞれの発表する心に浮かんだ絵は、みな違っていた。どこが一番印象に残ったか、それが個々に違うという事は、子ども達が実際に心を動かして聞き、また自分の言葉で語ったからだ。その後の話し合いもなかなか盛り上がっておもしろかった。

 ではなぜいつもはなかなか生まれないこういう場が生まれたのか。原因はまずはわたしの側だ。子ども達と対決しよう。何とか子ども達の中からイマジネーションの力を引き出そうという強い心構えがあったからだ。つまり気合が入っていた。その気合が子ども達にも通じたのだろう。
 教えるのではない、教えられるのではない。共に新しい物を探し出す。あるいは、もっと深いところへお互いを導いてゆく。
 そういう授業が成り立つ時の子ども達の眼の輝きはどきどきするほど美しい。

 今日、昭和さんからの授業報告��で、子ども達が深く思索した感想文を書いたというところを読んだ時、反射的に思い出した本があった。
林竹二氏の「授業 人間について」。(初版は1973年と古い本なのだが)
この本は林竹二氏が宮城教育大の学長をしていた頃、小学校、中学校に出かけて行って授業をしたことの記録なのだが、そこには「授業」が成立する時、こども達が生き生きと考えはじめ、深く思索し、自分の言葉でそれを表現するということが実証されている。

 鉛筆で線を引いたところを拾って読んでみた。うんうん、そうそうと胸がふつふつしてきて、忘れたものを取り戻したような気持ちになった。
ここにその一部を書いておくことにしよう。


  <斉藤喜博さん授業論とソクラテス教育学について>という章が後の方にある。斉藤喜博氏は、わたしが最も影響を受けた教育者で、今でもその影響は続いていると感じているのだが、例えばこういう文章。


私は、斉藤さんが、授業を媒介にされた、教師と子どもたちとの対決として捉えておられることに、ソクラテスに通ずるものを感じています。ソクラテスの教育の方法である「問答」は、その本質において反駁なのです。ソクラテスは質問によって相手の意見を引出し、それを仮借のない吟味にかけます。その結果は、どの意見も維持しがたいことが吟味を受ける人に明らかになることで終わります―中略―

 教材に媒介されての教材と子どもとの対決という仕事は斉藤さんの場合、具体的には子どもの意見を一つ一つ仮借のない吟味にかけることに他なりません。吟味はあくまで教師の指導の下での、教師と子どもたち全部の共同作業です。
 その作業のなかで、子どもたちのすべての意見は大切にうけとめられますが、それは決してそのときどきの子どもの持ち合わせの意見をそのまま通すことではない。これが大事な点です。その作業が子どもにとって意味深いものになるのは、教師との対決、あるいは教師の仮借のない吟味を通して、子どもたちが自分たちの意見が維持しがたいことを自ら確かに知ることによってです。その範囲で、子どもたちは自分の常識的な、低い物の見方を破って、そこから抜け出しているので、子どもの目が輝き、子どもが新鮮になるのは、そういう瞬間です。


今本を引用しながら、はたと思った。前回の日記でわたしは長谷川氏から大変充実した朗読の指導を受けたと書いたが、まさに、そういう授業をわたしは受けたのだった。
教師の発問「それでいいの?」という問いかけで、いや違う、こういう読みではないと、自分の読み取りの低さ気づかされる。否定されるのでもなく、模範を教えられるのでもなく、自分には見えていなかったという事を知らされる事で、何か大きな満足を得たのだった。乗り越えるべき課題が示された事への喜びがそこにはあるからだろう。いや、自分の低さに気づくことで、一つの峠を越えたという事になるのかもしれない。(ソクラテスの「無知の知」?)
あの時、わたしはいい歳の大人だけれど、きっと子どものように目を輝かしていたに違いない。


2008年02月16日(土) 朗読というパフォーマンス

舞台の上に立つ。
大勢の人の前で何かしらの芸をして見ていただく、いわゆるパフォーマンス。

わたしのこれまでの人生の節目節目に不思議なようにパフォーマンスの機会が訪れた。ちょっと振り返ってみよう。

保育園児の時のお遊戯会、
小学生の時の学芸会や合奏コンクール、それにバレエの発表会。
中学生の時の演劇、英語劇、オーケストラ。弁論大会もあったっけ。
高校生の時はバンドのヴォーカルとギターの弾き語り。
大学生の時はオーケストラ。恐怖の卒業演奏会、ヴァイオリン独奏でしくじった!
教員時代の研究授業(これはパフォーマンスとはいえないか)
母親時代はもっぱらお話と読み聞かせ。
アメリカにいる時は聖歌隊。葬式と結婚式にヴァイオリンも弾いた。
第二の青春時代に入るや、独唱、ミュージカル、ダンスとステージ続き。
そうして、2008年、一発目。朗読と歌とオルガンのコラボが目の前に迫っている。

オルガニストの基子ちゃん、小さい頃から知っている若い友人の彼女から、オルガンと朗読で何かやらない?と声がかかったのは確か2年ほど前。彼女からそんな内容の携帯電話をもらったのは、何とひとりで筑波山に登るべく登山口を探して歩いている時だった。これから山というその場に、予想もしなかった電話だったが、何かこの先に素敵な事が待っているような明るい希望を感じつつ、山を歩いた事を憶えている。

そうして、昨年暮れ、3月の終わりにオルガンと歌と朗読のコンサートをやりましょうと正式なお誘い。
昨年4月から長谷川氏の朗読講座を受講しはじめ、この一年は朗読に心を傾けてきた。この一年の総まとめと考え、謹んでお受けした次第。プロとしてオルガンや歌のコンサートを日常的にこなしている彼女達とわたしとではあまりに経験や格が違い過ぎるが、そこは私を選んで下さった事にただただ感謝し、そこへ向けて努力していこうと。
コンサートのプログラム、チラシ、チケット、会場、コンサートの一切は基子ちゃんがプロデュースしてくれ、わたしはただただ自分の朗読の練習をすれば良いという何とも有り難いポジションだ。

さてさて、それならば力の及ぶ限り、良い朗読をと、朗読講座で教えていただいている長谷川氏に今回のプログラムの朗読の指導をお願いした。わたしの知る限り、朗読の世界では第一人者であるこの師匠から直接指導をしていただく事ができるとは、何とも幸運な事。有り難い事。
この日、通常の朗読の講座の後、個人指導をいただいたが、実に目から鱗だった。自分の読みの浅さ、内容の把握の弱さに目が醒めたといった感じ。一番ダメ出しをいただき、繰り返し読んだところは聖書のイエスの言葉の部分。わたしは充分承知しているつもりでいたイエスの気持ちの部分で、そこが分っていなかった。肯定的に言うなら、ようやく分った!
朗読のレッスンのはずだが、わたしにとっては聖書の読解。イエスにもう一歩踏み込んだ、そんな時間だった。凄い師匠だ―。
技術的な事もずいぶん教えていただいた。課題が見えた事はうれしく、有り難い。
しかし、長谷川氏の一言始まった時から、その言葉が身体に染み込んで来るような語りの力、言葉の力はいったいどこから来るのだろう。その端っこでも何とか掴みたいと願っている。

               * 

  
            

<命の息を語り歌う>―朗読と歌とオルガン

日  3月28日(金)
時  開場18時30分 開演19:00
会場 日本キリスト教団原宿教会(銀座線・外苑前下車徒歩6分)
    http://www.harajuku-church.com/home/home.html
入場料 2,000円

チケットのお申し込みはこの日記のエンピツメールで。

プログラムは以下の通りです。

<オルガン>トッカータ(G・ムファット)
<朗読> 聖書 「ベタニアで香油を注がれる」
<歌> 「ひそかに香油を」(アイオナの賛美歌)
<朗読> 「ベタニアの香油」(聖書物語より)
<朗読> 聖書「ユダ、裏切りを企てる」
<歌> アリア「香油もて御体を」〜マタイ受難曲より〜(バッハ)
<朗読> 主は生きている(聖書物語より)
<オルガン> 「主イエスよ、汝は讃えられん」 ( ベーム )

           *
          
<オルガン> 「音楽の花束より」 (フレスコバルディ)
<朗読> 詩 「樹木の陰で」
<歌> 「オンブラ マイフ、樹木の陰で」  (ヘンデル)
<朗読> 詩 「かっこう」 ( 金子光晴 )
<オルガン>  「かっこう 」(L..C.ダカン)
<歌> アレルヤ ( モーツアルト)

 
  


2008年02月14日(木) バレンタインの赤い色

今日はバレンタインデー。
灰の水曜日から禁酒宣言をしているが、記念日や宴会はOKと自分に甘い禁酒だ。というわけで、今日は特別な日なので赤ワインやチーズ、ローストビーフ、スモークサーモンのサラダ等でバレンタインのテーブルと相成る。
が、またまた少量のワインでひっくり返り、ようやく深夜になってPCを開く。

さて、今日の日記に書くつもりでいた事を書いておこう。

バレンタインデーの名前の由来なった聖バレンタインは紀元3世頃のキリスト教の司祭。まだキリスト教がローマ帝国の国教となる前で、キリスト教は危険な新興宗教という事で、信徒は迫害を受けていた時だ。

伝説によれば、この聖バレンタインは、この時期の殉教者の一人で、実はバレンタインデーとして祝われる2月14日は、彼が処刑された日ということらしい。この日、赤いバラを配偶者や恋人に送ったり、赤いハートをちりばめたカードを友人と交換する週間があるが、この赤はバレンタインの血の赤という風に思えてくる。

ではなぜバレンタインが処刑されたのかといえば、当時の国家に反対したからだということだ。クラディウス2世は、強力な兵力を確保せんがために、ローマ兵の結婚を禁じた。それに対して、バレンタインは若い兵士達の思いを入れて、密かに兵士達を結婚させた。悪法と言えども法。バレンタインは法律を犯した罪で投獄され、処刑されたということだ。

この人と人が愛し合う事を大切な事と主張し、国家権力と闘い、命をかけてそれを実行したバレンタインをこの祭りの主役にかかげ、愛を祝う日という事でこの日が祝われるようになったというのがバレンタインデーの起源の一つ。他にも当時民間で祝われていた祝日があり、それがひとつの祝い事となったもよう。クリスマスやハロウィン同様、その土地でもともと祝われていた古からの祭りがベースにあるというのも面白い。

日本の場合、どこかのお菓子屋の陰謀で、この日は女性が男性にチョコレートをプレゼントするという妙な習慣がすっかり定着してしまって、調査によれば70%以上の女性がこの習慣を迷惑に思い、50%以上の男性も、やはりおもしろくなく思っているようだ。

義理チョコが、しかし今は友チョコ、逆チョコ、マイチョコと、バリエーションを加えてきたようだ。古の祭りのカタチは時代と共に、また他国の文化の中で変化し続ける。どうせならチョコレートだけでなく、もともとのバレンタインデーを意識し、愛を祝う時になればよいのにと思う。男女の愛だけではなく、家族愛、友情、師弟愛、いろんな愛、人が人を愛するという事にフォーカスする日。
でも愛では商売は成り立たない。ビジネスの世界がリーダーシップを取る限り、チョコレート作戦のバレンタインデーは続くのだろう。

少なくともわたしの英語教室では、loveをテーマにしたバレンタインデーのクラスをしつこく続けよう。片方にチョコレートの包みもちゃんと用意して。






2008年02月13日(水) ボイスブログ

2月9日の日記に載せた「英語で読む百人一首 第二回」を夕べ遅くボイスブログにアップしました。
↓
たりたくみ・朗読の庭

 原稿通りではなく、できるだけ自然な感じで話そうとすると、言葉は出てきても、それが前後の文と繋がらなかったり、しどろもどろになってしまったりと、アドリブで話すというのは難しいものだなぁと思います。何度も録音し直すうちに夜も更けてきたので、ここはもう余分な事は話さずに素直に原稿に沿ってやる事にしました。
 しかしこれはじっくりと取り組めば、聞き手に分かるよう、また聞き手が関心を持って聞き続けてくれるように話すにはどう話を組み立て、どのような話方をすれば良いのかかなり勉強になりそうな気がします。それはそのまま、どういう文章が分かり安く、読み手にきちんと伝わるかという事に繋がります。

 ボイスブログはわたしが一方的にアップしているだけで、そこにコメントがあるわけでもなく、いわばしんと静かな空間という感じなのですが、アクセス数は数字になっていて知る事ができます。一日に10から20ほどのアクセスがあるのですが、昨夜の深夜から今までの10時間ほどの間に60近くのアクセスがあったようです。このHPやミクシー以外からも、ボイスブログに出入りしている方達が覗いて行ってくれたのでしょう。おしまいまで聴いてくださったかは別として、改めて発信しているんだと思いました。さてどのような展開や繋がりがあることでしょう。

 今日はまだ外には出ていませんが、青空が広がり、陽射しは明るいです。この冬一番の寒さなどと天気予報では言っていましたが、少なくとも、この時間は気持ち良く外を歩けそうです。
 さてさて仕事へ出かけるとしましょう。

今週はバレンタイン特別クラス。
バレンタインデーの起源について話たり読んだり、またハートの形をたくさんくっつけたカードを作ったり、愛の歌を歌ったり、絵本を読んだり、チョコレートを食べたり、小さなチョコの包みをあげたりとハートフルなクラスではあります。

 そうそう、昨日の最後のクラスは中1の7人。3人の女の子達から手作りのチョコレートをもらって感激しました。さすが中学生。去年とはずいぶん感じが違います。同じように手作りチョコをもらった4人の男の子達はその有り難味が分かっているのでしょうか。これは義理チョコなんかじゃないですね。言ってみればフレンドシップチョコ。そういうフレンドシップって良いものだなと思います。

 昨日はバレンタイン特別クラスという事で、教科書は使わずに「英語で読む百人一首 �◆廚鯊蟶爐縫�ラスをしました。国語の授業みたい、オレこの漢字読めね〜と男の子たち。
「ねぇ、この詩の気持ち分かる?」
「恋した事ある?」
女の子達が顔を輝かせる一方、男の子達は「それ何?」といった顔。
 女の子達はその英詩が気に入ったのか、千代紙やクラフトペーパーを上手い具合に使って、和風のバレンタインカードを作り、そこに和歌と英詩を素敵にレイアウトして書いていました。その夢中になっている様子!英語の勉強もこのくらい熱が入ればたいしたものでしょうが・・・
 4人の男の子たちはそもそも「恋って何?」という世界ですから、こういう和歌も英詩も、またカード作りもあまり興味はないようでしたが、それでも、それなりに、和歌と英詩を綴ったバレンタインのカードを作ってはいましたね。いつか彼らが恋に落ちる事があったらこのカードを取り出して見る事もあるのかもしれません。
 クラスの最後はチョコレートを食べながら、英詩の暗唱。来週まで覚えていてね。一人ずつかっこよく暗唱しもらおうかな、とクラス終了。

 おっといけない。午後の仕事にでかける時間です。



2008年02月11日(月) 結婚記念日はラクーアで

「ねぇ、どうする?11日の結婚記念日。」
きっと同居人はこれと言ってプランはないだろうと、わたしは二つの案を持ちかける。
「越後湯沢に雪見がてらに温泉と、後楽園のラクーアに本読みがてら温泉とどっちがいい?」
という事でラクーアに決まり。

 11時前にラクーアに着いたが、いつものごとくすでに待ち人の列。岩盤浴のフロアーは随分混んでいたものの、何とか二人が滑りこめるスペースが空いたので、そこでお互い本を開き、それぞれの世界へ入るといういつものパターン。わたしの入り混んでいた世界は、勉ゼミの次回のテキスト、折口信夫の「死者の書」。一度通読した時にはあまりに難しく、これは英文の本より難しいと感じたが、二度目はかなりその世界に入り込み、そこが岩盤浴の場所という事をすっかり忘れるほどだった。
 もうそろそろお昼にしようかとその場を出てみると、時計は2時半を回っていた。まだ1時かそのくらいと思っていたのにと二人とも時間の感覚を失っていたようだ。

 ラクーアの中の食事処で豆腐料理の懐石とビールと焼酎。今日は特別禁酒を解いて。ところがここ5日間、禁酒していたせいか、昔の飲めない状態に戻っていて、顔は真っ赤になるし、足元はふらふらするしで、とても温泉どころではない。リクライニングシートが並ぶ休憩フロアへ。しかし席はすべて埋まっていて、通路に座っている人もいるほど。ところがラッキーにも目の前の席が空いたので、そこへ滑り込み前後不覚に眠りに落ちる。夢の中では英語クラスの子ども達とバレンタインカード作りをしていた。夢の中で明日のクラスの予習をしていたらしい。
 その後、また温泉やサウナを繰り返し、8時に出る。帰りに明日のバレンタインパーティーのためにチョコレートをどっさり買い込み、食事をして帰宅。

 いったい去年の今日は、その前の年はどんな事をしたんだろうと日記を繰ってみた。一昨年は25周年の銀婚式だったから冬の箱根へ一泊旅行をしたのだった。去年は日曜日だったから午前中は教会で、午後は2月末のダンスのステージ向けての合同練習だった。2006年2月11日日記にはストロング・ウェイという、言ってみれば我々の出会いからこれまでの歩みを綴った文章が載っていた。この事も、日記を見返すまではすっかり忘れていた。今日書いた事だって、来年の記念日にはすっかり忘れていて、何したんだっけとここを見るのだろう。そのためにも書いておくことにした。

 夜次男から電話があり、大学の卒業式が3月25日だと言う。彼の入学式には行けなかったから卒業式には出かけるとしよう。これは、我々の子育て終了という意味の卒業式でもあるもの。そういえば、この日記を始めて間もない頃、長男の大学の入学式で、これはわたしにとっても入学式。育児は生き直しだからわたしはもう一度大学生の自分を生きようというような事を書いた。あれから7年。確かにこの7年は第二の青春という感じだったな。いろんなチャレンジや出会い。勉強もしたけど酒も飲むようになり山へも行くようになったのだもの。そうすると、次のステージは?息子達が社会人として頑張っているのならわたしも仕事にエネルギーを注ぐ時期となるのだろうか。少なくとも彼らが結婚し、わたし達に孫ができるまでは仕事の時期となるのだろう。





2008年02月09日(土) 英語で読む百人一首 �◆ 稈淒販罎痢(�より落つる男女川 ・・・>

 英語で読む百人一首の二回目です。
今回はバレンタインデーも近いので恋の歌から。恋の歌といっても山ほどあるのですが、ポーター氏の訳詩で好きなものを選びました。
百人一首13番目。良く知られている陽成院のこの歌。


筑波嶺の 峰より落つる男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる 

<つくばねの みねよりおつる みなのがは こひぞつもりて ふちとなりぬる >
 


 この歌の作者、陽成院(868-949)は第57代天皇なのですが、この天皇は9歳で即位したものの、乱暴な行いが過ぎたという理由で、17歳で退位させられています。
この歌は後撰和歌集に選ばれ、その歌には「つりどのの皇女につかはしける」という言葉が添えられています。いったいこの歌を捧げられたつりどのの皇女とはどういう人なのでしょう。これが何と、前回に扱った歌の作者、光孝天皇の皇女で、その後、陽成の后となる人です。つまり、陽成院がここで歌った恋はめでたく成就したわけです。

 この歌の意味は筑波山の頂から流れ落ちる、男女川(みなの川)、その名のように、蜷(みな)が棲むような泥水が積もって、深い淵となった。そのように私の恋心も積もり積もって、淵のように深くなってしまった。というものですが、小さな流れがいつの間にか、そこで溺れてしまうほどの深い淵になるというのは、恋というものの本質を見事に捉えていますね。

 ところで余談になりますが、わたしはこの男女川を実際に見ました。2ほど前、ひとりで筑波山に登ったのですが、その途中、この歌で歌われている男女川(みなのがわ)の源流に行き合い、あぁ、これがあの淵となる川の始まりなのかと感慨深く、そのチョロチョロと流れる小さな流れに手を浸した事でした。
 
 さて、この歌を ポター氏はどのような英語を持って再現したのか興味深いところですが、さっそくご紹介しましょう。

 
The Mina stream comes tumbling down

From Mount Tukuba's height;

Strong as my love, It leaps into

A pool as black as night

With overwhelming might.
 


 まず、韻を踏んでいる単語から見ていきましょう。
height(高み・嶺 )night( 夜) might( 力)の三語が韻を踏んでいます。この三つの言葉は言葉の響きも力強いですが、意味も、強さを持った言葉です。それで、詩全体が強い印象を帯びています。実際、元歌にはない、Strong as my love 「わたしの愛のように強い」というフレーズが加えられています。この訳詩が「恋の力」を主題にしているのは疑いようのない事のようです。
 他にも効果的、また印象的な言葉がいくつか使われているので見てゆきましょう。

 tumbling down は転がり落ちるという意味ですが、tumbleの原の意味は跳ぶとか踊るといった意味なので、このフレーズには躍動感が漂っています。
つまり水が踊りながら落ちてゆく、そんなイメージです。またtumble into love というイディオムがあるのですが、これは「恋に陥る」という意味で、よく知られているfall in love よりも強烈な印象がありますね。

 leap into は  急に(ある状態に)なるという意味で、leap into a pool と 元歌の「淵となりぬる」、そのままなのですが、leapという言葉も走るとか跳ぶというのが原義にあります。例えば、 こんなことわざ。Look before you leap.跳ぶ前に見ろ。これは日本のことわざの「転ばぬ先の杖」に当たることわざでしょうか。水がほとばしり落ち、それが淵となっていくという、動きのあるイメージがここにも見られますね。

 またpool という単語ですが、我々が使うプールという言葉はここから来ているのですが、pool の元々の意味は「穴」で、一般には 流れのない水の溜まったところを言います。a pool of blood ( 血の海 )という言葉のように。
 さらには単に液体が溜まる状態だけではなく、意識・記憶・静けさなどのたまりや深みという意味もあります。ですからこの英詩は水が積る淵という意味と同様、恋の想いが積る意識の深みという意味を元歌と同様に持たせる事に成功しています。

 最後にこの詩の中で最も強い意味を持つ言葉、overwhelming という言葉に触れておきましょう。
 この単語はover(超える)とwhelm(圧倒する、押しつぶす)という二つの言葉から成り立っていますが、圧倒的なとか、抗し難いといった強い意味を持つ言葉で、今でも日常的に使われる言葉です。
例えば、an overwhelming majority=圧倒的多数。

 このように、ポーター氏の訳詩は強く、躍動感溢れる印象の英詩となっています。
 それでは前回のように、今度はこの英詩を日本語に置き換えるという作業をしてみましょう。





みなの流れは踊りながら落ちてゆく

    筑波山の高みより

わたしの愛のように強く、それは積りゆく

    夜のように黒い淵へと

    このうえなく強い力で
 
    


日本の和歌の訳詩は、英語という言語で置き換えられる時、やはりシェークスピアの舞台で、役者が語る愛の言葉といった印象になりますね。
それではまた次回をお楽しみに。


          *

ボイスブログの事を考えながら書いたら前回とは違ってトーク調になってしまいました。悪しからず。
このトピックのボイスブログ、アップしました。

↓

ここからどうぞ



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第一回 <君がため春の野に出でて若菜摘む・・・>


2008年02月07日(木) 雪野原 自転車止めて 春を聴く

朝起きてみれば晴れた空と薄い雪。
道路は凍っている事だろうが、今日は早朝よりジムへ行く日。
いつもすっとばして20分で行くところ、今日は20分前に家を出る。
雪の残る道をそれでもバランスを取りつつ走るのだが、あまりにあぶなっかしいところは自転車を降りて押して歩く。
ジムまでの道は車の通りの少ない畑の中の道を行くので、途中、広い畑は一面の雪に覆われていて、その美しさに見とれてしまった。
去年の春の初めに行った岩手の小岩井農場、あの広い畑も今は一面の雪に覆われ、どれほど美しい事だろうか。
その向こうの岩手山の白い輝き、手前の一本桜の枝は?
かた雪かんこ
しみ雪しんこ
宮澤賢治の「雪わたり」を思い出した。
北国の雪に触れたいと思う。


  雪がすっかりこおって大理石よりもかたくなり
  空もつめたいなめらかな青い石の板でできているらしいのです。
  「かた雪かんこ、しみ雪しんこ」
  お日さまがまっ白に燃えてユリのにおいをまきちらし、
  また雪をぎらぎらてらしました。
  木なんか、みんなザラメをかけたように霜でぴかぴかしています。



2008年02月06日(水) みぞれ混じりの今日、灰の水曜日

 
今日は灰の水曜日(Ash Wednesday)今日より四旬節(しじゅんせつ)に入り、イエスの受難を覚える日がイースターまでの46日間続くことになる。

今日は午後からの仕事の前に教会の近くの映画館へ行き、「母べい」を観る。
吉永小百合が母親を演じる戦時中の物語という事しか知らずに観にいったのだが、良い映画だった。奇しくも受難の物語だった。
その映画の画面の向こうに、国を越え、受難を受けた夥しい人間達の姿が見えるようだった。
戦争という罪。自由な思想を排斥するという罪。長い物には巻かれるという罪。
その中にあって、正義を守り通した人がいたという救い。

午後教会へ。去年の春の「棕櫚の主日」でいただいた棕櫚の葉(すっかりカラカラになっているもの)を持って行く。その棕櫚を焼いて灰にしたものが、その夜の灰の主日の礼拝に使われるので。

3時より幼児とお母さんのクラスとシニアクラス。
その後、礼拝の時間まで3月28日のために朗読の練習。
7時より「灰の水曜日」の礼拝。
その後、夫と待ち合わせ、うどん屋へ立ち寄り帰宅。




夜、今日の印象を俳句にしてみた。


棕櫚の葉を 燃す煙満ち 春みぞれ

棕櫚の灰 額に受けし 四旬節

塵より来 塵に帰ると 灰水曜

額(ぬか)に受く 灰の十字架 浅き春

紫の 布さえざえと 受難節

レント来て 禁酒誓うや 夜の道




      <写真: ルオーのキリストと棕櫚の葉 >

      <写真:  受難節のバナー >





2008年02月05日(火)  チェーホフ著 「可愛い女」

今日は正津勉文学ゼミへでかける。テキストはチェーホフの「可愛い女」。
青空文庫・ここで読めます
  
主人公オーレンカについてはこれまで様々に議論されてきたようだ。トルストイを代表する肯定派とゴーリキーを代表する否定派(Kさんからのレポート)に分かれるという事だったが、今日の20名ほどのメンバーでもその二つに分かれた。肯定派がやや多かったかな。
わたしの場合、最初は否定派だったが、2週間後、肯定派に変化していた。
前の日記で書いたような気もするが、最初に読んだ時には、モーパッサンの「女の一生」の主人公のように主体性がなく運命に翻弄される弱い女性をそこに見て、自分の内にもその傾向は感じながらもそうありたくはないと思った。しかし、この作品の主題はもっと別のところにあると感じるようになった。オーレンカの生き方や想いを越えた、もっと普遍的なもの。一言で言うならば、愛とは何か、愛するという事はどういう事なのかというチェーホフの問いかけ。
以下はゼミに行く前に書いたレポート。



 チェーホフ著 「可愛い女」を読む    
                          

わたしがこの作品の中でどこに強く心を惹きつけられるかといえば、オーレンカが三人の男に去られた後の失意の描写、 中でもいちばん始末の悪かったのは、彼女にもう意見というものが一つもないことだった。から始まる、愛する対象を失ったオーレンカの心情の描写の部分だ。
 チェーホフはオーレンカという一人の女性を通して、人間が等しく見舞われる虚無の状態を非常に具体的に、また正確に描写していると思う。自分の意見が言えない哀れなオーレンカ、男に入れ込むことで自分を輝かせてきたオーレンカと、その有様を笑うようなスタイルを取りながら、実は人間が等しく持ちうるひとつの心の状態を描写している。

「今ではむらがる想いの間にも、ちょうどわが家の庭そっくりのがらんどうが出来てしまっていた。その何ともいえぬ気味わるさ、なんともいえぬ口の苦さは、蓬(よもぎ)をどっさり食べたあとのようだ」


この表現はどうだろう。我々に時折り起る、理由もなく不気味な、確かにむさむさと苦いひとつの心の状態が、みごとに書き表されているということに驚く。このように的確に虚無が作り出す心の状態を表現した言葉をわたしは他に知らない。

そしてチェーホフはこのオーレンカの嘆きの中に、巧みにその解決方法、虚無からの脱却法を明かしているのだ。

「いやいや彼女の欲しいのは、同じ愛といっても自分の全身全霊を、魂のありったけ、理性のありったけを、きゅっと引っつかんでくれるような愛、自分に思想を、生活の方向を与えてくれるような愛、自分の老い衰えていく血潮を温めてくれるような愛なのだ」


ここに、チェーホフの愛についての定義が見えないだろうか。
愛とは人間の全身全霊を、魂のありったけ理性のありったけを、ぎゅっと引っつかむもの。
愛とは人間に思想を、また生活の方向を与えるもの。
愛とは人間の老い衰えていく血潮を温めてくれるようなもの。
これを裏返せば、
愛がない時、人間の魂、理性は弛緩し、空ろになる。
愛がない時、人間は思想を、また生活の方向を失う。
愛がない時、人間は老い衰え、その血潮に温かさがなくなる。
そう、まさしく、失意の中にあるオーレンカの描写と重なる。

人間が愛する対象を失う時、何も愛せない心の状態こそが虚無、魂の死、キルケゴールの言うところの「死に至る病」。オーレンカこそは、その病に陥るまいと、愛する対象を常に求めてきた。一人の愛の対象に心酔するも、その男が死ぬや次の愛の対象にまたわが身を投じる。この事自体、彼女を責めることはできない。彼女は相手を愛した。相手からも愛され、その相手を裏切る事もなかったのだから、成熟した愛かどうかは別としてつまりは愛を全うしたのだ。そのオーレンカにも、チェーホフは魂の死を見舞う。オーレンカを虚無に沈める。ところがあたかも死と復活のように、チェーホフはオーレンカに愛する対象を再び贈る。もう若さを失っているオーレンカには今度は男性ではなく子どもだ。他人の子どもの中に自分を注ぎ込む。母性愛もまた人間を虚無から救うひとつの愛の形なのだ。

 ―彼女がこれまでに覚えた愛着のなかには、これほど深いものは一つとしてなかったし、また日一日と胸のうちに母性の愛情がつよく燃えあがってゆく現在ほどに、彼女がなんの見さかいもなしに慾も徳もはなれて、しん底から嬉しい気持ちで、自分の魂をささげる気になったことは、あとにも先にもただの一度もありはしなかった。彼女してみれば赤の他人のこの少年、その両の頬にあるえくぼ、そのぶかぶかの制帽、そのためなら、彼女は自分の命を投げだしても惜しくはなかったろう。それどころか、喜び勇んで、感動の涙を流しながら、命を投げだしたにちがいない。どういうわけで?だがそのわけを、いったいだれが知りえよう?。


この表現は、あまりに大げさな故に、またもや哀れな意志薄弱なオーレンカを読者に想い起こさせるが、ここにもチェーホフの愛の定義が見えている。
「友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」
ヨハネによる福音書15章13節

 愛には様々なカタチがある。死へと向かう愛もあれば、相手を抑圧するエゴイスティックな愛もある、盲目的な愛、献身的な愛、異性への愛、弱者への愛、神への愛。愛を言葉に置き換えることは難しい。しかしチェーホフは「可愛い女」の中で、それを試み、成功しているのではないだろうか。愛するという行為が人間に何をもたらすか、またそれを失う時人間はどうなるかが的確に書かれていると思うからだ。 
 この小説の主題は「愛とは何か」という事だろう。そのテーマは普遍的、また哲学的なものだが、読者はあくまで可愛い女、オーレンカの運命を辿り、ユーモアのたっぷり利いたストーリーに微笑み、また苦笑いする。面倒な事に頭や心を煩わされる事はない。けれども気が付けば心のどこかに可愛い女オーレンカが住み始めているのだ。男は男として、女は女として、また母は母として。愛とは何かという命題と共に。


2008年02月04日(月) 英語で読む百人一首 �  齋�がため 春の野に出でて・・・>

 手元にA Hundred Verses from Old Japanという本がある。百人一首を英詩に翻訳したもので、それぞれの訳詩にその歌の背景や作者についての解説が記されている。著者はWilliam N. Porterで、大正5年10月から大正11年2月まで 熊本第五高等学校の英語の教師をしていた人のようだ。他にも徒然草などの翻訳がある。

ずいぶん前にアメリカの本屋で見かけ買ったものだったが、ずっと書架に置いたままで、きちんと読み始めたのは1年前だった。シニアクラスの英語の教材のひとつに、毎回、一首づつこの本から百人一首の英訳の詩を紹介するようになったのがきっかけだった。

 今日は立春、そして外には昨日からの雪。何か春と雪が入った良い言葉はないかしらと思い、ふと浮かんできたのがこの歌。百人一首の15番目、光孝天皇の歌で『古今集』に収められている有名な歌。


君がため 春の野に出でて 若菜摘む
   我が衣手に 雪は降りつつ
  



さて、この歌をポーター氏がどのような英詩に仕立ててあったか本のページを繰ってみた。


         
Mother, for thy sake I have been

Where the wakana grow,

To bring thee back some fresh green leaves;

And see―my koromo

Is sprinkled with the snow!
  
           
 君をMotherと訳し、母への呼びかけの歌になっている。これはおもしろい。解説を読んでみる。 ポーター氏のこの歌の解説に寄れば、この歌は光孝天皇がgrand mother(祖母)を讃えて詠んだ歌とある。そこで翻訳者は「君」を単にyou とはせずに、具体的にmother という呼びかけで訳したのだろう。
 母(祖母)に持ち帰る、長寿を願う若菜とした事で、その若菜の贈り物の意味がくっきりとする。健康を願って新年に春の七草を食べるという習慣を知らない英語圏の読者を相手にする時、このような言葉の選び方はとても効果的だと感じた。また母よ、という呼びかけがこの歌をふんわりとした甘いムードから切り離し、精神性の高い詩へと高める働きをしているようにも感じた。

ところでthy 、またtheeと見慣れない単語があるが、これは聖書やシェークスピアの詩などに見られる古語で、thyはthou(you)の所有挌でyourに置き換えられる。なんじのとかそなたのとかいう日本語に相当する。またtheeはthouの目的挌でyou に置き換えられ、意味はなんじへとかそなたへという日本語に相当する。

 さて、それではこの詩をひとつの英詩として、逆に日本語に置き換えてみよう。ここはできるだけ直訳で。



母よ、あなたのため、わたしは若菜の生えるところへ

新鮮な緑の葉をあなたに持ち帰ろうと

ごらんなさい わたしの衣を

そこに雪が降りかかる   
 

この試み、いくつかシリーズで書いてみよう。


* このページをトーク風にボイスブログにアップしています。
  ↓
朗読の庭


  


2008年02月03日(日) 笛太鼓節分の雪田楽座




















節分の今日、朝起きてみれば雪だった。
まるで冬の最後の日に、冬がやりのこした仕事をするかのように。
本来だったら嬉しかったはずの雪だが、今日はつくしんぼ保育園10周年記念の田楽座公演の日なので、客足が心配だった。

けれども300席の客席はほぼ埋まり、外の雪のせいか、会場にはなにか囲炉裏端にみなで集まったような心地よさがあった。客席は小さな子ども達から若いパパやママ、お年寄りまで様々な年齢の人達で埋まっていた。

5人の4,5歳児と4人の保育士達の開幕太鼓の響きは素晴らしく、その姿は清々しいかった。
田楽座の公演を観るのは初めてだったが、日本の伝統芸能をしっかりと踏まえた芸や音は心を打つものがあった。

幼い頃は淋しく、空ろに響いていた笛や太鼓のお囃子や、胸を突かれるように哀しい旋律の民謡や、怖くて顔を上げる事もできなかった獅子舞の獅子の顔や動きが今は何とも懐かしく、慰められるものがあった。

けれどそれというのも、幼い頃出合った、民俗芸能の強烈な印象が長い歳月の間、心の中でじっくりと発酵し、また熟していったからなのだろう。今日子ども達は、日本の音や芸能とどんな出会いをしたのだろうか。

「とりさしまい」のひょうきんな動きに声を上げて喜んでいた子ども達、立て物などの曲芸はきっと真似する子達もでてくるだろう。自分達の太鼓よりもずっと迫力のある太鼓に刺激を受けた子ども達もきっといるだろう。

今日開幕太鼓を叩いた4,5歳児達も、大きい子達が叩く太鼓を羨望の眼差しで観ていた2.3歳児達も、このステージの一場面は大人になる間、その後もずっと生き続けるに違いない。

チラシ配り、チケット売り、準備や話し合い、当日の仕事と公演を主催するのはなかなか大変な仕事だが、心地よい疲れと安堵感に満ちている。

明日は立春、春のはじまり。

< 写真:田楽座のパンフレットより>
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2008年02月01日(金) 冬のおわりの 春のはじめの

冷たい風の中にも春が見える。
もうじき立春だもの。
冬のおわりの春のはじめ、この季節に歌いたい歌がある。
我が家の子ども達が「ひかり幼稚園」に通っていた頃、歌っていた歌。
今「つくしんぼ保育園」の子ども達も歌っている。

今日は朝の電車に乗り、通勤ラッシュとは反対方向の深谷まで出かけた。
窓のむこう景色の中にも春が見え隠れしていた。
春の真っ只中よりも、わたしはこの冬と春の境目の季節が好き。
そういう意味では2月は特別な月。

来週の水曜日、6日は<灰の水曜日>。
教会暦ではレント、受難週に入る。
イースターの前のひっそり息を潜め、鎮まる季節。


 

   冬のおわりの        

              木村次郎作詞・丸山亜季作曲


♪冬のおわりの 春のはじめの
そのさかいめの ひと日ひととき
天をつきさす雑木の林
緑の新芽に命をこめ
風にきらめき もえたちのぼる
もえろもえろ
ひなかの祭りだ
もえろもえろ


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