たりたの日記
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クリスマスの喜びをお伝えします。
この日に心を留め、聖書に記されている一番最初のクリスマスの出来事を読みました。 ↓
ボイスブログ:ルカによる福音書2章1〜52
25日から7日まで九州に帰省しますので、日記は滞る事になると思います。
どうぞ、良いお年をお迎え下さい。
2007年12月23日(日) |
子ども達の歌声をお別れに |
21日、つくしんぼ保育園のクリスマスでヴァイオリンおばさんをやった。子ども達の歌の伴奏やサンタ登場の場面や、ピニャータを割る場面とかにずっと弾いていた。生きていたら、そこにいて、うれしそうに子ども達を眺めているだろうTさんへのそれは供養のつもりだった。
そして、その後に、Tさんの娘さんから23日、24日の通夜と葬儀に使う音楽を頼まれた。 わたしに? そうみたい。 いつか、ある方の葬儀のために音楽を担当した事があった。わたしが選曲し、mGが録音したのだったが、その事を知っていたTさんの親族からの依頼だった。
「やってみるね」 と、できるかどうかも分からないのに、わたしはいつもそう言ってしまう。 さて大変だ。 Tさんの好きだった音楽は? わたしが葬儀に使って欲しい音楽は? 彼女の生き方が伝わるような、彼女をぴったり表現する音楽は? 22日は1日はずせない用があるので、音を作るのはその日しかない。
家に持ち帰ったCDの中から彼女が子ども達とやった「森は生きている」のミュージカルの中から、いくつかの歌を持ってこようとした。これなら彼女が好きな歌だとわたしも知っている。
ん、だが待てよ、プロの劇団の歌じゃなく、子ども達が歌った歌を使った方がいい!と閃く。 今年の3月の進級お祝い会の時、わたしは一人だけのカメラ担当を言い渡され、相当に緊張とプレッシャーを受けつつ、一方でビデオを固定し、mGの一眼レフで子ども達を撮りまくった。 あの時の動画がわたしのPCの中にある。
子ども達が演じた音楽劇「森は生きている」の中から5つの歌を取り出して一枚のCDにするという作業はわたしには出来ないので、mGにメールで依頼し、帰宅後、その手間のかかる作業をやってもらった。
さて、この歌が何とも素晴らしいのだ。 2歳児から4歳児の子ども達がかなり言葉の多い歌をいっしょうけんめい歌っている。 言葉に、気持ちがこもっているから、歌に命があるのだ。 聴けば聴くほど、この歌がTさんの葬儀にふさわしいと思える。 結局、子ども達の歌5曲に、アフガニスタンの子ども達の歌う「ともだちになるために」とバッハのG線上のアリアと、二つのヴァイオリンのための協奏曲、2楽章の8曲をつないだCDが出来上がり、昨日の朝届けた。
今夜の通夜の席、花に囲まれて優しい笑顔のTさんの写真と子ども達の歌声はそこに、Tさんの世界を作っていた。 遺影には馴染みがあった。あの日子ども達の歌を聴いているTさんの顔がいいなと思い、子ども達の写真を撮る合間にTさんのスナップ写真を撮っておいたのだが、その中の一枚が使われていた。
明日の告別式ではどの場面で子ども達の歌が使われるのだろう。 できれば出棺の時、子ども達の声で送り出してあげたいけれど・・・
*
つくしんぼ保育園の子ども達が歌う森は生きているをボイスブログにアップしました。
Tさんが天に召された。 実にあっぱれな生き方だった。 淡々と、黙々と、人の為に働いていた。
偽善のカケラも見出せない、ほんとうだけで固められたような人だった。 闘病すら、あまりに淡々とやってのけるので、 励まされるのはいつもこっちだった。
天では、「よくやった」と労ってもらってるんだろう。 天に宝を積んだ彼女には特別席が用意されてもいるんだろう。 わたしには彼女のちょっといたずらっぽい、はにかんだような笑顔しか浮かんでこない。
あちらへ送り出す方としては「おつかれさま」 何もないところからひとつの場所を、 子ども達が育つ場所を作り出したその尊い仕事に。 病の前に怯むことなく雄雄しかったその闘いに。 おつかれさま。
前日の日記のつづき、(ミクシー日記より)
今日は(もう昨日か)とびっきり寒かったけれど、あの後、無事にハジメと会って、ちゃんこ鍋のお店に走り込み、芋焼酎とあったか鍋なんかでたのしい二人宴会でした。
ん、生き生きしてる。充実してる眼だな。前よりも大人になって、同時に少年の頃の眼の輝きが戻ってきたな・・・と観察。まずはほっとしました。
新宿駅で別れる時、「じゃ、おかあさん、元気で!」と彼がハグした! 人混みの中で!
子どもの頃は別として、こういうのは初めてじゃないかしらん・・・
*
遠い昔、あんまり子ども達が言う事を聞かないので、わたしが怒って家の外に出て、周囲をぐるぐる回っていると、お隣のビルが言った。
「ヨシコ、今は男の子は母親を困らせるけれど、そのうち、母親を慰めるようになるんだよ」と。
いつもいつもその言葉が心に浮かんできていた。 ビルにそんな励ましをくれた事や、大きくなった我が家の男の子達の事を話たいと思うのだが、カーク・ダグラスそっくりの彼は2年前に他界してしまった。
そういえば、このクリスマスの時期、決まって、ビル達の家に招かれた。 同系色でまとめたシックなクリスマスツリーや、趣味のいい、クリスマスの飾り付けと音楽とおいしいシャンペンや手製のピザで迎えてくれた。 わたしと子ども達はそれぞれのバイオリンを抱えて行き、ビルとエインと年老いたビルの母親のために、三人でクリスマスキャロルを弾いた。
初めてクリスマスツリーを買いに連れて行ってくれたのもビルだった。 彼の大きくて暖かいハグの事も思い出す。 子ども達もどれほどたくさんハグしてもらったか・・・
そうだ。明日はエインにクリスマスカードを書こう。
2007年12月16日(日) |
マリアの聖日の日曜日 |
今日はアドベントの三週目。聖母マリアの聖日で、シンボルカラーはピンク。 4本のアドベントのろうそくは三本が紫色で、一本がピンクなのだが、その紫色のろうそく2本とピンク色のろうそく1本に火が灯る。
この日の為に、教会のメンバーのOさんが、百合の花の刺繍が施されたピンク色の素晴らしい聖餐布(礼拝堂のテーブルにかける布)を作ってくださった。牧師のストールのピンク色も美しい。 この日はわたしも聖母マリアに敬意を表して、ピンク色のセーターとカーディガンのアンサンブルを着て教会へ。 教会学校ではお話の担当、ホフマンの「クリスマス物語」の読み聞かせを導入に。
午後は朗読の師匠、長谷川勝彦氏の朗読会へ。 中村真一郎著「暗泉空談」。印象深い作品だったし、いつもながら長谷川氏の朗読は素晴らしく、多くを学ぶ。 中村真一郎のこの著書は10章からなり、どの章も、わたしには興味深い。中村氏は加藤周一、福永武彦と交流が深かったということだが、福永武彦は若い頃良く読み、影響を受けた作家だった。そして中村氏のこれらの作品は、今、初老を迎えるわたしにとって、その出会いはタイムリーなのかもしれない。
その後、もうひとつのイベント。夜、新宿駅で待ち合わせをし、半年振りに長男Hと会う。 その事はまた後で書くことにしよう。
2007年12月13日(木) |
クリスマスの精霊たちのこと |
前回書いた、ディケンズの「クリスマス・キャロル」には序文があるらしい。 早速調べてみたところ、驚いた。 ディケンズはその序文の中で、「精霊が家家を楽しく訪れますように、そしてどなたも、精霊を寝かせておこうなどと思ったりしませんように」(たりた訳)と結んでいるのだ。
あの朗読会の後、わたしはどうも、ディケンズがお話に登場させたクリスマスの精霊がわたしの側にいるような気がしてならないのだった。
だって、今日はミクシーにこんな事を書いているのだもの。
<ミクシーに書いたこと>
このところ、クリスマスの精霊たちのお世話になっているような気がします。
めんどくさいなぁ〜、やる気しないなぁ〜と、このシーズンに乗り切れないでいたのですけれど、今年も英語学校のクリスマス会のためのケーキを焼いたし、昨日は仕事の帰り、気にかかっていた方へのお見舞いにも行く事ができました。
今日は雨で、そのうえ、なお先生のラテンは代行だから、ジムを休んで、5人の甥っ子達へのクリスマスの小包作りやカード書き。 英語クラスの子ども達へのプレゼントの用意も終了! 家中の散乱していたラッピングペーパーがようやく片付いた! 子ども関係のものが終わると取り合えず、ほっとします。
これからパーティーやイベント、まだまだやらない事が残っているけれど、クリスマスの精霊たちに助けてもらいつつ、良い時にしてゆきたいもんです。
あ、そう。クリスマスの精霊というのはディケンズの「クリスマス・キャロル」に出てくる、ごうつくばりのスクルージを回心させる、に三人のクリスマスの精霊たちの事で、かってに、マイブームにして、励みにしているのです。
<参考>
I have endeavoured in this Ghostly little book, to raise the Ghost of an Idea, which shall not put my readers out of humour with themselves, with each other, with the season, or with me. May it haunt their houses pleasantly, and no one wish to lay it. Their faithful Friend and Servant, C. D. December, 1843.
わたしはこの精霊のでてくるささやかな物語りで、空想上の精霊をよびだして、 読者が自分たちでも、お互いにでも、この季節にでも、あるいはわたし自身でも飽きがこないようにがんばったつもりだ。 精霊がみなさんの家庭を楽しく訪れ、精霊が口をつぐんでしまうことを願うようなものがいないように。
あなたがたの親愛なる友人でしもべのC.D
1843年12月 <katokt訳>
2007年12月08日(土) |
「クリスマス・キャロル」の朗読会へ |
この日、キッド・アイラック・アート・ホールでの朗読会へ。 青木裕子さんの朗読でチャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」を聴く幸運に恵まれた。 朗読の合間に、小澤章代さんのスピネットと孕石靖夫さんのリコーダーでいくつものクリスマス・キャロルが演奏され、この季節に相応しい、クリスマスの豊かな贈り物のような朗読会だった。
「クリスマス・キャロル」は以前に読んだり、映画で見たりした事はあったものの、どこかわたしとは遠い物語だった。ところが、この朗読会では、生生しいほどに、スクルージの闇とその後にやってくる光とを感じた。スクルージを回心に導くクリスマスの精霊は、ストーリーの世界を超えて、わたしの側で、わたしの内側をじっと見つめているようなそんな感覚さえあった。 ファンタジーの持つ力、それを引き出す朗読者の朗読。
実はスクルージではないが、身につまされる事があるのだ。 あれほど大好きで、わくわくしてきたクリスマスに、ここのところ年々疲れを覚えている。かつて、クリスマスの時期になると決まってやってきた事、人を喜ばせようとやってきた様々な事をここのところめっきりとやらなくなってしまっている。やりたくないと投げ出したい気持ちにすらなる。それはクリスマスの事に限ったことではない。暮れの仕度や年賀状なども。
例えば、山のようにクッキーやケーキを焼いてはあちらこちらへ配ったり、家族や友人への贈り物を買ったり作る事に喜びを感じ、家の内や外を様々に飾りつけた。12月の間は一日中クリスマスキャロルをかけて過ごしていた。そうせずにはいられない精神の高揚のようなものが決まって訪れていた。それは子どもの頃からつい数年前まで続いていたことでもあった。
クリスマス・キャロルのプロットを拝借するならば、過去のクリスマスの精霊が、わたしの過去のクリスマスを照らし出し、現在のクリスマスの精霊が、今の、クリスマスの喜びを感じる事のできないわたしの内面を照らし出す、そんな感じだ。
いったいあの時のわきたつような喜びは何によってもたらされていたのだろう。そして今、それがないという事は、わたしの心に、もしかすると身体(これは更年期のウツ状態にも似たものではないかと疑いを持っている)に、どのような変化が起ったのだろう。 スクルージは、クリスマスの精霊から憑かれた後、貪欲の縄目から開放されて、与える事を喜びとする人間へと生まれ変わるのだが、わたしは反対に失っている。
しかし、まぁ、こういう気づきを与えてくれたり、こういった朗読会へわたしを導いてくれるのもクリスマスの精霊の仕業なのかもしれない。そういう事を考えながら、昨日は12月に入って初めて、クリスマス・キャロルのCD(吉沢実さんのリコーダー演奏による「クリスマス・パストラル」)を聞きながら、バナナケーキを焼く事ができた。明日のクラス用、日曜日の英語学校のパーティー用、そしてお見舞い用にも。
まだ、いくつかのクリスマス会、家族や親や甥っ子達へのクリスマスプレゼントやお歳暮、クリスマスカード、年賀状、お見舞いと、クリスマススピリットに導かれたい事がたくさん控えている。 何とか、心晴れやかにこの季節を迎えたいものだ。
朗読会の翌日、このストーリーに興味をおぼえ、「クリスマス・キャロル」の原作に当たってみた。確かに一冊、読まないで買っていた古本の洋書があったはずだと探してみたが、どうやら処分してしまったらしい。 古いものだからネットで読めるかもしれないと探してみると、アメリカのサイトに「クリスマス・キャロル」やディケンズに関するサイトが山ほどある事が分かった。その中にディケンス自身が自作朗読会用に要約した「クリスマスキャロル」の原文が読めるサイトが見つかったので、A Christmas Carol のテキストをダウンロードする。用紙22枚くらいのものだった。
原文でしか、味わえないリズムや言い回しなどが面白いと思った。 また何気なく、善男善女の集まる教会を批判しているところがあって、ディケンズの信仰のありどころが見えるようだった。この部分には自戒も含めて共感したのだ。
この要約版をそのまま翻訳したと思われるものも青空文庫で見つける事ができた。訳が古いので、分かりやすいとは言えないが、手っ取り早く読めてよかった。翻訳は、夏目漱石の門下にあった森田草平。かの平塚らいてうと心中未遂をした青年作家とは彼の事だった。これも新しい発見。 ↓ 森田草平訳、「クリスマス・カロル」
2007年12月05日(水) |
6年半前に書いた日記に出会う |
前日の日記に、高橋たか子著「意識と存在の謎」について触れた。
その本の事をネット上で調べようと検索にかけてみると、わたしが以前に書いた日記が出ていた。自分では何をどこで書いたのか忘れてしまっているので、こういう形で、わたしが以前に書いたものと再会する事になる。
そこには高橋たか子をどういうきっかけで読み始めたかが書いてあって、我ながら面白かった。この6年半の時の流れがそこに見えたのだ。 過去のわたし、そして今のわたし・・・ 例えば、6年後、わたしは何に心を動かされ、どんな事をしているのだろうかと、そんな事も意識に登ってきた。
2001年6月28日の日記<高橋たか子との出会い>
2007年12月04日(火) |
聖母マリアと聖テレジア |
トラピスチヌ修道院の中庭の中央にある聖母マリア像は、両手広げ招き入れてくれるような暖かな印象だった。
アビラの聖テレジアの像。テレジアの顔は写真で馴染みのある凛とした顔立ちだった。 アビラの聖テレジアを初めて知ったのは15年ほど前、高橋たか子著「意識と存在の謎」の中でだった。スピリチャルな世界へと繋がる入り口にこの本があり、テレジアがある。 その後、不思議なように、行く先々で、聖テレジアに出会ってきた。きっとこれからも出会い続けることだろう。
アビラのテレサ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
実のところ、今日は12月10日なのだが、2日の日記の続きをここに書くことにしよう。 といってももう夜中の1時を回ってしまったから、今日は少しだけ。
トラピスチヌス修道院は、その内部には入る事ができないので、そこにいる修道女達にも会う事ができないし、その暮らし振りを知る事もできないが、 修道院の庭の片隅にある売店で、「天使の聖母ートラピスチヌ修道院」という写真集が売られていて、この本の中で、函館在住のカメラマン、野呂希一氏の美しい写真と共に、修道院の暮らしが紹介されている。
キリスト者とは言いながら、世俗にまみれ、のらりくらりと日を送るわたしにとって、修道院での生活に遠い、かなわぬ憧れのような気持ちがある。 修道院やキリスト教には限らない。 アーミッシュがそのままのスタイルで生活している村や今はもう絶えてしまったクェーカー教徒のコミュニティーは好きな場所だし、仏教の世界でも、座禅や修行といった事に心惹かれる傾向がある。 しかし、それは、わたしに限った事ではなく、多かれ少なかれ、世俗で生きるどの人の心の中にもある憧れなのかも知れない。
修道の生活とはある意味、死を側に置いての、死に目覚めての日常ではないだろうか。 メメント・モリ(あなたの死を覚えよ)という挨拶の言葉にこめられた通り、死の方向から眺めた今という時を生きる空間であり、人々なのだろう。
修道をする根性など持ち合わせてはいないわたしは、せめて、日常から離れて、一人旅したり、山の中へ入る事で、その感覚を得ようとしているのかも知れない。
この写真集の中から、余分なものがそぎ落とされた、シンプルの極みのような清々しい生活の香りが漂ってくる。 農作業に勤しむ修道女達の写真がとりわけ好きだと思った。
12月2日、曇り。ホテルで朝食をとった後、函館駅へ行き、トラピスチヌス修道院へ行くバスを待つ。 中心街から少し離れているところに位置するこの修道院は、市電では行けないが、1時間に2本ほどのバスが動いている。
世俗と離れた修道女たちの祈りと労働の場所なのだが、その建築物の美しさのためか、すっかり観光ルートになっていて、敷地の一分は一般に開かれている。
この広々とした修道院に着くと、雪が降ってきた。 なんと、雪の似合う場所だろう。 顔にも頭にも雪が落ちてきて寒いのだが、この雪がうれしかった。
続きはまた後日書くとして写真をアップしておこう。
アドベントに入るこの週末に函館へ。今回は連れ合いと二人旅。 秋田に日帰りした翌日に、八戸までは同じルートを辿り、そこから先は初めての土地。 年に何回も九州に旅するというのに、今まで北海道には行った事がなかった。 それだけにあこがれの地でもあった。
八戸で「はやて」を「白鳥」に乗り換え、青函トンネルをくぐると車窓には海が広がっていた。 今まで見た事のない海の青。
函館駅に午後1時半頃降り立つと、まずは朝市で海鮮どんぶりのランチ。駅の側のホテルに荷物を置くと、電車で元町方面へ出かけた。 旧イギリス領事館、旧函館区公会堂、ハリストス正教会を訪ねる。
ハリストス正教会は礼拝堂も見学できるので、入ってみると、祭司と思われる人が、観光客の質問に答えて、説話のような事をなさっていた。ロシア正教とギリシャ正教会の十字架(横の線の上と下にそれぞれ短い横線が入っている)や礼拝の形式について訪ねると、楽譜を持ってきて、独特な讃美歌や礼拝について話してくれた。
今ドストエフスキーを読んでいることもあり、ロシア正教の礼拝にはおおいに興味がある。この日は午後5時からミサがあると聞き、またとない機会だから礼拝に出る事にする。 カソリックともプロテスタントの礼拝とも異なる独特の礼拝だった。聴覚だけでなく、嗅覚にも訴える礼拝だった。ちょっと形容し難い、何とも言えず、清らかな香りに包まれていた。礼拝の中で、司祭が鎖のようなものを振り、そこから香が流れ出すのだ。ちょうどお払いのような感じで、信徒席に座っているわたしのも振りかけてくださった。これは清めのしるしなのだろうか。 同じキリスト教の世界でも、わたしの知らない事が数多くあるのだと思いつつ、礼拝を執り行う方がたの声が礼拝堂に響き渡る中に静かに身を置いていた。
< 以下は12月5日のミクシー日記 >
いつの間にか、ハナミズキの葉がすっかり落ちている。
心静かに、夕暮れ時、部屋の隅にともしたろうそくを見つめて過ごしたアドベントがあった。
どうして・・・やんちゃな子ども達がドタンバタンと賑やかな日常だったはずなのに・・・
今は子ども達もいないから、クリスマスツリーさえ出さず、クリスマスは仕事だけでたくさんという気持ちになってしまうのだけれど、 またそんな、静かなアドベントを過ごす時が来ることを 意識の先に感じつつ、忙しく、あわただしい、アドベントの時を過ごす。
この週末の函館は、ただただ日常から離れ、のんびりするつもりだったけれど、12月1日はイルミネーションのライトアップの日、函館の夜は賑やかな光と音と人とで溢れかえっていた。
その喧騒からわずかなところ、坂道を登ったところにある、ハリストス聖教会では夕方礼拝が行われていた。 祈りのチャントが延々と続いてゆく。 この修派は楽器を使わないので、グレゴリアンチャントのように、式を司る人達の声が聖堂に響く。
信徒席にはわたし一人。 抑揚のある祈りの言葉は途切れることなく続き、内側の静けさがずんずん深まっていくような感覚があった。
1時間ほどそこに座っていたが祈りは朝まで続くかに思われた。 待ち合わせの時間が来たのでドアを閉め外に出ると、大きな音と共に空には花火が上がっている。 午後6時、「もうひとつのクリスマス」を祝うための大きなモミの木に光が灯されたのだろう。
二人でほの暗い坂道を下り、イルミネーションの中へと出かけていった。 人混みをのがれ、函館湾に面したところを歩いてみると、遠いイカツリ舟の灯火と黒い海に映った揺れる光が美しかった。
函館の静けさと華やかさはそのままアドベントのひそやかさと賑やかさだった。
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