たりたの日記
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2007年11月30日(金) 秋田へ

11月の最後の日、日帰りで一人秋田へ。

翌日から2日間は大人の休日倶楽部3日間乗り放題切符で同居人と函館へ行く予定。
金曜日はわたしだけオフで、切符も一日使える。
さてどこへ行こう。
越後湯沢にでも雪を見に出かけようかとも考えていたが、秋田へSに会いに行く事にした。

秋田に日帰り、そして翌日に函館なんとハードで慌しいとあきれられてしまいそうだが、登山口まで辿り着く時間といくらも変らない。
山であればその後に重いザックをしょって、汗を流しながら山を往復する事になるのだから、Sとおしゃべりするのが目的のこの旅は山行に比べればずいぶんラクチンな旅だ。

新幹線の中からは雪をかぶった東北の山々が見えた。
初冬の東北は初めてでもある。
移りゆく車窓の中の景色を楽しみつつ、音楽を聴いたり、朗読を聴いたり(ディディの自作朗読は繰り返し聞くのにその度に笑える)本を読んだり、写真を撮ったりとやることはいくらでもある。
あっという間に秋田だった。11時半、秋田駅に着くと改札口にSが出迎えてくれた。

帰りの新幹線に乗るまでおよそ5時間。Sに秋田市内を案内してもらい、きりたんぽ鍋を食べながらゆっくり話しをする。
ひとつひとつの場所が印象深かかった。家に居たら、パソコンの前に座ったままで過ぎてゆく時間だったかも知れないが、なかなか会うことのできないSと会い、秋田の風や人柄、文化に触れることができ、思い出深い、貴重な一日となった。


訪ねた場所

千秋公園
今年は紅葉が遅かったらしく、散らないまま、ちぢれたまま木についている紅葉が何本もあった。
狐を供養するために建てられた神社は赤い鳥居がいくつも続き、その両側にはユーモラスな風情の狐達がたたずんでいた。



平野政吉美術館

藤田嗣治のコレクションが豊富。わたしが好きな、茶の間で寝子を懐に入れている自画像も見ることができた。
カンバス張りで20世紀最大と云われる壁画「秋田の行事」には圧倒された。


ねぶり流し館
正式な名前は秋田市民俗芸能伝承館。竿燈と呼ばれる稲穂に見立てた提灯の竿はかなりの重さだが、熟練した人達にかかれば、うまくバランスが取れるので軽々と持ち上げ、曲芸のような感じだった。実演を見、自分でも体験できたことはよかった。









秋田市指定文化財 旧金子家住宅


金子家は、江戸時代後期に質屋・古着商を開き、明治初期に呉服・太物(錦織物・麻織物)卸商を創業した。
。昭和57年まで、この店で商売が営まれる。建物は主屋一棟、土蔵一棟から成っている。








2007年11月27日(火) 風邪の功名

つまりは鼻炎をこじらせた風邪なり。
体力というよりも気力を喪失していた。
気力を喪失しながら布団に潜って本ばかり読んでいた。
一人で山を駆け回ったなんて、今後、そんな事が再び起るなんて、とても考えられない・・・そんな具合だった。
どうやら、トンネルは通り抜けたらしい。
今日は地図を眺め、時刻表を調べ、心は旅立っているのだから。
この間に、いくつか収穫もあった。その事は以下のミクシー日記に記した。

                *
11月26日

ここも、HPの日記も、これまでにないような穴。
ずっと風邪ひきが続き、昨日は礼拝で聖書の朗読の当番だったのにもかかわらず欠席。一日中ベッドの中。

高熱があったわけでもないのに、起きて何かできる感じがなかった。身体というよりは精神の病?と自分の心を疑ったくらい活力がなかった。
そのお陰かどうか、こういう篭った環境でないとなかなか読めない、ドストエフスキイの「罪と罰」を35年振り!に再読した。(まだ3分の1くらいだけど)

友人Deedee(作家)のサイトから、彼女の傑作の自作朗読を繰り返し聴く事もできたし、久々にメールもした。
(興味のある方はここDeedee Agee のサイトへ。朗読とテキストがアップされている)

怪我の功名?
転んでもただでは起きない?
ま、気力が無い割には欲張りでした。

でも、今日はようやく日常へ。
掃除をし、クラスの準備をし、夕方は久々に外出。mGの車でおいしいご飯を食べさせてくれる「くるり」へ。
スマイルシェフの手料理は身に沁みておいしかった。
回復したようだ。
さて、もうこの冬は寝込まないぞ!!!


2007年11月22日(木) 風邪か鼻炎か

 月曜日、ゼミに参加。カフカの短編。行きの電車の中でようやく感想を殴り書き、忘れない内にきちんと書き直したいのだが、その夜から体調不良。風邪気味くらいだったのがだんだん悪くなる。

風邪なのか鼻炎が悪化したのか、今朝は声が出ない。鼻もあまりに酷いので今日は耳鼻科へ行ってきた。待ち時間に本が読めるから病院で待たされるのはそれほど気にならないが、今日は4時からクラスが入っていたので、かなりヤキモキした。耳鼻科の診察は2時半からなので、いくら受け付けを一番乗りでやっても、薬をもらったのはようやく3時半。ぎりぎりセーフ。
今日はいつもの3クラスに加えて、中学生の期末テスト対策のクラスが7時15分から9時まで。ちょっと厳しかったが何とか無事終えて、今週のお仕事はこれにて終了!

せっかくの三連休なのだが、風邪は良くなるかしらん。
病院から山のようにもらってきた、さまざまな薬に期待したいところ。
鼻の治療のお陰で、鼻の具合はずいぶんいい。風邪というよりも、鼻炎を放っておいたものだから、それが喉へ回り炎症をおこしているらしい。抗生物質も出ている。

さて、寝よう。


2007年11月18日(日) にわかスープ屋さん


大宮エキナカのスープのお店を通るたびに、そこの大鍋でぐつぐつ煮えているスープに心惹かれる。
好きなんだなぁ〜ここのスープ。

時間があって、お腹が空いている時には立ち寄るが、だいたいは電車の時間を気にかけつつ、横目で眺めながら通る。
うまくスープにありつける時には、目にしっかりと材料を焼きつけ、舌にしっかりとその味を記憶させ、家で真似して作ってみる。
で、この秋はたりた風のスープが、試作品も含めて幾度となく登場した。

昨日の英語学校のThanksgiving Party で、このスープ作りが役立った。
礼拝の前後、おいしそうな匂いに包まれ、大鍋いっぱいのスープをかきまわしながら、にわかスープ屋さんだった。
レシピなしの自己流ミネストローネがそれなりに受けた事に安堵している。



<ミクシー日記より>

今日の特別は40色分のミネストローネを作ったことかな。

礼拝の後、英語学校のThanksgiving Party。
うちの学校にやってくるネイティブの教師達は毎年、Thanksgiving Partyにこだわる。
10月にハロウィンパーティーやって、12月にはクリスマスが控えているのだから、この11月のサンクスギビングデイはできればパスしたいのだが、何としてもパーティーをやるという。彼らにとってはお正月のようなものだから、これを祝わない内はクリスマスの準備も気分が乗らないのかもしれない。

しかし、ネイティブの教師が一人で七面鳥の丸焼きを焼いたり、クランベリーソースを作ったりという訳にもいかないし、そもそもそういった伝統的なアメリカンスタイルの特別料理は材料を手に入れるのも、作るのもこれまた大変。
スーパーで七面鳥が買える訳はなし、それが丸ごとつっこめるおっきなオーブンもないんだもの・・・

ローストターキーの代わりにローストチキンを買ってきて、
パンプキンパイとマッシュポテトをアメリカ人のTとAが受け持ち、後は参加する生徒さんたちのポットラック(持ち寄り)という事になった。
でも、でも、持ち寄りと言っても、みんながお料理好きなわけじゃない。お菓子や飲み物ばかり集まって肝心の食べ物がいつも足らない。

しかたないなぁ〜。何かどっさり作らねば・・・
そうだ!アメリカの伝統料理じゃないけど、ミネストローネをたくさん作って、バゲットといっしょに。野菜もパスタも入るから一応はお腹が満たされる。

礼拝が始まる前、9時から仕込だぁ〜。
大きな鍋いっぱい、およそ40食分。
キャベツにセロリにトマト缶、豆缶、パスタも入れて、後はコンソメでぐつぐつ煮込み、塩コショウで整える。

でもね〜、いつものお鍋で作るのと違うから、目分量、さじ加減のカンがうまく働かないのよね〜。昨日の日記じゃないけれど、塩梅がぴたりと決まらない。
塩を足し、足し・・でも、何とかできた。いつものミネストローネ。

参加者は20人足らずだったから半分は余るんだろうな、困ったなぁと思っていたけど、余ったスープを持ち帰りたいという希望者が何人もいてお鍋はきれいに空になってしまった。けっこう喜んで食べてもらえたようだ。

パンプキンパイもおいしかったし、なんとかサンクスギビングの食事会も終了!

さあて、クリスマス・・


2007年11月17日(土) 塩で味付けされた快い言葉で

何というか、言葉でやりあうという事がまったくだめ。
傍観しているだけでもどきどきしてくる。

言葉はなぐさめになったり、励ましになったりもするのに、同時に他者を刺す凶器となるもの。

たかだか、活字の言葉だというのに、その言葉によって心はかなり影響というかダメージを受ける。自分に向けられた言葉でなくても、そうなのだから、そういう論争の渦中に間違って入ってしまえば、大変な事になるのはすでに経験済み。

「いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。」
        <新約聖書、コロサイの信徒への手紙4−6>

肝に銘じておこう。


2007年11月15日(木) 秋の日の午後 【アクロスティック】

あ  秋の日の午後

き  菊の花の香りの混じる

の  野っぱらの道を

ひ  一人自転車こぎながら

の  のどかだ―と深い息ひとつ

ご  ごらん、少し傾いたやわらかな陽射しの中

ご  ごまんと、小さな光の粒たちが踊っている


今日の日の午後2時過ぎ、ジムからの帰り道、秋の日の陽射しの中の木々や花達がほんとに良かったのです。
美しいだけでもなく、少しさみしく、なつかしく、永遠がそこに見えるような崇高な気持ちにさえなりました。
そうすると見えるのです。
あの光の粒が、
プラーナは不思議な軌道を描きながら跳びまわっていて、
それは喜ばしいダンスのように見えました。

               *

ミクシーで、蒲公英さんと言葉についてやりとりしていて、昔、ゴザンスでやっていた事がなつかしいね〜と書かれてあった。
そう、ことばあそびというジャンルでアクロスティックの詩や文章を投稿するコーナーがあった。あの時は2週間ごとに発表される「お題」に夢中で取り組んでいたっけ。
はじめて、ゴザンスに投稿したのも、「くるぶしの骨」というタイトルのアクロスティックだったなぁ〜。



2007年11月14日(水) この一月

この一月はなんだか不思議な安らかさがあった。
今まで過ごしたどの時とも違っていた。
もしかすると、この先にあるであろう、リタイア以降の生活とはこんな感じかしらと思った。

同居人が殺人的な仕事から解放されて、彼のまわりにあるエネルギーがふんわりしていた。今までいっしょに食事をする時間もなかなか取れなかったのに、朝、昼、夜とテーブルに向かいあう事が多かった。いろいろな話をしながらゆっくりご飯を食べる。

三度、三度、ゆっくり食事をするものだから、また叔父からおいしい新米が送られてきた事も手伝って、わたしが豆を大量に煮た事もあって、二人とも目方がかなり増してしまった。これはまずい!

しかし、この特別な一ヶ月はどうやら今日でおしまい。
明日からまた同居人は朝早く家を出て、会社へ行く生活が始まる。そしてわたしも、スケジュールはほぼ変りないものの、どこかせわしなく日々を送るようになるのだろう。

あんまりのんびりしてしまい、庭の植え込みがすっかり遅れてしまった。
週末に花の苗を買ってきて、今週のうちに植え込みをしなくては。

今日はボイスブログにカフカの短編を二つアップ。オスカー・ワイルドの「幸福の王子」曽野綾子訳の朗読も録音。こちらは借りた本を記録するのが目的。
コピーするのは大変だから、声で記録したというと、同居人がおかしい人だと笑う。どこがおかしいのか、わたしにはさっぱり分からない。


2007年11月10日(土) 豆・豆・豆

さて、日記にどかんと穴が空いてしまった。
この1週間、確かに体調が不調だった。そのせいかどうかは分からないが、書く気持ちが起らなかった。
金曜日はチケットも購入ずみだったコンサートも断念してベッドに潜りこんでいた。
土曜日、前日休んだせいで、ずいぶん回復していた。そして豆が食べたい。肉でも魚でもなく、身体は豆が食べたいと言っている。

そういえば、ここのところ料理する当てもないままに、たまたま目にした店先で何種類かの豆を買い集めストックがある。
北海道産のうずら豆が1キロ、この前、秩父の山へ行った帰りに買った白いんげんがとレンズ豆が500グラムづつ。そういえば、叔父から送ってもらった黒大豆もまだ残っている。

どうせ煮るのなら一度にたくさんとばかり、1キロのうずら豆を一度に圧力鍋で煮てしまった。1キロの豆は煮れば2〜3倍に増えるからとんでもない量の豆になる。とても一度には食べきれない。三分の一は砂糖を加えてさらに柔らかく煮崩れるまで煮て、とろとろの豆きんとんにして、その半分は冷凍保存。
後の半分は豆のサラダを作り、ミネストローネに入れ、残りを小分けして冷凍庫へ。
という訳で、昨日と今日は豆づくし。アプタイザーに豆のサラダ。メインにミネストローネ、デザートに豆きんとんという具合。豆を食べていたらワインが飲みたくなって「やまや」からワインを買ってきた。

明日から一ヶ月振りに会社に出るという夫の髪をヘナで染める作業は食事の前にやっつけ、早々とワインを空ける。
良い一ヶ月の休暇(?)と明日からの出勤を祝して。


2007年11月05日(月) 魯迅 「狂人日記」

正津文学ゼミ、この日のテキストは魯迅の「狂人日記」。竹内好訳。

最初に一読した時には、いったい作者が何を伝えようとしているのかさっぱり分からなかった。始めから終わりまで「狂人」の言葉であるから。そうして「狂人」の言葉である以上、この話にどれほどの信憑性があるのかと。

周りの人間は人肉を食う人間たちであり、自分もそういう輩に食われようとしていると。また兄貴が人肉を食うのなら、自分はその兄の弟だから、たとえ自分が食われてしまったとしても、いぜん、自分は人間の肉を食う人間の弟だと、自分の運命をも呪っている・・・

しかし、これがある事を伝えんがためのカモフラージュという事が分かれば、するすると謎は解ける。いったい魯迅が狂人を装い、闘を挑んでいる相手とは何なのか。

魯迅の弟の周作人の回想録によれば、「『狂人日記』の中心思想は、礼教(儒教)が人を食うことである。・・・・・・これは礼教打倒の一篇の宣伝文であって、文芸と学術問題はいずれも二義的なことであった。」という事だ。
闘う相手は当時の中国を支配し、封建制度を維持させる要となる儒教思想。それならば、同じ、儒教の影響の下にある、日本人のわたしにとっても、その闘いはあながち無関係ではない。
しかし儒教とはいったいどういうものだろう。そのものについては漠然とした、知識というよりは感覚的なものしか持ち合わせていない。とすれば、この作品をほんとうに理解するためには、魯迅が闘いを挑んだ儒教がどういうものなのか、その事をまず知らなければならないのだろう。

この事は今後の課題として、作品の中の魯迅の立ち位置がわたしは好ましいと思った。搾取される側が搾取する側を一方的に糾弾するというのではない。自分もまた地主である兄の弟、人肉を食う立場にある人間なのだと、その刃をわが身に向けている。これが、魯迅の作品を説得力のある、力強いものにしているのではないだろうか。

ここでキリスト教を例にあげるのは憚れるが、この魯迅の立ち位置を見る時「我罪人の頭なり」という聖書の一節が浮かんでくる。神の言葉を伝えようとするパウロ、しかしその自分自身が罪人の頭だと訴えるパウロの説教には説得力がある。しかしキリスト者の場合、いかに自分は罪人であろうと、その罪を赦すイエス・キリストという救い主が存在する。それ故、罪人である事に絶望することはない。しかし、魯迅はどうだ。自らが人を食う人間だと自覚する時、そこに生じる絶望や寂寞はどのくらいのものだろう。

この「狂人日記」を魯迅はその絶望の果てに書いたと言う。絶望しつつもデカダンに陥る事なく、「人生のために」「人生を改良するために」この作品を紡いだ魯迅の功績は大きく、尊敬に値する。
魯迅がこの作品を同人誌の仲間の銭弦同に勧められて書いたということを「自序」の中に記しており、その文章は印象深い。

以下引用

「彼らは『新青年』という雑誌を出していた。しかしその頃はまだ誰も賛成する者がないばかりか反対する者もないようであった。わたしは彼らが寂寞を感じているのではないかと思った。だが、いった。

『かりに鉄の部屋があるとする。一つも窓がなく、どうしても打ち破ることができないのだ。なかには大勢の者が熟睡していて、まもなくみな窒息しようとしている。しかし昏睡したまま死んでしまうのだから、死の苦しみを感じることはない。今君が大声でわめいて、比較的醒めている幾人かの者を起こしてしまったら、その不幸な少数の者に、救うことはできないのに、臨終の苦しみを受けさせることになるが、君はそれをかえって彼らにすまないとは思はないのか』

『しかし、幾人かの者が起きてしまったら、その鉄の部屋を打ち破る希望が絶対にないとはいえないだろう。』

そうだ、わたしにはわたしなりの確信があったが、しかし希望ということになると、やはり、抹殺することはできないことである。なぜなら希望は将来にあるのだから、絶対にないという私の証明で、彼のあるという説をうちくだくことはできないから。そこでわたしはついに、文章を書くことを承諾した。それが最初の『狂人日記』という作品である。


参考文献  

集英社版 世界文学全集 72 魯迅
解説:駒田信二




青空文庫で別訳の「狂人日記」が読めます。 「狂人日記」 魯迅著(井上紅梅・訳)



2007年11月04日(日) 大マテイ山

遊山倶楽部の山行で山梨県の大マテイ山へ。
山梨県小菅村にある、この山は、大菩薩峠から東に向かって伸びる尾根の先に位置する。
植林をしていない山は全体に明るく、自然なままの木立は優しげで美しい。
とりわけ紅葉のこの季節は、まるで、絵画の中を歩いているよう。
繊細で美しい木立の間を抜け、紅葉の錦の絨毯を踏みしめ歩く事のなんという贅沢。
靴の下の落ち葉の音は驚くほど大きい。
この日のメンバーは総勢17名だったので、しんと静かな山に落ち葉を踏む足音が響き渡る。

いつものように豊かな食べ物と美味しい酒がふんだんの宴会。
帰りは台風で決壊している道を避け、しばらく登り返し、小菅の湯を目指してひたすら下山。
帰りのバスまでには30分しかないので、慌しかったが下山後に温泉に浸れるのは有り難い。

上ノ原からのバスも臨時バスが2台でるほどの人だったが、帰りのバスも満員電車並みの込みよう。くねくねと蛇行する山道を立ったまま1時間半も揺られてるのは登山よりもはるかにきつい。途中から待機していた臨時バスに乗り換えほっとする。予定の時刻に上野原駅に到着。

































































<覚書>

山行計画

 新宿駅 6:58 -> 中央線 -> 高尾(7:59着、8:01発) -> 上野原駅8:25着。

 バス:上野原駅 8:28 -> 松姫峠 10:13着(1,500円)
 歩き:松姫峠 -> (1:20) -> 大マテイ山 -> (1:45) -> 小菅の湯

 バス(帰り); 小菅の湯16:30発、上野原駅17:56着。(1,120円)

 *実際はコースの変更に伴い、大マテイ山から小菅の湯までは3時間近く歩いた。



2007年11月03日(土) 喜びの日

この日、喜びの日、
その空間にはいくつもの楽器が運び込まれ、
たくさんの笑顔が集まってくる。

それはどこか、ダンスのステージの前にも似て
非日常の高揚が漲り
心地よい緊張が高まっていた。

わたしはこの日まで繰り返し練習してきた
Amazing Graceを歌い始め、
花嫁と花婿が入場してきた。

二人が出会うまでの道のりや
出会えたことの奇跡が
その歌の言葉に照らし出され、気持ちが高まる。

友達は演奏し、歌い、そして踊る。
花婿も楽器を鳴らし、
花嫁もまた踊る、軽やかに喜びに満ちて

この日、喜びの日
その空間には音楽が溢れ
たくさんの笑顔が広がっていた。
























♪Amazing Grace, how sweet the sound
That saved a wretch like me,
I once was lost, but now I found,
Was blind, but now I see.


'Twas grace that taught my heart to fear,
And Grace my fears relieved.
How precious did that grace appear
The hour I first believed.


Through many dangers, toils, and snares,
I have already come.
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

When we've been there ten thousand years
Bright shining as the sun.
We've no less days to sing God's praise
Then when we first begun.


2007年11月02日(金) 保育園の子ども達と宝登山へ

♪きんきんきれいな秋の空、遠くの遠くを呼びましょう
 お〜〜い!

 きんきんきれいな秋の空、呼んだらこだまを待ちましょう
 お〜〜い!

つくしんぼ保育園の年長児はたった二人。
今日は彼らの初登山の日。
わたしは担任の保母さんの助っ人で、同行。

途中でへこたれないかなと心配だったけど、
大人顔負けの体力。コースタイムより速かった!
子どもの足だからと登り2時間、下り2時間を考えていたところ、登りは1時間半。、下りはなんと40分。
Sは登りで駆け上がり、追いつくのが大変。Yは下りでたったか駆け下りる。さすが日頃からしっかり身体つくりをしているつくしんぼの子ども達。長瀞までの往復4時間の道中も、退屈する事もなく、困られる事もなく、我が子を二人連れて遠出した時に比べるとずいぶん樂だった。
ママじゃないから甘えがでないんだろう。
小さいながらに「ぼくはちゃんとうやれるんだ」というプライドが見えて、たのもしかった。

歩く時間が短縮できたおかげで山頂近くの動物園や長瀞川でたくさん遊ぶ事ができた。 週末ともなれば、たくさんの観光客でにぎあう長瀞の川辺も、静かで良かった。残念ながらSLは土日だけの運行という事で見ることができなかったが、帰りの電車を待つ間、長瀞駅の広場では竹とんぼ飛ばしに熱中していた。
帰りの秩父線では二人ともぐっすり。

「また山、行きたい〜〜 」
「かんたんだった〜〜。もっとむずかしい山に登りたい」
「じゃあ、今度は卒園記念にもっと高い山に登ろう!」
















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