たりたの日記
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2007年10月30日(火) それぞれのハロウィン

今年のハロウィンパーティーはサマーキャンプのように幼児から小学校の高学年まで30人でと考えていたけれど、送迎や、Trick or Treatのお手伝いをして下さるママ達の駐車の問題や、雨が降った時の対応などを考えると無理があるので、小さい子達のグループと大きい子達のグループに分ける事にした。

小さい子のクラスはママ達が工夫して用意したコスチュームにびっくり!
去年よりもさらに華やかだった。それにしてもやっくんの破れ傘と、おにいちゃんのろくろっ首は傑作!
曇り空だったけれど、何とかお天気も持ち、園庭をかけまわりながらTrick or Treatをする事ができた。








大きい子のクラスは変装は初めて。用意して来ない子も多いだろうと、わたしのダンスの時の衣裳やチャイナドレスやカツラなどを持っていって、みんなで変装を楽しんだ。Trick or Treatはそれぞれが持ち寄ったお菓子で、交代に行う。これもまた楽しい。
ろうそくを灯しての怖いお話は、あんまり怖がってもらえなかったけど。







中学生のクラスはもうハロウィンは卒業。わたしがお菓子を持っていくくらいしかプランはなかったのに、6人のうち、3人の女の子達は自分達でケーキやキャンディーを買ってきて、「テストも終わった事だし、わたし達もちょっとだけハロウィンパーティーやろうよ!」と勝手にセットアップされてしまった。おまけに、わたしへのトリートまで。キャンディーやチョコレートのトリートではなくて、かぼちゃのまくら(?)とハロウィンのマグカップセット。
「いったいどうしちゃったの〜中学生になるとやる事が違うね〜」
などと言いながら、彼女達からのプレゼントが心に染みた。
それぞれの年齢の子ども達とそれぞれのハロウィンを楽しんだ事だった。


2007年10月29日(月) 赤い実

あ あのナナカマドは
か 哀しいほど赤かった
い 今もあの山のあそこにあるだろうか
み 道を辿っている夢の中で





























































2007年10月27日(土) 台風の中、ハロウィンパーティー

こんな事もある。
朝から雨、それも台風。
子ども達が楽しみにしているハロウィンパーティーは午後2時から。

雨のために外でやるゲームができなくなるとすれば、何か室内でできるアクティビティーを増やさなければ・・・
アルクの「子ども英語」に載っているクラフトは30日のわたしの教室のイベントで使うつもりでクラフトペーパーをダウンロードしていた。よしよし、これらのクラフトをそっくり使うとしよう。
わたしは特に担当するブースがなかったから、クラフトコーナーをわたしが担当すればよい。


昼前に教会(英語学校)へ。
アンバーはすでにりっぱなインディアンの娘に変身していた。
スタッフのFさんに手伝ってもらいながら、クラフト用紙に、楽し気なハロウィンの工作の用紙を30人分印刷する。

やがて様々に変装した子ども達やパパ、ママが集まってくる。
二階の礼拝堂で、英語でゴスペルソングを歌い、牧師が子ども達向けのお話をする。ここはいかにも教会の英語学校らしい。

まだ雨は止まないが、例年通り、周辺の商店街をパレードして、トリック・オア・トリート。
あらかじめお菓子を持っていってお願いしてあるお店に、"Trick or Treat "と言いながら入っていき袋の中にお菓子を入れていただく。お店によっては、我々が用意したお菓子の他に可愛いハロウィンの小物を子ども達のために用意して下さるところもある。

雨に濡れてしまったが、子ども達はチケットを手に嬉々としてお次のハロウィンフェアへなだれ込む。子ども達は10枚のフリーチケットをもらえるが、もっとチケットが欲しい子は10枚100円で買える事になっている。

ブースは、わたしが担当したクラフトコーナーの他に、フォトスタジオ、フェイスペイント、ツイスター、ボーリング、りんごくわえ競争(水に浮かんだりんごを口だけで捕まえるというアメリカのハロウィンのゲーム。)


クラフトコーナーでは、ハロウィンキャラクターをラミネートして作るペンダントやしおりに子ども達が殺到。順番を待つ列はフェアの間中続いたので、わたしは写真やビデオを撮る事も、他のブースを覗く事もできないまま、夜店のおじさん状態だった。そしてこの忙しさが楽しかった。

台風の中とはいえ、今年も何とか無事にハロウィンのイベントが終わって良かった、良かった。
残るは30日のイベント。
今日はアンバーの友人のアメリカ人が3人に、教会の方達も手伝ってくれたので、子ども36人に対して、スタッフが10人はいたが、30日はわたしひとり。ま、一人でできるようなプログラムではあるけれど。

30日のイベントの後、2日は保育園の年長児の山登りの引率。3日はRの結婚披露パーティー。
30日のハロウィン、どの子も楽しませる事ができるだろうか・・・
年長さん達の初登山、うまくいくだろうか・・・
オープニングでのアカペラ、ちゃんと歌えるだろうか・・・
心配・・・

今日の心配だって過ぎてみればうまくいったのだから、きっとうまくいく!と、思うことにしよう。


2007年10月26日(金) 谷川岳の写真

夕食の時、ワインとビールをグラスに一杯づつ飲んだだけなのに、すっかり酔っ払ってまだ9時という時間に眠ってしまった。12時近くになって起き出す。

さてさて、貴重な夜の2時間、日記と朗読の練習に当てよう。都合よく、同居人はわたしと入れ違いに寝室へ上がっていった。

日記といっても今日は特筆する事はこれといってない。午前中は英語教室のハロウィンパーティーの準備。午後からジムへ行き、ストレッチとボディーシィエイプとボディーヒーリングの3本。
明日は朝から一日仕事モードなので、今日のうちに明日の分の夕食も作って、冒頭のごとく。

22日、23日と谷川岳の写真をアップしたが、まだ後3枚日記にアップするために用意したものがある。
今回はとにかくたくさん写真を撮った。歩くごとに目の前の紅葉や山や谷の形が変化していく。実際カメラをしまう暇がなく、歩く間中、ずっと写真を取り続けていた。けれども、良い写真を撮ろうとか、これは絵になるとかといった作品を仕上げる撮りかたとはおよそ違う。
目の前に顕れた景色をともかく記録するだけ。

いくら一人の山行だからといって、山は歩かなければならないから、じっくりのんびりカメラを構えることができない。うっかり時間が超過し、予定の時間に下山できなくなれば、最終のバスや電車に乗り遅れ大変な事になってしまうし、谷川岳のように平日でも登山客が多いところではあまり立ち止まっていては他の登山客のじゃまにもなるからだ。

そんな具合に、何も考える事なくただシャッターを押しただけの写真だが、撮ってきた写真を見ると、その時の感動を蘇らす事ができるからうれしい。

ところで、帰り道、2時半くらいだっただろうか、清水峠の細い登山道で、山岳カメラマンの村口徳行さんと機材を抱えたスタッフの方たち数人のパーティーが登ってくるのにでくわした。
村口さんの講演会に二度参加し、その後のパーティーでお話もしているが、あちらはわたしの事は覚えていないだろう。仕事での山行、しかも先を急いでいる様子だったから、すれ違いざまに「こんにちは」という挨拶だけかわした。

あの後、村口さん達は写真を撮り、山頂に宿泊し、翌日も写真を撮ったのだろうか。村口さんがどのような谷川岳の写真を撮ったのかぜひ見たいものだ。














































































2007年10月23日(火) 谷川岳の二つの耳

前日の日記には谷川岳の豪華絢爛の錦絵の写真を載せたが、ここにある三枚は山頂からの写真。同じ山でありながらずいぶんと趣が違う。

深田久弥氏の「日本百名山」に寄れば、谷川岳はかつては「耳二つ」と呼ばれていたという。
今ではその二つの耳、つまり二つの頂上は、トマの耳(1963・2m)とオキの耳(1977)と呼ばれ、この二つの耳を持つこの山が谷川岳と呼ばれるようになった。

二枚目の写真はトマの耳の山頂からあちら側のオキの耳を写したもの。
とがった岩の上に何人もの人影が見えるのだが、わたしもこれからそこに立つのだと思うと何とも愉快だった。

三枚目の写真はオキの耳から、さっきまでわたしが立っていたトマの耳の先端を望遠で撮ったもの。
岩のバックのブルーの山の重なりが美しいと思った。



































































2007年10月22日(月) 紅葉に燃える谷川岳へ

この春にも、また夏にも谷川岳へ登ってみたいとガイドブックを開き、路線を調べていた。

しかし残雪の残る春や、天候の変化が著しい夏にはこの山に一人で入る勇気はなかった。

今なら行ける!と思い立ったのは2,3日前のこと。
ミクシーにアップされていた翠さんの谷川岳の写真とレポートを見たのがきっかけだった。
それでも前の夜になってもどうしようかと迷っていた。
ザックを前に逡巡しているわたしに同居人が「行っておいでよ」と一言。
「じゃ、行ってくる!」とわたし。
その一押しがありがたかった。

紅葉に燃える谷川岳に入っていく。
身体中に歓喜が行き渡る。

「あなた、わたしを呼んだでしょう」

「呼ぶさ〜、今来ないと、またしばらく来れないんだから。一番いいときに声をかけたのさ。」

山とこんな話をしながら、一足ごとに変化するみごとなパノラマに圧倒されていた。
(つづく)
































































2007年10月21日(日) 保育園の運動会

 これ以上のお天気はないというほど、美しく完璧な秋晴れの中、今日はつくしんぼ保育園の運動会だった。

 去年は同居人と共に写真班だったので、あちらこちらと子ども達を追いかけながら必死でシャッターチャンスを狙ったのだったが、今年は園長のTさんの補助という事で本部席に座る役目だった。

 Tさんの病状は重いのだが、彼女は去年のように、子ども達の名前を呼びながら、励ましながら運動会の進行を最後まで務めた。
もう歩けないのよ、といいながら車椅子で本部席に座っているのだが、彼女の声は明るくしっかりとしていた。わたしの出る幕はなかったことが、Tさんがやりたかった事をやり通す事ができたことが嬉しくまた、揺さぶられ、励まされた。
ほんとうに強い人。りっぱな人。
 人間は弱いとわたしは常々思っているのだけれど、この強さはいったい何なのだろうと彼女を見る度に底のほうから意識を変えさせられる思いがする。

 彼女のうれしそうに子ども達を眺める横顔を写真に収めた。この日の事を忘れないために。


2007年10月19日(金) 秋のセージ達

秋になってまたセージ達が元気に咲き始めた。

秋になってようやく紫色の花をつけるメキシカンセージ、
ほとんど一年中、ポツポツと赤い花を咲かせるチェリーセージ、
そして真夏に涼しい気な濃いブルーの花で庭をさわやかにするメドウセージ。

少しも手入れをしない怠け者のガーディナーにもめげず、逞しく育つハーブ達。
花の時期が終わる前に今年の姿をカメラにおさめた。










































































2007年10月18日(木) Teeny-Tiny ( ちいちゃい、ちいちゃい)

 ハロウィンの季節にちなんで、ちょっぴり怖いお話を読んでみました。
イギリスの昔話、Teeny-Tiny ( ちいちゃい、ちいちゃい)を日本語と英語で。 ボイスブログ<朗読の庭>

 そういえば、このTeeny-Tinyという短い昔話は、その昔、まだ20代のママだった頃、マザーグースやイギリスの昔話に興味を覚え、英語を育児に取り入れるきっかけになったお話でした。
 
 英語のリズムの心地よさがヒットしました。そしてこの言葉の持つおもしろさはむしろ、小さな子ども達の方が分かるんではないかとそんな気がしました。口にする面白さ、耳に届く心地よさ・・・

 アメリカに行く事になる前から、ラボ教育センターから出版されているマザーグースや昔話を英語と日本語で、子ども達といしょに毎日聞いていました。教育のためというより、ややもすると退屈になってしまう子育ての日々の中で、わたしにとってもおもしろいものに出会えて嬉しかったのでした。

 今、小さな子ども達や小学生に英語を教えている事の出発点も、考えてみればここにあるような気がします。

 そんなわたしの始まりの事を思い出しました。ボイスブログを英語教室に通ってきているAちゃんが聴いていると聞いたので、子ども達のためのストーリーももっと読んでいこうと思っています。





2007年10月16日(火) 今年のハロウィン



なんだかついこの前ハロウィンの日記書いたような気がするけれど、あれからもう一年。
今年のハロウィンパーティーは4回。
最初は16日の保育園でのハロウィン。今年はお母さんやお父さんが工夫を凝らした衣裳を手作りにして下さっているのが多かった。

子ども達はいつでも可愛いけれど、ハロウィンの時の変装した子ども達はとりわけ可愛い。
でも、Hちゃんはせっかくお父さんがこしらえてくれたお帽子をいやだと言ってどうしても付けてくれなかったの〜。
お父さんががっかりするからせめて写真撮る時だけでもかぶってほしかったんだけど・・・

そのお帽子は先っぽに大きな目玉が付いている、一つ目小僧のお帽子でした^^;
なかなか素敵に作ってあったんですけれどね。

で、あたしは今年は貸してもらったおサルの着ぐるみ。
歌ったり踊ったりしている時は子ども達を乗らせるのに一生懸命で自分がおサルだって事忘れてたんだけど、ママが撮ってくれたビデオを見て・・・

おサルが一匹、すごいテンションで踊ったり、歌ったりしてる〜
思わず自分の年齢を思い浮かべて、はずかしすぎ〜〜


2007年10月15日(月) 秋の赤城山

 この夏一人で登り始めたものの、あまりに暑く、また雷の轟きが不気味だったので途中で下山した赤城山(その時の日記と写真)に今度は友人と三人で。

 山はすでに良い秋色に染まっていた。同じ山でも季節によって全く違う顔をしている。それでいて一度歩いた山は初めての山とは違う親しさがある。
同じ山の繰り返し行く事はほとんどないが、同じ山へ行く事の面白さ、楽しさもまたある事を知った。

 人間と同じように山も会う回数を重ね、年月を重ねる事でより豊かな関係を結ぶことができるのかもしれない。

<覚書>

10時50分 赤城ビジターセンター着
11時30分 黒檜山(くろびさん)登山口
13時   黒檜山山頂(1827.6m)
13時30分 駒ヶ岳へ向かう
14時10分 駒ヶ岳山頂(1685m)
15時10分 赤城ビジターセンター
16時すぎ 富士見温泉・見晴らしの湯

歩行時間 3時間40分 (5・4km)
標高差  登り下りとも 578m  
  





































































































2007年10月12日(金) 葬儀

悲しい中にも清々しさがある葬儀だった。
葬儀の最後に、我が家の長男Hと中学校の時からの友人Kが喪主の母親に代わって、参拝者への挨拶をした。
小さい頃からのKを知っているだけにりっぱな25歳の青年になっているその姿に、まっすぐなその言葉に泣けた。
kは「最後に父に一言言葉を贈らせて下さい」といい、
「○○万歳」と大きな声で父親の名前を呼び両手を上げた。
不意打ちのようなその言葉と彼の仕草。
Kらしい。
父親の生涯に万歳を贈るKを見ていて、この家族はこの悲しみを突き抜けて逞しく歩いていくなと、力強いものを覚えた。


2007年10月11日(木) 休息

 同居人mGは医者の診断書を会社に出し、1ヶ月の病気休暇に入った。
彼の場合、ストレスからくる心の病なので、何より休息が必要なのだ。
思えば、大学を卒業してからこの27年間始めての長期休暇だ。
そうか、彼に限らず、フルタイムワーカーは病気でもしない限りこれほどまとまった休暇は取れないのだ。
でも人間として生きる上である程度まとまった休暇は必要なものじゃないだろうか。
 昨日mGといっしょに聴いた医者の話は納得がいった。

「頂上目指して山に登っている時、へとへとになってもう歩けないほど疲れるでしょう。その時は休むでしょう。少し休むとまた元気が戻り、また歩こうかという気持ちになるでしょう。でも、もう少し先で休も、もう少し先・・・と休まないで登っていくと倒れてしまう。
また休む時はただぼおっとして身体を休めるでしょう。その間に何か有効な事をしようなどとは考えないはずだ。だから何かをしようなどとは考えず、ただただ休んで心身を回復させること」

 なるほど。わたしも山の例で話されればとても良く分かる。
mGが「先生、山に登られるのですか」と聞くと
「今は腰を痛めて登ってないけどね」という返事だった。

 長い人生、歩ききるためにこんな休息も必要。
だいたい日本人は働きすぎる。
国民によっては昼に家に帰り、ゆっくりと昼食をした後、お昼寝までする人達もいる。夏はたっぷり1ヶ月の休暇を過ごす人達もいる。お金は無くとも、毎日海で海産物を取ったり、畑で作物を作ったりしながら自給自足の生活をしている人達もいる。

人間らしい暮らしって何だろう。
少なくともストレスでボロボロになってしまうような仕事の仕方でない事は確かだ。

 豊かになった社会のはずなのに、貧しい時代を生きてきた人達よりも、
ある意味で貧しい暮らしをしているような気がしてしかたない。
長いものに巻かれていては自分さえ守れなくなる。社会の通年や常識に逆らっても人間らしい暮らしを取り戻す覚悟が必要なのではないだろうかと、そんな事を思った。

 さて同居人が気持ちよく、また効果的に休息できるように心がけるとしよう。一番いいのはわたし自身が休暇モードでのんびりする事なんだと思う。
後は身体と心に効く食べ物を用意することかな。


2007年10月10日(水) 人事じゃない

 書く事はしんどいけど、書かなければその事が失われていくからここに記しておこう。

 長男Hの友人K君のお父さんが7日に心筋梗塞で亡くなった。
その昔、その子の家とは子ども達もまた、母親達も親しく行き来があっただけにショックが続いてる。
わたしの日常は普通に過ぎていくのに、
彼らの日常はそうじゃない。
何もかもがひっくりかえる。


働きざかりの大黒柱を失った家族・・・これからどうするんだろう。

人事じゃない・・・

我が家の大黒柱もここのところ激務に奔騰されていて青息吐息の日々。
医者は休まなくてはダメだと言う。
わたしもそう思う。

Hは去年の暮れから一度も家に戻ってきていないのに、K君のお父さんの通夜に出るために明日戻って来るという。

彼は都内で自活しているが、どんな風に生きているんだろうか。
何とか身体や心を痛める事なく働いてほしいと思う。


2007年10月08日(月) 大学祭へ

次男の大学生活も今年が最後。
もう大学祭などというものにも縁がなくなるからこの日は二人して筑波大学に出かけた。

彼とすれ違う友人達とのやり取りから、彼がなかなか良い友人関係を築いている事が伺いしれて嬉しかった。
ずいぶん久し振りに親子で並んで歩く。


























2007年10月07日(日) 甲州高尾山〜棚横手山

4時半起床。5時25分の電車で集合場所の高尾へ。
11名のメンバーで勝沼ぶどう郷駅から甲州高尾・棚横手山へ。

遊山倶楽部は連休中泊りがけで五竜岳に行く予定だったけれど、天候不順のため、日帰りの山行に変更。
というわけでわたしも参加する事ができた。

歩行時間は6時間くらいだっただろうか。
それほど高い山ではないけれど、良く歩いた。
いつものように山頂で宴会、いろんな手料理。冬瓜の煮物なんかもあった!
わたしはバジルのパスタを持参。

花や虫にもたくさん出会った。
こういう山、一人ではなかなか登れない山。貴重な山行だ。



写真は甲州高尾山、
ヒョウモンチョウ、
野生のキキョウ。
この野生にキキョウはなかなか珍しいらしい。
たった一輪だけ凛と咲いていた。




















覚書

高尾 8:01発 勝沼ぶどう郷駅 9:11着 タクシーで大善寺の登山口まで。
9時半頃から歩き始める。

大善寺=柏尾根=甲州高尾山1092m(登頂12時半くらい)=富士見台=棚横手山1306m(登頂2時半くらい)=富士見台=林道〜タクシーでぶどうの丘、天空の湯へ(5時半)=勝沼ぶどう郷駅 7時24分の大月行きで帰路に着く。




2007年10月04日(木) 思い出し綴る日記に夜も更け

 ここのところ、深夜に過去日記を綴ってきたが、ようやく今日の二つで終了。
ミクシーにはフォトアルバムをアップした。

2007年09月25日(火)  城見れば月も顔出し旅の宵

2007年09月24日(月)  草千里さらに遠く烏帽子岳

それにしても草千里の向こうの烏帽子岳と、烏帽子岳から望む杵島岳、今写真で見てもうっとりしてしまう。

今度から大分の帰省は大分空港だけでなく熊本空港も利用する事にしよう。
熊本から阿蘇を経由して実家に帰るのと時間はそれほど変らない。
阿蘇の山は短時間で登れるやさしい山だから寄り道登山にはちょうどいい。

さてさて明日は花の金曜日。そうして3連休だ。
遊山倶楽部からは土曜日の深夜から月曜日にかけての南アルプス五竜山行きの案内をいただいたが、参加は見合わせた。
ここのところあまりにも出歩き過ぎた。
多忙を極めているmGだが、休みが一日でも取れるならいっしょに秋の中に出かけたいと思う。
ストレスには自然が一番良いとわたしは信じて疑わないから。



* ミクシーのメンバーの方はこちらからどうぞ。
ミクシーフォトアルバム


2007年10月03日(水) 秋の旅思い返しいる里の母

 阿蘇行きの写真が届いたと母から電話があった。
写真を送るなど、子ども達が大きくなってからはほとんどなかったから、母は思いの他喜んだ。
 わたし自身、これまで写真を撮る事に昔はとんと関心がなく、写真係はもっぱらmGだったから、わたしが撮る写真を見るのも母としてはほぼ初めての事。
 「景色だけの写真もいいねぇ」「何回見てもあきないよ」「写真、うまいじゃないの」と誉め言葉は続く。親というのはありがたいもんだ。

 写真を撮りまくったのは正解だった。いつもは撮っただけで、プリントもしないのに、珍しく早々と、写真屋さんでプリントしてもらったのも良かった。写真屋さんでプリントしてもらった50枚の写真に加えて、家のプリンターでA4版の大型写真を何枚か印刷した。弟達には静止画と動画をいっしょにDVDに焼いて送る。

 最近、mGが忙しいので、こういう作業も自分でやるようになった。もちろん、最初は教えてもらうのだが、自分でやるんだという気で教えてもらえば、それなりにできるようになるもんだ。何回聞いても覚えられなかったのは本気が足りなかったからだな。
 こういう変化も、一人で山歩きをするようになってから身についたような気がする。それまでは、どこかで、女なんだからできない、女だからできなくて当たり前みたいな言い訳があった。いえいえ今だって、そんな甘やかしはたくさんあるのだが・・・
 ま、50代になっても少しづつは育ってゆくっていう事なのだろう。

 それやこれやで阿蘇行きの日記がまだ終わってない事を思い出し、二つアップ。 

2007年09月23日(日)  阿蘇の旅ススキの原の日暮れ時
2007年09月22日(土)  ふるさとの応接台で秋の宴

最近、タイトルを俳句調にするのがマイブーム。
これって、俳句つくりの練習になるだろうか。今度俳句をやってる友人に聞いてみよう。


2007年10月02日(火) ボイスブログ更新 「大学芋はどっさりと」

 本日、自作エッセイ「父の十二ヶ月」より十月の「大学芋はどっさりと」/ の朗読をアップしました。

 ボイスブログを始めた6月に「父の十二ヶ月」から6月「お茶の間は油絵の匂い」の朗読をアップし、それから毎月アップする予定が7月、8月、9月とできないままでした。9月のものなど録音はしたものの、つっかえたところが気にかかりアップしないでいたら、もう10月になってしまいました。

 今回の朗読も、もっとこうしたい思う箇所はたくさんあるのですが、また後でなんて思っているとこのまま10月も過ぎてしまうので取り合えずアップです。

 「蜘蛛の糸」も再録音しています。


2007年10月01日(月) リストを作って10月をスタート

<ミクシー日記より転写>

今日から10月。しかも今日は週の初め。
はじめが肝心とばかり、朝、まず「やるべきこと」のリストを作成。
もうじき、今日が終わるという今の時間、12項目のうちやれなかったのが衣類の整理と朗読の練習とボイスブログのアップ。衣類の整理はもっとお天気が良い日にしようと延期。朗読もこの後できそう。
さすがリストの効果。トイレや風呂の大掃除や教材作り、珍しく捗った

リストに書かなかったこともやれたりしている。
夏の四国の山行、剣山と石鎚山のフォトアルバムをようやくアップ。
写真のサイズをまとめて小さくするやり方を忘れてしまって、サイズが大きいまま、2枚つづしかアップできないものだから、やたら時間がかかるのがくやしかったけど。

なんとなく写真のアップしているものの、画像ファイルや音声ファイルは根本的な事が分かってないからすごおく要領悪い。
そういう意味ではパソコンすべてに関して、よく分かっていないんだなぁ〜〜
そういう意味ではデジカメもビデオも、mGからお下がりでもらったipodも良く分からないまま使ってるからどこかですっきりしないんだなぁ。ここいらできちんとすっかり使えるようになりたいもんだ。
パソコンのマニュアル本ばかり買っているのにお勉強しないから進歩がないのね〜。
これもリスト作って、ひとつひとつクリアにしていけば何とかなるかな〜。

もひとつリスト以外にした珍しいこと。
何年かぶりかで白玉粉をこねて白玉だんごを作り、冷凍してあったあんこを解凍して善哉にした。
もちろん食べた。たくさん食べてしまった〜〜
こんなの食べる人はわたしだけなんだから作るべきじゃないのに・・・

さて、ともかく、リストの12番目、「今日の日記をアップ」、終了!
ここでmGから今から帰宅との電話あり。
さて居酒屋モードに切り替えてっと。
こんな時間だけど、きっとこれから飲みます^^


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