たりたの日記
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2007年09月28日(金) 夏のなごりのバジルのパスタ


バジルのパスタは夏の終わりの味。
春に種から播いて育てたスィートバジル、今年は保育園の畑の片隅に植えさせてもらったのでかなりの収穫だった。
今日はすっかりバジルの株を抜き、ありったけの葉をオリーブオイルや木の実といっしょにブレンダーにかけ、最後のバジルペーストを作った。
 出来たてのバジルペーストでたくさん茹でたパスタを和え、スパゲティージェノベッティーの出来上がり。今できたパスタを保育園の先生方に持って行ってきたところ。
さてこれからわたしのランチタイム。
今日は何週間ぶりかで一日家の日。
午後は家事と朗読の練習と仕事の準備。

               *  

ここのところダブルで日記書いています。
今日は21日の日記もアップしました。明日、明後日と続けたいところですが。

               *

そうだ、バジルペーストのレシピをここに記しておこう。

 
< 材料 >

バジルの葉  500mlのカップににぎっしり詰め込むほど
松の実    大匙2くらい (胡桃やカーシュナッツでも可)
オリーブオイル 半カップ(125ml)
にんにく   二かけ
塩      小さじ1
おろしたパルメザンチーズ 半カップ(125ml)
バター    大匙3 

< 作り方 >

�.丱拭爾肇繊璽紺奮阿虜猯舛鬟屮譽鵐澄爾砲�ける。
�↓,房蠅妊繊璽困鮑�ぜ込み、チーズが混ざったところでやわらかくしたバターを加える。
�hГ任織僖好燭塙腓┐襦�その時、ゆで汁を大匙2〜3杯、バジルペーストに加える。


これはアメリカ人の友人から教えてもらったレシピで、その中にはRomano pecorino cheese を大匙2杯加えると書かれてあるのですが、このチーズ、そこらのスーパーにはありそうもないので、わたしは入れていません。


2007年09月27日(木) ふたたび日常

昨日25日熊本から戻ってくる。
今回の日記や写真は振り返ってぼつぼつと。
今日のところは20日の日記に雲の写真をアップした。
同じ空だと思うのに、ふるさとでは雲も光もどこか違う。


2007年09月25日(火) 城見れば月も顔出し旅の道


24日の夜は熊本市のホテル泊。
宿泊付き格安往復チケットは大分空港からの朝の便がなく、やむなく熊本空港から25日の朝9時半の便で帰る事にした。

 しかし、これは怪我の功名で、思いがけず久し振りの熊本の夜を楽しんだ。夕方、噂に高い「こむらさき」で熊本ラーメンを食べ、てくてく歩いて熊本城へ。
















暗闇に浮かび上がる熊本城は美しく、夢中でシャッターを切っていると、雲の中から突然月が顕れた!
これはグッド・タイミング!
とばかり、崖によじ登ってカシャリ、またカシャリ。


























熊本は今でも市電が市内の重要な交通機関で、そのせいか、独特な感じがある。そして街の中から熊本城が見え隠れしている。
父が単身赴任で熊本城のすぐ側にある官舎に住んでいたので、子供の頃はよくこの周辺を歩いたのでなつかしい場所でもあった。































2007年09月24日(月) 草千里さらに遠く烏帽子岳



















 2年前の夏、一人で阿蘇の高岳に登り、翌日は母とタクシーで草千里から大観峰を回った。その時の草千里を眺めながら、今にも車から降りて、そこから向こうの杵島山や烏帽子岳に駆け上がりたい気持ちだった。
 阿蘇の持つ風景の独特さ、美しさに愕然とした。愕然としたというのは、わたしのふるさとからこれほど近いところにこの風景を持ちながら、これまでその事を知らなかったという事にだった。いえ、知識としては知っていたはず。小学生の時、修学旅行か何かで訪れもしている。それなのに、その山には出合ってなかった。

 あの時眺めた草千里や阿蘇の山々はこの2年間、ずっと疼きにも近い気持ちで心の中にあった。母に喜寿の祝いをどこでするかと持ちかけた時、母がくじゅうか阿蘇を候補に挙げたのはそんなわたしの気持ちを見透かしての事だったのだろうか。連休中でどこの宿も満員でなかなか取れなかったところ、母が見つけた「かんぽの宿阿蘇」は宮地駅のすぐ側、阿蘇の山々が真近に眺められる所だった。
















 かんぽの宿でも一つ部屋に布団が四枚敷かれた部屋で、夜中の3時過ぎまで話し込んだ。翌日、金沢に住む上の弟は今日の家に戻らなければならないので朝のうちに宮地駅から発った。母は昼頃の電車で戻るというので、三人で草千里まで行き、わたしはそこから杵島山に登り、母は電車の時間まで弟が中岳の火口まで車で連れて行くことになった。

 火山博物館のところから眺める草千里の風景はほんとうに美しかった。広々と広がる草地の奥に静かに水を湛える沼が光り、そのむこうに美しい稜線を見せて烏帽子岳が控えている。この風景の中にずんずん入って行きたくなった。まずはこの目の前に座している、烏帽子岳に近づき、登ってみようと決めた。



 観光客の喧騒から離れて一人草原の中を山に近づいて行く。遠く離れていた烏帽子岳がずんずん近くなっていく。いつの間にか山の懐に入っていた。けれども高い木々もなく、登りつつ振り返れば草千里や向こうの建物、人々の姿も見える。何とも解放的な山なのだった。1時間もかからず山頂に辿りついてしまった。ちょうど山頂で写真を撮っていた時に下から5、6人ほどの若者達のグループが登ってきた。これからハングライダーをしに行くのだと、すぐに駆け下りていったが、お互いに山頂での写真を撮り合う事ができた。





下山し草千里で寝っころがって空を見ていたら、曇り空からぽつぽつ雨が降って来た。予定のバスの時間までに杵島山も往復するつもりでいたが、さっきまで美しい姿を見せていた杵島山に雲がかかっている。雨具も持ってきてはいないので、ここは早いバスで阿蘇駅まで戻っておいた方が良さそうだ。折りよく1時35分発のバスがやってきたので飛び乗る。
 阿蘇発熊本行きの電車は2時47分。2年前に来た時には見当たらなかったが、何と駅の正面に温泉の看板が見える。駅員さんに聞けば30秒のところだというので、それなら電車の時間までに一汗流せる。これはめっけもの。夢の湯というその日帰り温泉は落ち着いた作りのとても寛げる温泉だった。

 少しあわただしくはあったが、登山の後の温泉ほど有り難いものはない。すっかりさっぱりとなって熊本行きの電車に乗り込んだ。

<左の写真は山頂から煙を吐く中岳を写したもの。この頃弟と母はこの山の火口近くにいたことになる。>


2007年09月23日(日) 阿蘇の旅ススキの原の日暮れ時

下の弟の運転する車で阿蘇へ。
そもそも母と弟二人との旅なんていうのは大人になってからは初めての事。
当然、阿蘇へ弟達と行くのも初めて。

弟1「修学旅行でここに来たよね〜」

母「お母さんは昔は何度も引率で来たよ。」

わたし「そういえば一昨年、わたしが一人で高岳に登って、その後お母さんと阿蘇に泊ったよね〜」

弟2 「ぼくは仕事で良く来たよ」

下の弟は良く阿蘇に来るらしく、どこの店の高菜飯がおいしいだの、どこのススキが美しいだの良く知っていた。









この日のコースは緒方の原尻の滝→波野→阿蘇神社→いこいのむら→大観峰→瀬ノ本高原→かんぽの宿阿蘇

大観峰は広い駐車場がぎっしり埋まるほど観光客で溢れていた。
阿蘇五岳がすっかり見える展望の場所までは歩かなくてはならないのでそこまでは行かずに駐車場付近の展望場所で4人でソフトクリームをなめたりする。
「明日、みなと別れた後、あの山のうち、杵島岳か烏帽子岳には登れるだろうか」と考えていた。
<写真は左が根子岳、中央が高岳>
















弟が、阿蘇の山々とくじゅうがどちらも見える場所があるんだと瀬ノ本高原へ車を走らせる。くじゅうに未練があるわたしにとっては思ってもいないところ。車は次第にくじゅうへ近づいて行き、筋湯温泉の近く、瀬ノ本高原になるシェ・タニという素敵なお店に到着した。
何でも弟が仕事で関係した店らしく、その店の方々にご挨拶する。
気持ちの良い景色を眺めながらおいしいお菓子とコーヒーをいただく。お土産にいただいたバームクーヘンは全品。こんなおいしいバームクーヘンは食べた事ない!と思うほどだった。
店の建物はイギリスのカントリー風。イギリスから取り寄せたという煉瓦は優しく暖かい色合いだった。この店の敷地の茂みの中に与謝野晶子と与謝野鉄幹の歌が背中合わせに彫られている珍しい詩碑があるのもまたみっけものという感じだった。わたしは今流行のぜいたくな「おとりよせ」なんかはしないけれど、このバームクーヘンは特別の時におとりよせしたいと思った。贈り物にもいいだろう。


























帰り道、ススキが美しい野原で車を止める。ススキもこれだけ広がっていると圧倒される。ススキは夕方の日の光を浴びて銀色に光っていた。














2007年09月22日(土) ふるさとの応接台で秋の宴

 先にも書いたが、今回の九州行きは9月23日に77歳を迎える母の喜寿の誕生日を、兄弟三人で里帰りして祝おうとしてのものだった。
 今まで、父母の祝い事にはお金を出し合って旅行券をあげたり、それぞれがプレゼントを贈ったり、また出向いたりという事はあっても、三人揃って祝いに駆けつけるというような事はないままに過ぎた。それぞれの家庭や仕事を切り回すのが精一杯だったのだ。
 
 この日は早朝、父のいる施設へ朝食の介助に出向き、午後からは家の掃除と夜の食事の準備をしながら弟達が帰ってくるのを待っていた。
 夕方、金沢に住む上の弟が、熊本に住む弟は夜の10時過ぎに到着する。母といっしょに用意した料理を応接台に並べてまわりに座ればと、子どもの頃の祝い事が思い出された。
 正月、誕生日会、お客が来た時、そして家族会議、あの当時に使っていた応接台ではないけれど、その黒光りする思いこの家具には特別の感慨がある。

 3年前までほどんどアルコールがだめだったわたしは、弟達と酒盛りをするのは初めての事だった。
 久し振りに三人で顔を合わせたからか、はたまた酒のせいか、話は尽きない。あの時の事、この時の事と話すうちに夜も更け、明日は阿蘇へ家族旅行をする事になっている事を思い出しあわてて寝たが、時計は午前2時半を過ぎていた。
 秋も終わりだというのに、開け放した縁側からは涼しい風と虫の音が心地良かった。
 


2007年09月21日(金) 遠い日の痛み映して彼岸花



遠い日の痛み映して彼岸花

久々のふるさと。
彼岸花の咲く時期にここに居た事がないので川に沿って咲いている彼岸花にはっとしたのでした。


 21日、携帯からこの写真といっしょに送ったミクシー日記はこんな風だった。
 ふるさとというのは子どもの頃の思い出がどこにも張り付いていて、遠くで暮らす日常では忘れているそれらが様々なシーンで蘇ってくる。誰でもそうだろうけれど、子どもの頃や青春時代の記憶はどこかに痛さを含んでいる。何かはっきりした事件や原因は思い出せないまでも漠然とした痛みや哀しみや不安がその風景とともに残ってしまったかのようだ。彼岸花を目にした瞬間に何かしら横切った痛みのようなもの―

 旅に出る前の日に、友人の詩人Kさんが私家版の詩集「記憶祭」をお送り下さり、わたしはその詩集を旅のバッグに入れ読み味わっていた。Kさんが同世代であるからか、kさんの子ども時代の記憶が綴られている詩はそのままわたしの子ども時代の気分に流れ込んでくるのだった。
 いつの日かKさんのように記憶の痛みを詩にして解き放ちたいと思った。















けれど、ふるさとは思い出ばかりじゃない。去年あたりからふるさとでの出会い直しや、ふるさとに住む見知らぬ方達との新たな出会いが始まっている。
 この日、母の手伝い(山のような栗の渋皮をむきそれを甘く煮る)を済ませ、父の昼食の介助に施設を訪ねた後、夕方の5時過ぎに、高校の時の同級生のレイちゃんとヒサヒロくんに会った。またその足でレイちゃんの車で大学時代の先輩アダチさんの勤める職場へ行き、短い時間だったが歓談する機会を得た。
 この5月、レイちゃんとはミクシーのコミュ、「大分の山が好き」のくじゅう三平さんらといっしょに久住山に登っているし、ヒサヒロくんには別府で断食道場を案内してもらった。アダチさんとは去年の12月に鶴見岳をごいっしょしている。山やホームページ、ミクシーといった新しい場所での出会いが少しづつ広がり豊かになっているような気がして嬉しかった。
 この冬帰省する時には年忘れ登山でいっしょに由布山にでも登ろうと話して分かれた事だった。

 写真は父のいる老健施設へ行く途中の風景。むこうに見える山は佩楯山(はいだて山)。子どもの頃から朝に夕に眺めて暮らした山だ。




2007年09月20日(木) ふるさとの雲

羽田から大分空港に着く間、ずっと雲を見ていた。
秋に飛行機に乗る事がなかったから、この雲の美しさ、空の美しさに圧倒されていた。

今回の寄り道は別府の鉄輪温泉。
別府駅からバスに乗り、海地獄で下車。鬼石の湯へ。
木々にぐるりと囲まれた静かな温泉。二階の展望露天風呂からは木々をすかして鶴見山(おそらく)が見える。

写真は「鬼石の湯」の手前で撮ったもの。雲が凄いと思った。向こうに見えるのはおそらく鶴見山。



































2007年09月19日(水) 明日から九州なので

 大分で一人暮らしをしている母が9月23日に77歳、喜寿を迎えるというので、金沢と熊本でそれぞれ暮らしている弟達にも声をかけ、親子四人で阿蘇に泊りお祝いをするという事になった。
 施設にいる父を見舞ったり、実家の掃除や庭周りの事などもやりたいので、仕事をやりくりして明日、20日からでかけ、25日の朝の便で戻ってくる事にした。

 今回はそれほど長く家を空ける訳ではないのだが、夏休みでも冬休みでもないからか、何か心が旅のモードに切り替わらない。明日出かけるという気がしなくて、準備や何かがあるはずなのにぼんやりしている。 
 今だって、仕事にでかける前の時間、いくらでもやる事があるというのに、何かをさがすような気持ちでここを開いている。そうしていながらどこか落ち着かない。

 果たして家を空けることが不安なのか・・・。そうともばかりは言えない。夏が終わり、秋の風が吹く頃に決まって起るメランコリックな気分のせいもある。その他には同居人の仕事が常識を超えて大変なのに、家を離れることが気にかかる。息子たちも夏の間も顔を見せないままだったから気にかかる。そういえば、去年も9月から10月にかけてわたしは息子達を訪ねている。この季節というのは家族やご無沙汰している人達の事が気にかかる時であるのかもしれない。

 それならば、母にしてもこの秋のうすら寂しさは同じ事だろう。けれども、秋の敬老の日や自分の誕生日に息子や娘が帰って来ることはない。この秋はめったにない事をしようとしているのだが、こういうあたりまえのことすら今までできなかったし、これからだってなかなか難しいという事が、どこかで心を重くしているとも言える。

 日曜日に88歳になる母の姉を世田谷に訪ね、すっかり元気がなくなった伯父の姿に驚いた。わたし達の親の事、伯父や伯母達の事・・・今の自分の生活の目まぐるしさの向こうで、人生の最後の部分を生きている人達がいる。
 何をすればいいだろう。何ができるだろう・・・

 さて仕事にでかけなければ、まずは今日一日の事を考えるのでなければ。


2007年09月17日(月) この週末 伯母を訪ねる〜エムズステージ〜長谷川氏朗読会

 この週末のひとつひとつの事を書こうとして、
書くべきこともあって、このページを残しておいたものの時間が見つかりそうにない。
取り合えず、忘れてしまわないうちにミクシーの日記を貼り付けておくことにしよう。 
 
(ミクシー日記より)

 昨夜は日記書きそびれてしまったけれど、昨夜はエムズのステージ、あゆみの箱のオータム・ステージを観に行った。

 今回はステージの上ではなくてmGともども客席の人。
でもステージの上での興奮や高揚を知っているので、客席でふつふつと漲るものを感じている。エネルギーがこちらに届く。
 いいな、みんないい顔してるな、いい動きしてるなぁ〜と思う。ステージの上で踊る楽しさもあるけれど、こうして観てエネルギーをもらうという喜びもまた捨てがたい。
 みんな凄い!ばっちり合ってる!やっぱ、この速い動きはあたしは無理だったな・・・
 もらった元気を明日からの生活に生かすべし。


 昨日は早朝より教会学校→礼拝で聖書朗読→世田谷の伯母のところへお祝いを届けに行き、5時50分の開演にぎりぎりセーフだった。一番最初の演目、ヨサラテに間に合って良かった。



ついでに今日の事も。朗読講座の講師、長谷川勝彦さんの朗読会へ。坂口安吾の「紫大納言」と「続堕落論」
すばらしい朗読だった。
というか、坂口安吾をここまで読める人が他にいるだろうか。
「続堕落論」安吾そのものがしゃべっているようだったし、
「紫大納言」はその話の世界が目の前に浮かんできた。
朗読の世界の奥深い事。 


2007年09月14日(金) 今日の金曜日は家事と朗読の練習

 金曜日は仕事のないオフ日。
どう過ごすかいろいろ選択できそうだが、たいていの金曜日は前半が家事で午後は「課題」をこなす事になる。

 ゆっくり掃除をして部屋が整い、隅々の埃もなくなると、外で出るよりは家に居た方が充実して何かができるような気もちになり、結果、家の外には一歩も出ないという金曜日が案外多い。
そうでなければ前日からしっかり計画し、家事や課題には目をつむって早朝から出かけるかだ。

 今日は午前中掃除や雑用などをやっつけ、午後から教会学校の話の準備と朗読の練習をした。明日の長谷川勝彦氏の朗読講座では川端康成の「雪国」の冒頭の部分が課題になっているが、その前に、16日の礼拝の中で朗読する事になっている聖書の箇所を読んだ。
 旧約聖書と書簡と福音書をそれぞれ練習した後、ルカによる福音書15章は録音に入った。10回目でようやくアップできるかなと思える朗読ができた。まだまだ欠陥が見えるが取り合えず記録としてボイスブログにアップする。




2007年09月12日(水) マンハッタンの片隅で

 友人のJから思いがけないメールが届いた。
Jによれば、アメリカに出かけたJの息子のRくんがマンハッタンの片隅を歩いていると、向こうから我が家の長男Hが歩いて来たのだという。
 Hは仕事(と、本人からは聞いているが)で1週間ほど前にニューヨークに出かけたばかり。RくんもHも東京で暮らしているが、何年も顔を合わせていなかったというのにたまたま出かけた遠い国の片隅で、まったく偶然にそのバッタリと会うなんて・・・

 RくんとHとはアメリカに住んでいた頃、同じ現地の小学校に通っていた幼馴染。Hは小5の時帰国し、Rくんは高校までNYで過ごし、帰国後、Hが通っていた上智の比較文化部に入学してきて再会となり、共通友人もできた。
 市ヶ谷にあるそのキャンパスは日本にありながら、彼らが幼い日を過ごしたアメリカの学校のようだった。いろいろな国の学生がいて、Hはようやくふるさとを取り戻したように見えた。

 RくんもHもタイプは違うが平均的な20代の若者から比べるとかなり変っている。二人ともいわゆる「人並み」に興味がない。なにか心の底にふつふつとした夢を抱えていて、何とかそれを形にしたいと目を凝らしているという点では二人は似ているのかもしれない。何かを探しているというところも。

 そんな一人乗りの舟に乗って海原に漕ぎ出す彼らが、広い海のどこかでバッタリ出会い、「やぁ!」と相手を確認し、そしてまたそれぞれの方向に漕ぎ出してゆく・・・
そんな絵が浮かんできて、何か胸が熱くなった。

行きなさい、それぞれの若者達。
あなた達がバッタリ出遭ったというのは、きっと神様のちょっとしたいたずら。
先は見えなくても、その歩みを見守る目が在るという事。
彼らがそう感じたかどうかは分からないが、
少なくとも、時々心配になる母にはその事がひとつのしるしのようでうれしかったのだ。


2007年09月11日(火) 夏目漱石著「夢十夜」より「第六夜」を読む

 夏目漱石 「夢十夜」より「第六夜」を読む
                          
この話は、鎌倉時代の運慶が、明治の時代に、野次馬に取り囲まれながら仁王像を彫っているという、いかにも夢らしく、江戸の小話や落語のような親しみ深さとユーモアのある作品で、「坊ちゃん」に現れている漱石の快活な側面を見る思いがする。
しかし一方では、この話の中に漱石の芸術に対する葛藤や不安もまた垣間見る。

まずは運慶の仕事を見ながら下馬評をやっている人達への視線。運慶の仕事を評価する言葉がいくつか出てくるが、その人達のピントはずれな評、また無教養な評に対する冷ややかさや落胆が見て取れる。ここには漱石の自分の文学作品に寄せられる、一般大衆の好き勝手な評論への思いが反映されているのではないだろうか。
ところが、その見物人の中で、一人の若い男が評する言葉「流石に運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我とあるのみと云う態度だ。天晴れだ。」に、自分は面白いと好意を持つ。この若い男の言葉には、芸術家に対する漱石の理想が込められているように思う。つまり世間の評判などに心を動かされる事なく、一心に自分の作品に向かい合うという態度。ひょっとすると漱石は、文壇や世間での自分への評価を気にする自分とそうした自分への自己嫌悪のようなものがあったのかもしれない。
さらに若い男の「なに、あれは眉(まみえ)や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出す迄だ。丸で土の中から石を掘り出す様なものだから決して間違ふ筈はない」という言葉。これは、この話の中で要となる言葉だと思うが、このような表現は前にもいくつかの場面で聞いた事がある。例えば、仏師が仏像を彫る時にはその木の中にすでに仏があって、ただその周りにあるいらないところを削っていけばおのずと仏が現れるといった話や、またミケランジェロが彫刻の題材をどうやって決めるかをたずねられた際、「考えたこともない。素材が命じるままに彫るだけだ」と答えた事など、他にもそんな事を語っていた彫刻家や芸術家がいたように思う。そして、わたし自身、人間技とは思えないような完成された造形や彫刻を見て、そうに違いないと思わず納得した事だった。
 ところで、この宗教的とも神秘的とも取れる芸術観について漱石はどのように考えていたのだろうか。この話の中で自分は<果たしてそうなら誰にでも出来る事だと思ひ出し>、片っ端から薪を彫って見たが、仁王を蔵している薪はなく、<遂に明治の木には到底仁王は埋まっていないものだと悟った>という結論に及ぶ。
ここに漱石の明治という時代への批判とその中で芸術活動をしてゆく上での困難さを見るような気がする。まず、運慶が評価などを気にせずに一心に作品のみに集中する事ができるような土壌、また自分の力を超えたところにある潜在意識が思いもかけないような作品を生み出すというような素朴さが明治という時代にあってはすでになく、そうかと言って、神と対峙した欧米の文学に見られる哲学的、宗教的な深さを秘めたもの、人間の本質に迫り、真理へ到るような普遍性を持つ文学作品は書かれていない。ヨーロッパで日本には存在しないような芸術に接してきた漱石は、明治の日本にあせりや苛立ちのようなものがあったのではないだろうか。
確かに運慶の彫刻はヨーロッパのバロック、ルネッサンスの彫刻に先んじておりながらすでにそれを超えるようなダイナミックな動きと迫力を持つ、普遍性を備えた芸術作品だ。それに引き換え、明治の文学が新しい流れの中で西洋の思想や芸術に翻弄され、独自の道を見失っていると感じていたのではないだろうか。
 漱石の時代をリードする芸術家としての産みの苦しみを垣間見たような気がする。

                2007年9月7日


*正津勉文学ゼミ、9月は二回に渡って夏目漱石の「夢十夜」を学ぶ。
この文章は9月10日の読書会の予習として書いたもの。ミクシーのブックレビューに載せる。


2007年09月10日(月) ぶどう郷へ―青春18きっぷの最終日


青春18きっぷが10日までだったので、勝沼ぶどう郷の散策に出かけた。
夏が始まったばかりの時、長い(?)夏を思い浮かべて、即買ったものの、3日分使ったところで、2日分を使わないまま秋になってしまった。

幸い、遊山倶楽部から山のお誘いがあり、9日に笹子駅から大沢山(えらく渋く、ものすごく大変な山だった)に行くというので、この日に使える。とすれば、残りは最終日の10日、一日のみ。






みすみす捨てるのは忍びない。昨日は文学ゼミの日だけれど、ゼミの勉強を電車の中ですればいいんだ、家でやるはずの事を電車という勉強には一番集中できる空間でやれば良いとばかり出かける事にした。
時間的に山は無理だけど、ハイキングならできるし、温泉もあれば、りっぱな旅だ。










という事で前日、笹子に行ったというのに、翌日も同じ中央線でさらに先に勝沼ぶどう郷へ。
ここへは何回か来ているが、まだぶどう畑の散策はした事がなかった。ぶどうの実を見るのは好きだし、ここにあるぶどうの丘の温泉はとても良い。

観光客がほとんどいない月曜日。静かな農園の中、ぶどうの甘い匂いに包まれて歩くのはなかなか気持ちが良かった。
ぶどうの丘に入る道を間違えたために、3時間、汗だくで歩く事になったが、お陰で温泉は気分が良かった。ぶどうもたくさん食べた。今回はワインテイスティングは止めておいたけれど、電車に乗る前に、駅でカップワインを買って、電車を待ちながら、向こうの山々を眺めながら飲んだ。
おいしかった。
電車の中で続きの読み込みをし、そのままゼミへ。
という何となく特をしたような一日。

青春18きっぷの夏がこれで終了。
この日、電車の中でも、温泉でも、最後の日に駆け込み旅行をする青春18組を何人か見かけた。わたしのようにザックを担いで一人旅している同世代らしい女性も18きっぷの駆け込みの旅だった。

(ミクシー日記より)


2007年09月09日(日) 笹子から大沢山へ

遊山倶楽部から下記のような案内をいただく。


次回、山行(9月9日)のお知らせです。
山梨県の大沢山まで行きます。人のあまり、入らない、静かな山です。

電車: 新宿6:20発、高尾7:22着、7:26発。笹子8:30着。
笹子駅 → (0:30) → 奥野稲村神社→ (2:25) → 大沢山 → (1:40) → 摺針峠 → (1:30) → 三ツ星
バス: 三ツ星 → (0:30) → 石和温泉駅入り口(駅まで徒歩10分)石和温泉駅

日が短くなりましたので、ヘッドランプを忘れずに(電池のチェックもよろしく)。



二ヶ月振りの遊山倶楽部での山行。
この日曜日は、何も役割が入っていないから礼拝をお休みして参加したいところ。
ところが、わたしの最寄駅の始発は5時45分。これだと笹子着は9時。みんなより30分遅れて歩き出す事になる。しかし考えようによっては、単独登山の緊張もみんなと合流するまでは味わう事ができる。これは良いトレーニングかもしれない。
百名山なんかであれば、人も多いし、標識がしっかりあって、登山口を見つける苦労はないが、2万5千分の一の地図にも登山道が記されていないような山は、登山口にたどり着くまでがまず冒険だ。
という訳で、このような時間で行く事にした。

伊奈中央05:45〜06:07
大宮 06:14〜06:46 7駅 JR埼京線快速 1,890円
新宿 06:58〜07:59 20駅 JR中央線
高尾 08:01〜08:58 9駅 JR中央本線・甲府行
笹子 8時58分着


ところが前日睡眠薬を飲んで寝たため、目覚まし時計をセットした4時半に遅れること1時間。目を覚ましたのは5時半!もうダメだ!と思ったが、
何とか↓の路線で予定していた高尾発8時1分に乗れた!


伊奈中央 06:05〜06:27
大宮 06:33〜06:45 4駅 JR京浜東北・根岸線・大船行 1,890円
南浦和 06:52〜07:20 7駅 JR武蔵野線・府中本町行
西国分寺 07:32〜07:59 6駅 JR中央線
高尾 08:01〜08:58 9駅 JR中央本線・甲府行   
笹子 8時58分着


その後、笹子駅から歩き始める。登山口のある奥野稲村神社までは30分ほどの道のり。何度も地図とコンパスとネットで見つけたどなたかの登山記録の写真で道を確かめながら一人でてくてく歩く。奥野稲村神社に到着して喜んだものの、肝心の登山口が見つからない。神社の前の道を行きつ戻りつしながら、時間がさらに遅れていくので気が気ではない。ふと気がついて携帯を見ると、リーダーのDさんがメールで登山口を教えてくれていた。なんだ、早く気がつけば良かった。

ようやく境内の右奥に登山口の標識を発見。
後は、木で道が塞がれていたり、あまり踏み後もないようなワイルドで急山道をわしわしと凄い速さで登り、10時半頃だっただろうか、みんなに追いつく事ができた。

木々の合間に人影を見つけた時の嬉しかったこと!
「ヤッホー!」
「おおい、早かったね〜、ゆっくり上がっておいで〜」

この渋い山も、こういう訳で、忘れることのできない山になった。

いつもの宴会、たくさんのおいしいもの。わたしはクスクスのマリネと愛媛のじゃこ天飯を持参。
しかし、両足の腿が激しく吊る。立っても座っても痛い!こういうのは初めての事。みんなに追いつこうと一気に駆け上がったのがいけなかったのだろう。この日ばかりはアルコールには手をつけなかった。地図の等高線を見る限り、帰りの道もけっこう大変そうだし・・・

帰りは摺針峠の方へは行かずに、ショートカットを取るも、これが何ともワイルドで急な下りだった。こけつまろびつしながらも汗びっしょりで、水切れとなり苦労しただけに、帰りの温泉(石和温泉駅そばのかんぽの湯)は事の外、気持ちの良いお湯だった。
やっとビールにありつける。
不安や頑張り度が大きいほどまた喜びや達成感も大きいというのが山のおもしろいところ。出遅れ登山も悪くない。

*さすがに、カメラを取り出す気持ちのゆとりはなく、写した写真は下山してバスを待つ間に撮った写真が1枚のみ。


2007年09月07日(金) 篭りっきり

篭りっきりと書いたが、台風にためという訳ではなかった。
むしろ台風は去っており、午後には雨もすっかり止んでいた。
牧師から「深い河」の映画と韓国料理の会へのお誘いを受けていたが、抱えている課題の事が気にかかる。
四国の旅のまとめや今月末の九州行きの計画や連絡。文学ゼミのテキスト、朗読の勉強、英語教室の準備と保護者へのお便り・・・
篭って課題をやっつける事に決める。
一日、ダイニングのテーブルで過ごす。気になっていた課題はずいぶん片付いた。夏目漱石「夢十夜」の感想、第六夜の分だけだが、書き上げる事ができて良かった。
たまにはこういうじっくり、どっぷりひとつの事に集中する時間が必要。


2007年09月06日(木) 台風

前日は一日凄い雨。
仕事に出かけたが、駅から職場までの間にズボンがびっしょり濡れてしまうほどの雨。

ヤン先生がジーンズを貸して下さり助かった。
幸い、夕方には雨も止んでいた。


6日は台風直撃という事だったが、朝にはまだ降り始めていなかったからジム行き決行!
雨合羽やザックを包むビニール袋を用意していざ出発。
ヨガとラテンの二本だけやって、雨がやって来る前に急ぎ退散。
途中、雨が降り出すものの、まだ小雨。雨具もつけないまま突っ走って帰宅。

4時から7時まで英語教室のクラスが三つ。
雨は夜から激しくなり、朝には去っていった。


2007年09月05日(水) 四国旅日記終了

気がつけば、日記の日付が1週間空いてしまった。
カレンダーは9月、もう秋だ。

旅が終わるや、新学期の仕事の準備や8月31日が締め切りの「おおの路」(ふるさとの文芸誌)の原稿書きが待っていた。その合間を縫って、四国日記を少しづつ埋めて来た。22日から27日の日記がようやく繋がった。これでやっと旅が終わる。パソコンの周りに積まれている旅ノートや地図、パンフレットなどを片付ける事ができるというもの。

初めての四国がすっかり馴染みの場所になってしまった。
何度となく地図を開き、JRやバスの時間を確かめ、ガイドブックやパンフレットを眺めた。
ゼミでも朗読講座でも今回テキストに取り上げられている夏目漱石の名残の残る土地を歩く事ができてよかった。
今回は眺めるだけだった道後温泉、今度は寒い時期にこころ訪れ、「坊ちゃん」や「千と千尋の物語」を思い浮かべながら、その熱いお湯に身を浸した愛ものだ。急ぎ足で回った正岡子規記念館も今度はゆっくり、じっくりと。
砥部焼きの窯元もうどん巡りもこの次のお楽しみ。






















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