たりたの日記
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2007年08月28日(火) 旅を終えて

旅の荷を解く。
まずは洗濯だな。
そうするうちにさらに宅急便で送ったダンボールが届く。
箱を開けるとさらに散らかるから、少しづつ・・・

いったいどんな写真やビデオが撮れているのだろうと写真を見はじめると止まらない。
旅の写真を眺めながら忘れないうちにパソコンに入れておかなければ・・・
ミクシー日記に3枚だけ写真をアップ。

旅のお礼やメール、留守の間のメールのチェック。
眉山で出会った同じ一人旅中のKさんや、剣山行きの電車とバスでいっしょになった年配の姉妹、土柱温泉から高速バス乗り場まで車で連れていってくれた温泉のおかみさんにも葉書を書きたいが、こちらは心がゆっくりと落ち着いてから。
そうするうちに実家の母から電話。
パソコンで宿探し。来月末には大分で母の喜寿のお祝会。

留守の間に放っておいた植物の手入れもあるけれど、
今日は水やりが精一杯。
空っぽの冷蔵庫のための買い物は明日だな。
今日のところはあり合わせの材料でこしらえた肴で松山からのお酒。
と、旅の後。
今日から午後は仕事なので、写真入りの日記はまだ後になりそう。

それでも、今日のうちにアップしたいのは26日の礼拝説教。教会のサイトから音声で聴く事ができるようになってるのはうれしい。

8月226日の日記をお訪ね下さい。


<ミクシー日記より>

昨夜、四国の旅から戻ってきました。

山はスリルとアドベンチャーに満ち、
友人達とは豊かな満ち満ちた時間を過ごし、
教会での説教は胸に迫り、涙・・・
なつかしい人達との再会はなつかしく、また感慨深く、
思いがけない方との再会というハプニングもあり、
遠かった四国がとても身近な、またすぐにでも行きたいような、そんな場所になってしまいました。
そうそう、徳島では阿波踊りも観て、また踊りました。
忘れないうちにここにメモ、メモ。

22日 徳島空港〜JRで日和佐〜自転車で薬王寺〜大浜海岸〜徳島に戻りロープウェイで眉山〜阿波踊り会館、ここで阿波踊りを踊る。
23日 徳島駅〜JRで吹穴〜バスで見ノ越〜剣山登山〜JRが事故で普通となり急遽タクシーで土柱温泉〜高速バスで愛媛県東温市へ
24日 道後温泉〜正岡子規記念館〜松山市のあちらこちら
25日 石鎚山登山、厳しいクサリ場の凄い山だった。
26日 松山番町教会礼拝〜松山山越教会でのバーベキュー。
27日 羽田〜早稲田( 正津勉文学ゼミ)

詳しくは追々、HPの日記に。


2007年08月26日(日) 松山番町教会の礼拝に出席

 四国での最後の日は日曜日。
松山にいる間は幼馴染のSの家に泊っていたので、この日はSとSのご主人、そして高校3年生の息子さんといっしょに、彼女達が通っている日本キリスト教団松山番町教会の礼拝に出席した。

 教会学校、礼拝、聖歌隊の練習、牧師と映画を観る会(「武士の一分」だった)とフルコースで仲間に入れていただき、わたしは自分の教会に居る以上にリラックスし、楽しい時を過ごした。牧師夫人から、とってもおいしい「ハワイアンもち」という名のケーキのレシピもいただく事ができたし、聖歌隊の練習は本格的で勉強になった。まさか教会でキムタク主演の映画を観るとは思わなかったが、この映画、藤沢周平の原作で、とてもいい映画だった。

 しかし、極めつけは小島 誠志 牧師による説教、「生きる ― 目を覚ましていること」だった。

聴きたかった言葉が直球で迫ってくるので、わたしは聞き逃してはならないと物凄い勢いでノートにペンを走らせていた。
どこかでこの時を待っていた・・・そういう気持ちにすらなった。
初めて聴いた言葉というのではなく、ずっとわたしの内で鳴り響いてきた言葉が、外から入ってきてひとつの力になったような、そんな気持ち。
手を差し出して、けれども欲しいものがなかなか載せられず、あるいは指の間からこぼれていったものが、今はきちんと手の上に載せられたような感覚。
乾いていた喉においしい水をいただいたような、深く染み渡る言葉の水だった。
わたしに必要な、そして用意されていた出会いだと思った。

( ここで聴く事ができます。番町教会のサイトからのリンクです


 またこの日は午後からも教会の活動に加わり、近隣教会でのBQに参加したが、なつかしい方々との再会は思いがけなかっただけに大きな収穫だった。この事はまた後にゆっくりと書きたい。



 
マルコによる福音書 / 13章 32節 〜37節  < 目を覚ましていなさい >

「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」


2007年08月25日(土) 石鎚山、クサリをよじ登り




 8月25日、四国の旅の4日目、石鎚山に登る。幼馴染のSもいっしょに登ってくれるというので、土小屋→二ノ鎖小屋→石鎚山(弥山)→天狗岳というコースを取ることにした。
 朝7時にSの運転で東温の家を出て、Sの友人のMさんを拾って土小屋へ。ちょうど剣山に登った時のように、車はずんずん深い山の中に入っていく。9時半土小屋に到着。かなり広い駐車場はすでに車で埋められている。天気は文句なしの快晴。

 レイジンソウ、クガイソウ、オオマルバテンニンソウ、様々な高山植物を眺めながら、また周囲の山々や目指す石鎚山を眺めながら、比較的ゆったりとした気持ちのよい山道を歩く。二ノ鎖小屋までは、ハイキングコースと言ってもよいほどの楽な道。小さな子ども連れの家族も目につく。土曜日とあって、ずいぶんたくさんの登山客が前に後ろに歩いている。
 白装束で、肩にほら貝をかついだ人もいる。石鎚山は、日本百名山の一つだが、山岳信仰(修験道)の山として知られ、日本七霊山のひとつとされる霊峰だという、ガイドブックの記事を思い出した。

 そして期待の鎖場。二の鎖小屋のすぐ上に太い鎖がある。これが、誰もいない日であれば、また霧でもかかっているのであれば、足がすくんでしまう事だろうが、すでに何人もの人が登っている。みんなで登れば怖くない!集団心理が働き、鎖場など経験した事のないわたし達だったが、この鎖はともかくチャレンジしようと登る事にした。
 しかし登り始めてみるとなかなかスリルがある。足をどこにかければ良いものか・・・わずかな岩のくぼみ、それが見つからない時は鎖の穴の中に靴の先を引っ掛けながら緊張して登っていく。何とか65mの二のクサリ場はクリア。やったね!と喜び合う。

 さて、頂上に到るには三の鎖、これを登るか、あるいは脇にある迂回路で登るか―。三の鎖は登らずに迂回路を行く人の方が多いようだが、目の前の鎖には白装束の人達がわしわしと登っている。わたしも登れそうな気がしてくる。
 SとMさんは迂回路を歩くというので、わたしだけ、三の鎖を登る事にした。人がいるのは心強いが、こういう鎖場を数珠繋ぎに登ってゆくのは何とも不安だ。先に登っている人達がすっかり上に上がってしまうまで待ってからやおら登り始める。
 三のクサリ場は、二のクサリ場よりも斜面が急だ。というより、ほとんど直角。足をかける場所はさらに見つけにくい。この高い岩の壁に、この鎖だけを頼りに一人しがみ付いている自分。何とも心細く、恐怖心が襲って来て、意識が遠ざかっていくような気にすらなる。
 「だめだめ、気をしっかり持って。集中すること、自分に信頼すること」と言い聞かせながら、「主の祈り」を唱えなつつわしわしと登る。
 「もしここで落ちる事があったとしてもそれは神が定めた事、神がわたしを生かすおつもりならわたしは落ちる事はない―」
 これくらいの鎖でおおげさだと笑われそうだが、自分の命を大きなところに預けて信頼する気持ちが起ってくると、恐怖は去り、最後の鎖を楽しむ事ができた。68mの三のクサリ場を登り切った後、そこに今までとは違うわたしが現れたような気になった。

 頂上に着くと二人はもう登り着いていた。迂回路は眺めも良く、良い登山道だったそうだ。帰りは鎖は使わずにこちらをいっしょに歩こう。
 
 さて、石鎚山山頂に無事たどり着いたが、この山、弥山(みせん)は標高1,974m。そして、そこから先に見えている切り立った天狗岳は標高1,982mで、正確には、こちらが西日本の最高峰という事になる。お握りの昼食もそこそこに、ザックをデポジットし、夫から借りてきた一眼レフのごっつカメラだけ持って、ふたたび挑戦モード。
 クサリ場も怖い。けれど、何も掴むもののない、岩の上を歩いて向こう側へ行くのも怖い。うっかり足を滑らせれば命はない・・・。
 Kさんはまん中まで来たところで、先に進むことを断念。わたしとS二人
で、何とか天狗岳へ。頂上は一人か二人しか立てないような狭い場所なので、Sと交代で頂上の岩に上がり、お互いに記念の写真を摂り合う。
足を滑らせる事はなかったものの、岩にカメラが当たり、レンズのキャップがはずれ、ころころと谷に転がっていってしまった。

 さて、下山。「帰りは迂回路を歩こうね。もう怖い思いをする事はないからのんびり歩こうね」と話ながら、三のクサリ場の迂回路を歩いた。ところがどういうわけか、二のクサリの迂回路を見逃し、二の鎖の入り口まで来てしまった。ここに降りるまでに、すでに小さな鎖も越している。迂回路に戻るとすれば、その細い鎖をまた登り、道を探さなければならない。わたし達の前を行く、男性数名のパーティーも、思わず、鎖場に出てしまったようで、二人は鎖で降り、後の三人は引き返したようだった。
 折りしも雨、ここでぐずぐずしていては雨の中を下山しなくてはならなくなる。二の鎖は三人とも登ることができたのだから降りるのは簡単に違いないと二人を促して、三度目の鎖場。正直、登りよりも大変だったが、途中から身体を岩から離し、足を岩に垂直に持って行けば良い事が分かった。身体の力を抜くとずいぶん楽に降りることができる。三人で、声を掛け合って、難関を何とかクリア。無事二の鎖小屋に到着。
 わたし達にすれば、今までに経験した事のないような大冒険を果たして、何とも清々しい気持ちで帰路に着いた。
 あの鎖の場面を思い返せば、ひやりとするが、同時に「あそこを登れたのだから」と勇気のようなものも湧いてくるのである。










2007年08月24日(金) ハプニングの末、徳島から愛媛へ

 23日、目的の剣山行きを果たし、予定通り、見ノ越発14時15分のバスに乗り込む。このバスにまた2時間25分ほど揺られ、山から平地へ。
ここまでは計画書通り。ところが16時41分に穴吹駅に着いてみると、事故のため高徳線の下りが動かず、見通しも立たないとの事。
 いっしょにバスで降りてきた大阪からのおじさんは、今日のうちに岡山まで行かなければならないからどうにかしろと駅員に食ってかかっている。駅は足止めを喰らった人達で溢れているが、土地の人は文句を言うでもなく、電車が動き出すのを待つ覚悟のようだ。

 計画では17時12分のJRで辻駅まで行き、そこから高速バスの乗り場になっている吉野川ハイウェイオアシスにタクシーで行き、そこにあるらしい美濃田の湯で最終の高速バスに乗るまでのんびりするという優雅なプラン。あれこれ調べて、やっと見つけた良い方法だった。まさか、こんなハプニングが起って、目と鼻の先の駅まで辿り着く事ができなくなるとは・・・
 さて、こういう場合、ネットの環境もないところではどうにもならない。しきりに地図を見てみるが、高速バスの乗り場に近い温泉は見つけられない。JRで徳島に戻り、そこから松山行きの高速バスに乗れば、温泉には入れず、時間もお金を浪費するだけ。こうなればここから一番近い高速バスの乗り場へタクシーで行こうと心を決める。脇町インターは駅からそれほど遠くはないはず。

 タクシーに乗ってすぐ、高速バスの営業所に携帯からバスの通過時刻を聞くと1時間30分も道路端のバス停に佇んでいなくてはならない事になる。頭には今夜浸かるはずだった温泉がちらつく。こんなところでじっと待ってるよりは温泉に入りたいよ〜。運転手さんに、ここから一番近い温泉に連れて行って下さいと思わず頼んでしまった。「土柱温泉という有名な温泉がありますよ」と運転手さん。ガイドブックや地図にはなかったと思ったが、彼にいわせれば超有名だという。それならばそこへ。
 運転手さんも温泉の場所は良く知らないのか、無線でしきりに情報を集めている。で、かなり奥へと入って行き、タクシーのメーターは3000円を越えた。ひやひやしているとようやタクシーが止った。

 降ろされたところは「土柱ランド新温泉」というなんだか鄙びた宿。ラドン温泉と看板があるから、どうやら天然温泉ではないらしい。今はやりの日帰り温泉を考えていたから当てがはずれてしまった。店の人に聞くと、本物の土柱温泉はまださらに山奥に入っていくという。今夜のうちに愛媛県の東温市に住む友人のところへ辿りつかなければならないのだが、夜の8時過ぎ、タクシーもつかまらないような場所で高速バスのバス停まで辿り着く自信はない。

 店の人は、高速バスなら目の前の阿波パーキングから乗れると言う。それならラドン温泉でもなんでも良いからここで汗を流し、食事も取る事にしようと心を決める。わたしよりも少し若そうな女の人が「おひとりで大変ですね〜」と同情の眼差しでわたしを見ている。確かに帰りのバスにちゃんと乗れるかどうか、いくらか心細くはあるけれど、これもまた一人旅の楽しさなんだけどな。なかなかこの心境は分かってもらえない事だろう。

 明るい内に高速バス乗り場を確認するべく、店のだんなさんらしい人に道を尋ねると、すぐ近くのバス乗り場は大阪へ行くバスで、松山へ行くバス乗り場はもっとむこうだという。わたしが顔を曇らせていると、その人が、「まぁ、お風呂に入ってきなさい。どうしてもの時は送ってあげるから」と言ってくれる。多少の不安は残るものの、いくぶん心は軽くなる。

 ラドン温泉は、こじんまりしたお風呂だったが、露天も、サウナもあり、備え付けのシャンプーがなくてちょっと困った他はとても気持ちの良いお風呂だった。はじめのうちはわたし一人で貸切風呂だった。
 ゆっくりお風呂に入り、山菜定食を注文する。辺りはすっかり暗くなっている。ここはもうずうずうしく、さっきの店の人の好意に甘えようと車で送ってくれるようお願いする。

 車を出してくださったのは年配の女の人だった。聞けば、この宿のおかみさん。ひ孫が大阪から遊びに来ているというからわたしの母くらいの歳なのだろうが、ずいぶんしっかりした感じの方で、美しいおばあちゃんといった感じの人だった。
 わたしが恐縮していると、こんなところ一人で歩くのは良くないですよ。バス停もさびしいから、バスが来るまでいっしょにいてあげましょうと、車から降り、いっしょにバスを待つベンチに座って下さった。
 バスを待つ10分ほどの間、その方から、この土地が土柱で有名な観光地で、昔はこの宿しかなかったという事。また土柱に案内し、土柱がいったいどんなものなのか、ボランティアで土柱の観光案内をしてきた事などいろいろと興味深い話を聞いた。

 その方はわたしが高速バスに乗り込み、料金を払って席に座るまで、ずっと窓からこちを見ていて下さった。バスが走り出す時にはまるで母か友達のように手まで振って下さって・・・この風景は、今日のハプニングの時の心細さと共に、決して忘れる事はないだろう。

 高速バスの中では携帯の目覚ましをセットし、ただただ眠った。あっという間に幼馴染のSが迎えに来てくれる事になっている川内インターにバスは到着した。
 バス亭にはSの他に、やはりふるさとの教会でいっしょだったkさんも来てくれていた。今抗癌治療をしている最中で、体調も良くないのだろうが、そんな中でわざわざ来て下さったのだ。



 翌日、24日はSが松山市内のいろいろなところへ連れて行ってくれた。キャンプ指導員を務めるSの活躍している松山市のキャンプ施設。道後温泉、
正岡子規記念館、Sのお勧めの「ジャングル風呂」などなど。帰りに翌日の朝食や山行きの行動食や飲み物などを買って家へ。


2007年08月23日(木) 剣山へ、キレンゲショウマを訪ねて

 四国の旅二日目は剣山登山。簡単な山らしいが、登山口まではバスを利用しての単独登山。その上、下山したらその日のうちに松山へ行くという計画なので、この旅の中では最も緊張するところ。

<穴吹から見ノ越の登山口までバスで奥深い山に入っていく>


 
 朝6時にホテルを出て、6時39分発のJR高徳線に乗り、8時4分穴吹駅着。穴吹から登山口の見ノ越までは市営バス(2400円)が出ている。バスに乗り込んだのはわたしの他に年配の姉妹と大阪から来たという年配の男性。そしてやはり大阪から夜行バスで来たという青年の5人だった。登山口までは2時間25分もあるから、バスの中では運転手さんも交えて、ひとしきり山談義。バスはずんずん山を登り、深い山地の中に入りこんでゆく。
 いったい、これほど街から隔たった場所で、どのようにして暮らしているのだろうと思う。運転手さんは時折り、運転席の窓から新聞の束を家家の前に投げ入れる。バスの運転と同時に山奥に住んでいる人に荷物を届ける役目もあるのだと納得。

<山頂にいるうちに霧が晴れ、向こう側のジロウギュウが見えてきた>




 10時45分、見ノ越着。帰りのバスまでは3時間しかない。登山道を外れて、キレンゲショウマの群落のところまで足を伸ばしたいので、西島まではリフトで上がる。
 天気はあまり思わしくない。山頂の手前で雨。急ぎ雨具を身に付ける。
 木道が張り巡らされている頂上までは一時間足らずで着いた。着いたすぐは霧の中にいるようにあたりはただ真っ白だったのに、昼の休憩を取っているうちに、霧が晴れ、向こう側ジロウギュウが姿を現した。

<刀掛の松・ここから行者コースを辿ってキレンゲショウマの群生地へ>





 帰り道、刀掛の松のところから右に居れ、キレンゲショウマを求めて、行者コースといわれるところを歩き出す。さっきまでの穏やかだった山道とはずいぶん違う険しい道だった。
 あまりに足元ばかりに気を取られて歩いていたものだから、キレンゲショウマの群落を通り過ぎてしまったようだ。行場のあたりで作業をしている人に尋ねると、キレンゲショウマが咲いているところまで連れていって下さった。写真で見た通り、凛とした美しい花だった。
(つづきは後日)

<ようやく見つけたキレンゲショウマ>














2007年08月22日(水) 徳島、さてどこを回ろう・・・

<写真は薬王寺>
 
8月22日の昼過ぎ徳島着。
飛行機の中で、徳島のガイドマップと地図を眺めながら、午後から夜にかけて、どこをどう回ろうかと新案していた。

ともかく、旅行案内所で、関連あるパンフレットをもらい、JR徳島駅へ。電車の時間を頭に入れてから、駅ビル内の手打ちうどん屋「杵屋」で揚げナスの生醤油うどんを食べる。
さて、鳴門にするか南の海岸にするか・・・

やっぱりローカル線で、ゆっくりと南に下りたい!
青春18きっぷの出番だ。13時29分のJR牟岐線で日和佐へ。
15時15分、日和佐駅着。さて徳島へ戻る電車は1時間後。この1時間で海岸と寺へ行くには・・・と辺りをきょろきょろ見回していると、レンタルサイクルの看板が目に止る。しかし目の前の淋しげな駅前にレンタルサイクルをしているような場所は見当たらない。そこにあった電話番号にかけてみると、何とJRの駅の裏側には道の駅があり、そこに観光センターもあるらしい。歩道橋で線路のあちら側に渡って見れば、たくさんの観光客。大きな道の駅。足湯まである!

 観光センターで自転車(500円)を借りて、まずは薬王寺へ。四国八十八箇所、徳島で最後の霊場。司馬遼太郎の「空海の風景」の中にも出てくる寺だ。白装束のお遍路さんにが目に入る。しかし雨がぽつぽつ降ってきた。傘も合羽も駅のロッカーに入れてきたので、本降りにならない事を願いつつ、と海ガメが産卵にやって来るという大浜海岸へ。美しい海岸だ。ゆっくり海を眺めていたいが、時間がない。写真を何枚か撮って、再び薬王寺を通って、道の駅へ。3分ほど足湯に浸かって、日和佐駅から徳島行きの電車に乗る。
 ローカル電車の旅はやっぱりいい、その土地の中に入りこんだような気分がある。

 ホテルに着いた時にはもう薄暗くなっていた。阿波踊り会館までの道を教えてもらい、川沿いに歩いて行く。眉山へ上がるロープウェイは夏の間は夜も動いているというので、8時からの阿波踊りのショーを観る前に眉山からの夜景を眺める事にした。、
 ロープウェイは二人にか乗っておらず、なんだか心細かったが、乗り合わせた若い女の子と話をしてみれば、埼玉から一人旅でやってきたと言う。いっしょに夜景を見た後、阿波踊り会館、」徳島ラーメンの店までいっしょだった。
 阿波踊りはおもしろかった。お囃子も生演奏。楽器の紹介やステップの指導などもあり、最後は観客もみなステージに上がり、「踊らにゃそんそん・・」
外は小雨が降っていたが、駅前徳島ラーメン屋まで歩いていって、知り合ったKちゃんとビールで乾杯。お互い、良い旅になりますように!
 Kちゃんは埼玉は川口の在住。川口にはダンスの練習で行った事もある、なじみのある町、いつか会えるかもね。


ミクシーのフォトアルバム
にこの他の写真をアップしています。
ミクシーに入っていらっしゃる方はどうぞ。





















2007年08月21日(火) 四国へ

 この日記に度々九州への旅の事を書いてきた。また今年は数回東北へも出向いた。しかし、四国が登場するのは初めてのこと。
 一度高知へ行った事がある。新卒の時、大学の先輩に誘われて「音楽教育の会」の全国大会に参加するためだ。あの時の出会いは大きなものだった。その時出会った林光さんや丸山亜季さんの歌やリズムとは教職を離れてからもずっと縁があった。子育て中は我が子の通う幼稚園で。そして今は代表理事を務めるNPO法人の保育所で。二十数年来のつきあいだ。

 同様に、これから四国で会おうとしている友達も一人は子どもの頃からの幼馴染。もう一人は学生の頃からの友人。二人ともふるさとの教会でいっしょに遊んだり語り合ったりした仲間。お互いに離れてほとんど会う機会もないのだが不思議なようにその繋がりは途絶える事がなかった。

 まだ踏み込む事のない土地に行こうとする時、そこにはその土地への興味というよりは、大切な友人が生きている場所を一度は訪れたいという気持ちがはずみになる。東北の旅もそうだった。
 そして山。観光旅行が好きでないばかりにわたしはどこにも旅せずに過ぎてしまったが、今は山という友もいる。人間の友がおいでよ!と誘ってくれるように、その土地の山から声がかかる。

 23日は剣山へ。明日22日に徳島に一泊し、早朝の電車で吹穴へ向かい、そこからバスで剣山の登山口の見の越まで。帰りのバスは見ノ越発14時15分のバスしかないから、お目当てのキレンゲショウマに我を忘れて見とれる事がないようにしなければ。

 下山後、電車と高速バスを乗り継ぎ愛媛に住む幼馴染のSの家へ。
 24日はもう一人の友人Kと三人で会い、夜は夏目漱石の「坊ちゃん」にも出てくる道後温泉へ。翌25日はSとSの友人とで石鎚山へ登る予定。  26日はSとSの家族と共に彼女の通う松山番町教会の礼拝へ出席する予定。午後は近隣の教会で松山地区の教会のバーベキューがあり、そこにわたしも連れていかれるようなのだが、驚いた事には、その教会の牧師はわたし達が渡米する前に通っていた北本市の教会のF牧師だそうだ。その牧師と家族にも25年振りで会う事になる。見知らぬ土地でなつかしい人達に会うというのはどんな気持ちがするのだろう。
 
 さて、明日は早い。もう寝なくては。


2007年08月19日(日) 地上に火を投ずるために

主日礼拝。
教会学校のお話と朗読の担当。

 朗読の箇所は「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである・・・」というところ。
 なぜか、昔からこの箇所がとても好きだ。火のイメージ、イエスの激しさ、揺ぎ無さ、この世との厳しい決別・・・

 朗読をボイスブログにアップしたいのだが、今はその時間がない。
四国への旅から戻って来てからの課題。



↓この日朗読した聖書の箇所


 
ルカによる福音書
12:49−53

12:49 「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。

12:50 しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。

12:51 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。

12:52 今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。

12:53 父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。」


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エレミヤ書
23:23−29

23:23 わたしはただ近くにいる神なのか、と主は言われる。わたしは遠くからの神ではないのか。

23:24 誰かが隠れ場に身を隠したならわたしは彼を見つけられないと言うのかと主は言われる。天をも地をも、わたしは満たしているではないかと主は言われる。

23:25 わたしは、わが名によって偽りを預言する預言者たちが、「わたしは夢を見た、夢を見た」と言うのを聞いた。

23:26 いつまで、彼らはこうなのか。偽りを預言し、自分の心が欺くままに預言する預言者たちは、

23:27 互いに夢を解き明かして、わが民がわたしの名を忘れるように仕向ける。彼らの父祖たちがバアルのゆえにわたしの名を忘れたように。

23:28 夢を見た預言者は夢を解き明かすがよい。しかし、わたしの言葉を受けた者は、忠実にわたしの言葉を語るがよい。もみ殻と穀物が比べものになろうかと主は言われる。

23:29 このように、わたしの言葉は火に似ていないか。岩を打ち砕く槌のようではないか、と主は言われる。


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ヘブライ人への手紙
12:1−13

12:1 こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、

12:2 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。

12:3 あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。

12:4 あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。

12:5 また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。

12:6 なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」

12:7 あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。

12:8 もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。

12:9 更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。

12:10 肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。

12:11 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。

12:12 だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。

12:13 また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。

 
 


2007年08月17日(金) 奥白根山へ登った日

わが教会の美人牧師Y女史から山へ連れていって欲しいとの要望があった。yさん、山は高尾山以外は登った事がないというし日頃それほど運動している様子でもない。はてどこの山がいいだろう・・・
 ここ1,2週間いろいろとリサーチし、本人の希望も聞き、日光の奥白根山(2578m)に決定。奥多摩の山は低くてお手軽だが、低山はこの時期には暑くてまずは楽しめないし、熱中症や熱射病の心配もある。とすれば日帰りで行ける2000m意以上の山で初級者向の山。
 日本百名山の本から草津白根山と奥白根山を選んだところ、草津白根は高低差があまりなく山登りしたと言う気分になれないということで奥白根山に軍配が上がる。

 週間天気予報では晴れ。昨日の朝の予報は晴れのち曇り。
ところが昨夜の夜中に天気予報を再度チェックしてみると昼の12時以降からずっと弱雨!今から予定変更という訳にも行かない、取りあえず強行。

 6時に彼女の車で大宮を出発し、登山口の丸沼高原スキー場に9時頃到着。ロープウェイから降りた山頂駅で山頂の具合はどうですかと係りのお兄さんに尋ねると
「もう、ここまで雲が降りてきてますからね〜。上は風も強くかなり寒いですよ。それに午後からは関東の山はどこも雷の警報が出ています」
と出鼻を挫かれるようなお答え。わたしは内心うろたえたものの、山は初めてという彼女はまるで平気なおももち。では行けるところまで行きましょうと歩き出す。

 しんとしたオオシラビソの森をぬけ、一面のお花畑を通り、やがて森林限界。火山特有のザラザラと靴にめり込むような砂地の斜面を歩く。幸いな事に雲がさっと晴れて一瞬山の姿が前方に浮かび上がる。わずかだが青空ものぞいている。

あぁ、しかしこの風の強さといったら。火山特有の谷から一気に吹き上げてくる、息をすることも遮られるような一軍の風。しかしこのワイルドな風が好きだ。身体の中をすっかり入れ替えてくれるような気がして深呼吸をしながら進む。

 正午にめでたく登頂!9時20分に歩き始めたから、コースタイム通りの2時間40分。
しかし山頂は寒い!防寒着が役に立った。凍らせたペットボトルはザックの中で凍ったまま。何と言う判断ミス。お茶よりも暖かいコーヒーが欲しいほどの寒さだというのに・・・

 ともかく山頂でお昼も食べる事ができた。後は天候が崩れる前に一気に下山。2時間ほどで山頂駅に戻り、山麓駅のセンターにある温泉にドボン!
温泉から出ると外は雨。お天気、持ってくれてありがとう。


 「すごく良かった。月に一度は行きましょう!」とYさん。
山女がまた一人増えるのかも。

( ミクシー日記より )


あそこ、ここで咲いている黄色い花はミヤマアキノキリンソウ(深山秋の麒麟草)らしい。














































 


2007年08月14日(火) ターコイスという色が教えてくれるもの

 お盆だというのに仕事に忙殺されている同居人だが、一日だけ休めるというので、14日、彼が行きたいという都心のスパ、後楽園のラクーアへ行く。
 あの場所は、温泉や岩盤浴もだが、読書したり書き物をしたり、ただただ瞑想に耽ったりするのにとても良い空間だ。そこでわたし達は夜通しそこで過ごそうとザックに本やノートをどっさり詰めて出かけたことだった。

 ところがお盆だからいつもとかってが違っていて、4時間という時間制限でそれ以降は1時間に付き500円の追加料金がかかるという。マッサージやボディケアを受けられば3時間は無料で延長できるらしい。もともと同居人はマッサージを受けるつもりでいたから良いものの、わたしはマッサージは必要ない。そこで前から気にかかっていたオーラソーマのコンサルテーション(対面カウンセリング)を受ける事にした。

 11時30分くらいから岩盤浴や温泉に入り、読み書きもして3時から遅い昼食を取り、4時からオーラソーマのブースへ。
 色とりどりのガラスのビンには馴染みがある。一度、インターネットでの無料カラーリーディングを受けた事がある。確か、この日記にもその事を書いた覚えがある。しかし、実際に目で見てボトルを選ぶのは初めてだった。

 このボトル選びなのだが、不思議と迷いのようなものがない。一つだけが、それでしかない確かさのようにわたしに合図を送ってくるように感じるから不思議だ。

 まず1本目に選んだのは上がヴァイオレット下がターコイスのボトル(New Message という名前の24番のボトル)、
2本目はロイヤルブルー+ターコイス(Dolphine・33番)、
3本目はペールヴァイオレット+ペールコラール(大天使サンダルフォン・98番)、
4本目はペールターコイス+ペールターコイス(マハ・コハン・62番)。

 4本のうち3本にターコイスという色が入っている。4本目に到っては二つともターコイス。どうやらこの色がわたしの基調色らしい。好きな色と聞かれて、ブルーとかターコイスとか答えた事はなかったが、思い返せば、山用品の小道具類や最近買った山用のTシャツはどれもターコイスブルーだ。

 さて、カラーリーディング。わたしが選んだ、1本目のソウルボトルはもともとのわたしの魂を表すものという事だが、なるほど・・・と感じるものだった。3本目は今のわたしを表すボトルだが、これもここのところの意識の変化ややっている事と一致していた。そして2番目のボトル、チャレンジや課題を表すボトルには確かにわたしが不得手とする事、克服したいと考えている事が示されている。そして4番目のボトル、つまりわたしが到達したい自分を表すボトルはわたしが行こうとしている方向をきちんと示してくれていて、この歩みでいいのだなという確信を強める事ができた。

 こういうリーディングはヒーラーやリーディングをする人の力というのではなく、あくまで自分の中にある潜在意識とコンタクトをとる事だとわたしは考えている。もちろん、ボトルやセラピストがそれをやりやすく助けてくれるのには間違いないが、そこに特別な魔力があるわけではないのだ。
 自分自身のもともとのカタチを再認識し、今がどういう位置にあるのか、今自分が乗り越えなければならない課題は何なのか、自分はどこへ向かおうとしているのか、それを第三者を介して確認する事で、足取りがより軽やかで確かなものとなるのかもしれない。

ネットのカラーリーディングでもう一度、選んだボトルの情報を確かめてみた。
画像、テキストには著作権があってコピペできないので、要点をメモしておこう。

( 写真は買って帰ったDolphinというチャレンジボトル )




<soul bottle> 本来の自分人生の目的と可能性

 <ボトル名 New Message>

*好奇心が旺盛で、仕事でもプライベートでも、様々な方向にアンテナを広 げている人。
*つねにやりがいを探し求め、嬉々としてそれにチャレンジしていく。
*人一倍豊かな感性を備えていて、特に芸術や音楽、言葉などにおいて、独創的で洗練された表現能力がる。
*その人その人のレベルに合わせて教え導く才能を備えている。
*人と人とを結びつけるコミュニケーション能力にも優れていて、どんな場 でも平和なハーモニーを創り出す素質も持っている。
*こうした持って生まれた力を発揮することが、人生の目的と言える。



< callenge bottle> 人生の課題やチャレンジ

 < ボトル名 Dolphin/Peace With a Purpose >

*大勢の人の中にいて、なぜか居心地の悪さを感じてしまうことがあるのでは? 
*自分の正直な思いを表現することが、なぜか苦手。
*父親や権威のある人との関係において、悩みを抱えているかも知れない。*人から愛されることを期待し、たくさんの愛を求めている自分に気づく。*他者に愛を求めるのはやめて、まず自分から愛を与えるように努めること。そうすれば物事がスムーズに流れ始めるはず。


< here&now bottle > 今現在の状態

 < ボトル名 Archangel Sandalphon/Margaret's Bottle>

*今、本当の意味で、自立していく時を迎えている。
*まずは、心に痛みをもたらした過去の出来事を許し、手放していくこと、インナーチャイルドを癒していくこと。
*それによって、今まで気づかなかった心の深いレベルにある豊かな愛の輝きに、ようやく気づく。
*依存心や否定的な想いを克服し、自分の足でしっかり立ち、自分の人生を歩み始めることができる。
*例えば、ビジネスで独立したり、経済的に自立する道が開け、勇気を持ってその道を選択できる。


< future bottle> 未来の可能性

 < ボトル名Maha Chohan (マハ・コハン)>

*未来のあなたは、つねにハートをオープンにして、誰とでも心の通いあう温かな関係を築いている。
*歌やアート、執筆など、好きなことを楽しみながら表現することで、本来のクリエイティブな才能が開花する可能性がある。
*伝えたいことを素直に表現して、多くの人々の心に感動を与える。
*また一方で、コンピューターに関する才能を活かして、IT関連で活躍する可能性もある。
*インターネットを介して世界中の人々とつながり、新しい時代にふさわしい生き方・考え方のモデルとして、自由で広がりのあるコミュニケーションを実現していく。







2007年08月12日(日) 路上のアーティスト達


 そう、突然、風が通り抜ける。
人だったり、踊りだったり、歌だったり、絵だったり。日常の中をすっと通り抜ける非日常の風。

 アンバー(あ、彼女は同僚のネイティブの英語の先生。この前サマースクールを手伝ってくれた彼女。この前の日記に写真もあるね)のお誘いで路上ライブに出かける。
 もうずいぶん前から彼女の愛するバンド、トラッシュ・ボックス・ジャムトラッシュ・ボックス・ジャムの話はたくさん聞いていた。クリスチャンの彼女は彼らの中にイエス的なものを感じるという。
 分かるよ、それ。そう、イエスは何も教会の中だけにいるんじゃない。言葉にすれば安っぽくなってしまうけれど、”愛”のあるところにイエスは佇んでいる、そこにいるんだから。
 教会の外の世界にそれを見つけて、そこにいる人たちを大切にしている彼女はいい。今までに出会ったアメリカ人の青年宣教師たちとはちょっと違う。

 「すべての事には時があるという」聖書の言葉があるけれど、今日はその「時」らしかった。教会での日曜礼拝の後、いろいろと雑用を片付け、牧師から韓国のホットなラーメンをごちそうになった後、わたしはそのまま大宮駅へ出かけた。
 

 さてさて、アンバーはどこだ・・・
日曜日の大宮駅はいつも人で溢れ返っている。バンドもあちらにもこちらにもいるし・・・
いたいた!
たくさんの自作のポストカードを売っているしんぐさん(バンド、トラッシュボックスのリーダー&ヴォーカル)の前に他の女の子達といっしょに座っているアンバーは英語の先生の顔とも、教会の宣教師の顔とも違った顔でその場に馴染んでいた。彼女は自分のスケッチブックでなかなか素敵なイマジネーションの花を描いている。それでわたしも路上にぺたりと座り、紙切れと鉛筆を貸してもらい、彼女の横顔を描き始める。

少し離れたところにKさんが店開きをしていたので似顔絵を描いていただく。「似顔絵を描いてもらった事はありますか」と尋ねられて、そういえば、こうしてストリートで似顔絵を描いてもらうというのは初めてだという事に気が付いた。日曜画家の父のモデルになった事や、mGの絵のモデルになった事を除いては。

 似顔絵を描いてもらいながら、似顔絵というのは埴輪の時代から脈脈と続いているひとつの文化だという話を伺った。写真がなかった頃は似顔絵屋がその人の存在を視覚的に留める重要な役割を果たしていたわけだ。そして似顔絵を描くという行為は、この世の中で一人きりしか存在しない、その人をよおく観察する行為なのだと思い当たる。顔かたちだけではなく、その人の内面までも・・・
 似顔絵のわたしはわたしが良く知っているわたしとわたしが知らないわたしが混ざり合っていた。他者の眼に映る自分というものが興味深かった。
ところで、似顔絵屋のKさんさいたま市から自転車で2時間かけて都内の職場まで通っているというのだから凄い!そんな話は初めて聞いた。自転車乗りのたりたとしてはおおいに励まされた。

 それまでポストカードを売ったり、似顔絵を描いたり、キーボードでソロの弾き語りをしていたバンドのメンバーが大宮駅コンコースのちょうど真ん中あたりで演奏を始めた。いわゆる路上ライブだ。
 彼らの前のアンバーや他の若い子たちに混じってまたまた路上にペタリと座り込む。立ってそこを通り抜けていくのと、通り行く人達を上目使いに眺めながらそこに座しているのとでは気持ちの上で随分大きな違いがある。
 そうそう日常にぽかんと穴があいたような、ファンタジーが訪れる。音楽も歌われている言葉もポジティブだ。聴いていて元気が出てくる歌だった。
 ふとマンハッタンのストリートミュージシャンや、セントラルパークのヴァイオリン弾きや、深夜のリンカーンセンター前広場でのダンスの群れがフラッシュバックする。そこにはあった枠が外された開放感のようなものが、ここにもあるからなのだろう。
 そうそういつかなおさん(ダンスの先生)と中野サンプラザの広場でエイサー踊った時、あの時にも感じた自由さ。


 路上のアーティスト達ははるか昔から存在して、路で詩を吟じ、音楽を奏で、絵を描き、人々の辛い暮らしの中にハレの開放と非日常を吹き込む「まれびと」の役割を果たしてきた。
 今を生きる路上のアーティスト達、これからも街の喧騒の中に爽やかな風を吹き込んでいくことだろう。

 彼らのCDを一枚求めて、軽やかな気分で人混みの中、電車へ向かった。
わたしのしっぽ?しっぽはきっとわたしの背中でゆさゆさと揺れていたに違いない。



2007年08月10日(金) 赤城山へ

 夏休み前半の仕事が終わり、21日まで夏休み。前の晩になって山行きを思い立った。山のガイドブックをめくりながら青春18きっぷで、つまり鈍行で往復できる山を探す。奥多摩方面、中央線沿いの山は行きも帰りも通勤ラッシュに合う事ことになるから避けたい。では反対方向へ。高崎線前橋駅から行ける赤城山に決定。

 登山口の赤城山ビジターセンターまではバスを二つ乗り継いでおよそ1時間半。前橋駅発10時10分のバスの乗るしかないから家を8時12分に出れば間に合う。いつもの始発と比べるとずいぶん楽だ。電車も空いていて前橋までは快適だった。

 しかし金曜日だからか、この暑さだからか、日本百名山と言えども登山客が見当たらない。行きも帰りもバスに乗っているのはわたし一人だけだった。ビジターセンターにも登山者はいない。いくら静かな山行きが好きでも、こう人がいないのはやっぱり心細いなぁ。ともかく、赤城山の最高峰、黒檜山(くろびすやま)1828mを目指す。しかし暑い。山の中は木々が欝蒼としていて風が通らないから下よりも暑い。 しばらく登ると見晴らしの良いところへ出た。大沼と赤城神社の赤い橋が見える。































黒檜山から駒ヶ岳を回り、覚満淵を一周するコースタイムは4時間10分。3時のバスには間に合わないが、5時20分の最終バスには余裕で間に合うだろうと思って歩き始めたものの、空模様があやしくなってきたので、頂上までは行かずに途中で下山。
 予定を変えて、天城神社へ行き、湖の岸で足を濡らしながらお弁当を食べ、橋を渡って、覚満淵(かくまんぶち)へ。



























覚満淵(かくまんぶち)はミニ尾瀬とも言われる高層湿原で、沼の周囲に20分の散策路ができている。水のある景色はいい。そこで見られる植物もいい。それにしても今年は湿原に縁がある。栂池、八幡平、秋田駒ケ岳、そしてここ覚満淵。



























ここは観光地として知られているのか人がいる。山を背景にした沼地の緑の草と子ども達の姿に何かとても懐かしいものを覚えた。そういえば、長い夏休み、炎天の道を歩きながら冒険へと出かけたものだった。川で泳いだり、虫を探しに林に入ったり・・・そういう時いつも視界には青い山があった。
 ビジターセンター発3時10分のバスに乗り、富士見温泉に立ち寄り帰路に着いた帰宅は予定通り夜の9時10分。山頂は極めなかったものの、良い夏の日の冒険ではあった。


2007年08月09日(木) 英語漬けの三日間



三日間のサマースクールが無事終了!
盛りだくさんのプログラムも何とかこなせ、子ども達もいい顔してた。
一番心配していた幼児達は、ひとつひとつの活動にひたむきに(?)集中していて、散漫になる場面もあまりなかった。ひとつは縦割りのグループを作って、大きい子と小さい子を一つのグループにした事が良かったのかもしれない。






 
一方、高学年の男の子達は普段よりも腕白気味。リーダーとは言うものの、
そういうシチュエーションにきっと慣れていないののだ。小さい子達の親分になった開放感の方が責任感を凌いでいるのか、はたまた、こちらの眼が届かないことを感じ取っているのか、予想に反してワイルドだった。
反面、高学年の女の子達は小さい子の面倒をみたり、グループをまとめたりと随分助かった。
ま、三日間を通して子ども達のいろいろな面に接することができた事は収穫だった。


ダンス、ヨガ、歌、チャンツ、図画工作、読み書き、絵本の読み聞かせ、読むこと書くこと、ショッピングに加えて英語劇にも取り掛かることができた。ジャズチャンツで構成されているミュージカル風の"Little Red Riding Hood",グリム童話の「赤ずきん」。
いやがるかなと思っていた高学年のワイルド組みもなぜか乗ってきて、ナレーターをやりたいと立候補する子もいた!
クリスマスか春に発表会ができるかもしれない。







ネイティブのAはほぼ英語のみで子ども達にかかわるから三日間は英語漬けなのだが、これはわたしにとっても同様、英語漬けの三日間だった。
日頃、教会や英語学校で顔は合わせるものの、お互いに忙しくて必要事項の伝達の他はあまり話すチャンスもないのだが、今回は3時にクラスが終わった後、ずいぶんいろんな話すことができた。今日は近くのレストランで夕食をしながら8時までずっとしゃべりっぱなしだった。

英語という言語のせいなのだろうか、親子ほどに年齢が違うものの、まるっきり友達感覚で、げらげら笑いながら話をしている自分に驚く。言葉が変るとパーソナリティーまでいくらか変るようだ。そしてわたしはこの軽やかさが好きなのだと思った。


2007年08月05日(日) 明日から英語学校のサマークラス

この土、日は明日からの英語教室のサマースクールのレッスンプランや打ち合わせや準備で心と時間が占められてました。明日会場に運び込む荷物も玄関に用意して、やっとほっとし、明日を待つ気持ちになっているところです。

アメリカでは長い夏休みの間に、子ども達はいろんなサマークラスやサマーキャンプに参加します。
小学校が補習のような形で遅れている子や、そに反対に他に子よりはるかにレベルが高い子を集めて行う1週間の補習クラス。町が1ヶ月に渡って主催するデイキャンプ。YMCAなどが主催する2週間〜6週間山奥のキャンプ場で寝泊りするサバイバルキャンプ。その他にもサッカーのキャンプや音楽のキャンプなど・・・
我が家の男の子二人は、教会のバイブルキャンプに1週間。町主催のデイキャンプに1ヶ月。YMCAのお泊りのキャンプに2週間という具合でした。
こうしたキャンプで学校の勉強とはまた違った遊びや体験を通しての学習をさせていただける事が有り難かったです。

わたしがやろうとしているサマースクールは、いわばこうしたデイキャンプのミニチュア版といったところでしょうか。
幼稚園児と小学校1年生は10時から12時まで、小学生は朝10時から午後3時まで、会場の地域の集会所に3日間通してやってきます。
英語を使っての遊びやゲーム、歌にダンスにヨガ。工作や絵。
絵本の読み聞かせやお話。簡単な料理。もちろん、書いたり読んだり聴いたりのお勉強も。
お昼休みは近くのモールに出かけたりもする予定です。

こういった子ども達のキャンプのディレクターをしてきたアメリカ人の教師が手伝ってくれるので心強い。
彼女は子どもと遊ぶのが掛け値なしに好きだから子ども達も彼女が大好き。
それに子ども達が今まで習ってきた英語を実際に使う願ってもないチャンス。学習効果は大です。

さてさて、明日は気持ちを思いっきり高めて、かつ冷静に状況を判断し、どの子ども達にも良い学習とわくわくする体験を保障するべく気合、入れます!


2007年08月01日(水) 教会学校サマーキャンプ

7月31日〜8月1日にかけて教会学校&英語学校のサマーキャンプ。

教会学校&英語学校のサマーキャンプは例年、教会に寝泊りするのだが今年は貸切バスで佐久市の「信州バイブルキャンプ」へ。
子ども13人、大人8人、総勢21。

途中、立ち寄った佐久市の「子ども未来館」はなかなか良い施設で子ども大人も楽しんだ。実験教室では「風船で作るホーバークラフト」を作ってお持ち帰り。夏休みの工作の宿題になる?

このキャンプでのわたしの担当はテーマ「みんなで平和をつくろう」についての学習。
平和って何?
今行きている世界は平和?それとも平和じゃない?
そんな問いかけからスタート。
ホロコーストの中の子ども達を扱った記録写真の絵本「おもいだしてください あの子どもたちを」を読み聞かせ。
広島原爆をテーマにした丸山俊氏の絵本「ひろしまのピカ」を紹介する。
昔の戦争の事ばかりでなく、今の世界の事も。
「学校に行けない子どもたち」の写真(「子ども英語 2006年9月号特集)を通して、様々な理由から学校に行けない子ども達がいる事を知らせる。

「信州バイブルキャンプ」は林の中の気持ちの良い施設。
ホテルとは一味違った、アットホームな環境。豪華という訳ではないけれど、マネージャーのご夫妻は手焼きのケーキやパン、じっくり煮込んだチキンといった素晴らしく美味しい食事を用意して下さった。

キャンプファイアーでのダンスやトーストマシュマロ、早朝の林の中の散歩。バスの中でのゲームや歌。2日間は盛りだくさん。子ども達とも良い時間が過ごせて良かった
でもかなり疲れた。山を3日間歩き続けても感じることのなかった疲労感が翌日の今日まで残っていた。やっぱり引率という役目があったからなのだろうな。

さて次なる仕事は英語教室のサマースクール。こっちはネイティブの先生を助っ人にお願いし、わたし一人で切り盛りするわけだから気合を入れてかからねば。


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