たりたの日記
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23日月曜日 かかわっている無認可保育園の関係のボランティアの仕事を終日。
24日火曜日 英語教室サマーフェスタその1 中学生夏季クラス1
25日水曜日 英語学校の夏休み前最後のクラス。その後大宮で買い物。
26日木曜日 英語教室サマーフェスタその2 中学生夏季クラス2
27日金曜日 友遠方より来る。 パイプオルガニストのMさん、コンサートの時に朗読する詩の事で。 ギャラリーカフェ「寧」で昼食後、我が家で夕方まで。
28日土曜日 中学生夏季クラス3。
29日日曜日 遊山倶楽部山行き、南大菩薩領。 甲斐大和駅ーー湯ノ沢入り口~大蔵高丸~ハマイバ丸~米背負峠~竜門峡ーーー甲斐大和駅(歩行約5時間)
30日月曜日 同居人、宮崎へ。 勉ゼミ。テキストは内田百閒の「琥珀」「遠洋漁業」「風の神」。 その前にKさんと高田馬場の傍の自然食の店&レストランへ。
2007年07月22日(日) |
行って同じようにしなさい |
南浦和でのヨサコイの日。 カレンダーにはしっかり書いてあるけれど、わたしはそこで踊ることも観ることもできなかったが、あのよさラテの音楽を思い出しながら、仲間仲間の踊る姿を思い浮かべながら過ごした。
午前、教会学校(オルガン担当)、礼拝(聖書の朗読担当)、教会の掃除 午後、教会学校教師会(信州でのサマーキャンプについての話し合い) 夜、 ラーメン屋経由で日帰り温泉、mGと。
礼拝の説教は「良いサマリヤ人」 ではわたしの隣人とは? 律法に縛られ、助けを必要としている人に手を貸すことすらできなかった祭司とレビ人。 傷ついた旅人を介抱し、その費用まで支払った、当時差別を受けていたサマリア人。 このイエスの話はいつも切ったばかりのように新しい。 それは新しく、こちらに問いかけてくるからだ。 「あなたの隣人とは誰か」という問い。 「行って、あなたも同じようにしなさい」という命令。 その言葉の前に、ただわたしは佇むことしかできはしないが。
聖書の朗読、良いサマリヤ人」(ルカによる福音書10:25-37 )と申命記 30:1-14 を ボイスブログ にアップ。 *
ルカによる福音書 10:25-37
25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
26 イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、
27 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」
28 イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
29 しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。
30 イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
31 ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
32 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
33 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、
34 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
35 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
36 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
37 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
2007年07月21日(土) |
土曜日のあれもこれも |
その昔、一日のいくつもの事を掛け持ちすることなんて考えられなかった。 それが気が付けば一日にあれもこれもとせわしない。 こういうのも体力のある今だけの事なのだろうから、そんな土曜日の事を書いておくとしよう。
午前10時~12時 教会へ。ジンジャーブレッドハウスの日。 英語での子ども会。今日の参加者は11名。アメリカ人のアンバーは子ども達を遊ばせるのが抜群にうまい。もちろんこれは英語教室でなく純粋に遊びなのだが、アルファベットを書いた26個の風船を用いてのいろいろなゲームは、けっこういい「学習」になっていると思う。子ども達が勉強していると感じさせないのがなおいい。
わたしがやっている英語教室のサマースクールをアンバーに手伝ってもらう事になっている。そういう事もあり、わたしは彼女を手伝いながら、気持ちは仕事モード。
いいのか悪いのか、最近はオフの時にも頭はレッスンの事や、生徒の事。あれをこうして、これをこう教えてと頭がかってに考えるのだからしかたない。今年は久し振りに中学生を教えているからなんだろう。楽しく、遊びを通してなんていってられない。夏休みに英検対策の特別クラス実施。 そんなわけでわたしの夏休みは今までの半分。それでも同居人に比べればずいぶんたくさん休みがあるのだから文句は言えない。
午後1時~3時 さいたま新都心のNHK文化学院へ。長谷川勝彦さんの朗読講座。「蜘蛛の糸」をずいぶん練習して教室に向かったが、この日のテキストは芥川龍之介の「俊寛」の冒頭の部分。
まず、確認すべき事は、誰が誰に向かって語っているのかということ。朗読者はその語り手になりきらなければならない。 この場合は俊寛の弟子の有王が俊寛について語るという設定なのだから、読むという行為から自分を離して、ひとり芝居のように語るという要素が強くなる。 わたしのイメージする有王になりきって、熱っぽくシャープに読んだろところ、シャープ過ぎたようだ。人物象をイメージすることの難しさ。 次回は芥川の「羅生門」。
午後5時30分~9時30分 ジム。 その前の時間はドトールで朗読と文学ゼミのテキストを読んで時間を調整し、5時50分からのビランクスヨガのクラスに。 8時15分からのラテンの時間まではマシーンで筋トレ。これはずいぶん久し振り。数年振りに体力テストをしたら体力年齢は18歳、実年齢との差33歳、大変素晴らしいと出た。ほんとかなぁ~、身体はずいぶんガタピシ言ってるし、腰とか手とかリュウマチや神経痛を心配させるような痛みだってあるのに。でも、これを励みにすることはできそう。
1週間のしめくくりのラテンに今日も出ることができて幸いだった。 奈央先生が即興で作ってゆくステップに付いてゆくこのダンスは相当エキサイティングだ。テンポも速く、回転もふんだんだから半端なく汗をかく。余計な事を考える余裕などないから、すっかり無我の境地! 仕事で猛烈に忙しい同居人だが、会社を抜け出して何とかラテンにセーフ!でもその後、また仕事!
午後11時半。ようやく仕事から解放された同居人と晩酌。 今週もお疲れさまでした。
2007年07月20日(金) |
賢治の詩碑 「鎔岩流 」 |

鎔岩流 宮澤賢治
喪神のしろいかがみが 薬師火口のいただきにかかり 日かげになった火山礫堆〔れきたい〕の中腹から 畏るべくかなしむべき碎塊熔岩〔ブロックレーパ〕の黒 わたくしはさっきの柏や松の野原をよぎるときから なにかあかるい曠原風の情調を ばらばらにするやうなひどいけしきが 展かれるとはおもってゐた けれどもここは空気も深い淵になってゐて ごく強力な鬼神たちの棲みかだ 一ぴきの鳥さへも見えない わたくしがあぶなくその一一の岩塊をふみ すこしの小高いところにのぼり さらにつくづくとこの焼石のひろがりをみわたせば 雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き 雲はあらはれてつぎからつぎと消え いちいちの火山塊〔ブロック〕の黒いかげ 貞亨四年のちいさな噴火から およそ二百三十五年のあひだに 空気のなかの酸素や炭酸瓦斯 これら清洌な試薬〔しやく〕によって どれくらゐの風化〔ふうくわ〕が行はれ どんな植物が生えたかを 見やうとして私〔わたし〕の来たのに對し それは恐ろしい二種の苔で答へた その白っぽい厚いすぎごけの 表面がかさかさに乾いてゐるので わたくしはまた麺麭ともかんがへ ちゃうどひるの食事をもたないとこから ひじゃうな饗應〔きゃうおう〕ともかんずるのだが (なぜならたべものといふものは それをみてよろこぶもので それからあとはたべるものだから) ここらでそんなかんがへは あんまり僣越かもしれない とにかくわたくしは荷物をおろし 灰いろの苔に靴やからだを埋め 一つの赤い苹果〔りんご〕をたべる うるうるしながら苹果に噛みつけば 雪を趣えてきたつめたい風はみねから吹き 野はらの白樺の葉は紅〔べに〕や金〔キン〕やせはしくゆすれ 北上山地はほのかな幾層の青い縞をつくる (あれがぼくのシャツだ 青いリンネルの農民シャツだ)
ボイスブログ にこの詩の朗読をアップしています。
2007年07月19日(木) |
明け方、焼き走り溶岩流の中に |

夜は明けたばかりだった。 鳥の声ののどかなケビンを抜け出し 露に濡れた草を踏みながら早足に歩く。 行かなければ 見ておかなければ ―焼き走り溶岩流― 夢の中でも心は急いでいたらしい 4時にはもう目覚めていた。
入り口の階段を駆け上がると そこには不気味な風景が開けていた。 どこまでも真っ黒な溶岩流の海原。 遠くに一本だけ立っている松のシルエットは痛々しい 賢治がみつけた二種類の苔というのはこのことだろうか 黒い石の上にうっすら緑を帯びたものがある。
この観察路の終わりにあるという 宮澤賢治の詩碑までは歩いてみよう。 誰もいない、植物すらないということの不気味さ 溶岩流の上にはまだ夜の夢が張り付いているようだ。 朝だというのに、闇の中を それも黄泉の国の闇の道を歩いているような心持だった。
<2007年7月1日。この前日岩手山に登り、この日の朝、早池峰山に登る。>


この花は7月1日の登った早池峰山に咲いていた。 はっとして何枚か撮ったうちの一枚。 名前を調べようと、手持ちの花図鑑といくつかのサイトを覗いてみたが、分からなかった。 ここに書くとどなたかが、教えてくださるかもしれない。
もう夏なのに、山の計画が立てられないでいる。 ひとつにはどこの山も魅力的で、決められないというのがある。 もうひとつは賢治の山巡りの余韻の中に今だあって、 まだ旅を終わりにしていないという気持ちがある。 きちんとした山日記や写真のアップをしていないこともあるのだろう。
写真を見ながら、記憶を手繰りながら、繰り返し、山の花達に会いにゆく。 昨夜の夢は吉永小百合といっしょに山の花を求めて歩いている夢を見た。 彼女とはとても気が合うのだった。夢の中の話だけど。
2007年07月16日(月) |
加川良と友部正人の歌を聴いた |
加川良と友部正人の歌を聴いた。 今日の昼間にやっていたのを録画したもの。 昨日の西岡たかしもそうだけど、35年振りに二人の顔を見た。 大分に彼らが(高田渡も井上陽水もいっしょだった)来た時、 わたしはセーラー服に学生鞄という格好で一人で客席に座っていた。
で、35年後の彼ら、20代の頃の顔ではもちろんないけれど、 何といい顔をした50代になっているのだろうと思った。 歌も言葉もそこからやって来る力も古びてなかった。 35年前も新しい世界を開いてくれる得難い先輩だったけれど、 今もそうだな。 あたしもいい顔の50代になっていこうと思った。 そう、そして自分の世界、自分の個性をもっと見つめて・・・
<7月15日のミクシー日記より>
今日は17日の水曜日。 それなのに、まだ友部正人の「わたしの踊り子」が繰り返し、繰り返し、耳の奥で鳴り続けていて、鳴り止まない。 まるでわたしの意志とは無関係に。 確かにこういう事は今までにもあったけれど、 これはどうした事だろう。
ずいぶん久し振りに西岡たかしの歌を聴いた。 テレビの番組、五つの赤い風船の40周年記念のステージの中で。 西岡さん、ずいぶん老けてたけれど、声もトークも、あの頃の西岡さんのままで、なつかしいというよりは35年前のわたしが出てきていっしょに歌っていた。
当時、五つの赤い風船はテレビになど出ることはなかったから、わたしはただただLPレコードの中でしか、このフォークグループの事、西岡さんの事を知らなかった。 けれど、あまりにも繰り返し聞き、また歌っていたものだから、歌は身体の一部の溶け込んでしまった。
そのすっかり溶け込んでしまった歌を久々に聴きながら、15歳から20歳くらいまでの間、ちょうど子どもから大人へと移行する時期に、わたしはこの歌で育てられたんだなと改めて思った。 音、言葉、メッセージ、オリジナリティー、他のミュージシャンにはない特別なもの、自分にぴったりするものを感じていたが、それは今でも変ってはいなかった。
ただのなつメロじゃないんだなぁ~、そのメッセージも昔のものじゃないんだなぁ~。
♪あぁ~、今も昔も変らないはずなのに なぜ、こんなに遠い。 ほんとのことを言ってください。 これがぼくらの道なのか。
西岡さんの新曲も、しっかり西岡さんの世界を伝えていて好きだった。 歌詞思い出さないけれど、今わたしが感じていることがそのまま歌になっているのだった。 15歳の時、なぜこの人はわたしが言いたい事を歌ってくれるの!って驚いたものだったけど、その事が今も新しく起るという驚き。
2007年07月14日(土) |
雨の日の「蜘蛛の糸」 |
6月22日に朗読をアップして以来ずっとボイスブログの更新ができないでいました。 きっと、たりたは早々と飽きてしまったらしいと思われたことでしょう。
朗読の練習は続けていたのですが、なかなか録音のタイミングが作れませんでした。 何しろ、まだ編集という作業ができないので、ちょっとでも雑音が入ったり、読み違えたりすればまた最初からやり直しをするので、気が遠くなるような作業で、静かな環境と集中力、それにたっぷりとした時間が必要です。
ここ数週間、この近所で2件、家が建築中で、一日中音が絶えません。 夜はさすがに静かですが、同居人も戻って来るし、酔っ払ってしまって、集中力が無くなるしで・・・
で、今日は昼間でしたけれど、大工さんはお休みのようで外は比較的静かでした。それで録音を試みたのですが、何しろ台風ですからね。トン、トンという屋根を打つ雨の音がしっかりバックに入ってしまいました。 それでもアップです。 ↓ ボイスブログ
2007年07月13日(金) |
心を沈めて家事をしよう |
仕事のない金曜日。 夕方から英語学校のスタッフミーティングにでかけるから、午後ジムでストレッチやヨガのクラスをやってからそのまま大宮へ出よう、そう昨夜まではプランしていたが、今日は夕方までは家にいて片付けや掃除をする事にした。
わたしは行動的だと人に言われる。確かにいくつもの事をかけもちし、渡り歩き、しょっちゅう自分の外へと向かっている。けれどもしばらくその時が続くと、猛烈に篭りたい欲求が起る。それは1日や2日の事もあれば、もっと長い間、例えば数年ということもある。
この春くらいからそういうエネルギーの変化を感じている。 人の中にいるよりは一人でいたい、人といっしょに何か創り上げることに対してのエネルギー不足を感じている。もっと別の言葉で置き換えれば、陽から陰へのシフト、そんな感じ。
一方でNPOの無認可保育園の代表理事の仕事が回ってきて、様々な事情からこれを避ける訳にはいかない。わたしの快楽とは反対の方向にあるもの、これまでであれば避けてきたもの。でも担わなければならないという自覚がある。
それで、シモーヌ・ヴェイユなのだろう。 彼女の言葉が浸透し、深く慰められる。 そういえば、ミクシーに昨日の日記を貼り付けたらAさんが
< なんか深いですねぇ。 >というコメントを残してくれたから その後にこんなレスを書いた 、
そう、果てしなく深いのでわたしはようやく上澄みだけを眺めることができるように感じています。
たとえば、キリストの十字架についたの記述
<十字架の苦しみの最後の刹那に見捨てられるということ、どちら側にも、なんという愛の深淵があることだろう。 * 「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」 ここにこそ、キリスト教がなにかしら神よりのものだという真実の証拠がある。」 >
シモーヌ・ヴェイユ著「重力と恩寵」 <十字架>より
昨日夜遅く、6月30日の岩手山行きの短い日記と写真、7月1日の早池峰山での写真とミクシーに書いていた「賢治の山を巡って」の日記を貼り付けた。 ここではもっと詳しい山の記録を書くつもりだったが、いつその気分がやってくるかどうか分からないから。
ということで、今日は心を沈めて家事をしよう。
ここまで書いて今気が付いた。 今週の日曜日の礼拝で読まれた聖書の箇所のこと。
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」というイエスの言葉。
ルカによる福音書
9:18-26
イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。 弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」 イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、 次のように言われた。 「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」 それから、イエスは皆に言われた。 「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。 わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。
2007年07月11日(水) |
今わたしのいる地点からしか見られない創造の風景を |
仕事などで外に出かける時、バッグの中に入れる本は必需品だが、何を入れて行くかは、出かける直前のインスピレーションに頼るしかない。
ここのところ、なぜか続けてシモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」を持って出ている。 そして、電車の中ではっとするフレーズに出合った時などには、何かこう、別の世界へ移されるような感覚が起る。 その言葉を読むというのでもなく、味わうというのでもなく、わたしの内がわで鐘が激しく鳴り響く。
「・・・だが神が今わたしのいる地点からしか見られない創造の風景を、ぜひ見たいと思っていることは容易に想像できる。だが、このわたしが邪魔立てしているのだ。わたしは神がこの風景を見ることができるように、引きさがらなければならない。」
シモーヌ・ヴェイユ著「重力と恩寵」 <消え去ること>より
突き動かされるように山へ出かけるのはなぜなのか、神が創造した世界を見るべく、見させられるべく、魂がそこへと誘われるのではないか。
またこの風景は、出会う人や社会もまた指すことだろう。 今日、朗読の勉強会でごいっしょしているKさんと早いランチをごいっしょしながらゆっくりとお会いする時を持つことができたが、その場にもシモーヌ・ヴェイユが言うところの神がごらんになりたい「風景」を想った。
山日記が少しも進まない。 今日は写真をファイルしたり、サイズや名前を変えたりするのに、失敗ばかり繰り返し、2時間近くもあれこれやっていた。 ともかく取り出したい写真は取り出すことができたから29日の日記はここに持ってこよう。
*
6月29日(金)雨 八幡平へ
これから三日間の山歩きの初日、八幡平行きは朝からの雨だった。 盛岡駅着9時22分。そこから花輪線大更駅へ行き、そこで八幡平行きのバスを待つことにした。
いっかな降り止みそうにない雨、淋しい駅はしょぼしょぼといっそう淋しいかった。この天気では観光客もいない。バスには数名の山行きの格好をした人達だけ。 けれどけれど、この雨の八幡平は何とも良かったのだ。
予定を変更し、バスで山頂レストハウスまで。そこで蕎麦の昼食を取り、雨具やスパッツをつけ、傘を差して歩き始める。 鏡沼、ガマ沼、八幡沼の周囲を一周する2時間弱の散策コースだ。 ちょうどその頃、戻りのバスがやって来る事になっている。
霧の中に浮かぶ沼や地とうは幻想的で花々はいっそう可憐だった。もし今度来る機会があったら、またこのような雨の日にここを歩きたいと思ったほど、その景色は心に焼きついた。
深田久弥氏は「八幡平の真価は、やはり高原逍遥にあるだろう」と「日本百名山」の中で書いているが、この日は雨の中の高原逍遥を、ほとんど人のいないその湿原の静寂を、心から味わう事ができた。 感謝!
大更駅からタクシーで焼き走り国際交流村へ。午後4時半からゆっくり温泉に入り、林の中の静かなケビンに宿泊。



4時半起床。5時25分の電車で集合場所の高尾へ。 11名のメンバーで勝沼ぶどう郷駅から甲州高尾・棚横手山へ。
遊山倶楽部は連休中泊りがけで五竜岳に行く予定だったけれど、天候不順のため、日帰りの山行に変更。 というわけでわたしも参加する事ができた。
歩行時間は6時間くらいだったかな。 それほど高い山ではないけれど、良く歩いた。 いつものように山頂で宴会、いろんな手料理。冬瓜の煮物なんかもあった! わたしはバジルのパスタを持参。まずは好評だったかな^^
花や虫にもたくさん出会った。 こういう山、一人ではなかなか登れない山。 日曜日の礼拝はお休みしたけれど、参加できて良かった。
甲州高尾山、ヒョウモンチョウ、野生のキキョウ。 この野生にキキョウはなかなか珍しいらしい。 たった一輪だけ凛と咲いていた。
覚書
高尾 8:01発 勝沼ぶどう郷駅 9:11着 タクシーで大善寺の登山口まで。 9時半頃から歩き始める。 大善寺=柏尾根=甲州高尾山1092m(登頂12時半くらい)=富士見台=棚横手山1306m(登頂2時半くらい)=富士見台=林道~タクシーでぶどうの丘、天空の湯へ(5時半)=勝沼ぶどう郷駅 7時24分の大月行きで帰路に着く。
わたしはひょっとして計画が好きなのかもしれない。 先ほど、6月28日の日記に、八幡平、岩手山、早池峰山きの計画書をアップしたが、わたし一人の旅でもまずは計画書づくり。
そういえばここのところは英語教室の3日間のサマークラスの計画書や、中学生クラスの夏期集中クラスの計画書、教会学校のサマーキャンプの計画書といった具合に計画書ばかり作っているな。
けれど、今日考えていたのは、もっと大きな計画の事。 生活そのものの計画に関してはそういったプランをきちんと立てる事もなく、ずいぶん大雑把にやってきた、その事の反省。 山の計画にしてもそうだが、その時を逃せば帰宅ができないように、今を逃せば後で取り戻せないものがあるのだろう。
わたしがほんとうにやりたい事、やらねばならない事にフォーカスしてゆく必要があるな。 50歳を過ぎて気分はリタイヤしていたけれど、なんだかそうもいかないみたいだ。むしろ今まで以上に仕事に力を入れ、広げていく事が迫られているような気がしている。
1週間日記を書かないうちにいろんなところに出かけ、いろんな体験があった。 先ほど、24日と25日の旅の日記を記したが、昨日また岩手の山旅から戻ってきたばかり。
八幡平、岩手山、早池峰山の三座を巡る山旅はまた賢治の山を巡る旅だった。 あぁ、書くことはたくさんあり過ぎ、手に負えない。 日を遡って少しづつ書くとしよう。
2007年07月01日(日) |
ハヤチネウスユキソウの早池峰山 |
賢治の山、岩手山に登りたいと思ったのはちょうど一年前のこと。 思えばそれから少しづつそこへと近づいていった。 そしてこの前の週末にようやく念願達成。感無量。
6月29日 小雨の中、八幡平頂上の周囲の湿原を歩く。 霧の中に浮かぶ沼や池、その周りに噴出すように咲き出したミズバショウの白。
6月30日 メインの岩手山。焼き走り登山口付近のケビンをベースにおよそ9時間歩く。 あぁ、それにしてもコマクサの美しさといったらなかった。日本一のコマクサの群生といわれるが、これほどインパクトのある花との出会いはなかったと感じた。
7月1日 早朝、ひとりケビンを抜け出し、溶岩流を見ることができる自然観察路を歩く。植物の育たない真っ黒な 溶岩流がどこまでも続いている。黄泉の道をひとりで歩くような不気味なそれでいて心を掴まれるような不思議な場所だった。
相棒のSがリタイヤしたので、わたし一人で登ることになった3日目の早池峰山。 鎖場や岩にかけられたほぼ垂直な梯子をクリアし、しかも最終のバスにかけこまなければならないというリスキーな登山。 果たして登って降りてこれるものだろうか・・・ しかし必要なものは与えられる。 新花巻駅で登山バスを待っていると、わたしの後ろでバスを待っていた人から名前を呼ばれてたじろいだ。なんとその人は同じ町に住む、息子の中学時代の友達のお母さん。よく彼女がわたしを覚えていてくれたこと! 何という偶然の一致。 彼女の率いる5人の女性のパーティー(みな同じ町や隣の市に住む人達)に加えてもらっての心強い山行きとなった。
この山にしか生息しない、エーデルワイスに良く似た、ハヤチネウスユキソウがちょうど咲き出したばかりだった。 清楚で思わず襟元を正したくなるような花との対面。
帰りは、みなと別れてひとりの電車で感慨深く山旅を終える。 賢治の山、岩手山に登りたいと思ったのはちょうど一年前のこと。 思えばそれから少しづつそこへと近づいていった。 そしてこの前の週末にようやく念願達成。感無量。
( ミクシー日記より )


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