たりたの日記
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2007年06月30日(土) 焼き走りコースで岩手山に登る

とにかくコマクサの群落が凄かった。登山道の下も上も見渡す限りのコマクサ。コマクサを見るのだったら、断然このコースがいいだろう。
登り始めた時には雨だったがそのうち雨は止み、山頂が見える頃、陽が射し青空が広がった。
何と言う幸運! 山頂からの景色も素晴らしいものだった。
詳しい山日記は後日ゆっくり書きたいところ。
<コマクサ>





































<岩手山 中央火口丘 >


























<シラネアオイの群落>



























2007年06月29日(金) 八幡平へ

山旅日記と写真は7月10日の日記のページに記す。







































































2007年06月28日(木) 大人の休日倶楽部フリー切符使用の山旅の計画

山の計画を立てるのはおもしろい。
人から連れられ後からくっついていく山はのん気でいいが、一人で、あるいはわたしが誰かを誘っていく山ともなれば、山の情報、交通機関、宿や温泉などあらゆる情報を集め、効率が良く充実した旅程を立てる。

三日間で12000円の大人の休日倶楽部のフリー切符をいかに有効に用いるかというところからスタートし、まずは駅からの登山バスの有無やバスの時間を調べる。八幡平のように、盛岡からいくらでもバスが出ているところなら良いが、岩手山になれば、登山口の馬返しまではバスがなくタクシーを使わなければならない。早池峰山は登山バスは土日に限られ、それも新花巻を9時発、帰りは登山口の河原坊発5時しかない。

山の組み合わせや、岩手山の登山ルートをいく通りも考え合わせた結果、↓のような計画に落ち着き、しごく満足した。
焼き走り国際交流村で2日間、ケビンに泊るというのは我ながら良い考えだと思う。最も時間のかかる岩手山はケビンからの往復となるから、荷物も最小限度で済み、早朝にでかけることも可能だ。


       岩手山、早池峰山、八幡平山行 計画

6月29日(金)大宮→盛岡→ バス→八幡平行(3時間)→バス→タクシ→ 焼走り国際交流村泊
6月30(土)  焼走り国際交流村⇔岩手山行(歩行8時間) 走り国際交流村泊
7月1日(日) 焼走り国際交流村→新花巻駅→バス→早池峰山行(歩行6時間)→バス→新花巻駅→大宮

6月29(金) < 八幡平 >
伊奈中央→大宮 06:45〜07:07  
大宮→盛岡 07:22〜09:22 < 1駅 JR新幹線はやて1号 7,980円 >
盛岡発 八幡平行きバス 9時45分→茶臼口 着11時37分 → 八幡平山頂→ 14時30分発バス→大更駅→タクシー→焼走り国際交流村着16時頃→ケビン泊 

6月30日(土) < 岩手山 >
焼走り国際交流村出発 7時→岩手山(9時間)→ 焼走り国際交流村着16時 焼走りの湯 入浴・夕食→ケビン泊

7月1日(日) < 早池峰山 >
焼走り国際交流村出発 7時 タクシー(15分)大更駅まで(タクシー予約しておく)
大更→ 盛岡07:37〜08:17  <7駅 JR花輪線 >
盛岡→ 新花巻 08:30〜08:42  <JR新幹線やまびこ48号 >
岩手交通バス 新花巻発 9時15分→河原坊着10時38分
早池峰山登山  標準コースタイム 5時間50分
   <10時50分登山開始 バスまでの時間は6時間20分 >
岩手交通バス  河原坊発 17時 → 新花巻発 18時32分
新花巻→大宮 19:44〜22:34 < 11駅 JR新幹線やまびこ68号 >
帰宅  23時過ぎ



<費用>

交通費  盛岡→八幡平→大更駅までバス代 2250円
大人の休日フリー切符  12000円
     交流村から大更駅までのタクシー2500円×2(一人1250円)
     早池峰山行きバス往復 1340円×2=2680円
     2

宿泊   焼走り国際交流村、ケビン泊。
     コマクサプラン(3食+入浴) 6300円×2泊=12600円

その他の食事代など2400円として最低必要経費     合計35000円 


**********************************

岩手山焼り走国際交流村 http://www.yakehashiri.com/index.html
TEL/0195-76-2013 FAX/0195-76-2169
岩手県八幡平市平笠24地割728

ケビン2人用 8,200円 ( 9,400円 ) 一人当たり4,100円 ( 4,700円 )
日帰り温泉館「焼走りの湯」には、天然温泉(サウナ付)のほか、地元の食材を多用した食堂がある。
 <登山者向き、キャビン宿泊+食事+温泉2日分 で 一人6,300 円 >
   ※温泉館食堂にて夕食(地産地消の和食 コマクサ御膳)
   ※翌朝用おにぎりてづくり食材セット (ジャー入り御飯・海苔・梅   干・即席味噌汁など)
    ※2名様以上で。要予



2007年06月25日(月) 秋田駒ヶ岳へ

函館行きを急きょ秋田駒ヶ岳行きに変更。
山から呼ばれてしまった。
大宮から八戸まで乗る事になっていた「はやて1号」に盛岡で下車し、連結してあった「こまち」へダッシュ。

昨日金沢に弟を訪ね4年振り会う甥っ子達と楽しいひとときを過ごしたのだが、弟からは思いがけない物をもらった。深田クラブ発行の「日本二百名山」という写真入りのもの。彼が学生時代に買ったものらしい。そういえばあの頃、運動の仲間と山登りをしているような事を聞いていた。今は行く気もしないようだが、10年後はどうだか。

で金沢からの帰りの電車の中でその本を眺めているうちに函館の街を歩くよりもどこかの山へ行きたい!と気が変った。

家に帰って天気予報をチェックすると、なんと、なんと北海道以外はすべて雨という事だったのに秋田は晴れと出ている。取りあえず田沢湖まで行き、あの辺りの登れそうな山に登ろうと、山のしたくをして寝たのだった。

ガイドブックには秋田駒ヶ岳の8合目までのバスは夏期のみとあったから期待していなかったものの、登山口までのバスは6月21日から運行していた!
考える間もなく、田沢湖駅の前で待ってくれていたバスに飛び乗ったという次第。






























上の写真は8合目から1時間ほど行ったところにある 阿弥陀池。
この阿弥陀池のところから男女岳と男岳の両方に登った。
ぴーかんの晴れ渡った空の下、お花畑はどこまでも広がり、田沢湖は青く神秘的に眼下に水を湛えていた。























男岳山頂からの眺めは全く素晴らしかった。下に阿弥陀池。中央の山のシルエットは来週登る予定の岩手山。
山頂で写真を撮っていた二人組みの方からシャッターを押していただく。帰りはその方々からこの辺りの山のことをいろいろ伺いながら、また山の歌を歌いながら登山口まで下ってきたことだった。

























山頂発15時15分のバスは登山客で満員。
バスは「アルパこまくさ」までで。田沢湖までのバスを待つ間、そこの温泉に入ることにした。
なかなか良い温泉で、露天風呂からは美しい田沢湖がど真ん中に大きく見下ろせた。

「いいねぇ、これみるとなんもわすれる・・」
「そうですね〜」
「やまさ、行って来た?」
「はい」
「あたすはね、山で筍、掘ってきたよ」

温泉に入っていた方と言葉をかわしたが、その方の話っぷりが秋田の友人のSとそっくりなので、いっそう親しみを感じ、またSがなつかしく、帰りの電車を待つ間、メールを打った。
この3月まで行ったこともない秋田だったが、今ではとても親しい。
やっぱりこの山に呼ばれていたんだ・・・とここに来れた事がしみじみと嬉しく、有り難かった。



2007年06月24日(日) 甥っ子たちに会いに

栂池行きの翌日、大人の休日倶楽部2日目は金沢へ。
といっても観光ではなく、金沢から電車で10分ほどの松任に住む弟のところへ行った。
そこには3人の甥っ子がいる。
一番上の子は中学校3年生、次は中2、そして末っ子は5歳、幼稚園の年長。もう、4年も会っていなかったから、その成長の変化はこれまで訪ねたどの時よりも大きかった。
長男のYのことを6年前の日記に書いているが、あの小学校3年生の頃のナイーブさをそのまま残しながらも、すっかり中学生のYだった。

おもしろかったのは、Yが遊んであげている5歳の弟の姿に、5歳の時のYを見た事。
弟に連れられて駅でわたしを迎えてくれた5歳のRに、そこに小さなままのYがいるような、わたし自身がタイムスリップしたような不思議な感覚だった。

この日は数時間そこで過ごした後、夕方5時過ぎにはお暇したが、6年前のYのように大きくなったYは別れを悲しんだりはしなかった。けれど、昔のYのように弟といっしょに駅まで見送ってくれたRはYのように泣いたりはしなかったものの、悲しそうな顔をした。
この子達に会うために来年もまた日帰りで訪れよう。



2007年06月23日(土) ミズバショウは夢見て咲いていた・・・栂池湿原



























栂池。
美しい白馬の山々を背景に豊かに広がる湿原。そこに咲き始めている白いミズバショウたち。
歌の文句の通り、ミズバショウは仄かに匂うっていた。
水のほとりにぽっ、ぽっ、と咲く、その花の姿は命に溢れ、胸を打たれるものがあった。
こんなにも高い山の裾野に、なんという世界が広がっているのだろうと。

金曜日はどこも雨の予報だったから、この日に予定していた栂池湿原行きを土曜日にするべく、前日駆け込みで大人の休日倶楽部の12000円フリー切符を土、日、月の三日間に変更してもらった。
大宮〜長野〜松本〜白馬〜栂沼高原バス停からゴンドラとリフトで栂沼自然園という行程。

家を6時前に出て、自然園に無事入ったのが午後1時。日帰りのトレッキングにしてはかなり遅いスタートとなった。
長野駅から特急バス1時間半で栂沼高原バス停に行けば2時間も時間は短縮できたが、前から乗りたいと思っていた大糸線に乗り、憧れの白馬駅に降り立ちたいという気持ちの方が強かったのだ。
大糸線からはずっと美しい山姿が見えていてそれは素晴らしかったが、27駅の各駅停車のなんともスローな電車。しかも白馬駅では40分もバスを待たねばならず、思った以上に時間がかかってしまった。
しかし、この電車の旅も、白馬駅前に聳える美しい白馬三山の姿もかけがえの無いものには違いなかった。

この大糸線に乗り、白馬駅に降りたのは初めてではない。30年も昔の事、まだ学生だったわたしは同じく学生だった同居人mGに引っ張られて白馬岳に登り、松本駅の構内でシュラフに包まって寝た。当時の父親の監視も厳しい箱入り娘としてはそれこそ目が回るような人生で初めてのアドベンチャーだったのだ。
あの頃に比べると、まあ、あたしも何と成長したことか。一人で旅の計画を立て、山でもどこでも1人で歩いている。そんなことを考えながら過ぎていった日々の事を感慨深く思い出していた。



















































2007年06月22日(金) 空の鳥をよく見なさい

 朝から雨。
今日から三日間有効の大人の休日倶楽部フリーパスを買っていたのですが、一回のみ変更が効くので、明日からの三日間とし、今日予定していた長野の栂池行きは明日に変更することにしました。

 今日はゆっくり仕事の準備や朗読の練習ができて良かったです。本は旅先の方が読めますが、クラスの準備や朗読練習は家でしかできませんものね。


 今日は聖書の朗読をしてみました。聴いて下さっている方から聖書の朗読のリクエストがあったからです。

 新訳聖書のマタイによる福音書の5章と7章は「山上の垂訓」と言われ、イエスが山の上でしたと言われる説教の言葉が綴られています。
 その中でも、今日読んだこの「思い悩むな」という題のついている聖句は良く知られ、愛されているものです。 
 
↓

たりたくみ<朗読の庭>


 
< マタイによる福音書6章25節〜34節>

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

           ( 新共同訳聖書 )












2007年06月21日(木) Morning Has Broken

今朝はなんと5時に眼が覚めました。
普通なら寝なおしをするのに、鳥の声に誘われて起き出しました。
朝の庭にはピンク色の百合が開いたばかり、草花も木々もみずみずしい。

♪世のはじめさながらに♪

と、浮かんでくるのはこの歌。
そういえばいつか日記に書いたことがありました。
そうそうこれこれ。

2003年07月14日(月)の日記 Morning Has Brokenと讃美歌444番
↓


ここでキャット・スティーブンスのMorning Has Brokenが聴けました。
↓
Morning Has Broken

良い6月の一日を!


<これもミクシィ日記からです>





2007年06月20日(水) 「玄鶴山房」朗読終了


芥川龍之介著「玄鶴山房」、ようやくアップ終わりました。
毎日1章づつだと、この重く暗い小説からいつまでも抜け出せないので今日は4,5,6を一度にアップしました。
この作品は読んでみるとずいぶん難しい作品で、決して初心者が朗読する小説じゃないという事に気がついたものの、途中で止める訳にもいかなかったのでなんとかアップしました。

 さて、今度は明るいもの、さわやかなものを読みたいと思います。何にしようかな・・

( ミクシー日記より)


2007年06月18日(月) 芥川龍之介の「玄鶴山房」

昨日の勉ゼミのテキストは芥川龍之介の「玄鶴山房」という作品でした。
芥川が自殺する7ヶ月前に書き上げられた作品ということですが、短編でありながら長編小説にも匹敵するような凝縮されたものを感じます。

 また一人の老人の終焉と家族の複雑で屈折した心理を描いているのですが、それを語る語り手の視線がどこか高いところにあり、鳥の眼というよりは神の眼の厳しさと公平さをそこに感じました。そしてそれがこの作品の魅力になっているのではないかと感じます。

 ゼミの中ではこの作品の暗さや救いようのなさを指摘する意見が多かったのですが、わたしはこの作品を興味深く、味わい深く読みました。この作品については後日、書評を書きたいと思います。

 この作品を読み深めるため、またわたしが感じたこの作品の世界を表現してみたいという気持ちもあってボイスブログで、この作品の朗読を1章づつアップしていく事にしました。今は1章と2章をアップしています。この作品や朗読について意見をお聞かせいただければうれしいです。

↓こちらからどうぞ

ボイスブログ:たりたくみ 朗読の庭


2007年06月15日(金) ボイスブログ始めました

ボイスブログを始めました。
朗読の修行のためにと考え、取り合えず、始めてみることに。
何度も録音やり直して、それでもつっかえたり、ひっかかったり・・・
これではいつまでたってもアップできないので、完璧を望むのはやめて、思い切ってアップしました。

今回は自作のエッセイを読みました。
これからいろいろな文学作品や詩を朗読していけたらと思います。
ちょうど路上パフォーマンスの感覚で、聴いていただく事で上達を図ろうという魂胆です。
どうぞ、よろしくお願いします。
↓

たりたくみ<朗読の庭>


2007年06月10日(日) 長谷川勝彦さんの朗読会

長谷川勝彦さんの<朗読の散歩道>�◆嶌筝�安吾を読む」を聴きに行った。

雨の中、主日の礼拝の後、急ぎ都内へ。新宿から京王線に乗り明大前で降りる。
キッドアイラックアートホールにはちょうど開場時間の1時30分。
この場所は今回で2回目だが、なぜか充分になつかしい。
会場には30席ほどの座席が用意してあっただろうか。わたしは最前列の左端の壁にぴったりついた席に陣取る。
すぐ目の前に朗読者の座る椅子と本の置かれた丸テーブル。なかなか心地よい場所、心地よい空間だ。
物々しいステージではなく、かといって殺風景な教室でもなく、この小さなホールの朗読会はなんと贅沢なことだろう。

長谷川勝彦さんから月二度、さいたまアリーナのNHK文化センターで行われている朗読教室で指導を受けている。その教室で今回の朗読会の案内もいただいた。NHKのハイビジョンの番組、「司馬遼太郎と城を歩く」「私の藤沢周平」で
同居人共々、録画しては長谷川さんの朗読を楽しんでいるが、ライブの朗読会は初めての事。しかもテキストが坂口安吾という事でおおいに期待していた。

会場にはさいたまの教室でごいっしょの方も2人いらしていて、観客は圧倒的に女性が多かった。
開演時間の2時になり、長谷川さんがステージの椅子に座り、本を開くと、すばらしいリーディング・ボイスが流れ出し、その声に導かれて、その空間が安吾の世界に変った。
この日のテキストは「恋をしに行く」と「堕落論」。安吾はとても好きな作家だ。他の作家と同列には並べられない特別な親しさがある。屈折していたり逆説的だったり、理屈っぽかったり、難解だったりするのだが、そこが何とも好きだ。
長谷川さんの朗読には安吾の強さと直向さが滲み出ていた。まったく「安吾」そのものだったので、わたしは安心してその朗読に身をまかせ、安吾の言葉を聴き味わい、ある時には笑い、うなずき、何か大切なものを共感したような喜びを覚えた。「恋をしに行く」、1時間45分の朗読。何とも充実した朗読だった。この作品をわたしは読んでいたのだが、自分で読んでいた時には見えなかったものが見えてきた。とりわけ最後のところで、少なくとも安吾が何を希求しているのかそのことはストンと落ちたと思った。収穫だった。「恋をしに行く」のインパクトが大きかったせいか、「堕落論」の朗読の時は頭がぼおっとしていた。けれども、安吾節は気持ちに響いていて、家に帰ってから「堕落論」も、時間の関係で割愛された「続堕落論」も家に帰ったら読もう。

朗読会に続いて、地下のカフェで懇談会の席が用意されていたので参加した。6人の方々とごいっしょに長谷川さんのお話を伺う事ができ、文学や映画のこと、朗読について親しくお話する事ができて幸いだった。
ところでこのキッドアイラックアートホールはホールの雰囲気も好いが、この本や絵に囲まれた書斎のようなカフェはとてもいい。ワインや料理にもどこかのお宅に招かれたような細やかな心配りがあり、ほっかりと気持ちがほぐれる。先生以外は初めてお会いする方ばかりだったのに、余計な緊張や気後れも感じる事なく素敵な交わりのひとときだった。

それにしても朗読を学び始めて良かった。もっと精進しよう、良い朗読ができるように練習を積み重ねようと、意気揚々と帰って来た。


















2007年06月08日(金) ボッティチェリの受胎告知






























前回の続きになるが、受胎告知の絵としては、わたしはボッティチェリの受胎告知の方が好きだ。というか、同じ時にウフィッツ美術館で観て、このボッティチェリの受胎告知の生き生きとした動きや色彩の艶やかさ、人物の姿形の美しさに目を見張った。そのなまめかしさは女性的で、男性の作品とは思い難いような印象だった。
その後でダ・ヴインチの受胎告知を観たので、ボッティチェリの動きのある絵や艶やかさとは対照的で静的で重厚、男性的な印象を受けたのだった。


2007年06月06日(水) ダ・ヴィンチの「受胎告知」を観る



















レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」 を観ようと、久し振りに、上野の東京国立博物館へ出かけた。
平日の午前中だから空いているだろうという考えは甘かった。
この絵が一点だけおかれている第一会場に入るのに、相当な列ができていて、会場に入るまで20分は待たなければならないらしい。

ようやく会場には入れたものの、一枚の絵の前にはすごい人が犇いている。絵を真近で見るために最前列に並んでも、そこで立ち止まる事は許されない。
係りの人がひっきりなしにマイクで叫び続けている。
「前の方の方は立ち止まらずに歩きながらご覧下さい。また後ろの方も、ここは通路になっておりますから止まらないで下さい」

つまり、絵の前を横切る事しか許されていないという訳だ。平日の午前中がこの調子なら週末はいったいどれほどの人がここに押し寄せるにだろう。最前列に並ぶ事はあきらめ、通路だとされる満員電車の中のような場所に3分ほど止まってその絵を眺めた。でも、部屋全体が暗いからか、たくさんの人の背中が前にあるからか、ダ・ヴィンチ「受胎告知」の絵と向き合い、そこからエネルギーを貰うという事はできる話ではなかった。

実は、15年ほど前、この絵をフィレンツェのウフィッツ美術館で見ている。
今思えば、あの時はなんと贅沢な観かたをした事だろう。
広いフロアーには、「受胎告知」と共に「東方の三博士の礼拝」と「キリストの洗礼」が他の聖画と共にさりげなく展示されていた。ボッティチェリの息を呑むような華麗な絵をさんざん観た後に、ダ・ヴィンチの「受胎告知」は渋く重厚な印象だった。そこだけに違う空気の流れを感じた。「あっ」という感覚を覚えている。

今思えば信じられないような事だが、ルーブル美術館では周りに誰もいない「モナ・リザ」の絵の両脇に子ども達を立たせて記念写真を撮り、修復途中の最後の晩餐の絵が置いてある修道院も訪ねた。小学校2年生と4年生の子どもたちを引き連れての家族旅行だったから、こころゆくまで絵と向かい合うという訳にもいかなかったが、それにしてもあれこそは貴重な出合いの連続だった。

今回、絵にしっかり向かい合う事はできなかったものの、第二会場でのこの絵についての説明の映像や、ダ・ヴィンチの科学者としての視点がこの絵にどのような影響を与えているのかといった、ダ・ヴィンチを様々な方面から検証し実像に迫るという展示の主旨はそれなりにおもしろく有意義だった。

それにしてもマリアに受胎を告げる天使ガブリエルは何とも好きだ。マリアを見つめる強い眼差しとマリアに向かって掲げられた二本の指の形、そのうつむく角度。赤い衣の華麗さと、羽の描写の生々しさ。は何とインパクトのある表現だろうか。またそれを受けるマリアの毅然とした表情は凛々しく、これから救世主の母として引き受けるべき運命をしっかり見据えているように見える。真に力強く美しい女性として描かれているのが好ましい。
二人の間の少し隔たった空間にその緊張した空気が漲っているが、その向こうに青く霞んでいるキリストを暗示している山が見えている。その山に目をやれば、そこに向かってすうっと意識が持っていかれるような不思議な感覚が起る。平面に書かれた絵であるのもかかわらず、そこに果てしない奥行きの深さ、はるけさを感じるのだ。

願わくは、もう一度、フィレンツェのウフィッツ美術館を訪れ、何時間でも立ち尽くして観たいと思う。



< 受胎告知>

ルカによる福音書 1章26節〜38節

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」
マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
 


2007年06月04日(月) 菅原克己という詩人

今日の正津勉・文学ゼミは菅原克己という詩人の詩についてだった。

この2週間ばかり、この詩人の詩と共にあった。
例えばカフェとか、例えば電車の中とか、行く先々でその詩を持ち歩いては読んでいた。もちろん家でも。

家では声に出して何度も読んだ。
読むほどにその詩をとりまいている空気が自分の空気に混ざってきて、わたしは少しも哀しいことなど無いというのに、とても哀しく、さびしくなってしまうのだった。

そしてどういう訳だか、わが同居人の事が浮かんだ。
理由は良く分からない。
いや分かっている。ほんとうは。
ただ言葉にすると、うそっぽくなる。

「マクシム」という詩は友部正人が歌っているし、また別の詩、「ブラザー軒」は高田渡が歌っている。
二人とも、高校時代のわたしのアイドルだったが、この詩人の事は今の今まで知らなかった。

ところが、ひとつ、その詩がこの詩人の詩とは意識する事なく、深く心に落ちてきた詩を読んでいた。「光子」という、詩人が自分の妻の事を詠った詩だ。
正津先生がBゼミのサイトで愛の詩のアンソロジーを連載されていた事があったが、その中に「光子」という詩について書かれた文章があった事を思い出した。

この時期に、この詩人に巡り会えた事は良かった。
何か、不確かだったものが確かに見えてくるような、目の曇りがすっきりと晴れるようなそんな変化が起る。
例えば、この「マクシム」という詩の中の

 みんなほんとうだった。
若い時分のことはみんなほんとうだった。

というフレーズ。
「ほんとうではない」ことにまみれ、自分自身も「ほんとうではない」ことに侵され、その事に密かに傷つき、詩人は昔の記憶の中から「ほんとう」を手繰り寄せては言葉にしているように思える。
その痛々しさのようなものが胸に迫る。
この詩人の詩にはどの詩にも「ほんとう」を探す、うなだれたひたむきさが見えている。


「ほんとう?」
わたしは自分の「ほんとう」と「ほんとうでないもの」をじいっと見極めようとする目になっていた。



「マクシム」

                   菅原 克己

誰かの詩にあったようだが
誰だか思い出せない。
労働者かしら、
それとも芝居のせりふだったろうか。
だが、自分で自分の肩をたたくような
この言葉が好きだ。
<マクシム、どうだ、
 青空を見ようじゃねえか>

むかし、ぼくは持っていた
汚れたレインコートと、夢を。
ぼくの好きな娘は死んだ。
ぼくは馘(くび)になった。
馘になって公園のベンチで弁当を食べた。

ぼくは留置場へ入った。
入ったら金網の前で
いやというほど殴られた。
ある日、ぼくは河っぷちで
自分で自分を元気づけた、
<マクシム、どうだ、
 青空を見ようじゃねえか>

のろまな時のひと打ちに、
いまでは笑ってなんでも話せる。
だが、
馘も、ブタ箱も、死んだ娘も、
みんなほんとうだった。
若い時分のことはみんなほんとうだった。
汚れたレインコートでくるんだ
夢も、未来も……。

言ってごらん、
もしも、若い君が苦労したら、
何か落目で、
自分がかわいそうになったら、
その時にはちょっと胸をはって、
むかしのぼくのように言ってごらん、
<マクシム、どうだ、
 青空を見ようじゃねえか>




2007年06月02日(土) この1週間

 またまた1週間も日記を更新しないまま過ぎてしまった。
ここをいつも覗いて下さっているあの方、この方の「どうしたの?」という心配そうな顔が浮かんでくる。

 わたしが日記を更新しない時というのは、同じパソコンで何か作業をしている時に決まっている。調べ物をしたり原稿を書いているか、さもなくば、山行や旅の計画作りに没頭しているかだ。

 今年2回目の大人の休日倶楽部の12000円フリーチケットが売り出しになった。指定席や宿を確保する事を考えれば、ぐずぐずしてはいられない。
今週は2回分の山旅の計画を立てるのにまず忙しかったというわけだ。

 計画といえば、英語教室のサマークラスの計画書作りもこの週にやったこと。今年は8月6日から8日までの3日間。ネイティブの英語教師を迎えてのサマーデイキャンプ。
 先週参加した英語教師のためのセミナーで出合った「チャンツでポン」のダウンロード教材をたくさん印刷してカードや練習用シートをたくさん作った。
 PC関連レでは、メールアドレスをgmailに変更したので、変更のお知らせのメールを相当たくさんの人に出し、それもまた忙しかった。


 家事に関しては、衣替えと庭の花の植え替え。一年に二度、5月の末と11月の末に花の入れ替えをする。春の庭の花はもうおしまい。これから秋にかけて咲き続ける花を植え込んだ。遡って、そのあたりの日記もアップしようと思う。


*

写真は地植えのアリストロメリア。
この日、長谷川勝彦氏の朗読教室の第4回に参加。充実した学びだ。
その帰り、同じさいたま新都心駅のスーパーアリーナで開催されている、
「ジャパン フラワーフェスティバル 2007年さいたま」へ。たくさんの花、たくさんの人。


2007年06月01日(金) 3年目のベロニカ・ブルー

























ベロニカ・ブルーは去年もここにアップした記憶があります。

今年も約束を守るように5月頃から葉を出し、
春の花が枯れてしまう頃、
「わたしの番よ!」とばかりにパープルの穂をつけます。



<ちょっといんちきですが、今の庭の花の写真を1週間分の日記として貼り付けました。後で書き足すことにしましょう。>

*
午前中、新しくしたテレビを設置するための工事。
画面の半分が黒くて映らなかったテレビが今度は見違えるほどに美しい画像に。ハイビジョンも観ることができる。
これを機会に少しはテレビ番組に関心を持つことにしようと思う。

ここのところかかりっきりだった岩手山、早池峰山、八幡平の三座に登る山行きのプランがようやく仕上がった。
この山行きの相棒のSとジムでヨガクラスの後待ち合わせ、計画書を手渡す。計画は我ながら良い出来。そのうち、ここで紹介したい。


たりたくみ |MAIL |HomePage

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