たりたの日記
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2007年01月31日(水) |
「サロメ」とフェミニズム? |
昨日の日記でワイルドの事を書いたが、1年以上前に書いた「サロメ日和」という日記が見つかって、そこを開いたら、その1年前に書いた「サロメ」の記事が出て来た。(昨日の日記にリンク貼りました)
それをさらに遡れば、これまでに何度も、聖書の中で、あるいは、様々な映画のシーンや絵画の中でサロメを見続けてきたような気がする。なぜ惹かれるのかその理由も分からないまま。絵画の中にサロメがいると、そのタイトルを見ないうちからそれがサロメである事が分かった。
なぜ、サロメはバプテスマのヨハネの首を世の中宝のすべてを天秤にかけても望んだのだろう。ワイルドの解釈はそれとして、わたしはワイルドを読む前から、子どもの時分からサロメの事が気にかかっていたのだから、そこのところを突き詰めてみたいと思う。
ゼミの時にkさんの意見の中に出て来た上野千鶴子氏の高橋たか子批判は、あまりにも高橋氏を知らない、いえ、知りえない人の批判と聞えたが、実際はどうなのか、確かめたいと思う。 というのも、高橋たか子こそ、尾崎翠同様、いわゆる主義主張とは別に、自らの感性の中に確固たるフェミニズムを有している女性とわたしは考えるからだ。しかし、女性の集団が作り出す、一定の枠組みには入らないものではあるだろう。 そう、サロメにかかわるような何か、もっと根本的な・・・言葉では上手く言えないけれど。 「サロメ」とフェミニズム・・・
今日は仕事の前、図書館へ行くとしよう。
昨日、ゼミで高橋たか子の「ロンリー・ウーマン」の読書会があった。 昨日までの2週間というもの、それはそれは高橋たか子の小説やら評論を読んで、なんだか頭が酸欠状態のようにフラフラしている。 もう、今日を限りにしばらくは読まないと思っていたのに、今日はまだ読んでいた。
昨日は「ロンリー・ウーマン」についていろいろな話を聞くことができておもしろかった。こういう作品についての意見というのは、その人そのものの傾向みたいなものがくっきりと分かるので、個々の発言そのものが興味深かった。 予想通り、肯定的な感想は少なかった。でもゼミそのものはいろいろな意見が出て盛り上がったから、このテキストは悪くなかったのだろう。 どの方も高橋たか子は初めて読んだと言っていたから、紹介することができて良かった。好き、嫌いは別として。
今回のゼミを通して、わたし自身には大きな発見があった。土曜日に日記にアップしたレポートの最後の章「欠乏」そして「空洞」。 ドイツの神学者カール・バルトが言っていることを通して、わたしがなぜ高橋作品が好きかということが分かった。また好きだと思うものにひとつの傾向があるのだが、それらが何に由来するのかということも。 気持ちが通じる人間とそうでない人間とも、そこのところと関係がありそうだ。この事はもう少し、考えてみたい。
レポートはかなり独りよがりなもので、評価のようなものは期待しておらず、長すぎるから嫌がられるかもしれないなとそんな気持ちで持っていったが、先生や他のメンバーの方々からは誉めていただき、素直にうれしかった。
今日読んでいた高橋たか子のエッセイ集「記憶の冥さ」に、「渇いた女・サロメ」というタイトルのエッセイがあった。高橋氏がいかにオスカー・ワイルドの「サロメ」を好きかという事が書いてあるのだが、「そう、そう・・」とわたしも思うのだ。
ところで、今年の鳥取での「尾崎翠フォーラム」は7月7日(土)〜8日(日)にあるらしいが、今年の企画は、東京女子大の近藤裕子さんの講演と、澤登翠さんの活弁付きで無声映画「サロメ」の上映ということだ。この「サロメ」は間違いなく、ワイルドの脚本の映画だろう。 ところで、尾崎翠と「サロメ」はどう繋がっていたんだっけ・・・ きっと何か関係があるのだろう。 でもここでも繋がる。翠、ワイルド、サロメ、高橋・・・
サロメ、バプテスマのヨハネの首をヘロデ王に所望した悪女で知られるサロメ、しかし、ワイルドの描いたサロメは単に悪女ではない。ちょうど高橋が描くロンリー・ウーマンのように、内なるドラマがある。 しかし「サロメ」が好きか嫌いかという事にしても二分されることは容易に予想がつく。
以前、ワイルドの原作を元にしたオペラの「サロメ」と現代劇の「サロメ」をマキさんから送っていただいたビデオで観たが、それは印象に残るものだった。(確か、ここに書いたはずだけれど・・・見つかった、去年の11月23日の日記サロメ日和 「サロメ日和」) フォーラムで上映されるという無声映画「サロメ」も見てみたい。 何より、尾崎翠に関する研究発表や講演は興味深い。夏の鳥取に出かけてゆくかな。
高橋たか子のエッセイの他には、永瀬清子の詩集と永瀬清子の書いたエッセイ「すぎさればすべてなつかしい日々」、S先生からお借りした井坂洋子著「永瀬清子」も平行して読み始めた。しばらく、この女性詩人にかかわってみるつもり。 ここにも何か繋がりの兆しが見える。
2007年01月27日(土) |
高橋たか子著 「ロンリー・ウーマン」を読む |
この短編「ロンリー・ウーマン」を何度目かに読んだ後、独特の充足感に満たされていることに気がついた。これほど、救いようのない、残酷ともいえる描写や、狂気にも近い病的な世界に、「豊饒」と表現したいような味わいを覚えるというのはいったいどういうわけなのだろう。 「ロンリー・ウーマン」に限らず、同様に自殺や狂気、犯罪がモチーフになっている「没落風景」や「誘惑者」といった高橋たか子の初期から中期にかけての小説にも同様な充足感を覚える。高橋作品が共通して持っている何かが、そうさせるのだろうが、それがいったい何なのか、短編「ロンリー・ウーマン」を通して考えてみたいと思う。 この作業をするにあたって、思いつくいくつかのキーワードと思えるものをあげ、それについて考えを巡らし、またこれまでに読んできた高橋たか子の文章や評論の中からその裏づけになるものを取り出してみよう。
<夢>
話は主人公の咲子が自分の夢の中で、長い呻き声をたてているのを、ぼんやりと意識するところから始まる。この呻き声はからだの奥の、どこか茫漠としたところから出てくるというのである。わずかに5行ほどの文章だが、その夢の描写は巧みだ。その何とも表現し難い、夢と現実の狭間で起こる現象を、的確に表現している。 さて、この茫漠という言葉は高橋氏がよく使う言葉だが、この物語の冒頭で、読者の意識は表層をずんずんと降りて自らの茫漠としたところへ下降してゆきはしないだろうか。ちょうど自分の夢の中に入ってゆくような具合で。 そう、高橋氏の描写によって見せられる絵は、夢の中で見る絵に似ている。どこかリアリティーに欠けるのに、妙に生々しく、そして象徴的だ。 高橋氏の小説は私小説ではない。自分を含め、周囲にいる実在の人物をモデルにして書くようなことも一部の例外を除いてはない。外界の世界と関係を結ぶことなく、ひたすら自分の深層へ降りていってそこから汲み上げて書くという方法を取る。つまり幻想や夢が支配している場所が高橋氏の作品の舞台となるのである。当然、読者もまた作者が降りていった深層へと伴われ、そこで見える風景の中に置かれる。とすれば、読むという行為が、ちょうど夢や瞑想の中を通ってきた時と同じようなカタルシス(浄化作用)を伴うはずだ。考えてみれば、これは古今東西の昔話が共通して持つ力であり役割だったもの、それはまた文学の中で継承されるべき役割に違いない。 高橋作品を読んだ後に覚える深い充足感や意識の澄んだような感覚、何か豊饒なものは、ここにその理由があるのだろう。
<火>
咲子が目を醒ますと、消防車のサインが鳴っている。読者は夢の中の夢にさらに導かれ、<鮮やかな朱色となって、ぼうぼう蒸発していく視野>の中に置かれる。不安な、けれども美しい火は、どこか現実のなまなましさがない故に、そこに引き込まれてゆく。 咲子は<窓際で迫ってくる火勢に見惚れている>。火を眺めながら、<切実さと、動こうとしない自分と、そのちぐはぐな二つがある。>、この場面は火の柱や火の粉などの視覚的な描写と合間って、美しく官能的だ。官能美、これもまた高橋作品の魅力だ。 この作品を通して火という文字が乱舞しているような印象がある。その文字だけ数えてみると60個に及ぶ。火という活字が出てくる度に、そこにぽっ、ぽっ、と火が起こる。不思議と熱さのない冷たい火だ。その火のイメージはこの作品全体にエロスの煌きのようなものを与えている。この火のイメージも高橋作品に特徴的で、「没落風景」の最後の部分にも、主人公の姉が放火し、その火を呆然と見つめる場面があるし、「誘惑者」では<死ぬなら、煮えたぎっている火にむかって垂直に墜落していく火山がいいこと・・・>といった火への執着が繰り返し描写される。 バラシュールは『火の詩学』の中で、火はいっさいの精液の原理であり、火とはいわゆる身体ではなく、女性的物質に生気を与える男性的原理であることを指摘している。また火は楽園で光輝くとともに地獄に燃える業火であり、煮炊きする火であると同時に黙示の火でもあり、安楽と尊崇、正と邪の神、神であると同時に悪魔的な性格を持つという。( 長谷川啓著「誘惑者」を読む―内部の魔への凝視/「高橋たか子の風景」 ) ロンリー・ウーマンの中で用いられている火はそうした火の持つシンボリックなものを内包していると感じる。 またこの火のイメージについて、高橋氏は「神は火」というエッセイを次のように結んでいる。高橋たか子らしい神理解だと思う。
<燃える火が邪魔なものをすべて焼きつくしていかれる。終局において、火そのもののうちに入って、火と合一し、至福になるように、と。 この世にいるかぎり、終局ということはないけれども、自分の内にある邪魔なものが焼かれていく試練ごとに、炎がはためき出て、至福の分け前をいただく。 > ( 高橋たか子著 エッセイ集「水そして炎」)
<渇き>
この咲子の住む地域には五十二日も雨が降らず、空気がカラカラに乾いているというのだ。この短編を通じて、この乾燥した天気を表わす描写が執拗に繰り返される。ざっと数えて30回は出てくる。そして、この「乾き」は空気の乾きに留まらない。作品の後半では咲子はしきりに「喉が渇く」と訴えるのだ。いつのまにか空気の「乾き」が心の「渇き」へ移行していることに読者は気づく。 この作品の中で「渇く」という言葉は重要な意味を持つ。この「渇き」こそが、この作品のテーマだと言えるだろう。 「渇く」ということは「水」を求めるということ。内的渇きであれば、それを潤すものを求めるということになる。「ああ一滴の水」、「水を一杯いただけませんか」という言葉がシンボリックに響く。作者自身が自分の内面に非常な「渇き」を覚え、それを主人公の咲子に語らせているのだ。ここでの「喉が渇く」という訴えはそうとしかと言えないような切迫したものを含んでいる。 この「渇き」という概念は、あらゆる高橋作品の底流にある。例えば、「没落風景」の最後の部分、放火した彌生が竹藪の炎上を見つめながら言う言葉 <だが、これほどの炎上によっても充たすことのできないものを、彌生は自分の中に意識した。渇いている、渇いている、何処まで行けばいいのか。彌生はそう呟いた。> 高橋作品の「渇き」に接する度に思い起こされるのが新約聖書ヨハネ福音書4・13〜15の、井戸に水を汲みに来たサマリヤの女とイエスとの対話だ。 <サマリヤの女とイエスの対話である ヨハネ福音書4・13〜15 「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください」 は、私のすべての小説の全体にわたって鳴りひびいていると言ってもいい。 「この水を飲む者はだれでもまた渇く」という「この水」を飲むことしか知らずに、渇きつづけていた受洗に至るまでの私、受洗後もまだ「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない」という「その水」の在り処がわからず、渇きのやまなかった私が、あれほど小説を通して渇きを乱舞してきたというのに、今、もう渇いていない私がここにいる。> ( エッセイ「受洗の頃」/高橋たか子自選小説集第一巻、巻末)
ところでこの短編が書かれたのは1974年の6月。同じ年の11月頃、高橋氏は遠藤周作の紹介で井上洋治神父のところに通うようになる。そして翌年、「誘惑者」執筆の最中に洗礼を受けている。洗礼名はマリア・マグダレナ。七つの悪霊をイエスから追い出してもらった娼婦、生涯イエスの弟子としてその側を離れることのなかったマグラダのマリアのこと。
<焼かれる幼児>
放火の犯人が小学校を狙っているという事実に咲子は惹き付けられる、そして幼児が火に焼かれるというイメージを繰り返し描くのである。そのイメージの描写は7箇所に渡って出てくる。 なぜ犯人は放火したのだろうという問いに対して咲子は警官に向かって<放火犯は幼児たちを焼き殺したかったのだ>という犯人の犯行の理由を語る。それは、咲子自身の内なる告白でもあるのだろう。これは悪意に満ちた、残酷で悪魔的としか言いようのない表現だ。しかし、なぜ幼児なのだろう。なぜ幼児を焼き殺したいという衝動を咲子は持つのだろう。 この作品の中には、<闇の底に、産み落とした胎児が息づいているかのような、そんな危うさが、強く意識された>という表現も出てくるが、咲子には胎児や幼児への嫌悪感があると感じる。それは生命そのものへの否定のようにも感じられるし、また、母性の否定、母性への嫌悪とも受け取れる。 高橋氏は他の作品でも、自分の娘を嫌悪する母親(「相似形」)や、友人から赤ん坊を盗み、その子を精神的奇形に育てようとする女性(「空の果てまで」)など、母性の欠如や子どもに対する悪意のようなものを様々に形を変えて書いているが、母性への嫌悪や敵対のようなものが作者本人の中にあるように思う。それは、産む性を持つ女そのものへの嫌悪なのかもしれない。そして、その嫌悪は他ならず、女である自分自身へ向けられている。 わたしは高橋作品に登場するこうした悪意に満ちた女性たち、またこの作品の中で、古新聞の記事の中に示された、<荒廃したものとなまなましいものとの奇妙な混淆>を共通のしるしとする「ロンリー・ウーマン」たちに愛着やシンパシーを感じる。それは自分自身の中に同様なもう一つの女を認めるからだ。そして作者がそういう内なる女を裸で晒し、断罪すると同時に開放しようとしている、嘘のなさ、潔癖さを感じる。
高橋氏は「性―女における魔性と母性」の中でこのように語っている。 <女には魔性の女と母性の女、娼婦と母、この二通りのタイプがあると分類したのは男性である。しかし私には、二通りのタイプとは思われない。たまたま何かによって自分に目覚めた女が魔性の女なのであり、目覚めない大多数の女は魔性の部分を生き埋めにさせたままでいるだけなのである> (エッセイ集「記憶の冥さ」/人文書院 )
< 罪 > 咲子は放火犯に並々ならぬ興味を持つようになった末、自らを放火犯人に仕立て上げるような行動に出る。咲子の抱くような、犯人が自分であってもおかしくはない。もしかすると自分かもしれないという心の傾きは誰にでもあるものなのかもしれない。法的には罰せられる事がなくても、人は自分の悪意や罪といったものを自覚し、それを重く感じているのだろうから。そして、どこかでその罪の意識を下ろしたいと無意識の内に感じているのだろうから。しかし多くの人間は自分の罪を隠そうとこそすれ、犯さないでいる内面の罪のために罰を受けようなどとはしない。ところが、咲子は自分を犯人に仕立て上げようとする。これは自己破壊衝動なのだろうが、その衝動を行動に移してしまう。読者は不安な気持ちと、なぜという疑惑を抱いて咲子の行為を見守る。 しかし、そこには、咲子が自分であるかのような錯覚もおこる。夢の中ではそんな自分が現れないだろうか。 咲子はその事を終えた後、<なぜかほっとして、自分の部屋へ戻り、それから熟睡した>とあるが、それは自らが加害者となり、法的な犯罪者の立場に身を置くことでひとつの贖罪を得、開放されるということを暗示しているのだろうか。 このことで、作者が語っている言葉に興味深いものがある。
<自分が犯しもしなかった罪ではるが、犯しもしなかった故に自分しか知らない自分の罪というものがある。さらにまた、犯しもしなかったので、自分の中にそれがあるとは知らなかったが、小説を書くことによってはじめて潜在意識から原稿用紙の上へと顕現してきた罪というものがある。そういう一切を、私は読者にではなく、絶対者にさしむけているのだ、という気がするのである。 (中略) 一般に作家というものは神にむけて書いているのだろう。キリスト教の神でなくとも、自分の内なる神にむけて書いているのではないか。> (「悔悛の文学」「文芸」1997年2月号)
< 悪魔 > 物語の最終部、咲子が自分が犯人であるという偽装をした翌朝の描写と、刑事が咲子に向かって歩いてくる描写の間に、少し違ったトーンでこの作品の中で、挿入されている箇所がある。そのまま引用しよう。 < この晴天続きの単調さの只中から、一人の放火犯がむっくり頭をもたげる。陰湿な、凶悪な、そんな人間ではない。青い油絵の具を原色のまま塗りこめたような、この青さそのものの空から、鋏で切り取られたとでもいうような、一つの意思が生じ、地上に偏在しはじめる。そいつが、いつまでも雨の降らない人々のなかに、そっと忍びこむ。そいつは人々と共に呼吸する。ちょっとしたきっかけで、そいつは人々の内部から飛びだし、実行してしまう。だが、そいつは、何処にもいない。> これは悪魔そのものの描写だ。なぜここに悪魔の存在を読者に知らせる文章が挟まれているのか。これはひとつの暗示なのだろう。この咲子の行為を促すものとして作者は悪魔を登場させたのだろう。 高橋作品には、人間の潜在的な悪はもちろん、そこに入り込み、それを潜在的なところから実際の行為へと促す「悪魔」の存在が見え隠れする。 上記の記述にあるように、罪を犯す小説の登場人物達は、けっして凶悪な人間ではない。普通の社会人であり母であり子である。ところがある時、何かのきっかけから、ひょいと悪魔が入りこむ。悪魔はその人間を破滅させる方向へ突き動かしていく特性を持っている。何かに渇いた人間が、その渇きを癒す水を得られずにいる時に、そこを狙うかのように巧妙に入り込んでくる悪魔の存在。 その悪魔の記述の後の咲子の描写は、咲子が悪魔に捕らえられた事を暗示しているかのようだ。<咲子は薄ら笑いを浮かべながら、刑事にむけて一直線に歩いていった> < 哄笑が咲子の喉もとに突あげてきた> <見張るって・・・・? もうあなたの手には負えなくなったようですよ> <私一人だけではなく、隣の婆さんまで狂いだしたからです、と告げたかった。> と咲子の言葉の中に荒廃した「破れ」が見える。 澁澤龍彦・矢川澄子夫妻と交友があった高橋氏は、澁澤氏から「悪魔学」の影響を受けている。「ロンリー・ウーマン」を書いた時点では、悪魔こそが絶対的なものであったのかも知れない。「誘惑者」の中で主人公哲代にこう語らせているからだ。 「存在するものは悪魔なのであり、存在しないものは神なのだわ。悪魔が神のアンチ・テーゼなのではなくて、神が悪魔のアンチ・テーゼなのよ。 悪魔が存在するからこそ、神というものが希求されるのだわ。」
<「欠乏」そして「空洞」>
この作品は作者が存在する悪魔を目の前にして、存在するとも分からない神へ向かって、激しく「渇き」を訴える人間の魂を描いた作品と言える。小説はここまでで、その「渇き」が宙に浮いたまま不安の中に取り残されるが、作者自身は自分の分身ともいえる咲子を悪魔の掌中に落とすことで、そこを通過するのである。その深淵としか呼びようのないところで高橋氏は神と出会っている。 ここで思い起こすのは神学者、カール・バルトの言う「欠乏」そして「空洞」だ。以下の文を富岡幸一郎著「悦ばしき神学―カール・バルト『ローマ書講解』を読む」から引用する。
<神の道において出会うということはどういうことか、ということについてバルトは、こう述べています。出会うということはどういうことか。お互いにとって何者かである、ということである。それでは、何によって他の人にとって何者かでありうるのか。それは、その人の「内面の豊かさ」によってではないし、およそ、その人が「現にあるところのもの」によってではない。「現にないところのもの」によってなのだ。そう、バルトは言うのです。その人の内面が豊かで、それを表に出すと、他の人が近づいてきて、出会う、そういうものではない、ということです。 「現にないところのもの」とは何か、「欠乏」です。そして「欠乏」していればこそ、それが満たされるべきものとして、「嘆き」と「望み」の形をとって姿を現すのです。この「欠乏」は、またここで「空洞」と表現されているものと関連しています。この「欠乏」「空洞」を見ることができる人間こそ、神の道において出会えるのです。>
この物語の咲子を含む、ロンリー・ウーマンとは、「渇き」を叫び、「欠乏」し、「空洞」を見ている女たちである。ここにわたしが高橋作品の女達に出会いたいと思う理由がある。自分の中の「欠乏」「空洞」を確認したいのだ。常にそこへと自分を位置づけるのでなければ、わたしは神と出会う道を見失ってしまうだろうから。
―参考文献―
< 高橋たか子著作 > 連作長編小説「ロンリー・ウーマン」 集英社文庫 ( 解説 松本徹 ) 自選小説集全第1巻/講談社 長編小説「没落風景」 新潮文庫(解説 上総英郎 ) 小説集 「彼方の水音」 講談社文庫( 解説 平岡篤頼 ) 自選エッセイ集「どこか或る家」講談社文芸文庫(解説 清水良典) エッセイ集「「水そして炎」/女子パウロ会 エッセイ集「記憶の冥さ」/人文書院
<評論> 「神と出会う―高橋たか子論 」 山内由紀人著/書肆山田 「高橋たか子の風景」 中川成美・長谷川啓編/彩流社 「内なる軌跡 7人の作家達 」 上総英郎著/朝文社
<その他> 聖書 / 日本聖書協会 ( 新共同訳 ) 「悦ばしき神学―カール・バルト『ローマ書講解』を読む」 富岡幸一郎著/五月書房
2007年01月24日(水) |
高橋たか子著「荒野」を読んだ日 |
結局、夕べはベッドの中で「没落風景」を読んでしまって、寝たのは2時。 読み終わるまでは寝ることができなかった。最後に近付くにつれて凄かったからだ。狂気、放火、焼き尽くす意味での火。すべてが崩れてゆく強烈なイメージ。「渇く」という悲痛な叫び。「ロンリー・ウーマン」のテーマがここにもある。 そしてここでも、読み終えて、何か、深く静まるものに満たされる。 この安らぎはいったい何なのかと自問しながら眠りにつく。 カタルシス(浄化作用)としかいいようのないもの・・・
薬が効いたのか、今日はひどい鼻水も止まっていて仕事には支障なかったが風邪っぽい。3クラスを終えた後、夕礼拝には残らずに帰宅。 行きの電車で読み始めた、長編小説「荒野(あらの)」を読み終える。 以前読んだはずだが、かなりの部分を忘れていた。ストーリーとして覚えていたのは最後のところだけ。それにもかかわらず、ここにある登場人物達のエネルギーは忘れてはいなかった。ああ、この人と、知っている人に再会する感覚。その人の内部を知っているからこそ抱く、親密な感じ。 ここにも狂気、そして自死。これでもかという具合に。 しかしこの荒野の果てにあるものを、指し示すかすかな方向がここには見えている。
「私は彼女を荒野にみちびき そのこころに語ろう」―ホセア書の言葉が本の扉に記されていた。
わたしが高橋に没頭していると日記で知ったSが「こんな資料がある。図書館になければ宅急便で送る」と申し出てくれる。有難い。 「高橋たか子の風景」は持っていて再読したが、上総英郎著「内なる軌跡人の作家達」と「高橋たか子論」、山内由紀人「神と出会う―高橋たか子論」 は手元になく読みたいと思っていたもの。とにかく明日、午後の仕事の前に図書館へ行ってみようと思う。
また2時だ。寝なくては。
高橋たか子、まとめるとか書くとか言うレベルじゃなく、とにかく、今は読みたい気分に圧倒され、今まで読み損ねていたものや、読んでいても、忘れていたものを片っ端から読んでいる。
今週になって「亡命者」と「高橋和己ろいう人」、「大庭みな子・高橋たか子 対談・性としての女性」を通して読み、エッセイ集「水そして炎」、評論集「高橋たか子の風景」を部分的に読む。もちろん課題の「ロンリー・ウーマン」も4回目を読んだ。
今読んでいるのは20代、学生の時に読んで、その暗さや救いようになさに辟易した記憶のある「没落風景」。 この暗さ、救い難さに感応する自分をおもしろいと思いながら読んでいる。 あの時には見えなかったもの、受け止めきれなかったものが今はすみずみまで見渡せ、その内に抱えるこんでいる壮大なテーマが洪水のように押し寄せてきて、息を止めつつ読んでいるといった感覚。
その惹き付けられるものが自分の中のかなり深いところからやってくるのは見当がつくが、その正体を知りたい気持ちが働いている。
仕事もしているし、ご飯も作るけれど、集中すれば、すればかなり読めるものだ。 しかし睡眠不足かも・・・今日は一日くしゃみばかりしていた。 今夜は早めに就寝すべし。といっても12時だが。
2007年01月21日(日) |
週末のあれこれを巡って |
昨日は、10時から1時までDVDを見ながらダンスの振り覚え。 狭いリビングでやるのだからあちらこちらにぶつかったり、物を落っことしたりしつつ・・・
その後、三鷹の「文鳥舎」のイベント【空にいちばん近い山 vol.2】 〜 高所への旅 〜 へ。 山岳カメラマンの村口徳行さんの話を聞くのは2度目。 当然お会いするのも二度目なのだが、前回、その印象がよほど強かったのか、もう何度もごいっしょしているような、その方を良く知っているような第2印象(?)を不思議に思った。本人はこういう場所で話しをするのは苦手だとおっしゃるが、それだからこそなのか、ひとつひとつの言葉、語ろうとされている世界の事がそのままストレートに伝わってくる。村口さんを食い入るように見、また聴いていた。話を聴くという事を越えて、そのエネルギー、高橋たか子流に言えば、その人の内にあるマグマのようなものを身に受けていたのだろう。
62歳で世界最年長の女性でエベレストに登頂したという登山家渡邉玉枝に会うことができて良かった。何も飾らない、言葉少ないその人柄、凄いことをやっているのに、少しもそんなことを感じさせない不思議な人。
エベレストの美しい映像、山の他に何もない、その怖いようなあちらへと突き抜けたような場所。 あぁ、どんなに遠い国の山に行きたいことか・・・
62歳までにはまだ時間があるから、これから行けますよなんて言われれば、そっちに向かって方向を定めたいような気持ちが生まれてくる、この影響の受けやすさはほんと、困ったもんだ。
ダンスと山の話の間の移動中は高橋たか子の「亡命者」に没頭し、講演会に続き、懇親会。普段は立食となるパーティーだが、出席者がそれほど多くはなかったので、テーブルを囲んで着席で、半数の方は見知った方々、おいしいお料理と山の話で和やかで暖かい席だった。 10時前に店を出、正津先生他ゼミのメンバー5人で三鷹駅そばのルノアールでお茶をし、わたしは新宿から11時9分発の「ムーンライト越後」で大宮まで。なんとかシャトルの終電を掴まえ帰宅。 この夜行列車にそのまま乗っていれば、新潟の雪景色の中に到着するのかと思いながら・・・。 さきほどの映像の故か、しきりに雪景色が見たい。
今日は午前中は教会学校(オルガンと分級の担当)と礼拝。午後から夜にかけてダンス。R&Bや歌謡曲や日本の音でと様々な曲、様々な振り。全部で7曲あるのかな。昨日のひとり練習と仲間のサポートのお陰でおおむね振りが覚えられ、ようやく踊るのが楽しくなってきた。 そして今、焼酎&日本酒を蕎麦とサラダで。 ほ〜〜〜っ
さて、やっつけなくてはいけない翻訳がある。ネイティブの英語教師の一年間の仕事に関する報告書。原稿がやっと今日届いた。明日までに仕上げなくてはならない。 今日は疲れてしまって、おまけにお酒も飲んじまって仕事モードには入れないなぁ・・
これから寝て、明日5時起きでやろう。と、ここに宣言。 明日は高橋たか子についての調べ物や書き物もする予定。 ダンスのおさらいと一週間の仕事の準備。
それにしても、わたしの一日の目まぐるしさったらない。 たとえば日曜日なら教会のことだけ。ダンスをするなら、一日ダンスの事だけ。あるいは山の事だけに集中し、さもなくば一日読み書きに集中するという生き方ができないものか。
一日に何もかも詰めこみ、その都度モード変換を行うのは決して本意ではないのだが、昔から、あれもこれもの人間だから、いつだってこういう具合になってしまう。 そして時間が足りない!と焦る。この矛盾!
だからこそ、「亡命者」に見るような、異国の何も自分を制約するものがない、何者でもない漂流者になってただ祈りの生活にわが身を投げ入れる人の生き方に強い憧れを持つ。 ただただ山の事を考え、高い山に自分を向かわせる登山家にも。
*
以上は21日の夜にミクシーの日記に書いたもの。 翌朝、その日記にダンスのなお先生からコメントをいただいていた。
<なお先生からのコメント>
nao 今ある自分の状況こそが自分のホントの素の状態なのであると思うのです。なんでも同時に完璧にやろうと一生懸命過ごすたりたはすごいです、そしてそうすることにより自分自身がすべてのバランスをとることができるから故アクティブに生きれてる気もするのです。あたしの感じ方ですが (^o^;
それを読んではっとする。 なおさんの状況はわたしの目まぐるしさの比ではない。 なにしろ、来月末にステージを抱えているのだから。わたしなど、自分の振りだけ覚えればそれで済むことだが、彼女の場合は舞台そのものがキャンバスであり、また小説なのだから。しかも観客がそこにいる、一回限りの創造。何と緊張に満ちていることだろう。
<わたしのコメント>
たりた なおさんのエネルギーとパワーにはとても及びません。 なおさんの場合、ダンスというひとつの事にエネルギーが集中しているので、そこが羨ましい、そいうでありたいと思うのですが、それにしても、その中では、それぞれの多様な踊りやイメージをカタチにしてゆく創造的な仕事の他に、ステージを創る上での細々とした打ち合わせや準備や事務的な事。個々のメンバーの事、インストラクターとしての仕事の事と、心はいくつにも分かれてそこへ向かっているのですよね。決して創作モードだけに没頭できるわけではなく、様々な事をこなしながら日常の目まぐるしさの中で創り上げてゆく舞台なんですものね。 この自分が置かれている情況の中で、それぞれの事が組み合わされ、また影響を受け取りあって、「ホントの素の状態」の自分が立ち現われる・・・ この状況をポジティブに受け止めるというメッセージ、ありがとうございました。
2007年01月18日(木) |
高橋たか子、自選エッセイ集「どこか或る家」 |
高橋たか子の自選エッセイ集「が昨年暮れに出版された。 著者自身が「私らしい文章40篇を厳選した」と記しているように、ひとりの作家のエッセンスがここに凝縮している意味深い一冊だ。
これまで高橋氏の著作を読み続けてきた者としては、個々の著作が、どのように関係しあっているのかを知ると共に、どの文章からも立ち上ってくるひとつの香り、ひとつの響きに改めて浸ることができた。
小説であれ、エッセイであれ、高橋氏の言葉には甘さや、虚飾がない。すみずみにまで、氏の魂から出てきた「本当」の言葉に満ちている。ある時、それは孤独であり、また闇であり、読者はいやおうなく、生ぬるい日常から、荒野のような場所へ投げ出される。このことについて、氏はこのエッセイ集の「なぜカトリックになったか」の中でこう語っている。 <一人の人間の中の他人と通じあえる部分は、わざわざ書くに値しない。決して通じあえぬ、他人が知りようもない部分を、あらゆる人間がかかえているという、この孤独こそ、人間存在のキイポイントだと思うから。――中略―― そして他人の決して知りようもない、一人の人間の内部にこそ、神が出現するのだ、と思えるようになった。>
わたしは、<魂の「夜」を描くのがキリスト教文学の一つの立場である。「夜」にこそ神がかかわっているのだから>という氏の主張に共鳴を覚える者だが、氏の文学は自らを「救われた者」の側に置き、他者を「救い」に導こうというような物ではない。それどころか、氏の文学はある意味で人間の虚無を、また深淵を覗かせてくれる。我々が覗くことを恐れる虚無や孤独を醒めた視線でここまで書き切ることができるのは、その向こうに光を捕らえているからなのだと思う。
氏の著作を読んでいると、わたしはまだまだ醒めて、深淵へと降りていかねばならない、いえ、降りていっても大丈夫なのだという気持ちにさせられる。
2週間ほど、尾崎翠モードが続いたが、ここから2週間は高橋たか子モードだ。
次回、2月29日の文学ゼミで、わたしがリクエストした高橋たか子の「ロンリー・ウーマン」が取り上げられることになったので、この二週間は高橋たか子に没頭することになるだろう。
今日は英語学校の仕事の後夕礼拝に出て、その後、残業で遅くなるmGをファミレスで待ちつつ、8時半から11時半まで3時間ほど、集中して読んだ。
家にいると何かと気が散るので、集中して読書ができるのは断然家の外。 電車の中や喫茶店、ファミレス、図書館、読書するために出かけることもあるくらい。
「ロンリー・ウーマン」に限らず、この際、今まで読んだものも可能な限り再読し、できればレポートも書きたい。
昨日の日記で尾崎翠に繋がるものの事を書いた。 今日はその事を記しておきたいと思う。
まず深尾須磨子のこと。 映画の中の、翠の実人生の場面で、深尾須磨子と尾崎翠が対談する非常に印象深い場面がある。 この対談の中で尾崎翠が語っている事は、彼女の作品がどういうものを意図して書かれたのか、それが単に感覚的なものではなく、緻密なプランの元に、つまり、頭を使って書かれたものであることを端的に示している。 翠は非常に女性的な鋭く豊かな感性を持っていたが、同時に男性の持つような科学者の眼を持っていた事がうかがわれる。 この興味深い対談の一部はこんな具合だった。
尾崎 「今日まで歩いてきた吾々の嗜好にとっては、心臓そのままのものよりも、一度頭を通して構成されたもの、そういうものでなければいけなくなった」
深尾 「合うからかどうか。吾々は心臓の唯中で始終踊っていたいと思うのです。ところでそれがとてももの足りなくなってどうしても何かのプランを立てなくてはいられなくなったのです。しかし吾々はプランを立てると同時に飽迄、心臓の中で踊りたいと思う」
尾崎 「いま、頭と心臓ということが非常に問題になるのです。心臓の世界を一度頭に持ってきて頭で濾過した心臓を披露するというようなものを欲しいのです。
深尾 「それは女性詩人に限られた領分だと思うのです。」
<筑摩書房「尾崎翠集成(上)、女流詩人、作家座談会 より抜粋>
この対談の相手、深尾須磨子の発言も興味深い。そして、この作家も、以前に出合いがあって、ずっと気になっている作家だった。
その始まりは2年前、正津勉氏の講演会「詩人の愛―百年の恋、五〇人の詩」という講演会で深尾須磨子の「呪詛」という詩が紹介されたことに遡る。 いくつか紹介された詩人の中で、この詩はとりわけ印象が強かったし、また深尾須磨子についての話は深く気持ちに降りてきて、愛着を覚えた。 この後、わたしは詩人正津勉氏の主宰する文学ゼミで学ぶようになり、様々な作家の作品を読んできたが、尾崎翠の作品を初めて読み、この作家の事について初めて知ったのも、このゼミであった。
これは余談になるが、この深尾須磨子については、もっと古くからの出会いが隠れていたのだ。 実は手元にずいぶん古びた深尾須磨子の著書「君死にたまふことなかれ」がある。 これは深尾須磨子が師と仰ぐ与謝野晶子について書いたもので、1952年に出版された初版本だ。 なぜこんな古い本を持っているかといえば、実家の書棚の整理をしていた折、たまたまこの本が出て来たのだった。そして読んだ事はなかったが、子どもの頃からわたしはこの本の背表紙をいつも眼にしてきた事を思い出した。 深尾須磨子と言えば、あの詩の深尾須磨子ではないかと、ワクワクする思いで古びて色もすっかり変わった本を開けば、そこには万年筆で書かれた詩と、母の名前があった。それはわたしの父親の字。そして、そのページの内側には鉛筆書きでFrom my dear friend Mr. Masatoとある。
この本を母がわたしにくれるというので有難くもらってかえった。 父がどういう想いでこの本を母に手渡し、母がどういう想いでこの本を読んだのか、母は何も語らないが、わたしは想像を逞しくする。 わたしが生まれるきっかけになった父と母の出会いの中に日本の女性に切々と訴えかけるこの深尾須磨子の熱っぽい一冊が存在したと考えると何か愉快だ。
もう一つの繋がりは矢川澄子アナイス・ニン、そして高橋たか子。 映画『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』の現代の場面で印象的だったのは矢川澄子さんが『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』ついて語る場面、そこにある「エロス」ついてだった。 パンフレットが売り切れで買うことができなかったので、手元にこの映画の資料がないので、覚えている事に頼るしかないが、この矢川澄子のコメントに惹かれるものがあった。
先日の「こほろぎ嬢」の上映会の後、脚本家の山崎さんと話していた時、矢川澄子がアナイス・ニンの事を書いていると知り、驚いた。というのも、アナイス・ニンはわたしがちょうど尾崎翠に寄せるのと同じ感覚で親密なものを感じてきた作家だったからだ。 アナイス・ニンの事は、アメリカ人の女友達のDがプレゼントしてくれたDelta of Venus という本で知った。その後、翻訳されている「アナイス・ニンの日記」を読んでこの女性をすっかり好きになった。調べてみると矢川澄子はDelta of Venusの13篇 を「「小鳥たち」という邦題で翻訳していることが分かった。
昨日の事、図書館へ行き、矢川澄子作品集成という分厚い本を借りてきた。ここからまた線は伸びてどこかに繋がるらしい。
ところで、こちらのルートで矢川澄子氏の事を知ったのだが、別のところからも矢川澄子氏の事を最近知らされていた。それは、日記にも度々登場するわたしの好きな作家、高橋たか子氏によって。
昨年の暮に出版された高橋たか子自選エッセイ集「どこか或る家」の中に、「矢川澄子さん!」というエッセイがあるのだ。個人的に親しく交際していた矢川氏とのエピソードや彼女が自死する前に高橋氏に言った言葉が心にかかっていたのだった。 ところで、前記の正津勉氏にお目にかかり、自作の詩の朗読を聴いたのが、わたしが高橋たか子氏をひとめ見たいとでかけた朗読会の場所だった。 この繋がりのおもしろいこと!
さて、今日は夕方からその文学ゼミだ。ここ1週間、ずっと翠づけで、課題の梶井基次郎著「K氏の昇天」の感想もまとめていない。時間は後2時間! ところで、ここにもあながち繋がりが無いという訳ではない。 この作品K氏の昇天」の中の重要なキーワードに「ドッペルゲンゲル」という言葉が登場するのだが、尾崎翠の「こほろぎ嬢」の中にもやはりキーワードとして「ドッペルゲンゲル」が出てくるのだ。 さて「ドッペルゲンゲル」との繋がりはどこに?
人の心の不思議さ、その存在の不思議さ、あらゆる命はどこから来て、またどこへ行くのか・・・想いは先へ先へと広がる。 ふと映画「こほろぎ嬢」のテーマとなっているフレーズが浮かんできた。
「人間の肉眼といふものは宇宙の中に数かぎりなく存在するいろんな眼のうちのわずか一つの眼にすぎないちゃないか」
そしてこの言葉は聖書の中のこの言葉を思い出させる。
わたしたちは今は鏡におぼろに映ったものを見ている。 だがそのときには顔と顔とを合わせて見ることになる。 わたしは、今は一部しかしらなくとも、 そのときにははっきり知られているようにはっきり知ることになる。 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。 その中で最も大いなるものは、愛である。
<コリントの信徒への手紙一 13章12〜13>
2007年01月13日(土) |
『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』上映&トークへ |
「すべてのことに時があるという」というのは聖書(伝道の書)の中の言葉だが、わたしはその事を疑わない。
ここのところに来て、それまで点としてあった事柄や出合いが線として繋がり始めている。いったいどこまで繋がり続けるのだろうか。 そしてそこにはどんな「意図」があるのだろうか。 どうやらこの時はわたしにとってひとつのエポックであるようだ。
昨日、西荻ブックマーク実行委員会主催の『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』上映&トークへ出かけた。
文学ゼミの仲間のKさんといっしょに行く。 会場の入り口では、mixi の「尾崎翠」のコミュですでに知っている西荻ブックマーク実行委員会の kimukana さんに初めてお目にかかる。 「たりたさん!」の呼び声に驚くと、会場の入り口で「こほろぎ嬢」のチラシを配っているのはこの映画の脚本を書いた山崎さんと映画監督の浜野さん! このお二人にはこの1週間で3回お会いすることになる。 文学ゼミの掲示板で、この上映会の事をお知らせしていたので、ゼミ仲間のOさんもいらしていた。
2年ほど前に正津勉文学ゼミで尾崎翠の作品を読んで以来しばらくは尾崎ブームがわたしの中で続き、この映画『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』を観たいと思っていた。 その時がやっと今日かなったということだ。
映画は、尾崎翠の実人生、そして、尾崎翠の代表作である『第七官界彷徨』の世界、それに加えて尾崎翠を知らない現代の若者達の場面の三つの場面が交錯する、立体的な構成になっている。
「こほろぎ嬢」同様、『第七官界彷徨』の世界は映像も台詞もおどろくほど原作の通り。わたしの乏しい空想力をはるかに越えていた。奇妙な4人の同居人たち。透明感のあるこの世からどこか遊離しているような空間。あたかも物語の内側に足を踏み入れたような興奮を覚えていた。
しかし、それにも増して興味深かったところは、尾崎翠の実人生だった。わたし自身、浜野監督と話をするまで、翠が75歳で病院で息を引きとる時、大粒の涙をこぼして「このまま死ぬならむごいものだねえ」という稲垣真美氏による年賦の記述が印象に残って、翠は不幸な内に死んだと思いこんでいた。 どうやらそうではないらしいということが分かってきたが、この映画では尾崎翠がどういう作家であったのか実に良く伝えていた。
翠が文学者の高橋文男との同棲するに到った経緯も、高橋氏自身による「恋びとなるもの」という文章(創樹社版「尾崎翠全集」月報に掲載されている)に忠実に再現されていた。 また浜野監督自は真実な翠を見出すべく、翠の郷里の鳥取へ出向き、生前の翠を知っている人から翠について直接聞いたというが、その取材に基づいて描かれた翠は実に生き生きと逞しい女性であった。
<続きは明日>
昨日の日記にわたしは葬儀の事、死の事を書いた。 わたしはよく、死の事、そして誕生の事を考える。 そして死の後の事、また誕生の前に事にも想いを馳せる。
わたしという存在は、果たしてこの世に生まれた時からこの世を去る、数十年の間にしか存在しないのだろうか。 それならば、この地上で出会った大切な人々、家族や友人達とも永遠にその関係が閉ざされてしまうのだろうか。 それこそが、とても不自然な事のようにわたしには思える。
ここに生きている人間も、この地上を去った人間も、これからここに生まれてくる人間も、人間といカタチではなくとも存在し続けると考える方がはるかに自然で理に適っているとしかわたしには思えない。
けれど、こういう事っていうのはなかなか話題にはならないもので、自分の心の中だけにしまっておく事が多い。 そう、言葉ではうまく表せない・・・
ところが、一昨日の夜のこと。 同居人mGが、自分のブログにこんな詩を載せていた。 というより、あたしに捧げてくれた詩なのだった。 時々彼が詩モードになる事は知っているけれど、 この言葉はちょっとびっくりするものがあったのだ。 いろんな意味で・・・ そしてしみじみとうれしかった。
「君と出会ったのは 確か47億年前のこと たぶん、そうだよね?
僕らは泡であり、振えだった
そのころから 僕も君もなにも変わりはない ずっと泡であり、フルエだった
そして47億年?が流れ カタチをまとった僕らは出会った えーと、30年前かな?
けれど僕は知っている 47億年前と何も変わってないことを しんのしんから 知っている
そう 47億年前の君も こんなエレガントなウェイブを 纏っていたものだね
今日は教会で葬儀が行われた。 この教会の初期の頃からの会員の方で後2週間ばかりで90歳を迎えるという、1月7日の顕現主日の日、天に召された。
牧師の妻として教会を支え、4人の子ども達を育て、老いた老父母を看取り、夫を看取り、ひたすら人に仕える人生を送った方だった。
葬儀の説教の最後にY牧師が朗読した「 天に一人を増しぬ 」という詩は慰めに満ちた、心打つ詩であり、朗読だった。
葬儀が終わり階下で待っていると、運ばれる棺に先立って、Y牧師の聖書を朗読する声が聞えてきた。
「心の貧しい人々は、幸いである、 天の国はそ人たちのもにおである。 悲しむ人々は、幸いである、 その人たちは慰められる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朗読は棺が教会から運ばれ、門を出、車に乗せられるまでの、かなり長い間、行き交う車、道行く人の中で続けられた。 まっすぐな、ゆるぎのない朗読だった。 この方が今から向かう天へとその朗読の声は昇っていくかのようで、Y牧師の周囲には晴れ晴れと澄み切った空気があった。 地上の身体から離れ、この世での務めを終える日、このように、これまでささえられ、愛してきた聖書の言葉によって送り出されるというのは、 何と幸いな事だろうかと思った。
天に一人を増しぬ
セラ・ゲラルデナ・ストック作/植村正久訳
家には一人を減じたり 楽しき團欒(まどい)は破れたり 愛する顔 平常(いつも)の席に見えぬぞ悲しき されば天に一人を増しぬ 清められ救はれ全うせられしもの一人を
家には一人を減じたり 歸るを迎ふる聲一つ聞こえずなりぬ 行くを送る言一つ消え失せぬ 別るゝことの絶えてなき濱邊に 一つの霊魂(たましい)は上陸せり 天に一人を増しぬ
家には一人を減じたり 門を入るにも死別の哀れに堪えず 内に入れば空しき席を見るも涙なり さればはるか彼方に 我らの行くを待ちつゝ 天に一人を増しぬ
家には一人を減じたり 弱く浅ましき人情の霧立ち蔽ひて 歩みも四度路(しどろ)に眼もくらし さればみくらよりの日の輝き出でぬ 天に一人を増しぬ
實(げ)に天に一人を増しぬ 土の型にねち込まれて 基督を見るの眼も暗く 愛の冷かなる此処 いかで我らの家なるべき 顔を合わせて吾が君を見奉らん 彼所こそ家なれまた天なれ
地には一人を減じたり 其の苦痛、悲哀、労働を分かつべき一人を減じたり 旅人の日毎の十字架を擔うべき一人を減じたり されば贖はれしたましひの冠を戴くべきもの 一人を天の家に増しぬ
天に一人を増しぬ 曇りし日も此一念輝かん 感謝賛美の題目更に加はれり 吾らの霊魂(たましい)を 天の故郷に引き揚ぐる 鏈(くさり)の環更に一つの輪を加へられしなり
家には一人を増しぬ 分るゝことの断えてなき家に 一人も失はるゝことなかるべき家に 主耶蘇(イエス)よ 天の家庭に 君とともに座すべき席を 我ら全てにも あたへたまえ
2007年01月09日(火) |
再びシネマアートン下北沢へ |
あれは昨日の事だったのか。 たかだか24時間前の事を、夢の中の事のように思い返している。 それにしても出会いというものはいつも不思議に満ちている。
昨日のこと、わたしは思い立って、もう一度「こほろぎ嬢」を観に再び下北沢のシネマアートンへ行くことにした。 浜野佐知監督の「女が映画を作る時」を読み、また、吉岡しげ美さんのCD「Solo―茨木のり子さんに捧ぐ―」を聴いているうちに、このお二人のトークショーを聞きたい気持ちが募ってきたのだ。 行かなくちゃ! 二度目の「こほろぎ嬢」は前回では見逃していたところまでじっくり観ることができ、それなのにまだ、まだ見尽くしていないという気持ちになった。映画の広がりがさらに先へと伸びるのだ。
映画の後、友人のJにくっついて、その映画を創った方々といっしょに居酒屋へ。浜野監督と額がくっつきそうなくらい近くにいて映画の事や尾崎翠の事を話した。話をしながら、この人をもうずっと前から知っていたような何とも不思議な親しみを味わっていた。 映画の音楽を担当した吉岡しげ美さんからは芋焼酎のお湯割りなんか作っていただきながら、まるで初対面という気がしない。Jから聴いていた通りの気さくでフレンドリーな方だった。 脚本の山崎那紀さんとはアナイス・ニンの話や、彼女の書いた女性の視点からのポルノグラフィーの話をする。
それにしても、これはいったい何だろう。 尾崎翠に限ったことではない。フェミニズムや女性学、愛読してきた女性の詩人達の詩、アナイス・ニンと、それを教えてくれた大切なアメリカ人の女友達のD。わたしのこれまでの歩みのなかで出会い、影響を受け、育てられてきたものがそこに一斉に登場してきた。 それはわたしの内に起こったひとつの祭りのようでもあった。
2007年01月06日(土) |
映画 「こほろぎ嬢」 を観た日 |
わたしはこの朝、何やらとても不思議な感覚の中で目覚めた。 この日は、秋口から楽しみにしてきた「こほろぎ嬢」の映画を観にゆく日だ。
窓の外には天気予報に違わず、冬の冷たい雨が降っていたのだが、その雨の中を出かけてゆくことが少しも嫌に思われなかった。 「こほろぎ嬢」の映画を観にゆくのに、この雨こそふさわしいではないか。<神経病にかかっているらしい桐の花の匂が雨傘に入ってくる>ような5月の雨でなくとも、霞のかかった栗林の脇を通って、冷たい雨に打たれて駅まで歩いてゆくのは、この日にとてもふさわしい。
さて、冷たい雨の中に出てゆくにはまだ午前中の時間がたっぷりとある。池袋のパン屋さんのカフェで女友達のJと待ち合わせをしている時間は3時だ。 そういえば、待ち合わせの場所がパン屋というのも、なかなかふさわしい。こおろぎ嬢は、その物語の最後で、地下の食堂でねじパンを一本食べるのだ。そしてわたしはずっとそのパンの事が心にかかっていた。待ち合わせのパン屋のカフェで、わたしはきっとそのような物を食べることになるのだろう。
さて、午前中、わたしはその時のわたしの気分に従って、お風呂を沸かす事にした。かすかな花の香りのするミルクのように真っ白い入浴剤を湯の中に入れて、その中で本を読むというのがその朝の気分だった。持ち込む本は尾崎翠に決まっている。 白い、良い香りのお湯の中で首だけ出して、わたしは「こおろぎ嬢」をゆっくり声に出して読み始めた。
この物語が75年も昔に尾崎翠という人によって書かれた文章ということは充分わかっていても、こうして読んでいると、まるで自分の心の中からでてきたような、すでにこの世界を知っているような気持ちになる。きっと尾崎翠を読む人はみなそんな気分になるものなのだろう。 尾崎翠の書いたものが、今切ったばかりの花の茎のように新しいのは、読む度、読者の心に新しい切り口をつけるからなんだろうか、読むという行為が、心に何かを起こすのだ。不思議な化学変化が心に起こるのをわたしは何度も味わってきた。
さて、わたしにとってそういう特別な作用をもたらす物語を今日は映像で観ることができるというのだ。わたしの心の中でしか見ることのできないその映像が、劇場のスクリーンの上に展開されるとは、何と興味深いことだろう。しかもこの作品を手がけた浜野佐知監督のお話も聞けるらしい。そういう幸運はめったにあることではない。 わたしはわたしの心の中だけで起こる世界から、一歩、そこに他の人が、実際に生きている生身の人間がかかわっている場所へようやくでかけていくチャンスをもらったらしい。 求めているものはいつも、ふっとある折に、それも絶妙なタイミングで向こうからやってくることが多いが、今回のこともそんな具合。 Jがコミュを立ち上げた音楽家、吉岡しげ美さんのコミュを通して、この映画上映の事を知った。吉岡しげ美さんは女性詩人の詩に作曲し歌うという活動を続けてこられた方。その吉岡さんが「こほろぎ嬢」の音楽を担当されている。
午後1時過ぎ、朝の雨はますます強くなっていて、わたしは駅に着くまでの間、たっぷりと雨を浴びてしまったけれど、けっこう楽しく歩いたのだった。 電車を乗り継ぎ、3時前にはパン屋のカフェに着いた。そこで、チョコレートを練りこんだようなうずまきパンを一口食べたところで、女友達のJが目の前に現れた。
積る話をし、二人で、また雨の中、下北沢のシネマアートンへ。チケットブースの前に赤みを帯びた灯りが灯っているその映画観は、名前も尾崎翠の作品のひとつ「地下室アントン」と響きが似ていて、なんとも似つかわしい。 わたし達は映画の始まる30分以上も前に着いたので、映画館の中のカフェでお茶でもいただこうと、奥へ入っていくと、そこに浜野佐知監督がいらして、映画の後のトークショーを待たずに、監督とお話する好機に恵まれた。
浜野監督の存在を知ったのは1年半前のこと。初めて尾崎翠を読んで、その世界に驚き、夢中になって調べている内に「第七官界彷徨 尾崎翠を探して」の映画に行き当たった。凄い女性の監督が存在する、その人が尾崎翠の世界を映像化している―。この映画を観てみたいが自主上映の映画なので、なかなか観ることもかなわなかった。 その時からずっと心にかかってきた映画であり監督だったのだ。その方と間向かいで話しているという不思議。
ネットでその風貌を拝見した時には、サングラスにロングヘア、フェミニストのリーダー、強そうで怖そうな近寄り難い方という印象があったが、お会いして話してみると、気さくで暖かく、何とも屈託のない方だった。このように垣根を張り巡らしておられないアーティストも珍しいのではないかしら。 わたしはひとりの観客に過ぎないのに、監督とお話しているという緊張なんかもなくって、映画の事をお聞きしたり、尾崎翠への想いを伝えたりと、自然に言葉が出て来た。お話の中で監督のこの映画にかけた想いが、また尾崎翠への想いが伝わってきて、わたしはひどく共感し、その空気を貪り吸っていたことだった。
映画が始まる。すべて鳥取でのロケで撮ったという映画。冒頭のシーンは砂丘の中をゆっくりと歩いてくる小野町子。菖蒲の花、古い家、おばあさんの家の屋根裏部屋、ひとつひとつの映像の美しい事。あぁ、わたしが心の中で描いていた尾崎翠の世界と違わない、あの透き通った世界だと思う。 音。吉岡さんのピアノの音はそこにある空気の中に溶け込み、木々や風や花、スクリーンに映しだされる美しい自然と渾然一体となっているのだった。
それからはもう、わたしの心の中の世界が映画の中に入ってゆくようで、あるいは映画の世界がそっくり心に中に押し寄せてくるようで、まるで夢見ごこちだった。観ている内に心が膨らんでくるのが分かる。広がってゆく―どこへ。ずいぶん遠く、大げさに言えば宇宙にまで広がってゆくような、そんな気持ちよさ。
そのように感じていると映画の最後のシーンで宇宙の映像が現れた。そしてスクリーンに浮かび出た言葉、
「宇宙に、あまねく、存在する、すべての、孤独な、魂へ」
この言葉が気持ちに入ってきた瞬間にうっとこみ上げるものがあり、わたしがどういうわけで翠に惹かれているのか、どうしてこの映画を観ることに、このような喜びを覚えるのか、瞬間、その謎が解ける気がした。 トークショーの場で、このフレーズの出典を伺うと、脚本を手がけた山崎那紀氏の言葉だということが分かった。またそのフレーズを使うかどうか迷われたというお話も伺うことができた。ここにも、「降りてくる言葉」を想った。
孤独、センチメンタルなそれではない、ネガティブなそれではない、その人を立たせ、前へと進ませる強靭な孤独。わたしの拠り所でもあるその孤独に翠がタッチするからだと納得したのだった。
この地上で、わたしたちはそれぞれに与えられた一本道を歩いている。その道は一人でしか歩きようがないのだから人はすべからく孤独なのだ。そこをしっかり見ているかどうか、そのことに怖れることなく、ひとりであることに充足しているかどうか。自分の歩みを信頼しているかどうか。
尾崎翠という人は、時代の影響からも当時の社会や、女性ということからも自由に、自分の道を自分らしく生き切った女性だった。 この映画を産み出した浜野監督も、そして同じように独りを歩いてきた女たちの詩を歌い続ける吉岡しげ美さんもまた、強靭な独りの道を果敢に歩んでおられるのだろう。
わたしはわたしの足元をもう一度確かめてみようと思った。その足取りが確かかどうか。
この映画、また浜野佐知監督の作品については 旦々舎NEWS をごらんください。
2007年01月02日(火) |
孫とお祖母ちゃんが歌った夜 |
こういう事も、もうないんだろうな。
昨日は義母、義姉、次男と4人で宮崎で有名な鳥料理の店「軍鶏」に行った後、カラオケへ。
一度もカラオケには行った事がないという義母はあまり気が進まない様子だし、次男は、「ええっ・・・」という感じだったけど、義姉とわたしで半ば強引に二人を連れてゆく。
おばあちゃんは孫が歌う姿なんて知らないし(わたしたちもだけれど)、遠くに離れている我々には、こういう機会なんてないのだもの。
それに、親とだったら死んでも行きたくないカラオケも、今度いつ会えるか分からないおばあちゃんとだったらその気になって歌ってくれるかもしれないと、そんな気がした。
作戦は成功。次男はサザンや沖縄の歌をかなり上手に歌い、それをおばあちゃんがどんなに喜んだか。 母親にしても、息子の歌うのを聴くなんてほとんど初めてのこと。いいもんだなと思う。
義姉やわたしの歌うなつかしい歌も、また義母は喜んで聴いてくれた。ある歌はいっしょに歌ったり、ハーモニーを付けて歌ったりしながら、なかなか得がたい三世代カラオケの夜だったのだ。
( 31日と1日の日記はまた後ほど)
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