たりたの日記
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2007年02月24日(土) ステージの匂い














           



        ステージの匂い 

ステージには匂いがある。
日常にはない匂いだというのに、それが不思議に懐かしいのは
本番前のステージの気分がとりわけ強く
記憶に刻印されているからなのだろう。

空っぽの客席の上には、けれど
今にそこを充たす熱気の兆しが漂っていて
その照り返しを受けて心の振幅は大きくなる。
時間の先っぽに、つま先立ちで立っている。

開演のベル、に始まる太鼓の轟き。
紫色の衣が客席を駆け抜け舞台に上がる。
その中を走り、その風に心を奪われ、
瞬間、踊ることを忘れてしまった。

踊る時には足の裏にエネルギーを通し
波に飲み込まれないように。
けれど綱をしっかり握っていたつもりなのに
時に波に乗り遅れ、動きはバランスを欠いた。

ステージで繰り広げられる様々な踊り。
わたしの出番は10回。
舞台に走り出て、走り去り
衣裳を取り替え、再び袖へ。

踊りも歌も、ギターの音もバンドの演奏も
その時、はっきりと空気を変え、
客席とステージとは交歓し
熱は混ざり、溶けてゆくものを見た。

2時間のパフォーマンスは凄い速さで駆け抜け、
音が止み、再び空っぽの客席。
スーツケースに衣裳を詰め込みながらそちらを見れば、
そこには熱気の名残が漂っていた。





















< M's Party 春色和舞 2007年2月24日 埼玉芸術会館 小ホール>
写真撮影 mG


2007年02月23日(金) 今日4つ目の日記

今日(22日のこと)はこれで4日分の日記を書くことになる。
かといってずっと家に居たわけではない。けっこう忙しかった。というか、良く踊った。

午前10時30分から1時まで、保育園のホールで「One World」、「千年の祈り」「 EL Nin-Yo 」 「Closer」を踊り込み。
お散歩から帰ってきたおちびたちから見物される。
One World には空手みたいな振りがあるから、「カッコイイ〜」と言われた。扇を持って踊る「千年の祈り」もおもしろがられる。

午後3時半から6時まで2クラスをやった後。教室に残って6時から9時までまた踊る。この時間はライブバンドとのコラボの5曲を練習。
「長い夜」、「オリビアを聴きながら」「子連れ狼」「黒の舟歌」「あなたに会えてよかった」
余裕ができて、コミカルの踊ることにも気持ちが回る。何しろ、この5曲は「笑」のステージなんだから。

これでひととおりカバーしたことになるのだが、まだ踊り込みは足りない。
後は明日(今日)の最後の踊り込みで。
いつもの本番前のコソ練。県活のリハーサル室で5時半から9時まで。

それまでの時間は衣裳を揃えて、立ち位置と出はけの確認も。
日曜日の教会学校準備と、午後からの英語学校の発表会の準備。月曜日のクラスの教材や配布物の準備も。

明日から3日間はいろんなことがぎゅっと詰まった濃い3日間だ。
おっと翌日は文学ゼミ。まだテキスト読んでいない。これも明日だ。

さて、もう寝よっ。


2007年02月22日(木) 自転車がパンクして

朝、時間ぎりぎりに家を出てジムに向かう。
凄いスピードで走れば、20分。
ラテンには何とか間に合いそう。

ところが途中で自転車がパンクした。
しかも「間に合わない!」と近道をしたその砂利道で
クシュ〜〜〜〜〜
あ、あのいやな感覚。
後ろのタイヤがみごとぺったんこ。
こんな時に限って、あたしの自転車はパンクする。

だらしない自転車を押して、自転車屋まで。
初めて入った自転車屋のおじさんはどういう訳か機嫌が悪かった。
なんだか、やたら時間かかってない・・?
修理が終わった時間は、わたしがジムに到着していなくてはならない時刻。
もう、間に合いっこない。
しかたないなぁ・・・
そうだ、ジムへ行くはずの時間にステージのダンスの踊り込みをすればいいんだ。

いつもの保育園に行くと、今日はとってもいいお天気だから子ども達はこれからお散歩。
子ども達が出払った誰もいない広いホールで集中して踊る。
できないところを何度も繰り返して踊っているとようやく音の流れが身体に入り、
ぎこちなさが取れる。
なんだ、簡単じゃない!
もっと早い時期にこの状態に持ってきたかったなぁ。

結局、昨日の夜は2人とも疲れていてここでの夜練はできなかったのだし、
今朝はむしろ練習すべきだったのだ。
自転車のパンクは怪我の功名。


2007年02月21日(水) 灰の水曜日

 
教会の暦では今日は「灰の水曜日」と言われる日。
今日からレント・四旬節、また受難節と呼ばれる期節に入る。
これはキリストのご受難を覚える悔い改めの時とされ、主の復活日・イースターまでの日曜日を除く40日間続く。
40日間―イエスが荒れ野で悪魔の誘惑を受けながらひとり悪魔と闘ったのも40日間。(ルカ4章)。


夜7時からの灰の水曜日礼拝に出席する。
水曜日礼拝には初めて出席する。
礼拝の中で「塗灰」というものがあり、牧師が灰を練ったものを、それぞれの額に十字のしるしながら塗る。
その時、ひとりひとりに語られる言葉が印象的だった。

「あなたは塵からとられたものだから、塵に返る。回心して福音を信じなさい」

また「灰の祝福」の言葉も

「・・・わたしたちの祈りに耳を傾け、この灰を受けるあなたの民に祝福を注ぎ、今日から始まる四旬節の日々を豊かに導いてください」





  

聖書  <ヨエル書 2:12−18 >
            

12 主は言われる。「今こそ、心からわたしに立ち帰れ、断食し、泣き悲しんで。

13 衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け。」あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに富み、くだした災いを悔いられるからだ。

14 あるいは、主が思い直され、その後に祝福を残し、あなたたちの神、主にささげる穀物とぶどう酒を、残してくださるかもしれない。

15 シオンで角笛を吹き、断食を布告し、聖会を召集せよ。

16 民を呼び集め、会衆を聖別し、長老を集合させよ。幼子、乳飲み子を呼び集め、花婿を控えの間から、花嫁を祝いの部屋から呼び出せ。

17 祭司は神殿の入り口と祭壇の間で泣き、主に仕える者は言うがよい。「主よ、あなたの民を憐れんでください。あなたの嗣業である民を恥に落とさず、国々の嘲りの種としないでください。『彼らの神はどこにいるのか』と、なぜ諸国の民に言わせておかれるのですか。」

18 そのとき、主は御自分の国を強く愛し、その民を深く憐れまれた。


2007年02月20日(火) ワイン&ワイン

<オーガニックワインの「ドメーヌアザン」>
この前の山行の帰りに勝沼の「ぶどうが丘」でワインテイスティングをしてからというもの、ワインにまで目覚めてしまって、このところワインばかり飲んでいる。

それにしても酒の種類でどうしてこうも酔い方が違うのだろう。
焼酎はどちらかと言えば覚醒するのだが、ワインだとすっかり平和になってしまう。何もさしたる理由なく、幸福感みたいなのに包まれて、歌ったりしゃべったりしたくなる。よくある酔っ払い状態なのだろうけど、わたしがこんな感じになることは今まであまりなかった。(眠りこけることはあるけどね)ドラッグをやってるってこんな気分なのかしら。わたしの言動や動作はかなり変でおもしろくなると連れ合いは言う。

これまではワインはわたしには体質に合わないと感じていた。グラスワイン一杯でも飲めば、身体が痒くなり、足が浮腫んで靴を履いているのがつらくなるので、外で飲むのは要注意なのだった。
焼酎にしても2年前のことからだが、ある日突然、だめだった酒が身体に合うようになるというのは何とも不思議だ。
人間とハーブに相性があるように、酒にもあって、それまでお互いに警戒しあっていたものが解けて、友情が成立したということなのだろうか。

昨日の月曜日、やまやにミューズリーやパスタやジャムなんかの輸入食材を仕入れに行ったのだが、思わず店頭に並べてあるワインに目が行く。
これまでは真っ先に焼酎コーナーだったのに・・・
数種類のボジョレー・ヌーヴォーがどれも980円という驚き価格で並んでいる。きっと売れ残ったボジョレー・ヌーヴォーのセールなのだろう。

ワインの銘柄なんて少しもしらないから。
酸化防止剤無添加の「ドメーヌ・デ・スゾン 」とオーガニックワインの「ドドメーヌアザン」の2本を求める。

以下は2月20日にミクシィーに書いた日記。
ダンスのステージが4日後というのに、ある部分がうまく踊れなくて、落ち込んでいたのが、ワインですっかり気分が良くなったというゲンキンな日記。

                *

今夜の目標、まだ達成できないけど、もう疲れてしまったから今日はこのくらいで止めておこう。

あたしって、ほんと、運動神経が鈍い。
あ、鈍いのは運動神経だけに限らないんだった。
いろいろと反応が遅い・・・
だから車を運転するのも危険だし、
傘差して自転車こげないしね。
自覚してる。
この年で、それを鍛えるというのも無理あるなぁ〜
と、今夜は気分がどうも後ろむき。
いけないいけない・・


さっ、お風呂に入ってワイン飲もう。
この前のぶどうの丘のワインテイスティングの後、
不思議とワインが飲めるというか、飲みたくなって
焼酎がワインに変ってしまった。
で、飲むと人が変ったようにハイになる・・
今夜はどうかしらん。
 
              *
                  

かなりな良い気分です。
ちなみに今日のワインはフランスワインドメーヌ・デ・スゾン
ボジョレー・ヌーヴォー赤。 酸化防止剤無添加だったので買ってみたんだけど、とってもおいしいワイン!
やはり薬が入ってない、柔らかさ、自然な感じがあります。

実際は2000円以上はするワインのようですね。これを半額で飲めたとすればずいぶん得した気分。
もっと買っておけばよかったなんて、慾張りなこと考えました。


ネットで調べた、解説によれば

<自然の力を大事に、大変健康的で力強いブドウのみを使用。南に面した丘陵で日当たりもよく、平均樹齢50年という古い葡萄の木と、花崗岩砂質の土壌というすばらしい組み合わせが安定した高い品質を生み出します。大地の力を感じる自然味溢れるアロマとフルーティな酸のバランスが素晴らしいワインです。>

ということ。

ともかく一日の終わりをおいしいワインで締めくくることができて幸いなことでした。


2007年02月19日(月) 「あけがたにくる人よ」

昨日2月17日の日記で永瀬清子の「大いなる樹木」を紹介したが、やはりこの詩も。

まだ朝のうちに。

ててっぽっぽうの鳴き声は聞えてはいないけれど。




              あけがたにくる人よ  


                   永瀬清子


あけがたにくる人よ

ててっぽっぽうの声のする方から

私の所へしずかにしずかにくる人よ

一生の山坂は蒼くたとえようもなくきびしく

私はいま老いてしまって

ほかの年よりと同じに

若かった日のことを千万遍恋うている



その時私は家出しようとして

小さなバスケットを一つさげて

足は宙にふるえていた

どこへいくとも自分でわからず

恋している自分の心だけがたよりで

若さ、それは苦しさだった



その時あなたが来てくださればよかったのに

その時あなたは来てくれなかった

どんなに待っているか

道べりの柳の木に云えばよかったのか

吹く風の小さな渦に頼めばよかったのか



あなたの耳はあまりに遠く

茜色の向こうで汽車が汽笛をあげるように

通りすぎていってしまった



もう過ぎてしまった

いま来てもつぐなえぬ

一生は過ぎてしまったのに

あけがたにくる人よ

ててっぽっぽうの声がする方から

私の方へしずかにしずかにくる人よ

足音もなくて何しにくる人よ

涙流させにだけくる人よ
 



2007年02月18日(日) あれもこれもの週末

18日土曜日はダンスの練習からスタート。
mGと共に川口のメンバーの練習に参加。
この日はエムズはダンスコンテストに参加しているので、コンテストに出なかった人が集まっての自主錬。
少人数で、なかなか充実した練習だったが、すぐに時間は経ってしまい、全部を練習するという訳にもいかない。
7ヶ月になるHくんを連れて、産休明け(ダンスの)のYが練習に来ていた。
この赤ちゃんはダンスや音楽や仲間の中で育ってゆくことになるのだろう。

4時に練習が終わり、次なる場所は後楽園のラクーアへ。
秋葉原の駅で乗り換えの電車を待っていると、カレーのすっごくいい匂い。
我々はその匂いを辿って駅ビルの中のカレー屋の前へ。
おいしかった、そのカレー。やはり匂いそのおいしさを予告していたんだ。

ラクーア、二人で行くのは2回目。予想以上に彼にヒットした。
暮からずっと仕事が忙しく、のんびり温泉なんて訳にも行かなかったmGは今週末こそは何がなんでもリラックスしたいのだとこの日は仕事には出ないという構え。
結婚記念日の1週間遅れのイベントということで、なんとオール。
温泉に入り、アロマの癒しを受け、本を読み、持っていったDVDを観、ゆったりと心地よいリクライニングシートで仮眠しつつ、日曜日の朝までそこにいる。

たっぷりリラックスして遊んだ翌朝は6時に起きて、温泉にざぶりとひと浸かりし、フロアーでモーニングセットの朝食を取り、雨の中、地下鉄へ。
この朝は日曜日は教会学校の担当になっていて、しかも昼食会のサンドイッチも作って持っていくことになっていたから朝はのんびりしてはいられない。

駅を出れば、外はまだ雨、タクシーで家へ。
家に留まれる時間はわずか15分。
教会学校の教材(前の日に教材準備してて良かった!)を詰め込み、別の大きなバッグに午後からのダンスの衣裳や靴をひとかかえ詰め込み、(小道具の扇子を忘れてしまったけれど)、サンドイッチは教会で作るべく、材料をスパーの袋に入れ、朝帰りしてきた我々は今度は夜逃げならぬ朝逃げのような大荷物を持って車で出かける。

mGはダンスの練習までの間は会社で仕事をやっつけ、
わたしは教会学校の後、礼拝までの15分間でサンドイッチ作り。
礼拝では10年間教会に通ってきていたF青年の洗礼式。
お向かいのパン屋のおじさんが焼いてくれた特注のケーキが届いた。
30人分の大きなカードケーキ、平らな長四角のケーキにお祝いの言葉が書かれているもの。

わたしの泥縄で作った、手抜きのぎょろっけのサンドイッチも喜んでもらえ、他の方が作った手の込んだロールサンドなどをいただく。
そうそう、今日のパーティーは、それぞれがいろんなサンドイッチを持ち寄るというもの。これはいろんなサンドイッチが集合し、パーティーらしくていい。

さて、日曜日の後半はステージ前の最後の合同練習。
mGと待ち合わせし、岩槻の会場へ。
3時から9時半まで踊る。10回の出番、もちろん衣裳も次次変えるわけで、第三部の演目は5曲連続でステージに上がることになっている。
振りもだけれど、着替えや出はけ、うまくやれるだろうか・・・
人よりもかなりトロいあたしだもの、心配。最近は記憶力もさらに落ちているし。
ともかく今日の練習は終了!後は自分で練習。

とこんな、あっちへ行き、こっちへ行き、あれもこれもの週末。
ダンスも教会も仕事もリラックスも娯楽もお勉強(ラクーアでは本、読みましたもの)もそこに詰め込んで・・・
これを読んでくださった方はお疲れさまでした。
はい、よく読むだけで疲れるとよく言われます(苦笑)


2007年02月17日(土) 永瀬清子の誕生日、そして命日であるこの日

この日、2月17日は詩人永瀬清子の誕生日でありまた命日だ。
先日から度々この詩人の事を書いているが、この日こそは、彼女の詩のひとつでもここに紹介し、その誕生と命日を記念したいと思っていたが、2日ばかり遅れてしまった。今日はもう19日だ。


永瀬清子は1906年(明治29年)2月17日に生まれ、1995年(平成7年)2月17日に89歳で亡くなっている。
明治、大正、昭和、平成を生きた人。与謝野晶子やその弟子深尾須磨子とも交流があり、宮澤賢治の詩の素晴らしさをいち早く心に留めた女流詩人の先駆け。詩人井坂洋子に依れば、<ガチリガチリと大地を進む牛>。
(井坂洋子著評伝「永瀬清子」)

四人の子どもを育てながら、田畑を耕しながら夜だけ詩人となり、自分の日常を詩に表現していった人。夫が退職した後は家計を担うべく、72歳まで岡山県の社会教育課にある世界連邦宣言自治体全国協議会の事務局で働き、「岡山女性史研究会」や「宮澤賢治研究会」をリードし、最後の詩集「あけがたにくる人よ」(1989年出版)では「地球賞」と雑誌ミセスの「現代詩女流賞」を受賞している。

1990年4月2日、作者84歳の時に出版したエッセイ集「すぎ去ればすべてなつかしい日々」は、単に個人の思い出に留まらず、この時代を生きた、文学者、女性詩人、またひとりの生活者としての生きた記録として素晴らしい。
ここから多くの事を繰り返し汲み取ることができるし、大いなる示唆をいただくことができる。
詩の自由さ、まっすぐさ、健全さは、
自分を生きることがどういうことなのか教えてくれる。
社会の中で働き人として生き続ける事の大切さを教えてくれる。



さて、たくさんの、様々な文体や様々な心の有り様を映し出している詩の中からどの詩を選ぼう・・・
ここでは有名な「だましてください言葉やさしく」でも「あけがたにくる人よ」でもなく、永瀬氏の思いっきり肯定的なところ、逞しいところが溢れているこの詩を書き写すことにしよう。


             大いなる樹木



我は大いなる樹木とならん
そのみどり濃き円錐の静もりて
宿れるものを窺い得ざるまで。
素足を水に垂るるごと
人知れぬ地下の流れを
わが根の汲めるよろこびにまで。

我は大いなる樹木とならん
わが見る人おのずから
安息(やすらぎ)の念(おもい)をおぼゆるまで。

されどわがしげき枝と葉の
おくれ毛のごとく微風にも応えん
誰よりもさとく薔薇なす朝の光に先ず覚めん
地にしるす青き翳の
レエスの裳のごとくひろがりて
われが想いのやさしからん
われが想いのすずしからん
樹は行かず
樹は云わず
されど天の子供の降り且昇る梯子ならん

まひるわがもとに立ち寄り憩うものあらば
われふかき翳と尽きざる慰めとを与えん

嵐の日
更に我は大いならんつよからん
根は大地をふみてゆるぎなからん
されど樹液の流れみだるるなく
創痍さえすずしき匂いをはなち
やがて又ほほえみの唄をささやかん
夜来たりなば闇に溶け去りて
人知れぬ時に
その唄のみは見えざるさざなみとならん

(詩集「大いなる樹木」 1947年出版 ) 



* 5連目、2行目のつよからんは漢字。
同じく4行目の創痍の創には手偏あり。




2007年02月16日(金) 陽だまりの中、しばし本を抱えて

昨日は就職活動中の次男が、面接の帰りだと言って戻ってきた。
この頃は2合炊いても2日は間に合うのに、3合炊いていた白米があっという間に無くなった。
そうそう、少し前まではこんなで、わたしは朝から夜まで家族の食べ物の事を考えていなくてはならなかったと思い出した。

「ぼくのバレンタインのチョコはないの?」

「ないわよ。今日帰ってくるなんて知らなかったもん。
おとうさんにあげたのがまだ残ってるかも・・・」

「それもらっちゃ、悪いよ〜」

こんな 会話をするようじゃ、彼女はいないんだろうな。
刈り込んだ就活カットと就活スーツに就活コートという井出達は、ずいぶん大人っぽく見えはするものの。

彼は友だちの写真展に行くとかで、午前中に出かけてしまったから、わたしは予定していない時間がポンと空いた。
読みかけの本、今日届いたばかりの本を抱えて陽だまりの中、ソファーにどっかりと座りこむ。


宮澤賢治著「雪わたり」を朗読した後、宮澤賢治詩集からと永瀬清子詩集から思いつくままに選んで朗読する。
今日届いた長谷川勝彦(元NHKアナウンサー)著「メディアの日本語―音声はどう伝えているか」を読んだ。この本はアナウンサーやナレーターのために書かれた本だが、朗読にも通じるところがあり勉強になった。
もうひとつ届いた本、アンリ・カファレル著、高橋たか子訳「神、この、もっとも曲解された名」は、手にする事ができて心からうれしい本だった。
はじめの数ページとキルケゴールの文章を二つ読む。これは、一日にひとつづつくらいのペースでゆっくり繰り返し読むといった本だ。ここから得るものの大きさは測り知れない気がする。
先日から宮澤賢治に関するものをいろいろと調べているが、実家の父親の書架から持ってきた昭和53年2月号の「国文学」、宮澤賢治特集、吉本隆明著「賢治文学におけるユートピア」は、賢治の視線がどこにあるのかという分析が<目から鱗>状態だった。

ところで、詩人の永瀬清子は宮澤賢治の研究者ということで、この二者には繋がりがあるが、永瀬清子の詩集の中に、マグラダのマリアによせて書かれた詩(喪の夜は いま明けようとして)があり、永瀬氏の聖書理解、イエス理解の深さとしなやかさにいたく満足した。

そう、この詩人も「飢え渇き」を詩のテーマとしている。
マグラダのマリアの心情を分かるには「渇き」の自覚が必要なのだ。
そういう意味では、「すきとおったたべもの」を求め続けた賢治もまたそれを知る人。


さて、さて、本を閉じよう。
夕飯の支度をすませたら、今日はダンスの練習をするのだった。
明日、明後日は、きっとダンスモード。
身体を使って表現するということ、そこに気持ちを集中させるとしよう。


2007年02月12日(月) 徳並沢ノ頭に登り勝沼ぶどう郷へ

昨年12月の末に別府の鶴見山に登ったきり、ずっと山行のチャンスに恵まれなかった。
遊山倶楽部の山行きのお誘いは月に二度は来るのだが、たいていは日曜日なので、わたしはなかなか参加が難しい。
ところが今回は2月12日、祝日の月曜日というので小躍りして喜んだ。本来ならば結婚記念日のイベントをするところだけれど、心やさしい同居人mGはわたしの気持ちを察して山行きを承知してくれた。

しかし問題はここ数日前に見舞われた風邪。
ま、熱も下がっているし、前日はダンスの練習も何とかこなせたのだから大丈夫でしょう。それに、どうやらハイキングくらいの簡単な山のようだしと山行決行。

さて山の準備。いつもは小さめのザックにできるだけコンパクトにまとめるところ、ハイキングくらいの簡単な山のようだしと大根の酢の物、かぼちゃと小豆の従姉煮、炒り黒大豆を混ぜて炊いた玄米やらを詰め込む。
頂上では例の宴会が続くのだろうから、身体が冷えてくるかもしれない。ダウンジャケットを入れておこう。
リーダーのDさんには帰りは勝沼ぶどうの丘に立ち寄り、ワインテイスティングをし、温泉にも入りましょうよとメールしておいたので、時間次第でそれも適うかも知れない。そうすれば洗面具に着替えも必要だ。
そうそう、雪があるかもしれないからアイゼンも持って来いと書いてあったな。
なんたって遊山倶楽部の事だもの、宴会に続く宴会で帰り道がすっかり暗くなることだって考えられる、ヘッドライトも入れておかなくっちゃぁ。
あっ、忘れていた、この会の必需品の酒。わたしは山ではあまり飲まないようにしているけれど九州の焼酎くらいは持参せねばと、麦焼酎をペットボトルに詰める。
とこんな具合で、おおよそ歩く事より宴会重視のパッキングで、36ℓのザックはぱんぱんになってしまった。

ひとり山行の時は、まず丹念に地図を見て、何度もシュミレーションをし、酒も持っていかなければ、昼食も少量の行動食の他はお握り1、2個という緊張漲る山仕度だが、そこが遊山倶楽部での山行ともなればお祭り気分。
山道はリーダーにくっついて行けば良いとばかり、事前にコースを調べたり地図で確かめたりすることもないまま、とにかく朝6時5分の伊奈中央発の電車に乗り込む。

大宮で乗り換え。途中武蔵浦和あたりで、ビルの向こうから昇る朝日がとても美しく小さなスケッチブックに絵と詩(のようなもの)を書きつけた。この太陽が照らしてくれる今日一日はいったいどんな日になるのだろう。

新宿で中央線に乗り換え、立川で快速に乗り換え仲間と合流。ここでまず一安心。
しかしあやうく各駅停車の高尾行きにそのまま乗っていくところだった。甲斐大和駅にひとり取り残されるか、さもなければみんなを待たせるところだった。アブナイ、アブナイ・・・。
ところで今日のメンバーは男性6人に女性2人の計8名。

さてさてお知らせに寄ると今日の山行は<甲斐大和駅から勝沼ぶどう郷の散策をします。目的地の山の名前、1116mのピークは、徳並沢ノ頭>ということだった。
この散策という言葉をわたしはかってに想像し、ゆるやかな丘陵を登って降りるハイキングのようなコースを勝手に想像していた。確かに最初はのんびりとした果樹園の中をゆっくりと山の方へと歩いていくのだが、歩いていくうちに自分の想像に反して結構きつい山だという事が分かってきた。
う〜ん、病み上がりの身体で最後まで歩き通せるだろうか。
しかも、他に登山者のいない、標識も無いようなこんな山では一人で後戻りなんかすれば、わたしなどは間違いなく迷って山の中に閉じ込められてしまうと不安な気持ちでいると・・・

「こういう山はひとりで登るべきじゃないですよね〜」

「後戻りしたくても、帰るに帰れないですよ〜」

「他に登山者に会うこともないですしね〜」

「じゃあ道に迷ったらどうなるんです〜?」

「さぁ、死ぬしかないないですかねぇ〜」

どきり!
この人のいなさと道の分かりにくさを思えば、とても冗談には聞えない。これはもう、みんなに遅れを取らないように、必死でついて行く他はない。


葉の落ちた広葉樹の枝をかき分け、かき分け、びしびしと枝の跳ね返りを顔に受けながら、道とも言えないようなルートを進んでゆく。頂上近くは結構急な登りで、岩に手をかけながら、よいしょ、よいしょとよじ登る。ストックがじゃまだが、立ち止まってザックにしまおうにもここでそういう動作をするには足元が心もとない。

ようやく山の頂上に着いた時にはほっとする。
山頂はずいぶん陽射しが強いので、少し下りた場所に円陣を組み、まずはビールで乾杯!
シートの上に並べられた食べ物や飲み物はいつもの遊山倶楽部ならではの大ごちそう。

「これおいしそう〜」
「こっちもどうぞ〜」
「おいしいねぇ〜」

先生のお手製のブリのカマの塩焼きと梅干しがいくつものっかった玄米飯。Kさんのたっぷりのおでんとホヤ貝の珍味。Dさんのグリーンピースご飯に菜の花ののお浸し・・・。
わたしの持参した大根やかぼちゃも喜んで食べてもらえる。

しかし、山は登りよりも下り。下りがどれほどの程度なのか調べてからでなくてはうかうかお酒など飲む訳にはいかない。
「下りは登りのように険しくはないんでしょう。ハイキングのような感じですか?」
「そうですよ。帰りは楽ですよ」
その言葉を決して信用しない訳ではないけれど、なんとなく帰り道のことが気にかかる。
お酒は少しにしておこう。

いつもは延々と続くはずの宴。思いがけなく早い時間に「撤収!」の合図。まだ昼になったばかりの時間だ。
おやおや、みなさん、勝沼でのワインテイスティングの事を考えて、できるだけ早く下山するつもりだな。それはよかった。温泉にも入れることだろうといそいそと腰を上げる。

さてさて、下り。
ゆるやかな坂をのんびり降りるという想像とはまたもや違い、なかなか急な下りに登り返し。3時間ほど降りたり登ったりが続く様子。
「ここ、どうやって降りたらいいの〜」というような場所が数箇所あった。
急な下りでしかも着地する場所は深い落ち葉に覆われている地面だから、うっかりすると足を滑らせてしまう。
(気を抜いてはいけない、よおく足場を確保して・・・)
日頃夢うつつにぼおっと歩くわたしだが、こういう状況ではわが身にしかと言い聞かせつつ歩かねばならない。それでも一度、ずるっと滑って尻餅をついた。

さて、最後は魔の階段。
どういう訳で、この人もあまり登らないようなマイナーな山にこんな階段が長々と続いているのだろう。確かに階段がなければ、あまりに急な坂、降りるに降りられないのかもしれない。
6月に高柄山の急な下りで膝を痛めてからは膝にかかる負担に関してはかなり神経質になっているし、またどうしたら膝に負担をかけずに済むかという事も学習している。
スマートではないが、階段は横向きになり半歩つづ両足で着地するようにして降りるといい。こうすれば、急な階段でも膝に体重が掛かる事をかなり防ぐ事ができる。おかげで膝ががくがくになる事もなく無事下山できた。
やれやれ・・・
いったい階段は何段あったのだろう。見上げると圧倒されるような急な階段だった。これまで歩いた階段の中で一番長くて急な階段だった事は確かだ。

お手軽なハイキングどころか、上級コースとも言えるようなりっぱな山だった。徳並沢ノ頭、1116m。こういった人のあまり踏み込まないおもしろい山は実はいくつもあるのだろう。


山から降りたのは3時近くだったろうか。
勝沼ぶどう郷までは車道を1時間ほど歩くことになるというので、タクシー2台に分乗し、ワインと温泉が待っている勝沼ぶどうの丘へ。
みなとわいわいいいながらのワインテイスティングは楽しく、職員の専門家の方から正しいワインの試飲の仕方を教えていただき、いろいろと参考になった。その方のお勧めのワイン「甲州」をmGのお土産に。

そこの敷地の中にある温泉「天空の湯」は名前の通り見晴らしが良く、甲府盆地や南アルプスを眺めることができる。
明るいうちにと露天風呂に出てみれば、朝、電車の中から昇る姿を見たその太陽が、まさに今、山の向こうに沈もうとしていた。






2007年02月11日(日) 結婚26周年の日曜日

26年目の結婚記念日の日。
この日は風邪もなんとか治り、普通の生活ができる。

午前中教会学校、礼拝の司会。
声がいつものように出ない。まだ風邪が完全にはぬけていないのだろう。
何人かの人からいつもの元気がなかったと言われた。

その後大宮駅へ。
大宮駅のみどりの窓口で「大人の休日倶楽部」のフリーパス12000円を購入。
新幹線の指定席4回分は事前に「えきねっと」で押さえてあったので、すぐに発券してもらう事ができた。
6万円相当のJRの切符が12000円で手に入るのだから50歳になった事が有りがたく思われる。
蔵王のかんじきウォークに始まるみちのくひとり旅、後は行くだけ。

あまり食欲はないが、3時から少なくとも8時まではダンスの練習をするので、駅ビルでパンとコーヒーの昼食を取りつつ時間まで読書。
永瀬清子のエッセイ集「すぎ去ればすべてなつかしい日々」を深い感動と共に読み終える。
何か、今歩く、その一歩にすでに力を与えられるような直接的な働きかけを感じる。
これからが始まりというそんな何かが漲るような気分。

岩槻駅で同居人mGが車で拾ってくれ、いっしょにダンスの練習会場へ。
今日は衣裳を付けての通し。
今週しっかり練習するつもりだったのに、寝込んでいて踊り込みができていないまま合同練習の臨むことになり残念。
何とか踊れたがみんなより早く8時には練習を切り上げる。

何と言っても結婚記念日なのだから食事くらいはしたいが、早く家にも帰りたい。お祝いはまたゆっくりと別の時にしようと、今夜のところは回転寿司屋で夕食。

ダンス仲間のAちゃんから、すてきな形をした花の水やりカンをいただく。
(彼女は今日が結婚記念日だと知っていたわけではなく、この水やり見たらたりたにあげたいと思ったという事だった。うれしいこと!)
今日の記念のプレゼントだ。春にチューリップが咲いたらこれに挿すことにしよう。

翌日の山行の準備をして12時過ぎ就寝。


2007年02月10日(土) 風邪ひき

日記が1週間も空いてしまった。
もしかして今でで一番長いかしら。
この空白の日々はまだ記憶が残っているうちに少しつづ埋めていこう。

水曜日、ごく普通に一日をこなし、夕方の礼拝では大きな声で讃美歌も歌ったというのに、翌朝起きてみるとひどい風邪に見舞われていた。
まる二日間ベッドで過ごし、今日はようやく起きて身の回りのことをすることができた。
まだ外出はこころもとないので家の中ですごす。

寝ている間、もっぱら永瀬清子のエッセイ集「すぎ去ればすべてなつかしい日々」と永瀬清子詩集を読んでいた。

さて、明日は教会学校から始まりダンスの合同練習を終えて午後10時に帰宅という一日。
同居人は同居人で過酷な労働の合間を縫ってダンスの練習には出るらしい。
さて、寝よう。


2007年02月06日(火) 東北の地図を広げ 夢うつつ


あれからというもの、わたしは東北の地図を広げ、この路線、あの路線、あの山、この山と、頭の中ではすっかり旅が始まっている。

雪、そう、雪を見たい!

まずは3月3日、蔵王の樹氷の中をかんじきで歩き、翌日は盛岡で宮沢賢治を訪ね岩手山にまみえる。
それから「いわて銀河鉄道」に乗って、秋田は森岳の友人を訪ねるというそんな計画。

3日間で、埼玉→山形→岩手→秋田と移動するという、ずいぶん欲張りな計画。
さて、頭の上では行けそうだけれど、どうだろうか・・・
ここで思い浮かぶのは山歩きの事、一日7時間も山を歩き続けることを思えば、電車のしかも、指定席に座っていられるというのだから、楽な事ではないだろうかと。

3月3日、蔵王の樹氷の中をかんじきで歩く―というのは、JRの駅からハイキングに参加しようというもの。


2007年02月05日(月) 大人の休日倶楽部

あのJRの駅の吉永小百合のポスターが何となく気になっていたのですが、知り合いが、あの特別切符でお安く山に行ってる人がいるよと聞き、それならばと暮に入会しました。
(あ、これ、50歳以上じゃないと入れないんです。)

つい先ごろ、そのカード(スイカ付きクレジットカード)が届き、さっそくその恩恵にあずかれそうな、お徳な切符が2月2日から売り出されました。

それっていうのは3月2日から11日までの連続する3日間、JRが12000円で乗り放題というもの。「青春18切符」とは違って、新幹線もOK。6回まで座席指定が取れるというもの。ざっと計算するとJRの交通費が半額以下になります。

ここ数日ミクシーへ来なかったのは、空いてる時間はずっと地図やガイドマップを見るか、路線を検索で調べるかといったことに現をぬかしていたんです。

JR東日本なので、カバーしているのは埼玉以北、函館まで。
今まで東北、北海道へは一度も行った事がないので、こうしてさあ、行けますよと言われれば、どこも行きたくてすぐには決められないのでした。
3日間のフリーパスをフルに利用して行きたいところに行くとすると・・・


2007年02月04日(日) 『読夢の会』新春特別対談

明大前のキッド・アイラック・アート・ホール へ行く。

『読夢の会』新春特別対談「正津勉(詩人・父)VS中村真夕(映画監督・娘)」が今日の目玉なのだが、対談の前に、中村真夕監督作品「ハリヨの夏」参考上映があり、対談の後には、正津勉氏の「おやすみスプーン」の朗読と、青木裕子さん(NHKアナウンサー)の朗読 林芙美子著「風琴と魚の町」を聞くという超豪華版の朗読会だった。

映画、対談、朗読、どれも人の声によって伝えられるメッセージだ。
日頃、活字を読むことでしか味わっていない文学作品が人の声を通して伝わる。それは活字とは違うひとつの世界。
声の持つ力、人の声を聴くことの心地よさを想った。

「ハリヨの夏」はこれで三回観たことになる。その風景も人物も、とても親しい存在になってしまった。映画は不思議だ。何度観ても、前に見ていなかったところが見えてくる。
今回は監督の中村真夕の素顔、それも父親を前にする娘としての顔を観ることができたことが良かった。二人とも力の抜けた、その自然体がとてもいい。様々な葛藤を経て、いろいろな過程を通り越し、潜ってきた後のいい関係なのだろう。
いい父娘だな・・・暖かい気持ちになる。

青木裕子さん(NHKアナウンサー)の朗読 林芙美子著「風琴と魚の町」は力のある生き生きとした朗読で、お話の向こうにしっかり映像が浮かんでくるのだった。林芙美子は読んだ事がなかった。活字で読んだとしたら、これほど生き生きとしたストーリーとして受け止める事ができただろうか自身がない。声の持つ力、その人の表現力に助けられてその作品を味わうことができる。

気持ちにしんと沁みこむような会だったからか、その後のパーティーの雰囲気はとても和やかだった。静かに打ち解けていて、緊張やとげとげしいものが微塵もない空間だった。初めてお目にかかる人も多かったのに、前から知っているような親しみ深さがあった。日頃あまり飲むことのないワインをグラスに注がれるままにずいぶんたくさんいただいたような気がする。
キッド・アイラック・アート・ホールの地下のカフェ、本と絵に囲まれたその空間はまた訪れたい場所だった。


青木さん、中村真夕さんと言葉を交わすことができて幸いだった。そして、わたしも聴くだけではなく表現する者でありたいと思った。
語り、芝居、ミュージカル、歌、ダンス、有り難いことに、表現させていただける場所は確かにいただいてきた。これほど未熟であるにもかかわらず!
でも、これこそが<わたしのもの>といえるような表現を突き詰めないまま極めようとすることのないまま、憧れのようなものばかりでやってきたような気がしている。

その昔前、日々お話を覚えて語ることをわたし自身のライフワークにしていたことがあった。こども達がまだ小さかった頃、近所のこども達を集めて家庭文庫を開いていた頃のこと。
我が家の小さな2DKに小さな子ども達が20人ほども集まり、わたしや仲間の語るグリム童話や日本の昔話を聴いてくれた。
考えてみれば、毎週木曜日の午後は、我が家の2DKが小さな劇場となり、一生懸命な顔をして聴いてくれるこども達を相手に、わたし達は精一杯のパフォーマンスをしていたのだった。
覚えて語った話や読み聞かせた絵本は数知れない。

ここしばらく、何かと朗読に縁がある。ダンスのステージで詩を読ませていただいたり、どこからともなく朗読会のお誘いが来たり、知り合いの音楽家から、音楽と朗読のコラボをやらないかと誘いがあったりという具合だった。
わたしの表現することをひとつ決めるとすると、いろんな意味で朗読という気がする。時折、ひとりで朗読する他は、自分からは何も動き出していないけれど・・・
そういう意味では昨日の朗読会で、ぽんと背中を押されたような気持ちがする。

今日は永瀬清子の詩を朗読しよう。


2007年02月01日(木) 「サロメ」つながり

今朝、日記に書いた通り図書館へ出かけたものの、事もあろうに、今日は休館日。この予期せぬ休刊日に当たったのはこれで2回目。

近くの図書館は小さくて蔵書が少ないから電車で大宮西部図書館へ出向いたのだが、一度ならず二度までも・・・HPにはこの日の休館日はなかったのに・・・。

ところが、仕事を終えて家に戻ってみると、昨日のミクシー日記に脚本家のkさんからコメントがあり、尾崎翠と「サロメ」との関係を教えていただいた。

<尾崎翠は「映画漫想」という連載エッセイの第2回で、チャップリンと並ぶお気に入り、アラ・ナジモヴァについて、実に熱を込めて語っています。そのナジモヴァ主演映画の中でも、評価していたのが「サロメ」と「椿姫」でした。活弁の澤登翠さんも、大の尾崎翠ファンです。
なお、尾崎翠を、もっとも早い時期の女性映画批評家の一人とする研究者もいます。>
 とのこと。

アラ・ナジモヴァ (1879.3/22〜1945.7/13) という女優の事も知ることができた。
さらに、検索で調べてゆくと2004年の「尾崎翠フォーラム」で、リヴィア・モネさんが「 サロメという故郷」とうい講演をされていることが分かり、講演抄録 まで知ることができた。

図書館ではとても、こういう情報は得られなかったに違いない。例の高橋批判の上野千鶴子の本「サヨナラ、学校化社会」に関しては、また次の機会に。読む必要がある本であれば、出会うのだろうが、今日はそうではなかったという事だ。

図書館が閉まっていたおかげで、2時間ほどの間、近くのファミレスで早めのお昼を取りながら読書ができた。高橋たか子の創作集「怪しみ」(1981年出版)をすっかり読んだ。
この本は4つの話のうち、タイトルになっている「怪しみ」しか読まずにいたのだった。読むことができてよかった。
もし図書館が開いていたら、この本を返して別の本を借りただろう。

これは、高橋氏がパリの修道院で観想生活をする最中で書かれて4編の短編からなるもので、「ロンリー・^ウーマン」の先にあるものが書かれていた。
高橋たか子という一人の女性が、渇望し、探し求めていったものを、読者が辿るということはなんと贅沢なことだろうかと思う。




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