たりたの日記
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2006年12月30日(土) 青春18切符で

 29日の夜遅く、次男のMが青春18切符で豊後大野市の実家までやってきた。
 前日の午後、つくばを発ち、何本も電車を乗り継ぎ、その夜は神戸の漫画喫茶で夜明かし、始発に乗って昨日の午後10時半にようやく到着した事だった。

 新幹線も特急も使わない普通列車のみの旅。
わたしも若い日、そんな風にして、夜中の鈍行で東京まで行ったことがあった。あの頃は漫画喫茶もなかったから、松本駅の構内に寝袋に包まって寝たし、上高地ではテント泊をした。
若い時だからできるこんな旅。
 

 30日の午後には熊本に住む、弟一家がやってくる。Mは小学生の従兄弟達に3年振りに会った。
 賑やかな食事会の後、わたしのみ、夕方夫の実家の宮崎へ。
午前中に作ったおせち料理や野菜や餅をザックに詰めるだけ詰めて、再び山行の格好で延岡行きのバスに乗り込む。延岡からはJRで宮崎へ。午後9時過ぎに宮崎へ到着。


2006年12月29日(金) 朝焼けの川面を眺めながら

父のいる老人施設の朝食は朝7時50分。朝食の介助をするために朝7時に自転車で家を出る。手袋をしていても指の先がしびれてくるような朝のサイクリングだが楽しみなのは川と山と空が創りだす、この時間の絵。

山の上には朝焼けの空が広がり、川面にもその赤い色が映る。見ている間に光の具合も変わっていくから、しばらくはそこに立ちすくんで見入ってしまう。

おっと大変、遅れてしまう。
しばらく走ると登り坂。
ここはジムのトレーニングのつもりで。寒いのにじっとりと汗ばんでくるのは山登りのようだ。

いよいよ手が冷たくて耐えられなくなった。
脇のコンビニに飛び込み、暖かいペットボトルを買う。飲むためではなく、かじかんだ手を暖めるため。そのじんわり暖かくなってほっとする喜びの感覚。
やっぱり冬はこうでなくては。

埼玉にいると忘れてしまう、この山に近い土地のきりりとした澄んだ冷たさがなつかしい。

何とか朝食の時間に間に合う。施設の広いホールにはたくさんの老人達が朝の食事を始めるところ。「お父さん、おはよう!さあ、ご飯を食べようよ」
父はわたしの事は分からないけれど、笑顔を向けてくれる。わたしは勝手にいろんな事を話しかける。聞いているのは目の前にいる父ではなく、すでに天上にある父の魂のような気がする。

いずれにしろ言葉ではない何かが流れ合う。それはさっき交感してきた朝焼けの川面と同質のものかもしれないと思う。祈りのような・・・


2006年12月27日(水) くじゅうへ

 春や夏の帰省もそうだったが、今年の帰省は古い友人達との再会が続く。
この日、夏に30年振りで会ったRちゃんと、ようやくゆっくり話しをする機会に恵まれる。

 Rちゃんは九重の方まで車を走らせてくれた。行き帰りの車の中で、また食事をしながらいろいろな話をする。忘れていた時間を取り戻し、離れていた時間を埋める作業を急ぐかのように、話は途切れることなく続く。

 やがて車の前方には美しい山が現れる。南登山口からの九重連山はあまり馴染みがなかったが、広々と開けた雄大なランドスケープはここならではのものだと思った。
 学生の頃、久住山の裾野にテントを張って、3晩を過ごした時の事を思い出した。あの時のようにこの山々の懐に抱かれて数日間を過ごすことができたらどんなに良いだろう。いつか、そんなチャンスも来るかもしれない。


同じ日の午前中は、Rちゃんとわたしが高校の時、親しくしていたKさんのお宅へ亡くなったお父さんのお悔やみへ伺う。Kさんの家には学校帰りによく入り浸っていた。Kさんのお父さんも、またお姉さん達も良く知っているなつかしい家族。この家を訪れるのも32年振りの事。

 そして夕方は、Rちゃん、Wさん、Aさんの4人でお茶をする。
ここでも不思議な出会いや繋がりがあるのだが、この事はまた改めて。
ここでの話題はもっぱら健康の事、そしてスピリチュアルな事。Wさんが今年の連休に参加した「食道場」事で話が盛り上がる。そして、そういう話題も山や霊的な事とどこかで繋がっていると感じる。出会いや繋がりはまだまだ続いていくらしい。

 


2006年12月26日(火) ふるさとの年の瀬

23日の夜実家に到着。
24日は午前中ガラス磨きを済ませてから、地元の「読書と創作を楽しむ会」の例会へ。

この会は年に二度、文芸誌を出していて、わたしは昨年より会員になり山紀行をテーマにして二度投稿している。

たまたま例会が帰省中にあるというので初めて参加する。
お世話になった保育園、小学校、中学校、高校の先生達もいれば近所だったおじさんや父の同僚と、参加者の半数以上
がなつかしい方々。それにしてもみなパワフル!作品の合評会ではいろいろと参考になる意見をいただく。

夕方、キャンドルサービスへ。ここでも教会学校で教えていた小学生が母親になっていたりと、驚きとなつかしさ。

今日の親指日記はこのくらいにしておこう。


2006年12月20日(水) 言葉のリレー

蒲公英さんの言葉を読むと、その言葉へのコメントというのではなく、
わたしの何かにスイッチが入って、そこから言葉がするすると出てくることがある。
それをそのままコメントに書き付けて、普通なら、ずいぶん失礼な行為とも
受け取られかねないけど、蒲公英さんはそれが言葉のリレーだって受け止めてくださる。
昨日もそんなコメントを記した。

朝、お便りがあって、ブログ 風に吹かれてにわたしのそんな言葉を載せてくださるとおっしゃる。

それならわたしもわたしの日記に。
蒲公英さんの言葉→わたしの言葉→

こんな言葉のリレー、この見えないバトンがどこかへ届くのかもしれないと思いつつ。


*蒲公英さんの言葉を読んでいるうちに出て来た言葉
ソネット風に



   終わりのない歌のように

思い出そうとしても
見つけられないその入り口
分かっているのは、そこに何かがあったということ
きっと今もまだ、そこにあるのに違いない

入り口は藪で覆われ
もう入ることもできないのかも知れない
誰も訪ねる人のいない、山の中のお花畑のように
けれども、そこに花は咲き続けているのかもしれない

見つけ出せない入り口
手繰り寄せられない糸
過ぎた時間の中で手放してしまったもの
見失ってしまったもの

終止符を持たない歌は、だからいつまでも終わらない
いくつもの旋律が低く重なり合って不協和音がこだましている




* 蒲公英さんの言葉

   不思議な空間

        
思い出という
不思議な空間に
すっぽりと包まれてしまい
あれこれと
いろいろと
思い出していた

今こうして書き続けていることの
その意味は
すっぽりと包まれてしまうほどの
思い出のなかにある

何度も何度も繰り返して
届けられた言葉を思い出している
 おなじものがある
 そこにもここにもおなじものがる
その意味をずっと考えながらも
わからないまま書き続けている

途中で何かが見えなくなって
わからないまま
ずっとわからないまま
書き続けていたら
そこにあるものも
ここにあるものも
見えなくなってしまったよ


2006年12月18日(月) 12月の庭に白い薔薇の咲く



12月の庭に
一輪だけ白い薔薇が咲いている。

アイスバーグ(氷山)という名前はこの季節に咲いてこそふさわしい。

ずいぶん久し振りにどこにも行かず、誰にも会わない一日。
アドベントの静けさと共にあった。
疲れていたからか、クリスマスの音楽さえもかけず、
ただただ無音の時間。

ことことおでんを煮ながら帰省のことをいろいろ考えてた。
こちらにいる間にやらなければならない事のリスト。
持っていく物のリスト。
送る物のリスト。
寄り道の計画表、これは念入りに。

最後に残ったmGのクリスマスプレゼントはランズエンドに注文。
ついでに自分へのプレゼントも。

さて、これから明日のクリスマス会4つの準備。
プレゼントはもう早く手渡しているから後はゲームの中身と読む絵本の選択。お菓子と飲み物の用意。
ハンドベルとクリスマスのCDと新しく買ったゲームを忘れずに。
思い出に残るクリスマスパーティーにしたいと思う。
そのためにはわたし自身がリラックスして楽しむのでなければ・・・

さっきお隣に住んでる4年生のHくんのお母さんがいらして、Hくんが病気で明日これないとのこと。でもずいぶん前から明日の事を楽しみにしていて交換プレゼントも用意しているから、わたしに代わりに交換をしてもらって、誰かのプレゼントを持ち帰って欲しいという、Hくんからのお願。
そうか・・そんなに楽しみにしているというのに。
他にもお休みの子がいるだろか。
新年のクラスの時に新年会をやろう。

昨日の英語学校のクリスマスパーティーは、ネイティブの教師の活躍で無事終了。こちらはスタッフと手伝ってくれる人を入れると8人からの人手があるから、ずいぶん楽なはずなのだが、それでもこういったイベントの後どっと疲れを覚えるのはどうしてだろう。
人がたくさんというのに、プレッシャーがあるのだろうか。
余分な緊張をはずしたいと思う。






2006年12月16日(土) 文学ゼミの忘年会

今年はクリスマス前から九州なので、忘年会には縁がないのだろうと思っていたところ、勉ゼミの忘年会に参加することができ、幸いだった。

仲間のDさんの雑司が谷のお住いの離れ、「笑山荘」を会場に、持ち寄りの忘年会。
築地の魚河岸からNさんが抱えて来て下さった素晴らしい魚たち(バチマグロのトロぶつ、本マグロの中トロ、キビナゴの刺身、白魚、おきゅうと、鯨ベーコン)他、美味しい手料理や名物の数々。なかなか飲めないような美味しいお酒に、珍しいお酒。
Tさんの自作の歌やなつかしい日本の歌に詩の暗唱。
正津先生の心に染みる従軍慰安婦の歌。
愉快なおしゃべり、ゆったりとくつろいだ空気、そしてみんなのいい顔。
この忘年会のことは、きっといつまでも記憶に留まることだろう。
感謝!


2006年12月15日(金) 朗読会へ

小法師ぷろ、板垣正義氏の朗読会を聴きに、さいたま芸術劇場へ。

板垣さんの朗読は2年振り。しかも今回はお一人でなさる朗読会という事だったので、いろいろな用は後回しにして出かける。

映像ホールのこじんまりした静かな空間で、人の声で語られる文学作品を味わい楽しんだ。
プログラムは

夏目漱石の<夢十六夜>より「第十六夜」
太宰治の「リイズ」
中島敦の「山月記」

「第十六夜」と「リイズ」は読んだことがなかったので、朗読に導かれながら、その世界の内側へと入っていくという楽しさや、わくわくする感覚があった。
その二つの作品に共通するほのぼのとした印象や、ユーモラスなオチは板垣さんのお人柄ならでは、テキスト、また朗読だと感心した。

中島敦の「山月記」はとても好きな作品で、いつか朗読で聴きたいと思っていたので、今回、板さんの朗読で聴くことができて幸いだった。
あの作品の格調の高さを声の調子やリズムで良く表現されていたが、夜中の藪や、月の光に照らされた山の上の虎の姿といった美しい映像が、しっかりと見えるのだった。

4年前、このさいたま芸術劇場の小ホールで上演したミュージカル「森の奥」では森の老人(仙人のような存在)を演じた板垣さん。あの時、わたしは子猫を探して森に迷い込んだたけるのママの役を演じた。
台詞と歌。ソロに、デュエット。現代舞踏家の振り付けによるダンスもあった!
あのミュージカルの劇団は解散したが、板垣さんも、わたしも舞台とは今でも縁が切れないようだ。


2006年12月13日(水) バナナケーキの季節

この日、9クラスのうちの3クラスのクリスマス会が終了。
今年はクリスマスの歌をハンドベルといっしょに演奏するという試みがヒットした。お母さんたちのクリスマスキャロルの輪唱もなかなか素敵だった。

今年はなんだかケーキを焼くモードになれなくて、パーティーのためのケーキは焼かずに買うことなるだろうと思っていたのに、前の晩になると、俄然作る気力が湧いてきて、夜中にバナナケーキをどっさり焼いた。

"It's fruitcake weather!"

こんな深夜に宣言する言葉でもないけれど、どうやらわたしにも「フルーツケーキの季節」ならず「バナナケーキの季節」は今年も訪れたようだ。

いえ、これは先頃読んだトルーマン・カポーティの「クリスマスの思い出」の一節。いろんな人へのクリスマスプレゼントのために毎年30個ものフルーツケーキを焼くおばあちゃんと7歳の男の子の心に深く刻みこまれるようなストーリー。(今、時間さえあれば、この本の感想を実は書きたいんだけど、また後日に)

手作りのケーキ、思いの他、みんな喜んでくれた。
焼けて良かった・・
さて、この気分が消えてしまわないうちに、今夜(12月14日)もこれからバナナ10本分、小麦粉8カップ分焼くぞ。
今度は家族用。今夜次男が帰ってくると突然の電話が今しがたあったのだ。

まずはクリスマスの音楽。
次にオーブンを暖める。
材料をテーブルにならべて・・





2006年12月11日(月) カフカの「アカデミーへの或る報告書」を読む

今日は文学ゼミに出席する。
テキストはカフカの「アカデミーへの或る報告書」

本書はこのように始まる
「アカデミーの会員諸君!
 わたしは光栄にも諸賢から、私の生涯の前半をなす猿の時代についてアカデミーに報告書を提出するよう要求されました」

つまり、猿による人間への学会報告がそのすべて。
この猿はアフリカで自由な猿の日々を送っていたところ、突然人間に捕らえられ汽船の甲板の狭い檻に閉じ込められる。

ここの経緯は子ども達に人気のロングセラー絵本、「おさるのジョージ」にそっくりだなと、あの絵本のシーンを思い浮かべながら読み進める。しかし、この物語は子どものためにストーリーではないから、子ザルを友人として保護してくれる優しい<黄色い帽子のおじさん>は登場しない。

この捕らえられた猿は初めて<出口がない>という事態に直面し、たった一人で<出口>を得るべく様々に思考し、行動する。実に頭のいい猿なのだ。むしろ自由の中にあって自由の意味も考えたことのない人間、あるいは不自由であるにもかかわらず、自分は自由だと勘違いしている人間よりもよほど物事が分かっている目覚めた猿だ。

この猿の独白を聞いていると、人間という生き物がいかに他の生き物の中で我が物顔でふんぞり返っているか、その一方で人間以外の生き物が軽んじられ、その自由さえも簡単に奪われてしまうか、猿の悲哀や憤怒がわが身に乗り移り、まるで、自分がこの猿であるかのように語り口調が熱を帯びてくる。

そう、そう、わたしはこのテキストを声に出して読んだ。というよりは演じてみた。手塚氏による翻訳の言葉は、思わず声に出して読ませるような流れるような心地良いリズムがある。それに加えて、表現が大げさで実に芝居じみているのだ。もう、これは独り芝居の脚本として演じることを楽しむしかないと、学ぶことをあきらめただただ楽しんだことだった。
怒り、失望、不安、さまざまな感情がくっきりと表れているから芝居にはうってつけ。しかも、先にも述べたが、その語り手に容易に感情移入でくるという不思議な魅力を持つ語り口だ。


ここで語れられている猿の側からの独白の中身というのは、このカフカの時代にあってはいざ知らず、今の世の中にあっては、何の新しさも発見もない。形を変えながら、すでにどこかで繰り返し語られてきたような内容に感じられる。
そこにはカフカのユダヤ人としての生き難さや屈折した想いも潜在的なものとしてあるのだろうが、カフカがこの作品を持って、そういった差別の図式を社会学的な方向から示唆しようとしたかどうかは分からない。
それよりは、皮肉をたっぷり含み、風刺とユーモアのセンスの効いた、しかも実存的な言葉が随所に散りばめられていて知的欲求をも適当に満足させてくれるエンターテイメントという風にわたしは読んだ。

いつものように、ゼミでは三者三様の読み方や感じ方がおもしろかった。自分には読み取れていなかったところが見つかったり、考えても見なかった事が指摘されたりと勉強になった。

さて、ところでヒト科のわたしは自由なのだろうか。
自由な身でありながら好き好んで拘束されている不自由な自分が見えてくる。ヒトであるが故の不自由さ。
出口はアフリカのいた頃のその猿のようにいくつもあるようには思えない。日頃気づかないでいた閉塞感が妙に強く感じられたりする。あの猿ではないが、自分の出口を確保しておくのでなければ。
ではわたしにとって出口とは・・・。
こうして果てしなく疑問が広がってゆくことがひょっとしてカフカを読むことのおもしろさなのかも知れない。




2006年12月08日(金) 旧古河庭園の紅葉

この日は夕方、ゼミ仲間のKさんと北区つかこうへい劇団の12月公演「蒲田行進曲」を観に駒込へ行くことになっていた。

調べてみると、会場の滝野川会館の側には都立公園、旧古河庭園があり、駒込駅の南口には六義園もあることが分かった。
金曜日は山歩きの日。観劇までの時間をこの二つの公園探索に当てようという計画。

旧古河庭園は4時で閉館なので、まずこちらを探索し、その後、5時に駒込に来ることになっているkさんと六義園のライトアップされた公園へ行こう。夜の紅葉なんて初めてだ。六義園のライトアップは7日までの予定が13日まで延長になったとは何ともラッキーだ。

昼前に家を出て、まずは先日下見をしていた本屋や成城石井でクリスマスショッピングの続き。午後2時、駅ビルのスープバーで遅い昼食を取ってから駒込へ。曇り空とはいえ、まさに紅葉のシーズンまっさかり。逸る気持ちで公園までの道を歩く。

旧古河庭園までは徒歩12分。この公園は数少ない大正初期の庭園の原型を留める貴重な存在ということで平成18年1月26日に文化財保護法により国の名勝指定を受けている。

武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、斜面にはバラの美しい洋風庭園、そして低地にはみごとな日本庭園。

山の中の自然が作るランドスケープを、その空間の中にそっくり持ってこようとした意図が見られ、その整った庭園もまた美しいと思った。
































































































2006年12月07日(木) 映画「マザー・テレサ」

DVDでマザー・テレサを観た。
この人の前ではどんな言葉も嘘くさくなる。
愛するとはどういう事か、その生き方を持って世の中に示した人。
真実、キリストと共に生きた、神の意思を担う人だった。

「神がそれを望まれるならそれは実現するのです。神が望まれないならそれは実現しません」

「わたしは神の握る鉛筆に過ぎない。書くのは神です。」

「わたしたちのしていることは大海に落とされる一滴の雫、けれどそれを落とさないならその雫は永遠に失われたままです」

「これら最も小さい人にした事はわたしにしたのです」というイエスの言葉をテレサはいつも心の内に聞いていた。出会うすべての貧しい人、助けを必要としている人達が彼女にとってのイエスに他ならなかった。

その一人の女性が内に持つ、計り知れない力は、神との絆の強さに寄るもの。それは人を変え、世界を変えるほどの力を持った。

マザー・テレサという一つの出来事。
それはそこで終わったことではなく、そこから成長し続ける類のもの。



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2006年12月06日(水) ペイ・フォアード?

そう、今に始まった事じゃないけれど、12月は忙しい。
正確に言えば気ぜわしい。

教会学校や英語教室のクリスマス会やプレゼントの用意があるからかなぁ。それが終わればすぐに帰省だからその準備も・・

全部合わせて80人ほどの子ども達のプレゼントを用意した。
絵本とかCDとか・・・
後は飛び込みでやって来る子たちのものと、5人の甥っ子達の分。こっちは今週末に。
クリスマス会はこれから、全部で10回。最後の会が21日で翌日大分へ。


わたしも子どもの時、教会学校、音楽教室、バレエ教室と
クリスマス会やお楽しみ会を楽しみにしたものだった。
あの当時、それを計画してくれた大人達は結構大変だったんじゃないかしら。
お菓子屋やってる伯母からは毎年お菓子のたくさん詰まった小包が届いてうれしかったし。

つまりはわたしが子供の頃、大人達からやってもらってうれしかったことを、そっくり子供にやってあげないと気が済まないみたいな、そんな感覚。ペイ・フォアード?
お返しはその先の世代へ。
ペイ・バックじゃなくって。

それを意識的にやってるわけじゃないけれど、人間ってそんな風にできてるんだろうな、きっと。

でも、でも、大掃除と年賀状は間に合いそうにない。
というか、その気分になれない。
4日にこちらに戻ってきてからだな、きっと。


2006年12月03日(日) ブックフェアへ

つい先ごろの日記にデパートが嫌いだ、買い物が嫌いだと書いたが、ブックフェアは昔から好きだ。とりわけ仕事に必要な英語教材の類。
行くのが好きなだけでなく、うっかりすると糸目も付けず、後先考えずに散財してしまう。
しかも、その後に不思議と後ろめたさがなく、ああ、いい出会いだった。良い教材に恵まれたと思うのだ。

今回はNellie's という大手洋書店の主催によるもので、いろいろな出版社からのワークショップやプレゼンテーションがあり、しかも1時間のゴスペル体験もできるというもの。主日の礼拝を休んでも行く価値があるなと思った。

使えそうな教材や絵本、こんなの欲しかったと思えるゲームなど、収穫は大きかった。何より、講師たちの熱意が伝わってきて、わくわくするものがあったのだ。わたしもがんばらなくては・・・とアイデアも元気ももらった。

そうそう、ゴスペルは本格的なものだった。プロのゴスペルアーティスト、レイモンド・ディビット・ルイス氏に拠るもので、祈りから始まり、ゴスペルの意味、歌われている言葉の意味をきちんと説明していた。まるで礼拝に出席しているような感覚があったのは、彼の讃美するという姿勢が揺ぎ無いものだったからだろう。
基本的にゴスペルは楽譜を使わず耳でメロディーを聞き取り3〜4声部に分かれて歌う。日頃、楽譜に頼って音楽するわたしにはつらいところだが、知らない人達と声を合わせて歌うのは楽しかった。ルイスのオルガンがまたすばらしく、歌う気持ちを引き上げる。
良い時を過ごした。

最後のプレゼンテーションには出ずに、4時過ぎに会場を出て、ダンスの練習場へ急ぐ。浅草橋から岩槻へ。
今日の練習は6時から9時まで。2月のステージの振り入れ。
mGはここのところ仕事が忙しく週末も夜遅くまで会社。今日も練習に参加することができなかった。

ダンスも楽譜なしで歌うということに似ている。文字や記号なしに、自分の身体で動きを掴まなければならない。ハーモニーやリズムが複雑であればなかなか記憶できないように、こうした、自分の中にはない動きもなかなか覚えられない。
覚えさえすれば楽しくなるというのは歌もダンスも同じ。


2006年12月01日(金) 紅葉の高尾山へ

そろそろ山の紅葉が終わりになる頃だが、高尾山は今が身頃との情報が出ていた。
そういう訳で、10月のはじめ頃から計画していたダンス仲間のなおさんとふみちゃんとの12月1日の<紅葉計画>は高尾山に決定。

幸いなことに、晴天。
高尾山はいくつものコースがあるが、今回のコースは行きは紅葉が美しいとされる第1号路から途中で吊橋のある第4号路を歩き山頂へ。吊橋を渡っている時、風もないのに、一斉に落ち葉がはらはらと音をたてて降ってきたのは幻想的だった。













幻想的といえば、木々の間から射し込む木漏れ日。それも冬の午後の太陽のそれ。
















山頂は平日だというのに人が多かったが、蕎麦屋に入れないほど混んではいない。
大見晴亭で名物のたぬきとろろそばを食べる。太麺の美味しい蕎麦だった。
山頂付近の紅葉はみごと。その赤、オレンジの色が日に透けて美しく燃えるようだった。












帰りは第6号路を川に沿って下っていった。そこは異空間に迷いこんだようなシンと静かな山の奥。さっきまであれほどたくさんの人達がいたというのに、この道に入り込むや、この山にわたしたち三人だけでいるような感覚。滝行(水行)が行われるという琵琶滝を眺め、大きく、また小さくなる水の音を聞きながらしっとりと濡れた道を歩いているといつの間にか清滝駅に着いていた。












冬の始まりの日の紅葉の山道を、ゆっくりと、のんびりと、時にぼおっと歩く女人三人の山。
帰りに八王子の温泉へ立ち寄り、終電で帰宅。

















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