たりたの日記
DiaryINDEXpastwill


2006年10月31日(火) ハロウィンの日の子ども達

ハロウィンの日。
この日の4つの英語のクラスはすべてハロウィンのイベント
午前中はつくしんぼ保育園でのハロウィン。朝、保育園に行くと子ども達はもうすでに変身していて、「センセイ、みて、みて!」
大きい子たちは自分達で作った変装用の衣裳。小さい子たちは家でお父さんやお母さんから作ってもらった衣裳や、保育所の先生から作ってもらった衣裳。変身した子ども達ってなんてこんなにかわいいんだろう。
保育園の先生やお母さん達がキャンディーの袋をかかえて待つ中を変装した子ども達がトリック・オア・トリートをして回る。

午後3時からの幼児クラスは保育所の園庭と、そこに続く林の中で。
ちょっと薄暗い林に32個のキャンディー入りのてるてるぼうず状のゴーストとを吊り下げるとちょっと不気味な感じ。小さなハロウィンパンプキンひとつととオーナメントのりんご3つは茂みに隠して、ゴーストハンティング。12人のお母さん達が広い園庭の周囲に立ってくださり、トリック・オア・トリート。クラスで作ったトリック・オア・トリートバッグがキャンディーで一杯になっていた。

小学生の2クラスはハロウィンにちなんだゲームをして、わたしからのトリートバッグ。


こうしたイベントは楽しいし、子ども達にとっても大切な事だと思うにおだが、これが終わると「終わった〜」という感じで気が抜けてしまう。写真やビデオもまだ見ていない。
そのうちにゆっくりと。
これを書いている今は実は11月4日の土曜日。

写真、やっとPCにコピー。一枚だけ、保育所のホールで撮ったものを。


2006年10月30日(月) 結城信一「空の細道」を読む

正津勉文学ゼミの日。
今回のテキストは結城信一の「空の細道」。

はじめて知った作家だった。
結城信一、1918年〜84年。昭和26年「蛍草」でデビューし、昭和55年「空の細道」で日本文学大賞を受賞している。

どのような賞を受賞しているとか、名前が知られていないとか、ある意味では、わたしにはどうでもいいこと。
関心があることは、その作品から何かしらの働きかけがあるや否や。
その作品を知ることで、知らなかった時とは異なる何かが自身の内に生まれるか否か。

そう、批判をするために本を読む気などさらさらない。
出会いを求めている。
その出会いがほんものならば、そこには何かが起こる。そこから広がってゆくもの、深くなってゆくものがきっとある。
その時にはまだ眠る種のようにひっそりとしていたとしても。

結城信一のこの作品が、とてもわたし自身に近く寄り添ってくるのを感じていた。はじめの数行でそれと分かる。

山形老人は夏の強い日差しの中、庭の片隅に30分あまりもうずくまり、漆のような黒い背中を見せてゆっくり歩く虫を見つめている。
その虫が30年前の佳子の化身のように見えるのだ。

75歳の山形老人の夢の中に、また日常の中に紛れ込む幻想の中に、16歳で死んだ娘の秋子が、また秋子の友人だった佳子がいつも現れる。この佳子も18歳で死んでいる。
二人の少女は孤独な山形老人を慰める者として幻想の中に現れる。佳子は娘の友人という事を越え、ひとりの女性として老人のからだの奥に仄かに炎えるものを走らせるもする。

二人の少女達は老人がこれから向かおうとする死の世界に属する者たち。
老人を癒す者、老人を愛し、受け入れる者の象徴。
それがなくては生きることの難しい心の支え。
例えそれが目には見えない幻想の中の者であったとしても。

二人の少女達の対極にあるのは、山形老人の息子だろう。
老人の退職金の半分をもらった息子は「オヤジはあと、いくら頑張ったところで、二十一世紀までは持たないな」と言う。
老人は息子から拒絶されたと感じている。

この息子の象徴するものは、自分が死ぬことなど考えることもできない「この世」の人達だろう。
そこには、老人の夢の中の、内に60本もの針を隠し持つ、悪意の象徴のような白い人形と通じるものがある。
おそらく老人は、息子に限らず、独居老人として世間の冷たさや悪意に晒されることが多々あるのだろう。「この世」からの不理解を避け、「あの世」の少女達のところに逃げ込もうとするかのようだ。

老人はいつの頃からか、<果てしなく、黒い海原が背にひろがって、そのまま老人を、呑みこんで行きそうだ>と感じるようになっていた。ここにも象徴がある。人間が等しく感じる「虚無感」それはキルケゴールの言う「死に至る病」、魂の死、そのもの。

しかし老人は仰いだ空のなかに、<今まで気づくことのなかった空の一角に、細い道があるらしいと知る>のである。突然に知るということ。宗教的覚醒とも、悟りともいうべき境地の事ではないだろうか。
この道を辿ってゆく限り、自分の背後にひろがる黒い海原に呑み込まれることはないという確信がそこにはあるのかもしれない。
死は無ではなくその向こうにある世界へと入ってゆくことだと。
この作品の最後で、山形老人がつぶやく言葉は印象的だ

<・・・・秋子だけではない、佳子も、か。その、ふたりで、来てほしい、と呼びかけているのか。そうか、その道ならもうできている・・・>



この老人の心境は、しかし、老人特有のものだろうか。
わたしはこの老人の気持ちの動きが自分の事として良く分かるのである。それはわたしが50歳という年齢に達したからではない。子どもの頃から漠然と感じてきたこと。
「この世」の意地悪さや理解のなさから逃げ出すすべをいつも手の内に握りしめておかなければと感じていた。
「この世」にはない真実が、愛が、「あの世」にあると確信し、そこからやってくる人達と心を通わせることでわたしは今に至るまで生きてきたと思っている。

老人にとっての少女達、わたしの「あの世」からやってくるものは、神、そしてキリスト。詩人や小説家であったり、また音楽家であったり。小説の登場人物でもあれば、現実の人間のその人を透かして見えるもの(魂と呼びたい)であったりする。
それはいつも死を知っている。死を帯びていると言ってもよい。
豊かな死を、決して暗い海などではない、豊穣な死を。
「空の細道」を歩く時、わたしに「こっちへ」と呼びかけるもの。

結城信一は21歳の時に出会った13歳の少女を「わたしの少女」として、生涯、その少女のイメージや少女とのかかわりをモチーフに作品を書いてきた特異な作家だ。
フェチシズムという点では、それは川端康成や谷崎潤一郎ほどの強烈さはない。わたしは一人の少女への固執を、少女趣味やフェチシズムといった性的なものとしてではなく、むしろ宗教的なものとして受け止めた。
ひとつのものを、自分が寄って立つものと定め、そこから物事を見、表現しようとする動かない、静かな視線―
結城氏の他の作品を読もうと思う。
ひとつの出会い、先へと広がり、どこかへと繋がるであろう出会いだった。



2006年10月29日(日) 抗議する人

マルチン・ルターの肖像
<ルーカス・クラナッハ画(1529年)>



この日、宗教改革記念主日。

この日はプロテスタント教会、とりわけ、わたしの属するルター派の教会にとっては大切な日。

 宗教改革は1517年、ドイツのヴィッテンベルク大学の神学の教授であったマルティン・ルターが「95ヶ条の論題」を大学の教会の扉に貼りだしたことで始まる。
彼は当時のキリスト教会の中心であったローマ教会にいわゆる、楯突いたわけだ。抗議する人=プロテスタント。

 95もの抗議!
その中で、ローマ教会の「免罪符」の販売を非難した。
「免罪符」というのは、聖ピエトロ寺院の改築資金調達のために売り出されていたものらしいが、それを買うことによってあらゆる罰がゆるされるという言ってみれば「お守り」や「お札」に当たるもの。ルターはこれはキリスト教の教義の立場から誤りであるとしたのだ。

 聖書を良く読むなら、免罪符がいかにナンセンスな、非キリスト的なものかは明らかなのだが、ルターは時の権威に逆らったわけだから、教皇から破門される。そこからルターがローマ教皇をトップとするカトリック教会(旧教)から袂を分かち、プロテスタント教会(新教)の先駆けとしてのルター派の教会を設立する。

 ルターの考えの基本的立場は「聖書主義」であり、キリスト教の信仰はただ聖書のみを拠り所とすべきであり、ローマ教会といえども聖書の教えに反する場合は批判される、というもの。

 それまで、聖書はラテン語で書かれたものを聖職者だけが読み、一般の人間は聖職者から教えを受け、自分自身で聖書を読むことはできなかった。そこでルターは聖書をドイツ語に翻訳し、誰もが自分で聖書を読むという道を切り開いた。
そしてルターは、人はその行いによって義とされるのではなく、義は、神の恵みによってのみ与えられるものと主張した。

そのルターのパッションを思い起こそうというためか、ルーテル教会のこの日のシンボルカラーは赤。

赤いワンピースを着て礼拝の司会をした。
ルターのプロテスト精神を讃えて赤い服を着たものの、わたしの内側はどうだろうか。ルターの情熱が、正しいものへの希求が、その火種ほどもあるのだろうか。


                *


 <ガラテヤの信徒への手紙>

5:1−6

 この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。

 ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。

 割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。

 律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。

 わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、“霊”により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。

 キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。






↑エンピツ投票ボタン

文芸ランキング




2006年10月28日(土) 子どもたちとハロウィン、ラテンでハロウィン

今日はいちんちミツバチだった。
英語学校のハロウィンのイベント、わたしはミツバチの着ぐるみを仮装の子ども達といっしょに街をパレード(?)。
子ども達はキャンディーをもらって歩いたり、ゲームをしたり
親たちは運動会のような感じで、子ども達を追いかけては写真を撮る。にぎやかな秋のイベント。
手作りのトリックーオアートリートのバッグはキャンディーで重くなり、満足気に帰ってゆく子ども達。

さて、後片付けが終わったらいざジムへ。
5時50分からのヨガのクラスに間に合いそう。
お腹がすいたな・・カロリーメイトをほおばり、ラテンのクラスまでひとやすみ。

今日のラテンはハロウィンっぽく、仮装でダンス。
なお先生は頭の先から足の先までオレンジ色のパンプキン娘。
こわい〜いマスクにかっこいいレーサー、
おとぼけピエロになまめかしいベリーダンサー、
スタジオはフェスティバルのよう。
わたしはここでもミツバチ。

これ、フリースのコスチュームで、かなり暑い。ところがかなり張り切ってしまうので、おおよそ暑さは感じないし、踊りに入り込める。
なにしろあの元気なミツバチになっているのだから、いつもの倍くらいの元気が出る。

あぁ、楽しかった。イベントの気疲れもふっとんだ!
最後になお先生からトリート。
パンプキンのキットカット、ごちそうさま〜





2006年10月27日(金) 映画 「夫婦善哉」を観る

日記に織田作之助を読んでいると書いたのはいつだったのだろう、確か8月。

8月28日の文学ゼミのテキストが織田作之助の「夫婦善哉」だった。
この作品は味わい深く、この作家に至るやさらに興味深い人物だった。

今日は、何とも幸運な事に、この原作の映画、豊田四郎監督、森繁久弥、淡島千景主演の映画を観る事ができた。
この映画1955年の作品、わたしの生まれる1年前の映画ということになる。
まだ世の中にテレビというものが普及していなかった時代。人々がこぞって映画館へ押しかけ、通りの至るところに映画のポスターが貼られていた時代。
日本映画の最盛期の時代の映画なのだろう。

古臭くて当然のはずのこの映画が思いの他、新しかった。
何に新しさを感じたかといえば、森繁久弥と淡島千景の演技であり、スクリーンに映しだされた昭和7年の大阪の町のようす、人々の格好や家の中の様子だった。モノクロの映像も新鮮だった。

それにしてもこの俳優達のうまさはいったいなんだろう。昔の役者はクサイという先入観があったが、身体の動かし方やしぐさ、声の調子や、しゃべり方が何ともニュアンスがある。 ここで語られる大阪弁が実にいい。大阪の言葉にしかない可笑しみ、軽やかさ、ぬくもりがこの映画を豊かなものにしている。


織田作之助の原作に実に忠実な映画だったが、映像でなければ出せない味わいがあり、森繁久弥が演じる主人公の柳吉などは、原作を読んで頭に描いていた人物よりも生き生きと目の前に現れた。
実際、原作から浮かびあがってくる柳吉、吃音でどこかおどおどしているような弱さの滲み出た柳吉にはないユーモアと極楽トンボ的なおおらかさを森繁の柳吉は持っている。

時代と共に女と男の関係、夫婦のあり方も変化してきたが、この映画の最後で、波乱万丈を乗り越えてきた二人が夫婦善哉屋から出てきて、降ってくる雪をよけながら肩寄せあう場面は、時代の変化にも関わらず、また世代にもかかわらず、等しく見る者の心を暖め、そしてじいんとさせるものがあると思ったことだった。

今、原作を取り出して読み直しを始めた。
作品の中で見えてこなかった映像もはっきりと浮かび、さらに楽しい作品になっている。


↑エンピツ投票ボタン

文芸ランキング


2006年10月23日(月) 雨の月曜日

もう子ども達は大きくて、運動会とは無縁なんですが、
昨日は近所のつくしんぼ保育園の運動会のお手伝いでした。
同居人mGがカメラ担当で、わたしはゴールのリボン担当。
0歳児から5歳児までの子ども達、どの姿も格好も可愛い・・
最後はエイサーに合わせて、みんなで沖縄の踊りを踊りました。

さて、運動会が終わるや、次はダンスの練習場へ。
今日は3時半から8時半までみっちり練習。2月に踊る和のティストの振り入れもありました。

練習場が創作の場に変る瞬間。我らが奈央先生が音楽を聴きながらそこで振りを創作し、我々に伝授してゆく場面はいつも「おおっ」と思います。


そんなこんなでテンションの高かった日曜日の後、今日は雨の月曜日。文学ゼミもない日なので心おきなく家に篭っていました。
音というものを聞かずにほとんど部屋の同じ場所に座って一日を過ごしました。
聞えるのは雨の音とパソコンの音・・・
こういう日が週に一度は欲しいところですが、なかなかそうも行きません。

遅れてしまって気になっていた手紙の返事を書いたり、頼まれていた英語のストーリーの翻訳をしたり、合間にミクシィ探索もして新しいコミュを見つけたりしながら、いろいろとやらなければならなかった事を片付け、気分が楽になりました。

まだ夜にかけて、いくつか「お仕事」があるんですけどね。
・アイロンかけ
・ゼミのテキストの勉強
・今週のクラスの準備

あ、夕食ね。今日は肉じゃがです。もうお鍋で煮えてるはず。
芋焼酎のお湯割りと^^
はい、まずは仕事。アイロンかけ、やっつけます。

         *

と、これは今日の夕方に書いたミクシィ日記でした。

あの後、ワイシャツ3枚分のアイロンをかけ、帰りが10時過ぎになるから先に食べててと電話があったので、一人、芋焼酎&肉じゃがの夕食。
今日はmGの髪をヘナで染めてあげることになってたのだけど、明日にしたいというので、自分のヘナ染めをしました。ヘナというのはインドの染料で植物の粉末です。
色が定着するまでの一時間、お風呂に浸かって、テキストの「空の細道」を声に出して読み、後、山関係の本を読みました。

クラスの準備が残ってしまったけれど、明日は午前中のクラスがお休みになったので、時間があります。年末の九州の帰省のプランも立てて明日のうちには切符の予約をしなければ。

という事で静かな雨の一日が終わります。
雨の音はまだ聞えています。
この音を聞きながら眠るかな。

おやすみなさい。


2006年10月21日(土) 高尾山へ若者たちと

青年H(わが長男のこと)とガールフレンドのMちゃんとの初山行は何とか無事終了。
二人とも、また行きたいとマジに言ってるので、ま、成功だったと言ってよいでしょう。

それにしても、高尾山にして正解でした。
この山ならロープウェイもケーブルカーもあるので、体力がなくても何とかなります。

はじめは稲荷山のコースから城山、小仏峠と縦走するつもりで歩き始めたのですが、2人とも稲荷山のコースで山頂に着くのが精一杯。お昼を食べて、帰りはケーブルカーで下山しようという事になり、午後1時半には高尾山口に戻りました。
二人とも温泉に関してはわたしと同類で5時間は温泉にいるという人種なので(て、いうか、昔はシャワーしか使わなかったHがいつの間にか風呂マニアになってました)、そこから八王子の温泉へ行き、夕方までのんびりしました。


Hは夕べはほどんと徹夜で寝ていない状態、Mちゃんは極めて華奢で体力がない。しかもHはいつものラッパーのかっこうで、Mちゃんも小さなハンドバッグひとつという、いわゆる街を歩く格好。

一方、わたしは着替え、雨具、ストック、手袋、おでんとおにぎり、それにヘッドライトまで詰め込んだ重いザックにトレッキングシューズといういつもの山スタイル。(何しろ縦走するつもりでヘッドライトまで持って行ってましたからね)

この三人がいっしょに歩くのですからね、その装備の差とか、どういう関係?とか、いろいろと人目を引いたようです。

でも、うれしいことには二人とも、また山へ行く気でいること。高尾山のように原宿並に人のひしめいている山ではなくて、静かな山へ行こうという事になりました。

次回は御岳山かな。あそこもロープウェイがあるし・・


2006年10月19日(木) ひさびさ日記

先ほど友人からのメールが届き、その中に
「日記が金曜日で止まっているので心配しています」
とあった。

そうか1週間も空いている・・・
でも実際にはこの金曜日の日記は3日間くらいかけて書いているので、実際に書かなかったのは2日くらいのものなのだが、この2日間、日記を書くエネルギーがなかった事は確かだ。

ひとつには土曜日に観た映画「ハリヨの夏」について書かないうちには次の日記が書けない気分でいたのだ。そのくせ、書くパワーがないものだからブランクができたと言う訳。

さっき、「ハリヨの夏」の第一感想を書いて、土曜日の日記にアップしたから先に進める。
たぶん空白の部分は後で埋めることになるでしょう。

取り合えず、今日、ミクシーに書いた日記を、ここに貼り付けておこう。



  ダウン・アップ


ビートのことではなく
あたしの体調のこと。

昨日はひどくダウンしていた。
ひさびさに、しかも突然。

そういえば前日の火曜日、一日中くしゃみ、鼻水が止まらなかったな。
それでも体力はあるものだから午前中1クラス、午後3クラスをこなし、午前のクラスの後には、そのまま保育所のホールでダンスの稽古をしたほどだった。くしゃみしながら・・・
わたしが踊ってると3歳児とか4歳児とかがやってきて、真似して踊るの。かわいい!

で昨日は薬をしっかり飲んでくしゃみ・鼻水は止まったものの、だるい、エネルギーがわいてこない。それでも3クラスは元気を振り絞ってクリア。
けれどその後のオルガンの練習と7時からの夕礼拝のオルガン弾く元気はもう残っていない。
「お家に帰りたい〜」

9月からこっち、毎週やってきた奏楽を初めてお休み。
「すみませ〜ん」

アメリカ人のタミがギターで伴奏やってくれることになった。
「ありがとう〜」

そういえばここ1週間、家に帰るのがいつも遅く、まともに夕食食べてなかったなと思いつつ、玄米ご飯の鰻丼と海草と野菜と豆腐のサラダを作ってしっかり食べた。
ミクシー日記も、HPの日記も書いてないけど、早く寝ようと12時には就寝。

で、今日はといえば、体調アップ。
ジムは行けないかもと思っていたのに、1本目のラテンはいい調子。
ステップを間違えるのは毎度の事だけど、踊っていて気持ちがよく、気分はハイ。そのまま、ボディーパンプのクラスで筋トレまでやった。帰ろうとしたものの、仕事の前に何とかもう一本入れられるとスタジオに引き返して、ボディーコンシャスというストレッチのクラスに出た。

急ぎシャワーに入り、自転車こいで仕事へダッシュ。
「何なの?いつものような疲れがないよ〜」
午後の2クラスは余裕のよっちゃん(て、言葉、むかしあった?)


それにしても何で?
夕べ食べた鰻のせい?
ノ二ジュース多めに飲んだせい?
今朝のラテン?
それとも昨夜の金縛り?(て、ことはないか・・・
はい、夢うつつの中ではありましたが、かなり怖い思いをしたのです。)

ま、理由はともあれ、今日は日記も書いてるくらいだから、調子いい。

昨日のダウンと今日のアップ。
昨日のたりたと今日のたりた
さて、
♪明日はどっちだ〜♪


↑エンピツ投票ボタン

文芸ランキング



2006年10月14日(土) 映画「ハリヨの夏」を観に

10月14日、映画ハリヨの夏の初日、シネマート六本木へ。

「ハリヨの夏」のオフィシャルサイトで写真を見、音楽を聴いていたからか、スクリーンの世界はすでに親しくなつかしい場所だった。
そこにわたしのふるさとの川や、わたしの父や母、そして17歳の時の恋と失恋とが重なる。
17歳、今考えても重い時だった。

映画の主人公、17歳の瑞穂の日々も重い。
自分をもてあましている。
やぶれかぶれ。
寂しさをどうすればいいのか、愛する事がどういうことなのか、分からない。
孤独―親や友人でも埋めることのできない孤独は自覚していても、その正体は知らない。それと折り合う方法もまた。
訳もなく、何かに対して焦っている。
自分の足で立ちたいのに、立てないことのもどかしさ。
何かに取りすがりたい、それでいて自分の足だけで立ちたい。
この危うさ・・・

乗れもしないバイクを横取りし、無茶な運転をして転げる。
男性との関係を結ぼうとするのも、それと同質の衝動からだろう。
そうでもしなければいられない嵐のような心。
どうしたら沈める事ができるのか、どうしたら自分を生きることができるのか、怒りも悲しさも愛もその行き場を見つけられず、自分の中で吹きすさぶ嵐。
きっとたくさんの17歳がそのような得体の知れないものに捉えられるのだろう。
遠い日の危ういわたしがぼんやりと浮かび上がってくる。

この作品を創り上げた中村真夕監督はこの作品を仕上げる事で、自分の少女時代のもろもろときっちり出会い直しをし、そうすることで、ある意味、娘としての自分と決別したのではないだろうか。これから前へ進むためにはまずその作業が必要なこととして。
アメリカで映画の勉強をした中村真夕監督は、初めての作品は日本で、それも自分の生まれた京都を舞台にして撮りたいと3年間かけてこの作品を作った事を聞き、そう感じたことだった。

瑞穂に宿った命のこと。
「したいことは何か、分かっている!」
この瑞穂の強い調子の言葉が耳に残っている。
求めないで与えられた新しい命を前にして、瑞穂は、それを葬ることではなく、生み育てたいという内なる声を聞いたのだ。
命を生む、それを育む、それがわたしの今、したいこと―
どうにもならない自分にとって、新しい命こそが自分を立たせるものになる事を直感していたに違いない。

子どもを生み育てることは生き直しをする事でもある。自分に欠けていた子ども時代、解決できないでいた宿題をもう一度やり直す事ができる壮大なプログラム。

まだ幼い瑞穂は、しかし、母になったところから着実に成長へと向かっていくだろう。今までとは違った足取りで日々を歩んでゆく事になるのだろう。
「ひとりで泳げるようになったで!」
乳母車を押しながら後ろを振り返り友人に向かって言った言葉、底力を秘めた笑顔が、映画のラストで印象強かった。

その言葉が、その笑顔が、嵐に翻弄されるたくさんの17歳たちに届くように。



↑エンピツ投票ボタン

文芸ランキング


2006年10月13日(金) 10月の大菩薩嶺へ

急に思い立って、大菩薩嶺へ行ってきた。
前日に地図付きのガイドブックを求め、ネットで路線や山についての情報を集める。
仲間と行く山であれば、とにかく集合時間と集合場所さえ分かれば、後はついてゆくだけだが、一人で行くとなるとそうはいかない。困った事にならないようにできるだけの情報を集め、シュミレーションしなくてはならない。そこに起こる緊張、そういうものも含めて、ひとりで出かけることには言い難い魅力がある。






















さて、今夜も遅いが、続きを書こう。今日も新しい出来事があり、そうすると昨日の山の事も、もうぼんやりしてしまう。ここに書かない内には旅も終わらないのだから。

まずは日程。
朝6時、家を出て、6時15分のシャトルで大宮へ。
大宮〜武蔵浦和〜西国分寺〜立川と乗り換え、立川から塩山(えんざん)までJR特急あずさに乗る。
8時53分、塩山到着。

さてここで第一の関門。タクシーの相乗り者を見つける事。
塩山から登り口の上日川峠まではタクシーで行くのだが、タクシーは45分、5000円とかなり高い。しかし、ここで相乗りしてくれる登山客をつかまえる事ができれば、それが半分とか三分の一とかで済む。
果たして相乗り者は見つかった。しかも5人で一台のタクシーに乗れるという運のよさ。5000円の予算が1000円で済んだ。
この時、ごいっしょした方々とは雷岩で再会し、いっしょにお昼ご飯を食べる。またそのうちの一人の方とは、登山口までの帰りの下りでもお会いし、いっしょに歩くことができて心強かった。






















この日のコースは

上日川峠(かみにっかわ)→福ちゃん荘→大菩薩峠→賽の河原→神部岩→雷岩→大菩薩嶺→雷岩→福ちゃん荘→上日川峠→千石茶屋→裂石(大菩薩登山口)

上日川峠を9時45分に出発。タクシーでいっしょに乗り合わせた方と別れ、一人で気儘に写真を撮りながら歩くことにする。しかし歩き始めると、熊の事が気になり、山小屋に戻り熊よけの鈴を買うことにした。
お金(400円)を払いながら「このあたり、熊が出るんですってね〜」と山小屋のオーナーらしい人に言うと、
「そうじゃないんです。熊がいるところに人間が出かけて行ってるんですよ。そこを間違えないでください」と諌めるように言われた。
あぁ、この人はこの山を、そこに生息する動物ともども愛しているんだなぁと思った。そう、熊やリスの居る場所に入らせていただくのだ。人間がおじゃまするのだ。
「大地は人間のものではなく、人間が大地に属するのだ」というネイティブインディアンのシアトル酋長の言葉を思い出した。






















紅葉の林を歩く。山の中のひとりっきりという時に心に起こる、じわじわと染み渡っていくような、自然に笑みが広がっていくような喜びの味わい。
しかし、そのくせ、茂みのガサガサっと音がするとびくりとするし、「単独登山はやめましょう」などという立て札を見ると、心細くもなる。
10時45分、大菩薩峠で行きのタクシーでいっしょだった方を見かけた時にはなんだかほっとした。写真も撮っていただくことができた。その後はまた自分のペースで景色の良いところに来ては立ち止まって写真を撮りながら行く。






















大菩薩領までは峠から一時間弱。大菩薩嶺は2057mで、この辺りでは一番高度が高いが、頂上は潅木の中にあるので、眺望は臨めない。そこから雷岩に戻り、昼食の休憩を取ることにする。そこにはいくつかの登山グループがあり、朝ごいっしょした3人のパーティーの方も、また大菩薩峠で写真を撮ってくださった方もそこでお弁当を食べていたので、わたしもその側に座り、山の情報などをいろいろと交換しながらいっしょにお昼にする。


align=left>
帰り道。ガスが出ていて眺望が臨めそうにないので、もと来た展望の良い道を歩くのはやめて、唐松尾根を辿って上日川峠まで。そしてタクシーには乗らずに、裂石の登山口まで下山した。
唐松尾根の真っ赤な紅葉はひっそりと美しい。写真を撮っていると、先程顔を合わせた方が、熊よけ鈴を鳴らしながら歩いていらした。そこから登山口まで、さらに「大菩薩の湯」まではいろいろ話をしながらいっしょに歩く。
そういえば、山で出会った知らない方と話をしながら歩くというのは初めてかも知れない。
「山の本」の編集をなさっているSさんが、山で出会う人達と親しく話しをし、山行記の原稿依頼をし、それを一冊の本にまとめられたことを伺い、そんな繋がりが保てたらいいなと思っていたのだった。

3時半、「大菩薩の湯」に到着。疲れた足に温泉がたいそう心地よかった。
予定よりも早く下山できたので、温泉に1時間以上入ることができてしあわせだった。
温泉の前を5時13分発のバスでJR塩山駅へ。この公営バス、駅まで25分乗って、わずかに100円。タクシーだと3000円くらいかかるから有り難い。

塩山発17時53分の高尾行きの電車に乗り、21時30分、帰宅。


2006年10月10日(火) 秋の空はいつだって・・・

毎年、秋の空は澄みきっているのだろうし、
毎年、美しい季節だなと思うのだろうけど、
今年は特別という気がする。
きっと毎年、今年は特別と思っているのだろう。

昨日は衣類の整理をしていると、mGが仕事から戻ってきて、
陽があるうちにどこかへ出かけようと言うので
仕事はそのままにして秋の中へ出かけていった。
空とか木とか光とかと遊ぶために、
とりわけどこかに行くでもなく車を走らせて・・・
ちょうどよさそうな公園があったので、
そこで本を読んだりした。

小川洋子の「偶然の祝福」はしんみりと良かった。
初めて読む本なのになぜかなつかしかった。
きっとこの日の公園の噴水や
魚釣りをしていた子ども達の様子といっしょに
この本の中のお話を覚えていることだろう。

どこにも秋はあるけれど、
まだ知らない秋に出会いたい・・・
今夜はmGが帰ってくるまでの間、
ただただ山の本と地図を見ながら、
あそこ、ここの秋を思い描いていた。

わたしは果たして、地図にあるどこかを探しているのだろうか。
もしかするとそうではなく、
わたしはわたしのうちにある何かに出会いたくて
地図を探しているのかもしれない。


2006年10月09日(月) 秋の日、家の仕事あれこれと

すっかり秋だ。
秋の真ん中だ。
ようやく、HPのトップの画像を夏の開聞岳から秋の空の写真に取り替えてもらった。

この3日間のお休みはお天気が良くて絶好の山日和なのだが、いろいろと家の仕事もあるものだから、またmGも仕事が忙しいものだから、遠出はせずに家事に専念。

金曜日は一日雨だったから、こころおきなく台所まわりの大掃除をする。ピカピカになった台所は気持ちが良くて、俄然、料理が楽しい。洗いものすら気分がいい。
こんなにいい気分になるんだったら、いつもピカピカにしておけばいいのだと思う。

きっとこれがはずみになって、珍しく掃除モードになったんだな。
翌日、雨上がりの土曜日は朝から一日庭仕事をした。
生垣のレッドロビンの剪定。
茂りに茂ったローズマリーの刈り込み。
この夏に伸びた分(1・5mはあるな)の月桂樹の枝落とし。
ジャングルと化してしまった、ハーブ達をざくざく切って乾燥用に。
家の中にハーブ香りが移される。
植物のハサミを入れるのは好きじゃないから、もうこれ以上は放ってはおけないというところまでは何もしない。


月桂樹の葉っぱは料理用に袋一杯は残したものの、とても全部は保存できないから、今朝は大量の月桂樹の枝をゴミに出した。心は痛むけど、しかたない。あの枝をそのままにしていたら、枝が太くなり、もうわたしの持っている枝落とし用のハサミでは手に負えなくなるもの。
でも大丈夫、切った枝は凄い勢いで芽を吹き出し、その周囲からいくつもの枝を出す。つまり切るほどに木に勢いが付くのだ。この月桂樹の生命力にはほんとに驚く。


昨日は教会の後、家でダンスのビデオを観ながら前回のレッスンの復習、4時過ぎ、mGとダンスの練習場へ。5時からと思っていたら、今日は3時からだったらしい。もうみんな練習を始めていた。
5時から9時まで練習。ひとりでDVD観ながらやっていて良く分からなかったところが解決してすっきりした。後は11月26日のステージに向かって踊り込み。

で、月曜日の今日は衣類の整理。衣換え。着ない衣料品の始末に毎年悩む。
捨てるべきか捨てざるべきか・・・これはまだ着るかもとか、別の物にリサイクルしようとか、リサイクル用のものばかりがたまってゆく。思いっきり良く処分しない事には片付かないのだから、これも、バサバサ枝を落とす要領でやらなくては。

さて、始めるとするか。


2006年10月05日(木) 「蒲田行進曲」をDVDで

DVDで蒲田行進曲を観た。
日本の映画のよさ、28年前の映画の持つ空気、つかこうへいの原作に流れる人間愛、観終わった後に、残る何ともいえない暖かさと哀しさ・・・

ヤスもいいけど、銀ちゃんも憎めない。で一番好きだったのが小夏。

松坂恵子ってこんなに素敵な女優だったっけ。いろいろ観たと思うけれど、こんなに愛らしく、きらりと光っている場面は見たことがなかったような気がする。

この映画は1980年、新宿紀伊國屋ホールでの初演の2年後の1982年に映画化されている。映画「蒲田行進曲」は日本アカデミー賞の作品賞、
主演男優賞(平田満)、主演女優賞(松坂慶子)、助演男優賞(風間杜夫)、監督賞(深作欣二)、新人俳優賞(平田満)の6部門のほか、数々の映画賞を独占した昭和屈指の名作とされる。
同年、つかはこの小説で第86回直木賞を受賞を受賞している。

同居人mGは、この映画がビデオになってすぐ、いっしょに観たと主張するが、わたしは全く記憶がないのだった。
この年は長男が生まれた年。新米の母親としては、目の前の現実がいっぱいいっぱいで、映画どころではなかったに違いない。眼は画面を映しながら、頭は別の事でふさがっていて、記憶にすらとどめなかったのだろう。

巡り巡って今頃、当時の話題の映画を観て涙しているという変てこりんな情況。
ま、観ることができてよかったけど。


この12月5日から8日まで、北区つかこうへい劇団が2006年版の「蒲田行進曲」をやるらしい。
mGをさそったら、あまり乗り気ではない様子、一人で行くかな。


北区つかこうへい劇団『蒲田行進曲』オフシャルサイト





2006年10月04日(水) Listen to my words,O Lord

今日は幼児とお母さんのためのクラス、シニアクラス、幼児クラスの後、
午後7時から夕礼拝。

奏楽(オルガン)弾くのもだんだん慣れてきた。
いつもは礼拝の始まる時の前奏曲はバッハなんかの奏楽曲を弾くのだが、今日は昨日見た映画「二代目はクリスチャン」の出だしのところで、讃美歌「いつくしみふかき」のリードオルガンの響きが何ともなつかしかったものだから、このシンプルな讃美歌を弾いた。

この曲は外国の讃美歌の訳なのだが、わたしには日本の田舎の小さな教会の風景と結びついている。

さて、今日のテキストは詩編5編。

この詩編5編を読みながら、浮かんできたのは、ロック(というよりブルースかな)やゴスペルといった洋楽のフレーズだった。

この古の歌詞が、ロッド・スチュアートのロックの歌詞に思えてきたのだ。

O Lord ( あぁ、主よ)という神への呼びかけがあたかも掛け声のように歌の中でシャウトされる、あのロックやゴスペルのフレーズ。


ちなみに、詩編5編をToday's English 版の英語の聖書で見てみると、ほんと、ロックの歌詞みたい。そのままメロディーをつけて歌えそう・・・

詩編5編のはじめの部分を英語で読むと



Listen to my words,O Lord

and hear my sighs.

Listen to my cry for help,

My God and king!

I pray to you.O Lord;

you hear my voice in the morning

at sunrise I offer my prayer

and wait for your answer.



ね!

日本語聖書(新共同訳)ではこうなります。


詩編 5編 より

< 指揮者によって。笛に合わせて。賛歌。ダビデの詩。>

主よ、わたしの言葉に耳を傾け

つぶやきを聞き分けてください。

わたしの王、わたしの神よ

助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。

あなたに向かって祈ります。

主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。

朝ごとに、わたしは御前に訴え出て

 あなたを仰ぎ望みます。




↑エンピツ投票ボタン

文芸ランキング



2006年10月03日(火) つかこうへい原作の映画 「二代目はクリスチャン」

先週の金曜日、久し振りにツタヤへ行き、つかこうへいの映画のDVDを借りてきた。

「熱海殺人事件」を借りたかったのだけれど、近所のツタヤにはなかったので、「二代目はクリスチャン」と「蒲田行進曲」の二本を借りてくる。

さて、まずは二代目はクリスチャンから。

純情可憐な美しい修道女(シスター)にぞっこんの警察官とヤクザの親分。しかも恋敵の二人は幼馴染。

まぁ、切ったり、切られたり、撃ったり、撃たれたりのドタバタ喜劇なのだが、この映画の真ん中にどんとあるのは「愛」そのものなのだ。

男の女に対する愛、ヤクザの組に対する愛、仲間への愛、大人の子どもへの愛、そして神への愛・・・

ヤクザが親分の言いつけでみな洗礼を受けてクリスチャンになるのだが、聖書を読んでいるヤクザのおにいさんが、

「自分の命を得ようとする者はそれを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである(マタイによる福音書10−39)」

というところで、ヤクザの仁義とおんなじだと納得するあたり、なるほどねぇとおもしろかった。

最後のシーンで、無抵抗を説いてきたシスターが、皆殺しになった仲間の仇を討つべく、修道女のベールを取り、日本刀を手に敵陣に乗り込むあたり、かっこいい、まるで、ジャンヌダルク。こういう女は好きだ。

そういえば、小さい頃、琴姫七変化(?)が好きで、よくちゃんばらごっこをして遊んでいたものだった。

最後までシスターの盾になって闘ったのは彼女への恋に破れた柄本明の演じる三枚目の警察官。警察官の立場を捨て、わが身を顧みずひたすら愛する女性を守る姿は清々しい。

何ともたくさんの人間がバタバタと殺されてゆく血まみれ映画なのに最後には何か胸に暖かいものが残るのは、ここで描かれた愛の大きさに寄るのだろう。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネによる福音書15−13)

この映画のテーマはこの聖書の言葉にあるように思った。

脚本を読んでみたい。


2006年10月01日(日) 奥多摩 三頭山行



武蔵五日市から都民の森へ。

三頭山めざしブナの林を歩く。

久々の遊山倶楽部の山行

今日の参加者は8人。


歩くみちすがら花の名前を聞く。

2歳児のように、

繰り返えし唱えるのだが

それでもじきに忘れてしまう花の名前。



長い滝見橋を渡り、

三頭大滝の長い滝を見上げ、見下ろし、

ブナの林、また林、

山歩きはいつになくゆっくりと続く。


ポツリ、ポツリと雨が落ちてきた。

天気予報は曇りのはずなのに・・・

雨の音は増してきても、

ブナの林の中では濡れもしない。



やがて三頭山山頂。

さて宴会だ。

食べ物を並べ、酒を並べ

乾杯!とともに雨は本降り。


宴をたたみ、酔った足ふらつかせ避難小屋。

ログハウスの小屋の窓からブナの林見ながら、

うす暗い小屋に懐中電灯をぶらさげ

宴はのんびりと続く。



時間がないぞ、帰り道、それ急げ!

残念、最終のバスは行ってしまった。

しかし、うれしい予定変更。

送迎バスで温泉へ。


ざぶり。

山の後のお湯のありがたいこと。

湯屋から出ると外は暗く、雨はまだ降っていて

帰路はこれから長いのだったが・・・




<この日教えてもらった花の名前を忘れないために>

・カメバヒキオコシ
・サラシナショウマ
・ヤマトリカブト
・セキヤノアキチョウジ
・キバナアキギリ
・オヤマボクチ








たりたくみ |MAILHomePage
My追加