たりたの日記
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| 2006年08月31日(木) |
北アルプスへ� 祕譴梁瑤�ら常念小屋へ> |

8月の真ん中あたり、九州の帰省から戻ってきたばかりの時、山仲間のSから携帯にメールが入った。「北アルプスに行かない?」 Sは山の経験が豊富な人。日本百名山のうち、半分は登っているという年季の入った山女だ。 わたしは即行、「行く!」と返信を打った。 と言うのも、「いつか北アルプスに行きたい」とどこかにか書いたばかりだった。 「敲け、さらば開かれん」というのはわたしの信条。祈りは聞かれるもの。 それにしても、今回は何と素早い展開だろう。
ちょうどお互いの仕事が入っていない8月31日からの3日間、一の沢→常念岳→蝶岳→上高地というコースで山行が決まる。天気さえよければ、槍・穂高連峰の大パノラマ、360度の展望が臨める素晴らしいコース。 英語サマークラスが終わった翌日、いざ北アルプスへ。

8月31日 晴れ。 朝6時37分、Sとわたしは大宮駅から長野行き新幹線に乗り込む。長野→松本→豊科と電車を乗り継ぎ、9時30分、豊科着。ここから一の沢登山口まではタクシーで40分だ。 しかし、ここで早くもハプニング。
「お客さん、車は登山口までは行けないってことは御存知ですよね」とタクシーの運転手。 「えっ、どういうことですか」 「先月の大雨で道路が崩れて車両通行止めなんですよ。途中のいこいの広場までしか入れないから、登山口まで5kほど、歩かなくちゃいけないんですよ。登りだから2時間はかかるかなぁ」 どうしよう・・・私達の計画書では常念小屋には16時20分に着くことになっているが、2時間プラスとなると到着は18時20分!いくら日は長いとはいえ、心細い時間だ。 しかし、ここで引返す訳には行かない。とにかくがんばって歩くしかない。 アスファルトの車道をさっさか歩くと、登山口までは1時間10分しかかからなかった。しかし、この時間のロスが口惜しい。これから小屋までの1190mを登り始めるにはかなり遅い時間だ。
腹ごしらえをして11時45分から歩き始める。登山道は沢沿いに続きゆっくりと高度を上げてゆく無理のない道。沢の流れを脇に眺めながら、涼しい水の音を聴きながら楽しく歩く。12時45分、はじめの休憩地点、王滝ベンチに到着。コースタイム1時間30分のところ、1時間で歩くというハッスル振りだった。これでずいぶん予定の時間に追いついた。
さてここから胸突八丁の急坂を登り続けると、15時20分、最後の水場に到着。おいしい水をたっぷり飲み、空になったペットボトルに詰め込む。灼熱の開聞岳や水場の乏しい傾山での登山を思いかえせば、水場に恵まれ涼しいこの山はずいぶん楽だ。 最後の水場から沢を離れ、樹林の中を歩く。急坂が続く。まだか、まだかと頭上を睨みながら登ってゆくと、50分ほどでようやく常念小屋(2450m)が見えてきた。よかった。暗くなる前に無事小屋に着くことができた。16時20分。到着予定の時間から20分遅れただけだった。
小屋の前にすっくりと立つ常念岳(2857m)の頂は雄大だ。 山のてっぺんには青い空をバックに骨のように白く透ける月がかかっていた。
| 2006年08月28日(月) |
英語サマークラス→文学ゼミ |
仕事の上では一番のイベントの英語教室のサマースクールの初日。
4歳児から小学校6年生まで、30名ほどの子ども達と朝10時から午後3時まで。 わたしの主催で、アメリカ人のAがアシスタント。 異年齢で合同のアクティビティーは初めての試みだったが、 初日の今日は、縦割りのグループがうまく機能した。 まずはうまく行った。
家に戻って、久し振りに家に戻ってきた次男に、特性ステーキを焼いて食べさせ(4時半に夕食なんて早すぎと文句言われたけど)、7時の文学ゼミに間に合うべく、早稲田へ。 テキストは織田作之助の「夫婦善哉」。 さまざまな意見やレポートが出され充実したゼミだった。 わたしは、織田作之助の自伝「生き、愛し、書いた」や、他の作品を読むの夢中になっていたので、こちらに時間を費やしてしまい、ゼミのテキストについてのレポートは書けないままで参加したが、みなの読み方がおもしろく、ゼミに参加してよかったと思った。(連日のイベント続きで次男も帰ってきてるから参加は見合わせようかなと迷ったのだった。)
ゼミの後の飲み会では詩人のS先生、山の本の編集者のSさん、経済学者のOさん、小説を書いているNさんと同じテーブルで、山の話、織田作之助の話、ミクシィのことなど、いろいろな話ができて有意義な時だった。 一人で読むことでは得られない学びがいつもある。
でも、これで4日続けての宴会。 今夜も電車に乗って帰るとはいえ、結構、焼酎呑んだな・・・ さすがに、那須のように眠りこけることはなかったけれど。
さて、明日(今日だ!)はサマースクールの二日目。 ライヴで聴いたパワフルで自由な演奏を心の内に繰り返しながら、いい場面を創ろう!
那須合宿の後、夜はみ〜のライブへ。 まずは写真のみ。写真はmGのブログより
<写真は茶臼岳山頂・撮影はシャルさん>

この日、予定通り、那須岳縦走を果たしました。 コースは茶臼岳→朝日岳→三本槍岳。 去年はキッズやママ達ともいっしょに、ロープウェイで山頂駅まで行き、そこから茶臼岳までの往復を楽しみましたが、今年は茶臼岳コースと縦走コースに途中で分かれるということにし、やすさん、なおさん、シャル、ふみさんとわたしの5人で出かけました。
7時起床。わたしとやすさんは夜中の2時には寝たものの、残り3人は明け方の5時まで話ていたらしいからわずか2時間の睡眠。でも、いつもハードなダンスや運動をこなしているから全然平気な様子。 宿を8時過ぎに出て、9時発のロープウエイに乗り込みました。
天気予報によると今日のお天気はあまりかんばしくないもよう。前日は夕方からずっと雨が降っていて、山は無理かもしれないと思っていたくらいでしたから。でも朝には雨も上がっていたのでとにかく出かけたのです。
山頂駅はガスっていて目印も見つけられないほどで、最初牛ヶ首の方を回るルートを歩き始めてしまい、途中で引き返し、茶臼岳へ向かいました。 深い霧はひんやりと冷たく、山独特の冷気があります。 去年山頂で土砂降りの雨にあって、雨に濡れながら下山した事などを思い出しながら霧の中を進み、ほどなく山頂。
晴れていれば360度の展望が開けているはずですが、今年もそれは望めませんでした。 時間はまだ11時前、やすさんの勧めで獲りあえず、朝日岳への分岐点、峰ノ茶屋避難小屋まではみんなで歩いてみようということになりました。 この頃なると霧がすっきりと晴れ、目の前に朝日岳がくっきりと見えます。広がりのあるなんとも気持ちの良い眺めが広がっていました。
さて、始めの計画ではここでやすさんとわたしだけ先へ進み、他の3人は下山する予定でしたが、やすさんの熱心な(強引とも言える)な勧めに折れた3人は、スニーカーと軽装のハイキングスタイルで朝日岳まで行くことになりました。 ガイドブックには、<クサリ場、ヤセ尾根、足元に注意>とあり、<アルペン的なピーク>とありましたが、山登り気分を味わえるものの、スニーカーでは大変だろうなと心配でしたが、さすがに日頃鍛えている面々、軽快に山頂をクリアしたことでした。
目の前の茶臼岳を眺めながらやすさんとわたしの持参したお握りやカップ麺をみんなで分けて楽しいピクニックをしたことでした。 「ここでお昼寝したいくらいですね」とシャルさん。 ほんとに、すっきりと晴れ渡った空と澄んだ空気と優しい陽射しのその場所はお昼寝にぴったりという感じでした。
、<写真は朝日岳から茶臼岳を臨む・撮影はシャルさん>

さて、3人は来た道を峰ノ茶屋避難小屋まで戻り、その後はロープウェイを使わずに山麓駅まで下山することとし、わたしとやすさんは、三本槍岳を目指しました。朝日岳から三本槍岳まではおよそ一時間くらいの道のり、それまでの険しい岩登りとは違って、穏やかな地形で、シャクナゲやゴヨウマツに覆われた道を行くハイキングのような行程でした。おしゃべりする余裕も十分にあるほど楽チンな道で、あっという間に三本槍山頂。 やすさんがお湯を沸かしてくれ、コーヒーを飲みました。
ここまではルンルン気分だったのですが、思いの他大変だったのが、岐路。登る時にはそれほど感じなかったクサリ場やヤセ尾根が疲れた足には堪え、峰ノ茶屋避難小屋から山麓駅までの下山は何とも歩きにくく、いくら歩いても終わりにならないような気持ちなりました。 ひとつには雲行きがあやしくなったので、先を急ぎ、休みを取らないまま3時間近く下山を続けることになったので疲れがでてきたのでしょう。
きっと先に帰った3人も大変だっただろうねと心配しながら宿に戻ってみると、先に戻った3人は前を歩いている登山客をごぼう抜きにしながら走るように下山し、わたしたちと別れてから下山するまで1時間しかかからなかったということでした。コースタイムでは2時間以上かかる道。ほっとするやら驚くやら。ダンサー達の体力を改めて知る事になりました。
ともあれ、3日間の踊って飲んで喋っての那須合宿の一日に、有意義な山行ができたことは幸いなことでした。 さて、来年の那須ではぜひとも三斗小屋まで足を伸ばしたいところです。
今日から三日間、エムズの那須合宿。 温泉に入り、食べて、呑んで、話て、そしてきっと踊りまくる。
み〜がギターを弾いてくれる。そしてあゆはフルート。やすさんも歌ってくれるらしい。わたしも楽譜をバックに詰め込み、ギターもケースに入れた。 昨日、アンジェラ・アキのHomeの楽譜がタイミングよく届いたし。
翌日は那須岳縦走の予定。茶臼岳→朝日岳→三本槍岳の予定。 お天気があまりよくないようなので少し心配だが、ザックは雨具もスパッツも一通り詰め込んだ。行けるといいなぁ・・・
素敵な仲間たちと(キッズもいっしょだ)たっぷり、3日間をいっしょに過ごせるのはうれしい。 3日目の夜は那須から戻ってきてから、み〜のバンドのライブもあるから、 まるまる3夜間宴は続く。
夏の名残を惜しみつつ、過ごすひととき・・・
では、行ってきます。
| 2006年08月24日(木) |
キャロル・キングの「The Living Room Tour」を聴きながら |
 今日、アマゾンから注文していたキャロル・キングのCD 「The Living Room Tour」と「ゲド戦記」の原作 「The Earthsea Quartet」が届く。 「ゲド戦記」の事はまたいずれ書くとして、 今日はキャロル・キングの事を書いておこう。
キャロルのCDを買ったのは4年振り。 4年前に買った「 Love Makes the World 」は、わたしにとっては大ヒットで、この曲ばかり1年半は毎日のように聞き続けた。というよりは、他のものが聞けなかったのだ。 このCDのことは2002年5月15日の日記 に書いているが、その時、わたしが必要としていたエネルギーがここにあったということなのだろう。
それからしばらくは、キャロルを日常的に聴くということはなくなっていたのだけれど、rose-quartzさんの8月21日の日記 「キャロルを聴きながら 」を読んで、キャロルの最新のCD「The Living Room Tour」をどうしても聴きたくなって、即、ネットで注文したのだった。
5年前のキャロル、50代にして、なお美しく、パワフルで繊細な彼女に圧倒されたのだったが、このライブのキャロルはすでに62歳。それなのに、明らかに、50代のキャロルよりパワーアップしている!
CDがライブ録音という事もあるのだろう。rose-quartzさんの言う通り、観客がどのような想いで聴き、一緒に歌っているのか、その気分がそのまま伝わってくる。 彼女の歌に育てられ、励まされてきたわたしにとっては、その観客そのものが同志という感じがしてきて、いっしょに手を取り合いたいような気持ちになる。
このCDもヒットだな。 きっと、今のわたしに必要な音、そしてエナジーなのだろう。 50歳になった今、目の前に62歳の彼女が輝いているのはうれしい。このキャロルを目標にしよう。
キャロル・キングの公式サイト
先週、帰郷から戻ってきてからの1週間は、同居人がお盆休みということもあり、水曜日の休館日を除く6日間、毎日ジムへ行って、運動をした。そればかりか、早朝の散歩までした。非常にアクティブだったと言える。
反対に、この3日間はジムどころか、ほとんど家の中に篭りっ放しだった。 今週末の那須合宿までにやっておかなければならない事がいくつもあったのだ。原稿書き、英語サマークラスの準備、ゼミのテキスト「夫婦善哉」の著者、織田作之助についての勉強、ギターと歌の練習。後は、そう、ミクシィ。読んだり、書いたり、探したり・・・ 内省的な周の前半だったと言える。
前回の日記でミクシィの事を書いたら、さっそく、日記の読者の方からの登録がありうれしかった。コミュニティにも、18歳の大学生がメンバーに加わっていた。これで、10代から50代と年齢層はさらに広がった。
偶然の出会い? いえ、いえ、出会いは偶然ではない。その向こうに人と人とを結びつける方がいらっしゃる。その意図は計り知れないが、人と出合ったり、再会したりする時には、あの方の意図を思わない訳にはいかない。それはすべて、良きことに繋がっているので、心配はないのだ。
たりたの日記、4日間空いてしまいました。 毎日クリックしてくださった方には申し訳ありません。
ここのところ、mixi に入り浸っていました。 入り浸る・・・いったいこの表現が的確かどうかは分かりませんが・・・
ある友人にmixi やらない?って誘ったら、それ何?って聞かれました。 そうなんです。それってやらないうちはどんなものか見当もつかないから「なに、それ?」なんです。わたしもそうでした。
mixi はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の一つで、今やHPやブログに代わるものとして勢いを伸ばし、ミクシィ現象という言葉すらあるくらい。 アメリカでは仕事の人脈を広げる目的で用いられているようですが、日本の場合はどちらかと言えば、若い世代を中心に友だちの輪を広げようという目的で広がっているようです。昔ありましたよね♪友だちの友だちはみな友だちだ♪っていう歌。あれです。
でも、きっと友だち作りに留まらないと思います。情報の交換や、行動するための連帯、学問やビジネスの分野、町づくり、地域活動といった方面でも用いられていく可能性があるように思えます。
HPやブログとミクシィの大きな違いは、前者が誰でもアクセスできる一方で、ミクシィは招待を受けた人しか入れないしくみになっていることかな。閉鎖的と言えば閉鎖的ですが、HPやブログのように訪れる相手の顔が見えないということがない。そういう意味ではネット上であっても、お互いに顔を見せ合う、言葉を交し合うという関係が生まれるわけです。
もうひとつミクシィの魅力は、「この指とまれ」ができること。 つまり、あるテーマの下に自分でコミュニティーを立ち上げる事が容易にできること。 例えばわたしは「大分の山が好き」というコミュニティーを作ったのですが、このコミュニティーを作ることで、わたし自身がふるさとに住む人達と繋がりを持ちたいと考えたのですが、同時に今わたしの生活圏にいる人や、ネット上で交流している人とふるさとを繋げることもできるという事に気がつきます。 で、わたしとしては大切な友だちと友だちがミクシィという世界を通じて顔を合わせるいう事がうれしかったりします。
というわけで、ミクシィやってます。
| 2006年08月16日(水) |
電車を愛する小さい友達と |

すてきないちにち 小さな友達と若い友達と三人デート オムレツ食べて 電車を見て いくつも見て ずうーと見て ホームのはじっこに座り込んで
わたしと若い友達は 電車を愛する小さい友達を追いかける 電車を見つめる小さい友達は真剣で なんだか かなわないものがある
その昔、そんな日があった 踏み切りの前に立ちんぼ 電車を見て いくつも見て ずうーと見て 小さな息子と二人 夕暮れで 少しさびしかった
*
↑は、昨日 mixi に載せた写真と文。ここにも載せておこう。
で、これは補足
子育て時代はいくら懐かしんだとしても、もう戻ってはこない。 ありんこが出たり入ったりする穴を4歳児といっしょにしゃがみこんで眺めていたことや、夕暮れ時の踏み切りにいつまでも佇んでいたことは、もう夢の中の出来事のように遠い。
でも昨日はゆんぼとおかんの世界にしばらくの間おじゃまさせてもらって、子育て時代の気分を味わう事ができて、在り難かった。 子どもの眼で観る時、いろんなものがずいぶん面白く、興味深く見えるものだ。大宮駅の11番線ホームに長いこと(おかんによると2時間半だったらしい)いると、今まで気にもとめなかったものが見えてきておもしろかった。
電車はいつも駆け抜けるものだけれど、ホームの向こう側では、牽引車が列車を運んだり、試運転がなされたり、ゆっくりと動く電車の世界があるのだ。
ごっついカメラを手にした鉄道マニアの一群が、今日が試運転というEF641045にいっせいにカメラを向けている姿なんか、おもしろい写真になりそうだった。 わたし達も携帯で、その「特別」らしい電車を写していたから、傍から見れば、鉄道マニア仲間に見えたかもしれないが・・・
わたしたち3人がずっとホームにいるものだから、鉄道作業員のおじさんが、「JR大宮工場」のロゴ入りキーホールダーやD51のしおりなんかを持ってきてくれて、ゆんぼはうれしかったに違いない。
この日も不思議に満ちていた。
2006年8月12日、この日は特別な日だった。きっとこれから5年、10年と年月が流れてもきっとこの日のことは覚えているのだろう。
わたしが卒業した高校の「昭和50年卒業生同窓会」に出席した。 高校卒業以来、初めての同窓会なので、大方の人達とは32年振りに会うことになる。 同窓会というのは初めてだった。 この時を楽しみにしていたのに、高校の校門をくぐると、思わず足がすくみ、このまま回れ右して帰りたいような気持ちになった。 この躊躇はなんなのだろう。
ともかくも受付開始の2時30分を15分くらい過ぎて、受付の場所へ行くと、わたしのクラスの受付は去年一度会っているSちゃんだったので、ほっと肩の力が抜ける。
思い切って、かつてのクラスメート達がたむろしているところに歩み寄る。 ここでは、この前、市役所で会ったWくんやKちゃんがいるので、何か心強い。と、いうか、それほどに久し振りに合うということで生じるショックがあるのだ。 はっとする感覚がまず起こり、失われていた記憶が戻り、名前と顔とが、目の前にいる人達に重なっていくのだが、そこにはくらくらと眩暈のようなものが起こる。 30年の間眠っていた数々の記憶がいっせいに起き上がろうとするからなのだろう、頭の中が凄いスピードで動いているようなのだ。
クラスは1組から6組まであるが、3年間同じクラスだったから、クラスメートとは3年間、毎日顔をつき合わせ、学級担任のS先生からは毎日数学の授業とホーム・ルームを受けていたことになる。 それほど毎日いっしょにいた仲間と32年の間、ぷっつりと関係が絶たれていて、今また同じようにひとつの教室に入ろうとしている。 3時からはそれぞれのクラスが昔の教室に入り、担任より授業を受けることになっているのだ。
冷房のない夏の教室は夏休み中の補習を思い起こさせた。 3階の廊下の窓から中庭を覗くと、昼休み時間に、ギターを持ち出してそこで勝手に弾き語りのライブをやっていた迷惑な女子高校生のわたしの姿が浮かび、またくらくらする。
と、隣にS先生。 「スギヤマ、お前を見ると、また寝るんじゃねえかなと心配になるなぁ〜」 「えっ、そんな、先生。他の授業では眠ってましたけど、数学は眠りませんでしたよ!」 数学は少しもできないので授業中は緊張していたはず、居眠りしていた記憶などない。けれど先生がそう言うからには数学の授業でも眠っていたのだろう。わたしは有名な居眠りの常習犯だったのだ。 一生懸命に聞きながら、しかしいつの間にかするり、するりと夢の中を出たり入ったりするわたしの癖はこの頃ついたもの。
なつかしい教室に昔のように座り、Kちゃんが週番の役を勤め、警察官になっているUくんが気合の入った声で「起立、礼、着席」の号令をかける。 S先生が近況などを交え、50代からの心構えのような事を話された後、 「じゃあ、いいか、スギヤマ」とわたしの名前を呼ぶと、S先生はやチョークを取り、昔のままの見慣れた手つきで黒板に線を引き始めた。 その瞬間、わたしは身体がぞわそわっとし、脂汗が滲む。 あぁ、この感覚、いつぐらい振りだろう。人の前で数学の問題を解かされる時のあの気分。
しかし、わたしは脅かされただけで、実際に式を答えさせられたのは高校で数学を教えているSくんとHくんだった。 やれやれ、先生も人が悪い。 それにしても、こんな数式、全く覚えていない。
要するに、S先生が導き出したかったのは1:1.618という黄金比だった。パルテノン神殿やミロのヴィーナスや巻貝などに見られる、神が創った最も美しいとされる比率のこと。 前に読んで、映画でも見た「博士の愛した数式」が思い出された。
美しいバランスというのは自然の理に即しているのだろう。 それは物の形だけでなく、さまざまなことがらの中にも存在するものなのかも知れない。 S先生は今日はこの黄金比のことだけ頭に入れておいて欲しいと言われたが、50歳を迎えたこれからの人生、その美しいバランスを自分の内に養っていくようにということなのかも知れないと。
午後4時、記念撮影。 午後4時30分、記念植樹。 午後5時、近くのホテルで懇親会。
ここでは他のクラスの人達とも顔を合わせる。その中には小学校の時のクラスメイトや中学校の時のクラスメイトがいて、古い記憶といっしょに半端じゃない懐かしさがこみ上げてくるのだった。 くらくらと眩暈のようなものは続き、夢見ごこちなものだから、目の前に盛られたごちそうを食べるどころではなく、一角に並べられた芋や麦の焼酎を飲むどころではなく、時を惜しんでいろいろな人と顔を合わせ言葉をかわした。わたしなど、この時を逃がせば、もう一生会うこともない人もいるのだろうから。
それにしても、みんなこんなに話やすかったっけ? 同じクラスでいた時にはまともに話したことも無かった男の子たちとも自然に話ができるようになっている! 突っ張ったり、かっこつけたり、あるいは劣等感を抱いていたりするティーンエイジャーだったあの頃よりも、父親や母親になり、仕事でも苦労を重ねてきた今の方が素直で優しくなっているのだ、きっと。
翌日は埼玉に戻り、ふるさととはまた離れてしまったけれど、長い間失くしていた大切なものがひょっこり手元に戻ってきたような嬉しさと安心感は消えずにいて、心はずっと暖かかった。
| 2006年08月14日(月) |
アンジェラ・アキ Home |

今日、アンジェラ・アキのファーストアルバム<Home >を買った。
ふるさとにいる時、たまたま母と見ていたテレビで彼女の番組があっていて、確か「情熱大陸」、Homeを歌うアンジェラ・アキを見ながら、ぽろぽろ涙がこぼれた。
♪繊細な糸で素朴な町に縛り付けられていた時 見上げる度に空は映した 遥かに遠い世界を 小さな場所を後にしてから どれくらいもう経つのだろう
Home is calling ふるさと 心の中で今優しく響いている 寂しさが染み付いた夢の無い夜には あなたを読んでいる ふるさとを呼んでいる♪
故郷の徳島でのライブや、幼い頃の思い出を語るアキやアメリカのパブで、自分の歌を歌い続けるアキ、分かるなぁ・・・
父のいる施設まで自転車を飛ばしながら、 This Love のサビの部分を繰り返し歌ってた。 今回の帰省のテーマソングでもあったアキの歌。 今も聴きながら書いている。
昔のわたしがそこにいるようで、 忘れていたことを思い出すようで、 遠い記憶のひだにまで入り込んでくる。
*
昨日大分から戻ってきたのだが、その前日12日に、高校の昭和50年卒業生同窓会があって、参加した。 懐かしいという言葉では言い表す事のできないほど、それは貴重な再会だった。 明日、この日の事をもっと書こう。
人気のない真夏の原生林 轟々と音たてて流れる沢 秘境のような場所 ときめき
吹き出す汗 時折の涼風 森の匂い 忘れていたものが身体に蘇る 解放
切り立つ岩 迷い混みそうな山道 威嚇する雷と追い立てる雨 畏れ そしてそこに生まれる祈りのようなもの
心は解かれ、また凝縮し 自然の大きさとわたしの小ささ
傾山山行 濃密に満ちた時間の中を歩く
(傾山山頂から)


8月10日念願の傾山に登った。
なぜそのような気持ちになるのか良くは分からないが、「今度はこの山に登りたい」と、憧れのようなものがまず生まれる。ガイドブックを広げ、山の地図を辿りながら、まだ知らない山を思い浮かべている内にその想いは、さらに募る。
この三月の末、幼友達のIさんと、樹氷の祖母山に登った時から、今度は傾山に登りたいと思っていた。
幸い今回もIさんが御夫婦で案内してくださる事になり、朝6時Iさんの車で上畑(うわばた)へ向かう。
一時間ほどで九折(つづら)登山口に到着。九折鉱山後に作られたという登山口には駐車場ときれいなトイレがある。
身支度を整え、朝7時15分、出発。
山道は九折川に沿って続いているので、しばらくは心地よい沢の音を聞きながら歩く。山は原生林に覆われ、照り付けるような日差しは避けられるものの、やはり気温も湿度も高いからか、いくらも歩かない内に汗びっしょりになる。こまめ水分を取りながら進む。やがて激しい水音。芥神(あくたがみ)の滝だ。
カンカケ谷。靴を濡らさないように岩から岩へ飛び移りなが沢登りも楽しいだろうなと思う。
さてここからが本番。急な斜面を木の根っこに足をかけながら、わしわしと登って行く。実はわたしはこういった急な登りが好きなのだ。しかし暑い。水がいくらでも必要。途中ペットボトル半分ほどの水をこぼした事が悔やまれる。
3時間ほど歩いたところで、スパンと開けた草原、九折越に出た。
ザックを降ろし、汗で濡れた長袖シャツを半袖のTシャツに着替え、ナッツなどの行動食を補給。
ここからはしばらくゆるやかな尾根歩き。センゲン平からはめざす傾山の特徴のある双耳峰がくっきりと見え、後一時間も登ればあの頂上に立つ事ができると思えばわくわくする。 最後の急登。はしごやクサリ場をクリアし、12時15分、傾山山頂。
素晴らしい眺め。後で調べると山々の連なりは大崩山群だった。次の帰省の時に登りたい山だ。
三人で写真を撮り合い、木陰に入ってお昼ご飯。
ここまでは誰にも会わず、山を貸し切り状態だったが、夫婦らしい中年のカップルが登ってきた。
午後1時前、頂上になごりを残し、下山をはじめる。
下山は、思ったより時間がかかった気がしたが、それは追い立てるように不気味に鳴る雷のせいかも知れないし、3人とも水を切らしていて不安だったからかも知れない。水はそれぞれ2リットル近く持っていたが、それでは足りなかったと言う事だ。午後4時45分に九折に戻ってくる。
次第に暗くなり、雨もぽつぽつ落ちてくれば、一刻も早く登山口に辿りつきたいばかり。 雷に追い立てられるように黙黙と下山。こういう状況下で、膝などを痛め、動けなくなれば致命的。膝に極力力がかかからないよう、重心を低くし、気を張って進む。
雨が本格的になる前に登山口に戻る事ができた。空は我々が車に乗り込むまで、何とか雨をこぼす事を待ってくれたにちがいない。 車に戻ると同時に夕立。
傾山は予想以上にガツンと骨のある山だった。
膝をかばったせいか、腿から足首にかけて今までにないほど疲労したが、膝は少しも痛む事なく山を降りる事ができ、自信がついた。
さて、竹田のおいしい湧き水と温泉が待っている。
| 2006年08月09日(水) |
再会というファンタジー
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日常の中に入り込んでくるファンタジーは魂を生き生きと動かし、そこから始まる何かの音を聴く。 高校時代の同級生のWくんが、実家の近くにある市の役所で働いていると聞いていたので訪ねることにした。
Wくんとは高校の卒業以来、一度も会っていないのだが、ひょんな事からわたしのエッセイ集を読み感想をメールしてくれた。今も時折ウェブ日記を読んでくれている。
さて役所にやってきたものの、18歳の学ラン姿のWくんしか知らないのに、どうやって見つけよう。Wくんは剣道をしていたせいか、いつもぴしりと背中が伸びていた事を思い出した。それから32年後の今、いったいどんな様子になっているのだろうと、たくさん並んだデスクを見渡す。しかし、すぐにWくんが目に止まり、わたしは高校生のように手を振った。
50歳になったね、と話しながらも、32年の長い時間が一瞬の内に消えたかのように、わたしは18歳のわたしになって18歳のWくんに向かい合っている気がした。 ファンタジーは続く。 Wくんは同じ建物の中で仕事をしているクラスメートのRちゃんのところに連れていってくれる。Rちゃんもまるで昔のままの優しい気でさわやかなRわやかなRちゃんだ。三人で修学旅行で東京に行った話しなどをしていると、完全にタイムスリップ。気分はますます昂揚していく。
まだまだ再会のドラマは続く。今度はRちゃんが思いがけない人の所へ連れていってくれた。 大学時代のA先輩。サークル(聖書研究会)の二年先輩で、通学の電車が同じ線だったから電車の中やキャンパスまでの道でずいぶん話をした記憶がある。もっぱらわたしは物知りなA先輩にいろいろと質問しては教えてもらっていたように記憶している。昔の調子で話していると、すっかり忘れていたはずの事がいちどきに記憶の表面に出てきて驚いた。
Aさんの娘さんのことなども聞きながら、いい父親やってるなと思う一方で、話に熱がこもる時のAさんのまなざしの強さは、七半のごっついオートバイに乗っていた20歳の頃Aさんのままだと思う。 不思議な事はいちどきに起こるもの。 Aさんと話しているところへ、やっぱり卒業以来会ってなかっ高校のクラスメートだったEくんが通ってかかり、「おおっ!」とお互いにびっくり。クラスメートの中でもとびっきりユニークな存在だったEくんはその特徴あるオカシミをそのまま保持していた。今度はEくんがKくんを連れて来る。Kくんは12日に予定されている同窓会の世話人。すぐには誰だか分からなかったが、じきに昔のKくんがそこに重なる。 「ねぇ、Eくん、クラス会には来るんでしょ」 とわたしが聞くと、「おまえが来るんなら行かめぇかな〜」と昔のままの憎まれ口をたたく。
みなそれぞれ市役所の重要な役職に付いているりっぱな中堅公務員だという事は承知しながらも、わたしは昔の友人達の若い頃のままのエネルギーがひどく嬉しく、また愉快だった。
昨日の日記に橋も川もわたしの一部分だと書いたが、若い日に同じ教室で同じ 時を過ごした友達もまたわたしの一部分だと気付く。
遠い日の友との再会は遠い日の自分との再会でもある。そしてそこからやってくるエネルギーは日常を超えてふつふつと何かが生まれる勢いがある。
これがファンタジーでなくてなんだろう。
橋という物を日常的に渡らなくなってどのくらいになるだろう。
今朝、帰省先のふるさとを散歩している時ふと通りかかった橋。その前ではっとして立ち止まる。
「たかたろうばし」欄干に掘られた文字にはひどく馴染みがある。保育所の3年間と小学校の6年間、あわせて9年間、朝に夕に渡った橋。 この橋を渡る時、決まって橋にもたれかかり川の下をのぞき込んだものだった。水の流れにも川の音にも何の感慨もそのときにはいだかなかったのだろうが、この橋が深くわたしという存在にかかわっている事を今になって知る。 この橋も川もわたしを育てた。 とすれば、この場所はすでにわたしの一部分なのだ
この日の午後、不思議な事があった。
高校の時の同級生4人と大学時代の先輩に立て続けに出会うというファンタジーに遭遇した。
最後に会ってから30年以上の月日が流れている。 不思議なのは双方の間に存在するはずの30年間がすっかり消えてしまったこと。 つづきは、また明日
| 2006年08月07日(月) |
人参を目の前にぶら下げて |
さて久しぶりの親指日記。昨日、宮崎から大分へやってきた。
夫の実家と私の実家の感覚と言うか、流儀と言うか、癖というか、そのライフスタイルの違いに毎度驚くのだが、今回は母の体調がずいぶ良いので気が楽だ。
今日は日頃母が気になっていて出来ないでいた押し入れの片付けやら座敷や仏壇の掃除、買い置きの食品で溢れ返っている台所と首にタオルをひっかけ、山行スタイルでがんがん片付けていく。この勢いで自分の家を掃除すればいいんだと、ここに来る度に思うのだが、我が家の掃除や片付けは、どういうわけか、この敵のようにやっつける心意気に欠け、またいつか、また今度と母親そっくりのわたしだ。DNAなんだよなぁと溜息つきつつもわたしはわたしに向かって語気を強める。 「お前には歳を取ったからといって家事を手伝ってくれる娘はいないんだぞ。体力がある内に生活がシンプルでスマートに回せるように機能的に整理整頓をしておかなければ、だんだん面倒臭くて手に負えなくなるぞ! 」と。
あの押し入れやあの引きだし、子供達が抜け出した後の残骸。実家のように贈答品や食品の山はないが本や古いビデオやレコード、手芸の材料や画材、教材やさまざまな書類と、わたしにはまた別のやっかいな物質の山があるのだ。 何とかこの片付けモードを持続させるべし。
さて、ともかくも、ここでの仕事は早くやっつけて山へ行きたいばかりに、目の前に人参ぶら下げた馬のようにいそいそとやっている事は確かだ。
今日は午前中、mGと共にmGの母親(つまり義母ですが)の通っている病院へ付き添い、担当の言語療法士の治療のもようを見、話もする事ができた。
わたしの両親もそうだが、70代の親たちには、どこかここか、加齢に伴う、病気なり、衰弱なり、故障がある。 年を取るということがこういうことなんだなぁと、いつも身につまされ、将来の自分達の姿を思い浮かべてみる。
そこで考える事は、いくら意識的に加齢してゆく事を考えても、考え過ぎる事はないという事。 肉体の衰弱や老化は避けては通れない。しかし、精神は? これに関しては、かなり本人の意識と努力で違ってくるのではないだろうか。 というより、かなり意識的に生き、努力をしないならば、加齢に飲み込まれてしまうのではないかという気がする。
いかに成熟し続けるか、柔軟であり続けるか、興味や行動力、それに伴う体力を維持し続けるか。人を配慮し、愛し続けるか・・・ そういう意味では20年後の自分は今に負っているという気がする。
老い支度。それはお金や家や持ち物よりも、身体の健康、そして精神的な鍛錬や成長の部分にフォーカスする必要があるんだろう。 たゆまず、自分を育て続けるということ。
| 2006年08月02日(水) |
桜島を眺め、開聞岳に登る |
ようやくパソコンを使える。 今のうちにこの2日間の事を書いておくとしよう。
まず31日昼前に鹿児島空港着。 天文館でこむらさきラーメンを食べた後、ホテルで桜島を眺めながら温泉に浸かり、フェリーで桜島へ渡る。 溶岩なぎさ遊歩道をしばらく歩いた後、有村溶岩展望所へ。 ダイナミックな溶岩の原。目の前に聳える巨大な活火山、桜島。 その山頂かはもくもくと煙を吐いている。 かつて、その火山から溶岩が流れ出し、その辺りを埋め尽くしたその場面を想像する。生きている星、地球。 この星の真ん中で沸沸とたぎっているマグマのことを想う。
古里温泉は桜島の南岸、荒磯に面した場所に沸く温泉。 海際にある、古里観光ホテルの露天風呂へ入ってみて驚いた。 この温泉はどこかのお寺が管理しているらしく、露天風呂の奥まったほこらには観音様が据えてあり、、どうみても寺のお御堂といった様子。 果物などの供物なども置かれている。 で、そこでの入浴だが、受付で、柔道着のような浴着を渡される。 どうやら、海に面したその露天風呂は混浴で、その浴着を着て入るきまりになっているらしい。浴着の背中にはお経が書かれており、入浴そのものが宗教的な行為といった感じだ。 奇妙なシチュエーションだが、潮の匂いを嗅ぎつつ、夕暮れの海を眺めながらの露天はなかなかのものだった。 しかし、何か、じっとりと重いエネルギーが漂っていて、冒険心は満たされたものの、おっかなびっくりといった感じ。mGと二人だったから露天にも入れたものの、一人だったら怖かったかもしれない。

翌朝、晴天の夏日。窓の前面に広がる桜島は一段と力強い。 予定通り開聞岳へ登れる! 昨日、海辺の露天からはるか遠くに見えていた、すっきりと美しい富士山の格好をした薩摩富士の異名を持つ山。 薩摩半島の南端にそびえ、太平洋と東シナ海に突き出した山。 mGはここのところ、血圧が高く、登山は止めているので、登山口まで車で送ってもらい。わたし一人で登る。 36度という気温で海抜0度の位置から、標高924mの山に登るのだから、かなりの暑さが予想される。 山の中には水場もトイレもないということなので、行きのコンビニでスポーツドリンクやお茶、2ℓ分買う。
さて、十分予想はしていたものの、登山口に人影はない。 関東周辺の山とは違って、九州の山はいくら日本百名山とは言っても、あまり登山客は多くはない。しかも真夏の時期はさらに少ないようだ。去年の阿蘇もそうだった。

ともあれ、心細い気持ちをなだめて、ひとり山の中へ。 山の中はその入り口から、うっそうと暗く、まるでジャングルに足を踏み込んだような感覚だった。登山道は深い溝のように掘り込まれていて、深いところはわたしの背丈を越えるほど。 何か、人の侵入を拒むような空気を感じる。 でも、この感覚は、人気のない山にはたいてい感じる感覚だ。 しかし不思議なもので、3合目、4合目と進んでゆく内に、エネルギーはずんずん和らいでいき、やがて、山がわたしを受け入れてくれてているような感じが起こる。きっとわたし自身がリラックスし、楽しくなってきたからなのだろう。
しかし、暑い。ウエアーは汗びっしょりで、まるで濡れた水着状態。 この暑さのせいか、今までの山行より疲労度が強く感じる。 山のガイドブックにあったように、15分歩いては水休憩を取りつつ進む。途中、近の高校の女子陸上部のグループが下山してくるのに出会う。 「がんばってください。頂上は涼しいですよ〜」と声をかけてくれる。 7合目を過ぎると登山道は海側へと出る。そこから真下に広がる海。太平洋と東シナ海が交差する大海原の眺めに深い溜め息。

ごつごつした岩場が多くなり、梯子が掛けられているところもあり、9合目過ぎの急坂を登り切り、岩が積み重なった大展望の頂上。 岩によじ登り、その先端の岩に腰を下ろし、その下に広がる美しい世界を味わう。 9時半に2合目登山口を出発し、11時45分に山頂に着いたから、2時間15分。コースタイムより15分、短縮できたことになる。
あまり広くない頂上には、わたしの他には3人のパーティーが食事をしており、その後、途中で追い越した中年カップルの登山客が登ってきた。 昼食は下山してから取るつもりだったので、ゼリーとナッツの行動食で栄養補給をし、12時15分には下山することにする。
というのも、この日、レンタカーを返す都合8時までに宮崎市内に着かなくてはならない。mGも下で待っているし、帰路に着く前に指宿温泉にも入るとなると、遅くとも2時には下山したい。
前回の山行きで左膝を痛めているので、今回は膝のサポーターをきっちりつけ、ストックをフルに用いて、できるだけ、左膝に力がかからないように慎重に下山した。登りのような疲労感はなかったが、小石がガレ状になっていて、十分注意して歩いていても、足元をすくわれ、何度となく滑ってしまう。防ぎようがないのだ。
慎重に下山したためか、ほとんど休まずに歩いたものの、2合目登山口に着いたのはちょうど2時。コースタイム100分よりも5分余計にかかった。 登山口のそばのベンチにmGの姿を見つけた時にはほっとした。 指宿温泉へ立ち寄り宮崎へ。
それにしても、山行の後の温泉は格別だ。疲れた足腰がお湯の中でじんわりほぐされ、使い過ぎた筋肉や関節が癒され、元に戻されるような気がする。心配だった膝は何も痛みがなく、心地よい疲れの他はどこも傷めることはなかったようで山行に自信を持つことができた。
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