たりたの日記
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さて、いよいよ明日から恒例の夏の九州帰省。 今日、滞在地の宮崎と大分に荷物を送り、いただいた暑中見舞いの返事などを書き、庭の花にたっぷりと水をやれば、もうこれと言ってやるべき事はない。
この荷物を出してしまった後のほっとする時間はいい。 それまでは、何を持っていくか、いかないかで毎度の事ながら、かなり迷う。服にしても、その時の気分で、着たい服と帰たくない服があるとすれば、選択の余地があるよう、余分に持っていくことになる。
靴だって、トレッキングシューズにジョギングシューズ、前回はこれにダンスシューズが加わったが、今回はまだ新しい踊りの振りをもらっていないから、ダンスはパス。
本ときたらもっとやっかいで、最近手に入れた本や、今読みかけている本はとりあえず置いて行きたくはないから荷物に詰め込む。
ジュンク堂の「大江健三郎書店」で買った本を4冊。 加藤周一著「日本文学史序説 上下 谷川徹三編「宮沢賢治詩集」 シモーヌ・ヴェイユ著・田辺保訳「重力と恩寵」 サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」とその原書。 加えて、行きの満員電車と騒音の凄い飛行機の中でも没頭できる小説が必要。今回はゼミ仲間のTさんのお勧めの、京極夏彦著「姑獲鳥(うぶめ)の夏」。 後は山関係の本と山の地図の類。
その昔は赤ん坊のオムツやミルクや着替え、その後は、おもちゃや着替えと帰省するための荷物は少なかったためしがないが、最近は子ども抜きだというのに、持ち物は年々増えているような気がする。少なくとも靴は一足で間に合っていた。
さて、山。 去年の夏は単独、阿蘇山へ行った。この春は、鶴見岳、由布岳、祖母山へ。 この夏は、まずは1日鹿児島の桜島を眺め、南端の海に面した山、開聞岳に登る。その後、夫の実家の宮崎だが、運がよければ、韓国岳に登ることができるかもしれない。そして大分、わたしの実家では、前回祖母山へ連れて行ってくれた幼馴染が今回もいっしょに山へ行ってくれるという。九重連峰と法華院温泉、あるいは傾山。
頭は山の事ですでにいっぱいになっている。いけない、いけない。帰省の目的は、ひとり暮らしをしている両方の母といっしょに過ごし、どこかへ連れていったり、何らかの手伝いをする事。ヘルパーに徹する事を忘れてはいけない。その間の一日か二日の休暇に山へ行こうというものなのだから。
というわけでパソコンで書く日記はしばらくお休みになります。 けれども、今回もまた、携帯で親指日記を書くことになると思います。 よろしくお付き合いください。
| 2006年07月28日(金) |
くんくん、いい匂い! |
一月ほど前の日記に、保育園でのおやつ作りの事を書いているが、今週、いつもおやつうを作っている園長のTさんが事情でお休みするので、昨日と今日、保育所のおやつ作りを頼まれる。
昨日は得意のバナナケーキを焼き、焼きあがるまでの時間で、明日のおやつのレーズン蒸しパンと桃のコンポートと桃寒天を作る。 桃は予定にはなかったが、近くの果樹園を営むSさんが、天候のためにあまり甘くならなかった桃を箱いっぱい届けてくださったので、シロップで煮てコンポートにすることにしたのだ。
お菓子を焼いても、それを食べる子ども達がもう家にいない昨今はお菓子を焼くこともすっかりなくなった。 それが今日は28人の子ども達が、わたしのこしらえるものを食べてくれる。これは幸せな事に違いない。
バナナケーキを焼いていると、あの絵本の「ぐりとぐら」で、ケーキの匂いに誘われて集まってきた動物達のように、ちびっ子達が台所に集まってきた。 森の動物たちの言葉は確か
「くんくん、いい匂い!ケーキを焼いているんでしょう?」 だったかな。
「ねぇ、なにちゅくってるの〜」
「わぁ〜、おいしそう」
食べ終わった子たちが空のおさらをかかえて「おかわり!」とやってくる。 山のように焼いたケーキは瞬く間になくなった。
| 2006年07月26日(水) |
書かないうちに過ぎてゆく時間 |
日記を書いていない22日から25日にかけては、ずいぶんいろんな事があって、ほとんど家にいなかったから書けなくて、さて、書こうとしても書く中身がありすぎるものだからかえって書けない・・・といういつものパターン。
後でこれら日がすっかり消えてしまわないようにメモだけ残しておこう。
22日、23日、教会学校のキャンプ。上尾の榎本牧場へ 子牛の口の中に手を入れる。乳を吸おうとする物凄い力。命が体を走った。 みんなで温泉へ繰り出し、夜は礼拝堂でお泊り。 夜中に「お母さん〜」と1時間おきに起きる5歳児をなだめつつ浅く眠る。翌日、寝不足でふらふらするので、友人のギターのライブはmGがひとりで行く。 しかし、こども達といっしょに寝泊りするのはいい。なんだかいい。
24日、勉ゼミ。幸田文著「姦声」。この作品を好きだという人と嫌いだという人がはっきりと分かれる。結構シビアな意見が出る。言いたい事はいっぱいあるが、この事を書き始めるとものすごおく長くなるので、またいずれ時間を見つけて。 文学を鑑賞する事と、その作家のパーソナリティーを取り沙汰するのとは別の事じゃないのかなぁ。 何を持って芸術とするのか。ここんとこ、立ち止まって考えてみたい。
ゼミの後友人のJの家に泊まり、焼酎を飲みながら朝の4時まで話込む。学生じゃああるまいし、この歳でこんな無茶はいけない・・・しかし楽しかった。
25日、Jと池袋に遊ぶ。 書道展。サンシャインのプラネタリウム「満天」で「銀河鉄道の夜」のCGを観る。 7月17日のステージのキッズの踊りが蘇ってきて泣ける。 最後に流れた賢治の作詞作曲の「星めぐり」、ここでこの歌を聴くとは。 家に帰ってから楽譜を取り出す。 「銀河鉄道の夜」、その他の賢治の本を引っ張り出した。この夏読むことにしよう。
で、途中の夏物バーゲンも見逃さなかったりする。 この夏はどうやらハーブ色が自分の色のようだ。目につくものはくすんだグリーンばかり。
ジュンク堂でやっている <大江健三郎が店長の本屋>へ。 ここでは掘り出しもの多数あり。 この件はまた別の時に。 仕上げはアイリッシュパブのギネス。 このパブ、日本の中にある外国。 聞こえてくる会話は英語ばかり。居心地は悪くないけれど、ウエイトレスが外国人に向ける顔と我々日本人に向ける顔が違うことが気にかかる。こっちだって同じお客なんだから、スマイル、ケチらなくったっていいでしように。
とざっとこういうとこ。 夏休みモードの4日間。

雨の一日。 久々に訪れた用がない一日。 部屋の花々に慰められる。 舞台の後、友人達が持ってきてくれた花々。 雨が上がったら、庭の花の手入れもしなくては。
ずっと後回しになっていた事を今日こそやってしまおう。 友人や親戚へ送る小包や手紙を4件分。 メールの手紙は後回しにすることはないが、 封書の手紙はよほど気分が乗らなければ書けない。 今日は手紙モードが訪れてよかった。 まだあといくつか残っているが、またにしよう。
明日からのキャンプの支度もできたから、 夕食の準備までの間、本が読めるかな。
ステージの前日まで、まだ膝には痛みが残っていたはずだったが、踊る時にはすっかり膝をかばう事も忘れていて、気が付けば痛みもなくなっていた。
というわけで、今日は久々にジム。 ヨガ、ラテン、そして初めてストレッチのクラス。合間に筋トレ。 今年は木曜日も午後2クラスあるので、エアロと太極拳はやれない。 カロリーの消費量は少ないが、老化してゆく関節や衰える筋肉のためには筋トレやストレッチはもっと必要なのだろう。
ラテンのクラスには、17日のステージを観に来ていた方々から口々に良かったという感想をいただき、うれしい。今までより反響が大きい。 先生やM’Sの仲間ともステージの事を話す。 みんなそれぞれに、今だ余韻の中にある様子。
どういうわけか頭はまだぼおっとしているが、これはきっとエネルギーの大量放出の精なのだろう。 その昔、こんな事もあったような気がする。 しばらく忘れていた感覚。

ステージモードからもう戻ってきてもいい頃なのに、何か頭の芯のところがぼおっとしている。
なぜだろうな・・・ こういう感覚、久しく無かったけれど。
いつもは、「今終わるひとつのこと」という感じで、ひとつの大きな事が終われば、次の事が押し寄せ、その出来事は瞬く間に過去に所属するものになったのだった。 ファイルブックに入れてパタンとそれを閉じてしまうように。 そうして、また新しい一枚の紙―
ところが、目の前には大きな事も控えているのに、いろいろ片付けなければいけない事も待っているのに、ファイルをうまく閉じられない。 何だろうな、いったい・・・
| 2006年07月18日(火) |
キッズからのプレゼント |
今度のステージでは、キッズがひときわ存在感があった。 何も怖れず、何にも媚びず、ひたすら踊る姿は凛として清々しく、哀しいくらいに美しかった。
舞台の上で大人顔負けの踊りを踊った子ども達が、その後の打ち上げでは、レストランの一角に作られてある、子ども用のプレイルームで、まったく子どもらしく遊びに興じている。
あんまり楽しそうだから、何度かそこへおじゃました。 飲み会の席に戻ると、また呼び出しがかかったので行ってみると、Mちゃんが、ツンツンとわたしを突き、あっちを見ろと指差す。そこには小さなテーブルと椅子があるのだが、そこに座って二人の女の子が何やら一生懸命に描いている。
覗き込むと「たりたさん」とあった。 感激!!!


| 2006年07月17日(月) |
ダンスパフォーマンス「心に愛の鼓動」 |
あまりに心を揺さぶられた時には言葉がうまく取り出せない。 何もかも書きたいのに、その中から何かを切り取ることがまずは難しい。 けれども、こう記憶があやしくなってきている昨今では、今日という日を後になって取り出すためにもやはり書いておかなければと思う。
7月17日、海の日。M'S Party のダンスパフォーマンス。 土曜日の日記に書いたが、わたしが心に描いていた舞台と観客とが一体になる、そこになにかが起こるという期待は裏切られることはなかった。 出番を待ちながら、舞台の袖のモニターで仲間の踊りを見ながら、練習にはない本番の醸し出すエネルギーが伝わってくる。
わたしの最初のダンスはmGとのペアダンス。もう何度もステップを練習したはずなのに、直前になると、忘れてしまいそうで怖い。 「ね、もいっかいやろ。」「あれ、ここのステップ、どうだったっけ」
ステージのライトや客席に飲み込まれないように、自分達の踊りを踊るのでなければ・・・ 丹田に力を入れ深呼吸をし、足が地についている感触を何度も確かめつつ、舞台へ。
♪♪♪
何とか失敗せずに踊れた! めぐ&つかさ、なお先生&シャル、たりた&mG のだ3組のペアダンスに続いて、なお先生とシャルのペアダンスが華麗に舞台を盛り上げる。 美しい! この調和を乱すことにならなくてよかったと深く安堵。
今回の衣裳はわたしは赤のドレスに黒のパンツ、ハイビスカスの髪飾り。mGは黒のシャツに胸に赤いハイビスカス。 この歳になってこんな華々しいドレスを着て二人で踊るようになるとは、 20代の頃、一度だけダンスパーティーに行った時、わたしはみじめな壁の花(シミ?)だったというのに。 人生何が起こるか分からない。
しかし、このペアダンスの練習の最中にどれほど喧嘩したことだろう。 夫婦だからこそ、いっしょに創り上げるというのが難しい場合もある。このペアダンスを通じて多少訓練もされたかな。 仲間から円熟したカップルのダンスだったと言われると、何とも恥ずかしい。まだまだ未熟ですから〜。
38名が黒の衣裳で踊る「ガソリーナ」、間際まで、楽屋の前の通路でみんなと練習。何度やっても、テンポがずれたり、振りが落ちたりと不安なのはわたしだけじゃなかったようだが、後で撮ってもらったビデオを観ると、きれいに揃っている(ように感じる)。 それにしても面白い振りつけだ。本番、ようやくその面白さを感じながら踊れた気がする。
KAGAYAの銀河鉄道のどうがCG映像が映し出される。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のタイトル文字にはっとする。あの物語が蘇る。本で読んだ「銀河鉄道の夜」 映画で観た、あの猫の顔をした、ジョバンニとカンパネルダの青い映像― そのCGを背景に小さな少女達が舞う。あまりに純真な姿に心が透き通っていく。 舞台の袖で、その子ども達を見つめて涙している師の背中・・・ それはひとつづきの物語のようだった。
さぁ、わたしの出番。「インディアンの教え」 舞台に出る子ども達をひとりひとり抱きしめていた師はわたしもハグして力づけてくれる。 マイクを使う段取りをしていたが、直前のリハーサルでマイクを使わずに語ることになった。 生声で、客席のひとりひとりに届くように語る―緊張もあるが、マイクに頼らない分、観客とまっすぐ向かい合う事ができる。 わたしの仕事は、わたしを伝えることではなく、この言葉を届けること― 語り始めると、客席からの集中したエネルギーが集まってくるのを感じた。ここで繋がることができれば、そこからのエネルギーがわたしを語らせてくれる。
語りが終わるや、舞台の袖で急ぎ「えんぶり」の衣裳に着替え、客席からステージに踊りこんでくる仲間達の列に加わる。子どもと大人、31人で踊る。 みなのエネルギーを感じて踊りながら、ふつふつと力が漲っていた。
休憩時間、いつもみんなを笑いの渦に飲み込むようこちゃんの楽しいMC。 コミカルな踊り「ビョョ〜ン」はおそろいの黄色と黒のTシャツで。最前列だったが、観客のくつろいだ顔を見ながら楽しく踊る。 あっ、友だちの顔見つけ!
キッズ達と舞台の袖からみ〜〜のギター演奏「コンドルは飛んでゆく」をうっとりと聴く。 やはりステージの上の演奏はいい! もっと聴いていたい。
後半のオープニング、かなりかっこいい振りの「We Will Rock you 」は、ジーンズに白のタンクトップで。 まだステージに並んでいないうちに音楽がかかってしまい、みなあわてて舞台へ踊りこんだが、それもまた振りに見えたのかもしれない。
「レ・ミゼらブル」はあゆがみんなに縫ってくれた囚人服を着て。 かおちゃんとわたしは観客席から舞台に向かって歩いていく囚人の役。 待っている間、観客席から「ファントム・ザ・オペラ」を観ることができた! このホールの雰囲気にぴったりの振りと演出。ドラマティックな場面。
そして「レ・ミゼラブル」 アメリカにいた頃、このミュージカルを二度ブロードウェイで観ているが、二度とも、周りにはずかしいほど、派手に泣いてしまい、しかもいつまでも涙が止まらなかった。 いったい何に感動したのかといえば、ストーリーにでも歌や演技の上手さにでもなく、舞台の上で合唱する人達のエネルギーにだった。演じている事を通りこして、そこで演じる人達のパワーが迫って来て、心の栓がはずされたのだった。 あんな場面が作れたらと心に描いていたが、舞台を観に来てくれていた友人が 彼女のブログolive の木を育てたいに、舞台を観て、涙腺の爆発が起こったと書いていた。 わたしたち「レ・ミゼ」がそんな爆発をもたらしてくれたことを聞いて、「やった〜!」
この後の50音メドレー。 それぞれのダンサーの個性が踊りや演技の中に見事に出ていて、練習の時からおもしろかった。底抜けの明るさと、シンとする何か。 「人間なんて」に象徴される、達観のようなもの。
本番、客席から見たいところだが、何しろこの間は衣裳替えで忙しく、踊り手たちは自分の出番に間に合わせるべく、楽屋裏を駆け回っているといった具合。
それにしても、これほどたくさんの曲の振りをひとりで考えたなお先生は超人的。メンバーのキャラをみごとに見抜いてる。その実力とセンスとオリジナリティーに加え、その脱力度に改めて脱帽。 この軽やかさは開放につながる。
こんなに長々と書いてもその十分の一も書けない。 また今回もみ〜〜が素晴らしいドキュメンタリータッチのDVD(これらは我が家の家宝です)を作ってくれるだろうから、そっちを待つことにしよう。
PS
taimeokanさんも、ブログ「ゆんぼんち」にうれしい感想を書いてくださってます。
あさって、ダンスパフォーマンスの舞台。 今朝からどうやらステージモードに入ったようだ。 ステージの曲を聴いていると身体が熱くなってくる感覚がある。
このモードが訪れる前というのは不安に支配されている。 舞台が怖い。楽しい気分はない。 それはまだパフォーマーとしての力を得ていない証拠。
自分の中に動きが入るまでは身体全体で表現することができないことが分かっている。 あせらずに、時間をかけてひとつづつ自分の動きにしていくしかない。 この2日間の個人練習でその作業が完成に近づいたのだろう。 ようやく足もとがしっかりしてきた。 この地に足をもぐらせる感覚を、丹田にしっかり力が入った感覚を、 舞台の袖にいる時から、ライトを浴びて、降りる時まで、緩めることなく持ち続けること―
詩の朗読から暗転―「ジュピター」に続く太鼓の音、 「えんぶり」が流れてくると思わず涙がでてきた。 和太鼓のリズム、大地から生まれてくる響き、、子ども達と大人達がひとつの踊りの中で溶け合う。 きっとこのエネルギーは観客を巻き込む・・・ わたしはその響きのひとつに、そこに吹く風のひとすじに・・・
<写真は去年10月のステージより「えんぶり」>


いつだったか、友人に南部砂鉄の風鈴をいただき、それを引き出しにしまったままにしていたことを思い出して取り出した。 今年の夏は風鈴の音が窓辺にほしい。 夏なんだから、暑いに決まっている。 でも、人から暑いね〜と言われると、そうかなぁ〜と、暑さを不快に感じていない事に気づく。
どうしたわけか、この夏は身体が暑さに強いのか、暑さが心地よく感じるほどだ。 というわけで、日中は窓を開け、クーラーは使わずに過ごしている。 で、電車や、教室などクーラーのあるところに入ると、涼しいという心地よさはなく、その冷たさが何か不快にさえ感じる。
こうして、クーラーのない部屋で窓を開けて過ごしていると、子どもの頃の夏が思い出される。 昼寝をしなければ持たないほどの暑さで、寝ている間にぐっしょりと汗をかく、あの暑さ。
クーラーなどが無かった頃、父親は仕事から帰ってくると、家の壁や屋根、外回りや生垣にホースでザーザー水をかけた。 水が蒸発する時に、あたりの熱を奪うので、昼間の熱気がすっと治まり、心地よい涼が訪れた。
夜だって、窓はどこも開けっ放しにし、部屋の真ん中に蚊帳を吊り、その中で遊び、やがて寝た。 朝目覚めると涼しい外の風邪が家の中を満たしているのだった。
そんな夏がなつかしい―
しばらく山の中で朝を迎える事をしていないが、 夏のキャンプの醍醐味は、この早朝のすがすがしさだと思う。 蚊帳の中で迎える朝は無理にしても、どこかの山で夜を明かす事は、そんなに難しいことじゃない。
しまい込んでいるテントはまだ使えるはず・・・
この日記、いつの間にか6年目を迎えている。 ということは日記にダイエット宣言をした時から5年が過ぎたことになるのか。
今読み返してみると、ダイエットを始める前の無頓着ぶりに呆れてしまうが、あの時、ひょんな事からダイエットを始めて正解だった。あの時の決意がないならば、わたしは今頃、ジムともダンスとも山とも無縁に、ますます肥満度を増していたことだろう。
ブログのダイエット日記が効果があるというので流行っていると聞いたが、確かになかなか一人ではできない事も、ここで人に公表してしまうと後に引けないし、意地というものが味方につくものだから、やりやすいのだ。
あの当時、目標は標準体重になるまでマイナス9kだった。2週間後4kまで減ったところで、ダイエット中間報告なるものを書いている。 その翌年にはジムに通うようになり、筋肉がつき代謝も増し、ダイエットは順調に進み、一年後はマイナス10kと目標値を超えた。
その後はプラスマイナス1〜2キロの間をとアップダウンを繰り返しつつ、何とかリバウンドなしにここに至っている。
で、今回久々のダイエットモード。 なぜ今頃、またダイエットかというと、膝を痛めて運動量が激減し、と同時に体重も増加のカーブを辿り始め、これは大変と、ダンスのステージまでにマイナス3キロの目標を立てたのだった。
あれは確か7月2日。ダンスの練習を見学している時、マイナス6キロのダイエットを果たしたかおちゃんの姿を見て、わたしも根性入れなければと決意。 というわけで、本日、めでたく目標のマイナス3キロ達成!
運動ができなかったから、今回は食事療法に頼るしかなかったが、かおちゃんから86パーセントカカオのチョコレートは食べてもアイスクリームは食べないとか、食事の前にこんにゃくそうめんを食べるとか、そういう役に立つ情報をもらい、また別の知り合いから「痩せるよ〜」と「からだ巡り茶」を教えてもらい、S先生から白米を玄米に変えただけで2キロ減ったと伺ったので、これも実行し、たまたま本屋で見つけたバナナ酢ダイエットも試してみた。
特にサプリメントやダイエットプログラムは使わず、せいぜいタヒチアンノ二から出ている、ノ二エキス入りのプロテインを飲むくらいで、お金も使わず、苦しい思いをすることもなく、気がつけば減っていた。
しかし、一番効果があったのは、夜中の飲食を止めたことかもしれない。 夜の10時以降は極力食べない。焼酎を飲む場合もつまみは無しにして。 普通の人にとってはこれは当たり前のことかも。我が家は遅い夫の帰宅を待って居酒屋もどきをやっていたものだから・・・ お互い夕食は早めに取る―これはダイエットに限らず、胃腸のためにも良いに違いない。 もうしばらく続けることにしよう。
さて、ここに書いたからには、続けなければね。
| 2006年07月12日(水) |
2歳から76歳までと |
この4月から水曜日というのはこういう一日。 もっともバラエティーに富む、しかし、疲れもする日だ。
<10時半〜12時 聖書研究。>
Y牧師による、フェミニストの視点からの聖書研究。 今日のテキストは創世記34章。「ヤコブのレイプされた娘ディナ」 レイプという行為について、従軍慰安婦の問題。キリスト教会の戦争責任についてなどにも話が及ぶ。
お弁当 玄米ご飯、カレイとインゲンの煮物。
<1時半から 2歳児とお母さんのクラス。>
まだおしめをくっつけた幼児が3人に、お母さんが3人。それに1歳半の赤ちゃんと、生後3ヶ月の赤ちゃんがひとつの空間で、歌を歌ったり、絵本を見たり、ゲームをしたり。教室に来るのを前の日から楽しみにしていると聞くにはうれしい。生まれたての赤ちゃんは1週間ごとに変化が見えておもしろい。お母さんにも2歳児にも赤ちゃんにも豊かな時を提供すること。
<2時40分から シニアクラス>
グループホームで生活している70代の男性のプライベートクラス。一人では来れないので送り迎えを担当する方がいっしょにいらっしゃる。
その昔、本もたくさん書かれた優秀な方だが、脳梗塞の後、様々なことが不自由になった。けれど学びたいという意思はあり、英語の読み書きの能力も残っている。知的な好奇心や興味に沿った内容で、難し過ぎず、易しすぎないものをと考える。
毎週、ひとつづつ英語の格言をテーマに、考えていることや、これまでの体験を話していただく形で、英会話の練習。
「声に出して読む英語」の本を用いて、英詩の朗読を練習。英語の身体性を持ってドラマティックに読むのが目的。美しい姿勢と身体から声を出すというヴォイストレーニングも兼ねて。
本人の興味がある自然科学の本をいっしょに読む。今読んでいるのは世界のhawk(鷹)について。鷹の種類や習性など、わたしも勉強になる。
英語の歌を歌う。サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」を気に入ってくださり、ギターで伴奏すると、けっこう大きな声で楽しそうに歌ってくださる。
クラスのはじめには、先週やった格言を暗誦していただくのだが、完全に覚えることはできなくても、それを課題として、一週間、覚えるという行為を繰り返すことが良いリハビリになるのではないかと思う。 ちなみに今日の格言は
If you want to lift yourself up,lift up someone else.
― Booker T. Washington―
(自らを高めたいのなら、誰か他の人を高めるようにしなさい。)
ヴァージニア州で奴隷として生まれ、同胞を過酷な情況から救うために尽力した黒人指導者、ブッカー・T・ワシントンの言葉。
<4時 5歳児のクラス>
幼稚園の年中児が5人。これまで受け持った幼児の中では生きが良い。 Hくんは、教室のドアをバン!と開けると、まずはウォーッと吼えて、教室に飛び込んでくる。もちろんわたしにもイノシシみたいに突進してくる。 Rくんはすぐに机の下にもぐっては鬼ごっこを始める。かといって授業のさまたげになるかといえば、そんな事はなく、「せんせい、あの歌歌おう」とか「あの手遊びしよう」とかえらく積極的で、英語の絵本の読み聞かせも集中して聞いている。 まるで動物園のようだが、そこにいることがうれしくてそれが叫び声や身体の動きになって現れているのだからそれはそれで大事にしたい。子ども達の中には、そういう感情を外に出すことができない子の方が多いし、そちらの方がむしろ気になるところ。この子たちは夢中になって遊ぶことができる子どもたちだということが良く分かる。生きるエネルギーが押さえ込まれることなく自由に流れ出しているのだ。彼らは同じ幼稚園に通っているのだが、幼稚園の方針がきっと良いというか、わたし好みなのだろう。 そうそう、モーリス・センダックの絵本「かいじゅうたちのいるところ」のマックスのような子どもらしい子ども達! うんとエネルギーを使うがひとつひとつの事が吸収されていくようで楽しいクラス。 はじめの頃は、この子たちのリズムが掴めないで、いつものおとなしい子たちの活動をやっていると、うとうとと眠りだしたり、「おうちかえりた〜い」と歩きまわったりするので、手を変え品を変え、彼らの気を引く活動をあれこれ試みた事だった。 最近はお帰りの歌を歌う時間になると、「もう終わっちゃうの」と言う。 しめしめ・・・
クラスの後、しばしぼおっと放心状態。 ふだんはその後、歌のクラスに来ていた生徒さんたちと歌の集いをやったり、次週のクラスの準備をしたりして9時近くまで教会にいる。 そして、会社帰りのmGを待ってやきとり屋へ行くというのが水曜日の一日。 でも今日はダンスの練習をすべく早めに帰宅。 保育所のホールでペアダンスを練習。あやうく喧嘩モードになるところを何とか抑えて30分ほどは踊れたかな。 実はまだというか、またというか、膝が痛むので、他のダンスは練習を控える。 明日のジム行きはよして、膝の様子を見ながら家で練習した方がよさそう。
さて12時、お風呂に入って焼酎を飲んで寝よっと。
| 2006年07月11日(火) |
保育園のボランティア |
午前中の1クラスと午後の3クラスの合間に、保育園のボランティア。 園長のTさんが病後の身体を押して草刈をしているのを見て、わたしがやるよと声をかけたものの、草刈り機をうまく操作できない。 Tさんから、怪我でもすると大変だから、赤ちゃん組の食事の世話をしてと言われてしまう。面目ないなぁ。
わが子二人だけでも食事時はけっこう大変だったが、24人の子ども達のうち、1歳児、2歳児は6人。6人の世話をひとりでするのは結構大変だ。 その昔保母資格を取ったものの、資格などこの際あまり役には立たない。
ま、毎週火曜日は保育園のボランティアの日と決めて、草刈でもなんでもやれるように訓練だな、まずは。

友人のタミの結婚式。
教会の礼拝堂、 かつてタミとヨシヤの結婚式が行われ、 またヨシアの告別式が行われたところ。
喜びと悲しみを通り過ぎ、 新しい出会いを掴み 白い花とウエディングドレスに包まれる。
いっしょに歌った「誓いの歌」は彼女の作詞作曲。
<牧場のアイスクリームショップの前の二人>

♪ 幸せな時にも 不幸せな時にも
♪ 豊かな時にも 貧しい時にも
♪ 健康な時にも 病気の時にも
♪ あなたを愛し 尊び 死に至るまで
♪ いつも ずっと いつまでも
♪ いっしょに 歩いていこう
<牧場のトラクターの前の二人>

牽牛と織姫が出会う七夕の今日、 タミのお嫁に行く先は心優しい牛飼いのところ、 大好きな牧場。
納屋の中の披露宴、 ジーンズにゴム長靴でスコップ姿の二人。 何より牛が好きなタミは まったくピッタリの嫁入り先を見つけたものだ。 タミの愛車も本物の牛達の声を聞きながらうれしそうな顔をしていた。

* 二人がいる榎本牧場 をどうぞよろしく! とっびきりおいしいジェラードが食べられますよ。
なかなか書く時間が取れない。 いろいろなやるべきことがこなせないまま溜まっている。 土曜日にはまとまった時間が取れるかな。 それぞれの日の大切なことを書いておきたいと思うので、抜かした分は後で埋めていくとしよう。立ち戻って読んで下さる方はあまりいないかもしれないが。
こういう事を書く予定
月曜日にはゼミで仲間の作品を読んだこと。 火曜日には英語教室の夏のキャンプのこと。 水曜日にはシニアクラスのことなどなど。
で、明日はTの結婚式。 なんと彼女は大好きな牛と毎日生活するようになる。嫁ぎ先は牧場なのだ。 教会で結婚式と簡単なパーティー。 二次会は牧場で!
明日は結婚式で歌とギターの伴奏。 披露宴では、アメリカ人のTの家族の通訳、そしてTのお父さんの挨拶の通訳。
ギターも通訳も大丈夫かなぁ・・・
おっと、こんなことしてる場合じゃあない。さっさと寝なくては。
良い結婚式になりますように。
| 2006年07月05日(水) |
一人の男のために争う二人の女性『レアとラケル』 |
水曜日の午前中は、フェミニストの視点からの聖書研究に出席しているが、 今日のテーマは
「一人の男のために争う二人の女性『レアとラケル』」 創世記29章14節〜30節の物語。
美しいラケルをヤコブは愛した。しかし、優しい目をした姉のレアはヤコブから愛されることはなかった。しかしレアの身の上を案じた父は策略を弄してレアを先にヤコブの妻とする。しかしヤコブはそれにもめげず、姉妹の父の為に働き、ラケルもまた妻とする。 レアは多産であり、ラケルは石女(うまずめ)。レアは夫の愛を奪うラケルに嫉妬し、ラケルは夫に子共を産むことの出来るレアに嫉妬する・・・・・ 争う二人の女達の間で、ただ黙するヤコブ。
どうしてだろう、旧約聖書の中で女達が憎しみにしろ、愛情にしろ生々しく生きている一方で、男は女性達に対してはポリシーもなく優柔不断に見える。アダムにしてもアブラハムにしても・・・ 女達の争いには巻き込まれない方が無難であると考え、両方に良い顔をしておくというのは男の持って生まれた特質なのだろう。
このラケルの父親も謝った策略を弄したものだ。 自分の娘達をみすみす争いの中に陥れたのだから。 女を物としか考えないことがこの不幸を生んだのだ。
さて、夏の計画作りに忙しい。
今年の夏のイベントは今のところ4つ。
1、教会学校のサマーキャンプ
2、九州への帰省と山
3、ダンス仲間との那須合宿
4、つくしんぼ英語教室サマースクール
1の教会学校のサマーキャンプは参加する子どもが10人ほどで、スタッフは5人のこじんまりしたキャンプ。 日中は近くの牧場で体験学習。帰ってきてみんなで食事を作り、近くの温泉へ。泊まるのは教会。こちらは仕事の分担もできたし、何しろスタッフが多いから安心。
2の帰省はすでに格安宿泊付き航空券を予約。まずは鹿児島へ飛び、桜島を眺める温泉宿で一泊。翌日開聞岳に登り、その日の内にmGの実家の宮崎へ。mGは埼玉に戻る時、わたしは大分の実家へ。帰省中には高校の時同窓会に出席の予定。わたしには初めての同窓会だ。18歳だった仲間がみな50歳になっている、それはどんなものなのだろう。 大分にいる間、母の手伝いや父の見舞いの合間を見て、1度は山へ行きたいが・・・。傾山、大崩山、あるいは今までにも数回行っている久住山か。
3の那須。今年で2回目。気のおけない仲間達と過ごす幸福な時。山に登り、飲み、踊り、温泉に入り、きっと朝までおしゃべり・・・きっと。 まるで学生の時の合宿のようでわくわくしてくる。この3日間は純粋にバケイションという感じ。
4はこの夏の唯一の仕事で、一番気合を入れて取り組むべきもの。 何しろ、相手は幼児から小六まで30人の子ども達。 夏の終わりの楽しい体験と9月からのクラスへの助走。それを英語の遊びや体験学習でやろうという試み。 去年は半日を3日間のクラスだったが、今年は二日間は朝から夕方まで、最後の一日は半日。
知り合いのアメリカ人講師と大学生のMちゃん(小さい時から英語教室に通っていた、いわば教え子)に手伝ってもらうことになっている。 この内容については時間をかけて考え用意する必要がある。 というわけで、サマークラスの計画、これがそのまま夏のわたしの宿題だ。
さて、宿題はできるだけ早く片付けたいもの。 7月17日のダンスのステージの練習と同時進行で取り組むべし。 今日は保護者へサマースクールの案内を出した。
| 2006年07月03日(月) |
Nさんの作品「エチオピアで泣く権利」を読んだ。 |
Nさんは築地の魚河岸で働いている。 作品も、魚河岸で働くNさんの日々から、またNさんの踏みしめた外国の土地や人の出会いから生まれたものだ。Nさんの作品にはわたしの知らない、密度の濃い世界が描かれていて、その度に人間の生きる世界の広さ、多様さのようなものを感じる。人間の奥行きの深さもまた。
この日、正津勉文学ゼミでは、仲間のNさんの作品「エチオピアで泣く権利」を読んだ。 今回の作品は、Nさんが戦争の写真を撮るべくソマリアに行き、そこでの出来事、出会った人々との交流など、貴重な体験に基づく作品だった。 ソマリアを知らないわたしなどは、その小説に出てくるエピソードや場面のひとつひとつが新鮮でおもしろく、これは70枚の小説としてひとつにまとめられるのはもったいないという印象を持った。というのも数行で語られている事柄が、すでにひとつの物語として独立し得る萌芽を孕んでいるからだ。
その数数の出来事や描かれた人々の中で、とりわけわたしが印象深く感じたのは、<私>と裸足の少年との出会いだった。 この、特別な、出会い― もしかすると、Nさんは何よりもこの一人の人間との出会いの事をいちばん、書きたかったのではないかと思った。
ソマリアの地で出会った美しい瞳の小さな裸足の少年。 少年は手を差し出す。しかしその手は物乞いの手ではない。空に向かって垂直に向けられていた手を<私>は握る。少年はその手を強く握り返し、少年と、<私>は見つめあい、微笑みあう。その時、<私>の心に起こった出来事をNさんはこう表現している。
<そのとき、体温を超える、長いこと忘れていた温度の血液が私の体内を流れたような気がする>と。
このNさんの描写を読んだ時、わたしの体内にも、温度の高い血液が流れるのを感じた。その場に読む者を立ち合わせてくれたのである。 生きた、それこそ、血の流れている表現だと思った。
けれど、この感覚、その少年と並んで歩く時の幸福感・・・このことをわたしも確かにどこかで体験していると思った。具体的な事柄は思い出せないのだが、一瞬にして流れ合う何か、そこに生まれる至福の感覚が蘇ってくる。
あっ、と思った。 イエス― イエスに対面している時のあの気分に似ている。 聖書の中で、夢の中で、あるいは日常の生活の中で、キリストと出会う瞬間のあの気分に。 それはNさんの体験のように、小さな子どもだったり、また痴呆の老人であったりもする。その人内側からのぞいているイエスの場合もあれば、文学作品の中での出会いもある。 Nさんと少年との間に流れあうものの中に、わたしはイエスの世界を思った。
人はなぜ書こうとするのだろう。
Nさんが飲み会の時にこんな事を言っていた。 作家によっては書くのが楽しくてたまらないと言う人がいるけれど、自分は書くことは楽しい行為じゃない。苦しいし、書くことのストレスで吐いてしまう。それでも書けと自分の背中を押すものがあって、書かざるを得ない。書かなくてよければ、どんなに楽しく、楽になるだろうと。
その話を聞きながら、この人は書くという命題を与えられた表現者なのだと思った。彼しか書けないこと、彼が書くべきことがそこに横たわっていて、生まれ出る時を待っているのだろうと。
夕鶴が夜な夜な、自分の羽を一枚一枚、くちばしで抜きながら、血を流しつつ、自分の身を痛めつつ織り上げる世の中にはない美しい織物を織ってゆく姿を思い浮かべる。
今頃、魚河岸の夜中の仕事から戻ってきたNさんは一人、陽の射さない部屋で あの少年の物語を書いているのだろうか。
産みの苦しみの中で創造し続ける仲間へ心からの声援を送る。
この日、心に残った事。 ダンスのステージのための合同練習の時の仲間達の顔。 みんな、なんで、こう、ほんものの、暖かい顔、優しい顔を向けてくれるんだろう。
緊張や敵意、冷笑や取り繕い・・・ 人の集まるところにはひとつやふたつそんな顔が混じっていて、もうそのことにも慣れてきたけれど、やっぱり心は疲れて、時々溜息が出る。
人がこれほどたくさんいて、それなのに、優しい空気の中で安心して呼吸ができる、そんなこともあるのだ。
この日、人の暖かさ、表情の美しさが身に沁みた。
| 2006年07月01日(土) |
ことのはライヴ 「空に いちばん近い山」へ |
 昨日、7月1日、夕刻より、三鷹の文鳥舎 へ。 文鳥舎,ことのはライヴ【空に いちばん近い山】というイベント。
山岳カメラマン村口��行さんの語るエベレストとゲストの詩人正津勉氏の山と文学の話を楽しみに出かけた。
始まりの時間5分前に文鳥舎に着く。ここへ来るのは二度目。 そういえば、去年の3月、初めて山にお誘いを受けた日、帰りにこのカフェに連れてきていただいたのだった。
小さな趣のあるカフェにぎっしりと椅子が並べられ、客席はほぼ一杯という感じで、見知った方々の顔が嬉しかった。 前には様々な登山用品やカメラにに囲まれた村口氏。 以前、村口氏の「四度目のエベレスト」を読んでいたので、 実際に本人から話を聞けるといことに、わくわくするものがあった。 村口氏は年間100日ほどをヒマラヤで暮らすという山岳カメラマン。 日本人の最多登頂者であり、渡邉玉枝氏、三浦雄一郎氏らを エベレストの頂上に導いた人。
いい顔しているねと隣の席のKさんと話す。 山男の顔なのだろう。すでに山の気が、ヒマラヤの気が流れ出ているといった感じがするのだった。
8848mの高さというものがどういうものであるのか、 そこに登るという行為が実際どういうものであるのか、 そのほんとうのところは実際に体験するのでなければ、分かりようがない世界だ。 けれども、まるで雲を掴むように実感のなかった世界にほんの少しだけ近づけたような気持ちになった。 狭いテントの中で、どのような装備をするのか実演を見ながら、あらためてその大変さを思う。 実に大変な、超人的な事なのだというのが実感だが、 カメラで映し出された山山の写真はみごとに美しく、 わたしたち人間の住んでいる地球にこのような場所があるのだと、心はそこへ飛んで行った。 そして、大変な苦労をしても、そこへ出かけて行きたいという気持ちが分かるように思った。
正津氏の話の中では、山を愛した文学者として挙げられた宮沢賢治の話が印象深かった。 「山の本」夏号で正津氏の紀行文「賢治の山」を読んでも思ったことだったが、 子どもの頃、思春期の頃、また子育ての頃と、年代や情況が変化しても、ずっと出会い続けてきた宮沢賢治と、今度は山で繋がるということが何とも不思議な、そしてはっと、ある場所に立ち返るような気持ちになるのだった。
ヒマラヤ・・・行ってみたい・・・もう少し若ければな・・・。 膝を痛めたりすることがなかったら、うっかりヒマラヤ目指してトレーニングを始めてしまったかもしれないな。すぐにその気になるヒトだから。 夢は夢、現実は現実と自分に言い聞かせる。
けれど、愛する賢治が1年に十数回も登ったというその山、岩手山になら、わたしにでも登ることはできるだろうと希望が湧いてくる。
賢治の山を目指して、膝を強くするトレーニングに励むこととしよう。 村口氏は毎日のトレーニングの大切さを語り、TVなどを見ながら一日800回のスクワットをすると言う。 800回は無理としても200回くらいならできるだろう。
新たな希望と目標がふつふつと湧き上がってくる帰り道だった。
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