たりたの日記
DiaryINDEX|past|will
2006年04月28日(金) |
バナナケーキに最適の日 |
八重咲きのチューリップ、今回は携帯ではなく、デジカメで撮影。 花びらの巧みなこと。 いったい誰がこの美しさを創ったのか。 これだけで、もう十分な証明という気がする。 命の源へと続く道があることの。
午後から自転車でジムへ。 寒くもなく暑くもない自転車が一番気持ちの良い季節。
読書はサリンジャーの「フラニーとゾーイー」。 同居人から今ごろサリンジャー?と言われるが、わたしの場合、今だからおもしろいと思えるんじゃないだろうか。
何にしろ出会うべき「時」というのが用意されているのだ。 この本の主人公、20代のフラニーとゾーイーの気分が悲しいほど良く分かる。 自分の20代を思ってか、はたまた、我が家の悩める20代達を思ってか、 胸はうずくのだ。 当然ながら、そこに出てくる彼らの母親の気分や行動もまた、わたしと重なる。 そう、ここでも、フラニーとゾーイーの他界した兄、シーモアが見え隠れする。或る意味、シーモアが二人の中に存在している。 この読書もシーモアを尋ねることには違いない。 それにしても旅はまだ終わりが見えない。時間が足りない。
夜、明日アユとミーのところへ持ってゆくバナナケーキを焼く。 オブンでお菓子が焼ける匂いというのは実に平和な匂いだと思う。 この家庭的な平和をこそ、シーモアは拒絶したのかもしれないが。
わたしはシーモアを十分愛おしく、また切なく思うけれど、 バナナケーキの平和な匂いの側にわが身を置く。これから先もおそらく。 バナナフイッシュ同様、それを食べ過ぎることは命取りで、それだけは避けなければならないと肝に命じてはいるけれど。
ともかく今日はバナナケーキを焼くのに最適の日だった。
2006年04月27日(木) |
「バナナフィッシュに最適の日」のシーモアを尋ねて |
午後の仕事までのわずかな時間、庭のテーブルで本を読む。 ここのところ気にかかってならないシーモアを尋ねるための読書。 短い、細切れの時間に、手に入れた数冊の本を読み進めている。
シーモアとは今度のゼミのテキストになっている サリンジャーの「バナナフィッシュに最適の日」の中に出てくる登場人物。 この作品を読み終えてすぐに湧き起こったいくつもの疑問。 なぜ、シーモアはこの短い小説の最後で自分のこめかみを打ち抜いたのか。 そのショッキングな結末に唖然となった。 このシーモアという人間を知りたい。サリンジャーがこの作品で何を訴えたかったのかを知りたい。
今日読み終えた本は「大工よ、屋根の梁を高く上げよ・シーモア―序章―」 「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」は、「バナナフィッシュに最適の日」の前の話。シーモアがミュリエルとの結婚式をドタキャンするすったもんだが、シーモアの弟、バディの眼を通して語られる。そこに見え隠れするシーモアの姿があり、シーモアという人物が立体的になる。作品としてもおもしろかった。
「シーモア―序章―」は、40歳になったシーモアのバディが自殺した兄シーモアのことを、その心の内側を探ってゆくという話。 そこには死があるが、重苦しいものではなく、むしろ透徹した世界。虚無的なものを予想して読み始めたのだったが、むしろ求道的、宗教的なものを感じた。 実際、道教、禅、聖書、キリスト、キルケゴール、に関係した深い言葉がいくつも出てくる。 詩とは何か。詩的に生きるということは。バディが自分に課している命題を読む者もまた追っていく。
サイトでサリンジャーのことを調べていたら興味深いエッセイがあった。 1979年3月の「ユリイカ」に掲載されている神学者、野呂芳男氏のエッセイ「サリンジャーの宗教的世界」 シーモアを尋ねる旅が思わぬところに導かれてゆく。
2006年04月26日(水) |
八重咲きチューリップ、ピンクスター |
深夜2時、 今朝撮った八重咲きチューリップ、ピンクスターをアップ。
チューリップというよりはバラだとか牡丹とか、そんな感じ。
咲き始めた時は落ち着いたアプリコット色だったが、
次第にピンクに色が変わってきた。
明日はどんな色になるのだろう。
ひとまず携帯で撮った写真を。
2006年04月25日(火) |
いっぱいのハナミズキ |
毎年、ハナミズキの咲く時期になると、花はできるだけ長いこと枝に留まり、散らないで欲しいと願う。
ずいぶん前にはなみずき地に落ちてというタイトルで日記を書いたことがあった。いったいいつだったのだろうと紐解いてみると見つかった。ちょうど4年前の今日、4月25日。
あの時、散る花と、現役ではなくなったと自覚していた自分を重ね合わせていた。ずいぶん年寄り臭いではないか。
ごめん。あたし、まだ現役。これからが本番。悪いけど・・・ と、4年前の自分に言う。
写真のハナミズキ、4,5日前に撮影。 上はたりたの撮影。 下はmGが撮影。2階のベランダから見下ろしたもの。
2006年04月24日(月) |
ステージのあくる日に |
昨日、ダンスの発表会。 朝から、何ともすがすがしい、そして暖かい気持ちで満ちていた。 昨日いただいた美しい花達を眺めて、写真を撮ったりし、 庭仕事に、たまった家事、気にかかっていた台所磨きをのんびりやっている月曜日。
大きなイベントの後というのは、気が抜けたような物寂しさが伴うものだけれど、今回それはない。 前日も、ほんとに明日が舞台かなと不思議に思えるほど緊張感がなかったし、 出番を待つ舞台の袖でも、そして本番の舞台でもリラックスしていた。 不必要な緊張がないから、ダンスそのものをとても楽しむことができたし、その後に脱力感もやってこなかったのだろう。
これはいったい何だろう。 ひとつは舞台に慣れたということもあるだろうが、他にも理由はありそうだ。 ここ1年半ほどいっしょに踊ってきた仲間との間に信頼関係が生まれていて、 いっしょに踊るということが嬉しく思われるからなのだろう。
しかし、気を抜いては思わぬところで失敗する。 以前の失敗を思い起こして、直前まで、繰り返し踊りながらシュミレーション。 出番を待つ間に、ヨガのポーズで精神統一。 深呼吸して丹田に力を入れ気を入れる自己流ボディーヒーリング。
さて出番。 「恋のマイヤヒー」はオーバーリアクションでコミカルに! 練習の時よりも良くできたかな。とにかく楽しんで踊ることができた。 客席からも楽しんでいる空気が伝わってきた。 キッズも合せて、総勢42名のダンス、きっと迫力あっただろうな。
ステージの最後のエントリー「ラテンワールド」は情熱的で艶やかに! ほとんど最後のところまで問題なく踊れていたものの、mGとのペアダンス、 あんまり気分良く踊ったものだから、最後の部分で振りが飛んでしまい、ポーズでなんとか建て直す。 他のペアの美しさの妨げになっていませんように・・・
客席で観ていたKさん、 「今までたりたさんに色っぽさ感じたことがなかったけど、今日は色っぽかったよ〜」と驚きの表情。 「ほんと!やった〜」と、なかなか言ってもらえない言葉に飛びつくたりた。 でも、これは、苦労してスパンコールを縫い付けたセクシーな薄紫色のドレスとあゆのやってくれたヘアメイクに因るところ大。 さて、次なるステージは7月17日。
これを書いている夕方。雨が降ってきた。 いっぱいに開いたハナミズキに大粒の雨が降りかかる。 これから今週の仕事のための下調べとレッスンプラン、夕食の支度。
*
今、日記の編集のところに「投票タグ」というのを見つけました。 これを使うと投票ボタンをここに持ってこれるのかなぁ。 試しにやってみます。 お気持ちのある方は投票ボタンを押してみてください。
票はこちらに反映されます 文芸ランキング
2006年04月22日(土) |
バリ舞踏 「花鳥風月」 |
前回の日記に続き、これもまたローズマリーの縁で。
家のすぐ側、歩いて2分とかからないところに、アートギャラリー&カフェ「寧」という素敵なお店がある。様々な木々や植物が茂る広い庭の中にあるひっそりとしたカフェ。
我が家に庭に生い茂っているローズマリーをこのカフェに提供しているご縁で、今日はバリ舞踏のご招待をいただいた。
寧の庭は、バリの森へと通じている。
或る春の日に
森から風が運んできたものは
このチラシのキャッチの言葉に興味をかき立てられた。 この日の予定は翌日のダンスの発表会のための練習のみ。仲間との自主練習は5時半からなので、その前にバリ舞踏を見ようと、mGといっしょに「寧」へ まずお店の中で、おいしいコーヒーとケーキをご馳走になり、3時半になったので庭へ。 美しい緑の木々が生い茂る芝生の空間が舞台。 ガムランの音が聞こえ、バリの音楽が流れている。
パニャンプラマ・・・お客への歓迎の意味を込めて踊られる花撒きの踊り
チャンドラワシ・・・インドネシアに棲む極楽鳥をモチーフにした踊り
キジャン・クンチャナ・・・インド叙事詩「ラーマヤナ」にも登場する金色の鹿の踊り
ジャウック・ロンゴール・・・地界に棲む魔物、邪の化身といわれるジャウックの踊り
ルジャン・デワ・・・寺院の祭礼で踊られる奉納舞。
独特な指先の動き、腰を落とし後方に付き出した姿勢、首から肩にかけての固定した人形のような動き、仮面をつけたような表情と、黒目を左右に動かす動きはどれも非日常的でおもしろい動きだと思った。
その土地の文化の中で生まれた踊りはその土地によって著しい特徴を持つ。 自国にはない動きや感覚がとてもおもしろく、興味深い。
庭でバリ舞踊を観た穏やかな春の日の午後。
先日、ローズマリーの事を書いていたら、この香りが急に恋しくなり、この朝、庭に出て、ローズマリーの枝をいくつも切った。
薄紫の小花のついている枝は短くして、ガラスの器の中に挿し、ダイニングテーブルに。
花のついていない枝は長めに切って、クリスマスローズといっしょに益子焼のピッチャーに挿し,コーヒーテーブルに。 挿してみて気がついたのだが、この二つの植物はとても相性がいい。どこか似ている。そう、どちらもスピリチュアルだ。 そして、お互いがお互いを引き立たせている。
うつむき加減のクリスマスローズを部屋に持ってくることに抵抗があったが、ローズマリーといっしょなら、はにかみやのこの花もうれしそうに見える。そして、庭で咲いていた時には見えなかった凛とした表情も見てとれる。 そういえば、両方ともローズという言葉が付いているんだ。
さて、ローズマリーの香り。 強くスパイシーなこの香りは、花の香りというよりは、ユーカリやティートゥリー同様、消毒薬の匂いに近い。 この香りが体内に入ってくると、身体のすみずみの細胞が目覚めるようなすっきっとした感じがする。精神の方では、余分なものが取り払われて、澄み切った、先の方が広々と広がるような感覚がやってくる。いわゆるスピリチャルな魂の状態。
昼間、ジムで運動した後、スポーツクラブの売店でローズマリーのエッセンシャルオイルを求めた。シャンプーとリンスに一滴つづ落として使った。そのせいなのかどうなのか、お風呂の中では長いこと瞑想し、心に浮かぶままに、家族や友人のことなど、ひとりひとりを思い浮かべて祈ることができた。
自転車での帰り道は、空いっぱいに広がった雲がいっせいに語りかけてくるような親密さがあってうれしくなった。まるで雲たちと交信しているような気持ちだった。
家に戻ってから、アロマポットにお湯を張り、ローズマリーのオイルを3滴たらす。キャンドルで暖めながら、芳香浴をする。 部屋を暗くしたまま、外のハナミズキやチューリップの上に夜が降りてくるのをじっと見ていた。
そう、こういう時間、こういう気持ちがここのところ欠けていた。いつもあわただしく、垂直な線に立ち返ることを忘れていた。 ローズマリーは今日一日、わたしの時間の質を変え、わたしの精神を整える力になってくれた。
すっかり暗くなったので、部屋を明るくし、パソコンのスイッチを入れる。 「たりたガーデン」を開けると、ローズマリーに誘われて、思い切ってご挨拶に来ましたと、日記を読んでくださっている方からの初書き込みがあってうれしかった。
ローズマリーの一日だった。
2006年04月20日(木) |
夕焼け色のチューリップが咲いた日に |
心待ちにしていたカイロという名前のチューリップが咲いた。 最新品種のこのチューリップの球根の説明書に <落ち着いたシックなオレンジ色の花色、すっきりとしたたまご型の花。カイロの夕暮れを思わせる、エキゾチックな雰囲気を持つチューリップ> とあった。
果たして、その写真の色やイメージとは少し違うものの、オレンジというよりは夕焼け色のシックなチューリップが8球とも開いた。
この日、午前中のジムと午後の仕事の間の2時間、この前、知り合った未来の牧師夫人のけいこさんに会う。荻窪に住む彼女が埼玉に来る用があるので、会いたいと言ってくださったのだ。
新婚、20代のけいこさんと話ながら、わたしが故郷を離れて埼玉に来たばかりのことがしきりに思い出された。 25歳になったばかり。仕事をやめ、親兄弟、友人、知人から離れて、ただひとり夫となったばかりの人と暮らすという生活。朝夫が出勤して戻ってくるまでのこころもとない時間。この始まりがどこへつながってゆくのか、まるで掴めなかった。けれども、今のけいこさんと同じように、新しい土地やそこで出会う人への興味や自分が築こうとしている家庭への夢はあって、一人でいろいろなところへ出かけていた。 目白にある神学校で聴講したり、東京こども図書館へ出かけたり、毎日正午に行われる銀座教会の礼拝に出てみたり、デパートのパッチワークの講座に出てみたり、誰も知り合いがいなかったから、いつも一人で。
けいこさんの今とその時のわたしがシンクロし、わくわくとした気持ちと同時に、その時の妙に物悲しい気持ちも蘇ってきた。
あれから25年経った今、息子達が巣立った家の庭に、夕焼け色のチューリップが咲いている。 多くの出会いを得、日々は豊かだ。
(写真のチューリップ、1枚は朝に、後の2枚は夕方に撮影)
2006年04月19日(水) |
ローズマリーの花はうすむらさき色 |
どういうわけか、生い茂ったローズマリーの一部に薄紫色の花がびっしりと咲いた。一部の枝だけに咲いたのはその部分を冬の前に刈り込んでいたからだろう。切ることで、新しい枝が伸び、そこに花が付いたのだろう。
このハーブの語源はラテン語で「海のしずく」。 古くローマ、ギリシャ時代から聖なる植物として、医療や宗教の場で使われてきたようだ。この強い香りはさまざまな器官を活性化し、修復する働きがあるとする。
時々、このエッセンシャルオイルを使用した、シャンプーやリンスを使ったことがあるが、ローズマリー、そのままの香りも心地よかったが、頭皮がきりっと引き締まる感覚があって気持ちが良かった。ところがこのシャンプー、健康食品のミキプルーンから出ているもので、店では買えないことと、えらく高価なので、使い続けることはできなかった。
今日は、この香りがほしい。庭のローズマリーをたくさん切って部屋に挿すことにしよう。
それにしてもこの香り、写真は載せられても、香りを届けることができなくて残念。
勉ゼミの日。テキストは吉田健一「辰三の場合」 去年の1月に吉田健一の「酒宴」を読んだ時には、この文章にわたしはおおいに影響を受けた。これがきっかけで酒に開眼したのだ。(その経緯は 吉田健一著 「酒宴」 から始まったことに記した)
しかし、今回のテキスト、読み始めるといつの間にか眠っているという調子で、はじめのうちは、少しも進まない。 頭が拒否するのか、はたまた身体に睡眠薬のように効くエネルギーがあるのか、とにかく眠ってしまうのだ。 しかしある時から眠りが襲ってこなくなり、そうするとまるで笑い話のように笑えた。 この作家は読者の笑いを取るべくおもしろがって書いているなという気がしてくる。
ところがさらに読みすすめると、今度は腹が立ってきた。作家が超インテリというのは分かる。博学で見識があり、世の中の流行や風潮には影響されない、確固たるアイデンティティーを持っている作家だ。 しかし、この小説の中で、彼が言いたいのは、考える力の無い者はなまじっか考えるな。芸術家の資質がないものは、そういうことに手を出すな。文学や哲学や芸術というものは一握りの才能を持つものに任せ、そうでない者は農村でのんびり過ごせばいいのだ。と、つまりはそういうことを言いたいのではないかと腹が立ってきたのだ。 この主張への異論はゼミの後からもしきりと頭に浮かんできたが、ここで書くと長くなりそうなので止めておく。
ところで、今回のことで、以前に読みかけたままになっていた 吉田健一著「時間」のことを思い出した。 すでに読んで線を引いてあるところを読んでみると、おもしろい。 時間をどう捕らえるか、時間とは何かという哲学的記述。読み進めてみよう。
今年のイースターは4月16日と遅い。 毎年、イースターの前日の土曜日に教会でイースターエッグ作りをしてきた。 100個からの卵を茹で、文字や絵を描いたり、染め付けたりするので、けっこう大仕事だ。 今年は数人が手分けして家で作ってくることになり、わたしは前日の晩20個の卵を茹で、当日の朝、色付け等をした。 礼拝の後の祝会の持ち寄りの料理もこの朝作ったので、イースターの朝はバタバタと慌しかったのだ。 いつもは前日にお菓子を焼いておくので、教会へ行く前の朝のひとときは静かに過ごしてきた事を思う。 この朝の慌しさの故か、それとももっと別なところに原因があるのか、今年はわたし自身、イースターを取りこぼしてしまった感があった。 そこに意識を集めることができなかったのだ。
毎年イースターには、イースターの日記を書いているはずだからと去年の日記を引っ張り出してみた。 去年のイースターの日記<ラボニ!と、その時マリアは叫んだ>
去年の思いが今に繋がり、イエスを見たマグラダのマリアの姿が生き生きと蘇ってくる。
復活。 これもまた。 死んだように思えるもの、一旦は深い眠りの中に沈んだものが再び命を得る。 目覚め、また眠り、そしてまた目覚める。 わたしの身体もそうであるように、魂もまた。 死と再生を繰り返しながら時が進む。
( 4月18日、朝に記す)
秩父方面の山へ行くつもりだったが、同居人が午後から仕事というので、山はあきらめ午前中、毎年この時期にでかける菜の花スポットへ行ってきた。
とにかく、いちめんの菜の花 写真は同居人のブログよりコピー。
2006年04月14日(金) |
粕取焼酎「富源」のあじわい |
今夜は富源という粕取焼酎をロックで飲んでいる。それにしても、個性の強いお酒だ。今日はこの酒を求めた経緯を書いておこう。
3月30日、祖母山に登った帰り道、いっしょに山行きをした幼馴染のひとみちゃんが、おいしいお酒を造っている蔵元があると連れていってくれた。 緒方町の浜嶋酒造、「鷹来屋」というなかなか赴きのある店だった。
昔ながらの重い引き戸を開けると、甘くなつかしい匂いが満ちている。子供の頃の堀炬燵、鍋の中の白くとろりとした液体をかき混ぜる母の姿がフラッシュバックする。 店の中にある囲炉裏に甘酒の鍋がかけられている。 酒屋の中にしつられたカフェのような空間があり、酒を買いに来た客に甘酒を飲ませてくれるのだ。 わたしも一杯ごちそうになった。
この店の粕取り焼酎が評判らしいので、試飲をさせてもらったのだが、 芋焼酎よりも臭い。実にワイルドなヤミツキになりそうな味だと思った。 なかなか手に入らないものだからと思い1本求め、日本酒党のmGには「初しぼり生酒」を買って帰った。
いったい粕取焼酎がどういうものかも知らないので、ネットで調べてみると、この酒屋を訪ねた人の詳しいレポートがあった。この酒の作り方まで載っていて興味深かった。(日向マターリ隊、粕取り蔵へ行く) また、富源についての記事もおもしろかった。
2006年04月13日(木) |
赤紫のチューリップ(Negrita) |
木曜日の朝、赤紫のチューリップ(Negrita)の球根12球のうち、10球が咲いた。 このブルー系チューリップは好きだ。
ムスカリの青紫との色の相性もいい。 携帯で撮った写真なので、ぼんやりした写真だが、 ここに貼り付けておこう。
この日はダンスの師匠、なおさんのご長男が居酒屋をオープンする初日と聞き、仕事帰り、mGといっしょに、創作料理の居酒屋「くるり」に行く。
店内はすでにぎっしりと埋まり、カウンターは見知った顔ぶれ、エムズファミリーのメンバーが楽しくやっていた。 なおさんは予告通り、エプロンを付けて、甲斐甲斐しく厨房で働き、息子を手伝う母の図。いい母子だなぁ。この店の主、貫禄ある息子さんはなんと我が家の青年Hと同じ歳。 Hは今頃、どうしているのやら・・・
ところでこの店の料理のおいしさ、新しさもさることながら、焼酎のセレクションのよさに驚いた。 メニューを見ただけで、焼酎が好きだということが分かる。 どれも飲んだことの無い、あまり酒屋では目にしない焼酎なので、どれも飲んでみたい気持ちになるのだった。
まず焼き芋焼酎(名前を忘れてしまった)、これはやきいもの甘い香りがしてほっくりと豊かな味わいだった。、次にかぼちゃの焼酎「香華」をロックで。フルーティーなカボチャのいい味がする。今までに飲んだことのない新しい味。三杯目はようこちゃんおすすめの紫芋焼酎「赤江」、これも文句なくおいしかった。何杯でも飲めそうな気がする。
普通3杯も飲むと心拍数が上がり、吐き気してくるのだが、気分は少しも悪くないのだった。きっと身体にもいい焼酎に違いない。
お料理のメニューもずいぶんたくさんあったけど、きっと、この焼酎にはこの料理というのがあるんだろうな。今度ゆっくりした時に、そんなことも店主に聞いてみたいと思った。
めんたいうどんは新しい味。焼酎にもぴったりだ。さっそく家で真似して作ってみよう。
ちなみに今飲んでいるのは叔父からもらってきた鹿児島大海酒造紫芋焼酎「くじら綾紫 」これもおいしい。薩摩の焼酎だからさつま揚げかなとばかり、たりた居酒屋では、山菜、こんにゃく、じゃこ天、さつま揚げを甘辛く煮たものをこれに合わせた。後、たっぷりのわかめとサニーレタスのサラダをどっさり。(4月13日記す)
写真は地植えにしたクリスマスローズ。 クリスマスという名前がついているのに、花が咲くのは3月の半ば頃からだ。花の時期は長く、4月の末くらいまで咲いている。またこの時期には新しい葉が出て、花の株も一回り大きくなる。
パンジーやチューリップの鮮やかな花が咲き競う中で、この花は何とも地味で目立たないのだが、内面の美しさともいうべき、密やかな美しさがある。少しうつむき加減に咲く花は他に見られる為にではなく、ひたすら自分に向かって咲いているような風情がある。
この花を花瓶に挿し、テーブルに置いて眺めたいと思いながら、いつも花を切るのが躊躇われる。庭の片隅こそが、この花の似合う場所のように思えるから。
*
昨日の日記に書いたさとみちゃんが、東京の大学に通う娘に合うために上京してきたので、10日の午後、雨の中、都内へ。 この日はさとみちゃんの他に、彼女の長女、そして愛媛の教会で親しくしていたという若いカップルとも初めて顔を合わせ、いっしょに食事をしたり、お茶を飲んだりと楽しい時を過ごした。
その若いカップルというのは、牧師をめざし、神学校へ通い始めたM君と、彼を支えるKさん。まっすぐで深い眼差しをした何ともすがすがしい二人だった。 彼らが通っている吉祥寺教会へも案内していただく。あいにく牧師が不在だったが、また訪ねる機会があることだろう。
写真は少し時を遡って4月5日。ふるさと豊後大野市の桜の名所、内山観音の桜を観る。ここの桜、特に様々な色合いの山桜がわたしは好きだ。
子供の頃、ここを会場に催される「桜スケッチ大会」には毎年出かけた。低学年の頃は弟といっしょに父に連れられて、大きくなってからは友だちと出かけた。というのも、このスケッチ大会にはスポンサーが付くので、入賞すると、賞状の他に、メダルや魅力的な賞品がもらえたからだった。 このスケッチ大会の後にも、小学校のお別れ遠足とお見知り遠足はここだったから1年に少なくとも3、4回は訪れる場所だった。
この日、このなつかしい場所へ、やはりなつかしい幼馴染(といってもわたしより4級年下の妹分)のさとみちゃんと二人で訪れた。彼女は愛媛に嫁いでおり、わたし同様ちょうど里帰りをしているのだった。前の晩、彼女の実家を訪ね、山岳部に入っているという高校生になる彼女の息子にも初めて会ったところだった。
山辺を歩きながらさとみちゃんと話したことは興味深かった。彼女がエコリーダーという、自然環境保護の教育に携わっていることは聞いていたが、山に入っていろいろな植物を調べたり、キャンプディレクターの資格を取り、子供たちのサマーキャンプを企画したりと、自然に関する様々な活動をしているのだった。
当然、地元の石鎚山(日本百名山のひとつ)は、彼女のテリトリー、何度も 登ったりキャンプしたりしているということだった。 前からぜひ愛媛へと誘われていたのだが、山となれば俄然その気になる。 今度の夏の帰省の折には大分からフェリーで四国へ渡り、石鎚山へ登ろう。
それにしても、今回は祖母山へ案内してくれた幼馴染といい、さとみちゃんといい、思いがけなく山仲間を得ることができた。
2006年04月09日(日) |
エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ |
受難主日のこの日、礼拝堂には冴え冴えとした空気があった。 バッハの受難曲の「血潮したたる」の変奏曲がオルガンで奏でられ、アコライトが6本の蝋燭に火を灯し、讃美歌が歌われ、説教が語られる。その礼拝のはじめから終わりまでスピリチャルで透徹したエネルギーが流れているようだった。あたかも礼拝そのものが天へと放たれてゆくような幻視。 静かな涙がこぼれた。
説教者は語る、
「愛し続け、愛し抜くことなどできない、裏切り者として立ち続けることしかないわたし―
わたしがイエスのために何かをすることなどできはしない。 ただイエスひとりが、わたしたちのためにすることができる。
わたしたちはただただ十字架の下におり、弱弱しい自分を認めることしかできない―」
*
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」
民衆や弟子達の裏切りにも
兵士の侮辱にも
手のひらや足に打ちつけられる釘にも
頭を突き刺す茨の冠りの棘にも
わき腹に刺さる槍にも
耐えたイエスは
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」
そう、大声で叫んだ。
―わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか―
神から見捨てられるという最後に残った苦痛まで苦しみ、 すべての苦しみを全うしたイエスの叫び。
本来、わたしたちが苦しまなければならない究極の苦痛を その身に引き受けたことの証。
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」
それ故、この言葉は力と慰めとを持つ。
<マルコよる福音書 15章16〜38>
兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。 そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、 「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。 また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。 このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。
そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。 そして、イエスをゴルゴタという所・・その意味は「されこうべの場所」・・に連れて行った。
没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。 それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。 罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。 また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。
そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、 十字架から降りて自分を救ってみろ。」 同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。 「他人は救ったのに、自分は救えない。 メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」 一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」 これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。
ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、 「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。 しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。 すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
2006年04月08日(土) |
白いチューリップ < Royal Virgin> |
この朝、白いチューリップ,ロイヤルバージンが咲いた。 オランダの球根で、2005年チューリップ最新品種。パッケージには、「ついに実現したバージンホワイトのチューリップ。従来の品種にはない、そのピュアな白さは「ロイヤル」の称号にふさわしく、気品にあふれている」と記されていた。 けれど、花が咲くまで、白いチューリップを植えたことをすっかり忘れていて、どうして白いチューリップを植えたんだろうと思っていたのだ。しまっておいたチューリップの球根のパッケージを取り出して、思い出した次第。 そういわれてみると、確かに今までの白いチューリップの白さとは違う。
mG、湿疹がひどく、午前中皮膚科へ。 こんなにひどいのは初めて。 それでも午後、水色の風号でドライブ。 桜の木の下に車を止め、天井のガラス窓から桜を眺めながら読書。 その後、桜の木の下でダンスの練習を少しだけ。 花見の家族がやってきて、恥ずかしかったから止めたのだ。
翌日、午後、わたしは久々のダンスの合同練習。 mGは医者から運動を止められ、ダンスは欠席。 それにしてもしつこい湿疹。 早くよくなってほしい。
写真のチューリップ、上はわたしが写したもの。白が飛んでしまっているので、mGが写したものをもらってきた。
昨日、九州の実家から戻ってきて、今日は朝から野暮用。 mGが出張先から早めに戻ったので、我々の新しい家族、「水色の風号」に初めて乗せてもらい、桜並木を走る。ガラス張りのルーフから見上げる桜は素敵だった。
夕方、先に送った荷物がダンボールでたくさん届き、まだ片付いていない。 あぁ、旅の後始末ほど、面倒に思うものはない。 クール宅急便の箱を開け、ほうれん草やねぎを取り出して夕食に使う。
旅の写真と日記をなんとかアップしようとやってみるが、画像のサイズを変えて、ここにアップするのにえらく手間取る。 携帯の写真を使えば簡単だが、写真はデジカメで撮った物の方が、断然いいのだ。 3月30日の祖母山行きの写真と記事は後からゆっくりアップすることにして、今日の庭の花の写真を載せておこう。
冬の間に株を太らせたパンジーやヴィオラが咲きほころび、紫色のブドウのようなムスカリがいっせいに顔を出した。その真ん中でチューリップが少しずつ背伸びしている。もうあと2日もすれば、白と赤のチューリップは開くだろう。
このムスカリは5,6年前に20球ほど買って植えた球根が毎年増えたもの。どこもここもムスカリでいっぱいになる。 地植えのムスカリもあるが、一度掘り起こして秋にプランターに植え直した球根は、ずいぶんと大きく元気のいい花を咲かせる。特に今年のムスカリは元気がいいような気がする。
それにしてもチューリップが開く時に間に合ってよかった。 まだ蕾も出てきていないが、去年出たばかりの新品種のチューリップが2種類咲くことになっている。
大分の実家へ来て16日目。明日ようやく埼玉に戻る。母の事は気にかかるが、ひとまず戻って様子を見る事になった。
こちらに居る間に読む本をいろいろ持ってきていたが結局、沢木耕太郎著「凍」を丁寧に再読する事に終始した。 二度目を読み終えた今日、はじめに読んだ時よりもさらに深い充実感に満たされている。
この漲るような気持ちはどこから来るのだろう。
ヒマラヤ高峰群の中の未踏の山ギャチュンカン北壁に挑む、山野井泰史、妙子夫妻の登攀の記録。 想像の及びようもない、死闘、極限の中で、二人はけっしてパニックに陥る事なしに、大きなもの(それは彼らにとっては自然そのもの、山そのものなのだろうが)に我が身を委ねている。
死すらもそこに委ねた上での死闘は読んでいて息苦しさはない。 そして挑戦も、闘いも、それは他でもない、自分自身に向けられたものだという事がひしひしと伝わってくる。
その全身全霊で自己と闘う姿は、 そういう極限に置かれる事のないわたしにも、生きる上での大きな勇気と深い示唆を与えてくれる。
自分に与えられた命をじっと見つめて天を仰ぐような気持ちになった。
今日、50歳の誕生日。
さて、今日から本番。そんな気持ちで早朝のランニングを始めた。
母校の中学校へ続く三年坂(みとせざか)を上がり、中学校のグラウンドを走る。
そして、わたしの生まれた家へ。
そこから見える山の姿はすがすがしく、はっとさせられる。
わたしはこの場所を選んでここで生まれたのではないかと思う。
家の前の道を眺めていると、近所だったおばさんと行き合った。
少しも変わらないその人は驚いたようにわたしを見て、
子供の頃と少しも変わらないと言う。
子供の時と変わっていないはずはないのだが。
そこからすぐの母校の高校まで走り、川沿いの満開の桜並木の下を走る。
艶やかな桜に心を高ぶらせながら、
わたしはこの時を選んで生まれてきたのではないだろうかと思う。
いつもはわたしが食事の用意をするのだが、
今朝は母が赤飯を炊き、味噌汁を作ってくれていた。
昼前、母と二人で父のところへ。
いつものように食事はすっかり平らげ、話しかけるとうれしそうに笑う。
母は分かりはしないのに父に「今日は、美子の誕生日よ」と言う。
それから母と電車で、竹田の温泉へ行き、食事をして帰る。
焼酎はいつか本で見た大分麦焼酎「石仏」。
ラベルに臼杵の石仏の顔が印刷されている。持ち帰れるようボトルで注文。
と、こんな50歳の幕開け。
実はこの50という響きにぞっとしてしまうのだが、
きっと人生で一番良い時なのだろう。
|