たりたの日記
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今日は一日よく歌いました。ギターが弾きやすくて音がいいので俄然弾く気になり、また歌う気になります。 保育室の先生が紙芝居をする時も、即興で音を付けてみたりして、これがけっこうウケました。
あそぼう会の後の3つのクラスでもギター持っていっていってCDじゃなくて弾き語り、子ども達って楽器に反応するものなんですね。CDとはノリがぜんぜん違います。わたしも楽しかったし。これからはいつもギターを持っていこう。 こうなればギターは商売道具。今借りているくらい弾きやすくて音がいいギターを手に入れよう。
火曜日は4クラスやった後はへとへとで夜ジムへでかける気になれないのだけど、今日は奈央先生が代行で夜も2クラス教えるということなので、出かけました。エアロ2本、くるくる回り、よく動き、しこたま汗をかき、気分爽快。
歌ったり弾いたりする時間が多くなる一方、読書の時間が少なくなっているけれど、それでも合間を縫って村山由佳の「すべての雲は銀の」を読み進めてます。今のところ3分の2のところ。やはり彼女のものは好き。このストーリーの世界に身を置くことがとても心地よい。ひとつも違和感がなく共感ばかり、ぴったし波長が合うような、そうチューニングが決まった楽器を奏でるような幸せ感につつまれる。
ジムで自転車こぎをしながら読んでいた時(ジョギングエアロまで30分時間があった)、この小説の舞台になっている信州のこだわり宿屋、そこのおやじさん(園主)の言葉にほおっと思いました。「個性」とは何かということについて語ってる言葉なのですが、なかなか含蓄のある言葉で、これはマークすべしとしるしを付けたことでした。
「・・・・人と違てるもののことだけやのうて、人とつながれるもの、人と共有できるものをどれだけ沢山もってるか、いうこともりっぱな個性やないかと思うねん。」
「・・・・無意識かもしらんけど、あんたの中にあったひとつの『個性』と、それを見る人の心とがうまいことつながった瞬間や。そういう、なんちゅうか・・・・人とつながるための端末いうか端子みたいなもんをやな、いっぱい持っていたら持ってただけ、あんたはたくさんの人とつながることがでけるわけや。」
人とつながるための端子かぁ・・・説得力ある言葉だなぁ。 この言葉を思い返しながら、今日出会った人達、明日出会う人達のことを思いました。 振り返ってみると、わたしは「つながろう」とする一方で、ともするとはなから「端子」をひっこめていることが割りと多いことに気づきます。壁や垣根を作ってしまう習性はずいぶん改良されましたが、まだ時折顔を出すんですね。端子を全部ひっこめて、ひたすら自分の内側にこもる・・・ そう、心が外に向かって開かずに閉じてしまうんですね。 時と場合ということもありますが、開かなくてはいけない時に閉じているということも確かです。
今日の教訓。 きちんとつながろうとすること、少なくともそれが必要な場面では、つながるための端子をしっかり出しておくこと。
| 2006年01月30日(月) |
ぽかぽかの月曜日、課題に取り組む前に |
まるで春のようなぽかぽかと暖かい月曜日。 月曜日というのは今週の仕事の準備とお勉強の日。
今日の課題�,鰐斉�の午前中の「英語であそぼう」のイベントの準備。 つくしんぼ保育室が二ヶ月に一度行っている、地域のお母さんと幼児を招いて行うオープンハウス「あそぼう会」の目玉がわたしのやる「英語であそぼう」ということになっている。前回は30組、60人以上の参加者があった。 年齢も赤ちゃんから4歳児。お母さんにもちびっ子達にも楽しかったと思わせるような英語を使ったアクティビティーをリードするのがわたしの役目。 今回は動物がテーマ。歌や手遊びやダンスの他、The Old Woman and Her Pig (豚とおばあさん)のストーリーテリングもする予定。このお話は前に何度かはやっているものの、たたみかけるような速いテンポの語りをつっかからず最後まで一息に語るというのはなかなかスリルがある。この練習もしなくっちゃ。
課題�⊃緲貌�の英語で歌おうのクラスの準備。今期はサイモン&ガーファンクルの歌を歌うことになっていて、明後日はScarborough Fair(スカボローフェア)を扱う。これはもともとマザーグースの範疇にも入れられているような古曲。二つの異なる歌詞が掛け合い、重なり合いながら歌われる、中世の世俗曲のひとつの様式を踏んでいる。歌の歌詞もパセリ、セージ、ローズマリー、&、タイムと、庭のハーブ達が繰り返し登場するという不思議な歌詞。メロディーもハーモニーもめちゃ美しい。 さて、この歌をしっかり自分のものにしてギターを弾きながら歌えるように練習するという課題。
課題�L斉�の午後のクラスのレッスンプラン。幼児クラス、小学校低学年クラス、小5クラス。歌やチャンツ、いつもはCD使うけれど、せっかくいいギター借りてるんだから、ギターの伴奏で歌を歌おう。これも練習。
課題�ず鯑�の日記に書いた、施設から頼まれた歌を歌ってカセットテープ録音すること。み〜さんのギターの伴奏で歌ったものを送る前に、早く練習に取り掛かれるようにとりあえず、歌だけ歌ったものを送るつもり。
こうして書いてみると、やばい。今日一日でやりおおせるんだろうか。この他に予定していた読書とダンスの練習は今日は無理かな。さて取り掛かかろう。
| 2006年01月29日(日) |
座りつづけたり踊りつづけたりの日曜日 |
今日は朝から午後4時半まで教会。その後ダンススタジオFという一日。 教会では礼拝の後、一年に一度の総会があった。これまでの活動報告や会計報告。来年の活動計画や予算案といった事の他にも大切な事がいろいろと話し合われる。教会学校や英語学校の事は今後さらに話し合う必要あり。いくつかの提案が頭に浮かんできた。
4時間くらいずっと座りっぱなしで、集中や緊張もあったのでかなり疲労していたが、この後にダンスのハードなレッスンが待っているというのは何だかうれしい。身体を使うこと、頭を空っぽにすることが頭や気持ちの疲れを取ってくれ、リフレッシュできるからだ。
ダンススタジオでの練習は二ヶ月ほどお休みしたからずいぶん久し振り。 スタジオに時間ぎりぎりの5時半に到着すると、やってる、やってる。ガラス張りのスタジオの外からキッズ達が踊っているのが見えた。 スタジオに入ると、練習を終えたキッズ達がわたしたちにもおせんべいやキャンディーを配ってくれる。 ありがと〜、また子ども達からお菓子もらっちゃった〜。この次はお菓子持って行く事、覚えておこう。
スタジオは凄い熱気。今日初めて踊る振りもあったけれど楽しく踊れた。実は昨日ほぼ一日、DVDを限りなくテンポを落としながら練習をしたのだった。わたしの場合、こうして動きをすっかり自分の頭に入れないことにはリズムに乗って踊れない。お陰で少なくとも立ち止まる事なくみんなについていけた。ビデオも撮ったし、家でも練習できるからまずは安心。
マイヤヒーは先生がゆっくりバージョンを作ってくれたので、これだと何とか踊れる。でもゆっくり踊るからシルエットとか角度とかきちんとする必要があるだろうな。ひとつひとつの動き、丁寧に練習しよう。 速いバージョンは見ているだけで凄い。床の上をごろんごろんと回転したり、目で追うのも無理なくらいの速さ。みんなわたしたちよりもずいぶん若いとはいえ、凄いなぁ。これはもう挑戦するのは無理。潔くあきらめよっ。
2時間踊りっぱなしで汗びっしょり。気持ちの良い疲れと共に帰宅。予定の銭湯はパスして酒屋に立ち寄り、家風呂と家居酒屋。これもまた良し。 ここ2、3日、アルコールへの敏感反応が1年前に戻ってしまって、気分良くなる前に苦しくなる。 お酒飲めるようになったのは1年間の期限付きだったのかしらん。 いつもより、2、3時間は早い午後11時に就寝。
エムズのダンスの記録ビデオを作ってくれるみ〜さんはギター弾きでもあり、この前のダンスの打ち上げの時、わたしが高1の時に買ったボロで弾き難いギターでサイモン&ガーファンクルを練習してると嘆いていたら、フレットが狭くてガット弦という弾き易いギターを貸してくれるということになった。
今日、奈央せんせい経由でギターが手元に届く。 ほんと、弾きやすい。感謝!
で、わたしはボロのギターにも困っていたのだが、もうひとつ困っていることがあった。それは音楽ボランティアで時々おじゃましている知的障害者授産施設から楽譜が送られてきて、これをギターかピアノの伴奏で歌ってテープを送って欲しいという依頼だった。3月に行われる町のお祭りで施設に通う人達が歌う予定の With You Smilという曲。この曲は楽団あぶあぶあ&ミュジカルチームLOVEの中で歌われる歌で、わたしも去年の東京公演の時に聴いている。
ピアノの弾き語りはしたことないからやるとすればギターなのだが、しかし、不慣れな分数コードなんかがあり、わたしにとっては難しい。いくら弾きやすいギターを借りてもこの腕ではねぇ・・・
ネットでみ〜さんが弾くギターを聴いていたらすばらしくて、施設の人達に、わたしの下手くそなギターじゃなく、彼のギターの伴奏で歌わせてあげたいと思った。で、ギターを借りるだけじゃなく、彼の腕も借りたいとお願いしたのだった。 「いいよ〜」と有難いお返事。 録音の日取りも決まり、思いがけなくみ〜さんとのコラボが実現しそう。 施設にもその事を伝えると喜んでもらえた。
この施設、深谷の「はぐくみ園」を初めて訪ねた時の日記そこには地上に舞い降りた天使たちがいたを読み返すと、施設の人達の顔が浮かんできた。 録音テープを送るだけじゃなく、3月の本番までには応援に出かけよう。
| 2006年01月26日(木) |
「黄昏」を聞きながら |
今夜は、一日のお終いに、ギターを聴きながら日記を書くことにしよう。 聴いている曲はパソコンでアクセスしたみ〜さんの演奏する「黄昏」(押尾コータロー・作曲)。
言葉でこの曲のことを現してみようとしたけれど、音からやってくる、あるいは音がもたらす心の微妙な動きを言葉にするのは難しい。
この懐かしさはなんだろう。去年の夏、エムズの夏の合宿の時、み〜さんが弾いてくれた。でも、その前から知っていたような。音を聴いたことがなくても、音の中に、通り過ぎていった感情が閉じ込められているからなんだろう。わけもなく胸が締め付けられるような哀しさを抱えていた黄昏時のひとこま、遠い日のわたし。夕方のテレビのアニメのテーマソングが聞こえていた魚を焼く匂いのする路地。学校の帰り道、友と別れた後の一人の道。ひとりで待つバス、帰ってゆくアパートの暗い部屋・・・
さてさて、今夜はどんな夢を見るのかな。 本を抱えてベッドへ。 おやすみなさい。
| 2006年01月23日(月) |
小山清著「朴歯の下駄」の読書会 |
文学ゼミの日。テキストは小山清著「朴歯の下駄」 今回は何度も繰り返し読んだものの、感想を書くこともせず、感想を言うことにしても、あらかじめ考えることなく読書会に参加することになってしまった。
戦前の廓の風景、その店で働く人や客、双方に行き交う気持ちの流れ、そういうものが読んでおもしろく、味わい深いものがあるのだが、あまりに表層を流れていって、深いところへ食い込んでこないのだ。そういう意味では出会いの化学変化のようなものが起こらなかった。わたしの場合、これが起こらないことには言葉がでてこないのだ。
メンバーの意見や感想を聞いている過程で、何か発見が語るべき言葉が出てくるかもしれないと期待したのだが、新しい参加者も多く、20名ほどの参加者がいたというのに、なぜかわたしがトップバッターでしゃべらなくてはならなくなってしまった。
この作品自体は良くできていて味わい深いものだが、この主人公の煮え切らない態度に釈然としないものを感じるとそのあたりのことを言ったのだが、このはっきりと自分の気持ちを伝えることのできない主人公の人柄とか性格がこの小説の要になっているのだから、そこに文句をつけるわけにはいかないだろうと後になって思う。
また同じように、廓で働く女とその女を買うという客というフレームがまずあっての小説なのだから、ここで女が商品として扱われていることをこの小説の批判として上げてもこの作品を理解することには繋がらないのではなかろうか。決して、そういう男性本位の視点や性を売り買いする習慣や社会制度を認める者ではないが。
たとえば、ホストとか逆援助交際のような世界を扱い、そのフレームの中で何かを表現しようとしている文学作品があったとして、女がお金で男を買うなど、男を商品として見るなど許せないという批評は意味をなすだろうか。 もともと文学の立ち位置と倫理や道徳、社会制度の立ち位置には違いがあるものなのではないだろうかと、そんなことをいろいろと考えるきっかけになった。
しかし、よくよく読めば、この物語の中で尊敬を受けているのはむしろ癒し主としての遊郭の女性で、この女性に心惹かれながらも行動に起こせなかった男を卑小に描いている自虐的な小説という見方さえできるような気がしてくる。ここに隠されたフェミニズムが存在すると見るのは偏った見方だろうか。
それならば、この小説に登場する遊郭の女の立場に身を置いて、その人とシンクロさせてもうひとつ物語を書いてみればどうだろう。この物語で見えてこない部分を、いえ、おそらくは作者が見えないように細工しているほんとうのところが現れてくるのではないかという気がする。想像たくましくしてストーリーを組み立ててみる。久し振りの書きモード。 さて、言葉は出てくるか、作品との出会いは成るか。

今日は教会学校、歌の集い、礼拝、役員会と続いた。 教会学校はお話の担当で「中風の男」の話をする。 昨日雪が降って地面が硬くなっていたためか、教会学校に来た生徒はKくん一人だった。
イエスがカペナウムのシモンという人の家に滞在しているのを知り、イエスの評判を聞いた人々が大勢押しかけていた。そこへ4人の男たちが、中風にかかり身動きのできない友人を寝台ごと担いでその家の屋根に上り、屋根をはがして、寝台を天井からイエスのまん前に釣り下ろしたというエピソード。イエスはその男たちの常軌を逸した行動を咎めることなく、その男の病を癒す。
常軌を逸した行為。聖書の中にはこの「常軌を逸した行為」がよく出てくる。ある意味、イエスの生き方と世間の常識は対立する。世間の価値観がしばしば人を不自由にし、愛を奪うからだ。法律よりも慈愛を、常識や世間体よりも愛を。それは耳には心地良く、美しく、人を感動させ、もっともだと多くの人はうなずくが、実際にその生き方を貫くのは容易なことではない。 いつも感じさせられる限界。
*
さてモードを切り替えよう。 夕方、MSのダンスのステージを見に行く、踊らないものの、打ち上げにはちゃっかり参加させていただく。
客席でリラックスしてみんなのダンスを楽しんだり、興奮して客席に向かって声を張り上げる(?)というのもなかなか良かったけれど、ステージで踊った時の気分やその後の達成感を知っているだけに、観るよりは踊る方がどんなに楽しいかということが良く分かった。確かに♪踊らにゃ、損、損♪だ。4月には何とか、みんなと踊りたい。
楽屋に顔を出した後、会場を出ようとすると、大人に混じってマイヤヒーを踊っていたキッズの男の子に会った。「K、かっこよかったよ〜!」というと、「どうしてmGさんたち、いっしょに踊らなかったの?」と恨めしそうな顔で言われてしまった。「忙しくて練習これなかったの。4月はいっしょに踊ろうね」と言うと「ぼく、4月は出られないんだもん」と不服そうな顔は戻らない。「じゃ、秋に、ね!」と手を振りながら、胸の奥がきゅんとする。 その不満顔が、なんだかうれしかったのだ。mGもわたしも。
素敵な店構えのピザ屋さんを貸しきっての打ち上げはとても楽しいものだった。今回はいろいろな人と深いところで話をしたように思う。回を重ねるごとに関係がより豊かになっていくせいなのだろう。
しかし、わが同居人mGはあきらかに酒量が境界線を越えていた。 日ごろいくら飲んでも酔えないと不満をもらしていたから、本望なのかもしれないけれど・・・。
| 2006年01月21日(土) |
村山由佳著「翼 Cry for the moon 」を読む |

この5日間、本では村山由佳著「翼 Cry for the moon 」に没頭した。 この作家もこの本のことも知らなかった。ダンス仲間のやすさんが、掲示板で紹介してくださったのだ。「たりたさんとイメージが重なる作家」というやすさんのコメントがあり、わたしのイメージとはどういうものなのだろうという興味がまずあった。
はじめのページを開いたところで、すでに捕らえられた感覚があった。 メディスンマン、ネイティブインディアンの長老の言葉 「耳をすませるんじゃあない。心をすませるのだ」―
主人公真冬の修復不可能なほどに傷ついた子どもの時の記憶。それは単なる記憶に留まらない。痛手を受けたインナーチャイルドはどこまで行っても生きずらさをもたらす。人を愛するということに障害を生じさせる。この真冬にもひどく心が惹かれた。それはまたわたし自身の、いえ、おそらくは誰もが持っている傷ついた内なる子どもが、そこに惹かれるからなのだ。
真冬は様々な出来事に遭遇し、人との触れ合い、彼女に向けられた愛や憎しみや敵意を通して、自身の心の中の複雑に絡みあった糸を少しづつほぐしてゆく。それは真冬の物語でありながら、読むものの深いところに潜む傷をも癒してゆく。本来、物語を聞く、あるいは読むという行為はこのような事なのだろう。その物語を主人公と共に歩むことで、心は旅に出るのだ。
日常の生活の中で、本のページに目を落とす時に、心ははるか遠くのマンハッタンへ、またアリゾナへと飛んだ。物語の中で生きている人々の心へもまた旅する。その旅が充実していれば、そこへ戻る時間が待ち遠しく、またページが残り少なくなってくれば旅の終わりを思い、何とも残念な気持ちになるのだ。
昨夜、最後のページを読み終えた時、予想していた祭りの後のような気持ちは不思議と起きなかった。物語の世界から出ることが、その世界との別れを意味しないことに気がついたからだ。物語が終わったそのところから、真冬が、またブルースが、わたしの心の中で生き始めることを感じた。 真冬の痛みも、ブルースのそれも、決して無くなってしまった訳ではない。けれども、ひとつの慰めを得た。きっと二人は今までとは違う足取りで異なる台地を踏んで生きてゆくことだろう。そのことはまたその物語を共に旅した読者にも言える。
傷ついた過去を持つことは必ずしも不幸なことではない。なぜなら、慰めを得ることができるから。苦しんできたことも必ずしも不幸なことではない。愛が人を生かすということを身に覚えることができるから。
本を閉じ、深深とした慰めと、内側から熱くなってくる希望のようなものを抱いて眠りについた。
| 2006年01月20日(金) |
朝の連続ドラマを見て思い出した湯布院での夏のこと |
今日は郵便局やクリーニング屋、スーパーの他はどこへも行かずに家で過ごしました。珍しく朝の連続ドラマなんかも見ました。
今やってるのは大分の湯布院が舞台なんですよね。何となく知ってはいたんですが、見てなかった。 微妙に大分弁が混ざってるんだけれど、やはりネイティブの大分弁じゃないから、妙な感じです。驚いたことに今朝の場面は湯布院のお祭りの場面で「湯布院音楽祭」なんて言葉がでてきました。
学生の時、ひと夏を湯布院のお祭りスタッフの仲間の入れてもらって過ごしたことがありました。ギターを弾く先輩から湯布院音楽際の前座にポールサイモンの「ホーボース・ブルース」という曲を弾かないかと誘われ、というかかなり強引に楽譜を押し付けられ、わたしはブルースをヴァイオリンで弾くという無謀なことに挑戦することになったのです。その先輩は仲間を集めて、湯布院の大きな旅館の一角を借り、夏の間だけのビヤガーデンをやっていたものですから、練習も兼ねて、わたしもその仲間に入って2週間くらいそこに合宿してビアガーデンで働きました。働くと言っても文化祭の模擬店みたいな感でしたけどね。で、最終日が湯布院音楽祭。ギターとヴァイオリンのデュオ、ブルースになっていたとはとても思えませんが、町全体がお祭りモードで、わたしもお祭り気分でノリノリで弾いたような記憶があります。 しかし、今思い返せば、冷や汗たら〜り。怖いもの知らずでしたね。 今朝の連続ドラマを見ながら、そんな出来事が蘇ってきました。
今日はこんなことではなく、今読んでいる本、村山由佳の「翼」のことを書くつもりだったのですが、これはすっかり読んでから書くことにしましょうか。久し振りの長編小説です。その世界に入り込んで読むことができるので、読む時間が待ち遠しい気持ちになり、空いている時間はいつもそこへ入って、また出てとここ4、5日繰り返しているうちに気がついたらもう残りのページが少なくなっていました。 この物語の外に出てしまうのがとてももったいない気持ちになります。でもお話というのは一旦そこへ入れば、いつかはそこから出なくてはなりません。残念ですけれど。 さて、これからベッドで続きを読むことにしましょう。
ところで、一昨日見たDVDの思い出し泣きは昨日よりははるかにましですが、今日も買い物途中、やっぱり思い出しては泣けてくるので、これはもしかして年のせいなんだろうかと自分を疑ってしまいます。
今日は一日、昨日DVDで観た「いま、会いにゆきます」が、頭に浮かんでくる度に泣きそうになるので困りました。
さすが、なお先生のラテンとパーフェクトエアロでは、他の事が頭に入ってくる暇が全くないから大丈夫でしたけど、ヨガとか太極拳だとそうもいかないので、中村獅童の顔が浮かぶと、もうイケマセン。
で、泣くこと覚悟で、もう一度最初からDVD観ました。 なんで、泣けるのかその訳を分析しようと思ってましたが、そういう理性はなく、ただただ感情に流され、おいおいと、だらしなく涙に暮れるばかりでした。
あぁいう男(女の場合もあるけれど)に弱いみたいです。カッコよかったり、スマートだったりというんじゃなくて、なんか欠けがあって、激しくバランス取れてなくて、どっちかといえばカッコ悪くて、心配を誘うような、それで哀しいくらいに優しい・・・
そういえば、この日記を始める前に衝撃的な出会いをした、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のセルマも言ってみればそういうキャラの母親。 あの時も数日間激しく泣きましたから。
親子もの、それも親と子が別れ別れになるというのも、わたしの泣きのツボみたいです。 うんと小さい頃、「母をたずねて」の話を読んでくれと祖母に頼んでは、聞きながらグスグス泣いてるような幼児みたいでした。
芸能界にはひどく疎いので何も知りませんでしたが、あの映画の後に、主演の中村獅童と竹内結子が実際に結婚したということを同居人から聞きました。あの映画のように、末永く幸せなカップルであってほしいものだ思います。
いくらなんでも、泣き虫は今日までにしておきたい・・・
| 2006年01月18日(水) |
いま、会いにゆきます―泣けました |
もう、さんざんに泣きました。 なんともひどい泣きっぷりに我ながらあきれていました。 なにがこうも泣かせるんだろう・・・
主演の中村 獅童がその姿かたちや立ち振る舞いまで我が家の次男Mにそっくりで驚きました。(みんなから似てると言われると本人から聞いてはいましたが、ほんとに似てる・・・エネルギーのレベルで似てるって感じ) そのことと、泣けることとの関連の具合は分かりませんが、ともかく、ぐいっと内側に入りこんでくる映画ではありました。
これほど泣いてしまえば、浄化作用のせいか、気分はさわやかなもんです。 それにしても泣けます。 原作も読んでみようと思います。
いま、会いにゆきます
竹内 結子 中村 獅童、主演。 監督: 土井裕泰 、原作: 市川拓司 、脚本: 岡田惠和 。
| 2006年01月17日(火) |
やきとり屋、しみじみナイト |
その昔、子供達が小さかった頃や、中学生の部活に明け暮れていた頃、そして受験生の頃なんていう時は、夜外に飲みに出かけるなんて皆無。忘年会や新年会どころか、宴会なんかも全く縁がなかったもんですが、子どもが巣立った後というのは、なんとも気儘なもの。不良中年もだんだん堂に入ってきたこの頃ではあります。
仕事で遅くなる水曜日は、暗い道を一人で電車や自転車に乗って、だあれもいない家に帰るのがつまらないにので、同居人の仕事がひけるのに合わせて、待ち合わせをし、やきとり屋に立ち寄るのがいつの間にか習慣になってしまいました。最近は仕事帰りに赤提灯に誘われるサラリーマンの気持ちがよおく分かります。
普通、ビールとか焼酎を2杯くらいにやきとりとサラダ、寒い時は鍋とか、モツ煮とか食べながら1時間ばかし過ごし、帰りに駅の側の酒屋でさらに酒とかチョコレートやつまみを買って電車に乗って帰るというパターンですが、すっごく効率よく酔っ払うわたしは、焼酎のお湯割りを2杯も飲めば、夜道で大声で歌ってしまうほどに酔っ払い、同居人から置いてくよ!と脅かされるので、平和に帰ることを考えれば1杯半くらいで止めておかねばなりません。
あ、こんなこと書くつもりじゃなかったんだ。 昨夜(17日)のやきとり屋行きのことを書くのでした。 昨日は、我々がいつも行くやきとり屋にわれらのダンスの師匠が来てくれて、なんと初めて3人で飲んだのでありました。 人気者のナオ先生を我々で二人占め。ともかく贅沢な時間ではありました。
普段は、食べることと飲むことが主体なもんですからお腹がいっぱいになれば、そこに長居する理由もないのでさっさと退散するのですが、夕べは話をしているうちになんだか食べることも飲むことも忘れ、時間もすっとんでしまっていました。やきとり屋のおにいさんから「ラストオーダーですが」なんて言われ、あれ、いつの間にこんな時間?という感じでした。
いいですねぇ、こういう夜。 子供も大きくなってやれやれお疲れ様。今日も仕事終わってごくろうさま。過ごしてきた時間を思い返し、そこから繋がってきた今、今から繋がってゆく明日の事をしみじみ語るやきとり屋の夜。
| 2006年01月16日(月) |
鷲のように翼を張って・・・イザヤ書のこと |
前日の日記の最後の部分にイザヤ書の文章を載せましたが、イザヤ書というのは旧約聖書の23番目の書で、三大預言書(イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書)の一つです。伝承では紀元前8世紀に預言者イザヤによって書かれたものとされていますが、最新の研究によれば、イザヤという一人の人に拠って書かれたものではなく、3人の人物によって異なる時期に書かれたようです。ここいらのことは置いておいて昨日の箇所の説明を少し。
前日のイザヤ書 42章1-7 は実はイエス・キリストの出現を予言している箇所です。 イエスが現れる何百年も前にイエスの存在がそこに予言されているというのが何ともミステリアスではありませんか。 ここで言われている彼というのがキリストを意味しているのですが、
「彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。 傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。」
という表現にキリストの姿が浮かび上がってくるように思われます。 とても美しい詩的表現だなと思います。
「見ることのできない目を開き、捕らわれ人をその枷から、闇に住む人をその牢獄から救い出すために」に神が立てた「あなた」もまたキリストのことを示します。
イザヤ書のことに触れたついでに、よく心に浮かんできて 力を与えられる言葉を記しておくとしましょう。
若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが 主にのぞみをおく人は新たな力を得 鷲のように翼を張って上る。 走っても弱ることなく、 歩いても疲れない。
( イザヤ書 40章−30,31)
新しい年も、鷲のように翼を張って。
| 2006年01月15日(日) |
イエスもまた洗礼を受けた |
今日は主の洗礼日。
イエス・キリストがバプテスマのヨハネより洗礼を受けたことを記念する主日。
この日、教会学校のお話の担当。
30歳くらいまで、ガリラヤのナザレという小さな村で、大工の父親に見習い、大工として生きてきたイエスがいよいよ神の言葉を述べ伝える人生へと入ってゆく。親兄弟の元を出て、イエスが一番はじめに訪れたのは、ヨルダン川で人々に洗礼を授けていたバプテスマのヨハネのところだった。
ヨハネは群集の中に混じったイエスが自分から洗礼を受けようとすることにひどくうろたえ、むしろわたしがあなたから洗礼を受けるべきなのにと言う。それに対して、イエスは今は止めないでほしい。このことは正しいことなのだからと説得し洗礼を受ける。
イエスが洗礼を受けると天が裂け、聖霊が鳩のように降りてきてイエスにとどまるのをイエスご自身が見る。また天からの声も聞こえた。 それは 「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」 という声。
ここからイエスの公生涯は始まる。 3年間という短い間。十字架へ至る道行。 しかしその3年間で彼は世界を変えた。今もなお変え続ける。 はじまりであり終わりであるイエス。
< 絵について>
Piero della Francesca ( 1410/20-92)の作品 1442年 Tempera on panel、167 x 116 cm National Gallery, London
<マルコによる福音書 1:9−11>
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。 水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。 すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
イザヤ書 42:1-7
見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。 わたしが選び、喜び迎える者を。 彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。
彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。 傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。
暗くなることも、傷つき果てることもない、この地に裁きを置くときまでは。 島々は彼の教えを待ち望む。
主である神はこう言われる。 神は天を創造して、これを広げ、地とそこに生ずるものを繰り広げ、 その上に住む人々に息を与え、そこを歩く者に霊を与えられる。
主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。 民の契約、諸国の光として、あなたを形づくり、あなたを立てた。
見ることのできない目を開き、捕らわれ人をその枷から、闇に住む人をその牢獄から救い出すために。

2週間前、左手、人差し指の第一関節が腫れていてうまく曲がらないことに気がついた。ギターのコードがうまく押さえられなくて、気がついたのだ。 そういえば、このところ、朝目覚めた時になんとなく左手全体がこわばった感じがしていた。これが足や膝なら運動した時に痛めたのだろうと納得もゆくが、左手を突き指した覚えも酷使した覚えもない。 関節炎?、通風?あるいはリュウマチ?これだとやっかいだ。 先週の金曜日、耳鼻科に行ったついでに内科にもかかり血液検査をしてもらった。
今日結果を聞きにゆくと、血液検査は異常なし。通風、リュウマチ、膠原病、そのどれでもないことが判明。内科的には問題がないので整形外科に行って下さいと言われ、整形外科ではまずレントゲンを撮られた。
骨には異常はないに決まっているのに、ここに来るとまずレントゲンを撮られる。断る理由も見当たらないし、レントゲン写真を見みたい気もするので、素直に医者に従う。
医者がわたしの左手の2枚のレントゲン写真をデスクの前のスクリーンの上に取り付けると骨の形がくっきりと浮かび上がった。
美しい・・・・
心が大きく動き、その骨の写真に引き込まれてゆくのを感じる。
以前、足の甲のレントゲン写真をこうして見せられた時にも、心は同じような振幅をした。 花や空、絵や写真、いろいろ美しいものを見る時、心はそれぞれ微妙に異なる動きをするが、足の骨の写真にわたしは何か特別なものを感じて、その写真をいつまでも見ていたい想いに捕らわれた。そして、医者に何とか頼んでその写真を借りてくればよかったと後になって悔やんだ。
医者は
「何も以上はありませんね。腱鞘炎じゃないですか。何か使い過ぎましたか・・・」 といいながら写真をはずそうとする。
「あ、待ってください。あのぉ、お願いがあるんですけれど・・・」
医者はその手を止め、ん?とこちらに顔を向けた。 隣に控えていた看護婦が怪訝な顔をするのが目に入る。
「あの、このレントゲン写真、を写したいんです。」
わたしは医者の返事を待たずにバッグからオレンジ色の携帯電話を取り出して医者に見せた。
「あぁ、いいですよ。レントゲンの写真を撮るのはなかなか難しいかもしれないよ」
わたしは携帯のモードをカメラに合わせながら、不信な患者だと思われないようにと医者に話しかける。
「この前、ここで、足のレントゲン写真を見せていただいた時に、骨ってなんて美しい形をしているんだろうと思ったのです。 骨って、なんだか見ていると吸い込まれるような感じがします。 この手の骨にしても、ひとつひとつのパーツが完璧に美しい形をしていますね」
わたしがそういうと、医者は
「そう言っていただくとうれしいですね」
とあたかも商品を誉められた商売人のように言うと、やおら指示棒を取り上げ、レントゲンの写真を説明しはじめた。
「そうなんです。骨というのはほんとうに良くできている。人間の身体には108個の骨があると言われていますからね。 骨は実におもしろい。 ほら、この部分、ここには8個の骨があるんですよ。」
と、手の甲の根元あたるところを示した。 それは他の指の関節のように、きちんと縦に並んだ骨とは違い、小さなかわいらしい楕円の骨が重なり合うように固まっていて、そこには興奮を誘うような美しさがあった。
人の手首の微妙な動き、人によって様々なニュアンスのある手の動きは、こうした複雑に組み合わさったいくつもの骨から生まれるのかと、わたしは嘆息し、その形をなんとか記憶に留めようとする。
うまく写りますように・・・
「カシャリ!」
かくして、わたしはわたしの左手の骨の写真を自分のカメラに収めることができた。
どうやらこの医者とは気持ちが通じたようだ。医者は骨に興味を持つ患者を胡散臭く思わないで写真を撮らせてくれた。もしかすると彼も骨フェチなのかもしれない。
今度レントゲン写真を撮ったら、絵を描くからとか言って、なんとか写真を借りてこよう。
* そういえば、以前に足の骨のことでわたしって骨フェチという日記を書いてます。よろしかったらどうぞ。
その日記を開いてみたら、投票ボタンを日記の中にくっつけていました。 そのうち、投票を見るのも、ボタンを取り付けるのもめんどうになってきたのですが、また気分を変えて、投票ボタンくっつけてみます。
| 2006年01月13日(金) |
25年目のアンティックドール |

昔話が出たついでに暮れに撮ったアンティックドールの写真をアップすることにしよう。わたしはとりわけ人形が好きだとか、コレクションをしているという訳ではない。 これは高校時代の友人Yが結婚祝いにくれたもの。
当時大阪で助産婦として働いていたYがわたしの結婚式に出てくれるために大阪から大分に戻ってくるというので、確か駅まで迎えに行ったのだった。彼女はボストンバックの他には人形を抱えていて、わたしを見るなり、「はい」と言って、その人形をわたしに差し出した。わたしが戸惑っていると「お祝い」とポツンと言った。そのなんとも風変わりなプレゼントの仕方がいかにもYらしく思われ、何かわたしには不釣合いな感じもするその人形をそのまま小脇に抱えて歩いて帰った。
よくよく見れば人形はえらくりっぱな作りのアンティックドールで、小公女セーラが眼を丸くして驚いた人形のことを思い出した。青いビロードのドレスにはレースのふち飾りがほどこされていて、脱ぎ着できるようになっていた。靴もバックスキンで作った編み上げ靴で、これも脱がすことができた。胸もとに金色の十字架が光っていて、もしかしてYはこの十字架がまず目に止まって、この人形をわたしに買ってくれたのではないかという気がした。 何かそんなような言葉を聞いたように思う。高校生の時はお互いに家を行き来したが人形など目にすることもなければ話題に上ったこともなかったのに。
今年の2月11日で結婚25年。(銀婚式ということになるのかな) ということはこの人形との付き合いも25年ということになる。年の暮れ、洋服ダンスの上で埃にまみれていた人形の埃を払い、顔を拭き、髪を赤ちゃんのように抱えてシャンプー&リンスし、洋服や帽子を洗い、すっかり緩んでしまったゴムを付け替えると人形は生き生きと命を吹き返したようになった。もう寝室の洋服ダンスの上には戻さずに、居間のソファーに座らせておくことにした。 そういえばいつもこの人形を高い洋服ダンスの上に置いていたのは我が家の腕白小僧たちからこの人形を守るためだった。お陰で洋服や帽子のゴムが緩んだ他は傷も染みもない昔のままの姿だ。
あぁ、Yとも赤ん坊が生まれたばかりの頃一度会ったきり。いつの間にか疎遠になってしまった。ずいぶんしてからお医者さんと結婚し、子供もできたと風の便りに聞いたがどんな風に今を生きているのだろう。「はい」と人形を手渡したYがそのままにあるのなら会ってみたい気がする。
今日、京都のみやさん(今は佐賀に住んでいるが)に手紙を出した。 なかなか書けなかったけれど。みやさんはネットをしないらしいので、みやさんの事について書いた日記のページのコピーといっしょに「育つ日々」の本も同封して出した。 26年前に一度だけ会ったわたしのことなど、とても覚えているとは思えないけれど。新しい出会いがそこから生まれることもあるかも知れない。
| 2006年01月12日(木) |
「ロックの心」という本がある |
さて昨日の続き。 まずは「ロックの心」という本のことを話たい。この本には(1)(2)があり、<ロックで英語を>という副題がついている。著者はアラン・ローゼン/福田昇八。大修館書店。
この本は実はわたしが探し出して求めた本ではない。 結婚して数年経った頃、里帰りした際に父親の書架にあったのを見つけた。 20年以上も前の話。 ロックも英語も父親にはまるで縁がないはず。かつてフォーク、ロック少女だったわたしも当時は赤ん坊を抱え、子育てだけしか眼の前にない時期。わたしのために買った本とも思われなかった。
「お父さん、この本、どうしたの?」 「あぁ、新聞で熊本大学の先生達が書いた本ということで紹介してあったから注文したんだ。」 父らしいと苦笑する。父はその頃熊本単身赴任をしていたから地元の新聞でこの本の紹介文を読んで感銘を受けすぐに本屋に注文したのだろう。おそらくは、英語をどう若者に学ばせるかみたいな教育者の苦労や工夫が父の気持ちを動かしたに違いない。
開いてみれば、ビートルズやサイモンとガーファンクル、キャロル・キングなど、かつて夢中で歌ってい歌たちが解説や訳詩、またそこで使われている英語の構文やその練習のための応用文までカバーしていた。きっと大学の授業で用いた教材をもとに本にまとめたものなんだろう。確かにこれなら若者が英語を楽しく興味深く学ぶことだろう。しかし、ロックも英語も日常に入り込む余地のない日々にいたわたしはその本をそのまま書架に戻したのだった。
この本を父からもらい受けたのはそれから10年以上経って、アメリカでの生活を終え、中学生に英語を教えていた頃。その中からいくつか取り出して教材に使ったものの、幼児や小学生ばかり教えるようになるとまた書架の隅で眠ることになった。そうしてこの本がようやく日の目を見るようになったのは去年から英語の歌のクラスを持つようになってからのことだ。
単にロックだけでも、単に英語だけでもないこの本の視点はわたしが求めるものに実にぴったりだ。ロックの心を英語を通して味わう。そしてまたロックの詩を教材にして生きた英語表現の練習をする―。
さて、長々と書いてしまったが、昨日英詩だけアップした「コンドルは飛んでゆく」の翻訳をこの本から引用しよう。
ちなみに、この歌の意味も深いが、 I'd rather be A than B , <私は A より B になりたい>の構文を「使える」ように練習するにはまたとない良い教材だと思う。
父が元気だったらこの本がいかに良い本か、感謝と共に伝えたいが、アルツハイマーを煩って施設にいる父にはもう伝えることもできない・・・それでも心では何度も繰り返す「ありがとっ、おとうさん!」
<コンドルは飛んでゆく> ポール、サイモン 詩 アラン・ローゼン/福田昇八 訳詩
1・カタツムリよりはすずめになりたい、 そうだ、なりたい。 できるものなら ぜひそうなりたい。
2.釘より金槌になりたい、 そうだ、なりたい。 できるものなら ぜひそうなりたい。
3、遠くへぼくは飛んで行きたい 自由にとびかう 白鳥のように。 人間(ひと)は大地につながれゆき この世に立てる 悲しみの極みの音 悲しみの極みの音
4、街よりは森になりたい、 そうだ、なりたい。 できるものなら ぜひそうなりたい。
5、大地で足を感じていたい そうだ、そうしたい。 できるものなら ぜひそうしたい。
| 2006年01月11日(水) |
歌のクラスはサイモンとガーファンクル |
 <写真は高校生の時に買ったギター伴奏コピー付の楽譜>
英語学校での仕事始め。 午後3クラス。その前に教室の掃除と環境整備、また仕事の後ミーティング。9時過ぎ、仕事帰りの同居人と落ち合って駅の近くの「極楽湯」へ 、あの山の上の温泉の気持ちよさには及ばないものの、あぁ〜いい湯・・・
今学期の歌のクラスは受講者の方のリクエストに答えてサイモン&ガーファンクルの歌を取り上げることにした。 彼らの歌はわたしにとっては思い出以上の歌。若い時期にたっぷり栄養と影響をもらったアーティストだ。 初めて聴いたのはシングル版のTHE SOUND OF SILENCE。まだ英語の読み書きを全く知らない小学校6年生の時、その歌が歌いたいばかりに音を聴いてはまねして歌ったのが始まり。中学校2年生の時のクリスマスに貯めこんだ小遣いで赤い箱に入ったLPレコードを買う。サイモン&ガーファンクルのグレイティストヒットの他に「聖しこの夜・七時のニュース」が入っていてクリスマス用に限定販売されていたもの。レコード屋から喜び勇んで抱えて帰ってきたものの、その当時我が家にはステレオセットが無かく、ずうずうしくも、その赤い大きな箱を抱えては近所に住む友達の家に上がり込み、聞かせてもらっていた。どんなにその音楽が力をくれたことだろう。
それからほどなくして我が家にどんと大きいステレオがやって来た。(昔のステレオセットはやたらと場所ふさぎだった)親がその近所のお宅に迷惑をかけるわけにはいかないと思ったのか、それともわたしがねだりにねだったのか、そこいらはすっかり記憶から落ちている。けれども、それがきっかけでその後、ボブディラン、ビートルズ、ジョーンバエズ、PPMと様々に音楽世界が広がっていったのは言うまでもない。それらはみな英語の歌だったから、わたしと英語との出会いは歌を通じてだった。 しかし今思えば、音として聴いていたものの、言葉としては聴き取れてはいなかった。 今回授業の準備のためにSIOMN AND GARFUNKEL'S GREATEST HITS を対訳を読みながら聴いてみると、今まで知らずに聴いていた英語のニュアンスや言葉の奥にあるメッセージや皮肉などがクリアに見えてきておもしろい。 彼らの歌をその詩もまるごと味わうのにこんなに月日が経ってしまったのだ。でも再会することができてよかった。
クラスで取り上げる歌は
EL CONDOR PASA ( コンドルは飛んでゆく)
BRIDGE OVER TROUBLED WATER(明日に架ける橋)
SCARBOROUGH FAIR(スカボロー・フェア)
THE SOUND OF SILENCE(サウンド・オブ・サイレンス)
の4曲。今日はアーティストについての概要と、「コンドルは飛んでゆく」 を中心にレクチャーと歌のレッスン。何とかギターの弾き語りもできたが、 もっと上手くギターが弾けたらどんなにいいだろうと思う。
彼らの歌はキーが高いので、伴奏はキーが比較的自由に変えられるギターの方が伴奏には都合がいい。この機会にギターもしっかり練習しよう。というか、やらなくっちゃ!
El condor pasa <コンドルは飛んでいく>
words by Paul Simon
I'd rather be a sparrow than a snail. Yes I would, If I could, I surely would. Hum.
I'd rather be a hammer than a nail. Yes I would, If I only could, I surely would. Hum.
Away, I'd rather sail away Like a swan that's here and gone. A man gets tied up to the ground, He gives the world its saddest sound, its saddest sound.
I'd rather be a forest than a street Yes I would. If I could, I surely would.
I'd rather feel the earth beneath my feet, Yes I would. If I only could, I surely would. Hum. Hum. Hum.
もう遅い!寝なくっちゃ。訳詩はまた明日にでも。
仕事始め。 午前中1クラス、午後3クラス。 12月20日のクリスマス会が去年最後のクラスだったから高々2回抜けただけなのだが、ずいぶん時間が経ったような気がする。 モミの枝のフレッシュグリーンのリースはまだ玄関のドアを飾っているし、お正月の花だってまだ枯れていないのに、暮れから新年にかけてのモードと今の間に何か大きなブランクを感じるのはどういうわけなのだろう。 実際の時間と、頭(むしろ心)が感知する時間との間にズレが生じている。 そういえば、この感じというのは毎年のことと言う気もする。 記憶が定かではなというのではない。過ぎた日々がえらく遠くに感じられるという妙な感覚。 きっとホリデーシーズンの間はスパンと日常から身も心も離れてしまうからなんだろう。そしてその後、正月気分を追い払うべく、その気分を無理やり遠ざけようとするからなんだろう。 ふと気がつけば、日記の日付は10日のままになっていた。 火曜日と水曜日は新学期のクラスのことでいっぱいで、運動もせず、本も読まず、また書きもしなかった。 ともかく空白は埋めておこう。
| 2006年01月09日(月) |
走りたい! <�L鰻殄覆療兄函� |
この日、ジムではスタジオのレッスンを受けずにランニングマシーンで走った。今年に入ってから走るのは2回目。走る時の快感が戻ってきたことがうれしい。 この1年、ほとんど走らなかったが、今年はまた走り始めようと思っている。
覚えていらっしゃる方もいるだろうが、確か3年前の今頃、新年の抱負で今年ホノルルマラソンに出る!と日記に宣言してしまった。しかし、ほどなく挫折。ホノルルマラソンの開催される12月のはじめの日曜日など、仕事でも教会でも休みが取れるはずもなく、また経済的にも実家に帰省する費用を捻出するのが精一杯。大学生を2人抱える身にはそもそも無謀な抱負にちがいなかった。 しかし、それを理由に走ることも止めてしまったのは、わたしが単に根性なしだったからだ。 今度もいったいどれほど続くかはなはだ怪しいものだが、少なくともここに宣言しておいて、週に一、二度は走りたいと思っている。
ちょうど走ることを考えていた時、大塚山行きで、毎日ジョギングをしているというNさんに再会した。彼女は夕食の後、夜9時とか10時とかいった時間に1時間ばかり外を、それも一人で走るというのだ。その時間はわたしは同居人とジムで運動しているか、そうでなければ、焼酎を飲みながらパソコンに向かっている時間だ。どうして、寒い戸外に一人で、日々出てゆくことができるんだろうと感心する。すると彼女は、だって走るのが好きなんだもの。走りたいから走るわけで、何も大変なことをしてるんじゃないとおっしゃる。なるほどね・・・
一方彼女は彼女で、たりたさんはあんなに長い文をよく毎日書けるねと、理解に窮するといった面持ち。 「書くことで気持ちが開放されるのよ。書きたいから書くわけで、何も努力はしていないの。きっとわたしの日記書きがあなたのジョギングなのよ。」と言うと、彼女はいたく納得した様子で、他の人に「わたしのジョギングはたりたさんのブログなのよ」と他の人に説明しているのが聞こえてきた。
実際そうだ。 日記を書くことで何かを開放させているものが確かにある。わたしは話をすることで開放されることはまずない。人との接触の中で無意識にも心の中に押さえ込んでいることが多々あるんだろう。わたしにとって書くことは、そういうものを開放してやる行為なのかもしれない。 無心で走ると、頭の中に何も無くなってくよくよ考えることがなくなるとNさんは言うが、走ることで得る充実感とわたしが書くことは良く似ているように思う。
さて、走ることでもそれを得たいと思うのは欲張りなことかもしれないが、人生は短い。心が向かう事ならどんな事でもまずはやってみよう。
さて、10時過ぎ、Nさんは今も一人走っているのだろうか。 走りたい気持ちはやまやまだけれど、わたしは夜道はやっぱり苦手だな。犬が近づいてきたら失神しそうにビビるのだもの。その前にもうお酒飲んでるし・・・ よし!明日の朝。・・・いやぁ、どうだろう。寒い朝もめげるんだろうな。
我が家の天使たちの紹介、その3<民芸品の天使>
この天使はアメリカを去る時、同居人の幼馴染で家族で付き合いのあったバージニアに住むBethからもらったもの。 一見、スェーデンのわら細工のクリスマスオーナメントに似ているが、素材はもっと硬く、細い繊維質のもの。そういえば、以前ここでしょうかいしたティナラク織りの素材になる植物繊維によく似ている。この天使の素朴な味わいが好きで、クリスマスに限らず、一年中、ドアの一番上に飾っている。
| 2006年01月08日(日) |
東方から旅した三人の博士 |

エピファニー、顕現主日。東方の三人の博士が馬小屋のイエスにまみえたことを記念する日。この日を持ってクリスマスが終わる。 この情景を歌ったとても美しいキャロルがある。
♪Three Kings of Orient ♪
We three kings of Orient are, Bearing gifts we traverse afar, Field and fountain, morr and mountain, Following yonder Star. <Chorus> O, star of wonder, star of might, Star with royal beauty bright, Westward leading, still proceeding, Guide us to the perfect light.
Born a babe on Bethlehem's plain; Gold we bring to crown Him again; King forever, ceasing never, Over us all to reign.
<Repeat Chorus>
Frankincense to offer have I; Incense owns a Deity nigh; Prayer and praising, all men raising, Worship Him, God on High.
<Repeat Chorus>
Myrrh is mine; its bitter perfume Breathes a life of gathering gloom; Sorrowing, sighing, bleeding, dying, Seal'd in the stone-cold tomb.
<Repeat Chorus>
Glorious now behold Him arise, King and God and sacrifice, Heaven sings, "Hallelujah!" Hallejujah!" Earth replies.
<Repeat Chorus>
*********************************
マタイによる福音書 2:1−12
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 『ユダの地、ベツレヘムよ、、お前はユダの指導者たちの中で、決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
 11月12日に遊山倶楽部で高水三山に行った後、忘年登山は風邪で行けず、その後の山も日曜日だったので参加が叶わず、ずっと冬の山へ行きたいと思っていた。 今回は幸い土曜日。予定も入っていない。チャンス到来!
どこででも瞬時に眠れることをモットーにしているわたしだが、なぜか山行きの前日は緊張が高まりなかなか寝つけない。今回は日本酒のお陰もあってかわりと眠れた。4時45分目覚まし時計で起床。
朝食はコーヒーとあんこもち一個。 5時50分、家を出る。外はまだ暗い。大きなザックを自転車の荷台に辛うじて載せ、冷たい風を切って駅へ。 7時10分新宿着。7時44分発ホリデー快速奥多摩1号までにはたっぷり余裕がある。メンバーが乗り込むことになっている最前列へ。ここから三鷹までは一人だろうと思っていたが、リーダーのDさんが現れ、わたしの緊張はようやく緩むことになる。
三鷹駅でS先生とゼミのKさんと、S先生担当の編集者というNさん合流。御岳駅で山歩きのインストラクターをされているOさんNKさん合流。古里駅で毎日ジョギングをしているNRさん合流。この3人の女性はちょうど春の滝子山行でごいっしょした方々。その後、大塚山山頂でYさん、御岳山付近のお風呂屋でO先生が合流となり、男性5人と女性5人の賑やかな山行だった。
9時40分くらいに古里駅を出発。万世橋を渡りしばらく歩くとまもなく登山口。地図によれば、ここから大塚山までは1時間50分までの行程。穏やかな歩きやすい山道が続いている。30分もしないうちに暑くなり、最初の休憩地でみな上着を脱ぐ。 わたしは冬の山は経験がなく、ずいぶん寒いのではないかしらと心配し、かなり着込んで来た。二回目の休憩では下着とフリースのセーターの間に着ていた薄手ドライ素材のタートルシャツを脱ぐ。不快感はなかったが脱いでみるとシャツは汗びっしょりになっていた。普通なら下着も着替えなければ風邪をひくところだったが、今回購入したミズノのブレスサーモという素材の下着はその必要がなかった。この素材は水分を吸収し発熱するという素材で、実際、発汗にもかかわらず濡れて冷たい感覚が全くない。山だとなかなか下着まで着替えるわけにいかないからこういう優れものの下着はほんとうに有難かった。
頂上近くになり、枝ばかりの木々の美しさに驚く。春、霧の中の山つつじのつぼみの幻想的な様子、新緑の頃の山の心が沸き立つような明るさ、真夏の濃い緑に覆われる山や沢音のすがすがしさ、秋の紅葉やススキの群落、それぞれの季節ごとの山を楽しんできたが、冬の枝ばかりの木々は、その木の姿がくっきりと輪郭を明らかにし、根から細い枝の先までがほんとうに美しい姿を見せている。歩きながらシャッターを切るのは難しいが何枚も撮った。
12時前には大塚山山頂に着く。 聞いていた通り、頂上はスパンと開けた宴会には最適な場所。ちょうど良いピクニックテーブルがあり、暖かい陽も差している。みなそれぞれに地上から運んできた食べ物や酒類をザックから出してテーブルに並べる。ワイン、日本酒、焼酎、ズブロッカ、さといもと厚揚げの煮物、れんこんの明太マヨネーズ和え、えびの酢漬け、シーフードのフライ、スパイシーチキンのポトフ風、白菜漬け、大根漬け、ふきのとうの佃煮、まだあったかな・・・わたしは、かぼちゃと赤豆の甘辛煮、大根と貝のヒモの酢漬けと宮崎のそば焼酎「天照」を持参。それにしてもご馳走が集まったこと。
これだけ食べ物が揃うといったい何から食べようかとみな心が千路に乱れる様子、わたしもお腹がいっぱいにならないうちにどれも食べてみたいと気持はそぞろ。酔いがまわり、お腹いっぱいになる頃、ようやく落ち着いたムードとなるが、そうすると今度は寒さが堪えてくる。
わたしはザックに入れてきた薄手のジャケットを下に着込み、ほっかいろを足先、背中、お腹に貼りまくったがそれでも動かずにじっとしていると寒くって仕方なかった。これはきっとアルコールの影響もあるのだろう。帰りはケーブルカーと聞いていたから安心してワインの後、焼酎のお湯割りを2杯も飲んでしまったからだ。
さて宴を閉じ御岳山の方へ歩き始めるものの、まずい!寒さは治まったものの、酔いが全身に回り、歩きながら眠ってしまう。もしかして、酔っ払いのおじさんの千鳥足ってこれのこと。ゆらりゆらり夢と現が混ざり合いなんとも不思議な気分。ケーブルカー乗り場付近の山香荘へ着いた時には心底ほっとした。 そうして熱いお湯にザブン! このお湯の気持ちのいいことといったら・・・今までで最高という感じだった。身体全体がお湯の中で溶けてゆく感じ。それほど身体が冷え切っていたのだろう。この熱いお湯を身体中が歓迎していることが良く分かる。ラジウム泉のお湯は身体を芯から温めてくれた。大理石風の湯船の正面と左面がそっくりガラス張りになっているので、外の景色が入ってきて、露天風呂に浸かっているような心地だった。いっしょにお湯に浸かったOさんとNRさんと共にただただ感嘆のため息をもらす。 「ふぅ〜つ、いい気持ちだねぇ〜」 冬の山も、大ご馳走の宴もすばらしかったが、今回の山行きで一番幸福感が高かったのはこのお風呂だったかもしれない。書いている今もあのお湯のことが蘇ってきてはうっとりとなる。
お風呂の後は休憩所でビールを飲んだりしてかなりゆっくりと過ごし、そこを出たのは4時半になろうとしていた。ケーブルカーで降りる予定だったが、みな運動が足りないと感じていて、歩いて下山。わたしはビールは飲まず、オレンジジュースとコーラにしておいたのですっかり酔いも冷め下山は問題なかった。しかし歩いているうちにずんずん暗くなり、足下も見えなくなる。ライトはやはりザックに入れておくべきだったと思った。滝本から5時22分のバスで御岳駅。御岳駅発5時46分の青梅線に乗る。 新宿から湘南新宿ラインで北上尾へ直行すれば、8時15分からのラテンにぎりぎり間に合う。 山行きの仕上げはクルクルと目まぐるしく回転する超ハイテンポのラテン。 スタジオに入るといつものダンスの仲間の笑顔がうれしい。 ラテンの音楽がかかれば身体はラテンモード。45分ノンストップで無事踊り切り燃焼度100パーセント。 その後のサウナですっかり疲れを取り、家に戻ると新潟に住む従兄弟から日本酒が届いていた。おいしい日本酒で同居人とさらなる宴。
今日は半端じゃなく寒かった。 外になど出たくないところだけれど、歯医者の予約が入っている。 鼻炎の薬も切れたからついでに耳鼻科へ行ってこよう。 あ、銀行、クリーニング屋へも行かなくちゃ。トイレットペーパーも補充の必要あり。 なんだかんだと野暮用が重なり、寒空の下、あっち、こっちと自転車を走らせる。
さて、明日はここよりさらに寒い奥多摩方面へ。 しかも地上よりさらに気温の低い山へ。 冬の山は初体験。どういうことになるのやら・・・
明日はこういうコース。
家を5時50分に出発。自転車で駅へ。 シャトル→新宿駅→ 古里駅→(2時間半)→ 大塚山→(40分)→ 御岳山ケーブルカー駅。北斜面をのぼる。 そのままケーブルカー下山。
御岳山付近で温泉に入れるかも・・・
では、寝ます。おやすみなさい。
| 2006年01月05日(木) |
<�▲函璽襯撻ぅ鵐箸療兄函� |
我が家の天使たちの紹介、その2<アメリカントールペイントの天使>
この天使は、アメリカでトールペイントを習っている時に描いた天使で、もう15年くらい前のものです。 たまたまその先生の作品を眼にすることがあって、ちょっと他にはない図柄や色だなと思い、初めてトールペイントをやってみる気なりました。 そこで帰国までの数ヶ月間、毎週その先生のお宅に通って教えていただいたのです。泥縄もいいところですが、本場のアメリカントールペイントを習っておきたいという気持ちがやっと実現して嬉しかったのです。
この天使の絵も、先生の作品をすっかり真似したものなので、わたしのオリジナルではないのですが、ただ顔はどうしてもお手本の通りにならずに勝手に描いてしまいました。するとその先生は、顔はあなたの方が上手に描けているわと言ってくださってほっとしました。 それというのも、いわるゆアートの世界ではなく工房とか職人の世界に近いところがあって、配色やデザインもまずは先生の通りに仕上げなければならなかったからです。
帰国してからはアメリカントールペイントではなく、オランダの工芸、アッセンデルフというトールペイントを習いました。教えている先生のお宅に1年ほど通ったでしょうか。これは筆の勢いを利用して描くので、書道のように一筆描きが基本で、その上から描き足したり塗りなおしたりするのは不可。なかなかおもしろくてしばらくは夢中になったものの、止めてしまいました。今でもその時に買い揃えた画材がそのままあるのですが・・
トレー、鏡、ハンガー、クッキーの缶、椅子、ランチョンマット、壁飾り、チェスト、楕円形の大小さまざまな箱、バスケットのふた・・・よくよく見渡すとトールペイントをほどこしたものが部屋のあちこちにあります。人にお見せするわけでもなく、ひたすら自分の空間を装飾するためのものだからと、まだ見習い途中の作品だというのにいばって飾ってるところがあきれます。
今夜は、夜の10時近くになってだったが、ずいぶん久し振りに家族4人が揃う。
子供達が目の前に居ないと、母親という意識がかなり希薄になるのだが、子供が(もう二人とも大人だけど)「ごはんだよ〜」とか「お風呂に入りなさ〜い」とか言わなければならないと、好むと好まざるとにかかわらず、母親モードに切り替わる。少しもうるさくしたいわけではないが、同居人が増えると交通整理役が必要になるからしかたない。
午後は次男のMと>「SAYURI]を観る。よく家族で映画を観に行ったものだったが、大きくなった息子と二人で映画を観るというのは初めて。例によってひどくぼろぼろのジャケットとか着ているので、もう少し小奇麗なかっこしてくれればいいのにと小うるさくもなり、「オカアサン、世間体気にしすぎ」なんて一番言われたくないことを言われたりする。
さて映画の話。主演のさゆり役が中国人のチャン・ツィイーというのも何とも不思議だが、彼女はみごとに日本人の芸者を演じていた。そして「初恋の来た道」時のひたむきさ、芯の強さ、心の美しさはそのままSAYURIの中に生きていた。女性の美しさというより人間の持つ精神の美しさのようなものを感じた。そして、さゆり役がなぜチャン・ツィイーなのかも分かるような気がした。この役には翳りのなさ、裏表のないきっぱりとした精神が求められるからなんだろう。こういう女性は日本には少ないかもしれない。むしろさゆりを妬み、さまざまな嫌がらせをする姐芸者はその陰湿な感じやその女性の哀しさ、激しさと脆さがよく出ていた。日本の女のひとつの典型を描いていると感じた。
とりわけ素晴らしかったのはさゆりが大勢の客の前で一人で舞を舞う場面。その舞をわたしは外国人の眼で観ていた。日本という国の持つ特殊な美の世界。外国人の眼ということであれば、この映画そのものを、外から日本を観るという意味で、外国人として観ていたように思う。
最後の場面で泣いてしまったが、この結末はいかにもハリウッド映画らしい。ここに心打たれ、ああよかったと安堵しつつも「このストーリーの展開、なんだか日本人っぽくないよね。アメリカ的だね」とMと話す。 舞台も役者も日本人だがこれはいい意味でも悪い意味でも、紛れもないハリウッド映画だ。こういう視点から日本を見る時、隠れていて見えにくいものも見えてくる。
今日は、なかなか起きてこない次男にフレンチトーストの朝食を用意して、mGとジムへ。通常火曜日は朝から夕方まで仕事だから、この時間帯にジムに来ることはまずない。初めてのクラスを受けることになる。柔軟、ダンベルの後、カロリーバーナーのクラスへ。きっと常連の人達よりもわたしのように普通は仕事でこれない人が多いのだろう。インストラクターもそれを心得てか、イベント感覚のクラスだった。その後久し振りにランニングマシーンで走り、木曜日の朝のクラスに出ているビランクスヨガ4へ。
ヨガにはいろいろなバックグラウンドがあるようで、わたしがジムに通う前6年ほどやっていたヨガはハタヨーガというもので、瞑想や呼吸法を通して気の流れを整えることにウエイトがあった。一方スポーツジムで取り入れられているビランクスヨガは当然ながら運動や身体機能の向上、シェイプアップに主眼があるようだ。ビランクスというのはラテン語でバランスという意味らしい。
けれどヨガはヨガ、インストラクターの口からチャクラとか、心を見つめる第三の目、宇宙とひとつになる、とかいった「宗教的」な言葉が出てくる。 それが良いとか悪いとかというのではなく、そういう意味深な単語が、閉じられた宗教的空間の中ではなく、スポーツジムの誰でも自由に参加できる開かれた空間の中で聞かれるということにへぇ〜と思うのだ。
ちなみにヨガはブームになっているらしい。昨日買ったコートを売っているブランドは「ヨガ猫」というオリジナルキャラクターを作ったとかでヨガのポーズをとる猫の人形が店の飾りだなにたくさん並べられていた。 「ヨガ猫」って何ですか?と訊ねると お店の人がヨガ猫のいわれが書かれている絵本をおまけに下さった。
はぁ〜、ヨガはファッションの世界にも貢献しているのかぁ・・・
今日はなんと初売りなるものに繰り出しました。 初売りとはこれまでとんと縁がなく、デパートそのものにあまり足を運ばないものですから、いったいいつセールというものが行われるのかも関心を向けるいとまがなかったのですが、最近、ジムでデパートにお勤めの方とお近づきになり、デパートで物を買う裏技(?)を教えていただいたりしたのです。 それによると12月は定価で物が売れる珍しい月で、みなさんのお財布の紐が一番緩む時期らしいのですが、それをもうちょっと待てば、それぞれのデパートは1月2日とか3日とかから一斉に冬物を半額くらいにする。しかも良いものは開店と同時に売れるから賢い消費者は開店前から並び、目を付けていた商品へ直行するのだと。
その裏技を教えていただいていたので、ここ数年見送ってきたコートの新調をあわよくばこの半額のセールで果たそうとこの日を狙っていたのです。 けれども今日になってみれば、開店前からデパートに並ぶことどころか、人混み中に出かけて行く気さえ失っていました。しかしそれではまた今年もコートを買わないまま、来年の冬困ることになると重い腰を上げとにかく出かけてはみました。
やはり出遅れたか、それとも探し方が下手だったのか、半額の良いものは見つかりませんでした。それでもmGのビジネスコートはなかなかいい感じのものがセール価格で買えたし、わたしもヤッコマリカルドのちょっとおもしろいシルエットのコートに出会うことができました。このヤッコマリカルドというのはこの夏の帰省に着て、芝居ダンスの衣装にもなり、さらには夏、秋、冬と礼拝の司会の時の服として大活躍しているシルクのロングベストを買ったブティック。 流行にも年齢にも国籍にも捕らわれないデザインというのが気に入ってます。ちょっと不思議系な服ではありますけど・・・ しかし、真冬のコートにすれば寒そうだし、かといって春コートという感じでもないし、だぶっとした形は着心地もよさそうで気に入ったものの、コートとしての役目を無事果たしてくれるものかどうかちょっと心配。 うんと寒い時は15年前のコートを相変わらず着ることでありましょう。
今日は次男が帰省。正月祝い第2弾という感じでした。明日長男が戻ってくるとすれば、第3弾ということになります。いいような悪いような・・・
| 2006年01月01日(日) |
新しい年は『ひとつ』を大切に生きたい |
 まず新年のごあいさつから。 あけましておめでとうございます。どうぞ今年もよろしくお願い致します。
当初の計画としては、夜中のうちに海、あるいは山へ出かけ、初日の出を見ようと心積もりをしていたのですが、なぜか挫折。 いつものようにすでに日が昇ってから起きだし新春のテーブルを整え新春を祝いました。
なんだかひたすらのんびりしたお正月で、わたしはめったに飲まない日本酒のためか、ちょっと横になるつもりが何としっかり眠り込んでしまい、起きた時にはもう日が沈んでいました。こんなことってあり???
今年の初読書は31日に本屋から届いた森永都子と芥川仁著、「呼吸する原っぱ」でした。年が明けてから眠る前に読んだのです。 わたしの知るみやさんの世界でした。優しいけれども、揺るがない核のあるストーリーでした。「はっ」、「はっ」と心が動きました。 そのストーリーはどこまでも『ひとつ』について書かれたお話です。そしてわたしはみやさんがここに書きたかった『ひとつ』が涙がでるほどよく分かると思いました。 ストーリーの中の一文を抜き出しておきましょう。 この日記を読んでくださっている方にはきっと「はっ」と響くものがあるのではないかと思うからです。 そして今年はここから始めようと思いました。
「ねこさんは、空き地のシンとしたしずけさのうちに、それぞれの命の、ただひたすら世界において真にひとつづつというふかさをおもい、崇高なきもちにみちてゆきました」
( 呼吸する原っぱ 森永都子著 「二級魔女ゆららの散歩道」より)
今年の初観、そして初泣きは映画always 三丁目の夕日でした。何しろわたしは暗くなるまで夢の中にいたわけですから今日の活動開始は夜でした。そこでmGと映画館のレイトショーに行くことにしたのです。その前に息子達が今夜こちらにはこないことを確かめて。(彼らは明日の夜にはやってくるもようです)
泣くとは聞いていましたが、泣けました。「愛」というのは泣かせてくれるものですね。そしてしみじみと心を暖めてくれるものですね。 昭和32年から33年にかけての物語。その年というのはわれわれがこの世に生を受けたばかりの頃。スクリーンのどの場面もただただなつかしいのでした。そして忘れていたものをいくつも思い出しました。
夕方になるとテレビのある家に近所の子供たちが集まって見せてもらっていたこと。しばらくしたらわたしの家にもテレビが入り、今度はわたしの家に近くの子供達が集まってきたこと。まだ冷蔵庫がないころ、お米屋さんをやっている友達の家で氷を入れて使う冷蔵庫を見てうらやましかったこと。枕元に置いてあったサンタクロースからのプレゼントがうれしかったこと。近所のおばちゃんやおじちゃんの暖かかったこと・・・ あの頃はまだ『ひとつ』を誰もが大切にしていたのかもしれません。 わたし自身もそうですけれど、時代が豊かになっていくことで置き去りにされてしまったことが確かにあることを思いました。 あの頃はよかったなぁと言うばかりでなく、わたしたちが失くしてしまったものを取り戻していかなくてはならないんじゃないかと、そんなことを思う2006年のはじまりの日でした。
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