たりたの日記
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2005年12月31日(土) さよなら2005年

只今の時間、2005年の午後11時45分。あと15分で今年が終わります。
今年はmGと二人きりの大晦日。二人だけの大晦日はこれで二度目で、実に25年振りのこと。息子達はどこでどうしているのやら、今日は携帯も通じませんでした。それぞれに青春しているのでしょう。

いくら二人とはいえ、やっぱりいつものように今日は朝からおせち料理を作りました。

筑前煮の材料を揃えた時、朝の光の中で食材たちがとても美しく、思わずカメラに収めました。そうですね、朝からこういう料理するというのは大晦日くらいだから、野菜達の姿を朝の光の中で見ることが新鮮に感じるのでしょうね。

根菜類を切り、椎茸を戻し、昆布だしを取り、にんじんは花形に。さやいんげんは色よく茹でて。
白い大根と赤い人参を合わせて紅白なますを作り、ゆずを散らす。
筑前煮を煮ている間、もう一つの鍋で母が送ってくれたぜんまいと干し筍を煮る。
叔父が育てて送ってくれた薩摩芋と紫芋で作ったきんとんは薄紫色。茶巾絞りにしよう。得意の黒豆は今日は無し。今年は黒豆が届かなかったからうっかりしていた。生協のおせちセットに入っていたので明日は間に合わせ、お正月の間に煮ることにしましょう。

「行く年来る年」が始まりました。そろそろ年越し蕎麦の仕度です。
いろいろな事がぎっしりと詰まった2005年でした。
多くの貴重な出会いに彩られていました。
心に深く染み入る事がいくつもいくつもありました。
この1年出会った方々、ここにいらしてくださった方々に心からの感謝を!
新しい年もどうぞよろしくお願いします。


2005年12月30日(金) 踊り納めと忘年会と <� 〜詈佞量攤拗�の天使>

今朝はmGとともに深夜2時半に帰宅し、ベッドに入ったのは3時でした。
終電はとっくにないですからシャルさんとmGとわたしとでタクシーで上尾方面へ。(あの時間、蕨駅前はタクシーを待つ人が列を作ってました!)それでもわたし達はみんなより先に帰ってきたわけで、他のメンバーはオールナイトだったようです。みんな若い!いっぺん、オールナイトというのをやってみたい気がしますが、翌日の事を考えるとね・・・
シャルさんもmGも今日は仕事、わたしも大掃除の続きがありましたから。

夕べは奈央せんせいのラテン踊り納めに蕨のスポーツクラブへ上尾のジムの我々も集合したのでした。ま、遠征のようなものかしら(やったことないですけれど)。
ラテンのクラスは午後9時からで、スタジオは前回の上尾のスタジオのように、さまざまなコスチュームで溢れていました。
わたしは前回同様ミツバチの着ぐるみ。前回この格好で45分は平気でしたけど、今回は60分。でも大丈夫でしたね。鏡に映るみんなの格好や表情を楽しみながら元気なミツバチでした。ミツバチになりきれば、人間の感覚はとんでしまうようです。日ごろよりアドレナリンの量が多く出ていることが分かります。くるくる回り続けても疲れずに最後になるほどノリノリになっていくのですから。
それにしてもスタジオのエネルギーのなんとも暖かいこと。
よそにお邪魔しているというのに、自分のところ以上にリラックスして躍れたのはどういうわけでしょう。

さて、ダンスの後はさっさかとシャワーを浴びて宴会会場へ急げ!
幹事のYちゃんが会場までみんなをピストン輸送してくれたので湯冷めしないですみました。
着いたところはモダン・タイムスという名前にぴったりのなかなか赴きのある店。いつものお座敷の宴会場と違って、狭い空間にみんなでひしめき合っているというのもいいものでした。

なんでしょうね。飲むこと食べること話すことよりも、そこに流れて交じり合っているひとりひとりのエネルギーを楽しんだという感じでした。(いえ、いえ、人並みに飲んで食べて話はしたのです。)話さなくても見ているだけで楽しいっていう気分・・・うまく言えないけれど。

そもそも宴会というものにこれまで縁がなかったからかもしれないけれど、話題をどうするかと考えたり、話に入っていけないとさびしかったり、人の言葉にハッとしたりチクリとしたり、誰にお酒を注がなくちゃとか、あの人と話をしなくちゃとか、けっこう気持ちが忙しくて、そういうもんなんだろうなと思っていたのですが、そういう余計な気持ちをなぁんにも使うことなく、ただただそこにいることが楽しいのでした。

そうですね。踊りっていうのは包み隠さずにその人の本性が現れるもので、澄ましたり取り繕ったりっていうことができない。言葉ではなかなか素の自分が出せなくても、踊っている時にはお互いに素の自分をもろ出ししているわけです。それって裸のつきあい以上かも。だからそういう仲間というのは自然と防御のようなものが無くなっているのでしょうね。防御のない顔というのは人を幸せな気持ちにさせる力があるのでしょう。

今日で3日目のなかなかはかどらない大掃除(というか、大片づけ)をやりながら、昨日のみんなのいい顔を思い浮かべてはにんまりするのでした。
そうした最中、ゼミ仲間のKさんからエンヤの新譜「アマランタイン」のMDが届きました。その歌詞が胸にじんわり広がってしみじみとしました。
今年贈り、贈られた、いくつもの愛のことを思って・・・


 You Know when you give your love away
it opons your heart.
everything is new.
And you know time will always find a way
to let your heart believe it true.
 ・・・・・・・・・・

ほら、愛を人に贈ると
心が開けられて、
何もかもが新しくなる。
そしてほら、時というのは必ず それが真実だと
あなたの心が信じるように導いてくれるもの。 
・・・・・・・・・・           (対訳:浅見もなみ)

                *



さて、我が家の天使たちの紹介、その1<窓辺の木細工の天使>

 写真は窓辺の天使。ずいぶん前、当時静岡に住んでいた弟の家族を訪ねた折、弟夫婦がプレゼントしてくれたもの。
いっしょにどこそかの牧場へ行き、そこにあった店のシュタイナーのコーナーに、蜜蝋の粘土やクレパス(ニューヨークのシュタイナー学校で買ったものがこの店で売られていて驚きました)などといっしょにこの天使が置いてあったのです。この天使はキャンドル立てになっていて、天使が持っているのは蜜蝋のキャンドル。

ルドルフ・シュタイナーというのはドイツの教育者ですが、彼が創設したシュタイナー学校が世界各地にあり、そこで使われている教具や画材、家具、こうした木細工やおもちゃなどを一般向きに作っては販売している店や通信販売が存在します。

この天使のフォルムはいかにもシュタイナーっぽい。シュタイナー学校の建物や教室の中の雰囲気、オイリュトミーの動きを思い起こさせます。


2005年12月29日(木) さいわいびと8、到着  < ★はるさんの天使>



27日、28日と終日大掃除に明け暮れているものの、なかなか進まない。
一日目はカーテンの洗濯とガラス磨きが首尾よく進んだものの、二日目はほこりにまみれたアンティーク人形の髪や洋服を洗ったり、またその服や帽子の修復などを始め、一年分の手紙等や資料、パンフレットのファイリングというやっかいなことをやり始めたものだから余計に部屋は散らかり、何とも収集の着かない状態になってきた。

ちょうどその最中にドアベル。
先日はるさんの個展で求めた「さいわいびと8」のお出まし。
きちんと大掃除を済ませたところでお迎えしたかったが、しかたない。
幸い、その絵を飾る壁の脇の窓もカーテンもピカピカだから、それで良いとしておこう。

付けていたパソコンのTVを消して、ふさわしい音楽をと探す。
これかな。
波多野睦美&つのだたかしのデュオ、ANCIENT SONGSが流れる。


丁寧な梱包を開くと、ギャラリーにあったあの天使が現れた。
ようこそ我が家へ。
予想どおり、南側の壁の一角のぴったりと納まりいい感じ。
わたしがでんと座ってパソコン打っているダイニングテーブルの真正面にそれは見える。

しいんと静かな天使の姿は音楽とも、庭の花々とも相性がいい。
我が家のあちこちにいる天使達ともきっと気が合うに違いない。
そういえば、気がつかないうちにいろんな天使が同居している。
トールペイントの天使とか、木細工の天使とか、わら細工の天使とか、まだいろいろ・・・そのうち紹介しよう。

 この記念すべき日のために何とか壁の絵を写真に収めたいとあれこれやってみたがガラスが反射してうまくはゆかない。
でも、まずは残しておこう。



この写真は波多野睦美&つのだたかしのデュオ、
ANCIENT SONGSのCD。
携帯でろうそくの灯りで撮ったのでひどくぼけてますが・・・












2005年12月28日(水) 繋がりの不思議

いったい出会いというのは不思議なものだ。
赤の他人だった人間とふとした事がきっかけで生涯同じ一つ屋根の下で暮らすようになるということはいくら考えても不思議でしょうがないが、ただ一度だけの出会いが生涯心の中で生き続けるというのもまた不思議なこと。さらにはイエスとの出会いのように、実際には一度も会っていなくとも、すべての出会いに先んじて自身の歩みを決定づけるような究極の出会いも存在する。

もともと出会いは不思議なものだが、それがネット上であると、さらにその範囲とスピードが増す。
振り返ってみれば、ネットで日記を綴り始めてからの4年間、新しい出会いの多くは実にネットに寄るところが多い。この一年間を特徴づけるM’Sのダンスチームとの出会いも、正津勉文学ゼミとの出会いも、そこにはネットが介在する。

また3年前のマオ・アキラ脚本、演出のミュージカルも、去年出版したわたしの本「育つ日々」も、始まりはネットからだった。
初めはネット上で言葉だけでやり取りし、その後実際に会い、交流を深めている友人もいる。

一昨日の日記に京都のみやさんの知り合いからメールをいただいたことを驚きと共に記したが、その方、kさんとやり取りするうちに、わたし達の間に意外な繋がりがあったことを知りさらに驚いた。

わたしは小学生の頃から結婚して埼玉に移住するまで、ずっと大分県の故郷の教会に通っていた。その当時大分県の中にある同じ教団教会は交流がさかんで、良く他の町の教会学校の生徒と交流会を持ったり、中学生キャンプや高校生キャンプ、また青年会の集まりを通して、県内の教会に集う仲間と顔を合わせる機会が多かった。そして牧師とはどこの教会の牧師とも顔見知りといった感じだった。若くてユニークな牧師が多く、文学の話、社会運動の話などさまざまに刺激を受けた。

さて本題だが、なんとKさんは同じ大分県にある町の教会に小さい頃から高校生まで通われていて、わたしの故郷の教会にも一度いらしたことがあるというのだ。わたし自身もKさんの故郷の教会へ少なくとも三度は行っているし、その教会のの女性牧師Y先生の事も記憶している。とすれば、小学生か中学生の時、Kさんと行き合っていても不思議はない。

Kさんがみやさんの住所を知らせてくださった。常に心の中にありながら、またネット上でもみやさんの事を書きながら、それでもその住所宛に手紙を送ることに畏れ多さを感じ今日は何も書けなかったが、みやさんの新刊本が見つかったので注文した。


「呼吸する原っぱ 」森永都子・芥川仁/世織書房 1,050円
(森永都子さんのこころあたたまる童話と芥川仁さんの素敵な写真が一緒になりました)


2005年12月27日(火) 初プリクラ


12月7日の日記に英語教室に来ている小学校5年生の女の子達からプリクラいっしょに撮って!とお誘いがあったことを書いていますが、昨日、無事に、彼女達との約束を果たすことができました。

Mちゃん、Hちゃん、Aちゃんとわたしの4人。10時半にバス停に集合。わたしは歯医者が終わってかけつけました。それにしても寒い日でした。彼女達は自転車で行くと言っていたのですが、子ども達を引率して自転車でというのはあまりにハラハラするのでバスで上尾まで行くことにしました。

このクラスの子ども達と出かけるのは初めてのこと。今まではどこへ出かけるのも親といっしょだった彼女たちが、自分たちだけでバスや自転車で隣町まで遊びに行く時期がいよいよ始まったようです。

Mちゃんは「先生にダメもとで誘ったんだけど、いっしょに来てくれるとは思わなかった」と言ってましたが、わたしとすれば、良く誘ってくれたものだと有難く思いました。いえ、プリクラに魅力があったのではなく、教室を離れて彼女達がわたしを遊び仲間に加えてくれるということがなんとも愉快でうれしい気持ちがしたのでした。
これはわたしに娘がいないということもあるのかもしれません。少女達といっしょにいるとわたしの内なる子供が喜ぶような気がします。確かにクリスマスの諸々がようやく終わって大掃除など暮れの忙しさも迫っては来ていますが、こういうことは大切な機会ですものね。

いつだったか、英語を習いに来ていた小学校5年生の3人女の子を「千と千尋の神隠し」の映画とスーパー銭湯へ連れていったことがあって、その事も日記に書いていますが、あの時も楽しく英語のクラスのことよりも良く覚えています。あの子達は今もう中学校3年生、受験の季節。いっしょにお風呂入ったこと覚えているでしょうかね。

ところで、プリクラ、その存在は知っていましたが、遊んだのは初めてでした。証明写真を撮るような感じだろうから10分もすれば済んでしまうんだろう、その後何をして時間を過ごそうと思っていたのですが、プリクラだけでほぼ予定の時間が満ちました。そして、これはプリクラを作るという遊びだということがやっとわかりました。


限られた時間の中で、写真を撮り、そこに落書きをしたりいろんなプレームを選んでを付けたり、スタンプや連続模様など、パソコンのお絵かきソフトの要領で、いろいろなデザインを作れるようになっているのです。時間の制限があるので、早いテンポで選択をし、作業をしなくてはならないので、ゲーム性があります。100円で6回の撮影ができるので、4人いれば24回のい撮影のチャンスがあり、写真も一回で4つまで選べるので、最高16種類のプリクラを得ることができるというわけです。なかなかクリエイティブで、作品が手元には残るし、しかも100円でそれができる!これは小学生にはぴったりの遊びでしょう。

この遊びにもいろいろとコツがあって、それを彼女達から伝授してもらいました。時間を有効に使う為に、あらかじめポーズなどを打ち合わせておくこと。ポーズは何もピースサインばかりじゃなく、「シャキーン」とかHGのホ〜ッじゃなくて、「フォー」とか(YUKIさんご指摘、ありがとう)、パンチとか。顔の表情も「呪い」とか(コワッ)、水に溺れているところ、寒い〜、シクシク、痛〜い、などなど・・・
英語のクラスの時には「Make a sad face 」なんて言ってやらせようとしても、照れてやらないくせに、彼女達の役者なこと。それに比べてわたしは演技力が足りてません。
ここで授業やればいいかもしれないな・・・おっと、こういうところで教師根性を出してはいけませんね。

ミスタードーナッツでドーナツを食べながら、戦利品のカードを切り分ける作業。一人2回つづやったので大小さまざまな32種類ほどのプリクラが手元に残りました。時間はあっという間に過ぎ、帰りのバスまで30分はゲームコーナーでユーフォキャッチャー。わたしは絶対に取れない自信があるから彼女達にカンパ。Mちゃんひとりしか取れなくて、HちゃんとAちゃんは戦利品がなくてしょんぼりしていたのがちょっとかわいそうだったけど、それにもまた耐えなければ。

3時過ぎ、彼女達をバスに乗せて、わたしは電車でそのままジムへ。
この日はプール、ボディーパンプ、ラテン。ラテンには仕事帰りのmGも合流。帰り道、初プリクラの話がウケました。


2005年12月26日(月) 京都のみやさんの知り合いからメールが届く

昨日のクリスマスの夜、思いがけないサプライズがあった。
受信トレイに「水俣を詠う詩人」というタイトルのメールが入っていた。
心臓がドキンとなる。
もしかして、みやさんから?
そうでなくても、みやさんを知っている人から?

メールの主はみやさんの大学の後輩の方だった。わたしのサイトのエッセイのページで「水俣を詠う詩人」を読み、それがきっかけで30年ぶりにみやさんと連絡を取り、手紙などのやり取りが始まったと知らせてくださったのだ。
「みやさんはあの時のままですよ」いう言葉がひどくうれしかった。

ネットで物を書き始めた4年前、とにかく、心の中にしまい込んでいる印象深いこと、大切な思い出を思いつくままに次々と書いていった。読者を想定することもなく、ただただ自分と向かい合って書いていたように思う。京都のみやさんとういうタイトルで書いた日記は2001年の6月30日。ネットで日記を書き始めて3ヶ月ほど経った時の日記だ。
確かその時わたしはサバを調理したのだ。フライパンを覗き込んだ時、みやさんの事が蘇ってきたのだった。わたしはその時起こった強い思いのままにキーボードを打ったらしい。

かなり感情的な文章だが、今でもこの文章を読むとみぞおちの部分がきりきりと痛い。この文は誇張でもなんでもなく、正直なわたしの思いだったことが分かる。この文章を書くことで、ずっと心にあったことを一旦自分の外に出した。そうすることで、思い出の中のみやさんがはっきりとした輪郭を持って、それまでよりもずっと近い距離でそばにいるような印象へと変わった。

「会ったことの意味が分かるだろうか」とわたしは問うている。

今、はっと閃くものがある。
みやさんはイエス的な人だった・・・と。

少なくともわたしが信じてその後を歩いていこうと決心した時に掴んだイエスの面影を持っていた。
クリスマスの日、わたしはみやさんと再会する道筋を見つけていただいたようでうれしかった。


2005年12月25日(日) 初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。




聖降誕日礼拝に出席する。
クリスマスのメッセージ、テキストはヨハネによる福音書1章1−14。
冒頭の言葉。
この不思議な言葉がストンと自分の内に納まるように感じた。

「初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。」

メッセージの中で受け止めたこと。
言(ことば)はギリシャ語のロゴスを日本語に置き換えたもの。ロゴスの意味するものは天地宇宙を支配している理性、原理。そしてこれはイエス・キリストを示す。

1800年代の中ごろ、マカオで中国語に聖書を翻訳したプロシアのギュツラフは、遭難してマカオに漂流してきた3人の漁師の助けを借りて、聖書の日本語訳を試みる。
彼が訳したヨハネによる福音書の冒頭はこうだ。

「はじまりにかしこいものござる。
このかしこいものごくらくにござる。」

言(ことば)は単なる言語ではない。生きて血の通った方。ロゴスが受肉し人間の形をとった、それがイエス・キリストに他ならない。このギュツラフの和訳は意味深い。かしこいもの―ロゴス、人となった宇宙の理性、神そのもの。

クリスマス、ことばが肉となった日。
闇の中に光の来た日。



  <ヨハネによる福音書>
             1:1−14

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。
彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
彼は光ではなく、光について証しをするために来た。

その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。

この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。


2005年12月24日(土) 恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。




クリスマスイブの朝、遅く起きてみると雪国からの雪景色のメールが届いていた。
こちらは青空の広がる良いお天気。

さて、今日は今日と明日、教会のティータイムとポットラックパーティーのためのバナナケーキをどっさり焼く日。
クリスマスキャロルを聴きながら小麦粉にまみれて。
焼けるのを待つ間に手紙とカードを書きましょう。
このことだけに集中できる時は案外楽しいもの。

外が暗くなる少し前、焼きたてのケーキを抱えて教会へ。
自転車と電車と歩きで40分ほど。
出かける時、郵便受けから取り出したクリスマスカードとプレゼントの包みを電車の中で開ける。
包みは本、小島誠志著「神の庭にやすらう」。その昔、いっしょに教会学校へ通った幼馴染からのプレゼント。
小さい頃の教会でのクリスマス会や家家を歌ってまわったキャロリングの事を思い出す。
カードはネットで知り合った日記仲間のFさんから。闘病日誌を書いておられるが、退院されて少しづつ回復されていることを聞いてうれしい。

今年のキャンドルサービス(燭火礼拝)には教会学校の子供達による小さなページェントが組み込まれている。天使がマリアに受胎を告げる場面の簡単な台本を書き、賛美歌にある歌詞を取って子供達が歌いやすい旋律を施したのだが、5人の子ども達がすてきに演じてくれた。いっしょうけんめいな声と顔、微笑ましく見ている人々の顔。

クリスマス・メッセージ「恐れるな!」は 研修中の韓国女性の神学生Yさんから伝えられる。彼女の「恐れるな」という繰り返しの言葉は静かで深い響きがある。

ネットで知り会ったHさんがご主人と小さなお子さんといっしょに来てくださり、mGとともども記念すべき初対面。
Hさんは、毎年クリスマスに教会でトロンボーンを演奏してくれるYさんのお友達。Yさんたちの吹奏楽器の演奏もすばらしく、礼拝が華やいだ。




ルカによる福音書
   2:1−10


<イエスの誕生>

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。

ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。

ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

<羊飼いと天使>

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、、地には平和、御心に適う人にあれ。」

天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。

聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。


2005年12月23日(金) クリスマスの贈り物


クリスマスといえばプレゼント。
なぜクリスマスにプレゼントをするのか。聖書の世界とサンタクロースは関係ない。贈り物の由来にはこんなお話がある。

イエスが生まれた頃、東方の占星術の学者が、空にひときわ輝く星を見つけ、その星がメシヤ(救い主)が生まれた徴だと知り、それぞれ黄金、乳香、没薬の救世主への贈り物を携え、その赤子に見えるために、はるばる旅をし、贈り物をした。
クリスマスに贈り物をする習慣はこのことがもとになっていると聞いた。それは日本のお歳暮の感覚とは少し、いやずいぶん違うような気がする。

アメリカにいた頃、子供達はクラスの先生に差し上げる小さな贈り物とクリスマスカードをバックパックの中から取り出す。
また、家庭ではクリスマスの日、家庭のゴミを集めに来てくれる作業員の方や、郵便配達、新聞配達の人に、プレゼントやお金の入ったクリスマスカードを手渡す。
教会などではバスでホームレスの人達を教会に招き、冬の間の宿と食べ物を提供する。
子供達がもらうプレゼントはサンタさんからのものだけではなく、クリスマスツリーの下に、いろんな人からいただいたプレゼントが毎日増えていく。
クリスマスの朝までプレゼントは開かれない。
クリスマスの朝は、みんなパジャマのまま居間に集まり、プレゼントのオープニングがスタートするというわけ。

値段やその物の物品としての価値というよりは、想いを届けるという感じだろうか。わたしも以前はクリスマスの前にはフルーツケーキやクッキーをプレゼント用に山ほど焼き、またクリスマスの飾りなどの手芸品をこしらえ、友人や近所の子供たち、保育所の先生方、文庫にやってくる子供達にと、ささやかなクリスマスの贈り物をあげたものだった。


プレゼントといえば、この日、あっと驚くプレゼントが届いた!何と存在感のある、強い主張を持ったバッグであること。わたしがいつも下げている薄汚れたバックパックや、古めかしい皮のバッグとはえらく世界が違うが、「どうよ!」と大きな顔して、気合を入れて持ってみたい気がした。


今日はこのバッグを下げて、夕方、同居人と丸の内にイルミネーションを観に行った。例のミレナリオは明日24日からということで、残念だったが、それでも街路樹に灯された美しいイルミネーションを楽しむことができた。
この街歩きもまたクリスマスの贈り物。






2005年12月22日(木) さいわいびとがやってくる

アンサンブル・エクレシアの「ノエル」、フランスの古いキャロルが流れています。クリスマス近くのこの時期にはこのCDや同じ演奏者の「古いイギリスのキャロル」、「聖母マリアの子守唄」(これはイタリアの古いキャロル)を繰り返し聴いています。

よく街に流れているキャロルとはちょっと赴きの異なるこのひそやかなキャロルは暗い部屋のキャンドルの光と良く似合います。はるかに遠い昔の音楽ではあっても、それは今の時を生きているわたしの中に、この身体をいただく前から染み込んでいたようなそんな切ないほどの懐かしさを覚えるのです。

昨日、銀座のギャラリー惣、はるさんこと榎並和春氏の個展会場でもこの曲が流れていました。CDとして売られているのですから、当然他の場所でも聴かれ得るものなのに、自分の心の中で鳴っている音がどうしてここでも鳴っているのだろうなどと思ってしまうのでした。

ギャラリーの絵の間をアンデスの笛の音も流れていました。初めて聴く楽器の音や節であるにもかかわらず、どこか懐かしく、すでに知っているという感覚が起こるのでした。そういう意味でははるさんの絵もそうです。すでに知っているというような懐かしさを覚えます。音は一枚一枚の絵と時を越えて響き合っているようでした。

絵の印象は渋い金色、黄土色、深い黄色・・・しいんと静かなもの「静謐」がはるさんの絵のひとつの特徴だとわたしは感じているのですが、その静まった中に、喜びの光のようなもの、ふつふつと命に溢れるものも感じるのでした。

ギャラリーの中央のテーブルでおいしいコーヒーとお菓子をいただきながらはるさんとKさんと3人で、絵のテーマや画材のこと、「あそびべ」の言葉の由来や音楽のことなどおしゃべりができて楽しいひとときを過ごしました。

ここ1,2年の大作がまとめて展示されている今回の個展でしたが、奥まった部屋、ギャラリーのオーナーのオフィスの壁に小品が何点か掛けてあることが後になって分かりました。
奥の部屋を覗いて見ると、絵の中に1枚、天使の絵がありました。いつだったか、はるさんがこれまでのDMを送ってくださったことがあって、その中に「さいわいびと」というタイトルの白い天使の絵がありました。その絵が買いたいと思ったのですが、うかがってみると、それはすでに買われていて手元にないということでした。幸い、さいわいびとはシリーズでこれからも描かれるということだったので、そのうち、何番目かの「さいわいびと」に会えるだろうと思っていました。

はじめその絵を見た時は、「あ、天使!」と思ったものの、その絵はまだわたしから遠かったのです。他の絵と同様、素敵な絵だけれど、ここに属するもの、誰かのものという感じでした。
ところが帰る前にもう一度見ておこうとその絵を遠くから見た時、ふっとその天使が動きました。いいえ、ビジュアルに動いたというわけではありません。それがすっとわたしの内側に入ってきて留まったといった感じでしょうか。その瞬間、この天使はわたしのもの、わたしの部屋にあるはずの絵、という「必然」が起こりました。
その時、ちょうど今聞いているフランスの古いキャロルの一節がわたしを促すように響き、その時と重なりました。


わたしは物を買う時はたいていひどく迷い、そのことがしんどくて買い物自体が嫌いという人間なのですが、この絵を買うかどうか、あるいはどちらの絵にするかというような迷いが少しも起きないことは不思議でした。
買い物モードではなく、この歌を習おう、この踊りを踊ろう、この本を読もう、この勉強会に参加しよう、この人に会おう、というように、考えるより先に行動するという何かを始める時のモードに近いものがありました。


というわけで、28日にはここへ「さいわいびと」がやってきます。
そのことがとても楽しみです。


2005年12月21日(水) ギャラリー惣へ

今日は昨日の日記の予告通りにゼミ仲間のKさんと共に榎並和春氏の個展、「こたえてください」を観に、銀座のギャラリー惣へ行ってきました。
良い出会いがありました。
詳しい事は明日の日記で。

今深夜の1時。書きたい気持ちはやまやまですが夜更かしは止めておきます。今日こそ、日記の読者の方から身体の信号を聞いて無理をしないようにという有難い忠告のメールをいただき、わたしはそうしますとお約束したばかりですから。

では、ふつふつとうれしい気持ちをかかえて眠りに就くこととします。
みなさん、おやすみなさい。
 

              *

↓の写真は日記とは関係ありませんが、
礼拝堂の祭壇の下に飾られているナティビティーを映したものです。










2005年12月20日(火) 4つのクリスマスクラス終了!

つくしんぼ保育室での英語クラスの今年最後のクラス、そしてクリスマス会。またお母さん方をお招きしているから、ある意味父兄参観のようなもの。さらにはネイティブの英語教師を招いてやるから、ネイティブとのティームティーチングであったり、通訳であったりする。

そういうわけだからクラスのねらいがいくつもある。
1、ネイティブの英語に触れる
2、クリスマスの意味を伝え、欧米のクリスマスの祝い方を伝える
3、親に日ごろのクラスの様子や今学習しているところを見ていただく。
4、クリスマス会らしく、ダンスや歌やゲーム、プレゼント交換で楽しく盛り上がる。
5、ココアとマシュマロのスナック(小麦粉のアレルギーがある子がいるので、クッキーやケーキが出せないため)をサーブする。
6、子供達にプレゼントを渡す。

全体でやるイベントではなくて、あくまでクラスなので、午前中の幼児とお母さんのクラス(このクラスはネイティブの先生はなし)、幼稚園児クラス、小学校低学年クラス、小学校高学年クラスの4クラスでそれを行うので、ちょっと大変ではある。
ま、何とかねらいは果たせたかな。
今年は近くの区民会館を借りて行ったので、部屋が広くてよかった。

ある姉妹のお母さんから、子供が家に帰って、姉妹で英語ごっこをして遊んでいて、習った歌をいつも歌っているのでうれしいと伝えていただいた。
他の子達はどうか分からないが、英語クラスのねらいはここ。いわゆるお勉強ではなくて、他の言語の持つ面白さを知り、それで遊ぶこと、楽しむこと。だからわたしの仕事は教えるというより、子供たちがその世界の豊かさを掴むよう促すこと。
今年のクリスマス会も心に残るものであってくれるといい。



高学年のクラスのお母さん達がネイティブの先生とわたしの両方にクリスマスのお花を下さった。また他のクラスのお母さん方もクリスマスのプレゼントを届けてくださった。感謝!


2005年12月19日(月) 時は満ち、時は進み

この季節の課題がひとつずつ終わるごとに心が軽くなり、アドベントの時期に欲しい静けさが戻ってくる。
今日は、明日の準備が終わったところで、庭の月桂樹の枝を切ってきて、ローレルのリースを一つと、ローズマリーの飾りを作ったりした。

今日、「育つ日々」感想掲示板に、珍しく書き込みがあることを知った。
この掲示板に一番のりで書いてくださった葉子さんが、また顔を(顔は知らないのだが)見せてくださった。「すべてのことには時がある」・・・その時が満ちたことがうれしい。

さて、わたしの方の時も進行し、昨日ようやく甥っ子たちや親たち、友人達の小包つくりが終わった。6個の小包を宅配に出し、明日の4つのクラス分の子ども達のプレゼント、紙皿紙コップ、ゲームの類を玄関に山積みにすると、ここのところずっと部屋を占拠していたダンボール箱やラッピングペーパーといった恒例のとっちらかりがようやく片付き、ほっと一息。
後は楽しいイベントを目指すだけ。


子供を楽しませることにかけては才能があるアメリカ人の英語教師のAに手伝を頼んでいるので子供達のリアクションも楽しみなところ。子供達は夏にも彼女に会っているがお母さん方は初めての対面だ。さてどんなクラスになるだろう。

午前中のクラスが終わって、12時過ぎにAを駅に出迎え、近くにある林の中のギャラリーカフェで、打ち合わせをしながらゆっくりランチの予定。
今、このギャラリーではいろいろな手作りランプの工芸品が展示されているはず。こういうカフェはアメリカにはまずないからAは驚くだろうな。こちらの反応も楽しみ。

さて、残りの時間は今年最後のクラスになった、明後日の英語の歌のクラスの準備に当てよう。クラスの前にはKさんと銀座のギャラリーへ。はるさんの個展へ行く予定。

この日記を書いている途中に雪に埋もれているだろうSから電話がかかった。恒例の大量バナナケーキを無事焼き終え、皆から喜ばれたことの報告。そもそもSからの初めてのメールが日記に書いてあったバナナケーキのレシピを教えてくれというものだった。
文字が、実際にバナナケーキになり、文字だけではなく数日前には生Sと紅葉の残る公園を歩いたのだから、こうして文字を綴り続けることがまたどこかへ、何かへと繋がっていかないとも限らない。





2005年12月18日(日) 英語学校のクリスマス会

今日の主日でアドベントクランツのろうそく4本に火が灯った。
ということは教会暦では待降節から降誕節へと移行したことになる。クリスマスが来たのだ。

昨日の日記に書きそびれてしまったが、昨日は英語学校のクリスマス会だった。英語学校のクリスマスは子供のパーティー、大人のパーティーと分かれてやっていたが、今年はネイティブの教師Aの提案で大人と子供がいっしょになってクリスマスを祝うことになった。
というのも、日本ではクリスマスはデートする日、恋人と過ごす、ロマンティックな日ということになっているが、本来クリスマスのお祝いは家族で祝うもの。日本のお正月のようなものだ。
そこで、今年はファミリーにフォーカスして、大人の生徒さんは、自分の子供や孫を連れてきて、子供の生徒はお母さんやお父さんを連れてくることを勧めたのだった。
参加人数は40人くらいで、お孫さんやお嫁さんを連れていらした方、お父さんお母さん、子供達2人、家族そろって参加された方もいらした。


前半は礼拝堂で英語ドラマのクラスとわたしの英語の歌のクラスのパフォーマンス、子供達向けの絵本「What Is Christmas?」の読み聞かせを、ネイティブの教師とわたしとで。そしてみんなでクリスマスキャロルを英語と日本語で数曲歌った。
英語の歌のクラスの3人がそれぞれソロで歌ったが、一人一人の声や歌い方に特徴と持ち味があって、歌を聴いているとその人そのもののエネルギーが伝わってくる。誰かの真似やお手本通りというのでもなく、他の人に合わせるという歌でもなく、自分自身を表現する歌を、というこの歌のクラスの願いがカタチになってきているようで感慨深かった。

その後ホールで子供と大人がいっしょになって、ラッピング競争とピクショナリーというを楽しむ。知らない大人と子供がいっしょになって遊ぶ場面というのはそうはない。ふと子供の頃の教会での祝会を思い出す。あの時、そうしてここの大人の人達は子供をじゃまにしないんだろうと何か不思議だった。さて、今年の英語学校のビッグイベント、無事に終了。
後は24日のクリスマスイブのキャンドルサービスと25日の教会のクリスマス祝会。この日のポットラック(持ち寄り料理)のメニューは何にしよう。たりたの定番はミートローフかバナナケーキ、ビーンズサラダ、ペンネのミートソース和えのいずれか。いつもと違うものをこしらえてもいいかな。後でゆっくり考えよう。

キャンドルサービスではマリアの受胎告知の場面を教会学校の5人の子供たちで受け持ち、歌と台詞の簡単な劇にする。今日は教会学校の後、天使とマリアの役の子の衣装合わせをした。天使の衣装はわたしがはるか昔に着たウェディングドレス。ハイネックでストンとしたシンプルなものだったので、天使用にちょうどいい具合だった。
わたしがメロディーをつけた「おはようマリア」の歌が子供達のかわいらしい声で歌われるのを聴くのはうれしい。
風邪ひいたりしないで、みんな来れますよう。

(トップの写真は教会のカラサワさんの作品)


2005年12月17日(土) ミツバチハッチになった日

今日、わたしはミツバチだった。
夜のラテンのクラスはコスプレでということだったので、わたしは来年のハロウィンのために早々と仕入れておいたミツバチの着ぐるみを着ることにする。しかし、これ、実はパジャマ。ファッションセンターしまむらのパジャマコーナーに、着ぐるみ仕様のさまざまな動物のパジャマがあったのだ。パンダにライオン、犬にクマ・・・どれも着てみたい気がしたが、ミツバチのシマシマと背中の羽根が気に入ってミツバチを選んだのだった。
パジャマで踊るってありかなぁ〜。

でも、暑いよね、これ着て踊るの。
それでなくても奈央さんのラテンは半端じゃなく汗が噴出すので有名。これ着て踊れるのはせいぜい10分くらいだろうから、脱いでも大丈夫なように、普通のウエアーの上に着ぐるみを着て踊ることにした。

ふふっ、みんなすごっ。HG、女HG、Tバック、メイド、セーラー、サンタ、
うさこちゃん、クリスマス・ツリー、河童、ピエロ、サタデー・ナイト・フィーバー風、これはmG。
そんな格好でいっせいにラテン踊るものだから、スタジオの外のギャラリーもすごいものがあった。

で、わたしはというと、衣装を着て踊り始めるやミツバチなりきってしまった。そうするともうダンスクラスではなくパフォーマンス気分で、暑さなどは感じない。ただただミツバチになって45分、着ぐるみを着たまま踊ったのだった。
これで暑さを感じないというのはしかしどういうことだろう。
もしかしてここ3週間ばかり、運動する時はずっとターボセルという厚いゴムでできたサウナスーツのようなものを着て運動していた。これはもう眩暈がするほど暑くて、その分汗の量も凄い。それに比べれば、着ぐるみは楽だったかもしれない。

ところで、この日のラテンの振り付け。さすが奈央先生。ちゃあんとそれぞれのキャラクターが振りの中に入っていた。ハチの羽根をバタバタさせる振り、HGのホ〜ッのポーズ、うさぎの耳ピヨコ、ジョン・トラボルタ、メイド風、ピエロのおどけた振り、河童のカエル風ジャンプ、まだまだあったかも・・・。
何とファンタジックなダンスシーンだったこと。

コスプレラテンの後、10時からエムズファミリー上尾組の忘年会。
途中、ぽんぽこだぬきとサンタレディーとピンクレンジャー3人がマイヤ・ヒーの音楽と共に乱入。ピンクレンジャーは何と、ここに来ることを秘密にしていたMちゃんだった。
うれしいサプライズとみんなの笑顔。
楽しいお酒とおしゃべり。
サタデーナイト・フィーバー、素敵な忘年会。


2005年12月16日(金) 友遠方より来る また楽しからずや

遠方より来たSと一日都内で遊ぶ日。師走の忙しさの中の休息の日。
その時のお天気と我々の気分に合わせて選択しようといくつかのコースを考えていた。上野公園、美術館コース。渋谷文化村、ミュージアム&ギャラリーコース。吉祥寺、井の頭公園コース、新宿、うたごえ喫茶ともしびコース。このどれかのコースを組み合わせ、仕上げは池袋のダブりナーズアイリッシュパブというのが一応のプラン。

この日は信じられないくらいの快晴で、風もなく冬の散歩にはもってこいの日和。わたしはもとより人混みよりは自然が好きだし、すでに銀色の世界に閉じ込められているSもまた紅葉の残る公園に心が惹かれるということで、吉祥寺、井の頭公園コースに決定。

まず、公園を歩く前に軽食をと、Sが好きそうなお店、文学好きのオーナーがやっている三鷹の文鳥舎へ行ったところ閉まっていた。ネットではティータイムが10時からとあったのだけどな、残念。
三鷹駅まで戻る途中、なかなか由緒正しそうな鯛焼き屋さんが眼に入る。その店の前にはベンチが置いてあって、どうやら焼きたてのアツアツ鯛焼きをここで食べられる仕組みになっているようだ。
「食べよ、鯛焼き!」
外側がかりっとして中はもちっとした皮、舌を焼きそうにアツアツのあんこ、また道端で食べるというのが非日常で良いのだった。

さて、昼食。
たまたま入った吉祥寺の駅のすぐ側の地下のカフェ、名前を記憶していないが、その古めかしさと静かな感じがSの雰囲気にぴったりだった。一人で来て本を読んだり原稿を書いたりするのによさそうな場所。ここで、ようやくゆっくりと一年振りの再会を喜ぶ。Sとは昨年9月の高橋たか子さんの朗読会以来。思えば、あの朗読会に遠くに住むSが誘ってくれて、それから始まった文学ゼミや山やお酒と身辺はいろいろに変化したのだった。

 いよいよ井の頭公園。ここへは今年の桜の時期に来た。山行きの帰り、夜桜の下での宴会だった。水に映る桜の古木の姿がなんとも美しく、あの木が夏や秋にはどんな具合になっているのか公園を歩いてみたいものだと思っていた。
この公園をSと歩くのは格別。わたしのファンタジー度数も高い方だが、彼女のファンタジー度数は相当なもので、まるで尾崎翠の本の主人公といっしょに歩いているような気分になる。
わたしはふと男になった気分で

「シモーン、おまえは好きか、落ち葉ふむ足音を・・・」と、くちづさむ。
途中までしか覚えていないけれど・・・
Sがその詩のこと教えてと言ったから、後からこの日記に貼り付けておくとしよう。いつかの秋にこの詩を日記に書いているはず。
そう、木々にわずかに残っている紅葉や葉をすっかり落とした枝ばかりの桜の古木、小路を覆う落ち葉、水鳥、12月の公園は美しく趣があった。

もう日も傾いてきたので、公園を出ようとしたところ、ブルースハープとギターの音が聞こえてくる。音の方へ行ってみると、ちょっとおもしろそうな元気のいいストリートミュージシャンのおじさんがブルースっぽい歌を歌っていた。その熱っぽさは日本人離れしていて、まるでセントラルパークのストリートミュージシャンみたいだと思う。
Sとわたしが側のベンチで聴いていると、まるでわたし達二人のために歌ってくれているようだった。ラテンですっかり声出しが癖になっているわたしは聴きながら、思わず合いの手が入り、おじさんの演奏はさらに熱が入っていたような・・・


 予定の通り、最後はアイリッシュパブ。ここは以前、ゼミ仲間のKさんから連れてきていただいたお店で、ここにもまた来たいと思っていた。たくさん歩いた後この落ち着いた空間にどっかり腰を降ろすのは心地よい。ギネスビアとフィッシュ&チップスで最後の時間を楽しむ。

時間が来たので、Sを浜松町のモノレール乗り場へ見送る。今度はいつ会えるだろうか・・・
わたしはそのまま京浜東北線で大宮へ。電車の中では空席が見つけられたものの、10数名のすっごくけたたましい高校生の集団が側で陣を張っていた。こんなにうるさくては眠るに眠れないと思いながらも、いつの間にか終点まで熟睡していた。

友遠方より来る また楽しからずや。


<付録>  


    落ち葉      

             ルミ・ド・グールモン
             堀口大学 訳 (訳詩集 月下の一群 より)


シモーン、木の葉の散った森へ行かう。
落ち葉は苔と石と小径とを被っている。


シモーン、お前は好きか、落ち葉ふむ足音を?


落ち葉の色はやさしく、姿はさびしい、
落ち葉は儚く捨てられて、土の上にいる!


シモーン、お前は好きか、落ち葉ふむ足音を?


夕べ、落ち葉の姿はさびしい、
風に吹き散らされると、落ち葉はやさしく叫ぶ!


シモーン、お前は好きか、落ち葉ふむ足音を?


寄りそえ、われ等も何時かは、哀れな落ち葉であらう。
寄りそえ、もう夜が来た、さうして風が見にしみる。


シモーン、お前は好きか、落ち葉ふむ足音を?




2005年12月15日(木) モミの木のリース

昨日の英語の歌のクラスの後、Yから手作りのフレッシュグリーンのリースをいただく。

彼女が去年作ってくれたリースは先週の水曜日の日記のところにアップしてあるが、自分で育てた植物や集めた材料で作った特製リース。
フレッシュグリーンだから長持ちはしないだろうけれど、クリスマスから新年にかけて、この新鮮な緑を楽しめるのはなんとも幸せなこと。

そして今日、驚くべきプレゼント。遠くに住むSが、この日記にアップしていたジョン・レンボーンといっしょに映った写真をフレーム入りの大きなカレンダーに作って送ってくれた!
これも世界にひとつだけのプレゼント。

バタバタと気ぜわしいわたしは、庭のローレルをなんとかリースにと思っているばかりで一個も作っていない。今年はバナナケーキやクリスマスクッキーさえも作っていない。今日、子供たち40人分のプレゼントはようやくラッピングをすませたものの、甥っ子や親たちのものはまだパッキングもできていない。きっと物事を処理する能力が低下しているのだろうな。歳のせいだ・・・

いや、もしかすると酒のせいかも。
この一年(もう一年が経ってしまった)ほぼ毎晩のようにお酒を飲み続けた。気分はとてもいいし、ストレスもなくなるのだが(昔からなかったんじゃないの?と突っ込む人もいるかもしれないが、それなりに心の疲労はあるのです)、夜がんばって何かに取り組むということをしなくなった。ただただ弛緩している。ジム通いは別、いやそんなことないか、あれも目的はリラックスだもんな。

で、ミスが増えた。
前からわたしの日記のミスの多さは定評があったが、それがさらにひどくなったと自覚している。だいたい、ほろ酔いかげんで、それもかなり眠くなった状態で書くものだから、朝になって読んでみると必ずいくつか間違いが見つかる。昨日の日記なんてひどかった。タイトルからして間違っていた。今朝はパソコンを開かないままだったから。夜遅くなって日記をチェックするまで、再会が再開と変換ミスのままだった。
今日は50人くらいの方が日記を読んでくださったようだが、なんとも恥ずかしい・・・
誰が読んでくださっているかは分からないものの、さぞかしあきれられているだろうな。
「また、たりた、間違っているよ〜」と声が聞こえてきそうで、「スイマセン」と思わず頭を下げてしまった。

というわけで、反省のため、今日は一滴も飲みませんでした。
この日記をちゃんと読み直してから間違いを訂正し、それから飲みます。
さて、飲もっと。


2005年12月14日(水) 再会

いろいろな出会いがあって、また別れがあって、それからまた時が巡って再会の好機に恵まれることもある。

先週の日曜日の午後、クリスマスショッピングのために、めったに行かないデパートへ足を運んでいる時、呼び止められる声を聞いて振り向く。
あっ、Yちゃんのお母さん!その人の名前より先にYちゃんの姿が浮かんだ。我が家の次男とYちゃんは小学校4年生の時の同級生。その小学校にいたのはわずか1年半という短い期間だったので、知り合いになった母親仲間は少ない。声をかけてくれたのは、その中でも数人親しくしていたお母さん仲間のHさんだった。会うのは確か10年振りのこと。

こみあげてくる懐かしさがあった。彼女は募金活動の最中だったから話し込むというわけにはいかなかったので携帯番号を教えてもらい、その夜に電話する。もう一人親しくしていた次男のクラスの母親仲間Sさんも、引越し先から近頃また、こっちに戻ってきたらしい。それならいっしょに会いましょうと話がまとまって、今日10年振りに再会を果したというわけだ。

三十代半ばのまだ若いとも言える年代から、お互いに大学生を持つ身になってしまった。
過ごしてきた場所も仕事もそれぞれ違っていたものの、10年前といきなり繋がったような感覚・・・面白かった。時間と空間のブランクなどなかったように親しくおしゃべりする。

二人ともわたしの職場の近所に住んでいるからこれからのちょくちょく会うことができそうでうれしい。さっそく1月に新年会を約束して別れた。


2005年12月12日(月) 安岡章太郎著 「伯父の墓地」を読む

   

今年最後のゼミのテキスト安岡章太郎著「伯父の墓地」を読む。安岡章太郎と聞いた時、いつ頃までだったか同居人の書架の中に「なまけものの思想」という本があったことを思い出した。当時、育児に追われ、なまけるになまけられない身にはおおよそ近づいてはならない本のような気がして手に取ることもないまま、いつの間にかその本も姿を消していた。
そういうわけでこの作家の名前にずいぶんと馴染みがありながら作品を読んだのはこれが初めてのことだった。読んでみれば、なんとも読みごこちの良い、深い味わいのする文章だった。読んでいると、丁寧に料理された、素朴でどこかなつかしい味のする、今ではなかなか食することもないご馳走を味わったようにくつろぎ、また満たされた。

永井荷風の「狐」を読んだ時にも感想に書いた覚えがあるが、作家が自分の子供時代のことを想い起こしながら、子供としての自分の心に映ったことを大人の目でもう一度眺めてみるという書き手の作業にわたしは興味を持つ。それは単に思い出すといったものではなく、自分の成り立ちがどういう具合に進んできたのか、生れ落ちた命がどのような人の下でどのような影響を受けながら育っていったのか、いわば自分の根っこを辿ってゆく作業だと思うからだ。そうして書かれた作品を読むと自分自身が子供だった頃の感受性を蘇らせることができる。わたしもまた自分の根っこへ向かって旅を進めることができる。

この作品を繰り返し読むうちに、この作家の他の作品がぜひとも読みたくなった。幸い古本屋で新潮社文庫の「海辺の光景」と「夕陽の河岸」を見つけた。これには作家の代表的な作品が7編ずつ収められている。翌日は鎌倉に出かけたので、行きと帰りの電車の中で1冊は読み終えた。電車が込んでいて大宮から鎌倉まで立ったままだったが、そのことが苦にならないほど本の中に引き込まれていた。この吸引力はいったい何に寄るのだろう。何か事件があったり、ドラマティックだったりというわけではない。本人の家族や友人の想い出など、作家の身辺のことに題材を取ったものばかりで、小説というよりはエッセイと言っても良いような淡々とした作品なのだが、後を引くおもしろさがあるのだった。

「伯父の墓地」もそうだが「海辺の光景」「宿題」「ジングルベル」「愛玩」「春のほたる」「夕陽の岸辺」といった作品には、本人の父親や母親が登場し、子供の頃の作者が見え隠れする。これほど繰り返し父親や母親が登場してくれば、他人の親でありながら自分の親戚よりも近い存在になってしまう。
確かに親のことを書いているのだが目的はそこにない。親を通して、あるいは親を見る自分の眼を通して、晒しているのは畢竟作者自身だと思った。自分はいったい何者なのかとしきりに訪ね求めている姿を感じる。そうして訪ねた自分自身をとても謙虚に、それでいて大胆に提示しているように見える。自分へ対する物指しが正確で、眼差に曇りやうそ偽りがないので、どの作品も読んでいて疲れることなく、明るさや、すがすがしい印象が残るのだと思う。
自分や家族の弱さや欠けを描きながら、そのことに悩んではいない。それを受け入れ、むしろ愛し、臆することなく読むものの前にそれを投げ出すというのが、この作家の有様なのではないかと思った。

さて、テキストの「伯父の墓地」だが、この作品は安岡氏が七十歳の時の作品で、1990年に文芸春秋2月号で発表され、翌年、川端康成文学賞を受賞している。私的な関心から付け加えると、作者はこの作品が書かれる2年前に遠藤周作の影響でカトリックに入信している。

最後の部分がこの作品の山場という気がするが、そこには火葬がいやだと言っていた生前の伯父の意志を汲んで、土葬が禁止されている昭和30年代半ばに家族が苦労して伯父を土葬にしたという出来事が書かれている。そして、そこへと向かって、まず日本の土葬と火葬の歴史的なことから話しが始まる。芭蕉の、<影法のあかつき寒く火をたいて>という句、またそれを評する坂口謹一郎氏の新潟の農村にある旧家にあった専用の焼き場のこと、そこでの野辺の送りの模様といったことが、大変味わい深い文章でつづられる。好きな箇所を引用しておきたい。
<火葬というものが単なる葬法の一種ではなく、私たち日本人のたましひに深く染み込み、固有の美意識ないしは人生観を形成していることを想わずにはいられない。―我やさき、今日ともしらず、明日ともしらず、そんな文句とともに、私の眼の中にひとりでに霜枯れた朝の田んぼの景色がひろがり、その向こうに人の影らしい黒いものが覗いて、傍らから細い煙がひとすじ空に上っていくのが見えてくるのである。>

その坂口家の墓地から作者は自分の故郷高知県の農村にある同族の墓地に想いを馳せる。そこにある墓石を眺めていると、言いようのない安堵の念を覚えると作者は言う。そしてこの安らぎは何だろうと独り言のように問いかけている。この作品は、この問いから始まったのではないだろうかとふと思った。「若い頃には考えてもみなかったのに、五十歳に入った頃から、この墓地にある親しみを覚えるようになった」と作者は書いているが、その自分自身の変化に興味を覚え、そのあたりを探ってみようとする作者の気持ちが感じられるのだ。
同族の墓に感じる穏やかな気分が、子供の頃、伯父の家で大勢のいとこたちと夕食の膳を囲んだ時の賑やかさを想い出させるとして、時は子供の頃に遡る。いとこたちとのかかわりや、心に残るいとこたちや伯父や伯母の姿やエピソードが生き生きと綴られている。ここで作者は、子供の時に感じた魅力や不思議さを想い起こし、それが何であったのかもう一度味わいなおしているように思える。
その時期からさらに作者の青年期への記憶へと移り、気難しいことで親戚中で有名だった伯父の頑固さに初めて接して閉口させられたエピソードが語られる。料理屋で酔いつぶれた伯父がどうしても家に帰るといって聞かず、夜中の明かりもない田舎道を数時間自転車で走った時の思い出。足元のおぼつかない伯父の後を自転車で走る作者の様子や心情がユーモラスに表現されていて、思わず笑いがもれる。作者はこの時に伯父の本能的な土に対する執念のようなものを感じるのだが、それが最後の部分の伯父の土葬へと繋がるのである。

 さて、作者の問いに帰って、同族の墓を見る時に感じる作者の安らぎはなんだろう。言葉にならないようなひとつの感慨として答えを得たような気にもなる。
わたしのことだが、たまにふるさとに帰る度に母の口を突いて出るのが墓のことだった。わたしは自分の墓もそうだが親の墓には一向に関心がなく、キリスト教は墓参りの習慣はないとか、嫁に行ったのだから墓の世話は弟達に任せるとか言ってはずいぶん母を心細い気持ちにさせてきた。
そして今だに墓に対しては何の感慨も起こらない。しかし、これが五十歳を過ぎると何か変化が生じてくるのだろうか。
 少なくともこの作品に出てくる農村の古い火葬の風景、伯父の家の墓地の情景にはわたしもまたなつかしいもの、安らぎに似たものを覚えた。そうして不思議な事には昭和30年の中ごろ、祖母の土葬の行列をわたしも歩いたことを思い出したのだ。わたしが4、5歳の頃の記憶。薄暗い墓地へ通じる山の道を親戚や近所の人たちが提灯を手にして歩いていくのだった。男の人達が数人で白木のお棺を担いでいた。きっとわたしの父もその中にいたことだろう。山の上の方にある墓地に着くと、そこには大きな穴が掘ってあってそこにお棺が入れられた。お冠の釘を打つ石の音、足元で揺れていた提灯のさびしげな橙色。 


2005年12月11日(日) ベツレヘムへ旅するマリアとヨセフ

明日(今日)することになっている教会学校のお話のことをここ数日間いろいろと考えていました。

先週は天使ガブリエルが乙女マリアにイエスの誕生を告げる場面だったのですが、明日はマリアのいいなずけのヨセフと身重のマリアが人口調査の勅令に従うためにガリラヤの町ナザレからユダヤのベツレヘムまで120キロを歩いて旅し、旅の途中馬小屋で出産したという場面です。

4、5日も身重のマリアをろばにのせ、それを引いたヨセフ。そしてようやく辿りついたベツレヘムはすでに宿屋は早く町に入った旅人でいっぱいでになっており、どこの宿屋からも断られるのです。マリアは月が満ち、今夜にもお産になるかもしれないと思うと、ヨセフは気が気ではなく脂汗がにじむ想いではなかったでしょうか。ようやく馬屋でもいいならと案内された時にはどんなにほっとしたことでしょう。
客間の快適さにはとても及ばないものの、少なくとも干草の上に身体を休めることもでき、夜露もしのぐことができます。馬屋の天井にはランプがほのかに光を放ち、馬や牛を、そしてそのえさを入れる飼い葉おけを照らしていたことでしょう。

そしてこの夜、マリアの出産。そこには母親もいなければ産婆さんも医者もいません。頼りになるのはヨセフだけ。ヨセフにしてもお産に立ち会うのは初めてのことだったと思います。ヨセフは苦しむマリアを安心させながら、祈りつつお産の介助をしたのでしょう。マリアはまだ自分の妻ではなく、生まれようとしている子どもは自分の子どもではないのです。その時のヨセフの心情を推し量ることはできませんが、ひとつの命の誕生に直面し、無事に出産させること以外何も考えられなかったのではないかと思います。

誕生。生まれたばかりのイエスの産声が馬屋に響きます。命がひとつこの世に生まれました。しかもこの命は世の光になるという特別な任務を託された命。
出産を終え、安堵し、疲労困憊のマリアとヨセフ。さて、生まれたばかりの赤子をどこに寝かせよう・・・目の前にある飼い葉おけは赤ん坊を寝かせるにはちょうど良い大きさ。ヨセフはそこに干草を敷き、赤ん坊を布でくるみそこに寝かせます。

世界ではじめのクリスマスの夜のできごと。
不思議に光る星の下、貧しい馬屋でのできごと。
福音のはじまり。

(トップの写真は教会のカラサワさんの作品)


2005年12月10日(土) クリスマスショッピング

 クリスマスツリーも戸外用の豆電球も今年は出さないままになりそうですが、クリスマスのタペストリーとクッションカバーは去年しまいそびれてすぐに取り出せるところにあったので簡単に取り替えがすみました。
この手作りのクリスマスのキルト、白状すればわたしが作ったものではありません。かつていくつかキルトも作りましたが、ここまで手が込んだものはわたしには無理です。根性が足りません。

このキルトは15年くらい前、ニュージャージーに住んでいた頃、文庫仲間のKさんが作ってわざわざ日本から航空便で送ってくれた貴重なものです。それ以来、毎年このキルトはアドベントからクリスマスの間、我が家の壁を飾ってくれています。
そのキルトの一針一針に彼女の思いと時間が込められているようで、壁に掛ける度に有難い気持ちに打たれます。
いつか、わたしも一針一針思いを込めて縫ったキルトを親しい人にプレゼントできるような豊かさを持つことができるでしょうか。そうありたいと願います。クリスマスの前に孫達や友人のために手づくりのものをこしらえている自分を思い浮かべたりしてみます。

さて、クリスマスショッピング、この3日間で八割がた終わらせることができました。今日は苦手な街歩き。ショッピングが好きではないわたしは適切な物を買わなければならない!という強迫観念と戦いつつ、この作業を進めなくてはなりません。いつも迷いに迷うところですが、今年は比較的すんなり勝負がつきました。5人の甥っ子には今年は本やおもちゃはやめてGAPの洋服とクリスマスのお菓子類できまり!

成城石井でキャンディーケインを48本、シュトレーゼンを5個、クリスマス用のm&mや貝殻の形のチョコレート、クリスマスクッキーなどなど。毎年5缶は買うスゥエーデンのジンジャークッキー、おおいに頼りにしていたのに今年は店のどこをさがしても見つかりません。もう仕入れをしなくなったのでしょうか、それとも、早々と売り切れてしまったのでしょうか。甥っ子たちのプレゼントの中に入れられないことも残念だけれど、クリスマスにあのクッキーが食べられないのはなんともさみしい気がします。この店は無料で宅配してくれるので有難いこと。これだけのものをとても電車と自転車で持って帰るわけにはいきませんもの。

そういえば、100円ショップに昨日までたくさんあったクリスマス用のラッピングペーパーが今日はもう売り切れていてなくなっていました。やっぱり昨日のうちに買っておくのでした。そういえば去年も同じミスをしています。でもかわいいサンタやスノーマンの人形は30人分早々と買い占めておきました。今日はもうずいぶん品薄になっていましたから。

今我が家はプレゼントやラッピングペーパーや箱でサンタクロースの工房状態。来週はラッピングとカード書き。クリスマス会の買出し。月曜日のゼミが終わってからにやることにしましょう。




2005年12月09日(金) 世の中が流れ込んでくる・・・TVのこと

この暮れ、いろいろと変化がある。
ひとつは4年間、毎日使い続けてきたパソコンがいよいよだめになって、
つい先ごろ新しいものを買った。わたし専用のパソコンはこれで3台めということになる。
これはなんとテレビもくっついてるという代物。

実はわたしはほとんどテレビを見ない。
テレビが好きでないということが第一の理由だが、
テレビが隣の部屋にあり、そこへ行って座り込んで見るという気持ちがまず起こらない。
けれど、ニュースとかお天気とか、世の中で何が起こっているのか知るにはテレビが手っ取り早いし、そこから情報をゲットすることも必要と思ってはいる。

わたしが余暇の中で一番多く時間を使うのがダイニングテーブルの上のパソコンの前なのだから、このパソコンにTVがくっついていれば、台所仕事や掃除をしながら、あるいは食事をしながらTVを見ることができるというもの。しかも見たい番組を録画できるというのだから、これは世界が広がることにならないだろうか。

というわけで、パソコンからTVが流れ始めた。
無音だった生活空間にどっと世の中が流れ込んでくる。
抵抗がないわけではないけれど、思えば、子どもの頃からこれが暮らしの音というものだった。
生活の匂いや色に様々なコマーシャルソングやTVの主題歌が溶け込んでいた。

今日は台所に立っている間はTVをつけ、横目でちらちら見聞きしながら作業をしてみた。
確かに情報は入ってくる。でも当然のことながら頭の中であれこれ考えることがストップしている。ということは、この無音の生活空間の中でわたしはけっこうあれこれと考えていたのだろう。
一人で居る時にも外の世界が流れ込んでくる・・・これはわたしにとっていいことなんだろうか、良くないことなんだろうか。
どっちにしても、今までのライフスタイルが変化するんだろう。



2005年12月08日(木) 花キャベツ



12月の庭は紫と白
花キャベツ
メキシカンセージ
パンジー
ヴィオラ
アリッサム
白妙菊・・・

忙しいこの月は花を見ることも忘れてしまうが、
自転車をしまう時に目をやると
花々はおかまいなく、ひっそり可憐に咲いていた。
いつも夜暗くなってから帰ってくるから
花と話すことがないままだった。


今日はジムを早めに切り上げ、
英語教室の子ども達のクリスマスプレゼントの買出し。
自転車だし、30人分を一度にすますのは難しい。
何日間か恒例のクリスマスショッピング&ラッピングが続く。
週末は甥っ子や親達、家族、その他にも・・・
昨日は仕事帰りの焼き鳥屋でやおら手帳を開いてリスト作り。
師走ですね。



2005年12月07日(水) ひとつだけ書くとすれば





























今日のことをひとつだけ書くとすれば、このこと。
英語の歌のクラスの後の雑談で、Kさんが、「今までいろいろな習いごとをしてきたけれど、歌がいちばん楽しい」と言ってくれたこと。
その表情がほんとに楽しそうで、わたしはとても有難さに満たされた。
やっている事が喜ばれることくらい嬉しい事はないかもしれない。
もっといいクラスになるようにしたいと張り切る気持ちが起こる。

昨日のことをひとつだけ書くとすれば、このこと。
小学5年生の英語クラスの女の子達3人から
「先生、今度いっしょにプリクラ撮りに行ってくれない?」
と誘われたこと。
数ある誘いの中で、プリクラなんてのは初めてだ。
仲良しの友達どうしで映るあのプリクラでしょ・・・なんだかうれしくて、いつまでもニンマリが消えなかった。
そうだ、プリクラ撮った後、彼女たちを連れてカラオケへ行こうかな・・・
と、よからぬことを考えている。


写真はドアのリース。去年のクリスマスに友人のYが自分の育てた花々で作ってくれたもの。1年経っても少しも変わらず美しいまま。




2005年12月04日(日) ジョン・レンボーン&ウッディ・マンのライブへ

















今日は実に記念すべき日。
いったい、この大きな出来事をどこからどう書いていいものか。

ジョン・レンボーンというミュージシャンはわたしとmGにとってはいわば縁結びのような人。

時は28年前に遡る。大学3年生の時。mGが「これ聞いてみて」とわたしのアパートに持ってきたカセットテープ。そこにどんな魔法があったのか。その曲を聞くやいなや、まさに恋に落ちた。mGにではなく、その音楽に。その時は。
そして、こういう音楽をわたしのところへ持ってきてくれるこの友人を手放してはいけないと思ったのだった。

その音楽というのがJon Renbournの My Jonny Was a Shoemaker (わたしのジョニーは靴屋だった)という音楽。
女性ヴォーカル、ヴァイオリン、フルート、ギターで構成された音楽はなんとも不思議な世界を持っていた。中世の世俗曲をベースに新しい感覚のアレンジが施された古くて新しい音。非常に生き生きとした命の溢れる音楽。
わたしの探していた音楽はこういうものだったと、その出会いがどんなに嬉しかったことだろう。

mGがみ〜くんにレンボーンの話しをしたすぐ後に、み〜くんがレンボーンが日本にやってくること、都内でライブをやるという情報を仕入れてくれたのは、ほんとうに有難いことだった。
そして待ちに待ったこの日、あゆ&み〜くん、たりた&mGの4人で吉祥寺のライブハウスへ。この素敵なカップルは今年に入ってからダンスを通じて知り合った新しい友人。それなのに、もうずいぶん前から知っているような近さを不思議に思う。


ライブハウス、Star Pine's Cafe は座れないほどの大入り満員。
はじめにこのライブの主催者、TABギタースクールの打田さんの楽しいトークと、巧みなギター。
次にウッディ・マン。白髪の50代後半から60代と思しきこのミュージシャンのなんとハンサムなこと!その男性的でかつ色っぽい音は洗練されていて、ニューヨーカーだなぁと見とれて、いえ、聞き惚れていた。

休憩を挟んで、いよいよレンボーン。
わたしがレコードのCDで知っている、ライオンのような風貌のいかにもヒッピーといった感じのレンボーンはサンタクロースを思わせるような気のいいおじさんの姿で現れた。
しかし、彼がギターを弾き始めるや、わたしが初めて聞いた時に感じた、生命力の溢れるキラキラした音は変わっていなかった。ライブハウスの中に満ちているこの人の音楽。やっぱりこの人の持つエネルギーは凄いものがあると思った。力強さと優しさ、素朴さと艶かしさが同時にあるような、何とも好ましい世界。
讃美歌358番(古いアイルランドの旋律)をギター曲にアレンジしたものがひたひたと沁みてくる。


夢見心地のうちにライブが終わった。ライブの後にサイン会があるというので、例のMy Jonny Was a Shoemakerが入っているCD、The Lady and the Unicorn ともうひとつ、mGが人ごみをかきわけ買ってくる。
CDを差し出しながら、
「ジョン、わたしたちは、あなたの音楽を30年間も聞き続けてきたんです。あなたは、我々にとってキューピットのようなものなの」と言うと、ジョンは「キューピットかぁ〜。それじゃあ、これから30年間、また聞き続けて」と言いながらCDにサインをしてくれた。隣のウッディも、「そうなの、それはいい・・」と笑顔で声をかけてくれた。彼のCDも買ってサインしてもらうのだったと後悔。
トップの写真はみ〜くんが撮ってくれたもの。



























 ところで、このCDをジョンの前の出した時、心なしかジョンが、「えっ、これ〜」という表情を見せたような気がした。カセットテープで聞いていたが、その音世界は魅力的であっても、録音は完璧ではない。あきらかなミスもレコードには何箇所か残っている。初期の頃のレコードは、それから修行を積み、レベルもアップしたミュージシャンとしては、未熟さを感じるのかもしれない。
しかし、初めてこの曲に出会って30年近く経った今、やはりこの音楽は何物にも代えがたい。身体にも、また過ごしてきた時間の中にもすっかり沁み込み、自分自身の一部になってしまっているからだ。

それほど親しい音楽を創り出した生身のジョン・レンボーンと握手し、写真まで撮らせてもらった記念すべき日。


2005年12月03日(土) いざ鎌倉へ

秋の鎌倉は初めてだった。
新婚の頃に一度、紫陽花の時期に来た。そして、この時には確か喧嘩した。今となっては喧嘩の原因も覚えていないが。
次に来たのは、新緑の頃、わたしの両親を連れて。息子達はまだ小学生だった。豆腐の懐石料理は子ども達には不評だったっけ。
アメリカからやってきた友人の家族4人を案内したこともあった。我が家の4人と計8人で繰り出したのはうだるようなに暑い夏の日、しかもひどい渋滞の中、車で行ったのだった。

そんな鎌倉行きの思い出を話しながら秋の鎌倉を二人でのんびりと歩く。
今回は喧嘩することもなく、中年の夫婦は平和だ。
どこも絵になるとmGは写真を撮るのに余念がない。
美しい紅葉と写真。ハイキングコースでけっこう良い運動。鎌倉文学館でちょっとお勉強。




この文学館の昔の洋館のたたずまいも良かったが、開館20周年記念の「文化都市かまくら100人展」はなかなか興味深い展示だった。でも、どうして鎌倉在住の高橋たか子が入っていないのだろう。夫の高橋和巳は入ってい
るというのに・・・。
一人の作家ごとに自筆の原稿や本などを見て行くのは楽しく、一日いても飽きない気がしたが、あまりそこに張り付いていては帰りが遅くなるので最後の方は駆け足で回る。mGはさっさと先に出て、あたりの写真を撮っていた。


写真はmGのブログでどうぞ。




2005年12月02日(金) 田中冬二 「冬の着物」

夕食後、もう10時も過ぎてからmGとBook−Offへ。
彼は今夜どうしても村上春樹の本の続きが読みたいらしく、
わたしは今夜のうちにどうしても安岡章太郎の本を手に入れたかった。

これだけたくさんの本の中に安岡章太郎の本が一冊もないのはなぜ・・・
あきらめかけていた時、mGが文庫本を2冊見つけてくる。
「海辺の光景」と「夕陽の岸辺」、両方とも手に入れたかった本。
よかった!
他にもいろいろ買って1400円。
袋いっぱい持っていった本は220円にしかならなかった。

安岡章太郎の本は明日、鎌倉へ行く時に電車の中で読む本にして、
今夜は寝る前に詩が読みたい。

書架の奥から田中冬二の詩集を引っ張り出す。
新潮社の日本詩人全集18という、ずいぶん昔に買った本。
中勘助、八木重吉、田中冬二の3人の詩が載っている。
わたしは八木重吉の詩ばかりを読んでいたのだが、田中冬二の詩は一度くらいは読んだのだろうか、覚えていない。

この詩人のことを思い出したのは、勉ゼミのサイトで先ごろアップされた正津氏の「恋唄拾遺 第26回 田中冬二」を読んだからだった。
そこにある詩を好きだと思った。
銀行員でありながら詩人でもあったという人。
詩集を開いてみると、どの詩からもしみじみとした豊かな世界が広がる。
日本の季節が持っている空気、人の暮らし、
なつかしい匂いのようなものも・・・
名前のように冬が似合う詩人だと思った。

いくつか心に留めたい詩を見つけたが、ここにひとつだけ書いておこう。



     冬の着物     
              

冬になると
わたしは綿のたくさんはいった ふるさとの
あの手織木綿の着物をきる

それは雪の来た山のにおいがする
石臼に挽く黄粉のにおいがする

それはまた障子に赤くたばこの葉をかいた家
大きな蝋燭の看板のさがっている家
――祖先からの古風な家々に
しずかになにか夜延(よなべ)にいそしんでいる
ふるさとびとのあたたかい心がある


         田中冬二 詩集「青い夜道」より


2005年12月01日(木) 去年のシクラメンが今年も咲いている

 この写真のシクラメンは去年の暮れにいただいたシクラメン。
夏の間は外に出していて、とりわけ手入れしたわけでも、世話したわけでもないのに、11月に入るとまばらな葉の間に今にも咲きそうな花芽がたくさん上がってきているのに気がつき、あわてて肥料をほどこし、暖かい部屋へ入れる。

シクラメンは暮れから4月頃まで花を楽しめるが、夏を越して翌年花が咲く事はあまりない。それでも根は生きているから、花が終わると外に出して葉を思うままに出させてあげる。そうして外に出しておいたシクラメンがいくつかの困難な条件をクリアして、株を育て、花を咲く力を奮い起こしてまた花を咲かせることがまれにあるのだ。

葉がびっしりと茂り、花の茎はまっすぐに密集して伸び、花も隙のないほどたく付けている値の張る贈答用のシクラメンに比べると、好き勝手に枝を湾曲させ、花も15個くらいしか付けていない夏越ししたシクラメンは見劣りがする。けれども、花の姿からすれば、わたしはこちらの花の方がよほど好き。

そういえば、今日、ラテンの後、なお先生と汗まみれのまんまで話した事と何か似ている。完璧な整った動きというのは見ていても飽きるし心を惹かれないけど、動きがその人の何かを出している時、その人のオーラがでていていいなと感じると話してらした。たとえば指先の動きだったり、視線だったり、わずかな首の角度だったり、その人にしかない動きが見えるのがいいと。
そう、はじめてM’sのステージを見た時、同じ振りで踊りながらそれぞれがその人自身のダンスをしていることに驚いたのだった。ダンスという表現はこれほどまでに個が見えるのかと感嘆した。いつの日記だっただろう。確かその事を書いている。

夏を越したシクラメンはそれぞれがシクラメンという花でありながら、けっしてまっすぐ同じ形をしていない。花市場ではこれはいびつで売り物にならない花なのだろうが、地上の命ある存在としては、何と生き生きと咲いている花であること。

どこかで聞いた歌の文句みたいですね・・・
というわけで、12月が始りました。


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