たりたの日記
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2006年02月27日(月) 井伏鱒二著 「かきつばた」 を読む 

    
                     

この作品は、広島への原爆投下という人間の歴史の中でもとりわけ重大な出来事を、そこで生活していた人々の具体的な日常に焦点を絞り、作者個人の感情や考えを差し挟むことなく、実際に作者の目の前で起こっていることを写実的に描いた作品だ。

眼の前に展開されている現実を、我々の眼は映しはするが、それぞれのフィルターを通って出てきたものはそれぞれに異なる。これまでに読んだ原爆の詩や手記、あるいは映像や絵や歌が伝えてくれたものとは異なる原爆の側面を新しく知る。
ここでわたしが新しく受け止めた事は、広島の町が地獄絵さながらの状況にある時に、
そこからいくらも離れていない福山では、人々がいかに普通の日常を送っていたかという事実に改めて触れたということだ。ということは、原爆が投下された広島以外の場所で人々は同じように、道ゆく人を呼び止めたり、帽子にひっかかった釣り針を取ったりという日常があり、広島さえも、数時間前にはこの作者の歩いている通りと同じ日常の平和の中にあったのだ。
それほど原爆投下は予測不可能な状況の中で、人間の日常の只中にまるで天災のように執行された。しかし、これが天災ではなく、あくまで我々と同じ人間がなしたという事実―。
作者はこの短編においては被害者として原爆の悲惨さを強調することもなく、また原爆を投下したアメリカを糾弾するという立場も取らず、人の暮らしを描くことで、当たり前の日常が一挙に破壊されるという可能性を暗示しているように思える。実際わたしはこの作家の眼を通して、その時そこに生活していた人々の時間に立ち合い、また投げかけられた問いかけを手に受けた。
作者が後に著す原爆文学の代表作「黒い雨」はまだ読んでいないが、この短編が、「黒い雨」とどういう関係にあるのか読みたいと思う。


ストーリーを追いながら先に述べた事を具体的に見ていこう。
話は広島の町が爆撃されて間もないころ、福島市近郊の知人のうちでカキツバタの狂い咲きを見たことから始まる。
作者はまず狂い咲きのカキツバタの絵をそこに置いたままにして、広島が爆撃された当時の昼に時間を遡る。その時、すでに重大な事(広島の爆撃)は起きていたのだが、作者も、また彼が立ち話をする人達もその現実を知らない。安原薬局の主人は「私」を呼びとめ、「おい、まッさん、帽子に釣針がついているよ」となんとも暢気な事を言う。
小林旅館の中庭には「私」が前に譲ってほしいと申し出て断られた水甕が置いてあって、水甕を自分のところに疎開させないかと持ちかける「私」に宿屋のおかみさんは「水甕なんか、疎開させなくっても結構ですよ。空襲なんか、あるものですか」と答える。
しかしこの時、下りの電車は原因が分からないまま、不通になっており、宿屋には途中で降ろされた人達が詰めかけている。そして、それが原爆投下による混乱だということが当然ながら、読者には分かっている。読者がすでに知っていることを、物語の中の登場人物達は知らないという状況を設定するのは文学的表現のひとつの手法なのだろうが、そこには独特の緊張と、痛ましさが漂う。

広島が焼けた二日後、「私」の住む福山も空襲を受け、それから一週間目に敗戦が告げられる。しかしここでもまだ「私」もまた周りの人間も原爆の真相は知らない。あくまで「空襲」であり、被爆で苦しむ人達にしても病名はなく、医者は「不思議な苦しみをする病気」「治療法のない病気」としか言いようがない。
しかし、「おい、まッさん、帽子に釣針がついているよ」と薬屋の主人が声をかけたその頃、広島にいた安原薬局の長男は爆撃に合い即死していたという事実が明らかになり、またあの時、空襲などありはしないと言った旅館のおかみの言葉は裏切られ、小林旅館の水甕は空襲で真二つに割れ、やがては粉々に打ち砕かれる。先の平和なやり取りがここに重なり、もう元には戻せない時間を突きつけられる。

最後の場面で、作者が最初に掲げたカキツバタの場面に繋がる。
最初の場面ではぽつんと水面に出た狂い咲きのカキツバタの花の描写しかなかったが、同じ情景を描いた最後の場面ではそのカキツバタの側に身投げした女の水死体が浮かんでいる。
「あのカキツバタの花、何事に脅かされて咲いたかね。」と云う「私」に木内君は
「そうか、この季節に、あんな花が咲いてやがったのか。ばかにしてやがる」と答え、「私」が思い出したカキツバタの咲く池で身投げした差指物師の妹の話を語ると、
木内君は
「そのカキツバタの花と、あのカキツバタの花は雲泥の相違だ。時代からして違う。ばかばかしい花が咲きやがった。」と言い、この言葉で物語が終わる。

この木内君の言葉が何とも不気味に響いて、その安定しない響きが残されるのだが、この言葉の向こうにある心情はどういうものなのだろう。またそれを聞いた「私」はそこで何を思ったのだろう。その部分が開かれた問いとなって、読者に投げられている。
「ばかばかしい」という言葉を持ってしか形容できないような、被爆に続く敗戦への無念な思いがここに込められているのだろうか。どこにぶつけることもできない忌々しさが怒りとなって狂い咲きのカキツバタに向けられているのだろうか。また、自然体系までを破壊してしまう原爆は人の世の哀しさを伝える物語と同レベルに置くことのできないほど非現実的な現実だということを言いたいのだろうか。
答えはいくつか浮かんでくるが、どんな答えもそれだけでは締めくくれないような気がする。とても言葉で表現することなどできない何か、小説になど書き切れないほどの何か、その前ではこのように「ばかばかしい・・・」と口にするのが精一杯の途方もない何かがこの短編の向こう側には広がっているのだ。
しっかりと口を閉められない袋のように、戦後60年経った今も、何とも気味悪いものがそこから流れ続けているように思えてくる。


                *
               

 < 2月6日の文学ゼミの後にまとめた感想。投稿したものの、どうやらボツになったようだ。ここに貼り付けておくことにしよう。>


               


2006年02月26日(日) 変容主日とよばれる日曜日に

一日雨。
午前中教会。
教会学校のお話と歌の集いの担当。
マタイによる福音書11章28節がお話の主題。

<疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもととに来なさい。休ませてあげよう>

子どもには子どもの疲れや重荷がきっとある。そして親も教師も兄弟や友人も肩代わりできないことを子どもは知っている。イエスのもとで得ることのできる休息―伝わっただろうか。

この日は変容主日。
「イエスの変容と私」という題で説教が語られる。
テキストはマルコによる福音書23:37−24:2

あなたにとってイエスの変容はどのような意味を持つのかという問いかけ。
わたしはその事を自分のこととしては受け止めていないと思った。

印象深かったところ。イエスの変容の後、雲の中から「これはわたしの愛する子。これに聞け。」という声がしたとあるが、それはまたイエスが洗礼を受けた時に天から聞こえてきた言葉。初めはこれからイエスが伝道を開始しようとする時、そして今度は、これからイエスの十字架への道行きが始まるというその時。


明日3月1日は「灰の水曜日」教会暦は受難節に入る。
ルオーの「パッション」を観、マタイの「受難曲(パッション)」を聴きたいと思う季節。

午後図書館でブコウスキーの著作について調べる。収穫あり。書庫から6冊の著書を出してもらい借りる。1時間ほどそれぞれの本に目を通す。この作家はけっして心地よい世界を描いているわけではない。むしろハチャメチャにダーティーだ。それなのに読むことは心地良い。この馴染む感覚がいったいどこから湧いてくるのか知りたいとまだ探している。

イエスは彼のことを好きだろうと思える。彼もイエスとなら気が合うだろうと。しかし教会とこの作家の相性はきっと悪い。いや、教会に限らない。清く正しい市民生活を送っている大多数の人からは眉を顰められることだろう。
それならわたしにとってブコウスキーは何なのか。イエスの変容と同様、掴めないでいる。

夕方5時から7時過ぎまで、ダンススタジオでのレッスン。
踊っている時、わたしは何にも引き裂かれず、どこにも矛盾がなく、正真正銘のわたしだという気分になれる。とても必要なことと感じている。


             *


<マルコによる福音書23:37−24:2>

六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、 服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。
エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。
ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」 ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。
すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」
弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。
一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。


2006年02月25日(土) 英語学校発表会 <Scarborough Fairの訳詩つき>

さて、今日3つ目の日記だ。
この日のイベントは英語学校のOPEN HOUSE、いわゆる年度末の発表会。

大人のクラスの発表が午後1時からで、子どものクラスの発表がその後に続く。スピーチ、ストーリーテリング、劇、歌となかなかバラエティーに富んだ楽しい発表だった。

ネイティブの教師Aの提案で、今年は発表会の間にティータイムをもうけ、それを教会の方々のお願いしようということになった。数人の方が手作りのお菓子を焼いてくださり、アットホームなティーパーティーになった。発表の間にセットアップや片付けもやってくださったので、英語学校のスタッフ3人は発表だけに専念すれば良く、ずいぶん楽だった。わたしもバナナケーキ(最近はこれしか焼いていないです)をたくさん焼いて持参。

わたしの担当する「英語で歌おう」のクラスでは今期取り上げたサイモンとガーファンクルの歌からEL CONDOR PASA とSCARBOROUGH FAIRの2曲を歌う。
前にも書いたが、この歌は中学生の頃から歌ったり聴いたりしてきた歌だったものの、今回教材として取り上げることでようやくきちんと歌がまるごと入ってきた。そしていっしょに歌ってみると、微妙なリズムや節回しがあって、正確に歌うにはけっこう難しいということも分かった。
練習の段階では出遅れたり、リズムが取れなかったりということもあったが、本番ではソロのパートも含め、つっかかることもなく美しく歌ってくださった。わたしもコンサート気分で楽しく歌った。

また幼児クラスでは、英語のじゃんけん遊び、チャンツを二つと歌(Bingo)野菜のカードを使ってのやりとり。

"Do you like ○○?"
"Yes, I do"
" Here you are"
"Thank you."
"You are welcome."

というもの。
大人の方は本番が一番うまかったが、子ども達は大勢の観客を前にして、いつもの元気がどこかへ行ってしまったようだった。ま、何にも言えなくなるなんてことはなかったから良いとしよう。
それにしてもこの幼児クラス、今年はじめて、親子クラスから独立して子どもたちだけのクラスだったのだが、ずいぶん成長した。どの歌もチャンツもすっかり空で歌えるようになっている。


さて、SCARBOROUGH FAIRのことを少し。この歌はサイモンとガーファンクルの持ち歌のように思われているが、実はイギリスの古い民謡、マザーグースのカテゴリーに入れられたりもしている。昨日書いた波多野睦美さんも、少し旋律が異なるが、確かCD「古歌」の中でこの歌を歌っている。

今回ポール・サイモンがこの歌につけたフーガのような対旋律の部分をマスターすることができて良かった。
この部分のポールのほどこした歌詞はとても美しいが、よく読むならそこに当時のベトナム戦争に反対する反戦の訴えがあることが分かる。叫びのような高音の美しい旋律で歌われる部分の歌詞が「将軍は兵士達に殺せと命ずる」という意味であったことを知った時には、この歌の隠された意味も知らずに歌っていたことをはずかしく思った。
新しいギターで伴奏。とても彼らの演奏しているような音をコピーできない。コードをアルペジオで弾くのが精一杯。もっとギターを上手く弾けるようになりたい。




<付録>

    SCARBOROUGH FAIR ( スカボロー・フェア )

Are you going to Scarborough Fair?
Parsley, sage, rosemary and thyme
Remember me to one who lives there
She once was a true love of mine

スカボローのお祭りに行くのですか
―パセリ、セージ、ローズマリーとタイム―
そこに住んでいるあの人によろしくと
あの人はわたしの真の恋人だった

Tell her to make me a cambric shirt
    (On the side of a hill in the deep forest green)
Parsley, sage, rosemary and thyme
    (Tracing a sparrow on snow-crested ground)
Without no seams nor needlework
    (Blankets and bedclothes a child of the mountains)
Then she'll be a true love of mine
    (Sleeps unaware of the clarion call)


あの人にキャンブリックのシャツを作るようにと
    (深い森の緑の丘辺)
―パセリ、セージ、ローズマリーとタイム―
    (雪をかぶった地面、雀を追って)
縫い目も針目も見えぬよう
    (毛布とジーツに包まれて山の子ども)
そうすればあの人は真の恋人
    (進撃らっぱが鳴るのも知らずに眠る)


Tell her to find me an acre of land
    (On the side of a hill, a sprinkling of leaves)
Parsely, sage, rosemary, and thyme
    (Washes the grave with silvery tears)
Between the salt water and the sea strand
     (A soldier cleans and polishes a gun)
Then she'll be a true love of mine


あの人に1エーカーの土地を見つけるようにと
   (丘辺には木の葉が舞い)
―パセリ、セージ、ローズマリーとタイム―
    (銀の涙で墓を洗う)
海と岸辺の間にある土地を
    (兵士がひとり銃を磨いている)
そうすればあの人は真の恋人


Tell her to reap it in a sickle of leather
   (War bellows, blazing in scarlet battalions)
Parsely, sage, rosemary and thyme
   (Generals order their soldiers to kill)
And to gather it all in a bunch of heather
   (And to fight for a cause they've long ago forgotten)
Then she'll be a true love of mine

あの人に革の鎌で刈り取るようにと
   (戦いのとどろき、緋色の大軍、銃砲は火を吹き)
―パセリ、セージ、ローズマリーとタイム―
   (将軍は兵士達に殺せと命ずる)
ヒースの束といっしょにして
   (そして戦えと。戦う理由などとうに忘れてしまっているのに)
そうすればあの人は真の恋人


Are you going to Scarborough Fair?
Parsley, sage, rosemary and thyme
Remember me to one who lives there
She once was a true love of mine

スカボローのお祭りに行くのですか
―パセリ、セージ、ローズマリーとタイム―
そこに住んでいるあの人にによろしくと
あの人はわたしの真の恋人だった


   ( 訳・たりたくみ )


2006年02月24日(金) 雨の夜 リュートソングを聴きに

雨の夜、友人のYさんとCさんと共に人とHakuju Hallヘ、波多野睦美&つのだたかし、リュートソング・デユオのコンサートを聴きに。

今回は「古歌・イタリア―ダヴィンチの時代からモンテヴェルディへ」と題された14世紀から17世紀にかけてのイタリア古歌のアンソロジー。

この静謐な空気、透き通った歌声はもうふるさとのようになつかしい。全身の力が抜け音楽の中に抱かれているような心地よさを感じていた。
古いイタリアの歌たち・・・
フランチェスコ・ランディーニ 「あふれる涙」
ジョスカン・デ・プレ・「こおろぎ」・・・・・


このことはもう前にも書いたが、わたしが歌を歌いたいと強く思うようになったのはCDで波多野睦美さんの歌を聴いたことがきっかけだった。
二人のコンサートはおよそ一年振り。彼らの音楽をコンサートやCDで聴くようになって、もう10年になろうとしている。
そしてコンサートでは誰か知っている人に必ず会う。以前波多野先生に歌を習っていた時に知り合った方々や都留音楽祭でお世話になった有村先生と奥様。
「元気そうね」
「今度ゆっくり会いましょう」
ひとことふたこと言葉をかわしただけで、また今度のコンサートまで会うこともないのだろうが、そんな繋がりもまた良いものだと思える。


2006年02月22日(水) 小川洋子著「博士の愛した数式」、原作と映画の間で

さて、今日は正確には2月27日月曜日。ということは日記が6日間ブランクのままだということになる。
原因は簡単だ。22日、水曜日レディースデイに一人で映画館へ行き、「博士の愛した数式」を観た。で、その感想を書かなくてはと思いつつ、まとまった時間が取れなかったのだ。

今その時間が訪れたかといえば、そうでもなく、かといって日記のブランクが増えてゆくのも忍びない。
ここはさらりとひとまず書いておこう。

さて、この映画、まず原作のことから。
小川洋子の著作は初めて読んだが、とても好きな作品だった。
80分しか記憶がもたない数学博士と家政婦、そしてその息子のなんとも暖かい交流を描いた作品だが、しかしこの本にはわたしが全く苦手な分野が2本の柱になっているのだ。
一つは題名が示す通り数学。もう一つは野球。どちらも、もしこういう話題が出るような席であれば、きっとおもしろくもないから、こっそり退散するに違いない。

ところが、この本の中で描かれている数学への愛に、また野球に寄せる熱い思いにわたしは初めてのように、うん分かるなと納得がいった。相変わらず、わたしにとってはちんぷんかんぷんな世界だが、少なくとも、そこに美しいものがあるということ、十分人を支え、生きるエネルギーを呼び起こすものがあることは伝わってくるのだ。

数式に至ってはじんましんが出るほど苦手だというのに、この本を読み終わった時には数字というものに憧れにも似たものを感じていた。
もしかすると、1とか2とか3とかという単なる記号でしかない数字がわたしにとっても別の意味を持ち、もっと生き生きした血の通った数字とのかかわりを持てるかもしれないと、そんな気すらしてくるのだった。

この著書の中で、キラリと煌いている箇所がいくつかあって、忘れないでいたいと思うが、ここに一箇所だけ抜き出しておこう。とても好きな箇所。もしかするとこの箇所がこの著書のテーマではないだろうか。

<空腹を抱え、事務所の床を磨きながら、ルートの心配ばかりしている私には、博士が言うところの、永遠に正しい真実の存在が必要だった。目に見えない世界が、目に見える世界を支えているという実感が必要だった。厳かに暗闇を貫く、幅も面積もない、無限に伸びてゆく一本の真実の直線。その直線こそが、私に微かな安らぎをもたらした。
「君の利口な瞳を見開きなさい」
博士の言葉を思い出しながら、私は暗闇に目を凝らす。>

今、この部分を抜き書きしていて、わたしはなぜ、この作品を映画にしたものがつまらないと感じたのかその理由がまた新たに分かる気がした。
この作品の魅力はこの家政婦で身を立てているシングルマザーの独白にあった。日常の向こうにある深淵な世界に心が開かれていくその過程はひとつのファンタジーだったし、わたし自身がそこへと心開かれてゆく心躍る体験をすることができた。
しかし、映画では、このストーリーの語り部は家政婦の子どものルートだ。子どもの頃の博士との交流がきっかけとなって数学の教師になり、教壇で生徒たちに博士の思い出を語るという構成になっている。そこにはできごととしては残されても、家政婦の心の言葉は出てこないのだ。そうすると、ストーリーの日常性が強調され、この作品の中にあるファンタジックなもの、ただよっている詩的なものが消えてしまっていると感じた。日常の向こうにある非日常の世界、神の領域との接点はどこへ消えてしまったのだろう。

また、著書の中では、うっすらと博士との関係を予想させるような書き方で登場させられていた博士の義姉が映画では、生々しい関係を新たに設定されており、博士と義姉の悲恋という流れが一方に出来、ストーリーの軸が明瞭でなくなってしまっている。また博士と義姉を繋ぐものとして「能」が付け加えられているが、わたしが読みとった博士とは結びつかない世界だ。数式を愛する博士は極めて西洋的なものの考えをする人で、そこにははっきりと神が存在する。「能」にはその世界が伝える魅力はあるが、ある意味で博士の愛する数式とは対極にあるもののように思うのだが・・・
しかし、能の舞台を観る観客の中に著者の小川洋子があったから、著者の意図しない脚色というわけでもないのだろう。


使われている音楽も少し大仰で、やたらと多い海や川の流れの映像もウエット。この作品のからりとしたものとは違った印象だった。せっかくの新しいぶどう酒がわざわざ古い皮袋に入れられたようで、なんとももったいないと思ったが、原作を読む前に映画を観れば、またこれはこれで良い映画だと思って観ることができたのかもしれない。

あ、そうだ。映画の最後、タイトルのところにでてきた、ウイリアム・ブレイクの詩は、これも原作とは無関係だけど、好きだった。
覚えておこうとしたけれど、訳詩をそのままに思い出せない。
原詩が見つかったので、わたしの訳で記しておこう。
sand― hand 、flower― hourの脚韻の美しさが訳すとなくなってしまうけれど。



To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower,
Hold Infinity in the palm of your hand
And Eternity in an hour.


一粒の砂に世界を観る
そして野の花の中に天国を
あなたの手のひらに無限を捕らえよ
そしてひとときの中に永遠を


2006年02月21日(火) 四歳児の眼

つくしんぼ保育室でのこと。
「あ〜、この前のギターとちがう!」
わたしがギターを弾いている教室に入ってくるなり、四歳児のしんやが叫んだ。
「え、分かるの?新しいギターなんだよ。どうして分かったの?」
「ほら、ここのところが銀色だもん」
しんやは弦を巻いているねじの部分を指差す。
先週持ってきていたギターのねじの部分を思い出そうとしてみたが、
とっさには思い出せなかった。
きっとしんやはギターのその部分が気に入って、よおく目に焼き付けていたに違いない。
1週間も時間が経っているのにその記憶が消えないでいたのだろう。
四歳児、侮れない。
よい音が出るギターに変えて良かった。きっと彼らの耳も侮れない。
音にしても言葉にしても絵にしても、より良いものを渡さなくてはと思った。


2006年02月20日(月) 月曜日、雨

朝から雨。
だからというわけではないが、この日のゼミは欠席することにした。
来年度のクラスの計画や、英語学校の 「OPEN HOUSE」(クラスの発表会のようなもの)の準備、その他もろもろの優先すべきことがあったのだ。

そう、複数の事を抱えていると、いつも優先順位を考えない訳にはいかない。自分の興味や好みが先行して、優先すべきことを後回しにすることもけっこう多いが。

午前中歯医者に行き、待っている間、ブコウスキーの続きを読んだ。読むほどに妙なはまり方をする。最初の方に読んで入ってこなかった部分が再読するとおもしろくなっていたりする。
初めは抵抗があったり、良く分からなかったりする人が、ある時を境に親しくなるということが稀にあるが、ブコウスキーとの距離が次第に短くなっていくのがおもしろい。
好きと言えるのかどうかは分からない。この著者も作品も。
近くにいたとすればあまりお近づきにはなりたくない人という気もする。それなのに読むのを止めることができない。何かに魅了されている。
翻訳していないもともとの英語はどんなのだろうと気になってしかたないので、アマゾンに原書を注文した。
次回のゼミのテキストはブコウスキーらしい。


2006年02月19日(日) 踊って回って6時間

教会学校、お話とオルガンの担当。
礼拝の司会。4月、新卒の女性牧師を迎えることが公示される。大きな変化だ。目に見えることだけでなく、見えないことでも変わってゆくことがあるのだろう。わたし自身にしても。

礼拝の後、時間調節のためにファミレスで昼食と読書。
本は池澤夏樹・新訳の「星の王子さま」
子どもの頃に読んだものの、読んだつもりで読めていなかったのだろう。
それともここに辿りつくには大人になることが必要だったのだろうか。きっとそうに違いない。
この世界の豊かさに、こんな形容詞がくすんでしまうほど、圧倒される。
じっくり再読しよう。ここにも糸口が見えた。取り出そうとして取り出せないでいたもの。

午後3時より9時半まで、4月のダンスのステージのための一回目の合同練習。ほとんど休みなしで踊り込んだお陰で、ようやく振りと全体の流れがストンと体に落ちてすっきり。充実の6時間だった。
今回はキッズも入れて37名で踊る。パワフルなステージになることだろう。アクションのシーンなんかもあるし。

ずっと踊っていたからみんなと話しをすることはあまりなかったけれど、同じ空間で踊っていることで十分エネルギーの交換がされるのだろう。踊っている最中も終わってからもずっと仲間と過ごしたことの心地よさが続いていた。




2006年02月18日(土) マーチンのギター


この日、マーチンのギター(Martin D-15)を買った。
正確に言うと銀婚式の記念にmGから買ってもらった。
マーチンといえば高級ギターというイメージでとっても買えるようなもんじゃないと思っていたが、中古であることもあって7万弱で買えた。
すべてマホガニーで作られた、木の柔らかい響きを持つ楽器。このギターとはこれから一生の付き合いになるんだろうなと、新しく友を得たような、家族を得たようなそんな充実した気持ちになった。ここが楽器のいいところ。楽器とは気持ちを通じ合わせることができる。

そういえば、子どもの頃からお祝いや記念を楽器にしてもらうことが多かった。小学校3年の時の誕生祝いに電気オルガンを頼んだのが最初で、高校の入学祝いにギター、大学の入学祝いにピアノ、成人式には振袖に代わるヴァイオリンという具合だった。最も、このヴァイオリン、出してもらったのは半額で、残りはバイトして1年間がかりで払ったのだった。ともかくその時々に一番欲しかったものということになる。

今まで、英語のクラスで歌を教える時や、施設で歌を歌う時は高校の時からのクラッシックギターを弾いていたのだが、1月28日の日記「ギターがやってきた 」に書いたように、ギター弾きのみ〜〜のギターを貸してもらってからというもの、ギターに目覚めてしまったのだ。こんないい音が出て弾きやすいギターがわたしも欲しい!と。



このマホガニーのマーチンを買ったのは御茶ノ水のPANという輸入楽器専門店。み〜〜の紹介で、彼の友人がそこで働いているというお店。
み〜〜とあゆがわたしたちのギター探しに付き合ってくれた。
お店の人やみ〜〜がそこにあるギターをいろいろと弾いてくれ、何だかコンサートのようでわくわくした。わたしもいくつか弾いてみて、みんなの意見を聞きこのギターに決定。わたしの歌う歌や声にも合っているように思った。さて、今年はギターと歌の年になるんだろうか。ともかく新しい世界が開けていくような予感がある。

2月5日の日記「礼拝堂でのコラボ&レコーディング 」で書いた録音曲をあゆが茜友のユーザーページ
にアップしてくれた。施設の人が歌を覚えられるための録音という事しか頭になくて、ネット上にアップすることなど考えてなかったから、作品として聴いてみると、ギターの完成度の高さに比べ、わたしの歌はずいぶんアラが目立つ。明らかに練習が足りていない。けれど、教会の礼拝堂で3人で演奏した時の気分というか空気はとても暖かくて満ちていたから、その空気は音の中に閉じ込められているように思う。


ということで、よかったら聴いてみてください。
すでに聴いてくださった方、どうもありがとうございます。
ギターも歌もしっかり練習して、わたしも「プレイヤーズ王国 」に登録したいと思います。


2006年02月17日(金) この頃の読書

村山由佳著「星々の舟」(2003年直木賞受賞作品)に続いて、小川洋子著「博士の愛した数式」(2004年読売文学賞、本屋大賞受賞作品)を読んだ。加えて、ゼミのテキスト尾崎一雄の「暢気眼鏡」(1937年・第5回芥川賞受賞作品)を2回、こちらはまだ全部読んではいないが、チャールズ・ブコウスキー著「ホット・ウォーター・ミュージック」。

村山由佳と小川洋子は共に40代の女流作家だが、彼女達の作品に、しっかりと大地に根を張った木のような揺るぎなさと、人間への深い洞察と愛情を感じ、とても頼もしく、また励まされるような気持ちになった。
どちらもまた読み返したい、またじっくりと考えてみたい本だ。

尾崎一雄は初めて読んだが、昭和8年という時代の作家がどんなことを思い、どのように生きていたのかが興味深い。
チャールズ・ブコウスキーは、前回のゼミの時にNさんが、最初の2つくらい読んで気持ち悪くなったら読まない方がいいですよと言って貸してくれたが、わたしにはこの破壊的ともいえる乱暴な感覚、この口調がむしろ心地良いくらいだった。わたしの住む世界とはあまりにかけ離れた世界ではあるけれど。いえ、だからこそ。


それぞれの本について感想を書きたい気持ちはあるが、今は読み返したり感想を書くことよりも、次の本沢木耕太郎著、「凍」を読み始めたくてしかたない。
それぞれの感想は後日ゆっくりと。

さて、本を抱えてベッドへ。
おやすみなさい。


2006年02月16日(木) ダンス三昧

今日は雨が降っていたので、自転車には乗らずに、歩き→バス→歩きでジムへ行った。8時35分発のバスには遅れてしまったので、ヨガには間に合わなかったが、
小雨の中、のんびり田舎道を歩くのは、なかなか良い気分だった。
スタジオではわたしのワインレッドのダンスのウェアーと色違い(青、黒、茶色)のウェアーを着た方達と並んで愉快に踊った。

普段はこの後、奈央先生のエアロと太極拳をやって薄暗くなって戻って来るのだが、今日はラテン一本にして早めに帰宅。
そして何をしたかと言えば、4月のダンスのステージの練習。
確かに4月までにはまだ十分時間があるが、振りがきちんと整理されて頭に入っていない状態というのが目途のつかない宿題をかかえているような気持ちで落ち着かない。
細かい動きやシルエットはゆっくりやってゆくとして、まず一人でも音楽に合わせて動ける状態に早く持ってゆきたい。

狭いリビングのあちこちにぶつからないよう、テーブルやイスを動かし、ダンス用のシューズを履き、パソコンをセット。午後3時くらいから9時過ぎまで、DVDを止めたり、戻したり、コマ回しにしたりしながら頭にインプットする作業を続けた。
もともと運動神経と方向感覚の鈍いわたしのこと、人によってはものの数分で済む作業なのだろうが、わたしにはえらく手間がかかる。
でも、このコツコツと自分の頭と身体に叩き込む作業、それなりに好きなのだ。

マイヤ・ヒーの方は何とか入ったかな。ラテンはまだまだ。明日も数時間は練習に当てられそうなので、日曜日の合同練習までになんとか振りを覚えてしまいたいところ。

おっと〜、今回は初めてmGとのペアダンスもある。
喧嘩モードにならないかなぁ〜。Mんところのカップルもそんな事言ってたな。ま、これも訓練。

ところでこれを打っている今、見ながらモードのパソコンTVでオリンピックのフィギアスケートの高橋選手のことをやっている。
あの華麗な動きの向こうにあるすざまじい練習と訓練・・・元気でるなぁ〜。


2006年02月15日(水) ロマンスカーの柿の葉寿司、葉脈の美しさ、しきりに誉め   

一昨日の箱根日記に、後で思い出せるように、一行のメモ(あゆからCMみたいと書き込みもらいました)を書き付けておきました。
詳しくはそのうちに・・・なんて書いておいて、実行することはあまりないのですが、何となく今夜は、そこから書いてみたい気分です。
さっき、mGのブログで、雪の中を向こうからやってくる赤い登山電車の写真を見て、旅の気分を思い出したからかもしれません。


考えてみれば、車や飛行機の旅はしても、電車での旅というのは、これまでも数えるほどしかありません。基本的にわたしは乗り物酔いがひどくて、昔から汽車やバスは言葉を聞いただけで、あるいは字を見ただけで、その匂いを思い出し、吐きそうになるこらいでした。
箱根に行った日は、山行きの日と同様、ほとんど眠れなかったので乗り物酔いの不安があったのですが、初めて乗るロマンスカーは、乗り心地が良く、降りるのが残念なほどでした。

朝は6時半に家を出たものですから、電車の中で朝ごはんということにし、前の晩に作っておいたお握りを持っていっていたのです。でも、mGはロマンスカーでお握りはちょっとさびしいと思ったのか、駅の売店で柿の葉寿司を買ってきました。

柿の葉寿司って、よく見かけはするものの、食べるのは初めてでした。柿の葉っぱにきちんと包まれているその姿が何とも好ましいと思いました。
鮭と鯛と鯵の3種類の魚がそれぞれ寿司飯といっしょに包まれているのですが、しなやかで厚みのある大きな柿の葉の形が実に見事だと、葉脈を日に透かしてみながら、しきりに誉めあったのでした。こんなこと、普通の電車じゃできないし、車や飛行機の中ではそういう気持ちにはなれないと思います。ロマンスカーってこういう乗り物なんだって妙に納得しました。

ところで、この食べ物のことを少し調べてみました。
柿の葉寿司は、吉野(奈良)から紀北(和歌山)にかけて、広く一般に作り続けられている伝統のお寿司で、お祭りには欠かす事の出来ないご馳走と
して親しまれているそうで、もともとは夏の食べ物のようです。読んだことはありませんが、谷崎潤一郎の「隠翳礼賛」の中にもふるさの味として紹介されているそうです。


また柿の葉寿司は山へ持ってゆくのに良い食べ物のように思いました。小さいからポケットにでも入れておいて歩きながら食べられるし、包んでいる葉はもともと所属する山に戻すだけのことで、ゴミを捨てることにはなりませんしね。
そんなことを思ったのも、電車や、降りた箱根湯本駅に、けっこう登山の格好をした乗客がいたからです。この日わたしは、ロングスカートに長めのコートという格好だったので、山の格好の人達を羨ましい気持ちで眺めたことでした。
以前は山は見るもので登るなど考えてみませんでしたが、山を見て、あの頂上までよじ登ってみたいと心騒がす自分に、へぇ〜と驚きました。
歳と共に、よりワイルドになっていっているような気がします。

箱根湯本駅、迫る山見ればしきりに登りたく







2006年02月14日(火) たくさんのハート、たくさんの I love you!



Valentine's Dayに英語クラスが命中。
これはもう、ハートフルな特別クラスをしなくては。

日本の場合、バレンタインデーは、チョコレート会社の陰謀で、女性が男性にチョコレートをプレゼントする日としてすっかり定着してしまったが、子ども達には、<愛を寿ぐ>という本来の意味を伝えたい。
男女の愛に限らず、親子、兄弟、友だち・・・女も男も義理もなし。
大切なのはプレゼントじゃなく、Ilove you!と伝えること、ハグすること。

♪Skidamarink a doo の歌は繰り返しIlove youというフレーズが出てくるから練習するのにちょうどいい。高1の時、カナダの女の子に教えてもらったこの歌の振りはすごくかわいくて、女の子たちには人気だ。
それにしても1つのクラスで10回は歌ったから、4クラスで40回。歌の中に♪Ilove you!が5回でてくるから合計で200回♪Ilove you!と歌ったことになる。

次は、大好きな人にあげるバレンタインカード作り。
お母さんへ、お父さんへ、弟へ、妹へ、友だちへと行き先はさまざま。
赤いハートの切り抜きはそれだけで暖かい気持ちになるから不思議だ。
ほんと、ハートの形って、不思議。


子ども達の書くたどたどしい Ilove you! は何ともかわいいし。
お母さん達、きっと喜ぶよ〜。とそれを手にする母の気持ちになる。


最後にバレンタインにちなんだ絵本を2冊読み聞かせ。
森の4匹のねずみたちが、たくさんのバレンタインカードを森中の動物に配るというお話、”Valentine Mice”
もうひとつは詩の形で綴られるお母さん犬と子ども犬の愛情に満ちたストーリー、”What Do You Love?”
子ども達、それぞれに小さなチョコレートの入った袋を渡して、Valentaine hug。
あ、小5のクラスからはハグは遠慮しますと辞退されてしまったけど・・・大人に近くなっているからね、やっぱ、日本人だしね。小5となれば、言ってはみたものの、実際わたしも照れる。






思いがけなく、子ども達から、手作りのハートのケーキやチョコレートのプレゼント。かわいいハートの形や赤いパッケージはうれしいものだなと思う。
少しずつ、女→男という流れが変わっていってるのかな。

でも日本の場合、これまたお菓子屋の陰謀とお返しの悪習がくっついたわけわかんないホワイト・デーなんてもんが出来きたおかげで、プレゼントしたくても、ちょっと考えてしまう。愛を寿ぐお祭りが別のものに摩り替わってしまっているようで残念だなぁ。


話題を変えて、今日の晩御飯は赤い色のもの。トマトで煮込んだ子羊肉のシチューとプチトマトが入ったサラダにガーリックトースト。同居人にプレゼントしたフランスワインに合わせて。
同居人からは欲しかった本沢木耕太郎著「凍」。赤いバラにするか本にするか迷ったらしい。


2006年02月12日(日) 冬の箱根へ

11日、一泊で箱根へ。
25周年の記念が箱根というのもシブいというか、慎ましいですね。
でも、冬の箱根、なかなか良かったです。


キーワードだけ並べてみましょうか。


ロマンスカーで食べた柿の葉寿司、その葉脈の美しさをしきりに誉める

箱根湯本駅、迫る山見ればしきりに登りたく

「ポーラ美術館」、古の画家達の鼓動と時を閉じ込めて 

忘れていた君はしかし心に住んでいたと知る星の王子様・ミュージアム

「小湧園」 古木に囲まれ 冷気満つ

厳寒の 月や星や 露天風呂

「ユネッサン」 水着で露天 雪も舞い

間に合うか 登山鉄道強羅駅 タクシー急がす雪の坂道

わっぱめし帰りの電車 雪も止み

記念日の 仕上げはスタジオ 仲間と踊る


それぞれの詳しいことはそのうちに・・・
きっとmGが写真付きの旅の記録をアップしていくでしょうから、よかったらそちらをどうぞ。


ところで、昨日の日記の感想をいろいろとありがとうございました。
あの文章を出した翌日の日記、そうして目の前に もう一枚 白い紙を 置く
なんだか、今の気持ちととても良く似ています。


2006年02月11日(土) ストロング・ウェイ


ストロング・ウェイ





 教育棟204、確かそんな名前のついてる場所。
いつもはただしんとした空間にひとりでしゃべる教官と退屈な顔の大学生達の横顔しか見えない教室。しかしその日は違っていた。ガラス窓には暗幕が張られ、なにやら破壊的ともいえる音がそこから鳴り響いていた。バルコニーに出したテーブルには昼間から酔いつぶれているらしい学生がたむろしていて、無機質なコンクリートの建物と不釣合いな空気がそこに漂っている。大学の開学祭の2日目だった。

 わたしは204の脇を通ってさらに上階の304の教室に入った。音楽科の教授の研究発表があるというので音楽科の学生は動員がかかっていた。少しばかり退屈なほとんど講義の続きのような発表を聞きながら、下から響いてくるあまりの音のうるささと、同じ音楽とはいいながらこの教室で語られている音楽との違いにあきれていた。
「音量を下げるわけにはいかないのかしら」
と言いながらわたしは発作的に立ち上がった。

 顔をこわばらせて、抗議モードに心を固め、そのいかがわしげなクラブもどきの204教室のドアを開けたのだった。ところがその瞬間、まるで待ってましたというように、あのうるさかった音が急に別の音に変った。
「何なの、この音!」
その何かひとつところに向かって収縮していくような音と音のうねりに、わたしは早くも首根っこを捕まれてしまい、ふらふらとカウンターに座ったのだった。カウンターの内側には、見知った教育学部のNがいてわたしに気が付くと意外だという表情を作り、
「ストロング.ウエイへようこそ」
と言う。どうやらここはNやその仲間達がやっているジャズやロックを目玉とするクラブらしかった。
「音がうるさいから注意しに来たんだけど...でも、この曲、いいわね。何ていうの」
「僕は知リマセン。今連れてきますから、ここの音楽担当者」
いつものことだが、Nはことさらに丁寧な言葉でしゃべる。それが慇懃無礼にならないのは、そのゆったりと伸ばした独特のイントネーションのせいなのだが、これはNの自然な言葉使いというよりは彼の創ったスタイルのように見えた。どこでも、誰にでも自分流を押し通すというあたりで、わたしが少々負けていると感じる相手だった。

 Nから連れてこられ、わたしの目の前に立った男の子は、腕までめくりあげたカーキ色のシャツにオーバーオールという風変わりな格好をしていた。
顔も腕も日に焼け、眼光はきらりと鋭く、たった今、無銭旅行から帰還したとでも言うようだった。ぼわぼわした髪が顔を取り囲み背中のところまで伸びている。一見、むさ苦しげなのに、人間臭さに乏しいのが不思議な印象だった。若い男の子にはたいてい見え隠れする感情の揺れのようなものが見えなかったからかもしれない。

 こういう人間とはどんな話をすればいいんだろうと、相手の様子を伺いながら今流れている音楽について尋ねた。レコードのタイトルと演奏者の名前が分かればそれでよかったのだが、オーバーオールは待ってましたとばかりにその曲の解説を始めた。どうやらそれがここでの彼の仕事らしい。なんだか知らない名前や言葉がやたらでてきた。このクラブのためにあちこちから集めてきた 二千枚のLPレコードはすべて解説ができるというのを聞いて一瞬ひるむ。わたしについてもいろいろさぐりを入れてくるので、県民オーケストラでバイオリンを弾いているというと、彼は一瞬のけぞった。

 解説もどうやら終わったようで、コップの中身もなくなったから退散すべしと椅子を立つと、オーバーオールはLPレコードを2枚押し付けてきた。
「これ貸すよ」
「貸すなんて言われても、どうやって返せばいいの。学部違うし、会うことないでしょう」
「聞いたらNに渡しといてくれればいいよ。」
と押し切られた。音量を下げてもらうという目的も果たさないまま、
わたしは名前も知らない男の子のLPレコードを2枚抱えて、キャンパスの坂道をとぼとぼと歩き、一人暮らしのアパートに戻っていったのだった。
始まりの予感などはなかった。しかしどうやらそこが始まりだった。 それから一週間も経たないある日の夕方。アパートの戸をトントンと敲く音がする。ドアを開けると目の前にあの時のオーバーオールが立っていた。





 オーバーオールは名前をアキラと言った。アキラはそれから一週間に一度くらいの割りで、わたしのアパートにやって来た。その度にレコードやカセットテープに限らず、本や紙に書きつけた自分の詩や誰かの詩、また自分の手や足を描写した巧みなデッサン画や水道の蛇口や誰かの片足を写した変った写真などを持参してきた。4ヶ月の間は友達として過ごしたが、友達というよりは、ディベートの相手と言った方がいいかもしれない。アキラの仲間のNたちは、わたしのところにアキラが来ている時は、いつまでたっても電気が消えないことを笑った。夜を徹して議論しているのを知っていたからだ。
そんな具合だったから、ある日を境に我々が恋人同士になったと公示しても、周囲は信じなかった。それもそうだろう。アキラは変った様子もなく、
わたしはうっとりするような目などしてはいなかっただろうから。
 
 はっきり言って、わたしはその時、覚醒していた。恋の甘さに酔っている場合ではなかったのである。アキラはそれまで一人旅など一度もしたことがなかったわたしを、自分の冒険に連れ出す作戦を立てた。それまで一人で出かけていた山登りや無銭旅行にわたしを引っ張り出したのである。そしてわたしは初めて、親に真っ赤な嘘をついた。男の子と二人で旅に出るなどとまともに言えば、とんでもないことになることは目に見えていたから。

 星明りの他は何もない草原のテントの中、突然襲ってきた雷雨に生きた心地はしなかった。白馬岳に登った時にはお金が無くて、松本駅の構内に寝袋を並べて寝た。アキラがそのことを自覚していたとは思わないが、彼は冒険も含めて、様々な場面にわたしを連れ出すことで、わたしが育っていく過程で身に付けてしまったさまざまな呪縛を剥ぎ取るという役割を果たしたのだった。

 わたしたちは、大学を卒業して2年後に結婚したが、夫婦なったらなったで隠れている問題は吹き出すものである。新たなバトルに明け暮れしているうちに父親と母親になってしまった。目の前の赤ん坊をとにかく育てないわけにはいかない。未熟なまま、無理やり父と母の服に自分達を押し込め、どっぷり現実という荒波の中に浸かっての共同作業が始まった。
 
 そもそも一旦結婚してしまうと、周囲はたちまちそのユニットを自分達の社会に適合させようとする。男は仕事の側にしっかりと縛られ、女は近所の主婦仲間や育児仲間にがんじがらめになる。子どもの育て方に到っては周囲の無言の圧力がかかり、そうして回りとあまり違わないような似たり寄ったりのファミリーができあがってゆく。里帰り出産に始まり、宮参り、七五三、幼稚園と、自分達のテイストと違うものに知らないうちに引き込まれてゆくのだ。

 結婚生活を始めて、そこのからくりに気が付いたわたしたちは、社会の暗黙の圧力に屈しないことを決めた。自分たちの考えやテイストに会わないことはしないと。出産にはたとえ、その病院がそういう方針を掲げていなくても、夫が立ち会う。里帰りはせず、赤ん坊は初めから2人で育てる。子育ての責任はきちんと半分づつ受け持つといった具合に。

 わたしが生まれたばかりの赤ん坊を抱えて退院してから産後の母体が落ち着くまでの一週間、アキラは新生児の沐浴やおむつ交換、食事の支度に始まるあらゆる家事を一手に引き受けた。今のように男性も育児休暇が取れる時代ではなかったが5日間の有給を確保できたことは幸いだった。

 育児にまつわるアキラの話はいくらでもあるが、ひとつだけ愉快なエピソードを書いておこう。長男が生まれてまだ2ヶ月と経っていなかった時、
わたしは腕にしこりができたので医者に行くと大きな病院で調べた方がいいと言われた。病院に新生児を連れてゆくわけにはいかないが、預けられる親も親戚も近くにはいない。今のように一時預かりができる保育所もなかったから、こういう場合はアキラが休みを取って赤ん坊を看るしかなかった。
彼はどうせ休みを取っているのだから用事をいっしょに済ませようとしたのか、それとも、この日を逃すわけにはいかなかったのか、彼はわたしが病院に行っている間、赤ん坊を連れて、電車で2駅のところにある警察署に運転免許証の書き換えに行ったのだ。カンガルーよろしく布製のキャリアーに新生児を入れて現れたまだ大学生のように見える若者に警察官はぎくりとしたらしかった。さらに、手続きの途中で赤ん坊がウンチをするや、若者はその警察署の机の上でオムツを替え始めた。そこにいた警察官たちが物目ずらしさに集まってきたのは言うまでもない。
「いったいこんな生まれたばかりの赤ん坊、どこからさらってきたんか」
「かわいそうに、おまえ、早々と女房に逃げられたな」
などとはやし立てたらしい。新米の父親は赤ん坊のオムツを換えるという差し迫った命題を前に他のことは目にも耳にも入らなかったのだろう。それにしても警察署のデスクの上でオムツを換えた若い父親のことは語り草になったに違いない。

 先ほどわたしはわたしが育つ過程で身につけてしまった呪いを共に歩む男性の存在によって解かれていったことを書いたが、それはまた彼の側にも言えるのである。音楽や書物や旅、あるいは電気の回路や図面がもたらす世界とはおよそ無関係な、生生しい生の営みの中に我が身を挺することで、彼もまた呪縛を解かれていったのである。恋愛や結婚はお互いを縛りあい、囚われあうことにも成り得るが、お互いを解き放つ可能性も内に秘めている。
困難なことから目を背けないで、しっかりと向き合う時、不自由は自由へ変えられる。

 あの時304教室のクラブに「ストロング.ウエイ」という名前を付けたのはアキラだった。それは彼が目指していた生き方。結婚生活や子育ての中、家族を支えての22年間は、アキラのイメージしていたStrong wayではなかったかもしれないが、共に生きてきた連れ合いのわたしからすれば、それはそれでりっぱにStrong wayだったと思っている。新しい命のために自らをある意味犠牲にするのは決して女だけに要求されていることではない。男が自覚的にそれを受けて立つ時、それはStrong Wayに成り得るのではないだろうか。

そうやって我々を嵐のような日常にひきずりこんだ長男も、この夏21歳になった。我々が出会った歳である。夏休みにはガールフレンドとタイへの旅に出かけた。次男は今年大学生になり家を離れて寮生活を始めた。アキラもわたしもこれまで着ていた父と母の服をほぼ脱ぎにかかっている。決して自慢できるよう子育てではなかったが、与えられた2つの命をこだわって育んできたことだけは胸を張れる。そうして今、なんという解放感を味わっていることだろうか。

しかし、この終わりの時はそのまま新しいステージの始まり。アキラが会社員であったり夫であったり父親であったりするその真ん中に、誰も踏み込んでゆくことのできないひとつの道を見失わずにきたことはわたしも知っている。彼は元のところに立ち返ってやり残したことをやるつもりでいるのかもしれない。昔のようにまた冒険に連れ出す気でいるのならお供もしよう。
わたしはあの当時よりははるかに身軽になっているのだし、体力だって今の方が勝っているもの。ひとりで出かけるというのなら、それでもいい。わたしもまたひとりで楽しく行こう。

彼のまた続くストロング.ウエイが、健やかならんことを!



                 たりたくみ

初出 2003 年10月「心太処」


2006年02月10日(金) ハートのチャクラ?

ここのところ、わたしの内側で大きな変化が起きているような気がする。
一昨日の日記に書いた夢のこと、昨日のコンサートの事、今朝ナオさんからもらった書き込みのこと、どこか繋がっているように思う。ついでに、ふと思いついてたまたま開いたページにあったこととも。

昨日、コンサートで、ハートにアタックされたなんて書いたが、どうやら、実際にハートチャクラといわれる四番目のチャクラに刺激が加わったようだ。
ナオさんが感じたいつもと違う色のオーラ、その「うす紅色のオーラ」はハートのチャクラが今までになく開いていたからなのかもしれない。

後になったら、この時期の変化が何だったかよく見えるのだろう。
そのためにも、今日のメモを日記に残して置くことにしよう。


<今朝のナオさんからのかきこみ―「今日のたりた」>


びっくりです。いつももそうだけど・・・今日初めて違う色のオーラが見えた気がしました。ダイアリーも今読みました。昼の時点では何一つ知らずに・・・そう感じた。一瞬ロッカーで目を合わせたときに吸い込まれそうなエナジーに・・・いや、包み込んでくれそうなエナジーに決して疲れても弱ってもないナオさんが「涙」でそーになるくらい強い暖かく優しいオーラを放ってました。それは午後の2本目が終わっても持続してました。不思議です。「うす紅色」よ。かなり「元気」もらいました。ありがとうございました。2〜3日弱ってましたから(^^;)今日は復活してたんだけど・・・後押しされた感じで更に元気でました。


<わたしの書いたレス>

うす紅色のオーラ♪
そうだったんですか。自分のオーラって自分ではわからないけど、
なにか心の深い部分で変化が起こっているのは感じてました。
何度目かの「大掃除」かもしれません。
前は子どものわたし(インナーチャイルド)との和解だった。
今度はわたしの影との和解が進んでいるように思います。
自分の心の中での出来事がそうしてエネルギー体(オーラ)に現れるのは
おもしろいなぁと思います。
今日も歯医者まで自転車こぎながら理由もなく、あたたかくて優しいエネルギーに包まれていました。


<ハートチャクラについて・「光の手」より抜粋>


 ハートチャクラ(4番目のチャクラ)は、愛のチャクラである。これを通してすべての人生と結びつくエネルギーが流れる。このチャクラがより開かれれば、広がる生命の輪を愛するための受容範囲がますます増える。このチャクラが機能しているとき、私たちは自分自身を、自分の子どもたちを、仲間を、家族を、ペットを、友だちを、隣人を、同国人を、仲間の人間たちを、そして、この地球上のすべての仲間である生物たちを愛することができる。
 このチャクラを通して、私たちは愛情関係にある人たちの心のチャクラに絆をつなぐ。これは子どもたちや親たち、それに恋人たちや仲間たちを含む。このチャクラを通して流れる愛の感情は、しばしば私たちの目に涙を運ぶ。この開かれた愛の状態を一度経験すると、私たちは今までどんなに寂しかったかに気づき、泣きだすのである。このチャクラが開いているとき、その人は自分の仲間のうちにある個人のすべてを見ることができる。各個人の独自性や内側の美しさや光などを見ることができ、同様に否定的なあるいは未発達の面を見る。否定的な状態(閉じている)では見返りを期待することなく愛を与えるという点では、愛することに苦労する。

    バーバラ・アン・ブレナン著「光の手」 <河出書房新社>

            *

チャクラやオーラのことは圧倒的に分からない事の方が多いし、人に寄っては、なんだかあやしげに聞こえることなのだろうけど、目に見えないだけであって、その存在は肉体のレベルでも精神のレベルでもはっきり把握できる。
バーバラ・アン・ブレナン著「光の手」、この本にはもう10年以上も前に出会ったが、エマ・ユングの「内なる異性―アニムスとアニマ」と共に、自分自身を知る上で非常に有益だった。今でも自己セラピーが必要だと感じると、これらの本を開く。そして何かしらのヒントを与えられる。
そういえば、この前山へ行った時、河出書房の編集者の人とチャクラの話題で盛り上がった。今度お会いする機会があったらこの本の事話してみよう。


ところで明日はわたしたちの結婚25周年記念(銀婚式)を記念して以前、人についての作品を集めた「心太処」に依頼されて書いた「ストロング・ウェイ」を掲載しようと思います。
 


2006年02月09日(木) 新垣 勉 のコンサートへ

昨夜、友人2人とテノール歌手、新垣勉チャリティーコンサート「共生と平和をうたう」に行きました。


新垣勉については簡単なプロフィールを知っているくらいで歌を聴くのは初めてでした。
2曲目のシューベルトの「アベマリア」を聴いた時、いきなり激しい泣きモードが襲ってきてあわてました。
悲しい場面が予想できる映画の時には手にハンカチとポケットティッシュを握りしめることは忘れませんが、コンサートでハンカチが必要なほど泣いたことなどなかったからまったく予期せぬ事態でした。

映画館ならいざ知らず、コンサート会場ですすり泣きなど許されるはずありません。声を殺しましたとも。その後も3、4度、このモードに襲われ、けっこう大変でした。アンコールの「さとうきび畑」はもう何度も聴き、自分でも歌っている歌なのだから大丈夫だろうと思っていたのに、やられました。

ソプラノ歌手やテノール歌手のコンサートはもちろん、悲劇のオペラでさえも、あの誇張したエモーショナルな歌い方、返って醒めるほどだったのですが、これはいったい何なのでしょう。

新垣さんの広がりのある豊かなテノールは、とてもまっすぐでピュアなエネルギーを持っていて、それがストレートにハートをアタック(heart attack・心臓発作じゃないですよ・・ん・・これ、新垣さんが連発していた駄洒落みたいだ〜)してくるのでした。そうなれば、もうすべもなく、ただ「はらはら・・・」なのです。

これは埼玉県に初めて建設される聴覚障害者のための老人ホーム建設のためのコンサートでしたが、およそ2000人の人で観客席は満席の状態でした。
聴覚障害を持つ方のためにすべてのトークや歌に手話通訳と要約筆記が付き、客席にはボディソニック(音を身体で感じるための音響システム)が設置されていました。
手話で聴く(観る)歌は手で表現する踊りのようでした。

ふと、音の聞こえてこないコンサートを想像しました。
そういえば、新垣さんは盲目です。彼の心の眼はとても良く見えるに違いありません。彼の歌う歌にはどれも絵がくっきりと浮かびましたから。




2006年02月08日(水) 影(シャドー)

明け方、不思議な夢を見た。
わたしは学生で何かのサークルに所属しているのだが、そのサークルの人間関係につまずいて悩んでいた。いよいよそのサークルを退くことを決め、仲の良い仲間に退部の決意を告げた。そうすると彼女はそのサークルの指導教官のところへいっしょに行こう言い、躊躇するわたしと連れだって歩き始めた。
何か中世の修道院の薄暗い回廊のようなところを歩いていくと、一本の柱を背にして、その教官が立っていた。
赤黒い色の長いローブのようなものを着ていた。かなり年配の女性だが、わたしよりも背が高く、まっすぐに立っている姿には威厳があった。表情をあまり表に出さないような厳格で甘さのない顔をしていた。その人は黙したままだったが、わたしは何かが解決されるような期待を抱き安堵した。
夢はそこで終わる。 
ユング心理学でいうグレート・マザーとオールド・ワイズ・マンを合わせ持つようなその教官の印象が目覚めた後でも鮮明に残っていた。


夕べ就寝前にメールをチエックした時、友人からのメールがあって、その最後の行を読んだ時、わたしははっとした。同時に見つけ出せないでいた糸口が見えたような、何かがはらりと落ちたような感じがあった。

―たりたさんってもしかしたら、けっこう自分のこと嫌いなんじゃないのかなぁ、・・・―

心は一気に深層へと降りていって検証を始める。
もう遅い時間だったので、そのままベッドへもぐりこんだが、眠っている間にも、心は検証を続けていたに違いない。


表層のところではわたしはわたしを受け入れているはずだった。ところが、友人の言葉に基づいて、もっと深いところにある自分を調べてみると、わたしは今だに自分の事が嫌いで、受け入れ難いと思っていることを知らされる。

自分を嫌う人に対して、バランスを崩してしまい、そのことに執拗に捕らわれてしまう原因はここにあったのだ。
確かにわたしはわたしを嫌う、あるいは認めようとしない人の気分が良く分かるのだ。まるでその人が自分であるかのようにさえ感じる。その人の中に、わたし自身に激しく対立するわたし自身の影(シャドー)を投影するからなのだろう。

自分自身の影(シャドー)は、自分が切り捨ててきたもうひとつの自分であるとユングは言う。
その影(シャドー)と対立する以上、常にその存在に脅かされ続けると読んだように思う。もしかすると、すべての行為がその影(シャドー)への対立という形でなされているのではないだろうか。そこにはきっと影(シャドー)に向けられた棘が潜んでいて、それが見える人には見えるのだ。いえ、見えるだけに留まらず、その棘で刺すことにもなるのかもしれない。

そうか、わたしはわたしが嫌いなんだ・・・この気づきが起きた時、がんじがらめの縄がすっと緩んだ。
嫌いな自分も自分のうち、それと対決しようとするのではなく受け入れるという課題が置かれる。一朝一夕にはいかない事だろうが、自分が自分で嫌っているそこのところへ降りていって和解する必要があるのだろう。

ル・グインの「ゲド戦記」1巻目の「影との戦い」のことを思い出した。
再読してみようと思う。


2006年02月06日(月) せせらわらい

  せせらわらい


せせ
せせら
せせらせせら
せせらわらい
せせせ
せせせ



ぐぐ
ぐぐらぐぐら
ぐらりぐむむ
ぐぐぐ
ぐぐぐ



はは
ははらははら
はらりはらい
ははは
ははは

ははは
ははは


          *


言葉にできない、あるいはしたくない思い・・・
怒りだったり、落胆だったり、ほかにもいろりろ

向けられるネガティブなエネルギー、
それをまともに受け止けるのはとても損。

なぜなら人はネガティブなエネルギーを振りまくことで
人を無意識に「支配」しようとするのだから。

繰り返しやってくるネガティブなそれを
受け止めないでいられる方法を見つけよう。
 
         



2006年02月05日(日) 礼拝堂でのコラボ&レコーディング

昨日は文学の仲間と楽しいおしゃべりをしましたが
今日はダンス繋がりのミュージシャンと楽しいコラボでした。

礼拝の後、教会にギター弾きのみ〜さんと、フルート吹きのあゆが来て、「はぐくみ園」に送るための歌”With You Smile"の録音を手伝ってくれたのです。
手馴れたみ〜さんのお陰でレコーディングはつつがなくゆきました。
はじめ、楽譜が送られてきて録音を頼まれた時には、わたしにはとても手に余るボランティアだと頭を抱えていたのです。
それにしても、こんな短期間でコラボ&レコーディングが実現しとても嬉しい。み〜さん、あゆ、ほんとうにありがとう!

み〜さんのギターはその人柄の通りにとても温かく優しい音なので、わたしの歌がずんずん優しく、しっとりなっていきました。あゆのマラカスがテンポを保ってくれて暴走するのを留めてくれました。
ひとりで語り弾きしていた時は、単に威勢が良いだけのずいぶん乱暴な歌いっぷりだったのです。
ここをこう歌いなさいなどと言われなくても、相手の音楽から伝わってくるメッセージを受け止めると自分の音楽も自然に変化するものですね。
こうして人と合わせることで、自分の中に眠っていたものが引き出されるという体験はとても貴重です。
ダンスや文学の勉強会もまさにそうですが・・・。

知的障害を持つ方達と音楽の集いを持った時に感じたのは、彼ら特有な鋭さでした。どれほどまっすぐな気持ちを彼らに向けているか、歌ったり演奏している人間がどれほどそれを楽しんでいるのか、そこが見抜かれ、評価されると感じました。
こちらの側から流れ出るものがあってはじめて、彼らの歌いたい気持ちを呼び起こすことができるのだと、わたしに一斉に向けられた眼差しを受けて、身が引き締まる思いがしたのです。
それだから、熱狂的(?)に歌うわたしに、さらに熱狂的に返してくれた(踊りながら歌う人達もいました)彼らとの音楽の場面が深く心に留まっているのです。

今日録音した音楽はきっと受け入れられる―
施設の人達はきっとこの録音CDに合わせて、大きな声で歌ってくれるに違いない・・・ずいぶんな手前味噌ですが、そんな確かな気持ちが起こったのでした。


2006年02月04日(土) 贈り物

人と出会う
限られた時間を共有する
日常がふわりと虹色の空気を含む

走り過ぎてゆく時と時の間から
過ぎ去らないものがこぼれ落ちる
だから、それを受け止めることを忘れないように・・・

こんなに広い世界だもの
こんなに短い一生だもの
すべての出会いはあの方の意図するところ
大切な贈り物


2006年02月03日(金) 遅く起きた朝から始まった今日のこと

今日の事を日記らしく、手短に書いて寝ることにします。

まず、今朝は二人揃って、寝坊してしまいました。
いつもは6時半か7時に目覚ましセットするのに、すっかり忘れていたのです。

「大変、8時半だ!」
ホーム・アローンの映画のあのシーン、覚えていらっしゃいます?
二人がベッドの上で飛び上がり”We slept in!"と叫んだあのシーン・・・そのままでした。

同居人はよりにもよって朝大切な会議があるらく凄いあわてよう。
わたしだったら仕事モードの日は体内時計が目覚ましよりも確かに反応するんだけれど、今日はわたしは仕事がない日。身体はすっかりお休みモードだったのです。

同居人はものの5分で身支度を整え、(ここがわたしには真似できないところ)もう玄関先。顔は洗わなくてもバレないだろうけど、寝癖で凄いことになってる髪はまずいでしょう。後ろから追いかけてスプレーで水をかけたりと、何ともコメディな朝でした。

今週の月曜日、あまりにやることが多かったものだから(日記に書いてますが)朝の10時半に歯医者の予約が入っていたことをすっかり忘れていました。その代わりの予約が今日の午前10時。これはどんな事があってもミスするわけには行きません。

予定ではすっかり家事を済ませ、ジムの用意をしてから歯医者という算段でしたが、まずは歯医者へダッシュ。
戻ってきてから洗濯物を干し、ジムの支度。
これ、結構、大変なんです。かなり慎重に準備しても、靴下が一足足りなかったり、替えの下着やタオルを入れ忘れたりして面倒なことになりますから。

ジムでは2本スタジオレッスンを受け、帰りに本屋で村山由佳著「星々の舟」と小川洋子著「博士の愛した数式」の文庫本を買いました。
牛乳を買うためにスーパーに入ると、太巻き(恵方巻きと言うのですね)が山のように積まれていました。こんな大量の巻き寿司見るの初めて。コンビになんかで恵方巻き予約なんて広告を見ていたけれど、スーパーでも大々的に始めたんだ。
節分、豆まきとかはしないけど、巻き寿司は食べなきゃならないような気になってしまい、恵方巻きを一本買いました。今日は同居人は飲み会なので、わたしの夕食にちょうどいい。
これ切らないでまるかじりするんでしょ。

さて、お楽しみの時間。スーパーのパン屋さんでいつものメープルメロンパンを一つ買い、マックの100円コーヒーと共に遅いお昼。
このメロンパン、外はカリッ、サクッ津としていて、中はトロ〜リとおいしいメープルシロップが入っているんです。とても気に入っていてできれば毎日食べたいくらいです。このパン屋さんで一番人気なパンというのもうなずけます。

さて帰り道。行きはぽかぽかと春のようなお天気の中を気持ちよく自転車走らせたものの、午後4時ともなるとすっかり様子が変わり、冷たい風が凄い勢いで吹き付けてきて、自転車ごと飛ばされそうな勢いでした。ちょっと危険を感じて、何度も自転車から降りて、押しながら歩きました。
それでも気分がそれほど滅入らなかったのはアイ・シャッフルでビョークを聴いていたせいだろうと思います。

夜、市川拓司著「いま、会いにゆきます」を読み終えました。
映画ほどじゃなかったけれど、やっぱり派手に眼汁鼻汁(なんか汚い表現ですね)が出ます。
このストーリーはなんでティッシュペーパーの山ができるんだろう・・・今だにその理由が分かりません。じんわり涙が滲むとか、鼻の奥がツンとするというようなレベルとちょっと違います。あくまでもわたしの場合ですが・・・。

映画とはまた違って、原作もなかなか味わい深いものでした。
純愛小説なんて全く興味なかったから、DVD見なければ、この本読もうとはしなかったことでしょう。「世界の中心で愛を叫ぶ」も「冬ソナ」もあまり好きじゃないし、この手のお話は苦手と決め込んでましたからね。
読んでみて、これはいかに泣かせるかということに狙いを定めた小説じゃないなと思いました。
感想は後日書くことと思います。

さて、予定の時間を15分超過。
ここでおしまい。おやすみなさい。


2006年02月02日(木) 村山由佳 著 「すべての雲は銀の・・・」 を読み終える

 「翼」に続いて、村山由佳著、「すべての雲は銀の・・・」を読み終えました。

今回は、日記には書かなかったものの、ちょっと気落ちするというか、なんともむさむさとやるせない出来事があって、読書にも集中できない時があったので、読み始めから読み終わりまでにけっこう時間がかかりました。そして、その出来事から来るわたしの傷心(と言うにはおおげさかもしれないけれど)がこの物語に絡まって、文字通り、読むことで癒されていくという体験もしたのです。

んん・・・どういう感想を書こうかな。というのはここで紹介すると、きっと読もうとする方がいらっしゃると思うのね。そうするとネタバレみたいなことになってしまうと申し訳ない。とりわけこの小説は話の結末はどうなるのかなという期待や興味に冒頭で掴まれて、それにひっぱられて読み進めていくという具合だから、何も知らないでストーリーに導かれる方が良いに決まってますもの。

当り触りのないところでいえば、信州の山奥にある宿屋が舞台で、失恋の痛みを抱えてこの宿屋にアルバイトにやってくる大学3年生の大和祐介の一人称で語られる物語。前作の「翼」と同様、物語を構成する人物達が実に生き生きと描かれ、またその宿屋の建物の具合から家具調度、周囲の畑の様子など、まるで映像を見ているようにくっきりと浮かび上がって来ます。この絵が見えるというのは読んでいてほんとうに幸福な気持ちにさせられます。

祐介が心の痛手を宿の仕事やそこにいる人達とのかかわりを通して癒していく過程を読者もまた辿るというところも「翼」と共通するものがあります。
そして登場人物がそれぞれに心に痛みを抱えていることも・・・。
けれども読者はそうした個々の傷を見ることで暗いニヒリズムの沼に落とし入れられることはありません。うんと泣いた後のどこか晴れ晴れとふっきれた気分のようにすがすがしいものが心に起こってきました。
カタルシス・・・。

生きることは痛い、けれどもその痛みは癒されるという力強いメッセージを受け取ります。
どんなに不幸なことにもその裏には明るい兆しが潜んでいる―まさにタイトルになっている "Every cloud has a silver lining" がこの小説のテーマ。そういう強い「肯定」がこの物語を底から支え、センチメンタリズムに流されることを拒否しています。

この宿屋がこだわる、自然な環境での野菜作り、大地の恵みを受けた野菜や、元気な卵を産む鶏などの家畜の描写が印象的で、好きな部分ですが、作者は人間が生きる大地、命の源としての大地を力強く欠けのない大きな存在として土台に据え、読者ともども傷ついた人間達をそこに包み込もうとしているように思えました。
少なくともわたしはまるで信州の山奥で傷心を癒される体験を実際にしたような、そんな気持ちになったのでした。

もうひとつ、俯瞰ということ。「翼」を読んだ時にも感じましたが、この作者は鳥の眼を持っていると。この大地の広がり、そこに生きる小さなもの達のかけがえのない生。ひとりひとりを丁寧に描きつつも、時も場所も越えて広がるダイナミックな視点がそこにはあるように思いました。



2006年02月01日(水) 曇り空の朝に

昨夜シークワーサーチュウハイを飲みながら寝ぼけ眼で書いた日記を、今朝修正しながら、はっと閃いたことがあった。

つながろうとするということ。端子を出して人と接するということ―
それはどういうことか。
それはその人に対して敏感になるということ。
少なくとも鈍感にならないということ。
もっとつきつめれば、その人と間に「祈り」を持つということ。

祈り・・・これは願いごとではない。何かを期待するのではなく、その人の存在を感謝し、愛し、その人の幸せを願うという祈り。

もし人との間に「祈り」が存在すれば、おのずと、その人が自分に何を求めているのか、あるいは求めていないのかが察知できるはず。
不用意にその人の気持ちを傷つけたり、がっかりさせたりすることもないはず。

昨日のクラスの中で子どもが涙ぐむ場面が2回あった。
ひとつは年長児のAちゃん。はじめはその原因が分からなかったがすぐに察しがついた。彼女が持ちたかった猫のカードを他の子が先に取ってしまったからだ。6人の子どもが順番に好きなカードを取っていく時、Aちゃんの順番が最後だったのが原因。今度はAちゃんを一番最初にしてあげたけど、涙ぐんだことがすでにはずかしいから素直になれない。
しばらくすると欲しかった猫のカードを手にして気を取り直してくれ、ほっとした。

Aちゃんに関しては察しと対応が間に合ってよかったが、5年生のMちゃんの事はわたしの失敗。
彼女はノートにたくさん自主学習してきて、それをわたしに見てもらいたかったのだ。後で見るからねと言いながら、その日の課題を終わらせ、先週お休みしていたMちゃんとHくんの補習や、よく読めない子の個人指導をしているうちに時間が過ぎてしまった。寒い中外でお母さん達を待たせる訳にはいかない。とうとうMちゃんのノートはゆっくり見ることができなかった。ごほうびのシールを貼ったくらいでは彼女の残念な気持ちは治らないのは分かっていたけれど。
今度からは、わたしの都合優先させず、まず生徒がわたしに望んでいることに気づき、それを優先させようと反省。
ごめんなさい、Mちゃん。

そういえば、ここ1週間「鈍い」という言葉が気にかかっていた。
別にわたしがそれを言われたわけでもないのだが、まるでわたしが指摘されたように振り払っても心に引っかかってくるのだった。
ということはわたしの中に「鈍さ」を、人の痛みに対して鈍いものを自覚していたからなのだろう。
自覚しつつも、じゃあ、その鋭さでもって人の心を刺すということは許されるのかと心の内で反発していた。
少なくともこの人は人を傷つけるような言動は吐かないだろうし、わたしもそうだと居直って・・・

しかし、わたしの「鈍さ」が人を傷つけたことを知る。
それを自覚していなくとも人は人を傷つける。

「祈り」しかないのだと思う。
人は自分の鈍さをどうすることも、また鋭さをどうすることもできない。
どちらにしても傷つけるという加害者になることから免れることはできない。

大切なのはそこに「祈り」が存在するかどうか。
その人に対して祈るような気持ちを向けているかどうか。
拒否ではなく受容する意思がまずあるかどうか。
畢竟、ほんとうには人を愛せない者であるという痛みとともに。


たりたくみ |MAILHomePage

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