たりたの日記
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仕事の帰り、友人二人と待ち合わせて、新宿のうたごえ喫茶「ともしび」へ。 とにかく歌いに歌う。 わたし達を誘ってくれたYは別として、わたしももう一人の友人も初めてだというのに、「リクエストをたくさん下さったこちらのテーブル方方どうぞ」というお誘いに乗って、新来客の身でありながら、しょっぱなから前に出て歌ったのだった。
わたし達と相席になったおじさま方は、歌集を見なくてもすっかり諳んじて歌えるほどに慣れていらした。聞けば、週に1・5回は来るという常連の方たち。それで、いっしょになって盛り上がり、ロシア民謡や、労働歌など、元気のいい歌を次次に歌ったのだった。
わたしの世代は、うたごえ喫茶全盛期の世代より20年くらい後の世代ということになるのだろうか。グループサウンズから、フォークソングへと移行していった時代で、うたごえ喫茶のことは名前だけしか知らなかった。それでもそこに、何か愛着があり、歌集の歌のほとんどを歌えるのは、父が好きで良く歌っていたからなのだろう。
子どもの頃、家にころがっていた歌集を広げ、ソノシート(プラスティックに紙のように薄いレコード)の歌を聴いて一人で覚えては歌っていた歌は少なくない。人といっしょに歌う機会もないままだったが、記憶の中にはしっかりと残っている。
カリンカ・泉のほとり・おお道よ・赤いサラファン・なつかしい歌、カナダ旅行・・・・ そんな子どもの頃の歌を、ちょうど父の世代の方方といっしょに歌うのはなんとも感慨深かった。そしてしきりに父の事が思われた。こういう場所、好きだっただろうな。どんなにか喜んだだろうなと。
♪赤いサラファン縫う時は いろりに静かに火が燃える・・・・ ・・・・・・・・・ 燃えるようなその頬も 今にごらんよ色褪せる
だから娘よ母さんの いっとく言葉を良くお聞き・・・・
まだ12か13歳の頃、それこそ燃えるような頬をしていた頃、この歌を好きでいつも歌っていたけれど、これは母親が娘を想って歌う歌。しかも年頃の子どもの母というちょうど今のわたしの年齢の。 どうして、この歌がそんなに好きだったのだろう。 その歌を歌っているわたしの事を母はどう思っていたのだろう。 多忙を極めていた母は娘がのんびり歌う歌など耳には入っていなかったに違いない。思い出してはなんだかおかしい。
窓からは紅葉したハナミズキが見える。 遅い秋の日の午後、この時間に特有な陽の光りが好きだ。 しかし、何と形容してよいものやら・・・
幼い時にはこの陽射しがなぜかうすらさみしかった。 そのさみしさの故に、 わたしは秋が好きであったためしがない。
それなのに、なぜだろう。 この秋は、何度も秋を好きだと思った。 やがて遅い秋へと、そして夕方へと傾き始めた今のわたし、 この季節のこの陽差しが自分に合うようで心地良いのだろうか。
遅い秋にはすでにやってくる冬の兆しが漂い、 傾き始めた陽差しには夜のはじまりが含まれる。 もしかすると、 そのことを受け止められるようになったのかもしれない。
2005年11月28日(月) |
お話会と文学ゼミの月曜日。 |
ゼミの日の今日、もうひとつ出かけるところがあった。 数日前、マオさんからお誘いをいただき、中野坂上駅から5分ほどのところにある宝仙寺へ「十二のお話朗読会」に行くことにした。
童話作家のマオアキラさんは、つい最近まで、テレホン童話「十二のお話」で童話を執筆されてきたが、今日の朗読会にはマオさんの作品も朗読されるとのこと。朗読会も良い機会だが、日々後主人の介護に明け暮れているマオさんにお会いできる機会はそうは訪れない。
駅そばのコーヒーショップで待ち合わせをし、しばらく話した後に会場のお寺へ向かう。会場では「森のおく」のミュージカルをいっしょにやった方方ともお会いでき、なつかしかった。
大きなお寺のお御堂に作られたステージは不思議な空間。 5人の声優の方たちによる朗読パフォーマンスを楽しんだ。 大人のわたしではなく子どものわたしが内側からひょっこり顔を出して聴いているような気がした。子どものお話を自分のために聴くことをずいぶん忘れていたと思う。 わたしは子どものためのお話、童話や児童文学に大人になってから没頭した。 もっぱら読み手として、また語り手としてのかかわりだったが、いつか書くということにも繋がるのだろうかと思いつつ、ここのところはもっぱら大人の文学に傾いていた。 童話の朗読を聞きながら、置き去りにしてきているものが閉じられた扉に向こうで息をしていることに気がつく。 マオさんから童話を書くことを勧められた。扉は開くだろうか。
最後の朗読が終わったところで、一足先に会場を出て、ゼミの会場へと急ぐ。 いつもの都電荒川線を使うと間に合いそうにないので、高田馬場駅からタクシーで会場へ。タクシーの中でペットボトルの紅茶とカロリーメイトの夕食。
今日のテキストは仲間のNさんの作品「回転する柱」。 この日、都内へ出る電車の中でこの作品を4回目を読んでいる時に、最後のページのところで不覚にも涙がこぼれた。きまり悪さを感じながらも、ようやくこの作品に近づけた、この小説の魂にタッチしたことを感じて嬉しかった。
わたしにとって小説を、あるいは詩を読むという行為はそれを分析したり、批評したり、知識を得るためではない。そこにある魂に触れるという、その事のため。 接触は瞬時に起こる場合もあるが、遠くから少しづつその距離が近くなってようやく触れるに到ることもある。 どうしても心の触れ合わない人が存在するように、わたしの魂には触れることのない作品も当然存在する。
築地魚河岸で働くNさんの小説の舞台は魚河岸、足を踏み入れたことのない特殊な世界。そこで軽子や小揚と呼ばれる運搬を荷う人達を通して、またパン工場や自動車工場での労働を通して、いわゆる底辺労働者に課せられている過酷な労働が顕にされる。その世界の事が書かれている事自体にまず意味がある。
初めてこの作品を読んだ時、きりっと引き締まった文章、言葉の持つリズムの心地よさ、読者を次ぎへ次へと進ませる、物語へと引き込む力といった、この小説が持っている力は十分に感じ、充実した読書ではあったが、自分とは遠いという印象を持った。
しかし、だからといって、端から拒否されている、取り付く島もないというのとはどこか違う。わたしにはまだ見えないが、何か辿りつけるような予感がするのだった。荒廃、叫喚の中に、落ち着いた静かな眼差しを感じ、揺るがない肯定の兆しを感じるからだった。
3回目に読んだ時に、不意にこの特殊に見える世界の中に、自分自身が、いえ、この世に生きる子どもから老人に到る人々が重なっていくのを感じた。 いったい人はすべからく苦しんで日々の繰り返しに耐えているのだと。生きるということは昔も今も、根本のところでそのしんどさは変らない。 底辺労働者ばかりではない。子どもを育てている母親、介護に明け暮れる主婦、過労死を危ぶまれるサラリーマン、学校に行けない子どもも、学校に順応しているいわゆるいい子にしても。受験や就職活動のストレスで精神を病む若者。どの年齢のどういう立場にある人間も感じる、生きるということが本質的に持っている苦悩を思った。
すると、回る柱を形作る銀色に光るイワシ、水槽の中で同じ水道を果てしなく回り続けるイワシの群が小説の文字の中から初めてのようにくっきりと見えてくる。そして、その前に主人公と共に佇んでしまったのだ。 このままでいいのか、この繰り返しでいいのか、その問いがわたし自身へ向けられる。 空洞を覗いたのである。いえ、読むという行為を通して覗かせていただいたのである。
この事は以前にも繰り返し書いたが、人がほんとうの光りを掴むためには一度、我が身の事として空洞を覗くことが必要なのだ。 回転するイワシの柱から目をそらせなくなった主人公はしかし、果てしない空洞に飲み込まれはしなかった。土方をしている長沢さんが見せてくれた赤ん坊の写真に尊い魂の塊を思い、夢に向かって歩み始めたメグミの横顔に、人間としての輝きを見る主人公は最後にこう語る。 「遠い星から見たら、地球にも回転する柱がそこら中にあるかもね。そしてそれは銀色に光って見えて、遠い星の彼らの目には美しいかもね」
わたしが胸を突かれ、不覚にも泣いてしまったのは、まさにこの箇所だった。 はじめに読んだ時に、予感したものはこの中にあった。 闇の中に瞬くひとすじの光りを想う。 アドベントにふさわしい作品を読んだ。
教会の暦では今日からアドベント、待降節に入り、クリスマスまでの4週間続きます。
シンボルの色は紫。 祭壇にかける布や牧師の身につける装身具、またバナーなどの壁飾りは紫色で統一されています。 紫はまたキリストの受難を意味する色でもあり、レント、受難節にもやはり紫色が使われます。
左は毎年この季節に掛けられる、アドベントのバナー。 バナーはそれぞれの教会で手作りされる布の飾り旗のことで、 教会暦に合わせて、またその日の聖書の箇所にちなんだデザインのものに合うよう、その都度、掛け替えられます。
これは、アドベントクランツ。 紫色のろうそくが4本立てられています。今日はその中の1本のろうそくだけに、火が灯りました。 来週の日曜日には2本、そしてその次は3本。 4本灯るとクリスマス、降誕祭です。
アドベントのはじまりの今日は、またイエスのエルサレム入場を記念する棕櫚の主日、パームサンデーでもあります。棕櫚の葉を手にしたユダヤの人々から歓迎を受けたイエスはそれからいくらもたたない内に十字架の刑に処せられます。
イエスがエルサレムに入られる時、イエスは、威風堂々とした馬に乗って勇ましく入場する王のようではありませんでした。 予言の通り、子ロバの背に乗ってやってくる武器も持たない王の姿でした。 イエスの持つ武具は愛、それも自らを捨てるという、極みにある愛、それだけ。
街が賑やかなイルミネーションで飾られるこの時期ですが、礼拝堂には息を詰めて主を待ち望む、冴え冴えとした空気が漲ります。
< マルコによる福音書 11:1−11 >
1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、
2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。
3 もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」
4 二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。
5 すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。
6 二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。
7 二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
8 多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。
9 そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、、祝福があるように。
10 我らの父ダビデの来るべき国に、、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
11 こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。
10月23日の芝居とダンスのコラボ「伊集の花」のDVDを観ました。 スイッチオンと同時に流れる沖縄の音、タイトル、まるでTV番組を見ているよう・・・ そして本編とメイキング。 夢中で見ました。 胸打たれるものがあります。しみじみとした気持ちになります。 自分の踊りや演技、また練習の時、何かしゃべってる姿とかぼおっとしているところとか、自分の知らない自分の姿を客観的に見るのはいつだって気恥ずかしいものですが、これがわたしかぁとその度に確認します。 それにしても、こうして毎回の練習から本番、楽屋裏まで丹念に記録してくれるカメラマンが仲間にいることがなんとも感謝です。 まだ書きたいけれど、これから教会。 では、また夜に。
<伊集の花BBSに書き込んだこと>
今夜のラテンの時にいただいたDVD、わくわく、どきどき、こわごわ観始めやがて、ほのぼの、にこにこ、けらけら、うるうる、ふるふると、心は派手に振幅しました。 あぁ、なんて素敵な仲間と素敵な時間を過ごすことができたことだろうと、改めて感謝と感激。
最初のテーマのところから、うわっ、本格的!はじめから終わりまで、とても充実していて、みごとな編集です。みんなの表情がほんとにいいです。これは家宝の中でも特別。みつやさん、ご苦労様でした。そして、ほんとうにありがとうございました。
初めて全体の動きを見ながら、えんぶりの振りつけは凄い!と思いました。あの集中と迫力と日本的な動き。 赤道伝説のところは心の深いところに届いて、芯から優しい気持ちになります。あゆの表情見て、もらい泣き・・
きっと、これから何度も観るだろうなと思います。 おばあちゃんになって孫に見せたりするんだろうなぁ。
>2006年、オリジナルMsと高田いっせい舞台に集中しまーす。
はぁい! DVD観たら、俄然やる気が漲りました^^ 2006年も素敵な年なりそうですね。
2005年11月25日(金) |
ボディースキャンのこと |
さて、今日は身体の事を書くとしましょう。 先月、ジムにボディースキャンなるマシーンが入りました。100円で基礎代謝量や肥満指数、体脂肪率や筋肉量などが測定でき、プリントアウトまでしてくれるという有り難い代物。 何でもやってみたいわたしはさっそくボディースキャンを試みました。うん、これはいい!月の一度は測定してその推移を観察することに決めました。
レベル判定は1から8までで、1が最も少なく8が最も多いということになります。例えば、11月11日の測定では
BMI 21.6 レベル3↓ 基礎代謝量 1218cal レベル6↑ 体脂肪率 22.6 レベル2↓ 筋肉量 16.4kg レベル8↑ 水分率 56.6% レベル7↓ 骨量 2.1kg 前回と同じ
(↑↓は前回との比較)
という結果でした。 10月よりも脂肪率が下がり、筋肉量が増えていました。 このスキャンの事を意識して、ボディーパンプやダンベル体操のような筋トレ系のクラスをを週に一、二度入れたのが効果を発したのかもしれません。 腕の筋肉量はレベル8で足の筋肉量はレベル7。もうこれ以上筋肉は付かなくても良いような数値。これ以上筋肉が増えるとマッチョになるんじゃないでしょうか。いくら基礎代謝量が増えても、それはあまり在り難くないです。
BMI というのは体格指数のことで、体重(kg)÷身長(m)×身長(m)計算され、22が最も理想的、最も病気に鳴り難い体格ということらしいです。 とすれば、わたしの場合、スタイルには多いに不満があるものの、健康を考えるならこれ以上体重を減らすことは良くないということになります。
問題は基礎代謝量をいかに高めるかということ。 わたしの場合、1218calという基礎代謝量をレベルアップさせることが良いのでしょう。でも、もうひとつこの基礎代謝量のレベルが分かっていないので、ネットで調べてみたところ基礎代謝量のついて詳しいサイトが見つかりました。これによれば、わたしの基礎代謝年齢は18歳〜29歳ということになります。 目指すは17歳?そこまでは必要ないか・・・
3年前、果てしなく長い道程のように感じられたダイエットが、もしかしたらここに来てゴールということになったのかもしれません。 そう思うと、何か目標がなくなったような物足りなさを覚えます。 でも、これを維持するというのがきっとなかなか大変なことなのでしょうね。
現に、風邪に見舞われた4日間、運動はせずに気合を入れて食べたものですから、体重も体脂肪もみごとに増加してました。当然筋肉も減り、ボディースキャンすれば、ひどい数値に唖然となったことでしょう。 身体は、いえ、頭も心もでしょうが、最高のコンディションを維持するのは何と難しい。 さて、風邪も治ったことだし、また明日からがんばろう。
と、その前に明日の課題は家の中のシェイプアップでした。整理整頓、不要物を脂肪を燃焼するごとく取り出さなくはなりません。そして目に見える状態にして、管理を容易にする。人目に付かない押入れや引き出しに何でも詰め込むのは身体の内臓に脂肪を溜め込むようなもの。事態はひどくなるばかり。気持ちも良くない。はい、よおく分かってはいるのです。この場合も、わたしの場合、ちょっと気を抜くと、また元の木阿弥。維持するのが難しい・・・ なんてダイエットと似ているんでしょうと、いつも思います。
さて、夜更かし禁物。と言っても、すでに時計は深夜1時半を過ぎてしまいました。 ベッドに急げ! おやすみなさ〜い。
2005年11月24日(木) |
オペラ「沈黙」をビデオで観た夕暮れ時 |
今日はジム日だったが、一日家で過ごす。 せっかく家に居るのだから日頃気になっていたことをしようと、衣類の整理をする。 夕方からビデオで遠藤周作原作「沈黙」のオペラを観る。 これもずっと手元にありながら、あまりにテーマが重いので、観るタイミングを逃していたもの。 昨日のサロメもそうだが、この手の作品は、何か心が別の事に支配されている時にはとても入っていけない。 そういう意味では今の時期、珍しく、ニュートラルなんだろう。
「沈黙」は確か19歳か20歳の頃に読んだ。衝撃的な作品だった。その後、遠藤周作のキリスト教文学を続けて読んだ。「沈黙」を今また読み返してみようと実家から本を持ってきたものの、書架の目に付くところに置いたまま、まだ開いていない。 そこにある宗教的葛藤と付き合わなくてはならない事が分かっている。その問いかけはわたしに向かってくることは承知している。 そのしんどさはあるが、20歳の頃には見えていなかったものがあるような気がするのだ。確かめたいこともある。 今日、観たオペラはいいきっかけになった。少しだけ、この本に接近したような気がする。まだ手に取るには至らないが。
風邪はずいぶん良くなった。喉の痛みが消え声も出るようになっている。 今回の風邪、低中性脂肪のせいではないかと思う。中性脂肪が低すぎると、脂肪に溶けて吸収されるビタミン類が欠乏するから抵抗力が弱くなるらしい。 しっかり食べよう。体重は増やしたくはないけれど風邪はいやだもの。
風邪はすんなりは立ち去ってくれない模様で、今日はおでんをつつきながら一日風邪と付き合うことになった。
午前中はベッドにもぐって読書。次回のゼミのテキスト、仲間のNさんの作品を再読。うまいなぁ、よく書けているなぁと感心しながら読む。しかし、自分の生活を題材にして小説を書くということには相当なエネルギーが必要だろう。そこに自分の過去も今も顕にするのだから、どこかで強い自己肯定とふっきれたものが必要になるだろう。その強さが作品の底に流れていて、安定したものを感じる。後4、5回は読むつもり。読むほどにクリアになっていくものがいつもあるから。
その後に、昨日から読んでいるエミリ・ディキンスン評伝(トーマス・H・ジョンスン)をディキンスン詩集の原詩を開きながら読む。翻訳の文章では当然ながら、英詩の韻律の説明が実際には音として聞こえてこない。ディキンスン全詩集を手に入れていておいてよかった。時間はかかるが、ディキンスンとはじっくりとかかわっていくつもり。短い詩が多く、シンプルな言葉で綴られているが決して易しい詩ではない。彼女の神への思いや信仰上での葛藤、そういうものを把握する必要があるように思う。
寝ながら本を読むのもなかなか疲れるので、午後はビデオを見ることにした。前から時間がたっぷり取れた時に見ようと思って、もう1年近くもその機会がないままだったオスカー・ワイルドの「サロメ」。
去年の日記に「サロメ」を読んだことを書いたが、その時見たいと思った劇を1年以上も経って見たことになる。今日はそれを見たい気持ちとタイミングがうまく一致した「サロメ日和」だったのだろう。
ひとつはリヒャルト・シュトラウスの歌劇「サロメ」全曲。カール・ベーム指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏。テレサ・ストラータスのサロメは純真でかつ官能的、愛らしくまた残忍なサロメを良く表現している。
もうひとつは数年前に銀座セゾン劇場で上演されたスティーブ・バーコフ演出の劇「サロメ」。こちらはバーコフ自身が演じるヘロデ王が最も印象的だった。オペラとは対照的で、舞台装置も衣装もまた登場人物も極めてシンプル。 小道具も全くなく、スローモーションとパントマイムの手法を駆使している演技は新鮮だった。音楽はピアノのみ、しかも曲はラグタイム。2000年前のユダヤとは全く関係のない音楽が意表を突く。しかし、脚本はオスカー・ワイルドの原作のまま。むしろ、ワイルドの言葉をいかに伝えるかというのがこの劇の目玉なのだろう。
よりにもよってこんな時に風邪をひいてしまうなんて・・・ 明日の山と鍋の会、それは楽しみにしていて、早々とおでんの材料なんかもどっさり買い込んでスタンバイしてたのだけど、今朝、行けませんと連絡しました。残念無念・・・ 昨晩、寝る前までは山には行けるという気がしていて、mGにわたしの分担する食材や発泡スチロールのどんぶりやらを買ってきてもらっていたのです。ところが朝になっても風邪は出て行ってくれてないばかりか、昨日より状況は悪化していて、起き上がれない始末。
これでは夕方からの仕事もできないかなと思いました。 この仕事を始めて10年、子どもの病気とか身内の不幸でクラスをキャンセルしたことはあっても自分の体調不良のために仕事を休んだことはなかったのに・・。でも、エアロビのインストラクターは熱があっても仕事を休まないとこの前言ってたなぁ。それにこの出ない声で20人の生徒の家にキャンセルの電話することの大変さを思えば、クラスをした方がまだ楽かもしれないと考え、仕事は強行。ビデオの英語教材とCDを駆使してなんとか3クラス終了しました。ほっ・・・
それにしても20代や30代の頃に比べると体力がついたものです。何日も寝込むということはなくなりました。もしかすると明日山に登るくらいには体力は回復しているかもしれません。でも今回は喉がすっかりやられているので、こういう場合、長時間冷たい外気を吸い込むと声がすっかり出なくなってしまうことは経験済み。さっそく仕事に支障をきたします。商売道具の声を失ってはどうにもなりません。 しかたない、きっぱりとあきらめて、また来年。
でも、去年の今頃、勉ゼミの掲示板で山と鍋の会のお知らせを見ながら、楽しそうだけどわたしはとても山なんて無理だなあと思っていたので、今年になってからいくつも山行きを果たすことができたことを思えば感謝の気持ちが湧いてきます。 そうそう、ダンスのステージも芝居ダンスも穴を空けずに済んだし、身体に文句など言えませんとも。
さて、まだ8時半だけど、薬を飲んでベッドに入ることにします。 明日は本くらいは読めるかな。
ずいぶん久しぶりの寝込み風邪。 ただただ一日眠っていた。 今日は仕事がない日だったので、 誰にも迷惑かけることがなくよかった。 おかしな夢をたくさん見たけれど、 変な夢だったという他はみな忘れてしまった。
ジムに置いていた自転車が雲隠れした。 風邪をひいたのか、喉が痛くて声が嗄れてきた。 車から降りる時にドアの角にしこたま頭をぶつけてこめかみがズキズキしている。
こういうおもいっきりツイてない日もあるものだ。 23日はゼミの山行きだから、なんとか風邪の悪化だけは食い止めたい。
カボスに、生姜に、はちみつに・・・ その上風邪薬も飲んだからには、さっさと寝よう。 では、どなたさまも、 おやすみなさい。
2005年11月19日(土) |
ジンジャーブレッドハウスとかヘナのこととか |
今日もいいお天気でした。 月に一度の「ジンジャーブレッドハウス」という子ども会の日なので、 午後から教会に出かけました。 わたしの仕事というのはアメリカから来ている英語教師のAの通訳とか手伝いなのですが、子ども達といっしょにゲームをしたり鬼ごっこをしたりと、いっしょに遊ぶ場面もあるわけです。 足には自信があるはずなのに、逃げ足の速い子ども達をなかなか捕まえることができないのでした。 子どもの頃、わたしはいつもすぐに掴まえられるから、鬼ばかりなっていました。そんな遠い昔のみじめなわたしがふっと甦ってきたりもしました。 あぁ、大人になってよかった・・・
明日の教会学校のオルガンの練習をして、さて早めにジムへ行こうと駅から電車に乗ろうとしたところ、次男Mから「今日帰るよ〜」とメール。 家には彼の嫌いなかぼちゃのおかずしかないし、困ったな・・・ 「今どこ?」 「もうじき大宮」 「じゃ、夕食おごる」
ジムへ行く前に大宮駅で待ち合わせしていっしょに夕食を食べることにした。 アジアンバイキングという、いろんなアジアの食べ物が食べ放題のお店へ。 大食いのMには良いでしょうと思ったものの、わたしも思わず食べ過ぎてしまった。 こんなに食べ物が詰まった状態で果たして踊れるのかしらん・・・ さてスタジオ。ラテンの音楽が流れラテンモード。 ちょっと気持ち悪くなったものの、なんとか最後まで踊れた。 それにしても今日はくるくると右に左によく回ったこと。
mGは若い頃からすでに白髪で、最近は白の分量の方が多くなってきていたのだけれど、今日、髪が黒くなっていた。 美容院でヘナで染めてもらったらしい。 ヘナはヘナでもわたしが染めている褐色ではなくて、真っ黒。 こういうヘナもあるんだ。 わたしは自分でヘナで染めている。 mGにも染めてあげるというのになかなかウンと言わなかったけど、 やはりプロの仕事だなあ、白い毛がなくなってしまった。 でもわたしはもったいないから、やっぱり自分で染めよう。
今頭にはヘナがのっかっています。 さ、もう1時間以上経ったから洗い流して寝るとしましょう。 ずいぶん取りとめのない日記です。 写真は前に行った森林公園。 この木はとても美しかった。 とりわけ下から上を見上げた時に。
写真はmGのブログカタチを越えて より
2005年11月18日(金) |
今日もしみじみ十一月が晴れてゐる |
いちおう毎日書くことにしている日記が ときどきぽっこり空白になることがある。 わたしは書く気分にない時には日記にしろ手紙にしろ 書かないようにしている。 書きたい気分でもない時に書いたものを 読まされる側はたまったもんじゃないだろうから。 それでなくったって、 日記を読まされたりするのはたまったもんじゃないことだろうから。 わたしの友人で、たまにいっしょにご飯食べたりする仲だけど わたしの日記は読まないと断言していて そうだろうなぁ・・・と妙に納得している。 それだから、読んでくださる方がいて 読んだよ〜とか、おもしろかった〜と言ってくれると ほんとうにしみじみと有り難く、 それはビタミン剤のようにじわりと効く。 それだというのに、 せっかく読むために訪ねてくださったというのに、 何日もここを空白にしてしまって 今日はそのことがとても申し訳ない気持ち。
そういえば、ここのところ 日記を読んでくださった方からのコメントや問い合わせが 掲示板やメールや電話で届いた。 おどろいたことに、名前も聞いたことのない遠い親戚や、 会ったこともない従兄の子どもという人物からメールが届いた時にはびっくりした。 ここで紹介した従姉の故合瀬智慧子の詩を検索して、ここへ辿りついたのだ。 読んだだけではなく、声をかけてくれたことが嬉しい事だった。 ネットって、こういうことが起こるからおもしろい。
そうだった。 ここを開いたのは、尾形亀之助の詩をひとつ 自分の日記の代わりにのっけようと思ったのだった。 こういう詩。 どこがどうなの?と聞かれても困るのだが ふうっと背中のあたりがやっぱり緩んでくる。 植えたばかりでちょっとしょんぼりしている菊を この詩人の隣に並んで しみじみと眺めているような安らかさがいい。
家
私は菊を一株買って庭へ植えた
人が来て 「つまらない・・・・・・」と言ひさうなので いそいで植えた
今日もしみじみ十一月が晴れてゐる
( 尾形亀之助 )
2005年11月14日(月) |
尾形亀之助の詩に思ったこと |
勉ゼミ、今回のテキストは尾形亀之助詩集「障子のある家」全篇。 ゼミの始る前に会場の新江戸川公園の紅葉散策をしようとSさんと2時半に公園で待ち合わせる。この公園散策の事はまた別の折に書くとしよう。
家を出る時までに感想をまとめることができなかったので、行きの電車の中と、Sさんとホテルのロビーでゼミの予習をしている時に紙片にペンを走らせる。感想なのだし、文章にしなくても口答で言えばいいのだが、いつもうまく言えず、口ごもる。人に語るというのではなく自分に向かってしゃべるというところをどうしても通らなければ言葉が出てこないのだ。また文章にする中でようやく見えてくるものもある。いつかどこかで書いたような気がするが、書くという即興性を帯びた状況がわたしを自由にしてくれるらしい。
ここに記したものは、ゼミの前に走り書きしたものに、ゼミの後に他の人の感想を聞いて感じたことを書き加えたもの。 まだこの詩人のことは知りはじめたばかり、とても把握などしてはいない。あくまで、今感じていること。この原稿はこれから先、何度も書き換えられていくことと思う。
< 尾形亀之助の詩に思ったこと>
人間というのはみなどこか可笑しくて、間が抜けていて、可愛い生き物なのだろう。けれどもそれを無防備に出していれば、バカにされたり、軽く見られたり、あるいは突っ込みを入れられたりと、何かと痛い目に合う。
そんな子どもの頃からの経験が、人間が本来豊かに持っているおかしみや、おバカ加減をどこか人目につかないところへ押し込めさせるのだろう。他の人はどうだか分からないが、わたしはそうだ。もっとも隠しきれていないから、いつだってしっぽが見えていて突っ込まれるという憂き目に合うのだが・・・
尾形亀之助の詩を読んでいると、何とも妙な心地になる。ほっと安堵したり、きまりの悪いような気分になったり、またものすごい事を目の前でやってのけられたように唖然となる。
それは亀之助が他の人間とは別のやり方で自分のおかしみとかかわっているせいではないだろうか。彼は凡人が隠そうとするものこそを明るみに出す。それは子どもの表現のように無垢な格好で現われているものの、彼自身はそこに価値があることを知っている。それこそが、自身の詩には不可欠なものだと、彼の詩人としての武器なのだという自覚がある。「わたしは弱い時にこそ強いのだ」というパウロの言葉を思い起す。
大人として社会に認められるために捨ててきたものに、しかし、愛着や口惜しさがある。亀之助が臆面もなく、子どもしか持ってはいないような感覚を堂々と詩にしていることが何ともうらやましく、あっぱれだと感じ、またそうなれない自分を振り返ってさびしさが走る。
この詩人に会うことができてよかった。この詩人の詩を眺めていると、自分の中にあるおかしさ、無垢な部分をもっと評価してやってもいいような気になる。鎧のようなじゃまなものはあっさりと脱いで、ほっかりと自分を開いてもいいんじゃないかという、居直った気持ちが湧いてくる。 少なくともこの文を書いている今、わたしの肩甲骨のあたりは緩み、呼吸は深く穏やかに優しい。亀之助の言葉によって「脱力」させられているらしい。
しかし、これほど詩の中に自由に自分を開いている亀之助は、人間社会の中にあっては言葉をつぐみ、心は閉ざし、頑なに鎧を着ていたのではないだろうか。だからこそ、彼が生き延びるために、このような詩を書くことが必要だったのかもしれない。
また別の角度から見れば、時代が強いものを求め、力によって国民が束ねられようとしていた時、亀之助はそこに組しない。正津先生が「脱力の人」の中で書いておられる、彼の詩、またその在り方はその時代への抵抗、非戦の証だったとする論は実にその通りだと思う。 そうすればこの「なんなの、これ!」というようなへんてこな詩が何とも凄いものに見えてくる。
ゼミでは興味深い感想がたくさん出て、どの人の意見もおもしろかった。 尾形亀之助は大人として成熟していない人で、放浪の画家、山下清のような詩人― 言ってみれば、ヘタウマの詩人― 尾形亀之助は哲学者で、人間の生のすべてがフィクションであり、人は物語を作って生きていることを、その活動の無意味さを訴えている― 読む人によってこのように評価が様々なこともおもしろい。
亀之助が稀有な無垢さを持っていることは確かなことだ。しかし、単に未成熟というのではなく、そこに価値があることを本人は認識していたとわたしは思う。子どもは無垢であっても、それを客観視できないが、彼は大人の賢さと鋭さとを持って、自らの無垢さを武器にしたように思える。真実、彼はスタイリスト。亀之助の詩は誰の、また何の影響からも自由で、それ故に今でも新しく感じるのではないだろうか。
また、わたしは亀之助の中に虚無は感じない。むしろ積極的に物語を生きることを選んだと思うのだ。何もしないで生きるという物語を・・・ 時代がそれを許さなくとも、彼は彼の「約束」を見つめ続けたのではないか。 「何か約束があって生まれて、是非といふことで三十一にもなっているのなら・・・」というフレーズが意味深い。 ここに人の生が単に偶然の産物、空しく生まれては消え去るというようなものではなく、「約束があって生まれてくる」ものだと受け止める亀之助の人生観がのぞいている。 当然約束をかわした相手がそこにはある。亀之助は自らが被創造物であることを認識しているのだ。(人の思考、あるいは生き方の根底に、自らが創られたものであるという認識があるか否か、あるいははっきりとそれを否定しているかは、その人を考える上でもっとも大きな事ではないかとわたしは常々思っている。) 亀之助がそのような人生観の上に立っているならば、人の活動の無意味さを訴えているのではなく、むしろ何も活動せずに生きているという、人が無意味だとする、そんな生にこそ意味があることを、その時代の中にあって主張したのではないだろうか。 被造物であることを認識する故の自由さ、脱力で。
バザーでティナラク織という珍しい織物で作られた製品を求める。 ティナラク織は、フィリピン・ミンダナオ島南部の山岳地帯に暮らす先住民ティボリの女性たちによって織られる伝統織物。 アバカというバショウ科の木の繊維を草木染めにした後、約二ヶ月かけて織り上げる。100種類以上あるパターンは夢に現れた物事を織り込んでいるといわれる。
現地では女性たちによる生産者組合が組織されているものの、ティナラク織の存続は厳しい状況だということだ。こういったティナラク織の製品を買うことで、先住民族ティボリの豊かな文化や伝統が継承され、また織り手の女性たちの生活を助けることができるという。
友人のYがこの活動にかかわっていることから、この織物の事を知ったのだが、小さなバザーのテーブルに並べられたこの織物製品を見た途端、とても愛着を覚えた。黒とエビ茶色とベージュの三色の取り合わせと、日本のかすりにも似た模様は意外にモダンだ。反物はすばらしいが、それを切りとって製品にしたものは、その模様がまた別の表情を見せる。いつも身近なところに置いて、実際に使えるというのがいい。
ロープバッグ、ペンケース、筒型ケース(眼鏡入れにちょうどいい)、小銭入れ、カードケースの5点で4000円ほど。この他にこの土地の竹で作ったネックレスを求める。 製品はどれも使い心地が良く、何より織り手の丹精こめた仕事が伝わってきて豊かな気持ちになる。 良い出合いができた。
*この製品に関心のある方、製品をお求めになりたい方はお世話できますので お知らせください。
前の晩、眠れないままにずっと雨の音を聞いていた。 明日は5時起床、きちんと眠っておかなければバテてしまう、とこういうことを考えるものだから、山行きの前日はまともに眠れた試しがない。 眠れないままに、眠り薬用の英語の本を開いてみれば、たまたま開いたページがinsomnia(不眠症)について書いてあるページで、どうすればいいんだろうと真面目に読み取ろうなどとするものだからますます頭は冴える。 その本には抗うことを止め、祈りのフレーズなどを繰り返し唱えることで解消された事例などを挙げられていた。 明け方の4時になって、ようやく1時間ほど眠りにつけたのは、その本のお陰かもしれないが・・・
眼が覚めてもまだ雨の音はしていた。普通ならこの時点で、山行きはあきらめるのだろうが、前の晩に繰り返しチェックした天気予報では朝は雨だが、午前9時くらいに雨は上がり、やがて晴れになると出ている。この天気予報を信じることにした。
隣で気持ちよさそうに眠っているmGを起さないように、そっとベッドから這い出し、階下へ。 身支度を整え、ザックに雨具やきがえや食料を詰め込み、朝食。 朝食にはプロテインのシェイクとレーズンとアップル入りのパンを少し、それにコーヒー。これで御昼までは持たないから、山へ登り始める前に、エネルギーチャージのゼリーを食べることにしよう。
6時半、家を出る。雨はまだ降り止まない。いったい、この雨の中、傘を差して、トレッキングシューズを履いて、ザックを背負って歩いている姿というのは、人が見ると妙な印象なのだろう。ひたすら天気予報を信じているからなのだが。 新宿へ向かう電車の窓に雨粒が打ちかかる。まだ9時には間があるもの、それまでは雨は降るでしょう。
新宿発8時19分発の奥多摩ホリデー3号の最前列に乗る事になっている。 いつもは登山客で満員状態の車両はがら空き。見回しても、山行きの格好をしている人は2,3人しか見当たらない。他のメンバーは後で乗車してくることになっているが、この雨だもの、わたしが家を出た後に中止ということになったかもしれない。それなら雨具もあることだし、地図も持って来た、わたし一人で奥多摩散策をしようとのんびり構えてiPodでラップを聴く。 三鷹駅、S先生とKさんが乗り込んでくる。よかった仲間が来た。Yさんとは青梅駅で合流。
軍畑(いくさばた)で下車。そして問題のお天気。これが何とこれ以上ないほどのぴーかん。さっきまでの雨は嘘のよう。天気予報を信じてはいたものの、これほど見事なお天気は予想してはいなかった。あまり嬉しくて、携帯で青空をカシャり、心配しているだろうmGに写メールする。「晴れたよ〜」
雨上がりの山、空気は澄み、水の滴る木々の枝に陽の光りが美しい。 8月の一人阿蘇以来の山行き。もううれしくってしかたない。 軍畑駅から脇に流れる川の水音を聞きながら2時間ほど歩くと高水不動尊常福寺。ここで休憩。YさんからおいしいワインをS先生からポルトガルからのナッツをいただく。
ここの紅葉は美しく絵になる。日頃写真が好きではないわたしだが、なぜか写真モード、カシャりとこの写真。
ここからしばらく登ると高水山の頂上。けれどここが高水山の頂上だと気が付いたのはそこに続く、下り道を折り始めた時だった。急な下りと登りを40分も続けると次のピーク岩茸石山の山頂。
ここは山頂らしく、たくさんの登山客らが食事をしていた。我々は風を避けて、南側の陽だまりへ。昼寝にもってこいのような気持ちの良い空間。ここで昼食。というよりはいつもの酒宴。 わたしはあまり飲めないから200cc入りの保温水筒に焼酎の薄いお湯割りを持ってきたが、Yさんのワインの他にKさんの日本酒、先生のズブロッカもいただきすっかり夢心地。前の晩に作った鮭の南蛮漬と豚の角煮と大根も喜んで食べてもらえて良かった。S先生が持っていらしたかんぱち(だったかな)のカマの塩焼きはずいぶんおいしかった。
どのくらいゆっくりしたのだろう。いつの間にかたくさんいた人達はみな居なくなっていた。我々が出発したのは2時半だった。 さて、これから最後のピーク、惣岳山。地図を見ると40分という時間だが、ここからはもう、ほとんど夢の中を歩いている感じで時間の感覚はすっとんでいる。足元は確かだが、気分はずいぶん夢心地で、眼の前に広がる幻想的な風景の中でただただうっとりと歩いている。
そこで見たススキの群。カメラには収めきれなかったが、この見事なススキの群落が山の斜面を埋め尽くしている。 下から見上げたその眺めは何とも美しいものだった。前にS先生とKさんが歩いているが、わたしは思わず、ススキの群に近づいていきしばらく見入る。思い出して、携帯を取り出してカシャリ。
惣岳山を下り御岳駅へ向かう道、傾き始めた陽の光りが射す杉の木立の道がそれは美しく、何度も足を止める。 このあたりを歩く時、なぜか一人。やっと姿が見えるほどの前方にS先生とKさんが歩いていて、後方にずっと離れてYさん。わたしはその間で、不安なくひとりという素敵な空間。こういう場面が一番好きだったりする。そしてそんな時は歌いたい。イギリスの古いクリスマスの歌やバルバラのシャンソンをこっそり歌いながら歩く。
太陽は沈みかけると速い。辺りは急に暗くなり道が見えなくなる。KさんとYさんがライトを持参していたので、その明かりに照らされながら駅へと急ぐ。軍畑駅近くで熊が出だという記事をどこかのサイトで見たから熊の影がちらりと頭をよぎる。S先生とアラスカで熊に襲われて亡くなったカメラマン、星野道夫さんの話をする。熊が襲ってくる事だって十分在り得る事を知って、あえて避難小屋ではなく、自然と布一枚で隔たっているテントで夜を明かすことを譲らなかった。自然へ踏み入る事はそれほど厳しい事。死ぬのなら熊の爪にかかって死のうという覚悟のようなものを生前の星野さんのエッセイの中に見た時にはどきりとした。と、そんなこと。
ようやく街の明かり、御岳駅では再びたくさんの人。 安堵と心地よい疲れに包まれて電車に揺られて帰路。
8時15分のラテンには間に合わなかったが、ジムへ立ち寄りお風呂に入り、ラテンに出ていたmGと合流して車で家へ。 良い秋の山行きだった。
昨日(11月10日)は掲示板に書き込みをして、それとは別に日記も書くつもりだったのに、 珍しく12時前に寝てしまった。 書き込みをくっつけておくことにしよう。
夕方、ゼミの山行きの連絡が入る。 明後日、奥多摩の高水山。 珍しくこの土曜日は予定が入っていない。チャンスだ。 この秋はもう山行きは無しかなと思っていたのでよかった。 でも、お天気が今ひとつ。朝家を出る6時過ぎには雨が降っているもよう。 それでもやがて晴れるのならいいのだけれど。
今日、石油ストーブをようやく付けた。やはりこれがあると暖かくて心地よい。そして、いよいよ寒くなるんだという覚悟みたいなものができる。よし、冬を楽しむか、みたいな気分になる。
雲ひとつない青い空 投稿者:たりた 投稿日:2005年11月10日
11月って毎年こんなにお天気がよかったかしら。 今朝ジムへ向かって自転車をこいでいる時、見上げた空には雲がひとつもなくて、 どこまでも青いのでした。 あまり空ばかり見ていると危ないので、そんなに長い間は見ていられませんでしたけれど。 いつも同じ場所ですれ違う、バックパックの男の人は今朝はバナナを食べながら歩いていました。 この前日記に書いたりしたものだから、 ちょっと笑ってしまいそうになったので、林の向こうに何かを探すように横を向いて通り過ぎました。 ラテンはやはりとても楽しくて、こんなに楽しい時間を過ごしていいのだろうかと思いました。
2005年11月09日(水) |
裁いてください 優しく |
例えば、今日を閉じる前にこんな詩を
This is my letter to the World
This is my letter to the World That never wrote to Me― The simple News that nature told― With tender Majesty
Her Message is committed To Hands I cannot see― For love of Her― Sweet― countrymen― Judge tenderly― of Me
Emily Dickinson (441;c.2862)
これは世界へ書いたわたしの手紙
これは世界へ書いたわたしの手紙
手紙をよこしたことのない世界へ向かって―
自然が優しくもきっぱりと語った素朴なお知らせ―
そのメッセージはゆだねられています
みまえることのかなわぬ人の手に―
その自然への愛をもって―善良な―みなさま
裁いてください 優しく―わたしを ( 訳詩 たりたくみ )
2005年11月08日(火) |
エミリ・デキンスンと尾形亀之助 |
さて、今日はこれで3日分の日記。 けれど残る時間は10分間。 10分で書けるだけの日記を書こう。
昨日はガーデニングのことばかり書いたが、庭仕事と夜のラテンのクラスの間に集中して読書する時間が取れた。ドトールで1時間半ばかりの時間、トーマス・H・ジョンスン著の「エミリ・デキンスン評伝」を120ページほど読む。 読んでいる心の状態というのが特殊なのだった。どきどきしてくる。何かしら逆らい難い吸引力があって、今自分の居る場所がすっとんで、まるでデキンスンを生きているような気持ちになってしまう。どきどきするというのは彼女の痛みや動揺、神への祈りというよりは叫びや問いのようなもの、その孤独な強い想いがそのまま乗り移るような気分になるからだ。とにかく没頭。
詩人K氏が便りの中にエミリ・デキンスンの評伝の一部を引用していて、彼女の詩もまだそんなに読み進めてはいないものの、その人の背景が気になった。それで日曜日に図書館へ行き、デキンスン関連の書籍をあるだけ借りてき。その中にはトーマス・H・ジョンスン著の「エミリ・デキンスン評伝」もあり、ともかく最初から読み始めたのだった。
今日もほんとうならそこにどっぷりと浸っていたいところだったが、今日、明日は仕事モード。日常から遊離してしまうわけにはいかないからデキンスンは開かなかった。代りに、今度のゼミのテキスト、尾形亀之助の詩集「障子のある家」と、現代詩文庫の尾形亀之助詩集を読む。 これはこれで、なにかじわじわと効いてくる心地。 デキンスンのように自分との近さは感じないが、その遠さの故にやはり惹かれる。それにしてもこの脱力度はなんだ。
予定の時間10分経過。 寝るべし。
朝になってつづき。 というのも、掲示板をのぞくと、今日の日記で尾形亀之助の詩のことを書くなんて宣伝している。それなのに、肝心の亀之助の詩は書かずじまいだった。
ここにひとつ載せておこう。
十一月の晴れた十一時頃
じっと 私をみつめた眼を見ました
いつか路をまがらうとしたとき 突きあたりさうになった少女の ちょっとだけではあったが 私の眼をのぞき込んだ眼です
私は 今日も眼を求めていた 十一月の晴れたわたった十一時ごろの 室に (尾形亀之助)
どうしてこの詩をひとつだけ選んだのかといえば、 タイトルがまず今日の日に合っていたということと。 それから、「私は 今日も眼を求めていた」 というフレーズがとても響いたからだ。
この眼というのは、詩人をのぞきこもうとする他者の眼。 その眼の内側にある魂に触れようとする眼。 眼から手が伸びて、何かを掴もうとするような、 あるいは何かを手渡そうとするような そんな入り込んでくる眼差し。
そのような眼に合うとどきどきする。 きっと自分の中で何かが変る。 それは人の眼でなくともいい。 猫の眼であっても、 花の眼であっても、 空の眼であってもいっこうにかまわない。 本の中にも眼があるから わたしは容易にそこに捕まる。 眼。 今日も求めながら道を歩くことだろう。
それにしても後で変えた日記のタイトル「エミリ・デキンスンと尾形亀之助」 いったい全体、この組み合わせなナンだ!と思われることだろう。 わたしの中では矛盾はないのだが・・・ もしエミリと亀之助が対面したなら、二人は人目見てそっぽを向くに違いないと、その様子が浮かんできておかしかった。
2005年11月07日(月) |
秋の植え込みをした日 |
毎年、秋の植え込みをした日のことは日記に記すようにしています。植える時期やその年の球根や苗の種類を記録するためです。以前はガーデニング日誌なるものを付けていたのですが、このところは、この日記がその役目も果たしています。ノートの類は靴下と同様、きまってどこかへ雲隠れしてしまうものですから・・・
秋の植え込みは一番大切な植え込みです。 というのも、この時に、春に咲く、チューリップやムスカリなどの球根をパンジーやヴィオラといっしょに植えつけるからです。6ヶ月先のガーデンを思い描きながら丁寧な作業をしないと、春に良い結果が得られません。
今年はチューリップの球根に少しこだわりました。 例年はもう9月頃に、生協のカタログで食品などといっしょに注文するのですが、今年は球根のことをすっかり忘れていました。今から注文したのでは遅くなってしまうので、昨日ドイトへ行って買ってきたのでした。 ドイトに来たのも久し振り。10年ほど前突然ガーデニングに目覚めた頃は、毎週末に行くところはドイトやその他のガーデニングの店と決っていました。あの頃はおそらく、頭の中は花やハーブのことでいっぱでした。それからすれば、ガーデニングの熱はずいぶん冷めましたね。いえ、人並みに落ち着いたということでしょう。
やはりお店は違います。ありとあらゆる種類のチューリップの球根がありました。生協のカタログよりもやや高価ですが目新しい球根が目を引きます。今年の最新品種なるものが何種類か出ていました。不思議な色あい、そして形。 手にしている球根が我が家の庭に咲き出した様子を思い浮かべ、しばしうっとり・・・。 どれにしようかとさんざん迷ったあげく、2005年チューリップ最新品種から3種類の球根を選びました。ピンクとオレンジの混ざったような不思議な色の華やかな八重咲き、「ピンクスター」。ちょっと渋いオレンジ色で、すっきりとした卵型の大人っぽいムードの「カイロ」。「ついに実現したバージンホワイトのチューリップ」というキャッチにふらっとなってしまった純白の「ロイヤルバージン」。どれも8球入り。その他に、赤紫色の「ネグりタ」という品種を12球。 これらのチューリップといっしょに寄せ植えするヴィオラやパンジー、白い小花がたくさん咲くスイートアリッサムの苗、加えて、寄せ植え用のコンテナも新調。
今日はガーデニングには最高のお天気。午前中に家事をすませ、午後から庭仕事。前の日に買っておいたチューリップの球根や花の苗の他に、前にいただいていたユリの球根と、今年の春に掘り起こしておいたムスカリの球根をどっさり植えました。 このムスカリ、ずいぶん前に20球買って植えたもの。それから毎年3倍ずつ増えるので、相当な量になるのです。チューリップの球根がムスカリのように毎年買わずに植えられればどんなにいいだろうと思うのですが、チューリップは掘り起こした球根を植えても、葉が出て来るだけで、なかなか花が咲きません。
同じ球根のシクラメンもたいてい1シーズンのみで花は終わるのですが、今年は、去年の暮れにいただいたシクラメンが夏の間に葉を茂らせ、今月に入ってからひとつ、ふたつと花を咲かせ始めました。まだ蕾もたくさん上がってきていますから、しばらく楽しめることでしょう。夏の間、その存在をすっかり忘れていたのに・・・せいぜいこれから大切にします。
2時間もあれば済むと思っていた久々のガーデニング、植え込みの他にもやることは次々にでてきて仕事が終わる頃は薄暗くなっていました。 さて、球根や苗を育ててくれるのは土と水と太陽ですが、それがすくすくと元気に育つためには、いつも見て、言葉かけまではいかなくても目をかけてやらなくてはなりません。秋から春にかけて、ちょうど球根が土の中で眠っている間は、気持ちをそちらに向けている時期ということになります。 これから寒くなると庭の植物はずんずん枯れ、淋しくなってしまうのですが、土の中ではここから春の準備が始まるというわけです。
2005年11月06日(日) |
わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。 |
「わたしは裸で母の胎を出た。 裸でそこに帰ろう。 主は与え、主は奪う。 主の御名はほめたたえられよ。」
これは旧約聖書、ヨブ記1章21節で、家も財産もまた家族もすっかり奪われたヨブが語った言葉。
今日の礼拝説教は牧師になるための研修を受けているY神学生からのメッセージだった。 説教のはじめに、彼女の母国、韓国の「生まれる時には何も持たずにこの世に来て、また天に帰る時には手ぶらで帰る」という諺を紹介してくれる。 韓国の諺はたいてい日本の諺の中に同じようなものが見つかるが、この諺に関しては日本には無いように思う。けれど聖書の中にはあると、ヨブ記のこの言葉を示した。
Y神学生は問いかける。 「わたしたちの上に重くのしかかっているものは本当に必要なものなのか」と。
イエスは「心の貧しい人々は、幸いである、天国はその人たちのものである。」と言う。 心の貧しい人々というのは、生きることの困難を知っている人の魂で、その人たちは幸いな者として約束されているとまた語る。
「そのままでいい、そのままのあなたでいい」とイエスはわたしたちに語っていると。
聖書をどう読んでいくか、それはその人の生き方考え方が繁栄する。またその人の背景となる国柄や教派の影響も大きいだろう。 わたしは日本のプロテスタント教会の中で育ってきたから、日本の教会の伝統的なキリスト理解や聖書観の影響もずいぶん受けているのかもしれない。 というのは、彼女の説教に今までの説教者とは異なるものを感じたからだ。 そしてそれというのは、ここのところわたしが心に止めている「脱力の人」とどこかで通じていると、そんな気がした。 彼女の説教を聞きながら、Let It Be のリフレインが、また脱力の詩人、尾形亀之助の詩のフレーズがか浮かんでくるのだった。 いや、いや、これは単に今、わたしが尾形亀之助詩集にどっぷり浸っているから我田引水をしているだけのことかもしれない。
それはそれとして、外国語として習得した日本語で、日本人を相手に教壇に立って説教をする彼女はほんとうにあっぱれだと感心する。 わたしは逆立ちしても真似できない。 それは彼女自身が「貧しい者」としての位置にしっかり立っているからなのだろう。余計な自尊心からも卑屈さからも解放されている「脱力の人」だからなのだろう。
2005年11月05日(土) |
今年5回めのステージは |
11月5日、あゆみの箱主催「オータムステージ」、今年5回目のダンスのステージが無事終了しました。
このフレーズはもう何度も繰り返していますが、1年に5回も人前で踊るということは、これまでの人生の中でも極めて画期的なことで、わたしとしては在り得ないようなことが起こったというわけです。 出番を待ちながら、同じ境遇の仲間たちと「こうしているのが夢のようですねえ、自分でも信じられないですよ」と話したことでした。
一日経ってみれば、昨日のことなのにどこか夢の中でのできごとのような心地がします。そう、ここでしっかり記憶を確かめなければ、事実はさらにフェイドアウトしそうなので、書くことにしましょう。
朝6時起床。時間はそれなりにあったはずなのに、段取りが甚だしく悪く、おまけに自転車を駅に置いたままにしていたものだから、わたしのスーツケースはmGの自転車に積んでもらい、わたしはその後から歩くというよりはむしろ走るという具合で何とか予定の電車に滑り込み。朝9時、会場のさいたま文化センターに到着。
さて、いつものことですが、控え室を探すのが一苦労。 どこの会場も楽屋って迷路のように分かりづらいんです。今回の会場は一番難易度が高く、わたしなど一旦外へ行こうものなら、戻ってこれないような恐怖に捕らわれました。 だいたい夢の中に出て来る状況と酷似しているんです。ここだと思って開けたドアが違っていて、いろんなドアを次次に開けながら、通路を通りながら果てしなく迷路に迷い込んでしまうという・・・で、辿りついた今回の控え室は鏡付きのけっこう広い練習室でした。楽屋のように化粧台などはないものの、出番の直前まで練習できるのが良かったです。
この楽屋でみんなと過ごす時間というのが結構楽しいんです。ま、たいていは本番前までみんな踊っているわけですが、その合間に話こんだり、お握りをほおばったり、キッズがおやつのおすそわけをくれたり・・・。今回は大人組みも駄菓子を買い込んできてキッズに配ってました。
今回の楽屋でのスペシャルはプロの美容師のアユに髪を作ってもらえたこと。 みんなが最後のラテンを練習している間、アユは♪ブレリア、ブレリア〜と歌いながら、わたしの髪を、みごとにドラマチックなヘアーに創ってくれました。まぁ、これがあたし? あれよあれよという間に変ってゆく様子は魔法のようでした。 このヘアーのお陰で、さらに情熱的に踊れたのは言うまでもありません。 でも、惜しかった。舞台が終わって思わず元の髪に戻してしまったんですけど、ずっとあのままにして、もっと変身を楽しめばよかった。帰りの電車の中で人目を引いたかもしれないけど・・・
さて、今回のわたしの出番はプログラム6番のI'm Still Riding Like That(ヒスパニックラップ)とプログラム最後のBuleria(ラテン)。 ヒスパニックラップの方は黒いエムズのスタジアムジャンバーに黒パンツ、黒いハットをいなせにかぶるという井出達。振りは男っぽくってクール、それでいて与太っていて、あぁ、そう、脱力してます。 奈央先生からも前にほめてもらったけど、この振りの気分にすごく乗れます。おおよそわたしのキャラじゃないのに、このツッパリギャングの動きが好きなんです。 9月の発表会の時は、ちょっと気持ちが入り過ぎて、そのために振りが飛んだりしたので、今回はあくまでもクールに踊ることを心がけました。さて、いったいどういう動きになっているか、それはみ〜さんの作ってくれるDVDを観るまでは分かりません。
ラテンは、ともかく楽しかった。ステージで踊っているという緊張感はなくて、みんなの動きも楽しみながら、自分が全体の中に溶けこんでいるような気持ちで踊ることができました。これほど余裕を持って踊れたのは初めてでした。わたしだけじゃなく、みんな顔がほころんでいましたねぇ。踊っている側がこれほど楽しいのだから、観ている方方も楽しかったのではないかしら。 観に来てくれていたわたしの友人が、観ていて元気が出てきた。自分も何かやろうという気持ちになったと伝えてくれました。
打ち上げは午後3時から。時間が早いので、キッズやキッズママたちも大勢参加。先月転勤で大阪に引っ越していった仲間のミツくんも、大阪からかけつけ、またいつもジムのスタジオでラテンいっしょに踊っている方も、アユのお母さんの粋な江戸っ子、クミコも加わり、その場はあたかも仲のいい親戚の集まりのよう。名前の通り、エムズ・ファミリーでした。
2005年11月04日(金) |
日記10万回アクセス |
今日のうちにこの日記のカウンターが10万回を突破する見込みです。 今朝7時35分で99983ですから後17ヒットということになります。 この日記を読んでいる方は、どうぞ目次のところの一番下「エンピツ」の番号をごらんください。そして10万回、あるいはその前後の番号が出ている方は、ぜひ、メールかBBSでお知らせくださいませ。
でも、携帯からごらんになっている方はカウンターは見られないでしょうし、 検索を通じていらっしゃる方は、日記にはいらしても、この記事は読まないでしょうし、誰も知らないうちにカウンターが10万を越えるということも多いに考えられますが・・・ ともかく、日記を始めてから4年半、読者のみなさまから支えていただいたことを感謝します。 どうぞ、これからもよろしくお願いします。
<後に記す>
11月4日12時45分に「摂津の住人」さんから10万回を踏まれたとのメールをいただきました。摂津の住人さん、お知らせどうもありがとうございました。 また、シャルさんから99999回を踏まれたとのお知らせもいただきました。ありがとうございます。 記念すべき「たりたの日記」10万回ヒットの時に、お二人からのお知らせがとても嬉しかったです。
今日の文化の日。森林公園へ。秋の紅葉にはまだ少し早かったものの、同居人と二人、良い秋の森林浴ができた。
まず、サイクリングセンターへ行き、貸し自転車を借りる。いつもはママチャリに乗っているが、今日はギア付きのマウンテンバイク。 森林公園を自転車で走るのは8年振りくらい。8年前にここを走った時には小6の次男もいっしょだった。わたしはママチャリにしか乗らなかったなぁ。
最初はハーブガーデンへ。 ここができたばかりの時に来たことがあったが、今はハーブの種類も増え、りっぱなハーブガーデンになっていた。ハーブの図鑑などで知っていても見たことのないハーブや、本でも見た事のないハーブもあり、思わす興奮してしまった。 同居人の今日の目的は写真を撮ることだったので、こっちのハーブ、あっちのハーブと、植物図鑑よろしく、立て札ごとハーブたちを激写してもらう。 わたしはといえば、その香りを記憶すべく、せっせとハーブ達の匂いをかぐ。 その間にも、「はい、そこに立って」「はい、こっち向いて」「こわい顔しないで」とわたしも被写体になる。 そうそう、今日は苦手なモデルになる約束だった。
ハーブガーデンの中にある店で切らしていたラベンダーとベルガモットのエッセンシャルオイル、小さなかわいい入れ物に入った、ラベンダーとバラの蜜蝋クリームを買う。 カフェで、ここで作っているハーブ入りのビール「森華」とカボチャのコロッケのサンドイッチを食べる。カモミールの味がするビールはなかなかおいしかった。
続きはまたあした。
2005年11月02日(水) |
大きな紅葉の木の下で |
11月の英語クラスのテーマは秋。 1日のつくしんぼでのクラスにも、2日の英語学校のクラスにも、模型の柿や栗、赤い紅葉の葉っぱや黄色い銀杏の葉っぱ、秋に関する絵本を抱えてゆく。
この前100円ショップに行った時、造花のコーナーで、作り物の落ち葉を見つけた。紅葉の赤い葉っぱと銀杏の黄色い葉っぱが、それぞれ袋にぎっしり詰まっている。しかも形など本物そっくり。これはいい教材!
もくろみ通り、小さい子達は上から降ってくるたくさんの落ち葉に顔を輝かせて、夢中で拾い始める。英語で数を数えながらの落ち葉集め。 赤い紅葉は手のかたち、黄色いイチョウはチョウチョのかたち。red はどっち?yellowはどっち?いくつ集めた?・・・英語でやりとり。 ひとしきり落ち葉で遊んだ後、子ども達、お母さん達といっしょにつくしんぼ保育室の裏にある空き地に出て、さらに林の中に入って行く。 林の中で見つけたもの、どんぐり、蜘蛛の巣、小枝・・英語で何ていうの? まるで山の中に入り混んだような手つかずの雑木林があって、子ども達が木登りするのにちょうどいい紅葉の大木がある。 まだ葉は緑のままだが、この木々が紅葉するとみごとだろう。 木登り遊びをした後は、木の下でみんなでまるくなり、マザーグースの歌や Under the Spreading Chestnut Tree(大きな栗の木の下で)の歌あそび。そんな秋のクラス。
2005年11月01日(火) |
去年の11月の日記を開いてみる |
このことは毎年カレンダーを11月にする時に起こる感覚。 たった2枚になってしまったカレンダーの頼りなさを思わず指先が感じてしまい、はっとする。
なぜ11月なのかは分からないが、過ぎていこうとしている1年をふっと振り返る気持ちになる。 1年前の日記を開いてみるのもいつも11月。 そして去年はいつ来春の庭のための植え込みをしたのかも確かめる。 去年は16日、いつもより2週間遅いと書いてある。来週までの間にやってしまわねば・・・
去年の11月1日の日記のタイトルは 『「鳥獣虫魚」、「闇の中の祝祭」を読んでいる』となっている。
―「闇の中の祝祭」はどうやら奥さんと愛人の葛藤を描いているようだが、わたしはこの緊張感はとても耐え切れない。自分に対して冷め、他の女を熱愛する夫のもとなど離れてしまえばいいではないか、家を出るのがいやであれば、夫に愛人のところへ出て行っていただいて出直せばいいじゃないかと、じれったく思いながら読んでいる。―
えらく威勢のいいことを書いたものだ。 読むまではこういうことを書いたことをすっかり忘れている。
去年の11月1日は月曜日で、わたしは文学ゼミに2度目に参加している。翌日の日記はゼミの感想で、テキストは吉行淳之介の「夢の車輪」。 このあたりは読み返すと、その時の情景がぽっと映像として写し出される。また日記には記していないが、メンバーの発言や表情、そこでわたしが考えたことなども記憶の中から引き出される。 書かなければ、こうした記憶も甦ることなく消えていくのだろう。
さて、10月31日はゼミの日だったが、わたしは不参加だった。 用があったわけではないのだが、珍しくへたばっていた。 土曜日の英語学校のハロウィンのイベントと、翌日のつくしんぼ保育室のイベント、そこまででグロッキーだったのだが、その夜ダンススタジオへ。11月5日のステージに向けて3時間の踊りこみ。 踊ったり運動したりという疲れはほとんど翌日に影響ないのに・・・これはやはり2日間大勢の人の前で何かをしたことによる人疲れ、気疲れのせいだろう。
ゼミのテキストは長谷川四郎のシベリア物語より「小さな礼拝堂」 戦時中、シベリアで捕虜になっていた日本兵たちの事が淡々として口調で書かれている。小さな礼拝堂というのは捕虜の中で死者が出たら隔離するために作られた死体安置所のこと。 そこに入れられた3人の死のかたち。 作者はいっさいの感情を思考を停止させたかのように、被写体に向けたカメラの眼のように、見えることだけ、聞こえることだけを淡々と描写する。 わたしは、その映像を見ているかのように読む。そしておそらく映像よりもリアルにその場に立ち会う。 しかし、そこに立ちながら、わたしもやはり感情を自分の外へ追い出す。何も考えまいとする。それしかできない。こんな平和な暮らしの中にいては。 ただそうして死んでいった人達の事を記憶の中に留めて置こうと思う。
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