たりたの日記
DiaryINDEXpastwill


2005年06月30日(木) ダンスの振りを覚える日

今日は朝目覚めた時からざんざん降り。明け方からずっとその雨音を心地よく聞いてうつらうつらとしていました。
今年はなぜか雨が好きです。

一日雨だよと同居人が言うものですから、自転車でジムへ行くのはちょっと大変だなあと、今日はジムの木曜日ですが、止めました。
で、良い機会なので、昨日、一昨日とやっている「ダンスの振り覚え」を終わらせようと思ったのです。

今やっているダンスは9月のステージにやる2曲で、5月と6月の4回のレッスンで、すでに振り入れが終わっているのですが、わたしにとってはこの振り入れの後に、自分でその動きを分析、記録しながら頭にたたきつける、「振り覚え」のステップが必須なんです。
2日間でヒップホップの方の「振り覚え」はなんとか目途が付いたので、今日はラテンです。いくらなんでも一日あればなんとかなるというものでしょう。

朝10時から始めて気が付けば2時近く。もう雨は止んで陽が差しています。3分の2クリア。血糖不足のためか、くるくる回り過ぎて目が回ったのか頭がぼおっとしてきたので小休止。お昼を軽く食べて、頭の切り替えにと日記を開いたというわけです。

さて、わたし流振り覚えのやり方ですが、まずちょうど楽譜のようにノートを縦8つに区切り、そのひとつを1カウントとするマス目を作ります。そして、そのカウントでくぎられたマス目の中に、動きを再現するのにヒントとなるような情報を書き込んでゆきます。RF(右足)まえ、LH(左手)右上、なんていう具合に。

ビデオテープを止めながら、4カウント、あるいは8カウントごとに、インプットを試みます。ナオ先生の踊る流れるような動きをカウントごとに分解し、整理することで、脳みそに焼きつけ、自分の動きとして定着させようとするわけです。

その昔、ピアノの楽譜を暗譜した時の要領ですね。2小節づつ、左手を和音分解しながら覚えてゆくという・・・。あの時だってそうでしたが、これってとても時間がかかる作業です。人によっては頭の中に楽譜がすっかりプリントされてそれを頭の中で見るだけでいいらしいのですが、わたしの頭は残念ながらそんなに上等じゃないので、とても苦労しました。
ピアノは楽譜があるのでその点は楽ですが、ダンスの場合、自分で文字化、あるいは図式化しなければならないのでそこが苦労です。ほとんどの人はそんな面倒な事しなくても、振り入れの段階で、きちんと頭に入れられるのでしょうけれどね。


ま、これがわたしのウエイなので、この作業をともかく完了させて、後は忘れないように何度も踊って定着させます。この作業が終われば、今度からは、楽しくのびのびと踊れるはず。シルエットや細かい動きなどもアップできるようになるでしょう。それまではちょっとした自分との戦いです。


それにしても、ほんとにピアノ譜の暗譜に似ています。もう久しく暗譜することなんてありませんが、まさかダンスで頭を使うことになるとは考えてませんでした。老化防止の良いトレーニングになるかもしれません・・・もしかして、すでに頭は老化していて、それで覚えるのが大変なのかも・・・


そういえば、昨日英語の歌のクラスで年配の女性の方が歌詞を覚えるのにずいぶん苦労なさっていました。何度もくり返せば良いというものでもなく、自分流のやり方でインプットしなければ入らないんだろうなと、わたしのダンスの事を考えれば納得がいきました。


さて、後半戦、がんばろっと。


2005年06月29日(水) 病気というわけではありません

日記をいつも開いてくださる読者のみなさま、すみません。
また空いてしまいました。

病気とかそういうのではないのです。
書きたくないというのでもないのです。
書きたいことはいくつもあるのです。山のことゼミのこと、いろいろ・・・
ただ、どういうわけか、書く時間が訪れません。
今日はジムはお休みで、焼き鳥屋にも行かなかったというのに、
時間はさまざまに過ぎていきました。

それでも、昨日と今日は空いている時間を見つけてダンスの振りを練習することができました。

気になっていた本をアマゾンに注文することもできました。
坂口安吾とか高橋たか子のとか4冊ほど。すべてユースドブック。
2,3日うちには届きます。

また、友人たちと二つ約束を取り付けました。
一つは金曜日の夜の飲み会。
もうひとつは土曜日のお見舞い。
こういう事も、頭で考えているだけで、なかなか実行に移せなかったこと。


明日はジムと買出しの木曜日。さて1時までには寝なくては。
おやすみなさい。


2005年06月26日(日) 男体山へ 続き



さて、男体山の事はまた続きを書きますなんて書いていて、そのままになっていました。今夜(6月30日)は書けるかな。

まず、同居人mGが自分のブログにくっつけている写真を拝借してきました。

くにちゃんがしいちゃんをピックアップして我々を伊奈中央駅でピックアップしてくれる。5時に出発。車は驚くほど空いている。いろは坂もすいすいと進み、中禅寺湖半に着いたのは7時半くらいだっただろうか。

しかしここには頼みのコンビニがない。ずらりと並んだ店もまだ開店前。二荒山神社の前のレストランが唯一空いていたので、そこでおそばの朝食。
ところでこのレストラン、入り口にピストルが置いてある。猿を追っ払うためというサインがあり、これはのジョークかと思ったが、どうやら実用らしい。
猿がよく入ってくるのだそうだ。

計画書より遅れること30分の8時30分、登山口の志津乗越に到着。駐車場はすでに満車。崖を降りたような場所にスペースを見つけ車から降りる。


とにかく、素直な山。ほとんど同じような角度で登りが続いている。急といえば急かもしれない。かなり足を高いところにひっかけて、よじ登るという具合だった。しいちゃんとは前の日にかなり腹筋を鍛えるエアロのクラスに出ていたから、あの続きみたいだねなんていいながら、わしわしと登る。スズ隊長が5月末にこの山へ登った時は、雪の中を歩いたというから、その雪が解けたためだろう。粘土質の山道はぬかるんでいるところが多かった。
七合目から8合目のところにガレ場。
しゃくなげはまだ固い蕾だったが、ピンク色のなんともかわいいイワカガミが行く道筋にずっと咲いていた。

頂上に着いたのは11時過ぎ。なるほど、聞いていたとおり360度の展望!しかし残念な事にガスっていて、眼下に広いがっているはずの中禅寺湖はわずかにシルエットとボートがかすかに見えるくらいだった。かなりペースは速かったようだ。計画書では3時間15分のところ2時間半しかかからなかったことになる。
寒さを予想してフリースなどを持ってきていたが、長袖のシャツで十分だった。登る時にはTシャツ一枚。


ゆっくり昼食。12時過ぎ下山開始。
山は初心者だというしいちゃん、さすがに日々ダンスやエアロで鍛えているだけあって登りはすいすいだったが、下りには苦戦していて、何度かキャーと声が出ていた。
わたしもズルズルすべり、一度などはすってんと尻餅をつく。下りは計画書の通り、14時に登山口へ到着。

さてさて、温泉へ立ち寄る時間は十分だ。市営温泉「やしおの湯へ」
あ〜、ゴクラク・・・なかなか良い温泉だ。市民は300円、その他の人は500円。
5時に温泉を出発するまでのんびり。

温泉へ着く直前、いきなり夕立にたたきつけられるも、車を降りる時には雨はぴたっと止んでいた。しかし、我々が食事をしている時にまたどしゃぶり。駐車場に行くまでにずぶぬれになるなと案じていると、我々がそこを出る時間が来るとまた雨はピタリと止んだ。
さて晴れ女(男)は誰?みんなはたりただと言うけれど、さてどうでしょう。

帰りもいろは坂もそれに続くハイウエイもすいすい、まるで渋滞なし。まだ明るさの残る7時過ぎに戻ってくることができた。

さて仕上げは8時15分からのラテンのクラス。
ロッカールームに入るとナオせんせいが「お帰えり〜」と声をかけてくれる。
「踊れるかなぁ」
「大丈夫よ。こんな時ほど、うまく踊れるものよ」
確かに彼女の言う通りだった。
45分間、ノンストップで踊り続けるラテン、いつも以上にノリノリだった。

さて、来週の土曜日もできれば山行きたいけれど、雨はどうでしょうねえ。




2005年06月25日(土) 男体山へ

梅雨の晴れ間、良いお天気の土曜日。予定通り男体山へ登ってきました。
みごとなほど計画書通りの山行きでした。日光というのに、あの苦渋の渋滞に全くひっかからなかったのは何とも幸運でした。おかげで、4人とも元気なまま7時過ぎには上尾へ戻り、8時15分のラテンは余裕で間に合いました。
ええ、踊りましたとも。さすがに日々ジムでトレーニングを積んでいる我々、体力はありますねえ。


肝心の山のことは今日(6月26日深夜)は時間切れで書けません。
明日は明日でゼミの課題に取り組む予定なので、書けないかな。
今週のうちには続きを書くつもりですので、またお立ち寄りください。


2005年06月24日(金) 明日は山行

明日は山行です。ダンスの仲間4人で、日光の男体山(2484m)
この3月から6つ目の山、二つ目の百名山ということになります。そして一番高い。

でも、志津乗越からのルートなので、歩行時間4時間30分。距離7.2km、標高差699mなので、それほど大変な山というわけでもありません。
見晴らしが素晴らしいということです。
山は本当にひとつひとつ個性があるので、いくらガイドブックを読み、地図を眺めてみても、登ってみないとどんな山か分からないものです。
さて、楽しみ・・・

明日は4時起きの5時出発。14時には下山して温泉へ。そして、8時15分のラテンに間に合うように帰ってくるという何とも欲張な計画です。
というわけで、今日はこれでお休みなさい。

今日の焼酎は薩摩麦焼酎「神の河(かんのこ)と、宮崎芋焼酎「ひむか」赤芋仕込みを水割りで。


2005年06月22日(水) 雨の音の中で目覚めた朝

目覚めると雨の音。瞬間、雨がうれしいと思った。その激しい雨音を心地よく感じる自分の心を少しいぶかる・・・植物が雨を求めていたように、わたしは土砂降りの雨を望んでいたというのだろうか。

水曜日は仕事に出かける日なので、この日の雨は決してありがたくない。けれども、目覚めたばかりのぼんやりした頭は傘をさして駅まで歩く自分を思い浮かべ、それすら心地よく感じていた。

どうしてだろう。内側へ向かいたい、ひとりで静まりたい気持ちが起こっているのだろう。そう、ダンスの事や山の事、心も身体も外へ外へと向かっていく時間が多かったから。とりわけ昨日は4クラスの仕事で、合計26人の生徒を教えたからかな。学校の先生なんかだとこれが毎日続くのに、甘いね、自分。

身体の疲れとは無関係に心の疲れというものがある。その心の疲れにしてもいくつも枝分かれしている。人的環境、仕事や役割から来るストレスなどは分かりやすいが、これと言って何も思い当たることはないのに、心に何かしら重い雲のようなものが立ち込めることがあるものだ。しかし、それすら、ゆっくりと紐解いていけば、何かしら心配や不安の種のようなものが見つかる。そんな時はその種を育つに任せず、まだ双葉くらいの時に上手く抜いてやることも大切だ。



ここ数日間、一人暮らしをしている夫とわたしの母のことを考えていた。子ども達を育て、社会の中での仕事をこなし、その成長を楽しみにしてきた孫も成長してしまった。配偶者を看病し、また見送り、そしてやってくる自分だけの時間。長い一日。

70代半ばの親達は、人生のステージからすれば冬の章、最終章を生きている。老いだけは誰にでも平等にやってくるのだから、そうしてわたしももうじき、夏の章を閉じ、秋へと移行する。夏の終わりに感じる寂寥感をふと思う。

二人の母達の心の内は実際のところ知ることはできない。わたしの母などは、日に何人もから電話があり、日に何人もの人が玄関先に現れ、わたしなどよりもよほど心忙しく暮らしているのかもしれない。夫の母にしても、週に2回のデイケアを楽しみ、新聞もテレビもすみずみまで把握し、社会の様子などわたしの100倍は把握しているのだろう。いくら冬の章とはいっても明るさや賑やかさはそこにあるのだろう。

それでも、老いは確実に増し、様々な身体の機能が衰え、次第に自分ひとりで生活する事に不安を覚えるようになる。二人の母達はそれを口にしたりはしないが、加齢に伴う不自由さは、すでに老眼が始っているわたしにも容易に想像がつく。老いを生きるという事は、何と大変なことだろうか。


秋には秋の、冬には冬の過ごし方がある。自分達の老い支度のことも頭に入れながら、加齢の進む親達をどう支えていくか、その事から目をそらさないで具体的な計画をしていく時期にきているのかもしれないと思う。


2005年06月21日(火) たりたの日記、アクセス数9万回まであとわずか

今、日記のカウンター(日記の下のところ、エンピツのロゴの脇にあります)が、89978回になっていました。あと22回でアクセス数が9万回になります。明日の朝には9万回突破していることでしょう。

今この日記をお読みくださってる方、どうぞ、下のカウンターを御覧になってください。そして90000回と数字が出ていたら、ぜひ掲示板かメールでお知らせくださいね。何か記念のものを差し上げたいと思います。

けれど、この日記のアクセスのうち、半分は検索からいらして、過去に書いた日記を御覧になる方々なので、カウンターや今日の日記を目に止めることはないでしょうね。そんなこんなでここのところ申告がないです。

さて、2001年の4月にこの日記を始めてからまる4年が経ちました。熱しやすく冷めやすいわたしが4年もWeb日記を続けているのは驚異です。
前にも書きましたが、こうして書き続けることができたのは、ひとえに読んでくださる方がいらっしゃるから。目には見えないけれど、読者の方々からのエネルギーがわたしに届き、書くことを持続させているのだと思います。
ほんとに感謝です。
願わくば、わたしが書く拙いものが、それぞれの方に良いエネルギーとなって届きますように。


2005年06月18日(土) 毛虫退治

さて、今日はもう6月20日、月末。時間の進み方の早いこと。
そして日記は水曜日からそのままになっている。さてまとめ日記。

この週に特別なことといえば、毛虫退治。
先週の土曜日に、お隣から、レッドロビンの生垣に毛虫が付いているから何とかして欲しいと申し入れがあった。
「やばっ!」、相当迷惑されていたに違いない。
我が家の庭はもともとワイルドでというより管理が雑でその上、虫殺しは嫌いだから、殺虫剤もほとんど使わない。しかし、我が家だけで済む事ではなかった。反省・・・ごめんなさい。

さっそく家にある殺虫剤を撒いたものの、毛虫はかなりいて、そんなことではいなくなりそうもない。割り箸で見える毛虫を取っていったが、どこかに隠れているのが明日はまた出て来るのだろう。その日のうちに強力な殺虫剤を買ってきて、翌朝6時前に消毒。毛虫の寝込みを襲おうというのではないが、できればお隣さんが活動を開始する前に、毛虫の姿を見えなくしておきたい。

月、火、水と目につく毛虫を取っていると、毛虫はいなくなった。しかし用心のために、木曜日の夕方、レッドロビンを可能な限り切り詰める。今まで葉が密集していて向こうが見えなかったが、葉がすかすかで向こうが見えるほど刈り込む。こうすれば、虫には住み心地は良くないだろう。
しかし、鋏で植物の枝をバサリバサリと切っていくのは、せっかく葉を付けた木に申し訳なく、胸が痛む。心を鬼にして、エイッ、エイッ、と潔くやらないことにはガーデナーの仕事は果たせないのだ。

金曜日、最後の消毒。買ったばかりのスプレー殺虫剤が1本空になる。毛虫の姿はないが、すぐに卵から幼虫が孵化するだろうから。しばらくは見張っていなければ。植物はワイルドなままに放任していては、よそに迷惑がかかるのでした。

さて、ふっと思ったのはすでに家から出ている息子達のこと。ワイルドに育っているので、どこででも逞しく生きてはゆけるでしょうが、さて、よそさまのご迷惑にはなっていないでしょうかね。心配・・・

ちなみに週末ごと、ディベートの大会に明け暮れている次男が、週末の都内の大学での大会に出るため金曜日から今朝まで家に戻っていた。
たまたま彼がわたしの姿を見る時に、どういうわけかわたしはパソコンの前にいるようなのだが、この日記を書いていると「お母さん、いつもパソコンやってるね。そんなことしてるとパソコン依存症になるよ!」と心配されてしまった。


2005年06月15日(水) 雨ニモ負ケズ

雨だ。今日は午前中、仕事に出かける前、レッドロビンの消毒や剪定、またすっかり茂ってしまった月桂樹の枝落としをするつもりでいたが、明日の夕方にやることにしよう。

そんなことを思いつつ、何気なく開いたホームページの掲示板に奈央さんからの書き込みがあって、「雨ニモマケズ」の最後のフレーズが置かれていた。ふっと手の平に置かれる感覚でそれを受け止める。

するとその言葉はわたしの手の平からたちまち、心の隅のどこか隠れたところに達して、チクリと刺した。なんだろうこの痛みは・・・
宮沢賢治の言葉に触れる度に起こるこの特別な痛みのことには気がついている。

思い立って「 雨ニモマケズ」の詩を何年かぶりに読んでみた。泣けた。
いつか車に乗っている時に、長岡輝子さんの朗読でこの詩が流れてきた時も、どっと涙が溢れてきた。その事も日記に書いたかもしれない。

「サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ 」という最後のフレーズが、何とも切ないのだ。ここに賢治の想いが凝縮されている。
賢治は熱心な法華経の信仰者だった。これは賢治が到達したい境地。この詩そのものがある意味で賢治の信仰告白だと思う。切ないまでの求道の思いをそこに見る。

宗教的な到達点というのは、この世の到達点とはまるで異なるところにある。
貪らず、怒らず、己を知り、静かに笑っている。あらゆることを自分を勘定に入れず黙々となし、人を助けられれば助け、助けられなければ人と共に泣く。持てはやされもせず、この世の中で小さな者、ひとりのデクノボーとして命を終える。

賢治のその作品にも、その世界への憧憬のようなものが色濃くあって、そこに触れる度にわたしは泣ける。きっと、賢治が希求するその世界を、わたしもまた、心の底で憧れ、切なく希見ているからなんだと思う。

前回の日記で「空の鳥、野の花」の聖書の言葉を書いたが、賢治の法華経の信仰と、イエスの教えは矛盾しない。見上げているところは同じようにつめたくすきとおったところだ。


脇の台所では、圧力鍋がしゅんしゅんと音を立てながら玄米を炊いている。「雨ニモマケズ」のそのヒトも、圧力鍋で玄米を炊いたのだろうか。
賢治がこの詩を手帳に走り書きした時にも、外はこんな具合に雨が降っていたのだろうか。





    雨ニモ負ケズ      宮沢賢治


雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク
決シテ瞋(いか)ラズ
イツモシズカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコワガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ


2005年06月12日(日) 明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む

マタイによる福音書の5章から7章は「山上の説教」と言われる箇所だ。
今日の主日の説教で、説教者は、イエスの語る「山上の説教」は言ってみれば、羅針盤のようなもので、このイエスの説教を聞くことで、自分の生きるべき生き方を定めることができると語った。
「山上の説教」はこれまで幾度となく読んできたが、読む度にはっとするものがある。その時時にそれまでとは違ったところに光りが当たり、その部分と新しく出会う。

マタイによる福音書5章はこう始る。
「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。」

山へ行くようになって、この山上の説教の冒頭の部分を読むと、弟子達に大切な話をするに当たってなぜ山へ登ったのか、そこのところに興味を覚える。いったいどのくらいの高さの山だったのだろうか、どのくらいの時間歩いたのだろうか、イエスの山をよじ登る姿や、イエスの後に続いて、黙々と山をよじ登る弟子達の姿が浮かんでくる。

山はこの世でありながら、少しばかり世俗とはかけ離れている場所だ。地上よりいくらか天に近いというだけではない。そこには木々が、野の花が、また鳥がいて、人間の煩いの多い生活とはまるで違った命の営みがある。

イエスは空の鳥、野の花を見よとわたし達に促す。わたしたち人間がこの世を生きるうえでのさまざまな悩みに対して、イエスは繰り返し、「思い悩むな」と言うのである。
そして「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」 と。

ではなぜ人間は思い悩むのか。説教者はこう語った
「神と富とは相反する主人であって、人はその両方に仕えることはできない。両方に仕えようとするのは無駄なことで、そのような無駄なことをするから思い悩む。濁った目で世界を見るから思い悩みが生じる。澄んだ目で世界を見ていく時、神の養いが絶対に確かなものであり、神が我々を支えてくださり、神の恵みが溢れるほどだというところに立つ。神から受け入れられているということに喜びを見出していくなら、思い悩むことはなくなる」と。

わたし達、被造物は、空の鳥や野の花と同じように、神から命をいただき養われているということを知るべきだ。そしてその造り主から受け入れられて入るのだということを知ること、そいうすれば、静かな喜びが内に起こってくる。

さて、今日が感謝のうちに終わる。明日のことを思い悩むことなく、眠るとしよう。

    (6月13日深夜に記す)


<マタイによる福音書>
            6:24−34

24 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

25 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

26 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

27 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

28 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

29 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

30 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。

31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。

32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

34 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」


2005年06月10日(金) 魂を語ることを怖るるなかれ!

昨日半分まで読んだ「地球交響曲第三番 魂の旅」を読み終えた。
本によっては読み終えた後に、そこから果てしなく世界が広がることがある。まるでわたし自身の内に種が埋め込まれたように、その種が時間をかけてゆっくり育って行くという感触がすでにあるのだ。

「ワタリガラスの神話」を求める旅のこと。
写真家故星野氏はアラスカ先住民と日本人の祖先が同じルーツを持つのではないかと直感し、その神話を深く探ろうとしていた。映画監督龍村氏は、さまざまなシンクロニシィー(偶然の一致)に導かれつつ、星野氏の探し求めていたものを、目には見えないものを映画にしようと進んで行く。行く先々に必要な人物が与えられ、ひとつのところへ向かって扉が開いていく。紛れもない事実を語った文章だが、それはファンタジーよりもさらにファンタジーに満ちている。

「ワタリガラスの神話」を語るボブ・サムの
「魂を語ることを怖るるなかれ!」“Don't be afraid to speak about sprit!”という声がお腹にズシンと響く。

<ワタリガラスの伝説 クリンギットインディアンの古老の言葉>より

今から話すことは、わたしたちにとって、とても大切な物語だ。だから、しっかりと 聞くのだ。たましいのことを語るのを決してためらってはならない。ずっと昔の話だ。どのようにわたしたちがたましいを得たか。ワタリガラスがこの世界に森をつくった時、生き物たちはまだたましいをもってはいなかった。人々は森の中に座り、どうしていいのかわからなかった。木は生長せず、動物たちも魚たちもじっと動くことはなかったのだ。ワタリガラスが浜辺を歩いていると海の中から大きな火の玉が上がってきた。ワタリガラスはじっと見つめていた。すると一人の若者が浜辺の向こうからやって来た・・・・・


つづきはアメリカ・インディアンの言葉のページでお読みください。


地球交響曲第1番から5番までのコンセプトや上映案内は映画「地球交響曲・ガイヤシンフォニー」のHPで知ることができます。
7月には青山の東京ウイメンズクラブで上映されるようです。第1番と第2番は7月9日。第3番は7月18日に予定されているようです。


2005年06月09日(木) 黄金色の死―地球交響曲第三番「魂の旅」を読みながら

今日の読書は龍村仁著、地球交響曲第三番「魂の旅」。
ラテンと次のエアロの間にも読みましたが、夕方ジムから戻ってきて、庭のテーブルで葉を茂らせたハナミズキの木の下で、少し陰になっている場所にすっくりと白い花をつけているストックや、たくさん花を付けたアンネのバラを眺めながら読んだのです。暗くなって文字が読めなくなるまで外で読んでいたいと思いました。植物の息づかいが感じられる場所で読みたい、そんな本です。

ずいぶん前にこの本を友人のYさんから借りていたというのに、次次に押し寄せてくる本のために、この本を開くきっかけがないままになっていました。というより、きっとこの本を読む心の状態ではなかったからなのですね。というのはこの本を読みながら、自分の中心が戻ってくるような、旅から自分の家に戻ってきたような、そんな気持ちになったからです。

自分にとって未知な世界、初めて出会う人に心が開かれますが、自分のものではないエネルギーに影響され、わたしは右に左に振幅します。それはとても大切なことだと、わたしはその揺れに身を任せます。ところがその状態がしばらく続くと、心は自然にわたし本来のポジションに立ち返ろうとします。心は旅し、また戻ってくる、そんな感じですね。

でもどうでしょう。その旅は振り返ってみれば、戻ってきた場所と決して無関係ではないのです。例えば坂口安吾の「私は海をだきしめていたい」の中で感じ取ったのは、自らの魂を見つめる作家の眼、自分をはるかに超える大いなるものの懐の中に抱かれていたいという、この世的なものから突き抜けようとする強い憧れでした。ゼミの中では安吾のシャーマニズムへの傾倒が上げられていましたが、そのことも今読んでいる本の世界と無関係ではありません。また、山行きにも夢中になっていますが、それはそこで地球の命そのものを浴びるような気持ちになるからです。人間がどんなに小さく弱い存在であるか、そのことを知らされることが慰めになるのです。


地球交響曲第三番「魂の旅」には1996年にカムチャッカで熊に襲われて亡くなった写真家星野道夫さんのことから始っています。星野さんが亡くなる半年前にインタビューで語っている言葉に胸を突かれました。

「アラスカに熊っていますよね、あの熊が一番すごいのは一撃で人間を倒せるからなんです。こんな言い方をすると誤解されるかも知れないけれど、時に新聞で人が熊に殺られた、という記事をみたりすると、ボクはある意味でホッとするんです。ああ、まだ人と熊との間にそんな関係が成立する場所が残っているんだ、と思って……」
「どこか近くに熊がいて、いつか自分が殺られるかも知れない、と感じながら行動している時の、あの、全身の神経が張りつめ、敏感になり切っている感覚がボクは好きです。あるインディアンの友人が言っていたんだけれど、人類が生き延びてゆくために最も大切なのは、“畏れ(フイアー)”だって。ボクもそう思います。我々人類が自然の営みに対する“畏れ”を失った時滅びてゆくんだと思うんです。今ボクたちは、その最後の期末試験を受けているような気がするんです」

星野さんは、熊に襲われる可能性は熟知しておりながら、緊張しつつも、あえて銃を持たず、避難小屋へは泊まらず、テント泊を貫いていたということでした。星野さんの死はあまりに早く、その存在が失われてしまった事は残念ですが、ある意味で、彼らしい死を死んだのだと改めて思いました。

龍村氏が星野さんのお宅へ弔問へ行き、十字架を冠した骨壷を見て、星野さんが洗礼を受けていたことをその時初めて知ったと記述していますが、星野さんがイエスと出会っていることを思い胸を押し上げてくるものがありました。愛する熊に命を捧げた星野さんもまたイエスの使徒としての歩みを貫いたことを思います。

龍村氏が「死は黄金色をしている」という文章の中で引用している「我々の人生に『死』があるということは、忌むべきことではなく、むしろとても健全なことなのだ」というフリーマンの言葉がストンと胸に落ちます。

星野さんの最後のエッセイ集となった「旅をする木」が出版された時、わたしはその本を義父への父の日のプレゼントに贈っているのです。義父はその本をとても喜んでくれたのですが、今となれば、その本の事を義父と話さないままだったことを少し残念に思います。

この1月義父が亡くなる数日前のことです。わたしは義父の寝室に置いてあったこのエッセイ集を病院へ持って行き、病院のベッドの側に付き添いながら、この本の冒頭の部分を読み、胸がいっぱいになっていました。彼のアラスカへの想い、自然への情熱はしかし、彼の死後も失われることなく、生き続けていることを強く感じました。
死の床にあって最後の時間を雄雄しく生きている義父を見守りながらわたしもまた「黄金色の死」を思っていたのです。

さて、まだ本は半分まで読んだところです。明日残りを読むことにしましょう。そして、地球交響曲第三番の映画を上映しているところを探してみましょう。第四番、第五番は見ているのですが、一番から三番まではまだ見ていないのです。
きっと見るのにふさわしい時が用意されていることでしょう。




2005年06月05日(日) 皇海山へ

さて、またまた日記が滞ってしまったが、今日(6月7日)は何としても6月5日の皇海山 のことを書いておこう。

今回はダンスの仲間5人との山行き。この日、ゼミの仲間でも山行きが計画されていたが、ダンスのグループの山行は一ヶ月も前に決っていたので、今回はこちらに参加。前回5月4日の三つ峠山行きの時のメンバーだったmGは今回パス。新しくイケちゃんが加わり、メンバーの平均年齢は39才と若い。

前回同様、5時に上尾駅集合なので、mGが早起きに付き合い駅まで送ってくれる。途中ミツくんをピックアップし駅へ。メンバーが5人揃ったところでスズ隊長からコース変更の説明。実はこの日は秩父の両神山(1723m)に登る予定だったが、この日秩父方面はあまり天気がよくないので、群馬県の皇海山(2144m)に行き先を変更することととなった。こちらも百名山。次に登る山ということで、すでに皇海山行きの計画書もスズ隊長からもらっていた。定刻午前5時、クニちゃんの車に乗り込み、いざ出発。

上尾→東松山IC→赤木高原SA→沼田ICと予定通り快調。7時前沼田IC着。朝食休憩。みなはお蕎麦など食べていたが、わたしは朝食は軽く摂ってきたし、車酔いが気になっていたのでコーヒーだけにする。この判断は良かったかもしれない。

ここから140号経由で栗原川林道を走り、8時半、登山道入り口の皇海橋という計画だったが、紙の上ではこの栗原川林道がどういう道なのかは予想できない。スズ隊長は情報としては知っていたらしいが、5人とも初めての道。いやぁ、想像を絶する悪路だった。四駆だったからなんとか走れたものの、普通の乗用車ではすぐにパンクしてしまうだろう。とにかく身体が右左、上下にに揺れる。頭はぶつかるとそんな具合。行く先々に「落石注意」の看板。いきなり上からごろごろ岩が落っこちてくるなんてことも十分考えられそうな道。崖っぷちのようなところもあるし、ガードレールが壊れている場所なんかもあってヒヤリ!

「ここなんて殺人事件のロケ地に使われそうだよね」
「あっ、猿がいるよ。」
「窓閉めて走ろう、車の中へ入ってきたら大変」
「えっ、道が右と左にあるよ、サインはないし、どっちだろう」
「こっちじゃない」
「あっ、行き止まり、さっきの道だったんだ」
「この道もなんか怪しいなぁ・・・あ、道らしいところに抜けた・・・」

この道の途中に何台か車が止めてあるのに出くわした。恐らくこの悪路に辟易して車をそこに置き、歩き始めたのだろう。はっきり言って歩く方が楽な道だ。しかしこの林道は20キロ、いくら楽でもどれだけ時間がかかるか分からない。後でネットで調べてみると、この林道の途中で走るのをあきらめ、脇に車を置いて、歩いて登山口へ行った人の記録もあったから、この悪路こそが一番の関門だと言える。

単に高速道路を走るだけでも車酔いに悩むわたしは、こういう道など、もう途中で降りるしかないほど具合が悪くなるところだが、車に乗る前に飲んでいた酔い止め薬が効いたことは幸いだった。薬のため、ほとんど夢ウツツ。ふっと眠りの谷間に落ち、ゴンゴンと揺さぶられては、また眠りの谷間にスッと落っこちる。帰りに飲んだ液体の酔い止め薬はさらに強力で、身体は上下左右に激しく揺れつつも意識は谷底に落っこちたまま。眠くて目が開けられないほど。
「たりた、首あんなに揺れて、折れるんじゃないの。よく眠れるよ。ほんとオオモノだよ」とスズ隊長。
「ちがうって。薬が効いてるんだってば・・・」
谷底で身体は眠っていても、こういう眠りはどこかが覚醒してるのだ。自分に関する話題はちゃんと聞こえてくるから不思議だ。受け答えしながら、さらに眠りに落ちる。まぁ、醜態を晒したけれど、酔ってみんなに迷惑をかけるよりよかったんじゃない。
でもわたしはさらに「変な人」という印象を強めてしまったようだ。

さて話を戻そう。かような悪路、時間をずいぶんロスしたように思われたが、登山道入り口の皇海橋に着いたのは計画書どおり、8時30分。いよいよ自分の足で歩ける。身体は揺れに揺れてしっかりやわらかくなっており準備体操はすんでいるようなもの。ここから沢沿いのカラマツ林を1時間。沢の水音が耳に心地よい。登山道は沢の中を通っており、足を濡らさないように沢の中の石の上を踏んでは登ってゆく。途中ロープの張ってある険しい道もある。しっかり足と手の三点確保を意識して上る。1600mの中間地点あたりで10分休憩。昨日焼いて持ってきた、たりた特製バナナケーキを皆と食べる。

ダケカンバ・ミズナラの中をさらに一時間。ダケカンバの尖った枝枝がなんとも美しい。稜線のコルで、鋸山を見ながら10分の休憩。さてここからが本番。ほとんど直角に見える急登が一時間続く。さすがに息が切れる。しかしさすがに平均年齢39歳。若者のペースは速く、わたし達は予定の時間の30分前、11時30分には山頂に到着。昼食休憩。切干大根のハリハリ漬けとそのまま食べられるチーズ入りのソーセージはみんなといっしょに食べることができてよかった。

このグループは山頂の宴会をやらないから食事はさっさと済み、「じゃあ、温泉を目指して降りようか」と次なる楽しみへと向かい下山開始。あの直角の岩の壁を登りながら、これどうやって降りるんだろうと不安だったが、いざ降り始めると、それほど大変でもなくリズミカルに降りれるもんだ。確かにかなり緊張を要するが、登りの時のように息が切れることもない。しかし、こういう下りは酒を飲んで良い気持ちで降りたりすると、わたしなどは大変なことになるのかもしれない。下手にズブロッカや焼酎ををザックに入れてこなくってよかったと思った。

美しい沢や新緑のエネルギーを浴び、鳥の声を聞き、足元のスミレを愛でつつ、時に緊張しながら歩く山道。15時前、登山口へ到着。ここにはりっぱな水洗トイレが完備してある。またそこに登山台帳が置いてあり記入するようになっている。登り始めに記入したページに、下山した時刻を書き入れるのだ。無事に帰り付けたことを感謝。登山靴を脱ぎ軽い靴に履き替え、吹割温泉センター「竜宮の湯」へ。車で来ると、代わりの靴やお風呂の着替えなどを車に積んでおけるから良い。

ここのお湯はなかなか良いお湯だった。1時間半ほどそこでゆっくりし、来る時に見つけておいたイケちゃんお勧めのトンカツ屋さんへ。わたしは半ライスでもかなりの満腹度だったのに、隣のイケちゃんのカツ丼は普通の丼の4倍はあるような見たこともないような大きな丼に恐ろしい量のカツ丼が盛られていた。いったいこんな大量のカツ丼食べられる人がいるかしらと思ったが、、わたしが食べ終わってふっと隣を見ると、イケちゃんの丼はきれいに空っぽ。若いってことはこういうことだったのだと思い出した。その昔、わたしだって食パン一斤まるごと平気で食べてた時期があったもの。

上尾駅に着いたのは9時半くらいだっただろうか。mGが駅まで迎えに来てくれ、途中ミツくんを下ろし、ビールを買って帰る。結局家に戻るまでお酒は 一滴も飲まないという珍しい山行だったが、家で飲むビールのおいしかったこと。
みなさん、お疲れさま、今度は来月頭の富士登山だね。


【参考】皇海山(すかいさん)について

平安から鎌倉時代、日光を中心に庚申山、鋸山、皇海山など足尾山塊の山々は、勝道上人の弟子たちによって開山され、山岳仏教の修行地となっていったと伝えられる。
 江戸時代、庚申山の奥の院として、鋸山と合わせて信仰登山が盛んになってきた。明治26年には、東京の庚申講中によって、皇海山項東方に青銅の剣が奉納され、現在も立派に残っている。故深田久弥氏の登山記によると、皇海山は遠くから眺めた形から推して、昔は笄山(こうがい山)と呼ばれていたが、そのコウガイが皇開と宛字され、やがて皇海となり、皇はスメラとも読むところから皇海はスカイと呼ばれるようになったと伝えられる。
 皇海山は、故深田久弥氏の日本百名山の一座として、登山者から注目を集めるようになった。近年、群馬県利根村追貝の奥から栗原川林道が開放され、皇海山、鋸山への登山は時間が半分に短縮され、登りやすくなった。

                      (利根村の観光案内より)


2005年06月02日(木) アンネのバラが咲き続けています



あっ、うまくいった!
前回、滝子山の写真を日記に貼り付けましたが、あれは実はmGにやってもらったのですが、今回はその時のやり方を参考にして自力で写真がアップできました。

今年のアンネのバラです。
一番先に咲くものは大きい花が一輪だけなのですが、二番目は一つの枝に小ぶりの花がたくさんつくのです。

あ、それから、月曜日の日記にしっぽの話を書いたのですが、あの日記は思いの他、評判(?)が良くて、メールや書き込みをいただきましたが、mGなどは、自分のところのブログに感想(人はノロケとも見なすのでしょうか)を書いてました。


今日の読書。読んだ場所、電車の中、ミスター・ドーナッツで、ジムのサウナと風呂の中。 

「教祖の文学・不良少年とキリスト」坂口安吾著 (講談社文芸文庫)
「尾崎 翠」   群ようこ著 (文春新書)

感想はいずれ日記にて


2005年06月01日(水) 山ウドの天ぷら

子ども達が小さかった頃、よく読んでいた絵本に「おばけのてんぷら」というゆかいな絵本があった。うさこちゃんがてんぷらを揚げるのだが、いろんなものを次々に揚げながら、自分の眼鏡まで揚げてしまって、お陰で、良い匂いにつられてやってきたおばけがうっかり天ぷらの衣の中に落っこちてしまったのに気が付かず、おばけは衣をまぶされ、揚げられそうになるのだが、なにしろおばけだから、油に落っことされる前にすっと抜け出したというお話。

そのうさ子ちゃんが「てんぷらは揚げたてがいちばんおいしいのよね」なんていいながら、てんぷらを揚げるそばから食べている。つまり台所で立ち食い。
そうだろうな、それが一番美味しいに決っている、そう思いながらも、わたしはなぜかそれを実行したためしがなかった。どうしてだろう。子ども達が小さい時は、そんなお行儀の悪いことをすれば、子ども達に示しが付かない。それに料理は家族のためのものという健気な主婦意識もあったのかもしれない。ちょうど、料理人が味見はしても、作る側から食べたりはしないように。

こんなことを思い出したのも、あの「おばけのてんぷら」のうさこちゃんのまねをようやく果たしたからだった。Sさんのお宅でいただいた揚げたての山ウドの天ぷらの味が忘れられず、翌日の昼間、お土産に持たせてくれた山ウドをさっそく天ぷらにした。そして、揚げる側から塩を振り、焼酎のお湯割り(芋焼酎、火唐)を片手に食べたのだった。あぁ、今思い出しても、そのおいしかったこと・・・

山ウドを10本ほど、葉も茎も全部揚げたのだから、わたしがいくら食べてもまだお皿に山盛りにあり、わたしが仕事に出ている間に戻って来る同居人が一人では食べきれないほどあった。

それにしても山ウドの強い香りはなんとおいしいものだろう。2日間に渡って山ウドの天ぷらを大量に食べるなどという贅沢は、今後もうないかもしれないと思うと、とても貴重な食体験をしたと思う。
Sさん、ほんとにありがとう。


たりたくみ |MAILHomePage

My追加