たりたの日記
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2004年12月31日(金) 水平線はまるく

海には子どもの頃からあこがれがあった。それはわたしが海から隔たった山間部に生まれ育ったからなのだろうと思う。本物の海を見て、そこに体を浸したのは小学校2年生の時だった。その途方もない広さが何か心もとなかった。
そして、生まれ育った土地を離れて住み着いた土地は、海はおろか山もないところだった。

山も見たいけれど、海も見たい。わたしは大分へ帰省する時には、実家の山へ向かう前に必ず海のみえる別府へ立ち寄る習慣ができてしまったが、もうひとつのわたしの海は同居人の実家の宮崎の海だ。帰省の度に、日南海岸の海沿いを走る。

一年最後の今日、義姉は新しくできた一ツ葉のサンビーチという海岸公園へ連れて行ってくれた。目の前にちょうど沖縄の海のような緑色の混じった美しい海が広がっている。
その広がりの中で思わず歌が飛び出す。浜辺の歌、椰子の実、このおだやかな海と優しい曲線を描いた波打ち際、そこに打ち寄せる波は歌とよく似合う。
水平線に目をやるとそのはじからはじまでは、ゆるやかなカーブを描いている。地球のまるさだ!

そこからしばらく走った宮崎漁港には停泊中の船に大量旗や日の丸の旗がはためき、明日の新年の祝いを待っていた。


2004年12月30日(木) 大分から宮崎へ

この日も朝6時に起床、夜明けとともに歩き始める。昨日のように雨は降ってはいないが、外は一面の霜。冷たさは手袋を通してもが伝わってくる。この冷たさそのものが、ずいぶん久し振りに味わう冷たさだと思う。九州は暖かいという印象があるだろうが必ずしもそうではない。この町は高度がやや高いので、夏は比較的涼しいが、冬は埼玉より寒いと感じる。

久し振りに靴の底にさくさくと霜柱を踏む時の感触を感じながら歩く。昨日は雪を戴いていた山は今朝はくっきりと青く、それとは反対に川岸や田畑が白く凍り付いている。歩くうちにズボンのすそが霜で白くなる。広々と広がる川と山、その視界の中にわたしの他は誰もいない。この時だけ、この景色はわたしひとりのもの。

散歩から戻ってくると、母と台所に立っておせち料理を作り始める。今日の夜、宮崎の夫の実家に行くので、むこうへ持っていく分も作る。筑前煮、紅白なますはわたしが。茎わかめの煮物は母の得意な一品。さて、昨日の分と合わせるとけっこうな量になる。持って行くのがちょっと大変かもしれない。

母の知り合いのおばさんが梅干やら手作りのこんにゃくを持ってやってくる。こんにゃくは見るからにおいしそう。そのまま生で食べられるという。わたしが持っていく分も下さった。さて、荷物はさらに増える。

昼には熊本に住んでいる弟一家が帰ってくる。甥っ子達と会うのは5年ぶりで、まだ幼稚園にも行っていなかった子達が小学校2年生と年生になっている。9つ下の弟もすっかりいいお父さんになっていた。おみやげの「いきなり団子」はわたしの大好物。これも宮崎への荷物に加える。すごい荷物だ。

しばらく弟の家族と一緒に過ごし、夕方の高速バスで延岡まで行き、そこからJRで宮崎へ。夫と義姉が駅に迎えに来てくれていた。さて、3人がいっしょになるとたちまちバケイション気分になるから不思議だ。明日は海岸沿いを走って、夜はおせちをつまみながら大分から持ち帰った焼酎を飲もうと話がまとまる。


2004年12月29日(水) 早朝、雨の中を歩く

朝6時に起きてウォーキングなど普通ならやらない。雨が降っていれば買い出しもあきらめるのが根性無しのわたしだもの。

ところが今朝はまだ暗いうちに母を起こさないようにそっと 起き出して支度をすると、夜が明けるのを待って外に出た。

昨日、母と買物に出て、母校の高校の前を通り過ぎた時、高校の前を流れる川とその前方に広がる山並みに心を奪われ、その川岸の道を山に向かって歩きたいという衝動が起こったのだった。そして明日の朝、ここを歩こうと思った。

しかし、勇んで外に出たものの、外は生憎の雨。でも故郷にいられるのは明日まで。雨天決行、傘をさしてのウォーキングに及ぶ。

まず昔通っていた中学校のある丘に上がり、そこから、山の広がりを眺め、丘を降り、高校の方へ向かう。

子供の頃、この山、はいだて山は何時も視覚の中にあった。わたしの家の前の道からも、小学校の窓からも、中学校や、高校のグラウンドからも見えていた。ただそれが有るのが当り前でとりわけその山に思い入れがあったわけではないのだった。

ところが昨日は、故郷にいた時には覚える事もなかった山への憧憬のようなものが湧き起こってきた。
ふるさとの山から離れて暮らす事で初めて、この山と出合えたのだろうか。
川に沿う遊歩道を山に向かって歩いて行く。山は雪を被っている。ここで降っている雨が山の上では雪になっているのだ。湿った空気の中に山からの張りつめた冷気が突き抜けて届く。ふと、ここがふるさとなのだ。わたしにはふるさとというものが存在していたのだと思った。これまでに味わったことのない感慨だった。



2004年12月28日(火) 今日で6日目

早いのか遅いのか、家から離れ実家で寝泊まりして今日で6日目。わたしの帰省の目的は実家の掃除や片付けなので、そういう仕事はそれなりに進んではいます。今日は家じゅうのカーテンを洗ったり網戸を拭いたり、ゴミを燃やしたり。

でもね、わたしの生活空間ではない場所でいろいろやるというのはかなりストレスがたまるもんです。
この家は昔からとにかく物が多い。物が多いというのは生活が繁雑になり、まるで物に生活が支配されているようなフラストレーションが起こります。

「おかあさん、これ40年前のカーディガンじゃない、もうずっと着てないでしょ!」
確かにまだ着れます。しかし機械編みの固くて重いその服はさすがに着る気はしないでしょう。
「必要ないものは捨てなくちゃ、時間もスペースもロスしちゃうよ」とわたしは口やかましい娘になってしまいます。で、こっそり思うんです。わたしには娘がいなくてよかったと。

だってね、きっとそっくりな事を言われると思うの。わたしが。

「お母さん、いったいどういうわけで二十歳の時の服なんかしまい込んでるの!」
わたしの娘だったらきっとそう言うでしょう。

さ、娘はいなくても、年明けに家に戻ったら大掃除しよっと。

「娘の目」で不用な物を情け容赦なく捨てるのです。
「こんなものとっといてどうするつもりっ!」
と。


2004年12月27日(月) 詩における<聖なるもの>

今日は、詩人、角田清文の命日だ。この詩人は去年の12年27日に他界している。わたしはこの詩人を彼が死んで後に知った。残念に思う

今日は実家の外回りの掃除、窓拭き、シンク磨きの合間に清田氏の評論集『相対死の詩法』を読んでいた。

氏のイエスへの詩への、そして詩人達へのパッションがわたしを嫉妬に駆り立てる。何故の嫉妬か。その熱さに、愛のカタチに、また氏の心を掴んだ詩、及びその詩を書いた詩人にも。
わたしこそが相対死(あいたいじに)したかったなどと過激な事を思っている。詩人でもないのに。

同じようにナザレのイエスを愛する者として。詩を歩いている者として。
(わたしは詩書きではなくとも詩を歩いているという自覚がある)

どのページからもインスパイアされるが、詩の聖性という記述は深く心に留めた。

その一部をここに抜き出させていただこう。


「ひとつの作品が詩として存立するためには、その基層に聖性−サクレなる感じがなければならないのです。」


「詩人の使命とは何だろう。(中略)
罪悪生死の場所である穢土の一切の有情無情を眼ざしや信仰によって聖なるものへ関連させてやることが詩人の使命というものだろう。もし連関しえないとすれば、それは詩人の眼ざしの曇りであり、信仰の欠如であろう。」





2004年12月26日(日) なつかしさを超えて

「なつかしい」という感情を表す言葉が英語にはないと言って、アメリカ人の友人は「なつかしい」という日本語を得たことを有難がっていた。言葉にない事はその感情さえ取り出すことは難しい。

わたしはといえば故郷の変わらない山の姿や町並みを目にし、幼い頃に過ごした場所やよく知っている人達に再会しながら、そこに起こる感情がとても「なつかしい」という言葉では包み込めないと、この気分を表す言葉をいつものように、また探している。

夢の中で繰り返し戻っていた場所に現実に足を踏み入れているのに、まだ夢の中にいるような現実味を欠いた感情とでも言うのだろうか。

別の見方をすれば、「なつかしい」場所は少しも意識から離れる事なく、例えば夜に見る夢の中で背景として常設されているのだ。そんなことも故郷に戻っていて改めて知る。

今日は24日のキャルドルサービスにも参加した母教会の礼拝に出た。会堂は建て変えてあるものの、この教会の元々の形を再現しているので、「なつかしさ」を喪失しないで済む。

またそこにはわたしが保育園の園児だった頃の先生方が二人おられ、また小さい頃いっしょにままごとをした幼馴染みもいて、昔のようにいっしょに礼拝を守る事ができた。

目まぐるしく変化して行った日々の中で変わらないものがそこにある。そしてその事に慰められる。


2004年12月25日(土) ふるさとのクリスマス

24日の日記を書くためにここを開くと時はすでに25日、クリスマスを迎えていました
クリスマスおめでとうございます。

携帯からは時を逆上って昨日の日付で日記を書くことができません。
けれどここに24日の事を書いておきましょう。

朝は予定通り6時に起き、夜明け前のまだ暗い別府の大通りを海岸の方に向かって10分ほど歩き さらに小さな路地を入ると、そこに昔ながらの竹瓦温泉がありました。ここは古い木造作りの昔ながらの温泉で、冷暖房はなし、入口は冬でも大きく開かれたままです。シャワーも蛇口もありません。たっぷりの熱いお湯の回りにはもう5、6人の人が一番風呂に入りに来ていました。いつもいらしてるんですかと尋ねると毎朝かかさず来ているということでした。土地の人の生活の中にしばし入れてもらったような気持ちでおばあちゃん達の話を聞きながら朝のお湯を楽しんだことでした。

この日は父に 合いに母と病院を訪ね、夜は子供の時から通っていた教会のキャンドルライトサービスに出かけました。なつかしい人達と再会し、いっしよに礼拝が守れて幸せなクリスマスイブでした。この事はまた後ほど詳しく。


ところで今日は心太日記の担当日です。
ここに掲載されたものを貼り付けておきます。



   心太日記 特別企画<豊かさについて> 12月25日




   暗闇の中で輝く光    

               たりたくみ



物が人間を豊かにするのではないことを
わたしたちはすでに知ってしまった。
この地上の豊かさの象徴のような
マンハッタンの空にそそり立つ巨大なビルが、
怒りの炎に包まれ崩れ落ちた時、
わたしたちはその豊かさの内部で膿み病んでいる
闇を思い知らされた。

今日も人が人を殺し、
人が自ら命を絶ったというニュースが報じられる。
子供も若者も、中高年者も老人も、
例外なく心の闇に捕えられる。
このように物が溢れている豊かな国の中であっても、
いえ、その物質的な豊かさが増すほどに、
人の心は萎え荒廃していく。

どのように人間が知恵と力を合わせても、
襲ってくる地震から身を守るすべのないことをわたしたちは知り、
自分の命がいつ終わりの時を迎えるのか、
わが身のことですら意のままにならないことを知っている。
わたしたちの命のなんと頼りないことだろう。

そんな中にあって、「豊かな世界を!」「豊かな未来を!」と、
豊かさを掲げたどのスローガンも空しく響く。
いったい豊かさとは何なのだろう。
果たして世界は、自分は豊かなのだろうか。
人は豊かに生きることがそもそも可能なのだろうか。
そのような問いかけが、押し殺したつぶやきのように、
あちらもこちらからも噴出しているように思える。

2004年前の今日
(正確にはちょうど2004年前の12月25日というわけではないが)、
ユダヤのベツレヘムという町の貧しい馬小屋の中で生まれ、
後に十字架に架けられ死んだイエス・キリストは、
その命をかけて人間に豊かさの提言をした。
彼は言う。貧しいものが幸いなのだと。
空の鳥や野の花のように明日のことを思い煩うことなく
今日という日を生きよと。
神と人とを愛することの中にほんとうの豊かさがあり、
神の国と義を求めるなら、他のことは添えて与えられると。
人々はその言葉の意味を解せずイエスを殺したが、
イエスという地に落ちた種は芽を出し、根を張り、広がって、
その言葉は今を生きるわたしたちにまで届き、
変わらぬ力を放つ。

クリスマス、この日イエスは光としてこの地上へ降りた。
人間の世界の闇を、個人の心の内の闇を照らす光としてここへ来た。
神自らが人となり、この闇の中を人と共に歩くために。
あなたはこの闇の中で手を差し伸べる
イエスの手の感触を知っているだろうか。

わたしにとっての豊かさは、キリストの内にあること。
その腕の中で呼吸し、その手を握り、明日がないかのように、
今日という日を今日の分だけ生きること。
生きることも死ぬこともすべてイエスの想いの中にあることを感じること。


初めに言(ことば)があった。
言は神と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は光を理解しなかった。
                 

(ヨハネによる福音書 1章1〜5節)


2004年12月24日(金) 父の病院へ

母とゆっくり、ホテルのバイキングの朝食をとり、10時に父が入院している坂ノ市の病院へ向かう。

父は車椅子に座っていた。ちょうど食事の時間なので、わたしが食べさせようとするのだが、目を閉じたまま起きようとしない。それでも口へ食事を運ぶと食べる。食事はなんとか半分は食べたが、父は帰るまで目を開けないままだった。

この夏来た時にはまだ自分で食事をし、立ったり座ったりも自力でできていたが、つい一月ほど前から車椅子に座るようになり、同時に食事も介助が付くようになったという。ステージが次の段階に進んだのだ。介護主任と話していて、この後はいよいよ寝たきりになるのでしょうかと聞くと、彼女はきっぱりと「ここは寝たっきりにはさせませんよ。車椅子に座らせても、起しておくんです」と言う。通りで、ドアのないベッドルームには空っぽのベッドしかなく、寝たままの人はいない。

父の車椅子を押しながらクリスマスキャロルを小さく歌い、広い廊下をしばらく散歩する。ベッドが3つおいてあるだけのすっきりした部屋に大きな窓があって、そこからは山々が見える。いかにも父の好きな景色なのがうれしい。父は山を見ているのだろうか。車椅子の父は眠ったままだ。

今日はクリスマスイブ。夜は母を説得して、いっしょに母教会のキャンドルサービスへ。
新しく会堂建築されたばかりの礼拝堂だったが、なつかしさは変わらない。
ずっと変わらないで続いている何かがここにはあるのだと思う。


2004年12月23日(木) 冬の花火

別府の夜景が山から海に向かって広がる窓辺で書いています。

実家へ戻る途中にある別府に母を呼び出し、二人で忘年会をしたのです。アルコールだめなのに、うっかりたのんでしまった母の分まで飲んでしまったわたしは気持ちよさを通り越してちょっと苦しかったりしましたが、良い忘年会ではありました。

部屋に戻ると、海岸の方からクリスマスの音楽が聞こえていて、そのうちにドン、ドンという音が16階の厚い窓を通して伝わって来るのです。まさかと思って外を見るとやはり花火が上がっているのでした。
わたし達は浴衣に羽織姿のままでホテルの前の道に出てしばらく花火を見たことでした。夜と明日のクリスマスイブの夜には海岸でイベントがあり最後に花火が上がるらしいのです。

冬空に広がる花火は夏のそれとは違って、色は白たったり青や紫やピンクだったり、また赤と緑のクリスマスカラーだったりで、デザインも星の集まりの様で、バックに流れているクリスマスの曲に良く似合っていました。

明日はここから父の入院している病院へ行きますが、わたしは朝6時に起きて、近くにある別府温泉の代表格、竹瓦温泉までひと風呂浴びに行ってこようと企んでいます。
ではみなさんおやすみなさい。


2004年12月22日(水) 旅の前日

ここを開くのは就寝前、たいてい夜中の12時過ぎ。
でも、今日は午後の陽射しの中で書き始めた。このPCで書く今年最後の日記だ。

午前中は庭の手入れをした。レッドロビンの生垣を剪定し、徒長したハーブ類の枝や、バラの枝も剪定する。
昨日植え込みをした白いランナキュロスとスノーフレイクの白い小花と、黄色のプリムラとグリーンイエローの桜草のような花(英語クラスのAちゃん姉弟からのプレゼント)はすっかりいい気持ちそうに土に馴染んでいる。
パンジーやビオラ、花キャベツなどの花々には肥料をたっぷりあげて、水もいつもよりたくさんかけ、花ガラなどを取りながら、留守の間元気でねと話かける。
花たちといっしょにいると、明日からこの家を離れるということがまた淋しくなってくる。旅に出る前にはきまって、どこにも行かないで、ここにいたいなぁと出かけることを厭う。出れば出たで、旅の気分を楽しむことができるのだが、旅の前日というのがいちばんやっかいだ。

わたしの生活空間。日常の中の日常ともいうべき場所なのだけれど、わたしにとってはここの生活がどこよりもファンタジーに近い。つまり世俗と遠い。で、いごこちが良い。

TVはつけないから、鳥の声とか犬の鳴き声とか、学校帰りの子どもの声とか、そんな平和な音だけが時折り聞こえる。窓の外の木々も家家も静かな暖かさを湛えていて、部屋の中には、整然と片付いているというのではないけれど、パッションを内に秘めたお気に入りの本やCDがひしめいていて、開かないまでも、音を出さないまでも、あたりにそれぞれの気(エネルギー)を溶かし出している。
どこの家にも、また場所にも、そこ特有のエネルギーがあって、それは自分のものとは異なる。だから出かけることや旅することで気分が変化するのだが、
わたしはきっと自閉的な部分が強いのだろう。穴の中の熊のように自分のエネルギーだけに包まれて安心していたいという気持ちが根っこのところにある。

11日間、わたしと夫の実家で過ごすことになるので、ダンボールの大きな箱に必要だろうと思われるものを詰め込んで宅急便に出した。いくら大きな箱でも、冬は衣類が嵩張りすぐにいっぱいになってしまうから、衣類でも何でも不自由を覚悟で、必要最小限のものに限る必要がある。今回はCDは「優しい森」ビデオはラテンのレッスン用、本はそれが手元にあれば幸せな気持ちなれると約束されているものを4冊。おみやげのお菓子の他には、わたしが毎朝食べるミューズリーとピーナツバター。カスピ海のヨーグルトは明日忘れないように、手荷物の中に入れる。

年賀状も70枚、夕べのうちに書き終えたし、やればもう、切りなくやるべきことはあるけれど、後はワイシャツのアイロンがけと夕食の支度をして無理やり仕事納めにしてしまおう。

というわけで、長い日記は当分書けません。左手の親指を駆使して、携帯電話で書くことと思います。

では明日は大分から。


2004年12月21日(火) 障子の張替え、好きですか?

「こういうことは焦ったからってどうにかなるもんじゃないよ。どうせやるなら腰を落ち着けて楽しみながらやらなくっちゃ。」

こう言うのは、落ち着きなくせかせかと、いかにもめんどくさいという格好で障子の古い紙を剥がしている自分にあきれているもう一つのわたし。

「いったいこの頼りない薄い紙は何?またすぐに破れちゃうじゃない!」
「いえ、いえ、破れるから障子はいいの。この薄い破れやすい紙で外の空気と強い光りをやんわりと遮る。空気も風もその紙を通して優しく部屋の中に満ちてくる」
と、作業をしつつ、自分の中でこんな対話が続いている。

ま、障子の張替えにはちょっとした葛藤があるということです。あたしの場合。

紙を剥がすために濡らした障子の桟が乾くのを待って、ガラス磨きやサッシのレールの掃除をし、庭仕事も少しする。おやおや、もう3時、日が翳ってきた。桟もすっかり乾いている。剥がす時の手間に比べれば、貼るのは造作もないし、なんだか工作する時のような楽しさがある。
何とか暗くなる前に、障子を貼り終えることができた。
やれやれ…



2004年12月20日(月) 今年のお仕事終了

今日、10回目のクリスマス会が無事に終了し、子ども達に用意していたクリスマスプレゼントも渡し終え、ほっと一息ついています。
これで今年の仕事はお終い。
心太日記の原稿もすでに送っているし、対外的なお約束やノルマの類はもうありません、確か。
で、後2日で、障子の張替え、庭の手入れなどの暮れの掃除、年賀状、帰省の荷作りと個人的な暮れの雑用がどんと目の前にあります。
はぁ〜、やれるかしらん。

時間がないといいながら、さっきからPCに張り付いてます。
きっと何もできないまま、後は野となれ山となれモードで、帰省することになるんでしょうか。
さてさて、今からやるべきことのリストアップと細かい計画表を作りましょう。その通りに実行できるかどうかは別としても。
PC、読書、ジムの3大お楽しみのうち、PCとジムは1月4日までお預けとなります。嗚呼!

ということで、今夜は心をオニにして、PCから離れることにします。
ではまた明日。


2004年12月19日(日) マグニフィカート わたしの魂は主をあがめ

そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、
憐れみをお忘れになりません。
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」


今日の日記はいきなり聖書の言葉から始めましたが、これは乙女マリアが、天使から救い主を身ごもっていることを伝えられ、神を讃美した言葉でルカによる福音書1章46〜55までの記事です。

このマリアの讃美はマグニフィカート(その詩のラテン語の最初の語)として、さまざまな曲が付けられ、世界中で歌われているので、マグニフィカートという言葉はお聞きになった方も多いのでないかと思います。


今日の降誕節第4主日の礼拝説教の中で、最も印象的だったのは、このマリアの讃歌の冒頭にある、マグニフィカート、「あがめる」という言葉の持つ意味についての解き明かしでした。

あがめるという事はどういうことでしょうかと説教者、S牧師は会衆に問いかけます。確かにあがめるという言葉は日常の中では用いない言葉ですし、改まって聞かれてみると、具体的にはどういうことなのだろうと、思わずその言葉の前で立ち止まりました。

S牧師は、「あがめる」という言葉のもともとの意味は大きくする、増大するという意味があると言います。この大きくするという言葉にはっとするものがありました。

この聖書の箇所の冒頭を英語の聖書で見てみるとこのように始まっています。

And Mary said,
"My soul magnifies the Lord,
and my sprit rejoice in Lord
my Savior,

「あがめる」という日本語が「magnifies 」という言葉で表わされています。magnifies の同類語にはmagnification (誇張)magnificence (壮大・豪華)magnifier(拡大鏡・虫眼鏡)などがありますが、どれも大きくするという意味を含んでいます。そういう言葉が派生してきたもともとのラテン語がマグニフィカートということなのでしょう。

神の大きさにわたし達が生きるということが、神を大きくすることだと語られ、この「神の大きさに生きる」という詩的な表現がとてもすんなりと心に入ってきました。
自分ひとりの力で生きるのではなく、神の力に守られ、神の力といっしょに働くというその事が主をあがめるということだと知らされました。あがめるということは、言葉だけ、あるいは感情だけのことではなく、実際の生き方、足取りの中で表わしていくものなのでしょう。

また、美しい神の働きは山や野原や海や川、わたし達を取り巻く自然の中に見ることができますし、そうした美しい自然はそのままで、神を「あがめて」いるわけですが、わたし達人間の存在もまた、神を「あがめる」被造物として差し出されているということを思いました。

小さなわたし達が、マグニフィカート、神を大きくすることは、具体的にはどういうことなのでしょう。きっと人間にとっては、生きるというその事自体が神を大きくするのではないだろうかと思いました。懸命に、こつこつと日々なすべき事をなし、正しい思い、美しい思いの中で生きるのであれば…
それは、けっして大きな業績を残すとか、名前を知られるとか、社会的に地位を築くとかそういう事ではなく、野の花や空の鳥のような生き方の中にあるのではないかと。

また、大きな神が小さな人間の姿で来られ、人間の一番弱い、死の姿の時にも、勝利に向かって生きる力を得ることができる、神が心の向きを変えてくださると語られましたが、クリスマスというのは、大きな神が小さな人間の姿で来られたまさにそのことを祝い、記念する日、そしてまた、自分の心の向きを確認する時なのだと心に止めます。


今日は礼拝の中で、教会学校の子ども達が聖書の箇所を順番に暗唱し、クリスマスの讃美歌を歌いました。
このまっすぐな子ども達を見ていると、その存在そのものが、山や川と同じように、神をあがめていると思えてきます。


♪ 神さまの愛はしみとおる、
  わたしたちの心に 日の光のように


  山も丘もいっしょに さんびの歌を歌おう
  海も小川もいっしょに さんびの歌を歌おう


  森も林もいっしょに さんびの歌を歌おう
  鳥もけものもいっしょに さんびの歌を歌おう


  こどももおとなもいっしょにさんびの歌を歌おう
  男も女もいっしょにさんびの歌を歌おう


  さあみんないっしょにさんびの歌を歌おう
  いつまでもいっしょにさんびの歌を歌おう

神さまの愛はしみとおる、
  わたしたちの心に 日の光のように

(こどもさんびか40番)
   








2004年12月18日(土) 闘う人の言葉を聞きに

今日は午前中、よしやさんの納骨式に出た後、その足で、新御茶ノ水駅の総評ビルに向かう。
友人の島田雅美さんが多田人権賞を受賞し、授賞式と講演会に参加するためだ。
2階の会議室に行くと、背中にスローガンを書いたジャンバーにバンダナという、いつもの闘争スタイルの雅美さんが、これも30年近く変わらない、満面の笑みで迎えてくれた。

しかし、講演の彼女の言葉は激しく、強い。時に怒りに震える。わたしは何度か、涙を拭う。
キリスト者としての自分の信仰をはっきりと表明するものの、彼女はキリスト者の中にあっては、教会にあっては孤独だ。しかし、彼女を見ていると、キリストにある生き方はかくあるべきだという気になる。弱い者のために、社会の間違いを正すために自分の生涯をかけて闘おうとしている彼女にはこの世的な成功や見返りをいっさい勘定に入れない、きっぱりとしたすがすがしさがある。
「あなたたちは間違っている!」
そう叫ぶべき場面で、わたしはことごとく目をつぶってはいないか。
自分の身を守ること、人との関係を穏便にやりくりするために終始してはいないか。
そういえば、今日電車の中で読んでいた角田清文氏の評論「相対死の詩法」でも、<詩人の使命と節操>という章で、その事を考えさせられた。角田氏にとって、詩人と宗教者はある意味同じような使命を担っている。塩の働きとわたしはそれを呼ぼう。塩としての働きを担う者であれば、自分を売り渡してはならないのだ。

わたしはいつの間にか、そういう「熱狂」を置き去りにしてきた。
信仰について、キリスト者としての歩み方について、考え直す時が来ていると
今日の2つの会を通して痛切に感じている。

教会暦では今日でアドベント(待降節)が終わり、明日がクリスマスだ。


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  <gooニュース 朝日新聞の記事検索サービス >より転載

2004年12月09日(木)


靖国参拝違憲訴訟原告らに多田人権賞


 少数派の労働運動や人権擁護のために尽力した故多田謡子弁護士の遺産を中心に設立された「多田謡子反権力人権基金」(代表、佐伯千仭(ちひろ)・立命館大学名誉教授)が9日、第16回多田人権賞受賞者を発表した。

 受賞者は、小泉首相靖国参拝訴訟の原告で大分市の市民運動家島田雅美さん=福岡地裁が4月に違憲判決を出した▽郵政4・28訴訟原告団=時間外労働拒否闘争などに参加し、79年の年賀状配達の混乱を理由に懲戒免職処分を受け、今年6月に東京高裁で処分取り消しを勝ち取った▽「Tシャツ訴訟」原告団=死刑囚への寄せ書きTシャツ差し入れ拒否への抗議など、獄中者の待遇改善を求めて裁判闘争を続けている。受賞発表会は18日午後2時から、東京・総評会館で。講演などがある。


2004年12月17日(金) ケーキをぐちゃりと潰した日

アメリカのコメディーなんかでよくあるでしょ。
クリームがどっさりのっかったケーキをバシッと人の顔にぶっつけたり、ドアにグシャリと投げつけたり。子どもの時、よくそんなもったいないことができるなぁと、感心したり腹立たしかったのですけれど、夕べ、生まれて初めてケーキをぐちゃっと潰してしまいました。お怒りモードで、発作的に。大きなケーキ丸ごとではな小さないちごのショートケーキなんですけれどね。で、ドアにぶつけたりすると掃除がタイヘンだから(かなりコウフン状態にあっても、さすがに主婦です)せめてテーブルの上でやりました。

はい、ヒステリーです。発作ってこんなに簡単に起こるものなんだと、もう、こういうことはすっかり治まっていたと思っていたのに、まだ心の奥には未解決のなんたらかんたらが残っているんだろうなと冷静に考える余地も残っていました。

引き金は大した事ではないんです。それが何に反応したかと言えば小さい頃に受け止めてしまった痛みなわけです。そこのところが爆発するものだから、ちょっとコントロール不可となる。こういうのがもっと激しくなると自傷行為なんかにつながるんだろうなと思いました。

で、その発作さを沈めるのに何をしたかといえば、ネットで、ヒステリーとかとか自傷行為などを検索して、そこいらのメカニズムについて確かめようとしました。こういうのはクールダウンに繋がりますね。自分の問題が客観的に眺められる。ただ心が非常にバランスを壊すので、疲労感がひどく放心状態が続いていました。精神衛生に関しては注意を払っているつもりですけれど、気がつかない内にストレスをためこんでいるのでしょうね。反省です。


それでさっぱりしたんじゃないの。オレもそんな風にやってみたいよと同居人。我が家の朝はまた平和なのでした。


2004年12月16日(木) カーテンを洗った日

カーテンなどめったに洗わない。
今年は暮れに帰省するから今の内にと思ったが、別に帰省しない暮れでもカーテンなど洗わないのに、珍しく洗った。
ジムのロッカールームで、誰かが、「洗濯機が来たから明日はカーテンが洗える」と言った言葉が耳に入った。
そうだカーテン。
居間はいつも目に止まるから洗う事もあるが、長男Hの部屋は足を踏み入れる気も起こらないから、カーテンなど、ここ5年は洗っていない。いやもしかして、10年間、一度も洗っていないのいではなかろうか。
白いはずのレースのカーテンがグレーになっている。洗えば水は真っ黒になった。

もう、日も暮れそうな時間、家中のカーテンを洗い始めた。
ああ、こんな簡単なこと、なぜもっと小まめに洗わなかったのかしら。
カーテンを洗う度に後悔する。


2004年12月15日(水) キリスト者とアナキスト

わたしのサイトも、またこの日記もそうだけれど、わたしは自分がキリスト教の洗礼を受けている者ということを明らかにしているが、いわゆるクリスチャンの仲間内で物を言ったり書いたりというスタンスは取っていない。かといって、「未信者」を対象に「伝道」を目的に書くなどという大それたことを考えているわけでもない。

それなのに、けっこう聖書のことやイエスの事を書く。それはなぜか。わたしは書くということにおいては精一杯、正直でありたいと思う。嘘偽りのないわたし、いわば裸のわたしになれるからこそ、書くことの中に慰めがあるのだし、またそこのところで読んで下さる人と繋がっていればいい。だから、心の真ん中のところに聖書の言葉やイエスの存在があるなら、それを避けることは嘘になってしまう。


先日のBゼミの二次会で、キリスト者とアナキストの話題が出た。というのもその場にアナキストと言われているKさんがいて、キリスト者(洗礼を受けて、教会へ行っているという意味で)のわたしがいたからだが。

「わたしはキリストは好きなのよ。でも教会とか教義とかは嫌い。」「キリストを信じるというなら、何もかも投げ出して、徹底してキリストを模倣しなくちゃいけないんじゃないの。」「キリストは革命家だったと思う。」
教会の中では決して聞かれることのない一連の意見を聞きながら、わたしもそう思っていると思った。しかし、生ぬるく、教会の組織の中にいる我が身を振り返れば、いくら心ではそう思っていたとしても、その言葉にただうなだれるのみだ。

わたしはイエスはある意味でアナキストだと思っているし、国家権力や、階級と真っ向から立ち向かい、徹底的に神の前にただ独りで立つという人間の在り方を説いた。そしてわたしは、イエスのその部分に惹かれ、惚れ、自分がそうなれるとは思えなくとも、いわば、そこに賭けている。
ところが今の世の中でキリスト者というイメージは、アナキストとはほど遠い。実際、キリスト者の輪の中にあって、そういう部分で話が通じるのは同居人くらいものだろうか。


日本の場合は、歴史的に、社会主義とキリスト教は決して離反するものではなかった。国家権力におもねることなく、社会の底辺にある人達の事をまず考えようとする理想は双方に共通していたから、大正時代、時代をリードする人達の中には社会主義者であり、またキリスト者でもあるという人が少なからず存在した。そしてわたしはキリスト教とその流れの先の方で出会っている。


一方、アメリカにおいては社会主義者、共産主義者、無政府主義者、どれもひっくるめて、反キリスト教、悪魔的なものと恐れ、教会やクリスチャンからは目の仇にされてきた。そういうアメリカの教団を背景に持つ日本の教会の中には、無意識の内に、その価値観を共有している向きがあることは否めない。
学生の時に洗礼を受けたが、その時すでに、教会やクリスチャンによって大きく異なる社会的な視点や傾向のことは気が付いていた。そしてその時から今まで、教会に属しつつも、教会の持つ社会には違和感を感じ続けてきた。ぴたりと合う場所を求め続けてきたと言ってもいいかもしれない。

居酒屋でその話題の中にあって、わたしは自分自身がずいぶん矛盾した立場にあることを改めて考えていた。イエスのひりひりするような孤独を良しとしながら、権力と真っ向から闘ったイエスを信頼しながら、教会でもまた社会の中でも、いかに皆の中に適応するか、溶け込むかという事にけっこう心を砕いているからだ。

こうして外から教会というものを、キリスト者を見る視線に晒される事は痛いが、必要なことだと思った。
そして、信仰者としてこれほど無力で未熟であるわたしのような者が、恥知らずにもキリストにしがみついていることをあからさまにしていくことも、それなりの意味があるのではないかと思ったのだった。

このことはここで完結するようなものではなく、恐らくわたしの中では課題として広がっていくことだろう。
そもそもこういう場所にわたしが投げ込まれているということ自体、そうした話題を振られるということも、神の配慮の中にあると思えてくる。

今日、同郷のクリスチャンの先輩(ご夫婦でわたし達の結婚の証人になってくれた人だ)で、社会的な活動を続けてきた島田雅美さんから、第16回「多田謡子反権力・人権賞」を受賞したという手紙が届いた。個人としては唯一人の受賞者だということだ。この夏には彼女の記事が載っている「憲法を奪回する人々」(岩波書店・田中伸尚著)という著書もいただいていた。12月18日の午後には総評会館で受賞発表会と、彼女の講演会があるという。
行かなくてはと思っている。


2004年12月14日(火) 日曜日の日記

さて、また夜中です。
先ほど、先週の日曜日の分をアップしました。
昨日のおもしろさの中味もまだ書いていませんが、もはや睡魔が勢いを振るってこれ以上何も書けません。
朦朧とした頭で、おやすみなさい。

朝です。昨晩はよほど朦朧としていたと見えます。日曜日は先週ではなく、今週12日の日記のことでした。
また、昨日書いた日記では、ただノートのメモを書き写しただけで、わたし自身の言葉は何も書いていませんでしたので、今朝、続きを書きました。

さて書くことはあるのですが、このことは今日(もう15日です)の日記に回すとします。では後ほど。


2004年12月13日(月) 深夜のメモのような

Bゼミ、古井由吉の「冬至過ぎ」についての学びも、その後の居酒屋での2次会も、おもしろかった。いろいろと刺激や情報を得ることができた。
もっと居たいところだったが、終電に間に合わなくなるので、途中で抜け、高田馬場駅へ急ぐ。
何がおもしろかったか、その中身も書きたいけれど時間が無いです。

家に帰り着いて、明日の用意などをして夜中の1時半。これからお風呂に入ってせめて2時までには寝たいところ。

あぁ、時間。いつも時間が足りない…

では、また明日。


2004年12月12日(日) インマヌエル、神は我々と共におられる

アドベントの3週目、クランツにろうそくが3本灯る。

説教のテキストは、マタイによる福音 1章 18−23

説教を聞きながらノートにメモしたこと


<ヨセフは正しい人であった>

ここで正しい人とはどういう人を言うのか
イエスの山上の説教の中に「正しい人は幸いである。彼らは神を見るであろう」とある。正しい人とは良識と思いやりのある人


<恐れず妻マリアを迎え入れなさい>

その事がらに正面から向かっていきなさい。
神がわたしの人生にかかわろうとしておられる。


<その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である>

あなたの心は今どこへ向かっているのか。
あなたの心は神を迎え入れようとしているか。

神がまずこちらに向かっておられる。
よしんば、我々の心がどこへ向いていようと、神は我々の心に向いておられる。そ事に気がつくこと。インマヌエルを信じること。

インマは「いつも」という意味
エルは「神」

聖書が一貫して言っていることは、神はあなたと共にいるという事、
つまりインマヌエル。


ここまでがノートに書いたメモだが、わたしはこのことをどう受け止めるのか。この「インマヌエル」という言葉が今までになく、ハイライトを引いたように、自分の内側へと入ってこようとしていることは分かる。その言葉のはじっこをようやく掴まえたのかも知れない。
神が共にいます―何とも心強いことだ。しかし、これは安心や慰めだけを、いわゆる保護のみを表わしているとは思えない。神がひとときも休むことなく、わたしの傍らに在るということ、神の眼差しが休むことなくわたしに注がれているということ、このことはまた怖いことでもある。

正しい神が正しくないわたしを見ている。愛に満ちる神が、愛の乏しいわたしを見ている。強い神が弱いわたしを見ているのである。
神が共にいますということは、ある意味では、すべてがあからさまになり、神の前に、そういう貧しい自分をさらし続けるということだと思う。

自分を偽る、問題がない振りをする、物事を真っ向から見つめず、見ない振りをする…人間どうしの間ではこのようなことがまかり通るが、神との関係に置いてはそういう偽りの入る余地はない。

インマヌエル、神は我々と共にいます。
しかし、そのなんともみじめなわたしを神は見捨てることなく、最後まで共に歩いて下さるというのである。
どうしたって、そこには在り難さが、喜びが滲み出してくる。


********************


マタイによる福音 1章 18−23

18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。

20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。

21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。


2004年12月11日(土) 英語学校のクリスマス会

仕事がら、この季節にはいくつもの「クリスマス会」を主催する。
数えてみると今年は10回。そのうちの一回めの一番大きいイベントが無事終了して、ほっとしている。

今日は英語学校の子どものパーティーが午後2時から3時半、大人のパーティーが6時から8時まで。後片付けやちょっとした反省会を終えて家に帰り着いたのは11時過ぎだった。

子ども達のパーティーでは、25名ほどの子どもに親で合わせると40人近く。まず礼拝堂のベンチを取っ払ったスペースでクリスマスの歌を歌い、ゲームをする。その後で2つのグループに別れ、交代で3つのアクティビティーをする。ひとつはクッキーの飾りつけ、二つめはクリスマスカード作り、3つめは、クリスマスストーリー。それぞれの部屋にスタッフが一人づついて、子ども達がそこにやってくる。

わたしの担当はクリスマスストーリー。英語のクリスマス関係の本を数冊用意して、子ども達の顔ぶれや、その時の雰囲気で本を選ぶことにしていた。もともと小学生だけのパーティーなので、親や小さい子は来ないつもりで考えていたが、子ども達が部屋に入って来ると、親達も、まだ小さい弟や妹を連れて、入って来た。どうやら見学会になりそうな気配。ここは、わたしが一人で絵本の読み聞かせをするよりも、子ども達の活動を見せる必要があると思ったので、子ども達が声に出して読める作りになっている絵本を選び、子ども達に声に出して読ませていった。幼稚園児も、負けずと大きな声でコールする。これは成功だった。アドリブもいいところだったけれど…

高学年のグループでは、帰国子女のAちゃんに英語の部分を朗読してもらい、わたしが日本語で翻訳した。その時思いついたのだったが、他の子ども達にはAちゃんの朗読が良い刺激になり、Aちゃんは読むことができて得意気だった。

グループに分かれて3つのことを済ませた後、また礼拝堂へ戻り、交換プレゼントをし、クリスマスの歌を歌って終了。
しかし、自分が教えている子の親だったらまだいいが、知らない親や見学者がいると、子ども達だけに気持ちを集中させたいのに、どうしても親を意識してしまうから、やりずらいものがある。でも、、まあ、親も子も、満足した様子で帰っていったので、まずは成功とするべきか。


大人のパーティーは前半が礼拝堂で、英語劇と英語で歌うクリスマスキャロルのクラスの発表の意味もあり、クリスマスの物語に沿って、聖書の朗読(英語と日本語)とクリスマスキャロルを歌うことを交互に行う。しかし、プログラムを担当していたスタッフが、なんと会の始まる直前にようやくプログラムを作り終えたので、会が始まる前にプログラムの確認をすることができないままだった。
始めの計画では英語の歌だけを歌う予定だったのが、急遽日本語でも歌うということになり、その対応にあたふたとしてしまった。
これはもう、打ち合わせ不足。というのも、3人のスタッフの内、一人が英語劇のリハーサルに忙しく、わたしはキャロルのリハーサルや伴奏との音合わせが精一杯で、全体の進行や準備をもう一人のアメリカ人のスタッフに任せるかっこうになったからだ。
英語劇のクラスもクリスマスキャロルのクラスも今年初めてのこころみで、なかなか画期的で評判もよかったのだが、なんとも忙しかった。いろいろと反省点が残った。

それにしてもクリスマスキャロルの5回のクラスを受講してくださった。Hさん、Yさん、Mさん、3人とも素敵に歌ってくれた。人前で歌うのは初めてというHさんとMさん、コーラスでは歌ってきたものの、ソロは初めてというYさん、なかなか堂々とした歌い振りで、声も通っていた。きっとわたしが一番緊張していたのだろう。3人の声が練習の度に変わっていったのもおもしろい体験だった。このクラスは1月からも続くことになった。

劇とキャロルに続く、ホールでのスナックパーティーは、なかなか良い雰囲気で、歌あり、ダンスあり、アメリカ人の用意した食べ物、飲み物も、アメリカ的でなかなか楽しいものだった。4種類のディップとクラッカー、薄切りフランスパンにスティック野菜というシンプルなものだが、こういう食べ物というのはパーティーにはとても合う。シナモンやクローブ、オレンジやレモンを入れて暖めた赤ワインもすばらしく香りが良く気分を盛り上げていた。
わたし個人としては、このアメリカンスタイルのパーティーは気分がいいだが、生徒さん達はどうだっただろう。最後の歌なんてかなり盛り上がっていたからきっと楽しかったに違いない。


ところでわたしはもともとイベントとかパーティーというものがあまり好きではない人間で、学生の頃、あちこちでやっていたダンスパーティーにも一度行ったきりだった。しかも、今ならこれほどダンスが好きなわたしは、その時は全くの壁の花(今でもこの表現は通じるのかしら)だった。
そういうわたしが仕事とはいえ、この1週間あまりの間に残り9つのパーティーをアレンジするというのだから、この季節はやっぱりツカレル。でも、子どもの時、教会学校のクリスマスが楽しくてしかたなかった思い出があるから、子ども達に楽しい思い出を残したいとハリキル。

あぁ、今年も年賀状や大掃除はいったいどうなるんだろう・・・
なんて嘆きつつ、こうして書いたり、ジムへ通ったりもしているのだから、まだまだタイヘンなんて言える状況ではないということだ。

ごめんなさい。見直しなしでこのままアップ、おやすみなさい!


2004年12月10日(金) ヘンデルのソロ・カンタータ

ヘンデルフェスティバル・ジャパンというコンサートの第2回、波多野睦美さんと、大森智子さんのヘンデルのソロ・カンタータと二重唱を聞きに行った。

波多野さんのことはもう何度もここに書いたが、わたしは彼女の歌を聞く度に、歌というものに目覚めるような気持ちになる。歌とはこういうものだったのか、人間の声はこれほど美しく深い音を持っているのか、言葉にはこれほどの色彩と陰影とがあるのかと、いつも新しく驚く。
新しく出たCD「優しい森よ」と、クリスマスプレゼント用の「クリスマスパスト」を数枚、また、波多野さんとつのだたかしさんの共著「ふたりの音楽」
を買う。

CDも本も楽しみでならないのに、土曜日の夜中の今の時間まで聞く時間も読む時間もないままの忙しい一日だった。

コンサートのことは、後日ここに続きを書くか、さもなければ、別の日に改めて書くことにしよう。

ダウランドカンパニーから出ている波多野さんとつのだたかしさんのCDはどれもおすすめです。


2004年12月09日(木) 冬至前

今年の冬至は12月21日らしい。ということはこれから10日あまりは、まだまだ日が短くなるということだ。1年で最も夕暮れ時が寂しく感じられる時なんだろうか。

わたしは暗い道が嫌いだ。子どもではあるまいし、若い娘というわけでもないから、薄暗がりの道を行くのにどんな危険があろうとも思われない。それでも暗くなってゆく道を行く時の心細さは7歳の頃と少しも変わらない。


今日は夕方、花屋へゆく用があり、先の方まで田畑の広がりが見える農面道と呼ばれている道を自転車で走った。暮れかけていることもあるが、どんよりと重たい雲が空を覆い、風は冷たかった。
何とも形容し難い寂寥感が湧き起こってくる。
これまでであれば、漠然と心を覆うような理由のない寂しさなど鬱陶しいばかりで、無意識にも払いのけようとするのだが今日はそうではなかった。

細い枝の先に5つばかり実だけが残っている柿の木や、茫々と枯れたススキの風になびくようすや、家家の立ち並ぶ様子の妙なわびしさを、じっくりと味わったのである。
そうそう、こういう光景を目にする度にいつも同じような寂寥感に襲われてきたと。
これをどんな言葉で表現することができるのだろうかと。

ここ二週間ばかり繰り返し読んでいる古井由吉の「冬至過ぎ」という文章のお陰だと思う。冬至過ぎの夕暮れ時、独り馴染みのない駅で途方に暮れている初老の男。目の前に広がる景色は精彩を欠き、ただただ陰鬱の中に沈んでいる。じっとりとした不快感や足元がおぼつかないような不安、目の前にただ底なしの穴だけしかないような寂寥感が、情景の描写と、内面を描写する言葉によって、みごとに描き出されている。

その表現を何度でも読み、何度でも繰り返し味わっている。
味わってみれば、あれほど避けたいと思っていた淋しさが、それはそれで親しいもののように馴染み、慰めのように沁みてくるから不思議だ。

この季節に良い文章に出合ったと思う。



2004年12月08日(水) 喜びは、静けさと、

今夜もようやここを開くのが夜の12時半を回ってしまった。
わずかな時間しかないけれど、書いておこう。



<ボンヘッファー短章366日  12月8日 >

 喜びは、静けさと、信じがたいほどの不可解さとによって生き生きとする。


ボンヘッファーの今日の言葉だ。
ほんとうの喜びが湧き起こってくる時の、たとえようのない静けさを思い起す。
なぜ今このように喜びに溢れているのか、どこにもその原因や理由が見つからない。目の前にあるものは、何の変り映えもしない空だったり、風だったり、あるいは道だったりする。
きまって独りだけの時、ふっと音のないスポットに入りこむ。
誰とも共有していないのに、あの方が今ここにいるということだけは妙にはっきりと分かるのだ。
明日、そういう瞬間が訪れるといい。
そう念じながら眠ってみよう。


2004年12月07日(火) 挫折する、その時にこそ

今日は、心も身体もかなりくたびれているが、
いえ、それだからこそ、眠りに着く前にカームダウンするものが必要だ。

ワインか、梅酒か・・・
この疲れには、そういうものでは間に合わない

「ボンヘッファー短章366日」を取り出す。

本の裏表紙にあった言葉


「我々が挫折する、
 その時にこそ、
 神は信じがたいほど近くいます時であり、
 絶対に遠く離れたもう時ではない。」


心になにがしかの負担があるというのは、
むしろ大切な時なのだ。
その事を通して、見なければいけないこと、
考えなければならないこと、
行為しなければならないことが
明確にされる。

行き詰らないためにどうするか、
その負担こそが神が共に担うべく、
与えて下さったものだと考えること。

さて、それでも、今日一日は充分に生きた。
明日を充分に生きるために、
今夜は安らぎの中で眠ろう。


2004年12月06日(月) 一行だけでも

一行だけでも、今日という日を残そう。
お湯から出て、身体が冷えてしまわないうちにベッドに飛び込まなくてはならないから、今日はこれでおやすみなさい。続きは、きっと夢の中で書いています。お風呂の中では、ここのところ古井由吉を読んでいます。そのなにか吹きさらしの荒野の中にいる感覚、寂寥感というのでしょうか、がなぜか良く分かります。なぜ分かるんだろうと思いながら読んでいます。


2004年12月05日(日) 神の時を生きるということ

バプテスマのヨハネという人
らくだの毛衣をまとい、縄の帯を締め
荒野で
「「悔い改めよ。天の国は近づいた」
と叫ぶ人。

イザヤ書の中でヨハネの事がこのように預言されている。

「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、、その道筋をまっすぐにせよ。』」

イエスに先駆けて現れたバプテスマのヨハネの事はこのアドベントの時期に
毎年語られる。



このバプテスマのヨハネから聴き取らなければならないメッセージは、
「時間に対する正しい感覚です。」
と、今日の説教の冒頭で語られ、
説教者が語る「時間」という言葉に、はっとする。

「今の世が永遠に続くというような生き方をしてはいないだろうか。しかし、わたし達は神の時の一部を生きているに過ぎない」
と、また、語られる。

このことは、言葉の表現は違うが、前に語られた「明日がないかのように生きる」ということと、同じ事なのだと思う。
生き方の中心にあること、一つの動かし難い真理を、また別の言葉で、別の角度から伝えられているのだと分かる。

わたし達、人間の命に限りがあることは、誰でも知っている。にもかかわらず、わたし達はそのことを意図的に、あるいは無意識に、考えないようにして生きているのかもしれない。
そうすることで、見ないでおこうとするものは何なのだろう。
そうすることで麻痺させようとしていることは何なのだろう。

荒野の声が『主の道を整え、、その道筋をまっすぐにせよ。』
と呼びかけているのだが、
主の道を整えるということは、その道筋をまっすぐにするとは、具体的にどういう生き方なのだろう。

説教者は、明日を生きるために自分の今をおろそかにしない生き方をすること、そして今、神がわたしといっしょに生きてくださっているという認識を持つこと、どうでも良い事は後回しにし、自分のなすべき事を見極め、自分が何のために生きているのかを知ることが、神の時を生きることだと説く。

さて、わたしの日常はどうだろうか。時に対する正しい感覚に貫かれた日常だろうか。
時に対する正しい感覚は、ちょうど夢から目覚めるような感覚で、はっとして取り戻す。だがうっかりすると、意識はまた眠り込む。また意図的に、その感覚を麻痺させようと、「時」を忘れる事にウツツをぬかす。

それだから、意識は眠ったり起きたりをくり返し、スイッチが入ったり切れたりするその感じにも似ている。

途切れる事のない音のようにいつもひと繋がりの時間の感覚の中で生きることはできないだろうか。

様々に寸断されるわたしの日常の「時」を、なんとか繋ぎ合わせようと、また時に対する正しい感覚を取り戻そうと、一日の終わりにこうしてここに綴っているのかもしれない。


******************************


マタイによる福音書  <3章1−12>

1 そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、

2 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。

3 これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、、その道筋をまっすぐにせよ。』」

4 ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。

5 そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、

6 罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

7 ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。

8 悔い改めにふさわしい実を結べ。

9 『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。

10 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。

11 わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。

12 そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」


2004年12月04日(土) クッキー300個を焼いた日

今日は英語学校のK(アメリカから来ているネイティブの英語教師)が、クリスマスパーティーのためのクッキーを焼くというので、朝から手伝いにでかけた。


教室にはすでに材料が準備されていて、クリスマスキャロルも流れている。
クッキーの生地を麺棒で伸ばし、星やクリスマスツリーや天使の形にくりぬいては天板に載せ、ガスオーブンで焼いていく。
牧師夫人も手伝いに来てくれて、3人で、日本語と英語でおしゃべりしながら、粉まみれになって作業をする。
午後3時半までには300個のクッキーが焼きあがり、そのクッキーの山を見ると充実感があった。
よく焼いたものだ。

3時くらいに、同居人が鯛焼きの差し入れを手に様子を見に来たので、猫の手よりはマシかもと、クッキー作りに参加してもらう。生まれて初めて、クッキーの型抜きを体験できてよかったことだ。


ところで、お昼を買いにお向かいのパン屋さんへ行くと、そこのおばさんが、
「今日はお休みじゃなかったの?」
と聞く。
「ええ、クラスはないんですけれど、クリスマス用のクッキーを焼いているんですよ」というと、
「まあ、よくそんなめんどうくさいことするわねえ」と感心されてしまった。
「だって、おばさんなんて、毎日パンやケーキやクッキー焼いてるじゃないですか。わたしはとってもできないなあとここに来るたびに思います。」
というと
「だって、これは食べていくための仕事だもの。そうじゃなかったら、めんどくさくて、やらないわ」
という。
なるほど、仕事だと思うからやれることがあるんだと妙に納得する。
そう、この一日がかりのクッキー作りだって、いわば「仕事」の延長のようなものだからやれるのかもしれない。昔は楽しみでクッキーやケーキも良く作ったものだったけれど、今は自分一人だと、こういう面倒なことはまずやらないだろうなと思う。

ともあれ、良い労働の時だった。


2004年12月03日(金) 新聞を変えた日

夕方の忙しい時間に玄関のチャイムが鳴る。
ふとそんな予感がしたが、当たりだった。ドアを開けると、「奥さん・・・」と妙に下手の、申し訳なさそうな声でおじさんが新聞の勧誘を始める。

我が家は毎日新聞か朝日新聞で、めんどくさいので、基本的に新聞を変えたりはしない。まれに勧誘の人の泣き落としに負けてしまったりして、数年に一度、変えようと積極的に思うことなく変ってはきたが・・・


でも、ここ数日間、毎日から朝日に変えたいと思っていたのだ。というのは、遠藤彰子さんが朝日新聞の連載小説の挿絵を毎日がんばって書いてるとエッセイにあり、その画家の日々の仕事を見たいというのがその理由だ。物を書くことを志す者としては全く不勉強だが、わたしは新聞そのものをあまり読まず、新聞小説は読んだためしがない。挿絵なども気をつけて見たこともなかったのだったが。


で、ちょうどいいタイミングで勧誘のおじさんが玄関口にいらしたという訳だ。
いつもなら「新聞変えると主人からしかられますので」などと調子のいいことを言って、お断りするところだが、今回は
「あ、ちょうど、朝日に変えようと思ってたところなんです!」
と、思わずうれしそうに言ってしまった。

おじさんは、ちょっと拍子抜けしたみたいで、手にしたビール券をひっこめそうな勢いだった。

あ、こういう場合、一応断って、それで、ビール券とか洗剤とかと交換条件に持ち込むんだったっけ、と、おじさんが手にしているビール券をじっと見つめる。

「あ、洗剤とビール券、どっちがいいですか」
と、おじさんはちょっとあわて気味。

「もちろん、ビール券よ。新聞変えると主人の機嫌が悪くなるんですけど、ビール券でなんとか機嫌取れるかもしれないわ」

と、またまた調子いいが、これはあながち、間違ってはいない。

おじさんは手の中のビール券を5枚だけ渡してくれたが、その後、あ、もう一枚、やっぱりもう一枚あげますよ。と、わたしが催促したわけでもないのに、
手にしていた7枚のビール券を全部くれた。きっと7枚というのが景品なのだろう。

読みたかった新聞に変えることができて、おまけにビール券というのはずいぶん得なんじゃないだろうか。
明日から朝日新聞入れてもらうことにした。楽しみ、楽しみ。


2004年12月02日(木) 絵の中を自転車で駆け抜けていく気分



今日は、なんだか、いつもと違うもモードだった。
いつも頭の中で何かを書いている(つまり考えているということなのだが)わたしは、目は確かに開いているものの、対象が心に働きかけてこないことが多い。だから、何度通っても、ここ初めて通るわね、なんて言って、運転している同居人をあきれさせている。自分で移動しているわけではない、車の助手席になると、その傾向はかなり強くなる。

ところが、今日は違っていた。朝、ジムまでの道のり、田舎道を自転車で走った時のこと。頭の中に言葉はなくて、わたしは自分が目だけであるような感じがした。目の前にずうっと先の方まで続いている道とか、ずうっと向こうの畑だとか、そういうものがくっきりと意識の中に入ってきていて、わたしはまるで大きな一枚の絵の中を自転車で突っ走っているようなわくわくする気持ちだった。
へえ、いつも道路の脇の花とかしか見ていなかったけれど、遠いところはこんな様子をしていたんだと、わたしは視線をできるだけ遠くに向けているのだ。

あ、このところ、ずっと虜になっている画家の遠藤さんの絵が、わたしに作用しているんだ。ものの見え方がすでに違っている! と、自覚した。
対象を見る目線が変えられるというのも、おもしろいものだなぁと思う。

自転車で30分ほどの移動時間が、けっこうファンタジーに満ちていて、子どもの時の気分がよみがえってきた。


2004年12月01日(水) 遠藤彰子さんの漫画エッセイ

さっきから、パソコンの前で、くっくっくっ、とか、はっ、はっ、はっ、とか、きゃはははとか、もう、ひっきりなしに笑っているものだから、
隣の部屋でやはりパソコンの前に座っている同居人が、
「一人で盛りあがらないでくれる!」と文句を言った。

あたしが、笑うのを我慢していると、
隣の部屋から、ぎゃはははと けたたましい笑い声が聞こえた!

同居人はわたしと同じサイトを見て笑っていることが発覚した。
あんまりおもしろかったから、メールで教えてあげたのだ。

何を見て笑っているかといえば、昨日の日記にも書いた 洋画家の遠藤彰子さんのHP の、漫画エッセイ。
自慢じゃないけど、あたしは、お笑いなんか見てもあんまり笑えない。けっして笑い上戸というわけじゃない(佐野洋子のエッセイだけは、電車の中で爆笑して、かなりハズカシイ思いをしたことがあるけれど・・・そういえば、この人達、どこか似ているなぁ〜)だから、ほんとに、久々の大笑いなのだ。


あたしの中に隠れている<子ども>が、息する場所を見つけた!とばかり、喜んでいるのが分かる。
ここのところ、読むものにしても、考える中味にしても、あたしはあたしの中に住んでいる<子ども>を、ちょっと、ないがしろにしてきたかもしれないと、思った。

まずは絵に惹かれたのだけど、この人、好きだなあ〜、素敵だなあ〜と、なんだかふつふつしている。

で、絵への強い衝撃も、このふつふつも、あたしの中の<子ども>が大きくかかわっていることに気がついた。





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