たりたの日記
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2004年11月30日(火) |
夢の中でしか見たことのなかった景色があった! |
今夜は、11時くらいから、もうわけもなく眠く、 それなのに、なんだかパソコンの前を去り難く、 かといって、自分の日記を書くでもなく、 ほとんど居眠りしながら、日々巡回しているいくつかのサイトを回っていた。
で、はるさんの日記を読んで、おもしろそうな画家の話だなぁと思い、 そこでもう寝るはずだったのだけれど、なんとなく掲示板をクリックする。 と、そこに、親切にも 洋画家の遠藤彰子さんのHPが紹介されていた。
むむっ、これはナンダ! もう完全に目が醒めて、わたしはHPにリストアップされていた絵をクリックしながら、次々に見ていった。 スゴイ、スゴイ、スゴイ、、、とこんな具合に。 いったい何に惹きつけられるのかといえば、そのダイナミックな構図や、黄昏時の光線に照らし出されるような独特の光りをたたえた色調もあるが、 極めつけは、街のシリーズに描かれている遠景の細かい部分まで見渡せる、摩訶不思議な風景の数々。
あぁ、これって、夢だとは分かりながら、もっと良く、できるだけ長く見ていたいと必死で目を凝らす、あの、夢の中でしか見ることのできない、うっとりとするような、スペクタクルじゃないか!
夢の中ではおそろしくくっきりと、遠景のディティールまで見えていて、それを心に焼き付けたつもりなのだが、、夢から醒めてみると、そのくっきりした風景はたちまち、かき消されてしまう。 いえ、今の今まで、そういう夢を繰り返し見てきたということすら忘れていた。
思い出したのは、遠藤彰子さんの絵を見たからだ。 こんなふうにして、出会いたくてならなかったなつかしい風景に出会うことができるとは。 しかも、これは夢じゃないから消えてはいかない。 展覧会であれば、その場所を離れればもう、夢のように見えなくなってしまうけれど、サイトの中にある絵はいつも見ることができる。
それにしても、この風景を見る時に起こる、この独特な恍惚状態は、いったいなんなのだろう。画家はそのことを説明してくれるだろうか。 わたしと同じ気分に、みななるのだろうか。
こんな夜更けに、ちょっと興奮している。
2004年11月28日(日) |
荷を負うろばの子、子ろばに乗って |
確か先週の日曜日に、教会暦の最後の主日と書いた。 という事は、今日は教会の暦のはじまりの日ということになる。
今日からアドベント(待降節)。 モミの木の枝で作られたアドベントクランツの4本のろうそくがひとつだけ灯された。
世の中はこれから年の瀬を迎えようとしているのに、この時を始まりとする教会暦とはいったい何なのか。
教会暦というのは、神の救いの歴史の一巡りで、今日、新しい救いの一巡りが始まったのだと牧師は語る。
今日のテキストはイエスのエルサレム入場の場面。いよいよ十字架の刑が迫ってきていたその時、イエスは子ろばに乗ってエルサレムへ入る。この時、人々は、イエスがエルサレムに入ってこられるのを歓喜し、ホサナ、ホサナと熱狂的に迎え入れたのだ。
イエスはその群衆の歓喜が数日の内にどのように変わるか、その果てには何か待っているのか、知っていた。そしてイエスはエルサレムの入場するための乗り物に、子ろばを所望する。威風堂々と馬にまたがるのではなく、小さな貧しいろばの子を選ぶ。ここに古の預言者の預言が実現した。
「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、、柔和な方で、ろばに乗り、、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
ここで言われる柔和とは、単に穏やかで争いを好まないという消極的な意味ではない。この言葉の本来の意味は<踏みにじられてもじっとがまんしていること>だと、説教者は語る。
実際イエスは人の痛みと病をその身に引き受け、つばをかけられ、ののしられ、鞭打たれ、釘と槍で貫かれる。 そういう「柔和」とは、なんと凄まじいことだろう。
アドベントという時期は、自分の人生観を確立する時だと、説教者はまた説く。 この世での人生と、死んだ後に与えられる永遠の命との間に齟齬がなく、ひとつの流れの中にある生き方を確立する時だと。
イエスを心に迎え入れる用意はできているか。 心にきちんとそのためのスペースが準備されているか。 クリスマスのデコレーションや、プレゼントの用意の前に、その準備こそがなされなければならないと思う。
礼拝の後、教会の姉妹二人とゆっくり昼食をとりながら話をする。その後、オルガンの練習をするつもりだったが、誰もいない礼拝堂に一人居る気にもなれなくて、大宮駅の輸入食料品の店で、甥っ子達への小包へ入れるクリスマスのお菓子類や、英語学校の子ども達へのプレゼントのキャンディー類を買った。 持ちきれない量になったので送ってもらう。 心の準備もだが、クリスマスの具体的な準備は避けては通れないもの。
夜はクリスマス会で歌うキャロルをギターを弾きながら練習。 What Child is This? グリーンスリーブスの旋律に、讃美歌の詩が付けられたもの。
クリスマスの歌なのに、しんと物悲しいこの歌は好きだ。 2番の歌詞にはイエスの十字架の場面が歌われている。
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マタイによる福音書 21章1−11
一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、 言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。 もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」
それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、、柔和な方で、ろばに乗り、、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、 ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。 そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。 そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った。
2004年11月27日(土) |
幼馴染に会い、ゼミで学び、ジムで踊った土曜日 |
この日記を書いているのは28日の夜9時過ぎです。 日記のカウンターは、目立たない所にあるので、お気づきでない方もいらっしゃると思いますが、今71994で、今夜のうちに72000カウントになりますね。3年と9ヶ月書いていますから、日数で割ると53。一日平均50人ほどの人が読んでくれている計算になります。
でも、ここのところ、文学とか聖書とか、ちと、話題が固いせいか、少し読者が少なくなってきています。わたしの場合、自分が書きたいこと優先で書いていて、いかに読者をひきつけるかとか、読んでいただくかといったサービス精神に著しく欠けています。反省の余地がありますね。 読んで時間の無駄をしたと思わせない日記を書きたいとは思いますが、さりとて、あまりに理屈っぽくって楽しめない読み物であれば、誰も読もうとは思わないでしょう。 バランスですね。バランス。 で、今日はかなり、打ち解けて書いてますね。
日記を続けて読んで下さる方、ほんとにありがとうございます。 今日も、BゼミでごいっしょだったSさんから、日記読んでますよ〜とメールがあり、うれしかったです。
掲示板などに変な書き込みがあるよと、わたしよりも早く気がついて携帯メール知らせてくれる友もいるし、赴任先のドイツで読みつづけ、素敵なプレゼントを届けてくれる友もいて、お互いに離れた土地で暮しているものの、まるで、このブラウザーのすぐ向こうにいて、直接おしゃべりしているようなそんな近さを感じます。 また、まだ一度も、言葉をかわしたことのない方で読み続けてくださっている方もいらっしゃるやもしれません。 読んで下さる方がいるから、このようにものぐさで飽きっぽいわたしのような者が書き続けられるんだと、改めて感謝の気持ちが起こります。
さて本題。27日のことを記しておきましょう。 ちょっと目まぐるしい日ではありました。 遅く起きた朝、午前中はゆっくりしようとぐだぐだしていると、携帯にメール。わたしの故郷の幼馴染のSちゃんが娘の大学受験の付き添いで、上京中、今日一日、青山にいるというのです。Sちゃんとはもう10年以上も会ってません。 幸い今日の予定は夕方5時からのBゼミと8時過ぎからのラテンのクラスです。こもごもの用をやっつけ、昼過ぎには家を出て青山へ。青大近くのスタバで4時近くまでおしゃべりしました。傍から見れば、りっぱなおばさん二人が、Sちゃん、Yちゃんと呼び合いながら話す光景はさぞかし奇妙だったことでしょう。しかし、しかたありません。もう、時間を30年ほど逆のぼり、高校生になってしまっているのですから・・・
Sちゃんとの別れを惜しみ、娘さんの合格を祈りつつ、気持ちを切り替え、地下鉄表参道駅から早稲田へ。この駅から会場の新江戸川公園まで歩くのは初めてで、地図はプリントアウトしてきたものの、道は何やら複雑そうで、無事に辿りつけるかどうか、ずいぶんこころもとなかったのですが、5箇所で5人の人から道を聞きつつ、暗くなるちょっと前に、何とか無事に会場の松声閣に着くことができました。歩いたことのない道を一人で歩くというのはあたしにとってはナイトメア張りにドキドキするものなのですが、一度その道のことが分かってしまえば、なんのことはないのです。今度は暗くてもぜんぜん平気。
さて、昨日の日記に書いた、中上健次の作品について、とても充実した学びの時があり、今回も参加できてほんとに良かったと思いました。作者や作品についての背景を知り、仲間の感想を聞き、自分ひとりでは読みきれなかったことに気づき、ああ、もっと読まなくてはという気にさせられます。
ほんとうならゼミの後の居酒屋での飲み会で、この続きの話を聞いたり、しゃべったりしたいところですが、今日はラテンのクラスの後、1月のステージにやるダンスの振り付けを練習することになっていたので、こちらはミスするわけにはいかないと、みなさんと高田馬場まで歩き、わたしはそのまま駅へ行き、ジムへ直行しました。
で、何とか、振り付けの練習には間に合いました それにしても、みなさんやる気出してますね〜。 ビデオ見て、もうすっかり覚えていらっしゃる方もいて、こちらもやる気にさせられました。
めまぐるしくも、さまざまに移動し行動した充実の土曜日でした。
2004年11月26日(金) |
「千年の愉楽」のカタルシス |
今日は、明日の正津勉ゼミのテキスト、中上健次の「千年の愉楽」の予習として、感想文を書きました。この作品の特徴は、その物語を口答で語るような独特の文体にあるように思います。書き言葉というより、話言葉。短く簡潔な文章ではなく、景色のことから思い出に飛び、さらに心情を語るという具合に、いくつもの文節が句点で繋がれ、長い文章を作っています。言葉は翻訳語のような抽象的な熟語はなく、あくまで語りの言葉。
物語の内容は、かなりセクシャルなもので、姦通あり、殺しあり、強盗ありの凄まじさなのですが、それが巫女のような存在の老婆から語られるからでしょうか、何か宗教的な感じすらただよっています。読むほどに、カタルシスとでも言いたいような気分にひたされました。 感想文はこの作品の文体を模倣して書いてみました。
「千年の愉楽」のカタルシス
ハナミズキの葉がまだ枝の先についている11月のはじめに、中上健次の「千年の愉楽」を手にし、オリュウノオバの語る物語を、朝に夕に開き、満員の電車の中で押されつつ、また風呂の中で夢見心地になりながら読んでいるうちに、次第に秋は深くなってゆき、ハナミズキの葉もおおかたは地面に落ち、冬がもう迫って来ているのだった。
このところ心に浮かぶのは、物語の主人公の男前の半蔵や、同じように美しく艶やかで薄命な男達のことというよりも、語るオリュウノオバその人のことで、もう老衰し、寝たまま起きることもできない、そのオリュウノオバのことが慕われ、オバの、誰に言うともない、大きなところへ向かって独りごちる祈りのような言葉の数々が、しんと胸のうちに沁みて、何か洗われるような清清しさが残る。オリュウノオバには、何もかも知られているような、なつかしく親しい気持ちがして、オリュウノオバの横たわる枕辺に座って、ずっとオバが語る物語に耳を傾けていたい気にもなる。
路地という人から疎まれる土地を愛し、そこの人間を見守りいとしんできた産婆のオリュウノオバは、路地の女が孕めば、父無し子であっても、阿呆でも五体満足でなくとも、あの世よりこの世に生まれてくるのがいいのだからと、女達を励まし女達の腹に宿る命をひたすら世に送り出してきた。赤ん坊の母親よりも先にその子を腕に抱いたオリュウノオバは、自分こそが生まれてきた子供達の母親であるような気さえしてくるのだった。そうして、路地の人々の生き死を眺め続けて、もう千年も生きてきたような気がしている。
中本の血を引く、早死にしていった男達をオリュウノオバは殊のほか気にかけていたから、年取って動けなくなった今も、そんな男たちのことを活き活きと物語ることができる。男達は美しく、この世のものではないというような気配を放っているも、みなどこか翳りがあり、闇の中に浮かぶような男達だ。女遊びに狂う者、盗人、人殺し、自分で首をくくった者、そんな男達を憐れみながらも、なにもかも赦されているというふうにオリュウノオバはうなずくが、それは世の人が定めたきまりごとや人の道などのおよそ及ばぬ、オバの見上げる「大きなもの」の目を通してみる信心のようなものなのだろう。
このオリュウノオバの何もかもを包むようなおおらかさはどこから来るのか。ユングが言うグレート・マザーのようでもあるが、それよりは日本の風土が長い年月培ってきたひとつの人間の有り様のような気もする。あちらの世界とこちらの世界の間を取り持つ巫女のような、すべての者の母のような者。泡沫のように生まれては消える儚い人の一生を語る語り部がそのような動かぬ視点で語る時、物語はカタルシスを伴う。中上健次はもう失われたかに見える古の物語の癒しのカタチを、今に再現してみせたのではないだろうか。
むむっ、頭が痛い。ずいぶん久し振りの頭痛です。 原因は分かっています。湯冷めです。 ここのところ3日間ジムへ行ってなかったからと、今日は朝からジムへ行き、ラテンとエアロビックスを2本、続けてやりました。その後サウナに入り、思いっきり温まった後、もう暗くて、寒くなってしまった田舎道を30分ばかし、自転車こぎこぎで帰ったのでした。
これからの季節、自転車でジムに通う時は、風呂やシャワーは入らない方が身のためかもしれません。お昼を食べないまま、運動だけ続けるというのも、まずいですね。 ふだんはサンドイッチか何かを食べてから帰路につくものを、お腹がそれほど空いていなかったので、そのまま帰ってきたのでした。
これほど身体が即反応するというのは、身体が、「いい加減にしろ!」と文句を言っているとしか思えません。人にはあいさつのように、身体を大切に、なんて言っているのに、ほんとに身体に対する思いやりというものを欠いてしまうのですね。おおいに反省です。 せめて、今夜は早く寝ることにしましよう。
今日、25日は心太日記の執筆日です。 <角田清文の詩「対極」によせて>という文章が掲載されていますので、ごらんください。またこれはメルマガにも載せました。 心太日記からどうぞ。 メルマガはりとろぐ「空の鳥と野の花と」 から購読申し込みができます。
2004年11月24日(水) |
♪Joy to the World ・諸人こぞりて♪ |
今日はクリスマスキャロルのクラスの3回目。 最初と比べて、みなさん声が前に出るようになり、礼拝堂に響く歌声もなかなかきれい。 5回のクラスが終了すると、英語学校のクリスマス会で発表することになっている。予定している歌は5曲。
今日は、Angels We Have Heard on High (荒野の果てに)とSilent Night (聖しこの夜)に続いてJoy to the World (諸人こぞりて)を練習する。
日本語だと、「主は来ませり」というリフレインが英語では 「And heaven and nature sing」となる。 日本語だとわずか6音節なのが、英語では13音節。その分、うんと口を動かさなくてはならない。
♪And heaven and nature sing♪と歌うのは確かに難しいが、言葉の持つリズムが生きていて、一旦歌えるようになれば、いつも口を突いて出てきてしまうようなリズムの楽しさがある。
また原詩の意味は<そして天と自然とは歌う>となる。 英語の歌の意味を良く調べてみると、讃美歌112番「諸人こぞりて」は訳詩というよりは、曲に合わせて作詞したものと言った方がいいかもしれない。
英語の讃美歌とは赴きが異なるが、この讃美歌112番の讃美歌は日本語の響きが美しく、また調子も良く、短い表現の中に、きちんとメッセージの入った みごとな歌詞だと思う。 しかし、本来のJoy to the World のニュアンスは伝わらないので、英語の意味を理解した上で、原語で歌うと、かなりいい。 というか、今度この歌をクラスで教えることになって、初めてこの歌のことを知ったという気がする。 子供の頃から毎年歌っていたのだが。 文法的にはいろいろと問題があるかもしれないが、原詩のおおよその意味はこういうところ。
<Joy to the World >
Joy to the world! The Lord is come Let earth receive her King Let ev'ry heart prepare Him room And heaven and nature sing And heaven and nature sing And heaven and heaven and nature sing
世界よ喜べ、主(キリスト)が来る 地球に自らの王を受け取らせよ すべての人の心に主のための部屋を用意させよ そして、天と自然は歌う そして、天と自然は歌う そして、天と自然は歌う
Joy to the earth! the Saviour reigns Let men their songs employ While fields and floods, rocks, hills and plains Repeat the sounding joy Repeat the sounding joy Repeat, repeat the sounding joy
地球よ、喜べ 彼らに歌を歌わせよ 陸も海も岩も丘も平原も 賑やかな喜びを繰り返す 賑やかな喜びを繰り返す 賑やかな喜びを繰り返す
No more let sins and sorrows grow Nor thorns infest the ground He comes to make His blessings flow Far as the curse is found Far as the curse is found Far as, far as the curse is found
もうこれ以上、罪や嘆きを助長させるな またこの地に棘をはびこらせるな 彼(キリスト)は恵をゆきわたらせるために来る 不幸があるところにはどんな果てでも 不幸があるところにはどんな果てでも 不幸があるところにはどんな果てでも
He rules the world with truth and grace And makes the nations prove The glories of His righteousness And wonders of His love And wonders of His love And wonders, wonders of His love
彼(キリスト)は真実と恩恵とで世界を支配する そして世界に証しする 彼の正義の栄光を そして彼の愛の驚異を そして彼の愛の驚異を そして彼の愛の驚異を
讃美歌112番 <諸人こぞりて>
1.諸人こぞりて むかえまつれ 久しく待ちにし 主は来ませり 主はきませり 主は 主は きませり
2.悪魔のひとやを うちくだきて とりこをはなつと 主は来ませり 主はきませり 主は 主は きませり
3.この世の闇路を 照らしたもう たえなる光の 主は来ませり 主はきませり 主は 主は きませり
4.しぼめる心の 花を咲かせ めぐみの露おく 主は来ませり 主はきませり 主は 主は きませり
5.平和のきみなる み子をむかえ すくいの主とぞ ほめたたえよ ほめたたえよ ほめ、ほめたたえよ
最近、トレッキングシューズを買った。 学生の頃、出不精なわたしを無理やり山へと引っ張り出そうとした同居人は、まず、わたしに登山靴を買えと、靴屋へ連れて行った。あの時に買ったのは、真っ赤な登山靴と分厚い登山用の靴下だった。
あの頃に登った山は久住山と白馬岳。それから尾瀬。久住と尾瀬にはテントを張った。しばらくは登山靴も、山やキャンプの道具も引越しの度に持ち歩いて来たのだが、登山靴はどうやら処分してしまったようだった。もう山になど行かない気がしていた。
最近になって山に行ってみたいと思ったのは、寄る年波(この言葉が実感できる年になってる!)のせいだろか。それともジムで鍛えて、足腰、体力に自信ができてきたからだろうか。ま、直接の動機は最近顔を出すようになったBゼミの面々が文学のお勉強の傍ら、みなであちこちの山に登っているのに触発されたのだ。まずは靴を買おうと思いたった。
スポーツ用品屋の一角にトレッキングのコーナーがあり、見ていると、山に行かなくてもわくわくするものがある。靴も昔の登山靴に比べると、軽くて、ずいぶん履き心地がいい。いろいろ履いてみて、コールマンのトレッキングシューズに決める。ゴアテックスでしっかりと防水できるというもの。
で、幸い11月23日は祝日。天気もよさそう。何より、紅葉の山に行くにはラストチャンスだろう。Bゼミの掲示板を見れば、みなで奥多摩方面の山へ登り、山頂で鍋をやるらしい。それは魅力的だが、20年も山に登っていないオバハンの飛び入りなどご迷惑なことだろう。低い山から足慣らしをしよう。 まずは同居人に声をかけ、さらにこの日誕生日を迎えるタミと、ちょうどアメリカから遊びに来ているタミのお姉さんのメアリを誘う。では行きましょうと話がまとまったのが日曜日のこと。秩父の山と温泉へ行くことになった。
今朝は朝5時に起床。支度をし、朝食を取り、おやつ用のサンドイッチを作り、6時に家を出てタミの家へ迎えに行き、秩父の宝登山の登山入り口に着いたのは8時過ぎ。車を止めた駐車場にはなんと花の咲いた桜の木が3本並んでいる。一瞬春がそこに訪れたような不思議さだ。それは冬櫻だった。たまたま2週間しか日本にいないメアリは、季節はずれの、この桜に大喜びで、しきりに写真を撮っていた。
何しろ500メートルの高さの山で、ロープウェイもある山だから、山登りというよりはハイキングのようなものだったが、紅葉した木々の間を、かさかさと落ち葉を踏む音を聞きながら歩く時、心が踊った。
歩いている山道は二人が子供の頃を過ごしたパプアニューギニアの山道に良く似ているという。パプアニューギニアでの暮らしのこと、メアリの仕事(幼児の音楽教室で教えている)のことなど、話を聞きながら歩く。歩き始めた時には、寒くて帽子や手袋までしていたが、歩いている間に、ジャケットを脱ぎ、フリースのセーターを脱ぎ、最後には綿シャツだけになっていた。
山頂(というほどのところでもないが)からの眺めはやはり格別。うす青い透き通ったような山がいく層にも重なっている。山また山が延々と続いているこの景色が子供の時から好きだったと口々に話す。4人ともそれぞれ山に囲まれた土地で育ってきたので、山には特別な思いがあるのが分かる。
降りは、わざわざ傾斜が急な道が整備されていない山道を辿って降りてくる。お昼にはまだ早いので、そんまま歩いて長瀞へ。 秩父鉄道で蒸気機関車が走るところを見ようという人の群、川下りをしようとする人達の行列を通り過ぎ、紅葉と川と岩が美しく見えるスポットを見つけしばらくそこで過ごす。水のある景色はいつも好きだ。 こういうところで本を読みたいね。いや昼寝もいいかも。
タミおすすめのトンカツ屋で、誕生日を祝ってのランチ。 帰り道に、温泉に入る。2時間ほどそこにいたので、温泉を出た時にはすでに暗くなっていた。
さて今度はどこの山にしようか。 タミはよしやが生きていた頃はジムでロッククライミングを練習し実際の岩場も登ったらしいが、一人ではなかなか行けないという。タミに付き合って壁をよじ登っていくという岩場の練習、やってみるかな。
*
朝、起きてみるとタミの日記にも山行きのことが書いてありました。それにしても、アメリカ人で、よくここまで日本語の文章が書けること。読む度に感心します。わたしはここのところ英文書くのすっかり面倒になってきているというのに…なんとかやる気を起さねば…
2004年11月21日(日) |
明日がないかのように |
教会暦で言うならば、今日はこの年の最後の主日。 来週の日曜日からアドベント(待降節)が始まり、また新しい教会の暦が始まる。
この日には、「終末」がテーマとして取上げられる。 終末という言葉、それだけを取り出すと何やらオソロシイ響きがあるが、 わたしたちがそれぞれ生きるということの中に死を含んでいる以上、終末は誰にでも平等に、確実に、そして不意に訪れる。
今日の説教の中で、「明日がないかのように生きる」という言葉が何度も語られた。明日がないかのように今日という日を必死で生きる、それが神に繋がっている生き方だと。 この命の中で死をとらえていかなければならないと。 何度もうなずきながら聞く。ほんとうにそうだと思いながらノートに書き留める。
わたしたちの一生は舞台の上で演じているようなもの。そしていつ幕が降りるか分からない。いつ幕が降りても、自分なりに、悔いのない演技をし、役割を果たしていくのだと、また語られる。
この言葉をわたしはわたしのエッセイ集の後書きに書いたことを思い出した。 わたしの幕は、この日記を書いているこの時点でが降りてはいないが、この1年を振り返ってみれば、親族や友人、知人、またその家族が、何人もその人生の幕を降ろした。そこから見るならば、この1年は重い。この年が幕の下りた年となるのだから。これから始まる1年も、今日という一日も、また重い。
今日、2005年の新しい手帳を買った。 手帳を選ぶ時はいつも迷う。1年を通して、毎日開き、書き込み、確認をするけっこう重要なアイテムだもの。 ところでなぜか手帳も今年の12月から始まっている。来週の日曜日から新しい手帳を使いはじめることにしよう。 そしてこの1週間は今年の手帳に書き込んだことを読み返し、大切なメモやアドレスなどを新しい手帳へと移し変える時にしよう。
2004年11月19日(金) |
「千年の愉楽」を読み終える |
ここ2週間ばかり、他の本と併用しながら読んでいた中上健次の「千年の愉楽」を、ようやく読み終える。
次回の正津勉氏の文学ゼミの次回27日のテキストが、6つの話から成るこの本の一番最初の話「半蔵の鳥」だったので、アマゾンから「千年の愉楽」と、同じ著者の「枯木灘」の文庫本を取り寄せ読み始めたのだった。
こういうことでもなければ、きっと読むこともなかったことだろう。 不思議なストーリーだった。「半蔵の鳥」などは、何度もくり返して読むうちに、その土地や登場人物がわたし自身の世界に組み込まれてしまうような印象を受ける。
これを書いている土曜日の深夜、もう睡魔が襲ってきて、これ以上は書けそうにもない。また日を改めて書く事にしよう。
おやすみなさ〜い。
日記が滞っていました。 それで今日はまとめ書きをしていて、これで4日分の日記です。 さすがにもう疲れてしまいました。 でも、このことだけは書いておこうと思います。
いつか「メメント・モリ」と題して書いた日記に登場する、Y先生を、同居人といっしょに病院へ見舞いました。
去年はカール・バルトの「キリスト教倫理学総説」の2冊めを翻訳され、その続きの翻訳に取り組んでおられた矢先に骨折され入院されてしまいました。 しばらくお休みしていたダンテの「神曲」の講義を再開して下さることになっていたのですが、その直前のことでした。
これまで長い間、それこそ寝食の間も惜しんでドイツ語の神学書を翻訳され続けてきたY先生。今は病院のベッドと車椅子に在り、気がかりな仕事も続けることができずにどれほど無念なことだろうと胸が塞ぎました。
あまりに難解で、半分ほど読んで止めていたバルトを今夜は取り出しました。 テーブルの上に置いて、Y先生のことを覚えつつ、一日に1ページでも読んでいこうと思います。 本を手渡して下さる時、「じっくりと繰り返し読んでいくならば、これはあなたにとって最上の書物の一つになるでしょう」と言われたY先生の言葉を、わたしはしばらく忘れていました。
祈ることより他何もできません。せめて、良い読者であろうと努めること。
2004年11月17日(水) |
りとろぐ&更新 <角田清文の詩「ペルソナ」によせて > |
10日ぶりにりとろぐ&メルマガの記事を更新しました。 <角田清文の詩「ペルソナ」によせて >というエッセイです。
その前にミケランジェロの「磔刑のキリスト」を書いた際に、今度は角田清文氏のキリストを詠った詩について書くと予告をしてしまったものですから、ここ10日ばかり、その詩のことをずっと考えていたのです。
分からないけれど、感じる、心惹かれるというものにたまに出会いますが、この詩はそんな詩でした。
その詩も引用しています。 読んでいただけるとうれしいです。こちらから→りとろぐ「空の鳥と野の花と」 よろしかったら、メルマガの登録もどうぞ。
2004年11月16日(火) |
秋の植え込み パンジーとビオラ25株 |
昨日予定していた恒例の秋の植え込みが雨でかなわなかったので、この日の午前中、植え込みをする。 今年は例年よりも2週間も遅い植え込みだ。
今週は何としても植え込みをしなくてはと、日曜日の夕方、もう日も暮れた頃になって、同居人に車を出してもらい、近くにある田んぼの中の苗屋へ出向き、おびただしい量のパンジーとビオラの中を歩きまわり、苗を選び出す。実は外に並べてある苗は暗闇に紛れて、その色具合も定かではないのだが、買うとすれば今日しかないのだから、取りあえず、取り出す。 20株1600円というので、白、紫、ピンク、黄色のパンジーとビオラを20株選び、さらにオレンジ色のパンジーとビオラを5株加える。 後はノースポール5株、アリッサムの白い小花 5株、シルバーレース2株、 という具合に、そこにあって目についたものを取りあえず選んだ。
今年寄せ植えにしたチューリップは生協で注文した2色咲きチューリップ6種18球と例年の半分の量だ。後からまた追加するつもりですっかり忘れていた。ほんと、このところ庭仕事に心が向かっていない。それでも仕事にでかける前にすっかり植え込みが完了し、ほっとしたことだった。
夏の名残の残る、少し疲れた様子の庭に新しい土と花の苗と球根が入り、活き活きと命が戻ってきた。苗を植え込んだばかりの冬越しする前の庭はいつも好きだ。これから冷たい冬を迎えるというのに、花達はその冷たさを待っているといわんばかりに、凛々しい表情をしている。 木がすっかり丸坊主になり、めっきり緑が少なくなる冬の時期に、この花々はどれほど、慰めをくれることだろう。 冷たい土の中で、しっかり根を広げて準備をし、春には大きな花株になって溢れるほどの花を咲かせる花達とのうれしい冬が来る。
2004年11月15日(月) |
わたしが決して辿ることのない道を辿ることのない方法で |
夜の間もずっと降っていたと思われる雨は朝になっても降り続けている。 今日の仕事は家から目と鼻の先にある保育室を会場にした英語クラスが3クラスなので、雨はさして影響がない。 むしろ、何か雨にほっとする。
しかし、わたしは雨でもよいが、次男は今日、例の原付でつくばまで帰らねばならぬ。5時限の授業と、世話をしている留学生の買い物に付き合う約束があるのだという。
止みそうにないと思えた雨は、しかし昼過ぎには止んだ。 「んじゃ、帰るわ」 彼は原付にまたがって、ヘルメットをかぶると、ブルンとエンジンをかけ、あっという間に視界から消えた。
おかしなもので、家からいなくなるという状況は変わらないのに、今までのように駅まで歩いて行き、そこから電車とバスで戻るのであれば、何も特別な感慨は起こらないのだろうが、バイクで走り去る後姿を見たとき、ふっと喪失感のようなものが沸き起こってきた。
これはいったいなんだろう。 わたしが決して辿ることのない道を辿ることのない方法で、自分の子供が行くというそのことの故なのだろう。
わたしが行くところへはどこへでも自転車の後ろへ乗せて連れて行っていた、あの永遠に続くように思われた時期は、実は瞬くほどの短い時間だったのだ。
2004年11月14日(日) |
クリスマスの準備のシーズン |
教会の礼拝の後、教会学校の教師会。 クリスマスのプログラムや子供達へのプレゼントをどうするかという議題。
毎年そうなのだが、この時期になると、わけもなくあせる。パーティーやイベント、また買い物が好きではなく、物を選ぶのに果てしなく時間のかかるわたしには、この時期、深く息を吸い、「よっしゃ!」と気合を入れなくてはならない。
教会学校だけでなく、英語クラスの生徒たち、甥っ子、その他様々な人達へのプレゼントを探すいわゆるクリスマスショッピングには、この時ばかりに必要な特別なテンションというものがある。 このことだけを考えてみれば、1年はあっという間で、去年のクリスマスがつい数日前の事に思えてならない。
いつだったか、アメリカ人の友人のベスが言っていた。クリスマスの前になってあわてるのはいやだから、クリスマスプレゼントは1年かけて集めるのだと。春のバザーや夏の旅行先で、これはクリスマスプレゼントにいいと思って買い貯める、秋のはじめにはもうクリスマスショッピングは終わっているのだと言う。 ふうん、なるほどねぇ〜、といたく感心したが、実行できたためしはない。
クリスマス会を楽しみにし、プレゼントをただただ待ちわびていたのんきな子供の頃に戻ってみたいなぁ〜
これ、きっと毎年書いているわ。
2004年11月13日(土) |
母親業終了・・・もう何度も言った気がするけれど |
なんだか、もう何度も母親業終了宣言をしたような気がしないでもないが、 結局は、これからも、例えば、卒業とか、就職とか、結婚とか、そういう節目がくれば、「母親業、これでおしまい!」なんて言いうのだろう。 しかし、やはり、それはそれで、今日は言いたい。
「おしま〜ぃ!」
本日、次男=末息子がようやく20歳を迎えた。 母親という立場は死ぬまで消えることはないにしても、少なくても、もう今日からは「保護者」ではない! そういえば、当の本人からはそんな事、一言も言われなかったが、わたしはわたしに言いたい。
「ごくろうさん!」
で、その息子、今日はつくば市から埼玉の我が家まで、買ったばかりの中古の原付で帰ってきた。道を探し探し3時間くらいかけて帰ってきて、大宮まで来たところで、ヘマをやって原付が壊れて家まで帰る電車賃がないと携帯に電話が入る。 「え、原付買ったの?それでそれに乗って帰ってきたって?そんなこと何も言ってなかったじゃないの!」 ま、事故に合わなかったことをよしとするか。
わたしは、この夜は英語学校のイベントで9時までは仕事なので、その後、大宮駅で次男と待ち合わせをし、さらに同居人(次男からすれば父親)と合流するため、ジムの近くのパスタ屋へ行き、20歳の誕生日を祝う。(長男は深夜から翌朝にかけてのバイトで合流できず)
さて、この原付、大した故障ではなく翌日には修理ができ、翌々の月曜日、彼は雨が上がるのを待ってつくばへ戻って行った。道を調べた甲斐があって、帰りは1時間半で帰れたという。 今まで帰省するのに5000円もかかったのに、わずか300円で帰ってこれると嬉そうだ。 これじゃあ、お腹が空いては帰る、お金がなくなっては帰る、退屈しては帰るという具合になるかも・・・ 寮を引き払って家から通うなんて言わないでよね。
早くカノジョができればいいのに。
2004年11月12日(金) |
書いたり、読んだりの金曜日 |
金曜日というのは、1週間で一度だけの、何もあらかじめ予定の入っていないフリーな日。
こういう日が毎日続くときっと変になってしまうだろうけれど、1週間に一度だからとても貴重だ。 今日は夜ジムへ行くまでは、ずっと家に居て書いたり読んだりしていた。
前回の正津ゼミの折、正津先生から一冊の詩集をお借りしていて、あれから、その詩集を読み進めつつ、その詩集のことを書きたいと思っていた。 「IMITATIO CHRISTI イミタチオクリスチ」 角田清文詩集。 この詩集の中に「対極」というひとつの詩があって、それは たりた くみ という一行で始まっている。何か不思議な出会いを感じた。
この詩にずっと寄添っていて、言葉になってきたことを文章にまとめた。 今月25日の心太日記の原稿として投稿するつもりだ。
今月から始まる2年目の心太日記、テーマを何にしようかと考えていたが、 ようやく気持ちが定まった。テーマは聖書にしようと思う。 それも詩人や作家や芸術家の表現の中に見る神を、またイエスを見つめて書いてみたいと思っている。
わたしは子供の時からひどい運動オンチで、みんなが普通にできることがさっぱりできませんでした。ボールを受け止めるとか、自転車に乗るとか、逆上がりをするとか…
その時の、何ともなさけなく、その場から消えてしまいたい気分というのを、 この頃、時折り味わいます。
今日などは、カロリーバナーというエアロビクスの時、そうでした。 インストラクターの動きがきちんと整理されて頭に入っていかない、記憶のセンサーが働かないのです。記憶ができなくても、流れに乗っていれば、他の人の動きについていけるから、右に回るところを左に回ったり、立ち往生したりということはまず起こらないはず。ところがわたしはもう、パニックの症状に陥ってしまうわけです。
ま、運動神経が鈍いということはありますが、それよりもこの場合は精神的なものが災いしています。このクラス、エアロビを長年やってきたという年季の入ったおばさま方が多くて、速いインストラクターの動きにもみなきちんと揃ってついていけるんですね。そういう中では、おたおたしたり、他の人の動きと違う動きをすれば、かなり目立ちます。またそこへ視線も集まるような気がするのです。実際、そうでしょう。
そこでわたしはヘマをすまいとまず緊張してしまう。ところが恐れとか緊張が、脳から運動神経に伝達するその道筋がかく乱してしまい、指令をブロックするので、筋道の通った動きができなくなるのです。 そのカラクリは分かっているので、問題なのは精神的な恐れや苦手意識で、それを何とか開放してやらなければとわたしは毎回、修行に励んでいるというわけです。
それにしても、わたしはほんとうに、回転とか、方向を転換するということに根本的な恐れがあるようです。正面を向いて同じことを後ろ向きでやる。右でやっていた動きをシンメトリカルに左でやる。そういうのがほんとにできない。これって、数学がぜんぜんだめなことと無関係ではなさそうな気がします。これが、自分で好き勝手に動きを作っていくのであれば全然問題なく動ける自信があるのですけれどね。
でもね、人間、できないことの前でうなだれるっていうことって、必要です。きっと。大人になって、できないことはいくらでも避けて通れるようになっているから、ますます、こういう体験は貴重だと思うの(と、負け惜しみですかね) 「あの人、間違ってばかりいるわね」 「みんなと全然違う方向に回るんだもの、ぶつかるのよ」 こういうことも言われているに違いありませんが、甘んじてそれを言われるドジな人でいれるというのは、いいかっこうしいのわたしには必要なことです。
で下手なりに、がんばってみます。 「あの下手だった人、ちょっとはマシになったわね」と言われるくらいには。
2004年11月10日(水) |
英語で歌うクリスマスキャロルのクラス |
11月ともなれば、もうデパートやスーパーの店先にクリスマスのものが目につくようになります。
今年はわたしも、10月の末からクリスマスキャロルのCDを聞いたり、歌を練習したりしています。 いくら気が早いわたしでも、例年は少なくともアドベント(待降節)に入ってからしかクリスマスの歌は聞いたり歌ったりしないのですが、今年はスタートが一ヶ月も早いです。
というのも、今日から英語学校で英語で歌うクリスマスキャロルのクラスをスタートすることになったからです。 わたしが教えているのはもっぱら子供でせいぜいが中学生くらいまでなので、大人のクラスはどきどきです。それも受講者はわたしよりも年上の女性の方々。 わたしがもし、こういうクラスを受けるとしたら、どういうクラスであって欲しいだろうとその事を考えていろいろとプランを練りました。週に一時間、5回のクラスで12月11日の英語学校のクリスマス会が発表することになります。
有名なキャロルを5つ選び、以下のようなことを指導内容にかかげました。
* クリスマスキャロルについての歴史的なこと。 * ひとつひとつの歌の背景や歌詞の意味 * さまざまなバリエーションのキャロルの紹介(合唱、アカペラ、独唱、 ゴスペルなど) *歌うための英語の発音練習 *英語詩の朗読練習 *声がうまくでるための発声練習 *歌唱指導 *合唱指導 *発表
さて、生徒のみなさんに満足していただけるようなクラスをクリエイトできるでしょうか。
第一回目は無事に終わり、プランした通りでいけそうです。 受講者の方達が、こんなに本格的に習えるとは思わなかった、楽しかった、と言ってくださり、晴れ晴れとした表情で帰っていかれたので、まずは胸を撫で下ろしたことです。
いつもは、ああ今日もいい汗をかいたとインストラクターに「ありがとうございました!」と声をかけて晴れ晴れとジムを後にするのですが、インストラクターは、生徒に満足してもらえるかどうか、テンションあげて仕事してるんだなあと、今さらのようにその立場が分かる気がしました。
さて、1週間なんてすぐに過ぎます。わたし自身が歌うモードを作っておかなければと思うのですが、今日も読んだり書いたりに没頭していました。 さて、ここに書いたからには、今から歌の練習をします♪
ここのところ、中上健次と平行して、三田誠広著「こころに効く小説の書き方」という本を読んでいる。わたしは昔からこの手の本が好きでついつい買ってしまうが、この本はわたしが買ったのではなく、ネット友のSが送ってくれた。この本を励ましとも応援とも感じて、とても嬉しかった。夏に書いたままになっている小説がその後どうなったか、Sは気にかかっているかもしれない。確かに今、小説を読むことに夢中になって書く事へ気持ちが向いていないなぁ。
そういえば、この前のゼミの時、 「今はエッセイしか書いてないけど、ほんとは小説書きたいんです」 と言うとS先生から 「君は小説はだめだね。幸せすぎるもの」 と言われてしまった。読んでいただいた拙著「育つ日々」のせいだ!
はぁ〜、そういえば、若い頃「幸せな人は詩を書くな」というタイトルの詩の入門書を買うかもらうかして、その本が長いこと本棚の真ん中あたりにあったことを思い出した。 わたしは当時「幸せ」という自覚はなく、どちらかといえば幸せではないところに身を置いていたので、わたしは詩を書いてもいいんだろうとぼんやり思っていた。といって、詩などひとつも書けはしなかったが…
わたしは幸せなのか、不幸ではない。 この「こころに効く小説の書き方」の帯には 「不運を幸運と感じることができる。これが作家です。」とある。 ずいぶん肯定的なフレーズだなあと思うし、これならわたしは当てはまる。 いつの頃からか、わたしは自分を不幸だ思う気持ちをすっかり落としてしまったようだ。どんな不運もそれが幸運になり、どんな幸運も一瞬に不運へと引っくり返る。
「え、誰が不運だって、あんたは幸せじゃないの!」 この日記をアップするや、それを読んだ同居人の声が隣の部屋から聞こえそうだ。
そういう彼はここのところ、毎日のように詩を書いている。 どう見ても不幸にも不運にも見えないのに、けっこう詩は哀しかったりする。
必要なのは不幸であることではなく、幸せの中に潜む不幸を見つめられることであり、不幸の中に横たわる幸せに気づくことなんだろう。
11年使った洗濯機がいよいよだめになり、今日は古い洗濯機と新しい洗濯機の交代の日でした。
わたしはほとんどテレビというものを見ないし、世の中の流れにかなり疎いものですから、この10年ほどの間に電化製品がずいぶん変化していることに驚いています。
もうみなさん、とっくにご存知なのでしょうが、今や洗濯物を洗濯機へ入れボタンを押すと、そのまま乾燥までしてくれるのですから、まるで魔法のようです。以前はバケツで風呂の残り湯を洗濯機に入れていたものですが、そのうちにポンプが出て、自動で汲み上げてくれるようになり、結構助かっていたのですが、今やポンプが洗濯機にくっついていて、じゃばらのようなホースを伸ばすと4メートルにも伸び、風呂の中にそれを入れるだけで、センサーが働き、勝手に残り湯を洗濯機に入れ、なんと、一回目のゆすぎまで残り湯でできるしきみになってるんですね。ほんと、痒いところに手が届くというか、使う人の事がちゃんと分かってらっしゃる。
また水の量もずいぶん少なくてすみ、それゆえ洗剤の量も少なくてすみそうです。これはずいぶん節水になりますね。そういえば、冷蔵庫も新型のものは、電気を食わないらしいです。こっちは夏までは持たせたいところ。
まあ、便利さを追求すれば、いくらでも便利なものができるし買えるんですね。でも機能が多くくっつけば、その分、お値段も高くなります。洗濯機一台に2万円代から20万円近いものまであるのです。それが、またそれぞれのメーカーが、この機能、あの機能と争って目玉を歌っているのですから消費者はほんとに迷ってしまいます。
でも我が家の場合、即決でしたね。というのも、洗濯機に取り付けてある乾燥機はまだ使えるのでこれを生かすとなると、今まで使っているものと同じメーカー、同じ大きさのものでなくてはなりません。もちろん、乾燥機付きのものは必要ないし、そうなると残るは一台。38000円也、風呂水くみ出しポンプ、からりと脱水付き、ちなみに10年前に買ったものより、機能はよく、値段も安かったです。 さて、このりこうな洗濯機、同居人が晴れて定年退職を迎える12年後まで働けるかしらん。
この日は教会暦では「全聖徒主日」 祭壇には、すでにこの世の闘いを終えて眠りについている方々の写真が飾られている。わたしの隣には、9月27日に夫を見送った若いタミが座っている。 悲しみも、寂しさも、なにかろ過されたような澄んで明るいエネルギーが彼女から伝わって来ていた。
聖書の福音書の箇所はイエスがこれから十字架に架かろうする前、弟子たちへ向けた最後の説教。 この後、イエスはイエスを愛し、イエスに付き従っていた弟子からさえも見捨てられ、ひとり十字架に架かる。そして十字架の上では「主よどうしてわたしをお見捨てになったのですか」と神からも引き離されるという全くの孤独を潜ることになる。 その前に、そのことを知りつつ語った言葉。
この言葉を書いておこう。
<ヨハネによる福音書、16章25節から33節>
「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから来たことを信じたからである。わたしは父のもとから来て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」 弟子たちは言った。 「今は、はっきりとお話になり、少しもたとえを用いられません。あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」 イエスはお答えになった。 「今ようやく、信じるようになったのか。だがあなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が共にいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あたたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
― しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている―
この言葉は弟子たちに語ったイエスの言葉であるはずなのに、いつも音声さえ伴ってわたしの真ん中のところへ響く。わたしへの語りかけとして。 同じようにタミもその励ましの声を聞いているのだろう。
毎日何か書いているのに、日記は停滞していますね。 土曜日さて、どんなことがあったかしら。
そうそう、朝、屋根の修理をする職人さんが見えたのでした。 まずは通りがかりにスレートを止める釘が浮き上がっているから、ついでに打ち付けてあげますよという親切なお申し出でした。
ただより怖いものはないと言うじゃないですか。けれどもわたしならいざ知らず、こういことにはシビアな同居人が、あっさり頼んだというので、まあ、そんな人のいい職人さんもいるんだろうとありがたがってました。
で、釘を打ってみると、その下の木が腐っていて釘が刺さらない状況だから、 2万で、腐っている部分の木を取替えてあげますということでした。腐っているのならしかたない。それに2万円で直してもらえるのならそんなに悪くない。それで、作業をお願いすると、どうやら痛んでいる部分は広範囲に渡っていて、スレートも反り返っているから、屋根全体に樹脂をかけてコーティングする必要がありますよという話。これが土曜日の朝のこと。
屋根をどうせやるのだったら、家は築10年なのだから、外壁の塗装も必要ですよ。足場にお金がかかるのだからいっしょにやると無駄がない。 なるほどね、そうきましたか。 ごもっともおっしゃる通り。けれどもそれをやるとなると100万ですよ。 大学生を二人抱える我が家にそんな余裕はあろうはずもない。見積もりを出していただくことでまずはお帰りいただきました。
家はもう10年、そういったメインテナンスが必要な事は充分承知ですけれど、どうしてこう高額なのでしょうね。 おまけに家電もすべて12年目に入り、毎月のように壊れていくんです。先月のオーブンレンジに続いて今週はとうとう洗濯機が壊れて、洗濯ができなくなりました。これは購入を伸ばす訳にはいきませんからね。午後から電気屋さんに行きましたよ。ああ、タイヘン。
亀有のリリオホールにオペラ「蝶々夫人」を観に行く。 知人のNさんが蝶々夫人の世話役スズキをやるというので出かけたのだった。
有名なアリアは何度も聞いているのに、オペラとして最初から最後まで観たのは初めてだった。
ピンカートン役の歌手を張り倒したいほどむかっ腹が立ったということは、彼の歌や演技が達者だったからだろうし、わたしよりも年上のオペラ歌手が演じる18歳の蝶々さんのひたむきさに涙を流したのだから、わたしは充分このイタリアの大衆芸術を楽しんだといえる。
オペラの大袈裟な感じや浪花節的な大衆性はあまり好きではないと思っていたが、いかにもという盛り上げ方や悲劇の作り方がとてもくっきりしていて、余分な神経を使わなくてすみ、身構えることなく目の前の舞台に身を任せることができるというのはなかなかいいもんだ。
Nさんのスズキはその身のこなしや歌い方が、いかにもスズキという女性の雰囲気を出していて、うまいなあと思った。
なんで、そんな女ったらしの男の為に命を絶ったりするのと思いながら見ていたが、後でプログラムを読んで分かったが、ピンカートンと結婚した時、蝶々さんは15歳。帰ってこない夫をひたすら待ったことも、捨てられたことを知り、自ら命を絶つことも、この年齢では分からなくもない。 今の18歳の女の子がこれにあてはまるかどうかは分からないけれど。 それにしてもひどい男だなあ。 だから背の高い、オンナに持てるオトコは嫌い。
ところで、蝶々夫人やスズキ、その他のソリストに限らず、この東葛オペラの団員の方すべての人に言えるのだが、それぞれの声が体のどこにも余分な力の入っていない聞いていて気持ちの良い歌の声だった。 それはこのオペラ団を率いている声楽家かつ医学博士の神戸孝夫氏が、発声法に医学的な要素を取り入れた指導をしているからだろう。
2004年11月04日(木) |
ミケランジェロの「磔刑のキリスト」 |
美術館の奥まった空間 透き通ったプラスティックの箱の中 小さなキリストの裸体が、 全き人間の形をした美しい裸体が 浮かんでいた
音が止む 多くの人のざわめきや足音や動きの中だというのに 息を呑むほどの静けさにすくめられ ひとりキリストの前に立っているようだった
一度は生きて大地から水を吸い 枝の先から新芽を噴出したシナノキは死に 再びキリストの身体の中に甦る
ミケランジェロの手は その木のまだ残る命をキリストの肉のようだと 愛しんだだろうか キリストの手の釘跡と足の釘跡を彫る時、 彼の胸も釘打たれただろうか キリストの閉じた目を彫る時 彼の目から涙がこぼれただろうか 徹頭徹尾、死の孤独まで人間として生きた神を 間違いのない、正確な人体として表すのだと 熱い迫りに動かされていたのだろう
彫刻家はキリストを愛していた 垂直な線の下にいて その愛を表そうともがく そんなミケランジェロの魂が 磔刑のキリストの中で息づいている
2004年11月03日(水) |
フィレンツェ展を観る |
文化の日の今日、同居人と共に東京都立美術館にフィレンツェ展を観に行く。
良かった。どれも後ろ髪を引かれる思いで次ぎへ次ぎへと見て行ったのに、回り終わると3時間が経過していた。
とりわけ好きだったものは、ミケリーノの《「神曲の詩人」ダンテ》、ボッティチェッリの《大天使ラフェルとトビアス、若い寄進者》、ミケランジェロ作の《磔刑のキリスト》。この作品は15年の調査を経てミケランジェロの作品ということが実証され、先頃フィレンツェのホーン美術館で初めて一般公開され、大きな話題を呼んだと言われるもので、今回の展覧会の目玉ということだった。
このミケランジェロの手になる小さな木彫刻のキリストから得たインスピレーションは大きく、それはその場所から離れ、時間が経つほどに大きくなる。
エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ・・・
明日はこのことをゆっくり書きたい(11月5日をもう過ぎて6日になってしまった深夜)
正津ゼミへ初めて足を運んだのは9月の終わりだった。 池袋から地下鉄有楽町線に乗り換え江戸川橋で下車。出口A-1から外に出ると、目の前に江戸川橋が見える。そこを流れている神田川の川沿いを歩き始める。そこは遊歩道になっていて休日の夕方、散歩する家族づれやカップルと何人もすれ違う。じきに江戸川公園の入り口が見え、そこをさらに進んでゆくと新江戸川公園に出た。
ここは、江戸時代末期、熊本藩主細川家の下屋敷、その後、細川家の本邸となった場所で、公園の入り口のすぐ側には明治20年ごろに建てられた細川家の勉強所、松声閣が昔のままの概観を見せている。ここは今では都民の集会所になっており、ここがゼミの会場だった。
靴を脱いで建物の中に入ると、古い建造物独特の空気に、なにかタイムスリップしたようななつかしさを覚える。 ゼミといえば、コンクリートの四角の部屋に長いテーブルと折りたたみのパイプ椅子という無機質な空間を思い描いていたので、畳に座卓に座布団という場所に、何かふっと肩の力が抜ける気がした。 初めての場所へ出かけるというのはいつもかなり緊張する。それも一人で、誰も知った人がいない場所というのは。
けれども、この日のテキストとして送っていただいていた冨岡多恵子の「遠い空」がおもしろくまた新しく、その小説がいったいどのように話題に上るのか、みなで読むのか、その興味の方が心細さに勝っていて、どうしても行きたいという気持ちになっていた。場違いのところに迷い混み、ウキまくることだろうが、そこで学び取るものはわたしのものには違いないと居直る。
十数名のメンバーが集まり、どうやら今日初めて参加する人はわたしの他にもいることが分かり、男性が多いと聞いていた割には半数は女性で、そこにはなごやかで自由な空気があった。
正津先生から著者についてのレクチャーがあり、それぞれが感想を述べ合う。様々な感想がそれぞれ印象的でおもしろかった。10回以上読み、感想を文章にまとめているTさんには感心した。こういうマジメな学びの場から何と長いこと離れていたことだろう。わたしときたら、見学なのだから話には加わらない覚悟でいたのに、思いっきり熱く語って、やや興奮気味な自分に驚いていた。
この「遠い空」についてはいずれしっかり書こうと思っているが、とりあえず、アマゾンのカスタマーレビューにブックレビューを書いた。はいでんしぃーくのブックレビュー
さて、11月1日はゼミに2度目の参加。 テキストは吉行淳之介の「夢の車輪」。この2週間ほど、「夢の車輪」の12の短編と、他の短編集「菓子祭」、また「砂の上の植物群」など吉行淳之介ばかり読んでいた。こういう勉強会でもなければ、決して読まなかっただろう、なぜか素通りしてきた作家だった。そこからかすかにただよってくる匂いがすでに異質なもののように感じ、避けてきたといってもよかった。しかし、読んでみると、作者の世界との距離は依然としてあるものの、書く者の立場から学ぶべきところがずいぶんあった。まず文章が美しく、感覚的な表現も巧みだ。思わず声に出して読んでみたくなり、実際に声に出して読んだ。
この日のゼミでも、メンバーのそれぞれが特色のある感想を述べられていて、聞いているだけでも充分おもしろく、なるほどと思ったことだった。わたしは特に批判精神に乏しい。だいたい何でも肯定してしまうという傾向がある。それだから、この作品はつまらない、弱い、おもしろくないという意見が出てくると、どきりとする。そういう見方読み方も自分の内に培っていく必要があるのだろう。 前回Tさんが感想文を書いていらしたのを真似て、わたしも感想文を書いて持っていっていたので、それをずいぶん早口で読み上げた。自分ばかりが時間を使っては申し訳ない気がしたからだ。
この時話に出た、吉行氏の他の作品が読みたくなり、翌日からさっそく読み始めた。 みなで読む、学びながら読むことで、一人で読む時とは違う広さや深さで読めることに気づかされる。それに何よりも読んだり書いたりという孤独な作業がこの時ばかりは仲間を隣に感じてずいぶん暖かい気持ちになる。
学習会の後の飲み会もわたしにとってはとても新しい世界。日頃、家庭と子供相手の仕事、夫とデートするか、まれに女友達と食事をしたりする他はいわゆる「付き合い」というものが生活の中にないもの、異なる仕事、異なる年齢の人達と飲むのはおもしろい。ゼミの続きという感じで作品や作家についてさらに話が進み、話題は興味深い。しかし、なにしろわたしは僻地からの参加なので、いつも終電を気にし、早々に引き上げなくてはならないが・・・
さて、次回は中上健次の「千年の愉楽」より「半蔵の鳥」。今日、風呂で1回目を読んだが、う〜ん、なんとわたしの住む世界と隔たった世界だろうか。ここからわたしは何を読み取るべきか、しばらく格闘することになるだろう。まずは中上健次のことを調べて、読む本のブックリストを作ろうとすでにはりきっている。
2004年11月01日(月) |
「鳥獣虫魚」、「闇の中の祝祭」を読んでいる |
今夜はどういうわけか、おそろしく頭が朦朧としている。簡単に言えば眠い。 でも今日は昨日のゼミのことを書いておこうと思ったのだ。書き始めれば、半分眠りの中にあるところからすっぽり出ることができるかもしれないと思って書き始めたがやはり眠い。
そこで、明日きちんと書くことにして、今日は昨日のゼミで吉行淳之介にますます興味を持ち、今朝「鳥獣虫魚」を読み、その後「闇の中の祝祭」を読み始めたことを書いておこう。
かつて吉行淳之介を読んだ時、彼の描く女性が好きになれない、どれも同じような感じでつまらないと感じ、それから今までずっと読まずに来たと、ゼミの中で発言したが、驚くことに「鳥獣虫魚」には、まったく違う女が登場する。まさに命が宿っている女性。実際それまでの作品に出てきた女性はモノトーンなのだが、この女性は確かに天然色で見える。作者はこの本の主人公に「この女性に魂を掴まれる」と言わせているが、この女性があの「ねむの木学園」の宮木まりこさんということを聞き、なるほどなあと納得した。
モテル男はそもそも嫌いだ。魂に触れようとすることなく、身体のつながりばかりを問題にする男が登場する小説はむかっ腹が立つ。そういう意味で吉行氏を嫌いだと決め付けていたが、ちょっと待って、ここには何かあるという気持ちにさせられた。
「闇の中の祝祭」はどうやら奥さんと愛人の葛藤を描いているようだが、わたしはこの緊張感はとても耐え切れない。自分に対して冷め、他の女を熱愛する夫のもとなど離れてしまえばいいではないか、家を出るのがいやであれば、夫に愛人のところへ出て行っていただいて出直せばいいじゃないかと、じれったく思いながら読んでいる。
つづきはあした…なんだか、頭は朦朧としたまま、少しもまとまりがないですが、ご勘弁。
おやすみなさい〜
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