たりたの日記
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日記が滞っています。
宮崎に住む義父が危篤という知らせが入ったのは27日木曜日午後2時半頃。ジムでエアロを終え、これからゆっくりサウナへとロッカールームへ入ろうとした時だった。義姉の緊張した声に身体はすでに固くなる。 義姉が職場から実家に直行しても4時間。それでは間に合わないかも知れない。シャワーを浴び、自転車を飛ばして家へ。 とにかく、荷物を作らなくては。間も無く夫帰宅。最終便に間に合うためには後30分で家を出なくてはと言う。考える間もなく着替えと仕事関係の連絡用の名簿など思い着くものをバッグに詰め込み、駅へ走る。 なんとか7時5分発の宮崎行きに間に合う。空席があったのはラッキーだった。
午後9時半病院へ着く。義父は酸素マスクの下で荒い息をしているも、私達の事は分かって「アリガトウ」と手を合わせる。 お義父さん! この夜は夫とわたしが交替で寝ずの番。
翌日、大学生の長男と次男がそれぞれの場所から別々に駆けつける。長男は最終試験の真っ最中。書きかけのペーパー持参。髭を剃った顔で空港に現れた。
予断は許さないものの、義父は危険からは一時脱出。
| 2005年01月25日(火) |
聖書の風景 ♯2 「さあ、わたしの後ろへ」 |
ここのところ、気持ちはラテンのことと、義父の病気のこととの間を行ったり来たりしており、その上それぞれのクラスの準備やイベントの計画と頭の中は混沌としていて、自分の心の底に降りていって物を書くというモードが作れませんでした。
そういうわけで、毎月25日がわたしの担当となっている心太日記も、いつものように数日前に書き上げて送るということができず、25日の深夜にようやく書き上げたことでした。
心太日記、2年目は、聖書の風景というシリーズで書いています。今回は2回目。イエスが湖で漁をしている二人の兄弟に声をかけ弟子にしたという場面を題材に取りました。今回も書きながら発見とか出会いがあり、すでに知っていた風景がまた新しいものになった思いがします。
聖書の風景 �◆ 屬気◆△錣燭靴慮紊蹐悄�
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。 二人はすぐに網を捨てて従った。
<マタイによる福音者 4:18−2>
イエスは伝道に先駆けて、十二人の弟子をこのように集められ、弟子たちはこのようにイエスに従っていった。キリスト教に縁がない人はこの記事を読んで、まず拒否反応を持つのではないだろうか。ああ、宗教は恐ろしい、人間を現実の場からつまみ出し、あやしいところへ連れて行くと。そういう誘いに乗ってはいけないと身を固くするだろうし、オウム真理教や、統一教会の忌まわしい事件やスキャンダルが頭をよぎるかもしれない。
そういう反応は充分理解できるものの、わたしはいつ読んでも、このあきれるくらい単純なストーリーの前で静止してしまう。イエスが二人の男を呼び止めるや男たちが即ついて行ったという出来事にはっとさせられ続けてきたのだ。なぜ二人の漁師はイエスについて行ったのだろう。その瞬間にイエスと彼らの中で行き交った想いはどういうものだろう。そして、もし、呼びかけられたのがわたしだったら、わたしは、イエスについていっただろうかと考えを巡らす。そう、これは、わたしの心に深く食い込んでいる聖書の風景なのだ。
先日の礼拝説教のテキストはこの箇所だった。その説教の中で新しく知ったことだったが、この「わたしについて来なさい」という言葉は新約聖書の原書であるギリシャ語から直訳すると、「さあ、わたしの後ろへ」という意味になるのだという。この言葉を聞いた時、さっと視界が開けるような感覚を覚えた。この直訳の言葉でなら、その情景をもっと活き活きと描くことができる。イエスの声の調子も、弟子たちの胸の高鳴りも伝わって来て、思わず笑みがこぼれてしまった。
「さあ、わたしの後ろへ」と呼びかけるイエスの顔は喜びに満ちてはいなかっただろうか。「ようやくあなたがたに出会いました。ここがあなたがたの住むべき場所です。さあ、わたしのところへ。」そんなイエスの高揚した思いが伝わってくる。イエスにはこの二人を選び出す、あるいはこの二人に頼む、という意識などなかっただろう。自分と共に歩むのはこの男たちだということが瞬時にして分かったと思うのだ。
一方、イエスに呼びかけられた男たちも「さあ、わたしの後ろへ」という呼びかけを聞くや、その顔を輝かせたに違いない。日々漁師として暮らしを立てていたシモンとアンデレは、しかしその暮らしの中だけに埋没しているのではなかったはずだ。自分に与えられている使命を、出会うべき何かをいつも神に問うていたのだと思う。魂の深いところで、この出会いの瞬間を予期し、それがいつであってもよいように準備しつつ待っていたのだろう。だからこそ、目の前に現れたイエスが出会うべき人であることが、瞬時にして分かったのだ。そうした決定的な出会いを前にすれば、湖に打ったままの網を引き上げることなど、どれほどの意味があろうか。二人が喜びに満たされ、網を捨てイエスにかけよったその足取りさえ、はっきりと見えてくる。
これはイエスと弟子達との出会いの場面だが、わたしはこの記事から、わたしたちが生きている間に起こるさまざまな出会いのことをまた思った。人生において要をなす出会いというものがある。そういう出会いは、わたしたちが生れ落ちたその時からすでに始まっており、そこへと向かって時が熟していくのではないだろうか。すべてが偶然ではなく、ひとつの意図と配慮の下で動かされまた動いて行くとすれば、その出会いも必然。神から与えられるもの。
そうした出会いを逃したくないと思う。そのためには日常に、自身の思いだけに埋没してはならないのだろう。イエスが言うところの、何を着ようか、何を食べようかという日常の思い煩いで心を塞いでしまってはいけないのだ。呼びかけの声がかすかにでも聞こえるほどには耳をすませておかなければならないし、呼びかける人の姿を遠くからでもキャッチできるよう、目の曇りを拭っておかなければならない。ある意味、詩も音楽も絵画も、またダンスや瞑想、呼吸法やヒーリングと言われるものも、そういう心の目や耳をクリアにするためのものかもしれないとわたしは思う。
ガリラヤ湖畔でイエスが弟子たちに「さあ、わたしの後ろへ」と呼びかけたその出来事は、様々な事や人にかたちを変えて、日々わたしたちの生活の中に生起している。問題はそれを掴むかどうか。
* これまでに掲載された心太日記のバックナンバーは↓より
心太日記バックナンバー
| 2005年01月24日(月) |
ひとつのステージ、ひとつのドラマ |
昨日ステージのことを言葉にしようとすれば、言葉はいくつでも、どのようにでも出て来るような気がする。それはたかだか数分間のステージではあったものの、奈央先生の言葉を借りれば、そこには積み上げられた時間や想いがあり、ドラマがあるから。
お気軽にスポーツクラブでラテンのクラスに出ていた我々に、奈央先生から振り付けが入ったレッスン用のビデオを渡されたのが10月。「さあ、ステージよ!」と、こんなノリで。それからはそこに向かってひとりひとりの内にドラマが展開されていったに違いない。映画「シャル・ウイ・ダンス」にもどこか似た、おかしくも涙ぐましい(?)ひたむきな何か。未知の世界に足を踏み入れることのさまざまな心の動き。そして、練習。ビデオの前で、電車の中のシュミレーションで、メモった紙を繰り返し見ながら、お鍋をかき回しながら、それぞれがそれぞれの場所で、やり方で、このステージまでの準備をしたのだろう。そしてやがて、前日の練習、本番前の緊張、音楽、歓声、ステージの上のライト、目の前の観客、汗、拍手、安堵。 平穏にゆっくりと過ぎてゆく日常の中に起こった、ひとつのステージに立つという、ひとつのドラマ、そこからもらったものは決して小さくはない。
以下に、奈央先生の M’s Party の掲示板への書きこんだことと、舞台を見てくれた友人からのメールを掲載します。
<掲示板への書き込みより>
舞台の袖で控えている時のキンチョウというのは格別なものがあります。が、あのビデオで繰り返し聞いてきたおなじみのフレーズが耳に入りこんでくるや、スイッチ・オン。人格変ります。みなさんもそうなのでしょう。果てしなくワイルドになり、歓喜の叫び声と、ありったけのエネルギーを惜しみなく振りまきながら、みなが舞台へ踊り出し、後はその熱気の中で、身体は自然に動くのでした。そして一抹の夢のようにその時はあっという間に終わりを迎えました。
さて、けれども、その動きは客席からはいかに。 ビデオを見て、ほおっ。。 ああ、奈央さんはこれをイメージしていたのかと、その振り付けの意図するところを初めて知りました。その気持ちが悪いくらいに(と誰かが言ってましたけど)揃った、手や足の細やかな動き、そこから来るここちよさ。押さえた動きと解放的な動きのバランス。とにかく、あの人数で踊る動きとして、みごとな振り付けだとビデオを見ながら感動していました。
わたしはわたしの動きのみにフォーカスしていたわけですが、全体を創り上げる一つの要素になれたということに、後からじわりと嬉しさが湧いてきました。 これは客席から見ているのでは味わえない気分です。(去年までは客席で、溜息混じりに見ながら、ステージで踊ることがあろうとは露ほども考えてはみませんでした)
せんせい、みなさん、お仲間に入れてくださって、ほんとにありがとうございました。 打ち上げはさらにワイルド、楽しすぎ^^
<観客席からのメッセージ>Yさんの許可を得て、メールを転載
ドキドキしながら貴女のステージ出番を待っていました。 既に、次々と繰り広げられるアップテンポのリズムの心地よさと、 各ステージの見事な踊りに、じっと座って見ているのが物足りなくなって 斜め座り、上体、つま先でリズム合わせながらの私。 私の二つ隣の5,6歳のボクなんか、もうノリに乗って踊りながら見てた! ウ〜ン! いいなあ! 紫のコスチュームよく似合って、少女のように踊る貴女! たしかに色っぽくはないが、(ゴメン!) 生き生きと体中に楽しさ溢れていたよ! こんなステージ見ていると、 徹底的に!根幹から! オ〜シ!とことん生きてみようじゃないか! とエネルギー満ちてくる! 踊りもしない、見ていただけの私なのに、 ステージの熱気のおすそわけをもらって、 傘もささずに、みぞれ交じりの雪を顔に受けながら駅への道を歩きました。 ありがとう!
夜中の2時45分。明らかに夜更かしです。ひとり黒糖焼酎を飲みながら、パソコンにはりついているのは、おそらく、今日のラテンのステージやその後の打ち上げの余韻は今だ強く、まだその中に浸っていたいからでしょう。
子どもの時のバレエの発表会を除けば、舞台の上でダンスを踊るというのは初めての体験でした。ダンスは見ていて楽しいものですが、ステージの上で踊る側に立つと、そこから見えてくるものがありますし、異なる自分が現れてきます。
まだまだ書きたいことはありますが、そろそろ、まぶたも重くなってきたので、この続きは明日(もう今日ですね)書きますね。 では、みなさん、おやすみなさい。
今朝、九州に住む義父が入院したという知らせが入る。 ここ1週間ばかり食欲がなく体力が落ちていたので病院へ行ったところ、老人性肺炎を起しているとのこと。抗生物質がなんとか効いて体力を取り戻してほしい。
義父の状態は気にかかるが、午前中は明日のラテンのステージの練習のために、活動センターの稽古場を借りていたので、とともかくでかける。今すぐ九州へかけつけなければならないほどの状態ではないという知らせが義姉より入る。ので午前中練習。わたしと同居人の他に同じジムの仲間3人といっしょに練習することができ幸いだった。さて、いよいよ明日、本番。
義父は今、病院のベッドで病気と対決している。 生きるということは、どういう場であっても最善を尽くすということ。あきらめないということ。そして信頼すること、委ねること。
神の守りと平安を祈りつつ。
午前中、歯医者、その足で都内へ。 今日は、はるさんこと画家・榎並和春さんのサイトで紹介されていた2つの展覧会を見にいくことにしていた。
まずは新宿・紀伊国屋画廊で行われている高瀬省三展「風の化石」へ。
大磯の浜に打ち上げられ流木を使った不思議な形の彫刻はどれもふわりとやさしく、そしてしんと静かだった。 作品の前に立つとどうしても笑みが漏れてきて、ひとつひとつの前で対話しないではいられない気持ちになった。自然と人とがひとつ心で作り出した形。それだからなのだろう、花や木を見てうれしく、その内側に入り込んでゆくような気持ちととても良く似ていた。 「風の化石」という作品集を買った。わたしの好きな茨木のり子さんの言葉もそこにあって、またうれしいのだった。
さて、次は日本橋のGallery・汲美へ。グループ展 「Impression�機廚砲呂呂襪気鵑粒┐�出品されている。
出かける前にネットの路線で調べたというのに、最近東京の地下鉄は何やら複雑になっていて、調べた通りには行かず、乗り場を間違え、あたふたとしてしまった。しかしギャラリーへは、DMの地図を頼りにすんなりと辿りつくことができた。この前銀座の画廊を訪ねた時には、どうにも見つけられずに、3度も人に尋ねたことを思えば今度はラッキーだった。
さて、知っていて知らない人に会うといういつもの緊張。深呼吸をしつつ階段を下りて画廊へ入るや、こんにちは(だったっけ)と、いきなりフレンドリーな女性の笑顔に迎えられる。そういうことを予想してはいなかったので一瞬とまどってしまったが、女性の横にいらした方が髭の男性で、どうやらはるさんご夫妻だと察しがつく。
「はじめまして」とご挨拶をすませると緊張が解ける。初めてお会いしたには違いないが日記を読んで良く知っているし、また知られてもいるのだから。ここがネット繋がりの不思議なところ。
ネットで紹介されていた「冬の旅」と「記念日」の本物がそこにあった。ネットでもはるさんの絵の独特な持ち味は充分伝わっていたが、実際に見てみると、色調や質感は断然豊かで生き生きしている。そこから流れ出してくる空気も、またネットの絵とは違うものがあった。もっとじっくり絵を見るのだったと後になって後悔したが、何しろ、はるさんには初めてお目にかかったのだし、なかなかお会いする機会もないのだから、この機会にお話もしなければと、そちらに重点を置いてしまった。 良い出会いに感謝!
ということで、お近くの方はどうぞお訪ねください。
グループ展 「Impression�機� 2005・1/21〜29 Gallery・汲美 日本橋・2-1-19三幸ビルB1 03-3231-3882
木曜日はジム日だったが、そして自転車で出かけるにはまたとない良い天気だったが、ジム行きを断念した。ここのところ、就寝時間が夜中の2時を過ぎる日が続いていて、今朝はさすがに喉が痛く、ここで無理をすれば本番の舞台に穴を開けかねないと思ったからだ。
遅く起きて、洗濯を干し、(ゴミを出しにいくも、すでに収集された後だった)、掃除機をかけている途中、美容院へ行くことを思いつく。ヘナで染めようにもヘナを切らしている。そこいらのスーパーや薬局にヘナが売っているはずもなく、どこかで手に入れなければと思いながらそのまま日が過ぎていたのだ。
前回美容院に行ってから2ヶ月経っている。舞台もあることだし、今日こそ美容院行きを決行すべしと急ぎ予約を入れる。都合のいいことにでかける直前に、紀伊国屋書店からネット注文していた本が届く。美容院に数時間は居ることになるのだから、集中して本が読めるというもの。持参する。
2時に行って戻ってきたのは6時近くだった。ずいぶん長いこと美容院にいたことになるが、髪が洗われ、染められ、巻かれ、切られ、ブローされる間、わたしはわたしで、本にかなり深く沈んでいて、心はひとり、別のところをさ迷っていた。 ともかくも、気心の知れたその店は居心地良く、髪もすっかりきれいにしてもらい、ひと仕事した気分になった。わたしはただ座っていただけだというのに。
昼も食べないままだったので、急いでキムチ鍋を作り、同居人の帰りを待たずに、一人で始める。今夜は昨夜仕入れた、奄美大島の黒糖焼酎「れんと」、音響熟成、25度。酒に音楽を聞かせながら熟成させるのだそうだ。この優しさ、まろやかさ。レント、ゆっくりと、そう、ゆっくりと今日を終わらせよう。
| 2005年01月19日(水) |
マザーグースとゴスペルと |
英語学校で今日から英語で歌おう<マザーグース&ゴスペル>のクラスがスタート。見学者も含め、5人の参加者。発声練習をしていたら、母親たちが歌っているのを待っていた小学生3人が、見学に飽き足らず、自分たちも歌いたいと入ってきた。
マザーグースは There Was an Old Lady Who Swallowed a Fly(ハエを飲み込んだおばあさんがいた) ゴスペルは Nobody Knows The Trouble I've Seen(わたしの悩みは誰も知らない)
を選ぶ。Nobody Knows The Trouble I've Seen はゴスペルのルーツとも言える黒人霊歌(スピリッツ)だが、この歌はずっとわたしと共にあった歌、切っても切れない関係にある歌と言っていいかもしれない。 一人でぼそぼそ(?)と歌ってきた歌を他の方に伝えるというのはなんとも感慨深かった。
そもそもマザーグースも黒人霊歌も、作詞作曲者未詳の伝承歌謡だ。その伝承の先っぽにわたしがあって、それを伝えられた人達がいて、その歌が伝えられた今日という日がある。 とすればわたしの仕事は彼女らがその歌を誰かに伝えられるるまでに、自分の歌にできるよう指導することなのではないだろうか。 そうやって歌は伝えられ、生き延びていったのだから。 そしてわたし自身、もっとこの歌の内側に入り込んでゆきたいと思った。
この歌については近いうちにもっと書くつもりでいる。 今日のところは触りだけ。
Nobody Knows The Trouble I've Seen
Nobody knows the trouble that I've seen Nobody knows but Jesus. Nobody knows the trouble that I've seen Glory Hallelujah
Sometimes I'm up and sometimes I'm down Oh,Yes lord. Sometimes I'm almost to the ground O yes, Lord.
Nobody knows the trouble that I've seen Nobody knows but Jesus. Nobody knows the trouble that I've seen Glory Hallelujah
..............................
わたしの悩みを誰も知らない わたしの悩みを誰も知らない でもイエスは知っている わたしの悩みを誰も知らない 栄光、神を讃めたたえよ
時には高揚し、時には失望する 時には地を這うほどに あぁ、そうです、主よ
わたしの悩みを誰も知らない わたしの悩みを誰も知らない でもイエスは知っている わたしの悩みを誰も知らない 栄光、神を讃めたたえよ
| 2005年01月18日(火) |
すっぴん宣言、その後 |
ここで、わたしはダイエット宣言だとか、エクソサイズ宣言だとか、はたまたすっぴん宣言だとかいろんな宣言をしてきました。いつだったか2年近く前に書いた「脱ぎます、ファンデーション」の日記を読んで下さった方が、あれはその後も続いていますかとお訪ねのメールを下さいましたが、はい、あれよりずっと顔にはファンデーションを塗らずにどこへ行く時にもすっぴんを通しています。
日本では女性の身だしなみとして顔の壁塗りが定着していますが、一歩日本の外へ出てみると、化粧をしない女性は少なくないのです。ファンデーションは毛穴を塞ぐし、本来の素肌を油脂で覆うのですから素肌に良いはずはありません。いつの間にか定着してしまったおでかけの時は壁塗りをするというジョーシキがいつか壊れる日が来るのではないかと思っています。わたし自身は肌が丈夫ではないので、塗らないという選択をしたのですが、きっとどの方も、すっぴんの方が自然で素敵だと思うのですよ。それに、男の人も子どもたちも素肌のままなのに、女だけが顔に何かを塗らなくてはいけないというのはやっぱりオカシイ。 ちなみにわたしはファンデーションは塗りませんが、口紅やシャドウは服の色などと合わせて楽しみます。おしゃれを拒否しているわけでも、化粧という文化を否定しているわけでもないんです。
なんで、今日こんな事を書き始めたのか、今思い出しました。 今度の日曜日、ラテンのステージの時にはさすがに塗らなくてはだめかなと、使いかけのファンデーションをさがしたりしていたからでした。 ミュージカル時はライトが当たってもしっかり顔が見えるように、しっかりとドーランを塗るように言われましたもの。そこまではしないまでも、舞台には濃い目の化粧は必要でしょう。
さて、今夜の焼酎は北海道のしそ焼酎、たんたかたん(漢字変換が出てこないのでひらがなで書いてます)。北海道出身のNさんが教えてくれたように、梅干を入れて飲んでいます。確かにおいしい!身体にもよさそう。もう一杯だけ飲んで寝るとしますか。
| 2005年01月17日(月) |
吉田健一著 「酒宴」を読む |
今日は正津氏の文学ゼミだった。英語教室の仕事が6時までなので、それからそのまま駅へ直行し電車を乗り継ぎ都電で早稲田まで。会場に着いたのは7時50分頃になっていた。ゼミは7時からなので、講義がほとんど終わる頃に滑り込む形で、なんとも残念。けれど、メンバーの方々の感想や意見はやはりおおもしろく、また二次会の会場へ向かう道々、先生から講義の内容を伺う事ができて幸いだった。二人の若いライターの方からそれぞれの作品(日記と小説)をお借りできたことも良かった。次回のテキスト(田中小実昌著「ジョーシキ」)とともに、明日からじっくり読むとしよう。
ところで今日のゼミのために書いた感想文は、何か読み上げる気になれず、そのまま持ち帰ってしまった。 こうして一人で書くと言葉は自由に出て来るのに、人を前にすると途端に言葉が滞る。書いたものを読めば、話す訓練にもならないから読まずに話そうとしたが、ちっとも思ったことが話せない。何か、自分を不自由にしているブロックがあるのだろうな。そういうものと向かい合う意味でも、こうした学びの場に出かけてゆくことは大切なことなんだろう。 感想文はここに貼り付けておくとしよう。
< 吉田健一著 「酒宴」を読む >
自分とはまるで縁がない世界の事がとても魅力的な文章で表わされているとして、それまではとてもその世界へ入って行けなかったというのに、まるで暗示にかかったように、ふらふらとそのものに捕えられてしまうということがあるものだ。 これまでもそんな物事や人との接触があったような気がするが今度はなんと酒。この齢まであまり縁がなかった酒というものにうっかり捕えられてしまったらしい。それが今だけのマイブームなのか、それともこれからずっと生活の中に入り込んでくるのかそれは分からないが、ともかくも正月からこっち、私の一番の関心事は酒(焼酎)なのである。 棚には芋焼酎だの麦焼酎だのが5本も並び、テーブルの上には、アマゾンでおもわず衝動買いした、ソムリエの田崎真也さんが書いた焼酎の本や、イラストレーターの大田垣晴子さんが描いた焼酎をめぐる旅絵日記など、焼酎関連の本が何冊も積まれている。スーパーやコンビニに言っても、まず酒売り場にふらふらと引き寄せられ、どんな焼酎が並べられているのかチェックしないではおられないといった有様。
酒には縁がなかった、というより、わたしの身体はアルコール分解酵素がうまく働かず飲めない性質なのだった。ところが一度心を開けば、身体の方も方針を変えるのか、はたまたアルコールがいじわるをしなくなるのか、ここのところ酒は身体に入ってもパニックを起すことなく、非常に機嫌よく血液の中を循環するようなのである。この前までは酒を飲めば、頭といわず、手足といわず、まるで身体中が心臓になったように激しく動悸した。あれは全く不気味な気持ちにさせられる。このまま心臓が停止してしまうのではないかと思われるほどの反乱ぶり。ところがどういう具合にかあの不快さがやってこない。吉田健一氏の「酒宴」の文章に見るような夢ごこちがそのままにわたしにも訪れたのだから、これはしめたと調子づいてもいるのだ。
<・・・飲んでいるうちにお風呂にでも入っているような気持ちになってくる。自分の廻りにあるものはお膳でも、火鉢でも、手を突き出せば向こうまで通りさうに思われて、その自分までが空気と同じく四方に拡がる感じになり、春風が吹いて来るのと一つになった酔い心地なのである>
そうそう、この感じ、とわたしはにんまりする。数週間前までは、この文章の意味する感覚がさっぱり分からなかったものの、自分の身体で体験してみると、なるほど、その通り、うまい表現だなあと感心する。 世の中には酒とのさまざまなつきあい方があって、遠目からそれを眺めてはいたが、そこに近づいてみたいという気は起こらなかった。それというのも、そこには何か不安な要素が感じられて、危うきには近づかずといった用心深さが先立った。ところがこの小説の酒の世界はなんとも安全で屈託がなく、うっかり近づいてしまったというわけだ。安全とわたしが思ったのは、酒をよく手なずけているというか、酒からの逆襲もなければ、裏切りもなく、酒と良い友情を結んでいるような平和があり、それで私の方まで警戒を解いてしまった。
<酒飲みというのはいつまでも酒を飲んでいたいものなので、終電の時間だから止めるとか原稿を書かなければならないから止めるなどといふのは決して本心ではない。理想は朝から飲み始めて翌朝まで飲み続けることなのだ、といふのが常識で、自分の生活の営みを含めた世界の動きはその間どうなるかと心配するものがあるならば、世界の動きだの、生活の営みはその間止まっていればいいのである。庭の石が朝日を浴びているのを眺めて飲み、それが真昼の太陽に変わって少し縁側から中に入って厚さを避け、やがて日がかげって庭が夕方の色の中に沈み、月が出て、再び縁側に戻って月に照らされた庭に向かって飲み、さうかうしているうちに、盃を上げた拍子に空が白み掛かっているのに気づき、又庭の石が朝日を浴びる時が来て、「夜になったり、朝になったり、忙しいもんだね、」と相手に言ふのが、酒を飲むといふことであるのを酒飲みは皆忘れ兼ねている>
とりわけ、この部分が気に入った。 このうっとりとするような、ゆるやかにたゆとう時間の流れはなんだろう。そういえば昔、漢文の授業の杜甫や李白の詩に、このように流れていく時を味わったように思う。まだ未成年の時分だったから、酒はさらに遠い世界の事だったが…。 酒は時間の中に入り込んできて、その時間の流れを、また質を変えるものでもあるのだろう。
後半の酒宴に集う人間たちがみな酒を貯蔵するタンクになってしまい、自分は途方もなく大きな蛇に変身する部分など、そのファンタジーの表現の中に、時間や空間の質を変える酒への愛着、また現実の中に起こるファンタジーへの愛着を感じる。 ここで トルーキンやCS・ルイスやエンデを持ち出すのもおかしいかもしれないが、明治生まれの日本の作家の中に、イギリスやドイツのファンタジーの匂いを嗅いだような気がした。作家が幼少時代を海外で過ごしたこととも関係があるのかもしれない。
吉田氏の西洋哲学への視点、とりわけ時間への考察に興味を覚え、晩年の代表作であるらしい「時間」を取り寄せて読んでみた。 「酒宴」のように、文章自体が気持ちよく酔っぱらっていて、ほわりと弛緩させるような作品とは違って、こちらはまあ小難しい。しかしながら、良くは分からなくてもそこで語られていることは聞く価値のあることに違いないと耳を傾ける講義を聞くような調子で、その本にそれなりに興味深く向かいあった。その哲学的な内容はさて置き、様々な世界を掌握しているような広さと屈託のなさとがやはり心地よいと思ったのだ。
ともかくも「酒宴」がきっかけで新しい年に新しいことが始まっている。
| 2005年01月16日(日) |
ラテン・ラテン・ラテン |
今日は午後から来週日曜日のラテンのステージのための合同練習がありました。なおせんせいが指導しているいくつかのジムでラテンをやってる人達で構成されたRatin Partyがセミプロのダンサー達に混じってラテンを踊るという、斬新(?)なエントリーで、これがまたこのステージの最後を飾ります。 そしてタリタは、2曲めは最前列で目立つことになってしまいました。 冷や汗、タラ〜リです。
でも、でも、思えば、2年前のミュージカルのステージではアカペラでソロを1曲、デュエット2曲、しかも自分が作詞作曲した歌を歌うなどという途方もない事をやったのでした。ミュージカルですからラテンではなくても踊りはありましたしね。 あの時の開き直りを持ってすれば、たいていのパフォーマンスはなんとかこなせるはず!と自らを鼓舞します。この1週間、最後の追い込みをかけ、当日はなんとか楽しく素敵に、望むべくはセクシーに(それはあきらめろと同居人は言いますが)踊りたいと思います。
いらっしゃりたい方はご連絡下さい。チケットが手元に6枚あるので差し上げますよ〜。
あゆみの箱 Winter Special 2005 1月23日(日)18時〜 埼玉会館大ホール於
| 2005年01月15日(土) |
「相対死の詩法」が手に入る |
探していた本が届いた。暮れの12月27日の日記に書いた角田清文著「相対死の詩法」だ。この本は前回のゼミの時に正津氏からお借りしていたもので、貴重な本であることは承知しているので、早々にお返ししなくてはならないのだが、手元からなくなることがなんともさびしく心もとなく思っていた。
1983年に出版されているこの本はどこの本屋を通じても手に入る見込みはない。そもそもごく限られた部数しか出版されていない本なのだろう。こうなれば、ご遺族を突き止めて、家に残っている在庫の本を分けていただくしかないなどと考えていた。(果たしてそういうことが可能かどうかは別として)
しかしインターネットとはありがたいものだ。また古本のリストをネット上に上げてくれているこうした古本屋もありがたい。富士書房という古書店にこの本が一冊だけあることが分かった。急ぎ問い合わせをするとメールを送ってくれ、翌日には代金引換で発送してくれた。それを今日、めでたく手にしたというわけだ。
本は大変に良いコンディションで、ケースも、また本を包む薄いパラフィン紙までついている。また驚いたことには扉の内側に「謹呈 三好豊一郎様」と本人のサイン入りの短冊まで入っていた。三好豊一郎とはどういう人なのだろうと検索で調べると黒田三郎とも交流の深かった詩人ということが分かった。また何篇かの詩をネット上で読むこともできたが、角田氏との繋がりをそこに感じ取ることができた。
おもしろいことには、そこからいろんな人やサイトが繋がっており、舞踏家土方巽また版画家長島充のサイトを興味深く見たことだった。家から一歩も出ることなしに、わたしの世界が広がってゆく不思議を思った。
三好豊一郎はすでに故人になっている。三好氏の手元にあった本が巡り巡ってわたしの手元に届いたことになる。三好氏から譲り受けた本のような気がして感慨深い。さて今から晴れてわたしのものになったこの本のページを繰るとしよう。
| 2005年01月14日(金) |
「木挽・刻 」を飲みながら読む「時間」 |
酒とは時間の流れを、あるいは時間への意識を変えるものなのかもしれないと、今年になってやおら酒に目覚めた(?)わたしは生意気な事を考える。
そもそも酒という飲み物に接近したのも、吉田健一著「酒宴」を読んだからかもしれない。ゼミの課題で手渡されたこの小説を手にした時は、そのタイトルからして自分とは無縁な世界だなと思った。ところが読んでみると思わぬ発見があり惹かれた。発見というよりは、入り口とでも言った方がいいだろうか。わたしの知らぬ世界への入り口がそこにあり、明らかにわたしはそこに誘われていた。単に酒を飲むとか酒宴に加わるとかそういうことではない。「時間」から支配されない「時間」の中に身を置くということ。うまく言葉にはできないが、わたしが得ていないひとつの時間との付き合い方、ひとつの解放がそこにあると思った。
吉田健一という作家を知らなかったので、アマゾンで著書を調べ、作者の晩年の著書「時間」を注文した。今夜、ジムでファンクを踊って戻った遅い夜、熟成貯蔵した「木挽・刻」こびき・きざみ(宮崎芋焼酎、米麹作り)を飲みながら、「時間」を読む。難解でどの文章もすんなり理解がゆくという訳ではないが、そこで語られている「時間」に惹かれて、とうとう時間を忘れてしまった。もう深夜の2時。朝までこうしていたい気持ちはやまやまだが、時計の刻む時間に戻って寝るとしよう。
| 2005年01月13日(木) |
♪木曜日は運動ばかり |
子どもの頃、ロシア民謡の「1週間」という歌をよく歌っていました。 あの1週間の歌では ♪日曜日に市場へ出かけ、月曜日はお風呂をたいて、火曜日はお風呂に入る。水曜日に友達が来て、木曜日は送っていった。金曜日は糸巻きもせず、土曜日はおしゃべりばかり・・・となります。 一日にひとつのことをするなんて、そんな暮らしはいいなあと夢みるように歌っていたものです。
というのも、子どもってけっこう忙しいんです。一日に5時間とか6時間とか授業があって、それが一日中音楽とか一日中図工ならまだいいのですけれど、国、数、理、社、体なんて45分ごとに教科はめまぐるしく変わるわけで、物事のテンポが遅いわたしは、その日課表に気分を合わせるだけで疲れました。
幸いなことに、今のわたしの1週間というのは、この歌にちょっと近くなり、その日のテーマともいうべきものができています。 ♪日曜日は教会へ出かけ、月、火、水は英語のクラス、木曜日は運動のばかり、金曜日は家にいて、土曜日は買い出しに・・・という具合にです。
ただ子どもの頃は月曜日は音楽、火曜日は図画工作、水曜日は家庭科、木曜日は国語、金曜日は社会、土曜日は理科と算数で体育は無しという日課表が理想でしたから、今のように木曜日は運動ばかりなど、考えられもしませんでした。
今日は朝の寒さにもめげず、20分自転車を飛ばしてジムへ行き、ラテン、ローインパクト、カロリーバーナーの3本のエアロビクスを立て続けにやってサウナでさらに汗をしぼり、また自転車で戻ってくるというエネルギー消費度の高い一日を過ごしました。(同居人に申し訳ない・・・)
夜のお酒がおいしかったのは言うまでもありません。 ちなみにこの日の焼酎は「海童―祝いの赤」(鹿児島の芋焼酎、黒麹作り)でした。
水曜日も英語学校の仕事ですが、今日は幼稚園年長児の一クラスのみ。けれども来週からスタートする「英語で歌おう第2弾」(勝手にわたしがこう言っているだけで、こうい名前のクラスではないですが)の準備のため、ゴスペルやマザーグースの楽譜をあれこれ探しては歌ってみたりピアノやギターで伴奏を弾いたり、はたまた教材を作ったりしていると、夜の9時になってしまいました。 暗い道が何よりいやなわたしは一人で家に帰る気になれず、そろそろ仕事が終わるであろう同居人を待っていっしょに帰ることにしました。
しかし頼みの綱の携帯電話がいっこうに繋がりません。メールの返事もなし。ということは彼は携帯電話を家に置き忘れ、持っていないのかもしれません。しかたがない、この寒空の下一人で帰るかと建物を出ようとしたところ、目の前に同居人。あたしがイラつきながら待っているんじゃないかって、そんな予感がしたらしいです。感謝、感謝!
「帰ったら何か食べるものあるの?」 「炊き込みご飯作ってきたよ」 「でもご飯でしょ。焼き鳥屋へ行かない?」 そういう誘いにはすぐに乗ります。我々は電車の駅と反対方向のバス停まで行き、あまりにも寒いので、しばらくその前の古本屋で本を物色しながらバスを待ち(ラッキーなことにマザーグースの大家、平野敬一の「マザー・グースの唄」をゲットできました)ようやく来たバスに乗り込みました。
そこは同居人が時折り一人で立ち寄る焼き鳥屋。わたしも仕事が遅くなった水曜日に2度同伴したことがあります。ところが今までと違うのは、あたしがお決まりのビールを申し訳程度に飲むのではなく、まずは焼酎のメニューに目を輝かせたことです。
「これ、北海道の紫蘇焼酎をお湯割りで」なんて注文している自分に驚きます。炭火で焼いた焼き鳥や冷たくなった体を温めるチゲ鍋とぷんと紫蘇の香りがするきりりとした焼酎がよく合って、これまで食べた焼き鳥や鍋よりはるかにおいしいと思えました。 不思議なもので、酒飲み達で溢れかえっているその場所が今までよりも居心地が良くなっているのですね。ま、そこまではいい気持ちになっていて良かったのですが、二杯目の麦焼酎を飲む頃から、もう、明らかに体がフワフワとしています。苦しくなったり真っ赤になったりはしていないのですが、とにかくフワフワしていてまともじゃないわけです。これが気持ち良く酔ったという状態なのでしょうね。
さて、そういうわたしの様子を見ていて同居人はとても電車と自転車で帰ることはできないだろうと判断したらしく、タクシーで帰るといいます。こういうゼイタクはわたしにとってはほとんど前代未聞。いくら同居人が出すといっても5000円近くのタクシー代はもったいないです。けれど、席を立って2、3歩歩くと、はぁ〜、ふらふらとうまく歩けません。わたし達はタクシーに乗り込みました。
かぼちゃの馬車に乗ったシンデレラのような気分とは大袈裟ですが、満員電車に揺られ、自転車で冷たい風を切って走るのに比べればなんといういい気分でしょう。 だめだめ、これに味を占めてはいけません。 また水曜日の夜、二人で焼き鳥屋の暖簾をくぐることはあっても、きちんと自転車こげるくらいの酒量にしておかなければいけません。
酒量というよりは飲み方ですね。空腹で濃度の濃い酒(自分で作るお湯割りは焼酎とお湯が4対6ですもの)を飲んだのが良くなかったです。 「鍛高譚・たんたかたん」という北海道の紫蘇焼酎は確かに美味しかったですけれど、あのふらふら感はいったいどういうわけでしょう。今度は家で良いコンディションの下、あの焼酎を試してみたいと思います。ちなみに、この幻の焼酎と言われていた「鍛高譚」、最近スーパーでも扱うようになったらしく、2件の店でセール(760ml 880円)で売られていました。
休み明けの仕事はじめ。 幼児とお母さんのクラスからスタート。 はじめのクラスは4組の家族で子どもは6人なのだが、子ども達の病気で2組の家族が欠席、残念!
クリスマス会以来だからずいぶん久し振り。 いちばん小さい3歳のIちゃんは、このお休みの間にうんと積極的になっている。お母さんの後ろに隠れずに、気持ちが前に出てきたな。 わたしを見る目の感じでそれが分かる。
小さな子ども達に教えようとする時、漠然と言葉を発しても届かない感じがする。あきれるほど目を見て、彼女たちの心の真ん中のところにわたしの心を持っていこうとする。ぐいぐいと入り込む。道を作る感覚。 大人とはこういうコミュニケーションはできるものではないけれど、小さな子ども達とはそれができる。そしてそのことはわたし自身の心にとっても、とてもいい。
子ども達とかかわれるのは幸せなことだと思う。 それを毎日、朝から晩までというお母さんや保育者は確かに大変だけれど、わたしはずいぶんいいとこ取りをしてます。申し訳ないです。
今日は成人の日。我が家にも今日成人の日を迎える人間はいますが、兄同様「式」というものが嫌いな青年Mは寮から家に戻ってきているというのに式にははなから出る予定はなく起きては来ません。
オレも成人式とか出なかったしなんて父親も言うものですから、まずもって行かないのが当たり前というような我が家の風潮、いいんですかね。 わたしは行きましたよ。振袖は着ませんでしたけれど。 確かにちっともおもしろくなかったという印象ばかり残っています。その式のために何十万もする振袖を着るということに納得がゆきませんでした。振袖と大人になる式の間にいったいどのような相関関係があるのかと一人でつむじを曲げていました。ま、今もその気持ちは変りませんね。あたくしも世の中の通例に対してひどくへそ曲がりです。
ところで、夕べは終電で戻ってきたMと、夜中の3時頃まで話込んでいました。焼酎のお湯割り飲みながら、また陣太鼓(熊本の和菓子)を食べながら、いろいろと青春話しを聞きました。ここにばらすわけには行きませんが、ま、Mも人並みにセイシュンしていることを知り、安心したことでした。
へそ曲がりの母親でも成人の日を祝ってお赤飯くらいは用意します。朝から赤飯をたくさん炊き、おでんを煮込んで、成人の日を祝う昼食会をしました。というのも、Mは夕方の中学校の同窓会には参加するらしく、帰りは遅くなるでしょうから。 案の定、Mが戻ってきたのは、夜中の12時半。家の前まで話し声が聞こえていましたから、久し振りに顔を合わせた近所の同級生達と帰ってきたのでしょう。わたしはMの同級生達に会ったわけでもないのに、自分もクラス会に出たような妙な充実感がありました。 しばらくすると長男もHもバイト先から戻ってきて、二人が話しているので、わたしも混ざろうとすると、ブラザートークに首突っ込まないでよと邪魔にされ、すごすご2階に引き上げました。
まずは良い成人の日だったとしましょう。
いつだったか、昔からの友人が、わたしの日記はめまぐるしくモードが変わり、その変化についていくのが疲れるから毎日読むことは止めて、気が向いた時にまとめて読むことにしたと言っていた。
そうだろうなと思う。焼酎の話をしていると思えば、冨岡多恵子の描く「性」の話、そして今日はこれから聖書の話を書こうとしているのいだから。 わたしにとっては何の矛盾もないのだが、そうして一日のうちには食べ物や飲み物のことも考えれば、本に没頭もするし、聖書の言葉や神さまのことも考える。歌も歌えば踊りも踊る。サウナや風呂でゴクラク気分に浸るのだから、モードは目まぐるしく移行する。
これは小説でもなければ、一つのテーマで書いている連載エッセイというわけではないから、書こうとする時間の気分に応じて、フレイミングはいくらでも変化する。とはいっても、どれもこれも、わたしの中心を通って出てきた言葉であることには間違いがない。 その場しのぎの繕いや、心にもない言葉を並べてしまうという事を日常では余儀なくされるけれど、そしてそのことにいつも疲れているのだけれど、ここで発する言葉はどれもわたしのホントウ。わたしはホントウを書き連ねることで、きっと自分を解きほぐしている。
いやに長い前置きだ。さて、自分のホントウの在り処に焦点を置いて書こう。 この日の福音書のテキストはマタイによる福音書 3:13−17。イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けるという場面だ。
「洗礼を受けているのですか」という質問をよく受ける。わたしは21歳の時にキリスト教の洗礼(プロテスタント教会)を受けている。その引き金の一つになったのは、大学の聖書研究会に入った時、わたしは洗礼を受けていなかったから、「ノンクリスチャン」とされたことだった。 洗礼を受けた者は「救われた」者でクリスチャンと呼ばれ、洗礼を受けていない者は「救われていない」者でノンクリスチャンだと呼ばれ、そこにはっきりと線が引かれたのだ。
そんなばかなはずはない!とわたしは心の中でフンガイしていた。(今でもそんな分け方にはフンガイする) 子どもの頃からイエスはわたしのすぐそばにあった。神が照らしてくれる道を歩いてきたと自覚していた。それなのに、高々大学に入ってキリスト教に出会い洗礼を受けたクリスチャンから、ノンクリスチャン呼ばわりされる筋合いはない!と思った。そんなことなら、洗礼だって何だって受けてやろうじゃないの、と、まあ、このことは洗礼を決意する充分な引き金にはなったのだ。
ところが洗礼を受けるその時には頭に登った血もすっかり冷めていて、わたしはえらく神妙な心持だった。どのように神妙かと言えば、ちょうど初めて走るマラソンのスタートラインに立って、ともかくも走りださなければならないという神妙さだった。 自信などまるでない。自分に走り通せる体力があるかどうか甚だ疑わしい。いくじなく途中で脱落して笑い者になるかもしれない。その前に呼吸困難でダウンするかもしれない。しかし、走ることを決めた。とにかく走り出すのだと、しごく神妙だったのだ。
この日の説教の中で、「人間は誰でもごく自然に神から生かされている、その神と共に生きているという気持ちを持っている。それを極めるのは人間の自然なあり方だ」と語られた。
そうだ、神を信じて生きるという事はむしろ自然のことなのだ、決して特別な生き方じゃない!とわたしは相槌を打つ。
説教者はこう続ける。「すべての人が神の恵みの下で、いちばんいい生き方をすることを神は望んでおられる。ところは人間は神抜きで生きたいという本性を持っている。これこそが古い人、肉の人で、これに死ぬこと、神の霊によって生きる、自分を捨てて、神の想いの中に生きようと新しい歩み出しをすること、これが洗礼です」
自分にとことんこだわって生きているわたしは「自分を捨てて」というフレーズの前に思わず身を固くする。捨てていないものが山ほどもあるからだ。捨てて身軽にならなければ走れない。捨てていないことに居直ってはいけないのだと、それに対しては頭をうなだれていなくてはならないのだと、また思う。
説教の最後の部分の言葉を手帳に書き留める。 「神の御心を受け止めて生きること、そのことを受け入れて生きること。わたしたちは新しい生まれ変わりをしよう。いつも新しいところへ帰っていく。洗礼を通して神の霊が注がれているそのところへ」
21歳のあの時、見えないスタートラインに立った時、わたしは果てしなく弱かった、けれど、その弱さの故に、また強いことも知っていた。そこにあるのはわたしの力ではなく、わたしを歩ませようとする神の力であることを感じていたからだ。 その地点へ、繰り返し立ち戻っていくのでなければと思う。
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マタイによる福音書 3:13−17
13 そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。
14 ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」
15 しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。
16 イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。
17 そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。
| 2005年01月08日(土) |
冨岡多恵子を読んでいる |
冨岡多恵子の『波うつ土地』『芻狗』を読んでいる。
アマゾンのレビューを見るとこのような紹介文がのっている。
さりげなく見える"日常"の底に、人間の"生と性"の深層を鋭く抉り、苛烈にして鮮烈な新しい洞察の世界を描き出す、時代の尖端に立つ富岡多恵子の鮮かな達成―。 「BOOK」データベースより
ここに時代の尖端に立つ富岡多恵子という表現があるが、たしかに富岡多恵子は新しい。誰も書かなかった女がそこにあるかもしれない。誰も表現しなかった「性」がそこにあるかもしれない。赤裸々でありながら、エロティシズムはかけらほどもない。むしろかたくななまでに、これまでさまざまに描かれてきた性の甘美さや陶酔を激しく嫌悪し、そこに闘いを挑んでいるような風情がある。それ故に小気味良い。男にとって女はひとつの幻想であり、また女にとって男もまた幻想なのだろうが、ここで冨岡の描く男は徹底的に俗悪でみっともない。性的な関係を求めながらも徹底してその男を侮っている。わたし自身の在り様とは180度違うのだが、彼女が書かないではおれないその部分のことは良く分かるのだ。
前回読んだ「遠い空」にしてもそうだが、彼女はとりわけ女性にとって「性」とはなにか。散々男性によって推し量られ、手垢のつけられた「性」を新しい切り口で描き出す。エキセントリックといえばそうかもしれないが、そこから来る問いかけは無視できない。
いづれこの作品の感想をきちんと書きたいと思う。
| 2005年01月07日(金) |
焼酎は身体にいいんですって |
この日記を続けて読んで下さっている方にはもうとっくにバレていることでしょうが、わたしはかなりの健康オタクです。身体にいいと効けば、何でも試してみるタイプ。また、何にでも容易にハマってしまうのも、もう弁解の余地はありません。
そして今、わたしが心惹かれているのはどうやら焼酎のようです。今飲んでいるのは大分県が誇る麦焼酎「いいちこ」、昨晩は宮崎は高千穂の「雲海」、明日には荷物に入れて送った宮崎で買った何本かの焼酎が届きます。
アルコールとの相性ははなはだ良くないわたしなのですが、ある種の焼酎は身体に合うことが分かりました。麦焼酎よりも芋の方が良いようですが、それも銘柄によって体に起こる反応に違いがあります。ちなみに「いいちこ」は「雲海」に比べるといくらお湯で割ってのんでも、「雲海」のようにほんわかと暖かくなるのではなく、寒くてふるえが来る感じです。という事は身体には合わないのですね。
という具合に、酒の種類や銘柄と身体との関係を知りたくていろいろ試しているわけです。ちなみにわたしはある種のワインを飲むと身体、特に足の裏が痒くなり、寒気がし、ひどい時にはがちがちとふるえが止まらなくなりますし、ある種の日本酒を飲むと、理由もなく泣いたり笑ったりという反応が出ます。ビールはコップ一杯でも顔が真っ赤になります。ところがある種の焼酎はマイナスの反応がそれほど出ずに気持ち良く酔いというものを味わう事ができました。この宮崎滞在の間にです。これはめっけものです。
さて、本題の 「焼酎がなぜ身体に良いのか」を書く前に、寝る時間になってしまいました。というか、酔いが回って小難しい事を書く気がしません。 ここに、明日続きを書くことに致しましょう。関心がおありの方はまた読みにいらしてくださいな。
では、おやすみなさい。
さて朝です。朝からシラフで酒の話をするのも妙な感じがしますが、ま、めったにあることではないのでおつきあいください。 夕べは、寒い寒いと言いながらも、「いいちこ」のお湯割りを4杯飲んで、それで書いていたのですから、強くなった(でも、なぜこんなに急に?)ものだと思います。
で、焼酎と健康の話題です。 焼酎に甲類と乙類があるという事をつい最近まで知らなかったのはわたしくらいのものなのかも知れませんが、<しったか>を続けさせて下さい。
甲類焼酎というのは蒸留を何度も繰り返して不純物を取り除き、得られた高濃度のアルコールを36度未満になるまで水でうすめたもの。乙類焼酎は、熟成もろみを単式蒸留したもので、アルコール以外の揮発成分を含むものです。いわゆる本格焼酎と言われるものがこれです。
で、健康に良いとされるのは乙類の焼酎ということなのですが、一言で言うならば、乙類焼酎は血液をサラサラにするというのです。 元宮崎医科大学副学長の美原恒氏と倉敷芸術大学の須見洋行教授が共同で10年間研究した結果、焼酎は固まった血液を溶かす血栓溶解酵素の活性が他の酒類に比べて高く、そのなかでも芋、蕎麦、麦などの乙類焼酎は特に効果が高いということが分かったということでした。
血管の内皮細胞は、ただ血管の内側を保護しているだけでなく、血栓溶解酵素を分泌する役割も果たしています。人のへその緒にある血管の内皮細胞を培養し、酒成分を投与し、ウロキナーゼという血栓溶解酵素がどのくらい出るか測定すると、酒を加えない時には通常11単位で、エタノール(純水アルコールのことです)を入れると36単位まで増え、乙類焼酎は58単位に増えたという実験結果が出ていました。さらに乙類焼酎の揮発残部を取り出して同様の実験を行うと、数値は82単位にまで跳ね上がったという結果でした。ということは、乙類焼酎のアルコール以外の成分が心筋梗塞や脳梗塞を防ぐものということになりますが、その物質が何なのかはまだ特定できていないということです。
先に、わたしはある種の焼酎なら身体が拒否反応を示さないと書きましたが、今まで試してみた限りにおいては、身体と相性が良いのは乙類焼酎のようです。缶入りのいろんなフルーツの味のするチューハイは三分の一も飲めば、心臓がどきどきし始め、飲むんじゃなかったと後悔してきたのですが、芋焼酎や麦焼酎だとお湯割りや水割り4,5杯は大丈夫。心臓のどきどきがないのが何とも有り難いです。しかもこれが血液さらさらに繋がるのなら、いいことではありませんか。ちなみ納豆には血栓を防ぐ「ナットキナーゼ」(これも美原氏と須見教授の発見)があり、焼酎の肴におすすめなのは納豆です。いい機会なので、納豆を使った肴で、いろいろ飲んで試してみたいと思っています。
家に戻ってパソコンが使える環境にありながら電車の中から携帯で書いています。いろいろと調べてしっかり書こうなどと思っていると書くタイミングを逃してしまうものです。
昨日は家にいて留守の間の環境整備をしてました。雪のお陰で外の植物は生き延びていましたが、家の中の植物は死にそうでした。10年も生きてきたのにと嘆きつつすぐに水をあげたものの翌日になってもぐったりしたままでした。ところがです。夕方わたしが音楽をかけてラテンの練習を始めると、目の前の植物の茎が起き上がり葉が広がってくるのです。なんだか彼等といっしよに踊っているような気分でした。一時間踊る間に植物はすっかり力を取り戻していたんです。信じられます?
わたしはやっぱりねと思いました。植物にもハートはあるのです。
| 2005年01月05日(水) |
戻って来た翌日の静かな一日 |
暮れの23日から家を空けていたから、戻ってきた家はそのままに、年だけが新しくなっていた。
ドアのクリスマスリースをはずし(これは顕現節の1月6日までは付けていくべきものだけれど)、12月のカレンダーを新しいカレンダーに取り替える。 こちらに戻ってくると昨日までの時がまぼろしか何かのように遠のく。一方、向こうにいる間は、意識にものぼらなかったこちらの生活のこまごましたことが、その忘れていた気分もそのままの形でさっと戻ってくる。そう、意識がそっくりシフトする。こういう「途切れ目」あるいは「ブレイク」が良いのか悪いのかは分からないが、そういうスタイルができてしまっている。
それでもできれば過ぎていった時のことを記したり、明日からの事をいろいろと算段する静かな一日がほしい。幸い仕事はまだ始まっていないので、一日家にいて、掃除や植物の手入れなどをゆっくりとする。 昨日はあれほどバッハとモーツアルトが響いたので聞こうとしたものの、その気分は起こらない。グレゴリアンチャントを一度だけかけ、後は音なし。
辺りが暗くなる直前、年賀状を投函し、牛乳を買いに行くついでに走った。うっすら汗もかいて良いウォーミングアップができたので、ラテンのレッスン用のDVDに合わせてかなり念を入れて練習をする。明日は久し振りのジム。23日のステージ用の衣装も買いに出かける予定。
夕方7時少し前に宮崎空港を発ち、9時前に無事羽田に到着。
家に帰り着くにはさらに2時間あまりモノレールや電車を乗り継がなくてはならない。
同居人は今日の航空券が取れなかったから明日の遅い便で戻ってくる。誰が待っているということもないから、スタバでひと休みしている。
バッハがカフェラテにも増してここちよい。 帰って来たのだなあと思う。携帯で日記を書きたいと思った。そうする事で解ける何かがあるのだがそれはいったい何だろう。独りに戻ること、おそらく。
いろいろと楽しく満ちてもいたが、「独り」に飢えていたかも知れない。
昨日の事で書いておきたい事はまた後ほど。
音楽はモーツアルトに変わっていて、オーボエの音の虚ろな感じが今の気分に呼応する。 もうしばらくこの中にいるとしよう。
| 2005年01月03日(月) |
都井岬―野生の馬と猿 |
朝、6時起床。義姉ともし起きることができたらホテルの周辺を走ろうと話していたので、わたしはジョギングの支度をして向かいの部屋のドアをノックするも、義姉は走るのは止めるもよう。そこでわたしは一人で温泉に入ることにした。
露天風呂はまだ薄暗く、山の端がわずかに赤い。数人の人が日の出を待っていた。だんだん辺りは明るくなっていくのに、太陽が山際から顔を見せるのいはそれから一時間ほども経ってからだった。
さて、北郷フェニックスホテルを出て、油津海岸で義父達と別れ、わたしとmGだけで、宮崎の最南端にある都井岬へ。
都井岬へ入る手前の道路に驚いたことに野生の猿が出ている。数十匹はいるだろうか。明らかに車道に出て、車を止めようとする勢い。走らせても向こうは避ける気配がないから、車の方がゆっくりゆっくりと猿を右に左に避けながら走るしまつ。 しかし、猿というのは何と考え深い顔をしているのだろう。
都井岬に入るとまず目につくの野生の馬。青い海をバックに野生の馬たちが草を食む姿にはなんともいえない平和な佇まいがある。優しい目の、物言わぬ生き物の美しさ、気高さ。
岬の端には白い灯台がある。灯台に登ることなど初めてだ。見晴らし台に上ってみる。その周囲をぐるりと歩くと、何の障害もなく、水平線と地平線が360度見渡せるのだ。つい数日前、一つ葉のサンビーチで、丸い水平線に感激したが、あれはせいぜい120度くらいの円周だったろう。 あぁ、ここはいったい何だ! すっかりと円い地球の真ん中に立っているのが分かる。 「漁師たちはとっくに知ってたんだ、地球がまるいって。」とmG。 彼は海や山やわたしに向けてそれはたくさんシャッターを切った。
しばらく美しい海や平和な馬を眺めてから、都井岬ホテルのレストランで遅い昼食。飛び魚の刺身や天ぷらはなかなかおいしかった。
この日天気は小雨からやがて快晴に。そして宮崎市に入る頃、また小雨。
| 2005年01月02日(日) |
飫肥を通って北郷温泉へ |
今日はみなで飫肥経由で宮崎のえびのに次ぐ温泉地、北郷へ行き一泊する事になっていた。
飫肥(おび)は今放映中のNHK朝の連続ドラマ「わかば」の舞台になっているらしく、観光バスが乗り入れ、いくつものツアーや団体客で今までにない賑わいを見せているようだった。残念な事にわたしはそのドラマを見た事がないので、その土地に来ていることの有り難味にやや欠けていたかもしれない。
ところが、この日泊まった北郷フェニックスホテルではなんとも有り難いサプライズに遭遇したのだ。
温泉に入り、食事を済ませ部屋に戻ろうとエレベーターに乗ると、たまたま乗り合わせた人が、ロビーでやっているバンドのライブでサザンのドラマーの松田がドラムを叩いていると興奮気味に教えてくれた。
サザンというのは我々にとっては特別のバンドだ。彼等がわたし達と同世代という事もあるが、元メンバーの大森くんは同居人と中学、高校の同級生。家に遊びに行った事もあるという。松田くんは大森くんの友人という事だった。学生バンドからスタートした彼等はしかし今や国民的ミュージシャン。いくら出身地とは言え、田舎のアマチュアバンドとの共演などまずは考えられないと同居人。だってギャラが半端じゃないはずだと。
半信半疑で、急ぎロビーへ。ドラムを叩いていたのは紛れもない松田くんその人だった。地元のバンドのメンバーとは古くからの知り合いらしかった。いわゆる友情共演なのだろう。プログラムには飛び入りとだけで、松田くんの名前はない。あくまで彼は脇役に徹し、地元との旧友とのセッションを楽しんでいる様子、その力が抜けた、しかし確かなプロの音はやはりわくわくするものある。
わたしたちが思いがけない音楽のお年玉を喜んだのは、言うまでもない。 ついでにホテルのロビーにずらりと並んだ地元の酒屋の本格焼酎の試飲をする。この日の午後、同居人と義姉といっしょにジョギングをした時に偶然見つけた焼酎工場(?)で作られている焼酎だ。無月、飫肥杉、天使の涙だったか、10種類ほどの焼酎が試飲用に置かれていた。義姉とわたしがおもしろがってあれこれ飲んでいると、同居人がいいかげんにしろと言って、飫肥杉というのを一本買った。 部屋に帰って、義姉も呼んで、手に入れた焼酎で宴会。
酒のことしか書いてなかったが、そのホテルは小高い丘の上にあるので、辺りの山塊や北郷の町並みはおろか、幾重にも重なる山並みの先、遠く油津の海まで見渡せる露天風呂があり、温泉の質もなかなかのものだ。正月用の懐石料理はひとつひとつが美しく趣向を凝らしてあって、趣のあるものだった。こういうゼイタクは我々にはついぞ縁がなかったが、今回は久し振りに正月に帰省した我々を歓迎しての義父の心からのもてなしだった。 なんだか、放浪の果てに無一文で戻ってきた放蕩息子をすばらしい料理で歓待する父親の物語を思い浮かべる。在り難いことだと思った。
日本全国昨夜から雪模様らしかったが、宮崎は太陽がさんさんと降り注ぐみごとな日本晴れ(何ともレトロな響き)だった。
ところで、数えてみると自分の家以外の場所で新年を迎えるのは10年振りのことだ。というのも子ども達が小学生でまだ子ども料金で移動ができる時分なら、JRを使って家族4人で九州まで帰省もできたが、航空運賃が跳ね上がる年末に家族4人で旅するとすれば海外旅行よりも高くつく。それに加え部活の合宿があったり、受験が控えていたりで家族4人の日程も合わず、正月前に夫とわたしがそれぞれの実家に駆け足で帰省することで勘弁してもらってきたのだ。しかし、親達はずんずん年を取る。親達といっしょに新年を迎えることができるのもそれほど多くはないかもしれないと思うと、今年は我が家4人の正月を断念して、わたし達二人だけが老親達と共に正月を過ごすことにしたのだった。
さて、夫の実家の新年の祝いは義母の聖書の朗読と祈りに始まる。それからわたしが大分の実家から持ってきたおせち料理と、義母が生協で注文していた3段重ねのおせち料理で、新年を祝った。その後義母とわたしは教会の元旦礼拝に出席し、午後から義姉の運転で、義父、義母もいっしょに西都原古墳へドライブ。義姉とわたしは、20分ほどジョギングをする。もう10日くらい運動らしい運動をしていないから、走り始めは少しきつかったものの、スパンと開けた公園で、美しい山並みを見ながら走るのはずいぶん気持ちが良かった。家へ戻ると、義姉とわたしは汗をかいた運動着のまま、埴輪相手に写真を撮っている公園に夫を迎えに行き、3人で近くのスーパー銭湯へ繰り出す。
夜はまた食べての飲んで、さらに夕食後、3人で焼酎を飲む。いったいどんな焼酎なのか訳も分からずに買ってきた「閻魔」はわたしとしてはなかなかおいしく、前の晩に飲んだ夫おすすめの「黒霧島」よりも、体に合うのか2杯飲んでもぜんぜん平気だった。
さて、我が家に置いてきた子ども達はどうなったのか。、いくら22歳と20歳とはいえ、子ども達がそれぞれどのような正月を迎えるのか、気にかかっていたが、上の子は大晦日から新年にかけて先輩のパーティーに呼ばれたというし、下の子は大学の寮に残ったまま、なんと男の子3人とおせち料理まで作って新年を祝ったと聞き、まずはほっとしたことだった。
と、いかにも日記という日記で今年の始まりの日記としよう。
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