たりたの日記
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2004年10月31日(日) 「つくしんぼ保育室」のバーベキュー

今日は近くの「つくしんぼ保育室」の年に一度のお祭りともいえるバーベーキューパーティーだった。
園児、父兄、卒園時やその家族に加え、今年はわたしがそこで教えている、英語クラスの子供達や保護者もお招きにあずかった。

今年のテーマは「平和」。
ヴァイオリンニストのIさんが「シンドラーのリスト」と「むぎ畑」を演奏し、わたしはIさんのヴァイオリンをバックに、松谷みよ子作の「まちんと」という広島原爆を題材にした絵本を朗読する。
英語クラスの子供達に登場してもらい。「平和」という言葉を18カ国の言葉で歌う「みんなでへいわを」を歌い、さらにスマップの「世界にひとつだけの花」をいっしょに歌う。
最後は保育室の保母5人で沖縄の踊り「エイサー」、これは衣装も太鼓の響きもばっちり、祭りらしく盛り上がった。
後はとにかく食べる、飲む、しゃべると、小さな庭は50人ほどの人でなかなか賑やかなパーティーになった。
今日はハロウィンの当日なので、バーベキューの最中、ひとり蝶蝶に変装して、かぼちゃの形のキャンディー入れを抱え、子ども達にキャンディーを振舞う。


「つくしんぼ保育室」は、3年前にNPO(特定非営利活動法人) となり、わたしはその理事の一人を頼まれた。手作りの自然保育、その保育内容や園長の人柄が好きで、NPOがどういうものかよく分かりもせずその中に入ったといういきさつがある。

学生の頃、ひと夏かけて、保母の資格を取った。苦労して取った資格は結局一度も使うことがなかったが、保育所や幼児教育に関しては関心もあったし、わたしなりのこだわりもあった。我が家の子供達がすっかり大きくなり、教育の場所とあまりかかわりがなくなっている今、身近なところにある保育所とこんな関係を結ぶことができるのは幸いなことだ。


しかし無認可の家庭保育室の経営は厳しい。保護者の負担も大きい。保育室としては、なんとか認可を取りたいと、昨年より、町と交渉を続けている状況だ。先日も、理事たちが新しい町長に会って話しをしてきたところだ。保育室が町の町の認可を受け、利用者にとっても利用しやすい保育室になればどんなに良いだろうと思うが事はなかなかスムーズには運ばない。
ここのユニークで、子供の側に立った自然保育の場所は、町にとっても財産だと思うのだが、その事がどうしたら分かってもらえるだろう。



2004年10月30日(土) 女海賊になったり、キャンディーを配ったり

わたしは無事女海賊に化け、こども達もさまざまな者に化け、アメリカ人のKは羽根を生やした天使で、もう一人のスタッフは頭からつま先まで真っ青の青い人になっていた。

ダンスに歌にゲーム、コステュームコンテスト。

`ドアをノックしてはTrick-or-treat!`と子ども達は叫び、手作りのハロウインバッグを差し出す。

ドアの内側で待っている大人たちが出てきて‘Happy Halloween!`、
そのバッグにキャンディーを入れる。

子ども達といっしょに来たパパやママもけっこうおもしろがって、キャンディーを配ったり、こども達を引き連れてトリックオアトリートをしているように見えた。

毎年やっていると、もう外国の真似っていう感じはしない。もうりっぱな年中行事だ。これといって深い意味もないこのお祭りは、ある意味純粋な遊びだと言える。

わたしもハイテンションで、良く遊んだ。
ふうっ、お疲れ。
ハイなままでジムへゆき、ラテンを踊る。踊りまくる。

このリズムだって踊りだって、我々の国のものではない。
でも、もうすっかり我が物としてみな打ち興じている。
自分達の伝統の中にはないものがそこにあるからなおさら、
それを欲するのかもしれない。


2004年10月29日(金) 金曜日のいろいろ

仕事がない金曜日にしたこと。

明日の英語学校のハロウインパーティーのためのコスチュームの用意。
今年は海賊になる。
海賊船の船長の帽子、紙製、100円ショップで見つけたもの。
革のベスト、去年のバザーで300円で買ったもの。
バンダナ、これも100円。
後で手持ちのひざまでのズボン。
問題はの片方だけの黒い目に当てるもの。これは作らなくては。

黒いフェルトが見つからないので、100円ショップで売っていた眼鏡に取り付けて使う真っ黒のサングラスと黒いゴムを使って作ることにした。
わたしのアイデアでは、片方のサングラスをはずし、その両端に穴を空け、ゴムを通すというもの。
なにしろ100円のサングラス。2つを半分にするなんて分けも無い。
穴は焼いた金櫛で難なく開けられた。

鏡を前に片方だけ目隠しをつけ、海賊の帽子をかぶる。
ふむむ、ちょっと怖そうな女海賊。
鼻の下に髭を付けるのはやめて、かっこいい(?)女海賊になろう。


こういうコミカルなことをした後、
午後から吉行淳之介の「砂の上の植物群」を読む。
明後日の正津勉ゼミの読書会のテキストが吉行淳之介の「夢の車輪」で、こちらはもう何度も読んだので、他の代表的な作品を読んでおこうと、図書館や古本屋から何冊も仕入れてきているのだ。
美しくも艶かしく深いエロティシズムに照らし出されたその本の世界に浸っているのは、先ほど女海賊の格好をしていたわたしなのだ。この落差!

夕方、新しいオーブンで(これは石釜オーブンという名前がついている)、このオーブンの得意とするハンバーグを焼く。
付属品の深めの角皿にハンバーグと、じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、ピーマンなどの野菜をぎっしりと並べ、そのままオーブンへ。
なるほど、フライパンで焼くよりもうんとうまく焼けた。かしこいオーブンだこと。心強い味方を得たよう。

夜、同居人mG(最近は詩人のmGともいう)と、エアロビクスのイベントへ繰り出す。90分踊りっぱなしというもの。圧倒的に20代、30代が多いなか、鈍い動きはしたくないと気合が入る。リズム感には自信があるし。
あぁ、よく動き、よく汗をかいた。
帰りにミニストップへ寄ってソフトクリームをなめなめ家へ。

そしてまた、吉行淳之介に浸る。


こんな一日。



2004年10月28日(木) ハロウィン到来!

今週の英語クラスはハロウィン一色でした。
ハロウィンの色はブラックとオレンジの二色ですが…

今年も掘り出し物の、DRY BONES(骨の歌)に登場してもらいました。
わたしもこの歌が好きですが、去年この歌を歌って覚えていた子ども達は、またこの歌を出合えたことを喜んでいました。

子供って、骸骨とか魔女とかお化け屋敷とか、そういうものが好きですよね。
大人ぐるみ、地域ぐるみで遊び、かつ歌舞いていたアメリカのハロウィンがなつかしく思い起されます。


りとろぐ「空の鳥と野の花と」に「骨の歌」のことを書いています。


2004年10月27日(水) 再び 「エマオの途上」

小学校2年生の時、友だちに誘われて、教会学校に通うようになり、他の習い事は止めてもこれは不思議なように続きました。 そこで聞く聖書の話しや紙芝居はおもしろかったのです。

今でも、その時に聞いた話しが頭に描いた絵と共に思いだされます。よくよく心を探ってみれば、聖書の広々とした世界が、心象風景となってわたしの内に存在しているのが分かります。
その風景が他のそれと少し違うのは、その風景の色やディティールが、年月と共に、あるいは様々なものからインスパイアーされて、少しづつ変化してゆくことでしょうか。近頃もそんなことがありました。

最近、画家でかつゴザンス(りとろぐ)ライターの榎並和春さんのサイトで一つの絵を見て、その絵がわたしの心に描いていたエマオの途上の場面と強く響くのを感じました。というより、どこかで忘れてしまっていたその風景の気分が蘇ってきて、わたしが心に描いていた以上にその世界に近いと感じました。その絵を描かれた方が、エマオの途上を意識されて描いたとは思いませんが、そこからやってくるものによってわたし自身の心の目が開いたのでしょう。不思議な気持ちがしました。

そういえば、以前、この「エマオの途上」の話を文章に書いたことがあったと思い出し、今記事を取り出してみました。それを読んでいるうちに今度は今朝読んだ、やはりゴザンス(りとろぐ)ライター西原正さんの日記のことが思い出されました。

西原さんの昨日の日記には大江健三郎氏が著書 「『新しい人』の方へ」を読んで共感されたことが書かれていて、わたしはその本のことは知らないまでも、西原さんの日記にとても共感を覚えたのです。大江健三郎氏が子ども達、また若い人たちに対して、<「新しい人」になってもらいたい、「新しい人」になることをめざしてもらいたい。子供の時そうしてみるのとそんなことはしないというのでは、私たちの生き方はまるっきり違います。>と語っている部分が引用されていました。

この大江氏の言葉を読んだ時、「ああ、そうだった、わたしもそのことを思い、そのことを願ってきたのだった」と、はっと我に帰るような気持ちになりました。もう長いこと教会学校で子供たちにかかわってきたけれども、ここのところそれが義務的になっていたな。毎週、日曜日の朝出かけていくのはきついと思っていたな。「魂のこと」をする場所なのに、「新しい人」としてではなく「古い人」にすり替ってしまっていたなと気づかされたのです。

日々、こころを燃やすこと、「新しい人」の方へ向かうことを、こうして仲間の絵や文章で知らされ、軌道修正できることを在り難く思います。
心を新たに子供達に向かうのでなければと、かつて書いた「エマオの途上」の話をもう一度、自分の内に呼び起こしました。


   <教会学校の礼拝で子ども達に話した「エマオの途上」のおはなし>

目でははっきり見ているのに見えないということがあります。
体の目は見ることができても、こころの目が塞がっていると目に映っていることがほんとうには分からないのです。
ところが体の目は見えなくても、そこでおこったことが生き生きと見えることがあります。それは心の目が見えているからです。
これからお話する二人の男の人は、ちゃんと目は見えていたのです。それなのに心の目が開いていなかったから見えていなかったのです。
さてどんなお話なのでしょう。

イエス様が十字架に架かって死んで3日たった日のことです。
二人の男の人が、エルサレムからエマオという所に向かって歩いていました。二人は暗い顔をしてなにやら深刻そうに話をしながら歩いていました。しばらくすると、別のひとりの男の人が二人の男の人達と並んで歩き始めました。その男の人は二人の男の人に尋ねました。
「何をそんなに深刻そうに話しているのですか。」
「あなたは、エルサレムに泊まっていたのに、近頃エルサレムで起こったことを知らない というのですか。みんながそのことで大騒ぎしているのですよ。」
「知りません、教えてください。」
「イエスという人のことです。その人は行いにも言葉にも力のある預言者、神様のお使いでした。ところが祭司長や議院たちはその人を十字架に架けて死刑にしてしまったのです。わたしたちはみなその方こそ、私たちを救うものだと期待していたのです。それから3日経ったのですが、今朝女たちがイエスの墓に行ってみると、墓はもぬけの殻、そこに天使が現れて、『イエスは生きておられる』と言ったというのです。」

その男は二人の男にこれまでその預言者がしてきたこと、聖書に書いてあることを詳しく話しはじめました。
さて2人はエマオに着きましたがその男の人はまだ先に行こうとするので、もう遅いので、家にお泊まりくださいと二人の男はさそいました。
その夜、いっしょに夕食をしようとした時、お客となった男の人が、食卓のパンを取ってお祈りをし、そのパンを裂きました。その時、二人の男の人たちは、そのお客がイエスさまだということが突然分かったのです。心の目が開いたのですね。けれども、その瞬間イエスさまの姿は消えました。

二人の男の人たちはいっしょにエマオまでの道を歩きながらイエス様と話したことを思い出しました。
「あの時、あの方が誰だかは分からなかったけれど、あの方が聖書のことを話すのを聞いて心が燃えたではないか。イエスさまといっしょに歩き、イエス様の話しを聞いていたのだよ。」と感激しながら話し合いました。

さて、二人の男の人たちは「心が燃えた」と言っています。
「心が燃える」というのはどういうことなのでしょうか。
みなさんは「心が燃える」という気持ちになったことがありますか。
わたしは心が燃えるというのは、心が、まきをたくさん入れられた暖炉のように、また燃料をたくさん補給された機械のように、元気に燃えはじめ、元気に働き始めるようになることではないかと思います。またうれしい気持ちでいっぱいになったり、心が熱くなることだと思います。
私たちの体は食べ物や飲み物を取らないと、元気がなくなって、最後は死んでしまうっていうことは知っていますね。でも心はどうなんだろう。心だって同じようにエネルギーをもらわなければ、元気がなくなって、心の病気にだってなるんじゃないかしら。
みなさんが毎週教会学校にやってくるのは、イエスさまのお話を聞き、お祈りをし、讃美歌を歌うことで、心にエネルギーを補給するためなのです。お母さんが作ってくれる体のためのご飯をみなさんがいただくように、ここへ魂の御飯を食べるために来るのです。
日曜日の朝ごとにここへ来て、魂の御飯をいただいて、心を燃やしていましょう。



(たりたの日記を初めから読んで下さっている方はお気づきでしょうが、この日記は3年前に書いた「エマオの途上」のリライトです。りとろぐに載せるつもりで朝書いたのですが、日記に記しておきたくなりました)


2004年10月26日(火) メルマガ配信します!

なんて書くと、いかにもメールマガジンを発行するようになったみたいですが、これまでゴザンスで書いたものが、希望する方のところへメールとして届けられるだけなのですが、「りとろぐ」はテキストとHTMLがどちらか選べて、
HTML だと、コメントもすぐに書き込めるようになっていて、いかにもメルマガっぽいのです。

わたしも、メルマガを意識して記事を書くようにしようと思います。
メルマガ配信の登録は、りとろぐ「空の鳥と野の花と」のトップからできるようになりました。
どうぞ、登録してくださいませ。


2004年10月25日(月) 心太日記、ひとめぐり

去年の11月25日から心太日記を、毎月25日に書いてきました。
子どもの時のわたしをテーマに12回で書こうと決め、書いたものです。

りとろぐにも書きましたが、そのせいか、この1年間は、そこの部分から眺めれば、ずいぶん長かったような気になります。
まだ1年しか経っていないの!という感じ。

その一方で、またハロゥインやクリスマスの準備のことを思うと、え、あれからもう1年!という気持ちになります。
年賀状なんて考えると、昨日のことのように思えてしまいます。
(暮れ近くの、もう1年経つの!という気分はあまりいい気持ちではないです)

心の中を進む時間はいくつもの進み方をするのでしょうね。

ということで、シリーズ最後の心太日記をお読みください。



2004年10月23日(土) さよならオーブン

こういう事は人に公開することでも何でもないけれど、わたしとしては書き残しておきたいこと。

10年間使ってきた、オーブンレンジがある日突然死んでしまった。
5日ほど前のこと。
二つお皿におかずがあって、一つ目の皿を無事に暖めおわると、そのままスイッチが切れてしまった。
冷たいままのおかずはどうにもならず、わたしは冷たいままで食べた。
ああ、当たり前のように使ってきたものの、昔は冷たい皿を暖めることなどできはしなかったのだ。
しかし、なんと淋しいものだろう、冷たい皿のおかず。

このオーブンレンジ、目を閉じたまま、うんとも、すんとも動かない。
これまで一度たりとも病気になったことのなかったこの頑丈なオーブンは当然、医者へ連れていった事もなかった。
何度も調子が悪くなる他の電気製品は修理に来てもらったり、部品を変えたりしたものの、このオーブンが使えなくなるなんて考えてもいなかった。
まるで、不意打ちの突然死だ。


東芝のサービスセンターに電話する。


「それはヒューズが飛んだことが考えられますね。10年ですかぁ〜。まだ、辛うじて部品がありますから修理は可能ですよ。しかし、ヒューズが飛んだということは、どこかに悪い部分があって、そこが大変なことにならないように、いわば、危険を守る意味でヒューズを切ったわけですからね。どこか老化している部分があるということですよ。調べてみないと。ま、修理は最低一万円はかかります」


ネットで新型のオーブンレンジを調べる。


今使っているものより、外側はより小さく、庫内はより広く、電気の消費量は半分で、しかもいろいろと便利な機能が付いているものが28000円で買える。10年前に支払った金額の半分以下ではないか!確か当時、7万円以上払って買ったというのに。

どう考えても修理するより、新品を買うのが良さそうだ。それにないと日々困るもの。よし買おう!後は古いオーブンを引き取ってもらえ、さらにネットで買うくらいは安いものがあればいい。

電気屋へ行く。

ジムの近くの電気屋に、ネットでねらいをつけていたオーブンレンジが29000円で売っていた。古いオーブンは1000円で引き取ってくれるという。
これで決まり!

今日、我が家に新しいオーブンレンジが入った。
新しいオーブンを車にのせて帰る道すがら、ゆっくり別れを言ういとまのないまま、電気屋に置いてきた古いオーブンの事が思われて、悲しくなった。

せめて、ここに感謝とお別れを。

ありがとうオーブン。
さよならオーブン。


2004年10月22日(金) 「空の鳥と野の花と」の名前の由来

振り返ってみれば、今月の10日よりこっち、家に一日いるという日が一日たりともなかったです。仕事がない日も、いろいろな行事やその準備などがあり、一日か半日は外に出ていました。ま、ジム行きなども入れてですけれどね。

1週間のうち、せめて一日でも家に居る日がないと、いろいろと困ったことになります。だんだん寒くなるのに、衣類の入れ替えができていなかったり、台風の後で庭がひどい状態になっているのに、手入れができないままほったらかされていたり、そうすると気持ちもなんだかわさわさと落ち着かないものです。

今日はひとつ約束があったのですが、我侭を言ってキャンセルし、一日家にいることにしました。たまりにたまったもろもろのことを片付けていきました。
別にのんびりしているわけではないのですが、こういう家のことをするとなにかのんびりとします。庭の植物の刈り込みをしたり雑草を抜いたりしながら、もっと花たちと過ごす時間を取らなくてはと思ったのです。
花に限らず、自然の中に身を置く時間をもっと作る必要があると。
空の鳥のように、野の花のように生きたいと思っていることを忘れてしまいます。

以下は今日「りとろぐ」に掲載した文です。
ところで、ゴザンスの記事もそうでしたが、このりとろぐ「空の鳥と野の花と」をそのままメールマガジンとして配信することができます。わたしが新しく記事を書きそれを送信すると同時に読者の方にその記事がメールで届けられるというものです。

メルマガをご希望の方は、メールにてお知らせ下さい。まだメルマガ登録申し込みのフォームができていないので、お知らせくだされば、わたしの方でリストに加えます。


<りとろぐに書いた記事>

   「空の鳥と野の花と」の名前の由来

さて、新しく「りとろぐ」のプロジェクトをスタートするにあたって、プロジェクトの名前と、スレッドの名前をどうするか迷いました。

プロジェクトの名前は出版社の名前、スレッドの名前は雑誌の名前と考えれば良いということでしたので、スレッドの名前はゴザンスの時から使っていた「空の鳥と野の花と」にしました。ところがプロジェクトの名前が思い浮かびません。とりあえず、同じ名前でスタートすることにしました。後で変更はできるということですしね。

ところで、この「空の鳥と野の花と」というタイトルの由来をどこにも書いていなかった事に気が付きました。聖書に馴染みのある方なら、あぁ、あそこから取ったんだなとすぐに見当がつくことでしょうが、そうでなければ、何となくメルヘンチックな少女趣味の響きがするのかもしれません。それはそれで構わないのですが、良い機会なので、ごあいさつがわりにこの名前の由来について書いておこうと思います。

出典は新約聖書、マタイによる福音書6章の25節から24節の記事です。
少し長くなりますが、この箇所をまず書き出してみます。


「だから言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物より大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値のあるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の花でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。_ だから、「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
( 新共同訳聖書)


これはイエスが山の上から人々に語り聞かせた、山上の説教といわれる説教の中にあるもので、わたしにとっては子どもの時からの馴染みのある聖書の言葉です。
幼い心にこの言葉がとりわけ響いたのは、わたしが何につけ、くよくよ、あれこれと悩む子どもだったからなのでしょう。ほんとに子どものくせに悩んでばかりいたのです。ですから、このイエスの言葉を聞いた時、そこにしがみつきたい気持ちになったのだと思います。

その言葉のせいかどうかは分かりませんが、今のわたしは物事をそれほど深刻に悩むこともなく、かなり脳天気に日々を過ごしていますが、それでも日常の暮らしの中で、さまざまな思い煩いはついてまわります。今日の晩ご飯は何にしようかと悩みますし、明日は何を着ようかと考えないわけにはゆきません。けれども、せめて文章綴る時には、そういう日常から自由になって、自分の心の底へ降りていき、そこにある水を汲み上げるようにして書いていきたいと思うのです。

宮沢賢治が「注文の多い料理店」の序文で書いている、「すきとおったほんとうのたべもの」を自分の内に、また外に求めながら、空の鳥と野の花と心を通わせ、今日生かされていることを味わいつつ書いていきたい。そういう願いを込めた名前です。
どうぞよろしく!


*設定を忘れていたので、今日からメルマガが配信されるはずなのですが、うまく届きますでしょうか。


2004年10月21日(木) りとろぐ「空の鳥と野の花と」へどうぞ

昨夜の日記を書いた後、それをそのまま、引越し先のりとろぐ「空の鳥と野の花と」
へ持って行きました。

何もない部屋は淋しいから何か置きたいけれど、そこに居る気にならなかったので、ここで書いた日記をそのまま持っていったのでした。新規記事を投稿すると、ようやく、それが機能していることが確認できました。なんだ、これでいいんだ。できた、できた!

朝、ちゃんと消えずにそこにあるかどうか調べにゆくと、心太仲間のたもつさんがコメントのところに書き込みをしてくれていました。すると、やはり心太ライブでお会いしたいとうさんもいらしてくださり、たもつさんのりとろぐへ行ってみれば、またまたライブでお目にかかったうみねこさんもいて、これまでのゴザンスと比べれば、それぞれのドアがオープンになっていて出入りが気楽にできるという感じです。今までだと感想掲示板に書くことしかできなかったのが、直接その原稿へコメントが書けるのですから。

ブログのこういうしくみは知らない訳ではなかったけれど、実際に使ってみると、日記と掲示板が直結しているような感覚でとてもいいです。傍から見ていると、ずいぶんめんどくさそうに見えたのですけれどね。

さて、実はブログの登録をして、準備をしているところだったのですが、りとろぐでどれほどのことができるのか、またやりたいことでできないことがあるのか、それをしばらく調べてみようと思います。

ホームページとレンタル日記とりとろぐと自分のブログ、それをどう使い分けるか、それともいくつかにまとめるか、しばらく考えて見ます。

どうぞりとろぐ「空の鳥と野の花と」
へおこしくださいませ。


2004年10月20日(水) 台風の中、リトログへの移行にあくせくする

夜の12時、この時間に台風が上陸すると聞いていたが、雨戸を閉めたその窓の向こうは物音ひとつしない。どうやら雨も風も息を潜めてあたりをうかがっているようだ。台風の目の中にあるのだろうか。この静けさ、きっとそうなのだろう。

わたしといえば、台風情報も仕入れることなく、先ほどからゴザンスからリトログというところへ移行すべく悪戦苦闘をしていた。文字通りの悪戦苦闘。どうやら登録や、今までの作品の移行はすませたものの、まだ新規記事を登録していないから、果たしてわたしのブログなるものが立ち上がっているのかどうか確かめようがない。いえ、確かめられるのかもしれない。やたらと様子が分かっていないのだ。

それなら新規投稿をすべく何か書けばよいものの、どうも何一つ家具のない部屋のドアを開いたような所在無さがあって、そこでは書かずにドアを閉め、何かを書くためにこの馴染みの日記を開いてしまった。
何にでも初めてはあるもの。この日記を始めた時を思い出せばよい。何一つ先は見えていなかった。
壁と床の他何もない部屋もやがて居心地の良いもの書き部屋になるのだろう。


さて、すっかり冷えてしまった体をお風呂で暖め今日はもう寝るとしよう。


2004年10月18日(月) 季節ごとの衣類の整理

今日のプロジェクトは衣類の整理。
けっして気に入った服ばかりではないのに、むしろカタチや色がもう好きではなくなってとても着ないだろうなと思うのに、来年着なかったら捨てようなどと思っているうちにどんどん不用なものが増えていく。
不用なもののお陰でスペースが占領され、必要なものが必要な時に探し出せないというのはどう考えてみてもおバカだ。

ゴミ袋に不用な品がぎっしり詰まったが、それでもまだ着そうにないものが出て来る気配。このプロジェクト、今週いっぱいかかりそうです。


2004年10月17日(日) 格闘する祈り

今日(10月19日)はもう火曜日だが、まだ日曜日の日記を書いていなかった。

この日の日記は、日曜礼拝の説教のタイトル「格闘する祈り」をタイトルにして話を聞きながらメモしたことを記しておこうと思っていた。


説教の冒頭で牧師はこういう問いかけた。
「気を落とさないで生きるということが弟子たちにできたのだろうか」

実際、先ごろ、わたしたちの教会は愛する若い仲間を失っている。熱心な祈りの果てに兄弟の死があり、家族もまた教会の仲間も今まだ痛みの中にある。そういう中で、イエスの言葉はわたしたちに向かってくる。
「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」と。
気を落とさないで祈り続けることができるだろうか。
弟子たちの課題はそのままわたしたちの課題だ。

聖書の今日のテキスト、ルカによる福音書18章1−8の中で、やもめは訴え続ける事を止めない。訴え続ける事をどこまでも続けていく。ここに祈りの本質があると説教者は語る。やもめの生きるためにこうしてほしいんですという、生きるためのぎりぎりの願い。そのやもめ訴えに無慈悲な裁判官は、うるさくてかなわないから、裁判をしてやることにしたのだった。神は無力に見えるひとりのやもめの訴えを使って裁判官を変えた。人を人とも思わない裁判官でさえ、このやもめの訴えを聞くとするなら、神は日夜叫ぶ、人々の訴えを聞かないはずはないと。
「祈りは格闘だ」という言葉がずしりと響いた。


わたしは格闘するような祈りを祈っているだろうか。
そういう日々もあった。けれど今、生きるためのぎりぎりの格闘からほど遠いところにいる。魂は生々しく動いていないことに気が付かされる。



説教者は最後に
「新しい天と新しい地をめざして祈ろうではないか」という勧めをした。
主の祈りの中にある一つの祈り、

「御国を来たらせて下さい」

この地上にあって神の国の平和と愛と正義を追い求めていく強い祈り。
あきらめることなく、信じて祈り続けるということ。


***************************



   ルカによる福音書 ( 18章1−8 )


1 イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。

2 「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。

3 ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。

4 裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。

5 しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」

6 それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。

7 まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。

8 言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」


2004年10月16日(土) 祝結婚

「あれ、今日お父さんは」

たいてい土日は父と母はほぼ行動を共にしている(朝は教会、午後はジムと買い物だが)ことを知っている長男は、今日はいつもと違うことに気が付いてこう訪ねた。

「結婚式よ。今夜は京都泊まり」

「へ、だれの?」

「ネットで知った人よ」

「へえ〜、若いのにそういうのいるけどね。ウチってどうなってるの、親子が逆じゃん」

彼はネットで知り合った友はいないらしい。



そう、mGは、今日はあさみ&じゅんの結婚式に招待され、乾杯の音頭を取るべく、また二人の新しい門出の証人となるべく、朝早く、西へ向かう新幹線に乗った。
わたしもお招きを受けたものの、なんと今日は半年前から予定の入っている、
教会の一大イベントで、とても抜けるわけにはいかなかったのだ。

夕方、焼き鳥屋さんから電話がある。mGとkと話す。
すばらしい結婚式だったようだ。そのことを伝えてくれたのは、同じくネットで知り合ったK。mGに連れがいたのはよかった。どんな初顔合わせだったんだろうか。
わたしは20歳の頃から今に至るまで、mGと飲んだり、遊んだりするのがいちばん楽しいが、他の女にとってはいったいどうなんだろうか、後でKに聞いてみよう。


あさみ&じゅん、祝結婚!

あさみちゃんに会ったのも、このエンピツ日記が縁だったね。
二人の今後、見守ってるからね〜。
末永く、お幸せに。


2004年10月15日(金) 雲一つ無い青空

今日の空は、ほんとうに、雲ひとつない青空だった。
どこまでも途切れることなく青が続いていて
この青はいったいナンダ、という気になった。
道の真ん中で自転車を止め、もう一度ぐるりと頭を動かして
すみずみまで空を見る。
お腹に笑いが広がる。
ひとりで笑った。


2004年10月14日(木) メランコリックだった夕方も

これを書いている金曜日の夜中、気分はしごくまともだけれど、
夕べはひどくメランコリックだった。
わたしはそういう時にはどうも書く気が起こらないようだ。
そこで、ここに書く時にはやや気分が上向きの時だから、わたしの日記というのは毎日が元気ハツラツに見えるのかもしれない。
自分で後で読み返しても、えらく元気いいね、と皮肉でもいいたくなるほど。
だから昨日は、その鬱々気分のままに書いてみようと思った。思いはしたが、やっぱり書く気分が訪れなかった。

しかし、いくら気分がダウンしているといっても、バナナケーキを小麦粉1キロ分焼くという使命があった。夕食はたとえ作らなくても、明後日のイベントのためのケーキだけは焼かなくては…
さて、どうしよう。書くこともそうだが、菓子つくりは気持ちが沈んでいてはできるものではない。ご飯は作れても、お菓子は作れないとはどうしたことだろう。。
菓子作りと言うのは、なにかしら特殊なエネルギーが必要なのかもしれない。

よおし、こうなれば、無理にも気持ちを引き立てようと、ラテンダンスのCDをかける。身体が自然に動く。気持ちが少しづつ上に上ってきて、あるところでふわっと軽くなる。
ラテンのステップを踏み踏み、テーブルの上を粉まみれにしながら、電気ミキサーをグワングワン回す。やがて部屋が甘いバナナケーキの匂いに満ちる。ケーキをオーブンに入れている間に、シーフードアラビータのパスタソースを作り、同居人の帰宅に合わせて、パスタを茹でる。今夜のパスタはエンジェル・ヘア。イタリア版、そうめん。極細のスパゲッティー。

ソースに使うために開けたワインをワイングラスに一杯ひっかけながら台所仕事するうちに気分はすっかりメランコリックを抜けて、ハイになっていた。


2004年10月13日(水) 注文した古本が届く

先週の木曜日の日記にアマゾンのユーズドブックのことを書いたが、今日、日記を書いている24日(木)に最後の一冊が届き、無事注文した5冊が揃った。他の4冊は月曜日に届いた。3連休が間になければ、もっと早く着いたのだろう。どれもきちんと梱包されており、とても良いコンディションで、むしろ新品の本よりいいと思える。いいと思えるのは、本が出版されてから今日まで、生き延びてきたその本の歴史のようなものが感じられるからなのだろう。

せっかくだから晴れてわたしのもとになった古本たちのことを記しておこう。
作者はみな高橋たか子の単行本。


記憶の冥さ(人文書院)1977年発行 1200円→\350(個人)

驚いた花 (人文書院) 1980年発行 1400円→ \700(書店)

遠く、苦痛の谷を歩いている時 
      (講談社 )1983年発行 1200円→\980(個人)

水そして炎(女子パウロ会)1989年発行 1200円→\600(個人)

境に居て  (講談社)  1995年発行 1800円→\1080(書店)

  (それぞれに送料340円が加わり合計5410円)

発行年を追ってゆくと、作者が40代半ばから60台半ばのおよそ20年間に
渡る著書だ。どの本も図書館から借りて一度以上は読んではいるが、改めて、
年代ごとに読んでいこう。
わたしのこれからの20年を思い描きながら読むことになるのだろう。



    


2004年10月12日(火) はいでんしぃーくのブックレビュー

なんと今日はこの日記で四つ目。土曜日から火曜日までの4日分を一度に書いています。
さっぱり日記を書くことを忘れてしまっている数日間があると思えば、今日のように、これと言って書く事も無いのに、どうでもいいような日常を書いておきたくなる日もあるものです。

アマゾンのカスタマーレビューを書いていると数日前の日記に書きましたが、公開されたレビューが5つほどになったので、ここでお知らせすることにしました。
もし参考になれば、投票くださいませ。
はいでんしぃーくのブックレビュー というのがそれです。プロフィールのところにも書いていますが、はいでんしぃーく(hide-and-seek)は隠れん坊のこと。
わたしが「見つけた!」と思う本で、まだ誰もカスタマーレビューを書いていないものを見つけて書いてみています。また「人間を知る、自分を知る本」というテーマで、まとめてみようとたくらんでいます。

そのうちブログを立ち上げて、いろいろなコンテンツごとに分けてアップできるようになればいいなと思って、いろいろと調べている最中です。
乞ご期待!


2004年10月11日(月) 体育の日は運動せずに温泉で読書

体育の日でもあるし、気候も良いので、この日は山歩きをしようと同居人と話していたものの生憎の雨。秩父の山を断念して、春日部の温泉へ行く。
埼玉は山にも温泉にも恵まれない土地だが、我が家から車で30分ほどのところにある春日部湯元温泉は本物の温泉。お湯は褐色でぬるりとしていて、循環などしていない溢れるほど湯量に恵まれる温泉だ。

我々はいつものようにお湯に浸かっては本を読みをくり返す。わたしなどは、我が家の風呂のように本を抱えてお湯に入る。
ちょっとばかし腕立て伏せもする。

カラオケやゲームなんかがちょっとうるさくて、山の鄙びた温泉のような趣は求められないものの、水着着用の温泉クワゾーンや映画が上映されているベッドがずらりと並ぶ広い休憩室は、そこへうまくはまり込めば、なかなか快適。ま、すごいイビキの合唱で、映画の音声が聞き取れないというなさけなさはあるが、そういうものだと思えば、こういう場所で多くの人々とおそろいのパジャマやムームーを着て仲良くごろんとお昼寝するのもたまにはいいんじゃない。


2004年10月10日(日) 礼拝の司式とジムのイベント

台風一過。抜群に良い天気とは言わないまでも、雨が上がりの朝、早起きをして教会へ。
今日はmGが教会学校の話をし、わたしは低学年クラスの分級。
礼拝ではわたしは司式(進行役のようなもの)
礼拝の始まりに前におごそかに進み出て6本のろうそくに火を灯すアコライトの役も兼ねている。どこかヌケているわたしは、よほど緊張していないと、どこかで間違えたり、抜かしたりしてしまうので、この役目はかなりキンチョウする。
今日は間違うことなく、つつがなく役目を果たすことができた。
説教はいつものS牧師に代わり、研修中の神学生によるものだった。
午後、来週土曜日の大きな行事に向けて準備のための婦人会。

その足でジムへ行き、スポーツクラブのイベントに参加。
ボディーパンプ(筋肉トレーニング)とボディーアタック(パンチやキックの動き)を続けて、2時間半。同居人と共に空き腹をかかえて、ジャズに乗って寿司がくるくると回っている回転寿司屋へ。という連休2日目の一日だった。


2004年10月09日(土) 記念すべき初雨漏り

この日、朝起きてみるとテーブルの上に水が落ちている。
いくらがさつな青年Hでもこぼした水を拭きもしないなんてあるだろうか。
しかしテーブルに水がこぼれているのだとすれば、夕べ深夜に帰ってきたHの仕業しか考えられない。

しかし、最近、わたしは何事にも寛容なのだ。以前であれば、眠っているHを叩き起こして始末をさせるか、起さないまでも、かなりのお怒りモードだったはずなのに、感情に波も立てないまま、テーブルを拭き側にあったパソコンに被害がないか確かめる。で、やおらテーブルの下に目をやると、置き場がいよいよなくて壁の隅に積み上げていた本がバラけて床に散らばっている。一瞬、Hの顔が浮かぶ。「何をやったの!」本を手にするとなんと濡れているのだ。好きな佐野洋子の一連の文庫本はどれもぐっしょり水を含んでいる。

はてテーブルの水と壁の隅の本とはどうも結びつかない。
よくよく本の積んでいた壁を見る。上から水がツーと一筋流れている。天井に目をやれば、白い天井のクロス(ビニール製の壁紙)が真ん中のあたり水ぶくれのようにぷっくりと膨らんでいる。さわるとプルプルと水の感触。水枕のそれのような。あぁ、いよいよきたか雨漏り。

おおよその見当はついた。我が家のベランダには屋根がついていない。その上、下のコンクリートにはかすかにだが、ひびが認められる。業者に問い合わせれば、浴室と同様の防水加工をしているので水が家屋に沁みこむことはないと言われそれを信じていた。
しかし、時時、ベランダの排水溝にゴミや落ち葉などが被さると水が流れずにそこに水が貯まることがあった。きっと夕べの大雨でベランダがプール状態になっているのだ。そこから室内に染み出してきた水に違いない。

ほどなく起きてきた同居人もすわ一大事とベランダを点検に2階へ上がる。やはりベランダはプール状態だった。水の圧力で、コンクリートの割れ目から浸透した水が、これも行き場がなく、天井のクロスの間に水路を作って水を溜め込んだのだ。
まずはその天井の水枕状態のクロスに穴を空け水を出さなければ。同居人がバケツを捧げ持ち、わたしが鋏の先をグイとクロスに突き刺す。そこから水がオシッコのようにしょぼしょぼと降ってきた。わたし達は、その何ともなさけない音を聞きながら、ともかくも朝ごはんを食べたのだ。天井から落ちてきた水はバケツに半分くらい貯まり、治まった。

10年振りの記録的に激しい台風がこの日の夜8時ごろこの当たりに上陸ということだったから、同居人は外に備え付けている園芸用のラティスを紐で結わえたり、わたしは植物の鉢などを移動し、これ以上被害が及ばないように台風に備える。
「ラテン、どうする?」
「台風の中行くのはいいけど、雨漏りする家を見捨てるわけにはいかないよね、やっぱし…」
しかし、台風は前宣伝ほどの事はなく、夕方7時過ぎにはもうどこかへ通り過ぎ、我々はよかったよかったとスポーツバッグを抱えて、ジムへラテンを踊りに行ったのだった。

本日の反省と教訓。
ベランダの掃除をこまめにする。
排水溝にゴミが被さらないように茶漉しのような丸まった網を取り付ける。
ひびを放っておかないで、上からセメントを塗ったり、手当てをする。

何か良い方法を知っている方教えて下さい。


2004年10月08日(金) パンツと靴を買った雨の金曜日

昨日は、ネットで書籍を買うことについて書いた。
本屋はまだいい。本屋というのは店の中では唯一気分が悪くならないところかもしれない。(わたしは店、特にデパートに入るとあまりに多くのしかも高額な店品に何か気持ちが悪くなってしまうという傾向があるのだ)それだからお祝いの品にしろ、人へのプレゼントにしろ、親に送るものまで、相手の興味や関心をほとんど無視して本を贈ることが多い。

しかし、本屋にズボンや靴は売ってはいない。
このところジーンズばかり履いているのは、以前に購入した見栄えの良いストレッチパンツがことごとくブカブカになっていて、去年間に合わせに買ったユニクロのそれだけですますのはちょっとこころもとない。
と言って、デパートであっちでもないこっちでもない、これでもない、あれでもないと時間と神経を浪費する気にもならない。どうしようかなあと思っているところへB―Threeなるストレッチパンツ専門店がそごうに店開きしたとのDMが舞い込む。このブランドのパンツを一度買ったことがある。ユニクロより高価だが、形、履き心地、耐久性は抜群。何より選択肢が少ないのがいい。形はストレートかブーツカットのどちらか。後は10色だかある色を選ぶだけ。サイズは選びようもないのだから、ここで買えば早く片付く。雨だがよしでかけよう。

しかし、靴。気に入った靴はこればかり履いていたのでとうとうつま先に穴が空いてしまった。この靴と同じものを再度求めることはできるだろうが、この靴のデザインはわたしのひときわ長い親指を持っては、1年もしないうちにまたつま先に穴が空いてしまうに違いない。この靴を見つけた時だって、相当な時間と忍耐を要したのに、さてどうしよう。


そごうの例のパンツ屋ではすんなりと必要なものが買えた。で、そのパンツ屋の隅に、どういうわけか、靴が置いてあるのである。聞けば、その店のパンツがさらにカッコ良く見え、しかも歩きやすく足に良いというパンツ屋オリジナルの靴なんだそうだ。
え、もしかして、ここで問題が解決できるかもしれない?靴も3種類しかない。ブーツとスニーカーとパンプス。その中でわたしの必要としている形のものはひとつだけ、色も黒一色のみ。選びようがない。そこがいい。
履いてみる。すばらしく良い履き心地。先が長く角張っているからわたしの長い親指をしても先にさらに余裕がある。形も美しいし、これだったら長持しそうだ。決め!

というわけで、懸案のパンツと靴が手に入り、このシーズン、なんとか乗り切れそう。


2004年10月07日(木) アマゾンのユーズドブック

本を読む、するとさらに本が必要となる。いちいち買っていてはお金も本を置くスペースも困ってしまうからできるだけ図書館を利用するようにはこころがけてきた。しかし蔵書数の多い図書館は電車20分プラス徒歩20分という場所にあり、日曜日の午後以外はなかなか行けない。当然本屋へ行くのも時間がかかるし、新刊以外はお取り寄せとなり、すんなり手に入ったためしはない。

そこでネット書店アマゾンの世話になる。自分の本は楽天で売ってもらっているのに、やっぱりアマゾンが買いやすい。すでにカードの番号も登録してあるからクリックひとつで早ければ数日のうちに本が手元に届くのだもの。
さらに便利なのはユーズドブック。いわゆる古本。

アマゾンの太っ腹、売り物の新しい本の下にユーズドブック○○円からと新品の本より安い価格の本が紹介されている。
ユーズドブックのいいところは、お金をセーブできることもあるが、それ以上に、新品の本よりも早く手に入るのだ。新刊の本は別として在庫のない本、マイナーな本など、4週間から6週間の内に配達なんていうのがざらだ。今読みたいのだから4週間など待ちたくはない。そうするとユーズドブックでいくらか安い本が控えていたりする。送料340円が別途かかるから、物によっては新品の本を買うのとそれほど違わなかったりするが、今日注文すれば、明日か明後日には手元に届くという利点ははるかに大きい。

次回のゼミの課題図書になっている吉行淳之介「夢の車輪」は新しい本だと品切れとなっていたが、幸いなことにユーズドブックがあった。定価980円の文庫本ユースド価格が600円だから送料を入れて940円。中古でOK。線を引いたり書き込みをするのであれば古い方がやりやすいというもの。出品者から翌日届いた本は開いた形跡もないような真新しい本だった。

もうひとつはもう手に入らない本が思いがけなく買えたりする。
高橋たか子の本は新しく出版されたものを除いて、絶版になっているものが多い。特に霊的著作といわれる一連のエッセイ集などは図書館で借りるしか手がない。神田の古本屋街に行く度に手に入るものを買い求めてきたが、そういうコレクターの本もアマゾンを通じて入手できることが分かり、今日は5冊まとめて注文した。明日、明後日と日本のあちらこちらの古本屋や個人の方から本が送られてくることになる。支払いはまとめてアマゾンからカードで落とされるというしくみ。

アマゾンはアメリカのネット書店だが、そういえばアメリカにいる時、ずいぶんユーズドブックの世話になった。大学の教科書は30ドル、50ドルとばか高い。けれど大学構内の書店には新しい教科書の隣に価格が半分やそこらの古本が積み上げられている。お金に余裕のない学生はそういう本を求め、セメスターが終わるとまたその本を半額くらいで売るという具合だった。そもそも小学生(中学、高校もそうかもしれない)には個人持ちの教科書などなく、教科書はすべて備品。教室に人数分備えられていて、毎年その学年も子ども達が使用するのだ。図書館もよく利用されていた。プレゼントにする本は別にして本は新しくなくてもいいという考えが主流のように感じた。
日本でもアマゾンに限らず、ブックオフをはじめ新しいスタイルの古本屋が日常化してきたが、読者には便利なこのシステム、出版業界にとってはどういう影響があるのだろう。

そのお返しというのも変だが、アマゾンにカスタマーブックレビューを書き始めた。いわゆる個人としての本のおすすめ。これがなかなか楽しくてハマリそう。人が思わず手に取って読みたくなるような、またきちんとしたブックレビューを書きたいものです。



2004年10月06日(水) comfort というメールが届く

よしやの葬儀から1週間が過ぎた。
葬儀の日にいただいたユリの花の蕾が一つつづ咲いては、部屋の中に良い香りを満たしていき、ちょうど今日すべての蕾が咲ききった。

この1週間、よしやがいなくなっても、いつものように子ども達を教え、本を読み、ジムへも行った。よしやがいなくて淋しいというよりは、身近にいたよしやが天へ帰ったことで、その場所がさらに親しい場所になった気がして、今日などは空いっぱいに広がるうろこ雲を見ながら、その空いっぱいによしやの魂が広がっているようなすがすがしい気持ちになったのだ。

しかしこれはよしやとの関係が日曜日、教会で顔を会わせ、二言、三言、言葉を交わすくらいのものだからであって、いっしょに暮らしていたワイフのタミの痛みはどれほどのものだろう。夫や子ども、親兄弟の死にすら遭遇していないわたしには、その事の痛みが想像できない。自分の死はあっさり引き受けられそうな気がするが、家族の死はそうはいかないのではないか。
タミが今一人で過ごしているのではないことがせめてもの救い。アメリカから訪ねて来ていたタミのお父さんと入れ替わりに妹がやってきた。一月ほど滞在し、その後はお姉さんが来ることになっている。

今朝、パソコンのメールボックスを開けると、comfort というタイトルのメールが届いていた。タミはよしやの病気が分かってから、アメリカの友人や家続、また日本にいるアメリカ人の友人に向けて、病気の経過を伝え、祈りを求めるメールを続けて出してきたが、そのメールをわたしにも送ってくれているのだ。

comfort 、日本語に訳すと慰めとういうことなのだろうが、もっと強い意味がある。com はすっかりという意味があり、fortは力強いという意味。だからcomfort という言葉は、すっかり力強い状態にするという意味を持っているのだ。

タミは神がさまざまな方法で、自分にcomfort を与えていることを感じ、自分がどんなに神から愛されているのかを実感していると書いている。
つらくて眠れない時や体が緊張してこわばっている時、頭から足先にかけて細かい波のようなものが繰り返し流れ、その度に緊張から解放されたと言う。また、絶え間なくやってくる波は彼女のために祈ってくれている多くの人からの祈りに違いないと。身体の中を祈りが通りぬけるという不思議な体験、しかし分かる。よく分かる。人の思いはエネルギーとなって必ずや相手に届くとわたしは信じている。



よしやが書いていたWeb日記、泣いて 笑って 空をみて もう書く人もいないのに訪ねてみると、なんとタミが、続けて書いていた。タミはアメリカ人。5年ほど前には日本語を話したり書いたりなどしたこともなかったのだ。そのタミが、日本語でWeb日記を書いているのだから凄い。どの言葉もすみずみまでタミらしくて胸に響く。悲しみや痛みの中で、前に進んで行こうとしているタミがそこにいる。よしやは日記でみんなに勇気をくれたが、その役目をタミはよしやに代って担うつもりなのだろう。


Many things/thoughts still make my heart ache, but there is treasure hidden in the pain... the memory of loving and being loved.

(たくさんの事がらや想いは、今だにわたしの心に痛みをもたらします。
けれど、その痛みの中には隠された宝があるのです…愛したことの思い出と愛されたことの思い出という)

タミのメールの最後にあったこの言葉に胸がふるえる。悲しみのためではなく、愛というものが持つ力に目覚めさせられて。






2004年10月04日(月) 「笑いかわせみ」を読んだ雨の月曜日

昨日に引き続き、朝から雨。
午後2時から夕方にかけて英語教室の仕事。家事といったって、洗濯を干すわけにもいかないから、雑用はさっさと片付け、昨夜から読み始めた本に没頭。

「笑いかわせみ」正津勉著。本の帯には無頼派詩人初の小説、日本のブコウスキー誕生とある。
ブックレビューなどで、この本のおおよそのストーリーは知っていたが、
この「笑いかわせみ」というタイトルがどうにも気になっていた。あのけたたましく笑うという鳥と、無頼派詩人のラブストーリーがどう結びつくのだろうかと。

「笑いかわせみ」は英語でLaughing Kookaburra。
中年の詩人がオーストラリアでめぐり合った愛くるしい女性、スティ。愛し合った夜に聞こえていた笑いかわせみの鳴き声。スティが眠り声で歌って聞かせたKookaburraの歌。
彼女へ向かうオーバーヒート気味の自分を恐ろしいと感じる詩人は、彼女に何とか一目惚れなんかじゃないと伝えたい。するとスティがニホン語で「永遠惚レ、ジャダメ?」と。

数多くあるラブストーリーのシーンの中でも、この場面はすばらしくいい。欧米の女の子の、カラッと明るくまっすぐな力強さはもともと好きなものだが、その前で、永遠惚れに恐れおののきつつ、そこにしがみつきたい気分でいる中年の男は哀れにもカワイイ。そこには今日なかなか見つけられないオトコの純愛が見えるようで、なんとも晴れ晴れと愉快な気持ちにさせられた。そこで笑いかわせみ。この鳥の声をわたしは知らないが、この歌ならよく知っている。
ここで本から目を話し、この歌を歌ってみる。

♪Kookaburra sits in the old gum tree
Merry, merry king of the bush is he
Laugh kookaburra, laugh
Kookaburra gay your life must be

自然に歌が口からのぼってくるものの、いったいいつどこで覚え、なぜまだ覚えているのだろう。そもそもKookaburra が何なのかも知らずに、いつの時か、頭がこの歌をインプットしてしまっていたらしい。

このストーリーに、何ともこの歌が、スティが眠り声で歌う、この童謡が似つかわしいと思った。この歌のシンプルなフレーズと、輪唱で歌われる歌に特徴的な永遠にフレーズが続いていくような感じ、またlaugh、laugh、(笑え、笑え)とくり返すその言葉からやってくる突き放した感じが。
作者の独特な語り口調との微妙な調和。なるほどねえ、タイトルの「笑いかわせみ」。


久し振りに出会ったすがすがしいラブストーリー。
出会いの喜びがやがて、痛い別れで終わったとしても、物語は過ぎ去ってゆかず気持ちの中でとどまるような感覚がある。
なんというのだろう。著者と、どうやらご著者本人らしい主人公や恋人の間には微妙な隙間があって、その故か、これほど濃密なラブストーリーだというのに、どこかさらりとしているのだ。そして読者であるわたしはどうやらその隙間のところにすっぽり入っている感じ。物語の人物たちの鼓動や心のひだのようなものに手で触れているような不思議な近さを感じている。

それにしても、読書とはなんと贅沢なことだろう。
人の大切な出会いやその生が輝く瞬間、歓びの絶頂と底へと沈む哀しみや痛み、そういう「魂のいちばんおいしいところ」(この言葉は谷川俊太郎さんの詩のタイトルだが)を味あわせていただけるのだから。
この肌寒い秋の雨の月曜日の気が滅入りそうな日、わたしはふつふつと心愉しい時を過ごした。感謝!


2004年10月03日(日) 雨の日曜日、読書会へ行く

9月からこっち、朗読会に始まり、文学ゼミ、読書会と、文学のお勉強づいている。
そういえば、読んだり書いたりはおおよそ習慣のようにやってきたことではあるけれど、わたしの専攻は文学ではなかったから、まず文学というものを学ぶという場面にあまり遭遇してこなかった。

で、ここへ来て、わたしがひたすらそれを求めたというのでもなく、なんとなく道筋ができてきているのだ。こういう具合に、必要なものはどこか彼方からやってくる。とすれば、これが今のわたしに必要な事であるらしい。きちんと受け止めていこうと思う。

今日は講演会ドットコムというところが主催する、「第5回著者による読書会」に出かける。
あいにくの雨、初めての土地はさらに心細い。目白駅から徒歩5分という目的地の千登世橋教育センターなるものが見当たらずしばし途方に暮れる。もうすでに開始時間を回っているというのに…
幸い前方に交番を見つけ、何とか辿り着く。

講師は前回初めてゼミへも参加させていただいた正津勉氏で、テキストは朗読会で求めた「詩人の愛」。この本で新しく知った詩人や、また詩の向こう側にある真実をたいそう興味深く読んでいたので、読書会で取上げられる詩、また詩人達の話はすこぶるおもしろかった。

とりわけ、深尾須磨子の「呪詛」。
フェミニスト・レズビアン詩人、深尾須磨子の詩を、その本「詩人の愛」で初めて読んだ。そしてこの詩人におおいに興味を持ったのだ。アメリカのフェミニスト・レズビアンの詩や著作にはこれまでも接してきたが、日本の女性の、それも明治時代を生きたレズビアンの作品に接したのは初めてのことだった。今でさえ、その立場を明確にしてそこから作品を書く人は日本ではまだまだ少ないだろうが、明治という時代の中ではどれほど大変な業だったことだろう。

この日記にも何度か書いているメイ・サートンはレズビアンの詩人。後手元にあるのは古いギリシャの詩人サッフォーの詩集。思いつくレズビアン詩人はこの二人しか知らない。他のレズビアン詩人を知りたいという質問をすると、そこに吉原幸子の名前が出てきてはっとする。吉原幸子はわたしの一番好きな女流詩人。若い頃から、彼女の詩からはいろいろともらってきた。言葉が染み込んですでにわたしの血や肉となっているものもある。その詩人がレズビアンという事を知らなかった。が、言われてみれば、女性への深い洞察やマイノリティーの持つしんとした孤独、彼女のまとっているひとつの空気、わたしの愛してきたそういうものが浮かび上がり、そうだったのだと何か納得がいくのだった。

わたしは性的嗜好において自分をレズビアンとは認めないが、女性が女性を愛するということ、また女性が自分自身を含め、女性というものを知ろうと追求する行為に惹かれ、また関心を持ち続けてはいる。そこに何かがあると見当もつけている。
前回のゼミで取上げられたの富岡多恵子にしろ、今日の読書会で取り上げられた詩人達にしろ、出合うべきものと出合っているという手ごたえがあってうれしい。
そうそう、今読んでいる富岡多恵子の「白光」、ここにも、お互いに恋に近い感情を持ったことのある、二人の不思議な女が出てきて、それは興味深いのだ。何か掴めそうで掴みきれないもどかしさがあって、この作家にもっと入り込んで行きたい気分にされる。


ちなみに、読書会で取り上げられた詩は以下の通り。

「みちでバッタリ」   岡真史
「僕はまるでちがって」 黒田三郎
「初恋」        島崎藤村
「レモン哀歌」     高村光太郎
「呪詛」        深尾須磨子
「林檎畑」       金子みすず
「だまして下さい言葉やさしく」 永瀬清子
「あきらめろと云うが」 竹内浩三
「おやすみスプーン」  正津勉


話の最後に、詩は目だけではなく、声に出して、耳で聴くものだと講師が勧めをしていらしたが、それはおおいに同感するところ。
声に出して読んでみようと思う。
歌を繰り返し歌って自分の血肉に混ぜるように、言葉をそのように自分に近づけてみようと思った。

帰りに、池袋のリブロで、続・吉原幸子詩集と、続続・吉原幸子詩集を求める。読書会で紹介され、読みたいと思った永瀬清子氏のエッセイ集「過ぎ去ればなつかしい日々」は絶版で本屋では購入できないらしい。図書館で探してみよう。


2004年10月02日(土) イチローに声援を送った土曜日の午後

9月いっぱい、Hは旅に出ており、大学が始まったMは寮へ引き上げたから、
なんとも静かな日々だったのだが、今日の土曜日は朝から喧しい音楽は鳴るは野球の実況中継は聞こえるわで、とてつもなく騒々しい土曜日だ。同居人mGは、それを見越してさっさと出かけてしまった。

こういう時はあきらめて、わたしもイチローの歴史的瞬間に立ち会うべく、アイロンがけを待っているシャツだのハンカチだのをかかえ、TVの前に座る。
野球にはとんでもなく暗いわたしでも、イチローくらいは知っている。今日の試合はなんでも84年間破られることのなかった米大リーグ年間最多安打257の記録を、我が国のイチローが破るかもしれないとHが興奮して、わたしに教える。

TVの画面では、アメリカ人達がさかんにイチローを応援している。そして今歴史的な瞬間に挑もうとするイチローには、日本のサムライを思わせるようなしんと静かで腹の据わった凛々しさが見える。それを、アメリカ人といか、日本の外の視線で見ている。「かっこいいよね〜、イチロー」「そうだよ。日本の誇りだよ」と、恐らくは初めて母と子の間で交わされる野球の話題。

イチロー、ヒット!257に追いつき、258本目を打ち、そして259本目のヒット。84年ぶりの記録を、極東のアジアの若者が更新。おめでとう!
この日記で初めての野球ネタ、おそまつ。


2004年10月01日(金) 10月が始まる

10月が始まる。
去年も、その前の年もそうだったが、9月のカレンダーを破ると、残りがもう3枚しかないことに、改めて驚くのだ。
始まったばかりだと思っていた2004年がもう終わりに近づいている。

次回の10月4日のゼミは仕事で参加できないが、課題の牧野信一著「吊籠と月夜と」と、10月3日の読書会のテキスト、正津勉著の「刹那の恋、永遠の愛」を再読。

「吊籠と月夜と」はいったい、どういう風に読んだらいいものやら、この手の作品はお手上げ。しかし、この作家や作風について興味は湧く。ゼミに参加できないのが何とも残念に思える。
今まで、自分が分かるもの、気に入ったものしか読んでこなかったものだから、こうして様々な文学に触れるというのは画期的なことのように思う。

「刹那の恋、永遠の愛」は40人の相聞句歌。
相聞句歌が入り口ではあるけれど、そこで語られるものを読むと、それぞれの作家の生の肝心要のところへダイビングするような感覚がある。決して甘い恋の歌ばかりではない。いやむしろ壮絶と言っていいほどの、人の生き死にがそこにあり、その命たちの濃いこと。そこからやってくるエネルギーは半端じゃない。


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