たりたの日記
DiaryINDEX|past|will
| 2004年07月31日(土) |
イタリアンビーンズサラダ |
今日は英語学校のインターナショナルコーヒーハウスというイベントがあり、 どこかの国の料理を持ち寄る事になっていたので、わたしはビーンズサラダを作った。
北海道のFさんからいただいていた大きくてふっくらした白いお豆をメインに、レッドビーンズと、うずら豆、ブラックオリーブの缶詰めを合わせ、赤、黄色、緑のピーマンのみじん切りと玉ねぎのみじん切り、それに、庭のバジルとイタリアンパセリを刻んで入れ、オリーブオイルと酢と塩で調味し、スパイシーなサルサ(これはメキシカンだけど)と、プロバンスハーブという乾燥ハーブミックスでアクセントをつけた。
前にも書いたことがあったけれど、豆のサラダは色と形がきれいなのでまず見た目が好きだ。それにサラダとはいってもけっこうお腹にたまるし食べごたえがある。植物性たんぱく質だから、栄養価は高く、ヘルシー。
ところが、我が家の男たちは3人とも、このビーンズサラダを一口も食べない。見るだけでイヤだと言う。なんで? 自分一人の為にはなかなか作らないので、いい機会だと思ったのだが、パーティーではどうだろうと心配だった。 けれど、このサラダ、けっこう人気があって、まずはほっとした。
他の方が作ってくれたフィンランドのロールキャベツやベトナムの生春巻きや、タイのスパイシーなヌードルや、韓国のビビンバライスや、メキシカンライス、スペインのチーズケーキなど、さまざまな国のさまざまなお料理がいただけて楽しい夜だった。
昨日、激しく雨が降る中、郵便受けの中に葉書が一枚入っていた。 青いインクの万年筆で書かれた文字は、ところどころ水で滲んでいた。 初めて見る文字だったが、差出人の名前には覚えがあった。 E先生・・・
その名前と顔とが記憶の中から浮かび上がる。 その先生はわたしが通う中学校の国語の先生だった。 実際に授業を受けたことはなかったし、クラブの顧問というわけでもなかったし、面と向かって話をした記憶もないのだが、その先生の存在はよく知っていた。 その先生は執筆家で、先生の執筆された本が家の書架にもあった。ユーモアにあふれるその本のことをぼんやりと覚えている。その頃のわたしは本の虫で、いつも何やかやと読んでは書いているような中学生だったから、本を書かれたというその先生に畏敬の念を抱いていたのだろう。廊下などですれ違う時にはまじまじと顔を見てあいさつしたのかもしれなかった。
Yさん、お久しぶりです。 「育つ日々」、Mさんの紹介でいただきました。 これから、ゆっくり拝読いたします。 Yさん、あんたのお顔は、はっきり浮かぶんです。 東京のどまん中で声かけられても、「あっ、○○さん」と返事ができるくらいはっきりしているんですが・・・。 お父さんとは、役場の広報誌に、お父さんが絵を、わたしが文章を書いて、各月ごとで2年間おつき合いをしました。 「はじめに」・・・・この文章はあんたでなけりゃ書けない、独特な表現内容です。 ・・・・・・ これからゆっくり読みます。 あんたのお顔、はっきり浮かんできます。とりあえず・・・
はぁ〜。なんとも不思議な気持ちに打たれた。 なにしろ、35年も前の事。 1学年が12クラスもあった中学校で、一生徒を覚えていて、こうして葉書を下さるなんて。 わたしの顔を覚えているという事は、もしかして、とんでもなくはずかしいことをしたとか、とんでもなく気に触ることを言ったとか、そういうのではなかっただろうかと、あわてて、はるかかなたの記憶を手繰り寄せてみる。 ・・・・・・・ 自分の14歳の時の顔すら、浮かんでこない。
でも、拙著を手に取って読んでくださり、その途中で、思い立って葉書を書いてくださるのだから、それほど悪い印象でもなかったのだろう。 それにしてもうれしいお便りだった。 今日は一日、ふるさとの木々や山やなつかしい人達の事を思い出していた。
| 2004年07月29日(木) |
人形劇 「ヘンゼルとグレーテル」 |
人形劇団「やまいも」から、昨日ネットで注文した「ヘンゼルとグレーテル」の人形劇が届いた。 わくわくする気持ちでパッケージを開ける。 人形劇のビデオを買ったのは初めてだ。
心太日記のさnきちさんの日記で人形美術家、老兵(ラオピン)のことが語られていて、人形劇というものに少なからず興味を持っていたので、人形劇団「やまいも」のサイトで、ビデオの事を知るや、とても見たくなって注文したのだった。幸いわたしの周りには「つくしんぼ保育室」の子ども達や、育児サークル、英語学校、教会学校、まだ小さい甥っ子たちと、見せてあげられる子ども達がたくさんいる。
久し振りに人形劇を楽しんだ。演劇とも、読み聞かせとも違う独特の魅力。生き物ではないはずの人形が息吹き入れられ動き、話し、歌うのだから、そのものがすでにファンタジーだ。 老兵(ラオピン)の作った人形は確かに魅力的だった。 ヘンゼルの内面的な美しい顔と、父親の苦渋に満ちた味わい深い顔がとりわけ印象的だった。
ところでこのヘンゼルとグレーテルの話は、子どもの頃何度となく絵本を繰りながら見入っていた記憶がある。 子ども達が実の親から森に捨てられるという恐怖と、森の中でやっと見つけた夢のようなお菓子の家が実は魔女の罠で、今度は魔女に食べられるというさらなる恐怖。 なんと踏んだり蹴ったりの話だろうと思った。それだからこそ、グレーテルが魔女をパン焼き釜に押し込むというなんとも凄まじい行為の前に、やったあ、よかったと心から安堵できるのだ。
それにしても、ヘンゼルとグレーテルは自分を捨てた親の所へ帰るのである。母親は死んでしまっているものの、意志薄弱な父を許し、仲良く暮らすという、まったくエライ子ども達の話。
グリム童話に限らず、世界の童話の中には、本来力のない弱い子どもや、あるいは動物が、知恵や勇気をふりしぼって自分よりはるかに強い魔法使いや、大男や、やまんばやをやっつけるという話が数多くある。 そういう昔話の中に、子ども達に力を与え、前へ進ませる教育的な効果があったのだろう。 いつか、文庫をやっていた時に「かしこいモリー」という勇敢な女の子のおはなしを暗記して語った事があるが、今でも困難な課題に出会う時、きまってこのモリーがどこかから顔を出し「やってみます!」と勝手に受けて立ってしまう。 大人のわたしですらそうなのだから、お話の子ども達へ影響力はずいぶん大きいだろうと思うのだ。
こちらのサイトでこのビデオ作成の過程や人形劇の人形が出来るまでの様子を一部見ることができます。
| 2004年07月28日(水) |
Jesus On The Mainline |
今日の収穫、ゴスペルの Jesus On The Mainline まれびとさんのところのBBSで「イエスが電話に出ている。望みのものを言いな」というゴスペルのことが紹介されていたので、気になって、あちこち調べていたら英語の歌詞が見つかった。
日本語だともひとつピンと来ないけど、こんな感じかなあ。 はじめの二連だけ訳してみる。
「電話の向こうにイエスがいるんだ、君の求めるものを告げろ」というリフレインが、ぐっと胸を押してくる。 この近さ! この率直さ!
分かってるさ、イエスが電話に出てるんだ ほしい物を言いなよ イエスが電話に出てるんだ ほしい物を言いなよ イエスが電話に出てるんだ ほしい物を言いなよ 呼びかけて、ほしい物を言いなよ
その電話は混み合うことはないからさ ほしい物を言いなよ その電話は混み合うことはないからさ ほしい物を言いなよ その電話は混み合うことはないからさ ほしい物を言いなよ 電話をかけ続け、ほしい物を言いなよ
・・・・・・・
Jesus On The Mainline (Traditional Negro, also done by Ry Cooder, a White man)
I know Jesus is on that mainline Tell Him what you want Jesus is on that mainline Tell Him what you want Jesus is on that mainline Tell Him what you want Call Him up and tell Him what you want
Well, the line ain't never busy Tell Him what you want Wo, that line ain't never busy Tell Him what you want Well, the line ain't never busy Tell Him what you want Keep on calling Him up And tell Him what you want
Well, if you want His kingdom Tell Him what you want If you want His kingdom Tell Him what you want If want His kingdom Tell Him what you want Call Him up, call Him up, call Him up, call Him up You can call Him up and tell Him what you want
Well, if you're sick and wanna get well Tell Him what you want Well, if you're sick and you wanna get well Tell Him what you want If you're sick and you wanna get well Tell Him what you want Call Him up and tell Him what you want
And if you're feeling down and out Tell Him what you want And if you're feeling down and out Tell Him what you want And if you're feeling down and out Tell Him what you want Call Him up and tell Him what you want
I know Jesus is on that mainline Tell Him what you want Jesus is on that mainline Tell Him what you want Jesus is on that mainline Tell Him what you want Call Him up, call Him up, call Him up, call Him up Call Him up and tell Him what you want
夕べは時間がなかったから、今朝続きの訳を
もし、天国がほしいんなら 君の望みを言いなよ もし、天国がほいいんなら 君の望みを言いなよ もし、天国がほしいんなら 君の望みを言いなよ 呼びかけ、呼びかけ、呼びかけ、呼びかけ、 呼びかけることができる、伝えられる
もし君が病気でよくなりたいんなら 君の望みを言いなよ もし君が病気でよくなりたいんなら 君の望みを言いなよ もし君が病気でよくなりたいんなら 君の望みを言いなよ 彼に呼びかけ、君の望みを言いなよ
もし君がうちひしがれているなら 君の望みを言いなよ もし君がうちひしがれているなら 君の望みを言いなよ もし君がうちひしがれているなら 君の望みを言いなよ 彼に呼びかけ、君の望みを言いなよ
分かってるさ、イエスが電話に出てるんだ ほしい物を言いなよ イエスは電話に出ているんだ ほしい物を言いなよ イエスは電話に出ているんだ ほしい物を言いなよ 呼びかけ、呼びかけ、呼びかけ、呼びかけ、 呼びかけて、ほしい物を言いなよ
誰もいない礼拝堂にオルガンの音だけが響いていた。 しばらく、礼拝堂の椅子に座り、目を閉じる。
今日は教会でごいっしょのNさんと、兄弟(昨日の日記に書いた友人のこと) のことを祈ることになっていた。 Nさんは来週の礼拝の奏楽の練習をしていたところだった。
「やすかれ わが心よ 主イェスは共にいます 悩みも苦しみをも おおしく、忍び耐えよ 主イェスと共にませば 耐ええぬ悩みはなし」
讃美歌298番、シベリウス作曲「フィンランディア」の旋律。 慰めと励ましに満ちた讃美歌。 くりかえし歌ってきた讃美歌。 Nさんといっしょに歌い、 その後祈った。
祈るということが与えられていることに感謝する。 ともかく祈ることはできる。 どんな場合でも、 自らの終わりの時まで 祈りつづけることはできる。 そのことがありがたい。
今日も暑かった。 けれど、日中はエアコンは入れない。 汗がたらたらと流れるこの自虐的な暑さはそれほどいやじゃない。 夏らしくていいと思う。
外からの風と扇風機で凌いで、掃除をし、パソコンを打ち、台所で煮炊きをし、アイロンをかける。 アイロンをかける時だけTVを見るので、1週間ぶりにTVを見た。 メキシコの人類博物館の遺跡が興味深かった。 こういう番組はもっと積極的に見るべきだと、TVを見るたびに思うのだが、 なかなか実行が伴わない。 TVと相性が良くない。 どうしてだろう。 映画もビデオも好きなのに…
今日はいろいろな方からメールをいただいた。 昨日の日記の感想や、次男の事を喜んでくださるメールや、 昨日出したメールの返信など。 遠くに住んでいる人もいれば、顔も知らない人もいる。 初めてメールを出し、いただいた人も。 この日記を今読んでくださっている方々の多くの方をわたしは知らない。 けれども、なにか、その繋がりのようなものが、わたしを前に進ませるし、 生きていることのひとつの証のように感じている。
今朝、昨日の日記に書いた闘病中の友に書くことを、それもネット上で書くことを勧めた。別に公開しなくてもいい。読者は自分一人であっても。 書くということが、その人をまっすぐ立たせることになると、癒しになると、わたしは思うから。 もし、それを他の人が読むことができれば、同じように病と闘っている人は励ましとなるだろうし、元気な者だってそこから得る糧は大きいと思う。 病と闘う、その事事体が、大きな仕事であり、また物語だと思うから。 それに、自分のまだ知らない自分に出会うことにもなる。 そこにある可能性は大きい。
書き出すということ、それは自分自身に聴くことから始まる。 わたしが求めている事は何、わたしがストラグルしている事は何、ひっかかっていることは何? 考えを深めたり、あるいは自分の外に放ったり、 内部ではずいぶんダイナミックなことが起っているのだ。
今日は仕事がなかったから、午後の時間は書いていた。 実験的に、あらかじめプロットを決めないで、物語の進むままに書いてみている。それはそれで、書く方はおもしろい。それが読む人にとってどうかは分からないが、しばらくこの作業を続けてみようと思う。 明日、明後日で英語学校の仕事はお終い。 いよいよ夏休み。
| 2004年07月25日(日) |
神の秘められた計画を知ること |
今日は礼拝の日。 教会学校の奏楽、静かで明るいオルガン曲を祈りを込めて弾くことができた。 昨日の日記に書いた友はそこにいて、いつもと変りない笑顔を子ども達に向けている。彼のワイフも、微笑んでいる。ギターを弾きながら、歌の集いのリードをしている。 わたしだったらできないだろうなと思う。 エモーショナルになっていて、讃美歌を歌ったらきっと泣いてしまう。 彼らは泣かない。悲しみに沈んだ様子も見せない。 静かな、深い、笑顔。 みんな励ますつもりが、彼らに励まされたに違いない。 そんな中で、牧師の言葉はひとつひとつ心に沁みた。
「何のための今日なのか。 何をするために今日という一日が与えられているのか。 神が生かしてくれる命を自分は生きているのだという喜びを持って生きる時、 力が湧き、希望が湧いてくる。 ・・・・・・・ 自由な喜びを持って自分の仕事を果たしていこうとする時、 まずみことば(神の言葉、つまり聖書)によらなければならない。 神の秘められた計画を知ること以外にはない。」
すべての事のなかに、神の秘められた計画があることを知る時、病気も、困窮も、災難も、そのようなわたし達が望まない事の中にも、恵みと慰めがあることを知る。そのことの何と心強いこと。 今日の友の姿がその事を証していた。
さて、今日は25日。心太日記の担当日。 心太(ところてん)日記に、わたしの9歳の時の話、「夏休みの入院」が掲載されています。どうぞお読みください。
今年の5月2日に「死の陰の谷を行くときも 」というタイトルの日記を書いた。あの時には、次男のMの肺に腫瘍が見つかり、脳と腹部への転移がないかどうかを調べると医者から言われた直後だった。 最悪の事を考えないわけにはいかなかった。 それなりの覚悟をしなければと思っていた。
あの後、様々な検査を重ね、悪性腫瘍の疑いが晴れ、先週、肺分画症の手術のために入院したが、さらなる検査の後、肺分画症の可能性も少なくなり、今回は手術をせずに退院してしばらく経過観察ということになりそうだ。 肺の手術ともなれば、最大左肺の半分を切除することになるのだから、もしそれが避けられるのであればそれに越したことはない。 まずはよかったと思う。
しかし、つい先ごろ、わたしたちの友人が、進行している癌を煩っていると知らされた。何かをしていても、はっとその事の前に考えが止まる。その度、祈る。Mの時のように。
5月2日の日記を開いた。 もう忘れそうになっているあの気持ちを思い出そうとした。 あの時感じていたのは、絶望や不安ではなく、なぜか深い慰めだった。 あのような事態でなければ受け止められない慰め、響いてこない慰めがあった。 だから、友のことをいたずらに嘆くことはすまい。 そこに投げかけられている深い愛と慰めとを同じように見つめていようと思う。 そしてわたしはわたしの日々を今日しかないというように精一杯生きよう。 そして絶え間なく祈りつづけよう。 かたわらにいる、あるいはすでに友を負うて歩いているあの方を感じながら。
| 2004年07月23日(金) |
オスカー・ワイルドの「サロメ」を読む |
今日も高速バスでつくばへ行ったのだが、 月末の金曜日とあって、高速道路が渋滞しているらしく、八重洲南口のバス乗り場で、なんと40分待った。この暑さの中、外に立ったままで。 こういう時、没頭できる本が手元にあると救われる。 行きの電車と、このバス待ちの間に、文庫本を一冊読み終えた。
読んだ本は、オスカー・ワイルドの「サロメ」、先ごろ、話題になったフラメンコ「サロメ」の原作らしいが、もともとは新約聖書に出てくる話。 イエス・キリストの従兄にあたるバプテスマのヨハネは荒野で野蜜とイナゴを食物にしながら、人々に教えを説く預言者。ヨハネは当時のユダヤの王ヘロデが兄の妻ヘロデアを自分の妻と した事を非難したことで、牢獄に閉じ込められるのだが、ヘロデアの娘、サロメがヘロデ」王の前で踊りを踊り、その褒美に獄中のヨハネの首を所望し、ヨハネはこのサロメの望みによって命を落とす。
ワイルドは、1893年にこの聖書の物語を題材にした「サロメ」を、一幕による悲劇の脚本として出版している。彼独特のイマジネーションが創り出したおぞましくも美しい物語。サロメのヨハネに対する屈折した愛のかたちが印象的だった。
「ああ、あたしはとうとうお前の口に口づけしたよ、ヨナカーン、お前の口に口づけしたのだよ」
この劇の最後、銀の皿に載せられたヨナカーンの首をささげ持つサロメの独白。サロメを演じる役者は、この台詞をどのように語るのだろうかと興味深い。
| 2004年07月22日(木) |
「ウエハースの椅子」を読んでいます |
夕べ、眠れなかった割には、何事もなく一日が終わろうとしている。 今日は江国香織の「ウエハースの椅子」を読んだ。 朝の風呂と夜の風呂の中と、そして行きと帰りの電車の中、それから、たぶん、今からベッドの中で。
本の中の女性、恋人がいる、38歳の画家は、けれども、「絶望」している。 わたしは、「絶望」とは無縁な、健やかな暮らしをしているに、なぜか、彼女の「絶望」がよく分かる。
今日は、ここまでで寝なくてはなりません。
*
朝、起きたのでつづき。 ドラッグストアで見つけた薬が良く効いて、咳も出ずにゆうべは良く眠れた。 いつものように、知らない間に夜が通り過ぎ、朝がやってきているというというのは、とてもしあわせなことだ。
あれからベッドで読み終えた「ウエハースの椅子」の世界は、けっこう濃厚で、一夜過ぎた後も、わたしの日常に微妙に侵入してくる。 わたしは今朝はコーヒーではなくてハーブティーを飲んでいるのだから。 これが江国さんの筆の力なのだなあと感心しながら・・・ 庭にもミントはあるけれど、ティバッグのペパーミントティーにお湯を注いで。
そう、あの本の中で、主人公はたくさん、たくさん、ハーブティーを飲む。朝に夕に、何かをする度に、恋人との性交と同じくらい繰り返し、ハーブティーを飲む場面が出てくる。
主人公の「絶望」が分かると昨日書いた。その「絶望」は、絶望などしていない人間の中にも、心の底の部分を探せば、きっとどこかに、忘れられた石っころのように転がっているような種類の「絶望」。
遠い昔、元気に棒っきれをふりわしていた男の子たちだって、ドッジボールで必ずボールを手にして狙いを定める女の子たちだって、わたしのように、狙いを定められ、ひたすら逃げ惑う女の子だって、どこかでポケットの小石のような「絶望」を握りしめていたにちがいない。
主人公の中では子どもの頃の果てしなく続く時間とそれへの「絶望」が、恋人と共にいる時あるいは、恋人と共にいない時の「絶望」とオーバーラップする。
自分が100パーセント自分のものではなく、囚われていることを知っていても、恋人の「愛」に真綿のように締め付けられ、囚われ続けていくしかない、その女(ひと)は哀しい。
わたしはきっと、そこには身を置かない。
「玉の緒よ絶えなば絶えねながらえば忍ぶる事のよはりもぞする」
と、脈絡もなく、ひとつの古い歌が浮かんできた。
| 2004年07月21日(水) |
はっと気がつくとこの時間 |
今日はストーリーを書くことに没頭してしまって、気がついたらこの時間。 これからお風呂に入るとなると寝るのは一時過ぎるなあ。 いけない、いけない。けれど、夜の時間は短い。
mGもゴホゴホやってるが、わたしもまだゴホゴホやっている。なんともしつこい風邪だ。ところでストーリー、今まで書いたものを一旦止めて、別の登場人物で書き始めた。今日は仕事をしている以外の時間は、ずっとその登場人物といっしょだった。頭の中で、そのストーリーの場所にでかけ、その人物の話を聞いているという格好だった。いったい、作っているのはわたしなのか、向こうから人や場所がやってくるのか、分からなくなった。 ストーリーを書くということのおもしろさが、ほんの少しだけ分かり始めた。 でも、なんとも夢見ごこちだ。 現実感の乏しいわたしは、さらに地上から足が離れそうだ。 でも、明日は振り替えの仕事。
<時間の経過あり>
どうしよう・・・これを書いている今はなんと朝方の4時、一睡もしない内に夜が明けてしまう。 いえ、お風呂に入った後、1時には連れ合いがすでにカエルのように眠り込んでいるベッドにもぐりこんだのです。いつもならものの1分といわずわたしも ねこのようにすやすや眠るはずなのです。ところがストーリーが眠りの中にもやってきて、勝手に物語を始める・・もうすっかり目が冴え渡ってしまいました。明日というか、今日は仕事、どうしよう・・
でも、がんばって寝てみます。 母が送ってくれた梅酒を飲んだので、かなり酔っ払っていることですし・・こんな時間、みんな寝てるんだろうな・・ とりあえず、おやすみなさい。
| 2004年07月20日(火) |
すきとおったほんとうのたべもの |
今日は「すきとおったたべもの」の事を考えていました。 わたしが集めてきたもの、心を動かされてきたものを、ひとつの言葉で言い表すならば、宮沢賢治の言葉の中に出てくる「すきとおったたべもの」なのだと そんな気がしました。 言葉には言うに言われぬ何かたくさんの事を、そっくりひとつのことがらに統べる力がありますね。 「すきとおったたべもの」という言葉が、ひとつの線になり、ことがらを分けるような気もしました。
そうして、わたしが何かを書くとするならば、ここのところに立つしかないと、新しい気持ちが起こりました。
この「注文の多い料理店 序」は、 もう2年前の日記にそっくり書いたことではあるのですが、あの時とはまた違う気持ちで読んだので、また今日の日記に記しておこうと思います。
< 注文の多い料理店 序 >
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとおった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、
ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、
宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、
虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、
十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、
もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。
ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、
ただそれっきりのところもあるでしょうが、
わたくしには、そのみわけがよくつきません。
なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、
そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、
おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、
どんなにねがうかわかりません。
大正十二年十二月二十日 宮 澤 賢 治
| 2004年07月19日(月) |
ずうっと書いてた月曜日 |
入院中のMは土曜日から外泊届けを出して家に戻ってきていたが、朝つくばへ戻る。金曜日の内視鏡の検査の後、微熱が続いているようだ。
明日は血管造影の検査。これがけっこう大変な検査のようで、検査の間とその後5時間は家族が付き添うようにという事なので、わたしが付き添うことになり、明日の英語学校の仕事は木曜日に振り替えてもらった。というわけでまた東京経由でつくば市へ。
今日は全国的には祝日なのだが、mGの会社はなぜか休みじゃない。わたしは今日はクラスがないので、昨日書いたように何にもノルマのない一日。 ほぼ一日中、パソコンの前にいた。グレゴリアンチャントを繰り返し聞きながら小説、2章と3章を書き、1章を途中まで書いたところ。全部で8章、原稿用紙100枚の短編の予定だ。 どんな話かって?それはヒミツ。て、いうか、あらすじは書いたものの、登場人物達が勝手に自己主張を始めて、わたし自身どういう話になるのか、正直分かりません。そんなもんなんでしょうね。
そうだ、mGが仕事から戻ってきてから久し振りにスーパー銭湯へ行った。 ほてった体を夜風に当てながら真上の星を見るというゼイタク。やっぱり露天風呂っていい。 昨日のリストに付け加えよう。
<一日中、風呂屋ですごす>
さて、明日が早いからもう寝なくては。 では、どなたさまもおやすみなさい。
| 2004年07月18日(日) |
計画のない夏の、ゼイタク |
ともかく仕事は8月中はオフとなる。 にもかかわらず、今年はなんにも計画がない。 ま、次男が肺の手術を抱えているから、バケイションどころではないというのがその理由だ。
しかし、当の本人だって8月の前半に退院したら、バイトに明け暮れ、余った時間に海に行くなどと、自分の計画を立てているわけだから、わたしだって実家に帰省する日取りを決め、いつものお得な宿泊付航空券を手配しても良いはずなのだが、どうも気分が乗らない。 目先の事が片付かない内には次の事の算段もできないという損な性格なのだな。いやいやそれだけじゃない。入院費や手術費のまだ見ぬ請求書の事を考えると旅行の費用などとても捻出できないんじゃないかと恐れている。大学生2人分の後期の授業料だってあることだしね。
でも正直なところ、出かけなくても良いという大義名分にわたしはかなりほっとしているのだ。 わたしの場合、夏だから出かけなくては!休みなのだから何か特別な事をしなければ!と考えること自体が、憂鬱の種になったりする。 何も計画を立てなくてもよいというのはなんと気分が良いのだろう!
とにかく時間がある。 掃除や食事の支度などから解放されることはないにしろ、仕事の時間はないわけだし、その仕事の準備をしたり、頭を使ったりという必要もないわけだから、わたしの気持ちは、 すべてやりたいことのために向けることができるというもの。これはなんという贅沢だろう! では、どういうことに気持ちを向けていたいのかと言えば、
一日中ジムにいる(今痛めている足が治ったらの事だけど) 一日中パソコンの前に座って書くことに没頭する。 一日中図書館に居て、片っ端から本を読み漁る。
という、何の事はない、いつでもできることなのだ。 こうした事に、どこかに出かけたり、美味し物を食べたり、買い物したりすることより何倍も「しあわせ」を感じるというわたしはかなり安上がりにできている。
******************************
ゴザンスの原稿の締め切りが今日までだったとハタと気が付きました。 800字小説はパスだけれど、テーマの「夏の計画」は書きました。 さて、みなさんの夏の計画はどんな具合でしょう。
| 2004年07月17日(土) |
キャスリン・ハリソン著 「キス」 |
昨日たまたま本屋で見つけたキャスリン・ハリソンの「キス」を読んだ。
その本の表紙の少女の、意志の強さを表しているとも見え、深い孤独の淵にいるようにも見え、また全身で問いかけているようにも見えるモノクロの写真に興味を持った。
いったいどこでだったのだろう。この写真に見覚えがあるのだ。97年に刊行されたこの著書がアメリカでベストセラーになったというから、どこかの本屋に平積みされていたのや、ショーウインドウにディスプレイされていたのを見たのかもしれない。
読み終えてまず思った事は、この作者のことを何も知らないわたしが、作者の存在の核にある痛みを知ってもよかったのだろうかということだった。 その事実の重さに眩暈と落胆を覚えた。 しかし、これは目を据えて見るべき、その声に全身を傾けて聞くべき、ひとつの人間の姿、ひとつの人間の真実である事には違いない。
母親の愛を求め得ることのできなかった少女は、20歳になって再会した父に恋し、許されない愛を交える。愛への渇望の故に、自分を支配しようとするもうひとつの愛に囚われるという図式。近親相姦という狂気。
家族の抱える病や、人間の内に住む悪魔的なものが浮上してくる。そうして、著者はその暗闇からともかくは脱出し、一人の女性として成長する。また著者は自分の中にその固い扉の中に自分を閉じ込めることを止め、それを書き切り、外の世界に放つことで、自らを解放しようと試みたのだ。 一人の女性の成長の記録。
この本がスキャンダラスでショッキングな暴露本ではないのは明らかだ。 自分自身を、また母を父を徹底的に洞察し、分析する著者の目は心理学者のようであり、言葉は深く、メタファーに富み、その表現は詩人のようだ。 作家が、そのことを書かなければ乗り越えられない自分自身の過去の傷を、ひとつひとつ抉り出し、その時の彼女の心に深く入り込んで書き綴ったその物語は、虚飾のない真摯さと美しさに満ちている。
この物語は読む者を興味本位な他者の位置には置かない。 人間の弱さや哀しさを自分の事として、その痛みを共有せざるを得ない。
| 2004年07月16日(金) |
高速バスに乗ってMのところへ |
今日はMの検査の付き添いをするため、つくばへ行ってきた。 検査は首尾よく行き、来週、最終的な検査をするらしい。 それにしても大学病院だからなのだろう。担当医はどう見ても20代の女性、副担当医は彼女よりさらに若い青年だ。 けれども、なかなか感じ良く、説明も分かりやすく、質問にも丁寧に答えてくれて安心した。 Mは「医者がいい人達でよかった。珍しくムカつかない医者だ」などと言う。
麻酔が効いているのだろう。Mは昏々と3時間近く眠ったので、わたしはその間、病院の中にある喫茶店で、ノートに小説の章割と、それぞれのあらすじを書く事ができた。ずっと書けないで悩んでいただけに、この展開はうれしい。こういう旅先の店とか初めての場所は不思議と集中できる。他の事に気移りしないからだ。でもすごい速さで書くからまったくひどい字。後から読めるだろうか。
麻酔が切れる3時間後を待って、Mを食堂へ連れて行き、たらふく食べさせる。後1時間で夕食だが、朝、昼と飲食を止められていたので待てないだろうと。 大食いの彼にとって病院の食事は日頃食べている量の4分の1だと不満気だ。でもね、ちゃんと消費エネルギーとそれに見合うカロリーや栄養を考えての献立だろうから、それに慣れなければね。
ちょうど食堂から戻ったら、大学の友達が3人お見舞いに来てくれていたので、わたしは退散する。 元気そうでなにより。お見舞いに来てくれる友達もけっこういるようだし、まずは安心。
つくばに行くには東京駅から高速バスに乗るのだが、わたしは子どもの時からバスはめっぽう弱い。すぐに酔ってしまうのだ。 行きはなんとか一番前の座席に座れたので良かったのだが、帰りはなんと補助席まで全部使われるほどの混み用、それに驚くなかれ、乗客はみな仕事帰りのスーツ姿の男性ばかりで女はわたし一人だった。そのせいなのか圧迫感を感じる。 上野でバスを降りた時にはもうふらふらしていた。一休みしてから電車に乗る。今度乗る時には一本遅らせても、一番前に座るとしよう。
| 2004年07月15日(木) |
書いたものを思わず消すといういつものこと |
今日は木曜日、ジム日なのだが、咳がまだひどく、加えて股関節の痛みもあるので、一日どこへも行かずに家で過ごしました。
家事や庭仕事の後、来週のはぐくみ園で歌う歌やダンスの振り付け(簡単なエアロビクスのステップですが)を完成させ、ちょっと荷が軽くなりました。 この出し物のことはいずれまた。
何かをやりながらも頭は小説の構想でけっこう忙しいのです。夕方になってふっと風景と登場人物が浮かんできたので、さっきまであらすじを書いていました。ところがせっかく書いたものを、なんとセーブをしないまま、パソコンシャットダウンしてしまった! なんだか眠くって頭がモウロウとして、今何をやっているのか、把握しないまま、反射的に、寝る前の行動を取ったのでした。
消えてしまってから、どきっと目が覚めました。 そもそも書きながら眠くなるあらすじなんて、消えちまった方が良いくらいのものかもしれません。また最初から考えます。 明日は早朝からつくばへ向かいますが、ストーリーを考えるのに、案外移動するのって、なかなかいいんです。バッグの中にはノートとペンも入れましたし、ここのところはまっている「パンセ」もある事だし・・・炎天下のおでかけを楽しむことはできそうです。
さてさて、またもや12時半。 これで寝ます。書いたものが消えないようにちゃんと登録のボタン押します。はい。
| 2004年07月14日(水) |
しつこいのは夏の風邪 |
今夜は体調も良くないし、もう日記は書かずに寝ようと思ったのだが、まてまて・・・やっぱり・・・今月に入ってまだ日記を一度も休んでいない。それならば、たとえ数行でも書いておこうという気になる。
今までも読者あっての日記。読んでくれる人がいるから3年も書き続けることができたことは充分意識してきたことだけれど、ここのところ読んでくださる方々の存在を今まで以上に感じている。
さて、体調が良くないと書いたけれど、例の気管支炎がもう2週間になるというのに、まだ治らない。そればかりか昨日、今日は前よりひどく、クラスで教えている最中に咳き込んだりしてしまいまずかった。もっとも子ども達やお母さん達の中にも夏風邪をひいている人が結構いるのだが・・・ ジムももう1週間休んでるなぁ。 同居人は週末寝込んだだけでは足らず、3日会社を休んでしまった。ほんとに今までになくひどい風邪だった。 これは、今年の夏風邪がひどいんだろうか、それともいよいよ歳のせいなんだろうか。
さて、Mのこと。火曜日にたくさんの本を抱えて、わりとイソイソと入院した次男に「そっちの暮らしはどお」とメールすると、一言 「暇」という文字とえらくさえない顔の顔文字をよこしてきた。一日本が読めて、ご飯を作ることや洗濯物のことも考える必要のいない入院はたとえ術後の痛さやなんかあっても、わたしにはラクチンで「暇」って感じじゃなかったけどな・・・
ま、2週間ほどで検査が終わったら、その後の手術はけっこう大変だろうし、その後も大変なんだろうから、今の内にたっぷりある自由時間を楽しんでいた方がいいのに。「家族狩り」を5部とも持って行ったから、あれ読めば暇じゃなくなるよとメール。
金曜日に内視鏡の検査をするらしいので、同意書を書きにつくばへ行くことになった。それまでになんとか体調を整えたいものだ。
さてさて、もう寝なくては。
みなさん、おやすみなさい。
| 2004年07月13日(火) |
徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう |
さて聖書の通読。 昨夜と今朝でマタイによる福音書を読んだ。もう何度も読んだ場所ではあるが、通して読むことはあまりない。今回は読みながら、やたらと先日見た映画「パッション」のシーンが浮かんでくる。あの映画については、新しく付け加えられた事は何もないと書いたが、はっきりと頭で描く映像に変化が生じていることは、あの映画の影響が確かにあるということだ。
特にイエスを売り渡したイスカリオテのユダが、その事を悔い、イエスと引き換えにした銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだという箇所。わたしはこれまで、ユダのこの状況を自分の中では映像化していなかったのだろう。そこへ持ってきて、映画「パッション」のユダの描写はかなり脚色もあったが、ユダが心理的に追い詰められる場面が非常に印象的だったと思い返す。
悪魔に捕えられ、虚無の極地へひきずり込まれたユダ。しかし、そのユダの裏切りは我々一人一人と決して無縁ではない。そしてユダの裏切りさえも、イエスの贖いからもれてはいないのだと思った。神学的にどうかは知らないが… そういえば、バルトの著書に「イスカリオテのユダ」というのがあった。高校生の時に読もうとした時は難しくて挫折したが、今だったら読めるだろうか。見つけてみよう。
そう、パッションという映画は、人間がどれほどイエスを憎み、また裏切り、痛めつけたかという映画だ。その中で最後までイエスの元を去らなかったのは、イエスの母マリアやマグラダのマリアといった女性の弟子達。甦ったイエスが初めて姿を現したのも、この女性達の前だった。
女達もイエスを愛したが、イエスもこの女達を愛した。その代表のように言われるマグラダのマリアは人々が石で撃ち殺しても良いと律法に定められているような罪の女。
この福音書を書いたマタイ自身が、皆から蔑まれる徴税人だったからか、 「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜならヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ」(マタイ21ー31) という箇所にハイライトが引かれているように、記述に力が入っているような気がした。
一方で、律法に忠実なファイサイ派や律法学者に対してイエスはあくまでも手厳しい。今で言うなら世の中の権威ある人、成功している人、地位の高い人間 になるのだろうか。自分達を罪人と認めようとはしない「えらい」人達に対して。
| 2004年07月12日(月) |
検索をたどって来てくださる方々 |
今日も40人ほどの方が、検索で、この「たりたの日記」に来てくださったようだ。ちなみに「たりたガーデン」からいらしてくださった、いわゆる読者の方も40名近く。(いつも読んでくださってありがとうございます。)
ところで最近、聖書関係の検索でたどり着く方が多いようだ。今日も10件以上は聖書関連。「マグラダのマリア」や、「聖書の中の女たち」、おととい書いたばかりのヨナの記事にいらっしゃる方もいた。自分でも書いたことを忘れていた「ボン・ヘッファー」の言葉など、そのアクセスされた過去の日記をひとつひとつ見てゆくだけでも、いい復習ができるし、また、検索でいらした方に多少なりとも開いてよかった、少しは参考になったと思ってもらえるものを書かなければと励みになる。 でも、一方でなんだか責任も感じます。
信仰を中心にすえた小説のことでずっと悩んでいる。この時期が大切なんだろうなというのは分かってているが、物事が滑り出す前のこの産みの苦しみ状態はやっぱりつらい…
信じるということはどういうことなのか、祈りとは何なのか、神と共にあるということは、罪の赦しとは、自分の中ですっかり折り合いのついていると思っている、いや、思おうとしてきた事柄も、それを伝えるというところから眺めてみると、ぜんぜん説得力がない。自分自身に対しても、どこかでなおざりにしている部分があるように思えてくる。
で、苦肉の策で、聖書の通読を始めた。とにかくマルコによる福音書からもう一度、読み通す・・・続くなかなあ・・・ せめて新約聖書は通読したい。それが終わったら、書くべきことがふわりと舞い降りてくるといい。 調子いいね。そんなにうまい具合にはいかないでしょうね。 でも、祈りつつ、とにかく祈りつつ。
| 2004年07月11日(日) |
Kくんのこと、Mちゃんのこと、昔のフォークソングのこと |
さて、日曜日というのは1週間の内で一番早く家を出る日なので、朝はあわただしい。おまけに今日は風邪ひいてるmGに代ってわたしが教会学校のお話をすることになっており、当然病気のmGは車を出せないから、わたしは電車に乗るために家を8時15分に出た。 あぁ、昨日書いたヨナの話を朝おさらいするつもりだったのに、時間がない。しかたない電車に乗っている間におさらいしよう。
電車に乗り込むと背後から、「おはようございます」と野太い声。ふりむけば長男Hの中学校の時の友達、早稲田ボーイのKくんじゃないの。 「ひさしぶりね〜、元気?」 このK君、昔からそうなのだが、電車を待っている時なんかに会うと、必ず近寄ってくるという不思議な子なのである。 わたしはたいてい一人で電車に乗りたい人だから、知ったような顔があると反射的に相手を避けて一人で座るという根性の悪さなのだが、kくんはそれが礼儀とばかりに、おもしろくもないであろう友達の母の隣に座り、ちゃんと近況報告などをしてくれる。
いつもならKくんとおしゃべりするところだけれど、なにしろ、ヨナの話のおさらいがぁ・・・で、隣にいるKくんに、今日教会学校で聖書の話するから、この原稿覚えなくちゃならないのよとことわってから原稿を取り出す。 「あ、ぼく、一度、聖書読みましたよ」と原稿が気になる様子。読んでみる?と、一枚目を読んでからKくんに渡し、さらに2枚目、3枚目を渡すと、Kくんはふむふむと読んでいた。 ふうん、良く育ってるなあと感心する。 うちの息子たちだったら、友達の母とこういう会話をするなど考えられない。
ところでKくんの妹のMちゃんは今高校2年生だが、わたしの家に小学校2年生の時から中学校3年生まで9年間も通ってきた。あ、英語の勉強です。 で、そのMちゃんがこの夏から一年間アメリカに留学することは聞いていたが、K君の話によると4日後に出発するという。そこで、教会から戻って選挙に行った足で、Mちゃんの家へお餞別を届けに行った。
MちゃんとMちゃんのお母さんとしばらく立ち話をしたが、小さい頃からやってきた英語のお陰でMちゃんに英語圏で勉強したいという気持ちが生まれたと感謝されたが、17歳で一年間アメリカに行こうと決めたMちゃんと、それを後押ししてあげる親はえらいなあ、わたしはできないなあと感心した。
わたしの17歳はどんなだっただろう。 失恋した事はこの前の心太日記に書いたが、日常的には勉強はせずにギターの弾き語りに明け暮れていた。 岡林信康、西岡たかし、ジョーン・バエズ、ボブ・ディランなんかをたいてい一人で歌っていた。 て、いうか、あの頃は同級の子たちはバンドで「かぐや姫」とか「チューリップ」の歌なんかをカバーしていて、社会派のプロテストソングはぜんぜん支持されていなかったのだ。 何回か、高田渡や加川良を歌っていた先輩の男の子と中庭で昼休みのライブをやったことはあったけど。 ためしに「血まみれの小さな鳩」とか「これがぼくらの道なのか」を歌ってみたら、すっかり覚えていてまだ歌えた!よっぽど歌いこんだんだなぁ。
もうギターなんて、ずうっと手にすることもなかったけれど、この頃また弾きはじめた。英語のクラスで歌を教える時、ギターを弾きながら歌うと子ども達にウケる。年に2度ほどおじゃまする作業所でも、ギターの弾き語りが喜んでもらえる(へたくそなのに)。どういうわけだか、20代、30代の通園生が「友よ」や「遠い世界」といったわたしが17の時に歌っていた歌を知っていたりする。
そういえば、当時はTVなんかにはけっして出てこないマイナーだったそれらのフォークソングが、息子達が中学生の時学校から配布される副教材の歌集の中に入っていて驚いた。教室の中で歌われる歌になるなんて・・・ あの歌は職員室にいる先生たちにあてつけがましく歌うプロテストの歌だったのだが・・・ それともあの歌集を編集した人がわたしと同世代のプロテスト派だったりして ・・・在りうる。 もっとも西岡たかしは「五つの赤い風船」のライブアルバムの中で、「いつかこの歌(遠い世界)が日本の国歌のように歌われる歌になるかもしれない」なんてジョーダンで言ってるんですけれどね。 いい歌いっぱい作ってた西岡さん、今どうしてるんだろう。
なんだか、今日の日記ったら、KくんのことからMちゃんのことになり、昔の フォークソングのことにかなりの飛躍です。スミマセン。
あ、ヨナの話はOKでした。 mGは6年振りの熱で、まだ治りません。きっと明日は会社休んで病院行きです。わたしもまだ咳が抜けず、ゴホゴホやってます。 みなさんも、どうぞ夏風邪にご用心!
| 2004年07月10日(土) |
魚に飲みこまれたヨナの話 |
むかしむかしのお話、イエスさまが生まれる800年も前のお話です。 イスラエルの国にヨナという男の人が住んでいました。 ある日のこと、神様の声がヨナに聞こえました。 神様はこういいました。 「ヨナ、ニネベの町の人達は悪いことばかりしている。おまえがその町に行って、その人達に注意しなさい。」
それを聞いて、ヨナはとんでもないと思いました。 自分たちの国イスラエルは神様を信じ、みんなが決まりを守って正しく暮らしているのに、ニネベの町の人たちは神様を信じず、好き勝手に悪いことばかりしている。そんな悪い町の人間に注意したって、誰も聞かないばかりか、こっちの命の方が危ないよ。 そう思ったヨナは神様の命令を無視して、ニネベと反対の方向にあるタルシシという町に逃げようと思いました。ちょうど、ヤッファという町まで行くと、タルシシ行きの船が見つかったので、船賃を払ってそこに乗り込みました。
ところが、ヨナの乗った舟がタルシシに向かって進み始めると、海は大荒れになり、船は今にもばらばらに壊れそうになりました。船乗りたちは顔色を変えて、それぞれ自分たちの神様に「助けてください!」と叫びをあげ、また少しでも船を軽くしようと積んでいた荷物を海に投げ捨て始めました。けれども、そんな騒ぎの中で、ヨナは船底でぐっすり寝込んでいました。
船長はヨナのところ行き、「寝ているとは何事か、あなたの神様なら聞いてくれるかもしれないからお願いしなさい」と言うのです。また他の人たちは、「いったい誰のせいで、こんな災難がふかかかったのかくじを引いてはっきりさせよう」といいました。 みんながくじを引いたら、なんとそれはヨナに当たりました。
みんなが訳を説明しろと、ヨナに詰め寄ったので、ヨナは自分が神様の命令を聞かずに逃げようとしてこの船に乗ったことを白状し、自分のせいで大嵐になっているのだから、わたしを海に放り込めばいいといいました。 船に乗っていた人たちは、なんとか船を陸に戻そうとしましたが、ますます海が荒れてきたので、しかたなくヨナを海へ放り込みました。するとたちまち嵐は止みました。
さて、海に放り込まれたヨナはどうなったでしょう。 神様はヨナを見殺しにはしませんでした。大きな魚を送り、その魚にヨナを飲み込ませたのです。ヨナは三日三晩、その魚のお腹の中でいました。そして魚のお腹の中で、いっしょうけんめい神様に祈り続けました。3日目に、神様が魚にヨナを吐き出すように命じたので、魚はヨナを陸地に吐き出し、ヨナは助かりました。
すると、ヨナに神様の声がまた聞こえました。 「ニネベへ行って、わたしが語る言葉を知らせなさい」と言うのです。 神様はまだあきらめてはいなかったのですね。 今度はヨナはもう逃げたりしないで、神様の命令した通り、ニネベの町へ行き、歩きながらこう叫びました。
「あと40日すれば、ニネベの町は滅びるぞ〜」
ヨナは、この町の悪いことばかりする人達は神様からの警告を聞いても、誰も信じないだろうと思っていたのかもしれません。ところが、町の人達はヨナの言葉を信じ、この町の王様は、「みんなに、断食してひたすら神様にお願いしなさい。悪いことをすぐに止めなさい。そうすれば、神様が考えを変え、この町を滅ぼすことをやめるかもしれないから」とおふれを出しました。 神様はニネベの町の人達が反省して、悪いことをしなくなったのを見て、この町を滅ぼすことを止めました。
ところが、この神さまの計画変更に、ヨナはかんかんに怒って、言いました。 「神様、ほら、わたしが言った通りじゃないですか。こうなることは分かっていたから、わたしはタルシシに逃げようとしたんです。こんなひどいニネベの国を滅ぼさないで助けるなんて、あんまりです。神様、もうわたしの命を取ってください。もう生きていたくなんてないです。」 すると神様は言いました。 「お前はずいぶん怒っているが、それは正しいことか」と。
ヨナはぶつぶつ言いながら都を出て、東の方に小屋を立て、このニネベの都がどんな風になるのか見ておいくことにしました。けれど、その小屋にはガンガン太陽が照り付けます。そこで神様は、日陰を作るためにとうごまの木に芽を出すよう命令しました。するとあっという間にとうごまが伸びて、ヨナの背よりも高くなり、頭に上に涼しい木陰を作ってくれました。ヨナはようやく機嫌を直し、このとうごまの涼しい木陰を喜びました。
ところが、翌朝、今度は神様は虫に命令してそのとうごまの木を食い荒らさせました。涼しかった木陰はなくなったばかりか、神様は焼け付くような東風が吹きつけるよう命令したので、ヨナは暑さでぐったりし、神様に「生きているより死んだ方がましです。」とごねました。
すると神様はこういいました。 「お前はとうごまのことで怒っているが、それは正しいことか。」と。 ヨナは 「もちろんです。怒りのあまりに死にたいくらいです。」 と言い返しました。そのヨナに神様はこういいました。 「ヨナ、おまえが苦労して育てもしないとうごまが、一晩のうちに大きくなり、また一晩のうちに、だめになってしまったことを惜しんでいる。それなら、どうしてわたしがこのニネベの町を惜しまないでいられるだろう。そこには12万以上の人間と数え切れないほどの家畜がいるのだから。」
<教会学校の礼拝のために 旧約聖書ヨナ書の再話>
*******************************
今日は明日の教会学校で話しをするために、旧約聖書のヨナ書を、子ども達のためのお話風に再話しました。
このヨナ書で語られていることは、ヨナが神の命令に聞きしたがわなかったけれど、神様はヨナにもう一度チャンスを与えたということ。 また、ヨナはニネベの救済に対して批判的で、神の心が理解できなかったが、神はとうごまの木を生やさせ、また枯れさせることで、ヨナに神のニネベへの憐れみを伝えた。ということでしょうが、昔話としても、この話はとても印象的な話で、子ども達に語りたい物語のひとつです。 また絵のモチーフにもよく用いられています。
わたし個人としては、神様の命令にあえて従わなかったヨナや、神様がニネベを救うことに、正義感から怒りまくるヨナが人間らしくて好きです。
この話をいろいろと検索していたら、おもしろいサイトに出会いましたので ご紹介しますね。
サイト江礼宮夫さんのサイト「聖書の呼ぶ声」です。
ヨナのことは愛国者ヨナの怒り に書かれていて、とても興味深かったです。
| 2004年07月09日(金) |
映画「真珠の耳飾りの少女 」を見て |
絵画にしろ、音楽にしろ、ダンスや演劇、そして文学、いわゆる芸術と言われるものに、わたしは深く心を惹かれる。とりわけ、その芸術を生み出す人、またその芸術が生まれる場面に関心がある。 だからアーティストの生涯やエピソードを描いた映画であれば、まず見たい。
映画真珠の耳飾りの少女は17世紀のオランダの画家 ヨハネス・フェルメールを描いた映画というので、気になっていた。前に映画の予告編で見た映像が、まるでフェルメールの絵そのものといった感じだったので、ストーリーはともかく、その絵の世界に浸ってみたいものだと思っていた。
映画は、鋭いナイフが、さまざまな野菜を切り分けていく映像から始まるのだが、このシーンですでに充分期待できるものを感じた。 中世の暗い台所、フェルメールの絵の中に入りこんだような映像の中、大皿に美しく盛られた野菜が印象的だった。 映画を見終わってこの場面を振り返ってみると、このシーンは取りも直さず、少女のアーティストとしての仕事の場面だったことに気づかされる。それは台所の野菜を注意深く切り分け、皿の上に組み立てた少女の芸術作品。
画家は孤独だった。いえ、アーティストと呼ばれる人達はみな深い孤独を抱えている人達であるに違いない。芸術家は孤独である必然を持っていると思う。孤独でなければ神と対面できないからだ。そして作品を生み出すためには、その作品が命を持つためにはそこに神の息が吹きかけられる必要があると思うから。芸術と孤独と神とは切っても切り離すことのできない関係にあるとわたしは思っている。
孤独の場所で、そして神の息が吹きかけられる芸術が生まれる場所で、画家の魂と、使用人の少女の魂は出会う。直感でお互いの事を深く知り得る二人であるから、また男であり女であるから、そこにさまざまな感情や痛み、また事件も起こるのだが、映画はあくまでアーティストとして影響しあう二人の心を、少女の鋭い感性や、その少女に創造力をかきたたせられる画家の心の動きを追う。
二人の間に葛藤はあるものの、芸術を生み出すことの情熱や意志が、恋愛の感情を超えているところが興味深く、また好ましいと感じた。 学問もない少女の中にある、生まれ持ったアーティストとしての才能と誇りを画家が知っていた。画家の心には少女を育てたいという感情が芽生え、少女は画家の仕事を尊敬し、また自分の内にある力に目覚め始める。まさにプラトンが言うところのプラトニックラブをそこに見る。
映画が終わった時は、もっと先の展開をどこかで期待していたので何か肩透かしを喰らったような気持ちになったが、映画を見た後から、この映画に寄せる想いがずんずん広がっていくのを感じて驚いた。 わたしはこの二人の出会いの物語から、新たに別のことを考え始めていた。
先に画家は孤独だったと書いた。アーティストはみな孤独だとも。 しかし、どうだろう、芸術家に限らず、誰でもみな「誰からも分かってもらえない」「誰かに理解されたい」という孤独を抱いているのではないだろうか。 知ってもらうことを親に、教師に、友達に、世間に、あるいは恋人に、また配偶者に求める。けれども、自分のすべてを、とりわけ自分の魂の深みは誰にも分かってはもらえない。恋愛は相手が自分のことを分かっているという幻想の元に生じるものなのかもしれない。恋愛がそれを満たすものでないことは知りつつも幻想を抱く。
しかし、この「知られたいという心」がひとつは創造の力となり、また神を求める力となるのではないだろうかと、そんなことを考えた。 なぜ、人は神を求めるのか、それは自分をその魂の深みまで知っているのは、自分を創造した神以外にはないということを、魂はすでに知っているからだ。神こそは自分を知っている、神しか自分のことは知らないというところに行き着く。
そして人はなぜ創造しようとするのか。自分を知ろうとして創作へとかりたてられるのだろうが、それはそのまま、自分を創造した神の意図を問う行為でもある。真摯に自分と向かい合おうとするその場所で神の創造の息吹に出会う。そして自らの創造という行為の中で、人間を創造したアーティストとしての神の心を知ることになる。
神から知られ、神を知るということの中に起こる至福―
この映画を見終わってスピリチュアルなものに打たれたのは、人間そのものが尊い神の芸術作品であり、その人間が自ら美しいものを生み出そうとする時、必ずや神の息に触れるという理(ことわり)が、語られない言葉として、また見えない色としてスクリーンの向こう側からひそやかに告げられてきたからなのだろう。
| 2004年07月08日(木) |
銀座ですごしたスピリチュアルな時 |
今日は銀座へ行った。出不精なわたしにとっては珍しく行動的な一日だった。
今日は銀座でなすべき3つのことがあった。ひとつはゴザンスで知った画家の榎並和春さんのグループ展を見ること。 もうひとつはシネ・スイッチでやっている映画「真珠の耳飾りの少女」を見ること。 そして、教文館書店で教会学校の教材を見つけること。 この暑さにもめげず、その3つのことがつつがなくでき、またそれぞれに収穫があり、とても充実した一日だった。
榎並さんのサイトはついこの頃知り、それからはちょくちょくおじゃましている。そこにある絵の静かな空気、独特の質感とアースカラーと言うのだろうか、自然をそのまま取り出したような色、暖かい感じのする形がなにか親しく、むしろなつかしい感じさえする。
余談だが、こういう「なつかしい」感覚というのは、いろいろなものに対して起こる。セロニアス・モンクのピアノ、グレゴリアン・チャントといった音楽を聞いた時、また人や言葉や景色に対しても。初めて出会ったのに昔から知っているというような…
今日見たグループ展「四つの壁による惣展�供廚任蓮■横姐罅覆�そらく)の2点「風来坊」と「きこえる」、そして「聖」と題された箱に描かれた7つの小品を見ることができた。 深いところから汲み出されてきた色や形だと思った。何を持って宗教的というのかその言葉そのものが曖昧ではあるが、わたしの感覚としてはなにかしんと静まってくるような宗教的でスピリチュアルな波が届いた。
スピリチュアルということでは、ギャラリーに行く前に見た「真珠の耳飾の少女」も、全く予想していなかったものの、そこに流れる高い精神性を感じ、人と人との出会いがもたらす芸術を生み出す力を思った。深く理解される時、深く知られる時、人は自らの内に潜在する力を引き出される… このことはまた別の機会に書こうと思う。
帰りに立ち寄った教文館では、教会学校の教材を見つけた後、いろいろと本の探索ができてよかった。キリスト教関係のフロアーだったので、普通の本屋ではなかなか見かけない本が数多くあり、どれも興味深く、思わず長居してしまった。 迷った挙句、パスカルの「パンセ」とボンヘッファーの「共に生きる生活」を求める。パンセは持っていたはずなのに、どういうわけか今手元にない。ボンヘッファーの著作を買ったのはFさんが送って下さったボンヘッファー短章「信じつつ、祈りつつ」に、これは!と感じるものがあったからだ。
出会いが続いている。
昨日お手紙を下さったFさんは、お手紙の他に土地の珍しい食べ物や、すばらしい本をいっしょに送ってくださった。それはまるでふるさとの母からの小包のように暖かく、心に沁みた。でもそれは母からではなく、お会いしたこともない遠くに住むFさんからのものなので、なにか切ないような不思議な気持ちになった。
その小包の中には、Fさんがこの夏に作ったばかりというルバーブのジャムが4つも入っていた。かわいらしい手作りのラベルもはってある。わたしは箱の中からそのジャムの瓶を手に取ると、すぐに食べたくなって味見をした。甘ずっぱくて素朴で深い味がする。ルバーブのジャムはどのフルーツのジャムにもない独特の風味がした。 Fさんの住む土地で栽培されたルバーブがFさんの台所でFさんの手で作られたのだと思うと、これ以上贅沢な食べ物はないという気がした。
今朝はルバーブのジャムをカスピ海のヨーグルトに入れて食べ、またルバーブジャムのサンドイッチを作ってお弁当に持って出かけた。 ルバーブの甘くてすっぱい味は、昨日から続いている切ないような不思議な気持ちに良く似ている。
そしてしきりと詩篇8編の 「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか」という言葉が立ち上ってきた。 感謝の気持ちがあふれ出してこぼれていく。
今日はラブレターを二つもらった。 ラブレターのように何度も読みたいし、ずっと持っていたいし、その手紙がわたしの日常を支えてくれることが分かるので、やっぱりこれは紛れもなくラブレターだ。
一人は北海道に住むまだお会いしたことのないFさん、年上の女性。 一人はいつも顔を合わせている、同じ教会のNさん、わたしより少しだけ年下の女性。 そう、姉妹達からのラブレター。 「育つ日々」の感想を書いてくださったのだ。
キリスト者の中ではお互い信者同士を「主にある兄弟姉妹」という。 この言葉を、わたしはあまり使わないのだが、 今日はほんとうに私には姉妹がいるのだな、血の繋がりとは違う、魂の繋がり というものがあるのだなとしみじみとうれしかった。
クリスチャンに限らず、ネット上でこうして自分をオープンにするようになってから、様々な方と魂の交流をすることが可能になった。 地理的にも離れ、お会いした事もないのに、共感したり、励まされたりする方々が少なからずいる。 またいつも顔を合わせている方とも、こうして心の内側の事を知っていただいたり、本を読んでいただくことで、それまでと違った繋がりが生まれてくる。
3年前に始めた「たりたの日記」のカウンターが今日6万回になった。 たくさんの方がこの日記を読み、支えてくださった。 この日記を通じての出会いを感謝し、またその繋がりを大切にしていきたいと思う。
新しい1週間が始まった。 月曜日、火曜日、水曜日と3コマづつ子ども達の英語のクラスを教える。 月曜日はつくしんぼ保育室の2階を会場にしてのクラスで、この日は2時過ぎに教室に行き、7時半までぶっ通しで仕事モード。
クラスの時間は3時から6時10分までだが、その前後に準備や次の週の授業の計画、教材研究、帳簿つけなどこまごました仕事がある。 クラスとクラスの間は10分の休みがあるものの、次のクラスの子ども達は、まだ前のクラスが終わらないうちから入り口に押しかけているから、途切れなく3クラスが続くかっこうになり、最後のクラスが終わるとへとへとという感じだ。
それでも、やりがいがあるのは、子ども達が、何かを期待しているから。楽しい事をしたい、新しい事を学びたいという元気なエネルギーがこっちに向かってくる。 もっとも、3時からの年少児クラスは、ようやく、お母さんのひざを降りて、幼稚園に通うようになった子ども達だから、お母さんと離れられなくて泣きべそをかく子や、子ども達どうしでつっつきあたり、押しっこしたり、喧嘩の一歩手前のような状況も時時起こる。それでも、毎週会うごとに成長しているのが分かる。
知識として英語を知ることが大切なのではなく、言葉の持つリズムの楽しさを味わったり、友達といっしょに身体を動かしたり、歌ったり、色をぬったりという楽しく、充実した時間を過ごすことが大切なのだ。年齢が低い子ども達ほど、子ども達の時間が充実するように神経を払う必要がある。小さい子達は高学年のように、自ら学ぼう、知ろうという努力へ自分を向かわせる事がまだできないからだ。彼らの場合、学習効果を上げるためには、ともかくも活動が楽しくなければならない。
子ども達が帰って行った後、クラスの場面を巻き戻ししながら、子ども達にとって十分楽しい時間だったかどうか反省する。 低学年のクラスは9人も子ども達がいるので、どいうしても余裕がなくなる。 小学校や中学校の40人学級に比べれば、信じられないほどの少人数だが、日頃5人とか6人のクラスで教えているため、なかなか一人一人とじっくりかかわれない感じがするのだ。
さて、今日のクラスの事はひとまず忘れて、明日は明日のクラスに集中しなくては。
さて12時、今夜はこれで休むとしよう。 おやすみなさい。
今夜は奄美のシマ唄を聴いている。 3月の心太ライブの時に奄美シマ唄ユニット”マブリ”の唄を聴き、その時、mGが求めたCDだ。
音が始まった瞬間、なんともなつかしく、ふわっと開放的な気分が訪れる。 小さい頃の祭りのどきどき、わくわくする気分は、かなりわたしの深いところに留まっていることが分かる。
今も踊りは好きだが、小さい頃、訳もなく踊りが好きだった。 まだ6歳かそこいらなのに、踊りのお囃子を聞く度にずうっと昔に聴いたようなうずくような懐かしさを覚えた。きっと音はDNAの中に刷り込まれているのだ。
そんな時を超えた懐かしさの中に浸っている。
| 2004年07月03日(土) |
firework(花火)のこと |
今夜は今年初めての花火をした。 といっても、花火なんてここ数年間やってなかった。 花火の光りを見ていると、小さい頃の事、子ども達が小さかった時のことなど、いろいろな場面が甦ってきた。
明日7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日なので、英語学校の「コーヒーハウス」というイベントの中で、花火をしたのだった。 アメリカでは多くの州や町でfirework(花火)が禁止されているが、7月4日だけはfireworkが解禁。町によっては盛大な花火大会が行われる。
わたしたちも、独立記念日の夜は、友人の家族と連れ立って、花火を見に出かけた。夕暮れ時の広場にはたくさんの家族連れが草の上にシーツなどの布を敷き、サンドイッチやスナックや飲み物を広げてピクニックをしている。そして花火が始まると、みんないっせいに寝転がって、空を見上げるのだ。夜風は冷たいからブランケットを掛けている。まるで野宿のようで、なんだかわくわくするのだった。
| 2004年07月02日(金) |
「家族狩り」に見る光と闇 |
昨日の内に「家族狩り」第二部「遭難者の夢」を読み終え、これで一部から五部まですべて読んだことになる。 今日は、読んでしまったこと、物語の外へ出てしまったことが、何か残念だった。別の本へと気持ちを移すこともできないので、第5部をもう一度読み始めた。
予想した通り、物語の中の登場人物が様々にわたしに働きかけてくる。 今日は、16歳の少女、芳沢亜衣の声がしきりに聞こえた。 亜衣は、生きていたくないと思う。自分を自分で傷つけたいという衝動、両親も含めて自分を取り巻く世界への、命そのものへの嫌悪がそこにある。しかし、心の底では、そこでもがいているのである。光りを探しているのだと感じる。
そして、亜衣と同じその年頃、それと良く似た暗い衝動や虚無感にわたしもまた支配されていたことを思い起こす。 わたしはその気分を人前ではうまく隠しているつもりでいたが、ある時、同級生の男の子から、「オマエ、いつ飛び降りるかわからないような顔してるな」と言われて、どきりとした。 日々、生きることがつらかった。呼吸が苦しいのだが、どうすれば楽になるか分からず、自分の行く先に光を見出せないでいた。
亜衣に象徴されているものは、思春期の時を生きる子ども達に等しく訪れる危機だと思った。親の育て方や、社会のあり方の影響ももちろんあるだろう。しかし、亜衣の、また登校拒否や家庭内暴力の渦中にある子供たちの生きづらさは、ひとりひとりの内の起こる負のエネルギーの影響なのだと私は思う。 負のエネルギー、光りに背を向け、闇の中に身を置こうとするエネルギー、悪魔的なものと言ってもいいかもしれない。
思春期の子どもとは限らない。人間の内面では光へと向かうエネルギーと闇へと向かうエネルギーが絶え間なく拮抗している。それはそのまま、聖なるもの、命の源(わたしはそれを神、またイエス・キリストと呼ぶが)と、悪魔との熾烈な戦いでもある。
この「家族狩り」の中で、登場人物それぞれの光へ向かう心と闇へ向かう心とのせめぎあいがたくみに描き出されている。それぞれが、自分の内なる闇をどう受け止めるか、そもそもそれが闇であることに気づき、そこから離れようとするのかどうか、その人の心の動きや行動に固唾を飲む。そして、登場人物の葛藤に読者自身の過去の、現在の葛藤が重なり、その世界を私のこととして読み進めて行く。
物語を読み終えた後、残酷で悪寒の走るような光景を潜り抜けてはきたものの、そこにトンネルを貫けて、光りを浴びたような感覚が起こるのは、登場人物達が、ぎりぎりのところで、闇を払いのけ、光の中に身を投じたと感じたからなのだろう。そして悪魔の支配に甘んじた者は闇へと向かうが、闇は光に勝たなかったということも、深いところで知る。 そしてそのことが、生きることの励ましのように静かな光となってはらはらと降りてくるのだった。
| 2004年07月01日(木) |
「幻世の祈り」を読みながら |
今日はオフ、で、ジム日。 ジムへはたいてい仕事から帰ってきたmGと夜遅く出かけるのだが、仕事のない木曜日だけは、自転車を25分ほどこいで一人でジムに行く。
まだ気管支炎の薬も飲んでいる身なので、ラテンエアロ一本だけにし、その後、プールを歩きながら、昨日読んだ本について考えを巡らす。 そう、考えたい時にはわたしはプールを歩く。 しばらく歩いて、プールサイドのベンチで、家族狩り、第一部の「幻世の祈り」を読み始める。 プールを出て、サウナでも読む。サウナに10分いるのにはかなり忍耐がいるのに、本を読んでいるとあっという間に12分が過ぎた。 その後、ドトールで遅い昼食を取りながら、また読む。 今日一日、なんだか、執りつかれるように読んでいて、まわりのことがすっかりすっとんでいて、時間の経過も分からなくなっている。
自転車をこぎながら、しきりに考えて、家に戻ってから、第二部の「遭難者の夢」を読み始める。変な読み方をして、先に三、四、五部を読んで結論を知っているのに、やはり興味深い。登場人物の事が、よりクリアになってきて、物語が必然性を帯びてくる。
登場人物のひとりひとりの向こう側にある家族の問題が浮き彫りにされてくるのだが、それはけっして遠い世界の出来事という気がしない。わたし自身の家族の中に、人間関係の中に、同様の病や危うさが確かにある。それが表面に現れなかったのは、ラッキーなことだったが、いつでもバランスを崩しうる。今後、何事もなく家族に平和が続くという保証はない。人間それ自体が、非常にもろく、壊れやすいものだからだ。 家庭の中の不和、離婚、失踪、暴力、自殺、他殺、そこへ陥る危険は、どの大人にも子どもにも潜んでいる。
それを、どう回避するのか。自分をコントロールすること。真に愛することがどういうことなのか知ること。人の痛みに対して敏感になること。 家庭の中でこそ、わたし達は人と共に生きること、自分を生かし、他を生かす道を訓練されるのだから。 これまで、見ないようにしてきたこと、考えの外に締め出してきたことがないだろうか。シロアリが知らない内に家屋を内側から侵食し、気が付いた時には手遅れになっている。心を蝕むものの芽に対して鈍感でいては、怠慢であってはいけないと思う。 必要なことにきちんと向かい合う勇気と、祈りを持ち続けなければ。
|