たりたの日記
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2004年08月31日(火) |
ゴザンスライターへの50の質問 |
昨日の日記にゴザンスの事を書きましたが、 今日は募集されている「ゴザンスライターへの50の質問」に答えてみました。実を言うと、この手の質問を読むことも、答えることも、わたしはひどく苦手で、今までかかわったことがありませんでした。 でも、今回、ライターのみなさんの回答を読んでみると、なかなかおもしろい のです。 ま、卒業式の前の「サイン帳」ということにして、気軽に答えてみました。 ありましたよね、サイン帳。 ああいうのって、書いた当時より、タイムカプセルのように、何年も経って読んでみると、へぇ〜と驚きます。 この質問の答えも、何年か経つと、へぇ〜、あの時はこんな風に答えていたんだと思うのかもしれません。 でも好きな本や映画と聞かれると、選ぶのってけっこう大変だなと思いました。これが好き、というよりはこれも好きといった感じで、読んだり、観たりしているから。 ゴザンスへの投稿はもうちょっと待つことにしよう。気が変るかもしれないから。あちらは一度入稿すると、この日記のようには簡単に訂正ができないのです。
【ゴザンスライターへの50の質問】
1.お名前(PN、HNなど)、ゴザンスライターページやブログ、運営ウェブサイトのURLをおしえてください。
たりたくみ たりたガーデン http://members.jcom.home.ne.jp/tarita/
2.名前の由来などあれば教えてください
タリタ・クミ というのは アラム語で 「少女よ起きなさい」という呼びかけの言葉です。 新約聖書(口語訳)の中でイエスが死んでしまった少女に「タリタ・クミ」と呼びかけ、 生き返らせたという記事があります。詳しくはここで書いています。
3.ゴザンスライターに登録したのはいつ?
2003年10月27日です。
4.ゴザンスライターに登録したキッカケは?
「ことばあそび」がおもしろそうだと思って「くるぶしの骨」というのを作って投稿してみたのがそもそものはじまりでした。あの時はゴザンスが何なのか、メルマガもトップのピックアップも何も知らずにとにかく投稿してみたのでした。
5.血液型と星座
A型 牡羊座
6.好きな男性作家
宮沢賢治、八木重吉、福永武彦、 ここのところ、辻仁成にはまっています。
7.好きな女性作家
高橋たか子、江國香織、吉本ばなな、川上弘美
8.よく読む新聞、雑誌
あまり読みません。
9.好きな映画
ダンサー・イン・ザ・ダーク、 イングリッシュ・ペイシェント、 愛人(ラ・マン) 、ショコラ
まだたくさんありますねえ、今思いついたのがこういうところですけど。
10.好きな音楽
グレゴリアンチャント、フォルクローレ、ケルト音楽、黒人霊歌、 バッハ 、ビョーク、 ジョン・レンボーン 、ポール・サイモン キース・ジャレット 、ビル・エバンス 、波多野睦美(メゾ・ソプラノ)
11.好きな有名人(作家以外) ? 12.パソコンの前にいる時間、1日だいたいどのくらい?
2時間くらいかな。日によっては一日中とか。
13.小説の中の「登場人物」で好きな人はいますか?
高橋たか子さん、江國香織さんの小説の中に出て来る人はたいてい好き だなと思います。 両者のタイプは全く違いますけれど
14.小説の中の「台詞」などで心に残るものはありますか?
台詞としては宮沢賢治の「注文の多い料理店」の序文のすきとおったほんとうのたべものというフレーズがいつも心に浮かんできます。
15.もしなれるとしたら、「この小説」の「この人」になってみたい!
? 16.愛読書ってありますか?
一冊だけ持つことを許されるとすれば、聖書ですね。 いちばん付き合いが長く、深いし。
17.最近読んだ本でオススメのベスト3(タイトルと著者)
「家族狩り」 天童荒太 「書きあぐねている人の小説入門」 保坂和志 「この晩年という時」 高橋たか子
18.まだ読んでないけど、読みたい本教えてください(5冊まで)
とりあえず、辻仁成のまだ読んでいない本を読みたいです。
19.世間の評価ほど「よくなかった」本、教えてください(5冊まで) ?
20.今まで読んだ本の中からマイベスト10作までを選ぶとしたら
聖書 ドスト・エフスキー 「罪と罰」 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜 他 童話集」 高橋たか子 「装いせよ、わが魂よ」 遠藤周作「沈黙」 福永武彦「愛の試み」 ル・グウィン 「ゲド戦記」 エマ・ユング 「内なる異性−アニムスとアニマ」 アナニス・ニン 「アナニス・ニンの日記」 マルグリッド・デュラス 「愛人(ラマン)」
(強く影響された本、繰り返し読みたい本という意味で)
21.あなたが「書く」ということに興味をもったのはいつごろ?
小学校1年生くらいかな。当時からの日記があります。
22.「はじめての作品」はいつ書いたものですか? 「はじめての作品」というのはフィクションの作品ということかしら。 それなら、3年前にコンテストに応募した星の器という童話かな。落選でしたが。
23.「はじめての作品」どんなストーリーですか?
星から地球に降りてきて、この世界で生き始める命たちはみな心に 器を持っている。そこにいつも命の源が満たされ、また人の器と触れ合う時、 美しい響きをつくる。魂がどんなものなのか、子どもの言葉で表現したものです。HPの「たりたの部屋」というコンテンツにありますから、興味のある方はどうぞ。
24.「書く」アイデアが浮かぶのはどんな時?
お風呂の中とか、歩いている時とか、台所の仕事をしている時かな。
25.「書く」アイデアが浮かばない時、どうします?
運動したり、本を読んだり、書く事を忘れます
26.「書く」と「読む」どっちが好き?
どっちも好き。 今は、やや 書く方かな
27.「書く」のはだいたいいつの時間帯が多いですか?
仕事のない朝か夜が多いけれど、あまり決まっていません。
28.「書く」時に一番悩むのは<起承転結>のどの部分ですか? 転 かしら
29.「書く」時に一番楽しいのは<起承転結>のどの部分ですか?
起 かも
30.あなたの作品はジャンルでいうとどんな分類ですか?
今のところは、エッセイ、日記
31.これから買いてみたいと思うのはどんなジャンルの作品ですか?
長編小説を書いてみたいです。
32.絶対書けない(書きたくない)と思うのはどんなジャンルの作品ですか? 絶対書けないジャンルっていうのが圧倒的に多いですね
33.こんな作品を書きたい!と思う既存の小説などがあれば
高橋たか子の「装いせよ、わが魂よ」
34.「書く」ようになってから「困った事」ありますか?
いつも困ってます。
35.暇な時は何をしていますか?
パソコンで書く、読書、ジムで運動する
36.「書く」事以外ではまっていることありますか?
ジムでやる、ダンスやエアロ
37.なるとしたらどっち?
A:1冊だけ大ベストセラー作品を生み出す、一発屋作家 B:賞やヒット作とは無縁だが作品を作り続ける、生涯一作家
B
38.なるとしたらどっち?
A:芥川賞や直木賞の選考委員になるような、大御所作家 B:芥川賞や直木賞の候補になるが選ばれない、無冠作家
どっちも遠すぎ〜 (あきらめが早い)
39.書くとしたらどっち?
A:ある特定の読者から圧倒的な支持を受ける異色の作品 B:老若男女を問わず幅広い読者から支持される正当派の作品
どっちも書きたい〜 (欲張りです)
40.死ぬ前に読むとしたらどっち?
A:自分がこれまで書いてきた作品 B:「最後の一冊」として選んだ作家の作品
B、死ぬ前に読む本は「聖書」でしょうね
41.あなたにとって「書く」というのはどんなこと?
自分を知ること。 生かされていることへのレスポンス。
42.あなたにとって「書かない」(「書けない」)というのはどんなこ
と? 垂直な軸を見失っている状態。
43.あなたにとって「読む」というのはどんなこと?
わたしの出会うべき世界に分け入ること
44.あなたにとって「読まない」(「読めない」)というのはどんなこ
と? 自分の外の世界に対して心が閉じている状態
45.あなたにとって「ゴザンス」とは?
教室かな。 宿題があって、先生(この場合編集者)がいて、クラスメ-トがいる。 クラスメートには仲良しもいれば、気になる人や憧れの人、名前だけ知ってる人とさまざまですが、でもその存在になんだか励まされていました。
46.ゴザンスライター仲間に一言。
これからもその存在を感じて、励みにしたいです。
47.あなたが愛しているものは何ですか?
人、自然、命、それらの源としての神
48.最近泣いた事ありますか? それはどんなことですか?
そうそう、16歳の時の日記が出てきて、読んでいて泣けました。
49.何か叫んでみてください。
「ヤッホ〜」
50.近況や今後の予定、将来の夢など、なんでもどうぞ。
しばらくは小説にじっくり取り組みたいと思っています。 2年後、子ども達が大学を卒業すれば、海外への旅に出かけられると夢を描いていますけれど、うまく事が運びますか、どうですか。
2004年08月30日(月) |
ゴザンスで書いてきた一年 |
小説なんて書いたことなかった。書ける気もしなかった。ところがゴザンスで800字という制限の中で、与えられた設定にそって書いてみると、けっこう 作り話が書けることに気が付いた。フィクションだから、自分を外に置いて書ける自由さがあった。そういう意味では頭の文字から文をつないでいくという「ことばあそび」も、制限があるからかえって自由に言葉を繫げていけるという遊びの楽しさを知った。
そのゴザンスがどうやら今までの形を変えるらしい。メルマガやピックアップがなくなるという事は、今までのような課題にそって書くという事もなくなるのだろう。ゴザンスで書き始めてちょうど1年。ずっとここで書いていきたいと思っていたからちょっと残念。
でもこの1年、ゴザンスとの出会いは大きいものだった。 まずは小説。 お陰で、原稿用紙100枚の小説の依頼があった時にも、書けるような気になった。小説を書くことをこの夏の課題にしていたが、今日、一通りの推敲が終わり、予定の100枚を60枚ほど超えた第一稿を無事送ることができ、まずは晴れ晴れとした気分でいる。第一稿が本の原稿になるまでには、それは厳しく、大変な作業があることは経験ずみなので、これからが大変ということは充分分かっているが、ともかくは初めの一歩が踏み出せた。
そしてエッセイ集。 ゴザンスに巡りあわなければ、「育つ日々」は世の中に出ることはなかった。自費出版や共同出版で出版する気はなかったし、どこかの出版社が無名な人間のエッセイ集を出版してくれるなどという事は決してないと分かっていたから書いたものが本になるということは夢のまた夢だった。 ところが1ゴザンスの100人のための本という企画の通り、5月の末には一冊の本が出来上がった。今思えば、滑り込みセーフだった。
もうひとつは出会い。 ゴザンスを通して、様々なライターとの交流があった。 お会いした事もないのに、書いたものを通して、いわば、その方々の核になるものに、直接触れる。そこからインスピレーションをいただいたり、刺激を受けたり、エネルギーをもらったり、書くということのモチベーションの多くは こうした人を通してやってきた。 ゴザンスで今までのように書いていくことはできなくても、ここで、出会った出会いは大切にしたい。これからもライター達の存在を身近に感じながら日々書いければと思う。
2004年08月29日(日) |
眠りながら書いている日記 |
旅先から戻ってきてまずする事は、荷物を解くより前にパソコンを開く事だった。 旅先ではパソコンは見られないから、逆に時間はあって、本が読めたり、おやゆび日記として数行の日記にするつもりが、けっこう長々と書いた。 今や、苦労して親指で書く必要もないから長い日記も簡単に書けるはずなのに、何しろネット上であっちへ行き、こっちへ行き、書きかけの小説を推敲したりと、日記を書く前にパソコンでする事は山のようにある。
というわけで、日記を書く時間になって、どうにも眠い。とても長い日記は書けそうにありません。 ああ、眠い・・・
みなさん、おやすみなさい。。。
2004年08月28日(土) |
セミの脱皮か、十二単か |
25日の日記でお知らせした心太(ところてん)日記は、都合で今日、掲載されましたのでお知らせしておきます。一年間、月一回の心太日記の執筆を依頼された時、12回をひとつのテーマに沿って書いてみようと思いました。縦糸を子どもの頃のわたしとし、横糸を時間にして書くのはどいうだろうと。そういう経緯で今回は14歳。その時に書いた読書感想文も載せました。編集人のワタナbさんが気を利かせて(イタズラ心も半分入ってるらしい)前に書いた事に関係しているところへ飛べるよう、リンクまでつけてくれています。
14歳とか15歳とか、考えてみればビミヨウな時期ですよね。 我が子の事を思い出しても、いろいろとやっかいだったなあと思います。 でも、どうでしょう。男の子というのはまるでセミか何かのようにそのつど、脱皮してはそれまでの皮を脱ぎ捨てていくのではないかしら。一方女の子というのは十二単(じゅうにひとえ)じゃあないけれど、一枚つづ、上に羽織っていくような。だから5歳の時の自分も14歳の時の自分も内側にちゃんと留まっているのではないかしら。少なくとも、わたしは前からそんな気がしていました。男の方、セミの脱皮っていうのは当たってます?
朝9時20分。別府湾を臨むホテルの窓辺。 16階の窓の4分の3は薄い水色の空で、その下に同じような色の海。 空が海に溶け出しているかのように、その境界線はぼんやりしている。 旅の終わりの一日、一人ホテルで過ごす静かな時間はいつも好きだ。 とりわけ朝。 この時間はふるさとと今生きている場所の中間にあって、 そのどこにも属さない空間の中で、ゆっくりシフトしてゆく。
昨日はなつかしい人達にたくさん会った。 朝早く、生まれてから成人するまで 住んでいた家がある場所へ行き、 裏のMおばちゃん、おじちゃんの家 を訪ねる。 というのも、まだ7時という時間に、Mおばちゃんが、栗おこわを炊いて持って来てくれたのだ。それならおじちゃんにも会いたいと、おばちゃんの車に乗せてもらった。 そう、早くから車を運転し始めたおばちゃんは、病気の時、わたしや弟をよく病院に連れて行ってくれたのだった。
「よく来た、よく来た。さあ、さあ、上がりなさい」 こんなに朝早い時間だというのに、子供の時のように、誘われるままに上がりこみいっしょに朝御飯をいただく。 10年ぶり にお会いした、おじさんは80歳でわたしはもう50歳に近いというのに「よしこちゃんは子供の時のままじゃ」と言われながら、わたしはいつの間にかほんとに子供に戻っていた。 ファンタジーがそこに生まれる。
その後に訪ねた家は学生の頃家庭教師をしていた家。 もう25年も訪ねていなくて、ふるさとに帰る度に気にかかっていた。 あの頃は、勉強を教えに行くだけでなく、おばさんの手料理を食べさせてもらったり、おばさんの若い頃の話を聞かせてもらったり、その家で何時間も過ごしていたのだった。 娘達は遠くへ嫁ぎ、去年御主人をなくされたおばさんが一人ですんでいるはずだと母から聞いていたが、訪ねてみると、なんとKちゃんが戻ってきていて、そこにはKちゃんの娘もいた。娘はあの時のKちゃんと同じ10歳。 このテーブルで算数や国語の勉強をしていたKちゃんは、今は母親なのに、やっぱりあの頃のままのKちゃんで、わたしは19の頃のわたしなのだった。そして、彼女とやりとりしたいろんな場面がふわっと立ち上ってきた。 変らないものがそこにある事にやっぱり驚く。それだけに、過ぎてしまった時間の大きさに圧倒される。 本を差し上げた。これまでのご無沙汰を少しでも埋める事になればと。ここから、また新しく出会い直しが始まればよいと。
母に別れを告げ、夕方帰り支度を整え、分市内に出る。 夕方、新卒の時の教え子達数名と会う事に前の晩話が決まったのだ。 そのメンバーのひとりS君が店長をしている洋風居酒屋へ集まる事になっていた。
S君の奥さんのNちゃんも当時の3年2組のクラスメート。だから二人の3歳になる娘のKちゃんはなんだか孫のような気がしている。Nちゃんは顔中にこにこ笑ってわたしの方を見ている子だったけど、その笑顔はまるでそのまま、娘のKちゃんに注がれている。
離婚の事でずいぶん悩み、手紙をやりとりしてきたTさんは、シングルマザーになって、すっかり生き生きとしていた。
小学校4年生の時以来初めて会ったUさんは、腕白坊主のたくましいお母さんになっていた。くりくりした目でいつも愉快そうに笑っていた3年生の時の表情はそのままに残っていて、小さい頃の彼女がそこに見え隠れしていた。
子どもの時、少しも話しをしないので、どうして話させようかと苦労していたSちゃんは4人の子供達のおかあさん。やさしそうな御主人にもお会いした。「先生が担任だった3年生の時だけが、楽しかったんです」とSちゃんは言ってくれたけれど、あの時、そんな事は知らないわたしは一言もしゃべらないSちゃんの事をずいぶん心配していたのだった。
S君の店の創作料理は、どれも抜群においしくて、しゃれている。流れているジャズや店の雰囲気も素敵だ。様々なところに離れ離れになっている昔の仲間達が、この店を本拠地にして、会ったり集まったりという風なっていくのかもしれない。次回の帰省の時にも、この店へ行こう。
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携帯で書いてメールに送っていた日記に追加して書きましたから、おやゆび日記とはいえませんが・・・
夕べ遅く、九州から戻ってきました。 いつものテーブルで、パソコンを開くと、山のような家事が押し寄せているというのに、座り込んで書いてしまいました。 こういう旅の日記は、日常に紛れるとたちまちのうちにその空気までどこかへ行ってしまうので、まだすっかり日常に戻る前にと。
昨日は学生時代の友人のUさんと例の別府の海の見える温泉でプールに入ったり、お湯に浸かったりして話ながら、時間ぎりぎりまでそこで過ごし、夕方の飛行機に乗って帰ってきたことでした。思いがけず、たくさんの人達と会え、良い帰省でした。
(8月28日の朝に)
今日は、今回の帰省の最重要プロジェクト、実家の物置と化してしまった旧わたしの部屋の大ざらえをやる日だった。物を大切にするというか、貯め込むタイプの母は整理したくても捨て切れないのでいつも途中で断念するようだったが、わたしは自分の物ではないので冷徹に判断ができる。段ボールの箱を壊し続け、ごみ袋に今も未来も不用になってしまったものを詰め込み続け、次第に部屋が部屋の帰納を取り戻してゆくのはいつも充実感がある。
と、マジックペンでわたしの名前が書いてある大きな袋を発見!どきどきしながら中身を覗く。果たして袋の中には、初めて父からもらった日記帳から大学生までの日記や楽譜、ノートの類がひしめいていた。 実際、その日記達は誰からも返り見られずにその閉ざしたページの中でひしめきあっていたことだろう。もしやと思い、ノートの束を一冊づつ除いていくと、失くしたと思いこんでいた大切な詩集がやはりそこにあった。25年ぶりの再会。 詩集を開く、15歳の誕生日に贈られた愛の言葉。わたしはたちまち15歳のわたしになる。
それにしても、なぜ今まで失われていたものが今になって出てくるのだろう。 不思議・・・ 迷わず、バッサ、バッサと捨てていた手はやおらその古い紙のかたまりをかき寄せる。まったく、あきれる。
ところで今日25日は心太日記の担当の日です。旅に出る前に原稿を送っていたので掲載されていると思いますが、その中でいみじくも、手元に唯一残っている14歳の作文を題材にして書いたのでした。
ふるさとにはふるさとの時間があり、ふるさとにはふるさとの人が在るということに、わたしはいつも新しく驚く。
昨日は父を見舞った帰りの駅で 中学校の時の後輩にばったり会う。名前を呼ばれそちらを向くと、そこに居る人の顏に真新しいセーラー服の目のくるくるした女の子がだぶる。あの子だ!無口でおとなしかったその子は 今や教職員組合の執行部でバリバリやっている元気な中堅の小学校教師だった。あの人は、この人はと、もう30年以上も会っていない人の消息を尋ねる。わたしと同級で確か1、2度喧嘩した彼女の兄貴は神経内科の医者で文章を書いたり講演をしていると聞き、へぇ〜、あの子が、と驚いたりした。
今日は、母が近ごろ門徒になり、御詠歌の練習に通っているお寺を初めて訪ねた。 寺庭さん(お寺の奥さん)が、わたしのエッセイ集を気に入ってくださり、みなさんに紹介してくださったと 母から聞いていたのでご挨拶にと思ったのだ。 彼女はわたしより4級上で、高校と大学の先輩だということが分かり、共通の知人や教師の話題に花が咲いた。 末娘で5年生のMちゃんは、わたし達のために、素敵なデザートを作ってくれる。Mちゃんは母が入院していた時、一人でお見舞いに来てくれたと聞き、感激していたのだ。一人で暮らす母の回りにこういう暖かい人達との関係があることがとてもうれしい。
今日は、父が入院している病院 へ、母と行く。 父と会話はできないけれど、父がゆっくりとスプーンを口にもってゆく仕草をいい気持ちで眺める。その独特なリズムは昔ながらのもので、より父らしい気すらする。知識や思考や意思や記憶や、そういうものが何も無くなっても、その人らしさというものがあり、人間は愛らしいものんだなあと思う。ずっと父の手を取り、背中をさすたりする。けれど、こういうことって、もし父が痴呆になっていなければ、とってもできるものではないなと思う。。 いろんなものをすっぱり取り除いた父とこうして向かいっていることは不幸ではない。
父がお世話になっている、病棟に「育つ日々」を 差し上げた。看護婦さんが、「この本で、元気な頃のお父さんを知る事ができますね」と、言ってくださり、うれしかった。
昨日の夜と今日の夜、母のテレビに付き合いがら、辻仁成の短編集「目下の恋人」を読み上げた。わたしと重なる世界はそこにはないのだけれど、わたしはわたしでわたしの過ごしてきた愛や恋や、その一瞬や永遠を思い返し、いい読書の時間を過ごしたと感じた。
さて、持ってきた辻氏の本はみんな読んでしまったけれど、明日は何を読もうかな。。
実家。のんびりするというより弛緩する。
この感覚は前にはなかった。次第に実家がリラックスできるようになってきている。それというのは、母もわたしも年を取ったからなんだろうと思う。
昨日バスを降りた時、小雨が降っていた。家まで10分とかからないから傘がなくても平気と歩いていたら、向こうから母が傘を持って迎えに来た。 おっと〜。。
わたしの記憶がまちがいなければ、母から傘を持ってきてもらったのは生まれて初めての事だった。 ちよっとしたカンゲキだった。 そしてわたしは 「傘を持って迎えに来てもらった事がない」というリストの項目に×をつけた。
今日は母の友人からおさそいがあり、阿蘇の小国町と黒川温泉へドライブ。 母たちが買物をしている間、わたしは温泉に浸かる。
おいしいパン屋さんでパンを買い、お豆腐料理のユニークなお店で食事をする。
夕食に、そこで食べたおからのサラダを作ってみた。 いい一日。Sさんに感謝!
宮崎から延岡へ向かう電車の中。曇り空、窓から見える海も空と同じ白っぽいグレー。旅に出て2冊目の本、辻仁成の「ワイルドフラワー」を読み終えた。つい最近、この作家のものを読み始めた。今まで食わず嫌いの作家だったかもしれない。 江国香織版の「情熱と冷静の間」を読んでから1年も間を開けて、この物語の残り半分である辻仁成版を読んだ。流れている空気が好きだと思った。フィレンツェの歴史をそのままに閉じ込めている古い街の描写はいい。ドゥーモの果てしなく続く螺旋場の階段を再び歩いているようなリアリティーがあった。確かな風景の描写を背景に、決して外面から推し量ることのできない、人間の心の奥が映しだされる。この作家は自身の心の深みに分け入ろうと、果てしない探索をしているように思えた。そこの部分でこの作家の作品を続けて読んでみたいと思った。その後に読んだ2冊とも読後に充実感がある。
「ワイルドフラワー」は舞台がニューヨークであるだけに、馴染みのある通りや、その街に漲る解放感と緊張、冷たさと熱さの入り混じった空気を生々しく思い出した。
わたしはあの危険な街の片隅パブの前に、全くの無一文の状態で深夜の2時過ぎまで3時間近くたたたずんでいた事があった。あの時の恐怖を通り越した、その街の中で漂泊しているような妙に醒めた感情が甦ってきた。この事はいつかストーリーに書こう。 あの街を呼吸しながら、そこで生きる登場人物の心の淵を見つめた。自分を束縛するものから解放されたいと苦闘する、哀し い戦士達。。
電車は延岡に着いた。ここから大分へ向かう高速バスに乗れば母の待つふるさとに着く。
ああ、長々と書いて見直しまでして、最後のボタンでミスしました。ものの見事に消えてしまってそれをもう一度再現する気はもはやありません。
今日は一人、宮崎県立美術館へ行き開催中の、Γテール・デルボーというベルギーの画家の絵を見ました。
おもしろかったのです。その中身について書いたのでしたが・・ 一言だけ。 音のない夢のような空間。冷たく静かな女達の形。
また消えるといけないので、このまま送信!
さて、昨夜の激しい雨は今朝に はすっかり上がり、予定の草取りと花の手入れが昼前に終わった。 去年の夏に植え込みをした、アメリカンブルーやサマーウェイブやランタナが そのまま花を咲かせている。さすが宮崎。戸外のプランターで 冬を越せたのだ。剪定した枝を 挿し芽にした。
午後は義母と買物へ行き、わたしがこしらえる食事の材料を買う。ストックを持たないというのが義母の確固たる流儀でいつも冷蔵庫を満杯にしておかなければ気が済まないわたしには考えられない。ともあれ2日分の食材やパンやシリアルが家の中にある事に安堵する。これがわたしの実家となると、一月分くらい、物に寄っては1年間分の食料が台所を占領していて、これはこれで気分が落ち着かないのだ。人間って生活の仕方がまったく違うものなんだと気付かされる。
夕食に作ったかぼちゃの肉巻きは好評だった。 これは薄く切ったぼちゃを豚の薄切り肉で巻いて醤油、酒、砂糖で煮からめるといったいとも簡単なもの。 お試しあれ。 宮崎はかぼちゃの産地だけあって、かぼちゃは 柔らかくておいしかった。
今日も辻仁成を読んでいる。「
ここ宮崎は雨です。台風の影響でばしゃばしゃと激しく降ってます。 家を出る前、空は哀しくなるような、子供の頃のままの絵に描いたような夏空で、矢野顕子の歌なんかを思い出しながら洗濯もの干したりしたのでした。 で、羽田空港に着いてみると、宮崎は天候が悪く、場合によれば福岡か鹿児島に降りるかも知れないと言うのです。福岡から宮崎まで電車で5時間の道程。どうなるんだろうと心配でしたが、飛行機は無事、宮崎に到着しました。 で、飛行機は揺れた?と聞かれて、ハタ。。。 どうだったんだろう。わたしは辻仁成の「ピアニシモ」に没頭していて読み終わるまでは空に浮かんでいる身と言うことすら忘れていたのでした。
2004年08月17日(火) |
水茶漬けはほどほどに |
今日は友からとびきりおいしい手作りの梅干が送られてきました。その時わたしは次男とわたしのためにスモークチキンと野菜のどっさり入ったサンドイッチを作って食べようとしたところだったのですが、やっぱりこれが食べたい! と例の水茶漬けをいそいそと用意し、その大きくて柔らかい梅干でサクサクと食べたのです。で、サンドイッチはって?はい、そっちも食べました^^
ところで、さっき、例の水茶漬けをわたしがまねっこするようになったお師匠のさnきちさんからメールが届き、水茶漬けばかり食べて入院してしまったお友達がいらっしゃるから気をつけましょうと注意を促していただきました。 さnきちさん、ありがとうございました。まだ生きてます! さnきちさんやわたしのように水茶漬にハマってらっしゃる方、どうぞお気をつけてくださいませね。
夏には夏の野菜がいいですよ。やはり。 ここのところなすやピーマンに加えて、かぼちゃを常食してます。 最近、有機栽培で梨や野菜や米を作っている農家の方と知り合いになり、形のいびつな梨やかぼちゃなんかをいただいたのですが、この取れたばかりのかぼちゃを切ると、その色といい、しっとりとした感触といい、夏のバテ気味な身体のために与えられた野菜という気がするのです。甘くほっくりと煮て、熱々でもいいですが、冷蔵庫で冷たくしたものもおいしいです。 かぼちゃはカロチンも豊富で血圧を下げる働きがあるらしいので、高血圧対策中のmGにも、とても良いわけです。我が家の男たちは豆やかぼちゃ、苦手ではあるのですけどね。
でも、明日から27日まで宮崎と大分に里帰り。わたしがいない間の食生活はどんな具合になるのでしょうか。花々やカスピ海のヨーグルトは果たして生き延びる事ができるでしょうか…
というわけで、一日も休まず書くという事をモットーにしてきた最近の日記ですが、これからはパソコンのない生活になるので、日記も更新できなくなると思います。もしかすると前にやったように親指を駆使して携帯電話で日記を書く事もあるかもしれません。 毎日書いたりして… でも、あれって、なかなか大変です。大量に書いたら途中で電話やメールが来てすべて消えてしまうなんてことが良く起こります。 ともあれ、留守しますが、こちらをどうぞ御ひいきに!
ここのところ、そう6月の半ばからこっち、毎日欠かさず日記を書いている。 書くモードではなくても、一日の最後に日記を開くというのが、ひとつの習慣のようになっている。書く事がなくても・・・
と、これもここのところの習慣でよしやさんの日記を開いてみると、日記があった。
今日はベッドの窓からとてもきれいな夕焼けを見た。
感謝。。。
うっとなりました。 同時に著書「夜と霧」の中で、作者がアウシュビッツの収容所の窓から夕焼けを見て感動し感謝している箇所を読んで、強い衝撃を受けた事が甦ってきました。 抗癌治療の激しい副作用の中でよしやさんがこういう言葉を書いていることに、同質のものを読み取りました。 逆境の中でこそ見えてくる美しさや生きている事の歓び… 生きるってすごいことだなあとわたしも感謝でいっぱいになりました。
今日は我が家の青年Hがよしやさんの病室を訪ねて、お見舞いのはずが、彼の方が大切なものをもらったようで、また行く、ちょくちょく行くと携帯で言ってました。
夕方買い物から戻る途中、麦わら帽子とグラサンに、つっかけ、髭つき、という格好で、サークルの合宿から戻ってきた青年Mにばったり。 今日戻ってくるなんて知らないから、今日のおかずには彼の嫌いな、ナスとかぼちゃと人参がどっさり入るのです。しかたないね。 久々に駅から並んで家まで帰りましたが、格好が、格好ですからねえ、すれ違う人からジロジロ見られるわけです。ここは田舎ですしね、我が家の青年達の格好はあきらかに浮きまくってます。 明日はMもよしやさんのところへ行くらしいです。
Mが小学校3年生、Hが5年生、アメリカから戻ってきたばかりの時期から、教会学校の後は、キャッチボールや卓球、トランプと、よしやさんに遊んでもらってました。わたしよりもうんといっしょに過ごした時間や思い出は多いはず。
今日の一日に感謝。
2004年08月15日(日) |
主の鍛錬を軽んじてはいけない |
今日の日曜礼拝の聖書、第2日課はヘブライの信徒への手紙12:1-13だった。 その昔、日々が鍛錬だと思えるようにしんどい事が日々あった時、この箇所を繰り返し読んだので、このパウロの手紙の言葉はわたしへ書かれた手紙のように響いていた。
牧師は説教の中で、よりやさんに与えられている鍛錬は、また共に担うわたし達の鍛錬だと語る。
この鍛錬という概念がない時、それは不幸や不運となり、人々はお払いなどをしてその不運を取り除こうとする。 しかし、それは取りも直さず神ご自身が与えられたものだと知る時、それはまったく違ったものとなる。 十字架そのものがその事を指し示している。
<ヘブライの信徒への手紙 12章1-13>
1 こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、
2 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。
3 あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。
4 あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。
5 また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。
6 なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
7 あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。
8 もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。
9 更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。
10 肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。
11 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
12 だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。
13 また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。
明日は日曜日。 1週間のうちで一番早起きする日。 だからもう寝よう。 今日した事、小説の推敲、整体、ジム(ボディーアタックとラテン)
さっき、よしやさんの日記を訪ねたら、タミの事が書いてあって、 ほのぼのした。 よしやが食べられないご飯を食べに来て、涼みに来るタミは、よしやのベッドで本を読んだり、昼寝をしたりするという。 そういえば、夕べもタミがベッドの上にいてご飯を食べていた。で、よしやは イスに座ってたっけ。そんなタミがそばにいるだけでよしやさんは癒されるという。ほのぼの・・・
この日した事
まず耳鼻科。 mGからジム行きを誘われたものの、鼻がそれどころではない。 あぁ、これを読む人は、またと思う事だろう。咳はなんとかおさまったが、鼻水とくしゃみが止まらない。アレルギーであるのはあきらか。 ね、病院は図書館だと思えばいいし。本3冊とプリントアウトした原稿と赤鉛筆を持っていく。 ちょっとがっかりするくらい待ち時間が短くて、拍子抜け。お盆だからみんな、耳鼻科どころではないのだろう。 本3冊なんて、全く必要なかった。しかし鼻の不快感はピタリと止まる。行ってよかった。
家に戻って、8月25日掲載予定の心太日記を書く。 14歳の時に書いた読書感想文を題材にして。 人間って、点で生きているのではなくて、線なのだなあと思う。 もう昔に退いてしまったはずの過去の自分というのが、今の時を生きている自分の中にそっくりあることの不思議。 状況はめまぐるしく変り、実年齢も、また外見も変化してゆくというのに、 なんだろう。本質的な部分、言葉が出て来るそこのスポットというのはあまり変らないものなのかもしれない。
夕方、ジムで3本もクラスを取って戻ってきたmGと、よしやさんの病院へ。 途中牧師とすれ違う。病室にはタミがいた。昨日は副作用が出て飲み物も飲めないほどだったと聞いていたが、今日は少し元気。副作用が少しづつおさまり、しかもそれが有効な治療となるといい。
よしやとタミのまわりにある優しく、自然な、オーガニック(変ないいまわしだけど)な空気はいつも好きだ。アメリカ人のタミはそのニュアンスまで正確に日本語を話す。けれどに日本人の真似はしないし、アメリカ的というわけでもない、タミ的。独特。いいカップル。
タミのリクエストで、ヒーリングする。肩に置いた手から彼の命の強いエネルギーが伝わってくる。ヒーリングはひとつの祈りの形。 大昔、医学がまだ発達していなかった頃、人は自分のエネルギーを病気の人のエネルギーに流し込むことを、あたりまえのようにしていたはずだ。
まだ10時20分だというのに、ねむい(あくび・・・) どうしたんだろう。 そうだ、夕べ遅く次男が戻ってきて、今日からサークルの合宿だから今朝は始発でまたつくばへ戻ると言うので、せめて朝ごはんをと5時半に起きたのだった。 一日、クーラーも付けずに、汗をかきかき、書いた。お話の最後のところまでなんとか旅を終えた。そう、書いている時は行き先の分からない旅に出ているようなもの。次なる課題は、これを半分の分量に絞り込み、推敲に推敲を重ねる。わたしは書く間、それは楽しかったけれど、読んで下さる方にとってはどうだろうか…
だめだ、これ以上はもう書けない。
おやすみなさい〜〜^
2004年08月11日(水) |
ホリステイツクな一日 |
今日は朝、自転車で家を出て、日が沈んでから戻ってきたが、サイクリングに出かけたというわけではない。タイトルをつけるとすれば、ホリステイツクな一日だった。
まず朝の9時、自転車をこぎこぎ、よしやさんの病院にノニジュースを届けに行く。 朝早く、よしやさんのお母さんからノニジュースの注文があり、彼が病院で飲んでいるノニを切らしたという事だった。我が家にはまだ2本ストックがあったから急ぎ1本持っていったのだった。医者がアガリクスは抗癌剤といっしょには使えないが、ノニジュースは身体に良いし、飲んで良いと言ったとの事だった。実は昨日お見舞いに行く時に持って行こうとしたのだが、病院ではだめだろうと思ったのだ。医者からお墨付きを貰ったので安心だ。日本の医者も、西洋医学だけでなく、漢方やハーブなどの代替医療を取り入れて行く方向にあるのかもしれない。 人間を心身一体の全身的存在ととらえるホリスティック医学が日本でも注目されるようになったと聞くが、西洋医学では欠落してしまっている事を補えるのではないかと思っている。
病院を出ると今度は来た道を戻り、反対方向のジムへ向かう。この間、自転車で50分。これだけでもかなりも運動だ。 治療の意味もあって、プールでの運動をする。実は先月、股関節を痛めて今治療中の身。スタジオでのエアロビクスは痛んだところに負担がかかるが、水の中だと動かす場所や大きさを加減すれば、負担をかけずに運動する事ができる。ここのところは、ずっと水中ウォーキングにとどめていたが、すっかり痛みもなくなったので、今日はアクアビクスなる水中エアロビクスをやったのだった。インストラクターは、ラテンを教えてもらっているぽっぽせんせいだったので、いつものラテンの音楽にのって気分はラテン。
その後、ジムの近くにある整体へ行く。先月股関節を痛めてしまって、立っているだけでも痛く、ひどい時には痛みのために眠れない時もあったので、これはほおっておくわけにはいかないと近くの整形外科へ行った。レントゲンの結果、骨には異常はないので、関節の間にある軟骨の問題だろうという。その状況を確認するためにMRIとか血管造影の検査をし、問題になる部分を手術すると言う。ちょうど次男がそういう検査を日々していたし、手術などと言われていたから、そういう事はもうたくさん!という気持ちがあった。他の方法で治したいと思った。
そこで今月に入ってから中国人がやっている整体を受けはじめ、今日で4回目。まだ若い女性の整体師だったが、わたしの足について、これは今痛めたものではなく、小さい時に痛めたものがでてきたものだと言う。これには説得力があった。というのも、この腿全体がすくむように痛む独特の痛みを小学校2年生の時に経験していた。突然足が痛み、立てなくなってしまい、病院に行ったら小児リュウマチだろうと言われた。さらに遡れば、新生児の頃、股関節脱臼をしたと母から聞いた事を思い出した。 整形外科の医者には悪いが、わたしは彼女の診立てとその後の治療の方法の方が理にかなっていると思う。 整体師はすぐに痛いところはさわらず、まず身体全体のつぼを刺激しながらマサージをした。身体全体の血流をよくするためだ。経絡に働きかけているのだろう。足以外には何の問題もないと思っていたのに、異常の凝っているところや、押されると痛いところがいくつも見つかる。 最後に問題の股関節だが、足の関節をぐるぐるまわした後、かなり力を入れて、関節と間接を引っ張る。ええっ、そんな事していいの?と思ったが、これこそが整体なのだ。炎症は間接がずれてしまって事で起きたとすれば、ずれを元に戻す必要がある。これが西洋医学となれば、検査→手術、あるいは痛み止めとなるわけだ。
彼女から聞いたところでは、中国には病院の中に整体科があり、日本のように整体治療院でやるのではなく、公的医療機関の中で、ひとつの治療としてなされるらしい。そういえば、イギリスではヒーリングといった代替医療にも保健が適用されると聞いた。日本でも最近は病院で漢方薬も出してくれるようになったが、早く代替医療が保健で受けられるようになるといい。背に腹は代えられないものの、また中国から来た彼女達の生活がかかっているものの、一回に5500円という治療費は高い。。
整体の後はジムに自転車を置いたまま、電車で大宮まで出て、早々と帰省のためのお土産を買いに出る。これがいつも迷うところだが、わたしの母からは、スウェーデンのジンジャークッキーというリクエストがあったから助かった。成城石井で、うすいジンジャークッキーがびっしり入っている丸い缶(トールペイントがほどこされている!)を7つ、地方発送してもらう。ラッキーな事に、この商品はこの期間、セール中だった!
買い物の後再びジムに戻り、仕上げはヨガのクラス。 これも言ってみれば代替医療。深い呼吸とともに、様々なポーズを取りながら、身体のうっ血を取ったり、つぼに刺激を与え、身体全体の気の流れを調整する。
ヨガの後は、すでに日が落ちて涼しい風が吹く農道をまた自転車をこぎこぎ帰ってきた。
2004年08月10日(火) |
書いたり、訪ねたりの今日 |
ここの所、ここ数年来、ご無沙汰してしまっている方々に手紙を書き、本を送るという作業が続いている。今日も午前中、中学校の時の国語の先生(バラの木にバラの花咲く…の短冊を下さったS先生)や、父の友人で、故郷の町の文芸グループに属しているMさん(彼はわたしの本を15冊、いろんな方に売ってくださった)近所のおじさんでもあった町の教育委員長さんだったEさん(子どもの時からかわいがってもらい、就職の時お世話になった)。 わたしに書くことを勧め、励ましてくれていたアメリカに住むDにも1年ぶりくらいに手紙を書く。日本語は一字も読めない彼女だが、わたしの本を喜んでくれるだろう。 こうして手紙を書いていると、なんという無沙汰をしていたのだろうと、唖然となるのだ。いくら心で思っていても、それを伝えなければ、繋がりを持ち続けるのは難しいのに… S先生などは30年近く年賀状も出していないのだから、きっと驚かれる事だろう。 でも、気にかかってきたそれらの事を終えると、課題を終えたようにほっとした。 まだまだお便り書かなければならない方はいるのだが、また後日。
午後から小説の続きを書き始め、枚数をカウントすると、予定の原稿用紙100枚が、まだ最終章を残して、200枚を超えてしまっている。字数のカウントの仕方を間違えていたようだ。足りないよりは多い方がいいのだろうか。 ともかく、最後まで書いてみないことには・・・ 内容はともかく、枚数は充分だという事でほっと一安心。
夕方、mGが6時過ぎには戻って来たので、よしやさんの病室を訪ねる。今日は抗癌剤を入れたと聞いていたので、ぐったりして話もできないんじゃないかと心配していたが、日頃のさわやかな笑顔はそのまま、動きもつい昨日までロッククライミングをしていましたという感じで軽やかだった。けれど、明日からは副作用に悩まされる事になるんだろうか。副作用は人によって出方が様々だと聞くが、ひどいものでない事を祈る。
ワイフの民との2ショットの写真が壁に素敵にアレンジされている。今日は民がお昼に来ていっしょにお昼ご飯を食べたらしい。 そう、よしやさんも凄いけど、民も凄い。こういうシチュエーションの中で、二人ともごく自然で、よりいっそう輝いている。 神の前に彼らは豊かだなあと思う。
2004年08月09日(月) |
病院の待合室を図書館に見立てるということ |
今日は眼科に行く日だった。小さな町の病院だというのに、ここの眼科は恐ろしく混む。
さんざん待った後、ようやく診察。 若い、ロングヘアーのお姉さんのドクターが、
「お待たせしました〜」
と可愛らしく言った後、両目をさっ、さっ、と見て、
「まだ目薬を差していてくださいね、では3日後にまた見せてください」
と、ものの5分で終了。
そのために2時間近く待ち、さらに会計で40分、薬で40分待つのですよ。どこもこうなのでしょうね。日本の医療機関ってどうしてこうなんだろうか。。
文句を言っても仕方ないので、わたしは病院を図書館代わりに利用する事にしてます。 あくまで図書館へ行くモードで、その合間の5分に診察がついでにあると考えるわけです。 で、バックパックに読みかけの本を2冊。まじめな本と息抜きの本。 創作ノートと筆記用具。時折り、手紙と、返信用の便箋や葉書。 半分が氷のアイスコーヒーをジムへ行く時に持っていくペットボトルホールダーに入れ、キャンディーやら、スナックまでしのばせて出かけるのです。手持ち無沙汰で長時間待つというほど苦痛な事はありませんが、やる事と必要な物さえ持参じていれば、時間は豊かにできるというものです。
今日は、こういうところでないとなかなか集中して読めない、高橋たか子の 「装いせよ、わが魂よ」を半分近く読みました。 以前に一度読んでいるので、数年ぶりに2度目を読んでいます。前にも書きましたが、彼女の小説は筋のおもしろさで読むものではないので、ストーリーの結末はすでに知っていても、そこに書かれている言葉は新しく今のわたしに働きかけてきます。前に読んだ時のわたしの状況とは変っているので、また違う場所に光りが当たり、前には読みきれていなかったところがぼおっと明るく照らし出されます。そして読みながら、まだ読みきれていない部分が確かに感じられるのです。きっと3回目、4回目と読むことになるのでしょう。こういう作家と出会えている事をほんとに感謝に思います。
ところで、9月11日に、生高橋たか子氏と対面できそうです。 ネッ友のSから情報をもらったのですが、近代文学館ホールで開かれる、声のライブラリーという催し物で、高橋氏の「きれいな人」の自作朗読が聞けるのです。その場で購入する著書には作家からサインもいただけるらしい! サインを期待するというあたり、ファン以外何者でもないですね。 自覚しました。ファンなのです。 うまくゆけばSとも会えるし、と楽しみな秋です。
ちょっと疲れたので、今度は創作ノートに今書いているストーリーの続きを4ページほど書きました。パソコンで書いているので、家に帰ってまた入力する必要なありますが、こういう時間でも前に進むことができて、得した気持ちになります。 これだけ集中してやってもまだ呼ばれない… そう、このなかなか順番が来ないというのがいいのかもしれません。家だと、集中が続かず、他の事に気持ちが移ってしまいます。しかしここでは他にやることとてないからまた作業を続けるわけです。 時間はタップりあるのですし、しかも涼しいです。 ね、病院の待合室って、けっこういいです。
おっと、12時。明日の朝早起きしたいので、寝ることにします。 おやすみなさい〜
2004年08月08日(日) |
神の前で豊かであること |
「ある金持ちの畑が豊作だった。 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「 さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」 と。』しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
ルカによる福音書、12章16節から21節までの、イエスが群衆に語ったたとえ話のひとつだ。今日の礼拝で読まれ、語られた箇所だった。
<説教を聞きながらメモした事>
あなたは何をいちばん自分にとってかけがえのないものとしているか。 神の国が来ているのだから、神の国に生きる者となってほしい。 金もちとは、最も大切なものを第一にしない生き方の象徴。 神の前で豊かであること、それは物質的な豊かさではない。 社会的な地位や名誉でもない。 命への感謝、感謝は愛する心を呼び覚ます。 それは一度手にすれば永遠に自分のものになるというようなものではなく、日々新たにされて、真の知識に達するという生き方。
神の前で豊かであること――このフレーズが新しく飛び込んできた。 きっとこれまで読んだ時には素通りしていたのだ。 ではわたしにとって神の前で豊かであるためには具体的にどうすれば良いのか。繰り返し新しくあの方の前に立つという事だろう。問いかけも感謝も、内から迸り出るものも、何もかも、新しくありつづけることだろう。 それをこの1週間の課題にしよう。
明日からよしやさんが肺癌の治療のために入院する。 彼は3日前からWEB日記を始めた。「書くことで励まされる事が分かりました。日記を書く事を勧めてくれてありがとう」とメールが届いた。彼はこれまでライブで演奏活動をしてきた人だ。演奏ができなくなった今、書くという自分を外に出す行為は彼にとってとても意味あることだと思う。もうよしやさんは気がついただろうか、WEB日記を書く事はある意味、聴衆を前にその時の自分をそのままに開くライブだと。
よしやさんの日記・泣いて 笑って 空をみて ぜひお読みください。いつもはロックのバンドの中でアコーディオンを狂い弾く彼のライブですが、これは激しい闘病のライブです。そこにじっと目を凝らすと、わたしたち一人一人を生かしている命の源が見えてきます。 そしてどうぞ、彼の闘いのために祈って下さい。
2004年08月07日(土) |
今日、記しておきたい事 |
とても夜遅い時間になったので、 数行だけ、今日記しておきたい事を少しだけ。
またもや別の友人からおもいがけない贈り物が届いて驚いた。 RememberYour First Love という2枚組のCDで子羊の群れというオリジナルの讃美歌を歌う合唱団が去年ニューヨークでコンサートをし、その時のCD。
友人はこのCDを聞いた時、「耳というより、直接心に飛込んで突き刺さった感じがし」、即そのCDを自分の分とわたしの分、注文してくれたという。 彼女はクリスチャンというわけではないけれど、スピリチュアルなもの、真理ともいうべきものに、心が開いている人だ。 これまでもいろんな音楽や本を紹介してくれたけれど、讃美歌というのは初めてだったから驚いたのだった。 その讃美歌には今まで触れた事のないものを感じた。 そこにあるものが何なのか、分け入って感じてみたいと思う。
もうひとつ、うれしい事。 ここでも書いた、深刻な病を負う事になってしまった友人が、WEB日記を始めたと、先ほどアドレスをメールで知らせてくれた。 どきどきしながら開いてみると、3日分ほどの日記が綴られていて、大いに感動した。文は人なりというけれど、彼のまっすぐな美しさというのが、それこそまっすぐに届く。病気を負う痛々しさはそこになく、生きる喜びが溢れていてまぶしいくらいだ。 彼に、日記を紹介してもいいかどうか打診のメールを出した。わたし一人で読むのはもったいなさすぎる。
2004年08月06日(金) |
「死んだ女の子」という歌 |
「死んだ女の子」という歌をご存知だろうか。 わたしは8月6日が来る度にこの歌を思い出す。 広島の原爆で死んだ女の子のことを歌った歌のこと。
背筋がぞっとするような体験は、わたしが記憶する限り、その歌を聞いた時が初めてだった。わたしは6歳か7歳だったはずだ。なぜなら歌の中に浮かび上がってきた女の子が同年齢の女の子だったから。
その頃、家にはポータブルのレコードプレイヤーがあって、ドーナツ判のレコードや、ぺらぺらのプラスティックでできているソノシートのレコード集のコレクションがいくつかあった。ある日見かけないソノシート集があって、わたしはそのソノシートアルバムから一枚取り出し、聞き始めた。今思えば、それはロシア民謡などを集めた若い人のための歌曲集だった。その曲がいったい何曲目に入っていたかは覚えていないが、それまで楽しく聞いていた歌が、いきなり恐ろしい歌に変わってしまった。家には誰もいなかった。
手と目が焼けてしまった女の子が、とびらを叩いているというのだ。 原爆の事は知っていた。実際にあった事。という事は原爆で死んだ女の子が、今もここにいて扉を叩いていてもおかしくないと思った。その子がお菓子も食べられない事、悲しがっている事、そして体中が焼け爛れているという事が絶え難く怖かった。その少女の存在というよりは、もしわたしがそうなったらどうしようという恐怖だった。それ以来、わたしはそのソノシート集のジャケットが目にはいるだけで、叫び出してしまうほどヒステリックにその歌を怖がった。
その歌を聞く事で、戦争が人間にもたらすぞっとするような体験を他人事としてではなく、自分自身にも起こり得る事として生々しく体験したのだった。それは小さい子どもにとってはトラウマにさえなり兼ねない怖い体験だったが、その怖さ故に、わたしは戦争を忌み嫌う子どもとして育った。 その歌に加えて、わたしの育った大分県は8月6日はいっせいに「平和授業」が行われ、夏休みのさ中、その日は学校へ行った。広島に原爆が投下された朝8時15分には黙祷を捧げるためのサイレンが町中に響くので、校庭や昇降口にいる生徒や教師はその場で立ち止まり黙想した。そういう教育ももちろん影響しただろう。
大人になって、もう二度と聞きたくないと思ったその歌を探した。あれほど怖かった歌をもう一度自分に引き寄せようとしたのは、その頃わたしは小学校3年生の担任をしていて、8月6日の平和授業で、なんとしてもあの歌を子ども達に伝えたいと思ったからだ。 あの恐ろしい体験を9歳の子どもにさせる事に迷いがないわけではなかったが、それが恐ろしい体験であればあるほど、子ども達は身を持って戦争の恐ろしさを知ると思ったからだ。平和授業の前に、その歌の収録されているカセットテープを手に入れる事ができた。 初めての平和授業の日、わたしは子ども達といっしょにその歌を聞き、歌詞を読み、歌い、話し合い、感じた事を作文に書いた。 あの子ども達はもう32歳、彼らは「死んだ女の子」の歌を覚えているだろうか。
死んだ女の子 【 作曲者名 】木下航二 【 作詞者名 】ナームズ・ヒクメット 【 訳詞者名 】飯塚 広
扉をたたくのはあたし あなたの胸に響くでしょう 小さな声が聞こえるでしょう あたしの姿は見えないの
十年前の夏の朝 私は広島で死んだ そのまま六つの女の子 いつまでたっても六つなの
あたしの髪に火がついて 目と手が焼けてしまったの あたしは冷たい灰になり 風で遠くへ飛び散った
あたしは何にもいらないの 誰にも抱いてもらえないの 紙切れのように燃えた子は おいしいお菓子も食べられない
扉をたたくのはあたし みんなが笑って暮らせるよう おいしいお菓子を食べられるよう 署名をどうぞして下さい
2004年08月05日(木) |
赤い光りがこぼれる夜に |
明かりを落としたリビングルームの丸いガラステーブルの上、 様々なトーンの赤いガラスをはめ込んだステンドグラスのランプシェードを通して不思議な赤い光りがこぼれている。
友が送ってくれた思いがけない贈り物のランプ。 このランプは夜の部屋の空気をすっかり変えてしまった。 キャンドルが灯る暗い部屋のように、暗闇が神聖なものになる。 実際わたしは、このランプの明かりがまっすぐ見える、このテーブルから離れる気がしないし、夜の時間が刻々と過ぎてゆくのが惜しまれるのだ。
でもこの赤いステンドグラスのランプはこれからは夜ごとに灯るのだから 明日の夜を楽しみに、しばらくしたら明かりを消し、寝部屋へ行くとしよう。
画家のはるさんのサイトの掲示板で、染色家 toshiさんと対話が続いている。 「あちらの世界」と「こちらの世界」のことから始まって、「迸り出る世界」まで。 新しく出会ったtoshiさんの世界に少しずつ入っていくことで、わたしの世界の色合いが少しづつ変る。友から送られてきたランプがわたしの夜を変えたように。出会いとはおもしろい・・・
<今日掲示板に書き込んだこと>
toshiさん、わたしも時時、眠れない夜中に一人起きだして、何をするかといえば、PCを開くのです。どこかわたしの世界の外にある「迸り出る世界」を求めての事だと思います。 孤独だからこそ、他の人の孤独、そこからの迸り出るものが染入り、力のようなものをいただきます。
「人は生まれながらに固有の世界を持っている。その世界はいわば孤独というのと同意義なのだが、決して悲劇的な、閉鎖的なものではない。それは充足した、円満な、迸り出る世界である。」 福永武彦著「愛の試み」より
一昨日のはるさんの日記の >「自分の表現」は気が付かないけれど、もうすでにすべての人が持っているものなのだ・・・・ の箇所を読みながら、この「自分の表現」を「祈りの心」とも「迸り出る世界」とも置き換えられるのではないかと考えました。 気がついているかいないかの違いはあれ、すべての人がすでに持っている何か。 toshi さんが、車窓から見て「すごい」と思った数知れないたくさんの誰かの「世界」がそこと繋がるように思いました。 自分以外のすべての人と、実は根底のところでとてつもないものを共有しているというおののきが起こる時、この世界は捨てたもんじゃないという気になります
今週1週間、同居人mGが夏休みなので、ジムばかりでなく、一日くらいは遠出もしようと、朝から那須へ行ってきた。やはり高原は涼しい。
ホテルサンバレーの中にある温泉レジャー施設は、44種の温泉があり、水着着用のクワゾーンや、ゆっくり休める戸外のイスや、読書ができる明るいサウナがあって気に入っている。とは言うものの、良く行っていたのは数年前の事で、ジム通いを始めてからはそれまではまっていた温泉にきっぱり行かなくなっていたから、2年ぶりの那須だった。
男性には申し訳ないが、女性専用の露天風呂はすごおく広くて、自然の中にある温泉という作りをしていて、どういうわけか、いつも人が少なくて静かなのだ。実際ここにいると帰りたくなくなる。 こういうところで書いたら集中していいものが書けるのだろうなあと思ったが、実際のところどうかは分からない。
大半の時間は、水着着用の場所で、水遊び(お湯遊びですね)をしたり、サウナや戸外のイスで本を読んだり、昼寝したりして過ごした。朝あわてていたから、じっくり本を選ぶ時間がなく、バックにつっこんだのは 吉本ばななの古いエッセイ集「パイナップリン」とパスカルの「パンセ」だった。なんだかあまりにも傾向の違う意味不明な組み合わせだが、ちょうどサウナと水風呂に交互に浸かるような具合で、2つの本を交互に読んだ。充実の読書タイムだった。
帰りに、これも気に入っているイタリアンレストラン「ジョイア・ミーア」 でパスタとピッツァを食べる。 このレストランの内側の白い格子窓から見える外の緑の木々がとりわけ好きなのだ。もちろん、本格的な薄いパリっとしたピッツァもおいしいのだが。 デザートに食べたカシスのシャーベットは大きな皿の真ん中に大輪のバラのようにしつらえてあって、二人でも食べきれない迫力だった。 この店には最近、皇族の雅子さんが娘と来店したらしく、写真が貼ってあった。
よい夏休みの一日だった、と日記に書いておこう。
ハーブの精油の中にパチュリーというのがある。 麝香(じゃこう)のような、墨とか香を思わせる、甘く重い香りを持つ。 パチュリーはシソ科の植物で原産国はインドネシア・中国・マレーシア・インド。本にはオリエンタルでエキゾチックな香りと記されている。インドでは伝統的な医学でひろく用いられてきた精油でもあるらしい。
わたしが初めてこの香りと出会った場所はアメリカだった。アメリカ人のDの家を訪ねた時、家の中にこの匂いが満ちていた。わたしはこの匂いのとりこになり、またその匂いをまとっているDに興味を覚えた。彼女が5歳の時に他界した父親は著名な著作家で、Dも父親の影響か、小説や詩を書いていた。
そのDと、わたしはいっしょに子ども達を遊ばせたり、料理をしたり、キッチンのテーブルで話込んだりしたものだったが、彼女はよく、わたしと話すと仏教に心酔していた時の気分にさせられると言っていた。わたしがキリスト教の信者だと知っていてである。ヒッピームーブメントの中でDは仏教に触れたという事だった。一方わたしは、その国の公民権運動を通じて、黒人霊歌やゴスペルソング、プロテストソングを通じてキリスト教への傾倒を深めた。
彼女がわたしのどこから仏教(ブディズム)を引き出していたのか、わたしは知るよしもないが、彼女の国の文化の中にはない東洋的な物の考え方や宗教観が知らず知らずのうちに出てきていたのだろう。 パチュリーとの出会いをモチーフにした小説の部分を書きながら、今日はそんな事を考えていた。
そういえば、実家の母はお寺のご詠歌のグループに入っていて、毎週お寺に通ってはそこに集まる婦人達といっしょにご詠歌の練習をしているのだが、母がご詠歌の指導をされているお寺の奥様に「育つ日々」を差し上げたところ、とても共感して下さったという事だった。そればかりか、ご詠歌にいらっしゃる方々に本を勧め、注文を取りまとめて下さったらしく、母から20冊の注文があった。その方に、わたしはまだお会いした事がない。 今度実家に帰った時にはお寺を訪ねて、ご詠歌の集まりにも出てみようと思っている。
そういえば、全く意識していなかったが、今日出掛ける時に持って出た本は「声明は音楽のふるさと」(岩田宗一著・法蔵館)だった。 南ドイツにあるボイロン修道院のグレゴリアンチャントの文献を探していて、この本の事を知り、アマゾンに注文した。 作者は仏教音楽の研究者なのだが、ボイロンの修道院でしばらく修道士と共に生活し、この修道院に特色のあるグレゴリアンチャントを学んだというのだ!
わたしは12年前、家族と共にこの修道院を訪れ、修道士達の歌うグレゴリアンチャントを実際に聞いている。その歌はとうてい忘れる事はできない、何にも形容し難い美しさだった。その魅力や、特質がどこから来るものなのか知りたいと思っている。 グレゴリアンチャントを始めて聞いた時、仏教の声明に似ていると思った。新しい西洋の音楽というよりは、むしろわたしの血の中に流れている音楽という感覚があった。 そこにあるものを見つめてみたい。
今日、宗教は対立し、区別する方向ではなく、そこにある共通するものを見出す方向に向かう必要があると思う。そして、そういう気づきや動きは、様々なレベルで(宗派の指導者のレベルでも個人のレベルでも)すでに始まっているように見える。今自分の知っている事、信じている事、あるいは信じていないという事の中で完結するのではなく、それぞれが自分のたましいを頼りに、奥へ奥へと分け入ってゆけば、みな、ひとつのところへ行き着くのではないかと、争いも搾取もない、お互いを受け入れ愛し合う世界を、人類が手にする可能性はまだ残されていると、そんなファンタジーを抱いている。
今日、次男Mが3週間の入院から戻ってきた。 すでにここにも書いたが、検査の末、結局は肺の手術は見合わせる事になった。(心配し、お祈りしてくださっていたみなさん、ほんとうにありがとうございました) ベッドの上で3週間を過ごしたMは、バカ食いもできなかったからいく分ほっそりとなり、男前になって戻ってきた。顔つきが良くなったのは、暇にまかせて本をどっさり読んだせいで知性が増したからかも知れない。入院する前に期待していた「悟り」は開けなくとも、まずはめでたし。
退院のもろもろはmGに頼んで、わたしは午前中、どういうわけか充血して痛くなった目の為に眼科へ行った。アレルギーと診断され、当分の間、コンタクトレンズを禁止されてしまった。つまり眼鏡の生活。ジムとか風呂とか眼鏡はいろいろと不便だけれど、しかたない。もうトシなのだから眼鏡に代えたらどうですかと目医者に言われたのは確か10年近く前の事だった。あの時は実を言うと傷ついた、トシだなんて! 今度こそトシかも。。
ひとつ、行動的な事もした。ようやく心を決め、夕方大宮駅の旅行会社に出かけ、九州きの航空券を買ってきた。今朝まで、どうしようかと悩んでいたが、Mも手術をしないとなれば、帰省しない理由はない。夫の実家もわたしの実家も年寄りだけの暮らし、手伝う事はいくらでもあるのだから。 毎度の事ながら、帰る事を決め、チケットを買ったら(ぎりぎりセーフで、一泊付き、格安航空券が手に入った)、たちまちすがすがしい気持ちになる。 夏休みが短くなる分、集中して事に当たらねばと、気も引き締まるというもの。 こんな事なら、もっと前に決めておけばいいものをと、これも毎度思うこと。
というわけで18日から27日まで留守です。パソコンはワープロ用に持って行くにしてもネットに繫げないから、久々のネット断ちとなります。 その前に書いておかなくてはいけない課題がある。がんばろっ。
2004年08月01日(日) |
読んだ本のこと、読んでる本のこと |
ついこの前、原因不明で夜通し眠れないということがあったが、 昨夜もそうだった。 昨夜の場合は、パーティーの時に飲んだコーヒーのせいだろうと思う。 眠れない時にはどんな事をしても眠れないものだ。 そのせいか、今朝は礼拝の司会だというのに、途中で頭がぼんやりしてしまって、進行を間違えてしまった。全く、考えられないような場所で・・・ ああ、失態!
最近読んだ本、今読んでいる途中の本の事を書いておこう。 ここにでも書いておかなければ、忘れてしまいそうだから。 1週間ばかり、ちょこちょこと、またとろとろと、朝や夜のお風呂の中なんかで、江国香織の「なつのひかり」を読んだ。
この頭がぼおっとなるような夏の午後に、氷水を飲み飲み汗をたらたら流しながら読むのに、あるいは、夏用バスクリンを入れた青いインクのようなほとんど水のようなお風呂に浸かりっぱなしで読むのに、この本は実に合っていた。
ストーリーはあまりに奇想天外、かつ非現実的なのだが、なぜか「ここ」という感覚が起こる。 「ここ」というのはわたしのいる場所。「ここ」にある意味近いと感じるのは、わたしの夜に見る夢や、昼に起きながら見る夢の匂いとどこか似ているからなのだろう。むしろ、そういうヒミツの世界が誰もが読む本の中に現れていて、この本の事を知っているのはわたし一人に違いないのに…という妙な錯覚まで起こる。 「不思議な国のアリス」や「鏡の中のアリス」を読んだ時の感覚とも似ているような・・・ で、小説を書くという視点でも、たくさん学ばせてもらった。
「なつのひかり」と平行して「それでも作家になりたい人のためのガイドブック」桂秀美・渡部直己著・大田出版 を読んだ。 ちょっとタイトルがはずかしいので、電車の中ではしっかりカバーをかけて読んだが、この本でも、ばっちりお勉強させていただいた。
しかし、この本の冒頭、「本の使用法」に 5、四十代以上の人々へ――たぶん読まぬほうがよい。この世界史的激変期に不惑過ぎてなお「文学」などというものに憧れているような人々が本書を読むと、とてもいやぁ〜な気分になるでしょう。 とある。
少しでもましなものを書きたいと思っているのに、はじめから門前払いを食わされた感じだが、わたしのようなヘソマガリは、こう言われれば、余計に読みたくなるというもの。 確かに様々な作家の様々な作品をズバズバと暴き、ビシバシと切っていく辛口の批評もあったが、一方で、作家の凄さや学ぶべき点を「これだ!」という具合に明確に見せてくれる点は有意義だった。なるほどと思った。学習効果は大だったと言える。
しかし、なんとも後味が悪い。あまりにネガティブなエネルギーが強いので、 心はバランスを取り戻そうと、ポジティブなものを求める。そこで、これだと狙いを付け、前に読んだ保坂和志氏の「書きあぐねている人のための小説入門」をまた読み始めた。 あぁよかった。こっちからは、「あきらめろ」ではなく「書けるよ、がんばれ」という励ましが届く。本つくりの作業を終えた後は、前よりも書いていることがビシッと分かる。ここから始められるという気がする。 いろんな叱咤激励があるが、この「大丈夫、きっとできる」Yes,you can! という励ましは、ほんとに人を前に進ませる力になるなと思う。 子ども達に、生徒たちに、あるいは仲間に、そういうポジティブなエネルギーを送っているだろうか。
Yes,you can! You can do anything!
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