たりたの日記
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2004年06月30日(水) |
「まだ遠い光」、読み終える |
わたしは本に限らず、活字を読むのが遅い。 活字に限らず、何においてもスローなのではあるが。 しかし昨日の日記に書いた「家族狩り」第5部「まだ遠い光り」を一息に読んでしまった。すでに寝なければいけない時間をとっくに過ぎているのに、読み終えるまでは寝るわけにはいかないという気分に陥ってしまって、ようやく500ページあまりの文庫本の最後のページを読み終えたのは深夜2時半だった。
まだ読んでいない方のために、ネタバレは避けなくてはならないし、あまりに先を急ぎ過ぎながら読んだために、まだじゅうぶんに自分の考えがまとまっていない。 言えることは、考えないわけにはいかないだろうということだ。家族の病、幼児虐待、家庭内暴力、そして、なにより人間に巧妙に入りこみ、そこに巣食う悪魔。ここ数日間、出会ってきた登場人物達と、わたしは対話を始めるだろうと思う。きっと頭の中はそのことでいっぱいになる。 でも、その前に遡って1部と2部を読むことにしよう。
2004年06月29日(火) |
「家族狩り」を読んでいる |
ここ数日間、天童荒太の「家族狩り」に没頭している。 これは、新潮文庫で、第一部から第五部まで、今年の1月から一冊づつ発売されてきたらしいが、わたしがこの本の事を心太のワタナbさんから聞いたのはつい先週だった。すごい本ですよと。 わたしは、まずタイトルが気になった。以前、同じ作者の「永遠の仔」が話題になった時は、本屋の店先で立ち読みし、その世界の暗さに思わず後ずさりしてしまい、気になりつつも、読まずにきたのだった。 そのことがひっかかっていたこともあって、「家族狩り」は読んでみようと本屋へ行った。本屋には第3部と4部しかなかったので、ともかくその2冊を読んだ。今日にでも、他の3冊を、とりわけ、完結篇の第五部を読まなければと思っている。
児童相談員の若い女性、児童虐待の疑いのある父親、子どもを亡くし、自殺未遂を計る妻、その夫が追っている事件は、家族一家が残忍な方法で殺されている事件。一見無理心中に見えるが、話の展開は、そうではないもののように暗示している。リストカットをし、家庭内暴力が始まった女子高校生。自分の生き方に疑問を抱く青年教師、ボランティアで思春期の悩み相談や集会をしているなぞのカップル。まだまだ、登場人物はいくらでもいて、それぞれに物語があり、その人の人生が見え隠れする。
暗い、醜い、戦慄が走る、怒りや疑問が沸き起こる。そして、思うことは、この小説の世界がまさに、わたし達の生きる今のこの社会を写し取っているということだった。こういうことは日常的に起こっているのだろう。こういう人達と、わたしは電車の中で、スーパーマーケットの中で、行き交っているのだろうと実感できる。 新聞やニュースで報道される青少年の事件に、駅で頻繁に流れる、人身事故のアナウンスに、わたしたちはもう麻痺してしまうほどだが、心の奥では、人が生きていく上には想像を絶するほどの修羅場があるということ、そして、誰一人、その修羅場と無縁ではないという事を知っている。そこに起こった問題や痛みは、同じ人間である以上、この時代を生きている以上、わたし達、ひとりひとりとどこかで関係しているのだ。
作者が、この作品を通して、個々の人に、また社会に何かを訴えよう、投げかけようとしているのは感じられる。それを知るためにも、残りの本を早く読みたいと思っている。
2004年06月27日(日) |
17年ぶりにkさんと会う。 |
今日は夕方ジムのあるモールのドトールでKさんと会い、一時間半ほど話す。 Kさんとはなんと17年ぶりだ。 「育つ日々」を書いている時、団地での子育てがなつかしく、当時の子育て仲間のKさんの連絡先を調べ、ようやく電話で話したのが3月のとだった。
本ができたらKさんに差し上げようと思っていたので、再度電話をしたことだった。聞けば、Kさんもわたし達が通っているスポーツクラブの会員だという。こんなに近くにいながら、今まで会うこともなかったなんて… お互い、日々の生活に忙しく、昔の仲間に会うという心のゆとりもなかったのだ。
この17年の間に、義母と義父の介護をし、また見送り、フルタイムで仕事をし、当時5歳と4歳だった子ども達がこの春2人とも就職したということだった。介護の苦労、子育ての大変さ、わたしの知らないところで、様々に苦労してきたKさんの話を聞きいた。 けれど、Kさんは少しもやつれた感じはなく、若い頃とは違った華やかさがあると思った。
これからようやく、自分のやりたいことができる、老後の心配より、今を充実させたいと、そんな話をした。 ほんとに子育てが終わるというこの時期、誰も新しいスタート地点に立ったような気持ちでいるのだろう。 今度は4人で会いましょうと別れた。 ほんとは、子ども達もいっしょに会いたいところだが、合わせて7人の今時の若者達、とても親といっしょの同窓会なんてノーサンキューだろう。
Kさんから聞いたうれしい話。Kさんが、長男のTくんにわたしと会うことを告げ、覚えていると聞くと、引越しする時にわたしがあげた絵本がとても好きで、その本をくれた人として覚えていると言ったそうだ。 その本はわたしもKさんも覚えていないが、Tくんの心には残っていたことを知って、とてもしあわせな気持ちになった。
2004年06月26日(土) |
「めっきらもっきらどおんどん」をプレゼントに |
今日は長男Hの誕生日だった。 26日になったばかりの深夜、Hがバイトから帰って来るのを待って、例のプレゼントを渡す。先週の土曜日の日記にも書いたが、このプレゼントというのは、Hが3歳の時に一番気に入っていた本、「めっきらもっきらどおんどん」 長谷川摂子作・ふりやなな画/福音館書店だ。 いったいどういう反応をするだろうというのが、興味津々だった。
プレゼントの包みを開くや、「うわあっ」と驚きの声。 「これってすごくうれしいかもしんない」 と、興奮気味。作戦成功!
「でもね、なつかしいって感じじゃないんだ。 ずっと見て来たような、昨日も見たような感じ。うんと小さい頃、読んでもらって、それからは見てないのにね」
ふうん、そうなのか。 あまりに何回も読んでもらったから、絵がすっかり自分の中の風景になってしまったのだろうか。
「これ、ぼくの子どもに絶対読んでやる」
それはそれは。 とても父親とは程遠いいでたちのHだが、 ふと小さな子どもを自分の足の間に座らせ、絵本を読んでやっている姿が浮かび上がってきた。
いつか、そんな日が来るとうれしい。
さて、この、「めっきらもっきらどおんどん」。プロットはかの有名なモーリス・センダックの「かいじゅうたちのいるところ」と良く似ている。 かんたが、誰もいない神社で、「ちんぷく、まんぷく・・・」とでたらめの歌を歌っていたら、木の穴から奇妙な声が聞こえ、かんたはへんてこりんな3人組、もんもんびゃっこ、しっかかもっかか、おたからまんちんという、いかにも日本的な妖怪たちと遭遇する。かんたは彼らと夢中で遊ぶのだが、妖怪が疲れて眠ってしまうと淋しくなって「おかあさ〜ん」と呼んでしまう。それは言ってはいけない言葉で、かんたはたちまち現実の世界に戻される。
センダックの「かいじゅうたちのいるところ」と違う点は、3人の妖怪がそれそれ、ユニークなキャラクターを持っていて、そのキャラクターがいかにも子ども心をとらえる魅力的な妖怪たちだということ。 お話を読んでもらう子ども達はかんたといっしょになって、不思議な妖怪たちと心を通わせ、夢中になって遊ぶのだ。
最後の場面、「かいじゅうたちのいるところ」では、マックが冒険から戻ってくると、自分の部屋には夕食がおいてあってまだほかほかと暖かかったと結んである。マックは家に戻ってきたことに安堵するが、かいじゅうたちに未練はない。 一方かんたは、妖怪たちにまた会うために、あの呪文の歌を思い出したいと、 願っている。かんたの「祭りの後の淋しさ」は、きっとどの子ども達にも、そして大人達にも覚えがあって、共感のひそやかな喜びをそこに見つけるのではないだろうか。
昨日、わたしの義理の伯母が94歳で他界した。 その人は父の兄嫁にあたる人で、わたしが慕っていた従姉達のお母さん。 去年の5月に、母と弟といっしょに15年振りに、その土地を訪れ、伯母さんや従姉達にも会ったのだった。 その時には、わたしの事もよく覚えていて、とても93歳には見えないほどお元気だったのに。 父の事も心配してくださっていたのに、先に逝ってしまわれた。 でも、娘や孫達に囲まれ、慕われて、強く美しく生き切ったというすがすがしさがある。 伯父はもう36年前に他界し、長男は15年ほど前に亡くなっている。 天の住まいで、伯母は愛する人達と会っているのだろうか。
親達もそうだが、高齢の伯母や伯父、お世話になった方々、みな老いていく。 こうして、離れていると顔を合わす機会もなく、葬儀にさえ行けずに心苦しい。 ご無沙汰のお詫びに「育つ日々」を送ったところ、思った以上に反響が大きい。 長いこと病院で暮らしている父の姉からも何度も繰り返し読んでいると手紙が届いた。
今日は父の同僚で、すぐ裏に住んでいたMおじちゃんとおばちゃんから、手紙とお祝い金が届いた。母が「育つ日々」を差し上げたので、その本の感想を書いてくださったのだ。この本のことをとても喜んでくださっているのが伝わってきて、なつかしさと感謝でいっぱいになる。
このMおじちゃんは、お正月の朝には、必ずわたしたち兄弟にお年玉を持ってきてくださった。我が家はお年玉なしの家で、親戚も近くにはいないので、Mおじちゃんからもらうお年玉が唯一のお年玉でうれしかった。 もうずいぶんお会いしていない。
さて、今日は25日。給料日、そして心太日記の担当日。 心太(ところてん)日記にここ数日間ストラグルしていた文「ティーンエイジ」が掲載されています。どうぞお読みください。
また心太のトップの最後にある編集人セレクションに以前書いた「眼差しのある場所」が掲載されています。ここのトップは「育つ日々」の表紙デザインをしてくれた「おかめ家ゆうこ」さんのデザインで素敵です。こちらもどうぞ。
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2004年06月24日(木) |
考えて、考えた今日のこと |
今日は考えた。とにかく考えた。 駅まで歩きながら、自転車でジムまで漕ぎながら、さすがにラテンを踊る時には考えなかったけれど、その後プールで歩きながら、そしてサウナで、風呂で、また帰り道。
明日担当の心太日記に書こうとしていた13歳の時のこと。 そこから始まるわたしのティーンエイジのこと。 そんな過去の事を考えたって何もでてきはしない、と多くの人は言うかもしれない。確かに過去の出来事は変らない。けれども、そのことがなぜ起こったのか、その時のわたしの心はどうであったのかは、今という時の光りに照らされてよりくっきりと見えてくる。しかしそれは、何か薄皮を一枚一枚剥がすように、心の層を奥へ奥へと辿ってゆく作業が必要になる。
たいていの場合、そこまで考えようとする動機がないから、せいぜい、表層のところで、その時の感情を甦らせるくらいで過ごしてしまう。 実際、昨日は、すっかりティーンエイジの自分に戻ってしまって、言うに言われぬ感情が押し寄せ、泣いたりもした。表層のところで。
わたしがひかかっているのは何なのだろう。解決がついていないと思うのは何についてなのだろう。その時のわたしの心の奥へと旅を進める。 そのためにはそこに至る前のわたしに出会う必要があるし、それから後のわたしを振り返ることも必要になる。 そして何より、わたしが今立っている場所を、もう一度よおく見ること。
夕食後、これまでに書いてきた原稿にまた向かう。 さっきまで気が付かなかった事に書きながら気づかされる。 もつれた糸のように糸の先が見つけられなかったのだ。 何か、するすると解けていく感触があった。 その時に知ることのなかったわたし自身のことが、今になって分かるということに驚いた。 今日一日、考えに考えた行為が形になったのだろう。
過去を振り返るというのではなく、読み解くということ。 どんな過去も、ひとつひとつ、そこには必然があるのだから。
2004年06月23日(水) |
水曜日の夜のつれづれ |
まだ咳っぽいものの、体調はずいぶんよくなった。 仕事の帰り、1週間ぶりにジムへ寄り、動きの少ないエアロビックスを一本だけやる。 5分送れでスタジオに駆け込むと、同居人のmGはすでにみんなの中で動いていた。
ジムから帰ってきて、遅い夕食。出かける前に作っていたカレーが、時間を置いておいしくなっていた。今日のカレーにはトマト缶を1缶まるごと入れた、さっぱりと酸味のあるカレー。
長男Hから今日もお泊りとメールあり。 こちらは楽でいいのだけれど、どこへ泊まっていることやら。 次男Mはこの夏に肺の手術(おそらく肺分画)をすることを決めた。 今日、mGがつくばへ出向き、主治医と話をする。 Mは入院に際しての本を積み上げ、その時を楽しみにしている模様。 変な子だねと、我々はあきれながらもほっとする。
さて、夜は心太の原稿を、もう一度最初から。 13歳のことを書こうとして、 なんだか、わたしはわたしの中で、まだ解決がつかないままにしていた事と、 向き合うハメになってしまった。 書くほどに、書きたくないという抵抗が起こってくる。 自分の都合のいいように「思い換え」をしてやりすごしてきたことが、 時間を経た目で見ると、相手の心も自分の状態も、謎解きのように見えてくる。そして見えてきたことに、新たに傷つく。 13歳のことに限らず、人間の心の中には、たくさんの未処理の事柄、棚上げしたままの問題があるのだろう。 そして、魂はどこかで、そういう事柄とひとつひとつ向かい、そこで学ばなければならない事柄をきちんと受け止めることを願っているのだろう。
ここ1週間ばかり、健康が少々ダウンしていて、ジムにも通っていない。 症状は咳と喉と鼻。熱はないから、弱い風邪のウイルスが身体の中をうろうろしているのだろう。 熱が出れば、何もかもほったらかして寝込むが、熱もないので、こんな風に遅くまで日記を書いたりする。きっとこういうのがいけない。
ということで、今夜は風邪に効きそうな生姜の砂糖漬けを食べて、カモミールのお茶を飲んで、12時前に寝ることにします。 寒かったり、暑かったりの季節の変わり目、みなさんも、どうぞお身体に気をつけてください。 おやすみなさい〜
2004年06月21日(月) |
さまざまな検索からいらっしゃる方々 |
このところ、「たりたの日記」に異常事態が続いている。 この日記のことを知らずに、検索からたまたまここにやってくる方々のアクセス数がここのところ急に増えているのだ。 昨日一日で30件、今日は、夕方の段階で35件だから12時までには50件くらいになるかもしれない。
このレンタル日記、エンピツには、自分の日記がどこからリンクされているか分かる簡易アクセス解析がついている。 いらっしゃる方の情報などはいっさい分からないが、検索のキーワードは分かるしくみになっている。
わたしの日記をお気に入りなどに入れてくれて、わたしのHPや日記のアドレススからいらっしゃる方や、日記のマイ登録からいらっしゃる方が30件から50件。それに加えて、検索からのアクセスが3から5件というのが、これまでの平均的なアクセスの打ち明けだった。
ところが、この2週間あまり、いつも読んでくださる固定の読者の数を、検索からたまたまいらしたという方の数が上回っている。そして、そういう方は、様々な検索からここに辿りついたようで、キーワードは実に多岐に渡っていて、おもしろい。
たとえば、「豆の発芽」「緑の指」「メドウセージ」「木の病気」といった植物関係のものから、「ゴッホ 感想」、「私の・捨てた・女」。「森のイスキヤ」といった書籍に関するもの、はたまた「トレーニングパンツ」「粉瘤」 「イナータス化粧品」といった、保健衛生の類。そして「マグラダのマリア」や「教会学校」など聖書やキリスト教に関するものもある。 中には、わたしが書いたことを全く忘れているキーワードが見つかることもあり、そんな時は、いったいどんな事を書いていたのだろうと、昔の日記に遡って読み直すこともしばしばだ。
さまざまな検索のサイトの中から、「たりたの日記」の記事を選んで下さった方に、その方が必要だとする情報を差し上げているのかどうか、はなはだ心もとない。 ただ、何かのついでにたまたまその言葉を使ったというようなものも多いからだ。
しかし、役に立つ情報は得られなくても、「あ、これおもしろい、読んでみようかな」と、新たな読者に加わって下さる方もいるかもしれないと期待する。 そういうことを考えながら、検索のキーワードをひとつづつ確かめるのが、ここのところのわたしの楽しみになっている。
映画、朗読会と続き、父の日の今日、同居人mGとコラボ展へ出かけた。
このコラボ展「Peace Vibe」は、エッセイ集「育つ日々」の表紙のデザインを担当してくれたおかめ家ゆうこさんと、竹内一久さんのユニークなイラスト画のコラボ。
会場は、竹内一久さんご夫妻が経営する人形町のカルディという喫茶店。 静かなジャズの流れるこじんまりとした居心地の良いカフェに入ると、壁中に、二人の絵が飾られていた。
ゆうこさんの絵は、墨と朱によるスローアート。 しかし、その絵は一筆で息をもつかず書き上げたようなスピード感がある。まさにその時のバイブレーションをそのまま筆で、そこに閉じ込めたような絵だ。
一方、竹内さんの絵は細いペンで細かく描き込んだ絵。曼荼羅のような不思議をかもし出す絵が印象的だった。
今回のコラボ展で二人に共通しているのは、スピリチュアルであるということ。 絵のテーマも、神社、七福神、河童、雷神、風神、どこかの国の神様といったものに題材を求めている。
スパイシーなマサラチャイをいただきながら、ゆうこさんとのんびりとおしゃべり。すっかり寛いだひとときだった。
これだと思う絵が描ける時っていうのは、何かが降りてくるような感じで、 するすると筆が動くと、そんな事を言ってらした。 ものを書く時にも、そんな感覚があると話す。
純粋なインスピレーションによって描き出された絵たちからは心地よいVibe、波動が伝わってくる。
朗読会の帰り道、強い午後の日差しの中、帽子を深めにかぶり、駅に向かって早足で歩きながら、心はふつふつとし、胸の真ん中のところからしきりに熱いものが突き上げてきていた。
目は花壇の花や行き交う人々を映しているのに、頭の中では、さっき聞いたばかりの物語の情景がくっきりと浮かんでいるのだ。 夜の闇の中、古びた銭湯の脇に浮かび上がる深紅の姫椿が見えている。 姫椿の側には、銭湯から出てきた中年の男がいて、まるで探し物を見つけたような晴れ晴れとした顔で、我が家へと向かって歩きだした。
板さんの朗読する「姫椿/浅田次郎・作」を聴きながら、わたしはすっかりその48歳の男になっていたのだろう。男の発見が、その生まれ変わったような新しさが自分のことのように感じられた。
男が失っていたのは冨ではなく、もっと大切な物だったのだ。そうして、何にもなくなり命を捨てようとしたその時に、失くしていたものを拾った。男をそこへと導いたのは、彼の妻の愛だったり、タクシーの運転手や銭湯の番台にいるおじいさんだったりするのだが、人が人と向き合い、そこから流れ出す愛情によって人間はまた「ほんとうのもの」を取り戻すことができる。そうそう、人間って捨てたもんじゃない。 駅へ向かう、わたしの足取りの軽いこと。 それにしても、これは朗読を超えていた。それぞれのキャラクターがしっかり演じ分けられていて、芝居を見ているようだったのだ。 それゆえ、映像が目に浮かび、時間や空間の広がりさえそこに作り出していた。
「与野朗読の会・第19回朗読発表会」はどの朗読も、磨かれていて、映像が浮かび、こころに沁みこんでくるものだった。2時間はあっという間に過ぎ、 終わってしまうのが残念な気がした。人の声が伝えるものは、文字から伝わってくるものとまた味わいが違う。朗読するひとりひとりの持ち味や感動がそこに加わるからなのだろう。
ところで、前半のプログラム一番目の「めっきらもっきらどおんどん/長谷川摂子・作」は、何と、長男が3歳の時、一番好きだった絵本で、わたしはこの本を100回以上は読まされた。そのうち本人はすっかり覚えてしまい、わたしが読み間違えると訂正するのだった。 朗読を聴きながら、わたしは19年前のわたしに戻り、髭づらのむさくるしい22歳は3歳のかわいらしい男の子に戻っていた。そして、どのフレーズもわたしの脳はまだしっかり覚えていて、わたしは朗読者といっしょに心の中で読んでいた。
帰り、同居人へあげる父の日のプレゼントの本と、長男の誕生日のプレゼントの図書券を買うために本屋へ寄ったのだが、わたしは絵本のコーナーへゆき、「めっきらもっきらどおんどん」の絵本を見つけて買った。我が家の本棚にもまだあったと思うが、ペーパーバックの本で、もうぼろぼろになっている。ハードカバーになっているこの本を、Hに図書券に添えてプレゼントしようと思いついたのだ。 Hはその昔、夢中になっていたこの物語をどんな風に思うのだろうか。 懐かしがるには、ちょっと若すぎるとは分かっているが・・・
2004年06月18日(金) |
映画「パッション」を観て |
今年の4月、レント(受難節)の時期に、「マタイのパッション」と「ルオーのパッション」のことを書いた。その時、もうじき来る映画「パッション」を見ることができるだろうかと書いたが、遅ればせながら、昨日、その映画を見てきた。
パッションというのはキリストの受難のことで、この映画はキリストの最後の12時間を忠実に映像化した作品だ。脚本はすべてラテン語とアラム語でかかれており、英語と日本語の字幕が出る。当時の衣装や生活習慣など徹底的に検証され当時を再現している。メル・ギブソンが12年もかけて構想し、約30億円の私財を投じて完成させたということだ。
賛否両論の映画評、友人たちもあまり良い評価をしていなかったし、何しろ、十字架にかけられるキリストの残酷なシーンに耐えられるかどうか自信がなかった。けれど、評判がどうであれ、これは見なくてはいけないという気持ちがあった。一人の人間が、身体を張って、自分の内にあるイエスを映像で表現しようとしたのならば、それがどういう形をしているものか見なければと。
言葉が英語でなくて、当時のままの言葉で語られているのがよかった。その言葉だけに注目して、もう一度見る価値はあると思った。 映像は美しく、確かにリアルだった。鞭打たれるイエス、十字架を担ぐイエス、十字架に釘打たれるイエス。どれも、その場で実際に見ているように細部にわたって映像化されていた。 イエスの最後の12時間をできるだけリアルな映像にするというこの映画の主旨は充分達成されていたと思う。
しかし、見終わって思うことは、リアルな映像として描くことが、必ずしも、その事柄の本質を伝えるのではないということだった。 というのも、わたしが聖書の中の文字を辿り、わずか数ページのその記述を通して心に描いてきたその受難の映像に新たに加えられるものは何もなかったからだ。
視覚的にイエスを見ることのインパクトということろからすれば、ルオーが描いた十字架の上のキリストを見た時ほどの衝撃はスクリーンの映像に感じることはなかった。これほどリアルであるにもかかわらずである。 一方、ルオーのキリストは、黒一色の版画、血も描いていなければ、手や足に食い込む釘もそこになく、またその目は閉じられているのに、そのキリストは、わたしに力強く迫って来る。初めてルオーを見た20歳の時、わたしは絵の前でぼろぼろと泣いた。どこからやってくる涙かも分からず、悲しいというのでもないのに、嗚咽が止まらなかった。 映画を見ながら、イエスの痛みを思って涙は溢れてきたが、それは質の違うもので、わたしの何かを変える涙ではなかった。
映画の中で、マリアと悪魔の映像は新鮮で心に刻まれた気がする。実際、意識の中に、それぞれの顔が立ち上ってくる。 わたしはカトリックのバックグラウンドがないので、マリア信仰には馴染みがない。これまでイエスの傍らにいる母マリアを意識しまた心に描くことはなかった。 この映画の中では、むしろ母マリアの存在、その心の苦しみや葛藤がみごとに描き出されていたと思う。メル・ギブソンがカトリックの信者であることが、こういうところに反映されているのだろうか。
また印象的だったのは、これほどリアルに描きながら、目には見えない悪魔をスクリーンの中に登場させているところだった。悪魔とはいったい何なのか、この映画は悪魔の本質をよく映像化していると思った。
イエスが ゴルゴダの丘を、重い十字架を背負って歩いているシーンで
「だれでもわたしについて来たいと思うものは、 自分を捨て、日々自分の十字架を負うてわたしに従ってきなさい。」
という聖書の言葉が浮かんできた。 わたしが日々負うべき十字架とは何だろうと。
ここのところ、メールに加えて、一日に数通の手紙が届いています。 「育つ日々」の感想を伝えて下さる手紙。 思いかげなく、「手紙が届く日々」です。
義理の父からは、いくつか写真まで入れての丁寧な手紙が届きました。身体が弱っているのに、手紙は用紙2枚にぎっしりと印刷されていて、この手紙のために、数日間パソコンの前に長いこと座ったに違いありません。
「・・・・読みたかった週刊誌を(佐世保・小6殺人)を後回しにして、一気呵成に読みました・・・・・・・・惜しむらくは、お父さんの元気なうちにこの本を書き上げて欲しかった。どんなにか喜ばれたかと思うと残す・・・・良い話を届けてくれてありがとう。美子にとっても「いい人生」でよかったね・・・・・」
義父の暖かさやユーモアが滲み出ている手紙を何度も繰り返し読みました。 そういえば、わたしだけに宛ててのこんな長い手紙をもらったのは初めてです。
実家に送った15冊の本を、母は父や自分の友人や知人に差し上げたようなのですが、その方々から母宛てに届いた手紙を、母がファックスで送ってくれます。
父の同僚だったU先生から数日前、母に届いたの手紙には
「45年も前の事柄が走馬灯のように私の脳裏を駆け巡ります。・・・・先生に関する項目には、自然に涙が出てきて止まりませんでした。・・・・・子ども達にもぜひ読ませたいと思います・・・・」
とあったのですが、今日はU先生の長女で、わたしの後輩にもあたるMちゃんが、便箋5枚にびっしりと、本を読んで感じたことを書いて送ってくれました。
庭の剪定をしようと、お父さんのところへ行くと、わたしの本を渡され、庭の剪定を取り止め一気に読み、そのまますぐに手紙を書いてくれたようでした。
「ただただ涙が出て、そして笑って、手紙をかかずにはいられなくなりました。」 と、ありました。そして、「自己中的、扱いにくい年頃の我が娘にも読ませるつもりです」と結んでありました。
もう、何年も会っていないし、大人になってからのMちゃんとはほとんど接触はなかったのに、その手紙には、わたしの家でままごとやお人形さんごっこをしたこと、わたしに連れられて教会学校へ通ったことなど、わたしもすっかり忘れている思い出も書かれていました。
同じ町の同じ住宅。同じように、子育てをしていた親達がいて、同じように育っていた子ども達がいました。月日が流れ、わたしは故郷を離れ、それから後の暮らしは分かち合うこともないままに、遠くの人として異なる世界で過ごしてきました。ところが、この本が思いがけなくも、その空白を埋めてくれた。埋めるまではいかなくとも、そこに橋をかけてくれたのだと思いました。
また、わたしの父や、幼い頃のわたしを知らない多くの読者の方も、そこに「懐かしさ」や「共感」を覚え、そのことを伝えてくださる。 本を書き上げた時には思ってもみなかった広がりや繋がり、深い感謝を日々感じています。
書くことで育てられましたが、また読まれることで育てられるなあと思います。
夕食の後からずっと書き物をしていた。 今月の25日の「心太日記」の原稿に早めに手をつけておこうと思ったからだ。 「心太」でわたしは昨年の11月から今年の10月まで、毎月25日に日記を書くことになっている。
その日記の連載にあたって、わたしはテーマを決めた。横糸を子どもとし、縦糸を私の生きてきた時間にしようと、そしてそこで織っていこうと。
6歳、8歳、10歳、12歳、と来て、今回は13歳のわたし。 書きながらいつの間にか、13歳の日々に滑り込んでいた。 初めての恋のこと。恋の始まりに起こった「闘争心」が恋の終わりの時にも起こっていたことに新しく気づく。
案外、わたしはその闘争心を前へと進むエネルギーとして燃やしてきたのかもしれないとふと思った。
2004年06月12日(土) |
アンネ・フランクが日記を書き始めた日 |
アンネ・フランクのバラは5月の始めに、そのオレンジ色の花をいくつも咲かせたのですが、今また新しい茎がぐんぐんと伸び、その先には10ほども蕾が付いています。
さて、今朝の新聞で、今日は「日記の日」であることを知りました。 なぜ今日なのかといえば、アンネ・フランクが13歳の誕生日、1942年の6月12日からあのアンネの日記を付け始めたからだということです。
アンネの家族は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害を逃れて、アムステルダムの隠れ家に身を隠しました。そしてこの日記はアンネらは隠れ家から連れ出されて、ポーランドのアウシュビッツに送られた1944年8月1日まで書き続けられています。そしてアンネは1945年3月31日にドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で病死しました。
アンネは隠れ家に寝起きする間、この日記を何よりも大切な友達として、日々の想いや出来事を綴っていきました。 アンネがその日日記を書き始めることがなかったら、わたし達はアンネという少女を知ることはなかったわけです。 彼女は日記を書き始めたその時、この日記がやがて世界中の人から読まれ、愛され、またアンネの名を持つバラまでが、世界中に広がり、平和へを願うシンボルとなるなど、考えてもみなかったことでしょう。
日記、与えられた日々を綴るという行為。 それがどんなに小さなな、何の変哲もない日であったとしても、その人が生きたというかけがえのない証(あかし)であることには違いありません。
さて、さぼらないように日記を続けていくとしましょう。
2004年06月11日(金) |
「いい仕事をしたね」 |
これほど、雨が好きだと思ったことがあっただろうかと思い返す。 この梅雨の時期の一日降り続く雨を心地よく感じている自分に驚く。
雨の日、外の世界と何か遮断される感じがあって、心は内に向かう。 何かを聞くでもなく、何かを読むでもなく、どこかぼんやりと何かを見ている。目に映るものは、木々や花や部屋の中のこまごまとしたものなのだろうが、わたしの心はもっと別のものを映している。 あまりにぼんやりとそうしているので、心に映ることを脳はキャッチしていないのだろう。 何かをずうっと映していたものの、それが何だか分かっていない。
何かをしきりに考えた一日だったが、友人のFからの携帯メールに、目ではなく心が覚めた。 Fは、この前からわたしの本を読んでいて、読んでいる途中に「今、ここ読んでる。引き込まれてる」という具合にメールをよこすのだが、今日もそんなメールで、その中に「あなたはいい仕事をしたね。」というフレーズがあった。
ああ、そう、これは仕事だったと、初めてのように思った。 お金になるとか、キャリアを積むとか、そういう仕事ではなく「魂の仕事」。少なくとも5ヶ月あまりの間、本にするということをそんな風に考え、どこにも嘘がないように、どこにも薄汚れた気分がないように、厳しく、厳しく、きりきりと自分に向かい合ってきた。
音楽を作る人も、絵を描く人も、ものを創造する時には、こういう過程を過ぎ越すのだろう。 今創ったものがたとえ未熟なものであったとしても、それが、嘘偽りのない自分の魂の表現であるかどうか、それが「魂の仕事」と胸を張って言えるかどうか、それがないならば、自分の創ったものを愛することはできないだろう。たとえ、その作品が評価され、高価な値が付いたとしても。
本をまとめ始めた時の、またその途中のストラグルを思い起こす。 本になったものの、それを愛せなかったらどうしよう。 今のままでは、わたしは、自分の仕事に満足することができないような気がする。何か違う、こうじゃない。もうこれは全部捨ててしまおう… 画家が絵の具を塗ってはそれをまたパレットナイフで削り取り、あたらしい色を入れてはまたその上に色を重ね、それを果てしなく繰り返すような、そんな作業。高い絵の具を無駄にするようなことはないにしても、書いたものを削ったり、消したり、始めからやり直したり。
「いい仕事をしたね」
今、友人が送ってくれたその言葉がしみじみうれしかった。 そしてに「うん」と、素直にうなずくことができた。 未熟は未熟だけれど、これは「魂の仕事」だったと。 わたしの今を精一杯注ぎ出したと。
おっといけない。 日記がまた停滞している。 書きたいトピックスはいくつもあるというのに時間がない。 時間がなかったのだろうか。 確かに、今日は次男の病院に付き合うためにつくば市へ行き夜遅くの帰宅だった。 どうせ都内に出るのだからと、新橋の松下電工NAIS美術館で催されている「ルオーとイコン〜描かれた聖像」に立ち寄った。そこにあったのは絵だったが、その空間に満ちているのは「祈り」で、さまざまな祈りを聞き、またその祈りに寄添ったという感じだった。 行きの高速バスの中で、買ってきたポストカードを眺めては癒されていた。 この展覧会のことは後できちんと書かなければ。 ルオーの描く聖画とイコンのそれとの対象がとてもおもしろく、信仰の異なる側面を見る思いがしたのだ。
エッセイ集「育つ日々」が刊行されてから、毎日、メールや携帯、また感想掲示板に感想が届く。どの感想にもほんとに有り難い気持ちでいっぱいになる。 そして本を出してよかったと心から思う。 そして感想を通して、また読んで下さった方々とさらに深く出会う感覚がある。 本は読む人がいて意味を持つということが初めてのように分かる。
本を読んでくれた方々が、友人や知り合いに読んでもらいたいからと、さらに数冊注文してくれた本が合わせて30冊ほどになった。最初に著者購入で購入した100冊が5日の内に手元になくなってしまったので、あわてて追加の注文をしたことだった。 本が届いてから1週間たったところなのに、もう長い月日が過ぎていったような不思議な感じがある。
2004年06月05日(土) |
高橋たか子著「この晩年という時」 を読む |
こういうタイトルで、日記を始めたが、わたしはこの書評や読書感想文を書くつもりは毛頭ない。 もう半年以上もこの本を抱えていて、行きつ戻りつしながら、今日ようやく最後のページを繰り終えたが、読み終えたのではなく、ようやくこれから読み始めるのだという気がしているからだ。
彼女の本にしては小説もエッセイも読み終わったところから、かかわりが始まるような不思議をいつも味わう。 そう、ページを最後までめくり終えたところで、わたしに向けられた課題のようなものがいくつも浮かび上がっているような気がするのである。しかし、その課題も漠然としているから、もう一度、今度は課題を探すために最初から読むのでなければと思う。 そして、一人の作家の書くものに、このように向かえることを幸せに思っている。
70歳になろうとしている高橋氏が、「これまで決して言語化してこなかった自伝的事実をきちんと書いておこうという気になった」という。 そしてまた、「私は誰か、私自身でさえ答えられぬというのに、他人たちが私の死後に勝手な思いこみで私という者を書かぬように」と願っている。
「いったいわたしは誰なのか? これほど自分をよく知っている私が、そう言い、そう思うのだ。 なぜなら、私の中に私を越えるものがあり、そこからの波動が絶えまなく私の一瞬一瞬をあらしめているのだから。この、越えるものとは、茫漠とした人類の中味だ。そうしたものが、神の強大なエネルギーに乗って来る。」 (「この晩年という時」あとがきより抜粋)
常に自分のいちばん深いところ(存在の深み)へ降りていって、綴られた言葉は、そこで完結せずに、そこから広がっていく。 ではどこへ向かって広がっていくのかといえば、わたし自身の存在の深みへ。 わたしもまだ知らない自分自身のどこかの場所へ、その場所の方々へ広がっていく感覚がある。
そういうわけで、この本を、また始めから読むことになるのだろう。 書いてあることを理解するために読むのではなく、知識を得るために読むのでもなく、読むことでわたし自身の内的旅をするために。 こういう本があることはうれしい。
昨日から今日にかけて、わたしが郵送した分の本は目的地に届いたもよう。 昨日からメールや携帯や、感想掲示板に感想や届いたよ〜のメールが届いている。
実際、ここへ来てやっとほっと胸を撫で下ろしている。 まず、第一の読者はいっしょに英語学校の仕事をしているMちゃん。 買ってくれた本を、仕事の合間に読みながら「これおもしろい。もう声に出して笑った。うるうるもしたし」と言う。
「えっ、ほんと。Mちゃんがおもしろいといってくれるんなら、この本、大丈夫かも」とわたしはおおいに安心した。 なにしろ若い世代、わたしの書くものにもあまり興味ない様子のMちゃん、ウケるとは思っていなかった。
次にはわたしの10倍は本を読んでると思われる友人が2人、さすがに一気に読んで、感想を送ってくれた。 辛口のOさんの「エッセイスト賞も夢じゃない」なんていう最大級の賛辞は、かなり元気がでた。 Iさんは毎日書いている読書日記にわたしの本の感想を書いて、感想掲示板にも送ってくれるし、うれしいことにはお母様も読んでくれているらしい。
Sのところでも義母と17歳の娘さんが読んでくれてるとメールが入った。 ネットの文は読まないけど、本になった時には読むよと言ってきたFさんが、 職場から「今読んでる、引き込まれてる、感動!」と携帯メール。
そしてまた嬉しかったのは実家の母からの電話だった。 本が届いてからずっと座り込んで、夕食も食べないで一息に読んだという。 泣きながら読んだ、お母さんがすっかり忘れていたことも思い出した、 そんな風に生きてきたとは知らなかった、と感想を言った後で、「わたしは何もしなかったのに、あんたは一人でよく育ったねえ」と言うので、苦笑してしまう。 「そんなことないよ。充分育ててもらったよ。」
母は本をまずお寺さんに持っていったということだった。 そういえば、わたしは本をまず教会に持っていって牧師に渡した。 寺と教会の違いはあれ、われわれ母娘はやはり似ているのかもしれない。
それからそれから、同居人のmGがmGの日記に「育つ日々」のおすすめを書いている。なんだか、あたしがいかにずっこけているか、変な人かがまず強調されている変わった「おすすめ」ではあるが。
2004年06月02日(水) |
100冊の本は旅して |
昨日、ダンボール箱2個に本が届きました。 今回の出版はゴザンスの100人のための本の企画なので、わたしの方の持ち出しはなく、また何冊買わなければならないという購入ノルマもありません。 けれども、少なくても100人の方には読んでもらいたいからと、著者購入で100冊注文したのです。
昨日はダンボールの箱を開けて、ちょっと圧倒されました。こんなに同じ本を大量に見たことがなかったからです。 しかもその本のどれにも、わたしの名前が書いてある!そんなの当たり前のことなのに心臓がドキドキし始めました。ときめきとかそういうのではなくて、どうしようという感覚。 そういえば、新生児を連れて産院から退院して来た時の気持ちに似ています。 うれしいにはうれしいけれど、さてどうしようという… この100冊は、わたしが送るなり、持って行くなりして、ここから連れ出さないことには、読まれることがないし、せっかく生まれてきたその役割を果たすことができないのですから。
わたしは箱をあけるや、とにかく10冊の注文分を2個と実家に届ける15冊の分を箱に入れ、梱包を始めました。でも3つの荷物を作ったところで仕事に出かける時間。続きは今日の午前中やり、仕事に出かける前に25個の郵便物を無事郵便局に持っていくことができました。これで予約して下さった方のところへは明日か明後日には届くことでしょう。
本はここから方々へと旅立ちました。 わたしのところには後40冊ほど残っていますが、このうち30冊くらいはほぼ行き先の見通しが付いているので後の10冊は手元に置いておいてもいいかな。
そうして生まれたての我が子のような本を無事旅に出した後、英語学校の仕事にでかけました。 そこでの最初のクラスは2歳、4歳、5歳児のいるクラスで、今、音を立てて育っているような子ども達と、子育てに専念しているエネルギッシュなお母さん達のクラス。 歌ったり、身体を動かしたり、絵本の読み聞かせを聞いたり、お絵かきをしたり、そんな中で1週間ごとに会う度に子ども達は育っているように感じます。 今度旅に出た本達はきっとこうして毎週出会う、50人ほどの子ども達にエネルギーをもらってできたに違いないと思いました。
さて、本達、無事に旅して、読者の方々のもとに行ってくださいね。
2004年06月01日(火) |
カモミールのお茶を飲みながら |
風が一日強かった日の夜は 激しい雨が通り過ぎ やがてしんと静かになった。
今日の風や雨が明日にはもうないように 明日は新しいわたしがまた生まれていることだろう。 明日のわたしは夏を歓迎できますように。
なんだか、いつもになく長かった一日を閉じるために 大きなマグカップになみなみと カモミールのお茶を入れた。
干したカモミールの花はひなたの匂いがし、 春のなごりの香りがする。 去ってゆく春にふと、しがみつきたい気持ちが起こる。
明日は夏の始まりの日。 そしてMの検査の日。 無事に検査が終わるよう 良い結果がでるよう 祈りながら眠ろう。
6月1日になったばかりの深夜に
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