たりたの日記
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2004年05月31日(月) 風の強い月曜日の窓辺で

今朝、目覚めの中に入ってきた空気は夏のもので、
まだ閉じた瞼を透かして届く光も夏のものだった。
首筋に滲んだ汗も、この気だるさも夏のもの。
夏が来たんだ…
わたしは夏が好きだったろうか…
半分夢の中で、そんなことを繰り返していた。

大きな波のうねりのようにエネルギーが満ちる時と、
そうでない時を繰り返す。
寒い季節と暑い季節とが繰り返すように。
そうしてまた気持ちの翳りのようなものはどんな時にも起こる。
太陽の光りにしろ、そこを雲が覆うとたちまち翳るのだから
それはとても自然なこと。

それにしても、
今日の風のなんと強いこと。
気持ちのよい初夏の風を満たしたいところだが
部屋がざらざらと埃っぽくなるので窓を閉めた。
すると、閉ざされた感じと、このじっとりとはりつく暑さ。
ああ、夏。わたしは夏が好きだったろうか…

この食べたくなさも夏のもの。
補給しなくてはならないのはむしろ別のものだと
どこかで分かってはいるけれど、
まずは食べなくてはならないでしょう。
バナナと凍ったラズベリーとブルーベリーに
ミューズりーヨーグルトをかけて昼ごはん。
白いヨーグルトに溶け出す赤と紫がうっとりするほど美しい。
ジューシーなグレープフルーツも丸ごと食べた。
これでよし!


さて、こういう日に仕事があるのは有り難い。
ティーチングモードは自分をしゃっきりさせるから。
さてさてモードの転換。
今日会う子ども達。
今日教えること。
わたしはわたしから出て、外へ向かうのだ。
深い呼吸をして、わたしはわたしを入れ替えた。







2004年05月29日(土) ラテン踊って夜も更けて

今日は1日パソコンの前で、しかし新しい作品に挑戦したり,投稿を書いたりという積極的な創作活動ではなく、日記のデザインをああでもない、こうでもないといじくっておりました。
で、こういうデザインに落ち着きました。
この文字のフォント、好みではないのですが、サイズしか選べません。
字のサイズは小さい方が形はしっくりくるものの、読む方の目が疲れるかなあと、大きな字の方を選びました。
確か、技があれば、カスタマイズできるんですけれどね。


このまま、家から一歩も出ずに1日が終わると淋しいものがありますが、幸い、我々には、土曜ラテンという、極めつけのお楽しみがあります。
早々と夕食を作り、急いで食べ、ジムへ。
小さなスタジオには老若男女(老ってことはないか。おそらく我々がいちばん年長です)のおなじみのメンバーが集まってきます。
顔は知ってるけれど、名前も、仕事も知りません。それなのに、なんだか踊っている内にスタジオが一体化するような感じが起こります。
リードするインストラクターの力、そしてラテン音楽の持つ開放感が、そういう空気を作るのだろうなと思います。


どの民族も踊りを持っています。祭りや祝い事といったハレの日には、人々はきまって音楽を奏で、歌を歌い、そしてみなで踊りました。
踊りは人々を近づけ、その共同体を強める働きをしたことでしょうが、こうして皆と踊ってみると、踊りの持つ力がよく見えてきます。

わたしたち日本人は文化的に、身体が冷えていて、開かれていない。故にコミュニケーションの力が弱いと聞いたことがありますが、ラテンは、そういう日本人にとって、とっても良いエクソサイズではないかという気がします。
身体を暖め、自分を外に向かって開いてゆくための。

さてさて、今週もあと30分あまりで終わり。
今週はなんとなく身体がだるく、なんだかぼおっとしていて、これはもしかするとコウネンキの症状ではないかと思ったりもしたのですが、明日からの新しい週、気合を入れてスタートしたいと思います。

では、みなさん、良い眠りを!


2004年05月28日(金) エッセイ集「育つ日々」発売開始!

今日は記念すべき日でした。
この1月から手がけてきたエッセイ集「育つ日々」が本日刊行されました。
この本がようやくわたしの手元から離れ、あちらこちらへ旅することになります。いったいどういう場所へゆき、どういう人からどのように読まれるのか、
もうそれはわたしのあずかり知らないことで、本はひとつの命を持って、読まれるべきところへ出かけることになるのでしょう。

わたしは以前から、本はまるで人間のように命を持つと感じてきました。たとえば、本屋の店先や図書館で、まるで本がわたしを呼んでいるとしか思えないような感じで、その本に吸い寄せられることがしばしばあります。それは、たいてい、その時のわたしに必要な本です。そういう本に出会うともう作者なんてどうでもいいわけです。その本と直に関係を結びます。もしかすると、作者が意図したようには読んでいないことだったあるのでしょうが、本というのは
そういうものだと思います。

本が命を持つようだと書きましたが、実際、この5ヶ月のプロセスは出産を思わせるようなところがありました。
妊婦であるわたしは、初めての本作りですから、本が世に出るという最終的なところは見えるものの、そこに至るまでどういう過程があるのか、イメージできないわけです。
もうここいらで陣痛は終わりかなと思いきや、また次の陣痛の波が来るという感じでした。そしてちょうど助産婦さんのように、編集者は、すべての過程が見えているわけですから、大丈夫です。いい本になります。ここはこうしたらどうでしょうかと、「出産」がうまくゆくように、励ましや方向づけをくれるわけです。
妊婦は自力で赤ん坊を生み落とさなければなりませんが、もう何人も赤ん坊を取上げてきた助産婦さんの手が、がっしりと出てくる赤ん坊を受け止めてくれるというところに、まったく委ねきっているわけです。だから、どんなに陣痛が大変でも、どこかで安心しています。
同様に、わたしはこの本づくりの期間、編集者のSさんをまさに産婆さんのように感じてきました。

本の作業が終わった後も出産の後のような、達成感と虚脱感がありますね。
ほんとにお産と良く似ています。
違うのは赤ん坊の場合、これからどっぷりと一人前の人間に育てていかなければならない育児がそれに続くわけですが、本の場合は、産み落とすや、その子はもう一人で旅を始めます。わたしはそれにはついて行かなくても良いし、実際ついてなど行けないのです。
とすれば、これは門出のようなものでもありますね。

産み落とした子どもがあまり優秀な子ではなかったとしても、世界でたったひとりの人間であることには間違いがなく、この世の中には、その子しかできない何かがあるように、本にも、その本にしかないものがあるのでしょう。
送り出された世の中で、きちんとその役割を果たしてほしいなと思います。

日記を読んでくださっているみなさま、どうぞ、この小さな生まれたての本を
お手元に置いてくださいませ。
本の購入などについてはHPのトップへ。


2004年05月26日(水) 昨日、日記に書いたこと

ここのところ「たりたの日記」はこれといったテーマを定めることなく、
日々の出来事やその気分をつらつらと綴った、文字通りの日記になっていますね。

このところゴザンスの投稿もさぼっているので、書くことに、気合が入っていないなぁと自分でも反省しています。読者のみなさま、スミマセン。

けれども、そういう中で、毎月25日を担当して書いている「心太日記」は、ちょっと、気合入れて書きました。

はじめに出した原稿は一番の核となるところが肉が削がれすぎているので、もうすこし丁寧に向かってみたらどうだろうという指摘を受けました。原稿を見直して気がついたことは、わたしは、肝心なところにくると、わざと聞こえないように早口でしゃべってしまっているということでした。
これは、確かに、はなはだ読み手に対して不親切です。
はじめから分かってもらおう、伝えようとすることを、どこかであきらめている文です。

では、なぜこういう風に書いてしまうのか。
信仰に関しては、どこかでオープンになりきれないところがあります。
信仰はとてもデリケートで、個人的なことがらなので言葉にしずらいです。
それに信仰を持っていない人にとっては「なにこれ?」と思われるのではないかと、そんなオソレも抱くわけです。
かといって業界の人にしか通用しないようなものは書きたくないし、書けないし…
そうすると、なんとなく匂わすような書き方で留めてしまっていました。


そこで、昨日は腹を括って(?)、固い扉をこじあけて、なんとか内側にあるものを言葉に表そうとやってみました。
わたしとしては、清水の舞台からジャンプするほどの「おもいっきり」を発揮しましたけれど、それでも、まだ語りきれてはいないことは分かっています。
わたし自身、その奥義へまだ辿りついていないからです。
でも、ここでは、今まで書けないでいたことを書いたかなって思います。

「タリタ・クミ  少女よ、さあ、起きなさい」、
「心太日記」
 でお読みください。


2004年05月25日(火) 立ち読みページにお立ち寄りください

日記でお知らせを。
初エッセイ集「育つ日々」はサンプル本の確認も終わって、いよいよ発売となります。
発売に先駆けて、編集部が
「育つ日々」の立ち読みページ
を作って下さいました。
ちょうど本屋さんの店先でパラパラめくる感じです。

前書きと目次、「父の12ヶ月」からひとつ、「育つ日々」からひとつ(こちらは、途中で終わっていますが)掲載されています。
どんな感じだか、どうぞのぞいてみてください。

そして、もしよろしければ「育つ日々」感想掲示板にもお立ち寄り下さい。



ところで昨日はさんざんでした。
先週洗ったたくさんの冬物セーターなんかが、乾ききらないうちにお天気が悪くなったので、干すのが途中になっていたのです。昨日ようやく晴れたので、今日は干せる!とベランダいっぱいにセーターを干しました。

ところがところが、夕方仕事に出ていた間に、ものすごいどしゃぶりがやってきて、仕事から帰ってくるわたしも全身ずぶぬれになりましたが、ベランダのセーター達はあと一息というところで、
またまたぐっしょり濡れてしまいました。ああ、このなさけない気分。
みなさんは大丈夫だったでしょうか。

というわけで、今朝、洗いなおしです。
幸い、今朝はお天気はいいようですが、さて、このお天気、今日の夜まで持つでしょうかねえ。






2004年05月22日(土) 庭仕事 ・ サンプル本 ・ ラテンナイト

おもいっきり早朝というわけでもなかったが
この日は予定通り、庭仕事をすることができた。
霧のような小糠雨が降ってはいるものの、
強い日差しよりは作業がしやすいというもの。

まず、土を入れたまま捨て置かれているいくつものフラワーポットの土を出し、きれいに洗い、捨てるものと再利用するものとに分ける。
次に伸び放題に伸びたハーブ類の剪定や整理をする。
生命力の強い植物は放っておくと、伸びに伸び、増えに増えて、収拾が付かなくなる。多少心を鬼にして、切り詰めたり、引き抜いたりという作業が避けられないのだ。
予定の仕事はこれだけだったが、えいっ、ついでだ、生垣のレッドロビンも剪定しよう!。脚立を持ち出し、植木屋さんをやる。
ああ、さっぱりした。
庭全体がいい感じに整い気持ちがいい。

ちょうど庭仕事が終わったところに、
宅急便屋さんが「育つ日々」のサンプル本を届けてくれた。
朝から落ち着かない気持ちで待っていたのだ。
出かける前に間に合った!

本は真っ白な中に墨と朱の、なんとも清清しい印象の本に出来上がっている。
池原ゆうこさんのデザインは生命力の強さとほのぼのとした暖かさがあって、
これ以上の表紙はないだろうなという気持ちにさせられる。
編集者のSさんからは手書きの手紙も添えられていて、
「胸をはって、この本を世に送りたいと思います」という言葉に胸が熱くなった。
そうか、本はわたしの元から離れて世の中に出て行くのだ。
ネット上のテキストとは違って、手に取ることのできる本は、あちら、こちらと旅をするのだ。
読む人の心の中でも旅し、それぞれの方の中で育てていただくことも可能だろうか…

真新しい本をジムのバッグの中に入れて、夕方mGとともにジムへ行く。
今日のラテンの後にはインストラクターのぽっぽせんせいとレイカ(オズ)と
チュパとわたし達でいっしょにパスタ屋さんに行くことになっていた。
ラテンはいつもにも増して「解放」が進み、身体の中(心の中かな)がすっかり通りがよくなったような感じだった。
その後のビールと食べ物とおしゃべりに身体も心も満ち足りていた。

今朝、Mさんから「心が疲れていませんか」というメールをいただいいて、そうかもしれないなと思った。なんだか薄雲がかかったようにぼんやりしていたのだ。そういう心に、今日は元気をもらうことができた。


2004年05月21日(金) アイスバーグの咲く庭で

今日はとても良い天気で、そのせいか、何か「やる気」に満ちていた。
わたしの「やる気」は、ここ5ヶ月ばかりは書くことにしか向かわなかったが、
今、モードが変っている。
午前中は掃除や洗濯や衣類の整理などに「やる気」を発揮した。

でもせっかくのお天気、家の中だけで過ごすのはもったいない。
けれども、家の外には一歩も出たくない気分。
よおし、午後は庭で過ごそう。
白バラのアイスバーグが、いくつも花を付けていて、それはうっとりするほどなのだ。このバラを眺めながらお昼ご飯を食べることにした。

エンゼルヘアという極細のスパゲッティーを茹でて、明太パスタソースで和えたものをダンスクの白と青の和風の模様の皿に盛る。
朝作っておいた豆のサラダは青いガラスのサラダボールに。赤いうずら豆と白いんげん豆と刻んだピーマンを、オリーブオイルと酢と塩で合えたこのサラダは色どりがきれいでヘルシーなのが気に入っている。
それに大きなマグカップに入れたたっぷりのコーヒー。

猫の額ほどの庭だけれど、その真ん中にうんと育ったハナミズキがあり、その真下に白いスティールのテーブルと椅子を置いてある。
ハナミズキは葉をいっぱい茂らせているので、強い太陽の光りをちょうどいい具合に遮ってくれる。
テーブルの上で揺れる葉っぱの影が楽しい。

テーブルにパスタとサラダを並べ、ゆっくりと食べ始めた。
わたしの頬のところに、チェリーセージの花が揺れている。
足元にはイングリッシュアイビー。スタンド付のプランターに植えたアイビーが伸びて垂れ下がり、地面を這っている。
座ったところから、大きな鉢に植えたアイスバーグの花が見える。
細い枝にいくつも花を付けるので、花の重みで、どの花も俯いている。
ミルク色のその花の色は、なんとも暖かく、優しげだ。
アイスバーグというのは氷山のこと。名前の通り耐寒性が強く、まだ寒い3月にも2つ花を咲かせたほど。

もともとドイツのバラらしくドイツでは、シュネービッチェン(白雪姫)と呼ばれているらしい。そういえば、グリム童話の白雪姫の持つキャラクターとこの花は良く似ている。可憐で純粋、そして小人達とすぐに仲良しになってしまうような、気さくさと明るさ。

わたしは実はバラは苦手だった。バラが代表する深紅のハイブリッド系の大輪のバラはゴージャスすぎて世界が違うっていう感じがしたし、またあの強く鋭い刺も、バラが苦手な理由だった。

ところが3年前のある日、生協のカタログで、このアイスバーグを見た。そのバラはわたしがイメージしていたバラとは違って、やさしげで愛らしかった。いったいバラなど育てられる気もしなかったのに、その苗を注文した。
2週間後に届いたバラの苗は、まるで枯れた木の枝のようで、その苗とあの写真のバラはとても結びつくものではなかった。ともかく、そのバラの苗を、雪でも降りそうな真冬に植えたのだった。

春になって、古い枝についた芽がぐんぐんとものすごい勢いで伸び、じきに枝はみずみずしい葉でおおわれた。5月、写真の通りの可憐な白バラがたくさん咲いたのだった。
わたしが生まれて初めて咲かせたバラだった。


ゆっくりとお昼を食べた後は、生協の注文票を記入した。
ここ数ヶ月間、この注文書きをする気がしなくて、ずっと注文しないでカタログだけ配達してもらっていたのだった。
注文を書き終わったところに生協の配達のおにいさんがやってきた。

「珍しいですね。息子さん、帰ってきたんですか。」

「えっ、そういうわけじゃないんですけど…」

いつか、注文書を出さないのは大飯喰らいの息子が家を離れたからだと言ったからだ。

その後もそのまま庭にいて、Clarissa Pinkola の Women Who Run With the Wolves を読む。翻訳すると「神話や昔話の中に見る野生の女の元型」という副題がついている本。今度書こうとしているもののヒントになるものがこの本にあるような気がしたのだ。
ちょうど開いたところが、Skelton Woman (骸骨女) という章だった。
生と死の統合がこの昔話のテーマになっている。そしてわたしがテーマとして考えてきたこともそういうことだった。メメント・モリ。生の内に死を覚えるという生き方。

前にも書いたが、庭には生と死が同時に存在する。
今 開いたばかりの白いバラの花を愛で、それを摘み、花瓶に挿す。
その側では、咲き終えた花がはらはらと地面に花弁を落としている。
明日は、もうすっかり終わってしまったパンジーやノースポールの株を抜かなければならない。
そして、翌日には夏から秋にかけて咲く花の苗を植えることだろう。

今いちばん美しく咲いているアイスバーグももうじき終わってしまう。
せめて、この花が咲いている間はできるだけ庭で過ごそうと思う。

あ、いけない、こんな時間。明日の朝はうんと早く起きてガーデニングをする予定なのに。

では、みなさん、おやすみなさい。



2004年05月19日(水) 雨の音が聞こえる

雨の音が聞こえる
雨が降っていたのだ

あの音のようにそっと
世のために働いていよう

雨が上がるように
静かに死んでゆこう


八木重吉の詩「雨」だ。
この詩は、歌で覚えた詩だから、
この詩が原作の詩のままかどうかは分らない。
歌ではそれぞれの連を二度繰り返して歌う。

多田武彦作曲、男性合唱組曲「雨」の中のひとつ。
昔、繰り返し聞いたレコード。
様々な雨がそこには歌われていて、
まるで雨の匂いまで漂うような
不思議な近さがあった。
雨の音を聞いていたら、あの歌を聴きたくなった。




今日も引き続きぼんやりした心ではあったが、
仕事の時はめいっぱいテンションを上げて
子どもたちに接した。

午前中、つくしんぼ保育室の幼児とお母さんのクラス
午後、英語学校の幼児とお母さんのクラス、年長児クラス。
子ども達のエネルギーって、ほんとうにきれいで、
いっしょにいるとシャワーのように洗われる気持ちがする。
教室の掃除を念入りにし、
来週のレッスンプランを立て、
ミーティングをし、8時過ぎに学校を出る。

今日はスポーツクラブが休館日だから、
珍しく早い時間からPCに向かっていた。
同居人も隣の部屋で日記を書いているらしい。


いつの間にか雨の音が止んでいる。
今日くらいは、今日のうちに眠りにつこう。








2004年05月18日(火) 忙しかったのに心は眠っていたのだろうか

先週の木曜日から日記が滞っている。
はっと気がつくと自覚をしないままに5日間が過ぎていた。
いったいわたしは日々生活をしながら、心は眠ってでもいたのだろうか。
心だけ、どこか別の場所へすっぽりと入り込んでいたのだろうか。

これまで毎日覗いていたいくつかのHP日記も訪ねることなく、
かかさず、投稿をしてきたゴザンス、今回は投稿の課題やテーマも頭に入っていないまま1週間を過ごしてしまった。
何か心理的な変化があったのだろうが、それはいったい何だったのだろう。
真っ白な空白の時を過ごしたような感覚がある。
記憶を先週の金曜日のところへ持って行った。

そうだ。先週の土曜日に教会の大きな行事があり、その中で礼拝の司会をしたり、歌の集いのリードをした。
歌の練習やギターの練習が充分にできていないことがプレッシャーになっていたのでこの日が近づいてくると不安が増していたのだった。
90名ほどの人達、しかもよその教会から集まってきた婦人達の前で演奏するという、ちょっと気の張るシチュエーション。

そして前日の金曜日は朝から準備に忙しかった。わたしときたら、ケーキを焼くことになっていたことをすっかり忘れていて、帰りにあわてて材料を買い込み、夜になってバナナケーキを焼いたのだった。

当日、司会も歌のリードも、失敗をすることもなく無事に終わった。
そう、何も不都合なことがなく、つつがなくこの大きな行事は終わった。ただ
そのことが、はるか昔の出来事のようにごんやりしている。

記憶がぼんやりしている割にはこの時の緊張がまだ頭の中には残っているのだろう。
今朝の夢の中でわたしは礼拝の司会をすることになっていた。礼拝の前奏と共に、一人で燈芯に火を灯し、祭壇まで進み、6本のろうそくに火を灯さねばならないのだが、いくら燈芯に火を灯しても、すぐにその火が消えてしまい、わたし前へ進むことができないのだ。

5日間の心ここに在らずの理由が見えてきた。
入稿、子ども達の病気、教会の行事と緊張を伴う諸々のことが一区切りついて、一度に気が抜けてしまったのだ。

さて、もう12時を過ぎてしまった。
明日は朝から仕事。
もう、寝ることにしよう。

おやすみなさい。


2004年05月13日(木) 入稿前夜

1月の始めからずっと抱えていた本の原稿が、今週の火曜日に入稿の運びとなり、原稿はようやくわたしの手元から完全に離れた。
今度はサンプルの本の形になって手元に届く。

いつもいつも背負って歩いていた荷物がもう背中にない。
晴れ晴れした気持ちはあるものの、どこか拍子抜けしている。

それにしても、原稿の入稿直前に、Mの病気の疑いが持ち上がり、加えてHの入院騒動があり、その最中で最後の校正をし、見直しをすることになった。
原稿の最終チェックをした場所は、なんとHの病室と、病院の待合室だった。
そんな緊急な時にやることもないし、発行を遅らせることだってできるのだが、今やらなければ、完成しないまま立ち切れてしまうかもしれないと思ったのだ。

実は、本作りに取り掛かった時に、何か妨害が起こり、それを続けられなくなるのではないかという不安が付いて回った。身内の不幸や、PCの故障や、
アクシデント考えられる要因はいくつもある。
それだから、かなり前のめりになって、あせるように作業を進めてきた。
期限までにはまだ2,3日はあるのに、それを待っていたら、パソコンが壊れたり、せっかく書いたものが消えてしまうのではないかと心配になり、見直しもそこそこに編集者に送るといった格好だった。
(そのせいで、最後の最後までマチガイが出てきて修正をお願いすることになったのだが)

そして実際、わたしの心配は疑心暗鬼ではなかった。
まず、お茶をこぼしてわたしのパソコンが壊れてしまった。修理を待っていたら原稿が進まない。そこで、夫が移動する時に使っていた小型のノートパソコンを借りて、それで残りの作業を進めたのだった。
壊れたわたしのパソコンは今日、ようやく修理から戻ってきた。
明日からはわたしのパソコンに戻ることができる。

次なるハプニングは義母の骨折。急ぎ夫とわたしで交代に宮崎に帰省した。その時もこのノートパソコンを持参し、家事や見舞いの合間に原稿を書いたのだった。義父も気遣ってくれて、わたしが何かしてほしいことはないかと聞くと、いいから原稿を書きなさいと言ってくれた。

そして、いよいよ大詰めになって予期だにしなかった息子達の病気。これが一番大きかった。

「育つ日々」の前書きと後書きに、ものごとには「時」があるということや、わたしたちに与えられている「時」はいつ終わりになるか分からないからいつのその準備をしていたいといったことを書いた。
そして、この本をわたしはまるで遺言のような気分で書いているなと、我ながらあきれていた。

本に限らず、自分自身を賭けて何かを創り上げようとする時には、誰もこういう気持ちになるんだろう。
このことをやり終えるまでは死ねないという…



2004年05月10日(月) 医師と話す

雨の中、Mが検査を受けている病院へ車を走らせる。2時間みていたが、途中渋滞に合い、検査の予約時間の9時半にぎりぎり間に合う。

病院は人であふれかえっている。これだけの人が病を抱え、また、わたしたちのように検査を受けつつ、不安を抱えているのだ。
このわたしたちの魂を宿す肉体の何と壊れやすいこと。ほんとうに土の器だと思う。しかしこの土の器でもって、わたしたちは、学び、仕事をし、愛し、育む。命というものをいとおしく思う。

いったい、Mの身体の中がどういう状況なのか分らないわたしたちは、心の準備のために最悪の場合を考えつつも、どこか、大丈夫という安心もあった。しかし、9時半に来て、もう午後1時。診察の予約の時間を1時間過ぎてもまだ呼ばれない。Mなどは、待合室の椅子で、熟睡している。彼がビビッテいないのは良いことなのだろうが、この子の神経はいったいまともなのかしら。


やっと診察室に呼ばれた。
医師はこれまでの検査の結果のレントゲン写真やCTの写真を見せ、今どういう状況になっているのか、どういう疑いや心配があるのか、そのために今後どういう検査を受けていくかということを分かりやすく説明してくれた。
わたし達もインターネットで肺癌について、可能な限り調べていたから、医師にいろいろ質問することもできた。
最悪なことを予測しての検査は続けられるが、悪性腫瘍の疑いは少ないということが分かった。
今日、医者からもらうコメントで、わたし達が予想していたものとしては、最高に良い結果だった。まずはよかった。
Mの寮の部屋にしばらく居た後、3人でファミレスでゆっくりすごす。今度も掃除はさせてもらえなかった。



急性胃腸炎で入院していたHも、何とか医者にかけあって、夕方退院を果たしたようで、わたし達が帰宅した時にはもう家に戻っていた。明日のスペイン語の授業は卒業にかかっているから、どんなことをしてもミスできないらしい。

さて、病院からの請求書。4日の入院で8万円!
大部屋が空いてなかったので、個室に入れられたから、覚悟はしていたものの、ここまで高いとは思っていなかった。
二人の大学生を抱える我が家は実はこの4月から3月までが、最高にタイヘンなのだが、重なる時は重なるものだ。
せめて、わたし達は病気せず、せっせと働かなくては。


2004年05月09日(日) 雨の日曜日の夕暮れ時に

雨が降っている。
もうじき日が暮れるから、まだ明るさが残っているうちに花達を見ようと、窓辺のソファーへ移動する。

オレンジ色のアンネのバラが昨日ひとつ、今朝もうひとつ咲いた。
このバラは咲いたばかりの時は、くっきりとしたオレンジ色で、姿もきりっとしているのだが、一日過ぎると、花の色はピンクがかったやわらかなピーチに変わり、姿もふわふわと優しげになる。
まるで一人の女性の中にある、相反する二つの性質を見るようだ。

小さな白い花をたくさんつけるバラ、アイスバーグは、今5つばかり開いたところ。少しうつむき加減に咲く純白のバラは清楚で、見ているだけで、心のすみずみまで洗われるような気分になる。

もう10年近く咲き続けている紅色の小さなバラは、シューベルトの「野ばら」を思い浮かべるような野趣に富んだバラだ。1本の枝の先に、10個ほども小さな蕾を付けている。明日には咲くかもしれない。

今年初めて咲いた、ルピナス。紫と、濃いピンクと、淡いピンク、3本の花が、すっくりと背筋を伸ばし、どの花びらも同じ正確さで、きっちりと開いている。この花の姿が好きだ。

すでに赤い花をたくさん付けているチェリーセイジの脇では、やがて深いブルーの花を付けるメドウセイジがぐんぐんと茎を伸ばしている。今年はさらに株が広がった。真夏にはこの庭が、メドウセイジのブルーで溢れかえることだろう。
夏の庭にはブルー系の花をたくさん咲かせたい。
今年も忘れず、アメリカンブルーの苗を3株植えた。
紫色の花手鞠の枝をいくつか取り、挿し芽もした。

さて、書いているうちに外は暗くなってきた。
テーブルの上には溢れるほどに咲いているピンクのカーネーションの鉢植え。病院にいたり、寮にいたりする息子達に代わって、mGが買ってくれた
母の日のプレゼント。
今年も朝のコーヒーを入れて、朝食を用意してくれた。
恒例の母の日スペシャルトリート。


朝、教会はお休みしてHの病室へ行く。
熱は下がって、ずいぶん回復している様子。まだ食事はできない。
TVではどのチャンネルを回しても、食べる場面ばかりが映って、食べたくてしかたないとこぼしている。
ほんとにそう。どうしてこう、食べる場面ばかり放映されているのだろう。日曜日だからかしら。日曜日のこんな時間にテレビを見ることなんてないもの。

本人はどうしたって明日は退院すると言っているが、
看護婦さんは「入院計画書には7日間って書かれていますからねえ」と言う。
「だめだって言われても、ぼくは勝手に帰るよ」
なんて聞き分けのない事を言う。

明日は、朝7時には家を出て、mGとつくばへ行く事になっている。Mの検査のことで主治医と相談するため。医者がどのくらいの情報を持っていて、どんな疑いをどの程度持っているのかを知りたい。

植物たちも害虫や病気や、様々な妨害に合いながらも、今年も花を咲かせた。大丈夫。きっと守られている。



2004年05月08日(土) H,その後

朝、10時過ぎ、Hの病室を訪ねる。
わたしが部屋に入ると同時に目を覚ましたようだった。
熱がまだあるからか、何か意味不明なことを言う。

「ぼくは何歳なの・・・」
「21歳でしょ。おじいちゃんみたいな事言わないでよ!」

熱で頭がおかしくなってしまったのかと一瞬ぎくりとするが、単にねぼけていたようだ。意識がはっきりすると、まともに話すようになった。

一晩中、点滴を受けたようだ。まだ何も食べられない。下痢も続いている。主治医が回診にやってきて、血液検査の結果は悪くなかったから、急性腸炎だろうとのこと。一週間くらいの入院だろうが、経過が良く、食事ができるようになれば、その時点で退院となるとのこと。

Hは今学期、どんなことがあってもスペイン語の単位は落とせないから、火曜日には学校に行くなどと言っている。月曜日に退院するには、明日、食事ができるまで回復していなければならない。いくら強健なHだとしても、明日のうちというのは無理じゃないかしら。

「寝ている間、スペイン語勉強したら」
と、熱出してる病人に言ってみたりする。

「そうだね。明日、教科書持ってきて」
おっと、やる気?
勉強できるくらい元気になるといいけれど。


この日記を読んで、いろんな方々がお見舞いや励ましの言葉を下さった。
みなさん、どうもありがとうございました。

祈りに支えられているということがとてもうれしく、心強い。





2004年05月07日(金) 元気なHが入院した日

我が家の青年達は、何が取り柄といって、強健な精神と強健な身体だった。
が、ここのとこ、マズイ。

Hは今日一日、解熱剤を飲んでも熱が下がらず、お腹の薬を飲んでも下痢が止まらないので、夕方タクシーで医者に行った。注射でもされて、たくさん薬をもらって帰ってくるのだろうと思っていたら、病院から電話。
「急性腸炎で入院ですから、パジャマ、タオル、洗面用具を持って来て下さい」

そんな、入院なんて!

Mの検査のための入院は覚悟していたものの、Hまでが入院なんて、考えても
みなかった。
取りあえず、言われたものを紙袋に詰め込んで、自転車を飛ばして病院へ。
出掛けに郵便受けにエアメール発見。HのガールフレンドのKちゃんからだ。
Kちゃんは今カナダに留学中。それにしてもグッドタイミング。Hが喜ぶことだろう。

Hは個室にいて、TVで「どらえもん」を見ながら点滴を受けている。
そもそも入院なんて小2に時にアメリカの病院で一泊して以来。
わたしが駆けつけてすぐは、看護婦さんに冗談を言って笑ったりもしていたのに、次第に悪寒がひどくなりガクガクしてきた。
布団をもう一枚もらい、部屋の温度を26度まで上げた。それでも寒いという。日頃元気なだけに、心配。。。
mGも今日の飲み会を途中で取り止めて、病院にかけつけてきた。
そのうちHは落ち着いて眠り始めたので、看護婦さんにお願いして9時過ぎに戻ってきた。
急性腸炎なら3,4日の入院ということだろうか。
明日はせめて熱が下がってほしい。



もう10時過ぎ、まだ夕食を食べてなかった。
何も食べる気がしないけど、食べよう、何か。
わたしが病気になんかなったら目も当てられないんだから、
「しっかりしろ!」と自分にカツ。

ご飯食べたら、グレープフルーツ持ってお風呂に入って、
今夜は早く寝て、明日の朝、Hの様子を見に行こう。

神様、Hをお守りください。


2004年05月06日(木) 青年育てはムズカシイ

もう、子育ては終了!とあそこ、ここで宣言し、また、心情的にも、母として子供のことを心配するというモードにもならず、経済的なサポートはするけど、後は自分達で生きてね!というスタンスだった。
ところが、このことを最近、おおいに反省している。
食べ物のこと、生活習慣のこと、身辺の整理のこと、まったく彼らまかせだった。その能力が低いことは承知していたが、下手に手出しをすると、彼らが成長しないままになる。ここはもう、自分達で学んでもらうしかない。ま、口うるさく言っても聞かないということもあるが・・・

しかし、彼らに対する信用や、わたしの方針がここのところ、かなりぐらついている。
次男のMは学校の健康診断で引っかかって検査中だし、長男は夕べ、40度の熱を出して、身体をガクガクさせながら深夜のバイトから戻ってきた。寝るのもつらい様子で、こんな事今までなかったと心配になった。気になって、本人の寝息が聞こえるまで、ベッドの側に居て、ヒーリングしていた。(わたしにその能力があるわけではない。ほとんど自分の気休めだろうが)
まだ起きてこない。今日は学校行けるんだろうか…

再三、注意したにもかかわらず、二人とも喫煙していた。外食がほとんどで、いつもお金がないから、ろくなものを食べていないんだろう。加えて、睡眠不足で不規則な生活ときている。これじゃあ、具合も悪くなる。

しかし、夫は、大学生なんてそんなもんだ。過保護になっちゃあいけないと
前のめりになりがちのわたしを後ろから引っ張ってきた。
確かに学生の頃の彼の生活たるや、もっと酷かったかもしれない。わたしだって、食パンにソーセージときゅうりをはさんだサンドイッチばかり食べていたし、まともに寝ていなかった。

しかし・・・

せめて、携帯から、健康管理をと、Mに、チェックのメールを出してみたが、返事がこない。電話したら、「今図書館!」とムカついている様子だ。
「要らぬ世話!」と言いたいのだろう。
はぁ〜、一人前の大人として、何の心配もなくなるという時期がいつか来るのだろうか。


2004年05月05日(水) ズボンの運命は

昨日の日記を読んだ方の中には、わたしたちが次男Mのために、エディーバウアーのアウトレットで買ったズボンの行方を気にしておられる方もあるだろうか。

わたし自身、せっかく買ったズボンが(しかもその商品はあまり値引きしていなかった)、履かれることなく、打ち捨てられるのはサミシイ。て、いうか、今まで見かねて買い与えても、履かれることなく新品のまま、しまい込まれているズボンが何着もあるのだ…

Mは5日のコントのライブのための練習で帰宅は深夜1時過ぎだった。帰って来たMの姿はわたしの予想をはるかに超えていた!ズボンは腿の部分が裂け、
片方は半ズボンの状態。まるで、生死をさ迷い帰還してきた兵士のような格好だった。

「もうこのズボンはだめだ。びりびりに破れてしまった。明日どうしようかな…」

「はい、新しいズボン」

「おっ、有難い!タイミングいいね」
言うなり彼は、ボロ屑のようなそのズボンを脱ぎ、新しいズボンに足を通した。
履いた!!
ともかく、これで足は隠れる。


ところで今夜のコントのライブ。
高校時代のコント仲間との初ライブで、体育館のステージではなく、ちゃんとホールを借りてのライブらしい。
しかし、親は立ち入り禁止。
ま、そのステージの内容はネット上で完全公開となるらしいから、
後でブラウザーで見るとしよう。

せいぜい、新しいズボンを破らない程度に暴れてください。


2004年05月04日(火) 買い物日和

今日は買い物日だった。
実はわたしは買い物が好きではない。
特にデパートは苦手。
それで、服なんかも通販ですましてしまうことが多いのだが、それでも年に何回かは「えいやっ!」と出かけるのである。
なぜ買い物が嫌いか…優柔不断だからだ。これにしようか、あれにしようかとさんざん迷うのである。その迷う気分がいやなのだ。ほんとに疲れる。とてもショッピングを楽しむなんて気分にはなれない。

ところが、このわたしの優柔不断ぶりがすっかり次男のMに遺伝しており、しかも彼はわたしの数倍も優柔不断で、そのため、激しい買い物嫌いのようなのだ。特に靴とかズボンは自分が気に入ったものを手に入れるのが至難の業なんだろう。そして、靴にしろ、ズボンにしろ、その気に入ったものを、もうこれ以上どうにも使えないというところまで履きつぶす。

靴であれば、底に穴が空き、しばらくすると脇も裂け、靴下は土でまみれるわ、雨の日ともなれば、水は上からも下からも浸透してくる。
ズボンに到ってはあちらが裂け、こちらが裂け、今朝なんて、「行ってきま〜す」と言う彼の後ろ姿を見れば、とうとうお尻の下の部分も裂け、なんとパンツが見えるのである。
あの格好で駅まで歩き、電車に乗るのかぁ〜。う〜ん、わが子のことながら、どうにも理解に苦しむ…

ところで、今日の買い物。予定では大宮駅周辺を考えていたのだが、なんとしてもMの破れかぶれのズボン(それがエディーバウアーだということは分かっている)の換えを手に入れなければと、mGと共に、エディーバウアーが入っている入間のアウトレットモールへ行った。

まずはMのズボン。彼が履いているのとそれほど遠くないズボンを見つけた。
履くだろうか。いや、履かないわけには行くまい。だって、今朝履いていったズボン、今夜帰って来た時には、さらにびりびりになっているに違いないのだから。

ついでに、わたしのシャツやセーターも格安なのを見つけた。
定価が5900円の花柄のプリントのシャツが1480円!
確か、これ、前にカタログに載っていて、いいなと思っていた。
こういうのがあると、すごく得した気持ちで、苦痛なはずの買い物が楽しくなる。
それに格安だとあまり迷わない。安いんだからいいんじゃないと決断も早い。
つくづく、わたしは、アウトレット向きの人間だ。


2004年05月02日(日) 死の陰の谷を行くときも

昨日と今日で、世界がまるで変わってしまったということがある。

思いがけないアクシデント、
予期せぬ人の死、
死にかかわる病気の宣告、

こういったことからほど遠く、日々は平和に過ぎているが、
わたしたち、一人一人、この壊れやすい、生身の身体を持っているということが、取りも直さず、日々死と隣り合わせで過ごしているということなのだ。



今日の主日礼拝の始めの詩編交読を、わたしはいつものようにはっきりとした大きな声で読むことができなかった。
身につまされていた。

それがその通りと思うのに、なおかつそこには痛みがあった。
いや、痛みだったのだろうか、慰めであったかもしれない。
人は慰めに合う時にもくずおれるではないか。


いづれにしろ、昨日と今日の間に引かれた線はきっぱりとしている。
その線は見えなかったものに光を当て、
隠れていたものを引きずり出す。
そうして、新しい決意と、勇気とを促している。



    詩編 23編より

主はわたしの羊飼い、
わたしには何も欠けることがない。

主はわたしを緑の野に休ませ、
憩いの水のほとりに伴い、
わたしの魂を生き返らせてくださる。

主はみ名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。

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