たりたの日記
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雨が今にも落ちそうな昨日、 Fと連れ立って上野へ行く。 花見に行ったわけじゃなかった。 ついでに花も見たけれど。
Fというのは子育ての時からの友で、 そしてここ2年ばかしは、ジム仲間で けれど彼女はプールしか行かないし あたしはスタジオしか行かないから たいてい会うのはサウナ で、文字どおり裸のつきあい。 たまには服着て、文化的であろうよと 古代ローマ彫刻展を見にゆくことにしたのだ。
ヴァチカン美術館から持ってこられた彫刻たちには 時を経たものが持つ犯しがたい力があって、 今のものにはない、ひとつのエネルギーに圧倒された。 Fもわたしもいっとう気に入ったのが ユリウス・カエサルの肖像で 溜息をつきつき見入っていた。
「いい男だよね〜」 「若い男しか認めないとこだけど、これなら許せる」 「これはでも実際の顔じゃないね、理想だよね」 「これ彫った人の気合のせいじゃない?」 畏れ多くも皇帝の彫刻を前に われわれは好き勝手なことを言ったのだった。
たっぷりとまたゆっくりと見たというのに、 まだ午後の時間がまるまるあったから、 われわれは国際子ども図書館へ行った。 へぇ〜、こんなのがあるなんて、知らなかった〜 かつては子どもの本の情報に関してはお互いかなり詳しかったのに。 ここは国立国会図書館の分館らしいよ。 それにしても建物がすばらしい!
「明治39年に創建され、昭和4年に増築されたこの建物は、ルネサンス様式の代表的な明治期洋風建築として東京都選定歴史的建造物に指定されています。」 なるほどね どおりでね こんな贅沢な建物を今の政府が作ったら「贅沢!」と叩かれることだろう。 この圧倒的にゼイタクな建物が 子どものために解放されているというのがいい!
エリック・カールの絵本の展示会が開催中で 原画もあれば、イラスト入り、手書きの手紙もあった。 彼がコラージュの素材に使う アクリルで染めた様々な色や模様のティッシュもあった。 思わぬ収穫だった。
エリック・カールにはわたしはとても世話になっている。 彼の絵本は何よりも良い子どもの英語の教材で、 月に1、2度は読み聞かせに使うほど。 短いフレーズの繰り返しのおもしろさ。 くっきりと力強い形と豊かな色。
メディアふれあいコーナーでは パソコンで「コドモノクニ」に収められた詩や童謡を見たり聴いたりする。 なつかしいのは描かれている世界? それともその時代の色使い? 味わいのある言葉と、ゆっくりとしたリズム。 あの当時の子ども達は漫画やアニメの代わりに 西条八十や野口雨情の詩や、竹久夢二の絵が身近にあったのか、 これってすごくない?
絵本は舞台ではイギリスの古い絵本作家たちの作品やマザーグース絵本を見る。 そうだ、今年の英語のクラスはもっとマザーグースを取り入れよう! 口でゆっくり唱える時、気持ちのいいリズムが生まれる言葉を 子どもたちといっしょにもっと楽しもう。 うん、うん、仕事に繋がるぞ…
という具合に 昨日はジムで汗を流す代わりにFと上野を歩いた。 たまには美術館もいいもんだ。 雨の中でも桜は美しかった。
ここのところずっと寒い春が続いて、咲く、咲くと早くから言われていた桜もすっかりちぢこまっているようだった。
しかし、日曜日はみごとに晴れて桜が一斉に咲いた。 夕方、mGと花見に出かける。 今年はマジメに花見をしようということになった。 つまり、ただ桜の下を歩くといういつものじゃなく、 敷物や食べ物、飲み物持参で花の下で宴を張るというマジメな花見。 mGは会社人だというのに、マジメな花見は初めてらしい。
わたしはたった一度だけマジメな花見に参加した。 ある英会話学校でパートで教え始めた春、そこのスタッフの人達との花見だった。会社から弁当やビールが出て、絵に描いたような花見がなにかおかしかった。 そういえば、あの時、「社長さん」もいて、わたしは自分の人生で初めて「社長さん」の下で働くワーカーになったのだと、ちょっとした感慨があった。 そのパートは一年で止めてしまったから、その花見もそれが最初で最後で、 「社長さん」とも一年のご縁だった。
さて、mGとのマジメな花見は朝炊いた赤飯と、買ってきた焼肉弁当とビールにおつまみといったもので、ビニールシートの上にフリースのブランケットを敷き、満開の桜やら、宴会やっている人たちや、その周りで駆け回っているちびっこの集団を眺めながらおこなった。 おチビ達が集団で遊ぶ様子、ころんだり、泣いたり、なぐさめたり、泣き止んだり、また遊び始めたりといった様子を、我々は遠くからの観客となって、けっこう楽しんだ。子ども達って眺めているとほんとにおもしろい。
その後、我々は桜の木の下で、先週うまくできなかったエアロビクスのステップをおさらいしたりしたのだが、そういう我々を、別の花見の客は、妙なことやってる人間がいると、おもしろく眺めていたかもしれない。
樹齢80歳の桜の古木41本は、毎年、毎年、この下で繰り広がられるそれぞれの宴をおもしろく眺めてきたことだろう。
2004年03月28日(日) |
身体が”祭り”になっていた |
あたしは”祭り”は好きだろうか。 子どもの頃は確か好きだった。 その後、いつからか祭りに興味がなくなり、 気が付けば”祭り”が嫌いになっていた。
そういうあたしであったが、昨日の”祭り”は何か心待ちにしていた。その楽しみも手伝って、前の日に一日中、原稿のことをやって、リライトと校正を終えたものを、夜になってえいやっ、とばかり送信した。 「入稿」してしまった… きっと、この後がまた大変なんだろうと覚悟はしてるが。
さて”祭り”はあたしが毎月25日を担当している心太の「心太祭 り」。 心太日記を書いているアーティスト達によるライブだった。 わたしはそのアーティスト達の書いた言葉を通して、そのアーティスト達の音楽や詩や歌、それらを生み出す仕事やら生活やら、また決意やらを知っている。だから彼らの産みだすものにはなみなみならぬ関心と愛着がすでに培われているわけである。まだ触れぬ前から。
”祭り”に心は沸いた。浮かれていたかもしれない。思わずいっしょに歌ってしまって、あたしの横にいたmGから肘でっぽう(これって、なにげにすごい言葉ね)でつっつかれた。
奄美大島の島歌を、きっとその土地に行かなければ聞くことのできない歌を聴いていて胸が高鳴った。歌はその土地を離れているのにその土地の力を帯びていた。きっと歌い手の身体の中に、歌の命が伝承されているからなのだろう。
詩が読まれ、そこにギターが、太鼓が、サックスが、鼻笛が入り組み、絡み合い、それぞれがほとばしる熱を帯び、激しい音の中に、また言葉の中にも、きーんと冷えた静寂があって、わたしはそこが自分の場所のようにずぶずぶと沈みこんだ。ここちよかった。
わたしは”祭り”の中にいて、身体が”祭り”になっていた。
今日は同居人(夫とも言う)mGの誕生日だった。 幸い2人だけなので(子ども達には悪いけれど、そういう気分)彼が帰宅してからワインと刺身、寿司、サラダ等でささやかな宴会をする。
ワインを抜く前に、思い立って、mGの母に電話を入れた。 産んでくれてありがとうと伝えるため。 なにしろ命がけのお産だったと聞いているから、生まれてきたのはめでたいが、彼女の功績にまず感謝を捧げたいと思う。
ところでわたしはアルコールにはめっぽう弱い。好きだけれど、弱い。特にワインは調子に乗って飲むと必ずひっくり返る。で、今夜もみごとソファーの上で2時間近く夢の中をさ迷っていた。
咽が渇いていたのだろう。夢の中にしきりにおいしい飲み物が登場する。でその飲み物をグラスについでくれる男は誰かと顔を見れば、さっきまでいっしょに飲んでいたmGだ。
毎度のことだが、夢の中でもわたしはたいていの場合mGといっしょだ。夢の中くらい、よその男といっしょにいてもバチは当たらないと思うが、楽しい気分の夢の場合、パートナーはmGとなぜか相場が決まっている。
今日はまた心太日記のわたしの担当日で、「赤鉛筆を持つ手を休めて」という文が掲載されている。心太(ところてん)日記でお読みください。
2004年03月24日(水) |
ノラ・ジョーンズを聞いている昼下がり |
ここ数日間、ずっと家にいて机ならず、ダイニングテーブルの窓側のわたしの場所にずっと座り続けている。 原稿に赤鉛筆を入れたり、それをまたパソコンで打ち出したり。 時々、窓の外の春の木々や花々に目を移す。 しかし、音はない。どういうわけかここ数ヶ月、わたしは音を必要としないのだ。できれば物音ひとつ聞こえない静寂が欲しいと思う。
部屋には音が必要だった。そういうものだと思っていた。音楽があってはじめて、その空間が生き生きしてくるような気がした。 その時の気分で欲しい音は違う。シンフォーニーを聞きたいと思うことはめったにないが、室内楽、声楽曲、ケルト音楽、グレゴリアンチャント、シャンソンにジャズ、聞きたい音楽は少なくない。そうそう去年は毎日、ほぼ一年に渡って、例えば、自転車に乗っている時でさえ、キャロル・キングの「Love Make the World」が必要だった。自転車を走らせながら途中で電池が切れたりするとすぐさまコンビニに飛び込み、電池を入れる間も待てないほど、その音が必要だった。まるで中毒のように。
けれど今、欲しい音がない。身体が音を求めない。どうしてだろうなと思う。決して音楽を受け付けないというのでもない。ジムのスタジオで音楽が流れ始めると、急に身体にエネルギーが満ちあふれ、動きたい気持ちにかられる。動きながら歌ったりもする。
しかし、こうしてひとりでテーブルの上で書いたり考えたりする時、音、どんな音からも遠ざかりたいと思う。それでいて、頭の中では必ず何がしかの音楽が聴こえているのだが・・・・
春休み、わたしは仕事が休みになったが、子ども達も同じく大学が休みなので、望むと望まないとにかかわらず、さまざまな音が進入してくる。 一番嫌いなのはテレビの音。
「ね、音小さくしてよ」 とは言うけれど、さすがに消せとはいえない。
なんだかわからないけれど、Mがあまり好みじゃないシンガーの歌を目の前でかけるから、 「ね、もっと別の聞かない?」 と頼んだ。
「これならお母さん好きだよ」 Mが選んだのはノラ・ジョーンズ。
彼女のステイバックしたのびやかで豊かな歌が確かに心地よく入ってくる。 ずいぶん久し振りに音を取り込んでいるという気がする。 2人で昼ご飯を食べながら聞いていたのだが、わたしはその歌を聴きながら 書きたくなってきた。 音から言葉が出てくるというのも久し振りのこと。 というわけで、この昼下がり、ノラ・ジョーンズを聞いている。
2004年03月22日(月) |
これはもしかして花粉症? |
自分の顔を朝から晩までずうっと見ていたらいくら美人とか、イケメンとかでも、きっといやになるでしょうね。
今日は何にもじゃまされない貴重な時間がふんだんにあったので、とにかく 校正の作業を進めたのです。お陰ではかどりはしました。でも、もうイケナイ。時間はまだあるのですが、もう、自分の書いたものにアキアキしてきました。もう何度も書き直ししているものだから、新鮮さも何もないんです。
今日は気分転換を図り、合間で心太日記の原稿も書いたり、ご飯を作ったりもしたんだけれど、それでもアキアキ気分はぬけません。だいたいにおいて、あたしは飽きっぽい人間なんです。地道なコツコツ仕事が超苦手ときています。 これ以上無理すると、もっと状態がひどくなるかもしれないので、ひとまず原稿はしまって、また明日続きをやることにしました。
うう、そ、それにしても、は、は、鼻水がひ、ひどい。 今まで花粉症の自覚はなかったのですけれど、いよいよわたしも犠牲者になったのかもしれません。
こういう時はあっついサウナが効くんですけれどね。 今日はmGはジムに行くのでしょうか。もしそのつもりであれば、あたしもいっしょにエアロビ1本やって、その後、サウナに飛び込みたいところ。 では、では。
2004年03月21日(日) |
夜遅く、やっと訪れた安らかな気分 |
今日はほんとうに忙しい一日だった。 朝8時45分に家を出てから戻って来たのは夜の9時半。 もちろん、夫君は毎日、こういう時間帯で仕事をしているのだけれど。 「忙しい」と感じたのは、時間だけのことではない。今日一日のどの瞬間も1人になる時間がなかったからだ。それが昨日から続いているものだから、家に戻ってからも何かとても不安定になっていたのだ。いかに日々、1人で過ごすことに安住しているかということだ。
2時間ほど、リライトを済ませた原稿をプリントアウトし、それを赤鉛筆片手に校正をしていった。その作業をする中で、気持ちが少しつづ平和になっていった。なんだ、あせることないじゃん、やれる、やれる、とさっきまでの不安がケロリと晴れている。問題なのは実態ではなく、気持ちの在り様なのだ。あぁ、しかし明日も、何回かは不安になるのだろうけれど…
考えてみれば、今日は教会学校の子どもたちとイースターの歌の練習もでき、お昼のサンドイッチパーティーはなかなか良い雰囲気だったし、バナーも今日一日でほぼ完成した。色とりどりの布をコラージュした蝶のモチーフのバナーは、イースターの朝、礼拝堂の中でぱっと輝くことだろう。 夕方のポットラックのパーティーは予想より少ない参加者でだったが、そのせいで、ひとりひとりとゆっくり話しができた。 少ないかなと心配した食べ物も、何とか間に合い、楽しい夕べだった。 さて、安らかな気持ちを取り戻したところで休むとしよう。
今日の日を感謝して、おやすみなさい。
今日は午前中から昼過ぎにかけて大粒のボタン雪が降りました。 なごり雪だったのでしょうね。 気温もそれほど低くはないし、地面もそれほど冷たくはなかったからでしょう。降りてきた雪は少しも積もらずにすっと地面に降りては消えてゆきました。
この雪を英語学校の同僚のアメリカ人Kと彼女の姉のAといっしょに見ていました。Aは夕べウイスコンシンから日本にやってきたばかり。しかも日本は初めて。今日はKの仕事につきあってわたしたちといっしょだったのです。
仕事に関係はありますが、仕事じゃないんですね。英語学校の近くにあるキリスト教主義の幼稚園の子ども会を見学に行っていたのです。 Kは英語を教えているわけですが、この一年は「キリスト教教育主事」という大学の資格取るための教育実習を日本にいながら教会や英語学校、また地域社会ですることになっています。 その勉強の一環として、この幼稚園でわたしといっしょに月一度の子ども会のお手伝いをさせていただくことになりました。Kの実習の手伝いも兼ねたわたし個人のボランティアということでしょうか。 また新しい子ども達との繋がりができることでしょう。
子ども会の後は3人で近くのファミレスに入り、食事をしながら3時間近くしゃべっていました。KとAの子どもの頃の話とか家族の話しとか、二人がまくしたてる英語が聞き取れなかったりもするのですが、人と会話する緊張とかギクシャクする感じが不思議なほどないのです。これがそれまで全く面識がない日本人の20歳以上も年下の女性と食事をしながら話すとすれば、向こうもこちらもそれなりに緊張があるだろうなと思うのです。たとえそれなりに気が合ったとして、お互いに好感を持ったとしても、とても3時間、たわいない会話でげらげら笑いあったりっていうのは考え難い。これってなんなのだろうなと思っていました。 彼女達にしてみれば親子ほど年が違う人間と友達として付き合うのはごくごく自然なことで、向こうもこちらに遠慮はしないし、わたしも大人ぶる必要がないからなんでしょうね。年齢や立場を意識しないで話せるというはそれだけで、何か開放されるものがあるのでしょう。
身体はすっかり元通りになったようで、今日はジムでエアロビクスとヒップホップもやれました。 さて、今から一時間でも原稿の校正をやらなくては。なかなか進みません。 で、このことがいつも気にかかっています。ほんとまとめて一週間くらい缶詰状態で取り組めたらどんなにすっきりするだろうと思います。
明日は教会学校、Aの歓迎のランチ、バナー作り、夕方から英語学校のポットラック(持ち寄り)パーティーと盛りだくさんの一日です。夜から月曜日にかけて原稿一筋といきたいところですが・・・
水曜日の朝、突然風邪(おそらく)に見舞われ、まるまる2日間、ベッドに篭っていました。昨日はわたしの身体の中でかなり猛威を振るってはあちこち痛めつけてくれた風邪もどうやら今朝は退散したもようです。 いったい何だったのだろう。今度ばかりは風邪がやってくる予感が全くありませんでしたから。
今朝はなんとか起き上がり、顔も洗い、PCに向かうことができました。ほんとうに寝込んでいる場合じゃないっつうのに、予測不可能なことが起こります。しかし、これが生身の身体を持って生きるっていうことなのでしょう。
お陰で先週購入した3冊の新刊本は読み終えることができましたし、3人の女性作家たち(佐野洋子、檀ふみ、江国香織)から書くエネルギーもいただいたように思います。
さて、いよいよ書けるのかな。しかし、家の中が大変なことになっているのでまずは家事です。日常はなにかとイソガシイ。 鳥の声がさわやかな春の朝、戻ってきた健康を感謝しつつ今日を始めるとします。
日曜日の日記が続きを書かないでそのままになっていますね。気が向いたら遡って書くことにしましょう。
一週間の中で朝からいちばん忙しいのが日曜日だ。この日も夫といっしょに8時45分には家を出る。教会に9時15分に着くと、わたしはオルガンのところへ行き、奏楽曲を弾き始める。そのうちに教会学校の子ども達が集まって次第に席が埋まってゆく。と、いっても子どもと親合わせて10名くらいの小さな集まりだ。
9時半になると教会学校の礼拝が始まる。今日は司会が校長のK先生。お話が夫。賛美歌の伴奏はYくんがアコーディオンで受け持つ。彼はCDなんかも出しているセミプロのバンドのメンバーだ。
夫は話しの導入に、2.3日前に長男に切ってもらった4メートルほどに成長した月桂樹の話しをした。そう、時に木は心をオニにして切ってしまわなければならないことがsる。我が家の月桂樹はカイガラムシを放っていたために、カイガラムシが枝の先っぽまでびっしりくっついている。それだけなならまだ我慢もできようが、枝の先が隣のハナミズキと接触したのだろう、 あわれなことに、ハナミズキの枝に先の方はカイガラムシに占領されていた。こうなればもう切るより他にない。ちょうど春休みで家でごろごろしているHをアルバイトに雇ったのである。
今日の日記ではこの後、礼拝の説教まで続けるところだったが、どうにも眠い。明日続きを書くことにしよう。
おやすみなさ〜い。
2004年03月13日(土) |
赤ちゃんのいる家へお泊り |
金曜日から土曜日にかけて、南青山に住む若い友人、MちゃんとSくんのお宅を泊りがけで訪ねた。 習慣からMちゃん、Sくん、なんて呼んでしまうのだが、Sくんは歴史のある大きな教会の牧師で、Mちゃんはすばらしくパイプオルガンを弾くオルガニストだ。 彼女達が千葉から青山に越してきて2年も経つというのに、都内で待ち合わせをして会うくらいで、教会もお宅も訪ねることのないまま日を過ごしていた。 ようやくお訪ねしようと思いたったのは、暮れに二人目の子どもが生まれたという知らせをいただいたからだった。
一人目のC君が生まれた時、まだ2ヶ月かそこらの赤ちゃんを連れてわたしたちの家に遊びに来てくれた時には、夫もわたしも生まれたばかりの赤ちゃんに感激したことだった。夫は新米パパとママの前では我々の方がキャリアがあるとばかりに泣く赤ちゃんを抱き上げてはあやしていた。 そのCくんは今年小学校へ上がるという。
我々の家族もこの6年の間にめまぐるしい変化があったのだが、Mちゃんの新しい家庭の上に流れた年月と、その中で成長していったものが見えて感慨深かった。
わたしが赤ちゃんを抱っこしてミルクを飲ませている間、二人は仲良くキッチンに立って料理している。ニンニクやハーブの香ばしい匂いが部屋いっぱいに溢れている。 隣の部屋のCくんから「ヨシコさん」とお呼びがかかる。そういえば彼は3歳の時もわたしをヨシコさんと呼んでいた。わたしが持っていったバージニア・りー・バートンの「せいめいのれきし」を読んであげる。我が家の長男が幼稚園の頃、恐竜に夢中になっていた彼に幾度となく読み聞かせた本だ。その本を声に出して読みながら、古いなつかしい友人にずいぶん久し振りに会ったような気持ちがし、また側で聞いているCくんが我が家の子達のような錯覚が起こる。
Sくん特性のチキンとハーブのパスタは見事においしく、Mちゃんの作ってくれたアボガドのサラダはみるからにヘルシーでうれしかった。Mちゃんはゆっくりした雰囲気で食事をしたいとこぼしていたけれど、わたしとしては幼児や赤ちゃんの声の混ざる食卓はいいものだなと思ったのだった。 しかし、また当時のめまぐるしさを思い出し、子ども達が大きくなってしまった今の静かな暮らしがありがたくもあった。
今はおとなしく寝ている赤ん坊が動き回る時期になれば、食卓はさらに賑わい、パパもママも、食べ物を味わう暇さえないといった日々がしばらくは続くことだろう。Cくんは小学校でそれなりに様々な試練(?)に出会い、その度にぐんぐんと大きくなっていくに違いない。
今度このファミリーをお訪ねする時、みなが今とまた違っていることだろう。そうしてわたしも、また。
さて、わたしの場所からも原稿からもすっかり離れて、また赤ちゃんのいる家庭のエネルギーをたっぷりいただいて、しっかりリフレッシュができた。 明日で今年度の英語教室の仕事もすっかり終わる。いよいよ本腰を入れて原稿を完成させよう!
あぁ、しかし、今夜は寮生活をしているMが、そして明日は旅行に出かけていたHが帰って来る。Mがメールで「春休みは家でごろごろします」と言ってきた時には、一瞬、「うっ」となった。忘れていた。大学生の春休みって長くてその上、ヒマなんだった。ごろごろかぁ・・・
しかたない、彼の日頃の栄養不良を解消させるべく、ご飯つくりもまじめにやらなくっちゃ・・・
2004年03月11日(木) |
心を鎮めるために書く |
日記を書く時の気分というのは実に様々だ。 私の場合、一日の仕事を終え、さまざまな「やらなけらばならないこと」がなくなって、すっきりした気持ちで自分に中に入り込んで書くというのが定番というよりは理想。そこにはいつも寛ぎがある。
ここのところ日記が空いているということは、そういう寛ぎが訪れなかったということだろう。とすれば、日記はわたしの心の状態を映し出すバロメーターでもある。
今、こうして日記を書いている。わたしの心はやるべきことをすべてやった、あるいはすべてがアンダー・コントロール、順調に掌中にあるのか、否、心の状態は安定を欠き、落ち着かない。
花粉症なのか、鼻アレルギーなのか、はたまた風邪か、は分からないが、昨日からくしゃみと鼻水が止まらないので、前に耳鼻科からもらっていた薬を飲んだ。その薬のせいだろう、やたらとぼおっとする。身体も精神も、薬で麻痺させられている感覚。ぼおっとすれば、おとなしく寝ていれば良いのだろうが、「書かねば」というあせりのようなものがあるので、どこかできりきりと緊張している。身体のリズムと心の状態のバランスがあまりに悪い。
おまけに、メールで身に覚えのないサイトから身に覚えのない請求が届き、 気分はさらにダウンする。これは悪質ないたずらで、無視すべきものだということは分かっていても、何か不安を掻き立てられる。ネットの世界がどこかで良く分かっていないから、日頃は非常に信頼をおいて、こうして自分自身を外の世界に向かってオープンにしているのに、そういう信頼さえもぐらりと揺すぶられてしまうのだ。
「ネットは、人は信頼に足るのか」という疑問。
はん!悪魔の仕業だ。 悪魔は人と人との信頼や、希望や、夢といったものをぶち壊そうと、チャンスを狙っている。様々なききっかけを用いてすっと心に進入してくるのである。そして疑いの種を植え付ける。自分に対する疑い、人に対する疑い、とりまく世界すべてに対する疑い。その疑いの渦の中に引っ張り込み、悪魔の連れてゆきたいところへ人間を誘う。
中心にもどらねば・・・ 今書いているのはそういう気持ちから。 時に書くことは祈りや瞑想のように自分をあるべき位置に戻す働きがある。 そしてこうしてネット上で書くことは、さらに悪魔へ対する挑戦でもある。 目撃者のいる場所でやってくるマイナスのエネルギーに抗するのだ。わたしはおまえの手口には乗らないと。
さて、書いているうちに心はいくらか静まってきた。 今日は3ヶ月ぶりに美容院の予約をした。いつもならパーマ、ヘアダイ、カットのコースなのだが、そこにどうしても時間が使えない(と感じる)ために、カットだけの予約にする。
お昼を食べて、行ってこよう。気分も変わるかもしれない。
2004年03月08日(月) |
ことばあそび 「ふうふ」を投稿する |
ゴザンスの今回のことばあそびのお題は「ふうふげんかはいぬもくわない」 だ。だいたい犬も食わない夫婦喧嘩を飽きずに繰り返しているわたしら。このテーマで書くとすればいくらでも書けるような気がする。
で、いろいろと文字をいじっていたらこういうアクロスティックができた。 アクロスティックというのはこういう詩作の方法。谷川俊太郎氏の「詩ってなんだろう」という本で知った。アメリカの小学校でよく子ども達が作っていたのだったが。
夫婦という漢字は好きじゃないがひらがなで「ふうふ」と書くとなんだか愉快で、我々のことをセットにして呼ぶ呼び名にふさわしいという気がした。 そういえば、今夜のエアロビクスは単品じゃなく、ふうふで参加した。 昨日mGが一人で出たら、「奥様は」と聞かれて「今日は単品で参加します」と言ったらしい。もともと彼女が我々がふうふだとは知らず「単品だと思ってました〜」と言ったことに寄るのだが。
今日、スタジオに入るとインストラクターが「今日はダンナさんとごいっしょですね」と声をかける。「ダンナさん」、この言葉もなぜかしっくりと馴染まないんだなあ。「主人」なんてもっとやだけれど。 連れ合いは自分のHPなんかではあたしのことを同居人のたりたと言っている。ん、いちばん近い言い方っていう気がしないでもない。
ふうふ ふ 普通にふうふ う ウマが合うふうふ ふ 風変わりなふうふ げ 元気よすぎのふうふ ん ん、どこのふうふ? か 痒いところに手が届かないふうふ は 腹立ちまくりふうふ い いけすかないふうふ ぬ ぬくぬくふうふ も 文句たらたらふうふ く 苦しい時の相手だのみふうふ わ 笑いすぎるふうふ な 泣きすぎるふうふ い いつだってふたり
2004年03月07日(日) |
檀ふみ「父の縁側、私の書斎」 |
わたしはあまりハードカヴァーの新刊書を買わない。 ケチなこともあるが、もう本棚という本棚は本でぎっしり詰まっており、もう床なんかにも溢れた本が積まれ、これ以上本を買うとすれば、どれかを捨ててからにしなければならないからだ。
しかし、檀ふみのエッセイが出た時には、どうしても買ってしまう。立ち読みで2,3ページ読んだところで、手放したくないと思うのだ。近い。なんだか近い。近いけれど、また当然なことだけれど、容姿、知性、ユーモア、筆の力、すべてにおいて勝っている、と素直に脱帽できる。なんというか、姉みたいな気分がずっと昔からついて回っているのだ。実際、彼女はわたしより2歳くらい年上だったはず。姉を持たないわたしは、彼女がデビューしたくらいから、檀ふみを想像上の姉に仕立てていたのかもしれない。
このエッセイ、かなりおもしろく読んでいる。50歳(たぶん)のダンフミのそぎ落とされた軽やかさがいい。自分のことをふっと笑える気取りのなさがいい。男性的なスッパリしたところや色気のないところと、女性的な匂やかさやしっとりした艶やかさのバランスがいい。
文章を読むということは、その人を読むということなのだなあと思うが、 檀ふみのエッセイを読んでいるとほんとうに彼女と会って話しているような豊かな気持ちになるのである。
そのせいだろう。今朝はなぜか原稿が進んだ。彼女のエッセイが父檀一雄と自分の育った家とのことを軸に書いているものなので、私が書いている父のことについてのエッセイと呼応するものを感じた。そう、姉から励まされている、そういう気分。
それにしても表紙の和服姿の檀ふみはほんとうに美しい。50の彼女は20代、30代の時より、さらに美しい。彼女の写真をうっとりと眺めつつ、エッセイをハハハと愉快に笑いながら読んでいる。
2004年03月04日(木) |
佐野洋子は65歳になっていた |
今日は英語学校のミューティングがあり、家を7時半に出て飯田橋まで行く。早朝の外出も、通勤ラッシュもここのところ縁がなかったので、かなり疲れてしまった。なんだか神経がイリイリとして静まっていないのは、しかし身体の疲れだけじゃないな。何かバランスが取れていない感じがする。夕べ3時過ぎまで眠れずに、朝早く起きたことにも関係しているかもしれない。こういう時にものを書いていいわけないのだが、書くことでいつものバランスを取り戻そうとしているのかもしれない。
何ひとつあせることはないというのに、じわじわあせりが押し寄せる。抱えている仕事を早くやっつけてしまいたい。原稿をさっさと書き上げすっきりさせたいとあせるのだ。しかし、あせりにまかせて雑な仕事をしてはいけないということはよおく分っている。今は時間をかけて、ひとつひとつ、コツコツと言葉やフレーズを吟味していく段階なのだから。推敲、校正、そういえば、わたしが一番苦手なことだった。
ところで先日の日記で、家族のことを書くことの是非について逡巡していたが、とにかく編集部に送ったのと同じ原稿を息子達に読んでもらうことにした。自分たちのことが書いてある記述を削除してほしいとか、書き換えてほしいところがあったら知らせてほしいと、昨日、彼らに原稿を送った。その時点では、このエッセイ集の構成そのものを変えることもやぶさかではないと思っていた。
まず、さっそく長男のHが携帯にメールをくれ、「作品あのままで問題ないよ!」という返事だった。それに続き、今日は次男のMから、「ばっちりおっけー!!おもしろかった〜。」というメールが届く。なんだか拍子抜けしてしまったが、これで彼らのお墨付きをもらったわけだし、後はわたしが納得いけばそれでよしということになる。なんとかこの線で続けられそう。 明日から細部の作業に取り掛かることにしよう。
ミーティングは午前中で終わったので久し振りに本屋へ行く。いつも図書館やブックオフで本を調達していたが、今日はクリスマスにもらった図書カードも持参していたから新刊を買う気で勢いつけて本屋へ入る。買いたい本はいくらでもあるのだが、佐野洋子のエッセイ「神も仏もありませぬ」、檀ふみのエッセイ「父の縁側、私の書斎」、江国香織の直木賞受賞作「号泣する準備はできていた」を求める。今の書くエネルギーに繋げたいという気持ちが働いた。
まず読み始めたのは佐野洋子のエッセイ集。というのも、ここしばらく彼女はなりを潜めていて、いったいどんな生活をしているのだろう。お元気でいるんだろうかと気を揉んでいたのだ。もう何度もここに書いているがわたしは彼女のファンである。あの人のエッセイを読んでいるうちに、日記を書く気になったといってもいい。
佐野さんの40代、50代のエッセイを読んでいたから、わたしの中で彼女はそこから歳をとっていなかったんだけれど、新しいエッセイでは佐野さんは今65歳という時を生きている。老人を生きていると言ってはばからない。少しも変わらない、少女のままの心がくっきりとそこに見えているんだが、でも65歳、そしてそのことに彼女自身がえっ、えっ、と日々驚いているというのだ。わたしもそう47歳という自分の年齢がどうにも信じられず、えっ、えっ、と日々思っている。
そして彼女が65歳をこんな風に生きているんだったら少なくてもわたしだってその当たりまでは楽しくのびやかに過ごせるような気になってしまう。もっともこのエッセイは「そして、わたしは不機嫌なまま65歳になった」と結ばれているけれど…。
それにしても、彼女のエッセイを読みながらわたしはいつものように笑ったり泣いたりと忙しいのである。そして読みながらふつふつと元気が起こってくる。こういうものを書けたらいいな。でもわたしはここまで潔く真っ正直になれないな、すっぴんになれないな、まだまだだなと思う。
さてさて、今夜はまだ11時にもならないが、明日はうんと早いスタートを切るために今日はもう2階へ引き上げるとしよう。
では、おやすみなさい。。。
2004年03月02日(火) |
カナディアン ブルーベリーパフェ |
ご存知でしょうか、ミニストップのカナディアンブルーベリーパフェhttp://www.ministop.co.jp/tennew1.html。 今、これにハマってます。
甘さを控えたブルーベリーソースにからめてある大粒のカナダ産の生ブルーベリーが例の美味しいソフトクリームの下と上にしこたまのっているんです。全体の3割はブルーベリーという優れもの。
今日もジムの帰り、mGにミニストップの駐車場に車を付けてもらって、 そこでブルーベリーパフェを食べました。 目の前にはそれはみごとな満開の梅の木があり、外灯でライトアップさた、夜桜ならぬ夜梅、良いお花見でした。
梅は好きです。 冬の終わりの春の初め、 まだ空気の中にきりりと冷たい芯が残っている時期に 花をほころばせる。
今日はずいぶん寒かったですね。 しばらく暖かな日が続いたのでちょっと裏切られる感じがしましたけれど、 なんだかうれしい気もしました。 冬、実は好きなんです。 春も好きだけれど、冬の冷たさがすっかり無くなってしまうというのは やはり残念な気がします。
ああ、でももう3月、春ですね。
2004年03月01日(月) |
何を書くか、どう書くか |
本にする原稿の一回目のリライトを2月中にということだったので、一応のリライトをして提出した。方向も構成も、これで良いようだし、編集からは、よい本になりますと言ってもらい心強かった。よしこれでゆくぞ〜と細部のリライトに取り掛かったところ、また揺れが起こる。
今まとめようとしているエッセイはひとつは父のこと、もうひとつは子育てを通じて私自身が育ちなおしをしたというテーマ。前者はまあ、問題はないとして、後者の場合はどうしても家族や知人や組織や機関、様々な情報が入ってくる。これが情報を伝えるものであれば問題ないが、あくまでもわたしの目から見たり感じたりしたことなのだから、そこに客観性はあまりない。
さらには、息子達の赤ん坊のことから、成長期の様々なエピソードが登場する。それはわたし自身の感じたこと、そこから学んだことを書きたかったにしても、そこに「わたしの主観で作り上げた」本人達の姿が晒されることになる。
昨日、10日間の住み込みアルバイトから戻ってきた息子にリサーチするつもりで、逆カルチャーショックのことを聞こうと話しを始めたところ、自分のことが書かれるということについてどう思っているかを彼が話し始めた。これまで子ども達も夫も、わたしが書くことについては寛容だったので、あまり気にすることもなく本人達を登場させてきた。しかしそれがネット上ではなく本として世に出る場合、話しは違うという。たとえ、悪いことは書かれていないにしても、そこに書かれているのはあくまでおかあさんが見た僕で、僕が認識している僕じゃない。ところが読む人はそこから僕を知る、それが僕だと思う、それはいやだと。
全くその通りだ。返す言葉がない。わたしはわたしが捕らえた息子なり、友人、知人の姿をそこに留めたいと思うわけだが、それは事実を記録しようとしたものではなく、わたしというフィルターを通し、読み物としておもしろいものにしようとするわけだから、もうフィクションなのだ、創作のエネルギーが働いている。小説といったほうがむしろ正しい。しかしそれは小説として書いているわけではないから「事実」として読まれることになる。その矛盾。書かれる方はたまったもんじゃない。その通りだ。
はあ〜、考えこんでしまう。 人のことを書くにしても、どう書くかなんだろう。自分を書くという軸から離れないで深いところから言葉を紡いでいくということが問われているのだろう。ふう〜、また振り出しという感じ。 しばらく考えてみよう。
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