たりたの日記
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2003年12月30日(火) 大掃除におせちに800字の今日

気が付けばもう今年最後の日。
ゴザンスに投稿する800字小説を夢中で書いていて、ようやく投稿したらもう夜中の一時半を過ぎていました。

これからお風呂に入るとなると、寝るのは2時過ぎになるかなあ〜。
でも、大掃除も大方終わったし、黒豆も煮たし、紅白なますも作ったし、数の子は塩抜き中。明日の朝はゆっくり寝ていても大丈夫そうだから、日記も書きましょうか。

そうだ、お正月の花を忘れていました。
クリスマスにいただいたシクラメンがあるから、花はこれでいいことにしようかなぁ〜、まだクリスマスは続いているわけだし、なんて都合のいいことを考えています。

ところで、今回の800字、夕ご飯を食べながら、「プロットが浮かばないよ〜、だいたい私には昔の恋人なんてもんがないしね〜(と、連れ合いには言っておく)」とぐちっていると、最近、書くのに目覚めた夫は、
「それはイマジネーションと同時に、知識が欠けているからだよ。例えばオスマントルコを舞台にした恋愛小説を書けといわれれば、その時代背景、生活習慣がまず浮かんでくる、そこから話が展開するんだよ・・・・」

ふん、あたしが歴史や地理にめっぽう弱いことを知ってて、こいつぅ〜と
話半分に薀蓄を聞き流しているうちに、別のルートからひょいとアイデアが浮かんできた。そうだ、場面はドイツの田舎。昔の恋人は修道士。かつて、子連れのバックパック旅行をした時に立ち寄ったボイロンの修道院が舞台。

あそこの修道士たち、20代から60代くらいの年代も様々だったけれど、一様に生き生きとしたしなやかさがあり、男の色気さえ感じさせるほどでした。魂が生き生きと動いているからでしょうか、あまりいない男たちだなあと、印象深く記憶に留めました。ええ、もちろん、何よりもグレゴリアンチャントそのものが、形容できないほどにすばらしかったのですけれどね。
男だったら、あの修道院へ入りたいなどどとんでもいないことを夢みたりしました。夫も子どももある身なのに・・・・。

800字小説「ボイロンの修道院へ」は
空の鳥と野の花と)からどうぞ。



2003年12月29日(月) 大掃除

大掃除といえば、家のすみずみのホコリを払ったり、ガラスを磨いたり、床のワックスをかけたりとそういうことこそ、しなくてはならないのに、この前からわたしのやっていることは、いわゆる整理で、まだ掃除には手が届きません。昨日は郵便物は印刷物、雑誌などの整理、今日は台所の食器棚や買い置きの食品の整理をしました。買い置きをして、買ってあることをすっかり忘れていたという食品が賞味期限をはるかに過ぎて戸棚からひょっこりでてきたりします。まったくしようがない。

こういうのって、やたらと時間がかかる割りには、もともと目に触れない内側の部分の整理なので、やってもやらなくても見た目は対して変らないのがなんとも残念です。

さて、明日は、ガラス磨きや、床磨きに精を出すこととして、今はもうベッドへ入った方がよさそうです。強烈に眠い・・・

おやすみなさい。


2003年12月28日(日) 創作おせちはいかが?

今日は教会の帰りに、正月用の食材の買い物をしました。
すでにおせちの2段重を注文しているというのに、それとは別に、毎年作るものは作らなくてはという気持ちになって、結局はいつもの買い物をしてしまいました。きっと、おせちを作ることが、わたしの中で儀式のようなものになっているのでしょう。

なます、黒豆、数の子、筑前煮は今年も作るでしょう。ちょうど欧米人がクリスマスの七面鳥やクランベリーソース、マッシュポテトをはずせないのと同じようなものなのでしょう。それがとりわけ美味しいというのではなくて、お正月に食べるという決り事。

けれど、言葉では、大胆な創作おせちを作ってみたのです。
ゴザンスのことばあそびのお題「たこあげはねつきかるたとり」に合わせて
考えた創作料理ですから、実際どんなものかは保障できません。
あたしの頭の中では、結構イケルと思うのですが、一つくらいは試しに作ってみることにしましょう。

もしご参考になれば・・・ならないよねえ・・・


【ことばあそび】 創作おせち

た たらことかまぼこのマヨネーズあえ、
こ 昆布巻き牛肉入り甘辛煮、
あ 揚げの福袋、おろしれんこん詰め、
げ 玄米の一口寿司スモークサーモンのせは一の重に。

は 羽子板仕様の淡雪寒天、
ね ねじりこんにゃくぴり辛煮、
つ つまみ菜と貝割れ大根のロースハム巻き、
き 切干大根の焼きブタ入りを二の重に詰めます。

か 柿が入った紅白なます、
る ルビー色のワインゼリー、
た たくあんの細切り数の子あえ、
と 鶏ひき肉としいたけの和風ミートローフ、
り りんご入り栗きんとんを三の重に詰めて、今年の創作おせちの出来上がり。


2003年12月27日(土) 笑うはなし、こっちでも

夫が最近エンピツで mGの日記
を始めたのだが、その最新の日記を読んで笑ってしまった。タイトルは「笑うはなし」。

20年以上もいっしょに暮らしていても知らないことというのはあるものである。
彼は鏡嫌い。そうか、そうだったのだ。

鏡を見ない人というのは自分の顔つきや表情が他人にどんな風に見えるのか知るよしもない。そもそも、他人のために表情を創るということをそもそもあきらめている。

けっして、無愛想な男が好みというわけじゃない。けれども結果としてあまり笑わない男と結婚し、20年このかたそのことをさほど不自由とも不満とも感じることなく過ごしてきた。その夫が最近笑う練習を始めたらしい。

わたしはこの点に関しては彼とはまるで正反対。子どもの頃から暇があれば鏡の前に立っているというような、まったくいやらしい少女だった。まず、朝起きると鏡の前、学校から戻ってくると鏡の前、もちろん、寝る前にも、と始終鏡に向かっていたような気がする。よく母から、「いつまで鏡見ているの!」と、小言を言われていた。

鏡の前でいったい何をしていたのかといえば、笑っていたのである。
笑う練習をしていたと言ってもいい。あるいは、どういうスマイルが人に好感を与えるかということをいろいろと研究していた。もっとひいき目に言えば、自分に会うために鏡に向かっていたのかもしれない。それにしても、かなり変な子どもだった。

果たして、その練習の成果はあったのだろうか。
年頃になって、何が褒められるといって、まずは笑顔だった。笑顔がいいと褒められても、
ちょっと複雑な気持ちなのだが、何も褒められないよりはいい。さんざん練習したからなのか、普通にしていれば、それがそのままスマイルになった。目が少し下がり、口元がわずかに上向きになるというのが自然にしている時のわたしの顔つきだから、なんだか、ぽわぽわしていて、鋭さに欠ける表情になってしまい、わたしの本質とどこかズレているような顔だと自分としては不本意だ。

気がつくとわたしは鏡の前で、笑わない練習をしている。わたしの心の状態を表している表情を探すのである。そして、シャープな印象の顔を見つけては、そう、これこれと決めるのだが、人の前に出るといつもの人あたりの良さげなスマイルが条件反射的に出てくる。


なぜ、こういう表情を自分にくっつけたのだろう。分析してみると、それはわたしが鍵っ子だったことと深いかかわりがあるように思う。母親のスカートに隠れるということができなかったわたしは、どんな時にも一人で大人達の前に立たなければならなかった。
大人からいくばくかの愛情と、哀れみと、賞賛を受けるためのすべのようなものを本能的に身に付けたのではないだろうか。一方、いつも母親の後ろに隠れることができた夫は、そういう必要など全く無かった。人から嫌われるということに恐怖心などないから、いつだって自分の心をいつわらない顔つきをしていられたのだろう。
しかし彼は今、笑う練習をしているという。


2003年12月26日(金) 年賀状を書き終えて

さてクリスマスが終わり、世の中は正月の準備の時です。
我が家では1月4日の顕現主日までクリスマスの飾りはそのままにして
クリスマスの音楽なども聞きますが、かといってお正月の準備はしないわけにはいきません。

今日は予定通り年賀状を書き終え、ひとつ仕事が終わったと、すがすがしい気分です。ペンで字を書くのは久し振りでした。たまには葉書とか手紙も書かなければと思いまがら、1年振りのお便りを書いたことです。

明日と、29日で大掃除。今年はおせちも初めてレストランの2段重を注文してみたので、30日と31日に、黒豆と筑前煮を煮るくらいで済みそうです。なんだかえらくゆっくりした年末のような気がします。
暮れの支度をしながら、ジムへ行ったり、原稿を書いたりもできそうです。


次男のMは今日から九州の旅。といってもメインは夫の実家とわたしの実家へ顔を見せにゆくのですが、彼にとっては初めての一人旅です。夕べはサークルのクリスマスパーティーだったと聞いていたので、朝ちゃんと起きて空港へいったかしらと気になって携帯にかけるものの、返事がありません。気になっていたところで向こうから電話がありました。

空港へは出発時刻の2時間前に行くつもりで寮を出たまではよかったのですが、筑波から羽田までの直通バスの
中で爆睡し、空港についたことも気が付かずに眠りこけていたものだから、
乗客に気が付かなかった運転手さんは、バスのターミナルまでMごとバスを持ってきたらしいのです。

もっそりと大男が後ろの座席から起き上がった時には運転手さんはさぞかしびくりしたことでしょう。Mに缶コーヒーを買ってくれ、すぐに空港まで送っていってくれたということでした。Mが目覚めた時に、そこに運転手さんがいたから良かったようなものの、からっぽのバスの中で延々と眠っていたのだったら、飛行機にも乗り遅れたことでしょう。
ほんとに、誰に似たのやら・・・・

さてさて、今夜もエアロビクスとファンクを踊ったので、もう身体も限界のようです。午前一時、寝るとしましょう。
おやすみなさい。



2003年12月25日(木) 心静かなクリスマス

毎年来るクリスマス、我が家なりの祝い方があったのですが、子ども達の成長に伴って、
ここのところ、それは大きく変わってきています。

長男は彼女といっしょに過ごすし、次男はまだ寮にいて、サークルの仲間とのクリスマスパーティーがあるらしく、クリスマスイブもクリスマスもわたしと夫だけです。
わたしたちもこの年代の頃はすっかり親から離れていましたし、親より恋人や友人と過ごしたいのは当然のことですから、そういう時期にはそういう時期なりのクリスマスを過ごせば良いのでしょう。

二人だけだと、クリスマスの儀式(ツリーの下のプレゼントの山を順番に開封したりといった)をすることもなく、いつものようにジムへ行き、外で焼肉を食べたりなんていうクリスマスでした。夫はクリスチャンでありながら、クリスマスキャロルが嫌いときているので、クリスマスの音楽もかけず、おおよそクリスマスらしくないムードではありました。

それでも遅く帰ってきたわたしたちに、長男がクリスマスのプレゼント(夫にはマフラー、わたしには Roald Dahlの本)をくれたり、彼女のKちゃんが我が家へのプレゼントに作ってくれた手作りのキャンドル(これがまた、すごくパワフルで、独創的な作品でした)を渡してくれたりと、泣かせる場面もありました。

また、この日にふさわしいメールをいくつかいただき、またわたしもお返事を書いたり、ご無沙汰している方にクリスマスのご挨拶のメールを書いたりすることもできて、良いクリスマスでした。

いただいたメールのひとつは MAKE A WISH
というえんぴつ日記のライターのfunnyさんからのもので、彼女にとってクリスマスは「愛の日」とありました。そして、祈りはエネルギーと思うから、病気の人たちのために祈ってください、という訴えをいただきました。

彼女自身が闘病生活をなさって、闘病日誌を書いていらっしゃるのですが、こうしてはっきりと祈りの訴えをいただいたことがうれしく、ほんとに祈っていこうと強い思いを持ちました。
良くわたしたちは、お祈りしています、とか、お祈りくださいという言葉を口にするのですが、彼女の日記やメールを通して伝わってくるのは、あいさつとしてのお祈りなどではなく、それがエネルギーとして実際に人に働くという確信を持って、訴えかけていると感じました。

祈ろうと思います。いっしょに祈ろうと思われる方は、どうぞ彼女や他の病気と闘っている方のことを祈ってください。

もうひとつのメールは以前から日記を続けて読んでくださっているという読者の方で、はじめてメールをくださいました。高橋たか子の検索からこの日記にたどり着き、それ以来、読んでくださっているということを知り、ほんとにありがたく、また励まされました。
はじめてメールをくださったMさんにしろ、funnyさんにしろ、わたしが日々綴るものを心を止め、時には共感を覚えてくださり、きっと心の中で語りかけてもくださったと思うのです。

そういうこの日記を読んでくださっている方々のエネルギーがわたしに届き、書く力やインスピレーションをいただいているのだろうと思いました。それは祈りととても似ていると思います。そういう見えないけれども、人を生かすエネルギーがそこで交換されていると思います。

語る者は聞く者があってこそ初めて語ることができると聞いたことがありますが、書く者も、読んでくださる方のエネルギーに支えられて書いているのだろうと思ったことです。

この日記を読み続けてくださるおひとり、おひとりの方に支えられて、今年も日記を続けることができたことを心から感謝します。
どうもありがとうございました。

今日、12月25日は心太(ところてん)日記の担当の日でもありました。そこではわたしの8歳の時のことを書いています。
初めて教会のクリスマス礼拝に出た時のことを書きました。どうぞ読んでください。


2003年12月24日(水) 2003年のクリスマスイブ

去年のクリスマスイブはどんなふうに過ごしたのだろう。
キャンドルサービスに出た以外は記憶にない。
日記を紐解いてみると22日から27日までがブランク。
そういえば、このあたり、いろいろとすったもんだがあり、日記どころではなかったのだった。

そういう意味からすれば、今年のクリスマスイブはなんと平和だったことだろう。今後、紐解きたくなった時のために、今日のことを書き留めておくことにしよう。2003年のクリスマスはもう2度と来ないのだから。


朝、アドベントからこっち、ゴザンスや心太日記に投稿したクリスマス関連のエッセイ、詩、ストーリーをまとめてプリントアウトする。この一ヶ月ばかりの間に、7つもクリスマスをテーマに書いている。

2,3日、寮から戻ってきていた次男のMが寮に戻るというので、昨日の残りのクリスマスケーキを朝食といっしょに食べさせる。このクリスマスケーキはなんと長男Hから我が家へのプレゼント。
洗濯、掃除をすませ、昼ごろ起きてきた長男にブランチをあてがい、午後一時半に家を出る。

クリスマスイブなので、郵便局からユニセフへ寄付金を送る。
ユニセフから送られてきた募金案内には
「3000円で409人の子どもの命を救う方法があります。」
と書いてあった。
いくらわたしが3000円ほどのお金を送金しても、10秒間に3人の子どもが病気や栄養不良のために命を落としているという現実は変わりはしない、でも何もしないよりはいいと言い聞かせながら・・・

2時半、大宮駅で友人のFと待ち合わせ。遅いランチをしながら、1年間の反省会。お互い、ジムに現をぬかしすぎた。来年の抱負も語り合う。わたしのは、書いたものを本にまとめたいという抱負。でも、これってここ数年、ずっと抱負にしつつ、実現していないのだが。抱負は抱負、実現可能かどうかは別として。


プレゼント交換の後、Fと別れ、時間調整のため、ベッカーズに入る。
今夜のキャンドルサービスで朗読するテキストを取り出し目を通したり、メールしたり、それでもまだ時間があるので少し早く教会へ行こうと店を出る。
改札口へ向かおうとしたところ、
「献血お願いしま〜す」
と、若い女の子たちが2人、声を張上げている。
今日はクリスマスイブだもの、献血日和というもの。
400ccの健康な血液をドネイション。

電車から降りて教会までの5分間の道のりは、いつのころからか、祈りの時間になっている。わずかなお金でも寄付できるくらい余裕があるということ。献血できるほど健康であるということを感謝する。若い頃は病気がちで、その後は貧血がひどく、貧血が解消されれば、コレステロールが高くて、とても差し上げられるような血ではなかったのだ。


7時から蜀火礼拝(キャンドル サービス)が始まる。
ろうそくの灯り、クリスマスキャロル、クリスマスのメッセージ、
8歳から続いているクリスマスイブの決りごと。
この中ではこれまで過ごしたいくつものクリスマスが、幾人もの人たちのことが思い起こされる。
過ごしてきた1年間を静かに振り返る時でもある。

さて、この日記を書いている今はもうすでに25日。

Merry Christmas!


2003年12月22日(月) 冬至のゆず風呂

今、お風呂にお湯をためながらその間にと日記を開きました。
今日は冬至ですね。かぼちゃは食べそこねましたが、これからお風呂にゆずを浮かべてゆず風呂にして入ります。

いえね、たった今、ジムから戻ってきたので、もうサウナにもお風呂にも入っているのです。でも、今日に間に合うようにと実家の母が庭になっている姫ゆずを急いで送ってくれたので、入らないと悪いなと思い、今夜は2度風呂に入ります。

せっかくだから、アマレットをソーダ水で割ったものでも飲みながら、ついでに本とみかんと、お湯にぷか浮かぶキャンドルも持ち込んで、寝るまでの間、遅い時間のバスタイムを楽しむことにしましょう。

そういば、旅の帰路の間に読んでしまった江国香織の「冷静と情熱の間」には風呂の場面とアマレットを飲む場面がやたら出てきました。風呂の中で本を読むのが好きなわたしはその場面を読むだけで気持ちがよくなり、帰りの飛行機の中も混んだ電車の中も風呂気分でいましたっけ。

さて、お湯がたまったかな。

では、失礼。


2003年12月21日(日) 今日から始まるクリスマス

日本のクリスマスはどうやら12月24日で終了となるらしい。
いつだったか、12月25日の朝、それまでまばゆいイルミネーションで飾られていたデパートの前のクリスマスツリーが撤去されようとしていた。

クリスマスが終わるやいなや正月の支度に追われる日本においては、正月の前にはクリスマスなどなかったように町を塗りなおさなければならないからのんびりしてはいられないのだろう。

しかし、教会の暦では今日から降臨節、クリスマスが始まり、それは、東方の3人の博士がイエスを馬小屋に訪ねたとする顕現主日(今年は1月4日)まで続く。

今日はアドベントクランツにろうそくが4本灯され、クリスマスの礼拝が持たれた。礼拝は教会学校の子どもや親たちも出席し、子ども達は11月から練習してきたクリスマスキャロルを歌い、演奏した。

祝会はテーブルにそれぞれが持ち寄った料理が並び、なごやかな祝いのひと時を過ごした。

夜になって、ゴザンスの「ことばあそび」に「クリスマス」という詩を投稿する。お題は「めりいくりすます」

いつものように、言葉はひとつづつ降りて来た。




    クリスマス


目には見えないものを見つめ
理解を超えた大いなる源へと心を放つ時

幾世代も語り継がれた詩を唱え
クリスマスの、そこから始まる物語に耳を傾ける時

寥々としたこの荒野に「ひかり」は来たのだから
すべての者に「ひかり」は注がれるのだから

マリアのか細い腕の中、産み落とされたばかりの赤子が眠り
救い主の誕生を寿ぐ歌を、星々が歌う夜




2003年12月20日(土) 旅と読書

15日から19日まで、実家の大分で過ごし、夕べ戻ってきました。
故郷というのはほんとに不思議なものです。
いったんそこへ戻ると、それまですっかり忘れていたような記憶やら、感情やらが押し寄せてきます。ですから、故郷のいると、ここでこうして過ぎてゆくわたしの日常とは違った時間が流れます。

15日は空港から別府へ向かい、大学時代の友人のTと会いました。別府湾を臨むテルマスで、温泉に浸かりながら、それこそ20年振りくらいにじっくり話したのです。過ぎてきた日々のことや、これからのことを。

その後、教師をしているYが仕事が引けるのを待って、大分市内の居酒屋で待ち合わせ。この居酒屋の店長のS君はわたしの新卒の時の教え子です。また奥さんのNちゃんもその時のクラスメートというめぐり合わせ。5年前の二人の結婚式には当時の思い出を話しました。居酒屋にはNちゃんが2歳になる娘を連れて立ち寄ってくれ、すっかり逞しい父と母になっている二人に感動しました。また、居心地の良いその居酒屋でYとTとずいぶん楽しい時を過ごしました。

16日は、前回の日記に書いたように、朝の散歩をし、その後、母といっしょに父の入院している病院を訪ねました。父はわたしたちのことはもう分からないのですが、表情や仕草はとても優しいものがあり、父の日々が穏やかなものであることが分かります。

17日は1日がかりで大掃除。母は整理能力がなくなったと言いまが、それは物を捨てきれないので、ありとあらゆるものが空間を占拠するからです。わたしはもともと整理が下手なのですが、自分のものでないものはさっさと思い切り良く整理ができるものです。実家を訪れる度に、この仕事がわたしの仕事として定着してきました。

18日は母と庭仕事をしました。ちょうど蝋梅の花が開くところで、一足早い、梅の花の良い香りにうっとりとしました。午後から母と電車に30分ほど乗って竹田市へ行きました。この町は作荒城の月で有名な滝廉太郎の生まれ育った古い城下町です。駅の近くに新しく温泉ができたというのでそこへ行き、夜までゆっくり過ごしました。なかなか風情のある良い温泉でした。

さて、旅には読書。行きも帰りも、また滞在中も本を読む時間はたっぷりありました。というか、わたしは旅に出るととても読書に熱中してしまいます。電車の中でも飛行機の中でもずっと読んでいるので、道中で一冊読み終えてしまいます。今回は持っていった「The Purpose Driven Life」を5日分読み、大分市の古本屋で買った、田口ランディーと江国香織の単行本をすっかり読んだ上に、父が40年も前に買った筑摩書房の生活の随筆集というシリーズの本をあれこれ抜き出して読みました。

伊藤整や室生犀星の随筆は文章というか、その語り口調が心地よく、また語られていることもとても興味深く、おもしろかったのです。あまりおもしろかったので、この全集のうち、2冊を持って帰りました。今の作家の語り口と明らかに違う何かがあります。それは古臭くて、固い感じがするものではなくて、むしろ、ずっと肩の力が抜けていて、新しささえ感じます。文章を書く時の立ち位置が何か違うような、語る速度が違うような、そんな印象を持ちました。ここから汲み取れるもの、学べるものは多いと思ったことです。


2003年12月17日(水) 朝の街を歩く

ホテルで一人で迎える朝はいつでも好きだ。たとえ夜通し浅い眠りを繰り返し、まだ夜が明ける2時間も前にすっかり目が覚めたとしても。

その朝が休日でなければなおいい。窓ガラスの向こうに仕事へ急ぐ人達が早足で通り過ぎてゆく。 そんな日常の朝の風景とは無関係に、ふわふわしたたっぷりのスクランブルエッグやサラダバーのサラダを時間をかけてゆっくり食べる、そんな非日常がいい。

食事にゆっくり時間を使っても、母との待ち合わせの時間までは2時間ある。フロントに鍵を預けて、そのまま朝の町中を散歩することにした。

この街を歩くのは何年ぶりだろう。

大学の最後の2年間と教員をしていた2年間、この市街地からそれほど遠くないところに住んでいたから、デートに使った喫茶店や仲間とおしゃべりしたパーラーや、一人でよく時間を過ごしたジャズ喫茶などはみんなこの周辺にあった。いわばわたしの青春と言える時期をこの街で過ごしたことになる。

歩いているうちに、すっかり忘れてしまっていた人の顔がひょっと浮かんできたり、お堀の水面を眺めながら覚えのある感情が甦ってきて、感慨深かった。変わらない自分と変わった自分があると思う。

今のわたしが20年後のわたしを想像できないように、あの頃のわたしは今こうしてこの街を歩いているわたしを思ってみることもできなかった。
朝の街を歩いたこの時のことを記憶にとどめておきたいと思った。


2003年12月14日(日) アドベントクランツにろうそくが3本灯る

今日はアドベントクランツにに紫色のキャンドルが3本灯りました。
来週の日曜日で4本灯り、クリスマスを迎えます。

教会学校ではわたしがお話とオルガンの当番でした。
テキストはルカによる福音書1章26節から38節。受胎告知のところ。

ダヴィンチの「受胎告知」の絵を子ども達に見せました。
フレンツェのウッフィーツィ美術館を訪れた時に見た印象的な絵です。

天使ガブリエルはマリアの前にひざまずき、力強い眼差しでマリアを見据えています。右手の人差し指と中指がマリアへ向かって差し出されている様子はあたかも何かエネルギーを送っているかのよう。
そこには、ぴんと張り詰めた緊張感が漲っているのです。

一方、マリアは他の受胎告知で見るマリアに比べて毅然としており、力強い。その見つめている視線の強さもきりっと結ばれた口も、そこには早くも自分の運命を受け入れたような凛々しさを感じます。

ガブリエルがマリアに告げます。

「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる・・・・・・」

マリアは答えます。

「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」

乙女マリアはイエスの出来事が自分の胎内より始まるということを受け入れます。自分を越えたはるかに大きなものの力をマリアは感じ取り、そこに自分を委ねていくのです。


「40日の心の旅」の2日目のタイトルは「You Are Not an Accident」
「あなたという存在は偶然に寄るものではない」とでも訳したらよいでしょうか。わたしたち、誰もが、明確な創造主の意図の下に創造せしめられている。
すべての者が愛され、その人であることの必然性がそこにはある。かけがえのないあなた。かけがえのないわたし。


明日から19日まで大分の実家へ帰省してきます。病院で生活している父に会いうことと、母が一人で暮らしている実家の大掃除が目的です。ホテル一泊付きの格安往復航空券を利用するので、明日は市内に泊まり、学生時代の友人や教員時代の教え子達にも会うことになっています。先日話を伺ったYさんのように介護帰省の前後に山登りというところまではいきませんが、せいぜいなかなか会えない友人達に少しづつでも会うようにしたいと思います。良い出会いの時が持てますように。


そういうわけで、日記がしばらくお休みになります。
気が向いたら、以前のように携帯メールから更新するかもしれませんが。

では、おやすみなさい。


2003年12月13日(土) 40日間の心の旅を

クリスマスの贈り物にRick WarrenのThe Purpose Driven Lifeという本をいただきました。日本語に置き換えれば「人生を動かす目的」となりますが、まだ邦訳が出ていないので、どういうタイトルの本として読まれるようになるのかは分かりません。ニューヨークタイムスでベストセラーの1位に上げられているようなので、じきに翻訳本が出版されることでしょう。

我が家ではクリスマスプレゼントはツリーの下に置いておき、クリスマスの日の朝に一斉に開けることになっているのですが、これを下さった英語学校の生徒のお母さんが書かれたカードの言葉を読んで、この本を今すぐに読みたいと思ったのです。その文面に、その方がこの本ととても大切な出会いをなさり、そのことを一人でも多くの方と分かち合いたいという切実な気持ちが滲んでいたからです。

英語の本は最近はとても億劫になってあまり開いていないのですけれど、この本は前書きのところからとても入りやすく、言葉も、言い回しも優しく、立ち止まらずに読むことができる珍しい本でした。作者が、伝えたという思いに貫かれて書いているということがひしひしと伝わってきます。

序文の中にこれを読む一人一人の読者のことを祈りながら書いているという文がありましたが、だからこそ、そのまま水か染みとおっていくように理解できるのだろうと思いました。


この本は40日に渡って、毎日1日分だけ読むように書かれています。1日分は5ページから10ページほど。その章の終わりに、その日の課題が記されています。

昨日読んだ第一日目のタイトルは It All Start with God で、この日の課題は「Thinking About My Purpose」、私の目的について考える。

ここで言う目的とは、私はどういう目的の為に、この地上に生きる命を与えられたかということ。

今日は一日の中で何度か、My Purpose という言葉が浮かんできました。
この課題は実際、わたしがずっと持ち続けている課題ではあります。
2年前に「アサインメント」という詩を書いています。
そしてその課題の答えのように、「レスポンス」という詩を書きました。詩といえるようなものではなく、ただ降りてきた言葉を書きとめたものにすぎませんが。

このクリスマスに、わたしの手元にこの本が届いたということに厳粛な気持ちを持ちます。わたしにこの本が必要だから今、この本がここにあるのでしょう。

毎日読み続けられるかどうかは分からないものの、この年の暮れから新年にかけての40日間、この本とともにJourney(旅)に出ようと思います。そしてその旅のこともJournal(日記)に時折り、書いていきたいと思います

ああ、もう深夜の2時。今日の分は読めません。わたしの場合、100日はかかりそうです。





2003年12月11日(木) 暖かい部屋のありがたさ

今日は暗闇が迫る中、冷たい雨の中、空きっ腹を抱えて自転車で家に帰るという状況だった。

けれど、それだけに家に帰りついて、石油ストーブがボオッと音を立てて燃え始め、熱風を送ってくれた時にはそれは幸せだったし、夕べのカレーを温めて空腹を満たし、暖かいココアを飲んで身体を温めた時にはもう、それだけで至福という気がした。


今日は3時から雨が降るという天気予報を信頼して、朝早いうちにジムへ行って雨の降る前にさっさと帰ってこようと、9時前に家を出て、いつものラテンの前にもう一本60分のカロリーバーナーエアロを取ろうと思ったのだ。そうすると午後は時間が空くから、美容院へ寄ろうと思ったのだ。前回パーマをかけてから3ヶ月近く経っている。美容院から帰る時には雨が降っているかもしれないから、雨合羽とバッグを包むビニール袋はちゃんと自転車に積んで行った。

しかし予想に反して、雨はジムを出る時にはすでに降り始めていた。しかたない。雨合羽を着て雨の中20分ほど走る。途中で昼食を取ろうにも、また合羽を脱いだり着たりするのもめんどう。しかたない。お昼はぬき。

美容院はクリスマスの飾りが美しく、居心地の良い空間で、ゆっくりした気分の中でパーマやカットをしてもらっていい気分だったのだが、空腹は極限に達していた。外に出るともう暗くなっている上に、雨は激しくなっていた。それで、始めに書いたように雨の中を空きっ腹を抱えて戻ってきたというわけである。

しかし、こうして今はお腹も満ち足りて、何よりも温かい部屋の中に居ることができるのだから、これはなんという幸せなことだろう。

寒いところを戻ってくる家族のためにおでんを煮る。煮ながら、昨日から書きかけていた800字小説を仕上げる。

ミステリアスなもの、ストーリーのどきりとするもの、あるいは、設定がクリスマスなのだから、思い切ってキリスト教的なものと、いろいろ考えたものの、今度も前回同様、日常のひとこまを切り取ったようなものになった。これも限りなく実話に近い。
つい先月の英語学校のパーティーで起こったこと。
この時には、ほんとにC・サンダース氏に感謝したことだった。ターキーと格闘したKはもっとケンタッキー・フライド・チキンに恩義を感じたことだろう。
800字読んでくださる方は
空の鳥と野の花と
へどうぞ。


2003年12月09日(火) 英語教室のクリスマス会

昨日、今日、明日にかけて、6つのクリスマス会がある。
4つは親子、合わせて52人。残りの2つは子どもだけ、合わせて22人。
74人の人とクリスマスの時をいっしょに過ごし、何がしかのプレゼントを差し上げたり、手作りのケーキやクッキーを食べてもらったりすることになる。

このクリスマス会が、また同時に1年の仕事の仕事納でもある。だから気も張るし、これが終わらないことには、わたし自身の年末年始のもろもろに取り掛かれないのである。

昨日は2つ、今日は2つ終わった。プログラムは年齢によって違いはあるものの、ギターを弾きながらクリスマスキャロルを歌い、クリスマスの絵本やお話をし、ゲームや工作をし、最後にプレゼント交換をしたり、わたしから小さなプレゼントをあげたりし、最後にSilent Night(聖しこの夜)を歌うというのがおおまかな流れだ。

毎年、子ども達を見送りながら
Have a nice Christmas,and a Happy New Year!
と声をかける時、
ああ、今年も1年、この仕事に携われてよかったなあという気持ちがおこる。

明日は保育所でのクリスマスと、英語学校では年少児の親子と年長児の親子と
のクリスマス。

さてっと、それが終わったらそのまま電車でジムへ行ってファンクを踊ってこよう。


2003年12月07日(日) クリスマスの小包

今日は恒例のクリスマスショッピングでした。
いろいろなクリスマスの買い物がありますが、今日のは、わたしの5人の甥っ子たちへのクリスマスパッケージ用の買い物です。
2歳、7歳、8歳、10歳、11歳の5人の男の子。わたしの2人の弟の子供たち。姪は一人もいないのです。

それぞれへのプレゼント選びは楽しいものですが、遠く離れているので、めったに会えず、彼らが何が好きなのか、何に興味があるのか分からないので、プレゼント選びは年々選択が難しくなっていきます。

一人一人のプレゼントの他には、珍しい外国のお菓子類を輸入品を扱っている店で買ってきます。後、紅茶など、ちょっとした大人用のものも入れます。箱にいろんなものがつぎつぎに出てくる風の感じに詰め込むのが好きです。

こういう小包を作るのはわたしが小さかった頃、クリスマスの時期になると届く「お菓子屋のおばちゃん」からの小包の思い出があるからです。

お菓子屋のおばちゃんは父の姉にあたる人で佐賀市でわりと大きな菓子屋をやっていました。和菓子から洋菓子まで独自のブランドを持っていて手広くやっていました。3年に一度も会うことはなかったのですが、毎年クリスマスの時期には箱にぎっしりと珍しいお菓子が詰め込んだ小包を送ってくれました。

遠いお菓子屋のおばちゃんから届く小包はどこから届く小包よりもわくわくしたものです。

今の子ども達はわたしの小さい頃に比べるとお菓子だって何っだって豊富に手に入る。わたしの作る小包は「お菓子屋のおばちゃん」の小包のように夢見るようなものではないでしょうが、今年もサンタのまねごとができることがうれしくはあります。

さて、明日は英語クラスのクリスマス会。午前中はケーキを焼きます。できれば型抜きクッキーも焼きたいところ。

そうそう、今日は書きモードに入っていて空の鳥と野の花とに2つアップしました。
ひとつは【エッセイ】12月の父「ケーキづくり」。
もうひとつは【テーマ】「ネットで綴る心意気」です。読んで下さいませ。


2003年12月06日(土) 言葉が湧きおこる時って

土曜日の朝
とてもゆっくり起き
のんびりとコーヒーを入れ
しゃかしゃかとカプチーノ用にミルクを泡立てる。

昨日成城石井で買ってきたベーグル、ワイルドフルーツ入りを焼き、
白いクリームチーズをしこたま塗りつけて、
ゆっくり、ゆっくり食べた。

ゴザンスの課題3つは
まだどれにも取り掛かっていないので
今朝のうちにひとつくらいは書こうと思って
食べながら考えたものの
少しも浮かばない。


では
書く前に読もうと
あちらこちらをおじゃまし
掲示板の書き込みにうなずいて
ほんとにそうだとレスするうちに
なにやら心に変化が起こったのが分かった。

この感じ
まだ言葉はひとつも浮かんではいないのに
もう底の部分に言葉が溜まっているという気配がする
ふわっと湧いてきたのは言葉なんだろうか、
何なのだろうか
でも「書ける」と思うのだ。

ここは一息に
底に湧いている言葉を
今しがた詰まりが取れて
通りが良くなったばかりの管から
汲み上げようとばかりパソコンの上に指を置く。

現れていなかった言葉が
するすると指の先から現れてくる。
お題は「やいきもいしやきいもやきたて」
はじめの文字はすでに決まっていて動かしようがないけれど
そこからするするとわたしの心に映った風景がそのまま言葉へ変る

不思議な感覚。
お皿が割れた直後もそんなことが起こった。
シャンソンを聴いていて突然そんなことが起こった。
考えてみれば「ことばあそび」の文ができるときって、そんなふうだ。
頭の中でこね回している間は一行だって文章にまとまりはしないのに。
いやいや、何にしろ
まずは底の部分に
その何かが
湧いてこないうちは
書こうにも書けない。

そもそも
その湧いてくるものは
いったいどこからやってくるのか
わたしの内にそれを認めはするものの
どこか別のところからたち現れてくるような気配なのだが・・・


付録
   
      <アドベントのソネット >


山の動物たちはもう冬の支度を済ませただろうか
木々はおおかた葉を落とし、その尖った枝は美しい
命たちがひっそりと静まる冬が来た
もう霜も降りるだろうか、雪も舞うだろうか

いつもの夜の風景に点滅する灯りが加わる
しんとした夜の闇の中に光りは言葉を発し
やがて来るクリスマスの「ひかり」を伝える
きらびやかなイルミネーションの中に潜んでいるメッセージ

いい子にしていたらサンタクロースは来るだろうか
もう願い事の手紙を書き終えた子どもたち
やさしい絵と文字をサンタは好きに違いない
きっとどの子も守られている、プレゼントをもらわない子にしても

戦いの止まないこの地上に
天からの慰めと癒しが注がれますように


 *ことばあそび お題は「やきいもいしやきいもやきたて」




2003年12月05日(金) ”おはなし”

今日はおはなし会へ行った。
「北本子どもの本を楽しむ会」の20周年お祝いのおはなし会。

語り手は佐々梨代子さん。
石井桃子氏主宰の、かつら文庫に勤務された後、東京子ども図書館を設立。児童図書館活動に尽力され、”おはなし”の講習会の講師等をされてこられた方で、いわばストーリーテラーの鏡ともいうべき人。

一時間半のおはなし会のプログラムは

1.地蔵じょうど   (日本)
2.ヒキガエルのむこ (朝鮮)
3.ならずもの    (ドイツ)
4.りこうな子ども  (インドネシア)
5・ハトの恋人    (アルバニア)
6・おばあさんがまだらのめんどりをかっていました(ポーランド)
7・グリーシ     (アイルランド)

というもので、世界各国のおはなしが語られた。
どの話も淡々と語られ、味わい深いものだったが、わたしはとりわけアイルランドの昔話「グリーシ」が好きだった。30分もの長い話だが、語り手に導かれるままに妖精やお姫様が出てくる世界を一巡り旅をしてきたような充実感があった。この話はわたしの書架にもある福音館書店の「イギリスとアイルランドの昔話」の中に収められている話だが、読むのと聞くのとではこうも印象が違うものかと思った。

わたしは結婚して関東に住むようになって間もない頃、そう、まだ子どもいない頃、「東京子ども図書館」の存在を知り、はじめて”おはなし”に触れた。それは5,6人の語り手たちが2時間近くに渡って、世界各地のお話を語ってきかせる「大人のためのおはなし会」だった。

その時の衝撃は今でも忘れられないのだが、耳で聞く語りに心を捕まれてしまった。語りを聞きながらそれがくっきりとした映像となって見えてくることにわくわくした。その時の語り手の中におそらく佐々さんもいらしたことだろう。どの方のおはなしも個性的で洗練されていると思った。


不思議な出会いがあって、わたしの住んでいた北本市に子どもの本やおはなしを学ぶ自主グループのことを知ったのは長男が3歳、次男が生後6ヶ月の時だった。こういうのいを何といえばいいのだろう。待っていたもの、探していたものがある日突然むこうからやって来たという感じだった。わたしはすぐに一人の子の手を引き、一人を背中に負うてその会に出向くと、即メンバーに加えていただいた。

同じように幼児や赤ん坊を抱えた若い母親達が、交代で保育当番をしながら充実した学びの時を持っていた。日々子どもの相手に追われる生活の中で週に一度のおはなしの勉強会はわたしにとってオアシスのようなものだった。それから4年間、アメリカへ転勤となるまで、この会とそこから派生した自宅を開放しての「たんぽぽ文庫」がわたしの関心の中心だったような気がする。ちょうど今ネットで書くということを課題としてそれに励んでいるように、日々、家事や育児の合間におはなしを覚えた。そして覚えた話を文庫やおはなしの勉強会で語った。

今日会場に集まった方たちの中には、「たんぽぽ文庫」をいっしょに立ち上げ、我が家がアメリカに引っ越した後、バトンタッチしてくれた0さんや、お世話になった先輩のお母さん方、また同じ年頃の子を抱えていた仲間がいて、何ともなつかしかった。いっしょにお昼を食べながら、クラス会のようだねと話したことだった。

それにしてもみんな不思議に変っていない。19年振りにお会いする方15年振り、10年振りの方もいらっしゃるのに、この過ぎてしまった時間はどこに行ったのという気がした。遠距離介護をしながらも、その行き帰りにはしっかり山に登ってくるという逞しいYさんの話には励まされたし、クリスマス前にスペインに行ってくるという0さんの行動力にも溜め息が出た。わたしは去年の暮れに今年は「ホノルルマラソンに出る!」などとネットで宣言までしておきながら、行動力が伴わなかったのだから・・・

わたしはその後、”おはなし”からは離れてしまったけれど、あの時苦労して覚え、語ってきた話が今自分の血肉となり書く上でおおいに役立っているのを最近になって自覚した。わたしはわたしなりにストーリーテリングを追求していくことになるのだろう。また朗読や語りも、機会が訪れればしてゆきたいと思うが・・・

そうだ、英語学校や教会学校のクリスマス、今年はおはなしを語ってみようか、そう思いついて、かつて覚えたお話が書き込んであるノートを取り出す。
「子うさぎましろのお話」が目に止まる。いつだったか文庫のクリスマス会のために覚えて語った話だ。息子たちにも何度か語った。この話を読んでみるとうっと胸に詰まる。昔語った時と違う感じ方をしていることに気が付く。このお話を覚え直して語ることができるだろうか。


2003年12月04日(木) 帰省を決める

今週の日曜日に体調が崩れているなと思ったものの、一旦回復したかに見えた。それで火曜日はまだ仕事の帰りにハードな運動をやり、このまま行けると思ったが甘かった。
身体は「いい加減にしろ」とサインをよこす。喉の痛みと身体のふらつき。

「はいはい、分かりました。今日のラテンはあきらめます。ゴスペルも休むでたくさん食べて早く寝るから、いい、明日は絶対元に戻ってよ」と恩着せがましいことを身体に言っている。

一日ベッドに篭っていたいところだったが、午前中は電車で大宮まで出て、旅行会社にディスカウントの大分までの航空券を買いにいく。何しろその格安チケットは今日までなのだからしかたない。なぜ前もって予約していなかったのか・・・昨夜ようやく帰省することを決めたから。

それでなくてもこの季節は、英語学校や保育所、自分の家でのクラス、教会とそれぞれのクリスマスのことで、なにやかやと考えたり、用意をしたりする必要がある。こまごまと多様に忙しい。ひとつのことに没頭する忙しさならいいのだが、あのこと、このこと、あれを買って、あれを用意してと複数のイベントをやりくりするとなるともう、いくら「たいしたことじゃあない」と自分に言い聞かせてみたところで、心は分けもなくあせる。

こういう中にあると、帰省のために日程を定めて、安く帰れる方法を探してなどという気持ちになかなかなれない。しかしすべてが終わってやおら帰ろうと考えるとむちゃくちゃに高い年末の航空券がそれも手に入るかどうかも分からないという状況に陥る。そこで今年は次男のMを家族の代表で帰省させることで勘弁してもらうことにしていた。春と夏に帰ったことだしと。

しかし、チケットの締め切りが迫ってくると、もう毎日のように「帰ろうか」「いや帰るまい」「母は帰ってほしいだろうか」「いや、帰らなくてもいいと言った」と揺れ動く。昨日はさすがにこの葛藤そのものに疲れてしまい、帰ってこなくていいと言われようが、その前後がばたばたと忙しかろうが、帰省しようと決めたのだった。英語学校が冬休みに入る15日から19日まで。


母に帰るというとやはり声はうれしそうだし、「お父さんが喜ぶよ」などという。病院で過ごしている父はもう、わたしが誰かなど分かりはしないが、母としてみれば会って欲しいと思っているのだ。娘や息子に会いたいという気持ちはそれほど強くはないにしても、子ども達が気にかけて無理をしても帰ってくるということが望ましいことなのだ。上の弟などはそういう母の心理にはドライにかかわれるのだろうが、わたしの場合は母との間に距離があるからこそ余計にそこいらで逡巡してしまう。

ま、こうして帰省する航空券を手配するとようやく気持ちが落ち着いた。
後はその前にやるべきことを計画的にやるのみ。

そのためには身体の調子が狂われては困る。
さて9時半。日頃からすればおそろしく早い時間だが、寝ることにしよう。


2003年12月01日(月) アドベントを迎えて

この日記を書いている今日は陽射しがまぶしいほどの快晴だが、
昨日は一日雨だった。今年は11月30日から待降節(アドベント)が
始まり、この日の主日の説教を聞きながら、明らかに待降を待つという心の準備ができていないと思った。

それだから、この日の雨が何か心地よい気がした。気持ちも静まってくるからだ。午後の小学生の英語クラスまでには時間があったので、クリスマスのキルトの壁掛けをかけ、クッションのカバーをクリスマスのものに取替え、ソファーの前の丸いコーヒーテーブルにはグリーンのテーブルクロスをかけ、その上に小さなツリーを置いた。
大きなツリーは一人では出せないこともあるが、あの賑やかさが何か今の気分に合わなくて、出すことをまだ迷っている。やってくる子ども達のために去年は出したのだったが・・・・

いつもこの季節に聴いているリコーダーのクリスマス・パストラルをかける。
バッハの「今こそきませ」から始まる、密やかなクリスマスの牧歌の数々。
それでも気持ちは何かしっくり中心に向かっていないことが分かる。なんなのだろう、この焦りのような気持ちは。いつも12月はそうだ。
そういえば、一昨年の12月1日の日記にも、そういう気分のことを書いている。

「毎年この季節が来ると、誰も知らない土地、できれば修道院のようなところで年の暮れと新年を過ごしたいと思う。」
と。

以前日記に書いていた聖書のストーリーをもとにしたエッセイを推敲し、アドベントのことを付け加えて、ゴザンスに投稿する。あの文章を書く時に心に起こっていたことを、今わたしの内に起こしたいと思ったからかもしれない。イラクで2人の日本人が殺されたこと、今このアドベントの時期に、悲しみや危険や緊張を多くの人が強いられているということ、そのことを考えるだけで、どうにもやりきれないような、無力感に襲われてしまう。光りが、信じているはずの光りがふっと目の前から消えるようなそんな頼りない気持ちに襲われる。


夜になって、心太処に掲載された、にしはらただしさんの「HEAVEN」という詩を読むことができて幸いだった。人に焦点を当てて書かれるこの心太処、にしはらさんは若くして逝ったドラマーのお兄さんのことを書かれていた。読みながら長いこと泣いた後の時のように胸はふるふると波打ってはいるものの、そこに澄み切った光りが後から後から降り注いでくるようで深い慰めが起こった。アドベントにふさわしい贈り物のように受け取る。


たりたくみ |MAILHomePage

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