たりたの日記
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2003年02月28日(金) 踏んだり蹴ったりの日の疲労困憊

なんだか昨日(日記の日付では今日だった)は疲労困憊の日だった。身体の疲れなら少し横になり、おいしいものを食べ、わたしの場合、ジムで運動でもすればすぐに回復する。しかし精神的な疲れはそうはいかない。
当然この時間に来ると信じている人が来ない。当然、こういう段取りで今日の仕事がスタートするところだったのがそのしょっぱなから急遽変更を迫られる。それも目の前にはすでにパフォーマンスを待つお客を前にしてである。まるで夜な夜な見る悪夢のようではないか。

だいたい、こういうことの不安にわたしは夢の中で日常的に苦しめられている。約束の時間が迫っているのに探し物が見つからないとか、舞台が明日だというのにまだ練習ができていないとか、お客があと10分で来るというのに料理も掃除もできていないとか、シチュエーションは様々だが、同じなのはどれもそこには果たすべき約束や期待する人間がいてその人の期待を裏切ってしまうという恐怖に夢の中で脂汗を握り、悲鳴をあげているのである。そういうパニック状態の中でたいてい目が醒め、まだ心臓はバクバクしているものの、「ああ、夢だった。誰にも迷惑をかけていない」と安堵するのである。きっと一晩に一度はこの手の夢を見ているに違いない。

しかし、こういう夢のわりには実際はこういう状況に陥ることはめったにないのである。いえ、こういう夢を見るからこそ、わたしは必要以上にそういうことに関しては神経質になり、気も張る。時間に遅れることはなく約束をすっぽかしたりキャンセルすることもない。不思議なように急な病気で仕事に穴を空けるということもここ10年ほとんどなかったような気がする。だからいっしょに仕事をしていたパートナーが、車の渋滞を理由に授業に遅刻してきたり、また別のパートナーがその朝になって、病気で学校に来れないというファックスを一度ならず二度、三度と送って来ることが私はどうしても信じられなかった。それって外国人だからだろうか、または性格?、それともそのことに感じている重要度の低さなのか、はたまたパートナーである私が軽く見られているのか、あるいは何とかしてくれると当てにされているのか、そういう災難ばかりに会っているような気がする。

それにしてもこの神経の疲れの取りようがなく、夜になって夫を誘って草津のお湯の元が溶かしてある温泉もどき銭湯へ行った。ゆっくりとお湯に浸かってやっとバランスを取り戻したところに携帯メール。またしても明日の仕事のドタキャン。思わずぶっ倒れそうになる。これが踏んだり蹴ったりでなくてなんだろう。ここにこうして書かずにはおれないということは一日経った今でもまだ疲労が続いているのだ。


2003年02月27日(木) 「スーツなんてもう一生買わないよ。」と彼は言い放った

ずいぶん春らしくなってはきたが、今日は風が冷たかった。
しかし木曜日、ラテンとファンクの日。ミスするわけにはいかない。
ランズエンドの紫色のスコールパーカーを着れば、上半身は決して寒くはない。ジーンズの下にタイツをはけば、下半身もOK。問題は顔。GAPのセールで500円で買ったかなり紫に近いピンクの毛糸の帽子に口のまわりはワイン色のマフラーをぐるぐる巻きにして準備完了。20分走ってジムにたどり着いた時には汗びっしょり。ウオーミングアップにしては十分過ぎ。いつものようにラテンのリズムに身をまかせ、若いインストラクターS君のジョークがふんだんのダンベル体操に出て、仕上げはファンク。ダーティーというヒップホップの曲にAインストラクタが付けた振り付けはそれはすばらしいのだが、生徒の実力がそれに見合わず、1月からずっとやってきて今日が最終日というのに、完成とは言い難いできばえだった。このものすごく速いリズムに乗り切れて華麗に踊れたらどんなにか良い気分だろう。
ジムの後には一時間のバスタイム。一週間で一番至福を感じる時かも。

午後3時半、今日はこのジムのあるモールで待ち合わせをする人間がいる。次男。卒業式と入学式のためのスーツを買うため。デパートが苦手なわたしは最近流行りの2種類の価格設定しかないスーツ屋にしてもらった。感じの良いお兄さんがかなり控えめにお世話してくれ、なんとかスーツとネクタイは決まり!しかし我が次男、いつの間にこんなに大きくなったのやら。首回りはなんと44センチ。その店には43センチまでのシャツしかなく、そこでは買えなかった。それにしてもいっしょに服を買うなんて何年振りのことだろう。
「もう、今度は自分ひとりで来なさいね。」
「えっ、スーツなんてもう一生買わないよ。」
この息子の発言、どう受け止めるべきなのだろうか。
ちょっと複雑。








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2003年02月26日(水) 日記を公開することに伴う自虐的快感

そう、日記を公開するのと、銭湯で裸になるのとは似ている。
大した文でもないのに書いたものを公開するところと、自慢できるボディじゃないのに裸が気分いいというところなんか。BBSに「自虐的な快感」と書いたが、このフレーズ、我ながらその気分を良く言い当てているような気がする。「たかが一個の命じゃない、隠してどうする。」っていう居直る気分もそこにはあるような。三日坊主がいいとこだろうと始めたこの日記、そろそろまる2年になる。3年目、続けられるだろうか。

さて、昨日、今日は仕事とはいえ、かなり度胸が試されることをやった2日間だった。
4月から新しく赴任するネイティブの英語教師(アメリカ人)に自分のやる英語の授業を見せるというもの。
これから先、新しいネイティブの教師に手抜きせず生徒から喜ばれるような授業をやってもらうためには
「ああいう風にやらなくちゃならないのか」と、多少でもビビッていただく必要こそあれ、間違っても「あの程度でいいのか」とラクチンに思われてはならないのだ。それでなくともネイティブと日本人とでは根本的にハンディーがある。そのハンディーがぼやけてしまうほど、プロフェッショナルな印象を持つことをやってのけなければ今後の仕事に支障をきたす。多分にそれがはったりであったとしても。

ひとつのテーマに集中された多様なアクティビティ、飽きさせることなくしかししっかりと定着させる練習。子ども達を乗らせる歌やダンスなどのパフォーマンスとそのタイミング。始めから終わりまでがひとつの舞台のようなテンションの高い授業にしなければ。何にしろ、最初が肝心。
さて、何とか破綻なく自分が出せるだけの力は出してやった。彼女がそれをどう受け止めたかは知らないが、エイサイティングな気分は共有できたように思う。

ほっ。そういう緊張もあったからか、この2日間やたらとチョコレートを食べまくっている。これはどうしたって目方が増えてるな。明日は目一杯、ジムで減量すべし。






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2003年02月25日(火) ネット、人と人とを繋ぐ新しいツールの前で時に立 ち往生するとしても 

知らない方から言葉をもらい、知らない方に言葉を届ける。
近頃の私のメールボックスは見知らぬ方々からのメールの方がはるかに多い。
しかし、見知らぬ方とメールや掲示板でやり取りするうちに、その距離は少しづつ近くなる。このネットの不思議。

この日記にしても、最初から読み続けてくれている友人たちの他に、見知らぬ方々が読んでくれていることを知る。わたしが知らない人たちにとって、またわたしを知らない人たちにとって、わたしの綴る言葉はどんな意味をもつのだろう。そんなことを考えているからなのか、最近はいろいろなところへ出かけて日記や掲示板を読むようにまた書くようになってきた。ここの他、どこへもでかけようとしなかったわたしにとって、これは全く新しいできごと。

このことがどこへどう繋がっていくのか今は分らないけれど、この文字の向こう側にいるまだ知らない人たちへと想いを凝らしてみる。人を知るということ、人と出会うということが、今までのスタイルとこんなにも違ってきていることをどこかで受け止めかねて時に立ち往生することがあるにしても、ここにある新しい可能性を、春を待つような素直さと信頼を持って見つめていこうと思う。








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2003年02月24日(月) 今日は一行だけ書こうとしたのに、あたしはやっぱり欲張り

雪の日だからというわけではないけれどずっと探してた今ほしい言葉 指だけ動かして。



ネットの海に浮かんでいた一行だけの言葉きらめいていて これかもしれないと思う。

 

言葉を発することでこわしてしまうものがあるとしても それを止めることはできるかしら。



帰り道を忘れた仔猫のよう 探しているものまで忘れてしまって。








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2003年02月23日(日) いったいわたしの皮袋は新しいだろうか

これまでもこんなことがあった。
自分とかかわりの深い人が死ぬことで、それまで見えていたものが異なる見え方をするということが。そうして異なる見え方は、私に今ある現状のいごこちの悪さをいっそう強く感じさせ、それまでしがみついたものと決別したり、自分の身辺の人やものとの関係を整理したりという作業がそれに続いた。
何なのだろう。
きっと、なくてはならないものが何であるかがはっきりした輪郭をもって見えてくるからなのだろう。本質的なこととそうではないこととの間に引かれた線が浮かび上がってくるからだろう。

今日の聖書日課の福音書の皮袋のたとえはあまりに有名だが、ふと私自身のぶどう酒と皮袋の関係を振り返ってみる気になった。新しいぶどう酒はイエスの言葉でそれを受け止めるわたし自身の心や意識といったものがぶどう酒を入れる皮袋とするならそれはいったいどのくらい新しいのかあるいは古いのかと。

イエスの出来事というのはそもそも人を内面から揺り動かさないではおかない。それはあたかも発酵中のぶどう酒のようにパワフルなものなのだ。私はそのエネルギーを無視して、古い皮袋のままの自分にそれを注ぎいれようとしているのではないだろうか。いえ、注ぎ入れようとさえしていないのではないだろうか。本質的なところで生きるのではなく、何かに逃げ込むことで日々暮らしてはいないだろうか。
今夜はしきりとそんなことが思われる。



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マルコ2章18〜22
◆断食についての問答
2:18 ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」 2:19 イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。 2:20 しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる。
2:21 だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。 2:22 また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」






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2003年02月22日(土) 詩を朗読してHPに載せるというかなり大胆な試み

今日は確か天気が良かったはずだ。風は強そうだったが。
それなのに一歩も外へ出なかった。ゴミ出しもせず、花の水やりすらしなかった。
断固として外に出たくない気分の日っていうのがたまにはあるもんだ。

昨日はかなり落ちていた。夜も熟睡できずに早朝から目が醒めた。こういうことは全く珍しい。昨日、書き込みの削除を余儀なくされたことが後を引いているんだ。わたしに向けられた拒絶のエネルギーを感じてしまった。こういうのにわたしはことに弱い。それでもその人間に何かしらの愛情がある場合には「どうしてっ!」と猛然と食ってかかり、喧嘩モードには持ち込むけれど、かかわりが薄い人であればそこまでのエネルギーは湧かない。ただ、ただ疲労。力が抜けていくような。全く修行が足りていない。皮肉なことにこういう気分を一番分ってくれたのがHだったなあと彼女が偲ばれる。

それでも昨日、ラテンダンスのクラスの先生がくださったラテンダンス用のCDをかけ、ダンス用のスニーカーをはき、踊りながら掃除や洗いものをすると元気がでてくる。かなり疲れている時でも、このラテンのリズムが流れはじめると身体中の血がふつふつと沸く感じがしてくるからこれはわたしにとって魔法の音楽だ。
「今度は何やってんの〜」と長男が起きてきたのでピタパンにキャベツとチキンナゲットをはさんだサンドイッチをいっしょに食べる。

息子が無事でかけてくれたので、午後からは発声練習と歌、台詞の練習をする。台詞の練習をしていたらふいに朗読の気分になった。mG(夫のハンドルネーム)からHP用に何か朗読しておくように言われていたのにそのままになっていたことを思い出す。人の書いたものは著作権に触れることになったりといろいろやっかいなので自分の書いた詩もどきをいくつか読んでMDに録音してみた。かなり辛口の批判をするmGがいいんじゃないというので、それならばとアップしてもらう。だいたいわたしはいったいどこをどういじればこのPCからわたしの声が出てくるようになるのか、さっぱり分ってはいないのだ。すべておまかせ。彼がジム&サウナに行くはずの時間を割いてやってくれる。ついでにゲストノートも取り付けた。何か新しい気分になる。それにしても文のみならず自分の声までさらしてしまうとは。「今度はラテン踊ってるところを動画で載せる?」とmG。「そんなことすると誰もこなくなるよ」と受験生。「ふん!」
さてっと、明日はミュージカルの練習だ。その前に上野の都美術館へ(従兄の絵が入選したという葉書が来ていた)。練習の後はジムへ直行、ラテンのクラスがあるのだ。
ごめん、明日は受験生の母、パスさせて!

(日記におこしのみなさま、よろしかったらHPへあそびにいらしてください。声付きです(#^.^#)。 ゲストノートももうけました♪)






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2003年02月21日(金) あなたがわたしにくれた場所

わたしが知らなかったHのことは知るまいと思っていた。しかし、日常は宙を浮いているようにふわふわと頼りなく、頭はHのことから離れない。Hのお連れ合いが残されたサイトへでかけた。

そこにはHが死ぬその日まで書き綴った日記があった。それは検査の結果の後、書き始めた遺書ともいえるものだった。検査の結果は白なんて言ってたのに、癌はどうにもならないほど進行していたのだ。知らなかった。そのことを誰にも告げずに、いつもの彼女を通していたなんて。他の人に余計な気遣いをさせたくないという彼女の優しさ。それにしても何と言う気丈さ。最後の日まで言葉を綴り続けたのは彼女らしい。

Hは捨て猫を家に入れ、大切にしていた。彼女が亡くなる前の日、その猫の一匹が死んでしまい、彼女は死んだ猫をタオルで巻いていっしょに寝たという。そして書いている。死ぬってこういうこと、固くなっていくことだと。翌日、眠るように天国へと住居を移したH。足元には眠るもう一匹の捨て猫がいて。お連れ合いの綴った文から浮かび上がってきたHの姿に胸がいっぱいになる。Hらしい死の形だと思った。

すべてのことに時があるという伝道の書の一節を思い浮かべる。それぞれにふさわしい時とその形が用意されているということ。わたしはどういう死を死ぬことができるのだろうか。そしてまたわたしは今日が最後の日かもしれないという生き方をしているだろうか。
 メメント.モリ        

                       (2月20日 深夜 )



      あなたがわたしにくれた場所

風がウインドチャイムをしきりに鳴らしている
眠っているはずのわたしの耳はもうその音を聞いていて
まどろんでいるはずのわたしの頭はすでにあなたのことを考えていた
まだ早い朝、閉じたまぶたのむこうはまだ暗いというのに

幾夜も続いた眠れない夜
死を見据えて綴った日記
闘い続けたあなたの体
わたしが知らなかったあなたを少しづつ知っていく

そこだけであなたに会っていた
あなたがわたしにくれた場所で
あなたの伝えないことは知ろうとしなかった
それでほんとによかったの?

あなたの優しさが次第に哀しく
その場所の鍵を開けられないでいる
                   
                (2月21日 未明)






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2003年02月20日(木) その言葉はマグマのようで真実さに輝いていたから

Hとわたしとを繋ぐものは言葉だった。言葉をぶちまけるその激しさの度合いが良く似ていた。お互いの中にあるどろどろしたものも、またそれとは正反対のものも。
Hとわたしの間に違いがあるとすれば、わたしは自分の内にあるマグマのような熱をおびたものが自分の外に流れ出すのをどこかで恐れていた。だから彼女がすっぱりと、あっけらかんとそのままの自分を外に、それも公の前に開いていることに目が眩む思いがしたのだった。

隠していても彼女は見抜いたのだろう、わたしが同類だということを。Hは真っ直ぐに言葉を投げてよこした。わたしもまた、彼女の言葉を前にすると他では出てこないわたしがそこに現れた。それはわたしが無意識のうちに捨ててきた、あるいは閉じ込めてきた影(シャドー)としてのわたしだったかもしれない。

昨日の日記では死んでしまったHがわたしの心からいなくなるはずはないと書いた。でも、言葉は、彼女のあの言葉はもう届くことはないのだ。今になってぽっかり穴の開いたような喪失感がやってくる。そのやるせなさの中で、しかし頭はしきりに考えようとしている。去年の春にネット上でHに出会ったことの意味は、その必然は何なのかと。彼女が地上で生きた最後の1年にに立ち会ったということはわたしに何を示そうとしているのかと。






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2003年02月18日(火) もうこの地上にはいないあなたへ

普通の何の代わり映えもしない朝のはずだった。いつものように仕事をいくつかこなし、昨日と同じように今日は続いているはずだった。どうしたわけなんだろう。出かける時間を気にしながら、もう一月以上も覗いていなかったその掲示板を思わずクリックしたのは。そこにはあなたの死亡通知があった。今日の深夜の日付だった。追悼やお悔やみの言葉を私はどうしてもそこへ書けずに、ふらふらと自分の日常へ戻っていったのだった。ふらふらと。今日は仕事があったから。

今日はもう昨日のようではいない。それなのに私の日常は何事もおこらなかったかのように続いている。あなたはもうこの地上にいない?いやそんなはずはない。私にはまだあなたから電話がかかってくるような気がしてしかたない。あの物憂いような優しい声で私のもうひとつの名前を呼んで。いつかのように「あたし死んでなんてないよぉ」と笑いながら。あぁ、いつかのようにそうやって電話の向こうとこちらとで笑いころげることができたらどんなにいいだろう。

病を抱えながらも、あなたはすざまじく生きていた。新しい仕事への青写真も持ち、学校へも通っていた。つい最近、新しい住居で新しい生活を始めたとあなたは書いてきた。そんなあなたにわたしはすっかり安心してもいた。書込みがないのは元気な証拠、電話がないのはうまくいっているからと。あなたの安否を知るためにサイトを訪ねる必要ももうないと思っていた。

でも、あなたは逝ってしまった。
あなたの体の中で一体何がおこったのか、私はそれを知らない。人並みではない病気を抱えていたのだもの、わたしの知らないところで病は進んでいたのかもしれない。思いも言葉もいつもいっぱいに抱えていたあなたがその最後の日々を何に向けて誰に向けて語ったのか、あるいは何も語らなかったのかそれすら分らない。あぁ、考えてみれば、あなたにはまだ会ったこともなく、あなたの住んでいる場所もいっしょに暮らしている人の名前さえも私は知らないのだ。ネットの海の中で出会い、繋がりは言葉だけだった。「あなたの表現が好き、あなたの言葉に触発される」とあなたはいい、わたしはあなたがそのように生きているというその事実に励まされ、勇気をもらい、何よりあなたを尊敬していた。

あなたには時々、吐き出す場所が必要だった。あなたが何かを言うことで誰かが傷つくことをあなたは恐れていたから。あなたが言うことを口外することなくただ黙って聞いてくれる人間が時に必要だった。わたしはあなたを取り巻く人と接点がないし、求めようともしていない。私があなたから告げられることは私の心以外のどこへもいかないことをあなたは知っていたし、事実その通りにした。あなたが私に話したいことだけを私は聞くというスタンス。それ以上にあなたの心にも生活にも介入しないという私の距離の取り方。それはあなたが一番よく知っていた。そしてそれで私はよかった。

だから私はいっさいの詮索はしないし、あなたが私に告げなかったことをどこかから聞き出して確かめようとは思わない。あなたは私に伝えたいことだけ伝えたのだから、あなたが私に言わなかったことは何ひとつ、私には知る必要はないのだと。それより、あなたが今いるところのことを私は思うことにしよう。肉の痛みや心の傷、様々な柵からいっさい自由になって、あなたの魂だけを抱いて、今あなたがいる場所のことを。あなたは懸命に生きた。懸命に悩み、懸命に愛した。そんなあなたに今安らぎがあたえられていないことなどないとわたしは信じている。

あなたとは、とうとう地上では会うことができなかったけれど、私たちいつか会える、そんな気がしてる。私はすこぶる強健な肉体と頑丈な心をいただいているのでまだまだ地上でやるべきことが残されているようだが、でもあなたの分まで生きるなんて言わない。あなたは37年という歳月を誰にも真似できない密度の濃さで駆け抜けて生きたのだから。十分に生き抜いたのだから。そしてさようならも言わない。そもそもわたしとあなたは魂と魂とで繋がっていた。あなたの肉体がこの地上にはないとしても、あなたの魂は存在するのだから。私の心からあなたがいなくなることはないのだから。






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2003年02月17日(月) モーツアルトのレクイエムが流れているこの張りつめた朝の空気

また新しい月曜日。
先週は毎日新しい詩を、それも愛にテーマを限った詩を載せるなんていうことに挑戦してしまい、ふ〜っ、やっと終了という開放感に浸っている。だいたい詩人でもないのに詩人モードに自分を置くなんて、やっぱり無謀だった。

でも、そのお陰で、詩を気に入ってくださった方や、日記に興味を持ってくださったからのメールがあったり、日記の読者登録があったりした。その方々のサイトにもおじゃまし、また世界が広がった。感謝!

昨日は200回のアクセスがあったからずいぶん大勢の方がこの日記を訪れて下さったことになる。少し緊張、良い意味での。顔は見えないにしてもここにはほとんどむき出しのわたしがあるのだから。

さて、これから一週間は「受験生の母」モードに入ることにする。我が家の受験生と向かい合わせに座って朝食のハムサンドをほおばりながら、「日記に受験の母宣言をするよ」というと「今頃?っていわれるよ」と息子。そうだよなぁ、あと一週間しかないんだもの。でも緊張するのはそのくらいで十分じゃない?

受験生が選んだ今朝の曲はなんとモーツアルトのレクイエム。この緊張に漲った旋律が押し寄せてくる。いや〜、これでは戦闘モードに入らない訳にはいかない。しかしね、わたしはご飯を作ることくらいしか実際やることはないのよ。せいぜい今週はこの曲をテーマに精神を鼓舞するとしよう、君の波長とシンクロナイズさせて。






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2003年02月16日(日) 愛のソネット7 < 時空を超えて >

一週間に渡って愛のソネットを試作してみようと思った時、いちばん終わりの詩はこのことを書こうと決めていた。イエスのこと。
イエスの出来事の前ではすべてのものがかすんで見え、同時にすべてのことが違った光に照らされる。
そこのところとこんなに生き生きとつながっているということ、それがわたしにとっての 詩。



愛のソネット7

         < 時空を超えて >

    2000年を遡り
    あなたの時をわたしは生き
    2000年を超え
    わたしの時にあなたは生きる

    はてしない命のひろがり
    わたしの外へ また内へ
    今をつきぬけて
    つらなる 永遠へ

    あなたという愛のみなもとに
    あなたという命のみなもとに
    抱かれるという 至福
    生きてゆける

       繰り返し問いつづけるあなたの眼差しに
       挑むように返すわたしの愛






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2003年02月15日(土) 愛のソネット6 <愛を歌うあなた ビョークへ>

バレンタインデーって日本では女の子が男の子にチョコレートをあげる日になってしまって、これはあるチョコレートメーカーの作戦だったらしいのだが、お返しが大好きな日本人らしくホワイトデーまでできてしまった。しかし、海外ではこの日は愛の日としてみんながいっせいに「愛」を祝う。そして家族どうしでも友達どうしでも男といわず、女といわず、カードや花などをプレゼントしあう。

この日、Saint Valentine’s Dayは聖バレンタインという聖人にちなんで名づけられたといわれている。キリスト教徒が迫害されていた西暦3世紀のローマ時代のこと、キリスト教司祭であるバレンチノは皇帝の命令に逆らって愛し合う若者たちを結婚させたことで投獄され、改宗を求められた。しかしそれに応じず処刑され、その日が2月14日だったということだ。

さて、昨日のバレンタインデー、我が家の3人の男たちにはそれぞれにチョコレートの包みを朝食のテーブルに並べ、夕食のデザート用にブラウニーを焼いてそれでよしとし、自分にはちゃっかりビョークの新しいDVD(ヴェスパタイン・ライブ:ロイヤル・オペラ・ハウス)をプレゼントした。今日は発声練習も掃除も発声練習もこの曲をバックにして一日浸っていたがそれでもあきたらず、夕食の支度を済ませるとビョーク主演の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のDVDを見はじめた。映画館で3度見て3回とも号泣したのだったが、今日もかなり激しく泣いているところに折り悪く次男が帰ってきた。目を丸くしている息子に、しゃくりあげながらブラウニーを差し出し「悪いけど、映画が終わるまでこれ食べてて、グスン、グスン、」とわたし。

この映画を暗い、救いようがないという人も少なくないが、わたしはビョークの演じるセルマの愛に泣ける。ビョークの愛に満ちたフレーズとその叫び声に嗚咽する。
そもそも、このように日記や詩もどきを書いては恥ずかしげもなく人前にさらすことなど
この映画でビョークに会うまでは考えられもしなかった。思えば2年前にこの映画を見たことから始まったのだ。

ビョークから得たひとつの方角。それは自分のまわりにあるすべてのものを愛し、その信頼の中で自分をすべての人の前に投げ出すということ。言葉からではなく彼女の歌う歌からわたしはそのメッセージをもらった。



愛のソネット6


      < 愛を歌うあなた >


ビョーク、あなたはわたしを知らないにしても
あなたはすでにわたしの中に棲みついている
それは音、それは言葉、それは息づかい
あなたがどれほどこの世界を愛しているか、それが見える

アイスランドという土地を訪ねたことはないにしても
その土地の空気はすでにわたしのなつかしいもの
それは岩、それは氷、それは草原
どんな命とも、どんな自然とも結びつくあなたの不思議

あなたの歌はすべての命へ向かう愛
だからとても近い、命のみなもとと
愛とはもともとの自分に帰ること
自分の心の声に聴き従うこと

   創り出す行為とはこうしたこと
   ひとりのあなたという存在が広がり続けていくということ






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2003年02月14日(金) 愛のソネット5 <チョコレート応援歌 >

ちょっと前のことになるけれど、息子が高校生の時、彼のかわいいガールフレンドが手作りのブラウニーを持ってやってきた。テレビのある部屋でおいしいねえってみんなで食べて彼女からそのブラウニーのレシピをもらったっけ。
ホワイトデーの前日、息子は彼女のリクエストのハートの形のクッキーを焼くべく、どこからか仕入れてきた材料をテーブルに並べて「クッキーの焼き方を教えて」ときたもんだ。なかなかやるね、彼女。このうえなくめんどくさがりやの彼にクッキーを焼かせるなんておみごと!
わたしときたらコック長よろしく、粉をふるえだのバターをこねろなど指示を出したもんだ。すぐにキレるやつが神妙な顔してクッキーの型をぬいていた。あの時は夜中にテーブルの上を粉まみれにしていろんな大きさのハートのクッキーをたくさん焼いたなあ。
どうしているんだろ、あの子。あのすっとび具合がわたしは好きだったのに。

がんばれ女の子たち、ホワイトデーには彼にクッキー焼かせるんだよ!

 
愛のソネット5

      チョコレート応援歌


バレンタインデーにチョコレートをあげるのだったら
手作りにしましょうよ
上質のチョコレートを使うのよ
なめらかでけっして甘すぎないものを

チョコレートはあなたの心の熱さで溶かす
想いをそこに混ぜながら
溶けて流れ出す前に考えておくことを忘れずに
作りたい愛のかたち

ラッピングはあなたを表す色と形で
カードにはあなたの心から取り出した言葉を添えてね
渡す時にはきりりとした目を向けて
アイ ラブ ユー と テレパシーで伝える

   それで「ホワイトデーには君が作ったクッキーがいいわ」と言ってみる
   男の子にもレッスンのチャンスをあげなくちゃ






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2003年02月13日(木) 愛のソネット4 < その愛 >

28歳の大学院生だったヤン・アンドレアがマルグリット・デュラスを訪ねた時、デュラスは66歳だった。彼女の代表作「愛人(ラマン)」は作家が15歳の時の中国人青年との最初の性愛経験をもとに書かれた自伝的小説だが、この作品が刊行されたのは彼女が70歳の時。あの文章がヤンとの生活の中で紡がれていったことを改めて知る。 彼女はヤンとの間に愛を育むことで15歳の少女にも成り得たのだろう。回想にしてはその表現があまりにみずみずしく鮮烈で、なぜデュラスという人はそんなにも遠い昔の自分をこれほどまでに生々しく描き出すことが可能なのだろうかと不思議に思っていた。
あの稀有な作品がその稀有な愛の中から生まれたと考えれば納得がゆく。
愛はまた様々なものを生み出す。音楽になり、絵画になり、小説になり、そして詩になる。その甘さも苦さもそこへ閉じ込めて。


 愛のソネット4


         その愛


はじまりは言葉だった
男は女の綴った言葉の海へ恋に落ち、女へ言葉を届けた
女は言葉を受け取る、そこにある優しさも情熱も
日に何度も届く手紙、二人の間に降り積もりゆく言葉

5年が過ぎた時、これから人生を始めようとする若者は
これから人生を閉じようとする老女のもとへと向かった
言葉ではなく手で愛撫し
言葉ではなく目で見つめる

男と女は愛し合い、また傷つけあう
歓びと苦渋、高揚と絶望、愛とはそういうもの
女の口は物語を再び語り
男はその声を指先で打ち込み文字へと変えた

   その愛の話を人々は読み継いでゆくことだろう
   その愛の形をわたしも今日、深く心に刻もう






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2003年02月12日(水) 愛のソネット3 < とらわれ >

昨日、夫と渋谷の ル・シネマに「デュラス 愛の最終章」を見に行く。
原題は CET AMOUR-LA ( その愛)。晩年のマルグリット・デュラスと38歳年下の恋人との出会いから彼女の死までを描いたフランス映画だ。わたしは彼女の深い孤独とその愛の形をその言葉とともに愛してきたが、彼女の作品が彼女が生き抜いたその壮絶な愛から紡ぎ出されたことを改めて感じた。

愛はさまざまな形をしている。ソネット1ではスピリチャルな愛を、ソネット2ではアポロン的な秩序の中にある脅かされることのない愛を綴った。今日はそれと反対のところにあるもうひとつの愛を言葉にしてみた。危険や死さえ伴う愛が存在する。愛は人を解放する一方でまた人を縛り、また愛は与えるがその一方で限りなく奪うから。



愛のソネット3 

  とらわれ


愛はときおりデュオニソスを伴ってやってくる
その香りは甘くあらがうことはできないゆえ
見えない力にただ引き込まれてゆく
足は地上を離れ心は果てもしらぬ空をうつろう他ない

愛は人を命からひきはがし洞窟の中に閉じ込める
歓びと苦痛はくりかえし訪れ
目は何も見ず、耳は何も聞かない
そして死は喉元に鋭いナイフを突きつける

どうかここからわたしを出してください
この死の淵から生還させてください
この試みに会わねばならない理由は何ですか
人は思わず彼方へ向かって叫ぶ

  彼方へ向かった声を聞くものがそこにいる
  人はその叫びの故に死から命へとまた移される






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2003年02月11日(火) 愛のソネット2  < Anniversary >

今日は結婚記念日。24歳だったその時から過ぎた時間を振り返ってはみるけれど、それはあっという間のことだった。
しかしその時が早い春とするならば、さしずめ今は秋のはじめ。実りの時期を迎えようとしている。
そうするといったん遠ざかっていた「わたしの時」がまた近くなってきてもいる。
実際の加齢に逆行するかのように次第に始まりに向かって戻ってゆくような、若くなっていくようなそんな妙な感覚の中で今という時を過ごしている。



愛のソネット2 


       Anniversary


愛を探した日々があった
進むほどに道は狭く、迷路に閉じ込められるのはわたし
愛を捕えようとした時があった
手にしたものは抜け落ち、独りでたたずむのはわたし

ある日、ひだまりの中に愛は座っていた
「少しだけそのひざを借りてもいいかしら」
初めて眠りを知った者のようにわたしは眠った
探さなくても愛は変わりなくそこに居続けた

ある日、わたしの体の中で愛は動いた
「もう何も欲しいものはないわ」
生き始めたばかりの命にわたしはわたしを捧げた
捕えようとしなくても愛はいつも腕の中にあった

  一人が二人になり、三人は四人となって命は育まれていった
  この豊かな実りに感謝を捧げよう Anniversaryの今日





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2003年02月10日(月) 愛のソネット1 < 魂から魂へ >

2月、店先にチョコレートが山済みにされ、制服の女の子たちが一心にチョコレートを探している。そのひとりひとりの胸の内にはどんな切ない想いがしまわれているのだろう。
この季節、愛の詩を読みたいと書架を探す。中学生の時に初恋の君からもらったハイネの詩集はまだ手元に残っているものの、その昔愛読した詩集や言葉集の多くを見失ってしまったことに気づく。そんなにも長い間、愛の詩集を開くことがなかったのだ。手元にシェイクスピアのソネット集がある。この英詩の翻訳を試みようか。いいえ、それよりはソネットの形式を借りて自分の言葉でわたしの愛のソネットを紡ごう。忘れてしまったものを思い出すかもしれない。気がつかないでいるものを見出せるかもしれない。
この一週間、一編づつ、愛の詩を詩ったソネットを載せていこう。
そんな2月の試み。




愛のソネット 1
 
      魂から魂へ

わたしがわたしの言葉を愛するように
わたしはあなたの言葉を愛する
わたしがわたしの時を愛するように
わたしはあなたの時を愛する

お互いを見つめ合うのではなく
遠いかなたに目を注いで
あなたとわたし、異なる空間で呼吸し
それでも共に生きている

あなたがあなたの音を愛するように
あなたはわたしの音を愛する
あなたがあなたの場所を愛するように
あなたはわたしの場所を愛する

 ある時、それは身を切るような痛みを伴うとしても
 強靭に愛し続けていくことをわたしたちの魂は知っている



2003年02月09日(日) その熱さと冷たさの故に

熱いものが好き、同様に冷たいものが。
100度近いサウナの最上段のベンチに背中を付けると焼け付くように熱い。けれど私は決まってその場所を選ぶ。きっかり時計の針が一回りするまでの12分間、その熱さを耐えてそこから出ると、15度かそこいらの水風呂に体を移す。今度はきりりとした冷たさに体中の細胞が一瞬きゅっと凝縮する。そうしてまた耐えられるところまでこの冷水の中に身を沈める。この快感を体が知ってしまえば誰でもこの魅力に取り付かれるに違いない。

そう、精神的なレベルでも私は熱さと冷たさという相反する2つの刺激を求めてはその間を行ったり来りしているように思う。そして聖書の世界が好きな理由の一つはその熱さ故、そしてその冷たさ故。

今日の聖書の話は熱い話だった。4人の熱い男達の話を私は日曜学校に集まってきた子供たちの前で一人芝居に仕立てて話した。子供達の瞬きもせずにぐっと私を見つめている目に、私もまた熱くなった。想いは2000年の昔へと飛ぶ。

それはイエスが生きていた時代のカフェナウムという町での出来事。4人の男達は中風にかかって手足の麻痺した友人(あるいは親戚や兄弟であったかもいしれないが)を担架に乗せて担ぎ、イエスという男がいるらしい家を目指して道を急いでいた。イエスという男はこれまでに何人もの病人の病気を癒し、何かとてつもない力を持っているとかで多くの群集がイエスのもとに集まっているといううわさが流れていた。そのイエスがそのカフェナウムに来るというので町はある種の興奮に包まれていたことだろう。4人の男たちはその中風の男をなんとか元の体に戻してやりたいという気持ちにかられていた。寝ている病人を担架のまま運ぶという労苦も厭わずに彼らを駆り立てるものがいったい何であったのか知る由もないが、彼らは何かに突き動かされてイエスのいる場所へと急いだのだろう。しかし、彼らがその場所にたどり着いた時にはすでに家の入り口まで人が押し寄せており、とても中へ入れるような状況ではなかった。しかし彼らはあきらめて帰ることはしなかった。かといって辛抱強く人が引けていく時間まで待つという選択もしなかった。彼らはその家の屋根に病人ごと担架を担ぎ上げ、その家の屋根を剥いで、穴を空け、ロープでその担架をイエスの目の前につり下ろすという大胆な行動に出た。おそらくその場は騒然とした空気に包まれたことだろう。人は秩序を破るものに対してまずは嫌悪感を禁じえない。また人を押しのけるような行為はまずはじかれるのが相場だ。しかしイエスは違った。イエスはその4人の男たちの中にある熱さを認めた。自分のところに何としても連れて来るのでなければという強い信仰を良しとしたのである。ここに目に現れることではなく、見えないところにある真実をつかみ出すイエスの視点を見る。
そしてイエスはその病人に一言「子よ、あなたの罪は赦される」と言うのだ。この当時、あらゆる病気はその人間の罪によると信じられていた。しかしイエスのこの言葉を聞いて心穏やかでないもの達がいた。それは権威ある律法学者たち。彼らは心の中でつぶやく。この人は、「なぜこういうことを口にするのか、神を冒涜していると。」イエスは彼らの心の中のつぶやきをそのままにしてはいない。イエスもまた熱いスピリットを持つ。彼らに向かって、「なぜそんな考えを心に抱くのか」と問い返し、自分は地上で罪を赦す権威を持っていると宣言する。そして彼らの見ている中でその病人を起き上がらせる。人々が驚きイエスにさらなるカリスマ性を見出しそこにより多くの人が群がっていったのは言うまでもない。いくつもの癒しの奇跡を起こしていく中でしかし律法学者たちとの確執も深くなっていく。イエスにまとわりつく熱さと冷たさ。そうしてその緊張の渦巻く中、イエスは一歩一歩十字架の上の死へと向かって急ピッチで進んで行くのである。

イエスに寄せる熱狂的な熱さと冷ややかな憎しみ。病人がただちに癒されるという目を見張るような出来事。そんなドラマティックな場面の中でイエスが一言放った「あなたの罪は赦される」という言葉が、それだけがその場から浮かび上がり浮遊してひとすじの冷たい、澄み切った水のように浸透してくる。時も空間も無関係なところにある言葉として。命のみなもとである神と今という時を生きている被造物である私を直接に結ぶ本質的な言葉として。
日々の熱さと冷たさの中にまとわりつく罪。しかし罪を開放するものがあなたの傍らにいると、わたしはあなたを日々赦すと、そういう声として響いてくる。



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新共同訳聖書より

マルコによる福音書 2章1〜12

◆中風の人をいやす
2:1 数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、 2:2 大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、 2:3 四人の男が中風の人を運んで来た。 2:4 しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。 2:5 イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。 2:6 ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。 2:7 「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」 2:8 イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。 2:9 中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。 2:10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。 2:11 「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」 2:12 その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。


2003年02月08日(土) 今日のカレーには冷凍の柿を入れたわ

今日はヒップホップをバックにエアロビックスのステップを踏みつつカレーを作っていたが、隠し味は柿にした(ちなみに前回はブラックチョコレートで、その前は正月の煮物の残りをミキサーにかけたもの)。今ごろ柿なんてあるわけないので、使ったのは冷凍庫でこちこちに凍らせた柿。毎年山形に嫁いでいった友人が送ってくれる箱一杯の庄内柿をヨーグルトあえにしたりサラダに混ぜたり、またシャーベットにしたりと様々に食べるのだが、いよいよ熟して柔らかくなりすぎた柿はそのつどカレーに入れることにしている。これが実にうまい。りんごの比ではない。そこでシーズンオフでもカレーに柿を入れられるようにいくつかを冷凍保存しているのだ。

もともとカレーに柿を入れたのは苦肉の策だった。だいたい我が家の男たちは3人とも柿を食べない。それこそ一口たりとも食べない。ケーキに焼きこんだ時などは、息子たちは怒り出してしまった。こっちは英文のレシピを苦労して読みながら焼いたというのにだ。(たまたまアメリカの雑誌に日本から手に入れた柿の木をそれこそ宝のように大切に育てている料理家の記事があり、美しい柿の木の写真とともに柿を使ったさまざまな料理が載っていた。日本ならそこここにあるあの平凡きわまりない柿はpersimmonと呼ばれそれは貴重な果物として登場していた)

ま、嫌いなものをそこまでして食べさせることもないのだが、友人は我が家の家族のことを思って送ってくれるわけで、その大量の柿がわたし1人の口にしか入らないというのは何とも申し訳ない。そこで彼らの大好物のカレーに混ぜ込んでみたというわけだ。おそるおそる出したそのカレーは、すこぶる評判が良かった。10皿分のカレーが一日で完売というイキオイ。「今日のカレー、なんか違うよね」という彼らはもちろん、そのおいしさの秘密が柿だということを知るよしもない。
そもそも柿の甘さというのは他の果物には類を見ないほど深いものがあるらしい。聞いた話だが、もともと和菓子の甘さは柿の甘さにいかに近づけるかということで、菓子職人にとっては手本となる甘さとされているらしい。というわけで今夜は柿入りカレーのおいしげな匂いが部屋中に満ちている。



2003年02月07日(金) これって文芸だろうか

ちょと悩んでいる。どういうわけだかこのジミな日記が「えんぴつ」のジャンル別ランキングで3位に踊り出てしまった。そのジャンルというのが実は文芸。はて、私は自分がこの文芸というジャンルを選んだことを最近まですっかり忘れていて、ランキングなるものも自分とは無縁のことと、受けは狙わず、ひたすら自分の日常のひとこまを留めるために書き続けてきた。ところが、ここのところ事情が違ってきていることに昨日になって気づく。投票してくださってる方が複数いらっしゃるのだ。とすると看板に偽りがあってはいけないではないか、この日記を文芸ジャンルにふさわしいものしなくてはならないんじゃないだろうかと書いているものをしばし振り返ってみたりした。

 ところで文芸ってなあに。言葉の芸術? とすれば、ここに詩やエッセイや小説を日々書くのが良いのか。あるいは文芸に携わっている人の日記というのもありうる。しかし、平安時代の昔から日記という文学のジャンルもあることを思えば、日記そのものが文芸と言えなくもなかろう。それならば私は清少納言の向こうを張って、平成の時代を生きるひとりの女として、自分の周囲や自分の心の内の中でおこった事柄の中に見つけた「いとをかし」を言葉に移していくことで良しとしよう。と、毎度の我田引水。

 文芸で思い出したが、確か私は中学生時代、音楽部と文芸部を兼ねていて、どっちでも部長をやっていた。あの文芸部ではいったい何をしたんだろう。読書感想文のコンクールに投稿した他は文学作品を書いたなどという記憶はない。確か文学遺跡を訪ねてのバス遠足をした。「ロミオとジュリエット」、「ハムレット」、「罪と罰」の映画は、文芸部で希望者を募り、団体で映画館へ繰り出したのだった。そういえば、文化祭にはなんと演劇までやった。そもそも私の通っていた中学校は演劇部がなかったから積極的な文芸部は自ら舞台に立つことを良しとしたのだろう。あの時わたしが演じたのは、電車に飛び込んで自殺する性同一性障害の女子中学生の役。死んでしまった後、あの世で自分のやってきたことを回想するという不思議なストーリーだったが。

そう、広くこの文芸という言葉をとらえるなら、史跡探索も、映画鑑賞も演劇活動も文芸と無縁ではない。今の私、40代半ばになっても10代の頃と大して変らないことをやっているなあ。ひとつのことを追求する熱意に欠け、関心の赴くままにあちらにもこちらにも手を出すという習性はどうにもならないもののようだ。そういうあちらこちらをなんとかまとめるべく日記を書いているといえないこともない。

 


2003年02月06日(木) 退屈はしないわ

わたしは退屈なことが苦手。
同じことを延々と繰り返すことが苦痛。
だから日常にも色々と変化を持ち込もうとするらしい。

今朝は寒かった。自転車をすっとばしながらジムへと急いでいると途中でスパンと広がった場所へ出た。道の両脇には畑が広がっていて私の他には誰もいない広々とした空間。やおら自転車を降り、聞いていたキャロル・キングのLove
Make the World を止め、携帯を取り出す。ふと、会ったことのない友人(この場合メル友とかいうのだろうか)に、この場所の空気を伝えようと思ったのだ。
「元気?今自転車でジムへ行くところ。まわりになあんにもない畑の中の道を歩いてるよ。」

不幸なことにわたしは自転車に乗っては傘をさすどころか、鼻をかくことさえままならないのでよく若者たちがやっているように携帯で話しながら自転車をこぐことなんざぁできない。それで片手でハンドルを握り自転車を押しながら話をする。同じ景色が変化し、日常が少しだけ別のものになる。

さてジムでのラテンとファンクのクラスはそのステップがかなりチャレンジングなのが実にわたしの性に会っている。瞬時にインストラクターの動きをキャッチし、真似なければならない。リズムはとにかく速い。身体よりもむしろ頭の冴えが問われるような気がする。そもそもわたしの身体のリズムは非常にゆっくりしたもので、片手で自転車をこげないほどの運動神経しか持ち合わせていないのだから、リズム感と集中力を精一杯動因しても、くるくる回るステップなどになるとどうにもだめ。しかしながら、最近はだぶだぶのトレーニングパンツとLサイズのTシャツをやめ、ぴったりしたブーツカットのパンツにおへそが見えるほどに短いスリーブレスのウエアーで決めているから、前みたいに初心者モードには逃げ込めない。多少もたついても乗れるところはびしっと決めないと格好がつかない。そういう意味でもつとめてへそ出しのウエアーを着ることにしている。

木曜日の一番退屈な仕事であるアイロンかけをどのようにクリアするかということについて、今日は新しい試みをやってみた。いつもアイロンをかける時は普段いっさい付けないテレビのスイッチを入れ見ながらかける。しかし、そんなことをしていては今日のノルマの発声練習の時間が取れない。そこでアイロンかけと発声練習を組み合わせることにした。ピアノでスケールを弾きながらアアアアアというわけにはいかないから私のテーマ曲ともいえるキャロル・キングのLove Make the World をかけ、彼女の歌に合わせて、同じフレーズを歌ったり、ハーモニーやオブリガードを付けたりして自分の必要な音域の声を出す。歌い続ける。もちろ手はアイロンをかけながら。CDが一回りする間に7枚のシャツのアイロンかけができ、発声練習のみならず、ハーモニーを即興でつける練習もでき、なによりノリノリでかなり興奮した。

そうね、心配といえば近所の評判かしら。
ピアノを弾きながらアアアアというのはいかにも練習という感じて大目に見て(聞いて)いただけたとしてもCDをがんがんけかながらそれに合わせて一時間もシャウトするのを人は練習とは見ないだろう。いったいどうしちゃったんだろうと心配などされないだろうか。そんなことがちらっと頭をかすめた瞬間、ピンポーンとドアベルが鳴る。「あちゃ、いよいよクレーム」とCDを止めて、神妙な顔をしてドアを開けると、そこにいたのはお隣のぼうや
「回覧板で〜す」
ほっ。。

さて日記を書く間に豚汁も煮えたようだ。


2003年02月05日(水) メッセージをありがとう!

ひろ〜いはずのこの世の中が電車の中よりも近くに感じることがある。あぁ、その反対に狭い満員電車の中は果てしなく遠い。
いえ、わたしが言っているのは人と人との距離のこと。空間的にはずいぶんと遠いところにいる(恐らく)見知らぬあなたがいきなりわたしにメッセージを下さったりする。そのストレートな繋がり方をわたしは好きです。しかもそれを個人宛てのメールではなく、公開日記の中で送るという方法もなかなかです。ですからわたしもこの公開日記の中であなたにお返事いたしましょう。
演技やヴォイトレのことであくせくしているらしいわたしに送ってくださった「熱湯のような熱いメッセージ」受け止めました。ご紹介くださった「舞台と映像の音声訓練」 〜せりふ・朗読のための実験〜読んでみます。



ネットの海の中で見知らぬ人が突然に自分の日常にかかわってくるというおもしろさをこれまでに何度となく体験してきた。今日、たまたまこの日記の登録状況をチェックしてみると新しい方が登録してくださっていてその方の日記のタイトルがどうやら私に宛てたメッセージであるらしいことが分り、その方の日記を読みにでかけた。必要な情報はいつもどこからかやってくるというのが私の持論だがそのようなタイムリーさをそのメッセージの中に感じた。

3年ほど前にルネッサンス時代の歌を恐ろしく美しく歌う声楽家(波多野睦美)さんの声に惚れ込み、あのような声がどうしたら出せるのだろうとそれだけを知りたくてレッスンに通った。その時に言われたことを実は今日も思い出していたのだった。それは、人は自分本来の嘘偽りない声と違う声をいつの間にか作ってしまう。しかしそれはその人間の本質とは異なる声だからどこか力に欠ける。作った声を元々の声に戻す作業が必要になるということ。波多野さんのレッスンではゲーとがガーとかこの上なくえぐいと思われるような声を出させられた。そういう声を出せない自分がそこにあって私がいかに自分を解放させていないかということも知らされた。

本当に演じるためには、かえって自分自身に戻らなければならないと今日はそんなことを一日考えていた。というのもわたし自身が非常に芝居がかった日常を送っていると感じるからだ。いろんな場面でこう見せたい自分を頭に描き、そういう自分を演じ、場所と場面で使いわける、演じ分ける。当然声も嘘偽りのないわたしの声ではなくどこかで作っている。そういう身に付いてしまった悪習がかえって演技をスポイルさせていると思い当たったのだ。文章を書くことで、それもかなり本音で書く事でわたしは何も演じていない自分自身を出す場を見出したが、日常生活の中ではそうではない。ここで言葉を吐き出すように生々しいわたし自身を生きてはいない。日常においても嘘偽りのないわたしを生きる時が来ているのだろう。




2003年02月04日(火) ボディーヒーリング

朝、ノニジュースを飲んだ後、朝食前にヨガをする。呼吸法のカバラバーティと身体全体の気を調整するウディアナバンダ、そして体側のねじりやストレッチになるいくつかのアーサナ(体位)を組み合わせてやる。演劇のトレーニングのひとつとしてできれば毎日やっていこうと思っている。

手元にヴォイストレーナーの加藤玲子さんが書いた「ヴォイステクニックの真実」という本がある。これは連れ合いが都内の本屋の演劇コーナーで見つけて買ってきてくれたもので、おもに演劇を志す人のためのヴォイストレーニングの手引きとして書かれている。この本は身体を楽器ととらえ、声を出し響かせる楽器としての身体をいかに作り、また調整していくかに主眼がある。だから呼吸法やストレッチなどのエクソサイズや身体の構造について大半のページが割かれており、非常に実践的だ。ぼんやりと意識していたことではあったが、通る声、表現力のある声にするためには楽器としての身体を意識的にトレーニングしなければならないということに改めて気が付いた。

4月からこれまでのジム通いで持久力や筋力はついているのだから、これから2ヶ月は声を出す楽器の調節といったトレーニングを意識しようと思う。幸いこの1月からスポーツクラブでボディーヒーリングという新しいクラスが始まった。これはヨガ、太極拳、ストレッチ等を組み合わせ、身体の内部の筋肉を鍛えようというもの。金曜日の夜のクラスに何度か出てたが30分のクラスなので少し物足りなさがあったが、今日から火曜日の夜にも45分のクラスが新設されることになった。エアロビックスを一本やった後は連れ合いとこのボディーヒーリングの出てみた。なかなか良い。これも続けてやると声のための良いトレーニングになるような気がする。

今日は仕事に入る前の一時間、教会の礼拝堂で発声練習と歌の練習をすることができた。毎日最低一時間は発声と歌の練習をとるべきだ。そして滑舌と台詞の練習を一時間。後はそれをいかに毎日続けていくか。かつて卒業演奏を目前に控えて一日中歌や楽器の練習をしていたことを思い起こせばまだ楽しくやれるはず。明日は細かいトレーニングのスケジュール表を作ることにしよう。


2003年02月03日(月) 大根だなぁ

ミュージカルのリハーサルを音響のKさんにお願いしてMDに録音してもらったことはほんとに良かった。聞いてみると分るものである。どのくらい自分の演技がまずいかということが。かなりショックを受けた。気持ちの上では演じているのに録音したものを聞くと、表情がなくほとんど棒読みに聞こえる。覚えた台詞を発音しているだけで、少しもその人になっていないし、その世界に入り込んでいない。こういう演技だと見る人をその世界の中にひっぱっていくことはできない。わたしってこんなに表現力に乏しかったのかしらと愕然となる。私の悪いくせで少しもできていないのに、けっこうイケてると勝手に思い込むところがある。甘いなあ、実に甘い。この2ヶ月とにかく必死にやらなくては。今日はジム行きも止めて夕方のクラスまでの間、狭いリビングルームを舞台に見立て動きもつけて芝居の練習をする。声もめいっぱい出して練習していたものだから長男が「ちょっとぉ〜、いい加減にしてくれない。なんなのその叫び声は!」と不機嫌な顔をして二階から降りてきた。息子が寝ていることをすっかり忘れてた。それで穴に落ちるところの叫び声をかなりそれっぽくやったのだ。息子が驚いたというのだからまんざら悪くない演技だったのかも。


2003年02月02日(日) 祈りつつ進む

この日の主日の説教題は「祈りつつ進む」だった。
祈りを忘れていることがある。思考し、悩んだり解決を探したりと心は様々に忙しく動かしながら、何も解決の糸口が見つからないでくるくると同じところを回っている時がそうだ。ストンと大切なことが抜け落ちている。自分の中心、祈りの場所にまず自分を持っていくということを。そこへ入ることができるならば余計な焦燥に焼かれることもなく、不安にさいなまされることもない。それなのに私は繰り返しその場所の存在を忘れてしまう。

説教の冒頭で「イエスは一番大切なことを一番大切にしなさいとおっしゃる。神が私と共にいてくださるということを最も大切にしていくこと。」という語りかけがあり、はっとする。多くの心配や不安のために心がいくつもの方向へと分散していることを思った。まずひとつところに集めること、そこから眺めることをするのでなければ。「神が共にいます」ということのなかに忘れていた深い慰めを取り戻したような気持ちになった。

イエスは弟子シモンとアンデレの姑の熱を癒された。私たちも日々、身体的のみならず、精神的に痛手を受け熱を持つ。イエスはそれを癒すことができ、私たち、みなそれぞれ、イエスの癒しに招かれている。



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マルコ1章29〜39
◆多くの病人をいやす
1:29 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。 1:30 シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。 1:31 イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。 1:32 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。 1:33 町中の人が、戸口に集まった。 1:34 イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。
◆巡回して宣教する

1:35 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。 1:36 シモンとその仲間はイエスの後を追い、 1:37 見つけると、「みんなが捜しています」と言った。 1:38 イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」 1:39 そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。


2003年02月01日(土) ミュージカルリハーサル

2日間通して何もせずにベッドで過ごしたお陰で、この日の朝は何とか普通に起きて家族の食事の用意もできれば、普通の食事を取ることもできた。夫がベッドまでおかゆや飲み物を運んでくれるという特別扱いは名残惜しいが、やはり「ご飯だよ〜」と男たちをたたき起こす方が性にあっている。それでも重い荷物を抱え自転車と電車と徒歩で練習場まで行くには今ひとつ元気が足りなかったので夫が車で送っくれ、集合の9時に一時間遅れで会場に入る。同じ時にどうやら同じ胃腸風邪に見舞われた「たける」は今日のリハーサルには来れないらしい。

小劇場ではすでに舞台バックのセッティングが始まっており、ブルーを基調にした何色かの美しい布が上から下まで垂れ下がり、その前には濃いブルーのメッシュの布がかけられ、深い森の幻想的な世界がそこにできていった。思ったよりも多くのこの劇場の関係者の方が仕事をされていることに気づく。こうしてみると舞台に上がったキャストの他にずいぶんたくさんの方々が舞台のために働いているということが実感できる。今まではミュージカルを見に来るお客のことしか意識になかったが、そういう舞台を支えるひとりひとりの方の貢献を思うと、いい舞台にしなければと身が引き締まる気がした。テンションがハイになっているせいか、午後からずんずん元気がでてきて、5時からのリハーサルの時にはすっかり身体も声の調子も普段通りに戻っていた。お昼の時に、自分のために買ってきたけれど、あなたが飲んだ方がいいわといってRさんがくださった栄養ドリンクのお陰だったかもしれない。

自分の演技を客観的に見ることができないのでどこがどう良くないのか今ひとつ自分では掴めないのが口惜しいのだが、私の演技の固さや平坦さが指摘された。リハーサルの前に、今日のリハーサルは演技の良し悪しではなく立ち位置や効果音、照明などの確認の為のリハーサルだからあまり良い演技を意識しないで良いのでという指示があったので、私の内では日頃の通しと同じ感覚があって、確かに実際のパフォーマンスという高揚感には明らかに欠けていた。しかし、これが実際の舞台だったらもっと良い演技ができただろうか。否。まだパフォーマンスまでには必要な練習がある。演技の固さの中には次がどういう場面かとか台詞はきちんと覚えているだろうかといった不安な要素がまだまだあるせいだろう。踊りもまだ自分のものになっていない。台詞に関しては自分の頭の中で創り上げたイメージのまま暗記したことをしゃべっているのであって、相手の言葉に触発されて口に上ってきたものではないからお話ではあっても芝居ではない。これから本番までいよいよ集中する時期になった。

パフォーマンス。演奏にしろ、歌にしろ、またレクチャーやデモンストレーションなども含めて大勢の観客を前にして行うパフォーマンスで私が感じていることは、十分な準備や練習や下準備はもちろんやるが、何度練習しても、練習と本番とでは雲泥の差があるということである。実際のパフォーマンスは誰もいない空に向かってパフォームするのではなくまた鏡に映る自分に向かって演じるのでもない。会場にいる観客の一斉にこちらに向けられたエネルギーに触発される形で、自分の内からこれまで出てくることのなかった力がまるで呼び覚まされるような形で沸き起こってくる。見るもの、あるいは聞くものと演じるもの、演奏するものとの間に起こる不思議な一体感がそこに起こる。そしてその時ある意味で自分は自分を越えた何かになる。しかしそういうパフォーマンスをするためには準備の段階ですっかりやろうとしていることを掌握していることが絶対条件だ。少しの不安要素もないほど同じフレーズを繰り返し、シュミレーションし、どんなハプニングにも即興で切り返すほどの準備をしていなければならない。とにかくまずはママの演技のことに集中しよう。そうそう我が家の受験生ほど、そのことに没頭すれば何とかなるかもしれない。彼に便乗してがんばることとしよう。


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