たりたの日記
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2003年01月31日(金) バナナがいかに良い食べ物かというレポート

バージニアに住むベスからのチェーンメールが届き、いかにバナナがすぐれた食品かということが詳しく説明されてあった。これはよい情報と、海外からのメッセージでアップしようとしたところ、あんまり長いことアップしていなかったので有効期限が過ぎてここはもう使えなくなっていた。反省!
というわけでここに持ってきた。


   <バナナはりんごよりも身体に良い食べ物らしいです>

毎日りんごをひとつ食べれば医者がいらないというアメリカのことわざは良く知られていますがバナナはそのりんごを凌ぐ効用がありそうです。「毎日一本のバナナを食べて医者知らず」ということわざに変えた方がいいかもとレポートは結んでいます。しかし、わたしはバナナはなんといっても農薬が心配。最近はスーパーでも減農薬のバナナを見かけるようになったので、少し高くても農薬の少ないものを食べましょうね。

今日のように胃腸を壊している時には最高の食べ物かも知れません。確かキッチンのバスケットにバナナが残っていたはず、今日のランチはバナナにしよう!

           Banana

After Reading THIS, you'll NEVER look at the Banana in the same way Again!!
Doctors - Home Remedy
If you want a quick fix for flagging energy levels there's no better snack than a banana. Containing three natural sugars - sucrose, fructose and glucose - combined with fiber a banana gives an instant, sustained and substantial boost of energy. Research has proven that just two bananas provide enough energy for a
strenuous 90-minute workout. No wonder the banana is the number one fruit with the world's leading athletes. But energy isn't the only way a banana can help us keep fit. It can also help overcome or prevent a substantial number of illnesses and conditions making it a must to add to your daily diet.

Depression: According to a recent survey undertaken by MIND amongst people
suffering from depression, many felt much better after eating a banana. This is because bananas contain trypotophan, a type of protein that the body converts into serotonin known to make you relax, improve your mood and generally make
you feel happier.

PMS: Forget the pills - eat a banana. The vitamin B6 it contains regulates blood
glucose levels, which can affect your mood. Anemia: High in iron, bananas can stimulate the production of hemoglobin in the blood and so helps in cases of anemia.

Blood Pressure: This unique tropical fruit is extremely high in potassium yet low in salt making it the perfect to beat blood pressure. So much so, the US Food and Drug Administration has just allowed the banana industry to make official claims for the fruit's ability to reduce the risk of blood pressure and stroke.

Brain Power: 200 students at a Twickenham (Middlesex) school were helped
through their exams this year by eating bananas at breakfast, break and lunch in a bid to boost their brain power. Research has shown that the potassium packed fruit can assist learning by making pupils more alert.

Constipation: High in fiber, including bananas in the diet can help restore normal bowel action, helping to overcome the problem without resorting to laxatives.

Hangovers: One of the quickest ways of curing a hangover is to make a banana
milkshake, sweetened with honey. The banana calms the stomach and, with
the help of the honey, builds up depleted blood sugar levels, while the milk soothes and rehydrate your system.

Heartburn
: Bananas have a natural antacid effect in the body so if you suffer fromheartburnn, try eating a banana for soothing relief.

Morning Sickness: Snacking on bananas between meals helps to keep blood sugar levels up and avoid morning sickness.

Mosquito bites: Before reaching for the insect bite cream, try rubbing the affected area with the inside of a banana skin. Many people find it amazingly successful at reducing swelling and irritation.

Nerves: Bananas are high in B vitamins that help calm the nervous system.

Overweight and at work? Studies at the Institute of Psychology in Austria found pressure at work leads to gorging on comfort food like chocolate and crisps.
Looking at 5,000 hospital patients, researchers found the most obese were more likely to be in high-pressure jobs. The report concluded that, to avoid panic-induced food cravings, we need to control our blood sugar levels by snacking on high carbohydrate foods every two hours to keep levels steady.

Ulcers: The banana is used as the dietary food against intestinal disorders because of its soft texture and smoothness. It is the only raw fruit that can be eaten without distress in over-chroniculcer cases. It also neutralizes over-acidity and reduces irritation by coating the lining of the stomach.

Temperature control: Many other cultures see bananas as a 'cooling' fruit that can lower both the physical and emotional temperature of expectant mothers. In Thailand, for example, pregnant women eat bananas to ensure their baby is born with a cool temperature.

Seasonal Affective Disorder (SAD): Bananas can help SAD sufferers because they contain the natural mood enhancer, trypotophan. Smoking: Bananas can also help people trying to give up smoking. The B6, B12 they contain, as well as the
potassium and magnesium found in them, help the body recover from the effects of nicotine withdrawal.

Stress: Potassium is a vital mineral, which helps normalize the heartbeat, sends oxygen to the brain and regulates your body's water-balance. When we are stressed, our metabolic rate rises, there by reducing our potassium levels. These can be re-balanced with the help of a high-potassium banana snack.

Strokes: According to research in 'The New England Journal of Medicine' eating bananas as part of a regular diet can cut the risk of death by strokes by as much as 40%!

Warts: Those keen on natural alternatives swear that, if you want to kill off a wart, take a piece of banana skin and place it on the wart,with the yellow side out. Carefully hold the skin in place with a plaster or surgical tape!

So you see a banana really is a natural remedy for many ills. When you compare it to an apple, it has four times the protein, twice the carbohydrate, three times the phosphorus, five times the vitamin A and iron, and twice the other vitamins and minerals. It is also rich in potassium and is one of the best value foods around.
So maybe its time to change that well-know phrase so that we say, "A Banana a day keeps the doctor away !


2003年01月30日(木) 風邪の日、フォーレを聞きながら

風邪をひいてしまった。
昨夜はすこぶる元気で就寝前にジムで30分走るほどだったのに朝になってみると風邪のウイルスにやられていた。ここ数日長男がひどい下痢で熱もあったので、そのウイルスのとばっちりを受けたらしい。
よりにもよってこんな忙しい時に。
しかたがないので病気に付き合うことにする。身体は休養を欲している。PCと本を抱えて寝室に篭ることにした。

そういえばS教会の掲示板にインフルエンザの情報があったと思いだしそこへ行ってみる。ところがそれはPCのウイルス情報で、この胃痛がどんなウイルスによるものかという情報ではなかった。しかしそこで良いものに出あった。フォーレの「ピエ・イエス」という美しい曲。フォーレのレクイエムの中の一曲。明るく広がりのあるやすらぎに満ちた旋律。

ベッドの中でこの曲を繰り返し聴きながら終日過ごした。この音楽に浸るために風邪にかかったのではないかしらと思うほど良い出会いだった。
この曲をわたしの葬儀の時の曲にしようと心に決める。


2003年01月27日(月) カール・バルト事始

カール・バルトという神学者の名前はあまりにも有名なのに、わたしはその人の書いたものを今まで読んだことはなかった。何度か手には取ったような気がするが、その書物の中に分け入ってゆくことはできなかった。家の書架にはモーツアルトを愛したといわれるバルトのモーツアルト論の薄い本があるが、それすらまともに読んではいない。しかし、ものごとには時というものがある。

私の通う教会の会員のY先生は、すでに退職された引退牧師だが、今でもバルトの著書の翻訳をしておられる。わたしは自分ではとても読めるとは思わなかったが、せっかくバルトの大家が身近にいるのだからバルト神学についてのお話を伺いたいと言ったことがある。先生は今翻訳しているバルトの著書のことを言われ、この本はけっして優しいものではないが、丁寧に時間をかけて読むならば、あなたにとって最上の書物のひとつになるでしょうと読むことを勧めてくださった。昨日、ようやく出版された「キリスト教倫理学総説 1/2」を手渡して下さり、初めてバルトを読む方のために、読み方の手引きを後書きに加えましたからまずそこから読んでみてくださいと読む上での順序などを示してくださった。そこにはわたしのような読者がはじめの数ページで、早々と挫折したりしないように、興味のありそうなところから読むこと、はじめからすべてを理解しようとしないで自分の中に入ってくる言葉だけを受け止めて読み進めていくことといった丁寧なアドバイスが書かれてあった。

しかし、一見難しそうな神学書が、良く存知あげている方によって翻訳されているということですでにわたしにとって親しいものという感じがした。この本は2章の「創造者なる神の誡め」というテーマのもとに、「生の誡め」、「召命」、「秩序」、「信仰」の4つのことがらが書かれてある。お勧めの通り、信仰について書かれている部分から読もうとしたものの、やはり始めから読みたくなった。わたしは具体的なことよりはむしろ抽象的な概念について書かれたものの方に興味が湧く。読み始めると確かに難しく、すらすらと斜め読みにできるような書物ではないが決して退屈ではない。すっかりは分らないのにそこから射し込んでくる光のようなものに照らし出されながら次へ次へとページを繰ってしまう。気持ちに入ってくる文章も確かにあって線を引きながら読んでいると半分は線で埋まってしまった。最上の書物のひとつになるでしょうとおっしゃったY先生の言葉の意味が分るような気がした。ゆっくりと味わいつつ読み進めていくことにしよう。


2003年01月26日(日) 悪霊を追い出すーイエスの言葉の強さ

今日の主日説教の題は「権威ある教え」テキストはマルコ1章21〜28
「汚れた霊に取りつかれた男をいやす」というタイトルのついた箇所だった。
私は説教のメモを取りつつ聞いているが、すべてをメモできるわけではないから、当然、私の耳に聞こえてきて受け止めた言葉だけが書きとめられていく。だからここで、メッセージの要約やレポートは書くことはできない。けれども私自身の日記として、また読んでくださる方がたと分かち合うために、ここのそのメモを残しておくことにしよう。
けっして私ひとりに語られる言葉ではないのに、まるで見透かされていたかのように私の今を捉えた言葉が語られていた。



*イエスの言葉には強さがある。それはその言葉が真実に満ちているから。
 イザヤ書55章11「そのように、わたしの口からでるわたしの言葉も、む なしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、 わたしが与えた使命を必ず果たす。」と示されているように。

*「一行」とは、イエスの呼びかけに付いていった弟子たち、エクレシア、   かれた者たちのこと。

*人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者と してお教えになったからである(1:22)とあるが、マルコはその教えの 内容は記していない。しかし、マタイによる福音書の記述からそれを知るこ とができる。それは「心の貧しい人は幸いである、天の国はその人たちのも のである。」で始まる5章の山上の説教。

*イエスの教えは人々を束縛から解放する教え。人間を自由にする神の宣言。 神の主権のもとではものごとがどのようになるのかそこから見るというこ  と。


*イエスは汚れた霊をその人から追い出したが、汚れた霊とは、その人を囚  え、そこに閉じ込めていた力。今日でも我々は日常的にこの悪の霊に捕えら れる。しかしわたしたちはイエスによって悪の霊の力に打ち勝って生きるこ とができる。

*イエスから知られているもの、愛されているものとして自分を受け入れるこ と、自分に向けられている神の愛を受け止めていくこと。






マルコ1章21〜28
◆汚れた霊に取りつかれた男をいやす
1:21 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。 1:22 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。 1:23 そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。 1:24 「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」 1:25 イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、 1:26 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。 1:27 人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」 1:28 イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。


2003年01月25日(土) 「独り」という意識

今日はミュージカルの練習日だった。
傍から見て私の演じる「たけるのママ」の役がどのようであったかは分らないが、今日は優しく明るくまた芯の強いママの内に通奏低音のように鳴っている深い孤独と悲しみに共感することができていたように思う。日常の生活の中に身を置きながらもなにかはかなげに彼岸を見つめているその役柄の眼差しが前よりもはっきりと見える気がした。きっとわたしが「独り」を取り戻したからなのだろう。

一昨日の日記「タペストリー」の中で、私は「独り、徹頭徹尾」という言葉を書き、一度はそれをアップしたものの後で消してしまった。実はこの言葉こそあのタペストリーと題した文章の中で書いておきたかった言葉だったのだが、それを消してしまったのは、友人や家族といった私の愛する人たちを不用意に傷つけてしまうのではないかと、そんな心配を感じたからだった。しかしこの「独り」というのは、決してセンチメンタルなものでも、また他への甘えや非難めいたものでもない。それは私の中心であり、寄って立つところ。ふるさとともいえる場所なのだ。

今日、電車の中で開いていた高橋たか子の「この晩年という時」という本の中のひとつの文章が心に染みとおっていくようだった。作家が親も夫もありながら、「「風の音だけ」が私のまわりを吹きすぎていく虚無の中に自分が生きてき、生きている、いきていくだろう」、という思いがあり、そのような小説を書いてきたと、そして「地上的な事象について虚無なればこそ、そんな私へ神が全的に入ってこられる」と。

同様に練習会場のロビーで目にした
「現代において恋をするとは個と孤を越えられない自分を痛切に自覚することかもしれない」
という文章が心に響き、急ぎノートに書きとめた。企画展示「恋うたの現在ー平成百人一首」の中に見つけた歌人伊藤一彦氏の文章だった。この歌人の歌を読んでみたいと思う。また「個と孤を越えられない自分」というところから言葉を紡いでみたいと思う。



2003年01月24日(金) 戦友のMに会う

ずいぶん久し振りに友人のMと会う。昼に駅で待ち合わせし、お昼をいっしょにし、買い物をし、お茶を飲み夕方までの時間をいっしょに過ごす。勘定してみるともう9年も会ってなかったことになる。それなのに会ったすぐから昨日までいっしょにいたような感覚が起こるのはなんとも不思議だ。

Mと初めて会ったのはわたしが結婚して九州から埼玉のK市の公団団地に住むようになったばかりの時だった。今までの友人、知人と離れて1から人間関係を築いていかなければならない状況、しかも立場は孤独な主婦。子どももいないわけだから人と知り合うきっかけもつかめない。小学校の教師をやめて見知らぬ土地で主婦をしていることがなんとも心もとなく、小学生にすれ違う度に胸が塞ぎ涙がこぼれそうになるという日々だった。Mと出あったのはちょうどそんな時。同じ団地の同じ棟、同じ階段の1階と5階の住人という間柄だったで、彼女もわたしも同じ頃に結婚し、同じようにK市に住み始めたところだった。仕事を辞め、主婦というものを始めたこころもとなさを相憐れみつつ、それからは時々お互いの家で昼やお茶をいっしょにするようになり、新婚時代、妊娠中、子育て時代を共に経てきた。親も親戚も周囲にいない私にとってMの存在は心強く、妊娠中の不安や子育ての悩みをお互い相談しあい、いっしょに子どもたちを遊ばせた。時にはお互いの連れ合いも交え、夕食を共にすることもあり、今の近所つきあいでは考えられないほど密度の濃い付き合いだった。子育てはまるで戦争のようだったから私たちの間がらは戦友に近いものがあるのかもしれない。

あの頃から20年の歳月が流れている。20代だった新妻は中年になり、あの時の赤ん坊たちは20歳の青年。子どもに夢中になっていた時代は終わった。年は取ったものの、子どものことに時間も心も奪われていた頃に比べ、私たちは自由でのびのびとした自分を取り戻しているのかもしれない。様々なことを留めなく話しながら、私もそうだがMも少女のままだなあとなんだか愉快だった。


2003年01月23日(木) タペストリー

雪がしきりに降っている。ジムに行こうとすっかり支度を整えたところに雪が降ってきた。出かけるのは止めにした。今日はこの静かに降り積もる雪といっしょに過ごそう。レースのカーテンを開いた。

またずいぶん、ここから離れてしまっていた。この場所はある意味、わたしが誰でもないわたしへと向かう場所。それは大切なわたしの砦、わたしの源。それなのに、わたしはしばしばここを離れる。そうして日常の空間と時間のあずかり知らない場所へ独り潜り込む。そうして旅を終えて戻ってくる。またここへと。なにか見出したいものがあるのだろう、この探すというわたしの習性はどうやら果てを知らないらしい。

布を織っているのだと思う。わたしという縦糸に様々な横糸を織り込みながら。様々な色の、また異なる質感の横糸を、ほとんど手にするままに、おおよそ無計画に先を急いで織り込んでゆく。織り上がってみればその模様は、まるで始めから定められていたような動かし難い正確さを持っている。この色でなくては、この質感でなくてはならなかったというような。

ここしばらく織ってきたタペストリーのその緋色と深いブルーとまたアースカラーの荒縄のようなより糸とが作る複雑な模様を眺めてみる。そこに映し出されたひとつの正確さに思いを凝らしながら。

雪は深くなっている。


2003年01月22日(水) ペテロのことを思っていた

朝、仕事へ出かける電車の中で
ペテロのことを思っていた
イエスのことを3度知らないと否定したペテロのことを

ペテロはイエスを裏切り、そのことに激しく泣いた
イエスがすでにそれを暗示していたことを思い出して

ペテロとイエスの繋がりのことを思った

ペテロの口がイエスを否む時もペテロの魂はイエスと共にあることをイエスは知っていたのだ。
イエスがペテロに告げたのはむしろそのことではなかったろうか

言葉の向こう側にそれとは相反する真実が横たわっていることもあるのだと
裏切りは裏切りではないのだと


2003年01月19日(日) 反戦集会へ

昨日Word Peace Now 1.18 の反戦集会に参加してきた。
今朝の毎日新聞の一面にそのパレードのカラー写真があり、7000人の参加者があったと報じられていた。思い立ってひとりで日比谷まででかけ、ピースコンサートとピースパレードに参加してきたのだったが、この日、7000人の1人としてささやかな行動を起こすことができたことは幸いだった。

ピースウォークの際、初めは市民団体と個人参加のC連の中に入って歩き始めていたが、シュプレヒコールを先導するリーダーが「ブッシュは悪魔」「ブッシュを倒せ」と叫び、私の後につけて言ってくださいと言う。確かにイラク攻撃には反対するがブッシュは人間であって悪魔ではない。ともかく個人を攻撃するアジテーションは口にしたくない。その連を離れて、一番最後の宗教者のグループのE連に加わることにした。平和を実現するキリスト者ネットののぼり旗が見えたので、そこへと行く。カトリックのシスターたちや、カトリック信者の方々と思わしきグループがあったので個人参加なのですがというと心良く場所を空けてくださり、プラカードまでくださった。先頭のトラックのスピーカーからは「苦しむ国の平和を願い、苦しむ国の平和を祈る」という短いフレーズの美しい聖歌が流れていて、歩く人たちはそれ合わせて歌いつつ行進を続けた。見知らぬ人たちと祈りの言葉を歌いつつ歩きながら、このように自分らしい参加の仕方ができたことをうれしく思った。

分厚いジャケットにジーンズとスニーカー、肩にはバッグパックをひっかけ人ごみの中、集会場まで移動しながら私自身の中にいくつもの顔があることを思っていた。朝はセンター試験に出かける息子を見送る時の母の顔をしていたが今はデモに参加しようとする活動家の顔。明日は教会で、わたしはクリスチャンの顔をしているのだろう。月曜日から子どもたちや親たちの前では教師の顔になり、土曜日には役者の顔になる。その合間に妻の顔、そして何にも属さない一人の女の顔。いくつものペルソナ。


2003年01月18日(土) Let It Be

朝6時半、テーブルの上のホットプレートではパンケーキがふっくらとふくれ甘い匂いを漂わせている。鳴っている音楽はビートルズの Let It Be、これからセンター入試を受けるべく戦闘態勢に入ったMの選曲。

When I find myself in times of trouble,Mother Mary comes to me,Speaking words of wisdom, let it be.

3年前の高校入試の時も試験の前にはこの歌を守り歌にしたらしい。
ふむ、なるほど。試験にはいい歌かもしれない。いいえ、人生のどのような局面においてもLet It Be は確かに知恵の言葉。余分な力を入れず、なるがままに、なすがままに。
では闘っておいで。

君が闘っている間、わたしは日比谷公園での反戦集会へ出かけ、ピースウォークに加わってくるとしよう。


2003年01月13日(月) 成人式の日

我が家に一名、その対象者がいるのでこのタイトルでひとことくらいは書いておこう。

「成人式はどうするの」
「行かない」
「そう」

行こうか、行くまいか、本人は直前まで悩んだ様子だったが行かない選択をしたようだ。高校サッカーの決勝戦を見に行くという。その方が良い記念になるだろうと思う。いいんじゃない、それで。

こんなことを書くと顰蹙をかってしまうだろうが、夫も私も成人式にはかなりネガティブな感覚がある。夫は自分の成人式当日は自転車で一人旅をしていたし、息子にも「あんなの出るなよ」と言う。私は自分の成人式には出席はしたものの、振袖は着ずに洋服ででかけた。今でもそうだが、成人になったことを祝う式に高額な振袖を着るという習慣がどうにも受け入れられなかった。振袖なんてみんなが着たら同じようにしか見えない。その人らしさなんて隠れてしまうじゃないとばかり、市内のブティックをいくつか回り、自分の感覚にぴったりするドレスを求め、それを着てでかけた。けっして目立ちたくはなかったのに、お陰でえらく目立ってしまった。当時振袖は30万かかるらしかったから親からその半分の15万をもらい、10万をバイオリンの頭金にしてドイツ製のバイオリンを月賦で買い、5万でドレスや靴などを整えた。このところ目方が減ったからあのドレスは今でも十分着れるし、バイオリンもあの時のバイオリンが元にして古い楽器に買い換えることができた。振袖よりはるかに価値があったと思っている。

さて、この日は祝日でもあるし、せっかく仕事もオフなのだからと夫と私はスポーツウエアーに身を固め、20キロのジョギングとウォーキングに出かけた。ジムのマシーンで走っているばかりでは距離の感覚がつかめないからまずは20キロがどんなものか体感してみようと思ったのだ。あまり走らずにほとんど歩いたがそれでもその後ふくらはぎや腰などが痛かった。歩き方や靴にも問題があるのだろう。そこいらを改善してこの次は30キロかな。


2003年01月12日(日) 寄せ鍋を囲みながら

子どもたちが大きくなり、それぞれが自分の世界を抱えていると、同じ家に寝起きはしていても以前のように4人でテーブルを囲むことはめったにない。今日は長男と次男が同じ電車に乗り合わせたようで、ほぼ同時に帰ってきた。夫とわたしはジムへ行き、帰りに買い物をして帰ってきたところでタイミングが良かった。具合のいいことに、今日のメニューは寄せ鍋。生協で正月用の豪華版を注文していたものの、なかなかみんなが揃わないのでまだ冷凍庫に残しておいたものを今朝解凍しておいた。

大きな土鍋に魚介類や野菜を入れ、魚が苦手な長男のために肉や餃子もほおりこみ、絵に描いたような家族団らんにうれしい気持ちになる。しかしだ、そこで交わされる会話がどのようになるのか、はらはらしないこともない。なにしろ怖い父親、大人になったばかりの息子と受験直前で何かとストレスも多い次男。話の展開によっては腹を立てたり、気まずくなったりすることは十分予想できるのだから。

幸い話題は世界情勢の方に向かったので、鍋をつつきながら熱っぽい議論が続く。我が家の男子たち、関東に生まれ育っても友達の間では九州男児で通っているらしく、やたらと熱い。そこへきて夫もけっして譲らない。まずはエキサイティングな鍋であった。


2003年01月10日(金) ベッドに入る前の時間

いつからだろう。
テレビを見るのでもなく、本を読むのでもなく、音楽を聴くのでもなく、ベッドに入る前の時間は決まってPCに向かって打っている。
何かを書きたい、どこかに書きたい、そう思いながらあちらこちら言葉を綴る場所を探してみる。見つからない。ここへやってきたけれど、日記を書くモードにはなっていない。それなのに言葉を綴らなければベッドへ行けない。全く妙な癖がついてしまった。さっ、もう、寝よ。


2003年01月09日(木) ふと遠い記憶が

英語学校の仕事を終え、通勤者であふれかえっている電車に乗る。こんなにたくさんの人。満員の電車に乗り込む時のくせで目は見開いていながら自分の真近にいる人を「見る」ことなくその人々のことに思いを凝らすこともせずに自分の内側だけを見る。誰もがそうしているのだろう。身体が否応なく接近するが故に心を人から遠く引き離すことでバランスを取ろうとするかのようだ。

ところが一方でそれと正反対のことを私たちはネット上で経験している。お互いに遠い土地にあり、どういう顔かたちをしているのかも知らないまま、言葉を通じて深く出会うことがある。そもそもここにこうして書くということ自体、そういうふれあいを、満員電車の中と正反対の関係を求めているのだ。わたしにはそういう傾向がある。そういえば私はまだネットでの交流など考えられもしなかった頃からそういうテイストを持った子どもだった。私が人と深く出会う時には必ずといってよいほどそこに書き言葉が介在した。

初恋は中学1年生、13歳の時だった。相手は同じ中学校の3年生。当時その中学校には読書教育に熱心な先生がいて生徒の書いた読書感想文や詩などを模造紙に貼っては廊下の壁に掲示していた。私が中学校に入学し間もない時に書いた「走れメロス」を読んで綴った詩もそこに貼られていたが、1年生から3年生までのいくつかの作品の中でとりわけ気を惹かれてそこを通る度に読んでいた詩があった。「 ああ、ウェルテル なぜ報われぬ恋を・・・」で始まるその詩は生徒会で時々顔を合わせる3年生の男子生徒のものだった。おそらくは恋というものがどういうものかも知らなかった13歳の少女はそこに綴られた言葉の連なりにまずは恋したのだった。少年が読んで感想を書いていた「若きウェルテルの悩み」や「ジャン・クリフトフ」を読み、また少女も自分も負けずと「ジェーン・エア」や「罪と罰」などを読んでは言葉を綴った。読書感想文と感想画のコンクールに少年と同時に入賞し、並んで表彰台に立ったことがあった。廊下ですれ違いざまに目が合うこともあった。いつだったか何かに引かれるような感じがして後ろを振り返るとその少年の怖いような強い眼差しがそこにあってどきりとした。しかし、憧れの対象でもあり、また目標でもあったその3年生も3月には中学校を卒業し、遠い市内の高校へ通うためにその町を離れ下宿を始めたらしかった。それからしばらくして夏が始まったばかりのある日、一通の暑中見舞の葉書が届いた。美しい文字で書かれたその葉書には筆で書かれた風鈴の絵が添えられていた。3月に卒業していったその先輩からの葉書で、そこには下宿先の住所が書かれていた。葉書にその少年の名前を見た瞬間、きりきりと胸が痛んだことを覚えている。本を読んで知ってはいたが、それはあくまで比喩だと思っていたのに、その時は実際に胸に差し込むような痛さを覚えてうろたえた。その時から少女はその少年に向かって言葉を綴るようになった。いったい何通ほどの手紙を出したのだろう。またどんなことを書いたのだろう。少女も一通づつ増えていく手紙の束を大切に机の奥にしまっては空で覚えるほど繰り返し読んだ。その年の秋だっただろうか少年から中学校の校庭で待っているという手紙をもらい、どきどきする胸をなんとかなだめて、そこへと出かけていった。校庭の周りに植えられている大きなケヤキの木の側に少年は立っていた。卒業以来始めて会った。というより二人だけで会うのは初めてのことだった。ところが手紙ではあれほどたくさんの言葉をかけてきたというのに少年の口からも少女の口からも言葉は出てこなかった。「どうしてだろうね、話せない。」そんなことを少年はぽつりと言って、わたしはそれに返す言葉さえ見つけられないまま黙っていた。そして何も話さないまましばらくそこにたたずんでいたような気がする。何度か約束をしては会ったものの、いつもそんな具合だった。それでも手紙はその後も行き来していた。
15歳の誕生日に20篇ほどの詩を綴った手作りの詩集が送られてきた。私はその中の「すみれ」という詩にメロディーとギターのコードを付けては長いこと歌っていたから今でもその詩だけはすっかり覚えている。
その少年が時折よこしてくる言葉で心を満たしながら、またその言葉に養われもしながら少女時代が過ぎていったような気がする。そしてある日、少女が17歳の秋、遠くの大学へ行った少年から別れの手紙が届いた。その手紙は「あなたは囚われている。もとの自由なあなたに戻るといい。お互い大人になってから会いましょう。」と結んであった。少女はその日、4年の間何よりも大切にしていたその手紙の束を泣きながら焼いた。恐ろしいような喪失感が押し寄せてきていた。あの後、少女はどう時を遡り、少年に会う前の少女へと戻っていったのだろうか。果たしてそんなことは可能だったのだろうか。様々なことがあったのだろうがもう思い出すことはできない。
今朝、仕事へ出かけようと靴を履いた瞬間、もうすっかり記憶の外に置き忘れてしまったはずのその時のことがふいに蘇ってきた。あれからもう30年の月日が過ぎようとしている。私は大人になった、それどころか我が子が成人式を迎えようとしているほどに私は歳を取ってしまった。あの時「大人になってから会いましょう」と書いた19歳の少年はどこかでりっぱな大人になっているに違いない。それなのにその時17歳だった少女は様子だけはすっかり大人になってはいるが今だに「大人」にはなれないままでいる。


2003年01月08日(水) 異なる時空

「もう何日も日記を書いていない。」
何かはっと我に帰るような気持ちでここを開いた。それから真新しい1月のカレンダーに思わず目をやる。わたしがここを開かなかったのはわずか一日だけ。時間はそれ以上は少しも進んではいない。ところがおとといの朝、キースのケルンを聞きながら書いた時からこの朝までの間にとてつもなく長い時間が経過したような錯覚がある。そう、これは錯覚なのだ。しかしどうだろう。人の心には時計の刻む時間とは別の時間が存在するのではないだろうか。人の心が実際自分が生きる場所を遥か離れた別の空間でも時折生きるように。

寝て起きて家事をし、仕事に出かけ、人と話し、なんの変哲もない日常の中できちんとアリバイを残しながらも、わたしの心はその場を離れてどこか遠くの空間と時間の中をさまよっていたような気になる。浦島太郎にとってはは僅か数日(数ヶ月だっただろうか)が実際には100年もの長い時間だったが、わたしの場合はわずか2日ほどの時間の間に数ヶ月を費やしたような旅をしてきたような感覚がある。内的な旅。

昨夜遅く、実家の母から知人2人の訃報が入る。
お元気な頃の顔を思いうかべてみる。もうずっとお会いしていないその方が、そのうすぼんやりしていた印象が急に鮮明なものに変る。この世界にはもう生きてはいらっしゃらないのだけれど、その印象は今までになくくっきりとした輪郭を持ち、こちらに迫ってくるような感じさえする。肉体を離れて魂だけの存在になられたからなのだろうか。

主の平安を。


2003年01月06日(月) 「ケルン・コンサート」が鳴っている

昨日の夜遅く、言葉を綴っている時に耳の奥でいや心の奥で突然キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」が鳴り始めた。キースが即興で演奏したものを記録したその音を私はこの二十数年の間に数限りなく聞いているのでその音はもうすみずみまで身体の中にインプットされている。始めは自分の身体の中で鳴っている音を聞いていたものの、どうにもその音を聞きたくて大量のCDの中からあせりまくって探した。「今この音が欲しい」とそういう衝動も珍しい。今朝になってもケルンは鳴り止まない。きらきらした冬の日の太陽の陽射しに良く似合う。昨夜は深く青い海の底を漂っているようだったが。

この音を聞きながら家事をやっつけるつもりでいたが、この音に言葉が触発される。思わずPCを開いてしまった。

言葉と同じように深いところに入ってくる音がある。
音というよりは スピリット。それが駆け抜ける。身体を?いえ魂を。この空間や時間を遥かに突き抜けた果てしないわたしというものの中を。心はあそこに広がっている青い空よりも高く飛翔し、宇宙の中を泳ぎはじめる。


2003年01月05日(日) 顕現主日

 今日は顕現主日。東方から旅してきた3人の博士(占星術の学者)が幼子イエスを訪ねあて黄金、乳香、没薬(もつやく)の贈り物を奉げた日。クリスマスはこの日を持って終わる。アメリカ滞在中に行っていたルーテル教会ではこのエピファニーサンデーにはプロの演奏家を招いたり、アンサンブルを組んだりして特別な音楽礼拝が持たれていた。音楽の捧げ物といった意味からであろう。私もクワイヤで歌ったり、パイプオルガンとフルートと共にバイオリンを弾いたりした。コンサートではなく奉げ物として演奏できることが感謝だった。

 今日は礼拝の中で聖書の朗読をしたのだが、夕べ寝る前に朗読の練習をするべく聖書日課を開いて驚いた。第一日課の旧約聖書の箇所が、元旦の朝に与えられた「起きよ、光を放て」で始まるイザヤ書60章だったからだ。不思議な一致だった。今日は特別に心をこめて朗読した。朗読の捧げ物。

 説教の中で聞き取ったこと。3人の博士は異邦人であった。その異邦人たちが、生まれたばかりのメシヤ(救い主)を拝みにはるばる旅してきた。ただ漠然と星の後を追って旅したのではない。行く先々でメシヤはどこで生まれたのかと聞き、探し求めて訪ね当てたのだった。そうして星は博士たちにその場所を指し示すように幼子の真上に止まったのである。私たちは神に反し、自らの内には何も正しいものを持っていない「異邦人」。しかし、「異邦人」としておのおのの仕事をしっかりとしていく時、その上に福音が与えられ、導きが与えられる。神の働きは不思議だが確かで確実なもの。キリストの上に止まった星を見定めてそこのところに立つということ。

 探し求めていこうと思う。その幼子の上に止まった星を見上げていこうと思う。


2003年01月03日(金) 元旦の朝

いつも元旦の朝の空気は何か特別な感じがしていた。その特別な感じが今年の元旦に感じられなかったのは前の晩、まだ起きているという夫に後片付けを頼んで元旦のテーブルを整えるのは翌朝すればいいとさっさと寝てしまったからだろうか。それとも私の気持ちが他のことに気を取られていて元旦の朝のことに集中していなかったせいだろうか。

気持ちが正月モードに切り替わっていなかったことを反省しながら重箱に紅白のかまぼこや漬け込んでおいた数の子、黒砂糖で煮たふっくらとつややかな黒豆、れんこんやごぼうやたけのこをとり肉といっしょに炒り煮した筑前煮などを詰めていく。コンロにかけた大鍋には昆布と鰹節で出しをとった雑煮用のつゆがぐらぐら煮えている。そこに白菜ととり肉とを入れてから、椎茸を水で戻していなかったことに気が付く。いつもなら前の晩から戻しておいたのに。わたしが少しあわて気味に支度をしているとそれを察した夫が誰が来るわけでもないんだからのんびりやるといいんだよと言う。確かに誰が来るわけでもない。どこへ行くわけでもない。しかも長男はカウントダウンのパーティーからまだ帰っても来ていない。3人だけの元旦なのだ。

昼近くになっておせち料理を並べた祝いのテーブルにつく。私の実家では鏡餅をめいめいが持ち上げたり、三々九度の杯でお屠蘇をいただいたりと年取りの儀式めいたものがあったが、私はそれをやらずにもっぱら夫の母がやっていたことを受け継いでいる。おせち料理や酒で新年を祝う前に聖書を読んで祈るというきまりごと。結婚して初めて夫の実家で元旦を迎えた時、それはちょっとしたカルチャーショックだった。夫の母は元旦の朝、愛用の聖書を取り出しておそらく事前に用意し、しおりをはさんでおたのだろう、さっとページを開くと聖書の言葉を朗読し、声に出して祈った。心にしんと染み渡ってくる言葉だった。いつもこまめに義父の世話を焼き、あまり表に出ない義母にこの時にはそのきまりごとを取り仕切る毅然としたリーダーシップを感じた。そして新しい年を聖書の言葉と祈りとによって始めるというこの家のしきたりに感動を覚え、これはぜひ見習わなければと密かに思ったのだった。

さて、しかし私はいつものことだが、用意が悪い。「あっ、待って、聖書を読むんだった」と箸を持った夫と次男にマッタをかけた。この上、どこを読もうかと迷うことは許されない。しかたなく「えいやっ」とばかりに聖書を開きそこを読んだ。元旦の朝いただいた言葉はイザヤ書60章だった。
ほんとにこんないい加減な私にも神様はこの1年に始まりの朝にふさわしい祝福の言葉をくださった。
ここに記しておくことにしよう。


イザヤ書60章<栄光と救いの到来>より

起きよ、光を放て。
あなたを照らす光は昇り
主の栄光はあなたの上に輝く。
見よ闇は地を覆い
暗黒が包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で
主の栄光があなたの上に現れる。
国々はあなたを照らす光に向かい
王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。
目を上げて、見渡すがよい。
みな集い、あなたのもとに来る。
息子たちは遠くから
娘たちは抱かれて、進んでくる

・・・・・・・・
太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず
月の輝きがあなたを照らすこともない。
主があなたのとこしえの光となり
あなたに神があなたの輝きとなられる。
あなたの太陽はふたたび沈むことなく
あなたの月は欠けることがない。
主があなたの永遠の光となり
あなたの嘆きの日々は終わる
・・・・・・・




2003年01月01日(水) 年明け

かなり波乱万丈だった2002年が行ってしまった。
2003年の始まりに思いを凝らし
この年歩み出す方角を見つめようとしてみる

去年の始まりにその後に続く事柄が予想できなかったように
今、新しい年に起こる出来事を予想することは難しい
進みたいと思う方向に行けないこともあれば
意図しない方向を走っていることもあるのだから

どんな所を歩くにしても
精一杯わたし自身に正直に
上にいらっしゃるお方とアイコンタクトを取りながら
それでいて何にも囚われることなく
自由に
羽を広げて
飛ぶ


たりたくみ |MAILHomePage

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