たりたの日記
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雨だ。 今日はジムに行くのは止めて、家の仕事をしよう。 衣類の入れ替えもしなくてはならない。
夕べ予告もなしに突然イタリアから戻ってきたHはまだ2階で寝ている。 起きてきたら旅の話も聞くことにしよう。 イタリア人からドラゴンボールとかサイヤ人とか言われたらしい。
こんな朝にどんな音楽を選ぼう。 波多野睦美さんとつのだたかしさんの「イスパニアの歌」のCDをかける。 心にひだにヒタヒタと沁み込んでくるメランコリックな響きが今の気分。
イタリア、スペイン、ヨーロッパの国々を放浪したい気持ちが高まる。 旅行でもなく観光でもなく放浪がしたい。 修道院やコミューンにしばらく滞在する、あるいは安いアパートを借りて しばらく住む。 その町のパンやでパンを買い、花を買い、公園に座って行過ぎる人々を眺める。 スケッチブックを広げて絵を描いたり、ノートにジャーナルや詩を書き込む。 いずれ、そんな日も来るだろう。
10年も前のアメリカでのことを、友人のDとの日々を文章にしている。何度も書こうとしたがまとまった文章になることはなかった。あまりにたくさんある事象や想いのどこを切り取ってよいものやら分らなかった。 私自身がDの年齢に達して、また時間にろ過されて今なら言葉が紡げる。
過ぎていった時間とこれからの時間を見つめながら、 現在進行形のことがらに想いを凝らしてみる。 今の時が数年後にどのような形で結晶するのだろうか。 美しい結晶になるように・・・ そのためには心を澄ませて、 自分に対しても自分以外のことに対しても、 偽りの濁りを混ぜることなく。
| 2002年09月27日(金) |
NPOつくしんぼ会 理事会 |
今日は新たにNPO法人となった「つくしんぼ保育室」の第一回理事会の日。 夕食を済ませて8時に家から目と鼻の先にある「つくしんぼ保育室」に出向く。庭の隅の砂場には子供たちの遊んだなごりのおもちゃが残っている。そこにまだこどもたちの空気が留まっているような気がして、ふっとなごやかな気持ちが訪れる。
保育室に6人の理事と監事が集まり、認可保育園へ向けて動きだすこと、あたらしい事業や行事について話合う。私は本来、こういう会議が苦手だ。大体がすでに決まっていることの承認に終わり、話合いの中から何か新しいものを見出したり、お互いの意見を交換する中で何かを変えていくといったディスカッションなどにはあまり遭遇できない。しかし、今NPOの法人になったばかりの保育室は何もかも手作りで思考錯誤。ここのリラックスした雰囲気も好きだし、園長のTさんの保育所経営の仕方や保育の考え方にも共感しているので、ここでの会議はそれなりに楽しい。
さしあたっての私の仕事はNPO法人設立のお祝いを兼ねたバーベキューで歌うこと(あるいは歌わせること)。また子育て支援基金の申請をするための行事として、これまでのあそぼう会のような英語の歌と遊びの会を週一度の割合でリードすることの検討とその事業案の作成。
ああ、でも、また仕事を増やしてしまった。
| 2002年09月24日(火) |
仕事帰り、ジムへとびこむ |
今日はどうにも我慢ができなかった。 予定を変更して、仕事帰りにジムにとびこむ。 私という人間はよくよく我慢というものができない。思い立ったら即、行動。 どうやらジム通いは本格的に中毒になっているらしい。
毎週火曜日はお互いの仕事が引けてから夫とジムへ行っているが、この日は彼の帰りが遅くなるというので、ジムに行く支度はしないで仕事に行った。夕食の支度もしないで出てきたので、次男のために食事もつくらねばならぬ。先週の木曜日から運動していないので身体は運動したいと訴えているが、しかたない、今度の木曜日まではおあずけだとあきらめた。
ところが仕事中に携帯にメールが入り、次男は文化祭の打ち上げで食事はいらないという。それなら私の身体は空くではないか。「ジムへ行っていい?」とメールを打つと「いいとも」といううれしい返事。しかし、夜遅く農道を自転車で走るわけにもいかないので、いったん家に帰ってから支度をしてバスと電車で出かけようと家に向かうホームで電車を待っていた。が、電車が目の前に止まった途端に気が変った。家に帰らずにそのままジムへ行こうと。切符を払い戻し、反対側のホームへ回り、電車で一駅行き、そこからジムのある駅まで直行することにした。そうすると一時間は早く行ける。つまり一時間よけいにジムにいられるのである。
靴とウエアーはジムからレンタルし、洗顔料や化粧水は「お泊りセット」として一日分がまとめてパックしてあるものをコンビニで買えば良い、着替え用のパンツだって売っているはずだ。駅のハンバーガーショップで夕食を取り、電車に乗る。いつもは大きなバックにいっぱい道具を詰め込んで行くが、何にも持っていなくてもなんとかなるものだ。この際、レンタル代等の余分な経費には目をつむる。ストレスを解放することの方に価値を置こう。そう、今や私にとってジムは何よりのストレス発散、休息にさえなってしまっている。
ストレッチ代わりにヨガをした後、ランニングマシーンで30分走る。その後、10種類のトレーニングマシンを15回づつ2セット。最後に9時半から10時半までのファットバーンというエアロビクスをする。びっしょり汗をかく、身体はふらふらしているがこの幸福感には何とも言い難いものがある。夫が11時30分に迎えに来てくれるというので、それまでにシャワーを使い、サウナにも入った。
いったい、私は様々な中毒症状を経験しているが、こんな中毒に巡り合おうとは考えてもみなかった。来年当たりはひょっとしてホノルルマラソンに出てたりして・・・・
| 2002年09月23日(月) |
アメリカンブルーの咲くベランダで |
今朝私が目覚めた場所は都内のマンションのベッドルームだった。 夕べ、ミュージカルの練習とそれに続くミーティングの後、私は皆と別れて一人池袋で下車し、雨の中、Jの待つマンションへと向かった。
夕べはJが用意してくれていたおいしいワインを飲みながら夜中の2時まで話す。昔のこと、今のこと、そしてこれからのこと。Jとは4月に会ったきりだったが、こうして話してみると日々顔を合わせて過ごしたような親密さがある。
思えばJと初めて会ったのはお互いに33歳と36歳の時、その時からこうしてテーブルの向こうとこちらに座って長い時間話し込むというのがわたしたちのつきあい方のスタイルでもあった。Jと話している時はこころなしか私の声が低く、テンポもゆっくりとなる。それは無意識のうちにJの低く響く声やゆっくりしたものいいに影響されるからなのだろう。
朝、Jはまだ眠っている。私はそっと起き出しベランダのカーテンを開ける。 ベランダのハンギングバスケットにはアメリカンブルーがみずみずしく咲いていた。大きなテラコッタの丸みをおびたポットに立てられた黒い鉄製のオベリクスにはピンク色の朝顔が野生的に巻きついている。植物が我が物顔でおもいきり自然にのびのびと息づいているそのベランダの様子は細かい手入れが行き届かない我が家のガーデニングのテイストと良く似ている。わたしたちに共通するものがこの植物たちの中に見えるような気がした。
間もなく起きてきたJとキッチンで朝食を用意し、ベランダへ運ぶ。いろんな種類のフルーツの盛り合わせ、トーストとピーナツバター、ジンジャークッキーとコーヒー。朝食時の会話はもっぱら植物のこと。地味な花と言われるアメリカンブルーの青と葉の形、その枝の様子がなんと素敵かとその花のことを誉めそやし、冬越しや増やし方のことを話す。Jは仕事から帰ってきてベランダの植物に水をやる時ほっと癒されるという。そして深夜にひとりでベランダの植物をながめて時間を過ごすことがあるという。その感覚、良く分かる。私はこの夏、ジム通いを優先させて植物たちとの交流をおろそかににしていたことを反省した。
会った頃はパートナーといっしょだった彼女は今は身軽なシングル。子供たちもはや大きくなり、親という役割からも自由になりつつある。彼女の波乱万丈は私も知るところだが、様々なことを過ぎ越し、Jはその度に大きく、逞しく、そして軽やかに変身を遂げていった。もともと日本人離れした美しい女性だが50を前にして余分なものが抜け落ち、美しさに深みと優しさが加わっている。私より少しだけ先を歩いているJを見ていると歳を加えていくことが素敵なことのように思えてくるから不思議だ。私も負けずに美しくなろうと思う。
昨日の日記には午前中のことだけしか書かなかったが、午後は午後でまた魔法のような時間ではあった。
この日の午後はミュージカル「森のおく」の中の歌で私が作詞と作曲を受け持った「どこにいるのこねこ」の編曲と、やはりミュージカルのエンディングの「会えてよかった」の編曲をWさんにやっていただくというもうひとつの仕事があった。保育室のピアノを貸していただけるというので、あそぼう会が終わるとそのまま作業に入った。
といっても私はイメージはあっても複雑なコードの知識はないし、アレンジのテクニックは持ち合わせていない。Wさんがそれこそ魔法のように取り出してはピアノに歌わせる様々なリズムや和音やフレーズを、「あ、それ、いい」とか「もうちょっとゆっくり弾いて」とか「ここはこんなイメージで」とか注文をつけるのだからいい気なものである。
「どこにいるのこねこ」には2重唱のシンプルな旋律の歌にクラッシックではあまり用いられないしゃれた和音が重ねられ、フレーズの切れ目では右手でジャズ風の流れるようなフレーズが加えられる。こういう和音やフレーズは私の中からはとうてい出てこない。イントロは思い切って装飾音を省き、暗い森の中に分け入っていくどきどきしたリズムと暗い和音でまとめてもらう。私が作った歌が立体的で奥行きの深い音楽になっていく過程はエキサイティングだった。
エンディング「会えてよかった」をミュージカルのラストシーンらしく盛り上げるためには、どうすればいいだろうと試行錯誤し、早いテンポの歌を繰り返しの前でいったん切り、そこから思い切ってテンポを落とし、伴奏はアルペジオに変わる。そして最後の部分はさらに2倍にテンポをひきのばす。Wさんはそこを左手のトリルでおもいっきりドラマティックに盛り上げていきながら、顔には苦笑。
「これってクサクない?」
これはジャズをやる方の当然のリアクション。お気持ち分ります。
「そうね。でもミュージカルって、そもそもがクサイものなのよ。いかにもブロードウエイっていう感じよ。このエンディング」と、私。
自分たちの音楽のテイストとはちょっと離れても、舞台のラストで音楽にどのような効果をもたせるか、気持ちはそこへ向かう。
ところで最後の曲の伴奏でWさんが選んだのはサンバのリズムだった。これは軽やかで躍動感がありでラストに全員で歌うにはぴったりなのだが、もともとテンポの速いリズムなのでそのテンポのままだと言葉が追いつかない。歌うということにポイントを置くとどうしてもサンバの通常のリズムをいったんゆるやかなテンポのボサノバ風に変える必要が出てくる。しかし2ビートで取っていたリズムをいきなり4ビートでと言うのは簡単だが弾く方としてはそんなに簡単にはいかない。苦労してやってくださる。
せっかく創った音、採譜する前に忘れてしまうことだってあるかもしれない。保育室の脇で泣き喚く子供や遊ぶ子供の声が混じっても仕方ない、MDで録音してとりあえず、今日の作業は記録することができた。保育室の園長のTさんが「よくがんばるねえ」とコーヒーと梨の差し入れをして下さる。朝9時半にこの保育室に入ってからすでに10時間が経過していた。Wさんはその間中ピアノに向かい、私はその間ずっと歌っていたことになる。傍からは、クレイジーに見えたことだろう。
昼の休みも取らないままだったので疲れているはずだが、創造的なことにかかわることができたさわやかな充実感と達成感があった。
| 2002年09月20日(金) |
9月のつくしんぼう保育室 |
2ヶ月に一度、つくしんぼ保育室の「あそぼう会」にお招きを受け、英語の歌と遊びを担当しているが今日は10回めの会だった。
仕事で3歳児から中学生まで英語のクラスを持っているが、つくしんぼ保育室のあそぼう会は、その日にどういう人が来るのか、どういう年齢のどういうバックグラウンドの人が来るのか見当がつかない。英語学校でいえば、宣伝のためのオープンハウスのようなもので私とすればかなり緊張するシチュエーションだとも言える。
9時半からジャズピアノのWさんと打ち合わせをすることになっていたので早めに出かけた。小さい子を連れたお母さんたちが次々にやってくる。見知った顔もあるが、初めてお見かけする方もいる。むむっ、なんと外国人、それもいかにも英語圏の白人の若いお母さんが白人の子供を抱えて入ってきた。
ここで立場を変えて考えてみよう。もしもアメリカの幼稚園で、アメリカ人が日本語の歌や遊びを教えるというイベントに日本人の私はどんな気持ちで出向いて行くだろうか。日本語を教える外国人がリードするその場に日本語を母国語とする私が居合わせることは気づまりではないだろうか。何より、そのアメリカ人は日本人の私の存在を心地よくは思わないだろう。
いやだなあ、こういうシチュエーションと内心思う。さらには彼女の友達と思しき、ママたちの取り巻きもある。しかし、ここで小さくなっているわけにはいかない。私の英語がネイティブのそれとは格段に差があったとしても、ここでは講師の立場なのだから厚かましく、講師の役目を貫くほか仕方ない。
私はその白人の女性に近づいて行った。話してみると、3年前にこの町にEATとしてオーストラリアから赴任してきた英語教師の奥さんだということだった。ご主人には一度面識があるし、我が家の次男も中学校でお世話になった。 ネイティブスピーカーを前にして英語の歌を教えたり、絵本を読んだりするのは緊張すると笑っていうと、彼女は気持ちは分るけど、気にしないでと少女のような屈託のない笑顔で言う。始まる時間まで色々話すうちに、すっかり警戒心も解けてしまった。
さて、目の前に子ども達のつぶらな瞳がずらりと揃うと、私は途端に魔法がかかったようになる。この際、大人はもう目に入らない。子供たちを楽しくさせること、子ども達のハートを掴むことが関心のすべてになる。いつものようにWさんのピアノがその空間をセサミストリートの世界に変えてくれた。これもまたマジック。さわやかな秋の日の午前中、暖かい陽射しの中で魔法に満ちた豊かな時間が過ぎていった。
| 2002年09月19日(木) |
美しい歌とリュートの夕べ、ごいっしょしませんか |
題名の通り、今日の日記はコンサートのお誘いです。
4月26日の日記に波多野睦美さん(メゾソプラノ)とつのだたかしさん(リュート)のコンサート「イスパニアの歌」のことを書きましたが、今回は「ルネッサンスの肖像」というタイトルのコンサートが催されます。 秋の夜長にもってこいのコンサート。今から楽しみです。 ここのHPのリンクでもお知らせしているお二人の音楽、ごいっしょに楽しみませんか?
このHPのリンクにある ダウランド アンド カンパニーからコンサートの情報がアクセスできますが、私にメールなどでご連絡くださればチケットの手配いたしますのでお知らせください。
<ルネッサンスの肖像>
リュートと声が響きあう時、詩の中からさまざまな人物がもう一度息を吹 き返し、立ち上がり、愛を語り始める。よみがえる音楽の肖像の一夜
日時 10月31日(木)7:00pm
場所 浜離宮朝日ホール �筺。娃魁檻毅毅苅院檻牽沓隠� 東京都中央区築地5−3−2 朝日新聞社東京本社内 http://www.asahi.com/asahihall/
都営地下鉄 大江戸線 築地市場駅A2出口
チケット 全席指定 4000円 朝日ホールチケットセンター 03(3267)9990 チケットぴあ 03(5237)9990
波多野睦美 (メゾ ソプラノ) つのだたかし(リュート・バロックギター)
曲目
J.ダウランド / 彼の金髪も 流れよわが涙 C.モンテヴェルディ / 苦しみは甘く J.マリン / タホの山々よ、聞いておくれ T.メルラ / 聖母マリアの子守歌
ほか
我が家の少年Hはこの夏めでたく20歳を迎えたのでもはや青年Hとなってしまった。
彼はちょうど今、イタリアの地に降り立った頃だ。昨日夕方のチャイナエアラインでイタリアに向かったが、今に至るまで事故のニュースも聞いていないから、まずは無事に目的地には着いたのだろう。
8月いっぱい、夜遅くまでアルバイトをし、旅行の費用はなんとか捻出し、前回ヤップ島へもいっしょに行った相棒と2人で旅する計画を立てていた。何しろ、彼は毎晩深夜の帰宅で、朝は家族が出払ってから起きてバイトに行くという生活をしているのでそもそも顔をあまり合わすことがない。準備はどうなっているのか、旅の行程はどのようなものか家族はおおよそ知らない。
出発の日はさすがに私が出かける前には起きてきた。これから旅の支度だという。家を出るまでに2時間もあるのだから余裕だというのだが、2週間も海外に旅するのに、出発前の数時間までパッキングもしないというのは私としてはとうてい考えられない。だいたい荷造りもしないでおいて旅の前の晩、熟睡などできる神経が信じられない。
昨日息子が荷物を詰め込んでいた大きなバックパックは子ども達がまだ小さかった頃、夫と私とで担いだフレーム入りの馬鹿でかいしろものだ。そのバックパックを担いで子供たちの手を取り、フランス、イタリア、スイス、ドイツと20日ほど旅した。イタリアはフィレンッエ、ローマ、ベニス、ミラノを回った。見て回るところは教会と城と美術館だから子ども達はもううんざりしてしまってイタリアには良い印象はなかったようだったが、Hがヤップ島の次に行く場所をイタリアと定めたのはどういうわけだったのだろう。
私たちがイタリアを旅していた時、国鉄のストライキに出くわし、ミラノの駅に一日中留め置かれることがあった。駅はバックパックをしょった若者で溢れていて、私たちも彼らと同様のいでたちだったから同様にフロアーにぺったりと座りこんで、世界各国から集まってきているであろう若者たちの様子をそれとなく観察していた。その時、今は私たちにくっついて歩いている我が子たちが、やがて自分でバックパックを背負ってこの駅に来ることがあるかもしれないと話したことが蘇ってくる。あの日から今日まで確かに長い時間の経過があったのに、何かひとっとびで来たような気になってしまう。
あの過ぎていった遠い日のミラノの駅での時間が今、イタリアの空港に降り立ったHの時間と繋がる。さて、彼は今日から2週間ばかりの時間の中でどのような冒険や出会いをするのだろうか。私もまたそのうち出かけよう。そしてあの時の時間と新しい自分を繋げよう。今度は引いて歩く子供の手もない。旅はさらに快適だろう。重いバックパックでも担げるように今ジムに通って運動に励んでいることは良い選択なんだという気がしてきた。
昨日はそれまでのいわば引き篭もり状態からいかに一変した生活をしているかを書いたが、ジム通いだけでなく、ミュージカルの練習もまた今年の「スペシャル」だ。一見社交的に見える私だが、ここ5,6年、人といっしょに何かをやることは絶えていた。やるのなら自分ひとりでやった方が楽だし、ことが芸術とか創作にかかわることを複数の人と共にやることは私にとって至難の業のように考えていた。ところがこの春より、いえ昨年の10月より、ミュージカルの練習に行っている。ここ数ヶ月間は毎週4時間の練習が入っている。ここのところ練習会場が代々木のオリンピック記念会館なので、毎週、都内へ足を運ぶことになり、都内になど年に数度の生活は一変している。
さて、9月からいよいよ芝居の練習に入った。歌の方はボイストレーニングも受けていたし、音楽科での経験もあるが芝居は中学校の時に文芸部でやって以来だ。演技力はあるつもりでいたが、なかなか思うようにいかない。演じるということの基礎がつかめていないような気がする。どのように練習をしていけばよいのか演じるということについて認識を深めなければという気がしている。
今振り返ってみるとこの4月まで、私は週に数日仕事で外出する他はともかく家に居た。一歩も外で出ないまま過ごす日も珍しくはなかった。あれは軽い引き篭もり状態だったのだろうか。
その反動なのだろうか、あるいはこれまで極度に運動を厭ってきたことの反動なのだろうか、時間があれば自転車を飛ばしてジムへと行きたい衝動がある。身体を目いっぱい動かして汗をかきたいというこれまでに身に覚えのない衝動に、どうせ長続きはしないだろうから今の時を大事にしようと思っているところがある。
昨日は朝からエアロビックスを3本立て続けにやった。一本目のラテンエアロは初めて挑戦したが、ステップはえらく速く複雑で運動量も半端ではなかったが、あの血が沸き立つような感覚は嫌いじゃない。もはやハマってしまった感がある。 黒砂糖で血糖値が下がるのを防ぎながら昼食も取らないまま夕方帰宅する。
運動に慣れている人のペースに思わず乗ってしまった。私よりも年上の人がやっているのだから自分もやれないことはないと無茶をしてしまった。 案の状、今日は身体がだるく、休めというサインを出している。この日の夕方の約束をお断りし、夕食の支度の時間まで横になる。
ジム通いは身体を使うということで無茶をしたが、その前日は朝から教会へ行き午前中歌を練習し、その後、英語クラスを3クラス持ち、クラスが終わるやいなや菓子パンをかじりながら次回のクラスの準備をしその後7時から9時まで教会での教理クラスに出た。この日はずっと緊張を解かないままでいたせいか精神が高ぶって、明け方近くまで眠れなかった。これも無茶といえば無茶だった。
気持ちが外へ外へと向かうので、ついつい度を越してしまう傾向があるようだ。自分の限界を無視してはいけないと反省している。もう12時だ。明日はミュージカルの練習。寝なくては。
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いつも日記をよんでくださっているYさんから、昨日の日記のことで2つ質問があった。 私はもともと対話が好きなのに、掲示板も休んでいるし、他の掲示板でも書き込みを避けているので、対話というものがあまりなくなっていた。 質問に答えることでもう一度自分の考えを確かめてみることができる。 Yさんにはメールを出したが、彼女のお許しもあったのでここに質問と答えを書いておくことにしよう。
Yさんからの質問 1
キリストは、その女性の信仰心を、「試した」のですか。 なぜ、その必要があったのでしょう。
私は試すというところにイエスの気持ちがあったとは思いません。 試したのではなくて、この母親に一歩踏み込もうと、より深い出会いを試みたのだと思います。いわば、表面的な関係のままにとどめることなく、深い出会いを意図されたのだと。
母親は娘を救いたいがために藁をも掴む気持ちでいます。 実際、イエスのまわりにはイエスが最も伝えたいと思っておられた「魂の救い」など、どうでも良く、単に目の前の不幸から解放されたいという現世利益的なところでイエスの後につき従う多くの群衆に常時取り巻かれていたと思うのです。イエスは痛みを分る方でしたから、可能な限りの癒しの業をされたのですが、そんな中にあっても、目的は「癒すこと」「治すこと」ではなく、人々が神のもとへ帰るということ、自分の罪を悔い改め、渇くことのない命の水を得ることだと、福音を語ることを第一にされてきました。
イエスの目の前にこの母親が来た時に、イエスは直感でこの女の信仰の大きさを感じたのだと思います。けれど、単にここで治してやったなら、彼女がおそらく自分でも自覚していな魂の大きさを明らかにすることもないまま、周りの人間にもさして影響のないまま大勢の群集のひとりとしてイエスのそばを横切るものでしかなかったでしょう。
イエスはこの女の内側へ一歩踏み込むために、彼女にあのような拒否の態度を取ったのではないでしょうか。いえ、イエス自身、その女性がどれほどの人間なのか興味深いものを抱いていたのだと思います。そして、返ってきた言葉に、「やはり見込んだだけの女性だった」と思われたのではないかと思いす。 母親はこのことで娘が癒されたということ以上にイエスと人格的な交わりを果たすことができたのだと思います。このことが弟子達や他の群衆にとっても大変印象的なできごとだった故にこうして、2000年後まで語り伝えられる こととなったわけです。
ソクラテスではありませんが、その人の本質を引き出すために、わざわざ質問や反論をして弟子との間の対話を深めてゆくそういった教育的な配慮もそこにはあったのかもしれません。
Yさんからの質問 2
それから、たりたさんが「食い下がろう」と思えるほどの相手かどうかを、 どうやって見分けるのでしょう。
・・・・・・・
魂ってなんなのでしょう
私の魂の欲するところに従って、と申し上げたらいいでしょうか。 人間的なところでは、もうその人やことがらと無関係に生きたいと願っても魂の深いところで、その人やことがらとのかかわりを続けようとする自分を越えた意思のようなものが働くことがあります。
信仰を持つこと、教会を選んだり、そこに関わろうとすること、ボランティア 活動や仕事なども同じレベルにあるように思います。楽ではない道をあえて選ぶ時に起こる心の動きということも言えましょうか。
突き詰めて言えば、私が選んだのではなく神が目の前に置かれた人、あるいはことがらだと私が感じているかそれが見分けることの基準になっていると思います。
魂ってなんなのでしょうね 言葉で説明しようとしてもうまくゆかないような気がします。
神と出会う心の場所。 その人のコア、光の源。 肉体は滅びても消滅することのないもの。
いろいろに言い換えてはみますが、、、、。
Yさんへの質問にはこのようにお答えしたが、私としてはまだ答えきれていない感じがあって、昨日もこのことを考えていた。良い質問をいただいたと思う。きっといただいた質問はずっと暖められることになるのだろう。
ちなみに「カナンの女」についてはヤフーで検索すると145件も出てきた。様々な聖職者や学者、クリスチャンたちがこのテーマについて書いている。わたしが昨日と今日にわたって書いたものはあくまで私の読み取りに過ぎない。関心をもたれた方はアクセスして他の方の考えも読んでいただきたいと思う。
| 2002年09月08日(日) |
食い下がっていく強さ ー カナンの女 |
その母親はイスラエル人から疎んじられているカナン人、異教徒であった。 自分の娘が訳の分らない病に取り付かれている。何とかして娘から悪霊を取り除いてやりたいと八方手を尽くしたが駄目だった。 いったいどこでイエスのことを聞きつけてきたのだろう。母親はイエスに望みをかけ、イエスを目にすると大声で叫んだ。
「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と
なぜなのだろう。どんな時にもただちに病を癒されるイエスはこの母親を無視し、それでもしつこく哀願する母親に言うのである。
「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」と。
母親は頼みの綱であったイエスに拒否される。 いったい、信頼している人間から拒否されるほど、失意の底に突き落とされることがあるだろうか。 しかも、その当時、犬は汚れたものとしての扱いを受けていた。イスラエル人を子供たちといい、この異教徒の女は犬よばわりされたのである。
「ふん、この偽善者。愛を唱えながら、あんたはイスラエル人しか助けないというのかい。みそこなったね。」 期待が大きければ、信頼が大きければなおされのこと、イエスにこんな悪態でもついて、そして信頼を寄せた自分自身にも腹をたて、早々のその場を立ち去る。これが普通の人間の取るリアクションではないだろうか。
しかし、この母親はそういう態度には出なかった。 彼女はきっと真っ直ぐな眼差しでイエスを見据えて、「あなたは決して私を見捨てない」と目で訴えながら言ったのであろう。
「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」とイエスに応答する。
この母親に対してイエスは言った。
「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」
そして娘の病気はいやされた。
私は昨日の日記で「玉の緒よ絶えなば絶えね・・・」などど短気な自分を披露した。幸いにも人との関係に終止符を打つなどという早まった行為にも及ばず、いつものようにそのことを通して自分を反省し、愛するということを学ばされたのだが、それでも昨日の今日であるだけに、おろかな我が身と引き換え、この母親の冷静さ明晰さにはっとする。
彼女はイエスの表面に現れた言葉だけを受け取ったのではなかったのだろう。その言葉を発するイエスの向こうに決して彼女を拒否することのないイエスの愛をすでに見て取ったのではないだろうか。言葉だけを受け止めて逆上することなく、イエスの本質を見抜き、そこのところに食い込んでいったのだと思う。食い込んでいく、つまり、表面的な繋がりではなく魂と魂との出会いをそこで果たしていこうとその人間の内側に飛び込んでゆくというかかわり方。
イエスはこの母親の信仰を立派だと評価する。この立派という言葉はギリシャ語でメガネーといい、大きいという意味に相当するという。彼女の信仰はほんとうにダイナミックだ。ポキンと折れてしまうことのない、しなやかでしたたかな信仰。
けっしてあきらめないで食い下がっていく、どんな状況の中でも相手への信頼を失うことなく、その人の魂と繋がろうとする。そのようなしなやかさを、そして強さを自分のものにしたいと思った。
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マタイ15章21〜28 ◆カナンの女の信仰 15:21 イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。 15:22 すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。 15:23 しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」 15:24 イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。 15:25 しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。 15:26 イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、 15:27 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」 15:28 そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。
| 2002年09月07日(土) |
玉の緒よ 絶えなば絶えね |
わたしという人間は人にどう映るものなんだろう。 相当にイージーな人間と思われているのではないかという気がする。 確かにわたはどこか怒るのに遅いというところがある。反応がにぶいのか傷つく言葉や行為に対面しても、その時はわりと平気でにこにこしたりもするし、傷つかない、動じないというスタンスをあえてとってしまうことがある。しかしそれと裏腹にしばらく時間が経つほどに相手の不誠実が身に凍みてきてそのことに侵食される。いえ、本人は不誠実などとは思っていないのだろう。わたしだったらこういうことはできないとあくまでも自分を物差しにした相手の不誠実さで、人それぞれ物差しの基準は様々なのだから。
近い関係にある人、たとえば親友とか、それに準じるような関係の人間に対してその傾向は強くなるのかもしれない。過去にそういう極限のストイレスの中で自ら交友関係に終止符を打った苦い経験が蘇ってくる。 相手の目の前で自分のストレスを明らかにした上でバチンとハサミを入れる。当然の決別。 20代の時にも、30代の時にもそんなことはあった。そしてその度に人と近くなることに恐怖心も抱き、傷つかないためには人と距離を保つということを信条にもしてきた。
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする
これは恋の歌らしいが、忍ぶ恋などとは無縁に、自分の堪忍袋の緒が切れそうになる度にこの短歌が耳元で鳴り始めるのだ。 切ってしまえ、お終いにしろ、ストレスから解放されよと
しかしもうさんざん学習は積んできたはず、もう同じ苦々しさは味わいたくはない。 切らずして自分をそこから離すことにしよう、にっこりと笑いながら。 しなやかにそしてしたたかでなくては。
心地よい音楽を聴きながら、ホットプレートでパンケーキを焼いて、早く起きてきた次男と2人で食べているうちに耳鳴りも治まってきた。 さて、今日はジムへでかけエアロビと筋トレで発散するとしよう。 パワフルな音楽が必要だ。 限りなく鍛えたい今日のわたし。
| 2002年09月06日(金) |
人間ってなんなのだろう |
人間ってなんなのだろう。 人間不信なんて青臭いことを今さら書きたてる気もないが、そういう言葉が溜め息とともに出てしまう。ネット上に繰り広げられる世界のことでここ数日かなりストレスが高まっている。
自分がどれほど正しく人がどれほど間違っているかをこぞってアピールするのが人間なのだろう。そしてここでこのように書く私自身も決して例外でない。 愛するということの本質が見失われたまま、偽善が横行する。偽善の匂いがどうしても鼻につく。 どの人も本人にとっては間違いでなく、相手からすれば間違いであるというこの矛盾。 通じ合わない言葉。 中傷や誹謗といった言葉の暴力。 公の場で相手の否を名指しで暴き立てるという正義。 あるいは黙し無視するという形を変えた暴力。
なぜこういう人と人との愛憎渦巻く嵐のようなところに人は繰り返し放り込まれるのだろう。 自分の罪深さを、愚かさを味わい知るために。恐らく。 他人のそれではなく、自らの。
メル友のHとしみじみ語ったことがある。いっそ人との関係をたって尼さんになりたいねと。Hは言葉がもたらした様々な波紋のストレスの果てに身体を痛め今病院のベッドにいる。ネットからも仕事からも離れることが何よりの治療に違いない。心身が回復されるようにそうしてもう言葉の嵐に翻弄される危険のないところで生きて欲しいと切望する。
| 2002年09月04日(水) |
わたしのテーマソング |
この春から今に至るまで聞き続けているいわば私のテーマソングのことは前にも書いた。キャロルキングの Love Make the World だが、この一枚のCDの私に及ぼす影響はすごい。
ジムに行く自転車をこぎながら、ウォーキングマシーンで走る30分間、仕事に通う電車の中、朝の掃除や洗濯の間、私はこの歌と共にいる。実際、この音楽しか聴いていないといってもいいくらいだ。それほどに私のすみずみに入りこんでしまったし、片時も手放せなくなっている。
前へ前へと突き動かさないではおかないパワフルなリズムや切ないフレーズ、ひたひたとした生きる喜びに溢れた歌。それらの歌に私の今を重ねているのかもしれない。
何年か経ってこのCDを再び聞く時、今のこの時期の自分が浮かびあがってくるのだろう。 いったいどんな風にこの時を思い返すのだろうか。 私の人生の中でもかなり特殊な時期のような気はしている。
| 2002年09月01日(日) |
安らはで寝なましものを |
今日(今日は実際9月4日なのだが)友人のJから電話をもらう。
「元気なの?」
どうやら私の安否を気遣って電話してくれたらしい。 そうか、日記もしばらく書いていないし、何かあったのかと心配してくれたんだと在り難く思う。
「9月1日の日記、良かったのに、翌日見たら消えてたね。どうして消したの?」
あの詩もどきは確か8月31日の夜、いつまでもPCと対面しながら深夜の3時くらいまで、眠らない夜を過ごしていた時に書いたのだった。 百人一首の赤染衛門の歌をふと思いだして、そのフレーズを自分のフレーズの中に、ちりばめてみた。
「なぜって、翌朝読んでみると、なんだかめめしくてね。そんな自分がいやで即、消してしまった。もう跡形もないわ。どんなこと書いたか思い出せないくらい。」
今となれば、その夜のめめしい気分も、翌朝のそんな自分にあきれる気分も正確には思い出せない。人間なんていい加減なものだ、その時、どんなに強い思いがあったとしても、やがては色あせる。
百人一首の作者たちとて、その時の気分にまかせて歌っためめしい恋歌が、これほどまで後世の人間に、しかも暗唱までされるとは思っていなかったにちがいない。
同じ言葉が紡げるはずもないが9月1日の深夜の気分を取り出してみようという気になった。
安らはで寝なましものを
眠れないでいるうちに 季節は夏から秋へと歩みを進めた ひたひたと哀しいので 夜の闇の中で息を詰める 小夜更けて・・・
いったい何を待っているのか 待つものさえ持ってはいない 心はろうそくの炎にも似て ゆれゆれながら かたぶくまでの月を見しかな・・・
待っているとすれば 月からの電話 かかってくる当てのない 今夜の月はとりわけ遠い 安らはで寝なましものを・・・
安らはで寝なましものを小夜更けて かたぶくまでの月を見しかな (赤染衛門)
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