たりたの日記
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2002年05月31日(金) |
ハイヤーセルフ (高い自己) |
人間は自分の汚れには目を塞ぎ、仮面を付けて生きている。 自分に対しても相手に対しても でもほんとうの自分はそれがゆるせない 仮面をはがして何とか自分の汚れを明らかにしたい そうして葬ってしまいたい 汚れを内に持つ自分自身を葬り去りたいと思う 自分には汚れと仮面との2つしかないと思っていた 偽るかそうでなければ自分を葬り去るか二つに一つだと 人の中にはもうひとつの自己、ハイヤーセルフがあることを ある時に知った啓示のように 命と繋がっている自己 神と繋がり、愛を知り、わたしがここに生きていることの意味を知るもうひとつの自分 ハイヤーセルフ もうひとつの自己は知っている 汚れはゆるされていることを わたしたちは愛されるに足るものだということを わたしたちは愛することすらできるということを ただその存在に気がつきさえすれば 気がつきさえ・・・・
今日は一日パソコンの前にいた 危険にさらされている命のことを思って祈った 祈りながら書いた あぁ、でもこうしている間にも 苦しんでいる人はたくさんいるのだ たくさんの命が危険にさらされているのだ 命だけでなく魂も
2002年05月30日(木) |
木々の中で過ごした午後 |
今日は午前中ヨガに行った後、帰り道にある町の公園まで足を伸ばす。もうピークは過ぎたものの、バラ園には色とりどりのバラが咲き乱れ、甘い香りがただよっていた。
私はバラに目は走らせながらもその前では立ち止まらず、公園の奥まったところにある沼地へ歩いていった。ここはわずかに水のある沼地でそこに細い木々がたくさん生えている。植林した整った林ではない全くの自然な木立だ。前からあまり人のこないこの美しい木立のある場所を瞑想の場と決めていたが、最近、町が沼の中に立派な木道や屋根付きのベンチを付けたので公園に続く散歩道になっている。
春、夏、秋、冬、それぞれの季節の木々の様子を見に1人で良く来ていたがこの1年ばかりすっかり足が遠のいていた。 人には瞑想がいいとか、垂直になる場所とかアドバイスじみたことを言うのに今朝は自分自身が、垂直ではなく、何か気が整っていないことを自覚していた。そういう時は理由もなく不安な気持ちになり、何かに囚われていて自分の中に安んじることができない。昔はこういう時には焦燥感にかられて人に会ったり、電話をしたりしたものだったが今はその原因が何なのか、どうすれば自分のコア(核)に繋がれるのか方法は分っている。
木々にはとても良い浄化のエネルギーがあるのでこの中にいるだけでまず気持ちが解けてくる。解けたところで不安や焦燥感やうつろな感じをまず味わってみる。その中に留まっていたいのかそれともその中から出て行きたいのか自分に問う。というのは私は時々、当面抱えている問題に向かいたくないために自らうつろな状態を作っていることがある。逃避である。現実のところから身を引き離し、夢うつつの中に留まろうとするのである。その場所は決して居心地が良いわけではないがそこから出てくるパワーがない。 しかし今日は自分のコアに戻ろうという積極的な気持ちになれた。地面にしっかり足をつけて垂直の線に自分を合わせようという気になった。すっかり弱くなっていた自分の中心にある光(コアエッセンス)に息を吹きいれ輝きを取り戻す。
自分の気がきちんと流れるようになると木々や花は先ほどまでと違った見え方をしてくるから不思議だ。何か眼鏡の度が急に合ったように葉脈の一本一本が花弁の筋までがクリアーに見えてくる。見えるというよりはあちらから迫ってくるという感覚になる。いかにも地上の命あるものと一体になったという感じである。実際そうなんだろうと思う。
今度は祈ろう、エネルギーを送ろうと思う人をひとりひとり思い浮かべ、その垂直な線をピンとのばし、中心にある光に息を吹き入れるようににエネルギーを送りこもうとする。祈りとともに。
6,7年前に興味本位で学んだセルフヒーリングは時間を経て、すっかり自分の持ち物になっている。私にはとりわけ強いサイキックがあるわけではないのでそれを本業にしたり広めたりする気は毛頭ないが、学んだことが日常の中で使え役に立つのはうれしい。ヒーリングのセッションに通い始めたころは夫が猛烈に反対したが最近では「今日エネルギー送ってて」とリクエストをする。胡散臭いと言っていた子どもたちもサッカーの試合の前に電話をかけてきて「今からエネルギー送って」なんて言ってくる。ほんとうに私のヒーリングパワーを信じているんだろうか。それともおまじないのようなものかしら。でも頼りにされて悪い気はしない。 別にヒーリングではなくても想いというのは相手に届くというのは誰でもが信じていることだろう。
2002年05月27日(月) |
叫び、そしてつぶやき |
ルーテル作業センタームゲンの掲示板を訪ねることがすっかり日課になっている。心の病気を負っていらっしゃる方々が多くつどっているサイトだ。毎日多くのアクセスがまた書き込みがあり、そのひとつひとつに管理人の佐野さんがお返事なりコメントなりを書かれている。そのフォローの仕方、返事の言葉の的確さと温かさには頭が下がる。良い働きをされているなあと同じルーテル教会の会員として尊敬とともに親近感も感じている。
それにしてもなぜ精神を煩っているのでもない私がそこへ行きたいのかと問うてみる。心のことを聞きたい、心のことを話したいという気持ちがある。傷ついた魂がそこにあり、癒そう、励まそうとする愛のエネルギーがそこにあり、日常の中で軽々しく扱われている人の想いが暗黙のうちにも大切にされているからなのだ。弱い自分をそのままの状態でさらけだせる場はそんなにはない。けれども強がっているそれぞれの人間の中にさらけ出したい弱さがある。叫びやつぶやきがある。その場所にはそんな魂の叫びやつぶやきが聞こえるのである。そうして私自身が素直になっている。
今朝、書き込みされた方の言葉に私は黙ってやりすごすことができないものを感じた。「強すぎる想い、自分では消せません」という言葉から届く葛藤に私も覚えがあった。そうしてレスを書いたのだが、この言葉は自分に向かって書いたのかもしれない。
自分で消せないほどの強い想いも いろんな具合に飼いならせることもできましょう。 人はそれほど逞しい。 紐解いて、調べてみる、味わってみる、対象からも離してみる。 強い想いの根っこは対象の中ではなくてむしろ自分の心の中にあるのでしょうから。 強い想いは自分を知る上には有益です。 そもそも他人から消してもらうこともかなわないものならば それを大事にしてみることです。 自分が探しているものに出会うのかもしれません。 対象はその道へのきっかけであるのかもしれません。 人はそれほど不思議に満ちている。
2002年05月26日(日) |
ゴスペルを歌った日曜日 |
今、ゴスペルが流行っているらしい。カルチャースクールなどでもゴスペルのクラスに人気があるという。
ゴスペルとは福音のこと、イエスが教えた神の言葉。アメリカに住む黒人たちの中から生まれた信仰の歌。黒人霊歌とも言われる。
今日は教会学校で復活後、イエスが弟子たちに「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。マタイ28、16−20」と宣教に送り出したところをテキストに話をした。話の中で「弟子にしてください」という黒人霊歌を歌う。
様々な信仰や祈りの歌があるが、私は昔から黒人霊歌が好きだった。何かなつかしささえ感じていた。 礼拝の後、ひとりで礼拝堂に残り、隅にあるピアノを弾きながら黒人霊歌を何曲も歌った。ずっと歌うことを忘れていた歌だった。どうしてこの歌を歌うことを忘れていたのだろう。そうして、今どうしてこの歌がこんなに近いのだろう。
2002年05月25日(土) |
予定を変更した土曜日 |
この日は友人のKから誘われて御茶ノ水で開かれる児童英語教師のためのセミナーに一日参加する予定だった。 ところが、前の晩、場所の確認をと参加票を取り出してみると、15日までに参加費の振込みをすることになっている。行けないんだと思った瞬間。何だかほっとしてしまった。
この日は夕方7時から英語学校の主催するコーヒーハウスというイベントがあり、英語学校のスタッフが中心になっている英語劇のグループで聖書の「放蕩息子」をテーマにした劇をやることになっている。わたしは劇にはでないものの、受付や、写真撮影、後片付けなどの仕事がある。帰りは恐らく10時を過ぎる。翌日は教会学校の説教とオルガンの担当。そして礼拝では初めて司会をすることになっている。
Kに電話すると参加費は当日でもなんとかなると言ってもらったが、ほっとした気持ちになってしまったからには土日のハードスケジュールがどうにも苦痛になってしまった。Kとは6月に会えるように日取りを決め、土曜日のセミナーはキャンセルの運びとなる。
この日は部屋のエネルギーを整えるべく、お香を焚き、ペパーミントのヘアースプレーを作って辺りにふりまき、掃除をていねいにした。音楽は家のすみずみまで気が流れるようにキースジャレットのケルンコンサートのCDをかける。
後はパソコンからサイトめぐりをし、夕方教会へ。 英語演劇集団はアメリカ、オーストラリア、ブラジル、シンガポールと、インターナショナルな集団で演劇もなかなか楽しいものだった。24名の参加者で ティータイムもロビーのあちこちで話が盛り上がっていて良いイベントになった。牧師もご夫妻で参加してくださった。感謝!
2002年05月24日(金) |
ジムで一日過ごした金曜日 |
今日は27日、月曜日だけど、書く気分がでてきたからまとめ書きをしよう。書かないままでいるとその一日はどこにも残らないで消えてしまうような気がする。そういうものなのに、どうして抵抗するのかな。 とにかくその気になったのだから思い出し日記を書こう。
わたしをジムに誘ってくれたFからメールが届いた。 「ずっとプールで見ないけど、元気。明日の朝こない?おいしいパンケーキの粉あげるよ。」
わたしはどちらかというとプールより、エアロとかヨガとかスタジオ系のものが好きなので、午前中はそっちでやる。でもFはプール一筋だから、同じビルディングにいてもなかなか会わない。
そこでこの日は朝からプールに行った。Fといっしょに平泳ぎのクラスを取り お風呂とサウナに入る。ぜったい人前で裸になるのはいやだったFだが、すっかりサウナと水風呂好きになっている。日頃は1人っきりでやっているが友達といっしょというのも違った自分が出てきて楽しい。Fからハイになっていると指摘された。うん、認める。なぜだかハイ、ここのところ。
Fは午後から仕事なので昼までで帰り、私はアクアワークアウトのクラスを取って水中で45分間のエアロビ。3時過ぎ、帰ろうとしたら夕立。自転車で雨にぬれて帰るのはやめにして、雨が上がるまでヨガのクラスを取ることにする。
というわけで今日はほぼ一日ジムで過ごすことになった。 身体にとっては良い一日だったかもしれない。
2002年05月23日(木) |
ガーデニングと新聞の勧誘 |
ガーデニングといっても私はあまりまめではない。秋には春の花の植え込み、春の花が終わると球根を掘り起こしたり、枯れてしまったパンジーの株を引き抜いたりといった手入れと夏の間咲く花の植え込みといった具合に秋と春にちょっとまとまった仕事をするだけだ。
今日は春の花のクロージングをした。チュウリップとムスカリの球根がたくさんに増えた。チューリップの球根は必ずしも咲くとは限らないが一応秋にはすべて植えることにしている。 つらいのはまだ花が少し残っているパンジーやビオラの始末だ。毎年、抜いてはみても捨てられずプランターから抜き取った株を地植えにしたりする。今年はまだ咲いている花をすっかり摘んで押し花にした。2枚の板の間にダンボールや新聞紙をはさんだものの四方をねじでとめるフラワープレスの道具があるのでかなり圧力がかかってきれいな押し花ができるのだ。10年くらい前、さかんにやっていたものの、それ以来忘れ去られている代物だった。はっと思いだして、春の花を残せるということに気が付いた次第だ。
さて、私はこの仕事をするにあたって、家のステレオのボリュームを上げて庭からも聞こえるようにしノリのいいキャロルキングをかけていた。私が土を掘り起こしているといつの間にか若者が1人目の前に立っている。 「あの、ぼくバンドやってるんですが、、、」 ん、おばさんに音楽の話をしようというの。最近は若い方々が音楽の話を掲示板に書き込んでくれるようになっているので、何かその続きのような気になって私は手を止めた。 「あの、学生なんですけど、バイトで毎日新聞の勧誘やってるんですけどノルマが達成できなくて困ってるんです。」 なんだ、新聞の勧誘ならお断りだ。 「あのね、うちこの前朝日新聞と契約したばかりなの。それに来年からは新聞はネットで読むようにして新聞やめようと話てるところなの。」 と、いつものようにきっぱりお断りする。 「そうですか、でも半年だけでも、朝日さんの後に、お願いします。困ってるんです」 人相の悪そうなおじさんやおにいさんだったら断固断る。そんな手口には乗るものか。だが目の前の若者はいかにも慣れない学生のアルバイト、しかも音楽やってるらしいし、さらには美少年だった。私は常日頃、男は顔じゃない。顔がよさげな男は信用ならないと公言しているにもかかわらず。恐らくはその顔つきゆえ断りきれず10月から3月までの契約をしてビール券とサラダ油のセットをもらった。ひょっとして私はイケメン好きだったのだろうか。
夜遅く、夫が福岡の出張から帰ってきた。「今日はまんまとひかかっちゃったよ。まぼろしの辛子めんたい子とかいわれて高いやつ買わされてしまった。」 と辛子めんたいの箱を取り出した。 「実は私も白状しなくちゃならないの。」 「ん」とやや怪訝な顔。 「バンドやってるっていう若い子が新聞の勧誘にきてね。断りきれなくて契約しちゃった。10月から新聞変るからね。」 「なんだ。八百屋のおにいちゃんと不倫したっていうのかと思った。それでその子、かわいかった?」 「うん、なかなかイケてた。」 「ぼくがひっかかっためんたい売ってる人もなかなかいない美人だったんだ実は。」
なにやってるんでしょう。この中年夫婦。
初めて掲示板というものに書き込みをしたのは1年半前のことだった。 文字の中にどうやって自分を出すのか、相手の言葉にどんな言葉を返すのかさっぱり要領を得ず、苦手だった。自分の掲示板を持っても、私はどこか私ではなかったのかもしれない。ここをのぞく友人たちからはあまり評判が良くなかった。一度入ってくれたJは「掲示板で会うとよそよそしくって、疎外感を感じた」と言ってたし、Yも日記は読んでくれてるようだが、掲示板は「あれって何なの」とその存在の意義を認めてない風だった。
友人たちの評判はさておいて、私は今掲示板がおもしろい。文字だから残りはするが、残すことを目的にしていない書き言葉のおしゃべりというところがいい。実際、何日かすると書いたことはもう消えてしまうし、自分が書いたことでも気に入らなければ削除できる。そして、四国であろうと九州であろうと、もちろん同じ町の住人であろうと同じ近さと同じ遠さで言葉をかわすことができるのである。年代もバックグラウンドもおおよそ関係ない。言葉が行き交うということは情報が行き交い、もっと重要なことはエネルギーが行き交う。
私はかなり長い間、自分だけの世界に潜んで、他の人とのエネルギーの交流を多分に避けてきたように思う」。自分と違うエネルギーに会うことに疲れることが多かったからだ。自分を伝えることにも疲れる気がした。 今、私はその辺りが少し変化してきたような気がする。素の自分がわりと容易に出せるようになったのかもしれない。そして交流しながら新しい自分を知ったりもするのである。人間はその文字の意味する通り、ほんとうに人と人との間で生きる者なのだと納得している。
教会学校へ行くために家を朝8時半に出る。 教会につくと間もなくYさんがやってきてアコーディオンで讃美歌の練習を始めた。オルガンとはまた違ったクリアで明るい響きは同じ鍵盤楽器の中でもとても親しみやすい音色を持っている。そういえば、私が小さな頃通った教会でもアコーディオンの上手なおじさんがいて、クリスマスの祝会の時には必ず弾いてくれた。うきうきするような楽しい気分をいまだに覚えている。
さてYさんはスターキーズという和製ロックのバンドでアコーディオンを弾いている。一度、吉祥時のライブハウスにライブを聞きに行ったことがあるが、私の知っているライブハウスとは赴きを異としていて、地下のライブスタジオには椅子がなく、たくさんの若者がステージに向かってぎっしり立っていた。 3時間あまりの時間、このバンドのファンと思しき若者たちの熱気とスピーカーからの物凄い音の中でふらふらと酔ったような気分でステージを眺めては時折叫んだりもした。口数が少なくおとなしいというYさんのイメージからは想像がつかないほど、アグレッシブなバンドだった。
今日はペンテコステ、聖霊降臨日。Yさんは教会学校の子どもたちに聖霊の話をした。 Yさん 「聖霊ってなんだと思う?」 子ども達 「天使?」「神様の手伝いをする人?」 Yさん 「聖霊は神様の力、目には見えないけど、私たちに働きかける力なんです。」
そう言って、Yさんは自分は学生の頃、勉強はあまりできなかったし、人の前で話すことは嫌いだったし、とてもできなかった。ところが今はこうしてみんなの前で話をしている。これは僕にとって信じられないことなんです。そしてこれは自分の力じゃなくって神様の力だなって思います、、、と語った。 Yさんは言わなかったが、ロックバンドでアローディオンをがんがん弾く自分も信じられない気持ちでいるのかも知れない。
自分の中に自分を越えたものが働くことを知るアーティストは多いだろう。 スピリット(聖霊)を吹き込まれ、インスピレーションを得たアーティストはそれを自分の外に出すことで相手をインスパイア(影響)する。
2002年05月17日(金) |
私たちは自分で選んで生まれてきたと |
だいたい親子喧嘩をする時のきまり文句が 「勝手に産んでおいて。生まれてきたかったわけじゃない」 で、さんざん、言われたし、また私も思ったり、言ったりしてきたように思う。
私はある時、子どもは親を選んで生まれてくるということを信じてしまった。 実はキリスト教にはこういった教義はない。いったいこういう考えがひとつの思想や体系として存在するかどうかも知らない。でも何かの本を読んでいて 私は啓示のようにこの言葉を受け止めた。 そうするといろんな問題が、絡まった糸がほぐれていくような気がした。
私たちがこの地上で生きる上で抱く、様々な不公平感や疎外感。自分を否定したくなる思い。しかしそこにあるのは甘えである。自分が選んだということを否定する限り、私たちは自分の持ちものに際限なく不満を持つ。自分の親、夫、子ども、仕事、容姿、金。この地上では格差があるのでどんな人間も不公平感から自由になることはできない。
でも、そのすべての持ち物や環境を選んだのが他でもない、自分自身だとすれば? 誰にも文句は言えなくなる。誰のせいにもできなくなる。
<今日、掲示板に書き込んだこと>
私たちは実は親を選んで、その環境を選んで生まれてきたとそういう見方をしてみませんか。実は姿形も能力も、病気さえも、自分がこの地上での課題を果たすために必要な持ち物として持ってきたのだと。 地上の価値観で計れば、貧乏より金持ちがいいし、美女や美男の方が愛されるし、能力が無いよりあった方がいいし、病気を持っているよりは健康の方がいいわけです。 でも、私たちが自分の魂を成長させるためにこの地上での命をもらっているのだとすれば話は違ってきます。貧乏の方が、美しくない方が、何の力もない方が、病気の方が、魂を成長させるという自分の課題を成し遂げる上ではその人にとって必要なのかもしれない。 大切なのは自分で選んだ、それを選ぶ必要があったということに気づくことだと思います。 ですから親のせいではないのです。 自分に嘆いていては自分がどうしてそれを選んだのかも見えなくなってしまいます。
2002年05月16日(木) |
ネットで出会うということ |
ネットで人と人とが知り合うということ。顔も知らない人、一月前にはその人の存在すら知らなかったのにわずかな時間とわずかな言葉のやり取りで、その人が近くなるだけでなくその人の人生や命の重みが迫ってくる。そうして見えない相手と歩みを共にしていく。 しかし見えていないのだろうか。視覚的には見えないがその人間のエネルギーはおそらくは体という目に見えるもので覆われているよりも、はっきり見えるものである。 いったいどうしてネット上で日記を公開したり、誰もが読める掲示板の上に自分を顕すのだろう。
私はこの命が限りあるものであり、命の保障などどこにもないからだという気がしている。この世に、この地上に、この瞬間に、私というひとつの命が生きているということを自分に、また世界に知らせたいからだと。人が読もうが読むまいがそれにはあまり関心はない。自分を自分の外に出すという作業がしたいだけである。
その人のサイトには命のきらめきのようなものが満ちていて惹かれるものがあった。病を負っていること、シリアスな状況のなかで綴られた言葉だったことを知る。その言葉にみな慰めを感じているようだった。慰めはそういうところを通ってしかこないのかも知れない。イエスがやがてくる十字架を目の前にしながら自分を人々に晒していったことを思う。その激しさや一途さを思う。
2002年05月15日(水) |
Love Makes The World |
キャロルキングの新譜アルバムLove Makes The Worldを聞いたのは一週間前だったが、それ以来一時もその音楽から離れたくないほど聞き込んでいる。どうしてこんなに好きなんだろうと自分でも不思議に思うほどだ。聞いている間中、高揚感が続き、幸福感や慰めに満たされる。去年の冬あたりビョークに夢中になってその中に浸りきっていた時期があったが、このはまり具合はあの時以来だ。でもビョークの時の自分の内に深く、深く下降していく感じとは違って、キャロルキングのこれは自分のエネルギーが広く大きく外に向かって広がっていく感覚がある。この地上のあらゆるものを愛して、深く繋がりたいといった想い。
30年前、10年前のキャロルのCDも聞いてみた。キャロル節は少しも変っていないし、スタイルからすれば彼女はひとつのスタイルを保ってきている。でもこのアルバムには他の彼女の音楽とは違ったエネルギーが確かにある。 C.キングの公式サイトを開いてみたが、若い頃の透明でクールな美しさとはまた違った美しさを持つ女性になっていると思った。50代のキャロルは溢れるような愛情を放っている。豊かな包み込むようなスマイル。二人の娘は美しく成長しており、彼女の母親としての仕事がそこに見えている。また社会的な活動や関心の深さもHPから受け取れアーティストとしての生活をしながらこの社会の中でしっかりと地に足をつけ、音楽を通して社会とかかわってきたこれまでの歩みが感じられた。
このキャロルの最新のアルバムにはいわば彼女のこれまでの生き方が、50代の今の彼女の想いの結晶が収められているのだろう。どの言葉にも、どのフレーズやリズムにも彼女の願いが、強い想いが込められているのだ。そのエネルギーをこのようにいただけるというのはなんと幸福なことだろう。音楽のすばらしさを思う。
去年の母の日、我が家の恒例の朝食のことを書いた。 今年の母の日は私も忘れてしまうほど、期待というものがなかった。ここしばらく気分はすっかり母親をやっていないからだろう。一時のことか、それとももうそういう時期に来てしまったのか、あまり子どものことが気にならなくなっている。部屋がちらかっていようが、遅刻しようがこっちの知ったこっちゃないと言うノリである。夜帰ってくるのかどうかも分らないのでもう勝手にしてっていう感じ。自分が母親であることを忘れて過ごす時間の方が多いのだ。
ところが我が夫は子ども達が当てにならないからか、1人でがんばって母の日の祝いのためにあちこち駆け回ったようだった。 まず、土曜日の夕方保育所の理事会から帰ってみると夫がいない。1人でテレビを見ている次男に聞くと、パンを買いに行って遅くなるという。パンなら昨日生協がきたばかりでたくさんあるのにと言ってからハタと気が付いた。彼は母の日の朝食のためのスペシャルブレッドを買いに行ったんだ。 去年の繰り返しになるが、我が家では母の日にはベッドにコーヒーが届くことになっている。そして私が下へ降りた時にはテーブルに朝食の用意がしてあることに。 今年のテーブルは今までになく豪華だった。手焼き風のパンがいく種類もテーブルの真ん中にありそれぞれのお皿には目玉焼きとレタスとキウイが乗せてある。そういえば、去年はセブンイレブンで調達した袋入りの菓子パンだったから私は母の日に菓子パンなんてと不平をいったのだった。私はそのこともすっかり忘れていたが夫は覚えていたらしい。 次男は花を、夫はキャロルキングの掘り出し物のCD2枚をプレゼントしてくれた。ここのところすっかりキャロル・キングにはまっている私のために昔なつかしい「つづれおり」と子育ての時期によくビデオで見ていた「おしゃまなロージー」のCDだった。 良く見つけてきたこと。 それにしても一番母としての私の恩恵を受けているはず長男はすっかり今日のことを忘れていた。ま、そういうことも全く気にならないのだが。
2002年05月11日(土) |
ちょっと足が地上を離れていた |
ここのところロウになったりハイになったりといろいろ忙しかった。 こういうのはホルモンのバランスとか、いわゆる体のリズムによるのだろうか。でも鬱なら鬱で出会うものがあるし、躁の時にはその時にしか訪れないことがある。半分そういう自分に翻弄されながらも半分はそんな自分を客観的ながめていた。今は中心から離れて足は空中に浮かんでいるけど、やがて中心にもどるし、足も地上に下りてくると信じることもできた。それまでの間は非日常の自分をゆらゆらとただよっている自分を楽しもうと。
やっと中心に戻りはじめていると感じる。キャロルキングのCD(Love Makes The World)を聞かないでは一時もいられないようなクレイジーな感じから解かれたようだ。その代わりに同じ曲を聴いても、あの信じ難いような幸福感は起こってこない。でもそのお陰で音楽は私の細胞にすっかり刷り込まれた感じがする。今後この曲を聴く時に、この時の自分や時間、見たこともいっしょに思い出すことになるだろう。そうやっていくつかの音楽と蜜月の時を過ごしてきた。 若い頃にはこういうクレイジーな感覚は日常的に起こり、そのつど、何かに夢中になって自分を投入してきたが、しばらく私は中心からそれることはなかった。安定はしているが、世界も広がることはない。不安定な自分になることで出会ったことのない世界に飛び込んで行き、そこでの自分を見つけることができる。こういう不安定さも私になっていくためのプロセスなんだろう。
2002年05月07日(火) |
あなたにはともだちがいるわ |
ここ、何日間か、キャロルキングの You've Got a Friend という歌の歌詞が頭に上ってきていた。すると昨日伺ったサイトの掲示板でキャロルキングの文字が目にとまった。そうすると買ったままで歌うことも弾くことも忘れていた楽譜のことを思い出した。モーリス・センダックの書いたお話にキャロルキングが曲を付けているものだ。 今日は夕食を食べながらセンダックのビデオを見ながら、そのアニメーションの豊かさに感心し、キャロルの歌をなつかしんだ。 それにしても始まりはYou've Got a Friend 、どんな歌だったか歌詞を紐解いてみた。
You've Got a Friend
When you're down and trouble, And you need some loving care, And nothing, nothing is going righ, Close your eyes and think of me, And,soon I will be there To brighten up even your darkest night.
You Just call out my name, And you know where ever I am I'll come running tosee you again. Winter,spring,summer,or fall, All you have to do is call. And I'll be there. You've got a friend
と続いていくが、この歌は愛を歌った歌だが、いわゆる色恋ではない。 友達への愛の歌だ。しかしまたfriendという言葉は狭義の友達とも違った もっと広い意味を持つような気がする。友=かかわるすべての人たち。 それにしてもなんと自信に満ちた語りかけだろう。でもそれが決して嘘という感じがしない。 日本語になおすとニュアンスがそのままの形で伝えられない気がするが私の言葉で訳してみたい。
あなたにはともだちがいるわ
あなたが落ち込んでてどうにもならない時 あたなに優しさが必要な時 そして何もかもうまくいかない時 目を閉じて私のことを考えてみて わたしはもうそこにいるよ これ以上ないっていうくらい暗い夜だって照らしてあげる
あなたは私の名前を呼ぶだけでいいの あなたは知っている、どこにわたしがいたとしても あなたに会うためにわたしが走ってくることを。 冬でも、春でも、夏でも、秋でも あなたは名前を呼ぶだけでいい。 するとわたしはそこにいる。 あなたにはともだちがいるわ
もし、あなたの頭上に広がる空が 暗くなって、雲で覆われるなら いやな北風が吹き始めるなら 気持ちを集めて わたしの名前をはっきりと呼ぶの すぐにあなたはドアをノックする音を聞くわ
ともだちがいるって感じるのは すてきなことだと思わない? 人がすごく冷ややかな時がある あなたを傷つけ、捨ててしまう うっかりすると、あなたの魂まで持っていく でもだめ、持って行かせては
あなたは私の名前を呼ぶだけでいいの あなたは知っている、どこにわたしがいたとしても あなたに会うためにわたしが走って 走ってくることを。 冬でも、春でも、夏でも、秋でも あなたは名前を呼ぶだけでいい。 するとわたしはそこにいる。 あなたにはともだちがいるわ
2002年05月05日(日) |
みなしごにはしておかない |
地上で旅している私たち人間はいったいどれほど、孤独や精神的危機、経済的な圧迫、人間関係のもつれといったさまざまな生きづらさと遭遇しなければならないのだろう。 最近、精神を病む人たちとのかかわりがあり、私は通り抜けてきた危うい時期のことを思い出すきっかけになっている。生きていることがつらいとうその状況は今の私からはあまりに遠い。むしろ今の私は一瞬、一瞬、生きているということ、生かされているということに感謝し、自分の命を抱きしめて生きているように思う。けれども、今の私があるために私の通ってきた嵐のトンネルもまた必要だったのだという気がしてならない。 少なくとも、私が苦しむことがなかったならイエスのところへ行くことはなかった。そこにある慰めをいただくこともなかっただろうし、私がイエスの内におり、イエスが私の内におられるという体験をすることもなかっただろう。
永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。(ヨハネ14−16)
わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。(ヨハネ14−18)
かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる(ヨハネ14−20)
愛がどういう形をしているか見ることはできないが、イエスの言葉の中にはそれが見える。人を癒し、人を立たせていく混じり物のない愛の形が。 イエスが私の中にいてくださるというのか、それならば私もいつかまっとうに愛することができるようになるのかもしれない。
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ヨハネ14章15〜21 ◆聖霊を与える約束 14:15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。 14:16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 14:17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。 14:18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。 14:19 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。 14:20 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。 14:21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
今年はゴールデンウイークだからといって遠出をすることもなく家で過ごしている。のんびりしていた割には日記を書いていない。日曜日で止まったまま。ここを毎日開いてくださっている方には申し訳ないことをしました。 心がどこか別の次元にさまよい出る、そんな時も時にはあります。
GW前半はミュージカルの練習(29日、3日)とジム通い(1日、2日)に終始した。連れ合いの運動不足も相当なもので、会った時は私よりも5キロは軽かったが今や10キロ私より重い。けっして外見にこだわる私ではないが、成人病の危険をかえりみ、半ば強制的にスポーツクラブのファミリーメンバーに登録。1日、2日はジムで過ごす。ボクシングの格好で動くボディーパンプや、水中エアロなど、いい運動になったとまんざらでもない様子だった。これで自転車では行けない日も、夫の車で通えるというもの。(夜は24時まで空いている)。これも作戦。
ミュージカルの練習はまだ台本読みや歌の練習に入る前の基礎練習。ストレッチ、太極拳、発声練習、カツゼツ、イメージトレーニングといったメニュー。私はkさんとともに発声練習の担当。Kさんが声を出すための運動をやってくれるので、私はフレーズをつなげて歌う練習や体を動かしながら歌う練習、またイメージを声に表す練習をする。
最近よく訪ねるようになったHPの掲示板でピンクフロイドのことが話題に出ていて、私は高校時代を思い出すことになってしまった。おおよそ思い出したくない高校時代だったので、私の記憶の中でもずいぶんぼんやりとしているが、思い返すとかなり危ない綱渡りのような時期だったという気がする。
襲ってくる鬱や虚無感、、自己喪失感、病的な恋煩い。アダルト チュルドレンだった私がこの時期にそのように病むのはごく当然のことなのだが、そういうからくりも分っていなかった私にはただただ無防備に嵐に吹かれるにまかせるより成すすべがなかった。
今日、ピンクフロイドのことが話題に上った時、一枚のレコードのことが記憶の底から浮かび上がってきた。「原子心母」Atom Heart MotherというタイトルのLPレコード。ジャケットには大きな牛の頭があった。そのレコードの中には他のどこにもない新しい世界があって、私はその音の中に自分を沈めた。できるならばそこから一歩も外へ出ていきたくないほどであった。夢うつつで自分の現実の高校生としての生活をなんとかやり過ごすと、家に戻ってかばんを置くなりレコードに針を落とし、ほっとしてその音の中に入っていった。その音の世界だけにリアリティーを感じることができた。誰と共有することもなく、ロックミュージックの知識なども持ち合わせておらず、どういう経緯でこの不思議なレコードが私のところにやってきたかも定かではないが、その時期、この音楽は分かち難く私と共にあった。 仕事上、青少年の精神鑑別をする父親は私が奇妙な音楽に異常に執着することが不安だったらしく、父がイライラしているのが伝わってきた。今になってみればそんな父の苛立ちも理解できる。それにしてもあの執着はいったい何だったのだろう。
掲示板のSさんやNさんの書き込みから思いあたったのが、私にとってこのピンクフロイドの音楽はいわば治療薬で、壊れようとする心をなんとか保つためになくてはならない音だったということだった。その当時「癒し」という言葉はなかったが、私は一枚のレコードに癒されていたのだった。理屈ぬきに、私は生きるためにこの音楽をむさぼり食べていたのだ。そうしていつか嵐のトンネルから抜け出していた。
あれから30年近くもたって、私は改めてピンクフロイドというプログレッシブロックのミュージシャンたちに感謝したい気持ちになった。この夜2時過ぎまで、次男がたまたま持っていたフロイドのCDを聞きながら深い感慨に浸っていた。同じ頃、遠い地でSさんは明け方まで聞いており、Nさんは音で頭をいっぱいにして車を走らせていたということだったが、それぞれにその当時の自分と対面していたのだろうか。
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