たりたの日記
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2002年04月28日(日) 生きた石として

日曜日なのによく教会なんかに行くねえと、なかばあきれられることがある。子どもの時からの習慣とはいえ、自分でも「何を好き好んで日曜日ごとに足を運ぶのだろう」と呟きながら通うこともある。ここ数年間、正直に言うと礼拝に行くことの喜びからすっかり遠ざかっていた。神に向かい会うために行くのであるが、イエスと会いたくて出て行くのであるが、イエスや神のことが語られているその話が耳には聞こえてこないのである。喜びや慰めの代わりに苦々しさや落胆を携えて帰路に着くことの方が多かった。私の心にブロックするものがあったのだとも思う。

今日、説教を聞きながら(手はできるだけ多くの言葉を書きとめようとそれは忙しく動いていたが)私はビエビエというふうに泣いた。泣けてしかたがなかった。少しもエモーショナルになる話ではないのだが、自分でもここで泣くのは変だと思いながらも泣くことを止められなかった。言葉が聞こえてきたからだ。水のように私の内に染み渡ってきたからだ。これまで霊的にどんなに乾いていたか、どんなに苦しい思いでいたか、そのことを改めて知らされたからだ。言葉はほんとうに生きて(ダイナミックに)私に働きかけてくることに喜び、感謝でいっぱいになった。

ノートに書き取ったメモをここに記しておこう。

日課のヨハネによる福音書14章1〜14は居住まいを正して聞かなければならないほど大きな言葉。

「心を騒がせるな」という語りかけではじまるが、この心が騒ぐという言葉のもともとの意味は、池の水が動く、つまり外からの力で静かな心が千路に乱れること。不安、動揺、心が分裂してしまう状態。心が割れる。

聖書の中にはイエス自身が「心を騒がせている」場面の記述がある。
この箇所に至るまでの11章から13章までの間に3箇所、そのような箇所がある。愛するラザロの死に対して(11−33)、最後の祈りの場面で(12−27)、そしてユダの裏切りの場面(13−21)。
悪からの挑戦がイエスに迫ってきている時、イエスは心騒がせた。むしろイエスは誰にも増して心を騒がせたのかもしれない。

この「心を騒がせるな」という言葉を、イエスは弟子たちをしかりつけるように言ったのではない。心が騒ぐというような危険の中でこそ、孤立しないで、自分の力の上に立たないで、ほんとうの信頼の中に身を置くことが大切であることを示している。

<ボン・ヘッパー「共に生きる」より>
独りでいることができない者は
交わりに入ることを用心しなさい
神に、あなたは独りで出会ったのだから
交わりの中にいない者は
独りでいることに用心しなければならない
召しはあなた独りだけに向けられたものではないのだから

召された者として、信仰を同じくする仲間とともに生きる。
心を騒がせるなと言ってくださるイエスに信頼し、このイエスに密着して生きる。神に向かい合っていきるということ。
私たちは生きた石として霊的な家を建てるために召されている。

「私の家には住むところがたくさんある」(14−2)これは「私はまことのぶどうの木、、、」(15−1,2)と関係が深い。イエスとひとつになって生きるという、イエスとの深い人格関係を示している。

私たちは日々生活する中で、あてのないことを繰り返しているのではない。
確実に意味のあることをしていると保障されている。
私が今ここで生かされていることが、神様が私に与えてくださった私のつとめ。
すべてのことが偶然ではない。私たちは確実に意味のある時間をすごし、確かな人と人との出会いをしている。


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ヨハネによる福音書14章1〜14


◆イエスは父に至る道
14:1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 14:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。 14:4 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」 14:5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」 14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 14:7 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 14:8 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、 14:9 イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。 14:10 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。 14:11 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。 14:12 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。 14:13 わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。 14:14 わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」


2002年04月26日(金) コンサート「イスパニアの歌」

遠い国の遠い時代の音楽がなぜこうも迫ってくるのだろう。
波多野さんの澄み切ったメゾ・ソプラノがホールのすみずみまでゆき渡りしっとりとその空間を潤していく。つのださんのバロックギターは優しく繊細で、弦を爪弾くひそやかな音が流れるような歌とひとつになる。ふた色の糸が織りあげる音の世界には独特の美しさと静けさとがあった。そこにある哀しみ、秘められた情熱、人の想いの美しさを思った。

CD「イスパニアの歌」の発売記念コンサートに行く。波多野睦美さん(メゾ・ソプラノ)とつのだたかしさん(ビウエラ、バロックギター)のデュエット、今回のプログラムはスペイン・ルネッサンスの歌曲、バロック歌曲とギター独奏、近代フランスの歌、近現代の南米音楽というものだった。

コンサートはあまり行かないし、CDも夫や息子たちのようには買わないがこの2人のデュエットのCDだけは発売されると必ず求め、発売記念のコンサートにも足を運んできた。聞くだけでは我慢できずに、身の程知らずにお宅に伺い、3年ほど、月一度のレッスンに通った。あの美しい声や音楽の内側に入ってみたいという好奇心からだったが、波多野さんのヴォイストレーニングで声を出すということについて新しい認識をいただいたし、実際、歌う声も話す声も変ったように思う。つのださんのリュートや柴崎さんのチェンバロの伴奏で歌った2度の門下生のコンサートも貴重な体験だった。でも私は歌を極めるほど力はないし、また歌を中心にすえていくほど熱心になれなかったのでいつの間にかレッスンから遠ざかってしまった。あこがれの音楽と自分の音楽とのギャップの大きさにめげてしまったというのが本当のところだ。実際、私は音楽の修行をするには辛抱が足りない。

今回のコンサートは生徒としてではなくファンとして聞いたこともあってか今まで以上に音楽にただただ身を任せて堪能した。いっしょに行った友人のYと共にすばらしい時間を過ごしたことだった。
CD、例によってしばらくはこればかり聞くことになるだろう。

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CD,コンサートの問い合わせ:ダウランド アンド カンパニー
               �筺。娃苅押檻坑毅機檻僑僑毅�
HP http://www.linkclub.or.jp/~dowland/









2002年04月25日(木) はなみずき 地に落ちて

今日は木曜日、運動日と決めて、楽しみにしていたというのに、10日も前から始まった咳がなかなか止まらないどころか、かなり悪化してきている。明日は久し振りの波多野睦美さんのコンサート(イスパニアの歌/トッパンホール)、咳き込むわけにはいかない。伸ばし伸ばしにしていた医者行きを決行しよう。昨日もそう思ってくじけてしまったから今日はまずは日記にそのことを書いておくのだ。

ここ2,3日はらはらと散っていたはなみずきの花びらがとうとう一枚のこらず落ちてしまった。今年もたくさんの花が咲いたから庭は一面はなみずきの花びらでおおわれている。
「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふる ながめせし間に」
はるか昔の記憶の底から歌のひとすじが浮かびあがってきた。小野小町の歌だったろうか。

もうすでに「現役」ではなくなっているわけだし、花も散り、葉は青々とした緑から多少色づきはじめた時期にさしかかっているのに、そんな生物上の年齢を無視して、あえてそれに逆らうように行動したり、考えたりしている私はこのところモードに変調をきたしている。この止まらない咳もそんな心と身体のアンバランスのせいかもしれない。
憑依?いったい何に?正体の分らないものに掴まれている感覚がある。きっと外からのものではなく、私の内から出ているもの。加齢のプロセスに起こるひとつの現象なのかもしれない。

ん、ひょっとしてこの精神の変調こそが更年期障害というものかしら。
数日前、学生時代の友人からのメールにこの更年期障害という言葉を見て、20代の頃の印象しかない彼女とこの言葉がにわかには結びつかずに違和感を覚えたが、わが身にも確実に 長雨(ながめ)は降っていたわけだし、花の色(あったかどうかは疑わしい)はいたづらにうつりにけり、、、、、


2002年04月24日(水) 映画「コレリ大尉のマンドリン」

マンドリンという楽器は、何か先入観のようなものがあって好きではなかった。しかもそれを大尉が奏でるというのもなにかかったるい感じがして、シアターでかかっていた時には観なかったのだが、ビデオになっていたので借りてきた。

ニコラス・ケイジという俳優はこれまでもこんなに美しい眼差しをしていたのだろうかと思うほど、目の光の美しさが印象的だった。イタリア人の軍人の役をそれなりによく出していたがイタリア人ならもう少しアグレッシブで遊び人の感じだろうと思うが彼の誠実さがそのままでていてそれはそれで好ましいと思った。

ところでこのマンドリンがなかなか良かった。婚約者のいるギリシャ人の娘への想いを音楽に託して伝えるのだが、音楽はしばしば言葉よりも大きな力を持つ。娘の心に変化が起こる。そして娘はマンドリン弾きへの想いを情熱的な踊りで伝える。自分の感情を押し殺していた娘はそばにいた兵士をダンスに誘い、みなが見ている中でひときわ華麗に踊ったのである。心は真っ直ぐにマンドリン弾きに向けて。

音楽、そして踊りは、人に日常を飛び越えさせ、国境も、立場も越え、たったひとりの人間として、相手と向かいあうことを促す。
娘の父親は言う。
「熱にうかされたような時期はやがて終わる。その後に残るものが愛だ。」と
戦争にひきさかれた二人だったが、時を経て、兵隊はそのギリシャの村へ戻ってきた。お互いに長い年月お互いを必要としながらも、一人で行きようと孤独に耐えてきたのだった。再開。そこからはじまる新しい物語のことを思った。


2002年04月22日(月) Dに電話をかける

数年振りにまたユングを読み始めたことがいいことなのかどうか見当がつかない。しかしこれまでどおり心に起こった変化に忠実に従うことにしようと昨日は図書館からユング関係の本を8冊ほど借りてきて読みはじめた。
そのユングとどう結びつくのかは分らないが昨夜から友人のDのことがずっと意識にのぼってきていた。そして気が付くと取り立てて話す話題などありはしないのに彼女の電話番号を押していた。いったい今ニューヨークは何時なのだろう。もうベッドに入っている時間かもしれないと思いながらも私は番号を押すことを止めない。2コールほどでDが出てきた。電話をかけておきながらHelloという彼女の声に、受話器の向こうに生身のDがいるということに一瞬たじろぐ。日常的にそしてほとんど無意識に私は彼女と心の内で話をしているものの実際には久し振りに聞くDの声だったから。健康のこと、仕事のことお互いの夫や同じ歳の子ども達のことを話す。英語で話せることはせいぜいこれくらい。いつも言葉にできない思いが後にたくさん残る。そういうわけだからあまり電話はかけないのだ。

私より10才年上、アメリカ人の物書き、コラージュなどもやっているボヘミアン風のアーティスト、内向的。勘定してみると10年前のちょうど今頃私は初めてDに出会ったことになる。不思議な出会いだった。彼女に会うために私はアメリカに来たような気がした。私が今のように日常的に書いてはいなかった頃、彼女はさかんに私に書くことを勧めた。彼女の書いた小説の原稿の写しをくれたり、女性の物書きたちの集まりに私を連れていったりもした。子ども連れの旅もしたし、子どもたちをサマーキャンプにやって、二人で旅に出たこともあった。Dのことはいわば音楽のように私に染み込んでいる。聞いていない時にも身体のどこかで鳴っている音楽のように。

出会いは不思議だ。偶然のように見えるが偶然などではないのだと思う。
出会った事の意味ははっきり分らなくてもそこには必然があると。その人と出会わなければ顕れることのなかった別の自分の存在がはっきりとここにある以上。
新しい出会いもまたあるのだろう。そうやって歩むべき道へと誘われていくのだろう。


2002年04月21日(日) グレートマザーか永遠の少女か

いったい私はどんなおばあちゃんになるんだろう。またなりたいんだろう。時々そんなことを考える。精神の有り様とは裏腹に日々、外見は変容していく。変っていないつもりでいるだけにカメラなんかで現実の姿を映されたりしたら、若いというのが幻想だったことに気づかされる。まあ、良い。このさい姿形の変容は潔くあきらめ、どういう形で自己実現するか、そちらにフォーカスすることとしよう。

今日の礼拝は牧師が不在のため、引退牧師のY先生が説教を受け持ってくださった。著名な神学者で本もたくさん書いていらっしゃる方だが、お歳を召し、身体も弱っていらっしゃるのでこれまで長いこと説教台に立たれることはなかったが今日は初めてY先生の説教を聴くことができた。声が朗々と響き渡るという具合の話ぶりではない。マイクの音量を精一杯上げても、息を詰めるようにして耳を傾けていなければ聞き落としてしまいそうにその声は小さい。しかし今にも折れてしまいそうに細い体から細い声で語られる言葉は実に混じり気のない恐ろしくきっぱりとしたものだった。教会の中には不純なもの、まがい物が混じる危険性があることを指摘し、純粋な福音だけを求めていきましょうということを語られた。
Y先生を見ていると「老賢者」という元型よりは「永遠の少年」という元型に近いものを感じる。不純なものを自分のまわりから、また自分自身の内からも排除していこうとする頑なさを私は好きだ。これもひとつの自己実現の形だと思う。

ユング心理学で「老賢者」と対になる「太母(グレートマザー)」、すべての存在を受け入れ許し癒す偉大なる母は女性にとっての自己実現の理想の元型なのに違いない。しかし私はどちらかといえば、「永遠の少女」の元型の方が性に合っている。グレートマザーになれそうにない負け惜しみかも知れないが。


2002年04月20日(土) PTAの集まりに出かける朝

今日は次男の授業参観とクラス懇談会の日。息子は「来なくていいよ」というが高3授業参観だとすれば、これはおそらく最後の授業参観なのだからいくら彼がご迷惑でも少しは見ておきたい気がする。おばさん恐怖症のおばさんとしては一人知らないお母様方の中にぽつんとしている懇談会は考えただけでも気が重いがこれだって私の人生で最後の父母会なのだろうから行っておこう。
昨日のサウナでのこわいおばさんたちのことがまだ心から離れないようだ。ちょっと自分を励まそう。
テーブルの上にはかわいいバスケットのフラワーアレンジメント。濃いピンクのガーベラと薄いオレンジ色のミニバラ、白くてまあるい小菊、中央には赤いかわいらしい実がたくさん付いた小枝。英語学校でいっしょに仕事をしている麗しいバイリンギャルのMちゃんから誕生日のプレゼントにいただいたお花だ。今朝飲んだコーヒーのカップは薄紫色とグレーが微妙に混ざり合った美しい陶器のカップ。アメリカ人だけど、お互いに姉妹と呼び合っている15歳年下の妹分がこのカップを見た時に私を思い浮かべて私のために求めてくれて誕生日のプレゼントにくれたものだ。私にはこんなやさしい年若い女ともだちもいれば、映画にさそってくれる頼もしい姉貴のような女友達もいる。世の中にはこわい女の人たちがいることは知っているが私のまわりにいる女たち、ネットで知り合った女たちはほんとにみんな心の柔らかなやさしい人たちばかりだ。こわいと感じるおばさんたちだってひとりひとりと向かい合ってみればきっといい人なんだろう。
さていざPTAへ。


2002年04月19日(金) つくしんぼ、英語と歌とジャズピアノ

小さい子たちは好きだ。幼稚園とか保育所といった小さな子たちがたくさんいる場所のエネルギーが好きだ。とりわけ大人のルールで仕切られたり、躾けられたりしていない自然のままの子どもの姿を見ることのできる場所が好きだ。
2ヶ月に一度、近所のつくしんぼ保育室で英語の歌と遊びの会に行くのを多少緊張しながらも楽しみにしている。

今日はネット仲間で偶然にも同じ町の住人だったナベトモさんをゲストにお呼びし、英語の歌にジャズ風の伴奏を入れていただいたり、園長のTさんと私が日本語と英語で読み聞かせ「はらぺこあおむし」に即興でバックに音楽を入れてもらった。また英語の歌遊びの後は、童謡のメロディーをジャズ仕立てで演奏していただく。一人の女の子などはおもちゃの太鼓を持ってきてピアノの傍らで一心にセッションをしているつもりになっていたし、目を閉じて気持ちよさそうに音に身を任せているお母さん方もいた。「おべんとう」の歌や「どらえもん」の歌ディズニーの歌のリクエストもあった。そして大方の子ども達は音の流れる空間でいつものように笑ったり転がったりおもちゃの取り合いをしていた。若いお母さんや小さな子どもたちが40人ほどのオープンハウスとなったが果樹園を後ろに見ながら開け放たれた縁側とそれに続く庭にくつろいだ感じのお母さん方や子どもたちの遊ぶ姿を見るのは楽しかった。
コンサートといった固苦しいものではなく、日常の空間の中に非日常の音が流れることでその場の空気が全く違うものになることを大人も子どもも楽しんでもらいたいというのがねらいであり、その試みは成功したと思った。お母さん方が母親の立場からふっと自分に戻る、そんな時と場所がもっとあってもいい。

音楽療法の本を読んだり、ワークショップに参加したりしたことがあったが、音楽が人の心に働きかけることについて学んでみたいと思う。これまでの技術や音感を見につけさせるための音楽教育とは違った視点で音楽の教育や治療への働きが取り上げられるようになった。音楽の厳しさにこっぴどくやられある意味トラウマにもなっている私の「音楽」を底のところから開放してあげたいとも思っている。


2002年04月18日(木) おばさんはおばさんが怖いのか

最近の映画館は女性は千円で映画が見られる日を設定しているところが少なくない。私が良く利用するマイカルは水曜日がレイディースデイ。女ともだちと映画を見る時には当然この日になる。私は水曜日の午後はクラスがあるのだが、幸いなことに映画館から仕事場へは歩いて20分なので月に一度くらいはこの恩恵にあずかってもいいかなと思っている。
さてその水曜日の朝、比較的広い映画館のフロアーは女たち、それも中年の女たちで溢れる。だいたいは2人やグループで来ているから、一人で友人を待っている間、何か妙に不安定になってトイレに隠れたりする。自分がおばさんだというのにおばさんの集団にいわれぬ恐怖心のようなものを感じるのが常だ。知らない女たちの中に友人の姿を見つけてほっと息をつく。
これって私だけかしら。ひょっとしておばさんはおばさんが怖いのではないかしら。それでこういう場所にはみんな誰かといっしょにつるんでくるのかもしれない。

翌日スポーツクラブのサウナで私は久し振りに集団のおばさんたちの恐ろしさにびくってしまった。人が2,3人しかいなかったので隣の方に習い、横になって目を閉じているとなんだかうるさくしゃべりまくる集団が入ってきた。ここで私は起き上がり小さくならなければいけなかったのだろうが、あまりの迫力に体制を変えることも忘れてしまっていた。「この人たち、うるさいなあ。密室でこんなに大声でしゃべられてはリラックスするどころの話じゃない。」と思っていると足をつつかれた。「人が入ってきたんだから、あんた起きなさいよ。」一瞬はっとして「すみません」としおらしく体制を変えて小さくなったが、10人くらいのうち、半分がお互い顔見知りのようで、我が物顔で大声でのおしゃべりを続けている。人に注意しながらこのマナーの悪さはいったい何?むかっ腹が立ってきた。
「あのう、すみません。」と声を出すと
おばさんの集団がぎろりと目を向ける。「こわっ」良く見かける人たちだからこの場の主のような存在なのだろう。ふてぶてしそうな新顔を威嚇しようとしての態度だったのかもしれない。こういう場合私は挑戦的になってしまう。よしときゃいいのに。
「ここって、大声でしゃべることが許されてる場所なんですか。」
ああ、言っちゃったあ。
「ほら、あんたが起こしたりするからよ。」
と別のおばさん、
「気が付かない方がおかしいのよ。」
とおばさん特有のいじわるな口調。
しかし相手は多勢でしかも古株。おしゃべりをやめることはなかった。
これだからおばさんの集団ってやなのよ。

久し振りのむかっ腹。あのおばさんたちと顔を合わせるのやだなあ。
こういうタイプの人たちって、後もこわいのよねえ。弱気になるといじめられる。ふと転校してきたばかりの小学生がいじめの集団に歯向かうというシチュエーションが頭をよぎる。理屈や道理の通らないのは子どもの世界だけじゃあないんだ。一瞬、いじめられっこの気持ちが我がことのように分った。そうかこういう重ーい気分ね。君たち、学校という過酷な場所で良く行きのびているよ。ほんとに。
でもこんなことで私が最近見つけた楽しみを止めるわけにはいかない。
弱気になんてならないぞ。ひとりのおばさんだって強くなれるさ。



2002年04月17日(水) 映画「シッピング ニュース」

ニューファンドランド島、凍てつく雪の中吹雪の中で20人ほどの開拓時代の
服装の男女が大きな家をロープで引いている。幻想的なシーン。40年もの間人の住んでいなかった廃屋は四方をロープで支えられているがその家は風が吹くとまるで泣いているような音を出す。母親を事故で亡くし、父親とともに、祖先が住んでいた土地へとやってきた少女はこの古い家の心を読み取っているかのようだった。少女は家がロープの縄目から自由になりたがっていると言う。実際この映画の中に登場する人間たちは、それぞれに過去の重い傷を抱え、そのことに縛られていた。そしてこの映画ではそれぞれが抱えてきた痛みが癒され解放されていく過程が暖かくまた深い人間洞察の中で描き出されている。嵐の夜、ロープで支えられていた家が崩壊する。しかし、それはこの家の重い過去、そしてそれぞれが抱えてきた過去からの解放を象徴しているように思った。現実の重さとは裏腹に、都会で新聞社のインク係をしてきた主人公の男が故郷の島で港湾ニュース(シッピング ニュース)の記者になって記事を書くようになる場面はしゃれたユーモアがあちこちに効いていて、思わずクスリと笑ってしまう。

監督は「ギルバート グレイプ」「ショコラ」のラッセ・ハルストレム。スウェーデン出身だ。そういえば、これらの映画に共通している部分が見えてくる。どれも主人公は社会の中でのアウトサイダーたちがであり、解放と癒しというテーマを持ち、豊かなヒューマニズムに満ちていて、一様に観た後に清清しいものが残る。また現実の風景がどこか幻想的にファンタジックだ。こういうのを詩的な映像というのだろうか。だから時間が経って映画の細部の記憶は薄れてきても、その中の風景やその匂いのようなものが自分の心象風景のように染み付いているのに気がつく。アメリカ映画なのにずいぶんヨーロッパ的な感じだなあと思っていたが、彼がスウェーデン人だと知って納得した。以前ビデオでスウェーデンの児童文学作家リンドグレーンの「やかまし村のこどもたち」を映画にしたものを観たが、これもハルストレム監督の作品だった。だいたい映画が原作に勝ると感じることは少ないが、その映画ではスウェーデンという国がどういう国なのか百聞は一見にしかずで本の中のやかまし村をほんとうに目にしたような驚きがあった。


この「シッピング ニュース」でピュリッア賞を受賞している原作者E・アニー・ブルーは、
「もし風景を正しく掴むことができれば登場人物たちはそこから歩み出し、正しい場所に収まるでしょう。ストーリーは風景から生まれるのです。」
と語っているが、この映画はそんな作者の想いと呼応するように、風景がそこに生きる人たちをしっかりと抱きかかえているようであり、また風景そのものが言葉を超えて多くを語っている気がした。

興味深い映画だったし、深く印象に残る映画には違いないが、ここまで書いたことを読み返してみると少しも私自身が出てきていない。何かよそごとという印象の書き方だ。日本の山間の町で育ち、平穏な家庭生活を送っている私には荒くれの海賊をルーツに持つ人々の痛みも、海で生きる死と隣り合わせの生活も、また破綻してしまった結婚や新たな恋の芽生えもどこか遠いところのできごとであることにはまちがいない。


2002年04月15日(月) 月曜日のスポーツクラブ

だいたい月曜日は買い物にさえ行かなかった。特に土、日と週末に出かけた後の月曜日は断固家の外にはでなかった。そんな私が9時半のエアロビクスのレッスンに間に合うべく、一心不乱に自転車をこいでいる。

この日の運動のメニュー
やさしいエアロビクス30分、ステップエアロビクス30分、アスレチック30分、平泳ぎと背泳ぎのレッスン30分づつ。自転車こぎ、往復で50分。
体重1k減。満足、満足。

私をジムにさそってくれたFはプールに毎日行きたくてほとんどビョーキなのだが、私も行けることなら毎日ジム通いをしたいところだ。
身体を動かすってこんなに気持ちのいいことだったの。今までスポーツと無縁に生きてきて何か損をしたような気になる。


2002年04月14日(日) 砂漠で水に

今日の礼拝の後である方が「砂漠で水をもらったような説教だった」と表現されていた。うまいことをいうなあと思った。私たちは水のように力ある言葉に飢えていたのかもしれない。身体の中にも建物の中にも冷たく澄んだ水がさらさらと流れるようであった。霊的なものとそうでないものとがあることをあらためて味わい知る。
一週間が違ったものになる。来る日曜日が待たれるという幸い。


2002年04月13日(土) 池袋での初練習

池袋の東京芸術劇場へ。
ミュージカルの練習の初日。
発声の担当だったが、太極拳の担当者がお休みだったので代わりにヨガもやる。自分でやるのと教えるのとではずいぶん勝手が違う。
発声は広がった声ではなく、細い入り口から出てくる集中した声を出すことを狙いにしたが、これも自分が受けたレッスンを人に伝えることの難しさを感じた。やはりインストラクターはすごいとあたらめて思う。
イメージトレーニングでいろんなキャラクターになる楽しさを感じた。芝居ってはまるんだろうなあ。
マイクはやはり使わないということになったが、私はやはり必要な気がしている。よほど訓練しても300人の人間が満足できるパフォーマンスとして成立する音量まで到達するのは大変な気がする。


2002年04月12日(金) ガーデニング

書いたはずの日記が消えている。
この日に植えたたくさんの花の名前を書き込んだガーデニング日誌だった。
同じ文を書く気はしない。

オレンジ色のマリーゴールドを4株、ハーブの寄せ植え、ヘリオトロープの紫は鮮やかで、香りは優しい。露の時期を越せないかもしれないけれど、それまで楽しむとしよう。
植えるのは遅くなってしまった、ノースポールやムルチコーレは20株で480円成りのサービス品。短い間でもいろんな花とすごすのはうれしい。ホクホクと買って植え込む。20株の中には時期の過ぎた芝桜も混ざっている。来年には広がるだろう。ハナミズキの根元とアイビーを植え込んだ窓の下にも植える。私の育った家には毎年鮮やかなピンクの芝桜が石垣の上にたくさん咲いていたっけ。
今を盛りと咲いているチューリップやパンジーが終わりになっても、今日植えた花たちが育っていく様子を見ることができる。3種類のバラの蕾もふくらんできている。

スポーツクラブにでかけようかとずいぶん迷ったあげくに苗やに行って花の苗を買いガーデニングをした。今日植え込みをしなければ、これから咲く花がないところだった。


2002年04月11日(木) 人生というそれぞれの映画

山川紘矢・亜希子さんのメルマガ 「紘矢・亜希子の自由きままに」が毎日届く。今日のメルマガの最初の部分に「聖なる知恵の言葉」からの引用としてこういう言葉が書かれていた。

「人生は私たち一人ひとりが、
それぞれの目を通して見ている映画です。
そこに何が起こっているかはたいした違いはありません。
それをどのように受け取るかが重要なのです」

今日は日記に何を書こうかと考えていたのでこの言葉にピンと来るものがあった。果たして何人の人がここを開いて読んでくださっているのか、またどのように読んでくださっているのか私は知ることはできない。けれども、ここに書こうとする時にやはり私は目に見えない読者の方たちに心を向けているという気がする。私の人生(大袈裟な言い回しだが)の一コマを私の目を通して見たことを自分にも読んでくださる方にも誠実であるために、嘘偽りなく、そしてできるだけ、気持ちの深いところから汲み出して書きたいと願っている。
先に挙げた「聖なる知恵の言葉」を引用すれば、ここに書くものが私というただ一人の人間が見ている「映画」のひとコマで、これを読んでくださっているそれぞれの方の「映画」となにかしら触れ合ったり響きあったりすることを望んでいるのだ。例え読んでいる方の存在は見えなくてもレスポンスはなくても、エネルギーは書く者と読む者の双方に流れ合っていると思うのだ。実際私はこのように自分の「映画」を言葉に乗せて自分の外に出すようになってから、とても自分の空間が広がった感じがしている。またどこからともなく共感や響き合いのエネルギーが私のところに届くのを感じている。

私もまたネットで公開されている日記を読むが、それはその人の目にしか映らない唯一の「映画」に興味があるからだろう。売られている文、お金になる文にはない自由でその人がまるごと感じられるようなエネルギーに出会いたいと思っているのかもしれない。




*メルマガ「紘矢・亜希子の自由きままに」はHPから申しこむことができます。 http://www2.gol.com/users/angel/




       


2002年04月09日(火) 繰り返し十字架に

今朝、ホームページの掲示板にナベトモさんからベツレヘムの聖誕教会が攻撃されることについての書き込みがあった。
正直なところ、政治の話は苦手だ。あまり新聞を読まないし、テレビもほとんど見ないので、おおよそのことは目や耳から入ってきてもそのことを論じるほど、外の世界で起こっていることについてまじめに考えていないのである。これは言い訳のようだが、まさしく言い訳なのだが、社会で起こっている「凄いこと」にひとつひとつ心を留めていては身が持たない、先へ進めないという気持ちになってしまう。爆撃のニュースを聞いたすぐ後に、幼児の白骨死体が押入れからたくさん出てきた報道を読んだすぐ後に家族のご飯の支度をしなければならない。ささやかな日常ではあるが私はそれを進めていかなくてはならない。そうだとすれば、歌や祈りや花などからポジティブなエネルギーをもらい、世の中の争いごとや憎しみや不正からくるネガティブなエネルギーを取り込まないように自己防衛をしてしまう。社会科の先生からはしかられてしまうけど。

しかし、今日はどういうレスを書こうかと、少しだけイスラエルとパレスチナのことを心にとりこんで私の感じたことを書いた。あまりに根が深く、イスラエルとパレスチナ間の問題に限らず、イスラム世界に対するアメリカの偏見や、テロ対策を口実にして、アメリカの流儀が通るように世界をまとめたいといった野望のようなものもそこに見え隠れしている。それぞれが「神」を引き合いに出しながら、一番神から遠い行為を繰り返しているように思える。そういうことを考えても、イエスは実に革命的だった。全く神の人だった。彼は命を得ようとするものはそれを捨てよと説くのだから。得ようとするものは失い、失うことで得ることができると。この世の悲劇は得ようとするがあまり、ことごとく失っているということ。そのことに私も含めて誰も気づかない。気づいても止めることができない。そうやって繰り返しキリストを十字架にかけ続ける。

<掲示板へ書き込んだこと>

ナベトモさん、おはようございます。昨日は新学期のはじまりでバタバタしていて、こういうシリアスな書き込みのレスができないでいました。
他のクリスチャンのことは分りませんが、私にとってはキリスト生誕の地ベツレヘムの聖誕教会が攻撃されること自体にはそれほど痛みを感じません。そもそもキリストの肉体が十字架上で徹底的に破壊されたのですから。領土もお金も名誉も命さえも、この世で人々が人を傷つけ、陥れても手にしようとしているそれらいっさいのものをキリストは「ちり」に等しいものと訴えて、そのことを身をもって示したのですから。
イスラエル側もパレスチナ側も、自分たちの正義を頑なに信じ、相手の立場や痛みの方向からものごとを見ようとはしない。キリストが十字架にかかってまで「愛する」ということ「友のために命をすてること」を説かなければならなかった2000年前の人の心と今日の状況は少しも変わっていないのですね。
私たち人間は聖誕教会を破壊するどころか、キリストを繰り返し十字架に付けて殺していることを思って胸が痛みます。どのような戦いであろうとそれが人を傷つける以上、それは罪。神から一番遠いことなのに。


2002年04月07日(日) スピリチャルな空気

同じ場所の空気が時として変わる。
教会の礼拝堂はもともとスピリチュアルな場所であるが、そこに集まる人、礼拝を執り行う人、奏でられる音楽によってその空気はその時々に変化する。
安心したまどろんだような空気、その反対のぴりぴりととがったような空気、散漫な空気。いろんな空気があったが、今日の空気はそのどれとも違っていた。どう言葉で表現したらいいのだろう。そもそもその微妙な空気を言葉になどできないとは思うが、例えばスピリチュアルな空気と名づけよう。天へと向かって太いエネルギーの柱のようなものがその場所から屋根を突き抜けてまっすぐ天へ上っていくような印象だった。

今日はこの教会に新しく与えられた牧師の就任式。
司式者から牧師に聖書の言葉が与えられる。
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えなさい。どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。」
そして誓約。
「、、、、、あなたは忠実にその職務を行い、福音宣教のわざに励むように努めますか。」

「はい、神の助けによって責任を果たします。」

この約束の言葉と同時に大きなエネルギーの動きを感じた。そこにいる人々の心に起こった衝撃は目には見えなくても感じられるものである。魂のレベルでの結びつきが成立したのだ。このように言葉は時に一瞬にして空気を変えてしまう。言葉が言霊になる時。

就任の祝福を聞きながら感謝に満ちていた。
「主は、あなたをこの教会の牧者として立ててくださいました。
主はあなたの働きを祝し、務めを全うすることができるように助けてくださいます。」


2002年04月06日(土) 春咲小紅

一夜明けて、腿の筋肉は痛いが足腰が立たないということはなかった。それよりも新しいことに目覚めたためか、それとも満開のチューリップからやってくるエネルギーのためか、ふわふわと宙に浮いているような陽気さで朝を迎えた。しばらく聞いていなかった矢野顕子のCDアルバム「ただいま」をかける。今朝はそんな気分だ。
ふと、ふるさとを後に羽田空港へ向かう飛行機に乗っていた21年前の春の日のことを思い出した。あの時、空の高いところから雲を見て口づさんでいたのはこのアルバムにある「春咲小紅」だった。生まれた町から、親から、仕事からも離れて知らない土地で新しい暮らしを始めることが何ともうれしかった。新婚生活とか主婦とか外側にはそんなラベルを新たにくっつけていたのだろうが、実際は初めて誰からも所有されていない自由な身の上になったという開放感に浸っていた。積まれたダンボールの箱を開けている25才の私。団地の2DKには春咲小紅がテーマソングのように流れていて。


2002年04月05日(金) 充実の金曜日

一日をこれといって何も特別なことをしないままに終えることが多い。特に金曜日は何も仕事がオフでどこにもでかける必要がないので、大体は一日家にこもって、テーブルの上にパソコンや本やノートを広げ、窓の外が朝から夜になるという具合だ。ところが今日は違っていた。私はとてもアクティブだった。

まず、mGが今日から10日ばかり出張で9時半に家を出るので、それまでに庭のチューリップをデジカメで撮ってUPしようということになる。今回は私が撮ってみた。アングルとか構図とか難しいことは分らないし、眼鏡をかけているためか、画面が光っていてピントを合わせるどころではない。何とか花が入っていそうだくらいのいい加減さで3分くらいの間でカシャ、カシャと撮る。でも再生してみると、なかなか綺麗。それをmGがすばやくHPにアップし、完了。これで今年のチューリップが終わってしまう前にその姿をとどめることができた。

mGを駅まで送った後(私は車を運転しないので彼が車で運んだトランクを私が駅で見張っておく。その間に彼が車を家に持って帰り私の自転車に乗って駅へ戻ってくるという複雑なことをしなければならない。)、大急ぎで洗濯物を干し、必要最小限の家事をやっつけ、バックにタオル、運動着、水着、風呂の支度まで詰め込み自転車に飛び乗る。今日は隣の市にあるスポーツクラブまで自転車で行くことに決めたのだ。一昨日はバスと電車で行ったのだが、待ち時間を入れると小一時間かかってしまった。それに交通費。スポーツクラブの月会費7000円をなんとか捻出しようというパートタイマーの身に往復700円の交通費は痛い。地図で調べるとただただ真っ直ぐに行けば良いようである。ただ、その道路は車の往来が激しく、歩道もないところをバスやトラックとすれすれに走らなくてはならない。きっと、この道路に平行に走っている農道があるはずだ。探しながら行ってみよう。今日は時間に押されることもないから、道に迷ったとしても大丈夫。ちょっとした冒険気分で見たことのない道を見当を付けながら走ること30分、それほど疲れることもなく目的地に着く。なあにたいしたことはない。お金がかからず、時間は半分。その上、ここに来る前にもう運動を始めたようなものだ。ジムのオートサイクルをやったことになるではないか。しかし、それよりなにより、自分の足で移動し、ここまで来たということがなんともいい気分だった。

ドトールで軽い昼食を取りジムへ行くと、スタジオではボディーパンプというクラスが始まろうとしていた。どんなものかは分らないがとにかく参加してみようとスタジオに入る。重量上げのようなことをやるようだ(あれはベンチプレスというのだそうである)。他の人が用意しているのを真似て、ベンチ、ポール、大小のおもり、ストッパーなどを用意する。さすがにこのクラスはおじいさんやおばあさんはあまりいない。若い女の子や男の子が多い。春休み中の大学生かしら。ノリのいい音楽がかかる。元気が良く、笑顔がさわやかなインストラクターがリズムにあわせながらベンチプレスを使っての様々な動きをリードしていく。こういう運動は退屈でひたすら忍耐しながらやるものという先入観があったが、掛け声をかけたり、歌ったりしながら重いオモリを持ち上げながら動くのである。これはいい発声練習になると思いっきり声を出しながらエクソサイズをする。(音楽のボリュームがすごいので大声を出しても全然平気なのだ)

クラスが終わったら水着に着替え、おととい習った背泳ぎを復習する。そうするうちに隣のプールではアクアワークアウトという水中エアロビクスのようなものが始まっている。半分ほど参加して、水から上がり体操着に着替えてジムに行く。はじめてフィットネスを利用する人たちのためのオリエンテーションのクラスに参加するためだ。オリエンテーションは3人に一人のインストラクターが付き、血圧や体脂肪、運動力などの個人データを取り、個人のファイルに記録していく。その後、身体の様々な部位の筋肉を付けるための様々な道具の使い方を指導してもらう。これをいつもやっていたら相当体力が付くだろうと思った。若くいかにもスポーツマンといったハンサムはインストラクターは
私を見て「でもこれで細くなったりはしませんからね。筋肉は付きますけど。」と言った。ふん、誰もそんなこと聞いてないのに。

今日のしめくくりはお風呂とサウナ。実はこれがあるからジムに入ることを決めたのだ。ゆっくりと疲れを取ってリラックス。ほんとはあと一時間くらいいたいのだが、私は平日6時までの会員なのでもう時間切れ。それに暗くなる前にかえらなくっちゃ。
随分運動したけれど、まだ30分自転車をこぐ力は十分にある。帰りの道は行きよりもうんと短く、農道から本道へ戻るともう見慣れたわが町の交差点のところまで来ていた。家についたらもうバタンキューかと思っていたが、どういうわけか全く元気。でも夜更かしはしないで12時には寝るとしよう。さて、明日
足腰が立たないなんてことになっていませんように。


2002年04月04日(木) Jを訪ねる

友人のJを訪ねる。都心の新しいマンションは彼女がメールで知らせてくれた通り、なるほどお勝手仕事をしながら外の景色を見ることができる。対面式のキッチンのカウンターのすぐ下に電気ピアノが置いてあるので、私はJがお昼ごはんを作ってくれている間、ピアノで遊んだ。パイプオルガンやコーラスやストリングと音が選択できたり、弾いたものをすぐに録音できるのがおもしろい。
「気の利いたジャスが弾けるといいんだけど。」と私
「ビートルズを弾いて。」とJ
Let it be なら弾けるかな。主要3和音の単純なコードしか付けられないのが残念だけど。
お手製のケーキにはチョコレートクリームで私の名前と Happy Birth Day 。
文字の入ったケーキなんて何年ぶりかしら。

Jの子どもたちと我が家のこどもたち、良くころころと遊んだものだった。泊まりっこもしたおさななじみ。その子どもたちの大きく逞しく育ったこと。その昔、アメリカで同じ小学校に通ったJの長男が我が家のHと同じ大学の同じ学部に入学して2人はまた泊まりっこをはじめた。きっと幼い頃とは違った出会いがあるのだろう。
時間はあっという間に過ぎる。
Jと娘のMちゃんが駅まで見送ってくれる。
今度はいつ会えるだろうか。


2002年04月03日(水) 誕生日、事始

40の手習いか。そういいながら、40になってからいくつかの「手習い」をやってきた。スピリチャルヒーリング、ボイストレーニング、ヨガ、よくよく考えてみると、この3つに共通することがある。「からだ」と「こころ」との関係とでもいったらいいのだろうか。こころの有り様をからだのレベルでとらえていく。また身体をある状態に持っていった時に起こるこころの変化をとらえていく。

今日の誕生日のお祝いにジムの会員になるという贅沢なことをやってしまった。運動には小さい頃から縁がなく、というより忌み嫌っていて、大人になって体育というものをやらなくてよい身分になったことが何よりうれしかった。運動しないのは身体に良くないということは分かっているものの、何を好き好んで嫌いな運動をするだろう。だいたい運動という言葉自体嫌いなのだから。

こんな私は月ぎめの会費を払ってこれから、空いている時間にはジムに通おうというのである。我ながらいったいどういう風の吹き回し?という感じである。
ひとつはダイエットは成功したものの、悪玉コレステロールは年々、高くなるばかりで、医者からも「運動」の必要を説かれていたことがある。2つ目は私と同じくらい運動音痴で運動と縁がなかった友人のFが10月以来、スイミングにはまりにはまっていることである。毎日プールに通っているのだという。クロールも背泳ぎも出来るようになったとあれば、私も何とかなるかも知れない
という気がしてきた。それにこの頃は水が好きで、一日でも水(お湯)の中に浸かっていたいほどである。温泉や銭湯で3時間くらいボーッと過ごすのもいいけれど、どうせ水に浸かるんなら身体を動かしながら入った方がいいに決まっている。4月3日までに入会すると3万円の入会金が無料になるという有難いクーポンをFからもらっていた。都合のいいことにこの日は誕生日。何となく大義名分も立つような気がしてくる。えいやっとばかりに会員の手続きをしたのである。

だいたい私は泳ぎが好きだったりうまかったりしたためしがないが、私より10も20も年配のおばさまたちに混じって初心者向けのクラスの中にいると私だって出来るという気になるから不思議である。
まずは背泳ぎ、息子くらいの年のかわいい顔つきの少年がインストラクターなのだが、おばさんたちに劣等感や不安を与えないように笑顔を絶やさず、言葉がけにも思いやりがある。こういう立場に立ってしまったことに複雑な心境はあるものの、インストラクターの指示通りにあごを引き、目線を下に下げ、肩の力を抜くと気持ちよく背泳ぎの形になる。足を持って動かされると、見たり聞いたりするのでは分らなかったこつが初めて分る。こういうのをスイミングレッスンというのかと何にでも感心する私はここでもひとしきり感心する。次は水中エアロビックス。これも我が子くらいの年の元気のいいお姉さんがのりの悪い、おばさんたちを乗せようとそれはがんばっている。日頃、乗せる側として心を砕いている身には彼女のパワフルなリーダーシップや健気さが心地よく、いい仕事をしていますねと声をかけたくなった。それにしても、かなりの運動量である。しばらくFとしっしょに、ジャグジーでマッサージしたり、リラックスしたりしていると、クロール1のクラスが始まったのでこれにも参加してみる。なるほど、初歩の生徒にはこういうふうに指導するのかとスイミングレッスンのメソッドが面白いと思った。

そういえば、私の育った時は小学校にも中学校にもプールがなく、まともに水泳を習っていないのだ。小学校の教員免許をいただくために、死ぬ思いで、ほとんどおぼれながら25メートルをクロールもどきで泳いだことは泳いだ。正しいフォームなど知らないで闇雲に泳いでいたから溺れそうになったのだと今ごろになって思う。しかし、こどもの時か、さもなければばうんと歳を取ってからしか、泳ぎ方を習ったりできないものである。おばさんももう後半の方になれば、ビート板も抵抗無く使える。

午後からは水から上がり、スタジオであっているエアロビクスや器具を用いてのトレーニングをやるつもりだったが、もうそれをやる元気が残っていなかった。それでも食事をするとまた元気が戻ってきて、帰りは真っ直ぐ家に帰らないで、大宮に出て、教会へ行く。もうお若くはない牧師夫妻にとって、本の詰まった重い箱をひとつ動かすだけでも骨の折れることに違いないと夕べから気になっていた。暮れるまでの短い時間だったが少しお手伝いをする。牧師夫人と生協のこと、食品へのこだわりのことなど親しくお話できて良かった。



2002年04月02日(火) 引越し

今日は新しい牧師が引越ししてくる日。私は鍵をお渡しする役目なのだが、お天気も良いことだし、家まわりの草ぬきでもしようと早めのお昼を食べて出かける。風を通そうと窓を開けるために牧師館に入ると、昨日業者が清掃に入ったので安心していたもののいろいろと気になるところが見つかる。ガス、水道、電気も止まっている!あちこち電話をかける。カーテンも網戸も付いていない。
やはり気になって来ていたMさんと顔を見合わせ、これは大変と窓やサッシの寸法を測ったり、磨き粉で磨いたり、植え込みの木を払ったりと泥縄もいいところである。
Kさんもかけつけてくれた。やはりこういう時は男手が必要だ。そしてKさんはこういう家のメインテナンスの類がめっぽう強い。わたしひとりではなくて何人かの人といっしょに牧師を迎えるための準備やお迎えができてほんとに良かった。
5時過ぎ、S牧師とご家族が到着する。息子さんとお孫さんも手伝いにいらした。暖かなファミリーの雰囲気が伝わってくる。
「お待ちしていました。」と出迎える。
今日のことではない。昨年の秋から待っていたことだ。
新しい時が始まる。

これまで何度か引越しをしてきたのに、その時のことをその都度忘れてしまっている。一番大変だったのが、一足先にアメリカに行った夫を追って、5歳と3歳の子を連れて一人で家をたたみ、アメリカに移住した時。あの時は弟と私の両親、また同じ団地に住む友人たちがご主人も連れて手伝ったくれたので辛うじて夕方までに空港の中のホテルにたどり着けたのだが全くひやひやものであった。この引越し前後のことを繰り返し夢に見てはうなされた。

この家に引越しした時も、前々から準備していたにもかかわらず、その日は、引越し屋さんが着てもまだ荷造りがすんでおらずパニックったり。また本だなを退けてはじめて壁がかびていることが分り、引越しのトラックが荷物を降ろすやいなや、ドイトに壁紙を買いに走り、出てきた社宅にとんぼ返えりし、夫と二人で夜遅くまで壁紙張りをしたりした。後始末の方が大切と思ったのだろうが、なぜあの時点で壁紙張りなどをしたのか何とも不可解な行為である。
この先、また引越しをすることがあるのだろうか。引越しは嫌いだけれど、引越しでもしなければ、増え続ける物に早晩押しつぶされてしまうだろう。


2002年04月01日(月) 4月はじまり

1年には色々なはじまりがある。
元旦、誕生日、学期のはじまり。私はその中でも4月1日、それに続く3日の誕生日を、私の1年の始まりと決めている。
去年はこの日記を付けることをスタートした。今始めようと考えていることがひとつあるが、果たしてできるかどうか、、、。

我が家の少年Mは昨日、頭をマルコメにしてきた。ちょっとぎょっとするいでたちである。なんでわざわざと思うのだが、「気合」を入れたいのだそうだ。今日からバスケットボールの合宿へ行った。「気合」には受験勉強のことも入っているのかしらと母は思うけれど言わない。
少年Hは入学式の後の学部のオリエンテーションで話をするとかで自分の時にも着なかったスーツを着てでかけた。去年、胸がいっぱいになった入学式からもう1年たったのだ。彼の身辺も変化の連続だった。
夫は5日からアメリカへ出張。大きな展示会、気の張る仕事からスタートである。

今朝のテーブルでの会話を掲示板に書き込んだがここにも書いておこう。

<掲示板/4月はじまる>

朝起きてから、ずうっと気の利いたウソを考えていました。ここに書こうと思って。
少年M「お母さん、何考えてるの」
母  「ウソ」
少年M「そんなの、考えるもんじゃなくて、浮かんでくるもんだよ。」
少年M「あっ、思いついた」(携帯で何か送っているもよう)
母  「こんなのどう」
少年M「ちょっとねえ。日頃そういうことやり慣れていない人のはねえ。」

少年H「ね、ね、そこに置いといた風邪薬知らない?」
母  「台所で見たわよ。この頃、よく風邪薬が出ているけど風邪なんてひいてないでしょ。」
少年H 「風邪薬の中毒になったみたい。禁断症状が出るんだよ。ホラ震えがきてる。」
母  「ええつ!!!」

わたしはまんまと担がれ、結局なんにもウソが言えませんでした。



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