サーモンピンク・フラミンゴ
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2008年03月18日(火) Mの洗礼

M。

と聞いて「あら、今日はSMの話?」と思ったそこのアナタ様。

そうです。今日はSMの話です。
が、SMといっても、サディズムマゾヒズムといった、みなさまが喜んで食いついてくださりそうな、いっそワタシも食いつきたいというような、そういう楽しいSMではなくて。

聖子・松田のSMです。
なんてこったい。

松田聖子の、そして、松本隆の洗礼を受けて思春期を過ごした人間の話です。
ええ、ワタシも含みますが。
松本隆の作詞家としての顔以外、ワタシは知らないのですが、ワタシの知っている松本隆というのは、

アイドルの歌書かせりゃ日本一

という方であり、乙女心の魔術師であります。
隆ちゃんたら男の子のくせに。いや、男の子だからなのか。
とにかく、松本隆が書いた曲は、ぶりぶりと乙女心を刺激し、また男子の保護本能もぶりぶりと刺激し、よくまあ売れたのでございますよ。

これにSM、すなわち松田聖子を合わせ技にすればもう無敵。

なんでこんなもん書いているのかというと、今日気まぐれに、仕事しながら松田聖子のベストなんて聞いちゃったからであります。
で、時折耳に入ってくるぶりぶりぶりっ子な歌詞と歌声に

「すげえなこりゃヲイ(°д°)」

と思いつつも、その歌の登場人物たる女の子に

「か、かわいい・・・(*´∀`*)」

と思っている自分もいる。確実にいるのですよ!
ちょっと一部ご紹介させていただきましょうか。

・・・と思って今歌詞カードを見てみたら、聖子のデビュー曲「裸足の季節」から「夏の扉」まで(ど、どれも好きだ・・・)の超初期作品は、三浦徳子さんという方が作詞してらっしゃいました。
この方もMですね!
そして三浦さんの作詞も立派にぶりぶりしているので、「ぶりぶりMワールド」の仲間としてやっぱりご紹介しちゃいます。

本日ワタシが聞いていて「か、かわいい・・・」と思ってしまったぶりぶりワードたち。


二人っきりで流されてもいいの
あなたが好き

(青い珊瑚礁/三浦徳子)

うん。流される流される。
だからもっと好きって言って。


泣き虫なのは あなたのせいよ
(風は秋色/三浦徳子)

ごめーーん(*´∀`*)
やさしくするねー?


お願いよ
正直な気持ちだけ聞かせて

(白いパラソル/松本隆)

じゃあ正直に言うけど、嫌い(・∀・)
うーそーだーよーーーん(*´∀`*)  <だんだんワタシ、バカみたい


なぜ あなたが時計をチラッと見るたび
泣きそうな気分になるの?

(赤いスイートピー/松本隆)

好きよ 今日まで逢った誰より
I will follow you
あなたの生き方が好き
このまま帰れない 帰れない

(赤いスイートピー/松本隆)

ぶりっ子としての不動の位置を固めた歌と言っても良い、「赤いスイートピー」。
当時はさすがに、聖子の歌声と併せて聞くと「かわいこぶるのもいーかげんにしやがれ!」と怒っていたヤングなワタシだったんですが、
今聴くとなぜか「かわいい〜〜〜〜」と思ってしまう、Mの魔術。


キスしてもいいのよ
黙ってるとこわれそうなの

(渚のバルコニー/松本隆)

こわれちゃうと困っちゃうから、じゃあしちゃうね(*´∀`*)ゴッソサン


このあと、ユーミンが作詞陣として参入したりして、そして同じぶりっ子松本ワールドでも、少々悲しげな大人っぽさも加わってきたりして多少変化が見られるようになり、「ぶりっ子の王道」としては、じょりぃ判断によるとこのへんまでです。
今ちょうど、王道以降の「ハートのイアリング」(イヤリング、じゃないんですね)がかかってますが、

優しく叱ってよ 妬いてもくれないの?
そんなに冷めてしまったの?

(ハートのイアリング/松本隆)

優しく叱ってよ 素直じゃない私
素早く席を立たないで

(ハートのイアリング/松本隆)

と、Mマジック健在なキュンキュンぶりはありますが、「泣き虫なのはあなたのせいよ」めいた、甘ったれるのもいーかげんにしやがれこのかわいこちゃんめメロメローンという甘さはなくなってくるのですね。

あー、もうこれらのすべて、歌詞だけでなくてぜひ聖子のぶりっぶりで甘ったれたれな歌声とともにお届けしたかったですよ!
ちなみにワタシは「かわゆーい(*´∀`*)」と思っちゃうんですが。聖子の罠にまんまとはまって。ええ、愚かなんです。

でまあ、ここまでしつこくアホらしく引用して、じょりぃは何が言いたいのかと言いますと。

思春期(主に中学〜高校初期)に、このMの洗礼を受けた人間とそうでない人間には、恋愛傾向に違いがあるのではないか、と思ったりしたんです。

恋愛傾向なんて個人個人・人それぞれですので、ひとまとめにするのは乱暴ですけれども。
それでもですね。
「恋ってこういうものなんだー」と、憧れのチェリーブラッサムを自分の胸の中で育てる時期に、おそらく最も影響を受けたであろう歌謡曲(当時は歌謡曲全盛時代)による洗脳。
これはあながち無視できないのではないかと。

もちろん「聖子的世界は大嫌い」「ぶりっ子死ね!」という人は意地でも聴かなかったでしょうし、聴いてもピンと来なかった人もたくさんいるでしょう。
ということで、思春期に聖子の歌を好んで聴いた人をここでは『Mの洗礼を受けた人』と定義付けたいと思います。勝手に。

で、ですね。

ワタシときょんて、なんだかんだ言って長いこと仲良くつきあっているわけですよ。
ケンカもしますし、別れの危機も何度かありましたが、まあなんとかそれらを乗り越え、今でも仲が良いのではないかと思います。

その理由の比較的大きなものとして、共通の洗礼=Mの洗礼の影響が多分にあるのではないか、と思ったりしたのです。
ぶりっ子しすぎて裏返った聖子の声を聴いていたら。
それと、昔のきょんのビデオを見ていたら「・・・なんかちょっと、きょんたら、ぶりっ子風味?」と感じた、ということもあります。

例えば今の20代の若者。
もしかしたら、恋愛における公約数的なものに、ワタシと彼らの間にズレがあるのではないか。
相手の態度や言動を受けて「うわー、かわいー(*´∀`*)」と思ったり、「甘えちゃってもう、しょうがないなー、めろ〜ん」と思ったりという、そのへんの感覚が違うのではないかなーと思ったりするわけですよ。
ワタシはほら、聖子的M的世界を、多少のぶりっ子な態度を、「かわいい(*´∀`*)」と許容しちゃうというか、そういう価値基準の中で恋愛感覚を養ってきてしまったわけです。
でも若者たちは、また違うと思うのですよね。
20代の人たちのほうが、まず男女差があまりないですし、「男の子(パートナー)に寄りかかる」という感覚が、全体でならしてワタシの世代と比較してみたときに、すごく低いです。と感じます。
私見ですが、社会に寄りかかる傾向はワタシの世代よりあるような気がしますが(ワタシの頃はまだ社会は女性に対してかなりシビアでしたし)、パートナーに寄りかかる傾向はワタシたちの世代より少ないような。その点は自立しているような。
あくまでも全体としての傾向、ですけど。個人差はもちろんあると思いますし。

ワタシより上の世代の人に関しては、ワタシはその時代を見れていない、意識できていないということで、検証しづらいのですが。
10代なんて、もう想像もできん(°▽°)

きょんとワタシは2歳違い。ワタシの方が年下ですが、まあ2年というと差がないと言っても良いでしょう。
そしてふたりとも「聖子ちゃん」を聴いて思春期を過ごし、きょんは(無意識のうちに)聖子的なぶりっ子寄りな学生時代を過ごし、ワタシはさすがにぶりっ子にはなれなかったんですが、ぶりっ子でかわゆーーい女の子を、なんというか、恋愛におけるプロトタイプのような感じに捉えつつ(こちらも無意識に)学生時代を過ごしたわけです。
きょんもワタシも、ぶりっ子という人種に嫌悪しながらも、それから逃れることはできなかった。ように思います。

きょんといえば、今となっては明治の頑固オヤジですが、それでもワタシに対してかわいげを発揮するとき、甘えるとき、要は恋愛フェロモンをぴろぴろと放出するとき(そんなときないんですけどね)に、この時代のこの空気を纏っているわけですよ。
そしてワタシにはそれがわかる・・・というか、ぴったりはまるわけですね。
きょんが「かわいい」を放出したときに(もうそんなことないけど)(くどいけど)、ワタシはそれを「かわいい」と受け取れるわけです。すんなりと。あたりまえのように。
それはまた、ワタシが無意識に育ててしまった、時代に育てられてしまった、ワタシの期待するところの「かわいい」であるからです。
なもんで、きょんがぶりっ子風味を醸し出している昔のビデオを見ても「かわいいなー」とワタシは思っちゃったんですが。
(ちなみに本人は「なによあたし!ぶりっ子してない?きーーー!やだーーー!」と悶絶しておりました)(無意識のぶりっ子、おそるべし)
そしてそれらは、ナナとワタシも合致している部分が大きいのです。
「甘えちゃったモン勝ち☆」みたいなずーずーしさが、「かわいいなぁ(*´∀`*)」という見当違いなリアクションでもって歓迎されてしまう、おそろしいMマジック。(ワタシだけか、こんなアホは)

世代差があると、もしかしてワタシの期待する「かわいい」と、相手の発する「かわいい」が一致せず、せっかくの「かわいい」がひょろり〜んとすり抜けていってしまうようなことも、もしかしてあるのかもしれないなーと思ったりしたのでありますよ。
逆ももちろんありです。
何かこう、『Mの洗礼を受けた者の、発するかわゆさ・期待するかわゆさ』というのは、洗礼を受けていない人にしてみると相当ウザいものなのではないか、ということも推測できます。
だって基本がぶりっ子なんですもの。過剰なんですもの。過剰がフツウなんですもの。
なんかもしかして損してるのかしらワタシたち!聖子のバカ!<人のせいにするにもほどがあります


とまあ、思いつくまま、ものすごい自分勝手なロジックでもって「Mの洗礼」について無理矢理まとめてみましたが。
しかし、同じ洗礼を受けながら、同じ曲を聴きながら、このようなエピソードもあったりするので、ホントにただの個人差ってだけの話かもしれませんが。
ていうか、その線が濃厚ですが(°▽°)
でもでも、聖子(ていうか松田・松本・三浦の3M+聖子のぶりっ子)の影響って、ワタシ割と大きいんじゃないかなーとも思っちゃったりしたんですよ。
ワタシは特に聖子の大ファンというわけではなかったのに、今あの頃の曲を聴いてよみがえってくるあの頃の感覚というのは、何か強烈なものがあるんですよ。
でもこれも、ワタシ個人の話、というだけのことかもしれません。ここまで文章にしておいて、ズッコケたまとめですが。

あ。
今『夏の扉』がかかってます。
このイントロ、ワクワクするんですよねー。あの頃ナナが歌ってたなー。
遠征に行く車の中で、車に酔っちゃうからって言って窓から顔出して、通行人に向かって歌ってました。頭おかしい。

夏は扉を開けて 裸の二人包んでくれるそうですよ!
早く夏にならないかな! 包んで包んで裸で包んで!
ワタシでない方の裸は、できればきょんでなくて、誰かほかのかわいこちゃんがいいな!
さらにできれば、Mの洗礼を受けちゃった人とかね!
さらに欲を言えば(もういいって



読み返してみてひしひしと感じたんですが。

ぶりっ子 って、死語ですよね。
連呼するにもほどがあります。


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