サーモンピンク・フラミンゴ
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2008年07月26日(土) レズフォビア

日記などにもたびたび登場している、きょんの高校時代からの友人であり、ダンスサークルのリーダーでもあるSさん。
大変人望の厚い人で、情にもろく、涙ももろい。
おしゃべりが上手で話もおもしろく、義理人情に固く、面倒見もよく、ついでに言えば、血液型の話と動物占いと江原ナントカが大好き。
ワタシとSさんは、きょんを通じて親しくなったのですが、Sさんは年下であるワタシにも敬意すら示しつつ、仲良くしてくださっております。
ありがたいことであります。
ついでに言えば、容姿も性格も魅力的な人でありながら、いまだ独身であります。

さてそのSさん。
かつてものすごーーーーーーく「やおい」好きだったのであります。
ワタシときょんが一緒に暮らし始めた頃がピークだったと思いますが、
「男同士の愛(ただし不細工不可)」がどれほど耽美的ですばらしいものか、について、きょんとワタシに語ってくれたものでした。


「すばらしいアニメを手に入れたんだよ!
 きょんとじょりぃさんならこのセンスをわかってくれると思うから、ぜひ見てほしい」

ということわりつきで、『間の楔』(あいのくさび)というビデオを我が家に持ってきて、見せられたことも。

アニメというのが、当時全般的に苦手だったワタシたち(子どもの頃に見たものは除きますが)(今は苦手でもないです)には、正直、苦痛な時間でございました。
が、横でSさんがはらはらと涙したり
「今の!このシーン!ぐっと来るでしょ!」
とか念を押されたりすれば、ワタシなんてその場のノリで生きておりますので、「おー、たしかにー」とか返事しちゃいますし。
きょんはまあ、性格的にそーゆー同調ができない人なので、すべての念押しに無言という反応を返しておりましたが。

まあ、そんな調子でボーイズラブ大好きなSさんなんですが。
でもご本人の恋愛観は、いたって標準型。
ちょっとクセのあるタイプがお好きなようですが、男性に恋して男性とセックスします。
一度ニューハーフのフィリピン人に熱を上げたりしたこともありましたが。
でもあのニューハーフ、ニセモノだったしナ( ´_ゝ`)
お仕事の上だけのニューハーフだったろうとワタシは確信しております。
そういえば、そのニューハーフパブにも、ワタシときょん、二度ほどつきあったことがあります。
以前どこかにも書きましたが、南国顔のワタシはフィリピン人だらけのそのパブで、テーブルに来る子来る子に

「あら? あなた、同郷?」

みたいなことを言われて閉口しました。違うってゆってんのに。


そんなSさんなんですが。
実は彼女、レズビアンというものが、大大大大大嫌いなんであります。
ボーイズラブやゲイはオッケーというか好きなのに。レズは嫌悪。大嫌悪。
「気持ち悪くてダメ」なんだそうです。
とにかくアレルギー反応がものすごい。
レズフォビアというのはこーゆーのを言うのかしら、っつー見本になるくらい、嫌悪しております。
もう、「レズ」って言葉を耳にしただけで、顔をしかめるほどでございます。

そこで「はて?」と思うのが、ワタシときょんのことでございますよ。

そこまで嫌いなものって、逆にアンテナ張っちゃったりするじゃないですか。
自慢じゃありませんが、ワタシ、スズメバチの羽音なんて、誰より先にキャッチすることができます。
嫌いな人のブログをわざわざ読んじゃう、ってことも、みなさま経験ありませんか?
うん、だから存軽見てるよ☆とかは思ってても言わなくてけっこうですけども。

嫌いというのもまた、好きと同様になかなかのパワーを持っているものだと思うのです。
そして、イヤでも関心を持ってしまう、遠ざけようとするけど、そのためには遠ざけたい対象を感知しなければならない、ゆえに敏感になってしまう。
そういうものだと思うのであります。

もちろん、嫌いだから全然スルーしちゃうよ、ってパターンもあるかと思いますが。
でも、だとしたら、「レズ」という言葉だけで顔をしかめるようなこともないはずです。
無視してればいいんですから。
でも、無視してないんです、Sさんは。
過剰反応しているんです。遠ざけようとしているんです。


では、なぜ

きょんとワタシのことは、つっこんでこないのか。
気にならないものなんだろうか。


もう一緒に暮らし始めてからも相当な年月が経っているワタシたちなわけですよ。
一緒のマンションに住み始め、ワタシが家を買って、そこにわざわざまたきょんが住んだ、って流れもリアルタイムで知っているSさんなわけですよ。
新居にもすぐに遊びに来てくれ、お祝いもくださったりしてるわけですよ。「ふたりに」って。
きょんがダンスの舞台に立つときは、必ず駆けつけているワタシなわけですよ、花束つきで。(Sさんにも差し上げますが)
ダンスサークルに所属しているのはきょんだけなんですが、飲み会があるときなどは常に
「じょりぃさんも一緒にどう?忙しくなければぜひー」
と、あらかじめきょんに声をかけてくれるんですよ。
いつでも「きょんとじょりぃさんはセット」って考えててくれてるんですよ。

「ですよ」の嵐ですよ。

こういった状況から考えるに、すでにきょんとワタシの関係を知っているって感じなんですよ、Sさん。
なのに、きょんとワタシとは、変わらずにつきあってくれているわけです。


なんで?


とワタシは思うわけであります。
きょんとワタシの関係に気づいていないはずがない。
でもレズは大嫌いなはず。
どういうカラクリなんであろうか、と。


ワタシたちの関係を「もしかして・・・」と思いながらも、
「言わないってことはそっとしておいてほしいのかな?」ってことで深くつっこまずに知らんぷりしていてくれている、という友人知人は、割と多いんじゃないかなぁとは思うのですよ。
でもそういう人たちとSさんは明らかに違うわけです。
何が違うって、Sさんは日頃から「レズ大嫌い。気持ち悪い」と公言しているところが全然違う。
そこまでしているのに、ワタシたちのこと気づいているフシがありながら、ワタシたちへはレズフォビアを一切向けずに、大事につきあってくれているわけです。


なんで?


「ねえねえ、Sさんて、レズフォビアじゃん?極端に」と、ある日のワタシ。
「そうね。すごくイヤみたいね」ときょん。
「どうしてワタシたちにはフツウに接しているのかな?」
「あたしたちがとっても素敵な人たちだから?(・∀・)」 いや、違うと思う。
「思ったんだけどさ、考えすぎかもなんだけどさ」
「うん」
「あれだけレズを嫌っているってことは、もしかして、Sさん、潜在的レズなんじゃないかな?」
「は? どゆこと?」
「よくいるらしいんだよ。自分の中にその気があることを認めたくなくて、逆にフォビアな態度を取る人って」
「うーーーーん・・・・」

この時点で、この理屈はイイ線いってるんじゃないかと自信のあるじょりぃ。


「Sさんに関しては、違うと思う」ときょん。
「えー、なんでー?」
「だってあの人、筋金入りのオトコ好きだもん」
「でもそれはあなたも一緒じゃないの」
「あたしは筋金は入ってないわよ!失礼な」
「スミマセン(・_・)」
「まあとにかく、その線はないよ。単純に、レズがイヤなんだと思う」

じょりぃの予想、大ハズレ。


「えー、じゃあさ、なんでワタシたちのことは平気なの?」
「んー・・・あたしが思うのはさー」


きょんの考えはこうです。

おそらく、見ないように考えないようにしているんだろう、と。
きょんとワタシとの友だちづきあいは、Sさんにとってたぶん、なくなってほしくないものであろう。
でも、このふたりがレズだ、と認識したら、その時点で「自分にとって受け入れられないもの」になってしまう。
だから、見ない。
考えない。
フツウの人なら「あれ?」って思うような、レズビンゴーーー!!!的な場面に遭遇してしまったとしても、
それはSさんにとってなかったもの・・・ていうか、意識の内側に入ってこないように


「そうだ。 バリアを張っているんだと思う。うん、しっくり来た」 ときょん。


なるほど。
ワタシもしっくり来た。
認識する前に、跳ね返しちゃうわけね、ワタシたちに関するレズ的事象を。


「それってひどーい、とか、あなた思う?」 とワタシ。
「別に。そうするしかできない人ならしかたないし、別にどっちでもいいし」


誰が相手でもそう思う、ってわけではないのですが。

見ず知らずの人が、Sさんくらい「レズ嫌い。信じられない。気持ち悪い」と言っているのを見たり聞いたりすれば
「なんだおまえ。おまえの方が気持ち悪い。埋めるぞこら」とか思うかもしれませんし、
さらに、それゆえに、気づいているはずのこともバリアで跳ね返して「そんなモン、あたしの目の前のこの人たちに、あるわけない」って風にされるとしたら、やっぱなんかヤーな気持ちになると思います。

が、潜在的になのか表層意識的になのかはわかりませんが、ワタシたちのことを自分の中で否定したくなくて、
必死に「見ないふり」「気づかないふり」をしている友人Sさんに対して、ワタシはどうしても悪意が持てないのです。
何か、けなげでいとおしくすらあります。
だってあんだけ嫌いなのにさー、レズのこと。

でも、これが自分の親だったら
「自分の娘の現実を直視できないとは情けない。見損なった」
と思うと思います。軽蔑するでしょう。

まあ、ケースバイケース、相手次第ということでしょうか。
第一それに、「このふたりレズだ!」ってハッキリ認識してほしいってわけでもないワタシたちですし。
ていうか、基本的に隠しているんだった。<忘れてたよこれ


まあでも、もしかしたらSさんも、私たちのあずかり知らぬところでは

「あのふたりも、いい人たちなんだけどねー、レズなんだよねー。それさえなけりゃねー・・・」

とか、言ってるかもしれませんが。
でも聞こえてこなけりゃ気にもなりません。
聞こえてきたところで、どうにもしようがありませんしねえ。


と、大きなことが言えるようになったのも、ホント、ネットのおかげなんですよねワタシ。
「こんだけレズっているのか!しかもみんなすてきな人だ!」
と思えたことが、どれだけ自信になったことか。
どれだけ世の中が怖くなくなったことか。

学生時代の、レズバレにひたすら怯えていた頃のワタシだったら、Sさんのレズフォビア発言を聞くたびに怒りに燃えたことと思います。
この怒りとは、すなわち恐怖だったのであります。
自分のことを言われているのでなくても、「レズ」という言葉自体が恐怖でした。
これはレズバレに怯える、という恐怖とはまた別の怖さなのであります。

そして怖いから怒った。
怖いから身構えた。
怖いからやっつけなきゃと思った。

やっつけられるはずないから、自分がいなくなりたいと思った。


「怖いから」って思えるのも、今になってみればの話で、当時は「怖い」と思うことすら怖かったのです。
だから怖いという自覚がなかった。
怒りだけが自分の身を守る鎧でありました。
弱い犬だったので、恐怖を怒りに変えて吠えまくっていたのでした。
それも、誰にも聞こえないように吠えまくっていたのです。
ワタシの吠え声はワタシの耳の中だけでぅわんぅわんと反響しまくり、
自分の吠え声に、自分が倒れてしまいそうでしたよホントにもう。

なのに今となってはレズフォビアな友人に対して「けなげでいとおしくすらある」「聞こえてこなけりゃ気にもならない」ですからね。
同じワタシという人間なのに。
ワタシがレズビアンであることに変わりはないというのに。
ていうか、レズ度、年々加速しまくっているというのに。
最近は「いや、正確に言えばバイセクシャルなんですけど」とか注釈入れるのも面倒なほどのレズ度の加速っぷり。

加速を素直に認めることができているのも、自信と安心から来るものなのでしょうけれども。
今の自分に変われてよかった。


「フォビア」のそもそもの意味が「恐怖症」とか「恐怖」とかであることを考えれば、かつてのワタシこそレズフォビアであったと言ってもよいでしょう。
よいでしょう、というか、レズフォビアでした実際ワタシ。
レズ、嫌いだったもの。

なもんでワタシは、レズフォビアであるところのSさんが、いつか
「実はあたし、レズの気も強いのかも」
ということに気づき、お仲間デビューを果たす・・・なんてこともありかもしれないよナ( ^ ∀ ^ )と、のんきなことを考えたりもします。
まあ、きょんの話やらSさんの様子やらから察するに、万にひとつの可能性もなさそうですが。
いや、万にひとつくらいはあるかもしれませんよねぇ。
だって、嫌う理由がないのにホントにすごく嫌うんだもの、レズのことー。





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