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2006年12月14日(木) 城彰二選手と質的研究

だいぶん間があいてしまいました。元気にしております。



質的研究の記述についての指導をしていると、それは自分の思いなのか、いわゆる「事実」なのかがわからない記述にでくわす。もちろん、質的研究の記述が事実を表しているなんていうつもりはない。だからカッコ付きの事実だ。あくまで議論をなりたたせるためには、どこが筆者の主張であり、なにがそうではないのか、はっきりさせておく必要があると思うだけだ。

先日お亡くなりになったギアツがいっているように、エスノグラフィーとは研究者の主観を通して、そこから見えてきた「意味」の世界を描くのだということにはおおかたの人が同意するだろう。あくまでそこに書かれているのは、事実ではなくて、「そのように見た」ことが書かれているのだ、と思う。だから、便宜的にではあっても、そこらへんの区別がつくような記述は求められていいんじゃないかと思う。

と、いうことを考えて、先頃、Jリーグから引退を表明した城選手のことを思い出した。城選手は98年のフランスワールドカップでの、ゴール前でのはずしまくりと、その後のにやけた顔をみて、当時、解説者だったラモスが「笑ってる場合じゃナイヨ」と怒っていたのを思い出す。それでだかしらないが、帰国した城選手にはファンから水が浴びせられたらしい。

城選手は不真面目な気持ちでプレーしていたのか、それともそのように見えてしまうのか、この差は大きい。おそらく城選手のそばで彼の努力を知っているひとは、決して彼はそんな人ではないというだろう。でも、スタジアムでみているファンはそうは思わない。

さて。僕はというと、別によく知っているわけでもないが、どうやら城選手というのは、いたって真面目な青年らしいというのをどこかで読んだ。彼にとってわざわいしたのは、彼の口角があがっており、真面目な顔をしていてもニヤケて見えることだ。来日中のロナウジーニョが「笑ってみえるのは歯がでてるからだ」といったらしいが、それと同じことだろう。

実のところ、本当の心なんてものは目にみえない。城選手の努力をしるファンか、それともテレビで勝手なことをいうファンか、どちらが彼の本当の姿をしっているのか決められるなどということはないだろう。

ところが、と同時に、私たちは人の心をいとも簡単にしることができてしまう。でなければ、私たちは日常、こんなにスムーズに生きられているわけがない。人の心は観察可能なのだ。おそらく城選手の「不真面目な気持ち」は、彼の口角に代表される顔のパーツの布置と、規範的に求められる「失敗に苦悩し、猛烈に頑張る日本人」の顔のパーツの布置とが、ズレているところから知覚されているのだと、僕は思う。

ここであらためていうまでもないが、「城は不真面目だ」といってしまいそうなところを「不真面目にどうしてみえてしまうのか」と問うてみて、その証拠をあげつつ議論できることが質的研究の記述のポイントといえるのではないだろうか。


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