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4/22は、Iscar-Japan,Dee,質心、グルダイ共催の「バフチンと心理学」ワークショップにでた。バフチン研究の第一人者である桑野隆先生による講演と、それに引き続いてバフチン概念をつかった心理学研究者によるチュートリアルセミナー。発表者はやまだ先生、宮崎先生、筑波の田島さん。
バフチンの思考は膨大で、和訳、英訳されていない草稿類もあわせるとまだまだ知られていないことが多い。とはいえ、僕は『ドストエフスキーの詩学』『小説の言葉』『マルクス主義と言語哲学』などをかじったにすぎないので、大きなことはいえない。
それでも、バフチン研究の第一人者である桑野隆先生のことは知っていて、対話論はなじみのあるものだ。ご講演では、バフチンの著作を年代的にならべて思想の変遷や特質といったものをわかりやすく解説していただいた。僕のようなサボリには実にお得な企画である。
「自分の立場がくずされるかもしれない可能性にひらかれ、応答責任をひきうけつつ発話に加わっていく」といったように、バフチンの対話性概念は、単に対象について語る飾り言葉のひとつではなく、研究者の立場を再考するうえでも、とても重要なことを言っているということを再確認。
対話は自分の立場をひきうけて、完全にはわからないものとして他者に接していくという点。そして、それゆえにcreativeな理解は自分自身の内からでてくるのではなく、他者との対話のなかで、他者の「見えない」もののなかからでてくる(視覚の余剰)という指摘は、拙著の「見える/見えない」という論の下敷きにもなっている。
つづくチュートリアルはお三方とも面白い発表だったが、とりわけ僕は宮崎先生のご発表が面白く感じた。なんというか、自分のなかにたくさんの内言をひきおこす発表だった。僕が生徒指導についてこれまで考えてきたこととも近いような気がする。とかく何か教える、従わせるというのはよろしくないこととしてとりあげられているわけだが、そんなことはないぞということだ。
全体として、最近、学会にいってもエネルギーを感じることがなくて寂しかったのだが、ひさびさに元気がでた。
2006年04月20日(木) |
非常勤とかお祝いとか |
非常勤の1日目。今日から本格的に操業開始。
まあ、1日目だからそんなに仕事ないかもー♪と思っていたのだが・・・(以下略)。
7時間後、頭のなかをいっぱいにして非常勤先をあとにする。
ちょっと学校による。 レターボックスをみたら、おかみからありがたいお達しがきている。 はは−、ありがとうございます。 このせちがらい世の中、これで後3年は生きていけます。
うれしかったので帰りにケーキでも買ってかえろうかと思ったが、財布をみると400円しかはいってない!!。
というわけでシュークリームを買って帰る。 6個で198円。
ささやかなお祝い。
うちには1年次の必修科目として『環琵琶湖文化論実習』というものがある。琵琶湖、なにそれ?ということなのだが、要するに、滋賀県の文化についてフィールドワークするという授業である。
僕は今年で4年目でチーフになってしまった。いままでは細馬先生がやっておられたのだ。今年も僕の班のネタは銭湯。これまた細馬先生から教えてもらった菅原先生の本を拝読して、参考にしたいとおもいます。
学生はみんながみんなフィールドワーカーになりたい人ばかりではないし、性があわない人もいて当然なわけで、だからフィールドワーカーのイロハを教えるつもりはない。
けれども、まあ、外にでて楽しんでもらうなかで、問いをたてるということについていくばくか気づいてもらえるといいなという野望をもっている。
今年はどうなるか楽しみである。
2年生の質問紙実習、カウンセリング実習(片方は挨拶だけね)。『カウンセリング実習』は、もともと食生活コースの必修科目(管理栄養士の受験資格になるらしいのよね)として開講されたのだが、今年度から人間関係も受講可能になった。というわけで今年の教室にはかなりの数の、人間関係コース生がいる。その反面、食生活の子があまりいないような気もするのだが、あんなもんかな。
栄養士の方がカウンセリングする場面はそう多くないと思うのだが、それでも地域の栄養指導などをやっていると、せっかく栄養価を考えて丁寧に指導してるのに、相手方はあまり食行動を変えてくれなくて、へこむという話もきいたことがある。
自分のことを考えてみても、ついつい食べてしまったり、ついついやめられなかったりということがある。知的に分かっていたからといってやめられるもんでもなかろう。それでもなんとか望ましい食習慣を身につけてもらおうとするわけだから、しんどいわけである。
そもそも、そういうしんどさから入らないとダメなんではないかしら。去年も同じようなことを書いた覚えがあるが、栄養カウンセリングの教科書の最初には、「傾聴技法」なるものが書いてあってクラクラくる。
今日から通常営業。3限目は今年から新規開講の授業。
2年前にも前任の先生の補講としてやってたんだが、もういちどリニューアルして出直し。去年やっていないだけに、学生がつめかける。教室がいっぱい。しかし、どうもうまく語れないな。不完全燃焼。
それにしても今回授業準備のために、2年前の講義資料をみてみたら、こんなんでよくやってたなと思った。あんときはあんときでけっこう学生のウケもよくて喜んでたんだけどね(2年前の日記参照)。自分の要求水準が上がったってことかね。それを進歩というなら、それもいいんだけど、もしかしてあらぬ方向へいってるのではないかという危惧が若干・・・・(汗)。
さて、研究室に帰ると、ゼミ生やら新入生やら遊びに(いや、ゼミ生は卒論の相談なんすけどね)やってくる。ひさびさにワイワイとやったのはいいのだけど、どうも目がつかれてボンヤリしてしまう。卒論もすすめられる人はすすめられるうちにドンドン進めておくんなましね。
2006年04月11日(火) |
語れてしまうことが問題なのかも |
いよいよ本務校のほうもはじまりました。朝から学生相談室のガイダンス。 その後、学部のガイダンス。1年生と顔合わせ。これから4年間よろしくね。
エビデンスベースドというものを、あんまりよく理解しないで(というのは、事後的にわかるのですが)論文なんか書いている。いやはや奥が深いものですね。名郷先生の本なんかをいろいろ読んで勉強中。あ、『診断と治療』の最新号は「NBMとEBM」特集なのですよ。 斉藤清二先生もお書きになってて、お買い得。
さて、しかし、そこであらためて思うのはEBMとNBMというのは全然別のものではないということですね。たぶん、全然別のものにならない原因のひとつは、両方ともに単なる理論的な立場であるということを超えて、現実におこなわれている実践だからなんでしょうね。
斉藤先生は「実践による統合」とおっしゃっていますが、結局のところ、実践で人びとが出会うことは、理論で語れるものよりもずっとずっと豊かだというのは至極当然なことで、なおかつ、そうやって理論で語れないさまざまなことを見落としてすすむことができない実践的な制約があれば、さまざまな矛盾を抱えつつも、実践から乖離した見解は自ずからでてこないですね。
まあ、当たり前のことですが、理論で説明できなくても、なんでかわからんけど、できてしまうことはあるということでしょうね。あるいは、人は自分が知らずしらずのうちにしてしまえることの大部分を、さも前からわかっていたかのように事後的にキレイに語れてしまうということかもしれません。
だから、たぶん「ほんとうのこと」というのは、うまく語れなかったり、出来てしまってから小首をかしげることだったり、なんかそういうことのなかにあるんでしょうね。なみだは「こころのずっと奥のほう」からやってくるっていいますからね。
打ちあわせの次の日(金曜)は、非常勤の新入社員歓迎会。若い人がたくさん。でもなんか最近、非常勤先の人とばかり会ってるな。まあ、来週から本務も始まるんですけどもね。
昨日は黄砂がまっていて、遠くがかすんで見える。と、思っていたら雨がふった後のわがマーチ君は、どこのラリーに参加したのかというような汚れ方。今日は洗車してあげましょうね。
黄砂ときくと、中島みゆきを思いだす私。高校3年生のとき、文化祭で劇をしたんだが、そのとき最後に中島みゆきの「世情」をかけたんだった。いまおもえば金八先生のパクリだな、完全に。ともかくそれで、なんだか気に入ってしまって最初にCD買ったのが『回帰熱』というやつで、それのトップが「黄砂に吹かれて」というのだったのですね。
なんかすげえ暗い高校生ですな。中島みゆきて。 ・・・ま、そんなパーソナルヒストリーどうでもいいわな。
そういえば当時、NHK-FMの夜の番組のDJもやってて、歌のシリアスさとしゃべりのつきぬけっぷりがどうも同一人物とは思えなんだですよ。これはけっこうみんな言うことですね。
午後から非常勤先へいって、今年度の初打ちあわせ。 今年もはじまる。いまの職場は3年目。多くの社員さんが入れ替わられた。 ますます頑張っていきたいと思う。
さて、コチラに3月19日の【家族心理.comシンポ】での私の発表の模様が逐語録になってのっけられていました。当日の様子がわかってよいのではないでしょうか。そういえば、少年問題ネットワークでの講演の模様も、次のメルマガにのるそうで、すでに文字起こし資料を送っていただいてます。
しかし、こうやって自分がしゃべったことが、自動的に(ということはなくて、実際にはテープ起こしの労をとられた方がおられるわけですが)文字になっていくというのはすごいことですね。不思議な感覚です。偉い先生になると、書き下ろしがしんどいので、語りおろしというのがあるそうですが、たしかに楽かもしれませんね。
***websiteのここから研のページ更新しました***
2006年04月05日(水) |
ファイル破損につぐファイル破損 |
朝、家族を送っていってから喫茶店にはいって原稿をしあげる。 だいたいできる(ちなみに〆切は三月末であった。・・・もうすぎとるがなっっ)。
後は大学にもどってこれを出版社に添付ファイルで送れば万事OK・・・・のはずだった。 はずだったが、研究室のワードでファイルを開こうと思ったらどうもうまくいかない。 いろいろ試してみるもファイルが開けない。 万策尽きて再インストール。 そして無事終了。 でも2時間くらいつぶれた OTL。
ところでファイルを送ろうと思ったら、忘れた頃に、忘れた原稿のファイルが編者先生より送られてくる。おお重なる時にはかさなるもんですな。でも一時は出版さえ危ぶまれたのであるから、出版できるだけええですわな。
これで4月は残り後3本。間にあうのか?
生田さんより、先日の家族心理.comのシンポジウムの参加者の感想を送っていただいた。僕が名指しされているわけではないが、全体として、大学生の方が多かったということで、概念や用語の問題でわかりにくいところが多かったようだ。たしかに、学術シンポという体裁でやったために、学部生の方にはちょっと難しいところもあったかもしれない。
でも、生田さんもおっしゃっておられたことだが、今年が第1回で、事前にはほんとに参加者があるんだろうかと心配されていたくらいだし、そのうえで聴衆まで想定することは難しかったろう。そういう意味で、今後につなげられたらよいのではないだろうか。
ところで、シンポでは家族療法の流派間での仲の悪さが話題にのぼっていた。これは家族療法内部にはとどまらず、臨床心理学内部でもそうだし、心理学のなかにおける臨床心理学の立場も微妙なものだ。
日本質的心理学会では、一昨年度に、臨床心理士むけのワークショップをやらせてもらったのだが、これには臨床心理学と他の心理学との架け橋になれればという思いもこもっていた。
でも、なかなかうまくいかないもんです。2会場とも大盛況だったけれど、臨床心理士の参加率ははっきりいって低かったしね(資格未取得の院生はけっこういたからその分を差し引くとしてもね)。「質的心理学会って何?」という人も、きっと大勢いるんだろうけど、それでも研究法のワークショップになると参加者が寂しくなるというのは、これはこれで寂しいものですわ(しかも、そんなにハズレなシンポじゃないと思うんだよね。関東では下山先生、関西では森岡先生の講演をはじめとして、他の話題提供者も強者ぞろいだったもの)。
そういう思いもこめて、生田さんらにはこれからも是非がんばっていただきたいです。
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