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2006年05月29日(月) カンファレンス

研究関連で某所でおこなわれたカンファレンスにI先生とともに出席。

院生の頃は1年毎に所属が変わるぶん、いろんな会社の取り組みをみられたのだけど、滋賀に来てからは同じ会社にかかわってきた。

だから、こうやって別の会社のとりくみをみられるというのはわりあい新鮮。もちろん、いろんなところで情報は耳にしても、実際に自分が参加して行うとなれば体験の深さも違う。自分の会社で当たり前になってしまって、袋小路におちこむようなことでも、実はそうではないんだということがわかったりして、割り切って考えることができる。

それにしても社員のみなさまのお知恵を知るときというのは、やはりとても面白い。こういうのがあるから研究も面白い。




2006年05月28日(日) ねつ造論文はイケてる?

論文ねつ造事件がある。ねつ造がよくないのは言うまでもない。ただ、思うけど論文ねつ造したのが問題になるのは、たいてい素晴らしい発見のときである。

少なくともアクセプトされた論文だろうね、ねつ造が問題になるのは。いくらねつ造しても、不採択になった論文があったら公にはならない。

公にならないから良いというものではないが、せっかくねつ造までして「こんなのは恣意的だ(=そのとおり!)」「筆者があらかじめ想定した理論枠組みにもとづいてデータを選択しているのではないか(=これもそのとおり)」だとか「こんな発見は当たり前だ」「理論的な新しさがない」とかそんなこと言われたら悲しいですね。

別に、論文ねつ造がいいとはいわないが、ねつ造事件が指し示しているのは、少なくとも、その研究はいけているということだろう。


2006年05月27日(土) 現場のうちとそと

愛媛のワークショップは無事終了。参加者は少なかったが、それなりに満足してもらえる議論だったのであるといいなと思います。

WSでは看護学は、研究者は実践者をかねており、最初からフィールドのなかにいる。心理学は(臨床心理学などをのぞけば)多くは純粋な研究者であり、フィールドにいかに入るかというところが大事な作業になってくる。このような、フィールドの内ー外ということが議論にもなった。まあ、たしかに素朴にはそのとおり。

しかし、ここでも内にいる、外にいるといったことは自明ではないだろう。その境界の組織化のされ方自体が問われなければならないんじゃないだろうか。

そもそも実践者と研究者をかねているといえば、臨床心理学もそうであり、私もいまは実践もしつつ研究活動もおこなっている。が、私は自分が最初からフィールドのなかにいると感じたことはない。フィールドエントリーは極めて重要である。フィールドに物理的にいたってなにもできなければしょうがないし、バリバリ仕事ができていたら、それがいいかどうかということはともかく、そこで見えなくなっているところと、見えているところというのが常にあるだろう。

要するに、内にいるか外にいるかということが大事なのではなくて、どのような役割をになってそのフィールドに関わっており、自分がしたいことと、実際にできることとの差をどうやったら埋められるのかというところが大事なんじゃないだろうか。

自分自身は、看護学(この看護学に社会学でもなんでも代入可能)と心理学がどう違うかといった議論にはほとんど関心がない。どんなことをしようとしているかは大事かもしれないが、それが○○学であるかどうかなんてどうでもよいだろう。

私が質的研究をはじめたころには、「これって心理学なの?」「松嶋くんは心理学やめちゃったの?」といった素朴な質問なりひやかしなりうけたものだが、どれだけ言われよう私が心理学者だといったら心理学者なのである。名乗るぐらいタダだ。名乗ったもん勝ちである。いや、違うといわれたら、その理由を聞き、議論すればいい。投稿して掲載拒否されれば悲しいけれど、それでも対話しつづけるしかない。

WSでは質的研究の書き方についての議論もでたのだが、これにしても上述の、自分が心理学者なのか、そうではないのかという対話と同じだ。患者なりクライエントなりの抱える苦しみを我が身にひきうけて、そのように記述しかないというところを、それでなくても記述できるという人と対話してみればよいという話だろう。そこに、もしかしたら患者やクライエントが社会とうまく関われるヒントがあるかもしれないんだから。







2006年05月25日(木) 会話の恊働性

朝からゼミ。「対話的」「構築主義」とはなんじゃらほい。ひたすら質問紙調査のことをひきあいにだしつつ、特色を説明する。毎度のことながら、自分が教えたものを、あとでひっくりかえすことの連続。あげといて、さげる、みたいな。

関西だと「オチはないんかい」ってよく言われるよね。あれ、ダウンタウンの影響もあるんだろうが、ともかくも関西ではオチがなく続く話というのは認められない傾向にあるらしい。あるいは、僕はゆっくりしてるから、早口の同僚先生と一緒に授業をすると、しばしば発言権をとられる。「ねえ、知ってる?」とか「っていうかさ−」は、てっとり早く発言権をとれる方法だ・・というようなことを題材に、会話というのは始まりと終わりといったように、ごく基本的なことですら、聴き手と語り手の恊働なんだよというような話。

とはいえ、一部で言われているほどに質問紙調査とインタビューは相容れないものではないし、調査するということにおいては共通する部分が多いわけだから、別に逆のことを教えているというふうに思うことはない。

その後、健康診断。ひるから今日は、非常勤がやすみだったのでテープ起こしとか。


2006年05月24日(水) 一見は百聞にしかず、条件におさまらないこと

授業。虐待関係のDVDをみせて少し話。焦点になっているのは被虐待の過去をもつ母親の話。大量服薬で運ばれたり、フラッシュバックで過呼吸になってたりする人がうつっているのをみると、学生もさすがにショックをうけてました。子どもだけではなく、親もまたケアが必要などと何回言うより、ああいうの1回みることの力ってすごいですな。良くも悪くもね。

その後、ゼミ。コミュニケーションについてやりたがっているゼミ生に、エスプリの語用論特集論文のいくつかを発表させてみた。コミュニケーションとメタコミュニケーションの関係とは、プラセボ効果とは、バ○ァリンの半分は優しさでできているというが、では後の半分は何なのかなどについて議論(最後は嘘です)。

これから夏までに実験計画をたててくださいませ。おそらく、こちらの考えた実験条件にはおさまらない、いろいろなことを被験者はやっているはずで、全体の分布をおさえつつ、マイクロに分析していくのが醍醐味ではないか、と。まあ、時間との勝負ですが。


2006年05月23日(火) 入れ替え戦つれづれ

今日は昼から会議やら。いろいろ考える。そういえば、昔、自分が所属していたチームが入れ替え戦(降格戦)にでたことがある。勝って当然、負ければ下部リーグに落ちるという状況でモラルを保ち続けるのははっきりいって辛い。そこいくと、負けて当たり前、勝ったら上位リーグにいけるという人のモティベーションは違う。なにかあるとすぐにモメンタムをもっていかれてしまう。

一日の最後は授業。先週、銭湯にいったので、その感想を持ちより、観察結果をつきあわせていく。5人の目があるとずいぶんとリッチなデータが得られるものだ。少なくとも僕にはそうみえるのだが。1年生にもちゃんと消化してもらいたい。来週は、彦根のもうひとつの銭湯にお邪魔する。比較がたつと意味もハッキリしてくるんじゃないですかね。頑張っていきましょ。

さて、今週末の愛媛でのワークショップ、まだまだ席にあまりがあるようです。もしもちょっぴりでも興味があるようでしたら、どんどん申し込んでくださいませ。
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「フィールドワークのプロセスをいかに記述するか? :看護学のアプローチと心理学のアプローチ」

話題提供:薬師神 裕子(愛媛大学)
      「慢性疾患を持つ子どもと家族への支援プロセス」
     濱田  裕子(九州大学)
      「障害のある子どもと社会をつなぐ家族のプロセス
       −父親と母親の面接調査を通して−」
     苅田  知則(愛媛大学)
      「バリアフリー分野におけるニーズ把握のプロセス」
     谷口  明子(武蔵野大学)
      「院内学級の入院児への教育的援助」
指定討論:サトウタツヤ(立命館大学)
     操   華子(国際医療福祉大学)
  司会:尾見  康博(山梨大学)

日時:5月27日(土) 13:30-17:00
参加費:日本質的心理学会会員 無料、 非会員 \2000


2006年05月19日(金) 質的研究はもりあがっている?

Psy-pubさんの『心理学の本(仮)』で拙著をとりあげていただきました。

素直に喜んでおります。ありがとうございました。

このページは金剛出版からでている『臨床心理学』という雑誌の第6巻1号でも、ある先生がとりあげておられました。名著、面白そうな本などさまざまに臨床心理学に関連する本が紹介されております。そういうところに紛れ込めてうれしい。

ところで、このページに紹介されている本はみな本当に面白いですよ。とりわけ私的にはevidence-basedに関するエントリが面白い。要チェックですね。

psy-pubさんはページを拝見したかぎりではどこか心理関係の本を手がける出版社の編集者の方のようですが、編集者の方ってそこらの研究者顔負けで勉強してるよね(むろん、観点は違うのですけどね)。拙著の執筆では、編集者の方からいろいろ教えていただきましたしね。

ともあれ、今後ともよろしくお願いします(06.5.22追記)




2006年05月18日(木) 質問紙実習を題材にライフストーリーを議論する

1限は3回生ゼミ。ライフストーリーとはなんじゃらほいということについて、ゼミ生の要約をききながら話する。ライフストーリーについてやったことない人たちに、話せっつってって、そら無理ですわな。

とりあえず、彼(女)らに体験があるのは、質問紙実習のこと。実証研究とその本に書かれていることと、その体験をリンクさせつつ、ライフストーリーが目指しているところをわかっていただく。まあ、数量的だ質的だとわけてもしょうがなくて、大事なことはなんでも同じだということかしらね。

それにしても、自分で質問紙について力説し、それを次の年には自らの手で脱構築していくというのは、いったいこの先生はなに無駄なことやってんだってことだよね。学生にしてみると。

でも、質問紙や実験計画法あっての質的研究だし、質的研究過程のない質問紙なんてただのパソコン教室だよね。「はーい、次に、オプションをクリックして、因子数を3に設定してみまーす」とかいって。

あとは、倫理のはなし。昨日の授業での「虐待」のことでも、倫理のことでも、「正しいこと」には限りがない。「正しいこと」は究極的には反論できない。が、まあ、そういわないで、ちょっとグダグダでナアナアな感じをだしてみたいですよね。というか、そうしないと精神衛生に悪いよね。

まあ、こんな話するのもオーディエンスへの基本的な信頼感があるからかもしれない。

3限目は人間文化論。家族療法について話す。他学科の子も多いのでヘビーなネタもなんだかなと思い『小早川伸木の恋』について。





2006年05月16日(火) 銭湯初日

環琵は銭湯のフィールドワーク。今日は「山の湯」にお邪魔する。大学生がいきなり来て、常連さんは迷惑だったかもしれないが、いろいろと教えてくださる。ありがたいことです。「なんかテレビでそういうのやってたわ。学生さんが銭湯めぐりするっていうやつな」とある常連さんがおっしゃる。「なんやったっけ、あの田んぼの真ん中にある大学や」。どうやら僕らと同じようなことをしている人が他にもいるらしい。

帰りには、一緒にみんなでご飯を食べにいきたいということで、駅前で夕食を食べて解散。銭湯に入りにいくというのも、とりわけ女子にとっては抵抗あるかもしれないなと思いつつだったが、杞憂に終わったようでホッとする。今年のグループは(と、別に昨年までのグループと比較しているわけではないよ!)けっこう仲がうまくいっているようでそれもよかった。

にしても、明るいうちから風呂はいって、飯食って、学生にとってはあとは寝るだけモードなのであるが、僕は研究室に帰り、ほんのすこしだけテープ起こしと授業準備ををして帰る。

・・と、研究所の先生から共同研究の確認の電話が入って話しているうちに楽しくなってくる。とはいえデータの山に埋もれることなく、ちゃんと現場に貢献し、ちゃんとアウトプットをだしていかねばならぬ。
頑張っていきましょう。


2006年05月11日(木) インタビュー&年度はじめの仕事

3回生ゼミでは当面『ライフストーリー入門』@せりか書房を読むことにした。

自分で選んでおいていうのもなんだけど、インタビューってよくも悪くも「言っている意味がわかる」というのが特徴ですね。とっつきやすい反面、あんまりこちらの認識が鍛えられないような気もする。「なんだこれは、わからないなー」と右往左往するのが大事だ、と。もっとも、ただ「見てこい」と放りだしても学生のモティベーションが折れちゃったらしょうがないしで、なかなか難しいですわ。

その後、非常勤。今年は年度当初からというか、年度当初ならではの仕事がやたらとある。日頃の部屋の片付けと一緒にしてはあれだが、ちょっと前もってやっておくと後が楽になる仕事もあるわけですから頑張りましょう。


2006年05月05日(金) 牛が食べられるまで

GWどこにもいかないので、元気出しましょうということでひさびさに焼肉にいった。近所のお肉屋さん経営のおいしいところ。

けっこう並んでいるので、玄関ですわってまつことに。すると、レジ奥にある個体識別番号なる表があるのが目に入ってきた。BSE以来なのかどうか知らないが、こうやって追跡できるようになっているわけですね。

ふむふむ、その表によれば、この日はロースも、バラも、全て同じ個体識別番号。ということは、つまり、この焼肉屋で今日並んでワイワイと食している人たちは、みなで一頭の牛をさばいて焼いて食べているようなものなんだな。と、ちょっと想像すると、いつもスーパーの食肉売り場にならんでいる肉ばかりみているときとは違う感覚がある。

で、帰って来て個体識別番号をHPで検索。すると、今日、僕たちが食した牛君の素性がおぼろげながらわかってきた。

彼(牛)は去勢された雄の黒毛和牛であり、3年前の8月に宮崎県は西諸県郡野尻町というところで産まれたらしい。野尻町というのを調べてみると、山あいにあってメロンなどが有名なところであるらしい。食肉が盛んとは書かれていない。ちなみに、この検索システムは母親牛まで追跡できる。母親牛は2歳のときに彼を産み、彼が宮崎県をさった1年後に死亡とある。うーん、なんか母牛の情報まで書いてあるといろいろ情緒が喚起されるね。

件の牛君に話をもどす。彼は宮崎県で10ヶ月をすごした後、滋賀県は高島市に転入とある。そこで2年を暮らした後、今年の4月11日に我が街の「食肉地方卸売市場 」に移送され、その日に屠畜されたようだ。そして、その3週間後、私たちが食しているとこういうわけである。

うーん、このように調べてみるとますますリアルだ。想像力をかきたてられるね。牛が宮崎から滋賀まで移送されてくることとか、大変な距離を移動してるわけですね。「ドナドナ」が頭のなかに流れて、なんだか物悲しくなってくるようなならないような。



2006年05月02日(火) 第23回こころとからだ研究会

ひさかたぶりに「ここから研」やります。湖国から発信。ここくからはっしん、ここくから、こくから、ここから、ここから研。このように「ここから研」とは、こころとからだと、「ここくから」をかけてるのですね。

というのはウソです。

話題提供は今年からうちにいらっしゃった松坂さんです。

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日時  :5月12日(金)16:30−18:30
場所  :D4-203号室(人間文化学部棟2階)
話題提供:松阪崇久(滋賀県立大学)

「チンパンジーとヒトの幼児における遊びといざこざ」

【要旨】まず前半で、発表者のこれまでの研究内容を紹介する。発表者はこれまで、タンザニア・マハレ山塊国立公園の野生チンパンジーを対象として、遊び行動や母子関係の発達に関する研究をおこなってきた。その中から、社会的遊びの中で発せられる音声(「笑い声」: play panting)についての研究と、「物を使った遊び」と考えられる行動が群れの個体に広まる過程に関する研究をとりあげる。後半では、今後の研究計画を発表する。発表者は、ヒトとチンパンジーの行動比較をするために、この4月よりヒト幼児の自由遊び場面の観察をおこなっている。その中で、ヒトとチンパンジーは「他個体との関係の持ち方」「コミュニケーション場面での振る舞い方」に大きな違いがある、という印象を持った。この印象をもとに、遊びやいざこざをはじめとして、さまざまなコミュニケーション場面におけるヒトとチンパンジーそれぞれの特徴を再検討したい。

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これまで開催された「ここから研」の活動内容と発表要旨をHPで紹介しております。詳しくはh+以下のURLをご覧ください(といっても僕のHPですが。前よりちょっと整理されました)。

ttp://www.geocities.jp/hidemaru1972/kokokara.html


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