I create you to control me
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2004年06月30日(水) |
私にとってここは何? |
午前中、自宅でいろいろな仕事をして、非常勤へ。 昨日は早くねてしまったのであんまり進んでいない分をとりもどさなくては。さいわい、けっこうすすめられたのでよかった。
非常勤先で、曜日を異にする同業者があつまって情報交換会。 非常勤先にいつもひとりでいっているものにとって、自分の感じているこの感じが、はたして客観的なものなのか、主観的な反応なのかをつきあわせられる機会があるのはうれしい。もうすぐ夏期休業。自分が半年間、この場からうけている感情がなんなのかを整理していきたいところ。
充実した会ではあったが、クーラーがさむくて、途中で頭がガンガン、腕の皮膚がうすくなってしまったような感触がしてくる。いかん、熱がでてきたかな。明日から実習だというのに。
というわけで、今日もうまいもんくって薬ガバガバのんで(いかんいかん)早めにねることにする。
疲れがでたわけでもないだろうが、朝起きると喉が痛い。ケホケホ。 風邪薬のみつつ学校へ。
2限は1年の実習。いよいよ明後日が実習なのでみんな最後の下調べ発表。これまでほとんどすすんでなかった人もいいことをまとめてきたりする。もっと早めから動けていたらよかったのになあ。 反省。
どうも風邪薬がよくないのが頭がグルグルするのでソファーに横になったりして仕事すすまず(涙)。
しかも、こんな日にかぎって非常勤先で超重要な会議があってかけつけなければならぬ。のど飴なめつつ非常勤先へGO。初めての体験でへーはーほーという感じ。少し先の光がみえてきてよかったといったところか。
そして帰ってきて仕事と思うもだるいのでもうこれで帰宅することにする。 はー、大学教官は身体が大事だと痛感。
2004年06月28日(月) |
「泣いている」ことこそが希望 |
土日の疲れもぬけぬままヨレヨレと学校へ。 学生相談。
お客がこないうちに昨日、東京でかった『ヤンキー母校に生きる』のビデオをみる。このまえNHK特集で語ったのと同じようなフレーズがたくさんでてきて、この前のNHK特集の語りがかなり練習されてきたものであることが垣間見えた。が、そんなことはどうでもよい。ビデオではNHK特集では語られなかった様々なエピソードも語られて、それもおもしろかった。
この世に希望をもって生きなさいと生徒にいいながら、この世にはたして希望なんてあるのかと考え、自分が偽善だと思っていた義家さんは、わが子の出産場面にたちあい、必死で泣いているその子をみたとき、ああ、この泣いているということこそが希望なのだなと思ったという。
話しに迫力があって、妙に説得力があった。
それまで子どもなんてもてない、結婚なんてできないと「逃げていた」義家さんが、わが子の出産にたちあって「この泣きこそが希望なんだな」と思えたということは、自分の存在もまた肯定できたことを意味しているのだろうかなどと思ったり。
昨日の「引受ける」という言葉を思い出したり、、。
学会2日目。ナラティブのシンポ。
お定まりの概説が続くなか、松澤先生の発表はとても印象的だった。 先生は精神病院で長年はたらいてこられた看護師。
自分は精神病などではない。退院させよ。と毎回のように執拗に訴え続ける患者とのとりくみを話される。
治療スタッフはだれも彼のその望みを聞き入れることは当然できないから、なんとか毎日をもちこたえるのに精一杯であった。そのなかで、先生が考えたのは患者を「引き受ける」ということである。
患者の訴えを「病識のなさ」ととらえるのは容易い。容易いが、だからといって患者の訴えがやむわけではない。患者の訴えはつづく。そもそも患者の苦しみは変わらない。
理解しても、直面する困難が変わらないとき、残されているのはそれを引き受ける勇気をもつのかもたないのか、ということである。ここには語り手、聞き手の身体性がいれこまれている。身体性を基盤としてナラティブを考える必要があると思う。
昨夜は早寝して、今日は3時半におきた。 サッカーのEURO2004をみる。フランス対ギリシャ。 試合観戦しつつ翻訳。明日はできないので早くしなければ。
5時半ごろにテレビ中継がおわったのにあわせてシャワーを浴び、荷造りをして、朝一番の新幹線で東京へ。
保健行動医療科学会の1日目。岸本先生のナラティブベイスドメディシンのワークショップにでる。最初、NBMの概説があった後、ご自身の癌患者とのとりくみが事例研究として発表される。当日の資料は当初、回収される予定だった(結局、もってかえってもよかった)ので詳細は割愛するが、とても心に迫る内容だった。先生の『ガンと心理療法』、『緩和の心』(精信書房)を購入しようと思う。
終わったあとは、偶然、学会にきていたOさん、Mさんと3人で渋谷で食事。Oさんは別の待ち合わせもあって慌ただしかったが、食事も話もおもしろかった。
ホテルについたら10時。なんか疲れた。考えてみれば3時半におきたんだから、いつもどおりに8時に起きたと仮定するともう深夜3時だ。zzz。
午前中は翻訳、原稿などしながらすごす。翻訳はマイケル・ホワイトの新作。実は、原書はオーストラリアでもまだ発売されていない。マイケルホワイトの翻訳を多数手掛けておられる小森先生をみこんで、ホワイトが発売前に翻訳をもちかけてきたのだという。
さすが、小森先生。
僕もいろいろ仕事をもらうのだが、その精力的な仕事ぶりはすごいというのを超えて、もうほとんど病気 神業である。
午後からは非常勤。
認知行動療法についての話。
ちょっと本題からははずれるかとは思ったが、エリスのグロリアとのセッションをみせたりする。エリスはよくしゃべる。ロジャースも日本のロジャリアンに比べればずいぶん雄弁であるが、それでもエリスにはかなわない。学生からはしゃべりすぎているとか、話をもうちょっと聞いてほしいとか、圧迫感があって嫌だといった意見が相つぐ。
セラピーは言葉を使うものであることは譲れないところだが、言葉とは内容を伝達/受信するだけのものなのか、ということを思う。
国立精研のK先生がしばしばだす例を借りていうと、セラピーにおける言葉とは、ソファーから立つとき「ヨイショ」というようなものかもしれない。ヨイショに意味があるわけではない。ヨイショということがある身体配置をコーディネイトしているのだ。それがヨイショであろうと、ひとつながりの物語であっても同じことだ。
朝から実家にいって親をおくった後、学校へ。 授業準備をしつつ、翻訳をすすめたりして。
3限は「介護、看護者のこころ」。
痴呆性高齢者の介護をしている人にとって、関わる対象が痴呆性高齢者であることは、自明のようで、必ずしもそうではない。「おじいちゃん」でも、固有名をもつ○○さんでも、なんでもいいはずなのだ。ほかならぬ「痴呆性高齢者」でなければならない理由はなんなのだろう?。
以前、ある調査をやったとき、自分の意志をはっきりと表現できない高齢者を担当する介護者のお話をうかがうことがあった。対象となる人の自分の意志が表明できないことを、痴呆の進行と同期させて説明することはおそらく可能なはずだった。
しかし、その人はそうはしなかった。「明治生まれの女の人ってそうじゃないかな」、つまり明治生まれのくらいの年代の女性はあまり自己主張をするようなタイプの人は少ないということをいっているのだ。
相手のことを援助しようと思ったなら、別に相手が「痴呆性高齢者」でなくてもよいということだろう。
4限は会議の予定であったがキャンセル。時間があいたので部屋で翻訳の続きとか、原稿のつづきとか。
5限目は卒論ゼミ。前回、アイデンティティ拡散について話した彼は、今回は曾祖父の人生と、祖父の人生を重ねあわせて調べたいという。死生観、アイデンティティ、自己肯定感と毎回テーマがかわるので閉口するが、今回はどうやら真剣だということだから、そろそろ腰をすえてやってくれるかと期待している。ま、前回もその前も、「今回は真剣」といっていたのだけどね。それに、テーマは変わっているようでいて、深いところで通底しているような気もするなと思ったり・・・・・。普遍項か?。
2004年06月23日(水) |
調査やら、非常勤やら |
午前中は、大学で某研究所の調査のご相談にのる。私でお役にたてることならなんなりと。というか、若手に断る権利などなしである。調査をされているのは教職経験の長い方ばかりである。質問項目をたてるときに大事にするポイントが「らしく」て興味深い。あれこれ勝手な意見を述べさせていただく。
話し合いは1時間半くらいで終わり、その後、いそいで非常勤先へ。
今日は社員さんが会議の日。会議にまぜてもらい、現在の問題点について報告されているのを聞かせていただく。ふむふむ。名古屋にいるときとは、やっぱり会議の雰囲気も違うねーと思いつつ、しかし肝心なところは同じか、などど思ったり。えんえん3時間続くとさすがに疲れてしまった。来週もまた忙しくなりそうだが、予定を確認しつつ早々に退散させていただく。
大学にかえってみると
友枝敏雄・鈴木譲(編著)『現代高校生の規範意識: 規範の崩壊か、それとも変容か』九州大学出版会 2004年
が到着している。10月にある学会で指定討論を頼まれているのだが、話題提供される先生のご著書である。いわゆる「数量的研究」なのであるが、ちょっとみたところ、高校教師と、高校生との校則に対する意識のズレなどに注目されているようでおもしろそう。
午前中の会ともあいまってしっかり読んでおこう、と思う。
良い天気。早めに学校にいって午前中は翻訳の仕事。 午後からは質問紙ゼミと1年生の実習。
質問紙ゼミは自分の担当は終わったが、ついでに参加してベテラン先生の授業をみせてもらう。僕はけっこうはしょってしまったけれど、質問紙の専門家からみれば、いろいろ気をつけてもらいたいところがあるのだな。学部生にそれを全て教えるのはかなり難しそうではあるけれども。
1年生の実習はどうも調子がでない。どうも男性がおとなしいとは思っていたが、女性のメンバーにもいろいろ葛藤があるようで・・・。実習までになんとかしたいところ。
はふ。
あつくてちかれる。救いは研究室に冷房がつくことか。しかし、夜は消えちゃうんだな。そして友人にヒマだと言われつつ、HPのトップを変えてみたりしつつ、夜は更けて・・・・。
今日ははげしい台風。
午前10時になっても警報は解除されず、全学休講になったのだが研究室へ。意外と人がいる。昼間はバタバタ(ここには、実習でお世話になる施設にお電話をしたり、備品購入のために業者に電話したり、元指導教官に頼まれた原稿を送ったりが含まれる)してすごす。
昼食をおえて研究室に帰ってみると、窓際が水浸し(涙)。ちゃんと窓をしめたはずなのに・・・・・・。鍵をかけていなかったからか、すごい風の勢いで、わずかな隙間があいてしまったらしい。隙間からふいてくる風でしめていったはずの研究室のドアまで開いている(カギはかけてなかった)。 恐るべし。台風。
掃除道具部屋からバケツとぞうきんをお借りして水をくみだす作業。せっせかせっせか。一段落したころにはすっかりモティベーションがさがってしまったので、とっとと家にかえってお仕事することにする。
今月中にはなんとか1章、2章を形にしたいんだけどな。今月中ってあと10日しかないじゃん。いや、10日もあるか。むむ。
日本コツコツ党の実力がうらやましい。
このところバタバタしていて、落ち着いて書きたい原稿に手がつかない。 今日は、一日構想を考える。
人の悪口を書くのはやめようということを思う。
悪口というとちょっと違うかもしれないが、しばしば研究論文は(いや、僕の論文は)「これまであった〜〜という立場では〜〜ができない」「だから、僕は〜〜をする」というものになりがちであった。
しかし、良く考えてみるとこれは非常にお行儀の悪い話だ。
他人を沈めて自分が浮き上がろうというのだから。あさましい。
もちろん沈めた他人を知っている人が読者であるならば、まだ共感を得られるかもしれない。しかし、その他人のことを知らず、したがって批判する義理もいわれもない人(すなわち一般の読者)にとってみれば、上記のような文章はまったく意味をなさない。
せいぜい「なんでこの人は、人の悪口を一生懸命書いてるんだろう」というようなものだろう。人を落とさず、自分の良さをみとめてもらう文体はないものなのだろうか。
しかも、その批判は、しばしば定型化している。あたかも敵(それはしばしば、客観主義者、固体能力主義者、数量的研究者といったネーミングで呼ばれる)がいるかのように極めて単純化した言説を展開しつつ、それをバッサリと切り捨てるという論法をとる。いわば自作自演である。
そんなことを考えていくと、自分の研究のおもしろさが、いったいどんな状況に埋め込まれているのか、その落とし所をもっと考えないといけないということを思う(と、そうやって一日費やしていていいのだろうか、とふと思う)。
昨日の飲み会では、いつものごとく「森のクマさんはどうしてあんな歌詞なのか」という、どうでもいい話でもりあがったことを思い出した。クマさんはどうして「お逃げなさい」などというのか?というあれである。
僕はいつごろからかわからないが、かなり小さな頃から、森のクマさんが「お逃げなさい」というのは、クマさん自身は優しいのだが、留守にしている奥さんのほうはかなり凶暴であるため、お嬢さんがこのままいたら殺されてしまうだろうという配慮から「逃げなさい」と言ったのだというように解釈してしまっていた。
つまり、「逃げなさい」といったクマさんは例外的に優しいクマさんであり、自分の仲間の野蛮なふるまいに密かに心いためており、一人でお嬢さんにあったときくらい、他のクマに見つかる前に逃げなさいといったのだという、そういう解釈である。
なんでこんなことを考えついたのか知らないが、クマが危ないという知識は持ちながらも、目の前のクマだけは違うと信じる楽観的な子どもである。おそらく間違いなくクマにあったら襲われて死んでいたであろう。
その場にいた人たちには、この僕の思い違いに爆笑し、「両親イメージが関係してるんじゃないか」とありがたくない解釈をされてしまった(いっておくが事実無根である)。
そして「なんで奥さんは凶暴なの」という疑問に、そういえばラストの歌詞が「イヤリングを届けた」というものであったことから、これは実は浮気の歌であり、クマさんとは浮気相手で、何もしらないお嬢さんに「もうすぐ奥さんかえってきちゃうから早く逃げて」といわれ、とにかく一目散に逃げたところ「イヤリングなんて落とされたら修羅場だ」ということでクマさんこと浮気相手が追いかけてきたのではないかという解釈になった。
これが事実なら子どもに無邪気に歌わせている場合ではないが、どうも真実は違うようである(あたりまえだ)。
今日、ネットで検索したところ、いいかげんなものも多いのだが、比較的信用できるものとして こんなところ や、 こんなところ 、また こんなところ をみてみると、どうも日本の子どもに歌わせても大丈夫な歌にしようとしために、英語の歌詞と日本語の歌詞はとても違うものになり、結果的に不自然な歌詞になっているという説が有力そうである。
最近の絵本では、ウサギとカメの話でも、「カメさんはウサギさんをまってあげて最後に仲良くゴールしました」といった、僕らからすると考えられないラストになっているものもあると聞く。野蛮なものを子どもから遠ざけようという、日本人の意識(と、比較文化的にいうのもおおざっぱかも)は相当強いのだなと思う。
西條くんをむかえての「ここから研」。 彼の「構造構成主義」以外の話をきくのははじめて。
会がおわって"hush"で懇親会。その後、市役所前のバーに入ってさらに細馬さん、西條君の3人で飲む(ぼくは、のんあるこーる)。なにかいろいろ話したはずなのだが、あまり記憶がない。12時すぎにみなを送って帰宅。
そのまま眠ってしまったので記憶があいまいだが、、
「抱き」という現象はどちらかの意図が実行されるというようなものではない。そこではどちらが抱いているのか、抱かせているのかわからない世界が展開される。お母さんと、赤ちゃんが協調しあい、即興でつくりあげるものだということがよくわかった。
あらためて彼が構造構成主義などというものを作らねばならなかった理由がわかったようなわからないような(どっちやねん)。
それから懇親会で細馬さんの授業方法の一端をかいまみて感心した。要は、場をデザインするということと、学生にはいりやすいネタから入るのが絶妙にうまいということか。自分ももうすこしマシな授業をせねばと思った。
2004年06月17日(木) |
iBook君、授業中にとまる、の巻 |
この前からやっぱりどうも調子の悪いiBook君。 いや、研究室のではなく、前にとある研究会で壊れたと日記にかいたあれである。再び発症した。しかも今度は最悪なことに授業中。
授業はパワーポイントのスライドでやっているのだが、昨日夜なべ仕事でつくりあげたパワーポイントが3枚も終わらないうちに(とはいえその前にビデオみたりしたから1時間はたってたけど)、突如画面がスリープ。
そして、それっきり。・・・・・。
そこからは、たまたまプリントアウトしてもってきたノートをみて板書に切り替えてのりきる。いや、正確にいうとのりきれてないのであるが、気合いで最後までしゃべりとおす。いやはや散々だった。一番毒舌のゼミ生からは「先生、パワーポイントはしっかりしてるのに、板書はグダグダですね」。はいはい。修行します。とほほ。
研究室に帰り、卒論ゼミ。
美容院での美容師と客との相互行為分析。
お互いのわずかな会話や、鏡ごしにとりかわされる視線やみぶりから、好みのヘアスタイルというニーズが協同でつくりあげられる過程を詳細に分析するというもの。おもしろくなりそう。でも、たぶん、僕みたいに美容師さんとしゃべるのがとても嫌いな客だと分析しづらいだろうなー。
ゼミが終わって疲弊しつつ、iBook君をたちあげてみたら、なんと、また起動するではないか。なんだよ。君は、肝心なときにつかないんだからもー。
今日は非常勤は休み。 というわけで、たまっていた授業準備などこなせてしまう。 うふ。最近の泥縄ぶりから少しは抜けだせるかも。
提出された質問師のレポートの出来の落差にあぜんとしながら、 自分の教育のなってなさを反省。 みんなができるようにならなきゃ意味ないよ。 ちゃんと添削して返しますから、そのまま出しっぱなしで終わり〜なんてことは想像しないように。ね。
良いことといえば、
夏休みは北海道にワーチの話を聞きにいくことに決定。 初、北海道。わーい。わーい。あんなことや、こんなことを・・・・。 じゅる(連想するのは食べ物ばかりかよ)。
ではなく、連日ワーチ先生の講義である。 ワーチ先生は、ちびまる子ちゃんの担任の先生を連想させる素敵な紳士だ。 会うのはかれこれ4年ぶり。これも 楽しみ。
気がはやいかと思ったが即座に航空チケットをゲット。でも、もうけっこう空席がうまってた。やっぱお盆だからな。僕は少し割高な席になってしまった。 しかし、北海道までいくのって高いんだねえ。 わたしゃ、びっくりだよ。
夏の北海道を楽しみにしっかり仕事しよ〜っと。
2004年06月15日(火) |
気が狂わないようにすること |
先日の母校での発表では、おもいがけず後輩から「どうして松嶋さんはそんな立場をとるにいたったんですか?。そのヒストリーを。」と、皆の前で自己語りをすることを求められてしまった。
「公式見解としてはね」と、もはやFAQとなったストーリーを語ってあげたら満足していた。しかしね、人間、そんなに自覚的にある方向性をもっているわけではないよ。ね。
だって、全てを話すわけはないし、そんなの無理だし。バフチンの発話の宛名性ではないが、人は自らのストーリーを語るとき、常に聞き手の応答を先どりして、その都度、適応的な自己を構築しているんじゃないのかなあ。
そして、人間、適当な話の着地点をみつけると、なんだか自信をもって声高に語れだすからおかしなものだ。それまで幾度となく「どうして?なんのために?」がわからなくなって、そのたびにしんどい思いをした。そういう時には、自分が何をいってもわかってもらえる気がしないし、実際、わかってもらえていなかった。「俺、なんかおかしいんちゃうか」と真面目に考えたこともある。
いま、こうやって研究が続けられてるのは、なんとか話の着地点をみつけられただけのことだ。宛名というのは、相手に届くから宛名だ。誰にも聴きとってもらえない声もある。研究過程ではみんなそうじゃないか?。
みんな研究過程では大なり小なり創造的で、地に足のついていない(いわば病気のような)時期があるのだろうが、その結果として、聞き手のいる着地点を探しだせた(おさまれた)人は立派だといわれ、そうでなくて頑張っている人は「あの人はかたよっている」といわれる。
そう考えてみると(あのー、ちょっと飛躍してるが、長くなったのでしんどいのでこのへんにしとく。)話がクリアーになることも、一概に良いとはおもえなくなってくる。
2004年06月14日(月) |
Mac君、新装開店して復活 |
昨日にひきつづいて今日も晴天。風もすずしい日だった。 というわけで今日は自転車通勤。
Mac君は再インストールのかいあって快調。OSを変えるのはいろいろ不安だったのだがなんとかうまくいっているようで安心。アクロバットやノートンさん、プリンタドライバをいれてなんとか使える環境になってきた。
いや、しかし大変だった。
細馬さんの日記にも書いてあるが、わがMac君はyakと打ちこみ、漢字変換しようとするとフリーズするという難病におかされてしまった。ローマ字入力やカタカナ入力では平気なのに、漢字変換しようとするとダメなのだ。あまりにパニクりすぎて「Y2Kならぬyak問題か・・・」などと、ホントどうでも良いことを考えたりしてしまった。
ま、いいよ。なおったからさ。うんうん。
作業していると学部生が進路相談にやってきた。うだうだしゃべっていたらお昼ご飯を食べ損ねてしまった。何事もてきぱきやらねばならヌね。
今日はとてもいい天気。風もすずしくていい気持ち。 遅めに起き、洗濯、掃除などしてすごす。
ここ数日、研究室のマック君の御機嫌は最低で、あれこれいじってたらますますひどくなってきた。そこでOSをXにバージョンアップしたのだが、まだまだ勝手がわからないのであまり触りたくない。自宅のマック君に必要なファイルが共有されているので仕事にはそれほど支障ないのがせめてもの救い。というようなことを言い訳にして今日はお休み。
昼過ぎからクリーニングにだしていたものをとりにいって、近くのショッピングモールの休憩スペースでベンチに座ってのんびり読書。
水田宗子さんの『女性学との出会い』。不勉強なことに僕は全然知らなかったが、どうやらこの分野ではすごいえらい人らしい。ははー。魔女とか姥捨て山とか、家父長制とか。ははー。先日、専門学校でエディプス・コンプレックスについて教えたばかりなだけに、いろいろ考えさせられるものがあった。。
と、あれこれ考えていると近所でバイトをした帰りの学生さんに見つかり「先生、こんなとこでなにしてるんですか〜?」と笑われる。
昨日の疲れがでたわけでもあるまいが、寝過ごしてしまった。おまけにいそいで家をでたためか携帯電話を忘れ、連絡もできず。10分ほど遅刻して京都大学へ。
今日は朝から、Y先生をトップとする「ナラティブ」科研の全体会。みんなはやくからお集りだったらしく恐縮。
午前中は今後の方針について話し、お昼は京大に今年からできたフレンチレストランでお食事をいただく。独立行政法人化したことで、地域にサービスする大学をめざし、副学長が有名店を誘致したのだという。すごい本格的なレストランでお料理もおいしかった。うちにもこういうのできたらいいなあ(むりむり)。
午後からは質的心理学会で記念講演をしてくださるヴァルシナー先生の論文を読む会。僕は発表者兼司会。いろいろと議論ができてよかったが、最後はさすがに頭がつかれてしまった。また、とにかく内容がもりだくさんな論文が多いわりに時間が少なかった。もう少し1本の論文でいろいろ語りあえた方がよかったかもしれない。僕の時間管理もまずかった。反省。
懇親会のあとは、賀茂川べりにてY先生、説得納得ゲームのSさん、活動理論のHさん、ライフヒストリーのTさんとでホタルを鑑賞する。 活動理論のHさんは、とてもホタルに詳しかった。総合的学習の成果か?。
しかし、こんな街中にもホタルがいるんだな。 涼しい風がふいてくる。ソヨソヨ。 ああ、いい気持ち。精一杯ひかるホタルにうっとり。
ホタルなんて何年ぶりかなあ。
午後から専門学校で非常勤。それが終わっていそいで自動車で米原へでる。そこから新幹線で名古屋へ。
今日は、夕方から母校で博士論文の発表。院生の研究活動を促進するために年に数回もうけられている会のゲストスピーカーとして呼ばれたのだ。見知った先生方がたくさんいるところでの発表はちょっと緊張もの。まあ、みんな「おもしろい」といってくれてヤレヤレ。笑いがでたのがよかった。
さて、会議がおわって、後輩と少し立ち話。
彼女いわく、僕に対する評価が、僕がいなくなってからとても高くなっているのだという。「おお!、なんて嬉しいこといってくれるじゃないの」と思って詳しく聞いてみると、どうも素直に喜んでいいのかわからない内容だった。
後輩いわく、いまの大学ではみんなスマートで洗練されており、人間味があまり感じられないという。まじめに授業にでて、そつなくレポートをこなし、ダラダラ話したり、どうでもいいことで何時間もだべったりなんかしない(というかそういう空間がなくなってしまった)。そんな雰囲気も、彼女はなんとなく寂しく思うのだという。
そこいくと、僕は、毎日のように院生控え室でダラダラ新聞をよみ、お菓子を食べ(×3)、誰かとどうでもいい話をしていて、とにかくノンビリしていたという。そのことに彼女は救われていたことに、僕がいなくなってはじめて気づいたらしい。「ああ、ああいう人も大事だったんだなあと思ったんです」と後輩。
なんだかなあ。喜んでいいのか、悪いのか・・・。 たぶん喜んでいいんだろうな。 うん。 そうしょう。そうしょう。
しかし、そのように評される僕の院生生活っていったい・・・・・。 自分じゃけっこう苦労してたつもりなんだけどなー。 記憶は嘘をつく、のかな。
2004年06月10日(木) |
redandantな現実 |
某学会でのシンポの情報がMLからまわってきた。
幾人かの志向性を異にした観察者が、同じビデオをみて、そこにうつりこんでいるものをどのように解釈するのか、その差異からみえてくるものを探ろうといったものだ。
とってもおもしろい。行きたいところだが、当日は科研の研究会があるのでいけない。
実は、『質的心理学会』の第1回大会で僕が当初企画していたのも同じようなセッションだった。
そもそも、同じビデオをみていても、そこに読みとる意味づけはアプローチにより、認識枠組により、その人の個人的歴史性によってさまざまである。そうした複数の解釈が重なること、あるいはずれることは、決して解釈が「あいまい」であるとか「多様な見方ができる」ということを意味しない、と思う。そういう解釈が多様であることそのものが、すでに現実の一部なのだ、と思う。たとえみなが同じにみえるといったとしても、おそらくその見えが重なることは、だから「同じ」だと集約できるものではない。ひとつひとつの同じが重なる、その冗長性にこそ意味があると思う。そういったことをデモンストレートしようという企画だった。
と、ここまで書いて僕の考えていたのは差異に焦点化し、今回のは了解可能性を問うているから全然違うなーと思えてきた。ま、どちらにしろとても興味深いセッションだ。
ぜひ成功してほしいものです。
昨日とはうってかわっての暑い一日だった。げんなり。
昼から非常勤。行く前に元気をだそうということで「小川珈琲」でパスタランチ。
いつもいく「珈琲館」はスタッフがほとんどが県大生であることが判明。まあ、この街の飲食店で県大生にあわないでいることは奇跡的なこと。だからしょうがないが、毎回いっていると覚えられそうなので店を変えてみた。 ケーキもついてきておいしかった。 今度はマンゴーのにしてみよ〜。
お店をでて駐車場にいるとThe Beachさんが入っていくのがみえた。また、お仕事だろうか。みんな同じところに出没するな〜。
非常勤先では、先週、PR用のお便りを作成して配付した。担当者様の評判がよく、当初は社内の各部屋に掲示するだけという方針だったのだが、全員配付する方向でみなおされることになった。
わかりやすく心理学を伝えていく仕事もおもしろいものだ。 トレボー・ロメインのシリーズは参考になる。
2004年06月08日(火) |
いつまでも学生気分(ではないのだが、周囲からは学生にみられる)。 |
午後は質問紙ゼミの発表会。後は来週までにレポートをしあげて出してもらうだけ。
レポートといえば、教務課に前期試験の実施についてのアンケートをだしていなかったのを思い出して報告にいった。ちゃんと「試験の実施についての報告にきました」といっているのに、返ってきた答えは「○○先生の授業のやつかな〜?」。
・・・・。
あかん、確実に学生に間違われている。
かるく動揺しつつ、つとめて冷静に「いえ、私の授業の・・・」と答えると、担当のお兄さんもまたマイクロに動揺しつつ「あっ、(0.01秒) はい、ちょっとお待ちください」と足早に奥へと去っていった。
おもわず「エスノメソドロジーのヘリテジは"ah"が新奇な情報のマーカーになるといっていたな。さっきの"あ”も新奇な情報か・・・・」などとほんとどうでもいいことを考えてしまった。
着任当時ならまだしも、1年たってそろそろ認知されてきたかと思ったがまだまだ甘かったようだ。ぐすん(涙)。まあな、今日は学生にも「先生、若いですねー」っていわれる格好だったからな。それに教務課なんてめったにいかないし、、、、。
でも、センター試験のときいっしょだったじゃんかよ〜。まあ、すごい人数だから覚えてないだろうけどさ・・・。
あっつい日だった。 あついだけならまだ良いが、湿度があるのがこたえる。 むしむし。でも、名古屋の湿度にくらべればなんのそのである。
しかし今日は研究室のマック君が絶不調。 朝から御機嫌ななめで、エクスプローラーもワードもおちまくる。 おかげで仕事にならず、忙しかったのもあるが、後は読書などしてすごす。 Bernsteinの教育学的コードに関する論考。 むずかし。
明日はマック君も機嫌がいいとよいな。
2004年06月06日(日) |
ヤンキー、NHKにでる |
昨晩、NHK教育の『ETV特集』をみた。北星学園余市高校で教諭をつとめる義家さんのインタビューを中心に、余市高校の実践について紹介したもの。
紹介するまでもなく、義家さんは『ヤンキー母校に帰る』で有名になった張本人である。中学時代に非行にはしり、どうしょうもない生活をおくっていた義家さんは余市高校に編入して立ちなおったそうだ。
番組のなかではいくつも考えさせられることがあったが、それはまたおいおい・・・。
ところでどうでも良いことだが、義家さんは、どことなく浜崎あゆみと雰囲気の似た人だなと思った。物腰はやわらかいが何かピンとはりつめているようなところとか、たえず何かを追い求めているような雰囲気とか。すいこまれてしまいそうな視線とか。とか。
まあ、2人の生い立ちに関する情報から、そのように結びつけて見えてしまっただけかもしれないけど・・・。
昼前から大学にでて、授業準備とか、来週の読書会の準備とか。 読書会は9月に来日して『質的心理学会』で講演するヴァルシナーの著作を読むことになっている。僕が担当しているのは「CULTURE AND ITS TRANSFER: WAYS OF CREATING GENERAL KNOWLEDGE THROUGH THE STUDY OF CULTURAL PARTICULARS」という論文。
「文化」には2つのとらえ方がある。ひとつは文化を外的な実体として、ひとつは文化を過程としてとらえる。前者のアプローチは比較文化心理学となり、後者は文化心理学となる。
・・・・というお定まりの内容なので読むのは簡単。なんかコールも、ワーチも同じこといってたような気が・・。誰がオリジナルなんだろ。とりあえず、まとめるのが面倒なり。
うだうだやっているうちに日も暮れた。今日は快晴。窓をあけるとソヨソイよい風がふいてきて快適な1日だった。あまりに気持ちがよいのでソファーベッドでついうとうとしてしまった。いかんなー。
昼から専門学校。Rogersのビデオをみせて解説する。『グロリアと3人のセラピスト』。田畑先生にはじめてみせてもらった時は、失礼ながら即効で夢の世界にいってしまったが、改めてみてみるとなかなか奥がふかい。やるな、ロジャース。見るたびに考えさせられるフィルムである。もっとも学生にはわかるはずもなくあえなく沈没するもの多数。目覚まし代わりに大声でしゃべってきた。
終わると大学にとってかえす。3回生の質問紙ゼミの事後指導。 名古屋大学では質問紙作成にかかわる雑事はすべて大学院生まかせであるが、ここではそうもいかない。しかし、教えたかいあって統計がすこしはわかってもらえるとうれしい。
集団でやらせるとどうしても主体的にやる人とそうでない人にわかれてしまう。主体的にやる人に負担がいくのがかわいそうかと思ったが「おかげで、かしこくなったもん」と3回生。そんな言葉をきくとこちらもうれしくなる。
一段落して研究室にもどって、来週の授業準備などしていると、また学生が遊びにくる。おもわず話しこんで長いことたってしまった。 まあ、こんな日もあるさ。 そろそろ帰って自分のことしよ。
午前中は県の研究センターでおこなわれる調査についての話しあい。
去年の夏、センター主催の初任者研修で講師をつとめたのがきっかけでいろいろ声をかけていただいている。私のようなものでもお役にたつのであれば、なんでもやりまっせ。
地域の人とであって一緒に研究ができていくようになるのはうれしい。
午後からは授業にゼミ。ちゃんと文献をよんで話をしてくれるとわかりやすいね。あいまに昨日の質問紙ゼミの質問などうけつつ。分析も、どうにか軌道にのってきたようであった。
夜、、、
2人でいる生活が長いと、1人になるととても寂しい。 家もガランとしてる・・・。 はやく遊べるように仕事をかたづけよう〜っと。
午後から非常勤。
昨日は南の方で事件があったばかりということもあってか、非常勤先の社員さんもピリピリ。「我が社もひとごとじゃない」とのこと。 まあねえ・・・・・。
こんな時、心理職なんてなんにも役立たない ・・・・・・と、開きなおってる場合でもない。 が、実際のところそうだよねえ(と、開きなおる)。 特に会社にもなれないうちはろくに動けやしない。
とりあえず、「心理の人でもわかんないのね。ふん、たいしたことないわ」と思われ「まっ、だから私も捨てたもんじゃないわよ。私の方がずっとよくわかってるもん」と自己効力感を高めてもらえれば御の字である。
これぞ必殺「死んだフリ」。
赤穂浪士が死んだフリをしながら吉良邸のまどりをさぐったように、心理屋は死んだふりをしておいて、そのあいだに来るべき時にそなえてアセスメントしておかないといけないというわけだ。
ああ、しかし、またなんとマゾヒスティックな・・・(泣)。
3回生の演習と、1回生の実習。
質問紙調査も佳境にはいった。 あとは打ち込んで、結果をだすだけ。 3年生のみなさま、がんばってください。
とはいえ結果をだすのは、我が社の優秀なSPSS君である。 便利な世の中になったもんだ。僕らの頃は3年の実習なんて関数電卓片手に全部手計算でやったものだ。
でも、そのおかげで分散分析の仕組みくらいは、どうにかわかるようになったのだから彼らにも今度やらせてもいいかもしれない。まあ、多分、大ブーイングだろうけどね。
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1回生の実習は今後の計画をたててさっさと終わった。去年はなにもかもお膳立てをしていたが、今年は自分でアポをとってもらう。スケジュール調整が大変だ。今後は密接に連絡をとらねばならない。
1回生の女の子が遊びに来て「鴨部」の存在を教えてくれる。最初、聞いた時は、単に自分たちでそういう集まりをしているだけかと思ったが、ちゃんとそういう団体があるのだという。実は、うちの大学には環壕があり、そこに鴨や白鳥、鯉がおよいでいる。いったいどこから来るのかと不思議だったが、こんな団体があったとは、、、。県大おそるべし。
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