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2004年07月31日(土) 暇なんですよ(苦笑)

(主観的には)忙しいなかいったのだが、石黒先生の講演会は刺激をもらえてよかった。おかげで原稿もすすみそう。

ところで、会には千葉の大学からもお客さんが来ててびっくり。今年から大学講師になられたとのことで、どんな様子ですかなんて聞いてみたところ、「授業負担は、みんなからふざけるなっていわれるんですけど、4コマなんですよ〜」とのこと。・・・・・。あの〜、僕も大学の授業は4コマなんですけど・・・・。やっぱりぬるま湯につかってるかしら?。

やっぱり。

うっかり「忙しい」とか口走らないようにしようと誓う私。

明日は大事なお客さまを迎えた会合があって一日仕事ができないので、今日はもうちょっと頑張りたいところ。



2004年07月30日(金) 京都で研究会

昼から京都の研究会へ。さきに四条にでて大切なものを受けとってから、京都大学へ。

北海道大学の石黒先生の講演会。
先生は「発達実践論」というネーミングで、社会ー歴史アプローチを概念ツールとしつつ、先生がかかわっておられるNPOや放課後の課外活動についてお話くださった。

以下、個人的に印象にのこったこと。

■研究者の変化をどう記述するか?。トランスクリプトを作る際の、そのトランスクリプトへの自分の向いかたの差に注目するのがひとつの手掛かり。

■書かれる研究者の変化は、誰にその話をきいてほしいかってことがけっこう効いているんじゃないか。

■学術論文は、まず研究者コミュニティにむけて書いているという前提は疑ってかかったほうがいいのではないか。

■「それはドキュメンタリーとどう違うのか」としばしば言われる。それはドキュメンタリーと論文というふたつのジャンルがあり、ふたつを文脈からきりはなして比べてみることなしには成立しない。










2004年07月29日(木) From "negation" to "negotiation"

ある人が、研究テーマを選ぶときには「怒り」を感じるような立場があるものを選びなさいとおっしゃっていた。

いわく、「おもしろい」と思うテーマは、例えば「子どもの社会化」についてやりたいというような人は、子どもの社会化について、これまで言われているさまざまな立場を聞くとあらかた納得し、これでもう自分が知りたかったことはなくなったとそのテーマへの興味までなくしてしまう。まだまだ、わからないことが山程あるのに、である。

怒りを感じるテーマはちょっと違う。その立場の主張がなんとなく気に入らず、しゃくにさわり、なんとか否定してやりたいと臨むために、なかなかそのテーマへの興味が失われるということはない。そして、その中から「そうじゃなくて、○○なんだ」という、いまだ語られえぬ言葉がみつかった時、研究は着地点を見い出すのではないか、そんなことを思った。

考えてみるとこれは、子どもの社会化と同じだ。

子どもは中学生くらいになると、親の意見をなんとなく違和感をもってきくようになり、「お父さん嫌い」「お母さん嫌い」となっていく。いわゆる反抗期である。この反抗期をへて、子どもは親からはなれた独自の価値観を獲得し、親から精神的に自立した大人になっていく。

Judith Diamondstoneが言っているように、創造的な空間は、はじめは意見ともつかないような「否定(negation)」からはじまる。"negation"は"counter script"を構成する。それは、当初はただ単に「それは気にくわねえ」という、教師の言葉のラッダイト運動(不買運動)にすぎないが、次第に大人とのnegotiationを可能にするような、独立した"voice"となる。

ここで気をつけなければならないのは、"voice"を"negation"の終点としてはならないということだ。時間の流れはそうはなっていない。自立した大人から、子どもの発達をみてはいけないということだ。

それは、その都度、その都度、「もうだめかもしれない」という危機に瀕し、あの時のあの言葉がなかったらというタイトロープをわたって、励ましてくれる人の存在に助けられながらやっとたどりついた場所である。自分が誰に何を言いたかったのかということ(宛名)は、このようにして明らかになる。








2004年07月28日(水) だべるのも大切(と、自己弁護)

午前中、研究室で原稿をすすめる。もう1段落でも1行でもさきにすすめることが大事。

学食に昼食をたべにいき、いい天気なのをいいことに大学の中央広場(っていうのかしらないけど)で、出版社からおくってきた校正原稿とかなおそーかなとのんびりしていると、僕の授業をとっていた学生2人がみつけて近づいてくる。

せっかくなのでちょっと話と思っていると、あっというまに時間がすぎて(結局2時間以上しゃべっていたらしい)しまった。一人の学生は途中でテストをうけにいったので、後は2人で。おそらく外部からみれば、学生同士しゃべっているようにみえただろうな。教員と学生じゃなくて。

『健康心理学』は、他学科の授業がない時間帯であったこともあり、「とりあえず時間割うめよう」という他学科の学生がたくさん受講していたらしい。

件の学生によると、そういうモティベーションの低い学生のなかにも、いざうけてみたら面白かったので最後まで通ってしまったという子がけっこういるらしい。

自分的には反省の多い授業だったし、楽しい授業だからといって、彼らが教えたことを理解していなければ意味がないけれども、ともかくうれしい反応だ。

しかし、忙しい忙しいといいながら長いことだべってしまった。大学院時代は、第7演習室という院生のたまり場のようなところがあり、論文ににつまるとよくそこにいって後輩と世間話しているうちに時間がたっていたことがあった。大学に就職したら、同年代の先生がいないせいか、同僚の先生とだべるということがあんまりないのだが、やっぱりこうやって何をいうともなくしゃべってるのもたまには楽しいね。

・・・・・・・でも本当にちゃんとしないと(:_:)。


2004年07月27日(火) ぼーっとしてたらアカンよ

今日は昼まで喫茶店で3時間ねばって原稿かきかき。ちょっとはマシになってきた。でもまだまだ3合目付近。7月末までに2章書き上げる目標が・・・・・あぁ。

ホワイトの『魅惑的な人生』も締め切りにまにあわないことが決定的。原典と格闘すること数週間、僕の訳文はちっとも魅惑的ではない。K先生の赤ペン攻撃がいまからおそろしい。

先日、Oさんからメールがきて、彼女も翻訳原稿を3週間遅れでだしたらしい。これでだいぶん気が楽になってはいるのだが、Oさんは「英語がペラペラ」、僕は「ペラペラな英語」。一字違いで大違いである。彼女と同じようにしてはいられない(でも、したい)。

ほんとに他大学の教員のみなさまは、多大なる授業負担にもかかわらずバリバリ執筆活動しておられるというのに、いったい僕は何をやっているのか(と、自己嫌悪)。ぼーっとしている時間が多すぎるんだな、きっと。

明日からもがんばろっと




2004年07月26日(月) 星座占い

学生が『星座占い』なるものを教えてくれた。
12星座はまず、「水」、「土」、「火」、「風」の4つの属性に分けられる。そのうえで「動」「不動」「中立」の3つに別れるということだ。

私は蟹座なので水の不動であるらしい。魚座、蠍座とは相性がもっともよいそうである。そして、うちのゼミは5人中4人が「水」属性らしい。へー、そうなの(じゃあ、後1人は、、、)。


2004年07月25日(日) オープンキャンパス2日目

オープンキャンパス2日目。

明和、松嶋は昨日と同じネタで勝負するなか、細馬さんは「お二人の話につなぎやすいように」とネタをまったくかえてのぞんでおられる。

昨日は高校生がやや硬い雰囲気で聞いていた反省からか、細馬さんはやたらと発言をふって雰囲気をなごませようとされている。

まあ、なんにも知らない人たち同士、いきなり講義といわれて部屋につれてこられているのだから、そう簡単になごやかにはならないが、見事な前ふりのおかげで2人の若手は心地よくお話させていただく。素晴らしや素晴らしや。

お昼の時間、翻訳をすこしでも進めようとガシガシがんばる。しかし、途中で落雷。わがマック君は秒殺され、20分ほどの努力が泡ときえる。ガクッとくる間もなくやりなおしてなんとかノルマ達成。

午後からは進路相談。竹下先生、明和先生と2ー3人の高校生の進路相談にのる。しっかりしすぎるくらい考えて質問にくる子もいれば、「どうやったらうかるんですか?」という、そんなこと僕らに聞かれてもという質問をしてくる子までいろいろあって面白かった。

編集者になりたいという子がいて、「編集者の人ってね、いろいろな知識をもってないとダメなんだよー」「そうそう、こんなん面白くない。意味がわからんと大学の先生にもダメだしできないとダメなんだよー」と、明和先生とともに実体験をまじえつつ話したりして。高校生よりももりあがる講師2人。

結局、就職がどうだ、資格がどうだといっても、あまり実利的な基準で大学を選んでもやっぱり面白くないと僕は思うのだが、高校生にしてみれば一生がかかっていることだからそうもいかない。

少しでも将来像がみえやすいところがいいんだろうね。

自分が将来どのような存在になりたいのかという疑問に対しては、僕らがいくら模擬講義をやったり、実験室体験をやっても答えにはならないのかもしれない。・・それは大学にはいってからやることか。

などと考えつつ、原稿を少しでも前に進めるべく4時から9時くらいまで。途中1時間半も居眠りしてしまったけど(:_;)少しずつでも進めるのが大事。

あしたもがんばろ。


2004年07月24日(土) こころの化石

オープンキャンパス1日目。細馬さん、明和さんと模擬授業(?)をする。僕は青年期のコミュニケーションと称して、チャムグループ、ピアグループの話をする。うけてるのかどうかよく分からなかったが、去年よりはたくさんの高校生が聞きにきてくれてたのでなにより。明日もがんばろっと。

明和さんは比較認知科学のお話。どうして比較するのか?。人間は、サルとは3000万年前、チンパンジーとは500万年前にわかれたそうな。だから昔、チンパンジーと人間は一緒だった。そのチンパンジーをみれば人間の心の独自性もわかる、ということらしい。

明和さんが「昔のことを調べるには化石を調べることができますね。でも、こころは化石にならないんです」といったのが妙に印象にのこった。「こころの化石」・・・。

といっても、「こころの化石ってどんなんだろう・・・・」と思わず想像をふくらませ、結局のところ岩盤にハート形の跡がついている図しか思い付かない発想の貧困な僕。

明日は急きょ、進路相談もやることになった。がんばろっと。


2004年07月23日(金) 個人的な失敗とは?

暑い暑いといっていたら、ここ数日は夜はソヨソヨ涼しい風が吹き込んできていい感じ。こうでなくっちゃ。すすまないすすまないといっていた原稿も、ちょっとなんとかなるかという感じがしてきた。まだまだ初めの第一歩なのだが、なんとか7月中にできるだけ多く書き上げなくては。

マイケル・ホワイトの『ナラティブセラピーと魅惑的な人生』の翻訳もちょっと遅れぎみ。著者によれば、personal failure は、近代的な規範システムのほころびをついて、オルターナティブな現実をひきよせる手がかりになるという。あるカウンセリングルームのスタッフでありながら、スタッフ間での会話に、クライエントへの敬意の欠如を読みとり、どうにも違和感を感じてしまう青年の事例がのっていた。

failureといえば、マクダーモットとバレンヌの主著も"Sucsessful failure"だった。「失敗」とは実はシステムの成員間の齟齬であり、それがなぜか特定の個人の失敗として収束するということを強調している点では、両者は似ている。ただし、マクダーモットは徹底して相互行為の水準にとどまり続けるが、ホワイトはすぐに近代的な規範システムといったマクロなところにいってしまう。

江原由美子は『ジェンダー秩序』のなかで、二つの言説分析として、フーコー流のディスクール分析と、エスノメソドロジカルな会話分析をあげている。そして、ギデンスの「脱ー埋め込み」概念を利用して、その相互関係について整理している。すなわち、近代社会では個々の状況からきりはなされた言説が叛乱しており、差出し人不明の言説と読み手の関係が成立してしまうのだという。

ふむ。件の原稿にも参考になる。

それにしても締め切りがあるようでない原稿、いくら遅れても他の執筆者に迷惑のかからない原稿というのは、かなりモティベーションが高くないと書けない。ついつい雑事にまぎれてしまう。

『日本けつかっちん党』単独過半数の日も近い。




2004年07月22日(木) 高校訪問

午前中はせこせこ仕事して、早めに研究室をでて電車にのる。
1時間ほどのって目的地へ。

今日は毎夏恒例の高校訪問。毎年、うちのコースの半数くらいは、県内の高校から推薦/一般入試ではいってくる。よい生徒をリクルートするため、進路指導の先生に資料を呈示しつつ説明するのである。

とはいえ、高校の先生もいくつもの大学、専門学校から同様の訪問をうけているだろうからお疲れである。うちの学科だけで3専攻あり、全てが別個に訪問するわけだから混乱することもあるだろう。お気の毒ではあるが、こちらも仕事なので30ー40分ほどお話させていただく。

ちょっと前までは「心理学ブーム」といわれたが、高校の先生におうかがいしたところ「ピークは超えましたね」とのこと。そのかわり、最近はそれで食べていける資格をとることを求める傾向がつよいとのことで「医学部とか薬学部にいくことが多い」とのこと。文系でも法律関係が人気とか。

まあ、今日、おじゃましたところは、毎年、東大京大に何十人も卒業生を送り込むところだから、医学部とか薬学部ということになるのが、他ではなかなかそうもいくまい。しかし、不況とか、親の経済状態がよくないとかで、ますます生徒の進路が実学志向になっているというのはきくことがある。

心理学もブームのピークを超えたとなると「カウンセラーの資格」うんぬんではなく、ますます、心理学がちゃんと魅力的な学問であることをアピールしていかなければいけないですな。

むむ。

などとつらつら考えつつ最寄り駅にもどり、そこから見える「ぱるこ」「すたーばっくす」の文字にふらーっと引き寄せられてしまったのでした(湖北にはそんな洒落たものありませんから)。

あああ、原稿があ(毎日、こればっか)。





2004年07月21日(水) ほんと暑いわ

今日は、朝から実家にもどって片付けを手伝いつつ、某イベントの打ち合わせ。昼からホテルに某イベントの下見にいく。なかなか良さ気なところだった。あとはお客さまを迎えるのみ。

さて、うまくいけばいいけど。

札幌の学会にいった友人からメール届く。札幌は涼しかったみたいだが、帰ってきて温度のギャップに苦しんでいるようだった。

まあ、日本国内で涼しいとか暑いとかいってもたいして変わらないんじゃないか?。北海道とか沖縄いくんなら別だけどさ。

学部生のころは毎夏、スキー場で合宿したものだったが、ちっとも涼しくなかったよ。。。だって避暑地って涼しいのは朝と夜だけで、練習するときはあんまり変わらないんだもん。。。

ヘルメットを白くすると日光を反射して熱が頭にこもりにくいとかで、最近はチーム単位でやっているところも多い。毎年この時期になると、死者がでたりするから要注意である。去年はKGのバイスキャップが突然死してしまって物議をかもした。

僕はもはや部外者だけど、楽しんでやることで、命なんて落とすことがないようにお祈りしてます。


2004年07月20日(火) あついわあ

連休あけ。

午前中は家でお仕事。むう。ここんとこ、暑い。暑すぎる。仕事にならんじゃないか(じゃ、学校いけよ)。なんと東京は40度あったそうである。

40度って・・・・。

会議×1。その後、バタバタ(電話連絡とか)しつつ、学生の質問に答えたりしてすごす。32歳になってもかわることなく淡々と会議はすすむ(当たり前)。学生は「先生、おめでとうございます」といってくれる。前に話しに来た時に誕生日の話をしたらしい。僕はなんで知ってるのかと驚いて「先生、歳ですね」と笑われる。

あら。

実習関係で用件のあった先生(ご実家が福井)で、床下浸水したとかで欠席されている。今日話し合いができないと、また報告書書くのが遅れてしまふ。まあ、洪水には勝てない。

早々と早びけして家でお仕事。クーラーをつければ寒くなり、消すと暑くなる。もうちょっとなんとかならないものか(だから、学校でやれって)。

そんな火曜日。

夜になってすこしお出かけ。
家に帰ってくると部屋がやけに広い。


2004年07月19日(月) 今日で

32歳になった。

32か・・・・。いつまでも30歳になったばかりと思っていたらもう2年もたっていたのね。

しかし、微妙だな。確実に30よりはふけた感じがするものの、区切りがついているような歳でもない。もとより祝われるような歳でもない。

そういえば30歳の誕生日、たしか僕は当時書いていた日記に「5年後の僕はいまのように研究を続けていられるだろうか」なんて書いていたんだった。

2年前といえば、博論を書いてる最中のくせになに言うとんねんってなもんだが、8月にもなれば一段落ついており、妙にこれまでの研究人生のまとめに入っていて、かなり気持ちわるい自分振り返りモードであった(ああ、恥ずかしい)。ああ、それと就職もなにも決まってなかったのもあるか。

とってしまったら、博士号なんてどうでもよくなる。だって大学って、周りは博士号もってる人ばっかりなんだもん。もちろん、博士号の有無にかかわらず、確実に自分よりもすごい人はたくさんいる。

僕なんかコツコツ、地味にやるしかない。「認識論」とか「シツテキケンキュウ」とか浮かれたこといってる場合ではない。あっ、断っておくが、別にそういうこといっている他の人が悪いといってるのではない。自分のキャラではないと自戒をこめていっているのである。念のため。

後3年後、あるいは40になった時、1人前の研究者/教育者になっていたいものである。

はあ、とりあえず原稿書こ。千里の道も一歩からっと。




2004年07月18日(日) 時代劇

ひさびさに黄色いスイカを食べた。丸のまま。いや、別に外側から食べたのではない。ふたつにわって食べたのである。もちろんスイカなんて高いからそう買えない。実家で誰も食べないからということでもらってきたのだ。うまうま。
食べつつひょんなことからNHKの『新撰組』をみることになる。はじめてみた。なんとなく安物チックだと思ってしまうのは僕だけか?。話はおもしろかったんだけど、昔に比べて、かつらが似合う人が少なくなったような気がするのだが・・・・。
そういえば、水戸黄門もなんとなく昔に比べて威厳がなくなったような・・・(本家がしっかりしないと『江戸紫特急』もかけやしない)。
ちなみに僕がいまでも記憶にのこっているのは、緒方拳が大石くらの介をやった赤穂47士のやつとか、渡辺健が伊達正宗をやった『独眼流正宗』とか、役所こうじがやった宮本武蔵とかお気に入りでみてたものだ。
異色だったのは、中村雅俊と松坂慶子が主演で、ヨーロッパでオッペケペー音頭をおどる、あれ、なんだったのかなあ?。たしか松坂慶子は禎やっことかいう役名だったぞ。
ちょんまげカツラじゃなくても大河ドラマになりえるのかと衝撃だったものだが、、、さて。
劇団員に女形の人がいて、その人は講演がないときでもおしろいをしっかりとぬり、女言葉だった。性同一性障害の授業をしていて、女形のことを話すときふいに頭に浮かんで以来、頭をはなれない。
誰か知っている人は情報プリーズ。


2004年07月17日(土) 進化人類学

午後から第10回のここから研、兼、第10回の日本人類学会進化人類学分科会のシンポジウム。

最初の皆さんの自己紹介を聞くと、「えー、専門は化石とかやってまして」という人も。「なに、化石?」。「化石と非行少年?ってつながらねー」とかなりクラクラきながらの発表となった。しかし(細かいことは省略するが)、いちおう、わかっていただけていたようでなにより。

黒田先生の制度の話は示唆的だった。法律のように、言語によって精緻に逸脱を規定することは制度にとって本質ではない。制度の成立のカギとなるのは情動を共有することである。

討論では、共有するとはどういうことかというような話になった。
チンパンジーは大人の課題を真似しても、それをやりとげて達成感をあらわしたり、親からの評価を求めたりしないという意見や、いや、子どもの課題を共感的に見守る親の存在があれば、情動の共有は可能だといった話になる。

単に同じことをするということと、共有することは違う。また、チンパンジーと人間の違いは、それを見守る親の存在の有無ではないかということになった。


2004年07月16日(金) スニーキー・プー

午後から非常勤。「ナラティブ・プラクティス」を解説する。
スニーキー・プーはうけがよかった。

さて、明日は第10回の『ここから研』。僕もいつものネタで一席もうけることになっている。この会は人間看護の石田先生と、学内の特別研究費をもらえたので、その会合をかねている。というわけで『日本人類学会』の進化人類学分科会との共催である。

最初に、竹下先生から発表を依頼された時は、いつものようにふたつ返事で「ああ、いいですよ」と言ったのだが、最近になってふと「この共催の進化人類学分科会ってなんだろね」と気になりはじめ、サイトを検索してみるとなんと立派なサイトがあるではないか。

その内容をみると、なんか自分だけういているような気がする。こんなんで僕の話、わかってくれる人いるんだろうか?。いや、意外とわかられすぎてつっこまれたらどうしょう。などといろいろ悩んでしまう。

うーん。どうしょう。


2004年07月15日(木) 授業、会議、ゼミ

授業は最終回。これでとりあえず前期の授業はおわり。

やれやれ。内容よりなにより、激しく咳き込むことなくしゃべりとおせたことがよかった(目標、ひくいな)。とはいえ、昔から僕の咳をきいた人は、しばしば「この人は死期がせまっている」と思うか「もうすぐ吐血するはず」と思う。だけあって、学生からは心配される。

3限がおわって、あわてて非常勤先へ。今日は勤務日ではないが、重要な案件を話しあう会議なので、ボランティア出勤。が、5限にゼミがあるため、中座しなければならない。後ろ髪ひかれつつ大学へ。

ゼミは2人が発表。いずれもけっこう内容のある発表だった。楽しみ。「なんだ、やればできるじゃん」。ということでごきげんで終わる。授業は今週でおわるし、来週からはテストやらでゼミもしばらくお休み。後は夏休み中に個別に対応することにする。

メールアドレスを改めて教えるのが面倒だったので名刺をわたした。研究室の電話などが書いてある。学生はニコニコして「先生、2ちゃんねるに公開しますよ」といってきた。おいおい、物騒なこというな(笑)。




2004年07月14日(水) Transparency

「透明性(Transparency)」という概念がある。例えば、パソコンにむかってSPSSを実行している学生は、そこでおこなわれる統計の計算式を理解しているわけではない。とにかく数字をうちこめば、結果がえられるということだけだ。このとき学生にとって計算式は透明になっている。

これはちょっとみるとこの学生が無能なように考えられる(そして、実際、計算式はしっておいたほうがよい)。自分がやっている計算の式もしらないなんて・・・。しかし、そのような面倒くさい手続きが透明になっているおかげで、彼は結果をつかっていろいろな仕事ができるともいえる。

まあ、それは今回どうでもよい。

透明性は「窓」にたとえられる。窓はなぜ見えるのだろうか?。透明だからというのでは不十分だ。全面がガラスばりの家だったらそれは窓ではない。窓は、窓ガラスをかこっている枠組みと、その他の不可視な領域があるからこそ窓という。

つまり、窓はなかが透明であることによって、かえってその外側がみえないということをハイライトし、外側がみえないことによって内側は透明であることをハイライトされているという関係にある。つまり「見える」は「見えない」を含意している。

ところで「見えない」と言うことは実はけっこうむずかしい。西阪先生が例にだすように、我々は学校にいってある先生が研究室にいなければ「○先生をみなかった」といえる。これは正しい言明だし、いっても不思議なことはない。しかし、「ウルトラマンをみなかった」とか「バルタン星人」をみなかったというのは正しいことであろうが、とっても奇妙な言明である。

「見えない」ということには、その場で何がみられるべきかという規範を前提としており、その規範はその場に参与する成員のあいだで交渉されているということが、このことにかかわっている。だから何かが「見えない」というとき、我々は見えること以外の全てのことを指ししめすのではなく、なぜほかでもなくかくかくしかじかのことが見えないと思うのかを考える必要があるということだ。


2004年07月13日(火) 見られる自分

授業が終わっていろいろやろうと思ったのだがゼミ生も、ゼミ生でない人もわらわらとやってくる。相手していたら、あっというまに時間がたった。

3回生の子には「先生、まるくなりましたか?」と聞かれる。
この厳しさとは無縁の私にまるくなったとはどういうことだろう。
思わず体型のことかと思ってしまったじゃないか(笑)(いや、笑えん)。

なんでも赴任早々のゼミで僕は、途中退出しようとする学生を廊下まではしって呼びとめて「勝手にふらっと帰らないように」といっていたらしいのだが、いまの講義ではあんまりそういうことがないという。

そうか、そういうこともあったなあ。

そりゃあゼミ形式でみんなでやっているところで、勝手にかえられたらみんな気分悪いだろう。講義はうけるのもうけないのも個人の自由だからと説明する。件の学生によると、当時はなにげに恐れられていたらしい。へー、そうなのか。僕は、てっきり若い先生だからなめられていると思ったのだが。

それから「先生は授業中はとてもハイテンションなのに、授業後質問にいくととてもポツリポツリとしゃべるから驚いた」という学生もいるらしい。そういえば、この前は非常勤先でのレスポンスカードに「今日は先生はカゼだったからテンションが低かったですね」と書かれていて驚いていたのだった。そりゃあカゼだから普段よりローテンションだったのは間違いないが、とりたてて言うほど普段はテンション高いのだろうか?。これまでハイテンションのつもりでも「テンションひくー」と言われていた僕としては、意外なことだ。

僕のテンションが高くなったのか?。それとも、昔、テンション低いとさんざんいっていた子ギャル女子高生のテンションが高すぎるのか?。

自分のイメージがよくわからなくなった。


2004年07月12日(月) 授業準備とか、英語とか

朝から、翻訳したり、高校訪問のアポとったり、大福帳に返事をかいたり。

授業もあと1回になった。ということは、この大福長に記入するのもこれが最後ということか。大福長のうけはいいのだが、なんだか学生の世間話になっている感もあり。なかなか難しい。ステレオタイプな論ばかり書いてこられても気が重いが、もう少し話題を深めるように教えるべきだな。

冬休みに授業準備をしようと思いつつできなかったおかげで、この半期はかなり泥縄な授業だった。だいたい自分の専門でもないこと(性同一性障害とか、遺族の語りとか)を毎回毎回、パワーポイントで解説しまくるという講義にはちょっと無理があった。来期にむけて要検討課題である。


ところで世間では、英語が流行っているらしい。ヒヤリングマラソンなんてまだあったのね。たぶん、1日のノルマが決まっているものは僕にはむかないので遠慮しておく。このさき、何日も、何十日も、何時間かは同じことをやり続けているのだなと思っただけで気が重い。

でも、この夏には北海道でワーチ先生としゃべらなければならないから、少しは勉強した方がいいか?。9月には、socioculturalな人がいっぱいやってくるし。来年はセビリアにいかなければだし。

まあしかし、英語がしゃべれてもしゃべれなくても、僕は日本語でも寡黙なので、あまり変わらなかったりして・・・。

心の師とあおぐある先輩は、しばしば国際学会にいっているが、英語をきくこつをたずねたところ「あのね、英語のテープをエンドレスでかけまくるの。外ではウォークマンで。寝てるあいだも。1週間くらいそうしたらね、睡眠学習で英語きけるようになるよ」とのことだった。これを聞いていらい、2週間あれば大丈夫という意識がぬけずいまにいたる。

とりあえず『英語でしゃべらナイト』でも見ることにする。


2004年07月11日(日) うだうだ

午後から出勤。原稿はすすまず(涙)。

とりあえず授業準備することにする。あまんきみこの『きつねのおきゃくさま』。読みかたを上手にするのが問題だな。


しかし、カゼですっかりペースを崩してしまった。はやくペースをとりもどさねば。そして、来週末には某研究会で発表もあるし、気が思いなり。




2004年07月10日(土) トリック☆

ユングがトリックスターと表現しているが、ある集団で、ういている人や、顰蹙をかっている人、あつかましいといわれる人は、実はその集団を創造的に変革していく契機をひめている人でもある、と思う。

だから「問題をおこす人」がでてくることは、その集団にとって悪いことではなくて、かえって受け入れていくことがチャンスになるということだ。その人をきりすてるのではなく、その問題とうまくつきあうことができればいいのだ。

かえって集団の力がとわれるということだ。


2004年07月09日(金) 内容は細馬さんの日記でどうぞ

第9回のここから研。咳に恐縮しつつ参加。
テナガザルの観察。発表者の井上夫妻は、4年前、偶然にオリにいれられずに飼われているテナガザルに出会い、それから夢中で観察を続けているのだという。


大学の研究者でもここまではなかなかということを、高校と養護学校の先生というお仕事をされながらやってのけているのには正直驚いた。お休みも満足にはとれないだろうに、去年の夏にはボルネオに50日滞在してずっとテナガザルの行動をおっていたらしいし、年に数回は東京の動物園まで観察にでむくのだという。

あとは、ご夫妻がとても仲よさそうなのが印象的だった。テナガザルが次々と課題をパスしていくのをみるのが楽しみのようである。発表の際も、言葉につまるとお互いに顔をみあわせて、「あなたがここ言うか?」「いいや、そこしゃべってよ」みたいなやりとりをされているのが印象的だった。

夫妻でともに同じ領域の研究者という人はしばしばいるが、井上先生たちの場合、趣味でやっておられるのがまたよいのかもしれない。






2004年07月08日(木) やるか逃げるか

ゴホゴホしつつ、なんとか授業とゼミをこなす。
授業では、ビデオを用意していたのだが、いろいろ戸惑ったおかげで途中で終わってしまった。来週は最終回だというのに・・・。

ところで先週、実習のために休講にすることを本学の学生には伝えたのだが、滋賀大学から聴講にきている学生には伝え忘れていた。ひとりの女の子は大阪からこの授業のためだけに往復4時間かけてきたらしい。なんとまあ・・・申し訳ない。「腹立ったからバーゲンいきましたー!」といってたのが救いか?。

ゼミでは、レジュメを手抜きしている学生にお小言。レジュメを書くことに意味があるのだ。書いたら、自分の思考がどれだけあいまいでつじつまがあわないかがわかるのだ、というようなことを話す。

それだけじゃない。

書いて外にでたものは、みんなで共有して議論できる。みんなの頭をつかって考えられる。でも、君の頭のなかにあるものを語られても、結局、最終的に考えるのは君だけ。それは君にとって損なんだよ。

ゼミ生からはブルーハーツの歌がいいですよと薦められる。卒論ににつまっているA君は最近「やるか逃げるか」という歌があたまをまわっているらしい。

ぜひ、逃げないでやってもらいたい。




2004年07月07日(水) シングルセッション

明日の授業準備などウダウダしていたら一日つぶれてしまった(泣)。このところ寝不足なのか、今日は昼ごろむしょうに眠くなってねてしまった。うう、時間がもったいねえ。

寝不足なのは咳のせいである。いつまでも続く咳だ。夕方、大学のかえりに薬局によってみたところ「いつまでも止まない咳のあなたに」なんて広告がでている。

「おお、これだこれだ」と思って手にとってみると、ただの栄養剤であった。いつまでも咳がでてしんどいから栄養補給ということらしい。

ほんまかいな。っていうか咳をとめる薬はないのかいなと思いつつコピーにひかれて買ってみたりする。

なんと、このまえいった医者は「このお薬4日分でてますので、4日のまれたらきれいに治ります」と言い切っていた。普通、「4日でなおらなかったら、また見せにきてください」とか「4日たったらもう一度きてください」なんてとりあえずは言っておくものだと思っていたが、この医者は完全に1回の診察でなおすつもりらしいぞと印象的だった。

案の定、彼の見立てははずれている。きれいに咳だけ残るでしょうの間違いだったのか?。まあ、僕の気管支は咳がではじめるとひどくなるので、前もそんなことがあった。その時も医者にいったけど、結局奏功しなかった。だから、その医者を責めるわけにもいかない。

でも、それにしても。




2004年07月06日(火) 校正×2

学校にいってみたら、件の校正原稿が来ている。・・・だけではなく、『○○心理学研究』の校正も来ている。

ああ、どうして来る時にはまとまってくるのか。そして、どうして校正は大学に配達されるのに、ニュースレターと会誌は自宅に配達されるのか・・・。

そんなことはともかく、

プラモデルでも、塗り絵でも、買ったらぱっとやりはじめ、結果汚くしてしまい、「最初からちゃんと準備しておけばよかった」と後悔することの多い人間だった。さしずめ、"clumsy child"である。

この性質は現在にもうけつがれ、校正原稿をきれいに仕上げられたことがない。赤ペンでなおしつつ、そのなおしたところをまた直したくなって、あれこれやっているうちに落書きしたような原稿ができあがってしまうこと一度や二度ではない。

今回は気をつけたのだが、、、。

・・・・・・さて。

なおそうと思いだしたらきりがないが「守らない締め切りは、締めきりとはいわない」という言葉もあることだし作業だけははやくしよう。というわけで校正を終わらせて帰宅。明日、投函しよう。


2004年07月05日(月) 調査の検討会

朝から某研究センターにでむき、調査のうちあわせ。ひどい咳をしているので恐縮しつつ議論に参加する。

ひとつひとつ案件が処理されていく。今学期中に予備調査をして、来学期早々に本調査が実施されることになった。

問題は設問数の多さだ。時間通りにできるかどうかかなり不安だ。網羅的に生活を知りたいというのはわかるが、少しは子どものこころにふれるような質問もしたい。両立しようとすると設問も増えてくる。自分のはじめた計画ではないから、勝手に項目を削るわけにもいかないのも難しい。

なんとかいい結果がでるとよいが。


2004年07月04日(日) 引き続きカゼ

カゼは一向によくならず。微熱、咳、口渇感。
もともと気管支が弱いので、ちょっと風邪をひくと、とことんひどくなる。
明日は朝から調査のうちあわせがあるというのに(;_;)。




気合いだ気合い。


2004年07月03日(土) 病院

実習がおわって昼ごろ彦根にかえる。
それから病院へ。
土曜日にも病院があいていてよかった。
薬をだしてもらって安心。
まだ咳がでるがだいぶんよくなった。

しかし、

この実習と風邪のおかげで、原稿、翻訳、その他その他が・・・・(涙)。校正原稿もまだ配達されず。むう。


2004年07月02日(金) 実習2日目

実習2日目。
朝から学校に集合してプレゼンテーションの準備をし、午後からバスで国民休暇村に移動してプレゼンテーション。

我らの班はウケはとったが、内容は・・・・・。
たしかにヴォーリス記念病院を作ったのは、大工さんであるね。
毎回思うが、もっと時間があったらなあ。

それにしても体調が悪すぎた。晩ご飯までは学生と交流したが、それ以降はどうにも無理で教員用の部屋でバタンQ。花火とか、いろいろつきあって他の班の学生とも知り合いになりたいところだったが。無念。

翌朝、であう学生ごとに「大丈夫ですか?」と心配されてしまった。
すまぬ。







2004年07月01日(木) ヴォーリス

環琵琶湖文化論実習の1日目。
近江八幡市にフィールドワークにでかけた。

テーマは、ウィリアム・メレル.・ヴォーリスの足跡をたどる旅。
ヴォーリスは100年程前、キリスト教の宣教師として近江八幡にやってきた人である。彼は建築家でもあったので、近江八幡にいくつもの洋館をたてた。

彼の手になる作品としては、有名なのは関西学院大学とか、心斎橋の大丸とかがある。近江八幡はまた古い町並みがいまも残っているところで、時代劇のロケをやったりもする。それだけに突如としてあらわれる洋館街はとても目立つ。

ある洋館をたずねたところ、観光客がたくさん訪れるからか、門の前で手押し車に腰掛けて休憩しておられたお婆さんが、声をかけてこられた。「この建物はね、私がうまれた歳にたてられたの」。92歳だという。耳が遠くて、こちらの声がほとんどききとれなかったのが残念だった。

いやしかし、疲れた。こちらは前日に薬をのみすぎたからか、身体がだるい。咳もたまにひどくでる。明日も(今日もだが)ちゃんと参加できるのか不安だ・・・・。


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