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2004年05月31日(月) 宣言、被害者遺族

昨日、ひと仕事片したと思ったが、まだまだ仕事は終わっていないことに気づいてへこむ。東京にいったりしたいが、いつの日になることやら。


しかし、目標を設定しておくのはよいことなので、月末には遊びにいけるように頑張ろうと思う。


■■■ ■■■ ■■■
ところで、

イラクでの人質バッシングが一段落したと思ったら、今度は北朝鮮による拉致の被害者のバッシングである。

みんなしんどいことには関わりたくない。すぐに解決するならいいが、こういう問題はすぐに目にみえて解決しない。

スポーツチームのサポーターは、自分たちは平々凡々とした生活をしていても、彼らが活躍すれば束の間、自分まですごくなったように感じることができる。反対に、負けはじめればみじめになってくる。

そんな時、サポーターは選手や監督にブーイングをあびせ、適当な言い訳をつけてチームのサポーターをやめてしまう。「休日までみじめな思いしてスタジアムにいってたまるか」ということである。

被害者家族のインタビューを聞く人も同じだ。問題が解決すれば自分の気持ちまではれてくる。ああよかったと喜べる。しかし、現実の問題はそうそう簡単に解決しない。見ている側は、なんの役にもたてない自分たちの無力さを嘆き、問題の大きさにおしつぶされそうになってくる。そんなとき、人びとは、いつまでも騒ぎ続ける被害者の方を責めはじめる。「もう、僕たちをみじめな気持ちにしないでくれ」と憤る。

昔、後輩が犯罪被害者の家族会の語りについてやりたいというので、相談にのっていたことがあった。その時の話で印象に残っているのは、家族会の人たちが記者会見するときは、普段とはうってかわって冷静に、理路整然と話すというところだった。

Sacksの"doing being ordinaly"ではないが、被害者もまた「まともな判断能力をもち、感情におしつぶされることなく、自分のことは自分でできる」ということを人びととの関係でなしとげなければ、まともに話を聞いてもらえないのではないか、、、というようなことをそのとき思った。





2004年05月30日(日) エクスパック

てんやわんやの末、原稿はなんとか投函できた。

彦根中央郵便局で速達にしようと思ったところ、局のおじさんからEXPACK(エクスパック)なるものを紹介された。厚手の紙でできた封筒にはいるだけいれられて、全国どこでも500円で速達配達してもらえる。それにこの封筒だけまとめ買いしておけば、いつでもこれにいれてポストに投函するだけですむ。わざわざ郵便局があいているときにもっていかなくていいのだ。

これはけっこう便利カモ。

投函して「やったー」ということで、友だちと夕食をつくって食べた。
今月のはじめ、中国からの留学生の友だちの結婚式にいったと書いた。
その時にもらった本場中国の麻婆豆腐のモトをつかってみる。
説明書は漢字ばかりでさっぱりわからなかったが、新郎新婦が直伝レシピを同封してくれているので大丈夫。

めちゃめちゃうまかった。
さすが中国。













2004年05月29日(土) 原稿と写真と

原稿の締めきり近し。今までウダウダしていたおかげで土曜日も出勤。一日中パソコンにむかっていた。

今日の研究室はいつもと雰囲気が違った。
やる気がでた。おかげでずいぶん進んだ(と思う)。
なにが違うんだろうね?。

しかし、進んだといってこれで終わりにはできない。
今日中に何とかしたいところ。あとひと頑張り。

昔、スイスにいた頃の友だちから手紙がきた。現地学校にいっていた僕を、当時、級長であった彼はなにかと世話をみてくれていた。国研のT眞先生の研究発表にいつもでてくるイサク君をみていると、当時の僕がオーバーラップする。小学校2年の頃だから、もうかれこれ20年以上のつきあいということになる。

それにしても、彼からの手紙はいつも忘れたころにやってくる。この前きたのは何年前だったか?。まあ、とにかく久しぶりに彼の手紙をみるのは楽しい。パートナーさんと一緒にバカンスにいった時の写真を送ってきてくれた。子どもはまだだとある。

来年の夏はセビリアにいくつもりなので、その時よってこようかな。
いや、小さい頃の良い思い出だ。
そのままとっておいたほうがいいかな...。












2004年05月28日(金) チンパンジーの死

今日は、午前中、家にこもって原稿書き。

午後、専門学校から帰ってきて、5限目は「ここから研」。今年の3月に本学で博士号をとられた水野有由さんの発表。水野さんは2月の公聴会の後すぐにギニアはボッソウというというところのチンパンジーを観察にいかれたそうだ。普段は霊長研で飼育下のチンパンジーをみているので、野生チンパンジーもみておこうという主旨らしい。今日はその報告会。

ビデオクリップがいっぱいあっておもしろかった。

子どもの死体をかついだままミイラ化しても持ち運び続ける母親の話。先行研究などふまえると、チンパンジーでしかみられない行動であるらしい。安易に心理主義にはしるのはよくないが、「死」の概念の芽生えなのかなどと想像してしまう。

そうなると最後に死骸を手放すところが問題になるのだが、1例はよくわからず、もう1例は群れの移動途中にうっかり落としてしまったということだ。後者の母親はその際、大変な興奮状態であったという。観察者たちが少しでも近付こうとすると、威嚇して動くなというサインを送ってきた。探し続けたいのだが群れからはずれるわけにいかず、「泣く泣く」遺棄したのだそうだ。ちなみに母親はその後、再びオスをつれてもどってきて捜索したのだがみつけることができなかったという。

チンパンジーに「死」があるのかないのか、よくわからないけれども、しかし、そんなことはともかくとして心動かされる話であった。

ところで、本筋からはずれることだが、調査にはギニア人のガイドが随行していた。

水野さんにきいたところ、定収入の少ないギニアにあって、彼らはかなりの高収入らしい。また、ギニアでもチンパンジーは怖い生き物とされているので、毎日のようにチンパンジーを追い、外国人とわたりあっている彼らは「かっこいい」存在なのだそうだ。文化人類学でも「ネイティブとは誰か?」などといわれる昨今、「野生 vs 飼育下」といった対立項も、本当はそんなに単純ではないのかな、などとちょっと思った。


2004年05月27日(木) 授業時間

授業の終了時刻を、10分間違えてしまっていた。
専門学校では1時からはじまるのでそのようだと思ってしまっていたのだ。これまでもけっこう早く終わっていたかもしれない。

学生のみなさん、ごめんなさい。

しかし、今日は暑くてつかれる。
昨日、夜更かししたうえに、今日は朝から実家まで往復したからな。
もう、グダグダである。
さっき廊下で2回生にあったら、「先生、顔が死にそうですよ」と言われてしまった(-_-;)。

5限にゼミが残っているからしっかりしよう。





というわけで2時間後。
5限は卒論ゼミだった。ゼミ生君がとりあげたのはアイデンティティの拡散についてであったが、そのとおりかなり拡散したテーマであった。

まあ、まだ5月だからこれから頑張ってほしい。


2004年05月26日(水) エガオ

今日は昼から非常勤なので、少しはやくでて喫茶店で仕事。

この喫茶店では、いつも注文をきく店員さんがすごい笑顔である。
しかも、ピタリと目をあわせてくる。
どうもドギマギしてしまって注文がしにくくて仕方がない。

おそらく相手からみるとかなり無愛想になっていることだろう。

どうもそのようなマニュアルでもあるのではないか?。
彼女らが他の客に接客するのを観察していると、お客さんに近付いて「いらっしゃいませ」という前の一刹那、いきなり口角がグッとあがり、とびきりの笑顔が意識的につくられていくのがみえる。

しかし、つくりものだと分かっていても、自分にむけてニコッとされると、とても気分がよくなってしまう単純な僕であった。


2004年05月25日(火) わずかしかわからないこと

会議にゼミに実習で午後は全部つぶれた。

質問紙班は質問項目えらびに四苦八苦。しかし、「ああ、これも関連するやん」「あれも関連するやん」「だいたい、うちの大学に来たくない人もいるやん」ということであれこれ質問紙の限界やら、難しさやらが体験的に実感されたようである。

あれもこれも見られない。だから質問紙ではダメだ。・・・・・・でもいいのだが、そういう制約がありつつもまとめる作業をすることは価値があると思う。

というのも、実際には質的研究も、質問紙でも質的な方法でも、相手にしている現象はリッチなのだ。そしてリッチなデータから取りだせることがけっこうわずかなのも似たり寄ったりだ。「わずか」にする手続きが質問紙とは違うというだけのことだ。

すなわち、M先生が最終講義でいっているように、質問紙はそこから縮約する作業を研究者がまえもってやり、質的研究ではリッチなデータをひとまずとってきてから後で縮訳する。

でも、多くの質的研究にはしる人たちは(僕もそのひとりであるが)、質問紙では少しのことしか分からないからつまらないという感想をもってくる。でも、質的研究をやったら人のことが深くわかるかというと、どうもそんなことはないだろうな。

ただまあ、僕は質的研究やっている方が断然わかって気になるのもまた確かなことだ。


2004年05月24日(月) 遊べよ

なにかと忙しい日は続く。
授業準備にかまけて研究すすまず。涙。
「今年つくってしまえば、来年からは楽になるさ」と言い聞かせ頑張る。
どうせ来年にはまた新しい授業があるから一緒なんだけどさ(涙)。

今日は放課に数人の学生が遊びにきた。
今年の2年生は勉強熱心である。
大学院にいくために英語の勉強をしている人もいるということだ。
すばらしいねえ。

しかし、ちょっと早すぎやしないか。
はやく自分の進路を決めて頑張るのは、目的意識のないといわれる昨今の学生(僕も昔はそのうちに含まれていたのだけど)にあっては賞賛されるべきことだけれど、しかし、そのために一生懸命勉強する方向性をまちがえるとえらいことになる。

もうちょっと遊んでてもいいと思うけどな。
まあ、そんなこと言われなくても遊んでるんだろうけどさ。


2004年05月23日(日) 男子バレー

昼すぎまで原稿をかいていたが、煮詰まってきたので外にでた。

ちょうど散髪したかったので地元まで車で移動。
ついでに実家によって、前から頼まれていた庭仕事。

うちは横が竹林になっており、この時期になると竹がどんどん庭に侵入してくる。竹林が側にある家は地震に強いというが、掘り返しても掘り返してもでてくる竹には閉口する。おそるべし、竹。

とりあえず目についたところだけを掘り返した。

帰ってきて、夕食を食べつつテレビをみたら、男子バレーをやっていた。ちらちら見ただけだったが、けっこう面白かった。オリンピックには望み薄らしいのだが頑張ってもらいたい。

しかし、それはともかくあのアイドルグループ(?)が会場で応援するのはどういう意味があるのだろうか?。

よく人気のないスポーツで、まったく競技には興味のなさそうなタレントを呼んできて、スポーツそっちのけで盛り上がらせるというような興行をみることがある。人気がなければそれもしょうがないかとあきらめるが、バレーはあんなアイドルを動員しなくても十分客が集まるのではないのか?。

いつだったか、セットの代わり目にそのアイドルがマイクをにぎり、会場全体に「みなさーん、もりあがってますかー」と言ったのにはぶったまげてしまった。いったい、どういうことなのだろうかと首をかしげたくなる。

もうちょっと、まともな扱いをしてほしいと思います。













2004年05月22日(土) 缶詰めの日々

 今日は一日中家にいて、原稿を書いていた。締めきりがないとペースがあがらないというのは前にも書いたが、その締め切りが間近にせまっているものがあり、それに追われていたのだ。こういうのは勢いにのってださないと、どんどんグズグズしてしまっていけない。思い切りが大切だ。

 しかも、これが終わったら本当に僕がその気にならないと進まない仕事がまっているのだ・・・・。

 ところで、いま書いているのは教師への生徒指導についてのインタビューをまとめたもの。去年の夏にデータをとってからもう1年も寝かせている。いいかげん賞味期限がすぎてしまう前にかたをつけたいところ。

 ともあれ、書きはじめるとけっこう面白い。今日はけっこう進んだ。世の中には「ええー、先生の話なんておもしろいの?」という方もいらっしゃるだろうが、これがなかなかなのである。

 学校の先生は、みんなそれなりに自分の指導のストーリーをお持ちだ。ベテランの先生になると、こちらが思わずひきこまれるような絶妙のリズム感で語りをつむぎだしてこられる。内容はともかくとして、聞いていて心地よいから不思議だ。

 こんなことをいうと極論かもしれないが、人はしゃべる内容なんかどうでもいいのではないか?。語り口がよかったり、その人の語りを聞いているということ自体がよかったりするのではないかなー。

 明日もまた一日缶詰めになりそう。でも、それも悪くないな。気分は、藤子不二夫である。


2004年05月21日(金) 授業と研究と実践と

専門学校で講義。

いつもパワーポイントで資料を呈示しながらしゃべっているのだが、今日はプロジェクターにつなぐアダプタを忘れてしまった。

アダプタだけ借りようと思ったのだが、専門学校にあるのはPowerbookG4で、アダプタの形状が微妙に違っており、僕のiBookにはあわない。

なんだよう。マックよう。そんなところでこだわり見せなくてもいいじゃないかよう。

・・・などと考える暇はなく、職員室においてあったWindowsマシンを借り、持参したフラッシュメモリを読み込んでなんとかなった。最初からそうすりゃよかった。手間取ったせいで、今日準備してきた内容は最後までいけなかった。

この前の研究会といい、今回といい、PowerPointを投影するのは板書しなくていいから便利だし、前もって授業展開がよめるので楽なのだが、どうもトラブルが多い。

ほんとはパソコンなんか使わずにもっとインタラクティブにやった方がいいのかもしれないな。まだまだ授業のスキルが伴わない僕としては、用意していった内容を話すことで精一杯なのである。

他の先生はどうやって授業してるんだろうかね。

大学教員は、教員というわりに、なんの訓練も資格もなくてなれるのだから不思議だ。もちろん、研究が重要な仕事だからそうなのだろうけど、学生の身になってみると少しでも面白い授業をききたいと思うだろう。

まあ、僕も何コマも授業をもつようになれば、いまのようにリソースはさけなくなるだろうし、いまの時点でも時間が自由にならないのできゅうきゅうとしている。

おまけに今年度からは臨床活動も忙しくなってきた。


もっと時間をうまく使わないとダメだな。


2004年05月20日(木) リジリアンス

研究室にソファーがきた。同僚の先生の紹介で業者さんにやすくしてもらえた。ゼミ生は「おお、すげー」と喜んでいた。「大学の先生の部屋らしくなった」ともいっていた。おいおい。

たしかに、座り心地がよくて気にいっている。しかし、こんなもの買うと、ますます研究室に泊まることに抵抗感がなくなっていくではないか。
いかんいかん。せめて夜は帰ろうと思う。

今日の授業は虐待について話した。
最後の方で『リジリアンス』についてふれた。
リジリアンスとは、例えば虐待のサバイバーがもつ、逆境にたえてやっていく力のようなものを指す言葉である。

ウォーリン夫妻の本によれば、これまでの虐待についての理論は「ダメージモデル」、すなわち、虐待をされた子どもは、健全な人間に育つポテンシャルを減点されていくというモデルに基づいているという。虐待をされて育った人はリスクのかたまりであり、大きな負債をかかえた可哀想な人ということになる。

ウォーリン夫妻はこうしたモデルではいけないという。彼らが提唱するのは「チャレンジモデル」だ。つまり逆境に遭遇しつつも、それに負けず、なんとか生きていこうとチャレンジすることを支援するやり方である。

たしかにそうだ。

不幸な目にあい、将来のポテンシャルまで制限されたのでは夢も希望もないではないか。もちろん、逆境の深刻さは認めなければならない。安易に過去のいたみが消えるような図を描くべきでもない。しかし、逆境を乗り越えていこうとする人たちに僕は敬意を表しようと思う。ダメージモデルな人からみれば「不適応症状」でも、チャレンジモデルな人からみれば「智恵」にもなりうるのだ。

これは虐待に限らない。DVでも、セクハラでも、人生どんな逆境に遭遇しても、それでも「どっこい生きて」いく人の可能性を僕は信じたいと思う。


2004年05月19日(水) なんか仕事ばっかり

午前中は原稿書き。指導教官の田畑先生からの依頼。
田畑先生には勁草書房からでた心理学の教科書を謹呈したが、よく書けているということでほめられていい気分になっている。

しかし、こなしても仕事がへっていかない感じがするのはどうしてか?
これで後期になったらどうなるんだろうとちょっと心配。

先日の研究会とおなじときに、保育のシンポジウムがあったそうだ。
O先生が話題提供をされたらしい。その他にも、M先生や、Sさんなど聞きにいきたいメンバーがたくさん。われわれの研究会は、いつもその他にいきたい研究会とかぶってしまうのでうらめしい。まあ、みんな予定は一緒ということか。

内容を伝えきいた中では、カリキュラムや指導方針をどのようにいれこんでいくのかということが話題になったらしい。

僕は、子どもの生活を記述するときには、その場がどのような社会ー文化ー歴史的な背景をもってなりたっているのかということを抜きには考えられないと思う。Rogoffは発達をみるときには個人、人間関係、制度という3つの視点があるといっている。制度的な枠組みも、当然、記述に影響を与えているはずだ

しかし、状況論的に考えれば、カリキュラムをはじめとした、いわゆるプランというものは状況的、即興的になしとげられる。例えば、壁にかかれた「みんな仲良くしよう」といったクラスの標語は、それがあるからクラスが仲がいいわけではない。むしろ、クラスがもめ事をかかえた時、子ども同士がケンカしそうになった時、教師が「クラスのきまりはなんだったかな〜?」とほのめかしたりして用いるように、その都度的にそれとしてその場の参与者から参照されるものである。

そしてこのように見れば、カリキュラムや指導方針は、それがある「から」、このような子どもの動きがあるというように記述できるものではないと思う。カリキュラムや指導方針は、その場を秩序づけるものというより、その場を構成する一要素というべきだろう。

まあしかし、制度的なものをどう記述していくかというのは難しいものですね。





2004年05月18日(火) 歓迎会など

昨日はカーペットの上でねてしまったので、朝起きると身体がバリバリ。頭痛がする。
朝から低調だったが、会議と授業とつまっており、うつうつしながらこなす。

4限目の3年ゼミは質問紙調査の実習。
最初は仮説の構築。
みんな「やってみないとわからない」ということで、レクチャーもそこそこにディスカッションにうつる。私がリードしながら、みなにアイデアをだし、考えてもらう。大学院時代、TAで質問紙構成のグループワークをやっていたが、その時と同じような雰囲気であった。県立大学の特色は少人数教育なのだが、こうやってみんなと会話できるのは教員にとっても楽しい。頭痛もとんでいった。

夜は近江八幡市に移動してホテルで学部の教職員の歓迎会。大学院をでたての若い先生が数名挨拶された。横にすわっていたM和先生が「私たち、どんどん古くなるわね」というので笑ってしまった。

歓迎会がおわり、他学科の先生方と一緒にカラオケに。いつになく「人間関係コース」の教員が多い。先生方の普段とは違う面がみられてよかった。


2004年05月17日(月) マック君復活

マック君をうしない、よれよれで学校にきた俺。
まあ、とにかくなんでもやってみばければなるまいということで、トラブルシューティングのソフトをひろげて、マック君をたちあげたその時である。
なんと、マック君の画面があらわれ、見事にたちあがったではないか?。

なんと!。
すごい。
やったー。
きゃー。
すてきー。

ということで狂喜しながら、いろんなところをクリックしては動作をチェックしてみた。ボトムアップ研究会では予備のフラッシュメモリーをつかってなんとかおこなったプレゼンも無事だ。しかも、なぜかいままで調子のわるかったCDドライブの調子までよくなっている。

ppt資料をたちあげて、もう手遅れであるにもかかわらずスライドショーなどしてニタニタしてしまう気持ちのわるい俺。

しかし、なんでだ?。

立ち上がらなくなるときも、立ち上がった時も、理由がさっぱりわからないのがマック君の悩ましいところである。
まあ、とにかくよかったよかった。
しばらくは安静にしていよう。


2004年05月16日(日) マック君よ目をさましてくれ〜(涙)。

2日目。
寝不足の目をこすりつつ谷口さんの院内学級についての発表をきく。
谷口さんは博士論文を提出する間際だけあって、非常によくまとまっていてちっとも眠くならなかった。こんなこといったら不謹慎だが、自分自身、寝不足のせいであまり「こんなこといったらどうか」などと逡巡するのが減って、けっこう発言した。寝不足と私の発言数には正の相関があると思う。

ところで、この日記が数日更新できなかった。パソコンを持ち込んでホテルで書こうと思ったのだが、なんと昨日の僕のプレゼンの前後から、僕のマック君が「しゅんしゅん」「きりきり」というあり得ない音をたてはじめ、そのうち、ついにハードディスクがたちあがらなくなってしまった。

なんどやっても「?」のマーク。

( ̄□ ̄;)がーん。

ああ、これまで乱暴にあつかったりしてごめんよ。目をさましてくれたらこれから大事にするからさ・・・などと気持ちわるくマック君にささやいてみるも効果なし。


おいおい、冗談じゃないよ。
うそだろ、うそでしょ?
ねえ、起きておくれよ。

どうしてだ!
もうー、こんな肝心なときにー。

というわけでキューブラ・ロスの死の受容段階でいえば、僕は「否認」と「怒り」を通りこし、今は「悲嘆」の時期にはいったのか、どんよりとした抑うつ感にさいなまれている。いや、ほんと冗談ではない。

しかも、そのショックのせいではあるまいが、なにを血迷ったか「新快速」で帰ってきてしまったために、最寄り駅をとおりすごしてしまった。

しかも、直前の駅で普通電車にのりかえようと、わざわざおりたのにである。次にきた電車にとびのったらまた新快速だったのだ。こんなことってあるかい?。僕、なんかおかしいのかな。

彦根につくと、なんと、もう下りの終電車はいってしまっている。財布にはほとんどお金がない。

というのも大阪駅でお金をおろそうと24時間営業のUFJ銀行にいったら、なんとあろうことか、今日にかぎって定期点検の日で、明日の朝6時までしまっているという。もう、なんだよそれ。ついてない時にはついてないことが続くものだ。

思えば、昔、大学生のころ、12月、アパートのカギをおとし、近所に友達もおらず、困り果てたことがあった。もうこれは朝までなんとか寒さをしのがねばと思ってデニーズにはいったところ、あろうことか夜中の3時ごろ「今日は半年に一度の定期点検の日でございますので、閉店いたします」という店内放送がながれるではないか。呆然としつつ、大阪の街をさまよったのを思い出した(ちなみに、その日は風がはいってこない高級マンションのロビーで寝た。デニーズの隣は、段ボールハウスの撤去問題で有名になった長居公園であったが、その時は段ボールハウスのおっちゃんの気持ちがわかった気がした)。

・・・・というわけで彦根から南彦根駅前の我が家まで、最高につかれているなか1時間弱かかって歩いて帰った。もう、ほんとにまったくトホホな1日であった。





2004年05月15日(土) 研究会1日目

朝から大阪へ。淀屋橋の立命館大学のサテライトキャンパスで第3回のボトムアップ人間関係論の合宿である。

この会は、立命館のサトウタツヤ氏を中心に、いろいろな分野からあつめられた研究者が協同して、ボトムアップに現場を記述し、理論構築をしていこうという研究会である。

とりあえず協同には、長い時間をともにすごす、飲み会をするというのが効果的ということでかならず研究会はとまりがけである。これは冗談のようだが冗談ではない。フィールドワークやスクールカウンセラーなどしていると実感されることである。

今回は、山梨大学の尾見先生、私、国立精研の宮崎朋子さん、東京大学の谷口さんが発表することになっている。

尾見先生はソーシャルサポートについて。

「サポート」は意志であり、結果をふくみこまない概念らしい。しかし、ジェフクルターがいっているように、心的述語というのはすべからく「達成動詞」である。つまり旅行にいくというよりも、到着したにちかく、勝負するより勝ったにちかい。そのようなわけで、サポートには必ず結果がふくみこまれていると思う。ongoingにみてみれば、おそらく人は「サポート」をやっているのではないだろう。

さまざまなことを受け手となる人々にやっており、それがあるタイミングでふりかえられた時にサポートとして見えてくるのだ。つまり一種のナラティブである。

そのような意味で、サポートの送り手が気付いていないのに、受け手がサポートをうけたと感じるという現象はおもしろい。マイケルホワイトらのナラティブセラピーでは、相手のよい評判を「こっそり」たてるということを重視している。これとも通じる話だと思った。

宮崎さんの発表は、これまでもしばしば聞かせていただいてきたものだったが、今回は一連の学会発表をまとめた発表でききごたえがあった。自死遺族の体験はしばしば「語り得ないもの」といわれるそうである。それに対しては「でも、今回のひとたちは語ろうとしているのだから」といった返答がなされる。このような意志の問題としても「語り得ない」という経験は説明できるかもしれないが、語り得ない経験というのは語ろうとおもったから語れるとか、語ろうと思っても語れないというようなものというよりも、むしろ、語る前に、すでにそのストーリーをその本人が生きてしまっているようなそんなものではないかと思われる。つまり、他者からは明らかに見えているのに、自分にはまったく意識されないというような類いのものである。

いろいろ喚起される発表で大変勉強になった。自分の研究がピンぼけだったのがおしいところ。
 


2004年05月14日(金) まだまだ仕事おわらず

ここから研がおわり、いま研究室で明日のppt作成中。

ここから研では、松村さんのジェスチャー研究。松村さんは伝統的な実験パラダイムにもちこみたかったらしく、苦労の後がにじみでていた。

しかし、ひとつひとつのデータがかなりリッチで、それをまとめてしまうのはかなり惜しいデータではあった。細馬さんはひとつひとつをシーケンシャルにみていくことをすすめていた。僕もとれたての食材をだしだけにつかうよりは、もりもり食ってみたい感じがする。どちらも素材がよけりゃうまいには違いないんだろうけどもね。

おっと、こんな話してたら、大塚駅前の中華料理屋さんで食べた鴨肉をのせたご飯がくいたくなってきたじゃないか。いや、「ペキンダックの皮だけじゃなく、身もたべてみたいものだ、と思ったらこれ」というような宣伝がしてあったもので、、、。

その後、飲み会はパスし、授業の感想レポートにお返事を書きいれる。去年の臨床心理学のときからしているのだが、なかなか生徒には好評である。どうしても講義は一方通行になりやすいし、ベテランの先生のようにその場で生徒の反応をみられるほどの腕もないから導入したのだ。去年の臨床心理学は70人くらいいたから、2ー3行とはいえ返事をかくのはしんどかったが、今回は40人強なのでまあまあというところ。

それが終わってから明日の準備。

このごに及んで「もしかしたら、ムービーとかいれたらおもろいかも」などと良からぬことを考えはじめ、とりかかってみたところ取込みに異様に時間がかかり、そうしているまに「あ、そういえば俺、本文かいてへんやん」といった、初歩的すぎる事実に気がついていまさらながらに焦る俺。


2004年05月13日(木) 運営委員会

授業をおえて後片付けもそこそこに、京都へ。

今日は、質的心理学会の運営委員会だった。
いろいろな議題がつぎつぎ決まっていく。みなさんたくさんの学会を運営してこられた方なので、ノウハウをたくさんお持ちなので聞いていて勉強になる。

僕は遠方ということであんまり仕事はふられていないが、京都で中心になっている方々はほんとに大変そう。僕はこういう強迫性を要求される仕事はちょっと無理だと思った(そんなこといってる場合じゃないけど)。

帰ってきたらもう12時ちかく。しかし、明後日の発表準備、明日の授業の準備がのこっている。はあ、もうちょっとガンバろ。


2004年05月12日(水) 困ること・悩むこと

悩んでいるのと困っているのは似ているが違う。

困っていることはと聞かれたほうが、悩んでいることはと聞かれるよりも答えやすい。「困る」ということが、ひとつの解決策しかないのに、本意ではなくそれができないという状況をあらわすのに対して、「悩む」ということは、主体的に二つの選択肢からえらぶことを迫られているからだろう。

犬のおまわりさんは、子猫が何もしゃべらなくてもちっとも悩みはしない。自分がするべきことが二つあってそれができないのではないからだ。自分の職務は迷子を解決するということなのに、子猫がそのための手掛かりをもちあわせていないということが、彼をワンワン鳴かせるわけだ。

もし、犬のおまわりさんに、「子猫なんだからもっと優しく聞くという方法があるんだよ」と教えてあげたなら、彼はもしかしたら自分の聞き方がまずかったのかと反省して悩みはじめるかもしれない。

心理臨床の場をおとずれる人の多くは、多くの困っていることをたずさえてその場にやってくるが、悩んではいないことが多い。それで普通だと思う。もちろん、多くの人はこちらとやりとりしていくうちに悩みを明確化させていく。多くの困っていることのなかから、悩みをつくっていくことが大事になる。



2004年05月11日(火) 授業2つ

3年ゼミと環琵琶湖文化論実習(通称、かんび)。

 3年ゼミは20人のクラスを2つにわけ、質問紙班と相互行為分析班にわけ襷がけで担当することになった。実験法と質問紙法はきいたことがあるが、「相互行為分析」をやるところはそうない。僕が受けたいくらいだ。

 いいだしっぺの僕は質問紙班を担当することになった。言うまでもなく、もうひとグループは細馬さんの担当である。

 僕は後期も2年のゼミで質問紙調査の実習をやる。質的研究をやっているとはいえ、うちの教員の面子をみればわかるように、僕以上に質的な人々が居並ぶなかにあっては、僕はまだまっとうな心理学の訓練を受けた人ということになるらしい。このようにして「正常」の基準は社会文化的に相対的なのだ・・・などといってる場合ではない。

 3年のゼミはイントロを少しやって終わり。その後、しゃべりにきた3年生につきあっていたら、もう5限になってしまった。いそいで教室にいく。

 かんびでは、1年生がGW中に調べてきた成果を発表してもらった。自分で問いをたてることが始めてな人ばかりだから、こちらも話をひきだすのに苦労した。ただし、今年は去年の同じテーマをやっているのでこちらも知識がある。その経験を踏まえていろいろヒントだししてあげたら、一応なにか考えたようだった。どうせなんだから面白いことをやってほしいものだ。

 夜、土日の発表準備の続き。相変わらずうだうだやっていたらどんどん時間が過ぎる。「信頼」「相互理解」とはおもしろくも難しいテーマだな。
 

 



2004年05月10日(月) ははあー

土日の研究会の準備。なかなかすすまない。
夕方、研究室をとびだし、喫茶店でコーヒーとピザで2時間ねばって仕事。
少しヒントがつかめたからよしとしよう。
書かなければいけない原稿がなにげにたくさんあって落ち着かない。

昨日、友だちからメールがあって、高校の同級生が国会議員に立候補するのだという。たしか1年のときに同じクラスだった子だ。
websiteも開設しているとのことでみてみた。
なんと地元のテレビ局でアナウンサーをしているという。なんとまあ、世の中には多芸多才な人がいるもんだね。

しかし、なんといっても一番驚いたことには、化粧のせいか、高校のころとはずいぶん顔がかわっていて、その子だと言われなければ気がつかなかったことだな。男連中はかわらないからあんまり意識しなかったが、卒業してからの年月を感じてしまった。


2004年05月09日(日) きらきらひかる

江國香織の『きらきらひかる』を読んだ。

子細ははぶくが、物語は笑子、睦月、紺、という3人を軸に展開してゆく。笑子と睦月は夫婦であるが、睦月は同性愛者で、紺が愛人である。

笑子は「情緒不安定」で精神科に通院歴がある。ちょっとしたことで機嫌をそこね、睦月にものを投げ付け、号泣する。まるでジェットコースターにのっているようである。一方の睦月は強迫的なほどのきれい好きであり、几帳面。「誠実」というと聞こえがいいが、嘘がつけない人である。

小説のなかで重要な位置をしめるのは睦月の愛人の紺である。紺は、気ままでいたずら好き、「我が道をいく」といったイメージのある青年である。2人はなぜか、紺を必要不可欠な存在と感じている。すなわち、睦月は紺を自分の一部のように感じており、紺とはなれてしまうことなど考えられないようだ。笑子もまた、紺と睦月の関係を許容しているばかりか、夫を奪う存在であるはずの紺の存在をどうしても失うことができないでいる。

おそらく笑子も、睦月も、表面的なふるまいは正反対だけれど、自分らしく生きてこられなかったという点で共通している人だと思う。2人はいつも他者からの期待をとりいれて自分をつくってきた。

そういう意味で、2人にとっての紺は、これまで自分のなかにありながら、その存在を認められなかったもう1人の自分なのだと思う。だから、彼らは失うことができないのだ。

小説の終盤、紺は突如失踪する。2人はとても動揺する。

このとき笑子は自分にコントロールできないもう1人の自分がいることに気づいたようだ。そして、そういう自分をこれまで抱きかかえてくれていた睦月の存在を、欠かせないものとして認識するようになった。彼女ははじめて睦月に自から抱きつき、また、再び姿をあらわした紺とともに「嘘は平気でつける」といって笑う。

睦月もまた、紺に失踪されるすこし前、「笑子ちゃんを傷つけた」といって殴られる。そのことで彼は、自分が笑子も紺もとろうとして、結局どちらもとれなくなって傷つけてきたことを思い知るのだ。そして戻ってきた紺と笑子の奇想天外な行動に驚きながらも、それを「上等じゃないか」と思い、これからもこうして生きていくのだと決断している。

これまで自分たちには意識できなかった影の部分をになっていた紺がいなくなったことで、2人はこれまで自分のなかにありながら、その存在を認められてこなかったもうひとりの自分を認め、彼(女)らと和解しはじめたのではないだろうか。

そのもうひとりの自分とは、彼ら自身の身体なのだと思う。


2004年05月08日(土) 結婚式

大学院の同期の結婚式に名古屋まで。

これで後期課程にすすんだ同期のなかでは、僕だけが結婚未経験者となった。

式はガーデンウェディングというのだろうか、芝生が綺麗な庭で結婚式をし、その後、披露宴までの間に立食形式の歓談の場があったりした。
形式ばってなくてとても楽しい式だった。

同期は中国からの留学生で、国際結婚ということになる。
たったひとりの子どもが海をこえていってしまうというのは、中国のご両親にとっては寂しいことなんだろうなあ。・・・などと考えていたら、本人が最後に両親にあてた手紙を朗読し「日本にいても、中国の両親の面倒は責任もってみるから大丈夫」といった。これにはご両親もぐっときていたようであった。僕もおもわずもらい泣きしそうになってしまった。

結婚式は自分たちのためよりも、これまでお世話になっていろいろな人のためにやるものといわれるが、そんな言葉がぴったりの会であった。




2004年05月07日(金) シンカン

非常勤をおえて大学にとって返す。

メールをチェックしてみると、大学院時代にフィールドワークでお世話になった施設の方からメールがきていた。HPを開設したことをご報告していたのに、見たよとお返事をくださったのだった。

施設のほうは相変わらず大変そうだが、とても貴重なとりくみをされていると思うので是非頑張っていただきたいとせつに思う。

とかく諸悪の根源のようにいわれる非行少年の両親であるが、本当はもっとも救われなければならないのは彼(女)らかもしれない。国会議員までが「市中引き回しにせよ」などといってしまうこの日本ではなおさらである。

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6時半になり、研究室をしめて学生食堂へ。
今日はうちのコースの新入生歓迎会。

本来は2回生が主催して学生主体で行われるのだが、カンパを求められるのでどうせだったら参加しようということになった。せっかく学生たちとはなせるチャンスでもあるしね。こちらの存在をわかってもらうよいチャンスだ。

実は去年も参加したのだが、その時はういういしかった1回生諸君も、しっかり2回生になって新入生をリードしている。そして去年は2回生でまだまだ若いなーと思っていた人も、3回生ともなると貫禄がある。



1年ってはやいもんだね。






2004年05月06日(木) こころとからだの境界線は

ひさしぶりの授業&ゼミ

授業で1時間しゃべりどおしたら、けっこう疲れた。

授業には滋賀大学からの聴講生もきている。うちと滋賀大学は単位互換制度をもっているので、うちでも単位がとれるのだ。遠いところから来てくださっているわけだから、損のない授業をしたい。

しかし、滋賀大学の学生はこうやってうちに単位をとりにきてるのに、うちの学生は滋賀大学に学びにいくという話は聞いたことがない。もったいない話だ。

ところで、授業内容は「こころとからだ」について話した。

心身症とか、S藤先生のネタをつかってサラサラと。

学生の感想文をよむと、「心」と「身体」の境界線ってあいまいで、どちらが原因して障害がおこるのかなど、考え出すと難しいとある。

たしかにそのとおりだが、この困難の源泉は「心」も「身体」も定義が難しいからだとか、両者の相互作用がとても複雑だからだといったように、「心」と「身体」のそれぞれ、あるいはその相互関係がもつ性質にあるのではなく、むしろ「心」と「身体」を分けようとする努力にあるという気もする。


2004年05月05日(水) temporality

夕方、友人をおくって米原まで。楽しかったGWもとうとう終わり。

一週間は長かったはずなのに、あっというまだった。

時間の流れ方は、誰とどのようにすごすのかによって、長くもなれば短くもなるって本当だな。1時間でも2時間でも、何にもしなくても、ただ側にいるだけでちっとも退屈しないこともあれば、イベントが目白押しなはずなのに、10秒間の沈黙がたまらなく長く感じるときもある。

あっというまの1週間がおわったと思ったら、永遠に思えるほどに長い、次の1週間がやってきていた。






2004年05月04日(火) ホウゲン

人の話し方がよくうつる。

「関西人はどこにいっても関西弁」とよく言われるが、僕には無縁である。別にこがわりがないわけではないのだが・・・。

むしろ、周りに「え、関西の人なんですか」と驚かれることさえある。いわく「関西人は、どこにいっても関西人っていうじゃないですかー」である。どうも僕にはそんなにポリシーは備わっていないようだ。

真面目な話、臨床の仕事をしていると、その人の住む地域の言葉でしゃべったほうが、気持ちがつうじる感じがする。間のとり方や、声の抑揚、リズムといったものが似ているか、もしくは自分とあっている人と話す時は、内容はたいしたことがなくても、なんとなく分かりあえている気になる。

宮沢賢治の小説は、やっぱり「あめゆきとてちてけんじゃ」でなくてはならず、「雪をとってきて、賢治にいちゃん」では台なしなのと似ている。

まあ、そんなことはともかく、僕の場合は、いずれも他の地方の言葉を真似しようとして、徹底されていないから始末が悪い。

関東の人がしゃべる関西弁は絶妙に気持ちわるい。大学の時ももともとは標準語を話している人がいて、あわそうとしているのは分かるのだが、それならいっそのこと標準語で通してほしいと思ってしまった。なまじ似ているだけに余計に違いに敏感になってしまうのかもしれない。

直接言われたことはないが、僕もおそらく同じように思われたことがあるんだろうなあ〜。





2004年05月03日(月) カエルコール

夜になるとカエルがすごく鳴いている。

カエルコールとはよくいったものである。「カエルが鳴いている」「カエルが鳴いている」といわれると、なんだかその人に「帰る」「帰る」といわれているようでかなしくなる。

外はカエルの鳴き声で騒がしいが、うちのなかはとても静かな夜だ。






2004年05月02日(日) A(ええ)人生

昨日は京都にいったと書いた。

京都駅の伊勢丹で藤子不二雄A先生の原画展みたいなのをやっていた。
各所でいっていることであるが、僕は『ドラえもん』が好きだ。いや、好きというのを通り越して、作者である藤子不二雄をなかば尊敬している。

もちろん、『ドラえもん』の作者は故F先生なのであるが、A先生もまたなんともいえない味がある。

白がめだつスッキリした画風のF先生に対して、ブラックでくっきりはっきりした画風のA先生は、夜は六本木でのみまくり、ゴルフ、マージャンが大好きという私生活とあいまってかなりダークな印象がある。

作品も、本人にまけずおとらずダークである。呪ったり、不条理に殺されたり、闇の世界を垣間見たりというようにまったくもって子ども向けではない。そんなわけで小さいころはもっぱらF先生のファンであった。

しかし、そのなかでA先生が藤子不二雄の半生をつづった『まんが道』だけはとても好きだ。というよりも、かなりこの作品には影響を与えられている。中学生になっても臆することなく「将来の夢は漫画家」と担任にいっていた僕は、この『まんが道』にはまりまくっていた。

ほどなく自分の実力のなさに気づいてさっさとあきらめてしまったのだが、当時は、将来、投稿することを夢みてマンガを書きためていたほどである。いまや、研究をして学会誌に投稿するというように形式はかわっているが、底にあるものはほとんどかわっていないのではないかと思っている。

たぶん、今、側にいたらかなり気持ち悪い中学生であっただろうね。

ところで原画展では、先生のたくさんの生原稿をみることができた。実際に印刷されて綺麗になった作品を読むのではわからないが、ペンの筆圧、下書きの鉛筆のあと、ホワイトのあと、他のページのコピーをきりはりした痕など、生原稿にはたくさんの「痕」が残っている。ああ、一枚一枚、こんなふうに書いていたんだなーと想像できる気がしてとても感動した。

かなり顔を近付けてシゲシゲとみてしまったが、今おもうと、これもまた、側にいたらかなり気持ち悪い大人であるね。

そういえば、場内では、原画を食い入るようにみつめ、時々、ぶつぶつ言い、スタッフのお姉さんたちにホントどうでもいいことを質問にいく挙動不振な青年(?)が何人かいたが、お姉さんたちは決まって「なにこの人」という、あきらかにひいた笑みをうかべていた。

それで、それがすごく面白いような、ちょっと哀しいような気分になったのをおもいだした。
















2004年05月01日(土) キョウト

友人をともなって京都へ。

北山、上賀茂神社とまわった。
上賀茂神社のちかくには、浪人時代に通った予備校がある。

卒業してから行くのは本当にひさしぶり。
予備校は塾長が高齢のため閉館したのでいっても昔の塾はないが、面影はのこっている。

下宿時代は楽しかった。三畳ひと間の下宿に住み、
塾の仲間と一緒におそくまで予備校にのこって自習したり、さわいだりしたものだった。大手の予備校に通っていたらありえないことだが、かなり連帯感のあるところで、大学4年のときには同窓会もしたことがある。

その後、上賀茂神社の側にある神馬堂という和菓子屋さんにいく。ここは、焼き餅が有名。職人気質のおじいさんがひとつひとつ丁寧に焼いていく。材料にもこだわりをもっており、その日の材料が終わり次第、午後の2時くらいには閉店してしまう。ひさしぶりに行列にならんで買った。賀茂川べりの歩道の木陰に腰をおろして食べたら、めちゃめちゃうまかった(京都に滞在する人はお勧めである)。

夜は、某研究会のメンバーとともに6人で食事会をやった。
ひさしぶりで楽しかった。2次会にいったところの店員さんが、あたふたしていて面白かった。終電で帰宅。疲れたが充実した一日だった。








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