徒然ハトニッキ
(映画編)

はとの不定期映画鑑賞日記。

2003年03月30日(日) ウエスト・サイド・ストーリー(ニュー・プリント/デジタル・リマスター・ヴァージョン)

監督 ロバート・ワイズ+ジェローム・ロビンス(振付)
音楽 レナード・バーンスタイン
出演 リチャード・ベイマー、ナタリー・ウッド、ジョージ・チャキリス、リタ・モレノ

舞浜イクスピアリ

MGMのミュージカル映画は大好き。
特に好きなのは『雨に唄えば』。
でも同じMGMのミュージカル映画としては全くの対極にあるのがこのウエストサイド。
『雨に唄えば』等に代表されるようなそれまでのミュージカル映画というと
ほとんどがスタジオ撮影で、有名スターによる個人技の披露が面だった。
『ウエストサイド』では屋外ロケを取り入れ、無名の俳優を使っての群舞中心。
当時のミュージカル映画として物凄くセンセーショナルな作品だったのです。
そんなわけでジーン・ケリー大好きッ子としてはこの名作には
長年手を出しかねてきたのでした。

もともとこの作品はブロードウェイで既に上演されていたヒット作だったそうだ。
それを映画化したということで物凄くミュージカルらしい生々しさを持った映画になっている。
ミュージカルのあの唐突な"歌う芝居"にちょっと最初吹きそうになった。
それ以前のミュージカル映画って割りとアステアなんか劇中で歌い始めても
全然唐突な感じしないんだよねー。ミュージカルといってもあくまで映画として
作られているのでそういった部分のミュージカルの良さというかおかしみみたいのは全部削ぎ落とされててよくいえばソフィスケイトされている感じ。
それに対してこの作品はもうあくまでこれはミュージカルなのだ!というこだわりを持って作られている。
では、映画としてどうかというとこれがもう凄い出来だった。
いかにミュージカルを映画として取り込むか?ではなく
映画でミュージカルをどこまで表現できるか?ということにこだわっているかのよう。
カメラの動きやカット割り、編集すべてが計算されつくされてます。
で、その中にダンスを納めているので、もーこの振付なんかも
物凄い大変だったんだろーなぁ。しかも群舞だし。

それからねこれはもう何と言っても何が一番凄いかというと
バーンスタインね。音楽。
どの曲も凄い名曲なんだもん。
冒頭プロローグにサントラのダイジェストが流れるんだわ。
音楽だけ流れるの。
それだけなのにもう引きこまれちゃうんだわ。

勿論、演者達も凄いです。
ナタリー・ウッドはとっても無邪気でかわいらしいし
その他の俳優は当時無名だった人ばかりらしいけれども
若くてギラギラしててそれがこの映画の持っているライブ感につながってる。
特に私はシャーク団のリーダー、ベルナルド役のジョージ・チャキリスが好き。
顔もいいしダンスもステキングだったよ。
役の上ではプエルトリコ移民でしたが実際はギリシャ系の人だそうで
どうりできれいな顔してるわけだよ。納得。

物語はというと結末はアンハッピーです。
ハッピーエンドで終わる話なんだろうと勝手に思い込んでいたのでショック。
よくよく考えるとものすんごい馬鹿ヤンキー漫画みたいな話なんだが
少年たちの争い、対立、反撥なんてことよりも
私としては恋愛の部分に入り込んで見てしまったので
あの結末はあんまりにも悲しいです。そりゃないよだ。
その部分もいかにも短絡的でヤンキーちっくこの上ないんですがね・・・

思ってた以上に名作でした。



2003年03月02日(日) ボウリング・フォー・コロンバイン

監督・製作・脚本・出演 マイケル・ムーア
出演 チャールトン・ヘストン マリリン・マンソン 

シネプレックス10 幕張

観てる途中で何度も泣きそうになりました。
まぁ確かに笑っちゃう場面も多々あるのだが。
ホラー映画とかサスペンス映画より怖い。
だって現実なんだもん。

アメリカってとんでもない国だぁーなんて呑気に思えない。
マスコミの報道構造が日本のそれとほとんど変わらないわけだし。
日々私たちは恐怖お植え付けられているわけだし。
銃が手に入らないから銃犯罪は少ないけれども
それに代わる事件はいくらでも起きているわけだし。
アメリカは確かに多民族であることとその歴史からいって
問題はより一層複雑ではあるけれども
果たして日本がカナダのような精神構造を持った国かと問われたら
全く違うのは明白なわけだし。

チャールトン・ヘストンの演説と被害者の演説を交互に写したり
「What a wonderful world」にのせてアメリカの数々の悪行を羅列していったり
ラストのヘストンへのインタビューとかのあざとさは
アメリカのマスコミ式にならってわざとそう編集していると見た。

最近そう思うことが多いのだが
私たちは雑誌やTVを見すぎている。
情報を自分達が必要として選択して見ているのではなく
まるで情報をエサのように与えてもらってるみたいだ。
情報を受けてそれについて考えることをあまりしようとしない。
マスコミの方がオチまでつけてくれるから。

ムーアのように私たちはもっと自分自身で問題提起をして
考えていく必要があるんじゃないか。

映画にしても音楽にしても
作り手がどうであろうと
間に入る媒体がどんな宣伝をしようと
評論家がどんな評価をしようとも
最終的に私たち自身がその作品を消費するわけだ。

でも日本人はその辺やられっちゃってる感が大きいので
銃を持ってないからといって安心できないなぁ、怖いなぁと
つくづくこの作品を観て感じたのでした。


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