ショルティの想い出 - 2005年05月31日(火) 昨日ショルティの話を書きながら 感慨にふけっていました。 私が思い出していたのはこの時のウィーン・フィルとの来日ではなく、 もっと前のこと。 実は私が「生まれて初めて」聴いた外来のオーケストラが 何を隠そう、ショルティ指揮のシカゴ交響楽団。 忘れもしない、1986年3月26日東京文化会館。 曲はモーツァルトの「交響曲第35番・ハフナー」と マーラー「交響曲第5番」。 凄かったです。 そういう世界の超一流アーティストにふれたことが初めてだったから 自分が何を体験したのかわからないくらい、 圧倒的な全身的体験でした。 初めて、というのはホント新鮮。 「何を体験したか」がわからなくても、結構そのころのことはハッキリ覚えていたりもします。 まずはクラシック・コンサートのチケットを買うのも、どうやっていいかわからなかった。 それじゃそれまでクラシックのコンサートに行ったことなかったのか?と言われそうですが、 例えばピアノも歌も先生のリサイタルか、その関係筋のコンサートのチケットを先生や先輩などから買わされる、とか、 N響はその1年前から定期会員でしたから、シーズン毎にNHKホールに並んで買ってました。 今でこそ(しかもそれを仕事にしてるし)、チラシや何かに書いてある 「お問い合わせ」の電話番号に電話するなり、プレイガイドに行けば手に入ることはわかるけど、 当時はそういう風に頭も回らなく、 友達と話し合って結論を出したのは 「その演奏会をやるホールに行けば絶対手に入るだろ。」 ということ。 (↑今でも概ね間違いではない) きっとシカゴ交響楽団なんてすぐ売れるに決まってるし、 それに学生の身分、お金もないから (確か一番安いのが5000円、次が7000円くらい。S券でも20000円はいってなかったハズ。今に至っていかに相場が上がったかがわかります。) とにかく朝一でホールに並ばなきゃ、と 始発の山手線に乗って5時頃には東京文化会館の前にいました。 無事買えたけど、ホールに配券されている数は少なく、 4F席のかなりハジでしたね。 当日、人生の一大事みたいにドキドキしながら会場に入ると、 まずビックリしたのは練習しているシカゴ交響楽団のプレーヤーたちの音の大きいこと。 アメリカのオーケストラは、開演して照明を落としてから一斉に舞台へ入ってくるのではなく、 開演前から舞台でめいめい勝手に練習して、三々五々集まってくる、というスタイルをとることが多い。 (もっともこないだのフィラデルフィア管弦楽団はそうではなかった) 色とりどりの音、音。 N響で聴きなれていたものとは明らかに違う音量。 しかも一人一人が、それまで私が聴いたことのないような自然な息遣いで演奏(練習)している。 なんて音楽的なんだ・・・。 その時点で驚いているのだから 本番、私がどれだけ度肝をぬかれたかは想像に難くないと思います。 最初書いたように全身的な感銘を受けました。 しかしシカゴ交響楽団の音、 フォルティッシモで全開になった時は、音圧でホールの天井がぬけるんじゃないかと思いました。 でもそんな時でも音がグシャグシャになるどころか ひとつひとつの楽器が鮮明な輪郭をもってクリアーに、 そして楽器同士、ちゃんと均衡を保って響く。 私が聴いた初めての外来オーケストラはとてつもないオーケストラでした。 そしてそれを精力的に指揮・統制するのがゲオルク・ショルティ。 指揮している後ろ姿は、まあなにしろ忙しく(笑) しかし印象的なのは頭の横に張り出しているバルカン星人みたいな大きな耳。 どんな時でもあの耳から逃れられる音はあるまい、という感じで、 実際、「そこ!そっち!あっち!」と言わんばかりに飛び出す指示の俊敏さ。 そして激烈でダイナミックなのに、複雑な音が実に精密に組み立てられていくマーラーの音楽。 (そして私が一番印象に残っているのは、第2楽章で一度、そしてフィナーレのラスト近く、クライマックスで再び響き渡るコラール風のテーマの部分で、普通なら指揮者が我を忘れてワーーッと指揮しそうなところを、ショルティは指をベロッとなめて冷静にページをめくり、しかも自分の頭をツルッとなでたのだ。あの時、この一見激情的な大指揮者がどれだけ客観的で冷静な頭脳の持ち主なのかよくわかった気がする) 世界の水準、 それも世界最高の水準を肌で知った日。 この日のことは一生忘れないでしょうね。 ... 指揮者とオケと夫婦の関係? - 2005年05月30日(月) う〜、蒸し暑い。 今年はカラ梅雨か?なんて書いてしまいましたが ハズレるかな? ところで昨日、「N響アワー」の時間帯で 「想い出の名演奏」というのをやってましたね。 1994年のゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルの演奏。 R.シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」と ベートーヴェン「交響曲第7番」。 この時のウィーン・フィル来日公演は なんだか演奏が冴えない、とか クラリネットのシュミードルがチューニング中に慌てて舞台にはいってきた、とか あのウィーン・フィルも毎年のように来日が続くと 緊張感がユルんでこんなんじゃイカン! なんて専門家筋がら酷評されていたのを思い出します。 私がこの時行った横浜公演でのチャイコフスキー「悲愴」は すごく良かったですけどね。 ウィーン・フィルの素晴らしく優美な弦楽器群がチャイコフスキーのメロディーを この上なく切なくしなやかに歌い上げていました。 ところでショルティといえば昔から豪腕・熱血。 彼が指揮すりゃ、オケは痛快に鳴りきる 音楽バカ一直線みたいな激烈な大指揮者で知られていますよね。 ↑こんな風に書くとひどい音楽家みたいに見えちゃいますかね。 いやいや、誰もが認める真の大巨匠です。 私は本当に彼が好きだった。大ファンです。 (前にも書いたような気がする…) しかし、最晩年まで(82歳くらい?)若いときと全然変わらないように見えるショルティでも、 現にこの94年の来日当時も私自身そう感じていたこの名匠も、 昨日のオンエアで改めて見、聴いていると 「やっぱり年とって随分円くなったんだなぁ…。」 と思わずにはいられませんでした。 でもあの若々しい顔の表情。 爛々と輝く、後ろを振り向くことなど知らないような、いつも未来にむかっているあの目。 本当に魅力的だ。 何年前だったか、ウィーン・フィルの、確か創立150周年記念のドキュメンタリー番組みたいなのがあって、 その中で色々な指揮者をはじめ、音楽家のインタビューがあったんですね。 そこでショルティは 「ウィーン・フィルは本当に素晴らしいオケさ。偉大な伝統があってね。私たちは30年以上も素晴らしい関係を築いてきた。最高の信頼関係だよ。 でもね、彼らはどうしても自分のやり方を曲げないんだ。私が一拍めを降ったら即、音を出してくれ!というのにどうしても少し間を置いてから音がでるのさ。優雅にね。でも一拍めは一拍めなんだよ。それだけがなぁ〜。」 (↑正確にこう言ってたか記憶があいまいですが、内容はこういうものだった) と言う。 そしてその次にでてきたオケの団員曰く (誰だったかな〜?コンマスのウェルナー・ヒンクだったような気がするのだけど…) 「ショルティとはね、今や最高の関係ですけどね、最初の頃は何しろ強引で私たちとは違う流儀で自分の音を出させようとするんですよ。指揮棒を振り下ろしたらすぐ音を出せとかね。 でもウィーン・フィルの音はそういうのとは違う。だから昔は『ショルティのヤツを絞め殺してやりたい』なんて言ってる団員もいましたよ。でも今は誰もそんなこと言わない。みんな彼を尊敬している。お互い妥協点を見つけてここまできた、ってとこかな。でも彼はどうしても一拍目の音をバン!と即、音にしようとするところは未だに直りませんし納得できませんけどね。」 この双方の言い分を聞いててとっても可笑しかった。 微笑ましかった。 なんだか長年連れ添った夫婦みたいなやり取り。 (別撮りだから会話ではなかったけど) だって彼らはうまくいってたんだもの。 これだから人間は面白い。 ... もうひとつの心配? - 2005年05月28日(土) 昨日は急にあんな話題になってしまいましたが 書いてるうちにもうひとつ最近気になることが…。 天気→緑→自然、と来て そう、カブトムシ。(←なんでだ?) 私は小さい頃、カブトムシやクワガタが大好きで 夏になると彼らを飼うのが楽しみで仕方なかった。 これは絶対男の子ならみんなそうだったハズ。 大きな水槽に腐葉土をつめ、 太目の木をたて エサは木に蜂蜜や黒砂糖をとかしたものを塗ったり、 スイカの(自分の)食べ残しをやったり。 そしてカブトムシとクワガタを戦わせるんですね〜。 彼らは日頃はノソノソしてるくせに いざエサがかかってくると、突然人が(?)変わる。 突然、考えられないほど俊敏に動き、 相手をエサ場から追い出そうとする。 クワガタは当然あのハサミのようなアゴでカブトムシをはさむ。 ヤツらのアゴはホント強くって、カブトムシのあの装甲板のように硬い皮を破ってしまうこともある。 私も指を挟まれてケガをしたことは何度も。 そしてカブトムシはあのツノだ。 クワガタに突進し、あっという間にツノをクワガタの身体の下にいれたかと思うと、テコのように激しく跳ね上げる! そのスピード、力たるや、こちらも尋常でなく、 ノコギリクワガタ程度ならあっというまに投げ飛ばされ 水槽の壁や天井に叩きつけられる。 これは凄い見ものですよ〜。 ああ、書いててワクワクしてきた(笑) で、こんな風にカブトムシが好きなワケで 子供の頃から昆虫図鑑などをみていると 世界にはものすごくカッコいい、 日本産とはまったく姿の違うカブトムシがいっぱいいるのが見れる。 まじカッコいい。 そしてデカイ。 ヘラクレス・オオカブトムシ(南米)とか コーカサス・オオカブトムシ(中央アジア)なんかその代表。 この名前で 「あ!トリビアで見た!」って言う人も多いのではないかと思うのですが そう、彼らのトーナメント戦なんてとんでもない、 いやかつて夢見てたことがテレビで実現されてました。 ともに日本のカブトムシの優に倍はあるし、 ともに凶暴な性格で、相手をコテンパンに倒し、 完全にギブアップ、向かってくるのをやめるまで容赦しない、という 恐るべき獰猛さ。 見ててビックリしました。 ヘラクレスは一本ツノで身体より長い、シンプルなヤリのようなツノで相手に立ち向かう。 コーカサスは三本ツノで、背中の二本と顔の一本で相手を挟みつける。 話がどんどんそれていくような気がしますが、 この恐るべき相手に対して、日本のカブトムシの戦いぶりは感動的。 そして実に日本風。 どういうことかと言えば、柔道がそうであるように 「柔よく剛を制す」なんですね。 体は小さい。しかしスピードと技がある。 相手の巨体の横にサッと回ったと思えば、一瞬にして横からツノを下にこじ入れての押し出し。 または相手のツノのよじのぼって上から攻撃をかけるという 意表をつく戦い。 すんごい面白かったです。 いや、私が書きたかったのは このヘラクレスなりコーカサスという昔から憧れてた世界のカブトムシたちが 今や簡単に日本で手に入る、ということ。 去年の夏にデパートの文房具売り場の横の 「夏休み特設こども会場」みたいなところで 水槽の中に巨大なコイツらが、まったく普通に売られていたのには驚きました。 てか、初めて実物見たし。 かつて夢に見たカブトムシたちとこんな郊外のデパートで出会うなんて…(哀) で、先日新聞にもでていましたが この外国産カブトムシ(やクワガタ)の野生化、 そして当然そうなると交配が進み、 どんどん雑種が生まれる危険性が。 大丈夫なのだろうか? いや大丈夫じゃないと思う。 このカブトムシ、なんかヘンな形してるな、 などというものにはお目にかかりたくないものです。 ... 緑を植えろ!? - 2005年05月26日(木) 今年の夏は猛暑にはならないそうですね。 よかった。。。 うだるような猛烈な暑さがなければないで, これはさみしいものだけど 去年はマイッタ。 しかし最近は5月も終わりというのに暑くなったり肌寒くなったり 気温が安定しない。 毎日テレビの天気予報の天気図を見ていると なるほど…北海道の北にあるオホーツク海気団という高気圧が 今年は強そうだ。 そして梅雨前線は随分南にある…これは6月になると南海上の太平洋高気圧が強くなってくると北に押し出されてくるんだけど オホーツク海気団が強いと簡単には北上できない。 すると梅雨らしくない6月となり、 大陸生まれのオホーツク海気団は海生まれの熱帯性と違うから 夏は乾き気味で冷夏になる可能性が強くなる。 …すみません、急にお天気お兄さんになっていまいました。 (前にも書きましたが、私は気象関係が好きだもので…(^^)) 地球温暖化、ってのは進む時間の程度こそあれもう避けられないワケだけど 猛暑の翌年が冷夏(まだ可能性ですけど)、っていう状態を見ていると 地球が自分で自己コントロールをしているような気がしてならないです。 この星も自分を守るのに必死、って感じ。 私、思うのですが、 京都議定書の温暖化抑止のための色んな規制はもちろん、 日本でも一軒家の屋根、アパート、マンション、ビル 要するに建物のてっぺんには必ず何平方メートル以上の面積に植物を植える、 というのを法律で決めたらいいんじゃないですかね? マンションやアパートに住んでいる人間は バルコニーや窓に必ず植物を置かなければいけない、とか。 こないだから東京タワーやら横浜ランドマークタワーの展望台から下を見るにつけ、 この緑のなさ、これはヤバイだろう!とつくづく思いました。 これじゃ、空気の清浄化という点もともかく、 陸地はあったまっていくばっかりだ。 このひとつひとつの建物に確実に緑があったら 効果が全然違うんじゃないか? こう思ったわけ。 緑は絶対いいと思う。 それに精神衛生上もいいだろうし。 あと夏に都心で打ち水作戦とかやってましたよね。 あれもゴミの分別なんかと一緒で(全然違うけど) 義務化したらどうですかね。 まあ、専門家から言わせたら こんなのは戯言なんでしょうけど。 ... フィラデルフィア管弦楽団のマーラー - 2005年05月24日(火) 昨日、2年ぶりにマーラーの「交響曲第9番」を聴きました。(実演で) クリストフ・エッシェンバッハ指揮フィラデルフィア管弦楽団の公演。 ちなみに2年前に聴いたのは札幌コンサートホールKitaraでの ベルナルト・ハイティンク指揮PMFオーケストラの演奏。 この時のハイティンクの的確な、そして気品ある抑制された指揮から (各セクションのトップにはウィーン・フィルの団員がいたとしても) 学生をいくらもでない若い演奏家たちが素晴らしい演奏をしていましたね。 この曲に「素晴らしい」という言い方が適当なのかわからないですが、 マーラーが医者から死を宣告され、 この世との告別、死を眼前にしての葛藤、そして精神の浄化、 こういったものが痛いほど伝わってくる、 そして美しい演奏でした。 考えてみれば他にも私はこの曲を実演で何度も聴いている。 サイモン・ラトル/バーミンガム市交響楽団、 ケント・ナガノ/ハレ管弦楽団、 クルト・マズア/ニューヨーク・フィル、 小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ、 若杉弘/ミュンヘン・フィル、N響 井上道義/新日本フィル、 など。(あれ?そんなもんか) しかし昨日のフィラデルフィア管弦楽団のコンサート、 残念ながらPMFの時のようにはならなかった。 超一流の指揮者と超一流のオーケストラが組めば必ずしも名演奏が生まれるわけではない、という、人間=ナマモノ?ならではの事実を目の当たりにしてしまいました。 最初のチェロとホルンがピアニッシモでかけあう小さなひそやかなテーマが エッシェンバッハの超遅い指揮にうまく乗れず、 なんだか頼りなく、そしてかつ大味に鳴り出したときからイヤな予感がしました。 細かいことはヌキにしますが、 エッシェンバッハ、一人相撲とはいわないまでも 一人で熱くなりすぎて、曲に没入しすぎて (なおかつ彼の指揮ぶりはお世辞にも見やすいとはいえないもので) オーケストラは見る見る引いていく感じで、 コミュニケーションがどんどんチグハグになっていくのがわかりました。 結果、あの(プログラムにも見出しになっていましたが)有名な “華麗なるフィラデルフィア・サウンド”どころではなく、 力量がありすぎるくらいあるオーケストラだけに、逆にそれがアダとなって ものすごく騒々しい音楽になってしまいました。 後半、第3楽章の華々しく諧謔的なブルレスケから、 ようやく指揮者の熱さとは別のところでオーケストラのとんでもない上手さが顔を出し始め、次々と繰り出される管楽器や弦の首席のソロ部分は素晴らしい鮮やかさ。 第4楽章の悲痛なアダージョから最後の、 “青い空に雲が溶けていくように”(大指揮者ブルーノ・ワルターの言葉) 消えていく最後の音までの弦楽の素晴らしい厚みは 世界に冠たるヴィルトゥオーゾ・オーケストラの片鱗を見せてくれました。 しかし、こういう演奏になろうとは。。。 激烈・濃厚“すぎ”な表現、 独りよがりな指揮になりかかり、 逆にオケは殺伐と鳴る演奏にすっかり疲れてしまいました。 辟易…。 というか、こういう熱すぎるくらい熱い熱演にいったん乗れてしまえば 最後まで感動で胸をいっぱいにできるハズなのですが 逆にいったん引いてしまうと、もう気持ちが冷めてしまって 「早く終わらないかな」と苦痛でいっぱいになる。 昨日のお客も盛大な拍手と歓声が飛びかっていたものの 乗った人と引いた人が半々だったでしょうね。 私は残念ながら途中で落ちた部類。 誤解してほしくないのですが、エッシェンバッハじゃ私にとってすごく好きな音楽家なのですよ。 しかし今回は…。 残念…。 (この名門オケの久々の来日だから、楽しみに大枚はたいたのに・・・) フィラデルフィア管弦楽団の他の日の公演でやった 同じくマーラーの「第1」「第5」はどうだったんだろう? たまたま先日、NHK「トップランナー」で若手女優の蒼井優ちゃんが 「色々な舞台や映画にでて最近わかってきたんですけど あんまり役にのめりこんで熱演してしまうとお客が引くんですよね。かといってあんまり客観的にとらえた役作りだと表面的になっちゃうし、そのへんのバランスって難しいんですよね。」 と言っていたが、まさに昨日のエッシェンバッハはのめりこみすぎたことが裏目にでてしまった、という感じか。 もっとも私は彼が何年前? 北ドイツ放送交響楽団を指揮したマーラー「第5交響曲」を聴いたのですが、これは素晴らしかった。 やっぱり熱くて(苦笑。いや、熱いことが悪いわけじゃない。昔はバーンスタインをはじめ、マーラーは血の気の多い、熱いロマンティックな演奏が多かった。しかし最近はナゼか比較的低血圧な、曲を客観的に描こうとする演奏が多いのだ)、最近のマーラー演奏では珍しいな、と思いましたが、 でもその熱さがオーケストラに乗り移って、私も胸を熱くして感動したのをよく覚えています。 だからこれは相性、それもその時の状態だけなのかもしれないし、 難しいものです。 しかし、私はマーラーに限って時々こうした「上手く行かない」演奏に出会うことが多い。 かつて聴いたマイケル・ティルソン=トーマス指揮ロンドン交響楽団の「第6交響曲」、 アシュケナージ指揮チェコ・フィルの「第7交響曲」はかなり耳が痛かったです。 でもT=トーマスがサンフランシスコ交響楽団を指揮したマーラーのCDなんか、実に素晴らしい、ということはファンの皆さんはみな知っていますよね。 ホント、不思議なものです。。。 ... 赤ん坊 - 2005年05月23日(月) この週末にマイハニーの親戚の赤ちゃんを見てきました。 まだ4ヶ月。 とっても可愛い女の子です。 母親に似て(?)誰にでも人見知りせず笑顔をふりまく、という話で 「へぇ〜、そんなに小っちゃくてもそんなことするんだ。さすが○○ちゃんの娘。」 なんて思って楽しみにしてました。 初対面のその子はホントに可愛い。 おめめぱっちり。 笑顔でとってもよく動き、元気。 マイハニーが抱いてあげると、なるほど笑顔で喜んでる。 ホント、人見知りしないんだな〜、なんて思って 私も抱かせてもらいました。 ところが。 私が抱いたとたん、目が変わった。 私をじーっと見つめる。 そして顔が歪んできた。 ヤバイ!くるぞ!くるぞ! ウェエエエ〜〜〜ン!!(><) なんで??なんでだ??? しかし5秒もすると泣き止んだ。 そしてまた人の顔をじーーっと覗き込む。 しかしまた5秒もすると泣き始めた! …以下、延々その繰り返し。 その後、部屋の向こうで寝ていても私の顔をじーーっと見てる。 ○○ちゃん曰く、「この子のこういう反応をみるのは全く初めて」とのこと。 彼女は幼い汚れのない心をもって 私の中に何を見たのだろう? それを考えるとちょっと怖い気がする。 ただ泣いているその姿。 力いっぱい力いっぱい泣くその姿。 力をふりしぼってエネルギーを発散するその姿。 彼女にはまだ笑うか泣くかしかないんですよね。 その姿を見て、ふいに “命”という言葉が目の前に浮かびました。 “命”というものが視覚化されるとしたら これなのかもしれない。 そんなことを思い、ちょっと感動しました。 命、ってすごいですよね。 ... ラン・ラン再び!! - 2005年05月19日(木) 3年ぶりでしょうか? ラン・ランのピアノ・リサイタルを聴いてきました。 これ、楽しみだったんですよね〜。 いや〜〜〜、素晴らしかった!! すんごい気持ちいいピアノだった!! 聴いててワクワクする。 ただ古参や厳格な音楽評論家からは賛否両論らしい。 (こういう時はあんまりその類の人に会いたくないのだが仕方なかった) 彼の指があまりにも回りすぎて、そして全然力まないですいすい弾けちゃうもんだから 深みがない、とかシューベルトはああ気楽に弾くべきではない、とか言うのですよね。 「中国」よろしく雑技団みたいだ、と言うわけ。 (みなさん、そろってその言葉を使われた) でもさ、まずは考えてみて下さい! あんな天賦の才に恵まれた演奏家がいますか? (聴いたことない方、ゴメンなさい!) もちろんもっと尊敬に値する、もっと深いところから音楽を引き出してくる演奏家は世界にいる。 数少ないまでも結構いる。 でもまずはあの巨大な能力、存在感、スターのオーラ。 どれもがケタ外れなピアニストだってことは誰にだって感じられるし、ないものねだりして「あれがない、ああするべきでない。」っていう次元じゃないと思うんですよね。つまんないよ、そんなこと言ったら。 確かに彼はそれだけの凄いものを持ったが故に、もっと先行けるだろうし行ってもらいたいな、まだ届いてないとこはあるよな、とは私も思うけど 「今」の彼の魅力がありすぎるくらいあると思うのです。 楽器を弾いてるとは思えないくらい自然にでてくる音、千万変化する音色。 (シューマンやタン・ドゥンは夢のようだった〜〜〜) そして猛烈な超絶技巧。 なのに力などどこも入っていない、流麗で美しいピアノ。 それに弾き放題、本能のままに弾いてるようで、でも曲に対して自分勝手にはならず、 決して音楽の形は崩れない。 こういったところはまるでアルゲリッチを思わせる。 あれだけ純粋に若々しさが全開に、自分の「今」を全て音楽として出しつくせる、ってのはよくよく選ばれた者だけが可能なことだと思いますね。 ところで前後しましたが 今回の曲目は彼がアメリカのカーネギーホールにデビューした時に弾いたものと同じ (CDになっている) シューマン:アベッグ変奏曲 ハイドン:ピアノソナタ ハ長調 シューベルト:さすらい人幻想曲 タン・ドウン:水彩による8つの思い出 ショパン:ノクターンop,27-2 リスト:ドン・ジョヴァンニの回想 そしてアンコールに「八十八夜」など日本のメロディーやリスト「ウィーンの夜会」、 なんとお父さんが出てきて二胡をラン・ランと共演しました。 (でもお父さん、悪いけどヘタだった…) ところでこのリサイタル、有名な例の華道家Kさんが来てました。 前の来日公演の時も来てたし、チラシにもメッセージを寄せてたから 追っかけなんでしょうね。 Kさんはど真ん中に居座っていて、 舞台で花もあげてたし、スタンディング・オベイションも何回もしてました。 そうそう来ていたお客さんの話でいえば オバサンたちが「キャ〜」とか叫びながらスタンディングしてました。 そう、ちょっと不思議だったのですが、今回のラン・ランに来てる客層が、通常のクラシック・コンサートとはあきらかに違うのですよ。 コンサートそのものは「ワールド・ピアニスト・シリーズ」という この音楽事務所が毎年組んでいる(今年はポリーニもエントリーされている) 正統そのもの、普通のピアノ・リサイタルなのに。 平たくいえばミーハーっぽいオバサンやおねえちゃんが多くて、 曲間で拍手がでなかったり、楽章の間で拍手がでたりチグハグで、 いかにもクラシック・コンサートに慣れてない、って人が多かったんですよね。 しかもケータイが鳴ったり、ガサガサ動き回ったり、ちょっと驚きでした。 別に悪いことじゃないし、いいんですけどね、 でも騒がしくはしてほしくないなあ。 ラン・ランに話を戻しますが、 プログラムを見ると彼は今、ダニエル・バレンボイムに定期的にレッスンを受けているとのこと。 チャイコフスキーの協奏曲をレコーディングした時の縁じゃないかと思うのですが (オケはシカゴ交響楽団) 彼に指導を受けているのなら、今後ますます音楽の王道をいく姿勢を見につけられるだろうな、とちょっと頼もしく思えました。 ホント、楽しみなピアニストです。 ... シャイン? - 2005年05月17日(火) 社員、じゃないっすよ。(←オヤジ化さらに進む) 映画「シャイン」。 デイヴィッド・ヘルフゴッドという知的障害(?)になってしまった 悲劇的、と同時に感動的なピアニストの映画があったでしょう? さっき仕事から帰って来てニュースつけたら この「シャイン」を彷彿とさせるような出来事があったそうで ビックリした。 イギリス南東部で、先日ずぶ濡れの男性の若者が行き倒れで(?) 発見され、本人は全く口が利けない状態で記憶もないらしく まったく身元がわからないそうで (こんなニュースがあったことも知らなかったが) この青年を教会に連れて行ったところ、 教会のアップライトピアノを見て急に目を輝かせ 4時間ほどぶっ通しでクラシックの曲を プロ並の腕前で弾いたというのですよ。 この「プロ並」というのを誰がどう判断したのか知る由もないですが、 (ちなみにマイハニーは、OLが事件に遭う時よく報道で「美人OLが・・・」なんてことを言うからなァ、などと毒舌をはいておりました) 本当だとすれば興味深いですね。 まさに「シャイン」だ。 クラシック音楽関係の方でこの人を知っている人がいたら情報提供を求む、 とニュースで言っており、写真も出ていました。 金髪で短めに刈り込んだ髪で、結構カッコいい。そして若い。 20代後半くらいか? とりあえず私には心当たりないですけどね。(あったら凄い) ちょっとドラマティックな匂いのするネタだし、 クラシック関係のネタでは珍しいニュースですのでね、 少々ドキドキしました。 ... カン違いで反省っ! - 2005年05月16日(月) 私、以前に 東京「オペラの森」で上演された 小澤征爾さん指揮の、R.シュトラウス「エレクトラ」の演出のことで (演出は当代気鋭の若手、ロバート・カーセン) 前に見た蜷川幸夫さんがBunkamuraで上演した 大竹しのぶ主演の舞台「エレクトラ」のパクリじゃないか? みたいなことを書いてしまったのですが、 これは大いなるカン違いでした。 というか、無知なことを全国ネットでさらしてしまい とっても申し訳ありません。 ああ、恥ずかしい。 私は、あのエレクトラの後ろで絶えず踊ったり歌ったりして 彼女の心理状態を表現している黒いワンピースの女性の群れのことを言ったのですが、 これってギリシア劇における いわゆる「コロス」って役割の人たちですよね。 カーセンにしても蜷川さんにしても ギリシア劇の原点に立ち返ってこの「コロス」を使っただけだった。 何でわかったかといえば 先日、新聞でやはり蜷川さん/Bunkamuraの制作した (そしてやっぱり大竹しのぶ主演の) 「メディア」の批評を読んでいて、ハタと気がついたのでした。 ただハズカシついでに負け惜しみ言うけど、 オペラの森での「エレクトラ」の時は そういう変わった演出だった、というようなことしか紙面には書かれてなかったぞ。 どこの評論家のセンセイも「コロス」には触れてなかった。 ... 完全犯罪ならず - 2005年05月12日(木) 女性はカンがいい、 直観力に優れているというけど、 昨晩はビックリした。 マイハニーがお風呂に入っている時に 前に買いおいたロールケーキ(スーパーで買ったお買い得品) をこっそりひときれ食べようと 静〜かにセロファンをはがして、 ナイフもそ〜っと引き出しから出した。 そして首尾よく速攻で食べて ナイフも洗って元のように引き出しにしまい、 ロールのセロファンも開けた方を下にして元の場所にしまった。 でもこれはね、 彼女がダイエットのため、夜は絶対食べない、と言うので 目の前で食べたら悪いな、と思ってやったのですよ。 (ホントっす。まじっす!) それはともかく「完全犯罪」のハズだった。 にもかかわらず、お風呂からあがった彼女、 風呂場から出たとたん 「みゅう太。ロールケーキ食べたっしょ!」 ええーーっ。 だってお風呂ではシャワーの音がしてたし、 出てきてロールが置いてある場所も 台所も見てないのにナゼバレた???? 書いている今も謎なのである。 マイハニー、恐るべし。 ... 人の居場所 - 2005年05月11日(水) 今朝のNHK朝ドラ「ファイト」。 見ててとても胸が痛くなった。 主人公・優のお父さんはバネ工場の社長で、 職人的良心をもってコツコツ良き仕事をしてきたが、 ある日、先輩が課長だか部長だかをしている得意先の商社が自分のところのバネに別の会社の安上がりなバネを入れて卸している、という不正を知る。 彼は家族や工場のことを考え、ずっと黙っていたのだが ある新聞社のインタビュー中、自分の職人魂を語っているうちについそのことを口にしてしまう。 それを口止めしようとしたが、上ネタを手にした新聞記者がそんなことをするはずもなく、 大商社は告発記事にさらされ、当然のことながら制裁としてバネ工場には仕事が来なくなり、倒産する。 妻や娘の優はもちろん彼に「どうしてそんなことを言ったのよ!そんな取り返しのつかないことを。」と責めるが、 やはり家族である、彼を理解しようと務め、 しかしながら工場の従業員にせめてもの退職金を作るため家を売り、 妻は下の小さな息子とともに、友人の実家である温泉街の旅館の仲居となり家を出、父と優は工場で生活をすることとなる。 また父は夜の清掃のアルバイトを始める。 家族はバラバラになってしまう。 優は優で、中学からソフトボールをやっていて 親友の里夏(これが父の先輩で例の商社の男の娘なのだ)と、県でもソフトで有名な高校に入学し、2人とも当然のことながらソフトボ−ル部へ入部する。 しかしソフトボール部は中学と違って大所帯、監督にアピールして(個人指導を受けてヤル気を見せるとかお弁当を作るとか)手段を選ばず何とかレギュラーになりたい、という子ばかり。 優は疑問を持ち、焦るが、自分もムリしてそういう空気に合わせようとする。 そして優はレギュラーとなり、里夏は落ちた。 またそんな折に父の事件が勃発し、2人はそれまでの関係ではいられなくなった。 クラスでは里夏たち4人組の仲間に優は入れない。 みんなはケータイを持っているが、自分は「そんなものはいらない」と昔から欲しくなかったし、みんな自分の知らない話題で盛り上がって、自分はその場に居場所がない。 それでも優はソフトにだけは打ち込もうとしたけど、今度は足を負傷しレギュラーを外れた。 代わりに里夏がレギュラーとなった。 優はそんな折、ソフトをやめる決心をした。もう足がそれに耐えられなかった。 ソフトも失い、友達も失いかけている。どんどん居場所がなくなる。 それはイヤだった。 彼女にとって唯一の慰めは、近くの厩舎にいる馬のジョンコだけだった。 そして優はなんとかみんなに溶け込もうと努力をする。 ケータイも買った。勇気を出して、みんなの机で一緒にお弁当も食べるようにした。 気が進まなかったけどみんなでカラオケにも行った。 盛り上がる周りに合わせて、自分はちっとも楽しくなかったけど笑わなきゃならなかった。 いや笑うしかその時やれることがなかった。 その晩、仲間の一人からメールが入った。 すぐに返信をしなかったらあとで電話がかかってきて「そういうのは早く返信してよね」と文句を言われたが、何とか楽しく話そうとしたところお互いの父の話になった。 「私が優だったら、そんなことを告発する父親なんて許せない。そんなのチョーむかつくでしょ?」 優はもうこれ以上友達に嫌われたくなかった。 自分の気持ちを裏切ってこう話した。 「そうなのよ。もうどうしようもない父親だからほっといてるの。ホントむかつくよね〜。 家族をなんだと思ってるのかしらね〜。ホントイヤよ。」 無理に友達に話しを合わせた。 そしてその時後ろに父が立っているのに気づかなかった。 気づいた時父の顔は悲しそうだった。 優は呆然とした。 学校でもオフィスでも人が集まれば、人間関係は複雑だ。 うまくいってればもうけものだけど うまくいかないことの方がはるかに多い。 かくいう私も大変である。 そういう時どうするか? 道はおおざっぱに言って2つしかない。 今の優のように自分の気持ちを裏切ってでも 周りに合わせるか。 そうして波風立たないようにするか。 もうひとつは自分に正直になり、 周囲のおかしな部分に対して一線をひき 孤立してでも自分を貫くか。 私は後者になりかけている。 そしてそれはとても疲れるし、とてもツライ。 エネルギーが必要だ。 帰る頃にはストレスで一杯になっている。 いつから?どうしてそうなったのだろう、と思う。 以前はそうではなかったはずなのに。 周りが変わったのか、自分が変わったのか? しかしそう決めてしまえば正直楽な面もある。 とりあえず一線をひきつつ、仕事がきちんと進む程度には周りとうまくやっていこうとは思う。表面的にだけど。 優はこれからどうなるのだろう? どうしていくのだろう? 「ファイト」、朝ドラの密度とは思えないです。 ... 動物園と音楽界? - 2005年05月10日(火) ああ、ゴールデン・ウィークも終わってしまった。 10連休、ってまさにゴールデンな休みをとった人もいっぱいいるんでしょうね。 ま、でも私たちも足利の藤以来、 ちょこちょこと近場に出かけて退屈はしなかったけど。 ところで最近本にもなったらしいですが 北海道の旭山動物園が話題ですよね。 私は何ヶ月か前にNHK「クローズアップ現代」を見て知りました。 年間入場者数が上野動物園を抜いたとか、 破綻寸前の経営からの見事な再生、 そしてそれ以上の大躍進、ということで脚光を浴びている。 テレビ見て思いましたが、ホント実に魅力的で 「これならみんなこぞって行くよなぁ〜」と思うと同時に 自分がやっている音楽マネジメントの仕事のやり方についても 確信が持てたというか、励まされましたね。 どういうことかと言うと、 旭山動物園では、今までの「動物園」ってのは 動物をオリに入れて、それをみんなが周りで見るだけ、 という常識・固定観念から一歩も二歩も進めた、 というか考え直してみた、ということでしょうか。 つまり動物ひとつひとつの生態に合わせて 彼らのどういう行動が魅力あるのか、面白いのか、 というのをよく知り、考えた上で さあ、それではどんな「オリ」(?)を作り、配置をすれば良いか? はたまた観客もどこに、どんなかたちで居ればそれが見られるのか? というのを追求した結果が 入園者数の増加、リピーターの増加につながったのですね。 具体的にいえば、(私は一部しか知りませんが) 例えばペンギン。 普通見られるのは氷の上でヨチヨチしてるか、たまに水にザブンと飛び込むくらいですよね。 ところが彼らの泳ぎと言うのは驚異的に速い。 魚を追っている姿は相当に見ものなワケです。 ではペンギン館は普通に上から見るより、 客は水の下から見ればそうした行動が目撃できる。 アザラシなんかも然り。 またサルは、普通サル山を上から見て、 客はエサを放り込んだり、 母ザルが子供の毛づくろいをする姿とか せいぜいオス同士のケンカを見れるのが関の山。 しかし旭山では大きな高い木々の間に、 むしろ我々客の方がオリに入ったようなかたちになる。 そうすると上空に木々の間を飛び移ったりする、 見たことのないようなアクティブなサルの姿が見れる。 とっても基本に立ち返った工夫ですよね。 動物たちの魅力が120%発揮される。 そしてそれを見れる。 私なんかもこの仕事をしてると、思うわけです。 アーティストそれぞれに得意なレパートリーがあり、 光る部分があり、魅力の色合いも様々なワケです。 個性は十人十色、千差万別。 するとマネージャーは担当しているアーティストをみんな同じように売り込んだり(オーケストラやホールさんに)、 世間に同じようなアピールをしたってダメなワケです。 そんなことは当たり前…なハズなのに結構無頓着に、平気にそういう現状があるんですよ。 誰々の企画書、またどのマネージャーが作った企画書を見ても 区別がつかない。同じようにしか見えない。 違うのは写真だけ。 (すると当然見かけがいい方がトクなわけだ) このピアニストはオーケストラの定期公演で堂々と使ってもらうより、 ファミリーコンサートのような場でお話をしながらやってもらった方がずっと魅力がでる、とか このヴァイオリニストはドイツのレパートリー(ベートーヴェンとか)はいまいちだが 実は現代フランスの曲(ドビュッシーやラヴェルとか)をやってみたら誰にも負けない演奏をする、とかあるわけですよね。 (もちろんそれぞれレベルの差というのが存在するわけで、それは絶対に無視できないけど) つまりは対象をよく「知る」ということ。 よく「知れば」それぞれの打ち出し方が自ずとでてくるハズ。 発想がでてくるハズ。 そうして打ち出し方が的確であれば、アーティストの魅力も自ずとでてくるハズ。 旭山動物園の方々はそうしたことを突き詰めただけ。 私たち音楽関係者も本当はそうしなきゃいけないのにいつのまにかルーティン・ワークに陥ってる。 本当は簡単なことなのにね。 ... 大ショック・・・ - 2005年05月09日(月) さっきまでえらい時間かかってここに日記書いてたんですよ。 力作・・・ってか、いつにもまして熱くなってましてね、 ものすごい勢いで書いてたんデス。 そ、そしたら、 PCが急に落ちた・・・(><) 全部消えた。ショック〜〜〜。 とてももう一回書く気力ない。 明日、書けたらまた書きます。。。(;;) ... G・W途中 - 2005年05月06日(金) 皆さんはこの連休、いかがおすごしですか? 私は前半に結構仕事がたてこみ、 3日から5日にかけてようやく休めました。 本当は2日や6日も休もうと思えば休めたんだけど、 その後のシワヨセを考えると恐ろしく、 シワヨセがシアワセを侵していきそうな気がしたので(←あ〜あオヤジ) 今日は出社しました。 でも3日間とはいえ、リフレッシュできましたよ。 まず、藤を見に、 足利フラワーパークというところに行ってきました。 藤です。あの藤棚にいっぱい花を咲かす藤。 マイハニーがどこからか情報を入手してきて 「どうしても行きたい。行かなきゃ死にきれん。」 と言うので、私も死にきれないような気がして …ウソです。私もゼヒ見たかったので眠い目をこすりえらい早起きをして 行きました。 ちょうど前日に新聞に「満開!」の様子がでたせいか、 もともと人気スポットなのか ものすごい人でした。 ディズニーランド並の人、人。 駅からシャトル・バスに乗るのも一苦労で、 帰りなどはバス1時間待ち。 田舎の道にどこまで続く行列、行列。 でも言った甲斐、見た甲斐がありました。 藤がこんなに美しいとは今まであんまり思ってなかったし (今までも見てるハズなのに) 1本の木から、あんな、 そうですね、20メートル×20メートルくらいあるでしょうかね? とにかくおっきな棚一面に花がさがってる。 どんな洒落たシャンデリアでもこれにはかなうまい。 すっかり堪能しました。 そして翌日は近くの公園で、芝生の上にシートひいてゴロゴロ。 初夏のような日差しの中本読んだりして ゆっくりとした時間を楽しみました。 でも、なんたってこの季節は最高ですね! 1年でいちばん気持ちの良い時期っす。 ...
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