ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

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祝! - 2005年04月26日(火)




私たちもおかげさまで結婚一周年♪(パチパチ)

ペーパー婚ってやつですな。
よくもった。(←ナヌ?)


昨日、休みをとって2人でセレブレイション・デイを満喫しました。


今回はつらつらとその一日の行動を書き付けてみますね。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ゆっくり寝てようかと思っていたのですが結構早起きしました。

電車で千住方面へ。

ここにはマイハニーのご先祖のお墓があります。ここへお墓参り。
このご先祖は、幕末の攘夷派の勤労の志士。
安政の大獄で亡くなった。
マイハニーが初めて東京に来た時に一緒に行ったのがここだったのだ。
この方のお墓の周りには30〜40人くらい(多分)同じ志士たちのお墓もあり、
彼女はそのお墓全部に黙々とお線香をつけ、紙コップにお酒をついでいました。

2人で合掌。マイハニーは何を思ったのかな?


それから浅草まで30分ほどの道のりを歩く。
ここらへんは有名な「山谷地区」。日銭をかせぐ労働者さんの安宿が並び、それが過ぎると
靴問屋が並ぶ。
マイハニーは東京に来てから、「東京」に関して比較的華やかな場所や、閑静な(高級?)住宅街は知ってるけど、こういう場所は見てなかったからビックリしていたようだ。


浅草に着き、駅前にある「とらんくす」屋に注目。
金魚や竜虎、雷神風神などのカラフルかつ風流なデザインのトランクスが
ところ狭しと並んでいました。(もちろん男物だけど)
私はピンクに赤い金魚柄のトランクスを買ってもらいました。
これナカナカいいです。


それから大衆・観光客向けの和食屋で天丼を食べました。
エビが大きくてすごいボリューム。
ここで一気におなか一杯。
ずっと歩いた後にビール飲んだせいか、眠い。


仲見世をぶらぶら。
お箸の店がよかった。柿かな?とても渋い木をセンスよく、そして日本情緒ただようお箸にしてみせる職人さんは素晴らしい。
この近くで今度はきな粉アイスモナカを食べる。

ところで浅草寺って、初めて思ったのですが、
東大寺の大仏殿と似た造りの建物なんですね。
奈良時代の、まだ大陸文化の影響をモロ受けてた頃のもの?
浅草寺ってそんなに歴史が古いのか?

浅草をあとに、丸の内へ。
丸ビルには行かず、最近できた大手町の施設「オアゾ」へ。
ここはそんな大層なところではなかったけど、
なかなかセンスいいショップやレストランが並んでいて、
ビルの上は丸善を軸に、本や文具を始め、結構洒落たものが多くおいてある。

それらを見ながら上の階のカフェでコーヒーを飲む。
ベルギー・ワッフルのセット。
とっても大きくて、マイハニーはベリーベリー、私はメイプルシロップのものを頼む。
(↑食べてばっかり)
ここは東京駅のホームや線路がばっちり見えて、とってもロケーションがいい。
丸の内・大手町周辺のビジネスマン・OLの昼休みには最高なんじゃないでしょうかね?
私なんかはくつろぎながら、ずーっと電車を見ながら楽しんでいた子供時代を思い出した。



丸の内から銀座へ少し歩く。
シャネルやミキモトの本店は覗かなかったけど(覗けなかった?)
三越に行き、ネックレスやピアスを物色しながら(あらためて銀座は高い!)
マイハニーが最近「ちょっとよさげ」な物を発見したというローラ・アシュレイへ。
今日は特別な日だから何か買ってあげる(でも金額限定ねっ!)、と言ってはいたものの
なかなか気に入ったものがなく、
さりとて彼女もどうしてもこれが今ほしい、といったものがなく、
私も特になかったので、
三越の前の山野楽器でお互い聴きたいCDを買うことにする。

マイハニーは平原綾香のファースト・アルバムとトータス松本の洋楽をカヴァーしたアルバムを、
私はラファエル・クーベリックがチェコ・フィルを指揮したスメタナ「わが祖国」の、1991年東京での奇跡のライヴと、ペーター・マークが1986年のN響定期で唯一指揮したシューベルトの「未完成」&「グレート」交響曲を買った。
(私はこの2公演とも会場にいた。思い出すだけで涙がでてくるとてつもなく感動的なコンサートだったのだ)


それから私たちはまた三越に戻り、人気店「Giotto」でケーキを買う。(まだ食うか!?)
ここのケーキは半端じゃなく美味しいのだ!


そんなこんなで2人ともお疲れ。
帰りの電車で熟睡。


その晩は押入れにしまってある結婚式のアルバムを2人で見ました。
これが1年前か〜、もう1年?まだ1年?
アルバムの中の私たちはいつも笑ってる。
いつまでもこういたいね。



しかし、この写真の私たち、今より細いな…(><)








...

たまには下ネタ? - 2005年04月25日(月)




休日、ひさびさに運動した。

マイハニーに

「いや〜、やっぱバッティング・センターで汗流すと気持ちいいぜ〜」

と言うと、


「なぬ。○ッティング・センター? うほほほ。」


むふふ。それは気持ちよさそうですなあ。



また

「なんか疲れたまっててさあ。足裏マッサージでも行ってくっかな。」


するとマイハニー、

「●裏マッサージでしゅか〜。へへへ〜」


そ、それもよいですなぁ♪ げっへっへ。





超バカ夫婦である。










...

「ファイト」の音楽 - 2005年04月21日(木)




今オンエア中のNHK朝ドラ、「ファイト」。


主人公、木戸優役の本仮谷ユイカがとっても可愛い。

最初予告編で見た時は、
ちょっと貧相な顔だな、と思ったが
ドラマが始まったら、笑顔がいいし、
とっても芝居もしっかりしているし、
すっかり好きになった。



…あ、その話を書こうとしてたんじゃなかった…。


このドラマのオープニング音楽なのですが
群馬交響楽団(ドラマの場所が高崎のせいでしょう)が演奏しています。


朝ドラでこういうシンフォニックな音楽は珍しい。
シンプルだけど、メロディーのきれいないい音楽です。
私は好き。


で、第1回目を見た時に、指揮者のテロップが出てなかったのだけど、
多分常任指揮者の高関健さんなんじゃないかなぁ〜、と思いながら聴いていると、
どうもそうなんじゃないか、とますます思えてきた。


弦楽器がとても整然と鳴っていて、フレーズがひとつひとつきちんと始まり、終わる。
そして管楽器がメロディーの合間に「ズッチャカチャッチャ、ズッチャカチャッチャ」と
合いの手(?)を入れるような箇所でも、
音のピッチ、リズム、音色の統制がしっかりとれていて
要するに手を抜いたようなところはどこにも見られない、
このドラマで緒方直人が演じるバネ工場社長の職人魂よろしく
実に几帳面で丁寧、良心的な家内制手工業の仕事をみるような
職人仕事。


そしたら、最近になってテロップが出ましたね。
やっぱり高関さんだった(^^)


別にそれを自慢とかしたいわけじゃなくて、
単純にホッとした。



ところで肝心のドラマの方は、
とてもシビアでリアル。


というのはこれ、
脚本が、草ナギ剛くん主演の「僕の生きる道」シリーズを書いた
橋部敦子さん。

あのシリーズ同様、この朝ドラも淡々としていながら
脚本が、登場人物一人一人の細かい心の動きから行動まで、
とても丁寧で細かいので
つい、見てる方も色んな人の色んな立場に感情移入してしまい、
朝からすごくたくさんのことを考えてしまって
とても重い。。。





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武満徹「マイ・ウェイ・オブ・ライフ」 - 2005年04月20日(水)




昨日は長々と,
そしてとりとめがない文章に反省しきりです。


本当に文章を書くというのは難しい。


それからこのEnpituの皆さんの書いているのをみていると
総じて女性の方がはるかに面白い文章をお書きになりますね。
男性は旗色悪し。


キチンと推敲も校正もせず一筆書きのように書くから、ということもありますが
それにしてもあ〜、恥ずかしい。
いっぱい感じているのに結局言葉がついていかないんですね。



で、「武満徹−マイ・ウェイ・オブ・ライフ」なのですが
これは前から楽しみにしていました。

私は学生の頃…?
いや、大学を卒業した頃かな、武満さんの音楽に興味がわきだしたのは。
その時聴いていたのがどの曲だったのか、実はよく覚えていないのですが
多分彼の後年の作品だと思いますね。
その後、少女のナレーション入り「系図〜ファミリー・トゥリー」の日本初演を小澤征爾さん指揮サイトウ・キネン・オーケストラがした時のNHKのライヴを見て、完全にトリコになりました。


武満さんの、多分一番有名な曲、
尺八と琵琶がオーケストラと一緒に、でも協奏曲風というのではなく、
交互に、西洋と東洋のコントラストをなすように演奏される
「ノヴェンバー・ステップス」は随分後になって聴きました。
(この曲は中学校の教科書の共通鑑賞教材かなにかになってたハズ)

ニューヨーク・フィル創立100年のために委嘱された、この武満さんの比較的若い日の名曲は随分辛い。ストイック。

私の好きな「ファミリー・トゥリー」をはじめ、後年になってからの曲は
まずオーケストラ(ピアノ曲でもそうだが)の音が信じられないほど豊穣。
ちょっと甘すぎるのではないかと思うくらい。
ゆったりと、お酒の香りのなかに身をひたしているような恍惚とした、
そして詩的な音楽が多い。



話を「マイ・ウェイ・オブ・ライフ」舞台上演に戻しますが、
これはそういった武満さんの名曲(7〜8曲)を、
名指揮者ケント・ナガノがメドレーのように構成し、
そしてそれを世界的鬼才演出家ペーター・ムスバッハが舞台として視覚化する、という大胆不敵なもの。


最初、この上演チラシを見て知った時には
ある種の違和感とともに「ほぅ」と思いました。

武満さんの音楽はオペラではないし、バレエでもない
純粋な「音楽作品」として在るわけだし、
それもとても完結した世界だから。


でも、同時に「まあ、それも挑戦か。」とも思い、ちょっと複雑な気分でしたね。


一方でもうひとつ違和感があったのは
チラシや雑誌の宣伝で、そういう舞台上演を「誰もやったことのない試み」みたいな、いかにも前衛的なものをやるぞ、みたいな書かれ方がされていて、
でも、こういうのって例えばベジャールなんかはいつもモーツァルトやワーグナーの「指環」や、その他クラシック音楽を基盤に、バレエだけれどもむしろ演劇作品に近い舞台を創ったり、イリ・キリアンなんかもしかり。
そういった類のものは日本でもしょっちゅう公演が行われているワケだから
井の中の蛙、大海を知らずというか。
どんな宣伝なんだよ!?と苦笑していました。

まあ、こういう業界にいるとそうなってしまうのは、私にはよくわかるんですけど…(ため息)


ただ何にしても「武満さんの音楽をどう視覚化するというのだ」という疑念はありました。
はっきりいって心配。



でも実際の公演、とてもよかった。


終わった時自分の中を「なんか、よかった…」という
実にあいまいな、でもほんのりあったかい気持ちが満ちてくるのがわかりました。



ムスバッハの演出は、
金色の像のような老婆や宇宙人のような少女を始め、
カラフルなキャバい女たちから、舞台を圧して動き回るデカイ頭(「うる星やつら」のチェリーみたいな)
とか、まあワケのわからないものが出たり入ったりなのですが

前半「弦楽のためのレクイエム」から「ノヴェンバー・ステップス」に至るあたりの運びはちょっと退屈したものの、
「ファミリー・トゥリー」からピアノやギターによる「スタンザ�機廖∈埜紊離丱螢肇鵝�合唱、オーケストラによる「マイ・ウェイ・オブ・ライフ」に至る後半はとても詩的な(視覚的には賑やかだけれでも)ものがあって
「ああ、この人は武満さんの音楽の世界をできる限り大事に扱おうとしているのだな。」と思いましたね。


詩的な音楽を、この才能あふれる演出家はできるだけ筋を通して、
武満さんの「人間的な」人生へのメッセージを「かたち」にしようとする。

その筋の通し方が「ああドイツ人なんだな」とヘンな納得の仕方を私はしてました。


こういう創造的・抽象的なものは「感じるままに人それぞれ感じればいい」と
近くに座っている人は、自分の奥さんかな?「難しい難しい」とボヤく近くの女性に語っていましたが、
それにしてはかなり筋立てはハッキリしていた。

プログラム(実に詳細で、デザインを含め制作側の気迫を感じる一冊だった。帰ってからじっくり読みました)にもあらすじ(のようなもの)が明確に書かれていましたしね。



ケント・ナガノが指揮するオーケストラがとても良い演奏をしたのが大きかったのでしょうが、まず武満徹の音楽がありき、
その質の高さから全てが生まれている舞台上演でした。




武満さんに対するいいオマージュ・・・って感じ。










...

N響の「ミサ・ソレムニス」 - 2005年04月19日(火)




先週は素晴らしい、という以上に
全身的な深い体験をした、
と言い方をした方がいいだろうコンサートに2つも出会いました。


「武満徹-マイ・ウェイ・オブ・ライフ」という舞台上演と
準メルクル指揮NHK交響楽団定期公演での
ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」。



武満徹のコンサートの方が先なのだが、
何か頭の中がうまくまとまらないので
(まとまんなくても、たかが日記、書いちゃえ!とも思ったのだが、やっぱり自分で納得がいかない)
N響の方を先に。


前から何度も書いているように
準メルクルは若手の中で、私のすごく好きな指揮者のひとり。


彼の初来日をたまたまもらった招待状で聴くことになり、
その時言いも得ない感動を受けてから以来、メルクルの指揮するコンサートはずっと聴きに行っている。
最近は、新国立劇場の世界に誇る一大プロジェクト、ワーグナー「ニーベルングの指環」を4年間指揮した人物として名高いのかも。



約1年ぶりに聴いたメルクルも少しずつ変わってきたな、と思う。

正確でシャープな指揮で音を扱うことや、
オーケストラを強いエネルギーや統率力で引っ張ることや
優しい風情を漂わせながら澄みきった音楽を響かせることは変わらないけど

それが随分、外へ外へと発散するよりは随分内的になってきた感じ、
というか、曲が宗教的なものだったせいか、地味なものになってきた気がする。

もっともN響も、う〜ん、新らしい音楽監督を迎える前に私が心配していた懸念、
トレーニングが行き届いていないような感じ、
なんだかアンサンブルにほころびが生じ、輝きがなくなってきているような気がするのは気のせい?

それのせいなのか、メルクルが変わってきたのか、
かつて感じていた彼が指揮している時特有の燦然と輝く感じとか
みずみずしさが随分後退したような…。


N響の演奏する「ミサ・ソレムニス」といえば
7〜8年前くらいだろうか、
先日ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を振って素晴らしい演奏をした
ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮で聴いたものが
私には強い印象を残していて、
今回の「ミサ…」はあの時の立派な演奏には及ばないなぁ、と思う。



にもかかわらず!なのだけど。


その7〜8年前に聴いたその立派な演奏よりも
今回の方がずっとベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の音楽そのものを
味わえたのだ。私には。


なんだか矛盾してるけど。



このベートーヴェン晩年の、あの「第9」と並び立つこの大曲は、
「第9」もそうだが、
「英雄」「運命」「田園」交響曲、
ピアノソナタでいえば「ワルトシュタイン」や「熱情」
弦楽四重奏曲でいえば「ラズモフスキー」の3曲など、
壮年期のベートーヴェンの創作とは大いに変わり、
「英雄的」な音楽を書いていたベートーヴェンが
「宗教的」な作風で、心の内へ内へと書いていくようになった末の典型的な音楽。



この「ミサ」を作曲し始める前、
1810年代の終わり頃、となるが、
ベートーヴェンは2度目(?)の人生の危機を迎えていて
(1度目は、あの聴覚を失い「ハイリゲンシュタットの遺書」というのを書いた若い頃)
簡単に言って、何にも書けなくなった時期があった。

私はあんまり伝記的なことを詳細に勉強していないのだが、
交響曲も「第7」「第8」を書いてから、「第9」までの間に10年もの空白があるし、
ピアノソナタも巨大な「第23番・熱情」(作品番号にして57)を書いてから、「テレーゼ」や「告別」など比較的小柄なソナタを時折書くものの、「第28番」(作品番号101)の晩年の後期ソナタ群とよばれるところまで、こんなにもポツポツとしか主要な曲がない。
弦楽四重奏でも同じような様子が見える。


あのベートーヴェンにもスランプ、というか
落ち込みに落ち込んでいた時期があるのだ。
(この頃、可愛がっていた甥っ子が自殺する、という大事件も輪をかける)


「ミサ…」を書き出すのはそれが回復に向かっているころだったらしい。

そして「ミサ…」と同時に「第9」が手掛けられ、
最後の3つのピアノソナタが手掛けられ、
強烈な光に突き動かされての雪どけが起こった如く、
ベートーヴェンは甦っていった。

結局、「ミサ…」の完成が一番遅くなったくらいなのだ。



その中身−−
あの壮麗な「キリエ」、
若い頃に戻ったか、と思わせるような爆発的歓喜に包まれた「グローリア」、
また「グロリア」よりもう一段熱狂が深まったような「クレド」、
一転して静かで瞑想的な「ベネディクトゥス」、
そして不安から平和への祈りへ転じていく「アニュス・デイ」…。
(後に行くにつれて音楽は暗く、重くなってくる。私の隣の方に座っていた小学生?は最初こそはしゃいでいたが、そのうち寝てしまった…)


基本的な構成は、カトリックのミサ曲そのものだが、
昔から多くの人が言うように、ここから響く中身はもうそれ以前の
バッハやヘンデルやハイドン、モーツァルトのものからすら
遠い遠い、言ってみれば「普通に生きる一般の人間」が書くミサ曲になっている。


昔、初めて聴いた時、
「これのどこがミサ曲なんだ!?」と思ったくらいだ。



しかし、とにもかくにも、一度どん底まで落ち込んだ人間が、こんなに巨大で深い祈りが吹き上げてくるような「ミサ曲」を書く!
私はまずそれに感動、である。



それから最後の「アニュス・デイ」。

これが何といっても「ミサ・ソレムニス」全体の眼目、というか特異な部分で
最初、「アニュス・デイ…云々 ミゼレーレ…云々」
(神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ。われらに平安を与えたまえ)
と歌手と合唱が暗く静かに歌われた後、
急に雲が晴れ、光がさしてきた如く「パーチェム、パーチェム(平和を)」と
8分の6拍子のゆりかごが揺れるようなリズムの合唱が始まる。
(ここは「田園」交響曲のフィナーレのようだ)

特異なのはその後。

その「パーチェム…」がひとしきり終わった後、
急にティンパニが不気味に轟き、進軍ラッパのトランペットが鳴り響く。

これは間違いなく、戦争の暗示である。


この頃、知っての通り、ナポレオンはじめ、ヨーロッパは戦争の傷跡からまだ癒えてなく、
まだ血が流されるのではないか、という不穏な空気が充満していた頃である。

芸術家はいつの時代も、その生きている「今」の空気に敏感なものだと思うが、
ベートーヴェンもそうだったのだ、と強く感じないではいられない。

私は、音楽史として言ってるんじゃなくて、
この音楽、「ミサ・ソレムニス」の「アニュス・デイ」を聴くたびに
ベートーヴェンの弱く、怯えた心を思い震えてしまうのだ。



自分で「ミサ曲」という強い信仰の音楽を書きながら、
しかもあの強い音楽をたくさん書いたベートーヴェンが
自分の気持ちを信じられなく、
こんなにも正直に弱さをさらけだしている…。



しかし、ここでもう一度ベートーヴェンは祈る。
「パーチェム、パーチェム…」
彼は屈しない。

戦争という、人間が人間を傷つける恐ろしいもの、
自分自身の弱さをも乗り越えて、それでも強く歩こうと音楽を書く。


私はまたも感動しないではいられない。



「ミサ・ソレムニス」はそういう心の軌跡が刻印された音楽だと思う。


準メルクルとN響はそれを改めて、
というかより一層強いメッセージを持って
私を包んでくれた。

特にその「アニュス・デイ」での
不安から「パーチェム・・・」への移行、
また、そこから戦争の予感のラッパへの移行、
そこからまた希望へと戻って行く移行、

そういう移り変わりの部分で、メルクルが慎重に丁寧に、
そして的確に音楽を扱おうとする真摯なところが
強く印象に残る。




数日たった今でも、その心の震えがおさまらないでいる。





...

外国人の遠足 - 2005年04月15日(金)




春になると、駅とか電車でよく子供の遠足に出くわしませんか?


私は昨日、途中駅から
なんだろう?インターナショナルスクールかな?
英語やらフランス語を話す子供達がたくさん乗ってきた。


うるさいのなんの。


「あそこの席あいたぞ!」(英語で)
と叫んではピューと飛んでくる。


朝、そういうシチュエーションに遭遇するのは正直とてもウザイ。

でも明るいですよね。
席とったりする、っていっても
周りの迷惑考えず、って感じじゃない。
どことなく日本の子とは違う感じがするんですよ。

ピューと飛んできても、座る瞬間周りをみてペコッとして
笑顔を見せて座る。


ところでしばらくして
少し大きめの乗降客が多い駅に停まった時のこと、

「バ〜〜イ♪」「バ〜〜イ♪」
とさかんにおっきな声がするので
「あれ?仲間が途中で降りちゃうのかな?」
と思ったら、そうでもないらしい。
誰に言ってるんだろう?


と不思議に思っていたら謎は簡単にとけた。



私が次の駅で降りる時、
女の子が2人、「バ〜〜〜イ♪」と
満面の笑顔で手を振ってくれた。


なんだか嬉しいよね。
こっちもすっかり笑顔になってしまって
「バイバーイ♪」と返してあげた。



人間、こうありたい。



外人慣れしてないと、ちょっと照れるかもしれないですけどね。





...

高〜〜い! - 2005年04月14日(木)




コンサートのチケットは高い!!



…何言ってんだ?オマエらのせいだろうが。
って言われそうですが、
やっぱり普通にコンサートに行こう、それも2人で行こうとすれば
相当に高い。



仕事場にいれば、ひとつのコンサートを成立させるための
ギャラ、海外渡航費、宿泊費、ホール代、宣伝費etcetc…・
を考えて、「これでも安いくらいだ!」
ってなってしまうのだけど
いざ、自分が家で他社のチラシなどを見て「これ行きたいな〜」と思っても
超一流のオーケストラだったら1万から2万円、
ピアニストやヴァイオリニストだって7,8千円、
オペラに至っては、例えば今年来日するミュンヘン・オペラや
来年のキーロフ・オペラ、メトロポリタン・オペラなど
安い席でも3万、高いところは5〜6万に達する。



今の給料ではとてもムリ(><)
だってコンサート行かなくたって、普段の生活費でカツカツだ。

実は去年から給料が減った。
結婚してから収入が減るなんて、マイハニーには何と言っていいか
晴天の霹靂だったが、これは私のところに限らず
大手のオフィスでも、音楽界全体にそういう傾向がでている。

で、食費の切り詰めから始まり、
お風呂の水量、トイレの回数、電話はできるだけサービスの良いパックを、
等々、我ながら涙ぐましい努力をしている。
それでも赤字になる月もある。


その状態でどうやってコンサートに行けば良いのだ!?



ムリ。



それでも、私はこういう仕事だし、
音楽に生きていく人間だから聴かねばならない。

だから多少の無理はしても、行く。



その代り、行くコンサートは名実ともに超一級のもの、
オケならシュターツカペレ・ドレスデンやロイヤル・コンセルトヘボウ、バイエルン放送響とか、(ベルリン・フィルやウィーン・フィルは高すぎてムリ)
ピアニストならポリーニやアルゲリッチ、ツィメルマンなど

こんな感じに絞るしかない。



本当は若い、評判の高まっているアーティストなんかをもっと聴きに行きたい。



でも自分の勉強と予算を考えれば、こうするしかないし、
まあ、前にも書いたが、結局は名人・大家と呼ばれる人の演奏で聴いた方が
音楽が「わかりやすい」のだ。
こういうレベルの人たちは、ベートーヴェンならベートーヴェン、
ショパンならショパンの音楽の「核」みたいなところに
寄り道なく、ダイレクトにたどりついてそれを音にしてくれる。
安かろう、悪かろうを聴きにいくワケにはいかない。


なんか自分に言い聞かせてるみたいになってきた…。



こんな中でひとつ有難いのはN響のチケットが安いこと。
一番安い当日の自由席が1500円で買える。


ハイ・コストパフォーマンスだ。



てなわけで、今週末の休みには
準メルクルが指揮するベートーヴェン畢生の大作、
「ミサ・ソレムニス」を聴きに行きます。



すごい楽しみです。










...

子供の情景 - 2005年04月11日(月)




昨日は大学の仲間とのピアノの発表会でした。


去年7月にやって以来、まだ1年もたっていないですし
日記にもそれに関連して「アガリ性」のことを書いたばっかりの気がするのですが
時は早い。まさに光陰矢の如し。


極限近くまで忙しい時期でしたしね、
(この時期はイヤだ、と言ったのですが、友人がホールがここしか予約できない!と強行してしまいました。)
練習もそこそこ、それもかなりそこそこだったので
緊張もいつにも増して、でしたが何とか今年は無難に弾けました。



今年弾いたのは、シューマン「子供の情景」。
あの「トロイメライ」が入っている曲集。
短い曲が13曲から成っていて、私はうち11曲弾きました。
(練習時間の関係上…。ホントは全部弾きたかった…)


「子供の…」って言ったって、子供向きに書かれている曲ってワケじゃないですよ。

確かにシューマンの作品の中では「弾く」技術としては易しい部類に入りますが、
どうしてどうして。

聴いてる分には単純・明朗なロマンティックな音楽なのですが
色んなメロディーが、上へ下へととても込み入ってからみあっているのと、
ハーモニーの移り変わり、急な転調、
そして連作詩みたいになっているので、曲から曲との推移、全体の構成感、
色んなことをじっくり煮詰める必要があるのですよ。



そしてまたシューマン特有の極端にハイな気分と鬱々した気分の移り変わり、
加えて彼特有の無理のある運指。
(その点ショパンなんかは「ピアノの詩人」の名にふさわしく、運指に無理が無い。
弾きこんでいると勝手に指がその音のところにいくようになる感じ)



だから「子供の情景」なんてタイトルにしては苦労しましたよ。
いつもの敵、アガリ性もいるしね。



無事終わって今日は晴れやか。(外は雨だけど)



さて来年もやりたい曲は山ほどあります。
その中で何を選ぼうか…。



そうして頭を巡らしている時が一番楽しいのかもね。





...

満開の桜 - 2005年04月08日(金)




桜はまだか、さくら、サクラ、sakura〜〜っ!

と国民全部が騒いでいましたが
一昨日くらいから一気に満開ですね。


私も昨日、急遽昼休みに花見散歩をしてきました。


桜の花、ってホント幻想的ですね。
夜桜より日中に見る桜の方がより幻想的に感じるのは私だけでしょうか?
白日夢、みたいな。



マイハニーはこんなにたくさん咲きほこる桜を見るのは初めてで
昨日はあちこちを散歩して感動していたそうです。


北海道って、もちろん桜はあるんだけど
本州のようにこんなにはないみたいだし
咲く時期もゴールデンウィーク過ぎだし
色もうすいらしい。



「桜、桜」と騒ぐ人間たちの気持ちがやっとわかったみたいです。


私たちにとっては卒業式、入学式と桜のイメージは連動するけど
彼女にはそうではなかったのですよ。




よかったね。



...

ランチ・タイムの謎 - 2005年04月06日(水)




かねてからの謎なのだが、
特に男たち、
なぜつるんでランチに行きたがるのだろう?


ちなみに私は大抵一人で行く。
昼休みはゆっくり満喫したいし、
なにしろ本が読みたいのだ。


幹部連中がミーティングをかねてみんなで行くのはわかるが
不思議なのは若い連中だ。


表面的には仲良くしているようだが
友人関係でもなく、心から相手を信頼していることもない(見てればわかる)
連中が必ずつるんでランチにでる。



知り合いに言わせると、それは
「一緒にいないと何を言われてるかわからない。いつのまにか陥れられてることを恐れている。」
のだそうだが、多分それが正解なのだろうと思う。



これまた不思議なことに、最近の女性スタッフはそうでもなく、
結構一人でさっさとランチに出てしまう。
話を聞けば食後はきままにウィンド・ショッピングなどしているらしい。


それはそれで随分クールだな、とも思うが、
男のそうしたネチネチした様子の方がよっぽど気持ち悪い。



私も昔は仲の良い同期のヤツらとはよく一緒にメシ食ってたけどね。
それはあくまで仲がよくて、仕事の話はそこそこに
もっと友達同士でする会話を楽しんでた。



メシがまずくなるようなランチ・タイムは過ごしたくない、というのが
私の偽らざる本音。
たとえ、協調性がないといわれても
そんな見せかけだけの協調なんてまっぴら。




...

近所のブラスバンド - 2005年04月04日(月)




先日、近所の中学校のブラスバンド部の定期演奏会というのが
近くの公会堂でありまして、
ちょっくらマイハニーと聴きに行ってきました。



この郊外の団地に引っ越したのが5年くらい前かな?
かねがね地元の音楽に関係する活動を
見てみたかったんですよね。


でもなかなか機会がなかったり、時間があわなかったり。



で、今の中学生、なんでこんなにうまいんですかね。
私が中学の頃(ブラスバンドでアルト・サックスを吹いてました)
どう考えてもみんなこんなレベルでは吹けなかった。



そして今の中学生(特に女の子ね)、なんて発育がいいの!?(←オヤジ的)
吹いてる子も聴きに来てる子も、お〜、私の感覚では高校生。

ていうと私が電車やバスの中でピチピチ女子高生と思ってる子たちは
中学生なのか!!?




…それはともかく、プログラムは盛りだくさん。
A.リードやアンダーソンのようなブラスにとってはベーシックなものから、吹奏楽コンクールの課題曲になったもの、
クラシック、ポップス、ジャズ、
そしてマツケンサンバから70年代、80年代魅惑の歌謡曲メドレーまで。


なつかしかったな〜。
それに楽しかった。長かったけどね。


私もあんな風に吹いてたっけ。


一生懸命ひたむきに吹く姿がまぶしい。


もっとも過去形にする必要もなく、
私はいまでもピアノ弾く時でもオーケストラに参加する時でも
一生懸命全力で演奏するよ。


ただクラシックっていうのは
(ビゼー「アルルの女」をやってた。私も昔やったけど、サックスがオブリガード・ソロをやるの、最高なんですよね)
感覚として難しいんだろうか?技術として難しいんだろうか?
他の曲に比べてやけにトチっていた。



こういう地元の子たち、卒業してからも音楽続けてるのかな?

吹奏楽だけといわず、色んな音楽に好奇心広げて
コンサートにもいっぱい来てくれると嬉しいんだけど。





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